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2012年8月

もえいぬ~正しいオタクになるために

もえいぬ 正しいオタクになるために もえいぬ 正しいオタクになるために
嶽本 野ばら

集英社  2012-07-26
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「下妻物語」「ロリヰタ」など少女小説を数多く上梓し、いつしか「乙女のカリスマ」と呼ばれた嶽本氏、その嶽本氏が自ら「オタク」と公言し、オタクの変遷をエッセイにてさらけ出している。さらに「オタク」ではなく「ヲタク」としての自分を投影しながら「現実」を超越した「「超」現実」を表した「萌え」を定義している。

「哲学」が絡んでいるように見えるが、その「萌え」でさえも「哲学」そのものであることを定義しているような感じがしてならない。

その「萌え」に関する定義は「涼宮ハルヒの憂鬱」をはじめ「らき☆すた」「ひぐらしのなく頃に」「Fate/stay night」「Fate/Zero」などのアニメのほか、「初音ミク」というボーカロイドソフト、昨今大きな話題となっている「AKB48」というアイドルグループなどを取り上げている。

ビジネススキル・イノベーション ― 「時間×思考×直感」67のパワフルな技術

ビジネススキル・イノベーション ― 「時間×思考×直感」67のパワフルな技術 ビジネススキル・イノベーション ― 「時間×思考×直感」67のパワフルな技術
横田 尚哉

プレジデント社  2012-08-30
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著者の横田様より献本御礼。
ビジネススキルは進化している。しかしそのスキルは時がたつにつれて必要がなくなり、廃れていってしまう。ビジネススキルも当然必要であるが、そのスキルを自らの形に進化をしていく必要があるのだが、ビジネスの舞台はそれで通用するほど甘くはない。
愚直に知ったスキルを実践するだけではなく、スキルの「本質」をつかみ、ビジネスの環境に合わせた進化・アレンジをしていくことによって根幹のスキルとして為すことができる。
本書は著者が自ら改善士として自ら気づき、実践し、醸成させた67もの「本質」を伝授している。

第1章「一・四倍で時間を見積もる」
時間管理術であるが、実際に適切な時間に見積もって実行しても、思わぬ仕事や横槍が入るといった「外的要因」、さらにはモチベーションの低下や思った以上に片づけるのが難しいことによる「内的要因」によりうまく行かないことが多い。
その「うまくいかない」ことを想定して「バッファ(余白)」としてリスクイベントなど様々な可能性を計算した上で「1.4倍」を見ている。
そのため本書はこの「1.4倍」がカギとなる。

第2章「時間と感情のロスを減らす」
時間のロスと言われる作業は減らすことはよく言われる。しかし本章のユニークなところは「感情のロス」を減らすことにある。それはメールや口頭など、「伝える言葉」によって相手の受ける感情に流され、それが時間のロスの引き金となる。

第3章「チームをマネジメントする」
チームのマネジメントは色々な本で見かけるが、本章での「マネジメント」は少し異なる。仕事の役割を見つける、あるいは会議にたいしての価値を「見える化」する、チームとして個人の立ち位置はどこにいれば良いのかを本章にて示している。

第4章「感性でリスクを察知する」
リスクを分析する材料として、よく「データ」が挙げられるが、そうではなく自分の中にある「未知の領域」、つまり「無知」であるところに思わぬ「リスク」が生まれそれを知ることによって「察知」する事ができる。

第5章「組織のムダを改革する」
組織としての「ムダ」を改革するために、前著でよく使われた「何のため、誰のため」が使われる。予算の組み方からコスト削減、情報の取捨などを「何のため、誰のため」を用いて改革を行うのが本章である。

第6章「個人の能力を最大化する」
自らの能力を高めるために、ネット・リアルの世界の両方を利用する。しかし偏りがちになってしまうが、棚卸しをする、もしくは役割を見出すことによって能力を最大かする事ができる。

第7章「時代の潮流をつかむ」
時代の潮流をつかみ、それにあわせて自分の価値を高める。価値のなかでも「時代に合わせて」つかむものもあれば、「いつまでも変わらない」独自の価値をとがあり、その両輪を磨く心構えを本章にて示している。

第8章「未来のつくり方を考える」
未来を描く上で、長期計画を立てる、未来を見る、そして「今しかできないこと」「今だからでこそできること」に集中することの大切さを本章にて説いている。

スキルを求め、得ようとする風潮はこれからもますます強くなっていくことだろう。しかしそれを本当の意味で身につけられるのがごくわずかであり、かつそれがビジネスで役立つとは限らない。しかし微力でありながらもスキルを身につけるだけではなく、そのスキルで本質をつかみ、未来を描くことで、自分、ひいては組織のイノベーションにつなげられる。本書はそうなるような要素が67個の技術として紹介されている。

つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方

つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方 つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方
ウィリアム・パワーズ 有賀 裕子

プレジデント社  2012-01-27
売り上げランキング : 85095

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最近ではインターネットのSNSなどを利用してバーチャルでの「つながり」を重ね、そしてもとめる傾向にある。私もTwitterやFacebookをはじめ、最近ではLinkdinを使い始めた。ビジネスもさることながらプライベートでも「つながり」を求めてしまう。
しかしその「つながり」に依存しすぎる傾向にあることもいえる。あくまで「SNS」をはじめとした「インターネット」は「ツール」であるはずだが、それがすべてになってしまっている。
本書はそれを自覚するべく「つながらない」生活へのススメを著者自らの体験をもとに示している。

Ⅰ.「つながりに満ちた暮らしのミステリー」
何かと「忙しい」という時代である。しかし本当の意味で「忙しい」のだろうか。SNSなどにかまけてしまい「心を亡くしている」から「忙しい」と言っているだけではないのか。
その「忙しい」が空虚なものだったのかを知る「ショック療法」の一つある。挙げられるとすれば携帯電話の電源を1日中切る。もしくは出勤や出かけるときに携帯電話を「わざと」忘れることも一つの手段である。

Ⅱ.「「適度につながらない」ための知恵」
距離が遠すぎるとよそよそしくなる、しかしあまりにも近すぎると、距離の自由が利かなくなる。哲学者のプラトンが説くように「ほどよい距離」を求めること、そして自分の内面に向き合うなどを行うために、携帯電話のみならず、パソコンや電子ガジェットから離れることを本章では推奨している。

Ⅲ.「落ち着いた生活を取り戻す」
とはいえいきなり「断つ」ことを決めて実行しても、よほどの覚悟がない限り三日坊主に終わってしまう。それを「無理なく」実行し、続けるためにはどうしたらよいのか、ここでは自らの体験談をもとに方法を示している。

「つながらない」ための一里塚といえる手段の一つには「IT断食」が挙げられる。そう考えると日経新書の「IT断食」の本を連想させてしまうが、これはあくまで「仕事」において大切なことを知り、集中するための「断食」であるが、本書は人生の息苦しさから脱出する、安心した人生をおくるなど「人生」や「生活」における「IT断食」を示している。

20代からはじめるキャリア3.0――誰でもできる生涯現役の働き方

20代からはじめるキャリア3.0――誰でもできる生涯現役の働き方) 20代からはじめるキャリア3.0――誰でもできる生涯現役の働き方)
野津卓也

亜紀書房  2012-08-11
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「日本人は働きすぎ」「日本人は安定志向」というイメージは高度経済成長期からあまり変わらない。とはいえバブル崩壊以後、「終身雇用」から変わり、そしてがんばればがんばるほど良くなるようなこともなくなってしまったため、働き方や考え方は大きく変わっていった。しかし大方は変わっておらず、完全に変わったとは言えない。
しかし働き方や考え方そのものはこれからも変わり続けていくのだが、その変わりゆく「働き方」「考え方」に乗りつつキャリアをつくる方法と条件について伝授している。

PART1「「他力本願型」「自己中心型」の時代は終わった」
かつての「キャリア」は必ずといっても良いほど、「企業」での括りだけであった。しかしその会社という括りも企業の不祥事や東日本大震災後の対応などで不信感を募らせ、会社という括りから脱出したり、チャンスを目指して海外へ行く人もいる。そのような状況の中で「個」の力を引き出せるかどうかが企業として生き残るカギとなる。

PART2「「生涯現役」が当たり前の時代へ」
もはや労働人生は「60歳まで」とは限らなくなった。そのためキャリアアップは引退までではなく、「死ぬまで」、そして「職を得る」こと、それでいながら国や企業に依存しない働き方についてを示している。

PART3「<キャリア3.0>を実現する26の条件」
企業に依存せず「PI(パーソナル・アイデンティティ)」としてキャリアを実現するためにやらなければいけないこと、反対にやってはいけないことを「26の条件」としてまとめている。

キャリアアップも時代とともに進化している。もっとも「キャリアアップ」の考え方そのものも同じように進化している。本書は企業にも国にも頼らない新しい「キャリア」のあり方を示している。

