書評の部屋(人文)

自転車でめぐる東京・江戸ガイド 「地元民」も太鼓判の24コース ママチャリでGO!

自転車でめぐる東京・江戸ガイド 「地元民」も太鼓判の24コース ママチャリでGO! (オフサイド・ブックス53)

著者:ご当地かご付き自転車愛好会

自転車でめぐる東京・江戸ガイド 「地元民」も太鼓判の24コース ママチャリでGO! (オフサイド・ブックス53)

株式会社イー・プランニング 須賀様より献本御礼。
日本の首都ともいわれる東京には江戸時代から、あるいはそれ以前からの歴史が残されている。特に江戸情緒や歴史を探訪するのは私はおもしろいと思う。民俗学や歴史学についての文献をよく読んでいるため、なおさらそう思ってしまう。
さて本書は自転車で巡る江戸・東京のルートを紹介している。自転車というと経済評論家の勝間和代はよほどの事情がない限り、都内の移動は自転車を使うと言われている。カツマーと呼ばれる勝間信奉者も自転車利用をするという人も多い。
本書はかご付き自転車を利用して東京を回っていくというコースを24個紹介している。東京23区が中心であるが、歴史探訪のみならず、築地などの「食」、本郷における「文学」など「東京」における「縁」をそのまま旅をすることができるという一冊である。
仕事や家事で疲れた時の息抜きとして自転車を利用し、本書で紹介されたルートを回り、東京の魅力に触れ、そして癒してみてはどうか。

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10秒で心が癒される言葉

10秒で心が癒される言葉 (PHP文庫)

著者:根本 浩

10秒で心が癒される言葉 (PHP文庫)

株式会社イー・プランニング 須賀様より献本御礼。
言葉は様々な力が込められていると言ってもいい。ある時にはどん底にあった人生を救い、ある時は自ら座右の銘として自らの考えの軸にしたり、ある時は自分を高揚させることができたり、反面、自分を貶め、傷つけさせる言葉もある。
名言は、かっこいい響きというのもあるのだが、集めておいて、いざというときに読み返してみると、自らもその気にさせてしまう。気がついてみたら困難はいつの間にか越えてしまっていたということは何度かあった。名言は賛否両論があるとはいえ、人それぞれになくてはならない言葉というのはあるのかもしれない。
本書は名言集であるが、不安や悩み、あるいは困難に立ち向かい、自分の心が折れそうになった時に読む一冊として位置付けられている。

第1章「生きることへの不安がなくなる言葉」
人生の長さは人それぞれであるが、数十年ある人生の中で「人生について悩む」「生きることへの不安を覚える」ということは少なくない。最近では誰でも助けてくれるというわけではなく、自分の身は自分で守るというご時世になってしまい、助け舟が出にくくなったと言ってもいいのかもしれない。
では「生きることへの不安」はどこから来るのか、何からきているのかというのを突き止めればいいのだが、あまりにもあり過ぎてなかなか絞れないのが実情であろう。しかし、それを一つ一つ解き明かしていく言葉たちが本章に書かれている。

第2章「恋人や家族、大切な人との絆を強くする言葉」
人は生きるも死ぬも1人であるが誰かの支えなくしていきられないと言うのも実状である。その中には本章のタイトルにある恋人や家族、また友人も挙げられる。ではその人たちとより深める為にはどのような言葉がよいのか、ということを本章では挙げている。最近では離婚やDVによる家庭崩壊も増えているとまでは言わないが、後を絶たない。夫婦愛は悩ましい課題として挙げられているがそれを深めるためにはどうすればいいか、家族や恋愛の視点から名言が挙げられている。

第3章「仕事の悩みに効く言葉」
仕事について仕事そのものの内容、もしくは働くということについての悩みは絶えない。また仕事は次章にもある様に「人間関係」も絡んでいるがここでは「仕事」そのものについての名言が書かれている。
「働くということ」「仕事の失敗」「努力」「目標」というものが込められており、仕事に限らず、学業、さらにはスポーツに至るまで様々な場面で効用があると私は思う。

第4章「人間関係が良くなる言葉」
人間関係を円滑にするとはいっても、人それぞれ性格も、人格も、価値観も違う。そういった中でどのようにして円滑にしていけばいいのかという方法論というよりも、前半では「リーダー論」の傾向が強かった。後半になってくると「権力」や「友情」といったものが出てくる。

