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シリーズ「『宮台真司』の思考を解剖セヨ!」

日本の難点

日本の難点 (幻冬舎新書) 日本の難点 (幻冬舎新書)
宮台 真司

幻冬舎  2009-04
売り上げランキング : 8607

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シリーズ「『宮台真司』の思考を解剖セヨ!」最後は日本そのものについてである。
人には長所や短所もあれば、「難点」が存在する。それは日本という一つの「国家」にも同じことが言える。その難点はいったいどのようなものなのだろうか。本書では「コミュニケーション・メディア」「教育」「幸福」「米国」「日本」のそれぞれのカテゴリーに分け「現状→背景→処方箋」という順序で考察を行っている。

第一章「人間関係はどうなるのか」
ここ最近では「SNS」が隆盛していることによってコミュニケーションの方法に広がりを見せている。とりわけ私たち「若者」と呼ばれ世代がそれらを多用することにより「フラット化」したと言われているのだが、そのことにより「非モテ」になり、既存のマスメディアが凋落するという弊害を招いている。

第二章「教育をどうするのか」
最近、教育現場では「いじめ」や「モンスター・ペアレント」など「不信」「卑劣」がはびこっている。その「不信」「卑劣」をどう解消するか、それは大人たちが子供に対する「本気」を向き合うことが大切であるという。

第三章「「幸福」とは、どういうことなのか」
最近書店を見回すと、自己啓発書にも、ビジネス書にも、一般書にも「幸福論」という言葉が乱舞しているように思えてならない。その「幸福」はいったいどこにあるのだろうか、あるいは誰が対象になるのだろうか、ということを考える必要がある。自分自身だけが幸福をもたらしては、自己中心になり、他人も含めるとそれを伝搬する必要がある。
そしてその「幸福」は宗教とどのように通じ、そしてどのような形で通用するのかの考察を行っている。

第四章「アメリカはどうなっているのか」
最近では沖縄や横浜の米兵による犯行やオスプレイの配置など、軍事にまつわることで問題が横たわっている日米関係、もっと言うとオバマ大統領の再選、それにより日本に対して厳しい注文をすることも宣言している。
そのオバマが日本に対してどのように向き合うのか、そしてその前の大統領であるジョージ・W・ブッシュの失策はアメリカにどのような暗い影を落としているのか、本章ではそれにまつわる考察を行っている。

第五章「日本をどうするのか」
日本には様々な問題が横たわっている。第四章で取り上げた問題以外に一例を挙げると、

・雇用
・消費税
・発電技術(放射能含む)
・食糧

などがある。本章では全てではないのだが、日本にまつわる諸問題についての分析を行いつつ、かねてから失っていた日本の本質について迫っている。

日本のみならず、どのようなものにも「難点」は付き物である、それを一つ一つ解消してもまた新たな「難点」が生まれる。その処方箋も時代とともに変化しており、かつ現在では通用しないものも出てくる。とはいえその問題の本質は変わらない。それは問題の根幹は現在までの「原因」をもっており、それを見つけることこそ、本書で投げかけられた課題とも言えよう。

サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在

増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 (ちくま文庫) 増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 (ちくま文庫)
宮台 真司 石原 英樹 大塚 明子

筑摩書房  2007-02
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シリーズ「『宮台真司』の思考を解剖セヨ!」第6弾はサブカルチャーである。これまで社会にまつわることばかり取り上げてきたのだが、今回ほど私が取り上げたいものはない。宮台氏は社会学者であるが、サブカルチャーにまつわる言及も多い。
その言及の源流を探るべく、1992年~1993年に「アクロス」という雑誌で連載されたものから2007年版に加筆された本書をみてみることとする。

第1章「少女メディアのコミュニケーション」
主に少女マンガのコミュニケーションを中心にしているが、それだけではなく「少女」を元にした作品も取り上げられているため、時代の変遷は戦前にまでさかのぼっている。「乙女」から「少女」といった「女らしさ」「少女らしさ」にまつわる独特な表現から読者と作者との「コミュニケーション」の変遷を描いている。