中東 新秩序の形成―「アラブの春」を超えて

中東 新秩序の形成―「アラブの春」を超えて (NHKブックス) 中東 新秩序の形成―「アラブの春」を超えて (NHKブックス)
山内 昌之

NHK出版  2012-02-24
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中東諸国では長らく独裁政治により、様々な「自由」が束縛されていった。むしろ「恐怖政治」と呼ばれるがごとく国民は恐怖に怯えつつ、度重なる政策によって疲弊しつつしていった。
その不満や憤懣がたまりにたまり、2011年1月、エジプトを発端とした大規模デモが起こった。そしてそれが中東やアフリカ大陸にまで波及し、世界的な話題となっていった。通称「アラブの春」と言われているが、そのなかでエジプトやリビアなどの国々では独裁政権が崩壊し、民主化へ道を進めていった。
本書はその「アラブの春」のその後と、バーレーンとシリアの現状、そして民主化への道と日本との関係について考察を行っている。

第一章「体制変革と体制内変革」
「アラブの春」によって体制そのものが変わった国もあれば、体制の中で変わった国もある。民主化するか・しないかの差によるかもしれないが、「変わる」ことに変わりはない。

第二章「民主化の陣痛」
民主化に向けて動いた国は様々であるが、結果が国によって大きく変わった。民主化に向けて進み出した例、民主化にすらならず、弾圧がさらに強まった例、政権は崩壊したが、「無政府状態」に陥ってしまった例をそれぞれ、リビア・シリア・イエメンの例を紹介している。

第三章「湾岸諸国の知恵と戦略」
中東諸国でも民主化の動きが見られたが、その民主化の中でもっとも大きな障害となったのが「宗教対立」あるいは同じ宗教の中の「宗派対立」が起こる。バーレーンはその中の後者が激化したことにより民主化が頓挫したと言われている。
「アラブの春」に関する本でも何度か言ったがこのバーレーンの民主化運動により昨年のバーレーンGPが中止となった。そのことから私自身も本章に関心がある。

第四章「よみがえった帝国」
イスラム諸国のなかで「民主化」を進めていった国もあれば、核兵器を保有することによって先進国と対等な関係をもつことを目指す国も存在する。本章では後者を目指すイラン、そして前者を忠実に実行しているトルコの違いについて考察を行っている。

第五章「グローバル中東の政治力学」
世界的に「グローバル化」は止まらない。
それは中東諸国やアフリカ大陸でも同じことであるが、その「グローバル化」の中で悩みの種に挙げられるのが、アメリカにとって「外交問題」、第四章にて述べたイラン、そしてパレスチナ問題である。
とりわけパレスチナ問題はアメリカにとっても宗教対立以上に中東諸国との外交をするにあたり避けて通れないこともあるが、イラク戦争やアフガニスタン侵攻もあり、中東諸国はアメリカに対して良い印象を持っていない国が多い。

第六章「日本・中東新時代の戦略的パートナーシップ」
中東諸国が持つ日本の印象はアメリカほど悪いものではない。むしろまだまだ良い方であるが、原油高騰による経済的な逼迫している要因として挙げられているため、石油の利権を得る・守るなどの観点を含めれば良い印象だけではなく、戦略的な利害関係を築いたパートナーシップの構築が大切であるという。

中東諸国は政治的にも経済的にも看過できない場所となったのは言うまでもない。別の話になるが、昨今では日本は領土を巡って韓国・中国との対立が深まっている。そのときだからでこそ中東諸国などの関係諸国の関係を深めながら戦略的なパワーゲームを作ることが大切である。
外交ほど国にしかできないことはなく、かつ武器や防具のない、「コミュニケーションの戦争」なのである。

働く女性 28歳からの仕事のルール

働く女性 28歳からの仕事のルール 働く女性 28歳からの仕事のルール
田島弓子

すばる舎  2012-06-20
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「ワークライフ“アンバランス”の仕事力」「プレイングマネジャーの教科書」で有名な田島弓子氏が働く女性の為に書いた一冊である。最近ではビジネスの中心に立つ女性が増えてきており、これから「女性マネジャー」や女性のためのキャリアアップのツールや機会が増えていくことである。
本書は「28歳のための」と題して、これからの「働く女性」のための働き方、キャリアアップの在り方について伝授している。

Part1「私たちの「キャリアのリアル」を知ろう」
「キャリアはつくられるもの」
これは以前「ワークライフ“アンバランス”の仕事力」でも書かれた事であるが、このメカニズムについて著者自らのキャリアを余すところ無く紹介しており、その中でどのように「20代」を体験しておけば甥のかを伝授している。

Part2「一人前のビジネスウーマンになる!6つの具体策」
一人前になる具体策として「動機」や「目標」「目線」「ルール」などが挙げられている。あくまで「目の前の仕事」を糧としてどのように目標や目線を良い方向に向かせる心構えを伝授している。

Part3「日常のストレスに負けない!メンタルマネジメント術」
仕事をするにも「ストレス」はつきものである。とりわけ「仕事」は一人で行うものもあるが、大概は同僚と共に進めることが多い。その人間関係の中で生まれるストレスはやっかいであり、それにより「鬱」になる人も少なくない。
本章ではそのストレスをマネジメントするための「メンタルマネジメント」について伝授している。

Part4「自分スタイルでいい! 女性は次世代のマネジャー向き」
仕事をすればするほど、チャンスはやってくる。そのチャンスを掴むも殺すも自分次第である。マネジャーの仕事もその一つであるが、これからのマネジャー像は女性がもっとも向いているのだという。その根拠を本章にて示している。

女性の管理職割合が増えている今だからでこそ「女性マネジャー」の重要性、そしてこれからの「マネジャー」として、さらには「プロフェッショナル」としての「キャリア・ウーマン」のありかたを示した一冊と言える。

宗教とツーリズム―聖なるものの変容と持続―

宗教とツーリズム―聖なるものの変容と持続― 宗教とツーリズム―聖なるものの変容と持続―
山中 弘

世界思想社  2012-06-22
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宗教と旅行というと連想するのが「聖地巡礼」である。「聖地巡礼」とは宗教、またはその国の伝統や世界遺産など、象徴する場所へ行き、その場所で拝む、つまり巡礼を行うというものである。しかしその「聖地巡礼」の定義も時代とともに変わりつつあり、近年ではドラマやアニメの舞台に行き、その舞台を楽しむという定義にもできる。
本書ではこの「宗教ツーリズム」や「聖地巡礼」といったものを「宗教」「ツーリズム」「聖地」「巡礼」など、それぞれの言葉の根本から考察を行っている。

第一部「聖地とツーリズム」
ここでの中心は神社詣りや熊野古道の巡礼、さらには少し前に書評をした「四国遍路(お遍路)」などが挙げられる。どちらかというと宗教や伝統の舞台を旅するところを鉄道や道などを元に考察を行っている。「道」といえば、伊勢神宮は元々「国道一号線」の終点であった。

第二部「巡礼とツーリズム」
「巡礼」とはいっても宗教や伝統を目的とした「聖地」に行くばかりではない。信仰心が無くても自分にとって「聖なるところ」であれば「聖地巡礼」と言える。ちなみに最初に行ったドラマやアニメとしての「聖地巡礼」について本章で言及している。とりわけアニメの「萌えおこし」が最近TVにて話題となっている。

第三部「世界遺産とツーリズム」
日本では世界遺産を巡る旅がよく扱われている。TBS系列やNHKでも「世界遺産」の旅がくまれているほどである。その「世界遺産」は宗教や歴史を象徴するもの、あるいは戦争や差別の象徴としての「負」の側面を持ったものまで含まれる。中学や高校の修学旅行で「広島」「長崎」を行くところも多いが、平和の尊さ、戦争の悲惨さを知るためにその「負」の遺産が扱われることが多い。

旅行にしろ、巡礼にしろ旅は色々な「学び」や「楽しさ」がある。「聖地巡礼」もまたその一つであるが、「非日常」的な空間であることへの刺激があると言える。「ツーリズム」や「旅行」の魅力、そして「聖地巡礼」の尊さを知るとともに、いつまでも変わることがないということを、本書ではそう語っているのではないだろうか。

英国王室御用達-知られざるロイヤルワラントの世界

英国王室御用達-知られざるロイヤルワラントの世界 (平凡社新書) 英国王室御用達-知られざるロイヤルワラントの世界 (平凡社新書)
長谷川 喜美

平凡社  2011-06-16
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日本では「宮内庁御用達」というものと言える。いわゆるイギリスの象徴と言える「イギリス王室」が贔屓にしている店がいくつか存在しているが、「宮内庁御用達」と決定的に異なる。昨今の「宮内庁御用達」は極端な話どこも名乗ることができるが(かつてそのような制度は存在したが、戦後廃止された)、「英国王室御用達」は「ロイヤルワラント(認定証)」を受ける必要がある。このロイヤルワラントは12世紀ヘンリーⅡ世の時代から約800年にも及ぶ歴史がある。

第一章「英国王室御用達とは」
最初に言ったロイヤルワラントを受けるには厳しい基準がある。一例を挙げると、

・商業、それに関わるサービス企業
 (レストランやホテルはロイヤルワラントを受けることができない)
・英国女王、または皇太子の需要が求められるほどの品質を保有していること

などがある。その基準に満たなければ認定は取り消されるため、800年間、御用達の企業は常に流動している。

第二章「クラフツマンシップの継承者たち」
「クラフツマンシップ(クラフトマンシップ)」とは何か。調べてみると、

「職人の技能。職人芸。技巧。」「コトバンク」より)

