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2013年3月

混迷するシリア――歴史と政治構造から読み解く

混迷するシリア――歴史と政治構造から読み解く 混迷するシリア――歴史と政治構造から読み解く
青山 弘之

岩波書店  2012-12-20
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現在シリアでは紛争が泥沼化している状況にある。国連も非難決議や各国では経済制裁などを行っている。にも関わらず、シリアの状況に光明が見えておらず、実質的な混迷が続いている。難民もでてきており、それに対する支援もNPO・NGO問わず広がりを見せているが、具体的な活躍はニュースを始め情報として伝わっていないのが現状である。
本書は「アラブの春」から始まり、シリア騒乱、そしてアサド政権体制のこれまでとこれからについて分析を行っている。

第1章「バッシャール・アサド政権は「独裁体制」か?」
日本では「パッシャール・アサド」、もしくは「アサド政権」と呼ばれるシリアの大統領であるが、元々は父から受け継がれたものである。その父は「ハーフェズ・アサド」と呼ばれ、1970年から約30年もの間政権を維持してきた。一般的に後者の方が独裁者として呼ばれることが多いのだが、「蛙の子は蛙」という諺から、息子の「パッシャール・アサド」も独裁者ではないか、という意見の遠因になっているのかもしれない。

第2章「東アラブの覇者」
東アラブというと、本書で紹介されているシリアだけではなく、レバノンやイスラエルと言った国々も含まれている。それらの国々を見てみると、内乱や紛争が起こっている地域が多く、危ない国々が集まっている印象が強い。しかしそれを考えてしまうとソマリアをはじめとした東アフリカ諸国も同じ事が言える。

第3章「反体制勢力の「モザイク」」
「アラブの春」の勃発以降、シリアでも騒乱が続いている。その背景にはパッシャール・アサド体制の支持・不支持の対立が存在している。
その中でも、反体制勢力はいったいどのような組織があり、それは国の政治組織として公認されているか否か、さらには規模の違いなど様々あるという。

第4章「「アラブの春」の波及」
「アラブの春」を発端とした改革運動は止まるところを知らず、エジプトから中東諸国、そしてシリアにも波及した。シリアに波及した時期はアラブ諸国の中でも最も遅く2011年6月だった。
波及は遅かったこと、そして政権が折れずに強硬な態度をとり続けてきた結果、2年経とうとしても解決の糸口すら見えてこない。

第5章「「革命」の変容」
長期化の要因の一つとして、一度革命を起こしたのだが、8月の「血のラマダーン」による大弾圧により、失敗を遂げてしまったことが挙げられる。その失敗により複数ある反体制勢力がバラバラになり、目指すべきものが見えなくなってしまったこともある。
さらに革命と弾圧の繰り返しの中、この件が国際問題へと発展していった。国連でも制裁や非難決議を進めていった。しかし中国・ロシアなど国々の思惑の対立もあり、国際的な解決が進まない状況となってしまった。それでも国単位で経済制裁などを推し進めていったが、そのしわ寄せは「市民」に来ていた。

今日でもニュースでシリアについて聞かない日はない。化学兵器もあれば反体制勢力のことについても取り上げられている。しかもその騒乱はシリア国内のみならず、レバノンが政局混乱という状態に陥っていることから、周辺諸国からも騒乱の煽りを受けている状況にある。事態の収拾はいつになるのだろうか、その道筋は見えていない。

昆布と日本人

昆布と日本人 (日経プレミアシリーズ) 昆布と日本人 (日経プレミアシリーズ)
奥井 隆

日本経済新聞出版社  2012-12-11
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昆布と日本人は切っても切れないものである。鍋のだしにつかわれることもあれば、醤油の原料に使われることもある。お茶として飲まれることもあれば、「乾物」の珍味として食べられることもある。
日本の料理の中の「核」としても愛されている存在であるが、その昆布はいかにして、もしくはどのようにして愛されているのだろうか。そして国外は昆布をどのようにしているのだろうか。本書は昆布のスペシャリストとして、昆布のイロハについて解き明かしている。

第1章「昆布が礎となった日本の近代化」
昆布は当初から、蝦夷地(北海道)の主産物の人であり、アイヌ語にも「KONPU」が挙げられるほどである。
その昆布は大坂(大阪)を経て中国大陸へと貿易の要として扱われた。江戸時代の時であり、このときは「シルクロード」に倣い「昆布ロード」と名付けられた。
この「昆布ロード」が日本の貿易や経済の近代化の糧となった。

第2章「昆布商の140年」
著者が主人として勤める「奥井海生堂」の創業は1871年、ちょうど140年を迎えた時に本書が出版された。「奥井海生堂」は当初、曹洞宗の総本山である永平寺などの寺院の御昆布司(おこぶし:昆布専門の御用商人のこと。宮内庁や寺院など御用達の商人や商店を指す)をつとめている経歴を持つ。
その140年ある歴史の中で4代にわたって御昆布司を受け継がれているが、本章ではその4代のエピソードをそれぞれ紹介している。

第3章「昆布とワインの意外な共通点」
「昆布」と「ワイン」
一見関連性が内容に見えるのだが、この2つには共通点があるのだと著者は語る。
例えば「産地」、「年季(ヴィンテージ)」などが挙げられる。

第4章「永平寺の御昆布司」
第2章にも書いたように、「奥井海生堂」は創業当初、永平寺の御昆布司をつとめている。その永平寺に御昆布司としてつとめた時のエピソードを絡めながら永平寺の歴史としきたりについて紹介をしている。その中には昆布でしか語ることのできない「食」のエピソードも含まれている。

第5章「母乳と同じ「うま味」がある」
昆布には独特の「うま味」があり、その成分は「母乳」に似ているのだという。その要因として「グルタミン酸」の含有量が来ている事を挙げている。
それだけではなく、本章ではグルタミン酸以外で、昆布に含まれている要素を紹介しながら、「昆布は体にいい」と言うことを証明している。

第6章「世界の美食の舞台へ」
著者は日本の食文化としての「昆布」の発展のみならず、昆布の良さを世界各地に伝える活動を行っている。その一つとしてフランスに行ったときのエピソードを紹介している。

一つの世界を掘り下げてみると、奥が深くなる。昆布もその例外に漏れず、昆布の種類だけではなく、年代によっても味や深みが異なることは自分にとっても新発見である。「昆布」だけでも種類や年代もあれば、それだけ使われる料理にも幅は広がる。「昆布」だけで語っても語り尽くせないほどの魅力、それが本書には詰まっている。

「超」入門 学問のすすめ

「超」入門 学問のすすめ 「超」入門 学問のすすめ
鈴木 博毅

ダイヤモンド社  2013-03-29
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ダイヤモンド社 市川様より献本御礼。
福澤諭吉の名著である「学問のすすめ」だが、学問だけではなく、国家、ビジネス、あるいは自己変革など様々な角度から役にたつ。
名著であることは承知しているものの、いざどのように使えばよいのかわからなくなることもある。
「学問のすすめ」は名著であると同時に、国家としても、個人としても「革新」を起こすことに成功した本として知られている。本書はその本質を探りながら、これからの時代の突破口を解き明かしている。

第1章「国家の危機に何をすべきか?」
「学問のすすめ」が発表された頃と、現在と共通している所には「国家の危機」という言葉がある。前者は技術的格差により、独立を失ってしまう不安があること。
後者は財政破綻により、独立を失ってしまう不安があること。
そのような状況の中で私たち国民は、国家は、そして学問はどうすべきか。
この「学問のすすめ」では国家が主体となり、変革を起こす。そしてその「変革」こそ活躍の場を広げるチャンスであると示している。

第2章「新しい時代を切り拓く実学とは?」
新しい時代を切り拓くためには「実学」が挙げられる。「実学」の語源は中国大陸の古典にある「中庸」や「朱子」から使われており、机上の空論ではなく、社会にて役立ち、実践できる学問のことを指す。
幕末には吉田松陰が後の志士や明治時代の礎を切り拓く人々に松下村塾を開き、様々な学問や兵法を実学として教えた史実もある。その教えによって江戸幕府崩壊、明治維新、そして新政府誕生のきっかけにもなった。

第3章「変革期に役立つサバイバルスキルとは?」
日本は変革に迫られている。
その変革の時期に身につけるべきスキルとして、本章では「サバイバルスキル」が挙げられている。その「サバイバルスキル」とはいったい何なのだろうか。
キーワードの一つとして「外側」を見ることが挙げられる。他にも塾や考え方などのスキルも紹介されている。

第4章「グローバル時代の人生戦略とは?」
「グローバル」の時代と呼ばれて久しい。しかしその時代であるにもかかわらず、その波に中々乗れていない人が多いのも事実としてあげられる。
その時代のなかでどのような人生にしたらよいのか。本章では福澤諭吉の人生とともに解き明かしている。

第5章「いかに自分のアタマで考えるのか?」
これからの時代は「アタマ」で考えることが重要になる。しかし、今ある考え方だけでは、とうてい変革を求めることができない。変革を求めるからでこそ、他人や他の組織とは全く異なるような考えを持ち、それを形にしていくことが大切である。

第6章「どうすれば世界は変わるのか?」
世界を変えるためには自分自身の思考の幅も深さも変える必要がある。その思考の幅や深さは机上で唸りながら考えるのではなく、様々な見識・知識・知恵をもって慢心せず、比較対象を広げて行くことが、変革を起こす第一歩である。
そして「学問のすすめ」では「自由」をつくることも変革の一つとして挙げている。

第7章「あなたは日本の未来をどうつくるか?」
「これからどうなるのか」、ではなく「これからどうするのか」。
簡単に言えば「当事者意識」を持ち、自ら見識を広め、新たな発見をし、そしてその発見によって変革を起こす。現状維持のようにただ、毎日同じような日々を過ごすのも一つの人生であるが、本当に変革を望むのであれば自分自身が変革を起こす意識を持つことが大切である。

今の日本に足りないものは、かつて明治維新の時にも「足りないもの」であった。それは歴史が教えてくれている。
「学問のすすめ」はその本質と、それを知った先にどの道を切り開くべきか、そのヒントを与えてくれる。本書はそのきっかけを起こす一冊である。

企画・プロデュースのためのブレークスルー発想術

企画・プロデュースのためのブレークスルー発想術 企画・プロデュースのためのブレークスルー発想術
忰田進一 エマ・パブリッシング

総合科学出版  2013-03-13
売り上げランキング : 233909

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ビジネスにとって「発想」は重要な要素の一つである。その「発想」からプランを起こし、事業として成り立っていくことによって企業も経済も加速していく。
その「発想」は時として「固定観念」や「常識」「思いこみ」「制約」によって「発想」そのものが生まれなくなってしまう。
本書はそのような「発想」を意図的にひねり出す「ブレークスルー」の方法を紹介している。

第1章「ブレークスルーへの発想法転換」
「発想」は思わぬ所からでてくる。AKBやシヤチハタスタンプなどもその思わぬ所からアイデアから生まれた。
そのようなアイデアの妨げになるものとして最初にも書いたように「常識」や「固定観念」が挙げられるのだが、その妨げになる要因として「習性」としてそれらを使ってしまうことにある。

第2章「ブレークスルー発想術」
発想を起こすための「ブレークスルー」として「空気を読まない」「成り行き」「条件無視」「直感」「確信」など全部で18種類の発想術が挙げられている。
それぞれの発想の使い分けることによって自分自身が思いも寄らない考え方や発想が沸いて出てくる。
実践をする際は「ある日はこの発想で」と一つ一つ試してみると良いのかもしれない。発想法によって出てくるものも異なり、それを楽しみつつビジネスにつなげることもまた本書の役立つところである。

第3章「ブレークスルー整理術」
せっかく出てきたアイデアを実現することでビジネスとして成り立つことができる。裏を返すとそれができないと、単なる「アイデア」であり、机上の空論だけで終わってしまう。
そのアイデアを実現するためには様々な「壁」が立ちはだかり、かつアイデアにも寿命が存在する。それらを越えるための企画書への落とし込み方や仕立て上げ方を紹介している。

人は誰しも思わぬことを思い浮かべるだろう。それを「発想」という。その発想を生み出し、それをビジネスにして行くことで、物やサービスが飽和状態にある状態で新しい風穴を開くことができる。本書はこのような時代だからでこそ生まれた一冊といえる。

転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵

転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵 転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵
嵐山 光三郎

集英社  2012-04-05
売り上げランキング : 262641

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古典は生きていく上で、働いていく上で様々なヒントを投げかけてくれる。哲学の思想にしても宗教の思想にしても、ビジネス書でも語られることの少ないヒントが眠っている。
私も古典作品をブログで取り上げ始めているが、読む、あるいはブログ上で書いていくうちに、読むのは難しいが、読めば読むほど深みがある事に気付く。
さて、本書の話に移る。本書は吉田兼好の「徒然草」をもとに人生・仕事とはどうあるべきかを伝授しているが、本書が刊行するきっかけが一昨年になくなったスティーブ・ジョブズの「伝記」を読み、徒然草と通ずる所があった所からだという。

第一章「「いま」を生きる」
私たちは過去にも、未来にも生きていない。「今」ここに生きている。
その「今」をどのように生きるのか、と言うのが後々の人生に大きな影響を与える。それは若いときでも、年老いた時でも変わりはない。
しかし私たちのようなサラリーマンは忙しさにかまけて、「今」を見つめ直すことができなくなってしまっている。

第二章「なぜアマチュアはプロに勝てないか」
将棋でも、囲碁でも、その道を究めようとするプロにアマチュアが勝つというケースは少ない。将棋に限って言えばアマチュアでもトップクラスの棋士に平手で勝ったというケースはあるが。
そういったケースは希有であり、大概アマチュアはプロには勝てない。
その理由として「慎重」にあるのだという。

第三章「会社をやめるということ」
最近では働き方や生き方などの幅が広がりを見せている。その一方で会社に勤め続けている人でも、自由にあこがれて会社を辞めてフリーランスになる人も少なくない。
会社を辞める、本章では「ドロップアウト」することと自分自身をドロップアウトをすることの違いについても述べている。

第四章「珍しきを求めて異説を好まず」
様々な所で自分の考えと違う人やものと出会う。その出会いが「珍しい」かどうかは人それぞれである。
しかし自分の考えや価値観を覆すような「珍しい」ものは求めるべきであるが、それに「好む」、寄り添った考えや価値観に傾くべきではないと吉田兼好は言い切っている。

第五章「生きていく奥義」
とにもかくにも生きづらい世の中である。
そのような世の中で生きていくには「無益」の思想が重要なものとなるという。「欲」を持たず、それでいて求めず、噂を無視し、酒を嗜むことによって生きていくことは楽しくなる。

第六章「時代のダンディズム」
「清貧」という言葉はもはや過去のものとなって言ってしまったのだろうか。華美な服装やぜいたくに対して嫌悪感を持つのだが、その一方で、他人への欲求が過剰になってしまう。他人に求めず、自らも節制を持つことによって、「善く」生きることができる。

第七章「失敗の罠」
失敗をする事の「罠」ではなく、失敗へ導くための自らの振る舞いにまつわる「罠」を本章にて指摘している。
「自分の振る舞い」というと話し方や考え方、立ち振る舞いなどがある。

第八章「無常変易(むじょうへんやく)」
吉田兼好が生きていた鎌倉時代には「無常」と言う言葉がよく使われた。「平家物語」の冒頭でも「諸行無常」が挙げられる。
「死」と隣り合わせの世界だからでこそ、それを見つめ、それが価値観としてとらえ、美学になった。

