美容院・美容室・ヘアサロン・理容室・理容院向けの税理士

下のバナーのクリックをお願いします!

  • ブログランキング【くつろぐ】
  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ビジネス書書評ブログリング

AddClips

ブックマーク

RSS登録もどうぞ

検索ワード

そのほかのバナー

  • 携帯アクセス解析
  • あわせて読みたいブログパーツ

北海道新聞

無料ブログはココログ

書評の部屋(人文)

記念日の創造

記念日の創造 記念日の創造
藤原 辰史 佐野 誠子 石川 禎浩 小関 隆

人文書院  2007-05-30
売り上げランキング : 204917

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

そろそろゴールデンウィークを迎える。毎日のように仕事をしている自分自身にとってはあまり関係のないことであるが、定期的に休みがとれる人であれば、これ以上の連休は年末年始をのぞいて存在しない。
その「ゴールデンウィーク」は祝日や祭日がいくつか組合わさったことによって「連休」となった。
「祭日」や「祝日」は「記念日」となるのだが、その記念日はたとえば、国として定まったもの、あるいは独立などが起こったとき、あるいは大統領や天皇といった方々の誕生日を表されることがほとんどである。
その「記念日」はいかにして作られたのか。本書は様々な国の「記念日」をもとに考察を行っている。

<記憶を造形する命日>
イギリスの政治家であるベンジャミン・ディズレーリについてを取り上げている。その日(4月19日)は「プリムローズ・デイ」と呼ばれている。これはディズレーリがプリムローズ(サクラソウのこと)を好んでいたことからあらあわしており、当時の英国女王であったヴィクトリア1世が宮廷の庭に咲いていたプリムローズの花をディズレーリに送った、という説も存在する。

<大地に軍隊を捧げた命日>
ドイツでは9月29日に「聖ミカエル生誕の日」が存在する。その9月29日のあとにくる日曜日に「収穫感謝の日」という記念日がある。
この記念日は1934年、ナチスドイツが「ドイツ農民の日」を国家称揚のために「収穫感謝の日」と名付けたことが始まりだった。
その日には、必ず「収穫感謝祭」を大々的に行ったのだという。

<中国の祭日と死者を巡る物語り>
日本の祝日の中には中国大陸から伝来しているものがある。最初にゴールデンウィークについて書いたのだが、その中の一つである5月5日は「こどもの日」と呼ばれているが、別名「端午の節句」と言われている。この「端午の節句」は中国大陸の春秋戦国時代からきている。
また、3月3日は日本では「ひな祭り」であるが、中国大陸では「上巳の日」と言われており、清めの行事が行われる日であったという。

<思い出せない日付>
現在の中国には春節や端午の節句をはじめ、様々な記念日があるのだが、中でも7月1日を本章では取り上げられている。
その日は「中国共産党 第一回全国大会」が挙行された日である。今から82年前の1921年の話である。そのときは孫文ら中国国民党が支配し、「中華民国」が建国された時代である。当時の中国共産党は数十人程度しかおらず、中国大陸の人々もその存在すら知られていなかった。現在では史料として残っているのだが、その多くは改竄されており、どのようにして成り立ったのか、正確な史料がほとんど存在していないのが現状である。

日本にも様々な記念日があるのだが、世界と裾を広げてみると、1年366日がすべて「記念日」で埋め尽くされるほど多い。その記念日は人の死や国家称揚のために定められたが、どのように作られたのか不明なものまである。本書はその一部であるが、記念日の縮図として大いに理解できる一冊といえる。

進化

進化 進化
山本 昌 山崎 武司

あさ出版  2013-04-04
売り上げランキング : 137091

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

あさ出版 吉田様より献本御礼。
かつて野球界で鉄人と呼ばれていた人は何人か存在する。衣笠祥雄(広島)金本知憲(広島→阪神)がその例である。現役歴は20年そこそこだったが、連続試合出場、もしくは連続フルイニング出場という意味合いから取り上げられている。
「鉄人」とは呼ばれていなくとも、本書の著者である中日の山本昌と山崎武司はともに「現役最年長」の記録を更新し続けている。とりわけ山本昌は1983年の入団から約30年にもわたって現役を続けており、現役・引退・架空の人物全て含めて現役歴の長い選手は「あぶさん」こと景浦安武くらいであろう。
約30年もの現役生活を続ける秘訣、自分自身の役割、そして「引き際」について両者の考えを示し、「継続力」そのものを体現したものが本書である。