とある。本書はその名の通り洋服や帽子、靴など、衣類においての職人芸が、王室に気に入られ、御用達とまでなった店を紹介している。

第三章「英国の伝統を現代に伝える老舗」
日本では100年を越えるような企業は数多く存在する。日本だけかと思ったらイギリスにも同じように創業100年、数100年と呼ばれる店は数多く存在する。
その中でも長らく「ロイヤルワラント」を受け続けた店も存在しており、本章は酒・食品・紙製品といったところで長らく英国王室に愛され続けてきた「ロイヤルワラント」の中の「ロイヤルワラント」と呼ばれるような店を紹介している。

第四章「王室お気に入りのイングリッシュテイスト」
英国王室のお気に入りとしてチーズやチョコレート、陶磁器や匙の店を取り上げている。
しかし、もっとも印象的だったのは「ロイヤルワラント」を受けたスーパーマーケットである。日本では安価で日用品や食品を買うことができる印象を持つが、イギリスではスーパーマーケットによって取り扱う品も異なる。ましてやいつも買うスーパーマーケットを言うだけでその人の「階級」がわかるほどだという。特定の階級向けのスーパーマーケットがあることには驚いた。

第五章「英国ジェントルメン文化の担い手たち」
イギリスは紳士・淑女の国という印象が強い。その印象づける店は洋服や革、散髪、薬、エレガンスなどが紹介されている。
イギリスならではと言える店が紹介されているが、本書の付録として日本でも手に入れることができる「ロイヤルワラント」の名品も紹介しており、かつ各章で紹介された店やブランドの一部は日本で購入することができる。

「ロイヤルワラント」という言葉を知らなくてもイギリスのファッションや英国王室に興味を持たれる方は本書を読むだけではなく、日本で手に入れられるブランドを買って楽しむのもまた手である。

人生を変える 朝1分の習慣

人生を変える 朝1分の習慣 人生を変える 朝1分の習慣
後藤 勇人

あさ出版  2012-01-23
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朝時間の重要性は様々なビジネス書で説かれている。しかしその「朝」に弱い人も少なからずいる。その「朝に弱い人」でも、1分間意識して心がけることによって、人生そのものを変えることができるという。
本書は様々なところで「1分」のテクニックについて「TPO」に合わせて紹介している。

第1章「ベッドの中で1分」
そろそろ起きようかというタイミング、そのタイミングのなか、ベッドの中で瞑想をする、メールチェック、アイデアをメモするなど普段の心がけをちょっと変えることによってスタートが変わるという。

第2章「朝食で1分」
ベッドの中で出てきたアイデアをまとめたり、先祖への感謝、そしてアウトプットなど短い時間の中で頭のエンジンを起動させるテクニックについて紹介している。

第3章「朝シャワーで1分」
私はあまり「朝シャワー」を浴びないため、あまり印象を持っていないのだが、朝熱いシャワーを浴びると、一気に目が覚める。
寝ぼけ眼からシャワーで目覚め、そしてスタイリングをする事によって相手が受ける印象も変わってくる。

第4章「通勤電車で1分」
首都圏・関西圏にお住まいの多くは「通勤電車」に対しよい印象を持たれないだろう。私もその一人である。
その電車の中で私は、書表するための本を読む時間にあてる。
しかし本を読んだり、景色を見たりだけではもったいない。電車の中にはネットでは拾えない情報の宝庫と呼ばれている。広告も去ることながらいろいろな人間を見ることができる。話のネタにもビジネスのネタにもなる。

第5章「始業時間前に1分」
いよいよ会社に到着して始業するときのスタートダッシュとして片づけたり、振り分けたり、宣言をしたりすることの重要性を紹介している。

第6章「「1分」でチャンスをつかむ思考法7」
ビジネスの中で「選ぶ」「考える」「捻出する」ということは日常茶飯事としてある。本章ではそれらの方法について伝授している。

第7章「「1分」をよりハッピーにできるマインド7」
自分の中にある感情、とりわけ負の感情を取り去り、幸運を呼び寄せるような感情を手にすることができるそれを「1分」でできる方法を本章にて伝授をしている。

たった「1分」の心がけや行動によって意識が変わり、意識が変わると習慣が変わり、習慣が変わると後の人生を変えることができる。本書は著者自らの体験によって変わることができたことを伝授した一冊である。

大停電を回避せよ!

大停電を回避せよ! 大停電を回避せよ!
夏目 幸明

PHP研究所  2012-06-23
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昨今では「福島第一原発事故」の事が報道されがちであるが、この季節は日本でもっとも電気を使う季節と言える。全国的な猛暑になり、扇風機やクーラーを使う季節である。そのような理由により、このような季節になると「計画停電」を行うところも出てくる。そうなったときもそうなでないときも、メディアや国民は批判やヤジを飛ばす。
とりわけそういった電力会社に勤めているだけで、一種の「差別」を被ることさえある。しかしそこの経営者ではなく、電力供給の最前線に走る「電力マン」たちの群像を追っている。

第一章「火力発電所の「廃墟」にて」
今となってはもっとも電力を供給する発電は「火力発電」となった。しかし「火力」とはいっても「石炭」や「石油」「天然ガス」など原料によって異なる。かつては石炭だったが、公害病などが話題となり、「石油」に切り替わった。その「石油」も世界的な競争が熾烈なものになり、天然ガスへ。それも国際競争に巻き込まれた。長きにわたって火力発電所が老朽化し、その役目を終えた発電所も少なくなかった。
しかし原発事故のあと、原発に代わる電力は急に使えない。作らなければ命に関わる。信号機が消え交通が壊滅的になり、何よりも医療器具が使えずのたれ死にする人も出てくる。
そのため、役目を終えた発電所を再稼働して、電力不足による大規模停電「ブラックアウト」を何としてでも避けるべく東北電力は全社を挙げて動いた。

第二章「東北電力の信念」
TVでは東電の批判がやまない。確かに東電のトップによる非はあるが、そのことと「東電差別」は別問題である。おそらくこの原発事故のもう一つの「被害者」と言えるべき姿、そう電力会社の末端社員たちが受けた運命である。
本章ではその悲惨な運命となった電力会社社員を取材したものが中心となる。

第三章「知られざる大赤字」
火力発電を行うための石油や天然ガスは年々値上がりしている。この2つは世界的にも激しい資源獲得競争に巻き込まれたことにある。

第四章「自然エネルギーの実力はいかに」
原発事故以降、エネルギーとして注目される「自然エネルギー」、中でも「太陽光発電」が脚光を浴びている。企業、あるいは地方公共団体単位で構想を挙げ、行動を起こしている。しかし「夜や雨の日は発電できない」「夏の日差しは発電能力が落ちる」という弱点があり、供給できる電力は日によってまばらである。電力が供給できない日が続くとたとえ太陽光発電を量産しても「ブラックアウト」の危険性がある。

第五章「夢の放射能除去」
発電技術から少し離れて、今度は「放射能除去」の話に移る。その除染に関して「宇宙戦艦ヤマト」に出てくる話を取り上げている。まるで「夢」のような話であるが、現実に「放射能消滅処理」や「核変換技術」の研究を「JAEA(Japan Atomic Energy Agency:日本原子力研究開発機構)」で行われていることを取り上げている。
最後にこの言葉を紹介する。

「今、日本の原子力政策は、誰も舵を取っていない難破船です」(p.161より)

私たちはこの言葉を肝に銘じなければいけないほど胸に突き刺さる言葉である。

第六章「正しく恐れよ」
発電技術だけではなく、様々な技術やノウハウには「メリット」と「リスク」が存在する。「ハイメリット・ノーリスク」と呼ばれるものはこの世に存在しない。
「正しく恐れること」はおそらく私たち国民にもっとも突きつけられるべき課題であろう。メディアや呼びかけに先導されて暴論にすがりつき、傾倒する。その難点や現実という眼を無視してでも、その考えを押し通そうとする人がいる。

私たちの生活のなかで電力は欠かせない。それはその電力を生産している電力会社もまた然りである。その恩恵を受けて生活をしていること、そして今日の電力が使われていることを忘れてはならない。そう警告した一冊と言える。

青春俳句講座 初桜

青春俳句講座 初桜 青春俳句講座 初桜
水原 佐保 宮尾 和孝

角川書店  2006-06-26
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みなさんは「俳句」はどのようなイメージを持たれているのだろうか。

・ある人は「古くさい」「ご年輩の方々の楽しみ」という考えを持つもの、

・あるいは「おもしろい」「言葉遊びができる」

という人もいる。前者は偏見であり、後者はある意味合っている。たしかに季語を使って叙情的に5・7・5を綴っているだけに言葉をどのように合わせるか、という「遊び」にもなる。

それはさておき、本書は女子高生が「俳句」にのめり込む物語である。その物語はミステリーでありながらもハラハラさせるような展開ではなく、むしろ「高校の日常」であるかのようなほのぼのとしたタッチで描かれている。時折俳句も出てくれば、俳人の先生が俳句の良さを所々で教えることから、本書を読むと何か俳句を作りたいという衝動を起こさせる。さらにそのミステリーも奥深く、まさに「読ませる」衝動に駆られてしまう。

ミステリーは全部で3つあり、それぞれに章立ててあるが、いずれも俳句で使われる「季語」が扱われている。これ以上言うと面白味がなくなってしまうが、ある「季節」に共通している「季語」と言えよう。

