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書評の部屋(文芸・評論)

会社が消えた日

会社が消えた日 会社が消えた日
水木 楊

日本経済新聞出版社  2009-06-26
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いつもの通り出勤していた矢先、会社そのものがなくなってしまった、という物語である。
気がついたら自分の席がなくなっている、つまり突然解雇されたというエピソードもあれば、いつも通り出勤したら、いつの間にか倒産し、会社も閉鎖されたということは現実として起こりうることである。

しかし「会社」のある建物そのものがなくなることは、私の中では聞いたことがない。何せSF小説と呼ばれる作品だからである。
その不可思議の現象から主人公のサラリーマンは陰謀なのか、それとも誰が仕組んだことなのかを探り始めた。

しかしそれを探っていくうちに「会社」とは何か、「仕事」とは何か、というのを抉り出す。
本書を読んでいくうちに、自分自身が社会人として、会社員としての「本質」を見出しているのと同時に、私たちが持っている「会社観」というのを浮き彫りにしているような気がしてならなかった。

仕事がよくても、会社がよくても、「明日」はどうなるか分からない。今ある環境の中で、自分自身のベストを尽くすことが大切であることを語っているように思えてならない。
本書はSF小説でありフィクションであるのだが、社会小説であり、かつノンフィクションでも遜色ないほど、強烈なメッセージが込められている。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上 春樹

文藝春秋  2013-04-12
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「喪失」から「転換」へ、そして「没個性」へ―

本書は過去の村上春樹作品の「集大成」と「現在」を描いているような印象があった。
「没個性」は「色彩を持たない」と言うことにも言うことができる。いや、むしろ多崎つくるにいる周りの人物が、様々な「色」を持っていることにより、「色」が重なり合うことによって無色透明の「色彩のない」存在になったのかもしれない。

「喪失」から「転換」、それは自分自身の「死」の意味を考え、それを目指していた自分から、友人やその周りの人たちに求めようとした感情が、その展開を呼び起こしたのかもしれない。やがて時は過ぎ、周りの人たちと離れ、彼は「色」を失っていった。そしてその「色」を探しに彼は、「巡礼」のごとく旅に出かけた。

「巡礼の年」
これは宗教的な巡礼ではなく、ある「ピアノ曲」からつけられている。

その「巡礼の年」は作曲家が長年にわたってその国々に行ったときの印象を表現し、曲にして書き留めたものである。その「巡礼の年」と多崎つくるをはじめとした周りの人物たちの印象、そして東京・名古屋・フィンランドと広がる舞台は、あたかもその曲の憧憬とを重ね合わせるような錯覚を覚えてしまう。「彼の巡礼の年」はおそらく彼の半生の中で印象に残ったものを時・場所とともに「巡礼」していることから曲とストーリーが重なって映る。

本書は集大成であり、今の日本の社会、それも私たち自身を映す反射鏡のような作品と言える。

そしてその反射鏡の向こう側にはどのように存在するのか。それは村上春樹本人の胸中にある他ない。

村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ

村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ 村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ
黒古 一夫

勉誠出版  2007-10
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4月12日に3年ぶりとなる長編小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が発売され、発売前後から話題となった。発売前夜から行列をつくり、当日になったらなったで、10万部規模の重版が決定された。
私自身、あまり村上春樹作品に関しての作品に関心はなかった。しかし大学時代に「ダンス・ダンス・ダンス」「海辺のカフカ」は読んだことはある。ただ、お金の無かった時代だったため、大学の図書館で借りて読んだに過ぎず、10年近く前のことなので余りよく覚えていない。
私事はここまでにしておいて、本書はその発売された作品から少し距離をとって、村上春樹が紡ぐ物語がどのように変わっていったのかを作品ごとに追っている。

第一部「「喪失」の物語―ザ・ロスト・ワールド」
本書のタイトルにある「喪失」は村上春樹のデビュー作である「風の歌を聴け」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」や「ノルウェイの森」などを取り上げている。
「風の歌を聴け」は1979年に発表された作品であるが、その舞台は「1968」と呼ばれた時代が終わりつつあるとき、つまり1970年の時の自分自身を描いている。そのときに感じた「風」、それは「異常」なようでいてどこかしら「空虚」を描いている。
「ダンス・ダンス・ダンス」は「風の歌を聴け」に似ている、というよりも続編と思わせるような形の作品である。この作品は1968年前後から続いた、「高度経済成長」における社会と昨年無くなった思想家の吉本隆明を暗に批判した作品であるため、「風の歌を聴け」と似ていることも頷ける。

