書評の部屋(理数系)

最高権威が語る! 図解 脳を良くする小さな習慣

図解脳を良くする小さな習慣 最高権威が語る! 思考・運動・芸術の能力とやる気を高め、健康で長生きになれる!! [本] 図解脳を良くする小さな習慣 最高権威が語る! 思考・運動・芸術の能力とやる気を高め、健康で長生きになれる!! [本]
販売元:セブンアンドワイ ヤフー店
セブンアンドワイ ヤフー店で詳細を確認する

株式会社イー・プランニング 須賀様より献本御礼。
脳科学に関する書籍、人物は現在では乱舞しているといってもいいのかもしれない。とりわけ茂木健一郎や苫米地英人を筆頭に脳に関する本が多数出版されている。本書も脳科学の権威であるが、著者以上に有名になったのはその妻の久保田カヨ子であろう。もっとも先日放送された「エチカの鏡」ではインターネット上で賛否両論が巻き起こったことは記憶に新しい。

第1章「【基礎編】脳のことがわかる基礎知識」

ここでは「脳」の仕組みという所について書かれている。 シナプスやニューロン、男女の脳の違い、うつ病や認知症時の脳の働きといったものが挙げられている。

第2章「【発展編】脳の発達を促すこと、阻むこと」

脳はあらゆる活動において発達を促しているわけではなく、反面阻害するということもある。 では発達を促すためにはどうしたらいいのかというと、食べたり、運動したり、褒められたりとプラスになるようなものが良いとされている。音楽や運動、恋愛といったものも脳の働きを良くさせる効果があるという。反面脳の発達を阻害されるものとして、ネガティブな感情に陥ることが挙げられている。

第3章「【応用編】脳を良くする今日からの習慣~一日の過ごし方次第で脳は良くも悪くもなる~」

ここでは一日の過ごし方の理想を脳科学的に提示している。脳に良い運動の仕方、脳に良い食べ物もここで挙げられている。

第4章「【実践編】世代別 脳をよくする小さな習慣」

ここでは年代別にどのようにして脳の働きを活発化させるのかについて書かれている。脳の成長が止まるという時期はないが、個人差はあるもののだいたい20歳を境目にニューロン細胞の増殖が止まり、そこから毎日数万もの細胞が死んでいくとされている。脳の成長に合わせてどうするべきか、成人になった時にはどのようなことをやればよいのかということが年代別に分けられているため、自己成長術といっても差支えない。

第5章「【実践編】簡単な三つの医学テスト」

脳の衰えをチェックするために3つテストを用意されている。

脳の働きはまだまだ解明できていないところが多いが、脳にとっていい活動をするということは大事である。本書は脳のメカニズムなどを図に表わして紹介しており、それほどページ数も多くないため読みやすい。

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三つ星レストランには、なぜ女性シェフがいないのか

三つ星レストランには、なぜ女性シェフがいないのか

著者:左門 新

三つ星レストランには、なぜ女性シェフがいないのか

本書の著者である左門様より献本御礼。
ミシュランガイドの日本語版が2007年に初めて発売されてから、今年で早くも3回目である。今年は何やら大阪・京都バージョンも発売されるのだが、はたしてどのように格付けされているのか、ミシュランガイドを観たことがない私にとってはどうでもいい話であるが。
本書のタイトルは非常に気になる。ミシュランガイドで三ツ星の乗る店と言えば名店中の名店と言われている(ピンキリはあるものの)。その中で女性シェフが果たしていないのかというときになるところである。
本書は上記のことも含めた、男と女の身体の秘密を現役小児科医である著者が医学的見地から紐解いている。本書の帯紙に「デキるビジネスマンの知的エロトークに必携!」とあるが、それはご愛嬌というべきだろうか。

第一章「男と女はなぜ正常位を好むのか――男性を魅了する女体の謎」
男と女は正常位を好むという。正常位というとスタンダードであり、あまりよくわからない人でもできるような体位であるが、なぜと言われると何かあるのではないのかと勘繰ってしまう。
セックスをするときにする運動として男性としても得意な運動ができ(本書では「回内運動」)、女性も男性の運動に順応できるようになっているのだという(本書では「回外運動」)。
他にも女性の身体について男性が(動物的に)最も反応する所についても書かれている。

第二章「三ツ星レストランには、なぜ女性シェフがいないのが――男女の「五感」はこんなに違う」
五感はもう言わずもがなであるが「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」であるが、男性と女性で感受性が違ってくると言うが、本章ではそこについて書かれている。おまけと言って何なのだが、第六感も男性と女性で違ってくる。むしろ女性の方が強いじゃないかと考える(男性の浮気を見つけるのに最適)。
本書のタイトルにある「なぜ」はどうやら「味覚」にあるという。思わず「嗅覚」というのを想像したのだが、そうではなかったようだ。
それだけではなく、「視覚」「聴覚」など様々な角度から男性と女性の違いについて解き明かしている。