時代は違えど、「真理」はいつの世も変わらない。日本という「世の中」は、様々な変化を起こった。しかし、その時代のなかで栄えるものもいれば、落伍するものもいる。どちらも因果はあるのかもしれないが、いずれにしても「俗世」と呼ばれる世の中にとって一石を投じている一冊こそ「徒然草」であることに変わりはない。

虫と文明~螢のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード

虫と文明: 螢のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード 虫と文明: 螢のドレス・王様のハチミツ酒・カイガラムシのレコード
ギルバート・ワルドバウアー 屋代 通子

築地書館  2012-08-29
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冬の寒さが徐々に和らぎ、ソメイヨシノも満開になり、本格的な春の季節となった。これから冬眠した虫や動物も目覚め、活動を始めることだろう。ちなみに私は虫が大の苦手であるため、辟易してしまう。
とはいえ、虫が活動するシーズンはありとあらゆるところで人の好奇心や感情をそそる。それは少年時代に昆虫採集をしていたかのように。
その虫たちは文明とともに生き延びていった。むしろ人間と虫との共生があったからでこそ、虫は絶滅することなく続くことができ、人間も文明が栄えた。ビジネスでいう「Win-Win」の関係がそこにあったと言える訳である。
本書はそのメカニズムについてそれぞれの虫を紹介しながら解き明かしている。

第1章「人に好かれる昆虫たち」
最初にも書いたのだが、最近ではなくなっているものの、昆虫採集を趣味にしている方もおり、大人になってもそれを続けている人も少なくない。著名な人でいえば解剖学者の養老孟司氏であろう。
昆虫がいかにして人に好かれたのか。本章ではその理由を日本で親しまれている虫として「トンボ」や「蛍」「テントウムシ」を取り上げている。春の虫、というよりも、むしろ夏・秋の生き物である。

第2章「蚕と絹の世界」
高級生地として愛されている「シルク」。その歴史は中国大陸からヨーロッパまでの道のりで知られる「シルクロード」にもあるように歴史は長い。
その「シルク」は蚕という虫の繭(まゆ)が原料となる。その蚕は「シルクロード」にもあるように、おおよそ1500年以上にわたって、人間によって飼い慣らされてきた。中には野生の蚕も存在するのだが、ごく僅かと言える。

第3章「カイガラムシと赤い染料」
私の実家の近くに染工場がある。「染工場」は文字通り、布を様々な色に染める為の工場であり、半纏や暖簾、幟(のぼり)などがつくられる。そこで染められる原料は様々なものがあるのだが、「赤」となると「カイガラムシ」と呼ばれる虫が使われるという。
近世ヨーロッパ時代からスペインを中心に「美しい染料の元」として愛されてきた。

第4章「きらびやかな昆虫の宝石」
昆虫採集をする人にとっては採取した昆虫はまるで「宝石」のように見えるのだという。
また、そうでない人にとってもタイトルにもあるように「生きた宝石」のように見える昆虫存在する。たとえば映画「ハムナプトラ」シリーズで登場した「スカラベ」という虫がある。

第5章「ミツバチの作るろうそく」
ちょうど春の彼岸のシーズンとなり、墓参りのシーズンとも言える。お墓の前に花を添え、お線香を焚き、手を合わせる、というような光景も珍しくない。そうでないシーズンでも仏壇のある家では、毎日お線香を焚くだけではなく、ろうそくも灯すこともある。ほかにもろうそくは災害により停電が起こった場合の明かりとして使われることもある。
そのろうそくは現在、ハゼノキやウルシなどの植物からつくられるものもあるが、そのほかにもミツバチを使ってつくられたのだという。決してハチミツやローヤルゼリーをつくるだけがミツバチではない、ということを本章では教えてくれる。

第6章「蜂の生み出す紙、虫こぶのインク」
紙の歴史は紀元前に中国大陸における前漢時代のハ(さんずいに覇)橋麻紙が挙げられる。その中でも紀元前にはパピルスという葦の茎で紙を作り、使われていたという。ちなみに紙を英語でpaperと呼ぶのだが、その語源の説として「パピルス」からとられているという。但し、パピルスは正確には「紙」とは呼べないという。
パピルスのほかにも日本では危険な虫の一つとして有名なスズメバチも挙げられている。

第7章「時にはごちそうとなる昆虫たち」
日本では珍味としてザザムシやイナゴなどが食された。本章ではほかにも「フライドイモムシ」や「シロアリ」といったものも紹介されている。

第8章「ハチミツ物語」
第5章で紹介されたミツバチの話が再び登場する。程良い甘さがあり、世界中で愛されている。
ハチミツの歴史は非常に長く、古代エジプトの「第三王朝」のあたり、つまり5000年以上も前から使われていたのだという。古代哲学の「イリアド」や「オデュッセイア」にもミツバチやハチミツについて記載しているほどである。

第9章「昆虫医療」
今では考えられないことだが、かつては昆虫を使った医療方法も存在したという。たとえば、

・傷口の縫合にアリを使う
・敗血症を防ぐためにウジムシを使う
・肌荒れの手入れにハチミツを使う

といったものがある。ほかにもあるのだが、中にはみるだけでも想像できない療法も存在する。

第10章「コオロギのコーラス ノミのサーカス」
本章のタイトルのうち、前者はよくわかる。秋頃にコオロギがコーラスの如く、至る所で鳴いており、「秋」であることを気づかせてくれる。後者のノミはピョンピョンと跳ねるさまから「サーカス」とたとえられるのか、と思ったら、1950年代のニューヨークにて本当にサーカスで使ったことがあるのだという。

虫の世界は人間の想像している以上に奥が深い。「虫」というだけでも種類は数多い。その意味で「広く」、その生態を探っていっても、未だ解明されていないものもある。本書はその虫の世界の奥深さを見せてくれ、自らの虫に対する興味をそそらせてくれる。

シリーズ「中勘助~流麗と幻想の間で」~3日目 「思い出」を「流麗」に描いた「銀の匙」

シリーズ「中勘助」はいよいよ最後を迎えました。
最後は、このシリーズのメインとなる「銀の匙」を取り上げます。

銀の匙 (岩波文庫) 銀の匙 (岩波文庫)
中 勘助

岩波書店  1999-05-17
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<「銀の匙」ができるまで>

この「銀の匙」が書かれ始めたのは1910年であり、約2~3年ほどかかりました。ほぼ完成したときに夏目漱石に送ったところ「きれいな日本語」と絶賛・推挙を受け、東京朝日新聞の連載にこぎ着けました。1913年の話です。(ちなみに東京朝日新聞の連載は1913年4~6月、及び1915年4~6月と前後編に分かれて連載されました)

その連載が反響を呼び、岩波書店から単行本化されたのが1921年、やがて現在見る文庫になったのが1935年のことでした。今も愛されている文庫本版のものは75年以上経った今でも愛され、「灘中~」でも取り上げた通り、「超スローリーディング」の教材としても扱われるほどでした。

<「銀の匙」の魅力とは?>

先程も書きましたが夏目漱石が絶賛するように「きれいな日本語」であることに尽きますが、その日本語は刊行された1910年当時のものですので、若干難しい表現や漢字が存在するのも否めません。

しかし「難しい」と「多彩」は紙一重と言えるように、表現の幅を広げたい、もしくは日本語の可能性を広げたい、当時の時代背景を見てみたい、と言う人には本書を読むだけではなく、書写(ノートに書き写す)などをする事もおすすめいたします。

<「銀の匙」を見てみる>

著者が子供の頃に買い、取っておいた銀の匙(スプーン)を見つけ、それとともに少年時代の思い出を回顧している作品である。

執筆した時期が1910~1913年の時で、銀の匙が取り上げた時代は20世紀になる前の時と言えます。その時代における子供の遊びや学校、さらには社会について如実に表している印象でした。

人間模様も回顧しているせいか、事細かに記されており、読めば読むほど面白さが出てくる、という印象もありました。

―――
<おわりに>

当初は「銀の匙」だけを取り上げようと思っていました。
しかし、その「銀の匙」を読んでいくうちに、中勘助という人物は何物なのか、
そして彼は「銀の匙」の他にどのような作品を生み出したのか、と言うのを知りたくなり、今回のシリーズを行おうと考えました。

今回の作品で最も難しかった点、それは「作品の選定と入手」にありました。
「銀の匙」や「犬」「提婆達多」と言った作品は一般の書店でも出回っているのですが、他の小説や随筆と言った作品は刊行そのものが古く、かつ一般の書店でも扱わない、もっと言うと、図書館でも書庫から探さないと無いと言うほどでした。

そういったプロセスと紹介のなかで気付いたのが一つ、まだまだ中勘助に限らず埋もれている作品がまだ残っているのはある、と言うことです。

自分自身もその気付きによって、自分自身も埋もれていた本を紹介しながらその価値を広める使命感を再認識した、シリーズでした。

2013年 F1オーストラリアGP 複雑なコンディションの中、レッドブル勢が1-2フィニッシュするも…

結果は以下の通り。

順位 ドライバー チーム タイム差 ピッ
1 S.ベッテル レッドブル 1:38:56.881 4
2 M.ウェバー レッドブル +4.298 4
3 L.ハミルトン メルセデスAMG +12.181 4
4 N.ロズベルグ メルセデスAMG +12.64 4
5 F.マッサ フェラーリ +25.648 4
6 R.グロジャン ロータス +35.564 3
7 K.ライコネン ロータス +48.479 3
8 N.ヒュルケンベルグ ザウバー +53.044 4
9 S.ペレス マクラーレン +1:12.357 4
10 J.ベルニュ トロ・ロッソ +1:27.124 3
11 V.ボッタス ウィリアムズ +1:28.610 3
12 E.グティエレス ザウバー + 1Lap 4
13 J.ビアンキ マルシャ + 1Lap 4
14 C.ピック ケーターハム + 1Lap 4
15 G.ヴァン・デル・ガルデ ケーターハム + 1Lap 4
16 M.チルトン マルシャ + 2Laps 4
17 J.バトン マクラーレン + 3Laps 3
18 D.リチャルド トロ・ロッソ + 5Laps 4
- P.マルドナード ウィリアムズ リタイア 3
- A.スーティル フォース・インディア リタイア 3
- P.ディ・レスタ フォース・インディア リタイア 3
- F.アロンソ フェラーリ リタイア 0

順位の変遷は以下の通り。(「Formula1.com」より)

132

結果的にはヴェッテルがポール・トゥ・ウィンを果たし、レッドブル勢が1-2フィニッシュという、レッドブル勢にとっては最高の結果でしたが…

今回のレースでは「事件」というまでではありませんが、「確執」と言うものを表面化させたレースだったと言えます。

35周目あたりからウェーバーとヴェッテルが1-2体制で、手堅く優勝できる所にありました。チームとしてもそのままの順位で終わらせたかった事もあるでしょう。

しかし、ヴェッテルはそう考えていませんでした。彼はチームの指示を無視し、自らの優勝への執念でチームメートのウェーバーと激しいバトルを行いました。(結果的には46周目あたりでオーバーテイクしましたが)

このオーバーテイクとバトルにより、折角の1-2フィニッシュでしたが、後味の悪い表彰式になってしまいました。

次戦以降でこの確執が浮き彫りとならなければ良いのですが…。

次戦は3週間後、中国・上海!!

2013年 F1オーストラリアGP 途中から雨の変わりやすいコンディションの中、ヴェッテルが2戦連続PP獲得!!、そして優勝予想

結果は以下の通り。

 

                                                                                                                                                                                                                                     
順位 ドライバー チーム タイム ラップ数
1S.ベッテル レッドブル 1:49.6746
2F.マッサ フェラーリ 1:50.5876
3F.アロンソ フェラーリ 1:50.7276
4L.ハミルトン メルセデスAMG 1:51.6997
5M.ウェバー レッドブル 1:52.2446
6N.ロズベルグ メルセデスAMG 1:52.5196
7K.ライコネン ロータス 1:52.9706
8J.バトン マクラーレン 1:53.1756
9A.スーティル フォース・インディア 1:53.4396
10S.ペレス マクラーレン 1:54.1366
11R.グロジャン ロータス Q2敗退      -
12N.ヒュルケンベルグ ザウバー Q2敗退      -
13D.リチャルド トロ・ロッソ Q2敗退      -
14E.グティエレス ザウバー Q2敗退      -
15P.ディ・レスタ フォース・インディア Q2敗退      -
16P.マルドナード ウィリアムズ Q2敗退      -
17J.ベルニュ トロ・ロッソ Q1敗退      -
18V.ボッタス ウィリアムズ Q1敗退      -
19J.ビアンキ マルシャ Q1敗退      -
20C.ピック ケーターハム Q1敗退      -
21M.チルトン マルシャ Q1敗退      -
22G.ヴァン・デル・ガルデ ケーターハム Q1敗退      -

予選のQ1からQ2前半にかけては比較的熱く乾いた路面の中での予選でした。しかし雲行きが怪しくなり、途中からPPの決まるQ3は雨が降り出し、ウェットコンディションの中での予選となりました。

その中で速さを見せたのが前回PPを獲得したヴェッテルでした。前回は3位だったのですが、予選の速さでカバーし、決勝でポール・トゥ・ウィンを目指します。

2位には復調の兆しを見せているマッサ、3位にはアロンソとフェラーリ勢が続きます。

前戦優勝したライコネンは7番手ですが、予選では他車の走行妨害により上記予選から3グリッド降格処分が科されました。よって決勝は10番手と中団の所からのスタートとなります。

では、優勝予想と行きましょう。

本命:ヴェッテル

対抗:アロンソ

要注意:マッサ、ハミルトン

決勝の天気は雨です。ウェットコンディションが予想されますが、予選後半の速さを考えると、予選順位にほど近い順位で終わるレースとなりそうです。後はセーフティーカーが何回くるか、あと、中団~下位の波乱を考えると、それに向けた戦略も順位に大きな変動を与えるかもしれません。

シリーズ「中勘助~流麗と幻想の間で」~2日目 「生活」と「追想」を描いた随筆

本来であれば昨日取り上げる予定でしたが、都合により本日取り上げることとなってしまいました。大変申し訳ございません。

一昨日も書いた通り、2日目は随筆作品について取り上げてみたいと思います。
随筆は短編が多いのでこちらの文献からいくつか取っていきたいと思います。

<妹の死>

1912年の夏に取り上げられた作品です。今から100年以上前の作品です。中勘助作品のなかでも初期の頃と言えます。

舞台はその作品が発表される18年前の秋の頃に妹の死に遭遇したときにおける、自らの心情を文章にしている所です。18年前と言えばちょうど日清戦争が始まった時です。

そこには「銀の匙」(初出版)のことについても言及されており、その原稿を作成しているときに遭遇したそうです。

<夏目先生と私>

初日にも書いたのですが、中勘助と夏目漱石の関係は高校の時からの仲であり、師弟関係を築いていきました。

その中勘助と夏目漱石が当時の一高(現:東京都立日比谷高等学校)の一年生の時、授業で初めて出会ったのだと言います。生真面目のように見えていて、落語をほぼ毎日のように聞いていたことから(特に三代目柳家小さんを贔屓にしていた)、言い回しやジョークが独特でした、紳士の風貌でありながら、人間嫌いの中勘助にとっては最良の恩師でした。