第5章「コンプレックスを解消する言葉」
人は誰しも一つか二つは「コンプレックス」というものを持っている。しかしそれは誰にも言えないもの、あるいはいったところでもバカにされたりすると考え、進んでさらけ出そうと考える人は少ない。しかしこのコンプレックスや弱みをさらけ出すことによってでる強さは尋常ではない。「バカ」であることをさらけ出す、弱点をすべてさらけ出す、それも一つの「強さ」である。「弱点」は直すというよりもさらけ出して、そのうえで長所を伸ばすということも大切なのではないかと思った。

私はよく名言を集める。それは自分の道に迷いがあった時、壁にぶつかった時、生きる喜びを見いだせなくなった時に読み返し、その中で自分を見出すこともでき、生きる糧にもなる。

たった一言だけれども、その一言の力は甚大である。名言はそのような力が込められている。

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ジプシー 歴史・社会・文化

ジプシー 歴史・社会・文化 (平凡社新書)

著者:水谷 驍

ジプシー 歴史・社会・文化 (平凡社新書)

皆様は「ジプシー」という民族はどのようなものを想像するか。ある辞書で調べてみると、

ジプシー(英: gypsy、西: gitano、仏: gitan)は、一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を指す。転じて、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている。元々は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した単語である。(有名な辞書より)

元々はエジプトから語源は来ているが、大概は移動をするヨーロッパ人のことを指しているが、物乞いや盗人など偏見を持たれる配慮から蔑称とされることがある。それを緩和するために「ロマ」と呼ばれることもある。この「ロマ」は北インドのことを指しており、大概「ロマ」と言われると東ヨーロッパ(ハンガリーやルーマニア)の人たちに多く使われている。本書は「ジプシー」、またの名を「ロマ」民族の歴史、そして世界中にいる「ジプシー」について紹介した一冊である。

第一章「ジプシーと呼ばれる人びと」
「ジプシー」に関する作品や芸術は枚挙にいとまがなく、歌劇でもビゼーの「カルメン」が有名である(元々小説からつくられたものである)。私は吹奏楽なのでヴァン・デル・ローストの「プスタ」という曲の方が馴染み深い。演奏をしたことはないが、中学の時には何度も聞いたことがある。

「ジプシー」の音楽の特徴として挙げられるのがリズムや強弱がたびたび変わる所にある。この曲は1楽章がそれが如実に表れている。他にもブラームスの「ハンガリー舞曲」もある(むしろこっちの方が有名かも)。
音楽の話はこれまでにしておいて、最初にも書いてあるとおりジプシーは「ロマ」とも置き換えられることもあれば、「ツィゴイナー」「トラヴェラー」と用いられることがある。「トラヴェラー」と呼ばれる位であること、「ロマ」と呼ばれることを鑑みると、「旅をする」「流浪」という言葉が妙にあう。
しかし現実では「ジプシー」の扱いは、日本でも差別用語扱い、ヨーロッパでも15世紀以降には差別の対象とされていた(現在は形式的に差別はなくなっているが、実際はどうなのかは定かではない)。

第二章「ジプシー像の変遷」
「ジプシー」と呼ばれる人々が誕生したのは15世紀鋸とである。元々はエジプトから来た民族を総称したといわれているが、これには諸説があり、18世紀にインドから来たという「インド起源説」というのも存在する。

第三章「歴史――主流社会のはざまで」
ここでは少し角度を変えて、「ジプシー」がなぜ蔑称として扱われたり、差別用語なのかを歴史的な観点から見てみる。
当時のヨーロッパやインドでは、今の日本と比べ物にならないほどの貧富の格差は大きかった。貧困ということなので、稼ぐためということから「流浪の民」となったこともある。しかし元々「エジプト人」はヨーロッパにとって「ならず者」「浮浪者」の代名詞とされていた。その流れからヨーロッパでは迫害の的とされ、日本でも差別用語とされた所以ともいわれる。

第四章「ジプシーの現在――いくつかの事例」
現在でも「ジプシー」は存在しており、特に東ヨーロッパを中心に本章では事例を上げている。現在ではEUとして一つの共同体を構築し、その中で人種差別撤廃といったものも挙げられているが、歴史では人種差別を行った国でも、ジプシーについてどのような扱いを行うのかというのを国単位で政策がすすめられているが、社会的に差別や誹謗中傷になっていないかということについてはまだ分からないところが多い。

第五章「日本とジプシー」
本章から見て「ジプシー」と「日本」の関連性は一見なさそうに思えるが、明治時代の文明開化により、西洋文化を大いにとりいれられた時、初めて「ジプシー」と言う言葉が使われた。しかし日本でも「ジプシー」は存在しており、「サンカ」というのを挙げている。「サンカ」は江戸時代末期から使われたと言われているが、いつ発生したかは諸説あり、定かではない。

