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シリーズ「『貞観政要』を読む」

シリーズ「『貞観政要』を読む」~11.巻十<行幸><畋獵><慎終>~

<論行幸第三十六>

貞観政要最後となる巻十の最初は「行幸」について議論をしたところから始まります。

「行幸(ぎょうこう)」とは、
「君主が宮殿の外に行くこと。その行く先に幸福が生まれることを表す」「貞観政要 下 新釈漢文大系 (96)」p.752より一部改変)
と言います。

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貞觀初,太宗謂侍臣曰:「隋煬帝廣造宮室,以肆行幸。自西京至東都,離宮別館,相望道次,乃至並州、琢郡,無不悉然。馳道皆廣數百歩,種樹以飾其傍。人力不堪,相聚為賊。逮至末年,尺土一人,非復己有。以此觀之,廣宮室,好行幸,竟有何益。此皆朕耳所聞,目所見,深以自誡。故不敢輕用人力,惟令百姓安靜,不有怨叛而已。」
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太宗は「行幸」は好まなかったのだそうです。それに対比する存在として「隋」王朝の皇帝の一人を取り上げております。

その皇帝は国中の至る所で別邸を造り、それを造る際、多くの民を使ったのだと言います。

ひたすら行幸を楽しむだけで、民の安寧をおろそかにしたことにより、盗賊(義賊?)が盗みを働き、そのことにより国の財産が失われ、別邸がなくなり続け、やがて国が滅びるという流れになります。

そのため、我欲のために行幸せず、民のために慎ましく「功徳」を育て続けることが大切であると言えます。

<論畋獵第三十七>

「畋獵(でんれん)」は簡単に言うと「狩猟」のことを言います。太宗はかつて狩猟を好んでいたのですが、その狩猟について臣下と議論をしたところです。

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秘書監虞世南以太宗頗好畋獵,上疏諫曰:「臣聞秋セン(けものへんに爾)冬狩,蓋惟恒典;射隼從禽,備乎前誥。伏惟陛下因聽覽之余辰,順天道以殺伐,將欲摧班碎掌,親禦皮軒,窮猛獸之窟穴,盡逸材於林藪。夷兇剪暴,以衛黎元,收革擢羽,用充軍器,舉旗效獲,式遵前古。
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最初にも書いたとおり、太宗は狩りを好んでいましたが、それについて臣下が諫めたところです。

「諫めた」というと、狩りを止めるべき、というイメージをもってしまいますが、そうではなく、春夏秋冬それぞれの狩りがあり、民を襲う猛獣をしとめることによって、民を守り、自然の原理にかなっている、というものです。

狩りをするには別に悪いことではありませんが「乱獲」という言葉があるように自然の原理に反するような狩りをせず、自然と共生することによって、自然にも、国にも、民にも良い効果をもたらす、商売用語の「三方よし」といえるものにできます。

<論慎終第四十>

「第三十八」と「第三十九」は今度取り上げることとします。
最後の「第四十」である、「総まとめ」と言えるようなところを取り上げます。

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貞觀九年,太宗謂公卿曰:「朕端拱無為,四夷鹹服,豈朕一人之所致,實徳諸公之力耳。當思善始令終,永固鴻業,子子孫孫,遞相輔翼。使豐功厚利施於來葉,令數百年後讀我國史,鴻勛茂業粲然可觀,豈惟稱隆周、炎漢及建武、永平故事而已哉。
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国を平和に保つことができるのは、決して君主だけの地gからでは到底できません。

優秀な臣下を持つことによって、その力が束になって、かなえることができます。

企業にしても、国にしても同じことが言えます。社長や首相、といったトップだけががんばったとしても、今の世の中にすることはできません。

一人一人の力は弱いけれど、その力が国や企業のための力が積み重なることによって成長をすることができ、守成もできるようになります。

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貞觀十三年,魏征恐太宗不能克終儉約,近歳頗好奢縱,上疏諫曰:臣觀自古帝王受圖定鼎,皆欲傳之萬代,貽厥孫謀。故其垂拱巖廊,布政天下。其語道也,必先淳樸而抑浮華;其論人也,必貴忠良而鄙邪佞;言制度也,則絶奢靡而崇儉約;談物産也,則重谷帛而賤珍奇。然受命之初,皆遵之以成治;稍安之後,多反之而敗俗
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倹約をしたり、功徳を積み重ね続けられた太宗ですが、時が経つにつれ、そのことへの努力も薄れていくこともあります。

太宗もまたその一人でした。あるとき倹約を全うすることができず、贅沢への欲がでてき始めたこともあります。しかし臣下の一人であり、もっとも諫言を行った魏徴はそれを許さず、諫めました。どう諫めたのかが上記に記載しておりますが、一言で言えば「初心、忘れるべからず」ということを指しております。

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昔子貢問理人於孔子,孔子曰:「懍乎,若朽索之馭六馬。」子貢曰:「何其畏哉。」子曰:「不以道導之,則吾仇也,若何其無畏。」故《書》曰:「民惟邦本,本固邦寧。」為人上者,奈何不敬。陛下貞觀之始,視人如傷,恤其勤勞,愛民猶子,毎存簡約,無所營為。頃年以來,意在奢縱,忽忘卑儉,輕用人力,乃雲:「百姓無事則驕逸,勞役則易使。」自古以來,未有由百姓逸樂而致傾敗者也,何有逆畏其驕逸而故欲勞役者哉。恐非興邦之至言,豈安人之長算。此其漸不克終二也。
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「民は国の根本」であるように、「社員は企業の根本」と言えます。

そしてその上に立つものは、下にいる人を見て、かわいがり、自らも倹約し、律することによって、下にいる民もまた同じようになります。

そう、「子は親の背中を見て育つ」という言葉があるように、自ら倹約し、質素な生活を保ち、それでいて功徳を積み重ね続けることによって民はその君主を模範とし、それが国としての根本になり、安定した国や世の中とすることができます。

----------------------------
孔子曰:「君使臣以禮,臣事君以忠。」然則君之待臣,義不可薄。陛下初踐大位,敬以接下,君恩下流,臣情上達,鹹思竭力,心無所隱。頃年以來,多所忽略。或外官充使,奏事入朝,思睹闕庭,將陳所見,欲言則顏色不接,欲請又恩禮不加,間因所短,詰其細過,雖有聰辯之略,莫能申其忠款。而望上下同心,君臣交泰,不亦難乎。此其漸不克終八也。
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論語には、
「君主が臣下を使うには礼をまもり、臣下が君主に使えるには、真心をもって仕える」
という言葉があります。

その言葉を引き合いに出し、君主が臣下に対する態度が最近おろそかになっていることを魏徴は太宗に指摘しました。

----------------------------
貞觀十六年,太宗問魏征曰:「觀近古帝王有傳位十代者,有一代兩代者,亦有身得身失者。朕所以常懷憂懼,或恐撫養生民不得其所,或恐心生驕逸,喜怒過度。然不自知,卿可為朕言之,當以為楷則。」征對曰:「嗜欲喜怒之情,賢愚皆同。賢者能節之,不使過度,愚者縱之,多至失所。陛下聖德玄遠,居安思危,伏願陛下常能自制,以保克終之美,則萬代永徳。」
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人間には喜怒哀楽の感情があります。もっと言うと長所もあれば短所もあります。さらに動物本来ある「本能」や「欲望」もあります。

それを押さえるのが人間しかない「理性」です。

その理性をもって感情や欲望を「調節」することによって、「人」としての功徳をなすことができます。

それを君主が行うとそれが国となり、安寧の国にする事ができる、という考えです。

しかしその「感情」や「欲望」は気まぐれであり、時として「調節」が難しくなるときもあります。その「難しさ」が守成の難しさと直結するわけです。

「創業は易くして、守成は難し」
そのことをこの「貞観政要」の語る根本の一つとして最後に取り上げたのかもしれません。

諫言を受け入れ、守成の難しさを知り、それを続けることー

今日求められているリーダー像がこの「貞観政要」に詰まっていると言っても過言ではありません。

――――――――――――――――――――
<おわりに>

私が初めて「貞観政要」という本を知ったのは2009年、評論家の渡辺昇一氏と今は亡き谷沢永一の対談本である「上に立つ者の心得―『貞観政要』に学ぶ」でした。

当時の私は中国大陸の古典といえば「四書五経」をはじめとしたものしか知らず、むしろ「漢文」ということは高校の国語の時間しか触れることがありませんでした。

その「上に立つ者の心得―『貞観政要』に学ぶ」の本でまず、「貞観政要」のことを知り、それが帝王学であることを知った私は、以下の本も買いました。

「貞観政要」そのものを解説した一冊ですが、貞観政要を専門的に解説した本は本書が最新でした。
(「最新」とは言っても1996年に出版されたものですが)

自分自身この「貞観政要」を知り、それを読み、リーダー論として読書会で取り上げたことがありました。

書評を続けていく傍ら、この「貞観政要」を忘れてしまいがちになってしまいましたが、もう一度「貞観政要」の魅力を知り、伝えようと思い、このシリーズを立てようと考えました。

今までの書評とは違い、「解題」や「解説」に近いような形で紹介し、かつより親しみやすく「です・ます」調で書いてもみました。

このシリーズを作り上げるのは今までの書評やシリーズの中で一番難しいものがありました。

新しいスタイルもそうですが、それ以上に「貞観政要」の中身を精読し、それをどのように親しみやすく書くかに四苦八苦の連続でした。

11日連続して取り上げることも始めからできるかどうかわかりませんでした。1ヶ月以上かかるとも思っていました。

でも、このように続けられたのには一種の達成感がありますし、それでいてまだまだ伝えたいことがある、という今後の課題もできました。

もしかしたらブログとは違うところで、この「貞観政要」をもう一度取り上げてみようと思います。

最後になりますが、1日以上閲覧してくださったみなさま、つたない解説でしたが、閲覧いただきまことにありがとうございました。

今後もおもしろい本、シリーズをどんどん取り上げていく所存ですので、ご贔屓のほどよろしくお願いいたします。

―――――――――――――――――
<参考文献>

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<引用サイト(白文すべて)>

維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

シリーズ「『貞観政要』を読む」~10.巻九<征伐><安邊>~

<論征伐第三十四>

「征伐」は簡単に言うと他国への「戦争」を意味します。「天下太平」にほど近い太宗の時代でも他国への侵攻もありましたが、他国からの宣戦を受けることもあり、戦禍は絶えませんでした。

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太宗謂曰:「我與突厥面自和親,汝則背之,我無所愧,何輒將兵入我畿縣,自誇強盛。我當先戮爾矣。」思力懼而請命。蕭ウ(王へんに兎)、封德彜等請禮而遣之,太宗曰:「不然。今若放還,必謂我懼。」乃遣囚之。
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太宗が王に即位して間もないときは派閥争いなど内外で争いが残っていた時代でした。

