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2012年9月

日本の自殺

日本の自殺 (文春新書 863) 日本の自殺 (文春新書 863)
グループ一九八四年

文藝春秋  2012-05-21
売り上げランキング : 19939

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日本では毎年3万人以上が自殺をしている。その多くは老後を迎えようとしている世代であるが、最近では今の社会に絶望し、自殺を遂げる若者も増えている事実がある。
その「自殺」には今も昔も社会・文化に宛てられた「メッセージ」を表している。
本書は1975年に文藝春秋において発表された「日本の自殺」を取り上げているのだが、ちょうど経済成長の踊り場を迎えたことから共通点があるのかもしれない。

第一章「衰退のムード」
本章では自殺の引き金となった例として「ローマ没落」を取り上げているが、「市民を裁判官に」「エゴの氾濫」といった題目と内容をみると、どうにも日本と似通っているように見えてならない。

第二章「巨大化した世界国家”日本”」
1975年といえば「オイルショック」などにより高度経済成長が終わり、おそらく戦後初めてマイナス成長を見せた時期と言える。それまでの経済成長の中で「巨大化」により、取り残される人々もでてきた。それが不平等の元ともなり、後の「格差」という言葉が形成されるきっかけとなった。

第三章「カタストロフの可能性」
「カタストロフ」とは何か。調べてみると、

「環境に多大な変化が訪れること。変化に追従できないものは絶滅への道をたどる。」wikipediaより抜粋)

とある。洪水神話は無いものの、子殺しや「最終戦争」にも思わせる様な殺傷事件がメディアでも度々報道されるようになった。

第四章「豊かさの代償」
急速な経済成長により、モノの豊かさは担保されるものの、それが文明にとって「没落」の根本原因となる。
この「没落」のきっかけとなるのが諸外国による「外的」なものではなく、国内の「使い捨て」や「無気力」「無無感動」「無責任」から表れる自壊によって招くのだという。

第五章「幼稚化と野蛮化のメカニズム」
国民の精神の幼稚・野蛮化のメカニズムについてローマ帝国のみならず、イタリアのファシズム、旧ソ連のスターリニズムについて取り上げられている。さらに要因の一つとして「情報汚染」が挙げられている。

第六章「情報汚染の拡大」
本書の初出は最初にも書いたように1975年であるが、どうにも本章ほど現在の状況にぴったりと言えるような章は無い。
まさに「濁流」と呼ばれる情報の氾濫がおこり、玉石混淆と呼ばれる情報に振り回されるという現象、俗に言う「情報汚染」が起こっているとも言える。

第七章「自殺のイデオロギー」
自殺のイデオロギーとして「疑似民主主義」が取り上げられている。そのメカニズムとして「大衆迎合主義」や「人気取り」「提案能力の欠如」といった要因があり、それもまた現在の日本にも合っている。

論文が発表されて37年経った今でも色褪せない、むしろそれ以上に現在のことを的確に捉えているようでいてならない。高度経済成長が踊り場にさしかかった状態でこのような状況であることを考えると「歴史は繰り返される」という命題もあながち間違いではない。私たちはそれに気付くことが先決であり、かつその教訓を生かすことが重要な課題と言える。本書はそれを気付かせる一冊と言える。

サツマイモと日本人

サツマイモと日本人 (PHP新書) サツマイモと日本人 (PHP新書)
伊藤 章治

PHP研究所  2010-10-16
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「秋深し馬肥ゆる秋」
食欲の秋と言われており、街路樹は紅葉に彩られ、そして落ち葉となって落ちてゆく。その落ち葉を使ってたき火して、そのたき火でサツマイモを焼いて「焼き芋」にして食す、という季節である。
しかしその光景もほとんどみられなくなった。むしろ神奈川に住み始めた今では「全く」とも言える。最近の「焼き芋」というとあらかじめスーパーやコンビニで焼かれたものを買うということもよく見かけるようになった。
本書の話に戻す。日本人とサツマイモは、切っても切れない関係にあるのだがその歴史について考察を行っている。

第1章「戦場のサツマイモ」
第二次世界大戦、とりわけ大東亜戦争の時代には食料不足が深刻化し、満足に食べられない家庭が多かった。とりわけ米は貴重なものであったのだという。
その代わりとなったのがサツマイモであった。

第2章「銃後では」
食料の困窮は戦後も続いた。米不足もますます深刻になり、「餓死説」にまで巷に流れるほどにまでなった。その食糧難の中でサツマイモが大いに役立ち、日比谷公園でサツマイモ畑を作ったほどであったという。

第3章「サツマイモの来た道」
サツマイモそのものが伝来したのは1597年、中国大陸からである(当時は「明」王朝)。
そこから本州に渡来したのはそこから15年後の1612年、薩摩藩(現:鹿児島県)からであった。

第4章「神になった日本人」
江戸時代には様々な「飢饉」が起こり、死者も出た。しかしその「飢饉」の中で「サツマイモ」の役割が大きく担ったのもある。そのサツマイモを作り、飢饉から脱した人物を「甘藷地蔵」、もしくはサツマイモの「神」としてまつられたという。

第5章「カライモのセン」
本章のタイトルである「カライモもセン」は対馬で作られた保存食であり、サツマイモを細かく砕いて、アクを抜き、発酵させ、天日干ししたものである。対馬にも飢饉が起こったものの、この保存食により一人の犠牲者もでなかったという。

第6章「出・天草」
天草地方もサツマイモの産地として名高く、「イモとイワシの島」と呼ばれたことがあった。その天草から水俣に移った人々の「サツマイモ」に関する事情と戦後四大公害病の代表格であった「水俣病」の関連性について綴っている。

第7章「「サツマイモ」VS「ジャガイモ」」
「イモ」というとみなさんは何を連想するのだろうか。
本書とこの書評を読んでいる人の多くは「サツマイモ」と答えてしまうのだが、その観念をはずして一度答えてみると「東」と「西」で大きく変わっていく。生産の作付面積でも「東」と「西」で大きく異なっている。

第8章「労研饅頭」
「労研饅頭(ろうけんまんとう)」は愛媛県松山市を中心に作られた、労働者の生活・食生活改善のために作られた饅頭である。食料が豊かになった時代でもこの松山名物の一つとして残っているのだが、それが誕生し、広がった原因、そして松山に残った原因を本章にて考察している。

第9章「こんな出稼ぎもあった」
高度経済成長期には地方を中心に「焼き芋」の出稼ぎが冬場限定であったという。これについては最初にも書いたように、時代とともに廃れていった。

第10章「町おこし、まちづくり」
サツマイモを使った町おこしも行われており、本章ではその中から埼玉や兵庫、京都をケースとして紹介されている。

サツマイモは米とともに日本人として欠かせない食料である。とりわけ米不足や飢饉の時には役立っており、「いざ」というときの食料として日本人に親しまれ、食品、もしくはおやつとして今日でも食べられている。本書はそのことを教えてくれる。

山手線誕生―半世紀かけて環状線をつなげた東京の鉄道史

山手線誕生―半世紀かけて環状線をつなげた東京の鉄道史 山手線誕生―半世紀かけて環状線をつなげた東京の鉄道史
中村 建治

イカロス出版  2005-06
売り上げランキング : 379035

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「上野の後に池袋
走る電車は内回り 私は近頃外回り…」

「綴方狂室の痴楽」で知られる四代目柳亭痴楽のトレードマークと言われる「恋の山手線」である。後に小林旭が同名のタイトルで大ヒットしたという。
その山手線であるが、品川~田町間で新駅がつくられるというニュースがあった。その意味で今山手線がアツいとも言える。
東京をはじめ首都圏にすんでいる人にとって馴染み深い山手線だが、そもそもそれが誕生した歴史はいったいどのようだったのかわからない。本書は127年もの歴史を持つ山手線の歴史を追っている。

第1章「強い反対に陸上を諦めて海上を走らせた「陸蒸気」」
江戸時代から明治維新となり、新しく政府ができたが、その目玉政策の一つとして挙げられたのが「鉄道の敷設」であった。その中心人物が伊藤博文と大隈重信であり、その手始めが「東京~横浜」間だったが、強硬な反対論と土地の問題もあり「汐留(新橋)~横浜」に変更され、かつ陸上というよりも「海上」に敷設をする奇策にでた。
余談であるが、今年10月14日、前述の区間で鉄道が開業されてから140周年を迎える。

第2章「華族が興した最初の私鉄、開業式を欠席した鉄道局長」
私が東京に来たときに驚いたのが「鉄道」の多さにあった。JR・地下鉄のみならず「東急」「西武」「京王」などの私鉄も存在しており、その乗り換えも複雑であったため、四苦八苦し痛い目に遭ったことも少なくなかった。
私事はさておき、日本で初めて「私鉄」をつくった岩倉具視であり、品川~上野間に敷設された。後に山手線・京浜東北線として重要なものとなった。

第3章「東京の山の手、凹凸地帯に線路を敷いた山手線の前身」
山手線の前身には2つのルートがあり、いずれも県を大きく跨るほど広いものがあった。
1つは東京から大宮・高崎・松本と通る「中山道ルート」
1つは東京から横浜・沼津・浜松と通る「東海道ルート」
その連結部分には岐阜県にある「加納」という駅だった。
本章ではその2つのルートをもとに井上勝の理想への奮闘と葛藤を描いている。