第三章「睾丸はなぜ左右どちらかが下がっているのか――男女の生殖器に潜む謎を解明する」
次は男性の身体の秘密についてである。特に男性器のことについてが中心であり、睾丸や男性気にまつわる病気のあれこれが多かった。

第四章「セックスの好きな女性はなぜ子宮がんになりやすいのか――病気から考えられる男女の体の違い」
性行為における病気はいろいろあるが、「淋病」や「梅毒」といったものは昔から存在しており、薬などから来る「HIV」は世界的にも多く、寄付などにより根絶に向けて動いている。
本書では膣けいれんや子宮がんの謎を中心に男女の性行為による病気について書かれている。

本書のタイトルは「三ツ星レストラン〜」であるが男女の違いというよりも、生理学、「セックス進化論」としての男女の違いを余すところなく書かれた一冊と言える。

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史上最大の伝染病牛疫―根絶までの4000年

史上最大の伝染病牛疫―根絶までの4000年

著者:山内 一也

史上最大の伝染病牛疫―根絶までの4000年

先ごろから「H1N1」という新型インフルエンザに酔って騒がれているが、この時期になって季節性のインフルエンザも出てき始めるころである。「パンデミック」の様相になっている新型インフルエンザであるが、過去にもインフルエンザをはじめとした伝染病によるものがあった。代表的なものでは「スペイン風邪」「ペスト」「天然痘」などが有名である。
さて本書は「牛疫」であるが、これは牛や豚などの家畜に対してかかる感染症の一種であり、はるか昔から存在していた病である。ちなみに日本では1932年以来発生例はないという。本書はこの牛疫が日本において廃絶された経緯について迫るとともに、昨今話題となっている「新型インフルエンザ」に対して、どういったヒントをくれるのかというのを解き明かした一冊である。

第1章「牛疫とはどんな病気か」
「牛疫」の病気について詳しく書かれているが、本書の最初で紹介したように牛や豚などの家畜に対してかかる病気であるが、とりわけ牛に対しては高い死亡率と感染例があり、通称「牛のペスト」とまで呼ばれていた。

第2章「古代から中世にかけての牛疫」
本書のタイトルにもなった4000年とあるが、具体的にいつ頃からかかり始めたのかと言うと紀元前2130年辺りにパピルスが見つけたと推測されていることからタイトルになったという。
また旧約聖書にも古代ローマにおいても「牛疫」が登場しており、悩みの種にあったという。

第3章「牛疫が近代獣医学の出発点をもたらす」
この牛疫は獣医学の歴史とともに歩んでいったのだろうかとも考えてしまう。確かに獣医学はこの病気から歩み始めたわけであるが、脚光を浴びたのは18世紀になってからである。イタリアのパドゥア近郊で市債の牛に「牛疫」が発生し、司祭の友人とパドゥア大学の医学教授のもとで解剖などによる原因究明を行い、対策を行った結果、9か月で牛疫はなくなったと言われている。効果的な対策の中で最も古いものとされているが、現代においてもそれに近いことが可能かもしれない。

第4章「世界中に広がり始めた牛疫」
牛にまつわる病気は牛疫だけではなくBSEと言われる「狂牛病」、さらには「口蹄疫」などが挙げられおり、共通して言えるのはイギリスから世界中に発症例が広がったということである。牛疫もまた例外ではなかった。

第5章「牛疫の原因はウィルス」
医学は進歩を重ね、ようやく明確な原因を特定することができるようになった。章題にもあるとおりウィルスであったという。

第6章「牛疫予防への道のり」
原因が特定できれば、あとは予防であるが、これはウィルスの血清を作りワクチンを作るといった手法は現代にも通用している。

第7章「日本でも大きな被害をもたらしていた牛疫」
イタリアやイギリスにおいて猛威をふるった。では日本ではどうだったのだろうか。
日本では文献によると17世紀末期辺りにから猛威を振るったと判明されている。しかし当時の慣習では牛肉を摂取することは禁忌を犯すこととされていたため、それほど影響がないように思えるが、食べる手段以外で支障をきたしていたのは確かである。

第8章「牛疫対策を中心として進展した日本の家畜伝染病対策」
最初にも述べたが日本では1932年以降発症例はないとされている。この約250年のあいだにどのような対策を講じてきたのだろうか。
明治時代末期に、牛が外国から輸入される港において、検疫所を設けるなど海外からはいっていく動物に対し様々な検査を行い、それを通ったものが初めて輸入されるという方法を行った。現在における「検疫」の原型が明治時代から確立されてきたわけである。