第1章「「心」を強くする~折れない心を保ち続ける」
武道における要素として「心技体」がある。プロ野球でもそれに通ずるものがあるとして、第1章~第3章まではその「心技体」一つ一つを紹介している。
最初は「心」、いわゆる「心構え」である。
練習に取り組む姿勢、失敗を活かす方法、結果を出し続けることなどについてそれぞれの意見を主張している。

第2章「「技」に磨きをかける~体の衰えをカバーする頭と経験」
両者は技術を「維持する」、もしくは「磨く」、場合によっては「変える」こともある。
本章では長年重ね続けていた「技術」についての考えを示している。
第3章「進化する「体」~ベテランと呼ばれてなおの伸びシロ」
入団してから数年は体力をつけることができる。しかしそれ以降は年を重ねていく度に体力は衰え続ける。その「衰え」と戦いながら「伸びシロ」を見つけ、伸ばしている。その「衰え」の中には「怪我」が存在しており、その怪我との戦いもまた「自分との戦い」の一つとしてある。

第4章「「充」モチベーションを保ち続ける」
モチベーションを長年維持し続けることは非常に難しいことである。
著者のご両人はチームメートや監督、さらには趣味や験担ぎなどによって維持したり、向上したりしている。本章ではモチベーション管理についての考えを明らかにしている。

第5章「「和」組織との付き合い方、役割の変化」
野球は1人ではできない。最低でも9人は必要である。さらに言うと監督やコーチ、さらにはベンチ要因からファームなど挙げてみるときりがないほどの人数によって支えられている。
その「支え」が組織であり、求められる「和」の力となる。本章ではベテランの領域においての「和」の重要性についてそれぞれの立場から説いている。

第6章「「退」どんな引き際を迎えるのがいいか」
著者のご両人は既に「引退」という二文字が見え隠れする時期に入っている。その「引退」という二文字を意識するとき、いつまで続けるのか、どのようなやめ方が良いのか、そして今どうあるべきか、それぞれの考え方は異なるが、本章ではその「異なる」考え方について展開している。

長年にわたりプロ野球界に携わり、そして今もなお活躍し続けている。現状維持ではなく、体力の衰えや若手の台頭と戦いながら今もなお「進化」を続けている。進化を続け、「現役最年長」という状況になっても満足せず、それでも引き際を考え、悩み続けている二人の群像を本書では映し出している。

親のこと、私のことをノートに綴る 47歳からのエンディングデザイン

親のこと、私のことをノートに綴る    47歳からのエンディングデザイン (角川フォレスタ) 親のこと、私のことをノートに綴る    47歳からのエンディングデザイン (角川フォレスタ)
若尾 裕之

角川学芸出版  2013-03-23
売り上げランキング : 53855

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

最近「就活」ならぬ「終活」が週刊誌を中心に取り上げられている。「終活」とは簡単に言うと、「死に方」「葬式」「墓」などのデザインを自分で行う活動のことを指す。「人生の終わり」というと、老境に差し掛かったときに準備をしたら良いのでは、という意見もあるが、いつ死ぬのかわからない。
そのことを印象付けられたのが「東日本大震災」である。明日大きな災害が起こるのかわからないし、そうでなくとも明日死ぬかわからない。
わからないからでこそ、今からでも人生の終わりについて真剣に考える必要がある。そこに本書がある。本書はその人生のエンディングデザインについて、人生の折り返し地点である、47歳からのエンディングについて取り上げているが、47歳に達していない人でも、その年齢を越えても役立つ一冊である。

第1部「そろそろ親のことを考えなきゃ」
第1章「新人類も避けて通れないこと」
人はいつか死ぬ。最初にも書いたように明日死んでもおかしくないと言っても過言ではない。だからでこそ「備え」としての終活は必要である。

第2章「お父さん、お母さんへの感謝の言葉」
当たり前のことだが、父と母の存在がなければ、自分自身は生まれていない。
「産んでくれてありがとう」という言葉だけでも感謝の言葉になる。これは死ぬ前でも、生きているときでも同様である。