和睦を結んだ他国もそれを裏切り、戦争を仕掛けた国もあったほどです。ほどなく太宗の国に捕らえられますが、それでも命乞いなどを行う人もいました。

しかし太宗はそれを許しませんでした。処刑する、とまではいかなくても厳罰に処したと言われております。

----------------------------
太宗《帝範》曰:「夫兵甲者,國家兇器也。土地雖廣,好戰則民雕;中國雖安,忘戰則民殆。雕非保全之術,殆非擬寇之方,不可以全除,不可以常用。故農隙講武,習威儀也;三年治兵,辨等列也。是以勾踐軾蛙,卒成霸業;徐偃棄武,終以喪邦。何也。越習其威,徐忘其備也。孔子曰:『以不教民戰,是謂棄之。』故知弧矢之威,以利天下,此用兵之職也。」
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太宗は唐の王である傍らで、著述家の側面もありました。
ここで紹介される「帝範」もその一つです。

その「帝範」の中でかかれたものとして、「兵(隊)は凶器であり、戦を好めば民は疲弊する」という言葉があります。

そうであれば「平和」がもっとも尊い存在でありますが、その「平和」もまた害をなします。それは軍備を怠り、無防備の状態をさらすことになり、それが国民の反乱や他国の侵略を許すことになってしまいます。

いかに現在の世の中が「平和」であったとしても、いつ戦争や反乱が起こるかわかりません。そのことの為に軍を持つことは「戦争」「平和」双方の害を和らげるために重要な役割を担っております。

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侍臣奏言:「馮アウ(央かんむりに皿)、談殿往年恒相征伐,陛下發一單使,嶺外帖然。」太宗曰:「初,嶺南諸州盛言アウ(央かんむりに皿)反,朕必欲討之,魏征頻諫,以為但懷之以德,必不討自來。既從其計,遂得嶺表無事,不勞而定,勝於十萬之師。」乃賜征絹五百匹。
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軍をもって力で制そうとしても国を疲弊させるだけです。しかしそれを防止するための方法として、使者を一人送って和平を図る(説得をする)ことを行いました。

その結果、両国に一人の死者も出さず、なおかつ戦わずして戦争を終わらせました。

この「説得する」ことは国益も絡むため、それを行うのは非常に難しいことであり、かつ使者も殺される可能性もありました。太宗自身もそれには消極的で、全面戦争を考えていましたが、諫言により、それを覆しました。

「恩徳」を尽くすことによってねばり強く説得をすると、必ず、相手の心にも伝わり、説得に応じられると踏んでの判断だったと考えられます。

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貞觀十七年,太宗謂侍臣曰:「蓋蘇文殺其主而奪其國政,誠不可忍。今日國家兵力,取之不難,朕未能即動兵衆,且令契丹、靺鞨攪擾之,何如。」
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唐の隣国である朝鮮半島の「高麗」という国では臣下が主君を殺し、政権を奪ったと言います。太宗はそれを許しませんでした。しかしここではあえて侵攻しようとはせず、むしろ傍観をしたのだそうです。

兵力は高麗よりも圧倒的に多く、かつ強さをもっていましたが、あえて戦わないのは昔の話で「矛を止めて用いないのが武である」ということを体現したと言えます。

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貞觀二十二年,太宗將重討高麗。是時,房玄齡寢疾增劇,顧謂諸子曰:「當今天下清謐,鹹得其宜,惟欲東討高麗,主為國害。吾知而不言,可謂銜恨入地。」遂上表諫曰:臣聞兵惡不治,武貴止戈。當今聖化所覃,無遠不泊。上古所不臣者,陛下皆能臣之;所不制者,皆能制之。
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先ほどの話から5年後のことです。高麗の蛮行に痺れを切らした太宗はとうとう高麗に対して征伐しようと決めようとしました。

しかしそれを病に伏しながらも上奏文でもって諫める臣下もいました。その臣下の諫言に心を打たれ、征伐を行わなかったそうです。

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且兵,兇器;戰,危事,不得已而用之。向使高麗違失臣節,而陛下誅之可也;侵擾百姓,而陛下滅之可也;久長能為中國患,而陛下除之可也。有一於此,雖日殺萬夫,不足為愧。今無此三條,坐煩中國,内為舊主雪怨,外為新羅報仇,豈非所存者小,所損者大。
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兵(隊)は凶器であり、かつ戦争は国を滅ぼしかねない危険なものです。それを行うことを最小限にすることが大切だと言います。

兵を使って諫めることも一つの手段ですが、説得をするなど無血で解決する手段もあります。

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昔秦皇並呑六國,反速危禍之基;晉武奄有三方,翻成覆敗之業。豈非矜功恃大,棄德輕邦,圖利忘害,肆情縱欲。遂使悠悠六合,雖廣不救其亡;嗷嗷黎庶,因弊以成其禍。是知地廣非常安之術,人勞乃易亂之源。願陛下布澤流人,矜弊恤乏,減行役之煩。徳雨露之惠。
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誅するための戦争もあれば、「秦」王朝にあったように、自らの利益への欲望のために戦争を起こした国もありました。

その国は中国大陸を統一するほどの大国にまで成長しましたが、ほどなく滅ぼされました。

<論安邊第三十五>

安寧について議論をしたところです。

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因謂侍臣曰「中國百姓,實天下之根本,四夷之人,乃同枝葉,擾其根本以厚枝葉,而求久安,未之有也。初不納魏征言,遂覺勞費日甚,幾失久安之道。」
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国の資本は「民」です。その民には様々な民族がいるため、それらを平等に接し、親切にすることによって安寧な国にする事ができるといいます。

しかしそのバランスがどれか一つでも崩れてしまうと、内乱が起こるなど国が傾きかねないことに発展してしまいます。

国もそうですが、組織としても上に立つ者は平等に接すること、誰でも親切にする事は大事なことと言えます。

(巻十へ続く)

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<参考文献>

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<引用サイト(白文すべて)>

維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

シリーズ「『貞観政要』を読む」~9.巻八<務農><刑法><赦令><貢賦>~

<論務農第三十>

巻八の冒頭は農業政策について論じた所です。

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貞觀二年,太宗謂侍臣曰:「凡事皆須務本。國以人為本,人以衣食為本,凡營衣食,以不失時為本。夫不失時者,在人君簡靜乃可致耳。若兵戈瘻動,土木不息,而欲不奪農時,其可得乎。」
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人にはそれぞれの基本があり、その基本を築けるような努力が必要です。その基本としてはそれぞれ異なり、

「国」は「民」を、
「民」は「衣食」を、
「衣食」は「生産」を、

基本としています。国を治めることは安定した「生産」を行うこと、すなわち農業や漁業などで安定した生産を行うことが重要とされます。

----------------------------
太宗曰:「陰陽拘忌,朕所不行。若動靜必依陰陽,不顧理義,欲求福祐,其可得乎。若所行皆遵正道,自然常與吉會。且吉兇在人,豈假陰陽拘忌。農時甚要,不可暫失。」
----------------------------

人の心にしても、行いにしても、情勢に関しても、農業に関しても、必ずといってもいいほど「陰陽」が存在すると太宗はいっております。

そもそも「陰陽」の考え方は中国大陸古来から言い伝えられており、この世のすべてのものには「陰」と「陽」と異なる属性を持った気が存在しており、万物にたいし起こることはすべて「陰陽」の対立から生まれるという思想です。

この「陰陽」の考え方については「四書五経」のうちの「易経」を始め様々な書に残されております。

<論刑法第三十一>

悪人を裁くことについて論じた所です。

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貞觀元年,太宗謂侍臣曰:「死者不可再生,用法務在寬簡。古人雲,鬻棺者欲歳之疫,非疾於人,利於棺售故耳。今法司核理一獄,必求深刻,欲成其考課。今作何法,得使平允。」諫議大夫王珪進曰:「但選公直良善人,斷獄允當者,增秩賜金,即奸偽自息。」詔從之。
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処刑をはじめとした刑罰の在り方について議論をしたところです。とりわけ処刑は一度判決をし、執行されると二度と覆ることができません。

そうならないように太宗は、罪人に裁きを行う司法官は公正、正直かつ平等な立場で判決を行うことを心がけられる人を選ぶことを求めました。

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既而悔之,謂房玄齡曰:「公等食人之祿,須憂人之憂,事無巨細,鹹當留意。今不問則不言,見事都不諫諍,何所輔弼。如蘊古身為法官,與囚博戲,漏泄朕言,此亦罪状甚重。若據常律,未至極刑。朕當時盛怒,即令處置。公等竟無一言,所司又不覆奏,遂即決之,豈是道理。」因詔曰:「凡有死刑,雖令即決,皆須五覆奏。」五覆奏,自蘊古始也。
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しかし一度判決を行い、執行した死罪を覆すことができない、とわかっていても、それを太宗は行ったことが何度かありました。

臣下のなかに法官でありながら囚人と博打をしたことに太宗は激怒し、即座に処刑をしたこともあります。そのことを太宗はひどく後悔をし、今後処刑などの重罪に処する際は何度も取り調べや公判を重ねて決める様にと命じたところです。

最近でも3人の死刑囚に対し、執行をし、EUを始め人権擁護団体から避難を受けたニュースがありました。死刑の判決を申し渡すのもそうですが、それについて執行をおこなう法務大臣にとっても覚悟と議論を重ねる必要と言えます。

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故以聖人受命,拯溺亨屯,歸罪於己,推恩於民。大明無偏照,至公無私親。故以一人治天下,不以天下奉一人。禮以禁其奢,樂以防其佚。左言而右事,出警而入蹕。四時調其慘舒,三光同其得失。故身為之度,而聲為之律。
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「聖人君子」という四字熟語があります。調べてみると、
「徳や品位があり、知恵も教養もある非常に優れた人。行いの正しい高潔な人。」「広辞苑」第六版より)
と表します。

その聖人君子は人民を救い、さらに罪もすべて自分の責任であることなど能力以上にありとあらゆる要素が求められています。

聖人君子と呼べる様な人も限られていますが、今回紹介した要素を持つ人ももっと限られているのかもしれません。

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勿謂我尊而傲賢侮士,勿謂我智而拒諫矜己。聞之夏後,據饋頻起;亦有魏帝,牽裾不止。安彼反側,如春陽秋露;巍巍蕩蕩,推漢高大度。撫茲庶事,如履薄臨深;戰戰栗栗,用周文小心。
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皇帝は中国大陸において最も位の高い人物です。それ故に自分が優れているからといって諫言を無視するなどの「驕り」も生じることがあります。