第9章「朝鮮半島と満州での牛疫対策」
韓国併合や満州事変により、日本の領土を広げていた時代、当然その場所においても本土と同じ、あるいはそれ以上の権益を行ったと言われている。

第10章「第二次世界大戦後も最も重要だった日本の牛疫対策」
しかし第二次世界大戦後、当時の検疫体制が崩れ、密輸入が増えるなど、牛疫がふたたび流行をするのかという心配が政府や農林省などで囁かれていた。またGHQからの指令もあったために、難航したこともあったのだが、早急なワクチン製造と検疫体制の強化により難を逃れた。

第11章「牛疫と生物兵器」
第二次世界大戦の話になるが、敗戦食濃厚であった時、緊急作戦として「風船爆弾」を投下するものがあった。TVでも何度か取り上げられているが、何重にも重ねた和紙をこんにゃく糊で貼り合わせた気球で爆弾を搭載してアメリカ大陸まで飛ばして攻撃をするというものである。
作戦自体、そこそこ効果はあったものの、アメリカ側の情報操作(それに関する死亡ニュースを出さないなどのこと)に惑わされ、雲散霧消となった。

第12章「日本人科学者の活躍」
戦前、朝鮮半島や満州、台湾において牛疫の宝庫とも言われてきたがそれを根絶し、中国からの感染流入に歯止めをかけたと言われているが、第二次世界大戦後もカンボジアやエジプトなどでも効果があったのだという。日本が牛疫根絶の先駆者であり、科学者によって牛疫という言葉が「死語」とさせた功績は大きいと言える。

第13章「世界的牛疫根絶計画」
先進国では牛疫の撲滅が進んでいるが、アフリカ大陸では根絶されたものの、ふたたび流行するといった循環が絶えなかった。それを断ち切るために1987年全アフリカ牛疫撲滅作戦と銘打って先進国の協力を得ながら根絶を行っているが、見込みでは来年にも根絶宣言が出されるまでに至ったという。

第14章「私と牛疫」
著者は狂牛病やプリオン病といったウィルス研究を行っており、牛疫に関する研究も例外なく行っている。著者が牛疫ウィルスに初めて出会ったのは1965年、本書は35年にも及ぶ研究の集大成と言える。

本書に出会うまで私は「牛疫」という言葉は知らなかった。獣医学の進歩によりこの言葉が聞かれなくなったと言える。医学は絶えまなく進化しており、もはや聞かれなくなった病気も数多くある。しかしその一方で新たなウィルスや病気も出てきていることは確かである。あたかもイタチゴッコであるかのように。医学が進化をするのと同じくしてウィルスや病気も進化する。しかしそれを食い止めるべく医師や医学研究者たちの戦いも終わらない。

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あなたにもわかる相対性理論

あなたにもわかる相対性理論 (PHPサイエンス・ワールド新書)

著者:茂木 健一郎

あなたにもわかる相対性理論 (PHPサイエンス・ワールド新書)

株式会社オトバンク 上田渉様より献本御礼。
20世紀最大の科学者と言われるアルベルト・アインシュタイン。とりわけ「相対性理論」は後の物理学に大きな影響を与えた。しかしその物理学についてさわりしかわからない私たちにとって「相対性理論」というと言葉だけはわかるが、実際の中身はどうなのかわからない。論文を見てもちんぷんかんぷんなところが多い。本書は脳科学者である茂木健一郎氏が相対性理論の中身を解き明かしながら、分かりやすく解説している。

第1章「相対性理論が生まれた背景」
本章ではアインシュタインの生き方を「アインシュタイン力」と名付けて彼の生き方と物理学の歴史について書かれている。
アインシュタイン以前の物理学で有名な人物と言えば、本書ではガリレオ・ガリレイ(地動説が有名)、アイザック・ニュートンが有名である。しかしニュートンが物理学の常識を覆してから約240年もの間それに変わる革命的な研究や理論が発表されなかった。しかし上記のことに関して批判をしていた学者もいた。その代表各としてエルンスト・マッハが本書では紹介されている。アインシュタインはこのマッハの批判に衝撃を覚え、「相対性理論」の礎を築いた。

第2章「相対性理論は何の扉を開けたのか」
アインシュタインの生きざまの続きである。物理学に関しての研究は早い時期、16歳の時からもうすでに始まっていた。しかしアインシュタインの研究は一つの事柄について、何十年もの時をかけて行うものであり、他の研究者ではまねできないほどねばり強かったという。
また物事に対して平等に見る力もあったが、本章で非かかったのは「ユーモア」に関してである。アインシュタインは元々人前では笑わない人であった。有名な舌を出す写真は実は笑顔をとるときに笑顔になりそうだったが、とっさに隠そうとして舌を出したという(本人は非常に気に入っており焼き増しを頼んだという話もある)。