第二部「「転換」の物語―「デタッチメント」から「コミットメント」へ」
「ねじまき島クロニクル」は読んだ人しかわからない話であるが、読み方によって作品の見え方も変わる、言わば「万華鏡」のような作品と言える。あるときに読むと「暗さ」がにじみ出てくるような作品になり、またあるときに読むと歴史が映り、またあるときに読むと友情が映る。本章ではこの「ねじまき島クロニクル」及び、その時代に発表された随筆や短編小説などを取り上げながら人や時代とのコミットメントに転向した理由を分析している。

「喪失」から「転換」へと転向し、それが「1Q84」といった作品へと変遷していく。そして最初に書いた新作はいったいどのような物語を紡いでいくのか見てみたいものである。

水平線の歩き方

水平線の歩き方 (CARAMEL LIBRARY) 水平線の歩き方 (CARAMEL LIBRARY)
成井 豊

論創社  2011-06
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本書は小説ではなく「脚本集」である。「集」であるのでいくつかの脚本が収録されているが、本書は選りすぐりの3本取り上げている。

<水平線の歩き方>
本書のあとがきにも記しているが、著者の50本目の節目となる作品である。ちなみにこのタイトルの舞台演劇も2008・2011年の2回上演されている。
本作の冒頭を見ると、あたかも「ホラー」と思わせてしまうようなところから物語は始まる。
「ホラー」であり、「日常」の中の「非日常」が入っているようなストーリーでありながら「家族」や「友情」、そして「命」について考えさせられる作品である。

<ポケットの中で星がいっぱい>
本作は2005年に上演されたものである。
あたかも「タイムマシン」のような時間移動装置を使って過去の自分と現在の自分と出会い、そしてその中で生まれる「ドタバタ」を描いている。約16年の間を行き来しているのだが、その中で「変わったもの」「変わらないもの」を映し出している印象が強かった。

<クローズ・ユア・アイズ>
ある画家は死期を迎えたが、彼は死を迎えることを拒んだことから物語は始まる。本書のタイトルにある「水平線の歩き方」と同じような傾向にあるのだが、本作はそうではなく、「すでに死んだ人」ではなく「これから死ぬ人」をフォーカスしている。
「死んでも死にきれない」という言葉がぴたりと似合うように、未練を残したまま死ねず、むしろやり残したことを追い求めた。そしてそれを追っていく中で、最愛の人との出会いがあった。

本書で取り上げた3本の作品はいずれも上演されているものである。作品一つ一つの性格は違い、かつ自分自身その舞台は観たことがない。それでも脚本を観ているだけで、その舞台の映像は自分の頭の中ではっきりと映し出すことができる。それでいて、生きていく上での「本質」というのを学ばせてくれた一冊と言える。

やさしい古典案内

やさしい古典案内 (角川選書) やさしい古典案内 (角川選書)
佐々木 和歌子

角川学芸出版  2012-10-24
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最近では「ビジネス書」をよく見かけ、当ブログでもビジネス書をよく取り上げる。しかし最近になって「貞観政要」などの古典にも目を向こうとしており、これから書評に関するシリーズを挙げているが、いずれも「古典」にフォーカスを当てている。
元々古典は読みにくい印象があったのだが、読めば読むほど、その作品についての深みを覚え、読んでいくうちに時が過ぎるのを忘れてしまう。まさにじっくり読むためであり、考え方としても興味を持てるような面白さがある。難解ではあるものの、一つ一つ紐解いてみる面白さがある。古典にはそのような要素が沢山詰まっていると思う。
この時代だからでこそ「古典」の価値は見直すことのできるいい時期なのかもしれない。その入門案内として本書がある。

<文字を手に入れて、すべては始まった>
日本語、もしくはその文字は中国大陸から伝来され、日本独自の文化として醸成されたのだが、その文字の原点として「万葉集と「伊勢物語」、さらに作品ではないが在原業平、小野小町をはじめとした「六歌仙」について取り上げている。