リッツ・カールトンと日本人の流儀

リッツ・カールトンと日本人の流儀 リッツ・カールトンと日本人の流儀
高野 登

ポプラ社  2012-08-17
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ポプラ社様より献本御礼。
1990年にリッツ・カールトンに入社し、大阪・東京など日本進出に尽力した高野氏、ホテルマンとして、リッツ・カールトンの一員として、そして日本人として大切な要素の一つである「ホスピタリティ」。その「ホスピタリティ」を仕事で、リーダーとして、地域の中で、日本人としての役割は変わってくる。本書はその「ホスピタリティ」を原理そのもの、リッツ・カールトンの経験、そして日本人そのものの考え方とを併せ持ち、紹介している。

第一章「リッツ・カールトンに伝わる「仕事の流儀」」
本章の前半にはリッツ・カールトンにいた時代のエピソードについてつづっているが、そのエピソードが「リッツ・カールトン」ならでは、もしくは本当の意味で「ホスピタリティ」を求める群像を映し出している。生半可な気持ちでは決してなすことができないようなものばかりである。
後半はそもそも「ホスピタリティ」とは何か、そして「リッツ・カールトン」で生まれた「クレド」の重要性について綴っている。

第二章「人を動かす「トップの流儀」」
著者は「リッツ・カールトン」を勤める前はホテルの専門学校を出て、国内外様々なホテルに在籍した経験を持つ。その中で「トップ」と呼ばれる経営者から学んだ、経営者として、トップ、あるいはリーダーとしての「流儀」、それはコミュニケーションや心遣い、そして「器」の大きさなどを挙げている。

第三章「信頼を育てる「地域で生きる流儀」」
「リッツ・カールトン」が日本に進出したのは1997年のことである。日本で最初に「リッツ・カールトン」は大阪であった。そのなかで「リッツ・カールトン」の流儀、そして日本独特の「おもてなし」、そして大阪独特の文化とをどのようにして融合させ、地域で生きるのかを「ホスピタリティ」の観点から取り上げている。

第四章「グローバル時代に見直す「日本人の流儀」」
日本人は世界でもっとも礼儀正しい民族であったが、それがあたかも過去のもののように扱われることも少なくない。
著者もホテルマンの時代、日本人の礼儀の盛衰を見てきた。同時に日本人そのものの底力を垣間見ることができた。

「ホスピタリティ」という言葉は知らなくても「おもてなし」という言葉を知っている人が多い。もしかしたら両方の言葉があたかも同じ意味のような気がしてならない。リーダーにしても、地域にしても、日本人としても忘れてはならない「ホスピタリティ」がここに詰まっている、と言うべき一冊である。

人生で大切なことは雨が教えてくれた

人生で大切なことは雨が教えてくれた 人生で大切なことは雨が教えてくれた
ドミニック・ローホー 原 秋子

幻冬舎  2012-06-08
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暑い夏である。
しかしこの月は俗に言う「ゲリラ豪雨」という突発的でかつ猛烈な雨が降ってくる。「しとしと」と長く降るような小雨とは訳が違う。しとしとと降る雨は「哀愁」を漂わせが、土砂降りはいつ浸水してもおかしくないような「恐怖」や「戦慄」を覚えてしまう。
本書は前者にあたる、しとしととした「雨」がいかに感動を呼び、心的に変化を生じるのだろうか。文学を専攻し、仏教の修行を経験をしたことのあるフランス人が「雨」の良さを説いている。

第1章「雨がもたらす感動」
「万物は「水」である」
と、ある哲学者が唱えていた。「水」をもたらす「雨」。その「雨」によって植物育み、大地は肥沃になり、河の流れの速さは増す。
そうした自然の恩恵は人間の感情で催させるものとして「憂鬱」が挙げられ、ついで「悲しみ」、そしてその反対の「安らぎ」を与える。そのとりどりの感情が快楽となり、やがて「感動」と化す。

第2章「雨、メンタルの世界において」
雨は「表裏一体」なのかもしれない。
その「雨」には心に壁をつくるような事もあれば、その「壁」を洗い溶かすのも雨である。
それを後者にする方法というよりも心構えを本章では紹介している。

第3章「精神世界における雨」
気分がブルーになるとき、「心の雨」と言うような言葉を用いる。その「心の雨」はいったいどのような降り方をしているのだろうか。それによってブルーの度合いが異なってくる。

第4章「雨の情景 感覚の世界にて」
絵画や音楽などで「雨」を表現する事は多々ある。そのなかで表される「雨」はいったいどのようなものか、本章では「雨」の細々とした表現を紹介している。

第5章「雨愛好家になる・・・・・・」
「雨」は誰もが避けたいもの。しかしつきあい方によって「雨」は好きなものになる。その「雨」を好きなものにするための「衣・食・住」、さらに音楽や映画、アロマテラピーについても取り上げている。

「雨」というとネガティブな表現ととらえがちであるが、そのとらえ方によって人生にとって大切なことを教えてくれる。本書はその道標と呼べる一冊である。

シリーズ「1968年を知らない人の『1968』」~第七日「リブ活動と「44年目の輪廻」」

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産 1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産
小熊 英二

新曜社  2009-07
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(6日目に戻る)

1965年から続いた一連の「1968」であるが、最終日は大学紛争や連合赤軍の諸事件の裏で起こった「リブ」と呼ばれる活動とこの「1968」の総括をつづることとする。

<リブ活動>
主に女性活動家についての活動を取り上げている。直接的な意味の「リブ」は「解放」であるが、ここで言う「リブ」は「ウーマン・リブ」とよばれる「女性解放運動」も含まれている。

ウーマン・リブとして最初に行われたのが1970年11月14日のことである。これがきっかけとなり「男女雇用機会」の是非が議論されはじめ、1985年に法律として結実となった。その中心メンバーに東大名誉教授の上野千鶴子がいた。

<「1968」総括①~小熊氏の総括>
「1968」と呼ばれた「あの時代」
大学紛争の主たる原因として挙げられるのが「学費の値上がり」と「マスプロ教育」などの教育環境の急速な変化によるものへの憤懣、そしてそれを変えて見せようとする勇気にあった。

しかし著者は「理論面の乏しさ」により、大学闘争などの活動に大きな「限界」があったという。果たして「乏しさ」が解決できればこれ以上の結果を出せたか、という疑問があるものの、理論の構築に対して改善の余地があったのは否めなかった。

もう一つは「自己表現」としての闘争である。「自己変革」をするために他人と協力、もしくは敵対しての「闘争」を起こす、政治的な意味は後付けにして、まずでてみようという考えからの「闘争」に加わったという考えである。これは2日目にセクトを転々とする人がいた事を思い出すが、ある種のファッションのように闘争に参加する人がいたのかもしれない。
しかし全員が全員ではない。
首謀者の思想に心の随から共感して参加した人もいれば、著者の通りに参加した人、あるいは友人が中心メンバーでそれに恫喝されて参加した人さえいる(あくまで推測であるが)。ともあれ数千人・数万人に膨れ上がった大学闘争が枝葉のごとく増えていった事による産物であるとするならばこの結論も含蓄がいく。

そういえば著者は1965年生まれであり、私のように「「1968」を肌で感じたことのない世代」と言える。1968年の当事者から離れた位置でそれらを分析することに価値がある、そういった世代だからでこそ見えないものもある、本書はそれを文献を中心とした研鑽によって伝えたかったのかもしれない。

<「1968」総括②~44年目の輪廻>
私がしきりに「44年目の輪廻」といったのは理由がある。今日の「反原発・脱原発」の政治運動が大規模化し、そのでもそのものが、多かれ少なかれ「大学紛争」を映しているようでいてならなかったからである。

そういったデモではないのだが、私事だが8月12日、用事で赤坂に向かっている途中で、こんな小競り合いを見た。一つはデモ車、もう一つは警官隊の衝突である。デモ車は拡声器を使いながら警官隊に向かってかどうかはわからないがあたかも「小学校の悪ガキ」と思えるような言動で罵倒する声が広がっていた。その周りにパトカーや警察官が囲み罵倒するボルテージがだんだん高まっていった。急いでたのでここまでしか見ていなかったのだが、規模は小さけれどこういったことは日本各地で起こっているのかもしれない、という感じさえした。

44年前のような過激な闘争になることはほとんどない。私たちがおとなしくなったのもあるのだが、銃刀法など当時より武器の所持そのものが厳しくなり、それを取り寄せることさえ困難なことである。ましてやそのようなエネルギーを使っている暇があったら働きたい、という感情を持つ人も少なからずいるのだろう。

歴史はそれを知らない限り繰り返される。その輪廻はいつになるかわからないが、私たちの知らなくなったときに必ず起こる。

その輪廻から脱出する方法はたった一つ。「歴史を知る」ことに他ならない。

―――

<おわりに>

これまで「蔵前トラックⅡ」では毎日1冊取り上げることが常だった。「Ⅱ」として活動し始めたときには上・下巻分けて紹介したことはあったのだが。

この「1968」はこの時代に関する本をいくつか取り上げてきたのだが、それを紹介していったときに是非「取り上げてみたい」と思った二冊だったが、ボリュームがボリュームであるため(上下巻あわせて約2000ページある)、1日で取り上げることができない。取り上げたい思いがあってもなかなかとりあられる術がないジレンマがあった。

しかし、たまたまあるTV番組を見てこの「1968」を一週間かけて取り上げようと思った。

それは「情熱大陸」で柳家三三が「島鵆沖白浪初代・談洲楼燕枝 作)」を3日かけて「通し」で演じたことである。長編作品を「通し」で取り上げてみてはどうかと思い、この1週間取り上げ続けてきた。普段あまりTVを見ないのだが、ちょうど放送されていた日はTVを観たい気分でチャンネルを回していた放送されていた。全くの偶然であり、もしこれを観ていなければ「1968」は未来永劫取り上げなかったのかもしれない。

本のページ数が多いためどこを区切り、どれを取り上げどのような感想を書くのかは普段取り上げる書評以上に悩み、同時並行でいつものような書評を取り上げることもやっていたため、よけいに難しかった。

それでもこれを取り上げることは新たなチャレンジであることから本当におもしろくもあり、書評の難しさを痛感した。もし機会があれば、本書クラスの本をまた取り上げてみたいと思う。今度もまた同じ一週間「通し」で。

最後に拙い文章を一週間取り上げましたが、いかがでしたでしょうか。告知も全くしませんでしたが、これからシリーズで取り上げるといった新しい(?)書評をやってみる機会もあり、当ブログにて取り上げることがあると思いますが、ご興味がありましたら閲覧いただければ幸いです。そしてこの一週間1記事でも閲覧していただいたみなさま、本当にありがとうございます。

右脳プレゼン左脳プレゼン~そのプレゼン、場違いです!