第4章「敷設ルートは二転三転し、山手線の名称を正式に決定」
第3章でつくられた構想をつくるべく、そのプロセスの一つとして上野~田端間、さらに田端~池袋間への敷設を進めたが、その中で日本初のストライキが起こるなどで難航した。その一方で新橋~池袋の路線の名についても議論が行われ、「山手線」に決めたのだが、本来「山手(山の手)」は本郷・青山・赤坂といった旧市街地のところを表していた。それ故かその幅広いなかに円形の中に入っているのも特徴と言える。

第5章「高架線建設で浮上した、東京を一周する環状鉄道の構想」
現在有楽町~新橋間は高架線となっている。他にも高架線の駅は存在するがその多くはコンクリート作り、一方で最初に取り上げたところは「レンガ作り」になっているところが特徴的である。山手線の多くは高架の路線となっているが、その走りとなった。
本章はこのことの他に東京駅の設置プランについても触れられている。

第6章「日本風から洋風デザインに変更して、巨大な東京駅」
私自身仕事・プライベート問わずして東京駅を使うことが多い。現在は復刻工事が行われており、来月には完成するといわれている。初めて東京に来たときからずっと特徴的な東京駅をみてきたわけであるが、そのデザインは開業した1914年からずっと同じ形を貫いている。
再来年には100年を迎えるが赤レンガの周りは刻々と変化を遂げる中、東京の中心を見守っている。

第7章「中央線の東京駅乗り入れで「のノ字運転」の開始」
東京駅と言えば現在、山手線の他に京浜東北線・中央線・東海道線・横須賀線・総武線(快速)・京葉線など多数の路線の乗り入れが行われている。
その中でも中央線の乗り入れが最初であった。そのときは神田~上野にかけての路線がつながっていなかったため、山手線・中央線をつなげた「のノ字運転」が行われていた。

第8章「東海道線と東北線は結ばれたが、日本縦貫鉄道は先送りに」
現在のような環状路線が誕生したのは1925年、大正時代末期の頃である。その最後の路線敷設となったのが「神田~上野」間であるが、その中で現在でも議論の的になっている「日本縦貫鉄道構想」、または「東北縦貫鉄道構想」も触れられている。約100年その構想があるのだが、具体的なプランや計画がままならないまま現在を迎えている現実がある。

第9章「汽笛一声から半世紀、日本初の環状鉄道・山手線誕生」
「半世紀」というのは日本で初めて線路が敷設された時から、山手線が環状路線として誕生してからのことを表している。そのため本章のタイトルには「汽笛一声」ということがある。
現在のような環状路線となってから85年以上たつのだが、その中でも有名になったのが最初に書いたように落語や歌として取り上げたことからにある。

東京をはじめ首都圏の大動脈としての山手線、80年以上走り続け、今日も通勤客や観光客の足となり東京中を走り回り運び続けていく。今までも、そしてこれからも。

災害弱者と情報弱者~3・11後、何が見過ごされたのか

災害弱者と情報弱者: 3・11後、何が見過ごされたのか (筑摩選書) 災害弱者と情報弱者: 3・11後、何が見過ごされたのか (筑摩選書)
田中 幹人 丸山 紀一朗 標葉 隆馬

筑摩書房  2012-07-12
売り上げランキング : 27173

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2011年3月11日午後2時46分、会社ではそろそろウィークエンドを迎えようとした頃、東北三陸沖を震源とした巨大地震に見舞われた。この地震により津波、さらには原発事故も併発し、多くの家屋が壊れ、人々の命が失われた。
その震災の中で活躍したのがTwitterやFacebookといったソーシャルメディアだったのはかつて震災にまつわる本の書評でも言及してきた。
本書の話に移すがその災害のなかで、災害に対する「耐性」の格差と先に行った情報に対する格差と多様性について考察を行うとともに、「情報洪水」と呼ばれる時代の生き方、さらにまた同じような震災にあったときの対処についてを見出している。

第1章「災害弱者―3・11被害とその背景にある社会」
東北や北関東を中心に被害を受けたとは言っても、以下のパターンが存在する。

①地震で被害を受けたところ
②津波で被害を受けたところ
③原発事故で被害を受けたところ
④ほとんど被害を受けなかったところ

ほかにも地震・津波・原発事故と多重被害を受けたところもあるのだが、大きく分けて4つに分けた。
もっというと未曾有の地震や津波が起こりながらも被害や犠牲者を最小限に押さえたケースもあれば、判断や情報の誤りにより壊滅的な被害を受けたケースもある。
本章ではそのことのほかに、現代社会における「リスク分配」や阪神・淡路大震災との比較について考察を行っている。

第2章「情報弱者―震災をめぐる情報の格差」
被害格差については前章で紹介したのだが、本章では中でも「情報」にまつわる格差についての考察を行っている。以前も震災に関する本を取り上げた時にもソーシャルメディアの使用可否について書いたのだが、情報格差はそれだけではない。地震や津波、原発事故の惨状について日本と海外メディアで差があった。それもFacebookやTwitterでみたことがあるのだが海外メディアの方が傷跡まで生々しく映し出しており、地震や津波の恐ろしさを世界に向けてまざまざと見せつけたのと同時に、日本メディアの隠匿性を露呈させてしまう羽目になった。

第3章「震災後3カ月の情報多様性」
震災から3ヶ月後、原発事故や地震に関して冷静に取り上げられ始めた時期であるが、そのなかで「情報濁流」と呼ばれる情報の実態と「横並び報道」と呼ばれる既存メディアの実態を明かすとともに、多様で数多くの情報をどのように接種したらよいのかを示している。

良くも悪くも「情報」についてメリットと課題を露呈させたのも東日本大震災や原発事故で生まれた側面の一つと言える。本書はそのことを気づかせてくれる一冊と言える。

「肩の荷」をおろして生きる

「肩の荷」をおろして生きる (PHP新書) 「肩の荷」をおろして生きる (PHP新書)
上田 紀行

PHP研究所  2010-07-16
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「生きづらい」世の中である。世界有数の「豊かさ」のある日本だが、私の周りにも「幸せ」そうに生きている人がほとんどいない。むしろうなだれながら通勤する人をよく見かける。その光景を見ると、自分自身がポジティブに思っていたのが馬鹿らしくなってしまう。
その一つの要因として「肩の荷」と言う名の重荷を抱えているかと著者は推察する。本書はその「肩の荷」の要因を「自分」「豊かさ」「親子」「恋愛」「成熟」と5つのカテゴリーに分割してその現状を考察しつつ、そのはずすためのメッセージを送っている。

第一章「「自分」という重荷」
嘘・おべっかと言う名の「仮面」を被り、本音で語るような「自分」そのものを殺してしまう。そう「人間関係」を損ないたくない、もしくは自分をよく見せたい、という重いが強く、それが「肩の荷」となっていった。
もっともこの「人間関係」がやっかいなものとなりその摩擦によって「孤独」に喘いだり、仮面をかぶり続けなければならなくなり、やがて精神的にも滅入ってしまうことになる。

第二章「「豊かさ」という重荷」
日本は豊かになったとともに「東京一極集中社会」、もしくは「首都圏一極集中社会」とよばれるような状況となった。かつて書評でも言ったように豊かさの「澱」が「重荷」や「肩の荷」として負担を抱えるようになってしまった。
最近では「地域活性化」と言われて久しいが、地方経済の活性化の付け焼き刃にすらならない現状がある。

第三章「「親子」という重荷」
「親子」関係はあるものの、本当の意味で子供を自由に育てることを拒み、自慢の道具として育てるような親も増えてきている。最近ではスポーツ選手、アイドルなどにさせるべく幼少のころから子供としての自由を奪い、英才教育を施すことで愛をはぐくむという「条件付きの愛情」をしているのだという。子供はその親の期待に応えるべく大人以上の負担を強いられてしまう。そしてその負担が「承認」への欲望となり、それを受け続けなければ思いも寄らぬ方向へ行動をしてしまう。

第四章「「恋愛」という重荷」
男と女の恋愛観の違いは今も昔も同じものもあれば、時代とともに変わるものもある。最近では「草食系男子」と言われて久しいが、それにより女性に対する要求と母性に対する在り方も変化した。その「恋愛」そのものを「重荷」として忌避する人もでてきており、それが「晩婚」「非婚」の引き金ともなっている。

第五章「「成熟」という重荷」
人の親になる、仕事で要職に就く・独立すると言ったところで人は成熟する。しかしその「成熟」が重荷となり、「孤独」「怒り」「歪んだ愛」を引き起こしてしまう。

「肩の荷」は豊かさの「代償」とも見て取れる。豊かではない時代の中では、周りの「支え」があるからでこそ、鈍なことがあってもがんばることができた。しかし一人でも十分なことができるような環境になってからそれが必要なくなってしまった。そのせいか他人への「支え」を失ってしまい、「肩の荷」ができてしまったのではないかと考える。

――かつてあった「支え」を見直すこと。

それが日本人に課せられた課題と言える。

英連邦 ~ 王冠への忠誠と自由な連合

英連邦 (中公叢書) 英連邦 (中公叢書)
小川 浩之

中央公論新社  2012-07-09
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「英連邦」と一括りにいっても「イギリス(グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国)」のことだけを言っているのではない。イギリスの君主が国家元首としている国々を総称して「英連邦」と言われている。その「英連邦」と呼ばれる国は、