第2章「音楽コミュニケーションの現在」
「音楽」のジャンルはJ-POP、歌謡曲、ロック、ニューミュージック、クラシック、ジャズなど様々である。単一のジャンルでも「恋愛」や「政治」などテーマをカテゴライズすると、「音楽」の幅広さと奥深さが窺える。
その「音楽」にまつわる「コミュニケーション」は、歌詞や曲における「私」と、それを聞いている「私」とのやりとりにある。そのやりとりも「フォークソング」から「ニューミュージック」、そして各年代のポップスにと変化を遂げていく。

第3章「青少年マンガのコミュニケーション」
青少年マンガは70年代以降から40年にわたる間、著しく成長を遂げていった。その一方で「有害コミック」の議論も絶えず、評論家のみならず、政治的にも論争の的となっている。
その青少年マンガにまつわる「コミュニケーション」の変遷を追っている。「コミュニケーション」とあっても少女マンガとはひと味違った「恋愛」や「戦い」、あるいは「友情」にまつわるものまである。

第4章「性的コミュニケーションの現在」
前章までの内容をみるからに「エロマンガ」のイメージもあるかもしれないが、本章では「広義」の「性的コミュニケーション」についての考察を行っている。「広義」といっても「絵画」や「ヌード写真」「AV」「風俗産業」などを指している。

第5章「サブカルチャー神話解体論の地平」
そもそも本書における考察の対象は1970年代~1990年代が中心である。その範囲となった大きな要因は「新人類」と呼ばれるものがキーワードになっているのだという。

実は本書の作品は1993年に「単行本」として初めて出た作品であるが、それ以前に著者の修士論文も同様のタイトルであった。1982年の話である。そのときから増補版が出た25年もの間でサブカルチャーの環境は劇的に変化している。少なくとも「文化」の副産物と呼ばれていた「マンガ」「アニメ」といった類は国外でも認知され、人気を呼び、昨今でも「COOL JAPAN」という賛辞が送られ続けている。そのような環境から論者の中には「ポップカルチャー」という言葉を用いる方もいる。

サブカルチャーの進化とともに修士論文から歩んできた25年が単行本、そして増補版とともに「進化」を遂げてきた著者の結晶と言える一冊である。再増補になるのか、そしてそうなるとしたらどのような進化になるのか、それも含めて期待したい。

原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて

原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書) 原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)
宮台 真司 飯田 哲也

講談社  2011-06-17
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シリーズ「「宮台真司」の思考を解剖セヨ!」第5弾は「原発」である。昨今では「脱原発」の風潮が強く、衆議員総選挙における各党のマニフェストをみても「異口同音」ながらも同じような声明を出している。
いずれは「原発」から脱し、自然エネルギーの開発を模索すべきであるが、その「原発」から脱すること、そして電力独占や官僚支配からいかに脱するかを前大阪市特別顧問の飯田哲也との対談で解き明かしている。

1章「それでも日本人は原発を選んだ」
そもそも原発の礎となる原子力研究が解禁されたのは1952年、原子力発電が始まったのは1963年である。「ヒロシマ」「ナガサキ」や「第五福竜丸」の件により、原子力に対してヒステリックになる人も多かった人もいれば、強い日本を作るために「原発推進」を推し進める人が存在した。
しかし政治は「アメリカ追従」をどんどん進め、それ自体も選挙によって選んだ。結局「原発」を選んだのは私たち「国民」に他ならない。

2章「変わらない社会、変わる現実」
「現実」は時代とともに変化を生じる。しかし日本の政治や社会そのもののシステムは変わっていないのだという。高度経済成長では「モノ」が大量生産される時代であったのだが、これは「脱原発」による代替エネルギーとして「太陽光発電」が大量需要・供給が起こったことと同じことである。よく「○○バブル」と呼ばれるような好景気を起こし、やがては崩壊する。「バブル景気からの崩壊」についての教訓や反省を踏まえていないことから「社会の歴史」は輪廻のごとく繰り返される。

3章「八〇年代のニッポン「原子力ムラ」探訪」
著者の飯田氏は自然エネルギーを推進の第一人者であるが、元々は原子力核工学を専攻していた。その研究の一環として「原子力ムラ」にも入ったことがあるのだという。