ジプシーは過去に迫害や人種差別、奴隷といった扱いをされてきた。それはヨーロッパにおけるエジプトへの偏見から、そうさせてしまった。改めて「ジプシー」の文化、民族性というのを認識しようというのだが、日本ではTV局などを中心に「差別用語」の括りの一つに挙げられている。偏見を脱し、民族の良さを認識する日は来るのだろうかと考えてしまう一冊であった。

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国語教科書の中の「日本」

国語教科書の中の「日本」 (ちくま新書)

著者:石原 千秋

国語教科書の中の「日本」 (ちくま新書)

私たちが小学・中学・高校と学んできた「国語」。呼んで時のごとく日本語の在り方、そして日本の文学そのものを学ぶ機会としてあるのはこれまで学んできてわかることであろう。教育問題というと英語教育や「学力」というのが問われてきた。しかし戦後間もないときは「国語審議会」というのがあり、国語教育の在り方について議論された時があった。あれから数十年、日本語の変化(人によったら「退化」とも言うが)と同じように、文学や評論の在り方も変化し続けたといっても過言ではない。本書は国語教科書から見た日本像はどのようなものかを論じている。

第一章「<日本>という内面の共同体」
私のような活字中毒者が言うのも難だが、「活字離れ」というのが叫ばれているという。確か昨年、この「活字離れ」について私はそうではなく、それよりもむしろ「語彙離れ」の方が深刻ではないのかという主張をしたことがある。今もその意見は変わっていないが、この1年の間生じた変化がある。それは流行していた「ケータイ小説」の売り上げ部数が減少したことにある。私、またはそれよりも若い世代は「ケータイ小説」ですら目を向けなくなってしまったというべきだろう。そしてそういった世代は活字を見捨てたのだろうかと疑わしくもなる。
著者が疑わしく思っているのは国語教育からさらに進んだ、「国民化」にあるのだという。国語教育ばかりではなく、学校の「制服」や会社の「管理」という名の統一感、さらにはスポーツなどにあるが「ぷちナショナリズム」などもその「国民化」の一つとして挙げられている。
少し疑問に思ったのだが、著者は「国民化」という言葉の否定論者なのだろうか。それとも日本国の在り方にくぎを差したいのだろうか。本章ではそれらが見えてこなかった。

第二章「自然を内面化すること――小学国語」
小学校の国語では、よく動物や架空の物がでてきた。元々は幼稚園時代に読んだり聞いたりしてきた「童話」があるため、そこからアプローチをして擬人的な作品が取り上げられているのかもしれない。
このころの国語は「感覚」というのが重視され、言葉は基礎的な物しか学ぶことはない。いきなり古典的な文学にふれるのもいいのだが、語彙力の乏しい小学生では読み特のは難しいのかもしれない。

第三章「家族的親和性を内面化すること――中学国語」
では中学の国語はどのようなものだったかを考えてみると、前半は小学校の延長線上にあるといってもいいのかもしれないが、擬人的な作品、たとえば「オツベルと像」「クジラたちの声」という作品が頭に浮かぶ。しかし、そのような物から卒業し、本格的な文芸作品もちらほら出てくる。とりわけ太宰治の「走れメロス」は、誰でも1度は国語の教科書で学んだというほど定番中の定番として挙げられる。男女とも中学はもっとも揺れ動く時期であり、悩んだり、いろいろなことをやったりしたときでもある。「反抗期」というのもそのときに出てくる人もいることだろう。
そういうときに「心」や「家族」といったテーマにした作品が多く取り上げられているのも窺える。

第四章「『国語教科書の思想』その後」
「国語教育」は「道徳教育」である。
この言葉はいったい誰がいいたのだろうか。確かに文学作品などを読んでいくと自分の生き方などを見つめ直すことのできるいい機会であると思う。しかし国語を学ぶというのは「日本語」のボキャブラリーを学びながらも、活字本来の味わいや楽しさを学ぶということでもある。しかし現在の国語教育は果たしてそうさせているのだろうかというと疑わしいところが多い。国語でもなぜかその人の信条を読みとるような記述式の試験、読解力を問うような試験というのがあるが、読書好きで恥ずかしながら、私は中学・高校と国語の成績はよくなかった。センター試験の国語ですら5割に満たない点数だった(商業高校出身なだけに、古典はあまり授業で習わなかった)。今となってみたら読書好きになったのが不思議なくらいであると同時に、国語教育は本当に読書好きを育てているのかという疑問もある。

「国語教育」はいったい何のために、誰のためにあるのだろうか。
日本人としてなんたるかを学ぶことだろうか。それとも日本の文化を学ぶのだろうか。日本の心を学ぶのだろうか。あるいは「日本」そのものを学ぶのだろうか。まだまだ考える余地があるのかもしれない。本書はそれを考えさせられる1冊であった。