・カナダ
・オーストラリア
・ニュージーランド
・ジャマイカ
・パプアニューギニア

など54カ国存在する。その多くはかつてイギリスの植民地としていた、あるいは多くの移民を行った国々であった。
本書は数多くの国々が加盟している「英連邦」のあらましと実態・課題について迫っている。

第一章「植民地から自治領へ」
18世紀の時代は「欧米列強」と呼ばれるほど欧州の国々が時代の台頭であった。中でもその中心にいたのが「イギリス」であり、アメリカ大陸やインド、さらにはオセアニアなど多くの国々を植民地・自治領にした。その概念が第二次世界大戦後まで続いたが、それが「英連邦」という礎が構築されていった。

第二章「英連邦の成立」
第一次世界大戦中の1917年5月にイギリス上院で行われた演説で、初めて「英連邦」について言及された。このときは「英連邦」という言葉だけであったが、後に「バルフォア報告書」や「ウェストミンスター憲章」など枠組みが作られ、成立したのは1931年の時である。そのときは「植民地」「自治領」が中心であった。

第三章「「新英連邦」への道」
第二次世界大戦後、「植民地」「自治領」と呼ばれた国々が独立・共和制へと移行していった。英国の「植民地」や「自治領」も例外ではなく、インドなどが共和制に移行することで憲章そのものの枠組みをどうするのか、という問題で紛糾した。また英国領となったことのない国々が続々と加盟を希望していき、「英連邦」の枠組み、さらには名称変更まで、戦前とは異なる状況に対応することへの四苦八苦について描いている。

第四章「「帝国後」の模索」
やがて時代は米ソを中心とした「冷戦」へと向かっていった。その中で「英連邦」と呼ばれる国々にて「スエズ戦争」や「人種差別」「ベトナム戦争」などの出来事により、加盟・脱退が流動的になり、かつイギリス自体もかつての「帝国」という威厳を失い、英連邦そのものの意義が問われるようになった。

第五章「現代世界の課題と英連邦」
右往左往した末、1971年末に新しい「英連邦」としての首脳会議がシンガポールで開催され、新しい枠組みを形成づける「シンガポール宣言」が採択された。
そして今日では軍事や外交以上に「経済」に関する問題が浮き彫りとなっている。EUを中心とした「ソブリンリスク」を脱出・回避することが当面の課題と言える。

国際連合でも「EU」でもない独特の枠組みのある「英連邦」であるが、それがどのような役割を持っているのか、メディアではあまり表だっていないのが現状してあるのだが、あまり表立たずして政治・経済において重要な役割を担う立場といえる。途上国が大きく変わっていく中、どのような立ち位置にいるべきか「英連邦」や「イギリス」は「試されている」とも言える。

2012年 F1シンガポールGP 波乱続きで2時間ルール適用! その中でヴェッテルが今季2勝目を獲得!!

結果は以下の通り。(「F1通信」より)

Round14_final

スタートダッシュではあまり大きな波乱は見られなかったのですが、ハミルトンが23周目にギアボックストラブルでリタイアをしてしまい、スタートで2番手に上がっていたヴェッテルがトップとなりました。

さらに波乱は続き、33周目にはカーティケヤンのクラッシュによりセーフティーカーが出動、その後には予選2番手だったマルドナドがリタイア、さらにクラッシュが相次ぎ、この後もセーフティーカーが出動、その周回が長く2時間で61周は走れず、59周でレース終了となりました。

そのような状況の中でヴェッテルが波乱にもめげず今季2勝目を獲得しました。2位にはバトン、3位にはアロンソとランキング上位陣がポディウムを占めました。優勝したヴェッテルはこれでランキング2位。3位表彰台のアロンソもランキングトップを堅守しました。

可夢偉はノーポイント。序盤のスピンがすべてを物語っているようにオーバーテイクショーも見せられず、終盤には危うく接触しそうな状況になり、そこでもタイムロスを喰らうなど踏んだり蹴ったりのレースの印象でした。

次戦は2週間後、日本・鈴鹿!!

2012年 F1シンガポールGP ハミルトンが2戦連続PP獲得!! そして優勝予想

結果は以下の通り。(「F1通信」より)

Round14_qualifying

フリー走行の3回はいずれもヴェッテルがトップタイムをマークしていましたが、3にちなんでのことなのか、予選ではフリー走行のような速さがでず3番手で終わってしまいました。

代わってPPに輝いたのがフリー走行ではコンスタントに上位ポジションをマークしていたハミルトンでした。前戦に引き続きのPP獲得となります。

可夢偉はQ3に上がるのは厳しいと言いましたが、予想以上の相性の悪さと言っていいのか、それとも調子が上がらないのか、まさかのQ1落ちという憂き目に遭ってしまいました。ナイトレースとはいえオーバーテイクのできる箇所もいくつかあるため、それに期待したいところですが…、このポジションではトラフィックにかかることも多く、それに引っかかり予選と同じ順位のままになる事も考えられます。

さて、優勝予想と行きましょう。

本命:ハミルトン

対抗:ヴェッテル

要注意:バトン、アロンソ

ナイトレースであり、ライトはつきつつも一つのミスや接触が思わぬ大事故につながりやすいのもこのレースの特色と言えます。その中で堅実な走り・戦略が勝利への大きなカギとなることから、ハミルトンのポール・トゥ・ウィンが濃いかなと言えます。

2012年 F1シンガポールGP フリー走行1・2回目結果 そしてPP予想

2週間ぶりのF1開催となりましたが、前回でヨーロッパラウンドも終わり、いよいよ終盤戦に向けてのアジアラウンドが始まります。今回のシンガポールを皮切りに、日本・韓国・インド・ドバイ(アブダビ)と5連戦が行われるわけです。

しかもこの5連戦の中に、今回の様なナイトレースもあれば、アブダビのようなトワイライトレースもあり、コンディションも大きく変わるレースばかりなので、1戦たりとも油断ができない、というスケジュールになっています。

チャンピオン争いも混迷を極める中で、最も重要な位置にある5連戦と言えるでしょう。

その初戦であるシンガポール、さてこのフリー走行1・2回目の結果を見てみましょう。(「F1通信」より)

1回目

Round14_free1

2回目

Round14_free2

ヴェッテルが好調のようです。1・2回目双方ともトップタイムをマークしました。またマクラーレンもハミルトン・バトンとも異なる回で2番手につけており、油断のできない状況と言えます。

可夢偉は中団のポジション。連続Q3進出は厳しそうです。

では、PP予想と行きましょう。

本命:ヴェッテル

対抗:バトン

要注意:ハミルトン、アロンソ

フリー走行の結果をしてもこの順位通りになるのではないかと思います。そうでなくともこの4人の争いでPPからセカンドローまでのポジションが決まるという感じとなるでしょう。

アイスクリームの歴史物語

アイスクリームの歴史物語 (お菓子の図書館) アイスクリームの歴史物語 (お菓子の図書館)
ローラ・ワイス 竹田 円

原書房  2012-03-19
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アイスクリームといえば「夏の風物詩」の一つとして取り上げられるが、残暑の厳しい今日この頃でも通用する。冷たさとクリーミーな味が、暑い夏を涼ませ、至高のひとときを得ることができる、身近なお菓子の一つと言える。
しかしそのアイスクリームはかつて「超ぜいたく品」と呼べるほど高級なものであったが、それがなぜ大衆食となったのか、そしてアイスクリームはどのように誕生し、進化をしていったのかを本章にて解き明かしている。

第1章「アイスクリーム草創期」
アイスクリームが「束の間の憩い」として言われるのはイタリアやフランス、アメリカ、日本のような先進国でも、中国、インド、イラクのような国々でも共通認識としてある。
そのアイスクリームの起源は中国大陸が「唐」と呼ばれる王朝のあった時代、皇帝たちが凍った牛乳のようなものを食べたことから始まったと言われている。それから13世紀末にマルコ・ポーロが「東方見聞録」にてその食を伝え、ヨーロッパにも知れ渡った。
「アイスクリーム」として誕生したのがそれから約400年後の17世紀にイタリアのスペイン総督府における厨房・食品管理の監督官だったアントニオ・ラティーニがミルク・ソルベット(イタリア語で「ミルク・シャーベット」のこと)のレシピを記したことが始まりとされている。

第2章「旧世界(ヨーロッパ)と新世界(アメリカ)で」
アイスクリームが誕生してからその開発の中心地はフランスとイタリアにあった。後に製氷技術や乳製品も進歩し、アイスクリームの進化に拍車をかけた、それがイギリスにも伝搬し、中流階級を中心にブームを作り上げた。
そしてそれが移民とともにアメリカ大陸にも渡った。

第3章「大衆化するアイスクリーム」
そのアイスクリームは中・上流階級貴族のものから「大量生産」技術が発展するとともに、それとともにアイスクリームの単価も下落し、大衆でも手に届くような代物となった。19世紀中期の頃である。

第4章「アイスクリームの黄金時代」
その19世紀中期から大ブームとなった。アメリカでは「アイスクリーム・パーラー」が続々と建てられた。

第5章「コーン・アイスクリームの誕生」
今までアイスクリームとして栄えたのはカップのアイスクリームだった。後に今のようにコーンのアイスクリームが作られたのは1904年に行われたミズーリ州の万国博覧会の時である。

第6章「大量生産の時代」
時代は現代へと移る。第二次世界大戦後アイスクリームのチェーン店やプレミアムブランドが作られ始めた。アメリカから作られ、やがて欧州、さらには日本、そしてアジアへと展開していき、より身近なものになっていった。