4章「欧州の自然エネルギー事情」
しかしその飯田氏が、原子力核工学をやめ、自然エネルギー研究にシフトしたのが1984年、ソ連(現:ロシア)のチェルノブイリ原発事故であった。それからソ連は原発を脱し、自然エネルギー開発へとシフトしていった。そしてそれがソ連からヨーロッパに伝搬されたのだが、日本では自然エネルギーの認知はまだまだであった。

5章「二〇〇〇年と二〇〇四年と政権交代後に何が起こったのか」
時代は進み、2000年の「電力自由化論議」から本章ははじまる。ここでは原発のメルトダウンのリスクではなく、むしろ「核廃棄物」や「もんじゅ」といった核施設の賛否についての論争を指している。
そこから7年後の2007年には「新潟県中越沖地震」が起こった。そこでは柏崎刈羽原発も影響を及ぼしたのだが放射能漏れとなるまでには至らなかった。それだけではなく「六ヶ所再処理工場」にまつわる論争も起こっていた。

6章「自然エネルギーと「共同体自治」」
自然エネルギー推進者として本章では福島県前知事と東京都の環境局長を取り上げている。しかしその自然エネルギー推進も官僚や反対勢力、もしくは無関心により、自然エネルギー政策そのものが風化してしまった。

7章「すでにはじまっている「実践」」
とはいえ「福島第一原発事故」を教訓に自然エネルギーの推進が始まり、「実践」まで行われている。さらに電力会社に依存されない「自由化」も行われているが、それのロードマップの構築も急がれている。

「原発神話」が完全に崩壊された今だからでこそ、電力会社依存から脱し、自然エネルギーの構築が求められるのは自明の理である。しかしその自然エネルギーも過度に推し進め過ぎてはまた「バブル景気」のような事象が起こり、原発のようなリスクが生じればまた離れてしまう。電力にしても、経済にしても、社会にしても「繰り返される」世の中になってしまう。その「繰り返される」社会システムを脱すること、それが自然エネルギー推進もふくめて日本の社会を向上させる唯一の方法と言えよう。

格差社会という不幸

格差社会という不幸(神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドVII) 格差社会という不幸(神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドVII)
宮台真司 神保哲生

春秋社  2009-12-24
売り上げランキング : 239602

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シリーズ「「宮台真司」の思考を解剖せよ」第4弾は昨今話題となった「格差社会」である。数年前からずっと「格差」という言葉が乱舞していたのだが、それがもっとも叫ばれたのが2007・8年頃、ちょうど小林多喜二の「蟹工船」が超訳版や漫画版として出てきたころである。
本書が出たのはもっとも叫ばれてから1・2年後、「リーマン・ショック」を発端とした急速な景気減速により、「派遣切り」や「貧困」が台頭してきた時代である。
とはいえ「格差」という言葉は消えたわけではない。むしろもっと声高に叫ばれているとも言える。
本書はその「格差社会」によってもたらされた「不幸」について鼎談形式で考察を行うと同時に、そのような社会をいきるためにどうしたらよいのかを示している。

第1章「格差と少子化と結婚できない男と女」
「格差」により希望が持てなくなり、そしてそれが「晩婚化」や「少子化」という歪みを生じている。
ステレオタイプな議論となってしまうが、高度経済成長やバブル景気では「がんばれば報われる」ため、多少無理をしても頑張ることができた。しかしバブルが崩壊されてからは「頑張っても報われない」ような状態が続き、それが長らく「草食系男子」が発生したこと。さらには男女交際が自由になったことにより、いつでもどこでも恋愛ができる安心感が「結婚」や「恋愛」に対する優先度が下がったことも要因として挙げられている。

第2章「格差社会をサバイバルする」
本章では「ハイパー・メリトクラシー」の議論が中心となっている。「メリトクラシー」と一言で「業績主義」といい、「成果主義」とも類似している。
その「業績主義」が偏重することにより「ハイパー・メリトクラシー」となった。業績の良さによって給与になって返ってくる考えであるが、現実はそうではなく、むしろ「人件費カット」という詭弁として使われていることが多い。
その「ハイパー・メリトクラシー」自体、企業だけではなく教育でも同じような事象が起こっている。しかし「能力」といっても学力として優秀ではなく、むしろルックスやそれ以外の「能力」や「特技」に関して秀でていることが中心となった。