そのような立場だからでこそ、自分を律し、謙虚な態度を持つことによって、自らの「器」を広げるとともに、臣下の言葉も受け入れることができます。

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勿渾渾而濁,勿皎皎而清;勿汝汝而暗,勿察察而明。雖冕旒蔽目而視於未形,雖トウ(黄へんに圭)纊塞耳而聽於無聲。縱心乎湛然之域,遊神於至道之精。扣之者,應洪纖而效響;酌之者,隨淺深而皆盈。故曰:天之清,地之寧,王之貞。四時不言而代序,萬物無為而受成。豈知帝有其力,而天下和平。
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君主としてのありかたとしてを示したところです。「清濁併せ持つこと」を表しているところです。

「清らかになりすぎず」、だからと言って「ドロドロと濁りきることなく」、それを両方持つことによって善悪の判断をすることができる君主となります。

<論赦令第三十二>

罪人に対する恩赦など「許し」について議論をしたところです。

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貞觀七年,太宗謂侍臣曰:「天下愚人者多,智人者少,智者不肯為惡,愚人好犯憲章。凡赦宥之恩,惟及不軌之輩。古語雲:『小人之幸,君子之不幸。』『一歳再赦,善人暗愚。』凡『養?莠者傷禾稼,惠奸究者賊良人』。
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罪人に対して恩赦を与えると、罪人は罪における刑罰から釈放されます。その代償は誰にくるのか、というと法を守り人としてまともな道を歩む善人です。

「正直者が馬鹿を見る」というような社会となってしまいます。太宗はそうしないように自ら戒め、そして法を作るよう指示しました。

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昔『文王作罰,刑茲無赦。』又蜀先主嘗謂諸葛亮曰:『吾周旋陳元方、鄭康成之間,毎見啓告理亂之道備矣,曾不語赦。』故諸葛亮治蜀十年不赦,而蜀大化。梁武帝毎年數赦,卒至傾敗。夫謀小仁者,大仁之賊。故我有天下以來,絶不放赦。今四海安寧,禮義興行,非常之恩,彌不可數,將恐愚人常冀僥幸,惟欲犯法,不能改過。」
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そう思った事例として「周」王朝の時代に遡ります。文王と呼ばれる君主は刑罰を作るだけではなく、その刑罰を受けた者に対し、けっして恩赦をかける事はなかったのだそうです。三国志に出てくる劉備が治めた「蜀」も同様でした。

逆に「梁」の国のある皇帝は何かにつけて恩赦をかけて、恩赦を受けた罪人によって滅ぼされたそうです。

恩赦は一つの「善行」といえるのですが、その善行は小さく、むしろそれにより、「仁義」を害すると言われています。一種の「悪行」と呼ばれても過言ではありません。

<論貢賦第三十三>

「貢賦」、中国大陸・朝鮮半島などで行われた「来貢(らいこう:外国人が来て貢物を奉ること)」について論じたところです。

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貞觀十九年,高麗王高藏及莫離支蓋蘇文遣使獻二美女,太宗謂其使曰:「朕憫此女離其父母兄弟於本國,若愛其色而傷其心,我不取也。」並卻還之本國。
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ある時、朝鮮半島の王(当時「高麗」という王朝でした)が「来貢」として高麗きっての美女を2人貢いだのだそうです。

しかし太宗は貢ごうとした使者に対し、貢がれようとした美女の家族を思って帰させたというエピソードです。

国家間の関係維持の為に行ったものですが、民の家族や幸せを思い、自らを律した太宗だからでこそ、このことは許さなかったのです。

(巻九へ続く)

シリーズ「『貞観政要』を読む」~8.巻七<儒學><文史><禮樂>~

<崇儒學第二十七>

中国大陸や朝鮮半島で重宝された「儒学」の重要性について議論をしたところです。

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貞觀二年,太宗謂侍臣曰:「為政之要,惟在得人。用非其才,必難致治。今所任用,必須以德行、學識為本。」諫議大夫王珪曰:「人臣若無學業,不能識前言往行,豈堪大任?漢昭帝時,有人詐稱衛太子,聚觀者數萬人,衆皆致惑。雋不疑斷以ショウ(草かんむりに着朋にりっとう)ショウ(耳へんに貴)之事。昭帝曰:『公卿大臣,當用經術明於古義者,此則固非刀筆俗吏所可比擬。』」上曰:「信如卿言。」
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政治をなすに当たって最も重要な要素として、教養などの学業と才能がなければつとまらないと言います。君主を諫めたり、道をひらくことができます。

<論文史第二十八>

歴史を学ぶこと、そして歴史としての「記録」について議論をしたところです。

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太宗曰:「朕有不善,卿必記耶。」遂良曰:「臣聞守道不如守官,臣職當載筆,何不書之。」黄門侍郎劉泊進曰:「人君有過失,如日月之蝕,人皆見之。設令遂良不記,天下之人皆記之矣。」
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歴史は良い事も悪いことも記録されます。そのため太宗自信も後の歴史の為に、自分の悪い行いも記録するのか、と心配し、記録官に問いかけたところです。

その記録官はたとえ悪いことをしたとして、記録しなかったとしても、民たちの記憶に残ります。その記憶が後に国が滅ぶきっかけとなることもあります。

余談ですが、この貞観政要がでたきっかけとしたのが、ここの節であり、歴史における記録の重要性などの本質を突いた所とも言えます。

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貞觀十四年,太宗謂房玄齡曰:「朕毎觀前代史書,彰善疚惡,足為將來規誡。不知自古當代國史,何因不令帝王親見之。」對曰:「國史既善惡必書,庶幾人主不為非法。止應畏有忤旨,故不得見也。」
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歴代の皇帝の歴史は様々あります。善行も悪行も記録しており、それを教訓にしてこれからの「戒め」として使う事を太宗は考えました。

しかしこう言った記録は決して皇帝には見せていないのでした。それはなぜでしょうか。

それについて臣下は自分の心がやましくなり悪事を働かないようにするために見せないそうです。

歴史を学ぶことは、「温故知新」の意味合いがあるのですが、良いことも悪いことも学ぶ事を鑑みると、悪いことも学べるという負の側面もあるようです。

<論禮樂第二十九>

「禮樂」について議論をしたところです。

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又詔曰:「氏族之美,實系於冠冕,婚姻之道,莫先於仁義。自有魏失禦,齊氏雲亡,市朝既遷,風俗陵替,燕、趙古姓,多失衣冠之緒,齊、韓舊族,或乖禮義之風。名不著於州閭,身未免於貧賤,自號高門之胄,不敦匹嫡之儀,問名惟在於竊貲,結リ(衣へんに離のへん)必歸於富室。乃有新官之輩,豐財之家,慕其祖宗,競結婚姻,多納貨賄,有如販鬻。或自貶家門,受辱於姻ア(女へんに亞);或矜其舊望,行無禮於舅姑。積習成俗,迄今未已,既紊人倫,實虧名教。朕夙夜兢惕,憂勤政道,往代蠹害,鹹已懲革,唯此弊風,未能盡變。自今以後,明加告示,使識嫁娶之序,務合禮典,稱朕意焉。」
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少し長文でしたが、家族など庶民の事情、そして自分自身と庶民たちの仁義・礼にいついて太宗自信が説いたところです。

人間の活動には「仁義」が第一であり、太宗自身もそれを実践していました。しかしそれが中国大陸全体に伝わっているか、というとそうではありません。太宗のあずかり知らぬ所で、やましきこと、悪しきことは起こっています。

その中でも「婚礼」について、現在でいう「結婚詐欺」や「玉の輿」「政略結婚」についてを憂いていました。

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禮部尚書王珪子敬直,尚太宗女南平公主。珪曰:「《禮》有婦見舅姑之儀,自近代風俗弊薄,公主出降,此禮皆廢。主上欽明,動循法制,吾受公主謁見,豈為身榮,所以成國家之美耳。」遂與其妻就位而坐,令公主親執巾,行盥饋之道,禮成而退。太宗聞而稱善。是後公主下降有舅姑者,皆遣備行此禮。
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中国大陸では皇帝の娘が臣下に嫁ぐときにはその臣下の親族は皇帝に対し、礼を尽くすための儀式(謁見を受けるための儀式)がしきたりとしてあったのだそうです。

しかし、いつの頃からかそれがおろそかになってしまい、太宗もそれを憂いていましたが、臣下の一人である王珪がこの礼を行ったことを喜び、以降も実行するよう臣下に命じたそうです。

日本でも婚礼については様々な「伝統」があるのですが、それが効率化や合理化などの「時代の波」にのまれ、その
「伝統」も廃れているのも事実としてあります。婚礼に限らず、日本文化にもいろいろと「伝統」があり、廃れてしまったものも少なくありません。

ただ、その「伝統」ただ「守る」「続ける」だけでは、時代にあわなくなってしまいます。時代に合わせながら「変化」をする事も大切です。

(巻八へ続く)

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<参考文献>

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<引用サイト(白文すべて)>

維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

シリーズ「『貞観政要』を読む」~7.巻六<倹約><謙譲><仁惻><慎所好><慎言語><杜讒邪><悔過><奢縱><貪鄙>~

<論儉約第十八>

巻六の最初は倹約について議論を行ったところです。太宗の政治の特徴の一つとして、民のために、自ら「倹約(節制)」に徹したと言われています。

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古人雲:『不作無益害有益。』『不見可欲,使民心不亂。』固知見可欲,其心必亂矣。至如雕鏤器物,珠玉服玩,若恣其驕奢,則危亡之期可立待也。自王公以下,第宅、車服、婚嫁、喪葬,準品秩不合服用者,宜一切禁斷。」由是二十年間,風俗簡樸,衣無錦繍,財帛富饒,無饑寒之弊。
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「無益なことをなして、有益を損なうことがある。ほしがるものは示さなければ、民の心を乱れさせることはない」
という言葉があります。欲望の赴くままに示したら、民から頂いた資金(税金)を贅沢に使っては、民たちの反感を買い、滅亡の一途を辿るとあります。

上に立つ者は、下の模範になるよう、常に「清貧」であれ、ということを言っているのでしょう。

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魏征曰:「陛下本憐百姓,毎節己以順人。臣聞『以欲從人者昌,以人樂己者亡。』隋煬帝誌在無厭,惟好奢侈,所司毎有供奉營造,小不稱意,則有峻罰嚴刑。上之所好,下必有甚,競為無限,遂至滅亡。此非書籍所傳,亦陛下目所親見。為其無道,故天命陛下代之。陛下若以為足,今日不啻足矣;若以為不足,更萬倍過此,亦不足。」太宗曰:「公所奏對甚善。非公,朕安得聞此言。」
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こちらも最初に言ったことを臣下に主張しました。臣下の一人である魏徴がそれを誉め称えました。その逆の例として唐の一つ前の王朝である「隋」の滅亡の原因についてを取り上げました。その原因がひたすら贅沢を尽くし、役人も民も関係なく気に入らなければ厳しい刑罰を下すといったものでした。