<母の死>

1935年に中勘助の母が亡くなりましたが、その亡くなるまでの母の状態と自分の心情について、断片的に書いたものを取りまとめた所です。

おそらくメモ帳にその時々の心情や詩を記録し、それをひとつの随筆としましたが、細々とした心境の変化はあれど、母が生き続けてほしいという切実な願いは一貫していました。

<遺品>

終戦を迎える1ヵ月ほど前のことを記しています。
中勘助の兄が戦死し、遺品整理を行ったときの事を随筆とした作品です。

兄は生前、弟の勘助を馬鹿にしており、本人も兄を嫌っていたのですが、遺品整理している最中に、兄弟の思い出の品とともに、兄の弟に対する本心も垣間見たと言います。

<独り碁>

中勘助は碁にも造詣が深かったと言えます。晩年は作品はあまりつくらず、親友や弟子と歓談する他は、ほとんど独り碁を行っていたと言います。

その独り碁の趣味は30歳の時から長らく行っていたと言います。

さて、明日はいよいよ著者の原点である「銀の匙」を取り上げていきたいと思います。

歩くのがもっと楽しくなる 旅ノート・散歩ノートのつくりかた

歩くのがもっと楽しくなる 旅ノート・散歩ノートのつくりかた 歩くのがもっと楽しくなる 旅ノート・散歩ノートのつくりかた
奥野 宣之

ダイヤモンド社  2013-03-23
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ダイヤモンド社 市川様より献本御礼。
ノートは偉大である。
自分自身も仕事・プライベート関わらず、ノートを使う。読書にしても自分の考えをまとめるノートをつくったり、学んだことを実践したり、もしくはひらめいたことを書き起こしたり、体験を記録したりすることによって様々なアイデアも捻出することができ、かつ思い出としても残る。
その「思い出として残る」ノートとして、本書では「旅ノート」「散歩ノート」を取り上げている。著者自身が東京を中心に日本全国津々浦々で旅をした記録とともに、旅や散歩を2倍も3倍も愉しむためのノートづくりを紹介している。

第1歩「【旅の前】ノートで「あこがれ」を醸成しよう」
まずは下調べとして、インターネットやパンフレット、本などから旅先の事を調べようとする。その旅の前の下調べも時系列でまとめる、テーマを見つける、そして期待感をふくらませながらノートづくりを愉しむことができる。

第2歩「【旅の途中①】ノートづくりの素材を集めよう」
旅の準備ができたら、次はいよいよ旅に移る。その旅の中で体験したこと、行ったこと、さらに触れたことやもの、得たものを集める。さらにその中で気付いたことを記録するためにノートやメモ帳に書き、それも素材として集める。
本章では記録する、と言うよりもノートづくりのための材料集め、と言ったものを紹介している。

第3歩「【旅の途中②】道中のメモを工夫しよう」
手段にもよるが、例えば歩く場合もメモを取る時もある。しかし歩いており、それを書くような手段はどこにあるのか、と考えてしまう。
しかし、歩きながらでもメモがとれるようなものもあるが、「メモを取る」手段は別にメモ帳だけではない。パンフレット上にも要所で考えたことをメモをする、写真にもメモをするなどメモをする媒体は様々である。

第4歩「【旅の後①】ノートに貼るだけで「即席ノート」づくり」
旅の途中でメモしたものを素材に、ノートづくりをして行くのが本章と次章である。
まずは旅が終わってすぐのノートづくりとして「即席ノート」を紹介している。
旅で感じた体験をそのままに残す、と言う効果がある。

第5歩「【旅の後②】楽しかった記憶がじわじわわいてくる「完全版ノート」づくり」
最後は旅の思い出を楽しかった記憶、きれいな記憶として残すためのノートづくりを取り上げている。これは旅が終わって、色々な疑問や考え方をまとめてからノートづくりに入るので、旅の体験と考え方をより深掘りして行くのには最適である。

これらを見ていくと旅とノートは切っても切れない関係にある。思い出づくりや学んだことを血肉化するとき、ノートは旅にしてもいかに重要なのか、と言うのが本書を読んでわかる。本書はノートをつくるまで、そしてつくってからのプロセスをより楽しくすることのできるスパイスと言える一冊である。

2013年 F1マレーシアGP フリー走行1・2回目結果、そしてPP予想

開幕戦のオーストラリアGPが終わって1週間。F1サーカスは休む間もなく、マレーシア・セパンにやって参りました。

マレーシアGPが初めて開催されたのは1999年、当時は最終戦あたりでチャンピオン争いの終盤にさしかかったところでの戦いでしたが、2001年からずっと第2戦(2010年のみ第3戦)で行われているGPです。

ここの特色は赤道直下にあることから、暑さとスコール。暑さは高温多湿であるが故に、ドライバーたちの体力をも奪っていくような暑さ、さらにスコールはその雨でレースが赤旗中断、最悪の場合はレースそのものが中止になるほど危険な雨となります。

セパンは日本のモータースポーツにも縁があり、「SUPER GT」はもちろんのこと、かつてはフォーミュラ・ニッポン(現:全日本選手権スーパーフォーミュラ)も開催された場所でもあります。

日本とは縁深いサーキット、セパンではどのようなドラマが待っているのでしょうか。

さっそく、フリー走行1・2回目の結果を見てみましょう。

<1回目>

 

                                                                                                                                                                                                                                     
順位 ドライバー チーム  タイム ラップ数
1M.ウェバー レッドブル 1:36.93515
2K.ライコネン ロータス 1:37.00315
3S.ベッテル レッドブル 1:37.10421
4F.アロンソ フェラーリ 1:37.31913
5N.ロズベルグ メルセデスAMG 1:37.58819
6A.スーティル フォース・インディア 1:37.76917
7F.マッサ フェラーリ 1:37.77115
8P.ディ・レスタ フォース・インディア 1:37.77315
9L.ハミルトン メルセデスAMG 1:37.84018
10R.グロジャン ロータス 1:37.91517
11J.バトン マクラーレン 1:38.17316
12P.マルドナード ウィリアムズ 1:38.67316
13S.ペレス マクラーレン 1:38.83017
14N.ヒュルケンベルグ ザウバー 1:39.05417
15E.グティエレス ザウバー 1:39.20416
16V.ボッタス ウィリアムズ 1:39.20819
17J.ベルニュ トロ・ロッソ 1:39.28417
18D.リチャルド トロ・ロッソ 1:39.56716
19G.ヴァン・デル・ガルデ ケーターハム 1:40.72817
20J.ビアンキ マルシャ 1:40.99614
21C.ピック ケーターハム 1:41.16318
22M.チルトン マルシャ 1:41.51314

<2回目>

 

                                                                                                                                                                                                                                     
順位 ドライバー チーム  タイム ラップ数
1K.ライコネン ロータス 1:36.56928
2S.ベッテル レッドブル 1:36.58827
3F.マッサ フェラーリ 1:36.66133
4F.アロンソ フェラーリ 1:36.98523
5M.ウェバー レッドブル 1:37.02629
6R.グロジャン ロータス 1:37.20626
7N.ロズベルグ メルセデスAMG 1:37.44832
8P.ディ・レスタ フォース・インディア 1:37.57130
9L.ハミルトン メルセデスAMG 1:37.57432
10A.スーティル フォース・インディア 1:37.78810
11S.ペレス マクラーレン 1:37.83821
12J.バトン マクラーレン 1:37.86529
13N.ヒュルケンベルグ ザウバー 1:38.06831
14E.グティエレス ザウバー 1:38.64523
15J.ベルニュ トロ・ロッソ 1:38.73830
16P.マルドナード ウィリアムズ 1:38.80126
17D.リチャルド トロ・ロッソ 1:38.90430
18J.ビアンキ マルシャ 1:39.50829
19V.ボッタス ウィリアムズ 1:39.66027
20C.ピック ケーターハム 1:40.75729
21G.ヴァン・デル・ガルデ ケーターハム 1:40.76832
22M.チルトン マルシャ 1:41.43822

ライコネンとレッドブル勢、そしてフェラーリ勢の戦いになりそうな予感がします。特にライコネンは開幕前の下馬評を覆しオーストラリアGPを制しているだけに、マレーシアGPでも存分に活躍できる強さを持っていることでしょう。

開幕戦がチャンピオンになる可能性が高いだけに、マレーシアGPのPP争いも、決勝における優勝争いも目が離せない様相になりそうです。

さて、PP予想といきましょう。

本命:ウェーバー

対抗:ライコネン

要注意:ヴェッテル、アロンソ

フリー走行1・2回目の結果から見ると、ライコネンですが、ライコネンはPPを取って優勝するよりもフロントローやセカンドローといった上位ポジションにつき、決勝では速さとピット戦略を使って優勝に導かせるような形を取ってくるでしょう。

そうなってくるとウェーバーやヴェッテルと言ったレッドブル勢、アロンソ・マッサのフェラーリ勢のPP争いとなる可能性が高そうです。そこにライコネンがどのポジションに入ってくるかも注目です。

シリーズ「中勘助~流麗と幻想の間で」~1日目 「宗教」と「幻想」を描いた小説

今日から3日間にわたって、「中勘助作品」を取り上げていこうと思います。
3日間を大きく分けると、このような形となります。

その1:小説(「銀の匙」を除く)
その2:随筆
その3:銀の匙

今までのシリーズの中では最も短いものとなりますが、大きく分けて中勘助の考えと作風を見るとしたらこのような形となりました。

さて、めくるめく中勘助の世界を作品とともに見てみましょう。

<犬>

犬―他一篇 (岩波文庫) 犬―他一篇 (岩波文庫)
中 勘助

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中勘助は仏教に精通しておりましたが、「無仏教」という考え方に属していました。その「無仏教」を象徴づける作品として今回取り上げる、「犬」や「提婆達多」が挙げられます。

まず「犬」ですが、この作品は1922年に発表された作品と、中勘助作品の中では初期に当たる作品と言えます。

一見「犬の一生」を描いているイメージを持ってしまうのですが、実はインドのとある宗教が舞台であり、その僧侶が呪法で自分とその周りを「犬」に化けさせ、本来ある欲望に溺れ込む、という設定です。仏教で言うところの「煩悩」と言うべき所でしょうか。

本書の舞台は決して仏教ではありませんが、その幻想に満ち、かつ「煩悩」にまみれた作風は人間としての「業(所行のこと)」を表していると言っても過言ではありません。

<提婆達多(だいばだった)>

提婆達多(でーばだった) (岩波文庫 緑 51-5) 提婆達多(でーばだった) (岩波文庫 緑 51-5)
中 勘助

岩波書店  1985-04-16
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提婆達多は、

「釈尊の従弟で、斛飯王(こくぼんのう)の子。阿難の兄弟。出家して釈尊の弟子となり、後に背いて師に危害を加えようとしたが失敗し、死後無間地獄に堕ちたという。デーヴァダッタ。天授。調達。」(「広辞苑 第六版」より)

とあります。本書はその提婆達多の悲劇による形で描いた作品です。「銀の匙」と比べても暗く、それでいて幻想的でありますが、提婆達多や仏陀がいた時代のインドの背景を映し出している作風は「銀の匙」にある流麗なものとは異なり、提婆達多の心情をまざまざと描いている印象が強い作品です。

前後編に分かれており、前編では釈尊の教えのジレンマに苦しみ、後編ではそのジレンマから抜けだそう、もしくは釈尊を越えようとせんと、釈尊に殺しにかかろうとし、失敗。結局仏教とは何なのかと言うのをわからずして地獄に堕ちてしまいました。

仏教とは何かについて、人を越えること、そしてその越えて行くにあたり嫉妬や恨み、辛みを表に出してきた提婆達多が表れる作品です。

<鳥の物語>

鳥の物語 (岩波文庫 緑 51-2) 鳥の物語 (岩波文庫 緑 51-2)
中 勘助

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この「鳥の物語」を全て見ると、中勘助はつくづく鳥を見るのが好きという印象を持ってしまう。

いわゆる「鳥」にちなんだ物語の作品集であるが、収録されているものが「戦前」「戦中」「戦後」に渡っており、最も古いもので1929年、最も新しいもので1962年、30年以上にわたって鳥にまつわる物語に憧れ、描き続けていったと言えます。

具体的にどのような「鳥」を取り上げたのか、挙げてみると、

「雁(がん)」「鳩」「鶴」「雲雀(ひばり)」「斑鳩(いかる)」「雉子(きじ)」「鶯(うぐいす)」「白鳥」「鷹」「鵜(う)」「鷲(わし)」「鵲(かささぎ)」

があります。しかもそれぞれの鳥の物語で舞台は異なり、ある話では中国大陸(儒教)、ある話ではイスラエル(ユダヤ教)、ある話ではエジプト(キリスト教)、ある話では日本(仏教や神道)といった舞台が出てきます。括弧書きで書いているのですが、いずれもそれぞれの宗教が絡み合って、その絡みから鳥を引き合いに出しているため、「幻想」と呼べる様な世界に入って行く感覚を覚えます。

今回取り上げた小説は中勘助作品の中から代表するものを選んでおりますが、全集となると、どのような世界になるかはわかりません。全集取り上げるのは…後の機会にと言っておきます。

では、明日は随筆作品を見てみましょう。

ポケット図解 日本銀行の仕組みがわかる本

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久保田 博幸

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昨日21日、黒田東彦氏が日銀総裁に就任した。「アベノミクス」と呼ばれる経済政策で、経済は上昇傾向にあるのだが、日銀としてどのような役割を担いながら、金融政策を推し進めていくのかが課題として上がっている。
黒田氏の就任会見で、2%の物価上昇を目標にした「追加金融緩和」を行うことを示唆した。まだ示唆しただけに過ぎないが、具体的な枠組みについては、これから検討し、公の場で発表されることだろう。
新たな日銀総裁が誕生したことも踏まえて、本書では日銀と主な業務、そして根幹たる「金融政策」の仕組みについての入門として、それらの役割や歴史について紹介している。

第1章「中央銀行の役割」
日本銀行は別名「中央銀行」と呼ばれている。また、日本銀行の主な業務は「日本銀行法」という法律によって決められており、主に、

・紙幣の発行
・物価の監視と舵取り
・政府の金庫番

と言った役割がある。

第2章「中央銀行の歴史」
「中央銀行」は日本で「日本銀行」であるが、他にもイングランド銀行(イギリス)やライヒスバンク(ドイツ)などが挙げられる。中央銀行そのものの歴史は17世紀のスウェーデン・リクスバンクや前述のイングランド銀行が始まりと言われているが、日本銀行はいつ頃から誕生したのか、というと1882年である。ベルギーの「ベルギー国民銀行」をモデルにしている。

第3章「中央銀行の業務と仕組み」
日本銀行の業務は「日本銀行法」によって定められているが、第1章では「紙幣の発行」について言及した。本章ではそのほかに「紙幣流通の調節」や「民間銀行の監視」などが挙げられている。

第4章「金融政策」
最初にも書いた「金融政策」だが、具体的にはどのような政策の事を言うのか、そのあらましを本章で紹介している。中長期的な目標を立てる、もしくは市場との対話がメインとなる。

第5章「金融政策の移り変わり」
金融政策が以下にして決められてきたのか、その歴史について日本経済の変遷とともに説明している。

第6章「金融政策の影響と対策」
その金融政策が決まる事によって市場は大きく変わる。「市場」といっても、私たちの所で見えるものでは「日経平均株価」といった株や為替の動きが挙げられる。

新しい日銀総裁が就任したが、これから日本経済はどのような舵取りとなっていくのか、そしてその舵取りによってどのように動いていくのか。それを注視するのも大事であるが、その前に日銀の存在について本書とともに見直すこともまた一つの手段と言える。

シリーズ「中勘助~流麗と幻想の間で」~1日目 中勘助とは?