第3章「貧困は自己責任なのか」
昨今では「貧困」という言葉であふれている。しかしその貧困も世代間の意識によって「自己責任」として片づけられ、無視されることさえある。
しかしその「貧困」は二〇代だけで言われているのだが、それ以上に三〇代~五〇代にも同様のことが起こっており、生活保護が受けられず餓死してしまうという事例も発生している。さらにはその「貧困」を追いつめる「ビジネス」、いわゆる「貧困ビジネス」も横行している。
その貧困に対しての解決に、大きな障害としてあるのが、前述の「無視」や「無関心」である。それを政治につなげていくために「訴える」こともまた大切であるのだという。

第4章「格差社会はなぜ生まれたのか」
では、「格差社会」はなぜ生まれたのか、という根本的な議論に入る。その背景には当時の小泉政権の中で起こった雇用における「規制緩和」が挙げられている。その根拠の一つとして小泉政権以前の1993年と1997年のタクシー業界における規制緩和を取り上げている。またもう一つとして「日本の社会システム」そのものにも欠陥があるのだという。日本の労働についてもアメリカで成功した事例が多く取り上げられ、採用されてきたのだが、日本では必ず成功したとは言えないものも多かった(有名なのが「成果主義」)。日本とアメリカとで社会システムが異なっており、その背景も異なっている。それを日本人は知らずに取り入れたのも一つの要因と言えよう。

第5章「アメリカという格差社会の幸福論」
「格差社会」が叫ばれている日本であるが、一方でアメリカはどうか。
アメリカでも「格差」は起こっているのだが、その格差の度合いは日本のそれを遥かに超えている。極端な話では1%の富裕層がアメリカ全財産の99%を抱えているほどで、残りはすべて貧困層、あるいはそれに近い所にいるのだという。しかもその格差から這い上がるためには2世代もかかるのだという。

「格差」によって不幸は生まれることは間違いない。その一方で日本は資本主義社会である以上、格差を完全に消すことはできない。ただ、個人単位では格差に対する考え方を変えることができる。そしてそこから政府に対して「セーフティネット」を構築する事を訴えることもできる。あるいは民間単位でもNPOやNGOで活動する事もできる。
「不幸」という言葉を叫ぶことなら誰でもできる。そこからアクションを起こす必要があるのではないのだろうか。

幸福論―“共生”の不可能と不可避について

幸福論―“共生”の不可能と不可避について (NHKブックス) 幸福論―“共生”の不可能と不可避について (NHKブックス)
宮台 真司 鈴木 弘輝 堀内 進之介

日本放送出版協会  2007-03
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シリーズ「「宮台真司」の思考を解剖せよ」の第3弾は幸福論である。昨日までは就活や入門といったものが中心であり、「社会学」において素人であっても取っつきやすい作品を選んできたが、ここからは少し取っつきにくくなる。社会における「幸福」とはいったい何なのか、それは個人的な価値観それぞれであるが、そもそも「幸福」は誰しも手に入れられるのか、いかにして「幸福」を感じられるのか、本書では3人の社会学者が「鼎談」という形で論じている。

第一章「パターナリズムこそ幸福の大前提?」
「パターナリズム」は一言で言うと「温情主義」「家父長主義」であり、

「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉すること」wikipediaより)

とある。
親子をはじめとした「他者」とのコミュニケーションによって成り立つことが多い。
話は変わるが、「幸福」を得るための塾体験や「缶状プログラム」、さらには第1弾でも紹介した「適応力」、「男女」など多岐にわたって「幸福」を得るためにはなにが必要かを論じている。

第二章「いかに幸せと思わせるかー幸福の社会工学」
「幸福な社会」を「設計」するためにどうしたらよいのかについての議論である。その誰に対しても「幸福な社会」をつくるためには様々な難点がある。その難点について本章では「ディズニーランド問題」や「三択クイズ問題」などユニークな用語が目立つ。