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人生の短さについて

人生の短さについて

著者:セネカ

人生の短さについて

セネカはローマ帝国のユリウス・クラウディウス朝に生きた哲学者であり、政治家であった。セネカの生きた時代はちょうど紀元に当たる年であり、ちょうどローマ帝国が「パクス・ロマーナ」と呼ばれるほど覇権を手にしていた時である。
セネカはそのローマ帝国内で皇帝ネロのバックボーンとして活躍をしたが、晩年は様々な疑惑にかけられ引退の身となった。本書は政界から引退し、文筆業に精を出していた時に書かれた一冊である。同時期に書かれたものはいずれも「〜について」と言われ、哲学的な随筆作品が残されている。一方でセネカは悲劇作品も10作発表しているが、偽作である作品、偽作と疑われている作品も存在する。

本書は「人生の短さ」であるが、今や高齢者社会となり、日本人の寿命は世界的にも長い。しかしそうであればあるほど、「時」が経つこと、やがて来る「死」への恐れがやってくる。寿命は長くなっているとはいえ、人生は有限であり、気化つけば短いものだと知る。しかしその時間を有効に使うにはどうしたらいいのか、おそらく永遠の課題と言える。
最近では「時間管理術」のビジネス書がわんさかあるが、2000年もの過去からそれを真っ向から批判する人は今までにいたのだろうかと本書を読んで錯覚してしまう。

多忙であればあるほど、生きるために大切なことについて学ぶことを忘れてしまう。
他人に奪われているのを気付かずに時は過ぎて行く。
自由である、「悠々自適である」と錯覚されて、時間は奪われていく。
多忙であれば、自由な時間を得ることを求める。しかしその自由な時間を悠々と過ごしているほど時間を奪われてしまう。

ではどうしたらいいのか、と思ってしまう。セネカはこう主張している。

「万人のうち哲学に時間を割く人間だけが、
悠々自適する、真に生きる人間なのです。(p.118より)」

哲学を学ぶことであるという。
人は誰しも何のために生きるのか、誰のために生きるのか、いかに死ぬかをふと考えたことがあるだろう。哲学のなかには生きる喜びや、善く生きるためのヒントというのがたくさん隠されている。文学、化学、数学、歴史学など様々な学問があるのだが、哲学はそれらの学問の根源に位置づけられる。とはいっても、様々な哲学書を読むというと肩が凝る。しかし一つだけ方残らない方法がある。ちょっと危険な方法かもしれないが、何も考えずそのまま読み流せばいい。哲学は考えれば考えるほどまだら蜘蛛糸のように思考ががんじがらめになりやすい。それを回避するために哲学書は読み流すという方が私は適していると思う。
「時」を支配するのではなく、「時」といかに生きるかを考えさせられる一冊であった。

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中島敦「山月記伝説」の真実

中島敦「山月記伝説」の真実 (文春新書)

著者:島内 景二

中島敦「山月記伝説」の真実 (文春新書)

中学か高校の国語の授業でおなじみの「山月記」。私は高校の時に山月記に出会い、テストの向けて暗記をするほど何度も読み返していた事を昨日の事のように覚えている。
その著者である中島敦はそれほど有名にならず33歳の短い生涯に幕を下ろした。
中島敦はどのような生涯を送ったのか、そして名作「山月記」はどういった経緯で生まれたのか、本書はそれらのことについて迫っている。

第一章「カメレオンと虎」
山月記に出てくる動物は「虎」であるが、官吏として優秀な成績を残していたのだが君主にひざまづくよりも後世に名を遺したいと思い詩を書き始めた。しかし名声は得られず結局官吏に戻ったが、そこで自尊心を傷つけられ発狂し、人喰い虎になった。
しかし彼は自らを「虎」とは呼ばず「カメレオン」にたとえている。発言や考えが一貫せず、変わることが多いからであるという。

第二章「虎の咆哮」
中島敦は複雑な家庭環境の中で育てられ、若いころに喘息という大病を患い始めた。後にそれが原因となり、33歳の若さでこの世を去ったと言われ、「早逝の天才」と言われている所以となっている。
前述のような環境のなかで「正気」と「狂気」を共に育ませ、どちらか傾きかねないような綱渡りの感情のなかで、小説のなかにありのままをぶつけて行った。
友に飢え、生に飢えた感情が「山月記」や「李陵」に込められており、今日でも愛されている。