第7章「新たなアイスクリームを求めて」
最初にアイスクリームは「夏の風物詩」と言ったが、国・地域によって食べられ方・作られ方・季節が異なる。とりわけ酷寒な気候で知られるロシアでは冬でもアイスクリームが人気であり、90年代には列をなすほど人気になり、かつ消費量も急増したと言われている。

アイスクリームは国・文化に関わらず人に涼み・憩い・癒しを与える食べ物である。その歴史について描れた一冊をみると、甘みだけではなく、歴史と言う名の深みが加わる・・・かもしれない。

銀河に口笛

銀河に口笛 銀河に口笛
朱川 湊人

朝日新聞出版  2010-03-05
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自分自身が振れたことのない雰囲気を醸している。自分自身も昭和の生まれではあるが、物心がついた頃は平成に入っていたため、その「昭和の雰囲気」がいったい何だったのだろうかわからない。今の30代~40代が子供の時、何をして遊んでいたのか、漫画や本から何をしていたのかは観ることができるものの、どのような雰囲気で、どのようなテンションで遊んでいたのかは想像できない。

その触れたことのない雰囲気の中に突然現れた謎の少女が物語を描く。

30~40代が少年時代のころというと、だいたい70~80年代であり、本書にはその時流行したモノ、アニメ、漫画、そして事件などが散りばめられており、その時代に生きた人にとっては懐かしさが、そして私たちのように知らない世代にとっては「そのようなことがあったのか」という新発見がある。

もしも自分がその時代にいたとしたらどうなるのか、ノスタルジックな雰囲気にいながらもミステリアスな感覚に陥ってしまう。本書はそのような一冊であった。

宅配便130年戦争

宅配便130年戦争 (新潮新書) 宅配便130年戦争 (新潮新書)
鷲巣 力

新潮社  2006-01
売り上げランキング : 591371

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宅配便は明治時代の「飛脚」以来130年以上に及ぶ歴史があるのだが、その中でも「ヤマト(運輸)」「佐川(急便)」「日通(日本通運)」「郵便局(日本郵政)」の主要企業がしのぎを削っているような状況にある。
さらにいうと現在では「佐川男子」と呼ばれる佐川急便のセールスドライバーである男性に「萌える」女性もでてきており、何かと話題となっている。
本書は130年に及ぶ宅配戦争の歴史とこれからについて取り上げているが、本書が発売されたのは2006年1月、ちょうど郵政民営化を控えた時のことであるため、これから競争が激化することが予想される中で出版された。

第1章「宅配便とは何か」
そもそも「宅配便」とはいったい何なのだろうか。本章では、

「ドア・ツー・ドアで送られる小口貨物の輸送サービス」(p.14より)

と挙げられている。つまりはお宅からお宅へ訪問形式で荷物が送られるサービスである。私もよく宅配便を使う(というよりも受け取りがほとんどであるが)のだが、仕事により不在であることが多いため、不在票が届き、休日に届けてもらうように伝えることがほとんどである。
また「宅配便」と一口に行っても「宅急便」や「ペリカン便」など会社により特別な呼び名があることも特徴の一つとして挙げられる。

第2章「宅配便が変えた日本人の暮らし」
かつて宅配便は知人に対してモノを送るために使われ、とりわけ「お中元」や「お歳暮」の時期が特に使われた。
しかしインターネットの利用が増えたことにより、通信販売がより身近なものとなったことにより、年中使われるようになっていった。

第3章「飛脚便から宅配便まで」
「飛脚便」が作られたのは明治時代であるが、それ以前にも古代では「飛駅」、中世・近世では「飛脚」として宅急便と同じような役割を担っていた。裏社会では「運び屋」といったところだろう。
それはさておき、「宅」から「宅」への郵送手段は制度の歴史についてを追っている。

第4章「「官」と「ヤマト」との闘い」
宅配便を巡る代表的な争いとして「官」は中央政府、その中でも運輸省や郵政省(日本郵政公社・日本郵政)、「民」はヤマト運輸との闘いを描いているが、その背景には「村八分」とそれに対抗する人のようであったと言える。1981年の路線免許から始まり、料金設定、クレジットカード、そしてコンビニ取り扱いまで約20年と長期に及んだ。

第5章「宅配便の明日」
宅配便の市場はもはや飽和状態にあるとはいえ「メール便」や「生活支援事業」へとサービスの幅を拡大していく。生き残りの要素もあるのだが、それ以上に「宅配便」そのもののサービスをより身近に、そしてより手広くしていくことが目的なのかもしれない。

宅配便の歴史は長いのだが、現在のように幅広く認知されるようになったのは第4章で述べた「官」対「ヤマト」の闘いが風穴を広げたことにある。そして本書では述べられていないが、東日本大震災でも「ヤマト」はいち早く運べるところは運ぶよう動き、それが世論の支持を得ることにつなげていった。日常でもいざというときでも役立つ「宅配便」。市場は飽和状態にあろうとも私たちの生活にとって欠かせないもの、と言える。

ラーメンと愛国

ラーメンと愛国 (講談社現代新書) ラーメンと愛国 (講談社現代新書)
速水 健朗

講談社  2011-10-18
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もはや「国民食」として愛されているラーメン。そのラーメンも時代とともに変化をしている。名店と呼ばれる所では日本各地に支店を出し、カップラーメンのプロデュースまで行い、かつカップラーメンもカレーやトマトなど味も多岐に広がっていった。
そもそもラーメンは水戸光圀が中国大陸から輸入したものを食したことが始まりと言われているが、広くインスタントがつくられ、現在のように広く食され始めたのは戦後になってからのことである。
本書は「日本人の食」の変化とともに、「ラーメン」及び「ラーメン屋」そのものの変化といった「ラーメン」を中心とした歴史と文化の変遷に対する考察を行っている。

第一章「ラーメンとアメリカの小麦戦略」
ここでは戦中・戦後のアメリカの農業戦略とそれによる日本の農業事情について触れられている。
日本が戦時中の食糧事情は年が経つにつれ悪化し、終戦を迎えた後も厳しい状態が続いた。その一方でアメリカでは計画経済の手法で小麦を中心とした大量生産を行ったが、戦後それが余剰生産物となり日本をはじめ欧州に提供することとなった。日本も小麦の生産はあったものの単価が高かった。それ故か輸入小麦に太刀打ちできず、生産が悪化していった。
その小麦の使い道として「パン食」が広がり始めたが、その文化に疑問を持った日清食品創業者の安藤百福は麺食があることに気づき、動いた。

第二章「T型フォードとチキンラーメン」
車とラーメンの比較と言うよりも、むしろ「大量生産」という言葉に共通点がある。フォードが大量生産技術し、発達したのは1908年の時である。その「大量生産技術」は1955年に発売されたチキンラーメンに受け継がれた。

第三章「ラーメンと日本人のノスタルジー」
ラーメンと日本人のつきあいは深いが、その中でも「渡る世間は鬼ばかり」や「ALWAYS 三丁目の夕日」といったドラマ・映画作品、さらには夜食・独り暮らしとしてのラーメン、さらには「あさま山荘事件」とカップラーメンについての考察を行っている。

第四章「国土開発とご当地ラーメン」
「ご当地ラーメン」といえば、私の故郷・旭川では魚介類・豚骨・鶏ガラをベースにつくったダシと太ちぢれ麺、そして暑さが逃げないようにスープにラードを入れた「旭川ラーメン」、そして私の住んでいる神奈川では醤油味のスープとラーメンの上に歯ごたえが残る程度に炒めたもやしを水溶き片栗粉の餡で絡めて乗せた「サンマー麺」が挙げられる。
本書ではその「ご当地ラーメン」の歴史と批判について展開をしている。

第五章「ラーメンとナショナリズム」
私も年に数回ではあるがラーメン屋でラーメンを食す。そのラーメン屋にいくと、「人生訓」や「ラーメン訓」といった筆書きでかかれたものが壁に貼られている。故郷・旭川の名店である「青葉」にも「親父の小言」があり、有名である。
そいうものが増えた特徴として料理や食の番組が急速に増え、それが一種のナショナリズムとして確立させた1990年代以降のメディアとラーメンの関係について考察を行っている。

「日本食」というよりも「大衆食」として確立されたラーメン、そのラーメンはリーズナブルに食べられるものから、具材やダシからこだわり抜いた高級食としてのラーメンも存在する。日本人とラーメンは切っても切れないものであるが、その歴史についてよくわかる一冊と言える。

悪の哲学~ 中国哲学の想像力

悪の哲学: 中国哲学の想像力 (筑摩選書) 悪の哲学: 中国哲学の想像力 (筑摩選書)
中島 隆博

筑摩書房  2012-05-14
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「悪」とは何か。
「罪」を犯してからなのだろうか。それとも人間としてはずれたことをやってからなのだろうか。それは定かではない。
自らの「道徳」の中にある「善」と「悪」その二項対立の狭間は、何があるのか不明であるが、本書はその中で「悪」そのものの原理について中国大陸の哲学として「荘子」や「荀子」はじめとした多くの哲学者の思想を取り上げながらその原理を追っている。

第1章「君子の悪と小人の悪」
「君子」「小人」の差は歴然としている。そうすると「悪」の差も歴然なのかと思いきやその大きさや高さ、というよりも「本質」の違いにある。「君子」は民に対しての「悪」を言い、「小人」は自分自身、もしくは他人に対しての「悪」を言っている。