昨月は「貞観政要」という中国大陸の古典でしたが、今月のシリーズは日本文学を取り上げていきたいと思います。

その中で、先月末に「灘中 奇跡の国語教室 - 橋本武の超スロー・リーディング」という本でシリーズを行うかもしれない、と言ったのですが、それを実現する形となります。

そう、今月はシリーズ「中勘助」と題して、代表作である「銀の匙」を筆頭に様々な作品について取り上げてみよう、と言うものです。

では「中勘助」とはどのような人物なのでしょうか?

まずは有名どころで調べてみると、

「東京現千代田区神田東松下町(旧今尾藩主竹腰家邸内の家)で生まれた。東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)を経て、第一高等学校から東京帝国大学文学部英文科まで続けて夏目漱石の講義を受ける。国文科に転じて大学を卒業した後も、早稲田南町の漱石山房をしばしば訪問している。しかし控えめな人柄から、漱石山脈の中では目立たない存在として通した。文壇政治から常に距離を置き、特定の派閥にとらわれない孤高の文人だった。」wikipediaより一部抜粋)

とある。夏目漱石とは大学生時代は先生と生徒、さらには双方文壇の舞台に立ってからは師弟に近い関係であったことから夏目漱石とはかなり近いところにいたと言えます。言うまでもなく、毎週木曜日に行われた「木曜会」のメンバーでしたが、そのメンバーの中でも控えめな人であったことから、あまり目立たなかったと言われています。

夏目漱石の死後、「木曜会」から改名された「九日会」(漱石の命日が「9日」だったことにちなんでいる)には参加しているかどうかは不明でしたが、それと同時に中勘助を主宰とした読書会も開かれるようになった。1937年の話である。

そのきっかけは後に門下生となる人物たちが、中勘助の作品を取り上げたことが縁となり、そこで中勘助宅に訪れた事が始まりだったと言います。

物静かであり、目立たなかった存在だった中勘助。しかし、なぜ漱石の死後、彼は慕われる人ができ、読書会まで開くようになったのでしょうか。

そこには「銀の匙」をはじめとした作品の魅力があり、それに引きつけられ、行動を起こしたからかもしれません。

では、明日以降は実際に中勘助の作品を見てみましょう。


参考文献

1.wikipedia
2.「中勘助せんせ」

中勘助せんせ 中勘助せんせ
鈴木 範久

岩波書店  2009-12-10
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本のチカラ

本のチカラ 本のチカラ
美崎 栄一郎

日本経済新聞出版社  2013-03-12
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あの「東日本大震災」から2年経つ。
未曾有の地震は私たち、そして私たちの考え方を大きく覆してしまった。安全と言われたものは崩れ、希望も絶望へと変わっていた人も少なくなかった。
その絶望を救ってくれたのが、何を隠そう「本」の存在―
本書は22人の著名人が希望を失ったときに、取り戻した本とストーリーを紹介している。

第1章「光を見つける」
震災は「何もかも」呑み込まれた。それは家屋や人命という「見える」ものだけではない。生きていく勇気や光という「見えないもの」も呑み込まれた。
光が見えないとき、同時に生きていく勇気も失ってしまう。
その光を見つけるための手段は様々なものがあるが、それを見つけるためヒントとして「本」は存在する。

第2章「自分を認める」
人は完璧になれない。ましてや限りなく広く強い自然の中では無力の存在でしかない。
しかし、そういう存在だからでこそ「本」は自分や人間としての存在を認めることができる。本章で紹介されている「本」はそういった力がある。

第3章「見方を変える」
「見方」は人それぞれ違うのだが、自分と他人を見ていてもわからないことが多い。しかし「本」は考え方や見方を文字にしており、他人と自分との考え方の違いがわかるようになる。それが化学反応となり、自分の見方や考え方を変えることができる。そのきっかけとなった本を本章では紹介している。

第4章「今を大切にする」
最近、予備校講師の「いつやるか?今でしょ!」という言葉が流行している。このままでは流行語大賞もとれるのでは、という声さえある。
それはさておき、これからの光を手にするためには限りある「今」を大切にする必要がある。それをわかっていてもなかなか体現することができない。
本章では、「今」あることの大切さを教えてくれた本を紹介している。

第5章「一歩を踏み出す」
閉塞感あふれる時代である。その時代のせいか一歩文だそうとしても踏み出せない。踏み出したとしても足下を引っ張られるようなことさえある。
しかし、「一歩」を踏み出さなければことは始まらない。それが目標達成であるにしても、自己成長であるにしても、である。
本章では自分自身が「一方踏み出す勇気」をくれた本を紹介している。

私もこれまで数千冊の本を読み、1500冊ほどブログやSNSを通じて本を紹介した。そこでも「本のチカラ」は偉大であることを痛感することは度々ある。その「本のチカラ」は自分自身の心の成長だけではなく、勇気や希望を見いだしてくれる。
最後に私がもっとも影響を受けた本を1冊紹介する。

花の冠 花の冠
大越 桂

朝日新聞出版  2012-02-17
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これは東日本大震災から丸1年の時に、ブログで取り上げた一冊である。そこには「震災」という言葉も「がんばろう」という言葉もない。それでいながら復興のための元気と光を見いだしてくれる一冊である。
そう、「復興」や「絆」という「花」を咲かせてくれるのだから。

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本書の出版のきっかけとなった「希望の本棚」。
このチャリティイベントが来る4月7日(日)に開催されます。
出版記念もかねて、「今、私たちにできること」をテーマに、
本書に掲載された著名人たちが登壇し、トークライブを行うイベントです。

私も参加いたします。
皆様も、本を通じて「今、私にできること」を胸に、是非ご参加頂ければと思います。
(応募・概要につきましては以下のリンクからクリックをお願い致します。)

Biz&Life Academy チャリティ企画 「希望の本棚サミット」
~本とみんなのチカラで東日本大震災の復興を支援するプロジェクト~

地域政党~地域政党は政治の地方分権だ

地域政党: 地域政党は政治の地方分権だ 地域政党: 地域政党は政治の地方分権だ
村山 祥栄

光村推古書院  2012-12-25
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日本の衆議院・参議院には自民党や民主党、日本維新の会をはじめ様々な政党が存在する。しかし地方に裾を広げてみると、その地方独自の政党も存在する。その政党を「地域政党」と呼ばれており、地方行政に少なからず影響をもたらしている。しかしその地方にすんでいない限り、知る機会が少ないという現実がある。
本書は京都の県や市で活躍している地域政党「京都党」の代表自らが、地域政党の役割と現状、そして国政政党との違いと地域政党の未来について綴っている。

第1章「地方政治の現状と課題」
「地方分権」という言葉が乱舞しているが、実際は中央への権力集中は続いており、「なかなか」どころか「まったく」進んでいないのが現状にある。それは中央省庁の既得権益を保持せんと動いているためでもある。
さらに地方には「過疎化」や「人工争奪戦」と呼ばれるような事象まで起こっており、都市間競争も絶えない。

第2章「地域政党とは何か?」
本書の根幹である「地域政党」の定義とはいったい何なのか。元々イギリスにおける「スコットランド国民党」が1934年に設立されたが始まりである。そう考えると来年は70年という節目を迎え、「地域政党の年」にも見て取れる。
日本における地域政党は1950年にまで遡る。当時米国の統治下にあった沖縄に存在した。

第3章「地域政党の定義と理念」
地域政党の定義、それは地域密着といえばそれまでであるが、それを反映するベクトルは都道府県や市町村といった議会、あるいは新党大地のように地方の声を国政に反映する地域政党も存在する。そのベクトルによって活躍する場所も異なり、理念も異なる。

第4章「地域政党と国政政党」
しかし現在の地域政党は都道府県や市議会において影響力を持っているかというと、あるものの自民党や民主党のような国政政党に及ばない現実もある。その国政政党の議会議員は国会議員の下請けの存在として扱われており、国が決めた政策や考え方を反映するような存在でしかない。その証明となるのがどの地方議会でも同じような意見・決議がかけられ、可決されている状態、あるいはマニフェストもあたかも国政のカーボンコピーのようになってしまっているのだという。

第5章「様々な地域政党~地域政党分類~」
「地域政党」と一括りにしても第3章にも紹介したのだが、地方に根付くのか、それとも地域の声を国政に届けるのかが存在する。さらに政党の成り立ちからも議員たちが立ち上がって結成されたものもあれば、首長が主導して立ち上がった政党も存在する。
成り立ちやベクトルは地方のみならず、政党それぞれであるが、本章ではそれぞれの地方政党を紹介しつつ、地域政党の傾向について分析を行っている。

第6章「地域政党の課題」
日本における地域政党の歴史は60年以上あるのだが、急速に地域政党の数が増えたのは2011年の統一地方選の時である。その原動力となったのが当時の大阪府知事である橋下徹(現:大阪市長)であり、名古屋市長の河村たかしの存在である。両者はそれぞれ「大阪維新の会」と「減税日本」を結成し、国政進出の足がかりとしたことにある。それぞれの党は長のカリスマ性により、支持が集まった。それに起因してか、様々な地方政党が誕生したが、資金や党籍の問題もある。本章ではそのことについて綴っている。

第7章「地域政党独自の環境整備」
地域政党の問題はその政党のみの問題だけではない。国政に対しても地域政党のスタンスについての法整備ができていないと著者は主張している。

地域活性化の要としての「地域政党」はこれからスポットライトを浴びようとしている。その中で地域ならではの対策や変革をつくり、守るべきところは守ること、そしてなによりも地域住民の近くにいることこそ最大の課題であり、役割であろう。

僕らの時代のライフデザイン~自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方 僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方
米田 智彦

ダイヤモンド社  2013-03-15
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ダイヤモンド社 市川様より献本御礼。
日本における働き方は変化が生じていると言っても過言ではない、というよりもむしろかつてあった働き方にITなどが加わることによって戻っている、という考え方もできる。
しかし戦後から続く働き方をする人々にとっては、目くじらを立てる存在となり、それを賛美する人は既存の働き方を敵視する。日本経済が最近上昇気流に立ち始めたのだが、働き方は既存、もしくは新しいものも含めて変化を起こしていると言っても過言ではない。時代が変わるからでこそ、ライフデザインそのものも変わってくる。
本書は「セルフ」「ワーク」「リビング」それぞれのデザインを実践し、見出した新しい「生き方」を描写し、これからの「生き方」を提示している。

第1章「「セルフデザイン」~しなやかさは「多面性」から生まれる」
「複数の自分を持つこと」
これを聞くと「多重人格」を連想してしまうのだが、そうではない。色々な「自分」を見出し、それを表現することによって様々な側面に気付き、そして愉しむことができる。
次章にも紹介されるのだが「働く」こともまた「多面性」を持つことができる。副業ブームも昨今取り上げられていたが、本業にもう一つ持つ「副業」だけではなく、様々な職業を持つ「複業」も新しい「デザイン」として取り上げている。

第2章「「ワークデザイン」~「つながり」が生む働き方」
皆様は普段「働く」場所はどこにあるのだろうか。私の本業はSEだが、システム会社のエンジニアであるため、働く場所は「固定」されている。その一方で書評家を行っているが、その活動は自宅で行ったり、喫茶店に行ったり、はたまた電車の中で行ったりと場所は問わない。いわゆる「ノマドワーク」の側面は書評家で行っている。
本章の話に戻す。最近では「ノマドワーク」がブームと言われているが、本章ではそれ以上にデスクを捨て、既存の場所も捨て、自ら場所をつくり、そこで働くというスタイルがある。それはリアルであっても、ソーシャルネットワーク上でも同じようなスタイルを持つことができる。

第3章「「リビングデザイン」~デュアルライフ時代の「多岐点住まい術」」
「デュアルライフ」と言うと、自宅・別荘などを構え、気が向いたらそこで暮らすというスタイルを思い浮かべる。
しかし本章でいう「デュアルライフ」の定義は異なっている。色々な場所に住まいはあるのだが、むしろ「住所不定」という言葉が似合うのかもしれない。著者はかつて「ノマド・トーキョー」を企画し、1年間東京を渡り歩きながら衣食住や労働を「シェア」する活動を行った経歴がある。
本章ではその経験を活かし、東京・地方のデュアルライフの体験とススメを伝授している。

第4章「大航海時代のキャリアデザイン」
固定的な「自分」「職業」「住居」はこれから無意味なものになると、著者は主張している。その大きな理由として「時代はめまぐるしく変わっている」所にある。

「時代が変わる」からでこそ、今ある考え方は通用しなくなる。
「時代が変わる」からでこそ、計画が思うように続く可能性は低い。
「時代が変わる」からでこそ、予想外な出来事も往々にして起こる。

出逢いにしても、チャンスにしても「偶然」がつきまとってくる。だからでこそ、固定的な人生ではなく、「大航海」の如く幅を広げ、そして進化を遂げていくことが新しい「デザイン」としての在り方なのだろう。

第5章「「あいだ」を行き来するこれからの人生設計」
「白黒」はっきりつけるような人生ではなく、日本語には曖昧さがある。「白黒」の間で言えば「グレー」と言うべきか。その「グレー」の部分は時としてネガティブに扱われることもある。

しかし、これからの時代は「グレー」が重要視される。それは人生設計の中で、第1章~第3章で取り上げた「デザイン」がそうさせてくれる。
これから求められるもの、やりたいことは広がりを見せる。その広がりの中で「大航海」をするが如く広く、かつスタイルやデザインももっと広く、自分のスタイルに合ったものになってゆく。最初にも書いたのだが、本書は「これからの「生き方」」を示した一冊である。

2013年 F1オーストラリアGP ライコネンがタイヤ戦略で開幕戦優勝!!

結果は以下の通り。

 

                                                                                                                                                                                                                                     
順位 ドライバー チーム タイム差 ピット
1 K.ライコネン ロータス 1:30:03.225 2
2 F.アロンソ フェラーリ +12.451 3
3 S.ベッテル レッドブル +22.346 3
4 F.マッサ フェラーリ +33.577 3
5 L.ハミルトン メルセデスAMG +45.561 3
6 M.ウェバー レッドブル +46.8 3
7 A.スーティル フォース・インディア +1:05.068 2
8 P.ディ・レスタ フォース・インディア +1:08.449 2
9 J.バトン マクラーレン +1:21.630 3
10 R.グロジャン ロータス +1:22.759 3
11 S.ペレス マクラーレン +1:23.367 3
12 J.ベルニュ トロ・ロッソ +1:23.857 3
13 E.グティエレス ザウバー + 1Lap 2
14 V.ボッタス ウィリアムズ + 1Lap 3
15 J.ビアンキ マルシャ + 1Lap 3
16 C.ピック ケーターハム + 2Laps 2
17 M.チルトン マルシャ + 2Laps 3
18 G.ヴァン・デル・ガルデ ケーターハム + 2Laps 3
- D.リチャルド トロ・ロッソ リタイア 3
- N.ロズベルグ メルセデスAMG リタイア 1
- P.マルドナード ウィリアムズ リタイア 1
- N.ヒュルケンベルグ ザウバー 未出走 0

順位変動についてはこちら。(「Formula1 オフィシャルサイト」より)

131

ライコネンが2ストップ戦略を使ったタイヤ戦略、そして1発の速さで見事開幕戦を制しました。上位のアロンソやハミルトン、マッサもいますが、いずれもタイヤ選択で3度のピットストップとなり、ライコネンの優勝を許した結果となりました。

順位変動にもわかる方もいると思いますが、今回は路面温度も低く、前半ではソフトタイヤを2度選択し、早い段階で交換をしていました。グリップは良くなりますが、摩耗が激しいため、その分早めのタイヤ交換が求められてしまった、と言えます。

また、今回はいつもあるような波乱は起こらず、タイヤ戦略といったあまり見えないところでの駆け引きが肝と呼ばれたレースでした。

次戦は1週間後、マレーシア・セパン!!