第三章「伝説誕生の裏側」
山月記の主人公は李徴であるが、狷介で自尊心の強く、扱いにくい人間であった。その男の数少ない友人に袁傪という人物が登場するのだが、そのルーツは中島の人生のなかで、どのように醸成して言ったのだろうか。
その真相は中島が大学に在籍していたころに遡る。中島が大学を卒業したのが昭和8年。彼の動機であり、同じ研究室で過ごした2人の友人がおり、その人物が後の袁傪の下地となった。

第四章「友情と嫉妬の渦」
大学の同期外でも、少ないながら友人は存在した。その中から二人を本書は紹介している。その友人も同じくして文学者の道を歩み始めたのだが、途中で中島の文学に触れ論評を行っている。

第五章「有名だった種本」
この山月記にはもととなった本、つまり「種本」が存在していたことは私自身知らなかった。
中国の「人虎伝」である。中国の文学から文芸作品が誕生したのは本作ばかりではなく、芥川龍之介の「杜子春」も「杜子春伝」が種本とされている。この「杜子春」も名作の一つとして挙げられるが、「山月記」がこれほどまでに人気が上がり、高校の教材で使われるようになったのか、当時は「人虎伝」の翻訳書がブームであったこと、そして数少ない友人の支えに他ならなかった。

巻末に「山月記」の全文が掲載されている。旧字体で書かれており、それに慣れていない人にとっては若干読みづらい印象であるが、高校の時に触れたことがある私にとって、妙な懐かしさを感じた。袁傪が下吏に命じて漢詩を書き取らせたシーンは今でも自分が学ばなければならないこと、自分が心がけなければならないことが詰まっている。
「山月記」は私の文学作品における「心の郷」だと考える。

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裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける

裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける (講談社BIZ)

著者:山口 絵理子

裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける (講談社BIZ)

株式会社オトバンク 上田渉様より献本御礼
本書は「裸でも生きる」の続編であり、著者がバングラデシュで更なる葛藤、そしてバングラデシュを離れ、ネパールに移り、また事業を興すという話である。前書「裸でも生きる」からの3年間の生きざまをまとめたものである。

第1章「情熱の先にあるもの」
最初にも書いたとおり本書は一昨年に東京の下町にてバングラデシュ発のブランド直営店を回転させたところから始まる。
ブランドものが並ぶ店にしては下町であるため的さないところであるが、発展途上国から生まれたブランドであること、江戸情緒あふれる人情によって生まれ、育まれるということを考えてここでオープンしたという。
「バングラデシュ発」が大いに反響を生み新聞・雑誌・TVにと大活躍をした。
その矢先にバングラデシュでサイクロンによる被害が相次ぎ、復興援助も著者は行った。
さらに著者の夢であったデパートの一角に直営店を回転させ、順風満帆と言われるようになった。

第2章「バングラデシュ、試練をバネにして」
しかし、バングラデシュにおいて、自ら始めた工場が退去通告されるという報せがあった。当然反発はしたが、賄賂が横行し腐敗しきっていたバングラデシュではムダという他なかった。
それでもめげずに新しい工場を探すが、その中で仲間たちが辞めて行くということもあった。バングラデシュの現場は他と違い、「社員」というよりも「家族」という感じが強かった。一つになってバングラデシュ発のブランドを築き上げようという力が強いように思えた。そこから「辞める」というのだから悲しみは強い。

第3章「チームマザーハウスの仲間たち」
バングラデシュで育ったマザーハウスはまさに「家族」であり「仲間」であるという。マザーハウスで働いている魅力、そして新たにチャレンジをしていく希望と勇気がそこにあるというのを伝えるところである。

第4章「そして第2の国ネパールへ」
マザーハウスはバングラデシュだけではなくネパールでも新たに生産の場を設けることになった。
ネパールは中国のチベット自治区に接する細長い国で、世界最高峰の山エベレスト(チョモランマ)のあるヒマラヤ山脈に位置している。中国ばかりでなく、インドとも接しているため多民族・多言語・多宗教国家でも有名である。国家としては2006年まで君主制であったが、民主化運動により民主国家となり、翌々年に初となる大統領選挙が行われた。民主化の歴史はまだ浅く試行錯誤の状態が続いている。
著者がネパールに訪れたのは2008・09年辺りであろう。その時は先に書いたように初の選挙であったが、民主化の息吹は始まったばかりのせいか、政局などが混乱しており、抗議運動は後を絶たない状態であった。その中で著者はネパール独特の織物に出会い、新たなバッグの製作にも取り掛かった。

第5章「ネパール、絶望と再生の果てに」
ネパールでもバングラデシュと同じく「裏切り」は待っていた。それも誕生したばかりでありながら、新たなバッグ製作工場ができた最中に。それでもひたむきに製作をし、今年の9月に「マイディガル」というブランドを誕生させた。