第3章「アインシュタインのロマンと相対性理論」
アインシュタインの研究は非常に有名なものであったが、それに関して、賞賛される言葉があったり、批判するようなものまで数多かったと言われている。しかしアインシュタインは自らの研究に確信を持ちながら没頭し、友人等に支えられ、「相対性理論」が生まれた。

第4章「相対性理論が導くワンダーランド」
ここから2章は相対性理論の中身を解説している。ガリレイの「相対性原理」やニュートンの「ニュートン力学」との違い、時間との関係、空間との関係をも絡めて力学を定義したものである。

第5章「認識論としての相対性理論」
「相対性理論」は従来の力学の枠を越え、時間、光、宇宙に至るまであらゆるところに影響を与えた。著者はそれを音楽に準えながらアインシュタインの偉大さを述べている。
力学のみならず、科学そのものの根底を覆した「相対性理論」が、より身近な角度からとらえられている。相対性理論については様々な解説書・入門書が存在しているが、音楽やアインシュタインの人生、それ以前の物理の歴史を絡めながら書かれていると自分としてはなかなかおもしろいと感じる。

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数学が歩いてきた道

数学が歩いてきた道 (PHPサイエンス・ワールド新書)

著者:志賀 浩二

数学が歩いてきた道 (PHPサイエンス・ワールド新書)

株式会社オトバンク 上田渉様より献本御礼。
数学の歴史は結構長く、古代ギリシャ時代にまで遡る。そう、ピタゴラスが定理(「ピタゴラスの定理」)を唱えたときにまでになる。約2000年もの間、数学は様々な学者が定理を唱え、今日の数学の教科書にまで波及してきた。そしてこれからも歩み続けいくだろう。本書はこれまで歩み続けた数学の歴史をたどっていくというものである。

第1章「深い森へ」
数学を確立させたピタゴラスの話から本章は始まる。ピタゴラスは哲学の祖といわれるタレスに師事し、そこから幾何学や天文学を学び、定理を確立させた第一人者である。「万物は「数」である」という言葉を残し、数学の祖とも言われた。本章では主に古代ギリシャ時代で活躍した数学者を紹介している。ピタゴラスのみならずユーグリッド、ツェノンらもいる。

第2章「近世に向けての旅たち〜文明の流れのなかで」
時代は一気に近世に移るのだが、それまで数学の進化は滞っていたのかというと、決してそうではなかった。むしろギリシャではぐくまれた数学が世界各地に伝搬されていったという。
また近世の前にも、物理学に派生して様々な定理や公式が生まれてきたが、私が特に印象深かったのは対数の誕生である。2ページだけであったのだが、ネピアによる発見は画期的だったということが窺えるものであった。

第3章「ヨーロッパ数学の出発」
時代は近世に入り、数学は格段の進化を遂げる。特に哲学者で有名なデカルト、「ニュートン力学」でも知られるニュートン、ライプニッツらの研究により、数学の幅が広がり、幾何学・微分積分などが誕生した。

第4章「数学の展開」
実はこの数学はある学問とともに広く・深くなっていったという。3人の学者に共通するのだが・・・そう、「哲学」である。哲学とともに数学は広がりを増し、ヨーロッパでは「アカデミー」も誕生した。そこから「解析学」など数学の中でも様々な分野が生まれたのだが、中でも本章が紹介されているのが「オイラー」である。数学にある程度使った人でなければ出てこない人物である(正直私も大学2年の時に学んだのだがチンプンカンプンだった)。ここでは「無限」と言うことについての批判や定義の変遷について書かれている。

第5章「関数概念の登場」
関数と言うと中学や高校でいやと言うほど出たことを覚えている。特に大学受験では何度もこれに苦しめられたことを覚えている(商業高校出身だったために、自分自身で勉強しなければならないのでよほどであった)。
この関数が初めて用いられたのは17世紀後半、ライプニッツによって使われたのが始まりであるが、隆盛したのはそれより後の18世紀になってからである。その走りをライプニッツが行ったといっても過言ではないと言える。

第6章「解析学の展開」
数学はやがて複雑化していき、「解析学」と言う所までやってきた。簡単なところで言ったら「ベクトル」や「複素数」といった所に当たる。

数学は歴史とともに、でありながらも近代から現代にかけて飛躍的に進化を遂げてきた。「学力低下」の中で数学や理科などの「理数系」の低下は著しく「理数離れ」という言葉さえささやかれる。確かに公式を覚えたり単語などを覚える、それだけでは愉しみは生まれない(それなしでも同じだが)。単語を覚えるのに疲れたら本書のようにどのような歴史を辿って行ったのか、さらりと読むだけでもすぐに興味がわいてくる。私はそう考えている。

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寿命はどこまで延ばせるか?