<論謙讓第十九>

「謙譲(けんじょう)」について議論を行った所です。

謙譲とは、
「へりくだりゆずること。自分を低めることにより相手を高めること。また、控えめであるさま。謙遜(けんそん)。」「goo辞書」より)
とあります。

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貞觀二年,太宗謂侍臣曰:「人言作天子則得自尊崇,無所畏懼,朕則以為正合自守謙恭,常懷畏懼。昔舜誡禹曰:『汝惟不矜,天下莫與汝爭能;汝惟不伐,天下莫與汝爭功。』又《易》曰:『人道惡盈而好謙。』凡為天子,若惟自尊崇,不守謙恭者,在身償有不是之事,誰肯犯顏諫奏。
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君主は畏れ多いが、自ら慎み、かつ卑下しているのだが、それでも恐れられる存在であることを悩んでいる様子でした。上に立つものとしてのつきものの悩みであると言えます。

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夫帝王内蘊神明,外須玄默,使深不可知。故《易》稱『以蒙養正;以明夷荘衆』。若其位居尊極,炫耀聰明,以才陵人,飾非拒諫,則上下情隔,君臣道乖。自古滅亡,莫不由此也。」太宗曰:「《易》雲:『勞謙,君子有終,吉。』誠如卿言。」詔賜物二百段。
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主君と民とでは身分の差もあるのですが、奥ゆかしさなども差があまりにもひろく、民は主君の心の中を測ることができないと言われています。

そこからきわめて高い位にいながらも自らを謙遜し、上下の隔たりを少しでも近づけさせることが民が君主に対して支持を得るための心構えとしてあります。

<論仁惻第二十>

「仁惻(めぐみあわれむこと)」について論じた所です。

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貞觀初,太宗謂侍臣曰:「婦人幽閉深宮,情實可哀。隋氏末年,求采無已,至於離宮別館,非幸禦之所,多聚宮人。此皆竭人財力,朕所不取。且灑掃之余,更何所用。今將出之,任求伉儷,非獨以省費,兼以息人,亦各得遂其情性。」於是後宮及掖庭前後所出三千余人。
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太宗が君主に就いたとき、宮殿にいた官女約3000人を開放させました。この3000人は前の皇帝、というより前の王朝からの名残で贅沢を尽くすために女性を侍らせようとして捕らえられ、宮殿に連れていかれた女性たちです。

男女関係ないのですが、自分の贅沢のために束縛する事は自分自身として許されないこと、また費用の削減や適材適所の観点から解放をさせたのだそうです。

<論慎所好第二十一>

慎ましく生きること、活動することのあり方について論じたところです。

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貞觀二年,太宗謂侍臣曰:「古人雲『君猶器也,人猶水也,方圓在於器,不在於水。』故堯、舜率天下以仁,而人從之;桀、紂率天下以暴,而人從之。下之所行,皆從上之所好。
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「性悪説」で有名な荀子の言葉をもう一度引き合いに出している所です。(巻一参照

<論慎言語第二十二>

言葉の慎みについて論じたところです。

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貞觀二年,太宗謂侍臣曰:「朕毎日坐朝,欲出一言,即思此一言於百姓有利益否,所以不敢多言。」給事中兼知起居事杜正倫進曰:「君舉必書,言存左史。臣職當兼修起居註,不敢不盡愚直。陛下若一言乖於道理,則千載累於聖德,非止當今損於百姓,願陛下慎之。」太宗大悅,賜彩百段。
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太宗は毎朝臣下たちの政務を聞き、それをもとに一言出すことを習慣にしていましたが、その「一言」を言うことで民たちにどのような利益となるのか悩んだのだそうです。

主君は「公人のなかの公人」という立場であるため、いかに言葉には細心の注意を払っているかが窺えます。
それを考えると上に立つものほど、「公人」である人ほど見えるところもそうですが、見えない所でも「言葉」には細心の注意は払う必要があります。メディアによる「言葉狩り」は今も横行しているのですから。

<論杜讒邪第二十三>

讒言や邪なことを諫めることについて議論した所です。

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魏征曰:「《禮》雲:『戒慎乎其所不睹,恐懼乎其所不聞。』《詩》雲『愷悌君子,無信讒言。讒言罔極,交亂四國。』又孔子曰:『惡利口之覆邦家』,蓋為此也。臣嘗觀自古有國有家者,若曲受讒譖,妄害忠良,必宗廟丘墟,市朝霜露矣。願陛下深慎之。」
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讒言(ざんげん)は、
「事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと。」「goo辞書」より)
とあります。

それを気にしていては君主としての「功徳」を磨くどころか、よい政治さえおろそかになってしまいます。讒言の多くは「讒臣(巻三参照)」が発言するところにあります。
その言葉を鵜呑みにせず、自ら戒めて聞き分ける必要があります。

<論悔過第二十四>

学問をする事、そして読書をする事の大切さについて議論したところです。

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貞觀二年,太宗謂房玄齡曰:「為人大須學問。朕往為群兇未定,東西征討,躬親戎事,不暇讀書。比來四海安靜,身處殿堂,不能自執書卷,使人讀而聽之。君臣父子,政教之道,共在書内。古人雲:『不學,墻面,臨事惟煩。』不徒言也。卻思少小時行事,大覺非也。」
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学問をする事、そして読書をする事の大切さについて説いたところです。学問は政治判断をする際の本質を表しており、それを判断を行うための格好の材料となり、読書は自分自身の行いを見直すために大切な時であると言います。

著名な経営者の多くは読書家であり、このような古典を含めた学問・教養を身につけることに余念がありませんでした。

<論奢縱第二十五>

過去の歴史の認識について論じた所です。

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往者貞觀之初,率土霜儉,一匹絹才得粟一鬥,而天下帖然。百姓知陛下甚憂憐之,故人人自安,曾無謗読。自五六年來,頻歳豐稔,一匹絹得十余石粟,而百姓皆以陛下不憂憐之,鹹有怨言。又今所營為者,頗多不急之務故也。自古以來,國之興亡不由蓄積多少,惟在百姓苦樂。且以近事驗之,隋家貯洛口倉,而李密因之;東京積布帛,王世充據之;西京府庫亦為國家之用,至今未盡。向使洛口、東都無粟帛,即世充、李密未必能聚大。但貯積者固是國之常事,要當人有余力而後收之。若人勞而強斂之,竟以資寇,積之無益也。然儉以息人,貞觀之初,陛下已躬為之,故今行之不難也。為之一日,則天下知之,式歌且舞矣。若人既勞矣,而用之不息,尚中國被水旱之災,邊方有風塵之警,狂狡因之竊發,則有不可測之事,非徒聖躬肝食晏寢而已。若以陛下之聖明,誠欲勵精為政,不煩遠求上古之術,但及貞觀之初,則天下幸甚。太宗曰:「近令造小隨身器物,不意百姓遂有嗟怨,此則朕之過誤。」乃命停之。
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政治的な変乱により、倒れた王朝・帝政は少なくありません。それを自分事として自分自身の政治を戒めるのか、それとも他人事としてただ笑うだけにするのか、その違いにより、今後の政治、それどころか後世に対し、どのように語り継がれてゆくか変わります。

この貞観政要のメインとなる太宗は自ら戒め、諫言を受け入れ続け、安定した国に育てたことによってこのように1500年以上経った今でも語り継がれています。

<論貪鄙第二十六>

財産について論じた所です。

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古人雲:『賢者多財損其誌,愚者多財生其過。』此言可為深誡。若徇私貪濁,非止壞公法,損百姓,縱事未發聞,中心豈不常懼。恐懼既多,亦有因而致死。大丈夫豈得?貪財物,以害及身命,使子孫毎懷愧恥耶。卿等宜深思此言。」
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「賢者に財(産)が多くなれば、志を損ない、愚者に財が多ければ、過ちを生ずる」
という言葉です。

「財」というのは使いようにもよりますが、多く持とうとするほど心の中に「闇」を作ってしまいます。その要因は「欲望」というものであり、「欲望」のために人民を損ない、国を滅ぼすきっかけとなってしまいます。

(巻七へ続く)

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<参考文献>

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維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

シリーズ「『貞観政要』を読む」~6.巻五<仁義><忠義><孝友><公平><誠信>~

<仁義第十三>

巻五の最初は、人間としての根本の一つである「仁義」とは何かについて君臣と臣下が議論を行ったところです。

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貞觀元年,太宗曰:「朕看古來帝王以仁義為治者,國祚延長,任法禦人者,雖救弊於一時,敗亡亦促。既見前王成事,足是元龜,今欲專以仁義誠信為治,望革近代之澆薄也。」黄門侍郎王珪對曰:「天下彫喪日久,陛下承其餘弊,弘道移風,萬代之福。但非賢不理,惟在得人。」太宗曰:「朕思賢之情,豈舍夢寐。」給事中杜正倫進曰:「世必有才,隨時所用,豈待夢傅説,逢呂尚,然後為治乎。」太宗深納其言。
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長く統べることはなかなか難しく、時には「戦乱」が起こることもあります。その戦乱により、統治が難しくなることも多々あります。その難しいときにこそ賢臣を持ち、君主もその賢臣をいかに使い、助けにするかによって戦乱に耐え、民たちを疲弊させず、かつ幸福になると言います。

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貞觀十二年,太宗謂侍臣曰:「林深則鳥棲,水廣則魚遊,仁義積則物自歸之。人皆知畏避災害,不知行仁義則災害不生。夫仁義之道,當思之在心,常令相繼,若斯須懈怠,去之已遠。猶如飲食資身,恒令腹飽,乃可存其性命。」王珪頓首曰:「陛下能知此言,天下幸甚。」
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「林が深いとき鳥が来て住み、川の流れが大きいときは多くの魚が集まって泳ぎ、人の仁義道徳の行いが積もった時、天下は自然の流れに従うものである。」

この言葉の後には、民や王としてどのようにあるべきかを記しておりますが、川の流れも林の深さも自然がつもりに積もって育まれた結果であり、君主が仁義道徳を行うことを積み重ねることによって天下太平の世に育て、守っていくことができるとあります。

「継続は力なり」ということの喩えとしても挙げられます。

<論忠義第十四>

「忠義」について説いたところです。

「忠義」とは、

「主君や国家に対し真心を尽くして仕えること。また、そのさま。」「goo辞書」より)

と意味づけられております。

----------------------------
貞觀十一年,太宗謂侍臣曰:「狄人殺衛懿公,盡食其肉,獨留其肝。懿公之臣弘演呼天大哭,自出其肝,而?懿公之肝於其腹中。今覓此人,恐不可得。」
----------------------------

忠義と語りたいところですが、この漢文は非常に生々しいものです。ある王が敵に殺され、八つ裂きにされるも、内蔵だけは残したそうです。後で駆けつけた臣下や王を思い、自分の中に王は生きている、ということを願い自ら体を裂き、残った内蔵を自らの体の中に閉まった、と言われています。