2007年にバングラデシュ発のブランドを完成させたが、それでも満足せずただひたむきに歩み続ける著者の姿がそこにあった。これからバングラデシュ・ネパール以外にも様々な国で事業を興すのかもしれない。それがどこの国になるのか、そして新たな発見・成長があるのか…見守っていきたいと思う。

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裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記

裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記 (講談社BIZ)

著者:山口 絵理子

裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記 (講談社BIZ)

株式会社オトバンク 上田渉様より献本御礼
本書の著者は小さいころいじめに遭い、非行に走り、偏差値のギャップをはねのけ慶応大に合格、その後発展途上国を救うためにバングラデシュで起業をしたという波乱万丈の25年間を送った方である。
短的に著者の25年を記したが、それでは語り尽くせないほどの困難や受難を乗り越えてきた女性の姿が本書にある。等身大の著者の姿、等身大の半生がここにある。この人生があったからでこそ今の私がいる。本書はそう語りかけるようだった。

第1章「原点。学校って本当に正しいの?」
著者は小学校の時にクラスの子にいじめられ、中学校では非行に走り、高校では工業高校に入り柔道に明け暮れた。本章で印象的だったのが高校時代のことについてである。著者は工業高校の柔道部に入ったが、そこには男子柔道部しかなく、そこで鍛えたという。過酷な練習、度重なる怪我や挫折……それでも著者は最後までひたむきであった。それが後に女性起業家として活躍する原動力の一つとなった。
後に工業高校という大きなハンデを乗り越えて、慶応大に合格を果たした。

第2章「大学で教える理論と現実の矛盾」
大学における研究発表やアメリカ留学をしていた時のエピソードである。その留学中に途上国に行こうと志した。

第3章「アジア最貧国の真実」
アジアのなかでも最貧国と呼ばれる地、バングラデシュ。
バングラデシュについて簡単に説明するが、独立戦争を経て1971年にパキスタンから独立を果たした。人口は日本よりも多い1億5千万人である一方、国土が日本より狭く、世界でも有数の人口密集国である。
独立後長らくクーデターによる政権交代が行われていたが、1990年以降に選挙が行われ始め民主主義国として歩んでいる。
しかし政治汚職が絶えず、各国から国際援助を受けているものの貧困化脱出の糸口が見えないでいる。
本章では初めてバングラデシュの地を踏んだことについて生々しく書かれている。衝撃と自分自身どうして生まれたかの葛藤が自分の胸に突き刺さるようだった。

第4章「はじめての日本人留学生」
バングラデシュで日本人留学生として大学院に入学した。その後大学院を通学しながら日本の商社(バングラデシュにも支社があるという)にも就職した。バングラデシュの大学院というと世界的に見ても「無名」といってもおかしくない。しかし「無名」であろうとも大切なことを教えてくれると確信して、そしてここでしか学べないところがあると考えて著者は入学したのだろう。

第5章「途上国初のブランドを創る」
商社で働いている時のこと、あるブランドに出会い、バングラデシュ発のブランドバッグを創ろうと志した。バッグのデザインはすぐにできたのだが、そこからどのように売るのか、どのようにつくるのかという課題が山積していた。
大学という学びの畑に、事務という畑にいた著者だったのだが、初めてビジネスという厳しい「壁」に出会った瞬間であった。

第6章「「売る」という新たなハードル」
自分のブランドを創り、ようやく売る所に入って行った。飛ぶように売れたというわけではないのだが、「売る」という喜びに浸った様子を書いている。

第7章「人の気持ちに甘えていた」
しかし「売る」だけでは商売は成り立たず、人の気持ちにも甘えていた。著者がそのことについて痛感したところである。バッグを知るため、もっといいバッグを創るため職人のもとで修業を行っている。そこでバッグのつくり方だけではなく、人間としても又学んだという感じがあった。

第8章「裏切りの先に見えたもの」
おそらく本書のなかで、最も衝撃的なところである。
本章はパスポート盗難事件から始まっているのだが、そこから著者と工場との不信感が増大して言った。そして本書で最も衝撃的な事件が起こった。
デモによる外出禁止令が解かれたある日、著者は工場へ向かった。何とそこはもぬけのがらであったという。
本書のなかで最大の「裏切り」。私がその場にいたらどのような感情であったのだろうか分からない。
絶望の淵のなかにも希望を見つけ、そこからまた再スタートをしていった著者はいよいよ日本に帰国した。