「ディズニーランド問題」・・・様々な世界を楽しむ一方で、物流や汚水処理など、「裏」と呼ばれる部分が見えなくなること。

「三択クイズ問題」・・・三択を選べる自由を「三択しか選べない不自由」を多い隠される事象。「二項対立」に似たようなものがあるように思える。

第三章「エリートが「幸福な社会」を作るのか?」
その「幸福な社会」を作るとなると、国家を動かす必要がある。その国家は官僚など「エリート」を動かす必要がある。
本章では「エリート」が作られる仕組みから、そのエリートが「安全保障」、及び「教育」の観点からどのように帰る必要があるのか、現状とともに提示している。

第四章「教育を通して「疑似階級社会」を作る?」
昨今の教育では、憲法上で担保している「平等」を基本としている。しかしその「平等」が拡大解釈され、運動会のかけっこでは皆で手を繋いでゴールするなど「競争」そのものが忌避されるような風潮さえ起こってしまっている。
その「平等」を脱し、「疑似的」に「階級社会」をつくること、そしてその根底として「機能」を教えることの重要性について議論を行っている。

第五章「<社会設計>の不可能と不可避」
では複雑な社会設計は可能か、という論題に移る。その社会設計を変えるためには「教育」が根幹となり、そこで、「感情的」な「安全」を持ち、かつ「地域」と連携して、社会的に「適応」する力をつけることなどを挙げている。

本書は個人的な「幸福」ではなく、社会的に「幸福」を築かせるにはどうしたらよいのかを見いだしている。本書もそうであるが、第1・2弾でもでてきた言葉がいくつかある。「適応力」「感染」「教育」である。「適応力」は自分と社会に対して順応できる力、感染は「スゴい人」など人を媒介として、人格・性格的に影響を受けること、そしてそれを得る機会として「教育」があるという。
3冊しかみていないのだが、それが一貫しているように思えてならない。

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に 14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に
宮台 真司

世界文化社  2008-11-11
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シリーズ「「宮台真司」の思考を解剖せよ」第2弾は社会学そのものである。
これまで自分自身も「社会学」に関する本を読み、書評を行った。「社会学」は現在ある身近な「社会」について考察を行っているのだが、その「社会学」としての歴史とともに考察を行っているため取っつきにくい点も多い。
しかし本書のタイトルに「14歳からの」と冠しているだけに、現在の社会を中心にどのようなものかを知るために、専門用語を原状に止められるギリギリまで噛み砕きながら語っている。

1.「<自分>と<他人>」
著者が生まれた昭和30年代は「みんな仲よし」で生きることができた時代であった。しかし現在、それだけでは生きることができない。おざなりの「仲よし」ではなく、相手に認めてもらえる「承認」や「合意」、さらには熱心に関わる為の「コミットメント」が重要視されている。
しかし日本の教育は昭和30年代の時とはほとんど変わっていない。

2.「<社会>と<ルール>」
最近では法律など様々な形で「ルール」が厳しくなってきている。
著者は中学と学校紛争を起こったのだという。少なくとも1970年代の頃であり、1968年前後に起こった「大学紛争」の後であり、そのころには「高校紛争」もいくつかあった。
その著者の生い立ちの中で見てきた社会とルールの関係について本章では語っている。

3.「<こころ>と<からだ>」
現在と著者が生まれた時代の中でもっとも大きな「違い」は「リアル」と「バーチャル」という形で「世界」が分かれたところにある。簡単に言えば「インターネット」や「ゲーム」が出て、疑似的に恋愛や遊びができるようになったことにある。
それが要因となったのか、自然に触れたり、異性との恋愛する機会が減少した。

4.「<理想>と<現実>」
どうやら日本人は「仕事に対して期待しすぎ」であるのだという。自分自身も過剰に期待してしまうため、「期待してしまう」感情に陥ってしまう。しかしそうなってしまうのも、明治維新や戦後間もない頃の「歴史」、さらに日本にしかない「独特」の背景も絡んでいるのだという。