寿命はどこまで延ばせるか? (PHPサイエンス・ワールド新書)

著者:池田 清彦

寿命はどこまで延ばせるか? (PHPサイエンス・ワールド新書)

株式会社オトバンク 上田渉様より献本御礼
医療の進化が続く中で、平均寿命は延び、日本では男性が約78歳、女性は約84歳であるという。ここまで進化を遂げているが、これからの医療の進歩などにより、平均寿命が延びる可能性は高い。しかし私は平均寿命が延びる風潮はこれでいいのかという疑問はあるが、それに関しては、第5章でそのことについて書かれているところがあるので詳しく主張する。本書は技術の進歩によってどこまで平均寿命を延ばすことができるのかというのを考察した一冊である。

第1章「寿命の起源」
「寿命」がどのようにして生まれたのか。これは「神学」「哲学」というところから、「生物学」などの科学に至るまで長きにわたり考察を行ってきたたぐいであるが、未だに有力な「解」が見つかっておらず、「永遠の謎」ともいえる。
本書は寿命を「生物学」などの「科学」的な視点で考察している。代謝やタンパク質、DNAや細胞に至るまで考察を行っているが、アメーバやバクテリアが基本的に死なないことを考えると、寿命の根元となるものを見つけだすのは容易なことではないように思える。

第2章「生物にとって寿命とは何か」
前述のように生物における「寿命」は有限である生物と無限である生物が存在する。そのためか一概に定義をするのは難しい。
この「寿命」について本書では細胞とDNAについて論じている。生物といっても「単細胞生物」や「多細胞生物」といったものが存在するが、細胞分裂によって、死んだり、生殖したりする。その細胞の中にはDNAがあり、修復や増殖によって生殖を行っており、寿命にも密接に関係しているという。

第3章「ヒトの寿命は何で決まるのか」
いよいよ人の寿命のところに入っていく。人の寿命は有限であるが、その寿命はなにによって定められているのか、科学的な研究は数多くあるが、まだ結論に達していない。
本章では前章に引き続き細胞分裂について、そして生活習慣病の要因についても書かれており、科学でありながらも身近なところをついている。

第4章「人の寿命は延ばせるのか」
これまで寿命を延ばすための技術の進歩は医療など数多くの分野で行われ、日本は最初にも書かれているように長寿国となった。しかしそれだけでは飽きたらず「長寿になるには」ということは後を絶たない。それに関して大きな疑問は存在するのだが、それは次章にて。
本章ではガンの予防、活性酸素の制御など健康法を科学的見地から見ている。

第5章「長寿社会は善なのか」
ここでは科学論から一歩離れて社会論にも入る内容である。本章では、「もしも不老社会であったならば」という前提で考察を行っている。
遺伝情報から老化防止、そして人類至高の夢ともいわれる「不老不死」がもし実現したとしたら、社会はどのように変化をするのだろうかというシミュレーションを行っている。「不老不死」がかなったとしても、介護などの維持管理の費用が国家・家計共々膨大になり、定年が引き延ばされ、老害も横行するようになる…と考えると「不老不死」もいいことはないと思ってしまう。
ここでは社会論として捉えてきたのだが、私は少し角度を変えて「人生論」などのヒューマニズムに関して考察を行う。フィクションの作品からとるのもなんだがジョナサン・スウィフトの「ガリヴァー旅行記」を参考にする。この作品には不死人間「ズトラルドブラグ」が登場している。念のためいっておくが「ズトラルドブラグ」は「不死」なだけで、「不老」ではない。死なない代わりにいつまでも老い続けるという人物である。寿命が有限である人間にとっては理想的な存在なのだが、「ガリヴァー」では決してそうではなく、むしろ悲惨な人生であったという。彼らが住んでいるイギリスでは人権が守られるのは80年と一生涯ではない。つまり80年たったらもう、死んでいると扱われてしまうのである。生きながらえることによる苦しみもある。本章を読んで私はそう思った。

人の寿命を延ばす技術は進歩を続けている。元々縁起物でも「長寿」は宝としてあがめられていた時代があった。しかし、科学の進歩によってそれが現実味を帯びてきたとき、はたして人生とは何なのか、死とは何なのかというのを本当に考えなくてはならなくなる時代が必ずくる。本書は長寿化している今だからでこそ出るべくして出た一冊、と私は思った。

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なぜ飼い犬に手をかまれるのか

なぜ飼い犬に手をかまれるのか (PHPサイエンス・ワールド新書)

著者:日高 敏隆

なぜ飼い犬に手をかまれるのか (PHPサイエンス・ワールド新書)