第3章「まずは親のエンディングを考える」
親より先に亡くなることもあるのだが、大概は親が先に亡くなる。
その際に親のエンディングがどうであったか、どのような「終活」を行ってきたか知る必要がある。

第4章「お墓を建てるなら」
先祖代々続く墓があれば、本章のことを考える必要はないのだが、自分の代でお墓を建てるのであれば誰とはいるのか、デザインなど様々な観点から考える必要がある。

第5章「最期の瞬間まで美しく元気でいて欲しい」
最期の瞬間はどうありたいのか、ということを考えることはなかなかない。今あるときを一生懸命働いて、いざ退職すると、何もかも失うことになり、老け込み、惨めな最期を遂げてしまうこともある。本章ではその最期の瞬間まで元気であることの重要性とその実行法について取り上げている。

第2部「自分自身のエンディングデザイン」
第1章「自分のエンディングを考える」
この第2部では自分自身のエンディングの描き方について取り上げている。まずは自分自身の人生を振り返り、これまでの道をどう辿ったのかを振り返る。

第2章「自分のエンディングを考える意味」
その振り返りとともに「どのような死に方か」「何を残して死ぬのか」「もし人生最後の日だったら」という問いを考えることの意味について紹介している。

第3章「47歳からの意味」
本書のタイトルは「47歳」と設定してある。その意味を本書では紹介しているが、働き盛りの時から、後継者への後継ぎが始まる時の頃である。

第4章「あなたらしい生き方って何ですか?」
本章のタイトルのことを自分自身に問う。その上で何かやり残したことはないのか、そしてこれからやりたいことは何か、ということが見える。そしてそれを実行することによって多かれ少なかれ「変わる」きっかけになる。

第5章「相続をどうする?」
自分自身がこの世を去ったとき、必ず来るのが「相続」である。これは親の時でも同じであるのだが、その「相続」をめぐって争う、俗に言う「骨肉の争い」の状態に陥り、裁判になることさえある。
その相続についてどうするべきかを、相続税も含めて取り上げている。

第6章「子どもと配偶者に伝えたいこと」
自分が描いたエンディングを実行するのは子供や配偶者にある。それを見せるだけではなく、自分自身の死に方を見せるとともに、子供や配偶者にも一緒に考えるきっかけになる。

人はいつか死ぬ。それは避けようのない事実である。死と隣り合わせの状態で生きている中で、自分の人生はどうありたいのか、そして自分はどう死にたいのか、そして自分の死語どうありたいのか考える必要がある。
本書は死ぬ準備の側面もあれば、自分自身の「死」を考えつつ、生きることを見出す格好の一冊である。

1年以内に理想の自分で理想のパートナーを引き寄せる魔法のレッスン

1年以内に理想の自分で理想のパートナーを引き寄せる魔法のレッスン 1年以内に理想の自分で理想のパートナーを引き寄せる魔法のレッスン
澤口 珠子

かんき出版  2013-04-17
売り上げランキング : 9573

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

「婚活」という言葉が誕生して4~5年ほど経つ。既に社会的地位を築いた存在になったのだが、その婚活を行っても理想の相手を探すことができない。その原因として容姿や中身を含めて自分に自信がないと言う人もいる。さらに婚活が成功したとしても長続きせず、結婚して幸せな糧を築くことすらできない人もいる。
そのような方々のために著者は「国際イメージコンサルタント」として悩める女性の方々のために、理想の男性を引き寄せるメソッドを「レッスン」という形で紹介している。

第1章「プリンセスマインドレッスン」
自分自身どうありたいのかという「マインド」、つまり「心構え」を伝授しているところである。理想の自分や相手選び、人間関係、モチベーション、内外問わずの「自分磨き」など様々なメソッドが本章には収録されている。
「人脈術」に近いものであるのだが、あくまで「理想の自分」を「プリンセス」と見立て、それに近づかせるためのメソッドである。

第2章「愛されコミュニケーションレッスン」
「コミュニケーション」と言っても、「質問をする」「話を聞く」「声をかける」と言ったものがある。それらの方法を工夫することによって相手を引き寄せ、信頼関係を築かせることができる。
本書はあくまで「理想の男性」に出会い、引き寄せ、信頼を得ることを前提としているが、職場でも「愛される人」を目指すのであれば本書の内容を上司や部下と言ったものに置き換えることもできる。