5.「<本物>と<ニセ物>」
人間における「本物」と「ニセ物」についてを論じている。その中でも著者が出逢った「本物」と呼び、かつ尊敬した人間についても紹介している。第1弾で紹介した「ぶっ飛んだ」人間のことをさしているが、昨今、その人間がいないことについても著者は嘆いている。
その「本物」と「ニセ物」をどう見分けるか、具体的なやり方は存在しない、というより、様々な人に会ってみないとわからない、としか言いようがない。

6.「<生>と<死>」
人は必ず「死ぬ」。それは誰にも変えようの無い事実である。
著者が「死」を考える、きっかけとなったのが著者の母の死であった。その「死」は宗教や倫理、もしくは哲学で考えることが多いのだが、「コミットメント」や大ヒットした「千の風になって」などを元に「死」と社会事情とのリンクができるのだという。

7.「<自由>への挑戦」
「自由」はよい響きである一方で、自分自身に「責任」がつきまとう。
しかし社会学という学問の立場から「自由」は何なのだろうか、本章では「社会学」における「自由」と「不自由」についてカントはホップズ、アリストテレスといった古典的な社会思想から、人からの「感染」、さらには「歴史」などをもとに解き明かしている。いわば本書における「まとめ」としての「自由」がそこにあると言える。

8.「BOOK&MOVIEガイド」
ここでは「社会学」を深く知るべく、読書や映画案内といて様々な作品を紹介している。「社会学」を知ることにスポットを当てているため、一部を除いてあまり知られていない作品ばかりである。

本書は社会学における「基礎の基礎」を14歳の為に紹介した一冊である。取っつきやすいように「口語」で社会学における様々なものを紹介しているように、これから「社会学」を学びたい人、社会を変えたい人に、「今」の社会を教えている一冊である。

宮台教授の就活原論

宮台教授の就活原論 宮台教授の就活原論
宮台真司 石黒正数

太田出版  2011-09-17
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これまで社会にまつわる本は多数書評してきた。しかし本書の著者である社会学者の宮台真司氏の本については偶然なのか不明だが一度も書評をしていなかった。かねてから社会学博士の宮台真司についての本を書評しようと思っていた。そこで「シリーズ「『宮台真司』の思考を解剖セヨ!」」と題して、これまで宮台真司の著作をもとに宮台氏の思考経路を解剖していこうと考え、1週間にわたって宮台氏の著作を書評していこうと思う。

その第1弾は昨今話題となっている就職活動についてである。

首都大学東京で2007年より2年間の間、社会学教授を勤める傍らで、「就職支援委員会」の委員長として学生の就職活動を支援した経歴を持つ。
今年12月1日に2014年卒業向けの就職活動の説明会が解禁された。博報堂では解禁日の午前0時ちょうどに会社説明会が開始されたこと、さらにはリクナビやマイナビではサーバダウンが起こるなど話題となった。現在の大学3年生、もしくは大学院1年生はこれから厳しい就職戦線に立つだろう。
ちなみに私も6年前は、今の大学3年生と同じような状態であった。そのエピソードについては他の就活本で書いたので、ここでは割愛するのだが、その就職活動をするに当たっての心構えとして、2年間就職活動を支援した中で見えてきたものを大学生に向けて語った一冊である。

第1章「なによりも"適応力"が求められている」
そもそも「就職活動」は何のためにあるのか、そして採用をする会社は何を求めているのだろうか。一言にいえば「社風にあった人格」だが、学生側からはあまり「ピン」とこない。しかし「その会社に適応する能力」があると「企業研究」は必要とはいえど、ある程度理解はできる。
「企業研究」がいかに大切か、というのがよくわかる。

第2章「仕事は自己実現の最良の方法ではない」
「自己実現」は簡単にいうと、仕事など様々な手段を通じて自分の夢を叶えることを指す。
しかし仕事だけでは自己実現をすることができない。社会そのものが絶えず変化するのと同時に企業も変化を生じる。いくら自己実現をしたとしても、明日できなくなることさえあるのだ。