<この思いは三十一文字じゃ収まらない>
「三十一文字」は「和歌」の「5・7・5・7・7」の合計した文字数を指している。その「三十一文字」のなかで自分自身、もしくは相手への思いを綴っている。百人一首に出てくる和歌の多くは平安時代に謳われており、とりわけ「恋」にまつわる和歌が多く占める。本章で取り上げる「土佐日記」や「蜻蛉日記」にもこの「三十一文字」の世界を描いている。

<これが私たちの言葉、私たちの情熱>
日本を代表する古典作品として取り上げられるのが、「源氏物語」であり、「枕草子」であり、「更級日記」である。その代表する作品はすべて女性が絵書いた作品であるが、女性たちの「情熱」がひしひしと、物語に込められている。

<市井の人々の声が聞こえる>
「市井(しせい)」とは一言で言えば「巷」と呼ばれており、人々が集まる場所を指す。根源は古代の中国大陸に井戸すなわち水のある所に人が集まり、市ができたからと言われている。
色々な人々が伝えられる話、それが物語や説話、といったものになり、「今昔物語集」や「日本霊異記」といった作品が生まれた。
そして本章では、あまり知られていないものとして「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」も取り上げられている。
「梁塵秘抄」は平安時代、後白河法皇が編纂した歌集であり、その内訳として、「梁塵秘抄」が10巻、そして「梁塵秘抄口伝集」が10巻と成り立っている。一般的な「梁塵秘抄」はそれらを総称して表している。

<この気持ちを名づけるなら、無常>
「無常」という熟語が出でくるものとして取り上げられるのが、「この世は無常」ということを取り上げた「方丈記」、そして「諸行無常」と冒頭で語った「平家物語」が挙げられている。

<貴族たちに残されたもの>
平安時代において、和歌は貴族が愉しむために作られたものとされており、貴族たちが詠まれた和歌は前にも書いたのだが百人一首などで後世に語り継がれている。その和歌を集めたものとして「古今和歌集」や「万葉集」、そして本章で紹介される「新古今和歌集」もその一つである。
和歌のみならず、物語の中でも「とはずがたり」といった鎌倉時代の日記文学として貴族があまり取り上げたくない所についても取り上げている。

<動乱期が心を揺さぶる>
時代は鎌倉時代・室町時代に移る。その間にある時代を中心としたときは「動乱期」と呼ばれるほど戦などが度々起こった時代と言える。その中で生まれたのが「太平記」であり、「徒然草」である。

<句のもとに集う人々>
「句」というのは言わずもがな「俳句」である。その「俳句」に代表する人物として「松尾芭蕉」が挙げられる。その「俳句」という呼び名になったのは正岡子規が初めてであり、それ以前は「和歌」や「句」と呼ばれていた。松尾芭蕉が生まれる遙か以前の「和歌」には「連歌」と呼ばれるものがあり、本章でもそれが取り上げられている。

<平和の時代の贈りもの>
江戸時代に入ると元禄文化や化政文化といったものが栄え、文学作品としても研究としても、芸術にしても、大いに発展した時期となった。現在における伝統芸能として落語や歌舞伎もその時代に誕生した。文学としても「好色一代男」の井原西鶴、「浄瑠璃」「歌舞伎」の近松門左衛門などが取り上げられている。

古典は古代から江戸時代まで、もっと広くなると明治・大正まで広げることができ、その時代の背景や文化、さらには日本古来から続く「伝統」を味わうことができる。巷にある本よりは読みづらい部分はあるかもしれないが、読み砕けば砕くほど深みが増し、文化そのものを愉しむことができる。その愉しむことのできる先に私たち日本人として大切なことが詰まっている。古典にはその力が秘められていると言っても過言ではない。本書はその入り口に誘う水先案内人と言える一冊である。

すかたん

すかたん (のじぎく文庫) すかたん (のじぎく文庫)
山崎 佑次

神戸新聞総合出版センター  2012-11
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大阪弁ではこのような言葉がある。