第3章「キラキラ女子力アップレッスン」
「女子力」と一重に行っても中々わからない。「外見力」「人間力」「魅力」「地力」など様々な「力」を総合した女子の力として「女子力」を定義している。
外見を変えることとして「衣装」や「肌」などを良くすることによって中身も変わってくるのだという。本章ではその「女子力」の鍛え方について伝授している。

理想の自分になる、そして理想のパートナーに出逢うための一冊であり、本書は婚活や恋愛、結婚のための一冊であるが、「仕事は「恋愛」である」と言う言葉にもあるように、仕事の場でも役立つ内容のある一冊である。

「いい文章」ってなんだ?~入試作文・小論文の思想

「いい文章」ってなんだ? 入試作文・小論文の思想 (ちくま新書) 「いい文章」ってなんだ? 入試作文・小論文の思想 (ちくま新書)
石川 巧

筑摩書房  2010-06-09
売り上げランキング : 533688

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

私は書評で文章を数多く書いている。文章の量は多く、さまざまなことを書く。
書いていく中で「悪い文章だな」と思ってしまうことも多々あり、自分自身も「本当に投稿して良いのか」という疑問さえ起こしながら、毎日ブログにUPしている。

「いい文章」とは何か?

それは今、このブログを書いている自分自身にとっても永遠の課題のごとく問いかけながら、文章術に関する本も読み漁っている状況にある。
本書ではその疑問について「入試作文」や「小論文」の歴史とともに、「いい文章」の基準を考察している。

第1章「教養か、実用か?」
最近では「分かりやすい」「論理的な」文章が重宝されている状況にある。
確かに腑に落ちる、もしくはすんなり理解できる文章であるのだが、果たしてそれが全てなのか。そもそも「文章」とは何なのだろうか。
本章では「文章」そのものの位置づけがいかに変化をしていったのか、あるいは作文や「文章」そのものの「型」がいかに変化していったのか、本章ではそのことについて考察を行っている。

第2章「ありのままの「自分」を語れ!」
結局のところ文章そのものの根幹は、本章のタイトルの通りである。自分自身もこのように書評をしているのだが、本の中身について章ごとに、自分の思ったことをそのまま書いている。分からないことがあれば調べたことをありのまま書いている。
「分かりやすい」と言われたことはあるのだが、あくまで著作権に触れない範囲で、自分自身の思ったことを書いているので、「分かりやすい」を意識したことがない。

第3章「戦争と作文」
戦前の教育から「作文」という形で「書く」授業は存在した。その中でどのような書き方を教えられたのだろうか。本章では書き方だけではなく、「紙」と「鉛筆」の普及も含めて言及している。

第4章「小論文、登場!」
大学受験、あるいは大学の講義などで「小論文」を求められることがある。大学受験ではそういった試験を受けることはなかったのだが、大学の講義では小論文をもとめられることが度々あり、締め切り前にはいつも徹夜になるまで書いていたことを思い出す。
自分の考え方や主張を述べる文としてある小論文はある種の「適性検査」として扱われるようになってきた。

第5章「小論文幻想」
その「小論文」はどのようにして評価されるのだろうか。一例を挙げてみると、

・「読み書き能力」が身に付いているか
・受験生の主張と学校の考え方にソゴがないか
・特定の学問について十分な知識と考え方が備わっているか

と様々である。その小論文は根幹である考え方がしっかりしても、文章の組立がめちゃくちゃになったり、文章量が足りなかったりすると減点される、場合によっては不合格になることさえある。

第6章「ねばり強く考えるための小論文教室」
小論文教室は何を教えるのか、というと、文章として理解できる文章であることと、論文の題目を元に、自分自身で考えたのかを軸に添削をしているのだという。

「文体は思想の衣である」

哲学者・詩人であるルキウス・アンナエウス・セネカの言葉である。自分自身の文章も自分が思っていること、考えていることをありのまま記している。その文章を書くためには様々なことを考え、それを生み出すことで、自分自身の「文章」を表すことができる。文法や「型」はそれをきれいにするための「整理」に過ぎない。