右脳プレゼン左脳プレゼン: そのプレゼン、場違いです! 右脳プレゼン左脳プレゼン: そのプレゼン、場違いです!
村井 瑞枝

朝日新聞出版  2012-08-07
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朝日新聞出版 より献本御礼。
皆さんは「プレゼンテーション」についてどのようなイメージを持たれるのだろうか。多くは「Power Point(通称:パワポ)」などのプレゼンソフトを使って説明するもの、という認識を持たれるのだろう。
しかしそれだけがプレゼンではないし、ツールが「パワポ」だけとは限らない。
本書は右脳で、または左脳で共感させるプレゼンとは何か、そしてそうさせるためのテクニックとは何かを伝授している。

STEP1「右脳プレゼンと左脳プレゼン」
「右脳プレゼン」と「左脳プレゼン」の違いとはいったいどこにあるのだろうか。

「右脳プレゼン」・・・写真やキーワードを用いて短時間で共感させるプレゼン
「左脳プレゼン」・・・文章など長時間かけてじっくりと理解できるようにさせるプレゼン

このような違いがあるが、TPOやプレゼン内容によって使い分ける必要がある。

STEP2「6つのテクニック」
「右脳」「左脳」を共感させる上で、どの比率によって使うものが異なる。プレゼンツールとして使用するテクニックとして「写真」「キーワード」「引用句/質問」「図」「グラフ」「文章」それぞれのテクニックについて紹介しているが、個々の紹介をしながらも「例示」は絵や写真などを複合しながらどのように見せるかも表している。それだけではなく、せっかく覚えたテクニックを実践できるよう「練習問題」も取り上げている。

STEP3「全体構成」
個々のテクニックを身につけたらば、今度はそのテクニックの応用して全体構成をつくる方法について紹介している。

STEP4「ケーススタディ」
最後は「ケーススタディ」と題しての演習問題をふんだんに取り上げている。

プレゼンというと「パワポ」を使って「文章 時々 図・表」というようなものを連想する人が多く、わたしもそのようなプレゼンを聞いたりやったりした。しかしそれだけがプレゼンではない。「右脳」にも「左脳」にも共感させる格好のテクニックがここに詰まっている、といえる一冊である。

シリーズ「1968年を知らない人の『1968』」~第六日「ベ平連と日本赤軍、そして七十年安保」

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産 1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産
小熊 英二

新曜社  2009-07
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時は1970年になろうとしていた。
昨日は1968年から1970年になるまでのこと、とりわけ内ゲバの始まりと騒乱について論じたが、ここでは1970年になり、その「内ゲバ」が激化した1970年代、そしてその「全共闘」の一部が暴走し、日本全体で「脅威」と化した変遷について綴っている。

<七十年安保とパラダイムシフト>
1日目に「六十年安保」について述べてきたが、ここでは「七十年安保」についてを記しているが、その中で「セクト」の意識や「パラダイムシフト」が起こった。たとえば「被害者意識」から「加害者意識」へ、戦後民主主義や合理主義への批判などが挙げられる。

「七十年安保」では、日米安保条約の自動延長をめぐり、これを阻止せんと各セクトがデモ行進や街頭闘争を起こした。前に取り上げた「大学闘争」や「街頭闘争」の主張の中にも同じようなものが含まれている。しかしセクトが以前のような団結はなく頻繁に「内ゲバ」が繰り広げられ、「六十年安保」よりも早い期間で収束した。

<ベ平連>
通称「ベトナムに平和を! 市民連合」と呼ばれる団体である。結成されたのは1965年の2月に結成されたが、その時はアメリカ軍の北爆(北ベトナムを爆撃)の最中だった。

そのベ平連のメンバーには小田実鶴見俊輔、さらには元陸軍軍人でありA級戦犯として起訴されたことがある佐藤賢了もいたのだという。

政治デモなどの運動の他、「朝まで生テレビ!」の元祖にあたる徹夜のティーチ・インをTVで行うこともした。

この「べ平連」の活動はあくまで「非暴力」であり、言論で訴える組織であったが、ちょうど活動が活発になり始めた時期は「全共闘」の衝突や批判などの煽りを喰らった。しかも「ベ平連」のメンバーも急速に増え、代表世話人の小田をはじめとした結成時のメンバーはほとんど交流がなかったことに心を痛めた。

それでも一貫した活動が身を結んだかどうか不明だが、1973年1月に「ベトナム和平協定」が調印され、「ベ平連」の役目を終えた。

<連合赤軍と彼らの起こした事件>
「全共闘」の活動の一部が暴走し、日本の脅威と化したのがこの「連合赤軍」だった。この「連合赤軍」はセクトのうち「共産同赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)」「日本共産党革命左派」が合体したブント系の組織であった。

そしてその「赤軍」は極左の中でも武闘派として「あさま山荘事件」や「クアラルンプール事件」などを起こした。

結成当初は各人にデモや交渉により反省を促す、もしくは迫ることが中心であったため、その意味では「全共闘」と何ら変わりはなかったのだが、1971年の年末に連合赤軍が山岳にアジト(ベース)を構え連合赤軍の団結を計ったのだが、そのなかで「総括」と呼ばれる自己、もしくは他者批判がエスカレートし、当初29人いたメンバーのうち12人をリンチして殺した事件に発展した(「山岳ベース事件」)。

その2ヶ月後には山岳ベースから下山したメンバーがあさま山荘に立てこもり、その山荘の管理人の妻を人質に約9日間にわたり立てこもったという事件である。これに関しては「山岳ベース事件」より有名になり、文献のみならず映画(「突入せよ! あさま山荘事件」など)にもなっているためここでは割愛する。

他にも1975年のクアラルンプール事件では日本政府が「超法規的措置」により犯人グループを釈放させたことは世界的にも非難を浴びた。

連合赤軍は「ブント」からでてきた「テロ組織」の様相を見せているが、連合赤軍だけではなく、結成前の「労共党革命左派」が「ダイナマイト闘争」をするなど過激な闘争を行っていた。

これらの事件でお茶の間を騒がせた連合赤軍メンバーはほとんどのメンバーが逮捕・死去し、残った1人だけは現在国際手配のなかで未だに逃亡中である。

そして長きにわたった『1968』が終わりを告げた。

(7日目に続く)

出世をしない秘訣 改訂新版―でくのぼう考

出世をしない秘訣 改訂新版―でくのぼう考 出世をしない秘訣 改訂新版―でくのぼう考
ジャン・ポール・ラクロワ 小宮山量平

こぶし書房  2011-09-30
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ビジネス書を見ると、「デキる人の~」や「出世できる人~」という本が立ち並ぶ。おそらく本書のような本はなかなか出てこない。これほどまでに穿った本は見たことがないとも言える。
ビジネス書に辟易を持った人であれば、本書を手にとってほしい。まさに「ナンセンス」と呼ばれながら、実践を重用するビジネス書だからでこそ、「読んだら実践するな」というような一冊、それが本書と言える。さてその中身を見てみよう。

Ⅰ.「子どものうちから肝心」
「出世しない」ためには子供のために意識付けをする事が肝心であるという。具体的な方法では、授業態度を悪くする(毎日廊下にたたされるなど)ことや、テストで0点ばかりとることにあるという。
そうなってくると「ドラえもん」にでてくる「のび太」こそ格好のモデルといえる。

Ⅱ.「事業家にならぬためには」
事業を興す人にならないためか、もしくは生え抜きの社長にならないための方法としてのノウハウ(?)を紹介している。

Ⅲ.「いつまでも二等兵でいるには」
兵士として昇進しないための方法であるが、本書の本来の著者がフランス人であるため本章の最初には「フランス国元帥にならない」という節まで存在する。

Ⅳ.「視学官にならぬためには」
「視学官」とはどのような職業か。調べてみると、
「中央・地方に置かれ、学事の視察と事務をつかさどった官吏。」(weblio辞書より)
である。日本では文科省で教育行政に対して助言を行う職業のことを指しているそうである。本章はその視学官にならないための方法を紹介している。