第9章「本当のはじまり」
バングラデシュ発のブランドの直営店が日本に誕生した所である。
場所は東京の下町・入谷という所に一昨年の8月21日に誕生した。
単身でバングラデシュの地を踏み、そこから様々な裏切りや悲しみ、困難を経験し、バングラデシュ発のブランドを創る、そのことに胸にひたむきに作り上げたブランド、その名は「マザーハウス」。

本書を読んだ直接的な感想を言うと、「面白かった」や「感動した」とは言い表せない、それ以上に「チャレンジをすること」「どんな困難でも乗り越えて行こう」という気持ちが高まっていくように思えた。
著者は涙を流した経験は数知れず、逃げ出したくなった時も数知れない。それでもひたむきに前に進む姿は、年の近い私から見るとこれ以上ない「強さ」を覚えた。本書のタイトルは「裸でも生きる」。その姿は飾りも何もない、著者そのものの「強さ」というのを学んだ。
今年読んだ本のなかで、最も衝撃を覚えながらも、感動と勇気を与えてくれた本であるということは否定できない。

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恋愛哲学者モーツァルト

恋愛哲学者モーツァルト (新潮選書)

著者:岡田 暁生

恋愛哲学者モーツァルト (新潮選書)

本書のタイトルからして「?」という印象であるが、モーツァルトが書いた歌劇を見てみると「なるほどな」と言う印象であった。モーツァルトと恋愛は歌劇から連想されることがあるのだが、モーツァルトは歌劇を制作するに当たりどのような恋愛観を持っていたのかというのも知りたくなる。本書はモーツァルトと恋愛、その知られざる関係について、歌劇を中心に考察を行っている。

第一章「モーツァルトとオペラ史における愛の発見」
モーツァルトが生きていた当時オペラやクラシックは、王族や貴族らでしか聞けない高嶺の花であった。そのためか、クラシック音楽が敷居の高い理由の一つとして挙げられる。
それはさておき、モーツァルトに限らず歌劇では「愛」という言葉や表現が多い。例えば私のお気に入りであるプッチーニだと「トスカ」ではまさに激情の愛、「誰も寝てはならぬ」で有名な「トゥーランドット」でも第3幕でトゥーランドット姫が「彼の名は…『愛』です」という名ゼリフを残している(個人的には第1幕の方が好きである。プッチーニらしいから)。
他にも数多くの歌劇において「愛」を表現することが多いことから、歌劇と「愛」は切っても切れないものであることが窺える。

第二章「愛の勝利――<後宮からの逃走>と青春の輝かしき錯覚」
さて、ここからはモーツァルトのオペラを一つ一つ見て行くこととなる。本書ではモーツァルトと歌劇、しかも「四大オペラ」を取り上げている。
最初は「後宮からの逃走」であるが、これは全編ドイツ語によって書かれたオペラである。(純粋な)ドイツ語オペラはいくつか存在するが、この作品が初めてであると考えられる。
ここで取り上げている愛のヒロインはコンスタンツェと呼ばれているが、モーツァルトの妻の名前と同じである。意図してなのか、偶然なのかどうかは定かではないが。

第三章「「昔はあんなに愛し合っていたのに」――<フィガロの結婚>と喜劇の臨界点」
続いては「フィガロの結婚」である。この作品は非常に長い作品として有名であり、一説には4時間以上かかる対策であったと言われている(現在流通しているものは全4幕で約3時間である)。ちなみにこの作品はフランスの劇作家カロン・ド・ボーマルシェが風刺的な戯曲として書いたものをオペラ化した作品である。
非常に長い作品であり、その意味でも有名であるが、もっと有名なものでは「序曲」の旋律が美しく、クラシックコンサートでも序曲の実を取り上げるケースが多いほどである。歌劇は観たことも聞いたこともないが、序曲だけなら聞いたことがあるという人は少なからずいる。

第四章「悪人は恋人たちの救世主――<ドン・ジョヴァンニ>と壊れた世界」
モーツァルトのオペラのなかでも、最もダークなイメージなのが「ドン・ジョヴァンニ」である。モーツァルトが作曲した歌劇の傾向として「オペラ・ブッファ」というのがある。
「オペラ・ブッファ」は簡単に言えば市民的なオペラと呼ばれており、宮廷や貴族たちの傾向にあるものとは一線を画していた。この作品群の傾向の一つとして「明るさ」や「可笑しさ」のようなものがあふれている。
しかし「ドン・ジョヴァンニ」はそれがなく、むしろ反対の「悲劇」や「暗さ」というものが強い。とはいえその中にある「愛」があることについて考えるとモーツァルトの傾向に反していない。