ケーキの歴史物語

ケーキの歴史物語 (お菓子の図書館) ケーキの歴史物語 (お菓子の図書館)
ニコラ ハンブル Nicola Humble

原書房  2012-03-19
売り上げランキング : 235684

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

男女問わずスイーツが人気を呼んでいる。
そのスイーツの代表格として挙げられるのが、本書で紹介する「ケーキ」である。
私も甘いものは好きであるが、ケーキ自体は誕生日とクリスマスといった「記念日」にしか食べない。その理由は単純に食べるきっかけがないから、としか言いようがない。
それはさておき、ショートケーキと言ったオーソドックスなものから、ノエルなど様々なケーキが存在しており、まさに「色とりどり」のケーキが楽しめるようになってきた。
そのケーキはどのような歴史をたどってきたのか、あるいは世界にはどのようなケーキが存在するのだろうか。本書は「ケーキ」にまつわる様々なことについて取り上げている。

第1章「歴史とケーキ」
ケーキそのものの歴史は非常に古く、判明しているものとして紀元前400年頃の古代ギリシャや古代ローマで食べられていた壁画が存在している。
そのケーキのルーツは「パン」であり、古代から近代にいたるまで「パン」と「ケーキ」は同一視されていた。
たしか「パンケーキ」というのも現在に至るまであるのだが、その原型がすでにできていたのかもしれない。

第2章「世界のケーキ」
古代ギリシャやローマから始まったケーキであるが、近世にかけてヨーロッパ全土に広がっていった。そのヨーロッパ大陸における「ケーキ」の文化は手を変え、形を変え、国それぞれの形が存在する。本章ではヨーロッパ大陸を中心に歴史上に登場したケーキなどを紹介している。

第3章「家庭で作るケーキの文化」
料理好き、ケーキ好きの方の中には、ご家庭でケーキを作っているかたもいることだろう。
その家庭でケーキを作るのにも文化が存在しており、本章で紹介されているのが「イギリス」、とりわけ「エリザベス一世」の絶対王政の時期である。
ただ、第1章でも書いたようにそのときは「パン」を作る傾向が強く、本当の意味で「ケーキ」を家庭でつくるようになったのは19世紀後期になってからのことである。

第4章「ケーキの儀式、その象徴性」
ケーキの形は様々であるが、多くは円柱状のもの、あるいは四角柱のものもあれば、ノエルのようにあたかも「俵型」のようなケーキも存在する。
私事でも書いたのだが、よくケーキが作られ、食べられる時は「誕生日」などの「記念日」が多い。
では、なぜ「記念日」にケーキが食べられるのだろうか。その要因として誕生した国々の「風習」として生まれ、それが日本などの他国に伝藩していったという。

第5章「文学とケーキ」
近代文学作品にもケーキは多く取り上げられている。代表的なものとして「赤毛のアン」や「失われた時を求めて」「不思議の国のアリス」などがあげられる。
また取り上げられている作品でも「食べられる」ケーキ、「お飾り」のケーキとして扱わたり様々である。

第6章「ポストモダンのケーキ」
「ポストモダンのケーキ」として代表されるもで「カップケーキ」が取り上げられている。「カップケーキ」というと市販されているものでも100円ほどで売られているものがある。ほかにもマドレーヌやタルトなどカップ状のものを使われたケーキもある。

食べものには様々な歴史や文化があるとおり、ケーキも歴史は長く、様々な文化や風習が取り入れられ、現在のように「色とりどり」の存在になった。食べられ方や風習もまた長い歴史のなかで醸成されていったことを本書で教えてくれる。

本書を読めば甘いケーキも深みがでてくる・・・かもしれない。

一瞬で魔法使いになる方法。

一瞬で魔法使いになる方法。 一瞬で魔法使いになる方法。
ハウル沢田

サンマーク出版  2013-03-05
売り上げランキング : 1305

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

皆様は「魔法使い」の存在を信じるのだろうか。
信じる人もいれば、過去の歴史の産物、あるいは空想のものと答える人もいることだろう。
私も、歴史上の産物として「魔法使い」は存在したが現在はいない、と答えるだろう。
しかし、本書で紹介される著者は「魔法使い」である。しかし彼が生み出す「魔法」は自分自身の中にあるものを生み出し、手ばなすことができる。
さて、その「魔法」とは何か、そして「魔法使い」の著者はどのようなことをもたらしてくれるのだろうか。