2013年 F1オーストラリアGP 予選Q1結果、そして優勝予想

結果は以下の通り。

 

                                                                                                                                                                                       
順位 ドライバー チーム    タイム 
1N.ロズベルグ メルセデスAMG 01:43.380
2F.アロンソ フェラーリ 01:43.850
3R.グロジャン ロータス 01:44.284
4S.ペレス マクラーレン 01:44.300
5M.ウェバー レッドブル 01:44.472
6F.マッサ フェラーリ 01:44.635
7S.ベッテル レッドブル 01:44.657
8J.バトン マクラーレン 01:44.688
9J.ベルニュ トロ・ロッソ 01:44.871
10L.ハミルトン メルセデスAMG 01:45.456
11K.ライコネン ロータス 01:45.545
12P.ディ・レスタ フォース・インディア 01:45.601
13N.ヒュルケンベルグ ザウバー 01:45.930
14D.リチャルド トロ・ロッソ 01:46.450
15V.ボッタス ウィリアムズ 01:47.328
16A.スーティル フォース・インディア 01:47.330
17P.マルドナード ウィリアムズ 01:47.614
18E.グティエレス ザウバー 01:47.776
19J.ビアンキ マルシャ 01:48.147
20M.チルトン マルシャ 01:48.909
21G.ヴァン・デル・ガルデ ケーターハム 01:49.519
22C.ピック ケーターハム 01:50.626

本来であればこの日は予選結果とPP獲得者を挙げる予定でしたが、豪雨による予選中断により、予選が日本時間で午前9時から再開することとなりました。そのため、PP獲得者が決まるのが午前11時頃、そして決勝はその4時間後の15時にスタートとなります。

予選Q1で土曜日のセッションが終わってしまったのですが、ここで順位が決まったのは17番手のマルドナードから22番手のピックまで。22番手のピックのタイムは107%ルールに達していませんが、フリー走行のタイムの考慮により決勝への出走が認められる可能性があります(まだ決勝で走れる保証はありませんが)。

このQ1ではロズベルグがトップタイムを出していますが、Q2とQ3が行われていないこと、またこのQ1は土砂降り、かつスピンやクラッシュも相次いだため、必ずしも速いドライバーが上位についたわけではありません。

明日も雨の予報が出ているため、土曜日ほどではありませんが、波乱に満ちた予選・決勝になるでしょう。

では、優勝予想と行きましょう。

本命:ヴェッテル

対抗:ウェーバー

要注意:ロズベルグ、アロンソ

予選のPP予想とほとんど変わりません、というよりも決勝も何が起こるかわからないことを考えると、予想はつきません。

いちおう「決め」で予想するしかない、という状況です。

ツタンカーメン 少年王の謎

ツタンカーメン 少年王の謎 (集英社新書) ツタンカーメン 少年王の謎 (集英社新書)
河合 望

集英社  2012-07-13
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古代エジプトの有名な王として「ツタンカーメン」が挙げられる。古代エジプトの歴史を知らなくても、みなさまにはピンとくるほどである。
別名「少年王」と呼ばれたツタンカーメンであるが、その生涯や活躍については未だに謎が多い。科学的な観点から判明し始めたのでさえ2010年になってからである。
本書はその最新の科学的観点も含め、ツタンカーメンが存在した歴史の状況とツタンカーメンの死も含めた生涯について解明できたところについて考察を行っている。

第一章「ツタンカーメン王墓の発見」
ツタンカーメンが埋葬されているピラミッドが発見し、探索に入ったのが1922年頃である。それ以前にもツタンカーメンの墓の周辺にて探索していた。ピラミッドの中には副葬品などが発見され、世界中で「世紀の大発見」として取り上げられた。

第二章「ツタンカーメン王の呪い」
その本格的探索が終わり、探索者とそのスポンサーは国民的英雄としてもてはやされた。しかしその後探索者やスポンサーの周りには不可解な出来事が起こった。「ツタンカーメン王の呪い」、有名な言葉で「ファラオの呪い」と呼ばれるようになった。シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルも新聞でそれに近い表現で形容した記事を発表した。

第三章「古代エジプトの黄金時代と異端の時代」
ツタンカーメンが王となった「古代エジプト」は紀元前3000年頃から紀元後642年のビザンツ帝国支配から解放されるまでの間のことを指す。俗語として「中国4000年の歴史」という言葉顔負けであり、「エジプト5000年の歴史」という喩えも出せるにも思えてならない。
ツタンカーメン王は古代エジプトにおける「第一八王朝」と呼ばれる時代の末期に、王になった。その時代は「オリエント文明」の全盛期であり、その前後に治世を収めた王のピラミッドが乱立された。この王朝にいた時代の史料が豊富にあるのもこの全盛期があってこそなのかもしれない。

第四章「ツタンカーメン王とその治世」
ツタンカーメンが王になった期間はわずか10年という短い期間であったのだが、その王に即位する間、さらにその10年間の治世は未だに謎がある。その中で解明されたのは即位するまでのプロセスである。ツタンカーメンの父と言われるアメンヘテブ4世からツタンカーメンの間の約20年間、3度王が変わっているがそのなかでうごめく権力闘争が浮き彫りとなった。

第五章「ツタンカーメン王の死と埋葬」
最新の科学を利用した解析では即位したのは10歳前後、亡くなったのも10代の終わりだったという。短命でありながら、年端もいかないような時に王となり、亡くなったことを考えると、王自らが治世を行ったのは考えにくい。
そのツタンカーメン王がなぜ死んだのかについても謎に包まれていた。今でも解明されていないのだが、諸説ある死因のなかで他殺ではなく、別の疫病で死んだという説が有力であると明らかになった。

第六章「第一八王朝の終焉」
ツタンカーメンの死は第一八王朝の崩壊そのものを表していた。ツタンカーメンには2人の子供がいたのだが、いずれも幼い頃に亡くなり、かつツタンカーメン王の後に即位した王もツタンカーメン前後の長さの短命政権に終わり、やがて滅びた。

ツタンカーメンの王としての歴史はわずか10年余りであり、未だに謎に包まれている生涯だった。しかしなぜ古代エジプトの歴史を知らずしても「ツタンカーメン」は有名なものとなったのか、「ファラオの呪い」も含め、ごく最近の探索により起こったものから広まったのかもしれない。そのことを知ることができるだけでも、本書の価値は高いと言える。

2013年 F1オーストラリアGP フリー走行1・2回目結果、そしてPP予想

2013年のF1シーズンが始まりました。
今シーズンは可夢偉をはじめとした日本人が不在のシーズンとなり、寂しい印象を受けますが、それでも熱い走りを見せてくれるドライバーはたくさんいます。一ファンとして最後まで見ていこうと思います。

さて、開幕戦はいつもの通りオーストラリア・アルバートパーク。通称「世界一危険な公園」と呼ばれているサーキットです。例年、開幕戦の地でありながら、完走することが難しく、荒れたレースになる事が多く、時には複数台を巻き込むほどの大クラッシュも演じられることから名付けられました。

シーズンスタートからどのようなレースになるのかわからないからでこそ面白さがある。そんな開幕戦になったら良いなと考えております。

ではフリー走行1・2回目の結果を見てみましょう。

<1回目>

順位 ドライバー チーム  タイム ラップ数
1 S.ベッテル レッドブル 01:27.211 16
2 F.マッサ フェラーリ 01:27.289 17
3 F.アロンソ フェラーリ 01:27.547 16
4 L.ハミルトン メルセデスAMG 01:27.552 18
5 M.ウェバー レッドブル 01:27.668 18
6 K.ライコネン ロータス 01:27.877 17
7 N.ロズベルグ メルセデスAMG 01:28.013 17
8 A.スーティル フォース・インディア 01:28.426 19
9 J.バトン マクラーレン 01:28.440 19
10 R.グロジャン ロータス 01:28.520 15
11 S.ペレス マクラーレン 01:28.597 19
12 N.ヒュルケンベルグ ザウバー 01:28.786 19
13 P.ディ・レスタ フォース・インディア 01:28.910 18
14 P.マルドナード ウィリアムズ 01:29.443 20
15 V.ボッタス ウィリアムズ 01:29.928 19
16 E.グティエレス ザウバー 01:30.203 17
17 J.ベルニュ トロ・ロッソ 01:30.729 17
18 D.リチャルド トロ・ロッソ 01:30.969 19
19 J.ビアンキ マルシャ 01:31.263 24
20 M.チルトン マルシャ 01:32.176 23
21 C.ピック ケーターハム 01:32.274 21
22 G.ヴァン・デル・ガルデ ケーターハム 01:32.388 18

<2回目>

順位 ドライバー チーム   タイム ラップ数
1 S.ベッテル レッドブル 01:25.908 33
2 M.ウェバー レッドブル 01:26.172 31
3 N.ロズベルグ メルセデスAMG 01:26.322 26
4 K.ライコネン ロータス 01:26.361 38
5 R.グロジャン ロータス 01:26.680 32
6 F.アロンソ フェラーリ 01:26.748 35
7 L.ハミルトン メルセデスAMG 01:26.772 28
8 F.マッサ フェラーリ 01:26.855 32
9 A.スーティル フォース・インディア 01:27.435 35
10 N.ヒュルケンベルグ ザウバー 01:28.187 34
11 J.バトン マクラーレン 01:28.294 30
12 P.ディ・レスタ フォース・インディア 01:28.311 37
13 S.ペレス マクラーレン 01:28.566 33
14 D.リチャルド トロ・ロッソ 01:28.627 31
15 E.グティエレス ザウバー 01:28.772 33
16 P.マルドナード ウィリアムズ 01:28.852 36
17 J.ベルニュ トロ・ロッソ 01:28.968 36
18 V.ボッタス ウィリアムズ 01:29.386 39
19 J.ビアンキ マルシャ 01:29.696 32
20 C.ピック ケーターハム 01:30.165 37
21 M.チルトン マルシャ 01:30.600 36
22 G.ヴァン・デル・ガルデ ケーターハム 01:32.450 11

昨シーズンから続いているレッドブルの速さが止まりません。むしろヴェッテルの絶対王者ぶりが発揮されたフリー走行の印象が強いです。

さて、PP予想と行きましょう。

本命:ヴェッテル

対抗:ウェーバー

要注意:アロンソ、ライコネン

レッドブルの速さが際立つレースとなりそうです。

―――

なお、今回から順位の表記を変えました。例年は画像だけだったのを、公式記録を表にしてUp致しました。

もしかしたら見づらいかもしれません。あくまで試験的な要素も含まれておりますので、こちらからでも見るように致しますが、もし見づらいようでしたら気兼ねなくコメント頂けると幸いです。

日本幼児史~子どもへのまなざし

日本幼児史: 子どもへのまなざし 日本幼児史: 子どもへのまなざし
柴田 純

吉川弘文館  2012-12-27
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民俗学、さらには日本の歴史の中で小さい子供、つまり「幼児」の歴史はあまり知られていない。むしろ歴史における「重箱の隅」といえるようなものともいえる。
しかし日本の幼児における歴史は解明され始めた。とりわけ大きな発見として、動物学者のエドワード・S・モースが日本に訪れた際に、西欧諸国と比べ、「日本は子供の楽園」とたとえた。西欧諸国では子供を無知を使ってしつけることがよくある光景だった。今の日本では幼児虐待とみられてしまうが。それに比べ、江戸時代の日本では子供に対して大声で怒鳴るものの、武器を使って暴力を振るったりすることはほとんどなかったという。
幼児たちの歴史はモースのいう「楽園」なのだろうか。それとも丁稚奉公があったように使役される立場として扱われてきたのだろうか。本書はその歴史を解き明かしている。

<法のなかの幼児>
「七つ前は神の子」
文字通りの意味であるが、七歳になる前の子供は「神の子」として崇められるべき存在であることを指している。この言葉の期限は不明であるが、幼児の歴史を考察するに当たってよく使われるものであるという。
とはいえこの言葉は「法律」として明文化した時代もあった。「七歳」という言葉が法律として初めて出てきた「養老律令」があるのだという。

<疎外から保護へ>
「神の子」と呼ばれる幼児であれど、民俗学を紐解いてみると、「捨て子」という言葉も出てくる。「育児放棄」として罰せられる行為であるが、かつては当たり前のようにあったのだという。「捨て子」そのものの歴史は「今昔物語集」の作品の中にあるほど古い。古代から江戸時代にかけては子供よりも大人が注目されていた時代であった。しかし文化は進化を遂げていく。江戸時代に入り、「捨て子の保護」などぞんざいに扱われる子供が保護を受けるようになってきた。その江戸時代から開国し、明治時代に入ったときにエドワード・S・モースが「楽園」と語った。

子供の保護はもはや当たり前となったのだが、未だに幼児虐待、もしくは育児放棄の事件が後を絶たない。時代は進化をしているのか、あるいは退化しているのかとさえ疑ってしまうほどである。そうした中で子供と歴史はどのように紡がれていったのか、その過去の道標が本書と言えよう。

キズナのマーケティング ソーシャルメディアが切り拓くマーケティング新時代

キズナのマーケティング ソーシャルメディアが切り拓くマーケティング新時代 (アスキー新書) キズナのマーケティング ソーシャルメディアが切り拓くマーケティング新時代 (アスキー新書)
池田 紀行

アスキー・メディアワークス  2010-04-09
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一昨年の2011年の漢字として「絆」が挙げられている。ソーシャルメディアを通じた「絆」、それを用いず、内外関わらず、様々な所で「絆」が用いられた。
最初にも書いたように「ソーシャルメディア(SNS)」はTwitterでは「フォロー」、Facebookでは「友達」、Linkedinでは「コンタクト」と言ったつながり、もしくはネットワークによって成り立っている。たとえ対面でも見える形で「絆」を持つことができる、と言える。
本書はそのソーシャルメディアを利用したマーケティング手法について取り上げている。

第一章「ソーシャルメディアって何?」
そもそも「ソーシャルメディア」とは何か。最近では「SNS(Social Networking Service)」と言う言葉がよく使われているのだが、インターネットのネットワークを利用したつながりをつくるサービスを総称して表している。その中には「Twitter」や「Facebook」、さらには「mixi」や「ブログ」などが挙げられる。

第二章「そして本当のキズナづくりが始まった」
ソーシャルメディアが発展してから広告や口コミのあり方が変わっていった。ソーシャルメディアを利用したマーケティング手法、あるいはPR手法といったものが紹介されている。
かねてから有った「口コミ」や「マーケティング」とは違い、自分自身も「口コミ」を発生する側にまわることもある。しかしその「口コミ」は様々な形で巻き込み、巻き込まれることができるのだが、反面「オオカミ少年」になるが如く、誰にも反応をしてくれない。その反応を広げるために「キズナ」が必要である。