Ⅴ.「流行作家にならぬためには」
流行作家になったときの苦悶を取り上げながら、そうならないための方法をフランスならではの常識とともにつづっている。

Ⅵ.「政治家にならぬためには」
政治家にならないために、大統領や首相、さらには占拠人にならないための方法を細々と紹介している。

Ⅶ,「社会の寵児とならぬためには」
時代の寵児とならないためにどうしたら友達をつくらないためにどうしたらよいかをナンセンスに紹介している。

まさに「ナンセンス」にふさわしい一冊であり、「自己成長」するためには本書の「逆」を実践するとよい一冊と言える。ビジネス書の中でこれほど「異色」と言える一冊は観たことがない。

シリーズ「1968年を知らない人の『1968』」~第五日「高校闘争と新宿事件」

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産 1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産
小熊 英二

新曜社  2009-07
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(4日目に戻る)

「学生闘争」は「大学」ばかりにスポットを当てているが、大学へ進む前段階に当たる「高校」でも同様の「闘争」が行われていた。しかしニュースではあまり報じられておらず、本書と出会うまでは私でさえも知らなかった。
この5日目では「高校闘争」と「新宿事件」についてを述べる。

<高校闘争>
大学が授業料値上げや待遇改善が大きな理由に挙げられ、それが各「セクト」に分かれ、そして「全共闘」として合体し、大規模なものと化した。とりわけ昨日取り上げた「東大安田講堂事件」では今日の「大学紛争」の代表格としてTVで取り上げられることが多い。

ではこの「大学闘争」の陰で繰り広げられていた高校闘争とはいったいどのような闘争なのか。そしてそれを起こしたてる「きっかけ」とはいったいどこにあるのだろうか。

まずはそのきっかけについて記載する必要がある。
発生した時期は1969年秋、このときには大学紛争が全国に波及していた時期であり、東大・日大の紛争が鎮静化していった時のことである。

高校生はその顛末についてTVを通じてみることとなり、それに感化したもの、受験戦争の苛烈さに不満を示すもの、あるいは「非行」や校則に不満を覚えるもの、と人それぞれであるが、複数の要因が重なり「闘争」へと発展した。

もっともこの1969年では「東大安田講堂事件」により大学入試が中止された。当時高校2年生の人びとは受験生であることの空虚さを覚え、闘争にかき立てたことも要因として挙げられる。

この「高校闘争」もセクトの的に止まり、高校生をセクトに取り入れ、規模は大学ほどではないが、全国的に広がっていった。各マルや民青などの組織では「高校班」と呼ばれる下位組織もつくられた。

しかし「高校闘争」と「大学闘争」の決定的な違いは、一つに大学は政治主張も含まれた中で闘争が行われたが、高校では学校に対する不満ばかりで政治主張は見られなかった。

<新宿事件>
第一次羽田事件の後、そう大学闘争が行われていた裏で「セクト」の内ゲバが行われた。そもそも2日目に紹介した、「中核派」「革マル派」などのセクトの源流は「全学連」であり、その全学連が街頭で内ゲバを起こした。

この羽田事件の後に日大・東大闘争があり、いったんその内ゲバは中断され合体し、大学側との闘争に明け暮れた。

しかし1968年10月の「国際反戦デー」でそれが再燃した。それぞれのセクトが防衛庁(現:防衛省)や国会、新宿などで集会を行った。その中で新宿は「中核派」「ML派(共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派)」とが同じ場所で集会を行う羽目になった。

このデモや集会が内ゲバに発展し「新宿(騒乱)事件」にまでなった。政治的主張として「ベトナム戦争の加害責任」や「米軍タンク車の日本輸送阻止」といったものだった。しかしそのデモや集会がやがて新宿駅を包囲し、線路まで占拠、それにより機動隊が駆けつけ騒然となった。しかも学生だけではなく、無職の一般人やサラリーマンにまでこの騒乱は膨れ上がり、約10万人にも及んだという(翌年も同じ新宿で闘争が起こった)。

ただでさえ大学紛争により「全共闘」の支持が失われたのだが、これにより、さらに信頼を失う、その失うことも知らずさらなる暴走をはかる人びともいた。

そしてそれが、七十年代に日本を揺るがす大事件になろうとは、当時はまだ誰も思わなかった。

(6日目に続く)

角界モラル考―戦前の大相撲は「おおらか」だった

角界モラル考―戦前の大相撲は「おおらか」だった 角界モラル考―戦前の大相撲は「おおらか」だった
西村 秀樹

不昧堂出版  2012-06
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近年は「モラル」や「八百長」などで騒がれている角界であり、かつ横綱白鵬が一強時代を築いたが、それが崩れ始めいよいよ戦国時代と呼ばれるようになり、だんだん面白くなってきたとも言える。
そもそも角界は「神聖」なものなのかと思ってしまうが、本書を読むと「高潔」かつ「神聖」な存在の相撲のイメージが崩れる。しかしなぜ「神聖」で「高潔」なものになっていったのかがよくわかる。
戦前、戦後間もない時、そして現在の相撲を鑑みてどのように変化をしていったのか本書はそれを表している。

Ⅰ.「感情表出パフォーマンスと礼儀」
かつて朝青龍が優勝を決めたとき、ガッツポーズを決め、角界の内外からやり玉に挙げられたことは記憶に当たらし。もっとも相撲ではパフォーマンスは御法度なのかというと、戦前はそうではなかったという。たとえば、

・前述のガッツポーズ
(昭和57年の高見山、昭和59年の隆の里

・真っ赤な締め込み
(平成12年の朝乃若

・ヒョットコ踊り
(明治34年の遠岩)

・電気燈(禿頭に電気燈を当てて光るようにしたことから。大正3年の話であるがどの力士がやったのか不明)

などが挙げられる。戦後を中心に挙げているが、ほかにも感情の噴出するシーンは戦前では当たり前のようにでており、新聞でも話題に挙げられていたという。
パフォーマンスはガッツポーズだけではない。たとえば高見盛の立ち会いに向かう際の仕草や一昔では水戸泉の塩撒きにしてもある種の「個性」をアピールしていた。アピールや感情噴出を是としない昨今の「角界の理想」とされてきたが、アピールや感情噴出、愛嬌といった一種の「人間味」を出すことも相撲としての良さの一つだった。

Ⅱ.「物言い~情実裁定と曖昧な決着」
昔と今とで大きな違いがあるものとして、一つに本章で紹介する「物言い」がある。
今となってはそれ自体一場所に1回あるだけでも珍しいもののようだが、かつては何度も物言いがつけられ、審判方の審議が1時間以上にまで及んだことさえあった。しかも近代スポーツにあるような写真やビデオが無かったことから、「情実裁定」といった審判によって左右されてしまい、きわめて曖昧な判定になり、「預かり試合」「引き分け試合」になることをも少なくなかった。

Ⅲ.「大相撲はスポーツにあらず~取組(競技)におけるモラル」
立ち合いの時間、さらにそれまでの時間が厳しく制限されたのは昭和初期の頃であり、それまでは目立った取り決めが無く、罰則も当然存在しなかった。
さらに最初に書いたように近年話題にあがり、それにより引退を迫られた力士も数多くいた「八百長」に関しても、明治~昭和初期にかけては「誰もが認めていた」ものであった。新聞でもそれにより話題となり、現在のようにヒステリックに批判した記事も存在した。力士も認めた発言をしたがそれにより引責引退をした力士はほとんどいなかった(「降格処分」を受けた力士は多数いたが)。ましてや横綱が八百長を肯定する発言も目立ったほどである。

Ⅳ.「力士の芸人性~緩やかな就業倫理と生活倫理」
最近では横綱でも休場するとなると「引退するのでは」という話が出てくる。事実それによる横綱審議委員会からの「引退勧告」も出ることもざらにあるのだという。
しかし歴代横綱の中には第18代横綱の大砲といった休場数が勝ち星数を上回る力士も存在した。怪我による休場もあれば、「雨だから」「雪だから」「気が乗らないから」という私情により勝手に休場する力士もいた。(今とご時世では、それだけで解雇になってもおかしくないが)
ほかにも現在ではあるまじきことであるが「飲酒」をして勢いをつけて土俵に上がる力士も少なくなかった。明治の「角聖」と呼ばれた第19代横綱の常陸山も明治35年春場所に梅ヶ谷との立ち合いの前に飲酒をして敗れたということもあった。もっと言うと常陸山には寄席の女帝として知られた立花家橋之助と愛人関係にあり、ともに巡業先まで連れ立ったというエピソードも存在する。

Ⅴ.「祝祭空間としての国技館」
国技館は現在で言うと両国にある「両国国技館」、戦後間もないときには蔵前にあったため「蔵前国技館」と名付けられた。相撲のみならず、プロレスの試合でもよく使われており、「格闘技の聖地」「相撲の聖地」として名高い。
しかし「国技館」と銘打たれた場所は明治時代からも存在した。1909年から1982年まで存在しており、ちょうど原罪の両国国技館に当たる場所に建てられており、名前も「(旧)両国国技館」だった。
その「国技館」は飲酒や物投げ(座布団のみならず、いろいろな物が投げられた)、喧嘩、野次が頻繁に起こった。しかし明治時代から続く天覧試合にはそのようなことは無く、むしろ畏敬の念を保ちながらの試合を行ったという。