第2章「無善無悪」
理論を実践するというところから論じられた「陽明学」を中心に論じている。

第3章「天と人」
「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」
福沢諭吉の「学問のすすめ」の冒頭の言葉である。その源となったのは中国大陸の思想にあるのかと見紛うような所である。王は「天」と「人」の間、もしくはその両方に対する立ち位置について論じている。

第4章「性は善である」
「性善説」といえる所である。
「性善説」というと孟子や朱子などが挙げられる。
その中でも本章は孟子の哲学を中心に考察を行っている。

第5章「礼について」
「礼」というと中国大陸の思想の中で最も重んじられるものである。「食事」「悪」「善」など「礼」が使われる思想は数多くある。本章ではそれについて論じている。

第6章「荘子と非倫理」
「性善説」を唱えた孟子への批判の大家と言われた「荘子」は「情」や「礼」そのものを否定し、倫理そのものまでも否定した。あたかも自分の思考以外のすべてを否定したデカルトの中国大陸版と言える。

第7章「性は悪である」

「人間としての本性は「悪」だ」

これは漫画「軍鶏」の第1話で親を殺した主人公が少年院で服役中の男に性的な虐待を受けたときに心の中で叫んだ言葉である。また、「軍鶏」ではこの言葉を時折取り上げられている。
いわゆる「性悪説」を代表する荀子の思想を論じている。

中国大陸の哲学ほど「悪」を論じている哲学はないと言える。その「悪」を論じた代表格といえるのが荀子といえる。その旬子から様々な「悪」をとらえ、その残酷さと人間の心の中にある「澱」を映し出しているのが本書と言える。

武具の日本史~正倉院遺品から洋式火器まで

武具の日本史 正倉院遺品から洋式火器まで (平凡社新書) 武具の日本史 正倉院遺品から洋式火器まで (平凡社新書)
近藤 好和

平凡社  2010-08-11
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日本人と武具の歴史は、広義で言えば旧石器時代のころからあるのだが、際だって日本として「武具」を有名にしたのは武士が誕生した平安時代後期にまで遡る。ちょうど時代としては「中世」という立ち位置にあるのだが、その時代から武具はどのように進化を遂げ、どのように使われてきたのだろうか。本書は日本史の中から「武具」にスポットを当てて考察を行っている。

第一章「日本の戦士たちはどんな武具で闘ったのか」
日本の武具は中世・近世のものがとりわけ有名であり、海外からの評価も高い。現に海外の美術展に出展したこともあり、コレクターもいるほどである。
本章の話に移るが、ここでは概要として刀剣や鉄砲、さらには甲(よろい)・冑(かぶと)の変遷の大まかな所について論じている。

第二章「中世の防御具」
「中世」というとかなり広くとらえられる、時代で言うと「平安時代後期」から「安土・桃山時代」というところか。その中の武具は数多く生まれており、有名になったものも多い。
その時代の武具を大きく分けて「防御」「攻撃」にして、本章と次章にて紹介している。
「防御」というと「甲冑」が多くを占めるが、身を守るために用いたが、数百年の時を経て「美術品」として今も生き続けている。
単純に「甲冑」とは言っても部位は多岐にわたっており、それぞれ役割が異なっている。本章では部位を一つ一つ分かりやすく解説しているだけに、甲冑の奥深さを知ることができる。

第三章「中世の攻撃具」
武器とは言っても「刀剣」や「鉄砲」ばかりではない。弓矢や馬も立派な「武器」である。本章では「弓矢」「刀剣」そして「馬」の武器についての解説を行っている。
「弓矢」にしても状況によって合うものが異なるのが最も印象的であった。

第四章「律令制下の武具」
「律令」といえば、言うまでもなく710年の「大宝律令」のことを言っているが、ちょうどその時代は「奈良時代」である。そのときの武器や防具は武士が誕生した時代とは異なっており、その詳細もあまり知られていない。本章ではその時代の武具について「国家珍宝帳」と正倉院遺品と数少ない文献や史料をもとに解き明かしている。

第五章「近世の武具」
安土・桃山時代後半から江戸時代にかけての武具を紹介している。ここでは伝来し始めた鉄砲や火器も紹介されているが、本章で印象的だったのが甲冑の進化のパターンが分かれており、それぞれ特徴が異なる。

「武具」は武士にとってなくてはならないものであるが、その進化についてこれほどまで深く掘り下げられた一冊は存在しない。それゆえ武士の時代について深く知りたい人にとっては欠かせない、かつ日本史でも道具の歴史を知りたい人にとってもお勧めできる一冊と言っても良い。

哲学者クロサキの哲学する骨董

哲学者クロサキの哲学する骨董 哲学者クロサキの哲学する骨董
黒崎政男

淡交社  2012-04-13
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私たちの世代だと「骨董」というとピンとこない人が多いかもしれない。何せ美術品などの「物欲」そのものが薄れてしまっている。
しかし「骨董」にかぎらず美術・芸術のものには、言葉にできないほどの「美しさ」がある。その「美しさ」に魅入り、さらに骨董を集めるようになる。
「骨董」を哲学すること。その「骨董」に魅入ることのできるメカニズムを本書では解き明かしている。

第一章「骨董と美」
「美しいものは美しい」
その「美」という定義や代表的なものは人それぞれである。その美しさは「美術品」や「骨董品」などありとあらゆるものを観たり・聴いたりする事によって磨くことができる。「美」を見抜く眼も「美術品」や「骨董品」によって養うことができる。かつて評論家や発掘者も魅入られ、そして「骨董品」の美しさの深みにはまっていく。

第二章「骨董と複製」
漫画作品に「ギャラリーフェイク」がある。主に美術品が中心であるが、骨董品が紹介されることもある。タイトルにあるとおり美術品の偽物(フェイク)やレプリカを売買する業者の主人公が様々な美術・骨董品をテーマとした様々なことに遭遇しながら、「美」についてを追い求める物語である。
その「フェイク」は「複製」「贋作」の意味を持っている。しかし「複製」と「贋作」の二つは同じようでいるがそもそもの意味合いが異なる。複製は「オリジナル」そのものをコピーをする、「贋作」は「複製」のほかにも「オリジナル」のように見せて作ったものも含まれる。

第三章「インターネット時代の骨董」
インターネットが栄えることによって「骨董」の考え方やアプローチも変化した。たとえば骨董品の売買、オークションも去ることながら、複製が容易になっただけではなく、「電子化」も行うことができた。

第四章「骨董テクノロジー」
骨董のテクノロジーというと「複製」するのでは、という考えを持ってしまうが荘ではない。むしろデジタル化もあれば、「復刻」や「修理」といった技術もまた「テクノロジー」と言える。

骨董品には、「美しさ」の中にそれを魅入られ続けることのできる「魔力」がある。「美しさ」だけではなく「古さ」があたかもタイムマシンに乗ったように「時間」の深さを見出すことができる。「骨董」はまさに「奥が深い」と言えよう。

タイガーズ・ワイフ

タイガーズ・ワイフ (新潮クレスト・ブックス) タイガーズ・ワイフ (新潮クレスト・ブックス)
テア オブレヒト T´ea Obreht

新潮社  2012-08-24
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一言で言えば「虎の嫁」と言える作品。「嫁」とはいっても年端のいかない少女のことであり、虎と心が通じるからそう呼ばれたのだという。

本書は紛争の戦禍により被害を受けた動物園も舞台の一つとなっている。その紛争の描写はあまりにも生々しいのだが、事実著者はユーゴスラビアの紛争に巻き込まれキプロス・エジプト・アメリカにと渡り歩いた経歴があるため、その記憶を残している。その紛争の中で著者の周りの人の「死」も見てきた。人間の醜さも見てきた。

そして戦争そのものの「異常」と言える空気と姿を触れた。その姿が「不死身の男」と「虎の嫁」にありありと描いている。同年代の若手作家の作品であるが、それを感じさせず、むしろ独特な描写が引きつけられる感が強かった一冊であった。

鉄道と国家─「我田引鉄」の近現代史

鉄道と国家─「我田引鉄」の近現代史 (講談社現代新書) 鉄道と国家─「我田引鉄」の近現代史 (講談社現代新書)
小牟田 哲彦

講談社  2012-04-18
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鉄道は明治5年に新橋~横浜間に初めて敷設されて以来ずっと交通インフラとして欠かせないものとなった。しかし私は大学に入学する前までは全くと言っても縁遠い者であった。大学時代も小樽・札幌間くらいしか行かなかった。電車が重要な交通手段として認識できたのは東京に初めて訪れてからのことである。
私事はさておき、本書は鉄道と国家の関係について述べられているが、1985年に民営化された前後とそして現在の新幹線技術輸出を中心に考察を行っている。

第一章「鉄道は国家百年の大計」
冒頭にも言ったように、明治5年に初めて敷設されてから来年140周年を迎える。
当初から国主導で行われ「国富」の象徴と言われているが、その鉄道に関しての「線幅」について、そしてそこから派生する「新幹線」についての問題は山積している状態である。

第二章「日本の鉄道を創った政治家たち」
井上勝や後藤新平と鉄道敷設に尽力した政治家、さらには新幹線敷設を支えた佐藤栄作などの人物と鉄道敷設への変遷について紹介をしている。

第三章「「我田引鉄」で生まれた鉄道」
本来の四字熟語にある「我田引水」の「水」を「鉄道」の「鉄」を当てはめたものである。
鉄道路線を地元への延伸をしたことからきているのだがそれを実行した政治家と路線について紹介している。