第1章「あなたの願いは何ですか?」
本章のタイトルを自ら問いかける。
それが見つかる人もいれば、見つからない人もいることだろう。それが見つかったとしても「それは叶えられるのだろうか?」と疑いさえする人もいるのかもしれない。
その「疑い」こそ「妨げ」であり、その「妨げ」もまた「願い」によって作られているのだという。「壁」を作ったり、「不幸」を演じたりすることもまた、それぞれの「願い」によって作られる。

第2章「古い魔法を手ばなす」
「古い魔法」とはいったい何なのだろうか。それは簡単にいうと「思い込み」「偏見」といった自分自身の経験によって醸成された考え方である。想像する「未来像」も「現在像」にしても全て「過去の経験」や「過去の考え方」によって作られたものである。
「手ばなす」べき古い魔法、それは「過去」によって作られた価値観や考え方そのものである。

第3章「現実はファンタジー」
背反しているようなタイトルであるのだが、現実の受け取り方によってネガティブに映るもあれば、ポジティブに映ることもできる。
その現実を華やかにするためには、第2章にあるように「古い魔法」を外すことにある。
しかしいくらポジティブになっても、身内の不幸などによりどうしてもネガティブに陥ってしまうこともある。その時は素直に悲しんで、引きずらないことが大切であるという。

第4章「しあわせな魔法使いになる」
「しあわせな魔法使い」になること。
それは第1章~第3章まで紹介されたものを全て行うことによって、魔法使いになる事ができる。
簡単に言えば「固定観念」や「偏見」「常識」を捨て去ることによって、新たな価値観を磨いてゆくことができ、それが「良い意味で」今まででは考えられないような結果となって返ってくる。

「魔法」

それは私たちの中にある感情である。それが「勇気」や「希望」、ネガティブなもので「嫉妬」や「躊躇」など様々である。その「魔法」をコントロールするのはあなた次第である。
そしてコントロールできる人々は、全て「魔法使い」になれる。そしてその「魔法」で思いもよらぬ奇跡を生み出すこともできる。

著者はその「魔法」を今日も伝え、「善い魔法使い」を作り出そうと行動を続けている。

酒育のススメ

酒育のススメ 酒育のススメ
魚柄 仁之助

家の光協会  2006-05
売り上げランキング : 362380

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

今日は年度初め、もっというと今日から社会人になる人もいることだろう。また、私も含め新たな舞台でデビューする方々もおり、色々な意味で「新しい」日となる。
そのような日になると、歓迎会などの飲み会が行われるところもあり、明日仕事なのにもかかわらず羽目を外すような人も出てくるかもしれない。とりわけ新たに社会人になるとそういった人も少なくない。
だからでこそお酒のたしなみ方も必要になるのだが、どのようなたしなみ方があるのだろうか。本書は日本酒を中心としたお酒のたしなみ方を「食育」ならぬ「酒育(さけいく)」という形で伝授している。

第1章「進化する日本酒、こんな呑み方はいかが?」
最近はビールが中心になってきたのだが、一時期日本酒を中心にたしなんでいた時期もあった。それほど多くは呑まなかったのだが、呑むと大概は二日酔いになってしまうことからあまり呑まなくなってしまった。
それでも日本酒は好きなので、日が空いたら呑みたい気持ちはある。
さて、本章の話に移るのだが、日本酒にも地酒をはじめ様々な種類があり、生産方法も違うことから味わいも異なる。日本酒にも進化がある通り、呑み方も進化している。本章ではそのことを紹介している。

第2章「自分好みの旨い酒に近づく極意はこれだ!」
呑み方は人それぞれである。
その人それぞれの呑み方は、方法によって旨くなったり、不味くなったりすることもある。どうせ呑むのであれば「旨い」酒をのみたい。そのための極意についてお酒の選び方、呑み分け方など様々な観点から紹介している。

第3章「酒を引き立てる、手軽にできる美味しい肴」
お酒だけをチビチビ呑むのも一興であるのだが、お酒のお供と言える「肴」があることによってお酒の美味しさも、数十倍~数百倍に増幅する。
その肴も季節によって異なってくる。その四季折々の肴について勧めている。