第3章「自己実現より"ホームベース"を作れ」
自己実現が無理だとしたら「仕事」に何を求めればよいのか、という疑問が沸いてしまう。
著者は「ホームベースを作ること」にあるのだという。「ホームベース」は本章の言葉を借りると、

「感情的な安全を保証する場」(p.76より)

をいう。精神的な話となるが、精神面で落ち着ける場所、もしくは仕事を指しているが、大概は家庭や地域のことを指すことが多い。
その「ホームベース」も「ワーク・ライフ・バランス」がなければなし得ることさえかなわない。しかし昨今の社会や企業はそれが難しいという。ただ個人に「ワーク・ライフ・バランス」を行うことによって伝搬する事は可能である。

第4章「自分にぴったりの仕事なんてない」
「自分に適職はあるのか」
就職活動のときに大学生は何度もそれを問いつめ、適職診断を行ったことは一度や二度はあるだろう。かく言う自分もそれを行ったことはあるが、自分自身「SEをやりたい」という一点張りで就職活動をしていたため、参考程度にしてあまり結果に左右しなかった。
その適職診断は結局「幻想」にすぎない。適職かどうかは仕事をしなければわからないことであり、ましてやそれすらも「ない」。
適職は「見つける」ものではなく、むしろ「作られるもの」であるのだから。

第5章「CMと就職情報サイトに踊らされない仕事選び」
私が就活生だった時代もそうであるが、就職情報サイトは数多くあり、10~20ものサイトに登録を行い、就職活動を謳歌している大学生もいる(かく言う私もその一人だったが)。
そういった就職情報サイトに踊らされている人も就活生をみると少なくないのだが、果たして就職活動サイトが正しいかというとむしろ文脈が誇張されているため、踊らされている要因としてある。
ではどのように仕事を選ぶべきか、それは「社会的に正しい」企業を選ぶ、もしくは中小企業を選ぶことを提示している。

第6章「就職できる人間になる"脱ヘタレ"の心得」
就職活動において内定をとりまくる学生とそうではない学生の違いは何なのか。著者が両学生をみてきた中で「実績があるか無いか」の違いだという。「実績」は学生生活の中での活動をする、たとえば自治会の会長として何の改革をしたのか、あるいは仲間たちとイベントを企画し、成功させたというのもある。
それだけではなく、本章では著者が出会いを震撼・感染させた「スゴい人」も紹介している。自分としては後者のインパクトが強く、自分も逢ってみたい気持ちになってしまう。

第7章「社会がヘタレを生んでいる」
第6章で言い忘れていたのだが、実績づくりこそ「ヘタレ」脱却の一つである。自分自身の限界まで挑戦する事ができたこと、不特定多数の人とのコミュニケーションを行うことができることなどにある。
しかし社会そのものが「ヘタレ」を生み出している。簡単に言えば部活動やサークル、研究会活動における「グループワーク」を行う力が欠如していることが大きな要因とされているという。
その「グループワーク」で思い出したのだが、企業によっては採用活動のなかで「グループディスカッション」や「グループワーク」が課されているところもある。それは「プロジェクトという集団のなかで仕事をする」能力を測るために行われている。
しかし、その「グループワーク」ができない人間が増えている要因として、「部活動」や「サークル活動」に参加しない、もしくは集団活動の重要性を教えない教育にも問題があると指摘している。

第8章「すぐには役立たない就活マニュアル」
「就活マニュアル本」は書店に行けば年中置いてある。私も就活本を購入して、読んで、実践した経験はあるのだが、役に立たない本が多かったように思えてならない。
本章の話に戻す。就活マニュアルを完全否定するつもりはないのだが、それを実践する以前に会社の特性や自分自身を知ることにある。その重要な一手段として「OB訪問」がある。

そもそも就活している皆さんは「何のために就活をしているのか」を見直す必要がある。就活が始まった時期であり、「もう遅い」というイメージがあるのだが、むしろこの時期だからでこそこれから就活を始める方々、来年・再来年と就職活動を控えている人に対しては「読むべき」一冊である。「就活」そのものの考えを見直し、学生生活そのものを見直す大きなきっかけとなる。

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