第四章「政治が生み出す停車場」
政治家の一存によって駅が新設されたり、職権濫用による事件もあれば、鉄道路線などによる政治的なやりとりも少なくない。これは昨今の新幹線延伸に関しても同じ事が言える。

第五章「鉄路存亡を左右する政治の力」
国鉄の民営化する前も後も政治の影響は残っている。しかし国鉄時代は政治的な影響は色濃くあり、赤字ローカル線の存続のために動く政治家もいた。

第六章「海外への日本鉄道進出」
日本の鉄道や電車、新幹線技術の海外への提供は現に行われているところもあるのだが、本章で焦点を当てているのは中国や台湾といった技術輸出と国家認識の違いについて論じている。

鉄道と政治は民営化した今でも切っても切れないものである。そもそも国と鉄道は国有化をしており、それが約120年ほど続いたのだから民営化をしていても完全に「国」から離れるのは難しい。本書はそのことを考察したのではないかと思う。

森林飽和―国土の変貌を考える

森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193) 森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193)
太田 猛彦

NHK出版  2012-07-26
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森林破壊が著しく、それが環境破壊の象徴といわれている。その対策の一つとして「植林」をする事によってもとの緑の森に戻そうとする働きかけも多い。
しかしその「植林」が森林破壊とはまた違った「環境破壊」を被るのだという。本書ではその緑化に対する「副産物」と呼びタイトルのような「森林飽和」と定義しているが、その「森林飽和」の悪影響について取り上げつつ、その対策も提示している。

第一章「海辺の林は何を語るか」
2011年3月11日の「東日本大震災」では東北・北関東を中心に家屋や自然、家畜、人と甚大な被害を受けた。
木々もその例外に漏れないが、木によって易々と折れた木もあれば、津波をも耐え抜き、さらにくい止めた木もあった。後者は主に「マツ」の木であり、その木が群がる「マツ林」と呼ばれる林のある海辺のあるところには甚大な被害を受けずに耐え抜いたという。

第二章「はげ山だらけの日本」
森林破壊の象徴としてあるのが「はげ山」であるのだが、その「はげ山」は戦後、急激な開発によって森林破壊されたと言われているが、戦前から森を資源として利用して、じわじわとはげ山になった山もある。戦前どころではなく、江戸時代の頃からすでに「はげ山」となった山も存在したことを本章で指摘している。

第三章「森はどう破壊されたか」
では「森」はどのようにして破壊されたのか。第二章でも同じようなことを言ったのだが、戦後に急激に森林が少なくなったのではなく、それ以前も森林破壊はあった。そのピークとなったのが明治時代であるという。

第四章「なぜ緑が回復したのか」
第三章で破壊された森であるが、その森林破壊を嘆き始められたのが明治時代、東京帝国大学(現:東京大学)教授の志賀泰山が論文で森林の分析を行い、少ないことを嘆いたことが始まりとされている。
その論文をうけ、政府は森林の保全・保護を目的に林業を強化したと言われている。
そこから林業が延び始めた矢先、日清・日露戦争と木々の需要が増えていった。その需要がもっとも多かったのが戦後、植林と伐採の両輪を急速に回していったがために里山が疲弊したという。とはいえ驚異的な復興のために、木材の需要は高かったことにより、早い循環で森林は変わっていった。
やがて経済成長も踊り場にさしかかった頃から木々の需要は減少していった。

第五章「いま何が起きているのか」
本書の核心といえるところである、緑化による副作用は箇条書きにすると、以下のものが挙げられる。

・土砂災害(表層崩壊から深層崩壊へ)
・水資源の減少
・花粉症

とりわけ最後のところは深刻であるという。

第六章「国土管理の新パラダイム」
その森林飽和を解消するための方法、それは一言では言い切れないが、その場所本来ある環境に合わせて、植林や森林利用、そして「守る森」と「使う森」を分別する事が大切であるという。

何もかも「植林」すれば良いと言うものではない。むしろ森林の問題の解決は一筋縄ではいかず、植林するだけで良いほど単純なものではない。本書はそれに警鐘を鳴らした一冊と言える。

心でするダイエット

心でするダイエット 心でするダイエット
おち洋司

セルバ出版  2012-06-20
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著者のおち様より献本御礼。
皆様はダイエットをしたことがあるのだろうか。
私自身も大学生の頃何度かダイエットを試そうとしたのだが、いかんせん金欠であり、かつケチだったことから失敗してしまった。
社会人になってからは仕事もあってか、ダイエットどころではなくなってきているのだが。
私事はさておき、ダイエットを失敗した人は数多くいるのだが、その原因は方法そのものにあるのかもしれない。
本書はタイトルにあるとおり携帯電話や人間本来のある「本能」を使ったダイエット法を紹介している。

1.「スリムにならないと損をする」
おそらく本書を読む読者は一度以上ダイエットに失敗した人がいることである。
人はなぜダイエットするのか、太っているとどのようなリスクがあり、スリムになるとどのようなメリットがあるのかを本章では紹介している。

2.「ダイエットの本質を知る」
決して「ダイエット = やせる」ということではない。むしろやせる方法であればダイエットでなくてもある。
ではなぜ「ダイエット」をするのか。それは「自分の理想の体」を求めることそのものであり、やせることはそのための一手段に過ぎない。

3.「成功するダイエットの心と考え方」
ダイエットは「理想の体」を求めるためにやせる、というのはわかったが、そのダイエットをするための心がけの例として「理想の体」を求めるつながりから「モデル」や「ボディビルダー」を引き合いに出している。

4.「本能ダイエット法の知識を学ぶ」
「とにかくやせたい」という願望だけでは結局始めたとしても理想の体になることはほとんどない。
本書のタイトルには「心」という文字が含まれている。それ故に「なぜ」ダイエットをするのか、と聞くよりも、むしろどのような人に成りたいのかのシーンを想像することによって本能を呼び起こし、そしてダイエットを続ける原動力に繋がっていく。

5.「本能ダイエット法を実践する」
前章までは理論であったが本章では「実践」編として、最初にも書いたが携帯電話を使うことがカギとなる。携帯電話というと電話をするだけではなくメール、あるいはカメラなどの機能も備わっており、日に日に進化を増している。
とりわけカメラは自分の体を客観的に観ることができる、メールや電話も相手に対してダイエットを伝える事によって動機付けをする事ができるという。

6.「維持とエクササイズの秘訣」
ダイエット最大の難関は「維持」「持続」といった続けることにある。やり続けなければ効果は出ないし、即効性はあるものの、それはかえって自分の健康を著しく害するほど危険なものとも言える。

そのためダイエットし続けるためにストレスレスであること、イメージを楽しむことにある。
理想の体を求める、そのために苦しむのではなく、むしろそのために「我慢」も「根性」も無いダイエットをする事によって続ける。その続けられる方法が本書には秘められている。

2012年 F1イタリアGP 上位陣が相次いでリタイアを尻目にハミルトンがポール・トゥ・ウィン!

結果は以下の通り。(「F1通信」より)

Round13_final

ハミルトンが危なげなく、ポール・トゥ・ウィン!を獲得しましたが、見所があったところと言えば、可夢偉のチームメートであるペレスのオーバーテイクショーと言えます。前半だけでも表彰台獲得まで順位を伸ばし、ハミルトンがピットインするときにはラップリーダーにまで躍り出たほどです。

ザウバーのマシン性能もさることながらペレスのテクニックも見事と言うほかありません。一方可夢偉は…、今回はあまり目立った活躍もなく「可もなく不可もなし」と言えるポイント獲得に過ぎませんでした。ただでさえマシン性能の良いザウバーマシンを乗りこなせていないという印象が見受けられており、この状況のままでは来シーズンのシートも確約できない様な状況に陥る可能性が高まります。

もう一つ印象的だったのが、レッドブル2台とバトンがいずれもスピンやマシントラブルなどでリタイアをしたと言うことにあります。ハミルトンは淡々としたレース運びをしており、あまり影響は受けませんでしたが、「フェラーリの聖地」であるが故の「洗礼」を浴びせられたと言えるかもしれません。そう、2006年のアロンソ(当時:ルノー)のエンジンブローのように。

次戦は2週間後!シンガポール マリーナ・ベイ!