第4章「酒に愛される付き合い方と作法“虎の巻”」
酒の付き合い方もまた、酒の楽しみ方の一つである。本章ではその応用編として、酒米から酒粕に格まで酒の周りのものとの付き合い方について紹介している。
さらには酒を呑むだけではなく、呑んだ後の「二日酔い」の付き合い方、酒の贈り方までも含まれている。

第5章「思わず語りたくなる、日本酒よもやま話」
日本酒にも様々な歴史があり、その歴史の産物として 「よもやま話」もある。その歴史やうんちくなどお酒が何倍も美味しくなる、もしくは話のタネになる様な話について取り上げられている。

お酒はそのものもそうだが、雰囲気や料理、さらには仲間との会話によって美味しさも変わってくる。お酒はお酒として呑むのではなく、様々な要素が含まれて飲むことができることによってお酒の味わいも変わってくる。周りに迷惑をかけることなく節度を守ることができつつ、愉しむことこそ、コミュニケーションも円滑になり、楽しいひとときを過ごすことができる。お酒にはそのような抗力がある。

昆布と日本人

昆布と日本人 (日経プレミアシリーズ) 昆布と日本人 (日経プレミアシリーズ)
奥井 隆

日本経済新聞出版社  2012-12-11
売り上げランキング : 52974

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

昆布と日本人は切っても切れないものである。鍋のだしにつかわれることもあれば、醤油の原料に使われることもある。お茶として飲まれることもあれば、「乾物」の珍味として食べられることもある。
日本の料理の中の「核」としても愛されている存在であるが、その昆布はいかにして、もしくはどのようにして愛されているのだろうか。そして国外は昆布をどのようにしているのだろうか。本書は昆布のスペシャリストとして、昆布のイロハについて解き明かしている。

第1章「昆布が礎となった日本の近代化」
昆布は当初から、蝦夷地(北海道)の主産物の人であり、アイヌ語にも「KONPU」が挙げられるほどである。
その昆布は大坂(大阪)を経て中国大陸へと貿易の要として扱われた。江戸時代の時であり、このときは「シルクロード」に倣い「昆布ロード」と名付けられた。
この「昆布ロード」が日本の貿易や経済の近代化の糧となった。

第2章「昆布商の140年」
著者が主人として勤める「奥井海生堂」の創業は1871年、ちょうど140年を迎えた時に本書が出版された。「奥井海生堂」は当初、曹洞宗の総本山である永平寺などの寺院の御昆布司(おこぶし:昆布専門の御用商人のこと。宮内庁や寺院など御用達の商人や商店を指す)をつとめている経歴を持つ。
その140年ある歴史の中で4代にわたって御昆布司を受け継がれているが、本章ではその4代のエピソードをそれぞれ紹介している。

第3章「昆布とワインの意外な共通点」
「昆布」と「ワイン」
一見関連性が内容に見えるのだが、この2つには共通点があるのだと著者は語る。
例えば「産地」、「年季(ヴィンテージ)」などが挙げられる。

第4章「永平寺の御昆布司」
第2章にも書いたように、「奥井海生堂」は創業当初、永平寺の御昆布司をつとめている。その永平寺に御昆布司としてつとめた時のエピソードを絡めながら永平寺の歴史としきたりについて紹介をしている。その中には昆布でしか語ることのできない「食」のエピソードも含まれている。

第5章「母乳と同じ「うま味」がある」
昆布には独特の「うま味」があり、その成分は「母乳」に似ているのだという。その要因として「グルタミン酸」の含有量が来ている事を挙げている。
それだけではなく、本章ではグルタミン酸以外で、昆布に含まれている要素を紹介しながら、「昆布は体にいい」と言うことを証明している。

第6章「世界の美食の舞台へ」
著者は日本の食文化としての「昆布」の発展のみならず、昆布の良さを世界各地に伝える活動を行っている。その一つとしてフランスに行ったときのエピソードを紹介している。

一つの世界を掘り下げてみると、奥が深くなる。昆布もその例外に漏れず、昆布の種類だけではなく、年代によっても味や深みが異なることは自分にとっても新発見である。「昆布」だけでも種類や年代もあれば、それだけ使われる料理にも幅は広がる。「昆布」だけで語っても語り尽くせないほどの魅力、それが本書には詰まっている。