第三章「すべてを「自分だったら?」で考える」
一言でいえば「当事者意識」である。
マーケティング手法にしても、もちろんこれを書いているとしても、それを読む・使う立場に立つことができる。「当事者意識」にいかに立ち、かつ近づけることができるのか。ソーシャルメディアを使い、マーケティングを行う人々にとっては腕の見せ所である。

第四章「これだけは守りたいキズナづくりの一三か条」
「キズナ」づくりにも一定のルールが存在する。「誹謗中傷をしない」「機密情報を公開しない」「正直者でいる」など、ごく当たり前なことがあがっているのだが、むしろそれこそ難しいことであり、何度も読み返し、実践し続けることが大事である。

第五章「一番大きな壁は、実は社内にある」
ソーシャルメディアを使ったマーケティングは斬新さが有る反面、従来のマーケティング手法をすべて覆すような形を取るため、異論も絶えない。おそらくマーケティングを行うに当たり最大の難関はそのような方々の「壁」であるという。

本書が出版されたのは3年前の話である。ちょうどTwitterが隆盛し、Facebookが認知され始めた頃の話である。ちょうどソーシャルメディアを使ったマーケティングがまだ知られ始めたことであるため、新しいマーケティングとしてもてはやされたと言える。あれから3年、もはや「当たり前」となった。しかしそのマーケティングについてまだ認知されていない部分がある。その認知されていない部分を補完する、もしくはソーシャルメディア・マーケティングの原点を見出すことができる、それが本書と言える。

学問は現実にいかに関わるか

学問は現実にいかに関わるか 学問は現実にいかに関わるか
三谷 太一郎

東京大学出版会  2013-02-16
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本書は出版部から出ているが、そのもととなった東京大学では推薦入試が導入する方針を固めたという。日本一の学府として世界中で知られている東京大学。時代は変化をするが如く、東京大学も入試のスタイルなど様々な形で変化を起こしている。

大学入試や入学時期ばかりではない。学問そのものも変化を起こしている。大学、もしくは学会の中で研究成果としてあげられるだけのものもあれば、「産学連携」と言う言葉がある通り、研究をもとに産業の発展に貢献する学問や大学も存在する。
そもそも学問は現実にたいして、どのように関わるのかは今も昔も変わらない命題としてある。本書は学問そのものが何のためにあるのか、その価値はいったい何なのかを、政治学を引き合いに出し、考察を行っている。

Ⅰ.「学問はなぜ必要か」
政治学を取り上げるとなると、マックス・ウェーバーの「職業としての学問」が引き合いに出てくる。そのマックス・ウェーバーの「職業としての学問」をベースに2012年度における東大大学院の入学式祝辞、そしてある学生の手紙などを取り上げている。

Ⅱ.「政治の現実と学問」
学問は「机上の空論」と言われることがある。それは現実と学問それぞれの考え方、あるいは考察が乖離しているからにあるという。
本章では政治思想学の草分け的存在であり、東大教授も歴任した丸山眞男の思想をベースに考察を行っている。

Ⅲ.「学問と価値観」
今の日本、ないし社会において「学問」はどのような価値があるのだろうか。それは人それぞれであり、学問から来る考察もその人々の価値観と経験、見識によって異なってくる。しかし「学問」は多かれ少なかれ、私たちの見えないところで影響してくる。それはこれを書いている自分自身にもわからない。

「学問」はない方がよいと思うときもある。しかし、自分自身の生活や社会を注視してみると、ありとあらゆる所に「学問」は根付いている。それ故、学問は無くてはならない存在であるのだが、その重要性は中々見出すことはできない。その見えない中で「学問」はどのような価値をつくるべきか、あるいは「学問」を磨くべきか、それは学問の知らない私たちが見出す命題なのかもしれない。

やさしい古典案内

やさしい古典案内 (角川選書) やさしい古典案内 (角川選書)
佐々木 和歌子

角川学芸出版  2012-10-24
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最近では「ビジネス書」をよく見かけ、当ブログでもビジネス書をよく取り上げる。しかし最近になって「貞観政要」などの古典にも目を向こうとしており、これから書評に関するシリーズを挙げているが、いずれも「古典」にフォーカスを当てている。
元々古典は読みにくい印象があったのだが、読めば読むほど、その作品についての深みを覚え、読んでいくうちに時が過ぎるのを忘れてしまう。まさにじっくり読むためであり、考え方としても興味を持てるような面白さがある。難解ではあるものの、一つ一つ紐解いてみる面白さがある。古典にはそのような要素が沢山詰まっていると思う。
この時代だからでこそ「古典」の価値は見直すことのできるいい時期なのかもしれない。その入門案内として本書がある。

<文字を手に入れて、すべては始まった>
日本語、もしくはその文字は中国大陸から伝来され、日本独自の文化として醸成されたのだが、その文字の原点として「万葉集と「伊勢物語」、さらに作品ではないが在原業平、小野小町をはじめとした「六歌仙」について取り上げている。

<この思いは三十一文字じゃ収まらない>
「三十一文字」は「和歌」の「5・7・5・7・7」の合計した文字数を指している。その「三十一文字」のなかで自分自身、もしくは相手への思いを綴っている。百人一首に出てくる和歌の多くは平安時代に謳われており、とりわけ「恋」にまつわる和歌が多く占める。本章で取り上げる「土佐日記」や「蜻蛉日記」にもこの「三十一文字」の世界を描いている。

<これが私たちの言葉、私たちの情熱>
日本を代表する古典作品として取り上げられるのが、「源氏物語」であり、「枕草子」であり、「更級日記」である。その代表する作品はすべて女性が絵書いた作品であるが、女性たちの「情熱」がひしひしと、物語に込められている。

<市井の人々の声が聞こえる>
「市井(しせい)」とは一言で言えば「巷」と呼ばれており、人々が集まる場所を指す。根源は古代の中国大陸に井戸すなわち水のある所に人が集まり、市ができたからと言われている。
色々な人々が伝えられる話、それが物語や説話、といったものになり、「今昔物語集」や「日本霊異記」といった作品が生まれた。
そして本章では、あまり知られていないものとして「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」も取り上げられている。
「梁塵秘抄」は平安時代、後白河法皇が編纂した歌集であり、その内訳として、「梁塵秘抄」が10巻、そして「梁塵秘抄口伝集」が10巻と成り立っている。一般的な「梁塵秘抄」はそれらを総称して表している。

<この気持ちを名づけるなら、無常>
「無常」という熟語が出でくるものとして取り上げられるのが、「この世は無常」ということを取り上げた「方丈記」、そして「諸行無常」と冒頭で語った「平家物語」が挙げられている。

<貴族たちに残されたもの>
平安時代において、和歌は貴族が愉しむために作られたものとされており、貴族たちが詠まれた和歌は前にも書いたのだが百人一首などで後世に語り継がれている。その和歌を集めたものとして「古今和歌集」や「万葉集」、そして本章で紹介される「新古今和歌集」もその一つである。
和歌のみならず、物語の中でも「とはずがたり」といった鎌倉時代の日記文学として貴族があまり取り上げたくない所についても取り上げている。

<動乱期が心を揺さぶる>
時代は鎌倉時代・室町時代に移る。その間にある時代を中心としたときは「動乱期」と呼ばれるほど戦などが度々起こった時代と言える。その中で生まれたのが「太平記」であり、「徒然草」である。

<句のもとに集う人々>
「句」というのは言わずもがな「俳句」である。その「俳句」に代表する人物として「松尾芭蕉」が挙げられる。その「俳句」という呼び名になったのは正岡子規が初めてであり、それ以前は「和歌」や「句」と呼ばれていた。松尾芭蕉が生まれる遙か以前の「和歌」には「連歌」と呼ばれるものがあり、本章でもそれが取り上げられている。

<平和の時代の贈りもの>
江戸時代に入ると元禄文化や化政文化といったものが栄え、文学作品としても研究としても、芸術にしても、大いに発展した時期となった。現在における伝統芸能として落語や歌舞伎もその時代に誕生した。文学としても「好色一代男」の井原西鶴、「浄瑠璃」「歌舞伎」の近松門左衛門などが取り上げられている。

古典は古代から江戸時代まで、もっと広くなると明治・大正まで広げることができ、その時代の背景や文化、さらには日本古来から続く「伝統」を味わうことができる。巷にある本よりは読みづらい部分はあるかもしれないが、読み砕けば砕くほど深みが増し、文化そのものを愉しむことができる。その愉しむことのできる先に私たち日本人として大切なことが詰まっている。古典にはその力が秘められていると言っても過言ではない。本書はその入り口に誘う水先案内人と言える一冊である。

今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言〈2〉教育と文化

今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言〈2〉教育と文化 今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言〈2〉教育と文化
水原 克敏

東北大学出版会  2012-10
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これがブログにUPされたときは、3.11からちょうど2年を迎える。被災の中心にあった東北の方々にとってもそうであるが、遠く離れた神奈川の地にいる私でも昨日のように覚えている。過去にも現在にもこれほどの地震に遭遇したことが無く、本当の意味で「災害」をはじめとする、「地震」、そしてそこから来る「二次災害」の恐ろしさをひしひしと感じてしまう。
本書は「今を生きる」シリーズの第2弾として教育や文化の観点から見た「震災」と復興や風化させないことのための「提言」を行っている。

第Ⅰ部「教育現場からの報告」
第1弾でも書いたのだが本書はあくまで「ありのままの体験」や「報告」をもとに、学問的な観点から提言を行った本である。
ここでは教育現場からの報告をもとに「教育」とは何か、防災機能としての「学校」、学校における「避難訓練」の意義、学校再開までの道程を宮城県女川高校、宮城県石巻西高校、福島県浪江高校の高校を三校、さらに中学校を二校取り上げている。

第Ⅱ部「行政、経営的観点からの報告」
第Ⅰ部では学校にフォーカスをして、震災のことを取り上げてきたのだが、ここでは行政や経営として学校がいかに使われてきたのかを取り上げている。「行政」「経営」をタイトルに取り上げているのだが、結局は「教育」と言える。
しかしその教育機関が震災の時、周辺住民たちへの対応も行っていることを忘れてはならない。例えば避難所の提供、さらには仮設住宅建設のために校庭を提供したこともある。
「教育経営」という観点から言うと、第Ⅰ部でも取り上げていたが学校再開までの道程、さらには損壊した校舎の修復など行政機関の手助けをなくして為し得ないものもある。

第Ⅲ部「文化的視点から問う」
とはいえ学校は「教育」を行うための機関である。その教育に当たっての「復興」とは何か、さらに教職員に対しての「ケア」、科学や技術における学問としての「リテラシー」など文化の教育について綴っている。

教育において、「今、私にできること」は何かと言うのを綴っているが、それは東北のみならず、大学全体、もっと言うと教育に関わる方々全体に問いかけられている一冊と言える。

今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言〈1〉人間として

今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言〈1〉人間として 今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言〈1〉人間として
座小田 豊

東北大学出版会  2012-03
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あの3.11の震災から2年を迎える。
過去にも現在にもこれほど大きな地震に遭遇したのはなく、今でも昨日の事のように覚えている。あれから2年東北では紆余曲折を経ながら復興に向けて着々と進んでいる。その一方で、当方から遠く離れて住む私たちは「今、私たちにできること」を問われ続けている。といっても過言ではない。
本書は震災の中心にいた東北大学が震災からその記憶を新たなる「知」としての提言を行うための一冊であり、その一つ目として「人間」について取り上げられている。

第Ⅰ部「歴史から」
「歴史」は東北の歴史、とイメージする人も多いかもしれないが、ここでは「死」「三陸半島」、そして「縁」の歴史を古典や地理の歴史とともに追っている。
「死」は地震や津波、あるいは二次災害などで亡くなった方々、逆に残った方々に向けて「生きる」ことと、「死ぬ」ことの宿命と理を説いている。
「三陸半島」は宮城の海浜のフィールドワークをもとに、三陸半島の宗教史を中心に紐解いている。
「縁」は簡単に言えば「絆」のことであり、2011年を代表する漢字に選ばれる程である。この「縁」を「御伽草子」から「ものくさ太郎」を取り上げながら、その「縁」の原点について追っている。
「歴史」と「震災」というと、過去に起こった地震のことを取り上げることかというイメージもあるのだが、地震から学ぶことよりも、地震とは無関係の所からどのように地震からいかにして立ち直るのか、というヒントが込められている考えから「死」「三陸半島」「縁」を取り上げられたのかもしれない。

第Ⅱ部「現場に立って」
大学関係者の多くは震災の被害を目の当たりにしてきた。その震災の現場にたち、学問における「理論」を越えた「提言」を行うことこそ、東北大学出版会として、大学関係者としての「今、私(たち)にできること」を表しているのかもしれない。
ここでは現場に立ち、震災について「語る」ということ、「つながる」ということ、そして
「体験したこと」「感じたこと」「考えたこと」をありのままに綴っている。
考察を行っているよりもむしろ「ありのまま」を映し出しており、大学とはなにか、震災において大学の立場とは何か、という悩みを吐露している印象もあった。

第Ⅲ部「根源へ」
日本人はアメリカやヨーロッパ各国など他国と比べても宗教観は薄いように思えてならない。それは新興宗教によるものなのか、それとも自分自身の生活のなかに「宗教」が根付いているのか不明であるが、日本人は宗教に対して無関心、もしくは嫌悪感があるとよく言われる。
しかし心のボランティアとして仏教やキリスト教、神道など宗教関係者が被災地に赴き、復興を支援したこともある。
ここでは「根源」と題されているが、宗教や民俗学の観点から「生死」と「精神」、「心」について紐解いている。

人間としての考え方、人間としての生き方、その姿は宗教や学問を超越して、ありのままを映し出した、とこの震災を通じて体験し、気づき、考えたのかもしれない。その体験・気づき・考えは宗教や民俗学・歴史学の観点からどのように当てはまるのか、「「理論」と「実践」」とよく聞くが、それよりも「「理論」と「実体験」」と言う言葉がよく当てはまった印象が強いように思える一冊である。

すかたん

すかたん (のじぎく文庫) すかたん (のじぎく文庫)
山崎 佑次

神戸新聞総合出版センター  2012-11
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大阪弁ではこのような言葉がある。

「やたけた」…「なげやり、破れかぶれ、自暴自棄」
「ごりがん」…「ごり押しでがんがんいく人」
「すかたん」…「当てが外れること。見当違いなことをした人」

本書はタイトルにある通り、その中でも「すかたん」と言う言葉がよく似合う人として、著者自身のことについて綴っている。本書の最後には映画監督である崔洋一氏が寄稿しているのだが、著者は今年1月に亡くなられた大島渚監督の下で仕事をした方である。著者と崔氏とはともに仕事をする事がなかったのだが、「大島組」と呼ばれる大島監督の取り巻きの中で兄弟分としてつきあいがあったという印象が強いと崔氏は語る。

その著者の自伝的作品と言えるのが本書である。本書のタイトルにある「すかたん」という名の如く、自らの学生から現在までの人生を回顧している。

ありがとう

ありがとう ありがとう
絵門 ゆう子 エム ナマエ

PHP研究所  2006-06
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当ブログを読まれいる皆様は普段、「ありがとう」を口にしたことはあるだろうか。
私は毎日少なくとも一回以上「ありがとう」を言うようにしている。もっと言うと「ありがとう」を口癖にしようとさえ考えている。

その理由とは何か、自分と他人とは価値観そのものが異なっており、「常識」も「当たり前なこと」も異なる。そのため、自分自身がその考えを取っ払い、他人が当たり前だと思うことを自分ではありがたいことだと思うからである。