第五章「臍をかんで大人になる?――<コシ・ファン・トゥッテ>と男女の化学結合」
次はモーツァルト・オペラについてある程度知っている人でなければ分からない作品かもしれない。私もこの作品は本書に出会うまで知らなかった。
この「コシ・ファン・トゥッテ」の正式名称を日本語訳すると「女はみなこうしたもの」や「恋人たちの学校」であり、「恋」や「愛」を前面に打ち出している歌劇である。内容が不道徳であるためか評価は芳しくなかったが年を重ねて行くうちに良くなり、今となってはモーツァルトの代表する歌劇にまで、のし上がった。

第六章「清く正しく美しく――<魔笛>と市民社会のイデオロギー」
章題だけ見ると「宝塚音楽学校」のことを想像するのは私だけだろうか。
それはさておき、四大オペラから外れて、もうひとつモーツァルト・オペラとして代表的な作品を上げるとしたら「魔笛」という他ない。こちらも「フィガロの結婚」と同様に序曲が非常に有名である。

「恋愛哲学者」と考えるとあまりピンとこない印象であるが、オペラとして「愛」を語る者としては、モーツァルトが代表格と言える。オペラファンにとってはまた違ったオペラを愉しむことができ、オペラが分からない人でも、「モーツァルトはこんなオペラを書いたのか」という感じを持つことができる一冊である。

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砂糖の事典

砂糖の事典

 

砂糖の事典

砂糖は調味料から、スイーツの材料など様々な場所で使われている。砂糖の起源は今から約4000年前に遡る。「中国4000年の歴史」を肖り、「砂糖4000年の歴史」と言うと信憑性はある(人にもよるが)。
本書はこの4000年の歴史を持つ砂糖がどのように広まり使われるようになったのか、人的、歴史的、さらには健康論に至るまで「砂糖づくし」といえる一冊である。

第1章「人と砂糖」
砂糖という言葉が文献にあらわれたのはおよそ紀元前15世紀、バラモン教の聖典によるものであったという。それからというもの長きにわたりインドにおいて使われたとされているが、アラビア人によってエジプトといった国々に渡り、ヨーロッパ大陸に伝来したのは中世初期の頃であったという。当初は薬品として使われていたが、十字軍の遠征後に今のような甘味料として使われ始めた。
日本も歴史が長く、奈良時代に鑑真によって伝わったと言われている。そういえば使われ始めたのはインドで、ヨーロッパ大陸に由来する前にはエジプトや中国といったアジア諸国から伝来していると考えると順当と考えられる。

第2章「砂糖とは」
さて砂糖とはどのようにして作られているのかという所にはいる。砂糖が使われ始めていたころは「サトウキビ」から作られることが多かったが、やがて「サトウダイコン」や「ビート」からも作られ始めるようになる。また、砂糖というくくりだけでも「ショ糖」もあれば、黒蜜のある「黒砂糖」、和菓子の材料の一つとして知られる「和三盆」、一般に知られる砂糖でも、「白双糖」などのザラメ糖、「三温糖」などの車糖、「角砂糖」や「氷砂糖」といった加工糖に分けられる。
後半では砂糖を科学的な観点、組成から、分子、密度に至るまでその特性について書かれている。

第3章「調味料としての砂糖」
ここではちょっとした砂糖と使ったレシピを紹介している。べっこう飴やシロップ、キャラメルから、ケーキに至るまである。砂糖にまつわる専門書でありながらも最も肩の凝らない所であるため、砂糖を使った料理をしたい人、砂糖について肩の凝らないところを見たい人にとってはうってつけの章である。
また甘味料のほかにもすき焼きや肉料理の調味料、また酢などの調味料との合わせ方と効用に至るまである。

第4章「砂糖と健康」
今巷では「メタボリックシンドローム」と言うのが叫ばれている。私はその部類に入るがメタボ解消をするなどさらさらない。それはさておき、当分はとり過ぎることによって肥ってしまうのだが、それでも人間のエネルギー源としては重要な要素として挙げられる。身体を動かすのはもちろんのこと、勉強や読書、デスクワークといった頭を使う仕事に従事している人でも重要な要素とされている。良く勉強の時や仕事の合間に「甘いものを摂りたい」「フルーツを摂りたい」と言う欲望に駆られる人もいると思うが、それは能が糖分を欲しがっている信号であり、身体を動かすことがなくても、脳の運動により糖分が消費される表れである。
但し、当分の摂り過ぎにより肥満のみならず、糖尿病といった生活習慣病もあるため、糖分は重要であるが食事はバランスよく、と言うべきであろう。

砂糖は長い歴史の中、とりわけ文明の栄えてきたときから重要な役割を担ってきており、今日の生活において欠かせないものとなってきた砂糖であると言える。本書はそのようなことを教えてくれる。

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