Ⅵ.「厳粛化される大相撲~天皇制ファシズムの中で」
現在のような「神聖化」になるきっかけについて本章では述べている。史料としているのが昭和10~20年が中心であり、翼賛精神により、「大相撲は神聖なもの」として認識させられ、モラルも厳格なものとなっていったという。

本書を読んでいるとき、大阪市長の橋下徹氏が文楽を鑑賞し、文楽について批判をしながら、新たなことを提案した。それに対し文楽の重鎮がそれについて困惑するというニュースを見た。「保守」と「革新」は国家や政治のみならず、文化・芸術にも往々にしてある。
角界にもそういった「革新」の波は出てきて、その波をくい止めることは誰にもできないだろう。
さらに本書を読んでふと疑問に思ったことがある。「相撲は「神事」」と言われるが、なぜ「神事」と呼ぶように、「宗教」という形で帰依されたのだろうか。温故知新であるとするならば明治・大正時代はおおらかで愛嬌があったことも目を背けるのだろうか。
そして「相撲」とはいったいどのような存在なのだろうか、その疑念がますます深まった一冊であった。

シリーズ「1968年を知らない人の『1968』」~第四日「大学闘争② 日大・東大、そして本書に載っていなかった大学闘争」

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景 1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景
小熊 英二

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昨日に引き続いて「学生闘争」について詳しく述べるが、その「学生闘争」の中でも最も有名な「日大闘争」と「東大闘争」を中心に綴っていく。
その後には本書では記載されていない大学紛争をいくつか取り上げることとする。

日大闘争
今でこそ日本最大のマンモス大学として知られており、学生全体で2012年現在68,675人(学部のみ5月1日現在)もいたのだが、1955年は約3万人だった。ところが大学紛争が起こる1968年にはその3倍にあたる8万5千人まで急増させた。名実共にマンモス大学に発展させたが、設備・学習環境・福利厚生などが追いついておらず、授業も「マスプロ方式」と呼ばれる大規模講義が乱発し、それらに不満を持つ学生が出てきた。しかもこの大学生の人数倍増は当時の会頭が単独で決めたものであり、かつそれによる授業料値上げも単独で決めていた。「独裁者」「日大の帝王」と呼ばれるほどのワンマン経営だったが、学生闘争を力ずくで抑制したことにより、東大に次いで大規模な学生闘争に発展させてしまった。抑制した背景には一昨日に取り上げた「六十年安保」に日大生が活動していたことから、一切の政治運動を禁止させた。この政治運動の対象は学生のみならず教職員にも該当しており、全学連はおろか教職員組合を作ったり、加入すること自体も禁止され、その情報が会頭の耳に入った時点で即退学・即解雇をするほどだった。

その憤懣は募りに募り、1968年4月、大学会頭に向けての質問状を提出、さらに5月使途不明金に関する集会やデモにまで発展した。当時の日大は集会を行うような施設はごく僅かしかなく、あったとしても数百人入るのがやっとだった。その集会も規模が大きくなるにつれ、日本大学の周辺にまで規模を広げていった。

そんな中大学の理事会と学生側の話し合いの場が持たれようとしていた。6月に行われる予定だったが、理事会側の一方的な中止により学生側の怒りは爆発。「学生闘争史上最強」とも言われるバリケードを敷、学生闘争側は文理校舎を籠城した。その情報があってかどうかは不明だが、抗議でもは学生のみならず、教職員や父母会にまで広がりを見せた。さらにその使途不明金が国税庁の調査にて明るみとなったが、会頭は認めるどころか正当化するような発言を繰り返した。

その発言が引き金となったか、大学会頭もふくめた「理事者総退陣」の声がいっそう増した。ついに理事会側は屈し9月に交渉の場が持たれることとなり、理事会の総退陣などを約束させた。しかしそれも反故され、さらに激化。大学周辺の施設・住民にまで被害が及んだため周囲の指示が急速に低下。1970年頃に自然消滅するまでに至った。

余談であるが、テレビプロデューサー・演出家にしてコメンテーターとして活躍しているテリー伊藤氏が斜視になった原因となったという。

東大闘争
学生闘争がニュースで取り上げる際に最も引き合いに出されたのが「東大闘争」である。その要因は後で書くのだが、「東大安田講堂事件」が連日のようにテレビで取り上げたことによる。

東大闘争は他の学生闘争と異なる。一つの特長として他の学生闘争は法学部や経済学部の「文系」の学生が中心だったのに対し、東大は「医学部」が中心だった。紛争の背景がその要因としてあげられており、医学部卒業後の身分保障への不満がこの引き金となった。

身分保障についてはあまり取り上げられなかったため、ここで詳しく述べていくこととする。元々東大など医学部のある大学では「インターン制度」として医術を行う研修が存在した。しかしその研修制度は卒業後医師として役立てられるものとはかけ離れたものであり、教授も学生も不満を持っていた。それを廃止する代わりに「登録医」制度が取り入れられたが、期間や謝礼金と言ったものが変わっただけで、具体的な内容はほとんど変わっていなかった。闘争はその改善内容に対する不満にあった。

その不満により1968年1月に無期限のストライキに突入。6月には東大安講堂を占拠しバリケードが張られた。大学総長の指示により、機動隊がバリケードを撤去し、占拠状態は解かれた。

この東大闘争が一躍有名になったのはその後、多くの「セクト」がこの機動隊導入に反発し、紛争に参加することとなった。紛争が激化する中、学生側が「七項目の要求(不当処分撤回や捜査協力禁止など、民青は独自に四項目の要求を公表)」を公表し、大学側に申し入れたが、一項目を除いて受け入れることを表明したが、全部受け入れることを絶対条件としていた大学側が反発。紛争は長期化する要因となった。
やがて秋に入ると「東大解体」を旗本に、ストや紛争が泥沼化、当時文学部部長だった林健太郎が学生側に8日間も監禁され、強制的に団交を行う羽目になった。しかしその監禁の身でありながらも団交には決して学生側の意見に屈すことは無かった。

監禁から解放されると学生側は劣勢になりかけ「全共闘」と「民青」の対立が起こり、いわゆる「内ゲバ」状態に陥った。その対立により全学的にバリケードを張ることを断念。しかし「全共闘」側は安田講堂でバリケードを張って籠城をし続けた。これについて大学側が業を煮やし、1969年1月に大学総長が警視庁に機動隊を要請した。労働した全共闘と機動隊との衝突は後にTVで放送されるほど「大学紛争」を象徴させた「東大安田講堂事件」にまで発展した。この事件でついに安田講堂のバリケードが解体され「全共闘」は敗北した。しかしこの紛争はこれをきっかけに全国に広がっていった。

<学生闘争とは何だったのか>
大学紛争はいったい何だったのだろうかというと、一つに「教育環境の変化」が挙げられる。その中でも苛烈を極めた「受験戦争」とそこから抜け出した後の「空虚」、そして大学進学率の急速な上昇により、教育環境が悪くなり、かつ授業料値上げが起こったこと。その度合いが強くなったことにより不満が爆発し、半ば自然に増大していった。「高度経済成長」と絡んでいたのか、それとも「プラハの春」や「文化大革命」など世界的な「革命」と同じものなのだろうか、それは次の日以降に検証してみる。

(5日目に続く)

WHYから始めよ!―インスパイア型リーダーはここが違う

WHYから始めよ!―インスパイア型リーダーはここが違う WHYから始めよ!―インスパイア型リーダーはここが違う
サイモン・シネック 栗木 さつき

日本経済新聞出版社  2012-01-25
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諺に「隗(かい)から始めよ(または、「隗より始めよ」とも言う)」と言うのを連想してしまう。その意味は、
「大事業をするには、まず身近なことから始めよ。また、物事は言い出した者から始めよということ。」
とある。大事業を興すためのリーダーとして成功するためにはまず身近な所から「YWHY」を用いることで、成し遂げると言う意味では本書のタイトルとつながりがあるのかもしれない。
本書はその「WHY」の見つけ方、そしてその解決の仕方を探っている。

第1部「WHYから始まらない世界」
「WHYから始まらない世界」
それはいったい何があるのか。身近な所にあるとしたら、間違った思い込みによるものがあり、その思い込みにより、新しい考え方やものを受け入れることができなくなり、時代の波に乗るどころか乗り遅れてしまう。

第2部「WHYから始まる世界」
ビジネスにおいて「5W1H」は大切なことであるが、その中でも「WHAT」「HOW」「WHY」が重きに置かれている。さらにその中でも「WHY」は根幹として成り立ち、後のHOWやWHATの一貫性を持つ、もしくはそれらを明快に示すことから、本章では「WHY」の重要性を説いている。

第3部「リーダーには信奉者が必要」
「WHY」の見つけ方から少し離れて「リーダー論」についてを追っている。自分自身を信じ、そして相手を信じる人にたいして経営者であれば雇う、そういった権利が無い人は社内の中でそういった人を引き入れると言ったことをすると良く、その組織の中で危機に瀕しても自分自身も相手にも「信頼」をする事の大切さを本章では説いている。

第4部「信じる人間をどう集結させるか」
リーダーを「信じる」、もしくは「信じられる」人間になるために重要な要素として「WHY」がある。その「WHY」を見つけるためにまず「HOW」を知ることが大切である。本章では計画を立てる、夢を語る上での「WHY」「HOW」の重要性を論じている。