「飼い犬に手をかまれる」となると犬と飼い主の信頼関係が成り立たず、ましてや上下関係が飼い犬の方が上という状態に陥っている証拠である…と言いたいところだが、事実私は犬を飼ったことがないので「飼い犬に手をかまれる」と言われてもピンとこないが、ある程度は理解できる。実家にオカメインコを飼っているくらいである。その「ある程度理解できる」といったのはこのオカメインコのせいかもしれない。指を近づけようとするならその指を攻撃しようとする。しかも冬場はこたつの中で暴れ、足の指を怪我したことさえある。凶暴なのかと思いきや実に人間くさく、自分も取りと思っていないのだから変なオカメインコだなとつくづく思う。
私情はさておき、本書は犬に限らず、様々な生物の心理について迫っている。

第1章「動物たち それぞれの世界」
ちなみに言っておくと本書は、動物の生態について疑問に思いながらも一つ一つ解決するというエッセイ集である。また本書はそれぞれの新聞で連載をもっていたものを単行本化したものであり、本章は中日新聞の連載(2001年初頭〜2003年末)をまとめたものである。
著者は少年時代から様々な動物に興味を持ち、それがきっかけとなり昆虫学者・動物行動学者の道を志したのだろう。

第2章「動物の言い分、私たちの言い分」
本章は京都新聞の「天眼」というコラムに連載されたもの(2005年2月〜2007年7月)をまとめている。前書きにも書いてあるが論説色が強いところであったため、動物よりも時事的な事柄をリンクしながら書いてある。時事的なことに興味を持つ人でも、虫などの動物に興味を持ち始めることができ、元々興味を持っている人でも時事的なことが等も絡んでいるため、時事的なこととにも興味を持つことができる。「一石二鳥」のコラムと私は思う。

「昆虫学」や「動物学」としての考察であくが強くなりやすいのだが、本書はエッセイ集となっているためそのようなものはほとんどない。むしろ著者の興味をありのまま書かれている印象だった。それだけに動物や虫をお歌の示唆というのがありありと伝わってくる一冊である。

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環境を知るとはどういうことか

環境を知るとはどういうことか (PHPサイエンス・ワールド新書)

著者:養老 孟司 岸 由二

環境を知るとはどういうことか (PHPサイエンス・ワールド新書)

神奈川県三浦半島に存在する「小網代」。本書の著者(2人+α)は小網代の自然の中で何を得てきたのだろうか、両者は小網代を通じて何を考えさせられたのだろうかということについて虫取りを行いながら、対談を行った一冊である。

第1章「五月の小網代を歩く」
五月はちょうど梅雨に入る少し前、夏日になる日もあり、寝苦しくなりだす時でもある。
本章はこの「小網代の森」を探検しながら、様々な生物と出会うという所である。読みながらあたかも小網代の森を探検しているような錯覚に陥る。
ちなみに本章のも普通の新書と違い、様々な生物のカラー写真が掲載されている。そのためか新書を読みながらでも自然と戯れているような感じであった。

第2章「小網代はこうして考えられた」
著者の一人である岸由二氏は長年小網代の環境保全活動を続けてきている。それと同時に鶴見川の環境保全の活動も行っており、本章で岸氏はそれに対する思い入れをぶつけている。
もっとも岸氏は養老氏の前書きに記しているとおり、あまり著書が存在しない(とはいえど数冊は書かれている)。
岸氏は幼いころから鶴見川流域に暮らしているというから、それに対する思いは強いというのが窺える。

第3章「流域から考える」
本書は生物学と言うよりも「地学」の領域であり、社会系学問でも「地理学」と言うのが存在するが、それも少し触れられている。
本書の副題にある「流域思考」であるが、その中で「流域」とは一体何なのかと言うと、
「ある川が降水を集めている範囲。また、川の流れに沿った両岸の地域。(goo辞書より)」
と定義されている。海から枝葉のように川が分岐されるが、その本流に当たるか分から支流の末端までの面積のことを指している。面積の広さではアマゾン川流域が世界一であり、日本では利根川流域がトップである。
本流から枝葉のように分岐しながらも、様々な知識や考えを集め範囲を広げる思考のことを「流域思考」と言う。

第4章「日本人の流域思考」
前章で述べた流域思考のもとに日本はどうなのかについての対談である。日本の流域思考は「西高東低」の傾向にあるというがスケールの大きな考えができるかどうかという所からみているようだ。

第5章「流域思考が世界を救う」
「流域思考」というと「思考術」と考えの人もいるかもしれないが、本書ではあくまで「地理学的思考」と言う所で捉えているため、ビジネスにおける思考力ではないということは釘を刺さなければならない。
さて、本章のタイトルもスケールの大きなものであるが、流域単位で、経済や環境にまつわる対策を行えば世界は救われるという。
流域の如く、鶴見川の話から昔の河川や森に至る話まで枝葉に分かれているところを考えると、考え方も「流域」と言える(良くも悪くも)。