2012年 F1イタリアGP マクラーレン勢がフロントロー独占!! そして優勝予想

結果は以下の通り。(「F1通信」より)

Round13_qualifying

ハミルトンがフリー走行の速さそのままにPPを獲得、その後ろにはチームメートのバトンが着き、フェラーリの聖地でありながらフロントロー独占を果たしました。

ここ最近調子の悪かったマッサもフェラーリの聖地で見事に3位。決勝ではマクラーレン勢を抜いてトップとなれば、ティフォシも狂喜することでしょう。

可夢偉はフリー走行が芳しくなかっただけに、この1日でできる限りのアップデートを施したのだとか。その甲斐あって2戦連続Q3進出を果たし9番手。決勝はどうにかスタートダッシュ失敗だけは免れたいところです。

では優勝予想と行きましょう。

本命:ハミルトン

対抗:バトン

要注意:アロンソ、マッサ

マクラーレン勢の速さが勝つか、それともティフォシの声援が勝つか…と言った所です。

2012年 F1イタリアGP フリー走行1・2回目結果 そしてPP予想

F1サーカスの裏側ではロンドン・パラリンピックが行われていますが、その中でも特筆だったのが元F1ドライバーで両足切断になる恐ろしい事故を経験したアレックス・ザナルティがハンドサイクルで金メダルを獲得したというニュースがありました。両足切断に遭ってもモータースポーツの精神は消えず、そこから離れていても新たなスポーツに挑むチャレンジ精神はモータースポーツに限らず、多くのスポーツマンたちの火を灯すと言えるでしょう。

さて、2012年のF1サーカスもいよいよ大詰めを迎えるヨーロッパ・ラウンド最終戦。舞台はティフォシ(フェラーリファンの総称)の聖地と言われているイタリア・モンツァサーキットです。高速サーキットの中の高速サーキットと呼ばれています。

速さだけではなく、フェラーリにとってはティフォシが追い風に、逆にフェラーリ以外のチームは向かい風の様な雰囲気の中で挑むレースですから、フェラーリがよく勝つかと思いきや、最近ではそれ以外のドライバーが勝利しているため、一概にフェラーリが勝ちやすいとは言えないグランプリとも言えます。

さて、フリー走行1・2回目の結果を見てみましょう。(「F1通信」より)

1回目

Round13_free1

2回目

Round13_free2

1回目はミハエル、2回目はハミルトンがトップタイムをマークしましたが、地元フェラーリ勢も上位につけており、油断のできない様なフリー走行のように思えました。

可夢偉はトラブルもあってか中位どまり。この状況では予選も難しいかもしれません。

では、PP予想と行きましょう。

本命:ハミルトン

対抗:アロンソ

要注意:ミハエル、ヴェッテル

ここ一発の速さではヴェッテルやライコネンと言った所かもしれませんが、フリー走行の結果を見る限りではハミルトンがPPを獲得し、フェラーリ勢がフロントロー、もしくはセカンドローあたりにいると言うようなポジションになりそうです。

スクリューフレーション・ショック~日本から中流家庭が消える日

スクリューフレーション・ショック 日本から中流家庭が消える日 スクリューフレーション・ショック 日本から中流家庭が消える日
永濱利廣

朝日新聞出版  2012-07-06
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「スクリューフレーション」と言う言葉は初めて聞く。「スクリューフレーション」とは、
「中間層の貧困化(Screwing)とインフレーション(Inflation)が組み合わせた造語で、中間層の貧困かとインフレーションが同時に発生する状態」(本書見返し側のカバーより)
のことを指している。実際にインフレーションを起こしているとは疑わしいが、中間層の貧困が著しいのは最近のニュースを見てわかる。
かつては「一億層中流」と呼ばれた時代が崩壊し、その「中流」と呼ばれた中間層が貧困の憂き目にあっている原因、と復活への活路はあるのか迫っているのが本書である。

第一章「世界経済の低迷―その原因は」
経済は発展途上国の急激な成長により世界的にも経済は発展している。その一方で「リーマン・ショック」「ソブリンリスク」により欧州の先進国が軒並み財政危機に陥った。日本でも「超円高」から経済が「二番底」と呼ばれるような状態となってしまった。
さらに経済のグローバル化により、工場が海外移転するだけではなく、優秀な人材が日本から流出する事象も現に起こっている。

第二章「日本経済は復活するのか」
日本の株式市場は外国人投資家によって平均株価が変動する状況にある。その外国人投資家は世界の経済状況を鑑みて株を売買するため世界情勢が左右されやすいと言える。
さらに第一章で述べたような事象により、「ものつくり」で輸出に頼りがちだったがために、輸出をしても利益を上げることができなくなった。

第三章「「新興国」「途上国」のインフレ、人件費上昇、都市化」
発展途上国、とりわけ「BRICs」と呼ばれる国々の経済が急成長を遂げたことにより、食料やエネルギーの価格競争が盛んになっていくに連れ上昇していく。とりわけ原油高が高まり、ガソリンが高くなったのは有名な話である。
そういった意味では円高によりデフレーションが起こるどころか、「スタグフレーション」が起こっているとも言える。

第四章「忍び寄る「スクリューフレーション」」
原油などのインフレーションが起こっているにも関わらず、人件費削減など日本企業では「経営合理化」が止まらず、労働者に与えられる給与も緩やかな右肩下がりを見せている。さらには雇用のミスマッチも重なる、人件費の削減をするなかで「非正規雇用」が若者世代を中心に増加した。

第五章「日本から中流家庭が消える日」
世界的な経済成長のなかで食料やエネルギー価格が上昇しながらも、給与額の減少、さらには増税などの負担増など生活の財政も火の車となってしまっている。
しかもその事象は都市圏以上に深刻さを与えているのが地方である。

第六章「「スクリューフレーション」が生き抜く日本経済」
中間層の貧困化は日本人の生活の貧困化にもつながっているのかもしれない。しかし政府も政府で国家の借金をどうにかしようと、増税を図っている状態で、生活にはなかなか手を着けられていない。かといって日銀もほとんど無策といった状態にある。その「スクリューフレーション」の打開策として「食糧自給率」の増加を本章では挙げている。
確かに食料を輸入に頼っているだけに有効なのかもしれないが、放射能のリスクなどのリスクが挙げられる。

「スクリューフレーション」をなくすどころか、抑えることでさえも難しい局面に入ったことは事実である。しかし、経済をよくするためには政府だけがやっても、日銀だけがやってもうまくはいかない。むしろ国民一人一人が経済のために貢献できることはある。微力ではあるが、その人数が多ければ多いほど「スクリューフレーション」の影響は小さくすることができるという。何事も他人事にせず、自分事としてとらえることが大切である。

地下水は語る――見えない資源の危機

地下水は語る――見えない資源の危機 (岩波新書) 地下水は語る――見えない資源の危機 (岩波新書)
守田 優

岩波書店  2012-06-21
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日本人の生活のなかで「地下水」は欠かせないものだった。しかし爆発的に人口が増え、利用も人口増加につれ増えていき、それが「地盤沈下」や「湧水枯渇」といった現象になってかえってきてしまった。
さらには「水の戦争」と呼ばれるほど世界各国で名水争奪戦が行われている。
本書は「地下水」という日本人の中で欠かせない資源が失われることへの影響と、これからの「地下水」との付き合い方を見出している。

第一章「沈む大地」
地盤沈下が起こり始めたのは1920年代、大正時代の頃である。そのときから地盤沈下は懸念されたのだが、そのときは「地脈」によるものが主流であった。今日のように「地下水」によるものであることが発見されたのは1940年、さらにそれが広く受け入れられたのは1960年代に入ってからのことであった。

第二章「枯渇する名水」
日本の名水は「江戸」「昭和」「平成」と変わっている。その中で「江戸の名水」といわれた「井の頭池」は昭和の高度経済成長のあおりを受けて枯渇をしていった。本章ではなぜ枯渇していったのか、それを歴史や地理などの学問を駆使して分析を行っている。
あとがきにもあるのだが、著者が地盤沈下に関わった初めてのケースが「井の頭池」であるため、本章の思い入れはもっとも強い。

第三章「地下水と日本人」
「地下水」を汲み上げるとすると、「井戸」を使うものがかつて一般的であった。その「井戸」
はいつごろから使われ始めたかについてを紹介している。
いつごろか、というと「古事記」の時代からすでに存在したと言われている。

第四章「環境としての地下水」
首都圏では高度経済成長に伴い、次々と地下鉄が作られた。その開発の中で地下水の水路が断たれるところもあれば、工事により地下水の水質汚染も起こった。本章ではそのことについて分析をしている。

第五章「地下水とどう付き合うか」
海外からミネラルウォーターを輸入される用になったのも起因の一つとされているが、地下水の需要は右肩下がりのごとく少なくなった。とはいえ日本の名水が「国産のミネラルウォーター」として扱われることも少なくなく、最初にも書いたように、それを巡った国内外での「争奪戦」も起こっている。

地下水は自然の恩恵である。その地下水は河川の潤いと雨水によって生まれている。しかし昨今では使われているだけではなく、夏は酷暑により地下水ができようにもできないような状況が続いているという。どうであれ地下水に限らず、水は動物が生きていくに当たり重要な生命線の一つ。その水を大切に扱うか、粗末に扱うかは私たちの考え次第と言える。

幸せな結婚をするために大切なこと

幸せな結婚をするために大切なこと 幸せな結婚をするために大切なこと
香川 浩樹

PHP研究所  2012-08-25
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(株)オトバンク 上田様より献本御礼。
昨今では「晩婚化」「非婚化」が叫ばれており、結婚をするにも遅い年齢、場合によっては結婚すら望まない人も出てきている。しかし異性に興味がない訳ではなく、経済的な観点から「結婚できない」という理由も多いのだという。
さらにいうと結婚をしたい、理想の異性を見つけたいと言ってもなかなか見つからない人もいる。そこで本書である。本書はその理想の異性を見つけ、「幸せな結婚」にまで至るまでのアドバイスを女性を対象に伝授している。

第1章「結婚できる人になるために必要なこと」
本書の中にはちょっとした「物語」がちらほら存在するが、これは著者が代表を務めている結婚相談所の「実話」である。
結婚をするとなると、年齢、相手のルックスや年収を求める人がいる。
しかし求めるのではなく、むしろ相手に対して喜ぶことができること、あるいは自分自身が「素直」になることが必要である。

第2章「あなたの「理想の人」を決める」
第1章では自分にする事であるが、それを行ってから次は「相手」を探す。その基準となるのが小さい頃からいた「家族」がカギとなる。