「ありがとう」を漢字で書くと「有り難う」

そうで「有る」ことが「難しい」から、「当たり前ではない」ということで生まれる言葉である。
本書の著者である絵門氏は本書を出版した年に亡くなっている。49歳という短い人生だった。

本書はその遺作として、49年間という人生の中で様々な出会い・体験をしてきた、そのことについて「ありがとう」と感謝の気持ちを絵本に綴った一冊である。人生を振り返るばかりではなく、自分自身にとっても「ありがとう」という言葉を見つけるきっかけを見つけてくれる一冊と言っても過言ではない。

そう言えば、今日は3月9日。
「3」と「9」にちなんで「サンキューの日」と言われている。その日だから、というわけではないのだが、一度これまでの考え方や行動を見直すと良いのかも知れない。
そしてそこから生まれる「ありがとう」は必ずある。
今生きていることに「ありがとう」と思わず口に出したくなる。

本屋さんで本当にあった心温まる物語

本屋さんで本当にあった心温まる物語 (心温まる物語シリーズ) 本屋さんで本当にあった心温まる物語 (心温まる物語シリーズ)
川上 徹也 須山 奈津希

あさ出版  2012-11-16
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私は子供の頃から本が好きだった。小さい頃から何度も書店に通うことが多かった。
その時私がよく通っていた書店は旭川市の三条買物公園通り沿いにある「富貴堂書店本店」と、今は複合商業施設となった「マルカツ」の「富貴堂MEGA」だった。小学校の時にはマンガや雑誌を買いに、中学・高校と参考書を買いに通うことが多かったのだが、それとともに色々な本に出逢い、買ったことも今も覚えている。自分自身心温まるようなエピソードは無いのだが、それだけ本屋に通うことが好きだった。
―しかし私が足繁く通っていた書店は、もう存在しない。大型書店の進出や売り上げの伸び悩みにより閉店してしまったそうである。私が進学や就職のために旭川から離れた後の話である。
本書の話に移る。普段足繁く通う書店の中には様々なエピソードが詰まっている。その中でも思わず胸や目頭が熱くなるような感動、もしくは本書のタイトルにあるような心温まるエピソードもある。本書はその中から「心温まる」物語を28個紹介している。
なお、当ブログではその中から印象に残った物語5本紹介する。

Story1「一冊の『ジャンプ』」
東北のみならず、日本でも忘れることのない日―
2011年3月11日は東日本大震災が起こった日である。
あれから2年、復興への道程はまだ険しいが着実に一歩ずつ進んでいる。
その震災が起こり、多くの書店が店舗を失うなど甚大な被害を受けた。ここからのあらましは「復興の書店」で紹介している通りだが、ここでは震災直後の本屋のエピソードを紹介している。辛うじて店は存続できたが、物資が届かない状態が続いた。それでも子どもたちの喜ぶ顔を見せるために働いた善意がやがて笑顔の輪になり、復興への大きな足がかりとなった。

Story5「運命の辞書」
外国人が日本の文化に触れることがあまりなかったのだが、その文化に触れたことにより、日本に強い興味を持ち、日本と関わる仕事を希望する外国人も少なくない。
ここで紹介される方も、日本のアニメに触れ、そこから運命の辞書と出会ったそうである。その辞書は「日本語の辞書」とだけ言った方が良いだろう。
その辞書がきっかけとなり、日本語の勉強をし、現在は日本で仕事をしている。

Story15「激励メッセージ入りブックカバー」
ブックカバーには書店そのものの色が詰まっている。
しかしここで紹介されるブックカバーは作家直筆の激励メッセージが入ったものである。現在も販売されているかどうか不明だが、そのブックカバーの売り上げの一部は東日本大震災の義援金として寄付されたという。

Story18「街から書店が消えた!」
日本の全市町村のうち約1割の市町村には書店が1店もないという。北海道留萌市もかつてその市町村の一つであったが、市民が立ち上がり、書店の誘致に成功したという物語である。
留萌市以外にも書店がない市町村はまだ存在する。留萌で起こった奇跡は他の市町村にも伝わればと思えてならない。

Story27「真夜中の書店」
私が行く本屋には真夜中まで開いている本屋は存在しない。ニュースで24時間営業を行っている本屋を聞いたことがあるくらいである。ここでは深夜まで営業している本屋と新米サラリーマンの物語を紹介している。

本屋は不思議な世界であり、宝箱である。出版業界は厳しい状況にありながらも、その本屋は様々な思いと本を胸に今日まで続いている。そしてこれからもまた本屋で新しい物語が生まれてくる。
本屋はただ本を置いている場所ではない。そこには書店員がいてお客がいて、そしてそれらが紡ぐ物語がある場所である。

新宿で85年、本を売るということ

新宿で85年、本を売るということ (メディアファクトリー新書) 新宿で85年、本を売るということ (メディアファクトリー新書)
永江朗

メディアファクトリー  2013-02-28
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新宿駅東口から少し歩いたところに「紀伊国屋書店」の新宿本店がある。そこには本屋だけではなく「紀伊国屋ホール」といった演劇人の登竜門も存在する。
その紀伊国屋書店新宿本店は昨年、創業85周年を迎えた。その85年前、昭和が始まったときにある炭屋の息子によってはじめた。その炭屋の息子こそ「田辺茂一」である。本書は紀伊国屋書店新宿本店の歴史を本屋の歴史、紀伊国屋書店のチェーンそのものの歴史も含めて綴っている。

第1章「創業(1927~45年)」
田辺茂一は小さい頃から本が大好きだった。それが書店をはじめるきっかけとなったのが7歳の時に「ある書店」で洋書の陳列に魅せられたことから始まる。その「ある書店」は今の丸善書店である。
開店するやいなや個性的な書店で著名人をはじめ多くの人々に親しまれたが、やがて大東亜戦争に突入し、東京大空襲が起こった。

第2章「空襲から(1945・46年)」
その空襲、そして戦争により日本全体で困窮にあえいでいた。田辺氏も廃業をしようとも考えていたが、元店員で戦地に赴いた人の言葉により、再開しようと戦後間もないときから決心し、動き出した。

第3章「再始動(1947~63年)」
1947年に新しい紀伊国屋書店が建てられ、再始動した。その紀伊国屋書店がもっとも力を入れたもの、それは「洋書」の販売だった。
そしてその紀伊国屋書店が大きくなるきっかけ、いわゆる「育ての親」と呼ばれる松原治が入社してきた時代である。

第4章「新宿から各地へ、世界へ(1964~79年)」
その紀伊国屋書店は新宿から日本各地、さらには世界へ羽ばたこうとしていた。その第一歩が現在のビルになったこと、そして渋谷、大阪にと書店を開業するようになり、国内外へと広がっていった。

第5章「本店の誇り(1980年代)」
全国、そして世界へと店を構えるようになった紀伊国屋書店だが、新宿本店は特別なプライドが存在した。
創業者の田辺氏もまた終の住処としてこの新宿を選んだ。1981年に亡くなったのだが、自由闊達、豪放磊落、それでいて奔放である田辺氏らしい亡くなり方であったのだという。
創業者の死後も紀伊國屋書店は続き、豊富な書物を取りそろえ、「本選びの最後の砦」として大いに愛された。

第6章「変わる書店界のなかで(1990年代)」
バブル経済が崩壊し、経済が緩やかに後退し始めた頃、書店界もまた大きなうねりが起こった。その一つとして「ブックオフ」の誕生である。古本屋はそれ以前からずっとあったのだが、大型の古本屋であり、売り・買い双方が激しく流通する古本屋はこれまで無かった。
それが書店にとって打撃となったのだが、その時はまだ書店は元気だった。テクノロジーの臣下により、出版界も含め書店もまだ潤っていた時代と言えた。

第7章「ライバルたち(2000年代)」
1990年代をピークに本の売れ行きも右肩下がりとなっただけではなく、PC本やネット書店も出てきたことにより、書店界の状況は厳しくなる一方だった。さらに紀伊國屋書店新宿本店の近くにジュンク堂書店がオープンした(しかしそのジュンク堂は2012年に撤退し、後にビックロがオープンした)。しかし紀伊國屋書店新宿本店は様々な変化・進化を起こしながら今日も愛され続けている。そして2012年3月、85周年を機にリニューアルオープンした。

私も数回であるが紀伊國屋書店新宿本店に訪れたことがある。豊富な書籍のヴァリエーションと独特の雰囲気は今でも忘れられない。本好きの私に取っても良い意味で「たまらない空間」がここにあると言える。
炭屋な青年が建てた書店は85年経った今でも、本好きの人々に愛される場所―
それが紀伊國屋書店新宿本店の姿であり、今も、そしてこれからも生き続ける。

毒になるテクノロジー iDisorder

毒になるテクノロジー iDisorder 毒になるテクノロジー iDisorder
ラリー D.ローゼン ナンシー チーバー マーク キャリアー 児島 修

東洋経済新報社  2012-08-24
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テクノロジーの進化は止まるところを知らない。昨年陽の目を見なかった技術でさえも、一大ブームにさえなることもある。
私たちはその「技術」進化の恩恵を受けており、それをうまく利用しようとしている。
利用しようとしているのだが、それは時として「毒」に成ることも忘れてはならない。より便利になることは、その反面思いも寄らぬ「毒」が潜んでいるのだから。
本書はその「毒」の側面についてを解き明かしている。

第1章「iDisorder:誰もがおかしな行動をとり始めている」
「iDiscorder」
「Discorder(不一致,不和)」に「i(障害)」を合わせた造語である。
その造語はSNSなどのソーシャルメディアを過剰に利用することにより、様々な精神疾患などに陥る人々のことを指している。現に「SNS疲れ」と言ったものがそれに当てはまるのかもしれない。

第2章「SNSという名のナルシズムなメディア = 私、私、私」
SNSでは人それぞれのメディアを持ち、それを発信する事ができる。しかしそのメディアは思い通りの「私」を演じることができる。ありのままの「私」を表現することができれば良いのだが、人気を集めるため、もしくは保身のためにあえて異なる「私」を演じなければならなくなった。

第3章「24時間365日の強迫観念的なテクノロジー・チェック」
スマートフォンやSNSが誕生する以前から「ケータイ中毒」といったものがあった。24時間365日携帯電話のメールやサイトのチェックをしないと生きていけない、という「強迫観念」が生まれる。

第4章「テクノロジー・ハイ:スマートフォン、SNS、携帯メール中毒」
その「強迫観念」はやがてスマートフォンやSNSといったものにシフトしていった。しかし携帯電話以前もあると考えると、小説などの「活字」も「iDiscorder」があるのではないか、とさえ考えてしまう。

第5章「浮き沈みのサイバーライフ:仮想世界の共感と躁うつ」
24時間365日携帯電話やスマートフォン、SNSにふれていないと生きていけなくなってしまう。さらに触れば触れるほど「躁うつ」の状態となるという。それらは玉石混淆ながら、大量の情報が流れており、その情報を受け取り続けることによって思考や感覚が不安定になり、うつ状態になるのだという。

第6章「マルチタスクの甘い罠:テクノロジーが注意力を奪っていく」
「マルチタスク」というとビジネスとしても奨励されるよ風潮にあるのだが、それこそ「甘い罠」であるという。簡単に言えば複数のタスク重なりあうことによって「注意力散漫」となる訳である。

第7章「対面と画面越しのあいだ:アイデンティティの実験とコミュニケーション障害」
対面と画面越しのコミュニケーションは異なる。しかし後者のコミュニケーションが多くなると、自分自身が持つアイデンティティが失われ、コミュニケーション障害にまで陥ってしまう。

第8章「死の恐怖に取りつかれる:痛みへの過剰反応とサイバー心気症」
「心気症」とは「診察で罹患が否定されるほど症状がないが、自覚症状が強いもの」とされる。
決して「仮病」でもなく、病的な根拠がなくても、自覚症状によって病気なっていると錯覚してしまう。とりわけインターネットではそれが強く表れているのだという。その理由には医学サイトが多く、医療にまつわる情報が多く、かつ容易に手に入れられるため、その情報に右往左往してしまうことにある。

第9章「1グラムでも痩せたい:変わる身体イメージと摂食障害」
色々なメディアで「痩せる」ことを良しとする風潮が強い。しかしその「痩せる」ことを意識しすぎるあまり、「拒食症」などの「摂食障害」に陥ることもある。それはSNSも例外ではない。

第10章「妄想、幻覚、対人回避:テクノロジーが“統合失調症(スキゾ)”のようにふるまわせるのか?」
SNSは様々なことがかなう。たとえそれが疑似的であるとしても、である。
その「疑似的」なものが、現実と重ね合わせてしまい、妄想や幻覚に陥ってしまう。それが精神疾患の中で重度な病である「統合失調症」に陥ってしまう。

第11章「“見たがる”私たち:覗き見趣味とセクスティング」
SNSでは良かれ悪かれ、様々な情報が流れてくる。その情報が時として「覗き」となることもある。その覗きが人の好奇心をくすぐり、「覗き見」が趣味のようになってしまう。

第12章「すべてはあなたの心のなかに」
いくら大量の情報が流れてくるとは言っても自分の心までは流されない。いったんSNSから離れて、自ら外にでて自然や自分の心と向き合うことによって、テクノロジー中毒を予防したり、治したりすることができる。

テクノロジーの進化は薬になる側面も多いのだが、同時に「毒」になる側面を持っている。本書はその「毒」を紹介しているのだが、便利になった時の「怖さ」を私たちは同時に知ることがテクノロジーをうまく使いこなしながら、ありのままの「自分」を持ち、かついったん離れる力も持つことができる。そのような時代だからでこそ「いったん離れる」ことが重要ではないかと考える。

マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防

マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書) マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書)
長岡 義幸

平凡社  2010-11-16
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日本のポップ・カルチャーの代表格としてマンガやアニメ作品が挙げられる。数十年にわたって日本のみならず、海外でもブームが起こっており、日本文化の一つとしても挙げられている。
しかし、その中でもマンガは東京都の「青少年条例」や国の「児童ポルノ法」の槍玉に挙げられ、前者はすでにマンガのキャラクターなど「非実在青少年」も対象に挙げられている。
本書はその「規制」について問いを投げている。

第一章「ドキュメント「非実在青少年」規制問題」
東京都の「青少年条例(東京都青少年の健全な育成に関する条例)」改正により規制の対象が「非実在青少年」まで広がったのは2010年末のことである。それが成立するまでの過程では、都議会内外で紛糾するほどであった。いったん2010年3月に同様の条例案が提出され、審議されたが、否決された。しかし当時の都知事をはじめ、それに賛同する議員の後押しもあり、ふたたび法案が提出され、議論の末、成立された。

第二章「規制の論理とその仕組み」
マンガにおける表現規制に関しては、法や条例が定められた時よりも前からずっと起こっていた。詳しいところは第三章・第四章で歴史として記されているが、ここでは「松文館事件」や「児童ポルノ法」「わいせつ罪(刑法)」などの法律や事件について法や条例が制定されるまでの流れを取り上げている。