<孝友第十五>

「孝」という漢字があるように「親孝行」とは何かについて議論をしたところです。

----------------------------
司空房玄齡事繼母,能以色養,恭謹過人。其母病,請醫人至門,必迎拜垂泣。及居喪,尤甚柴毀。太宗命散騎常侍劉泊就加寬譬,遺寢床、粥食、鹽菜。
----------------------------

太宗における、代表的な臣下の一人である房玄齡は親に対する敬いの心は他の臣下以上に持っていました。あるとき継母がなくなったときには深い悲しみにつつまれ、そのあまりに痩せ衰えたというほどでした。

その痩せ衰え方はあまりにひどく太宗自身も心配し、他の臣下に慰めるよう命じたほどでした。

<公平第十六>

リーダーなどトップに立つ者は「公平」な立場で物事を考え、行動をすることが大切であると言われていますが、それを行うのはなかなか難しいことです。

「聖君」として誉れ高かった太宗でさえも、その「公平」について悩んだことはないと言われています。

----------------------------
太宗初即位,中書令房玄齡奏言:「秦府舊左右未得官者,並怨前宮及齊府左右處分之先己。」太宗曰:「古稱至公者,蓋謂平恕無私。丹朱、商均,子也,而堯、舜廢之。管叔、蔡叔,兄弟也,而周公誅之。故知君人者,以天下為公,無私於物。昔諸葛孔明,小國之相,猶曰『吾心如稱,不能為人作輕重』,況我今理大國乎
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太宗が即位した当時の話です、太宗の身の回りの話ではないのですが、歴代の皇帝の中には即位した時から臣下の反発にあった皇帝もいました。

さらにその中には「公平」な立場でもって臣下を殺した皇帝もいました。

こう書いていると、残虐な印象をもってしまうと思いますが、上に立つ者は、自ら私情を排し、その私情を持つ臣下も許さず、えこひいきも行わず、常に自分の持っている「平等」の心でもって判断をすることが大切です。

<誠信第十七>

誠実であることと、信じることについて議論をした所です。

----------------------------
太宗嘗謂長孫無忌等曰:「朕即位之初,有上書者非一,或言人主必須威權獨任,不得委任群下;或欲耀兵振武,懾服四夷。惟有魏徴勸朕『偃革興文,布德施惠,中國既安,遠人自服』。朕從此語,天下大寧,絶域君長,皆來朝貢,九夷重譯,相望於道。凡此等事,皆魏徴之力也。朕任用,豈不得人。」徴拜謝曰:「陛下聖德自天,留心政術。實以庸短,承受不暇,豈有益於聖明。」
----------------------------

太宗は多くある諫言を受け入れ、自ら律し、倹約や功徳につとめるような政治を行い続けました。

それを行い続けることができたのも、もっとも多く諫言を行った魏徴のおかげであると、太宗は魏徴に対し感謝をしています。

----------------------------
陛下聰明神武,天姿英睿,誌存泛愛,引納多塗,好善而不甚擇人,疾惡而未能遠佞。又出言無隱,疾惡太深,聞人之善或未全信,聞人之惡以為必然。雖有獨見之明,猶恐理或未盡。何則。君子揚人之善,小人訐人之惡。聞惡必信則小人之道長矣,聞善或疑則君子之道消矣。為國家者急於進君子而退小人,乃使君子道消,小人道長,則君臣失序,上下否隔,亂亡不恤,將何以治乎。
----------------------------

太宗は武徳にも知性にも優れていたのですが、人を選ぶ目が欠けていました。

その人選のなかで魏徴は人について「君子」と「小人」っとを二つに分けております。

「君子」・・・人の良いところを見出し、取り上げる。
「小人」・・・人の悪いところを見出し、それを暴いて悪口を言いふらす。

その小人を退ける事が大切であるが、人を信用してばかりでは、そういった人も残すようになり、小人の浅ましい考えや意見を取り入れてしまい、国家がゆがみ、滅びへの道となるそうです。

上に立つものとしてどの人を選ぶか、ということを表しているのですが、自分自身が「君子」なのか「小人」なのか、を見直す機会と言える節です。

----------------------------
魏徴上疏曰:臣聞為國之基,必資於德禮,君之所保,惟在於誠信。誠信立則下無二心,德禮形則遠人斯格。然則德禮誠信,國之大綱,在於君臣父子,不可斯須而廢也。
----------------------------

この第十七の根幹に当たるところです。

「誠信」を立てることと、「徳礼」を持つことによって国を治める基礎となる事です。

「誠信」とは、
「まごころ。まこと。誠実。」「goo辞書」より)
ですが、

「誠」は誠実なこと、もしくは心構えのことを表しており
「信」は信頼・信用という熟語があるように人を信じることを指します。

これは「貞観政要」が初出ではなく、「論語」の時代からも言われ続けている心がまえです。

(巻六へ続く)

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<参考文献>

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維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

シリーズ「『貞観政要』を読む」~5.巻四<太子諸王定分><尊敬師傅><教戒太子諸王><規諫太子>~

<太子諸王定分第九>

君子の子供である太子との接し方について説いた章です。

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昔魏武帝寵樹陳思,及文帝即位,防守禁閉,有同獄囚,以先帝加恩太多,故嗣王從而畏之也。此則武帝之寵陳思,適所以苦之也。且帝子何患不富貴,身食大國,封戸不少,好衣美食之外,更何所須。而毎年別加優賜,會無紀極。俚語曰:『貧不學儉,富不學奢。』言自然也。今陛下以大聖創業,豈惟處置見在子弟而已,當須制長久之法,使萬代遵行。」疏奏,太宗甚嘉之,賜物百段。
----------------------------

三国志の中で「魏」とよばれる国では太子があまりに可愛いがために、進んで引き立てたり、守りたいがために、あたかも囚人のように幽閉させたりしたのだと言います。

極端な例かもしれませんが子供があまりにも可愛いく、立派にしたいがために英才教育をする、もしくは自分の意のままにさせる親もいますが、これでは子供を苦しめるだけです。

「子は親の背中を見て育つ」というが如く、自分自身の生き方、行動は子供にも伝わり、真似したがります。親が学べば、子供に教えずとも、自分で勉強したがります。子供を育てるためにはしつけも大事ですが、しつけ過ぎずある程度、親の背中を見せ育てられる様な環境を持つことで子供も自然に親のように育っていきます。

----------------------------
貞觀十六年,太宗謂侍臣曰:「當今國家何事最急。各為我言之。」尚書右仆射高士廉曰:「養百姓最急。」黄門侍郎劉泊曰:「撫四夷急。」中書侍郎岑文本曰:「《傳》稱:『道之以德,齊之以禮。』由斯而言,禮義為急。」
----------------------------

国家として急務な政策はないか、と言うことを臣下に問うた所です。
「農業政策」や「民族政策」、「教育政策」と様々なことが提示されたのですが、それ以上に万世のために自分自身が手本となり、それを太子たちに教えることが大切であることを説いています。

国ですから「問題」はつきものであり、急務なものも少なくありません。
しかし急務ではないが、国を栄え続けるために重要なことは疎かになりがちです。そのことの重要性を説いているのではないでしょうか。

<尊敬師傅第十>

尊敬する師、いわゆる「恩師」について説いた章です。

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貞觀三年,太子少師李綱,有脚疾,不堪踐履。太宗賜歩輿,令三衛学入東宮,詔皇太子引上殿,親拜之,大見崇重。綱為太子陳君臣父子之道,問寢視膳之方,理順辭直,聽者忘倦。太子嘗商略古來君臣名教,竭忠盡節之事。綱懍然曰:「託六尺之孤,寄百裏之命,古人以為難,綱以為易。」?吐論發言,皆辭色慷慨,有不可奪之誌,太子未嘗不聳然禮敬。
----------------------------

太宗の息子である太子の師として李綱がつきました。太宗の父である太祖の時代から使えた李綱であるが、老齢のため、足を悪くしており、歩行が困難な状態でした。
その状態であるにも関わらず、絶えず太子につきっきりで君主とは、政治とは何であるかを教え、諌め続けたといいます。

太子にとって李綱は厳しく、反発することはあったものの、恩師というべき存在だったといいます。

<教戒太子諸王第十一>

太子への教えと戒めについて説いたところです。
「教育」としての方法というよりも根本である「あり方」を説いたところとも言えます。

----------------------------
貞觀十八年,太宗謂侍臣曰:「古有胎教世子,朕則不暇。但近自建立太子,遇物必有誨諭,見其臨食將飯,謂曰:『汝知飯乎。』對曰:『不知。』曰:『凡稼穡艱難,皆出人力,不奪其時,常有此飯。』見其乘馬,又謂曰:『汝知馬乎。』對曰:『不知。』曰:『能代人勞苦者也,以時消息,不盡其力,則可以常有馬也。』見其乘舟,又謂曰:『汝知舟乎。』對曰:『不知。』曰:『舟所以比人君,水所以比黎庶,水能載舟,亦能覆舟。爾方為人主,可不畏懼。』見其休於曲木之下,又謂曰:『汝知此樹乎・』對曰:『不知。』曰:『此木雖曲,得繩則正,為人君雖無道,受諫則聖。此傅?所言,可以自鑒。』」
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太宗が息子の太子に向けて様々なことを問いましたが、太子は「知らない」と答えました。その「知らない」をもとに太宗は息子に教えるといったところです。

ソクラテスの「無知の知」というほど誉れ高いものではありませんが、自分自身が「知らない」ことを素直に伝えることは、学びを得るための第一歩といえるところです。

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貞觀十一年,太宗謂呉王恪曰:「父之愛子,人之常情,非待教訓而知也。子能忠孝則善矣。若不遵誨誘,忘棄禮法,必自致刑戮,父雖愛之,將如之何。昔漢武帝既崩,昭帝嗣立,燕王旦素驕縱,誇張不服,霍光遣一折簡誅之,則身死國除。夫為臣子不得不慎。」
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最初のように父が子供に教えること、そして愛することはごく自然なものです。しかしその子供を愛するが故に礼法を教え忘れ捨ててしまっては、国がほころび、滅びるきっかけとなってしまうと言われています。

子供を愛するのはよいが、その「愛」で「礼儀」を身につけさせることも忘れてはならないことを説いています。

<規諫太子第十二>

太子に対して規律を諫めることについて取り上げたところです。

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夫爲人上者,未有不求其善,但以性不勝情,耽惑成亂。耽惑既甚,忠言盡塞,所以臣下苟順,君道漸虧。古人有言:“勿以小惡而不去,小善而不爲。”故知禍福之來,皆起於漸。殿下地居儲貳,當須廣樹嘉猷。既有好畋之淫,何以主斯匕鬯。慎終如始,猶恐漸衰,始尚不慎,終將安保。承乾不納。
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人間は動物であるため「欲望」は少なからず存在します。その欲望に打ち勝つには小さなことでも「情欲」や「本能」を「理性」や「善」で治め続けることが大事です。