「やたけた」…「なげやり、破れかぶれ、自暴自棄」
「ごりがん」…「ごり押しでがんがんいく人」
「すかたん」…「当てが外れること。見当違いなことをした人」

本書はタイトルにある通り、その中でも「すかたん」と言う言葉がよく似合う人として、著者自身のことについて綴っている。本書の最後には映画監督である崔洋一氏が寄稿しているのだが、著者は今年1月に亡くなられた大島渚監督の下で仕事をした方である。著者と崔氏とはともに仕事をする事がなかったのだが、「大島組」と呼ばれる大島監督の取り巻きの中で兄弟分としてつきあいがあったという印象が強いと崔氏は語る。

その著者の自伝的作品と言えるのが本書である。本書のタイトルにある「すかたん」という名の如く、自らの学生から現在までの人生を回顧している。

ありがとう

ありがとう ありがとう
絵門 ゆう子 エム ナマエ

PHP研究所  2006-06
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当ブログを読まれいる皆様は普段、「ありがとう」を口にしたことはあるだろうか。
私は毎日少なくとも一回以上「ありがとう」を言うようにしている。もっと言うと「ありがとう」を口癖にしようとさえ考えている。

その理由とは何か、自分と他人とは価値観そのものが異なっており、「常識」も「当たり前なこと」も異なる。そのため、自分自身がその考えを取っ払い、他人が当たり前だと思うことを自分ではありがたいことだと思うからである。

「ありがとう」を漢字で書くと「有り難う」

そうで「有る」ことが「難しい」から、「当たり前ではない」ということで生まれる言葉である。
本書の著者である絵門氏は本書を出版した年に亡くなっている。49歳という短い人生だった。

本書はその遺作として、49年間という人生の中で様々な出会い・体験をしてきた、そのことについて「ありがとう」と感謝の気持ちを絵本に綴った一冊である。人生を振り返るばかりではなく、自分自身にとっても「ありがとう」という言葉を見つけるきっかけを見つけてくれる一冊と言っても過言ではない。

そう言えば、今日は3月9日。
「3」と「9」にちなんで「サンキューの日」と言われている。その日だから、というわけではないのだが、一度これまでの考え方や行動を見直すと良いのかも知れない。
そしてそこから生まれる「ありがとう」は必ずある。
今生きていることに「ありがとう」と思わず口に出したくなる。

週末は家族

週末は家族 週末は家族
桂 望実

朝日新聞出版  2012-01-04
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私の周りには「週末起業」をしている人がいる。平日はサラリーマンとして企業で働きながら、週末、もしくは終業後はサラリーマンとは別に副業として会社を興してビジネスを行う人のことを指す。経済は回復傾向にあるとは言えど、不安のある状態に変わりはないため、収入を複線化することでより安定した生活をおくることができる、という考えからそういう人がでているのだという。その週末起業から本業にシフトしていって活躍している強者も中にはいる。

それはさておき、「週末」とはいえど「家族」サービスをするという人材派遣業について描かれている。主に俳優がそのサービスをするということは、15年前にドラマで放送された「P.A.(プライベート・アクトレス)」を彷彿とさせるようなストーリーである。

フィクションである。フィクションではあるけれども、今の社会情勢を見るからして、そういった特殊派遣が出てくる可能性もあり、このような「週末家族」は現実味を帯びてくるように思えてならない。そのことについて警鐘を鳴らすために描いたのかもしれない。

あと、昨年の11月~12月に毎週平日の昼に放送された国友やすゆき作の「幸せの時間」の最後にでてくる、ある「記念日」に近いものがあるのかもしれない。

丘の上の邂逅~三浦綾子生誕90周年記念出版

丘の上の邂逅: 三浦綾子生誕90周年記念出版 丘の上の邂逅: 三浦綾子生誕90周年記念出版
三浦 綾子 三浦綾子記念文学館

小学館  2012-04-23
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「氷点」「銃口」などの代表作の著者である三浦綾子。その三浦氏は旭川市出身であり、一時期を除き、生涯旭川にすみ続けた。旭川の歴史そのものを知り、作品の中で表現をしている。
本書は三浦氏の生誕90年を記念して、遺稿の中から三浦氏の人生の大部分を過ごした旭川の回顧をエッセイ仕立てで綴ったものを取り上げている。