第三章「マンガ規制の歴史1(1950年代から80年代前半)」
本章と次章では「マンガ規制」そのものの歴史を取り上げている。第三章は初期~80年代前半までについて取り上げられている。本章のタイトルにある通り、手塚治虫が「新宝島」でデビューし、日本におけるマンガが表舞台に出始めた頃から起こっていたことになる。
それと同時に隆盛を極めたのが「赤本マンガ」と呼ばれるものがあり、いわゆる「エロ」や「グロ」「ナンセンス」を基調としたマンガである。この「赤本マンガ」に対し、婦人会などが槍玉を挙げ、規制をかけるべく訴えたという。既にマンガに対する嫌悪感と規制にまつわる声は60年以上前から続いていたことになる。
この婦人会による運動は「悪書追放運動」と呼ばれており、一種の「魔女狩り」とする声もある。有害と言われるマンガを校庭に集めて焚きつけにする、いわゆる「焚書」が横行した。

第四章「マンガ規制の歴史2(80年代後半から現在)」
「赤本マンガ」と呼ばれるマンガは形を変えながらも様々な形で受け入れられている。しかしそれに対し嫌悪する者も昔も今も変わらない、とも言える。
しかしこの80年代を伏線に「エロ」「グロ」や犯罪要素を盛り込んだマンガを「有害コミック」とし、槍玉に挙がる。以前にもあるように見えるのだが、1989年に「連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)」が起こったことで「マンガバッシング」「おたく叩き」が過熱化した。

第五章「マンガ規制は何を意味しているのか」
「性表現の規制」であれば、別にマンガに限ったことではない。裾を広げてみれば小説もあれば、川柳、もっと言うと古典にも性的な表現はある。しかしなぜ「マンガ」だけが「規制」されるのだろうか。
「マンガ」は子供たちが見るものであり、その「マンガ」は度々性的な表現を持つ。その性的な表現を持つことで子供たちの「健全」が失われてしまう。
ステレオタイプかもしれないが、これが「マンガ規制派」の論理である。では「表現の自由」は侵害されるのでないか、もしくは「健全」とは何を意味しているのか、という問いが続々と出てくる。しかしマンガ規制にしても、非規制にしてもそれらの議論は60年の時を経て未だに平行線を辿っているという他ない。

「マンガ規制」と一括りにしても、歴史も議論も根深く、短絡的に「規制」したからと言って解決するわけがない。「規制」しなくてもまた然りと言える。それは思想の根幹が対立しており、その隔たりは深い。
しかし第五章でも言及したのだが、なぜ「マンガ」ばかりが規制されなければならないのか、そこにはマンガだけではない、「ある」事情があるのかもしれない。その「ある」という部分が未だに謎と言える。

音楽とは何か-ミューズの扉を開く七つの鍵-

音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵 (講談社選書メチエ) 音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵 (講談社選書メチエ)
田村 和紀夫

講談社  2012-01-12
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「音楽とは「音」を「楽」しむためにある」

これは私が高校時代、吹奏楽部の先生に教わった言葉である。音楽の世界を去ってからもその言葉は今も信じている。
私は中学・高校と吹奏楽を、大学ではオーケストラの部活やサークルに入り、音楽漬けの毎日だった。もっと言うと小学5年生からの器楽隊も含めると、実に12年もの間、傍らにはいつも「音楽」が会ったように思える。

その「音楽」とはいったい何なのか。今ではクラシックやジャズ、ポップスやロック、民族音楽などジャンルを挙げると枚挙に暇がないほどである。しかし「音楽」そのものの本質に迫った本は私がであう限り無かった様に思う。
その「本質」を迫ったのが本書と言える。

第1章「音楽は魔法である」
たった一つのフレーズやリズムだけで人が歓び、悲しみ、楽しみ、そして癒してくれる。そこには口頭や文章に表れる「言葉」という訳でなく、「リズム」や「音」だけでそのような感情に訴えかける。その音楽は「音楽療法」など医療の現場でも使われるのだという。そういう意味では「魔法」と呼ばれる所以なのかもしれない。

第2章「音楽はシステムである」
音楽は様々な旋律やハーモニー、さらには楽器など、様々な要素で構成されているものである。その要素がかなりあって一つの「システム」となる。

第3章「音楽は表現である」
音楽は様々な要素が重なり合うのだが、その重なり合いが「風景」などになり、一種の「表現」になる事ができる。

第4章「音楽はリズムである」
音楽には緩急の差はあれどリズムがある。当然楽譜には「4/4」や「6/8」と言ったものなどがされているように、一定の拍子でリズムを取りながら音楽が奏でられる他に、ダンスにおけるリズム取りにも使われる。

第5章「音楽は旋律である」
音楽は「歌」をはじめ、楽器で演奏されることによって生まれる。とりわけ「歌」は旋律を奏でるに当たり、無くてはならないものである。その旋律が「音楽」における、「表現」などの根幹をなすことができる。

第6章「音楽はハーモニーである」
旋律と重なる部分があるのだが、「ハーモニー」は「旋律」や「伴奏」、「リズム取り」と言ったものが重なり合うことからきている。元々「ハーモニー」は古代ギリシャにおける「ハルモニア」から来ている。
第7章「音楽はコミュニケーションである」
音楽は旋律・伴奏・リズムのやりとりだけではなく、演奏者と聴衆とのコミュニケーションで成り立っていると行っても過言ではない。そのコミュニケーションは聴衆にしても、演奏者にしても人それぞれ異なる。

音楽は不思議なものである。言葉ではないが、自らの感情を響かせ、揺さぶられ、動かす。それが「感動」という文字となり、心身ともに満足する働きをする。それを哲学的に論考するのは難しく、本書も哲学的な部分もあり、読み解くのは難しい。それだけ紐解くのには時間を要するものなのかもしれない。

ただ一つだけ言えることは、嗜好や考え方もあるかもしれないが、理屈抜きで色々な音楽に触れることである。その中で論理を超越したものを呼び覚まし、それが感情に変化を呼び起こすのだから。

同性愛と異性愛

同性愛と異性愛 (岩波新書) 同性愛と異性愛 (岩波新書)
風間 孝 河口 和也

岩波書店  2010-03-20
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「愛」の形は人それぞれであるが、その「愛」の形によって世間的に受け入れられたり、痛烈な拒否反応を示すようなケースもある。とりわけ後者の風潮を強く表しているのが、「レズビアン」や「ゲイ」といった「同性愛」が挙げられる。
日本では同性婚が民法上禁じられているが、同性愛を主張する人もいれば、それを売りにしている業者も存在するのは事実としてある。
本書は「愛」の形によって嫌悪感を持ったり、差別を被ったりする人、さらにはその社会構造について考察を行っている。

第1章「エイズ・パニック」
病院などの医療機関に行くと、エイズにまつわる啓発ポスターが貼られていることがある。それだけエイズに対する関心が強くなっていると言える。
その「エイズ」患者が日本で初めて現れたのは1985年、そのときから新しい病である「エイズ」が出てきて、国民がパニックに陥り、アジア諸国から出稼ぎに来た外国人が風評により宿泊や車の利用などを拒否されるといった、通称「エイズ・パニック」が起こった。
そのとき「エイズ」が発生する要因として「同性愛」や「アブノーマルな恋愛」といったものが挙げられ、一種の偏見が国民の間で広がるようになった。

第2章「法廷に出された差別」
同性愛に対する偏見は長きにわたって続いた。しかしその「偏見」は「エイズ」発生以前にもある。芸能人でもその偏見を受けた人もあるが、有名な例を2人挙げる。
シャンソン歌手であり、「ヨイトマケの歌」や「メケ・メケ」「愛の讃歌」で有名な美輪明宏も「丸山明宏」と時に「ホモ・セクシャル」を週刊誌で告白し、大バッシングを喰らい、芸能界から干されたことがあった。詳細な年代は不明だが1950~60年代にかけてのことである。
もう一つ挙げると、歌手・女優とで活躍した佐良直美キャッシーとの同性愛関係も大バッシングを喰らった。1980年のことである。
本章で紹介される裁判は1991年に提訴された「「都立府中青年の家」裁判」である。同性愛の立場を主張するために、同性愛に関する市民団体が勉強会を開催するため、青年の家を確保したが、それが理由となり許可されなかったことを不当としたことで争われた裁判である。

第3章「歴史の中の同性愛者たち」
歴史を紐解いてみると、「ゲイ」や「レズビアン」といったものはある。江戸時代でも喜多川歌麿の春画にも「男色」にまつわるものもあれば、文学でも井原西鶴の「好色一代男」では「少年愛」といった同性愛を描いたものもある。
第4章「ホモフォビアと異性愛主義」
「ホモフォビア」は一言に言うと「同性愛嫌悪」である。
とどのつまり「レズビアン」や「ゲイ」などを嫌悪する人や風潮を表している。
ただ、その「ホモフォビア」の傾向は「男らしさ」や「女らしさ」を求める傾向もあることは付け加えておく必要がある。
この「ホモフォビア」として象徴的な事件として2000年2月10日夜に都立夢の島公園でリンチ殺人起こった、俗に言う「ヘイトクライム事件」がある。
「ヘイトクライム事件」の被害者は同性愛者であり、犯人も警察の調べにより「同性愛者を狙って襲った」と供述している。しかしこの事件に関して「同性愛」について取り上げたメディアは少なく、「遊ぶ金ほしさ」「ホームレス」という取り上げ方が多数だった。そのことから本書ではそれを中心に取り上げられた。

第5章「性的マイノリティとは何か」
とはいえ、同性愛について取り上げられたドラマ・映画・アニメは比較的に出てきている。アニメではBL(ボーイズ・ラブ)を取り上げた「世界一初恋」「純情ロマンチカ」など、GL(ガールズ・ラブ)では「少女革命ウテナ」「マリア様がみてる」がある。同人作品などまで広げてみれば枚挙に暇がないほどである。
性的なことを訴えるというよりも「愛のカタチ」のあり方を訴える作品も出てきており、そういったマイノリティも増えてきているといっても過言ではない。

第6章「親密であるということ」
これまでは雑誌や実際の出会い位でしか出会う場がなかったのだが、インターネットが急速に普及したことに伴い、同性愛者のコミュニティができることも容易になった。それが社会的地位を訴える、自らの立場を表現する人も増えている。

性的な部分もそうであるが、「愛のカタチ」は人それぞれである。人間には「偏見」の考え方や感情を持ってしまうのだが、そういった「偏見」のありかたは、そういった価値観を知ることができる現在、「偏見」が薄れるとともに、マイノリティは広がっていくことになる。本書は「愛のカタチ」のあり方を見直すきっかけとなる一冊となる。
最後になるが自分はノーマルであり、同性愛者ではない。単純に愛のカタチはいろいろあるのではないか、と思い本書を手に取っただけである。

帝国ホテルで学んだ無限リピート接客術~一瞬の出会いを永遠に変える魔法の7カ条

帝国ホテルで学んだ無限リピート接客術 一瞬の出会いを永遠に変える魔法の7カ条 帝国ホテルで学んだ無限リピート接客術 一瞬の出会いを永遠に変える魔法の7カ条
福本 衣李子 福本 朱哩

光文社  2012-07-19
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「帝国ホテル」
私も時々ではあるが、通ったことがある。とはいっても宿泊ではない。勉強会のためにロビーにある喫茶店に通ったという程度である。しかしその喫茶店のサービスもかなり良かった印象は記憶に新しい。
西洋の「ホテル」と、日本独特にはぐくまれた「おもてなし」の文化、それが相乗効果の如く重なりあったものが帝国ホテルのサービスとしてつながっているのではないか、とさえ思ってしまう。
本書はその「帝国ホテル」がなぜ長きにわたってお客様に愛されているのか、接客の観点から紹介している。

第一章「繁盛店には必ず、リピーターがいる」
「繁盛店」というとどの様なことを想像するのだろうか。飲食店であれば、日々行列のできるようなことだろうか、それとも、長年絶えず、お客様が通い続けられるようなところなのだろうか。
帝国ホテルは間違いなく「後者」である。その後者である理由、それは接客を介して、また来ようという口コミと「リピーター」の存在があることが要因であるという。

第二章「私が学んだ帝国ホテルの精神 魔法の七カ条」
七カ条をすべて挙げるのは本書の考えを全て明かすことになってしまうので当ブログでは割愛するが、「コミュニケーション」や「家族」そして「「仕事」であるということ」の本質を学べるところである。普段接客業を勤めている人にとっても、そうではなく、お客様と接していなくても学び、かつ実践できる「七カ条」といえる。

第三章「実践・リピート接客術」
本章では第二章の「七カ条」からさらに発展した接客術を紹介している。より実践的な内容になるよう著者が「帝国ホテル」での接客エピソードをふんだんに取り入れられている。世界で名の知れたホテルだからでこそなのか様々なお客様が来る。その「様々な」というのが肝心であり、そういったお客様のための対処法としても学ぶことができる。

第四章「エピローグ」
著者が帝国ホテルで学んだノウハウは現在接客業やマナー研修などで役立てられている。その帝国ホテルで学んだものとしてもっとも印象的なお客様のエピソードを綴るとともに、接客業のありかたの「これから」を示している。

私も見たことはあるのだが、帝国ホテルでは様々なお客様がいる。そのお客様の出会いと接客によって著者もそうであるが、帝国ホテル、そしてそれに携わる人々が成長し、今日まで続いているといっても良いといえる。それは日本初の洋式ホテルであるからではなく、日本独特の「おもてなし」の文化が続いているからでこそ、続いているのではないか、ということを考えさせられる一冊である。

〈恥ずかしさ〉のゆくえ

〈恥ずかしさ〉のゆくえ 〈恥ずかしさ〉のゆくえ
菊池 久一

みすず書房  2011-05-21
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日本には「恥じらい」の文化がある。その一方で開けっぴろげな絵や作品も少なくなく、「恥じらい」を持っていたり、持っていなかったりと曖昧である。その「曖昧さ」が日本語にもあるように、日本文化を象徴であるとともに、曖昧であることへの魅力も存在する。
本書はその中でも「恥じらい」「恥ずかしさ」がいかにしてできたのか、そしてその「恥」はいったいどこに向かっているのかに対して考察を行っている。

第一章「<恥ずかしさ>のいま」
「恥」としてもっとも語られるものとして「羞恥心」である。かつてある芸能人がプロデュースしたユニットがあるのだが、そうではなく、今生きていることが「みっともない」と思って「羞恥心」を取り上げている。

第二章「恥感覚と起動原理」
日本が「恥」の文化であることを初めて記したのが、ルース・ヴェネディクトの「菊と刀」である。欧米諸国、もっというとキリスト教を中心としてる国々の「「罪」の文化」の対比として表されたのだが、「文化」の上下について論じた人もいれば、日本にしかない文化であることを語っているのだと表した論者もいた。
ともあれ、古来から根付いている「恥」について、「罪」と対比しながら、その原理を追っている。

第三章「「話すこと」の負い目」
言語が違えど、ほどんどの人間には「話す」能力が備わっている。その「話す」ことで言葉のやりとりができ、それがキャッチボールとなり、コミュニケーションとなる。
しかしその「話す」は時として「罪」や「恥」をつくることもある。それが「負い目」に転化するとなる。

第四章「<恥ずかしさ>の復権」
本章のタイトルにある「復権」の鍵として「壁」と言うのがある。その「壁」は形のある壁ではなく、心の中など見えないところでの「壁」についてを語っている。

「恥ずかしさ」「恥じらい」はいったいどこからきたのだろうか、という問いには「哲学」というより「文化」という言葉が似合っているのかもしれない。日本にある「恥の文化」もしかり、キリスト教の国でも「罪」からくる「恥」があるように、宗教や哲学の思想に惑わされることのない「文化」の感情としての「恥」がある、と本書では言っているのではないだろうか。

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