それを治め続けるのは一人ではできません。君主には諫言を行う臣下がいるように、諫め続けられる「師」の存在が君主になるべき太子のために大事なことと言われております。

(第五へ続く)

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<参考文献>

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<引用サイト(白文すべて)>

維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

シリーズ「『貞観政要』を読む」~4.巻三<君臣鑒戒><擇官><封建>~

<君臣鑒戒第六>

巻三の最初は君臣としてのあり方・戒めについてのやりとりを取り上げたものです。

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貞觀六年,太宗謂侍臣曰:「朕聞周、秦初得天下,其事不異。然周則惟善是務,積功累德,所以能保八百之基。秦乃恣其奢淫,好行刑罰,不過二世而滅。豈非為善者福祚延長,為惡者降年不永。朕又聞桀、紂,帝王也,以匹夫比之,則以為辱。顏、閔匹夫也,以帝王比之,則以為榮。此亦帝王深恥也。朕毎將此事以為鑒戒,常恐不逮,為人所笑。」魏徴對曰:「臣聞魯哀公謂孔子曰:『有人好忘者,移宅乃忘其妻。』孔子曰:『又有好忘甚於此者,丘見桀、紂之君乃忘其身。』願陛下毎以此為慮,庶免後人笑爾。」
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唐以前、いわゆる「周」や「秦」という王朝についてのやりとりです。二つとも中国大陸を代表する王朝ですが、期間は歴然としていました。

「周」王朝の皇帝たちはただ、民たちのために「功徳」を行うため「善」を尽くし、700年以上にわたって続くことができたと言われています。

一方「秦」は皇帝たちが贅沢の限りを尽くし、民たちには懲罰(厳罰など)を行うことを進んで行い、わずか数十年で滅びました。

ここでは、君臣が「善」を行うことというよりも、その先です。自分の「徳」について反省をしているところにあります。

そこで魏徴は「人心を忘れることの愚かさ」について説き、励ましたと言われていますが、この魏徴が励ました話は論語にも記されているものです(魯の哀公と孔子の話)。

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貞觀十四年,太宗以高昌平,召侍臣賜宴於兩儀殿,謂房玄齡曰:「高昌若不失臣禮,豈至滅亡。朕平此一國,甚懷危懼,惟當戒驕逸以自防,納忠謇以自正。黜邪佞,用賢良,不以小人之言而議君子,以此慎守,庶幾於獲安也。」
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唐と高昌国が平定(具体的には高昌国の王が交通を妨害したために滅ぼされた)したときの宴で諫言したところです。

国家建設をするためには自分が慢心にならないことももちろんですが、臣下に対しても媚びへつらうような人を嫌い、賢くかつ自分に対して諫言をするような人を持つことによって自戒することができ、国を安泰し続けることができると言います。

企業の事業拡大についても同じことがいえ、経営者には自分に対して諫められる部下を持ち、経営者自身が慢心にならず、まっすぐな心をもって、会社を維持し続けることができるといいます。

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太宗曰:「公意推過於主,朕則歸咎於臣。夫功臣子弟多無才行,藉祖父資蔭遂處大官,德義不修,奢縱是好。主既幼弱,臣又不才,顛而不扶,豈能無亂。隋煬帝録宇文述在藩之功,擢化及於高位,不思報效,翻行殺逆。此非臣下之過歟。朕發此言,欲公等戒?子弟,使無愆過,即家國之慶也。」
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君主の過ちを諫めることは臣下としての役割ですが、臣下に非があるのに、それを君主に押しつけるのは違います。

そうなってしまうといくら賢臣とは言え「不才」というレッテルを貼られます。

臣下が君主を諫めることも大事ですが、君主が押しつける臣下を糺(ただ)すこともまた君主の役割です。

<擇官第七>

臣下や官吏としてどうあるべきかを説いた章です。

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如晦對曰:「兩漢取人,皆行著郷閭,州郡貢之,然後入用,故當時號為多士。今毎年選集,向數千人,厚貌飾詞,不可知悉,選司但配其階品而已。銓簡之理,實所未精,所以不能得才。」太宗乃將依漢時法令,本州辟召,會功臣等將行世封事,遂止。
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官吏というのは、日本の中央省庁でいう「官僚」です。その時代の「官吏」にしても、日本の「官僚(国家一種)」にしても人気が高く、毎年のように多くの人々が受験をするのだそうです。

競争の激しく、かつ人材も多く入ってきており、すべてを官吏を知ることができませんでした。

そこで君主は官吏となる条件を世襲にしようと考えたのでしたが頓挫したそうです。

いわゆる「世襲」によって人材を減らし、最適化を図ることでしたが、日本の政治も「世襲問題」が起こっているごとく、悪い部分もあります。

「世襲」云々もありますが、「よい人材」を選び、かつ最適な人数に絞ることはいつの世も難しいことなのかもしれません。

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然而今之群臣,罕能貞白卓異者,蓋求之不切,勵之未精故也。若?之以公忠,期之以遠大,各有職分,得行其道。貴則觀其所舉,富則觀其所養,居則觀其所好,習則觀其所言,窮則觀其所不受,賤則觀其所不為。因其材以取之,審其能以任之,用其所長,?其所短。進之以六正,戒之以六邪,則不嚴而自勵,不勸而自勉矣。故《説苑》曰:「人臣之行,有六正六邪。行六正則榮,犯六邪則辱。何謂六正。一曰,萌芽未動,形兆未見,昭然獨見存亡之機,得失之要,預禁乎未然之前,使主超然立乎顯榮之處,如此者,聖臣也。二曰,?心盡意,日進善道,勉主以禮義,諭主以長策,將順其美,匡救其惡,如此者,良臣也。三曰,夙興夜寐,進賢不懈,數稱往古之行事,以厲主意,如此者,忠臣也。四曰,明察成敗,早防而救之,塞其間,絶其源,轉禍以為福,使君終以無憂,如此者,智臣也。五曰,守文奉法,任官職事,不受贈遺,辭祿讓賜,飲食節儉,如此者,貞臣也。六曰,家國昏亂,所為不諛,敢犯主之嚴顏,面言主之過失,如此者,直臣也。是謂六正。何謂六邪。一曰,安官食祿,不務公事,與代浮沈,左右觀望,如此者,具臣也。二曰,主所言皆曰善,主所為皆曰可,隱而求主之所好而進之,以快主之耳目,楡合荀容,與主為樂,不顧其後害,如此者,諛臣也。三曰,中實險ヒ(言へんに皮),外貌小謹,巧言令色,妬善嫉賢,所欲進,則明其美、隱其惡,所欲退,則明其過、匿其美,使主賞罰不當,號令不行,如此者,奸臣也。四曰,智足以飾非,辯足以行説,内離骨肉之親,外構朝廷之亂,如此者,讒臣也。五曰,專權擅勢,以輕為重,私門成黨,以富其家,擅矯主命,以自貴顯,如此者,賊臣也。六曰,諂主以佞邪,陷主於不義,朋黨比周,以蔽主明,使白黑無別,是非無間,使主惡布於境内,聞於四鄰,如此者,亡國之臣也。是謂六邪。賢臣處六正之道,不行六邪之術,故上安而下治。生則見樂,死則見思,此人臣之術也。」《禮記》曰:「權衡誠懸,不可欺以輕重。繩墨誠陳,不可欺以曲直。規矩誠設,不可欺以方圓。君子審禮,不可誣以奸詐。」然則臣之情偽,知之不難矣。又設禮以待之,執法以禦之,為善者蒙賞,為惡者受罰,安敢不企及乎。安敢不盡力乎。
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長くなってしまいましたが、この三巻のなかでもっとも肝心な「六正六邪」についてを取り上げています。

「六正」は、それらを行えば栄え、称えられるとあります。具体的には

1.物事の悪いきざしや国の存亡を見抜き、君主に知らせ、諫言すること。(聖臣)
2.何物にもとらわれず、善い行いに精通しつつ、君主にもその道に導かせることができること。(良臣)
3.賢者を進めるために努力を惜しまず、学びを主君に伝え励ますこと。(忠臣)
4.成功・失敗の原因を見抜き、危険を察知し行動を起こすことで失敗を未然に防ぐこと。(智臣)
5.倹約し精力的に働き、法律を遵守し、そこで得た成功は人に譲ること。(貞臣)
6.国が乱れたとき、へつらいやおそれなく君主の過失を諫めること(直臣)

を指します。

一方、「六邪」はそれを行うと、人から貶され、様々な角度から非難されるとあります。具体的には

1.勤めをせず、安住しながら周囲の情勢ばかり伺おうとすること。(具臣)
2.君主の言葉をすべてほめ、おべっかをするようなこと。「イエスマン」ともいう(諛臣)
3.陰険であり、人を選び、立派な人を退けようと悪巧みをすること(姦臣)
4.知恵を自分の詭弁のために使い、臣下、あるいは君主に諍いを起こさせること(讒臣)
5.権力を持ち、派閥をつくり、自分の思うままに君主の考えを変えさせる、もしくは君主をも自分の傀儡にさせること。(賊臣)
6.君主を欺き、不義に陥れ、それを仲間同志が連なり、悪事を暴き君主を排斥させること。「六邪」の中でも最悪の「邪」。(亡國之臣)

を指します。「六正」を極め、「六邪」を排除することを解いているのですが、自分が経営者の下で働く「臣下」であるとするならば、自分自身の行いがどれに当たるのかを見てみてはいかがでしょうか。

<封建第八>

国を統治することについて説いた章です。

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然則得失成敗,各有由焉。而著述之家,多守常轍,莫不情忘今古,理蔽澆淳,欲以百王之季,行三代之法,天下五服之内,盡封諸侯,王畿千裏之間,倶為采地。是則以結繩之化行虞、夏之朝,用象刑之典治劉、曹之末,紀綱弛紊,斷可知焉。楔船求劍,未見其可;膠柱成文,彌多所惑。徒知問鼎請隧,有懼霸王之師;白馬素車,無復藩維之援。不悟望夷之釁,未堪ゲイ(羽かんむりに三本あし)、サク(三ずいに足)之災;既罹高貴之殃,寧異申、繒之酷。此乃欽明昏亂,自革安危,固非守宰公侯,以成興廢。且數世之後,王室浸微,始自藩屏,化為仇敵。家殊俗,國異政,強陵弱,衆暴寡,疆場彼此,幹戈侵伐。狐駘之役,女子盡座;コウ(山へんに肴)陵之師,只輪不反。斯蓋略舉一隅,其餘不可勝數。
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「得ること」と「失うこと」
「成功すること」と「失敗すること」
それぞれには何らかの「原因」があります。