第3章「幸せになるための心得」
「幸せになる」ベクトルは人それぞれであるが、ここでは家庭的に「幸せ」になるための異性とのつきあい方や見つけ方についてを紹介している。
子供が産まれた後のこと、そして自らなるべき・なりたい自分を見つけることの心構えとしてはいけないことまで網羅されている。

第4章「理想の彼との距離を縮めるために」
相手との距離を縮めるためにはポジティブな感情にさせること、さらに短所や趣味まで「さらけだす」ことで相手の距離を縮めることができるという。

第5章「「一生幸せな結婚」をするための相手の見極め方」
自分自身が「自然体」となり、かつつきあう期間、さらにはプロポーズの言葉にいたるまで相手を見極めるための方法を伝授している。

結婚は誰もがあこがれ、そして多くの人がなし得る一大事業である。それをなし得るために理想の相手を求めるのもあるが、それ以上に自分自身の考え方を変えることこそ、幸せに結婚できるための大きな布石となる。本書はそのことを教えてくれる。

すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、〈三人称〉で考える。

すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、〈三人称〉で考える。 すべてが見えてくる飛躍の法則 ビジネスは、〈三人称〉で考える。
石原 明

アスペクト  2012-06-25
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(株)オトバンク 上田様より献本御礼。
「一人称」「二人称」「三人称」は国語や英語など語学の授業ではよく使われる。「一人称」は「私」など「自分」を、「二人称」は「あなた」といった目に見える相手単体を、そして「三人称」は「彼」「彼女」など自分・相手に関わらず見えないものを指しているが、その「人称」にまつわる思考はビジネスでも同じ事が言える。
その中でも「三人称」は自分・相手の双方を考える、もっと言うとそれらを「切り分けて」考える事ができるのだという。本書はその「三人称」で考えることの重要性とその方法についてを伝授している。

第1章「なぜ「一人称」ビジネスマンではダメなのか」
最初にも言ったように「一人称」は常に「自分思考」「主観思考」に陥ってしまい、相手の感情や考え方を見ることができない。相手の考え方を察するとまでは行かなくても「チーム」や「お客」と言った「相手」がいる以上、自分だけでビジネスを動かすことができない。だからといって「客観思考」だけでも自分自身をどうしたらよいのか見えなくなってしまう。
その両方を司ることができるのが「三人称」である。

第2章「三人称視点はビジネスの境界線」
「二人称」は「客観」と書いたが、その客観は「顧客」などの相手の事を指しており、「顧客第一主義」はその典型と言える。そこから「自分」「相手」、さらに「そのほかの人々」と視点を広げることによって「三人称」になるという。そこから先として第4章にて述べるのだが「四人称」「五人称」と発展することができる。

第3章「あなたの危機を救うメタ認知」
「メタ認知」は心理学の用語としてよく出てくる。簡単に言えば客観的な思考をするために自分自身を一歩引いて考え、認知するというものである。
その「自分自身」の考えから少し離れたところを見ることこそ自分の短所や危機を知り、対処をすることができる。

第4章「一つ上の人称でステップアップ」
本書は「三人称」の重要性を説いたのだが、それからさらに進化した「四人称」「五人称」へステップアップする方法を伝授している。ちなみに「四人称」は三人称で述べた自分・相手・そのほかの人々の視点に向けた思考に加えて「マーケット全体」や「ライバル企業」の視点、「五人称」はさらに「他業種」「地域全体」まで視点を広げている。
まさか本書には載っていないものとして、さらに発展した「六人称視点」があり、それは「日本経済」「日本国全体」まで向ける事ができるのだろうか、とさえ思ってしまう。
邪推はさておき、「人称」をさらに上げた思考はビジネスだけではなく、プライベートな問題まで解決をすることができると著者は主張している。

第5章「誰にでも訪れる「三人称」の危機」
しかしいったん「三人称」を身につけたとしても、感情が介入されることにより自分視点の「一人称」に戻ってしまう。本章ではその危険性と対処法について紹介している。

「人称」というと国語や英語などの語学で使われるのだが、それをビジネスの舞台でも使うことができる。本書はその重要性と方法を伝授し、それを企業でも実践できるようにできた一冊と言える。

2012年 F1ベルギーGP バトンがスタートの波乱をよそに終始トップを譲らずポール・トゥ・ウィン!!

結果は以下の通り。(「F1通信」より)

Round12_final

昨日の予選で予想していた可夢偉への悪い予感が、違う形で当たってしまいました。スタートダッシュの失敗で2・3台抜かれることならまだしも、グロージャンとハミルトンの接触事故に巻き込まれ順位を大きく落とすことになってしまいました。

この事故によりSCが導入するほどの大波乱に巻き込まれポイント獲得圏外に、そのクラッシュの傷跡が尾を引いてかペースが上がらず13位フィニッシュとなってしまいました。せっかくのチャンスだったのですが…。

そんな中バトンは安定した速さを見せつけ終始トップを譲らない展開で開幕戦以来の勝利をポール・トゥ・ウィンで挙げました。

2位には予選Q2敗退と涙を飲んだヴェッテルが入りました。予選の悔しさを決勝の強さにぶつけたあたりはさすがディフェンディング・チャンピオンと呼ばれる所以と言えます。3位はスパに強いライコネンがこちらはバトンと同じように安定した速さで表彰台獲得と鳴りました。

次戦は1週間後。イタリア・モンツァ!!

2012年 F1ベルギーGP バトンが2009年モナコGP以来のPP獲得! 可夢偉が日本人最高位タイのフロントロー獲得!! そして優勝予想

結果は以下の通り。(「F1通信」より)

Round12_qualifying

コースによってマシンの速さに差が出るのは良くあるのですが、今シーズン、それも今回のGPほど顕著に表れることはおそらく無かったかもしれません。

バトンやライコネンはこのスパのコースがあっているせいか、上位に食い込み、とりわけバトンは優勝こそはあったもののPPから遠ざかっていたものを3年ぶりに取り返しました。

そしてもう一人大活躍だったのが可夢偉。Q3終盤で渾身のアタック、セクター2を全体のベストをたたき出す速さで2番手につけ、その後ハミルトンやライコネン、アロンソ、ウェーバーらがアタックするも可夢偉のタイムを越えることができず、2004年ヨーロッパGPで佐藤琢磨(当時:BARホンダ)と並ぶフロントローを獲得いたしました。

だが・・・予選は予選。本当の結果が求められるのは明日の決勝です。かつてフロントローを獲得した琢磨でさえ、そのレースは47周目にエンジントラブルでリタイアをしてしまい、せっかくの表彰台を逃してしまいました。

表彰台、あるいはその頂点にいける大きなチャンスとは言え、決勝レース、とりわけスパ・フランコルシャンは屈指の難コースとして知られており、「スパウェザー」という気候によりフロントローの幸運をノーポイントに帰してしまうという可能性も十分にあり得ます。

守りに入ってしまいがちかもしれませんが、こう言ったときにこそ「慎重に攻める」姿勢がこのレースの大きなカギとなるでしょう。

では、優勝予想と行きましょう。

本命:バトン

対抗:ライコネン

要注意:可夢偉、マルドナド

予選の画像を見ての通り、ドライコンディションでも路面温度は低いレースとなるため、タイヤ戦略が大きなカギを握るレースとなりそうです。ドライコンディションになりそうですが、突発的な雨もあり得ます。そうなってくると、予選順位とは大きく異なるようなレース展開と鳴るかもしれません。

可夢偉にとっては今回のレースは大きな試金石となります。第1コーナーでバトンを抜くことができるのか、そしてライコネンやマルドナドら後続のドライバーを抑えることができるのかにも注目です。

2012年 F1ベルギーGP フリー走行1・2回目結果 そしてPP予想

約1ヵ月ぶりとなるF1グランプリ、いよいよチャンピオンに向けた戦いは激しさを増してくることでしょう。夏休み後初戦の舞台はベルギー・スパ・フランコルシャン。「オー・ルージュ」をはじめ、2000年には「20世紀史上最大のオーバーテイク」が起こった「ケメル・ストレート」が有名であり、そして何よりも不安定な空模様となり、ウェットコンディションになりやすい「スパウェザー」もよく知られています。

そういった意味では波乱のレースになりやすいサーキットの1つといえます。

さて、フリー走行1・2回目の結果を見てみましょう。(「F1通信」より)

1回目

Round12_free1

2回目

Round12_free2

今回はドライバーよりも「スパウェザー」が大活躍したと言える1日という印象でした。1回目は可夢偉がトップタイムでしたが、ドライコンディションの時は1周1分50秒台に食い込むことがざらなのですが、今回はそれとはほど遠いフリー走行でした。

2回目は1回目よりももっとひどい雨となり、タイムが出たのはわずか10台と、データを取得するのにはかけ離れたフリー走行だったような気がします。

まさかこのコンディションの中で予選・決勝が行われるとなると…自分自身の想像もつかないようなレースになりそうな気がしてなりません。

さて、PP予想と行きましょう。

本命:ハミルトン

対抗:バトン

要注意:ライコネン、可夢偉

本来であればフリー走行や前戦までのコンディションなどをみて、予想を立てていたのですが、今回はそれらがほとんど無いような状況なので、「適当に予想した」という他ありません。

なんて言えばいいか…誰がPPをとっても、誰が優勝してもおかしくない。

そんなレースになりそうです。

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