第6章「自然とは「解」である」
自然には様々な生物が存在する。その自然の中で人は何を見つけて行くのだろうかという研究も行われており、木々の成長、人の進化といったものは論理づけられながら考察を行ってきた。しかし養老氏はそうではなく、自然には育っていった「解」があるからでこそ、ありのままの自然に触れるからでこそ見えてくるものがあると主張している。

環境を知るのは一筋縄ではいかないように思える。文献でなければ分からないものもあれば、フィールドワークによってはじめてわかるものもある。今日の「環境」の知る難しさと同時に楽しさ、大切さを知ることのできる一冊であった。

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最新ケータイを支える技術 ~超薄型・高性能の裏側をのぞく

最新ケータイを支える技術 ~超薄型・高性能の裏側をのぞく (テック・ライブ!)

著者:西田 宗千佳

最新ケータイを支える技術 ~超薄型・高性能の裏側をのぞく (テック・ライブ!)

技術評論社 傳様より献本御礼
インターネット技術に匹敵、あるいはそれを上回るかのように携帯電話の進化も早い。アプリなどの技術のみならず形も薄型であり、性能も飛躍的に高まっている。技術で言ったら確実に世界でもトップクラスと言ってもいいが、なぜか海外進出は行っておらず、ノキアやLGといった外国企業がしのぎを削っている中、マーケティング的に「ガラパゴス化」している携帯電話業界の現状がある。
湿っぽい話はここまでにしておいて、マーケティングで劣勢であるものの技術では世界的にもトップクラスである携帯電話の技術。本書はその裏側について電化製品を追い続けてきたジャーナリストが迫っている。

1章「携帯電話はこうして作られる――商品企画から内部構造まで」
携帯電話は現在あるだけでも数えきれないほど、種類がある。どれも薄型であり、通話だけではなく、カメラやワンセグなど様々な用途で使うこともできる。もはや「携帯電話」から電話機能の域を超えた「ケータイ」へと進化をしていった。
それだけに携帯電話に組み込まれている機械・機能のレベルは高く、「職人芸」とも言われるほどである。また使われる材料の中に「レアメタル」も含まれており、材料の希少性からか、ほとんどの新品はかなりの額である。それについては5章で詳しく述べることにする。

2章「感性を揺さぶる「デザイン」と「機構」の秘密――こだわりと技術の狭間で」
日本の携帯電話の特徴の一つとして「デザイン」の独特さと、色のヴァリエーションが多様であるところにある。
デザインの中でも「薄型」は日本における携帯電話の魅力であるが、薄さとともに耐久性を求めなければならないため、本章の前半ではこれに関しての苦労について書かれている。
後半はカラーヴァリエーションだが、ソフトバンクで発売されている携帯の秘話が中心である。私はDocomoユーザーであるためソフトバンク携帯はあまりわからないのだが、本章で紹介されている携帯では10にも20にも及ぶカラーヴァリエーションがあると言うから驚きである。

3章「手の平に最先端を詰め込む技術――「省電力」と「高性能」のせめぎ合い」
「省電力」と「高性能」は相対する。省電力を意識したら、性能は上がらず、性能を上げるとなると、消費電力もそれだけかかる。それを両方行うのだからどのような試行錯誤であったのか知りたくなる。
日本で約1人1台所持していると言われており、もはや「当たり前」となっているものだけに、「当たり前」にさせるべく、液晶や異常な操作、さらにはカメラなど課題が山積かつ難題であったことが伺えるところである。
普段手のひら、もしくはポケットに当たり前のようにある携帯電話だが、その中身は世界最先端の技術の固まりである。中国では技術の進化に追いつき、追い越すために日本の携帯を分解しているというニュースもあるがそれ故なのかもしれない。

4章「ソフトウェアが全てを決める――「開発効率」と「新機能」の矛盾を超えて」
ハードの技術も速いテンポで進化を遂げているがそれ以上にソフトの技術もめざましい。特にインターネットが携帯電話から使えるようになってから技術は進化を遂げるとともに小回りの利くものにまでなった。それ故かSEではプログラム構築の後にバグ発見・回収のためにテストを行うわけであるがその量が膨大になったことも本章で言及している。技術的に繊細さを求められるようになった所以である。

5章「変化と成長を生み出すもの――ケータイの進化とグローバル化」
2009年の秋にiPhoneが日本で発売されてから携帯電話業界は大きな転機を迎えている。それはこれまで海外のことについて目を向けなかった業界に黒船がやってきたように、iPhoneの技術が携帯電話業界を食らいつくしていくのか、それともiPhoneを凌駕した技術が誕生するのかという分岐点にたっているからである。これまで世界最先端としてきた日本における携帯電話の技術であるが、それが足かせになり始めており、技術の停滞とともに、価格高騰が進んでいる。携帯電話の技術は最高であれど、世界に波及しない理由、それは「価格」も要因の一つなのかもしれない。

携帯電話の中身やそれを創る現場の声は、なかなか聞くことができない。めまぐるしく変わる中でどのような試行錯誤をこらしながら、進化を遂げていったのかがよくわかる一冊であった。

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究極のテレビを創れ! ~感動に挑む絵づくり職人たち

究極のテレビを創れ! ~感動に挑む絵づくり職人たち (テック・ライブ!)