また、時代の変化も忘れてはなりません。変化と原因を知ることによって次の統治はどうあるべきかを示す必要があります。

とはいえ、時代の変化があったとしてもそこに「功徳」が無ければ君子としても国としても栄えることができないことを説いています。

「原因」と「変化」と「功徳」
「功徳」は最も重要なものですが、そこに原因と変化との兼ね合いを持つこともまた、君主としての手腕、そしてそれを諫める臣下としての手腕が試されているとも言えます。

(第四へ続く)

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<参考文献>

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維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

シリーズ「『貞観政要』を読む」~3.巻二<任賢><求諫><納諫>~

<任賢第三>

第二巻の最初は「任賢」ですが、ここでは君主に使え、諫言を行った臣下たちを詳しく紹介しております。

1.房玄齡

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房玄齡,齊州臨溜人也。初仕隋,為隰城尉。坐事,除名徙上郡。太宗徇地渭北,玄齡杖策謁於軍門,太宗一見,便如舊識,署渭北道行軍記室參軍。玄齡既遇知己,遂警竭心力。是時,賊寇毎平,衆人競求金寶,玄齡獨先收人物,致之幕府,及有謀臣猛將,與之潛相申結,各致死力。累授秦王府記室,兼陜東道大行臺考功郎中。玄齡在秦府十餘年,恒典管記。
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一人目は房玄齡(ぼうげんれい)という人物です。房玄齡は斉州の臨海県(現在の山東省)の出身であり、幼くして博学であり、足が速かったと言われています。太宗とは初めてあったときから親密であり、太宗が皇帝に就いたとき、臣下になりました。

2.杜如晦

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杜如晦,京兆萬年人也。武徳初,為秦王府兵曹參軍,俄遷陜州總管府長史。時府中多英俊,被外遷者衆,太宗患之。記室房玄齡曰:「府僚去者雖多,蓋不足惜。杜如晦聰明識達,王佐才也。若大王守藩端拱,無所用之;必欲經營四方,非此人莫可。」太宗自此彌加禮重,寄以心腹,遂奏為府屬,常參謀帷幄。時軍國多事,剖斷如流,深為時輩所服。
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杜如晦(とじょばい)は京兆(現在の陝西省)の出身であり、王佐の才(帝王の補佐として才能のある人)と言われたそうです。その大きな要因としては「見識の広さと深さ」があったと言います。
杜如晦もそうですが房玄齡も良家の出身でした。

3.魏徴

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魏徴,鉅鹿人也,近徙家相州之臨黄。武徳末,為太子洗馬。見太宗與隱太子陰相傾奪,毎勸建成早為之謀。太宗既誅隱太子,召徴責之曰:「汝離間我兄弟,何也」衆皆為之危懼。徴慷慨自若,從容對曰:「皇太子若從臣言,必無今日之禍。」太宗為之斂容,厚加禮異,擢拜諫議大夫。數引之臥内,訪以政術。徴雅有經國之才,性又抗直,無所屈撓。太宗毎與之言,未嘗不悅。徴亦喜逢知己之主,竭其力用。又勞之曰:「卿所諫前後二百餘事,皆稱朕意,非卿忠誠奉國,何能若是」三年,累遷秘書監,參預朝政,深謀遠算,多所弘益。
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太宗がもっとも信頼した臣下である魏徴(ぎちょう)は幼い頃に孤児となるほど名門とはかけ離れた人だった。しかし勉学への努力は一途で剛直な性格だった。初めてあったときは太宗と隠太子とで政権争いのまっただ中にいたのだが、身分の差を乗り越え、太宗に諫言したことが始まりだったという。封建社会と呼ばれた中ではまさに自ら死にに行くような公意でしたが、太宗はその意見を受け入れ、諫言大夫というきわめて身分の高い臣下に抜擢されました。
また太宗の信頼も篤く、皇帝の自室に招き、政治談義をする事もあったと言います。

4.王珪

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王珪,太原祁縣人也,武徳中,為隱太子中允,甚為建成所禮。後以連其陰謀事,流於スイ(崔かんむりに高あし)州。建成誅後,太宗即位,召拜諫議大夫。毎推誠盡節,
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王珪(おうけい)は当初、太宗と敵対した隠太子の臣下にいたのですが、その後太宗の臣下に入ったという異色の経歴を持っています。魏徴と同じく諫言大夫でしたが、魏徴ほど剛直ではなく、房玄齡や杜如晦ほど名家でもなく、見識も深くありませんでしたが、そのバランスの良さがかえって太宗の信頼を篤くしたと言えます。

<求諫第四>

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太宗威容儼肅,百僚進見者,皆失其舉措。太宗知其若此,毎見人奏事,必假顏色,冀聞諫諍,知政教得失。貞觀初,嘗謂公卿曰:「人欲自照,必須明鏡;主欲知過,必藉忠臣。主若自賢,臣不匡正,欲不危敗,豈可得乎。故君失其國,臣亦不能獨全其家。至於隋煬帝暴虐,臣下鉗口,卒令不聞其過,遂至滅亡,虞世基等,尋亦誅死。前事不遠,公等毎看事有不利於人,必須極言規諫。」
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皇帝の風格と言えるのでしょうか。厳粛であり威厳のある雰囲気を持っていたため臣下たちは皇帝の顔色を窺いつつどぎまぎとしながら発言するような感触となってしまいます。
そのことを察知してか皇帝は自ら意見を受け入れられるよう、自らの顔色を和らげて、臣下が諫言できるようにしたそうです。

諫言を受けることも上に立つものとして重要なことですが、それが言える環境をつくるのもまた上に立つものとして重要なものの一つです。

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諫議大夫王珪對曰:「臣聞木從繩則正,後從諫則聖。是故古者聖主必有爭臣七人,言而不用,則相繼以死。陛下開聖慮,納芻蕘,愚臣處不諱之朝,實願尽其狂瞽。」太宗稱善,詔令自是宰相入内平章國計,必使諫官隨入,預聞政事。有所開説。
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曲がった木でも縄に従って切ると、真っ直ぐとした木となる。君主やリーダーと呼ばれる人も同じように「諫言」を受け入れてそれに従えば、民も受け入れられる君子(聖人君子)となれると言います。

優れたリーダーも必要ですが、「賢臣」と呼ばれるような見識も優れ、リーダーを正しい方向に導けるよう諫言できる部下も必要ですが、その両方が巡り会える例はきわめて少ないのが現実です。

そういう意味で「貞観政要」はリーダーのための本でもありますが、部下に対しても「賢臣」となるためにどうあるべきか、という意味で役に立ちます。

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貞觀十六年,太宗謂房玄齡等曰:「自知者明,信為難矣。如屬文之士,伎巧之徒,皆自謂己長,他人不及。若名工文匠,商略詆訶,蕪詞拙跡,於是乃見。由是言之,人君須得匡諫之臣,舉其愆過。一日萬機,一人聽斷,雖復憂勞,安能盡善。常念魏徴隨事諫正,多中朕失,如明鏡鑒形,美惡必見。」因舉觴賜玄齡等數人以之。
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魏徴を褒め称える場面ですが、なぜ魏徴が褒め称えられるのか。それは、
・自分を知っていること
・君主の過失をことある毎に諫めることができる
ことにあると言います。

「自分を知る」ことはむずかしいのですが、優れていても自分の悪いところを知り、それを正し続けること、その「悪いところ」を指摘できる人を持つことはリーダーであっても、職人であっても、自分を映し出す「鏡」を持つのと同じことです。

<納諫第五>

----------------------------
貞觀四年,詔發卒修洛陽之乾元殿以備巡狩。給事中張玄素上書諫曰:微臣竊思秦始皇之為君也,藉周室之餘,因六國之盛,將貽之萬葉,及其子而亡,諒由逞嗜奔欲,逆天害人者也。是知天下不可以力勝,神祇不可以親恃。惟當弘儉約,薄賦斂,慎終始,可以永固。
----------------------------

王宮の修理をしようとしたが、臣下に諫められました。
修理代は民から納められた税金を使っている事から、課税を減らし、王宮そのものも「倹約」を広めれば民にも伝わり、国家を永らく続くというものです。
「清貧」の思想をこの「諫言」に収められているところです。

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太宗曰:「夫人久相與處,自然染習。自朕禦天下,虚心正直,即有魏徴朝夕進諫,自徴雲亡,劉泊、岑文本、馬周、チョ(衣偏に者)遂良等繼之。皇太子幼在朕膝前,毎見朕心悦諫者,因染以成性,故有今日之諫。」
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魏徴が亡くなっても、その魏徴の下で諫言を行うことの良さを学んだ臣下もいました。亡くなった後も、太宗が国を治め続けられたのも、諫言を続けた魏徴であり、その魏徴は諫言をいう臣下を育て、唐の時代、そして太宗の時代を安泰させることに尽力いたしました。

諫言を言う人も必要ですが、その方は永らくいるわけではありません。
人から人へ、諫言を言う人を受け継いでいくこともまた魏徴のように諫言を言う人の使命でもあります。

(巻三へ続く)

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維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

シリーズ「『貞観政要』を読む」~2.巻一<君道><政體>~

さて、今日から貞観政要の中身に入っていきます。ただ、全文取り上げる事は難しいため、それぞれ重要なエッセンスとなるところを取り上げ、解説していく形といたします。漢文も取り上げますが、あくまで「解説」ですので通釈や古語訳、日本語訳はしません。ご了承ください。

<君道第一>

最初は「君主」としてのあり方としてどうあるべきかのやりとりを集めています。ちょうど太宗が皇帝に即位し始めた頃であり、このころから臣下とのやりとりの中で君主とは何か、統治とは何かを考えるようになりました。

まず、取り上げるものは太宗が皇帝に即位したとき、臣下全員に送った「決意表明」でした。

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貞觀初,太宗謂侍臣曰:「為君之道,必須先存百姓,若損百姓以奉其身,猶割股以啖腹,腹飽而身斃。若安天下,必須先正其身,未有身正而影曲,上治而下亂者。朕毎思傷其身者不在外物,皆由嗜欲以成其禍。若耽嗜滋味,玩悅聲色,所欲既多,所損亦大,既妨政事,又擾生民。且復出一非理之言,萬姓為之解體,怨讀既作,離叛亦興。朕毎思此,不敢縱逸。」諫議大夫魏徴對曰:「古者聖哲之主,皆亦近取諸身,故能遠體諸物。昔楚聘詹何,問其理國之要。詹何對以修身之術。楚王又問理國何如。詹何曰:『未聞身理而國亂者。」陛下所明,實同古義。」
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まず、自分自身の「君主としての「道」」について、自分自身の見解を述べたところです。