第一章「旭川だより」
三浦氏は人生の大部分を旭川で過ごした。しかし著者は若いとき、その旭川を好きでなかったのだという。それ以上に札幌に住みたい、という願望が強かった。
それを知ったとき、自分自身が旭川で過ごした時とほとんど同じように映ってしまった。自分自身も当初は早く旭川から離れて札幌や東京に移り住みたかった。そこで働きたいという願望が強かった。その願望通りになった今では旭川に対する郷愁が芽生え、早くではないが「いつか故郷に戻る」という気持ちも出てきた。
私事はここまでにしておいて、三浦氏は若かりし人生の中でキリスト教に出会い、洗礼を受けたことについても綴っている。

第二章「丘の上の邂逅」
「一期一会」という四字熟語が存在する。この「一期一会」は様々な恩師や医師、牧師、友人、知人と出会った。その出会いと別れが、冒頭部で書いたような三浦綾子作品を生み出す土壌を培っていった。

第三章「旭川とわたし」
旭川ほど春・夏・秋・冬、四季折々の季節を味わえる地域はなかなかない。特に夏は湿度は少ないものの30度を越えるほど暑く、冬になれば朝は氷点下20度を下回るほど凍える。
遠い、川崎の地にすむ自分にとっては耐えられないような寒さを懐かしんでしまう。今年記録的な大雪が降り、0度前後の寒さを経験しても、である。

旭川の魅力―
私もセミナーやパーティーなどで様々な人と出会うがよく言われるのが「旭山動物園」である。それしかイメージがないように言われてしまうのだが、そうではない。
日本初の歩行者天国である「買物公園通り」もあれば、ラーメンと酒が楽しめる「3・6街」もある。ラーメンと言えば冬でもアツアツと楽しめる醤油ラーメンでおなじみの旭川ラーメンもあれば、銘酒「男山」や「国士無双」もある。
だんだん自分の嗜好になってしまったが、列挙してもきりがないくらい旭川の魅力はたくさんある。

旭川市には三浦綾子氏の功績を讃え、「三浦綾子記念文学館」が1998年に建てられた。そこには三浦綾子氏の生涯と作品の舞台にまつわるものについて展示されている。
自分自身も旭川出身だけあって、三浦綾子の作品、また生涯にまつわることについてもいくつか学校で学んだことがある。しかし三浦氏の「旭川観」をありのまま表現した本書は、遠く離れた所にいる自分を、自ら生まれ育った故郷へ引き戻してくれる。そんな気がした。

GF(ガールズファイト)

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久保寺 健彦

双葉社  2011-07-20
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美しくも殺伐としたタイトルである。
本書はタイトルのとおり少女たちの戦いを映し出した短編週であるが、戦いの「対象」はそれぞれ異なる。異性の男性なのか、それとも同姓である女性なのか、はたまた自分自身の中にある弱い心なのか、はたまた今の世間を相手にしているのか、テーマによって異なる。

<キャッチライフ>
毎年、春と秋にとあるキー局が放送する長時間のバラエティ番組をフィクション化したものである。その中のあるイベントを舞台にしているが、臨場感は本物の番組さながらであるが、事件についてはある種非現実的な印象が拭えなかった。

<銀盤がとけるほど>
フィギュアスケートのシーズンであるが、とりわけ女子フィギュアは人気が高い。民放でもフィギュアスケートの試合を生放送する番組がでるほどだ。
その銀盤の戦いは美しくもあり、気力・体力ともに激しく消費する。本章は女子単独ではないが、混合ペア種目における女子たちの戦いを表している。

<半地下の少女>
第二次世界大戦は「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンで女子もまた、戦闘訓練を行うことがあったのだという。家族のため、生きるために世界に向けて戦う女子たちを描いている。

<ペガサスの翼>
暴走族の衰退が著しいが、それと同時に「レディース」もまた同様である。その「レディース」は自分たちの「居場所」、そして「自由」を求めて社会や常識と戦い続ける。それに羨望を持つ者もいれば、それを疎ましく、かつ非難や迫害の対象にまでなった。
しかし「レディース」はそれに抗してもなお戦い続ける。

<足して七年生>
小学生にも小学生の「戦い」がある。いじめとの「戦い」もあれば、恋の「戦い」もある。学力の「戦い」もある。小学生の戦いはかわいげがあり、かつもっとも直情的と言える。

少女たちの戦いは、時として殺伐で、時として腕白で、時として可愛げがあり、時として切ない。そのような少女たちの戦いがここにある。本書はそれを示している。

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