転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵

転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵 転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵
嵐山 光三郎

集英社  2012-04-05
売り上げランキング : 262641

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

古典は生きていく上で、働いていく上で様々なヒントを投げかけてくれる。哲学の思想にしても宗教の思想にしても、ビジネス書でも語られることの少ないヒントが眠っている。
私も古典作品をブログで取り上げ始めているが、読む、あるいはブログ上で書いていくうちに、読むのは難しいが、読めば読むほど深みがある事に気付く。
さて、本書の話に移る。本書は吉田兼好の「徒然草」をもとに人生・仕事とはどうあるべきかを伝授しているが、本書が刊行するきっかけが一昨年になくなったスティーブ・ジョブズの「伝記」を読み、徒然草と通ずる所があった所からだという。

第一章「「いま」を生きる」
私たちは過去にも、未来にも生きていない。「今」ここに生きている。
その「今」をどのように生きるのか、と言うのが後々の人生に大きな影響を与える。それは若いときでも、年老いた時でも変わりはない。
しかし私たちのようなサラリーマンは忙しさにかまけて、「今」を見つめ直すことができなくなってしまっている。

第二章「なぜアマチュアはプロに勝てないか」
将棋でも、囲碁でも、その道を究めようとするプロにアマチュアが勝つというケースは少ない。将棋に限って言えばアマチュアでもトップクラスの棋士に平手で勝ったというケースはあるが。
そういったケースは希有であり、大概アマチュアはプロには勝てない。
その理由として「慎重」にあるのだという。

第三章「会社をやめるということ」
最近では働き方や生き方などの幅が広がりを見せている。その一方で会社に勤め続けている人でも、自由にあこがれて会社を辞めてフリーランスになる人も少なくない。
会社を辞める、本章では「ドロップアウト」することと自分自身をドロップアウトをすることの違いについても述べている。

第四章「珍しきを求めて異説を好まず」
様々な所で自分の考えと違う人やものと出会う。その出会いが「珍しい」かどうかは人それぞれである。
しかし自分の考えや価値観を覆すような「珍しい」ものは求めるべきであるが、それに「好む」、寄り添った考えや価値観に傾くべきではないと吉田兼好は言い切っている。

第五章「生きていく奥義」
とにもかくにも生きづらい世の中である。
そのような世の中で生きていくには「無益」の思想が重要なものとなるという。「欲」を持たず、それでいて求めず、噂を無視し、酒を嗜むことによって生きていくことは楽しくなる。

第六章「時代のダンディズム」
「清貧」という言葉はもはや過去のものとなって言ってしまったのだろうか。華美な服装やぜいたくに対して嫌悪感を持つのだが、その一方で、他人への欲求が過剰になってしまう。他人に求めず、自らも節制を持つことによって、「善く」生きることができる。

第七章「失敗の罠」
失敗をする事の「罠」ではなく、失敗へ導くための自らの振る舞いにまつわる「罠」を本章にて指摘している。
「自分の振る舞い」というと話し方や考え方、立ち振る舞いなどがある。

第八章「無常変易(むじょうへんやく)」
吉田兼好が生きていた鎌倉時代には「無常」と言う言葉がよく使われた。「平家物語」の冒頭でも「諸行無常」が挙げられる。
「死」と隣り合わせの世界だからでこそ、それを見つめ、それが価値観としてとらえ、美学になった。

時代は違えど、「真理」はいつの世も変わらない。日本という「世の中」は、様々な変化を起こった。しかし、その時代のなかで栄えるものもいれば、落伍するものもいる。どちらも因果はあるのかもしれないが、いずれにしても「俗世」と呼ばれる世の中にとって一石を投じている一冊こそ「徒然草」であることに変わりはない。

より以前の記事一覧

2013年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

セミナー&イベント出没情報

ご意見等こちらでどうぞ

  • kuramae0712★gmail.com (注:★を@に変換してください)

Facebook

Mixiリンク

  • マイミク大歓迎。そうでない人もアカウントがあれば私のより詳しいプロフィールを見ることができます。
    mixi(ミクシィ)やってます!

ブクログ

書評ぶろぐ

著者

出版社

当ブログのレベル

人気記事ランキング