治世のために、自分自身が正しい道を歩む必要があり、決して民に負荷(重税や拘束)などをかけて苦しめ、自分自身が欲望の赴くままに放蕩三昧をしてはならないと自戒しなくてはいけない。さもなくば民に対しての信頼がなくなり、クーデターなど離反や反乱などが起こる。それを思ってこの民のために治めることを誓ったのでした。

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貞觀二年,太宗問魏徴曰:「何謂為明君暗君。徴曰:「君之所以明者,兼聽也;其所以暗者,偏信也。《詩》雲:『先人有言,詢於芻蕘。』昔唐、虞之理,辟四門,明四目,達四聰。是以聖無不照,故共、鯀之徒,不能塞也;靖言庸回,不能惑也。秦二世則隱藏其身,捐隔疏賤而偏信趙高,及天下潰叛,不得聞也。梁武帝偏信朱異,而侯景舉兵向闕,竟不得知也。隋煬帝偏信虞世基,而諸賊攻城剽邑,亦不得知也。是故人君兼聽納下,則貴臣不得壅蔽,而下情必得上通也。」太宗甚善其言。
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太宗はもっとも信頼している臣下の魏徴に「君主」のなかで「明君」と「暗君」の違いについての質問をしました。その魏徴は「明君」と「暗君」の定義をこのようにしめしました。

「明君」・・・ 多くの民の意見を取り入れ、その中で良いと判断した意見を用いて治世を進めていく君主
「暗君」・・・ 限られた思想、もしくは人だけの意見を信じ、取り入れていく君主

これは現在にも通じるものがあるのかもしれません。ビジネスの世界では「明君」と呼ばれる代表としてユニクロの「悪口言ったら100万円」のキャンペーンが挙げられます。多くのユーザーの意見を採り入れ、その中で本質を突いているものを取り上げ、そして改善していったと言うものがあります。

しかし現在の政治もそうですが、企業の多くは「派閥」をつくり、同じ意見や考え方の人しか言うことを聞くことができず、意図せず「暗君」と呼ばれるような存在になってしまいます。

幅広い見識とともに、思想は違えど様々な意見を聞き入れること、そしてそれに対して「正しく」取捨選択ができることがリーダーに求められています。その「正しく」の基準は人それぞれあるため難しいのですが。

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貞觀十年,太宗謂侍臣曰:「帝王之業,草創與守成孰難。」尚書左仆射房玄齡對曰:「天地草昧,群雄競起,攻破乃降,戰勝乃克。由此言之,草創為難。」魏徴對曰:「帝王之起,必承衰亂。覆彼昏狡,百姓樂推,四海歸命,天授人與,乃不為難。然既得之後,誌趣驕逸,百姓欲靜而徭役不休,百姓雕殘而侈務不息,國之衰弊,恒由此起。以斯而言,守成則難。」
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ここで皇帝は「帝王の事業の中で、創業(新たな事業を興す・つくる)と守成(今の事業を続ける)のどちらが困難なのか」という質問を臣下にしました。この質問に対し、臣下2人が答えたのですが、正反対の意見でした。

「房玄齡」
国家を作り始めた当時は、群雄割拠の戦いから勝ち取る事で作ることができるため創業の方が困難

「魏徴」
混乱した状況の中で勝ち取り、民たちは安心する。しかし君主は勝ち取った帝王の位で「何事も自由にできる」権利を持つことができるため、堕落しやすい。
そのため、贅沢を捨てて民たちの為に尽くす事を辞めることができないため、守成の方が困難

どちらに対しても「困難」であることには代わりありません。そう考えると「どちらが困難か」という質問は愚問だったのかもしれません。意味合いは違えど、どちらも「困難」であることに変わりはないのですから。

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譬之負薪救火,揚湯止沸,以暴易亂,與亂同道,莫可測也,後嗣何觀。夫事無可觀則人怨,人怨則神怒,神怒則災害必生,災害既生,則禍亂必作,禍亂既作,而能以身名全者鮮矣。順天革命之後,將隆七百之祚,貽厥子孫,傳之萬葉,難得易失,可不念哉。
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たとえ話として薪の話やお湯の話を取り上げていますが、要は「あるもの」を不自然に変えることなく、質素に使いつつ、民のために尽くすことを言っています。民を苦しめて、贅沢の限りを尽くすようになると、民は苦しみ、反乱を起こすことさえあれば、神も怒り、災厄をも引き寄せる原因にもなると言います。

「贅沢」をはじめ魔が差した行為一つだけでも、形がどうであれ帝王の座が揺らぐことさえあるのです。そのため「帝王」をはじめとした「君主」は、

「得難くして失いやすい」

存在と言えます。

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指諸孫曰:「此等必遇亂死。」及孫綏,果為淫刑所戮。前史美之,以為明於先見。朕意不然,謂曾之不忠其罪大矣。夫為人臣,當進思盡忠,退思補過,將順其美,匡救其惡,所以共為理也。曾位極臺司,名器崇重,當直辭正諫,論道佐時。今乃退有後言,進無廷諍,以為明智,不亦謬乎。危而不持,焉用彼相。公之所陳,朕聞過矣。當置之幾案,事等弦、韋。必望收彼桑楡,期之歳暮,不使康哉良哉,獨美於往日,若魚若水,遂爽於當今。遲復嘉謀,犯而無隱。朕將虚襟靜誌,敬佇徳音。
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これは臣下の直言のあり方についての事を言っています。唐より前の王朝の「晋」と呼ばれる時代にさかのぼります。日本では「弥生時代」の末期と言ったところでしょうか。

その時代の皇帝の中にひたすら贅沢を尽くし、政治は二の次という考えを持った方がいました。

しかし、その状態から混乱が起こるだろうと察知し、直言しようとした臣下がいたのです。その臣下は皇帝にそれを報告しませんでした。

最初に書いたとおり皇帝によっては直言すると殺されることさえある、そのことを恐れていたのかもしれません。

その後、その臣下の言うとおり晋は混乱が起こり、滅びるのでした。

さて、ここからが重要です。ここでのポイントは「臣下は直言すべき事をしなかった」ことにあります。上記の漢文は皇帝から発せられたものですが、臣下にとっての重要な役割を示しています。

会社で言うならば、「臣下」は取締役や執行役員、さらに平社員までが該当します。その方々は様々な考えや気づき、意見を持っています。その意見を広く取り入れるのが社長やリーダーの役割であり、かつそれを言うことのできる環境を作ることもまたリーダーの役割です。

反対に臣下はその環境で素直に意見する役割があります。
その両方の役割を果たすことによって会社は様々な形で良くなります。

「風通しの良い会社」や「風通しの良い社会」の本質を突いている所と言えます。逆にそれができない社会と言うことは、先に述べた「直言しない臣下」を作るような状況に陥ってしまい、事態を悪化させることになりかねません。

<政體第二>

ここでは「政體(せいたい:国の統治形態のこと)」と称して、政治の在り方を取り上げています。しかし政治の世界でも企業の世界でも共通する部分は少なくありません。

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貞觀初,太宗謂蕭ウ(王へんに兎)曰:「朕少好弓矢,自謂能盡其妙。近得良弓十數,以示弓工。乃曰:『皆非良材也。』朕問其故,工曰:『木心不正,則脈理皆邪,弓雖剛勁而遣箭不直,非良弓也。』朕始悟焉。朕以弧矢定四方,用弓多矣,而猶不得其理。況朕有天下之日淺,得為理之意,固未及於弓,弓猶失之,而況於理乎。」自是詔京官五品以上,更宿中書内省。毎召見,皆賜坐與語,詢訪外事,務知百姓利害,政教得失焉。
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一言で言えば「餅は餅屋」を表している所です。その道の専門家の意見は貴重なものであり、もっとも参考にすべきと言うものです。

たとえ自分自身もそれが得意で長くやったとしても専門家にしかわからない「誤り」をただすことができる重要な機会であると説いています。

ビジネスの世界でも他業種に聞かないとわからない所があります。それぞれの世界に「専門家」がいるからでこそ、その方々の意見を参考にする、もしくは業務提携するようなこともまたここの文章で伝えたかったメッセージと言えるでしょう。

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貞觀六年,太宗謂侍臣曰:「看古之帝王,有興有衰,猶朝之有暮,皆為蔽其耳目,不知時政得失,忠正者不言,邪諂者日進,既不見過,所以至於滅亡。朕既在九重,不能盡見天下事,故布之卿等,以為朕之耳目。莫以天下無事,四海安寧,便不存意。可愛非君,可畏非民。天子者,有道則人推而為主,無道則人棄而不用,誠可畏也。」魏徴對曰:「自古失國之主,皆為居安忘危,處理忘亂,所以不能長久。今陛下富有四海,内外清晏,能留心治道,常臨深履薄,國家暦數,自然靈長。臣又聞古語雲:『君,舟也;人,水也。水能載舟,亦能覆舟。』陛下以為可畏,誠如聖旨。」
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ここで有名な言葉として、
「君主は舟であり、人民は水である」
を取り上げています。これは「性悪説」で有名な「荀子」の言葉です。
簡単に言えば人民という水があるからでこそ君主と言う名の舟を漕ぐことができるという言葉です。君主を信頼する人民もいれば、そうではない人民もいます。そう考えると「水」というよりも、波が起こる「海水」と捉えると良いのかもしれません。

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貞觀六年,太宗謂侍臣曰:「古人雲:『危而不持,顛而不扶,焉用彼相。』君臣之義,得不盡忠匡救乎。朕嘗讀書,見桀殺關龍逢,漢誅黽錯,未嘗不廢書嘆息。公等但能正詞直諫,裨益政教,終不以犯顏忤旨,妄有誅責。
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貞観政要の最大の特徴は「諫言」をすすめ、太宗がそれを聞き入れたことにあります。そのことを宣言したところです。

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太宗毎力行不倦,數年間,海内康寧,突厥破滅。因謂群臣曰:「貞觀初,人皆異論,雲當今必不可行帝道、王道,惟魏徴勸我。既從其言,不過數載,遂得華夏安寧,遠戎賓服。突厥自古以來,常為中國勍敵,今酋長並帶刀宿衛,部落皆襲衣冠,使我遂至於此,皆魏徴之力也。」
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魏徴が太宗に「善意ある政治」を求めました。「善意」は君主が持つこともそうですが、民に対しても「善意」を信頼し、それを政治に反映することで民族や地方に関係なく、安寧な世の中になったと言います。
「善意」を信頼し、汲み取ることはなかなか難しいことであり、それを見分けることは君主にとっても必要ですが、臣下としても必要な力です。ここにでてくる魏徴はまさにそういう人だったのかもしれません。
この魏徴という人物については第二巻で詳しく紹介されています。

さて、長々となりましたが第一巻を取り上げてきました。
次は第二巻を取り上げていきます。

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<参考文献>

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<引用サイト(白文すべて)>

維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

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