著者:麻倉 怜士

究極のテレビを創れ! ~感動に挑む絵づくり職人たち (テック・ライブ!)

技術評論社 傳様より献本御礼
テレビの歴史は長く1911年、帝政ロシアの科学者、ボリス・ロージングによってブラウン管を使った通信技術、すなわちテレビシステムの特許を取り、初めて送信実験を公開した。そういえば地デジ完全移行が2011年7月24日である。公の場でTV電波の送受信が行われてからちょうど100年となる年に完全移行という因果があるとは、と驚きを隠せない。
1世紀にわたる間、TVは多くの進化を遂げ、ブラウン管から液晶へ、そしてプラズマTVや有機ELのTVまでになった。本書は進化を続けるTVをつくる、より高画質のTVをつくるため日夜挑んでいる職人たちの軌跡について書かれている。

1章「「人の思い」を形にする挑戦」
液晶テレビが誕生したのは90年代後半になってから、それまではブラウン管が主流であった。むしろ家庭ではブラウン管しかなかったといってもいいかもしれない。
それまでブラウン管に甘んじていたかというと、そうではなかった。ブラウン管に変わる技術を試行錯誤重ねたが実用化されることがなかったものもたくさんあった。
もっともブラウン管も、ノイズの除去や解像度の改善といった進化を遂げていた。

2章「液晶パネル高画質への挑戦」
液晶ディスプレイが販売され始めたのは1982年であるが、実用化されるまで時間を要した。ブラウン管であれば発行性を要するだけであったのだが、液晶パネルでは光(バックライト)を受け取って画像にさせる仕組みだったため、長時間着光に耐えられるものでなければ実用化が不可能であった。光に耐えられる液晶の開発を試行錯誤の上で行い、ついにTVの薄型化で大きな進化を遂げた。

3章「プラズマパネル超高画質への挑戦」
次なる進化は「プラズマ」への挑戦だった。液晶パネルが十分市場に出回り次ぎなる技術が必要だったからである。
本章では松下電器産業(現:パナソニック)の「パイオニア」というプラズマテレビの開発について迫っている。

4章「デジタルの力が起こした画質革命」
よくTVを宣伝するCMにおいて「ハイビジョン」や「高画質」という言葉が乱舞している。TVを創る人々は、ビット・コントラスト・色彩のこだわりが如実に表現される。5章も「絵づくり」に関してであるがそれの序章の感じをにおわせるところでもある。

5章「絵づくり職人が生み出す画質マジック」
もっともスペックといった話はパソコンなど「使う」機械によって言われるせいか、TVではそのような言葉はでてこない。むしろ4章で述べたように「画質」といった技術と言うよりも、画家のようなセンスが鍵を握っている。よりリアルに近づくために、日夜画質と戦っている。

6章「ニューデバイス「究極の高画質」への挑戦」
日夜画質と戦っている中で新たな形のTVも次々とでてきている。最近でいったら「有機EL」のTVがある。これは携帯電話のモニターで使われていることがほとんどであり、薄型でありながら自らも発光性を持つ。そのことにより液晶より画質がきれいでありながら省エネもでき一石二鳥といえる。しかし重大な欠点があるのは大型になるほど画像にムラができることにあった。「有機EL」のTVが開発され始めたのは98年頃、ちょうど携帯電話がポケベルやPHSに代わり隆盛し始める頃からであった。そのころから画面のムラをなくすなど進化を遂げ、ついに一昨年、世に出回り始めた。

7章「近未来のテレビテクノロジー」
これまで様々な形で画質とともにTVは進化してきた。これからはどのような進化を遂げるのか。2011年の地で次完全移行後のTVはどうなっていくのか、放送のスタイルとも合わせて興味深いところと言える。本章では近未来でありながらも実現の近い「4K×2K(4000×2000画素)」という高画質をはるかに凌駕するものから、3Dテレビなど昔「おとぎ話」や「夢のまた夢」と言われていたものについて取り上げられている。今の進化を見て行くとこれらの技術が現実のものとなるのは時間の問題かもしれない。

日々進化を続けるTV、その裏では「職人」の息吹が芽生えている。世界最先端と言われる日本の工業技術はいまだ衰えを知らない。本書を読んでそう思えた。

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