第5部「成功は最大の難関なり」
計画を立てて、その意味を見出し、実行し続けていくと「WHY」の意味が曖昧になる事さえある。「WHAT」と「WHY」が乖離することさえある。その中で「WHY」を修正することは難しく、定量化することができないとしたら、「HOW」や「WHAT」を修正する必要があることを本章では説いている。

第6部「WHYを発見する」
最後の章であるが、本書は「WHY」を解き明かす本ではなく、あくまで「WHY」を見つけ出すための一冊である。

「論理」や「意味」を見出すために「WHY」を用いる。しかしその「WHY」を忌み嫌う人さえいる。しかしその「WHY」があるからでこそ、様々な本質を見出す至高のツールや方法であることを本書では教えてくれる。

シリーズ「1968年を知らない人の『1968』」~第三日「大学闘争① 慶大・早大・横浜国大・中大」

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景 1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景
小熊 英二

新曜社  2009-07
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(2日目に戻る)

現在呼ばれている「学生闘争」は1965年1月に起こった、慶應義塾大学の闘争から始まる。
本書では紹介されていないが、同年9月の高崎経済大学で起こった闘争は後に「圧殺の森」でも取り上げられた。
その「学生闘争」の呼称であるが、闘争の中心が大学であることから「大学紛争」と表記していることが多い。しかし、この表記も大学教授や大学関係者をはじめとした学生闘争に批判的な人物がよく使われる呼称である。反対に学生闘争関係者など闘争を指示・実行する方々は「大学闘争」と表記することが多い。他にも最初に書いたような「大学紛争」や高校・予備校闘争も含めて「学園闘争(または紛争)」と扱われており、文献によっても表記はまちまちである。

3日目は「1968」の本の中核としてあげられる「学生闘争」、そのうちの「大学闘争」を2日間分けて取り上げるが、その1日目に1968年の前半までに起こった大学闘争を中心に取り上げる。

<慶大闘争>
1965年1月20日に次年度の新入生から学費を値上げすることが決まった。その値上げ額だが、初年度納入費が約3倍になるほどだったという。しかも大学側が一方的に決定したため、それに反発し学生の一部で闘争が起こった。しかし後述の早大や中大とは反対的に自治会自体が保守的であったため、過激な闘争になることはほとんど無く、徐々に規模を広げていった結果、2万人いた全学生のうちの半分ほどしかいなかった。

早大闘争
高崎経済大学の闘争から僅か3ヵ月後の12月に慶大と同じように学費の値上げにより、その反対運動が盛り上がったことにより「大学闘争」に突入した。
その大きな理由としては理系の拡充により大学の規模を広げるための値上げだったという。
しかも期間であるが慶大は1ヵ月も満たなかった一方で、早大は約150日もわたる長期的なものとなり、「大学紛争史上最大」とまで言われた。その値上げにより第一法学部を皮切りに様々な学部で授業のストライキや座り込み・殴り込みが起こった。2~3月の入学試験には機動隊が駐留するほどの騒ぎとなった。
その中でストライキや闘争の中心に経っていた共闘会議のメンバーが次々と逮捕していき、さらには「共闘会議」のメンバーが次々と逮捕され弱体化して行き、翌年の1966年の6月に「一端」収束された。
「一端」と言ったのには理由があり、その後1969年4月に大学本部と学生会館を占拠し、闘争が再燃。こちらも前述と同じくらいの期間続き、3年後にも再び闘争が再燃、今度学生運動に参加した経験はあるものの特定のセクトにも所属していなかった学生一人が「革マル派」により虐殺される事件にまで発展した(「川口大三郎事件」)。
こちらも収束されるが、1966年の闘争以後、早大は「革マル派」の巣窟になり、その状況が1994年に当時の学長が排除を表明するまで続いた。

<横浜国大闘争>
早大闘争が行われた同時期に学部名の変更が発端となり学生闘争が勃発した。しかし慶大や早大とは違い「大学自主管理」の名の下に行われていたという。いわゆる「セクト」らによる抗議や交渉はなく、むしろ学生と大学側の交渉や抗議といったものが中心であったため、その名が通った。

<中大闘争>
中央大学では1967年11月に起こった。この理由も慶大・早大と同じように授業料の値上げだった。
しかしこの「値上げ」を決めたのは「大学側」ではなく、「大学総長」自身の独断で決められていたため、学生側の不満だけではなく、元々ワンマン体制だった「大学側」にも不満があった(「大学側」も当然値上げは知らされておらず、表明して初めて知った)。
この学生闘争の結果、総長はこの値上げを白紙撤回した。事実上の学生闘争勝利という結果となった。

以上4大学の闘争について取り上げたが、その背景には大学側の授業料値上げがある。「高度経済成長」に伴い経済的にも裕福になり始めた理由もあれば、大学側の経営が困窮を極めたということも考えられる(あくまで推測であるが)。また大学への進学率も戦後急速に伸ばし、苛烈な受験戦争を乗り越えた空虚感、そして高校まで感じていたものとかけ離れたもう一つの「現実」、そして大学側の学生受け入れを広げる、もしくは設備充実を図るための「犠牲のより所」それを現在・未来の学生に与えるしか無かったという風潮が、学生たちにとって「たまったものではない」と言える。

そして学生闘争はさらに過激なものになっていった。

(4日目に続く)

「ドーハ以後」ふたたび 世界から見た日本サッカー20年史

「ドーハ以後」ふたたび 世界から見た日本サッカー20年史 「ドーハ以後」ふたたび 世界から見た日本サッカー20年史
杉山 茂樹

PHP研究所  2012-06-08
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今年日本サッカーの幕開けとして知られる「Jリーグ」が初めて開幕して20周年を迎える。
昨今では関塚ジャパンが44年ぶりにベスト4に進出したものの、その44年前の因縁を持つメキシコと対戦したが、惜しくも敗れ、さらに次の3位決定戦には宿命の韓国戦となったが完敗し、44年ぶりのメダル獲得とまではいかなかった。
本書は20年もの歴史を日本代表監督毎の時代を振り返りつつ、これからの日本サッカーについてを見出している。

<オフト時代>
ハンス・オフトと言えばジュビロ磐田、浦和レッズ、京都パープルサンガ(現:京都サンガFC)などのJリーグクラブの監督を歴任したが、それ以前に1993年に日本代表監督としてラモス瑠偉や三浦知良らを指揮した。その1993年に土壇場でイラクに敗れワールドカップ初出場を逃した「ドーハの悲劇」が起こった。その「ドーハの悲劇」について当時監督だったオフトはこの上なかった選手のプレッシャーを見て、逃すだろうというのも頭によぎったのだという。

<ファルカン時代>
ドーハの悲劇、そしてアメリカワールドカップの後、監督を務めたのはパウロ・ロベルト・ファルカン。おそらく歴代の日本代表監督の中でもっとも知られていない。それもそのはずで在任期間はたった1年だった。その1年の中で「キングカズ」と呼ばれた三浦知良がイタリアのジェノアに移籍したのは有名な話である。

<加茂時代>
ファルカンの後に監督となったのは加茂周である。加茂ジャパンの時代は一つの「奇跡」が起こった。加茂自身が監督して指揮を執っていないが、1996年のアトランタオリンピックだった。かつて銅メダルに輝いたベルリンオリンピック以来28年ぶりのオリンピック出場となった。その予選リーグ第一戦は先のワールドカップで優勝したブラジル。そのブラジルに1-0で勝利した瞬間であった(マイアミの奇跡)。下馬評では圧倒的にブラジルが勝だろうという予想が根強かっただけに世界中が驚いた。しかしその勢いは続くことなくリーグは敗退してしまうが、オリンピックの大きなハイライトとして残った。
そして近づいたワールドカップ予選、しかし現在のように余裕に通過するような状況ではなかった。むしろ逆転負けにより、絶望的な状況に追い込んでしまった責任をとられ加茂監督は更迭される憂き目にあった。

<第一次岡田時代>
加茂監督時代、コーチだった「岡ちゃん」こと岡田武史が監督に昇格し、突破口を見出し、そして初めてのワールドカップ代表を獲得した。しかし初出場のワールドカップは3連敗という苦杯を舐めることとなった。
第一次岡田時代の長さは「ファルカン時代」よりも短い(8ヶ月)のだが、ちょうどワールドカップの時期だったため「ファルカン時代」よりも印象は濃かった。

<トルシエ時代>
監督がフィリップ・トルシエに替わり、小野伸二や小笠原満男、中村俊輔や中田英寿など数多くのスターを輩出した時代に入った。先のオリンピックもそうであるが、ワールドユースでも好成績をあげた。
海外遠征でもまずまずの成績を残しながらも日韓ワールドカップでは初勝利、そして決勝トーナメント進出を果たした。

<ジーコ時代>
強烈なまでの「個」のサッカーを標榜したジーコ・ジャパンの時代、トルシエジャパンの活躍もあってか、日本代表への期待感が強くなった。アジアカップや親善試合などでも好成績を挙げ、ワールドカップ目前の試合でもドイツに引き分けとなり、期待感が高まったが、それがすべてだった。予選は未勝利に終わり、期待度は一気に下がった。

<オシム時代>
ジーコの後任として監督に就いたのがイビチャ・オシムである。独特の表現と戦術が話題となったが、オシムが体調不良(脳梗塞)を訴え監督を交代せざるを得なかった。

<第二次岡田時代>
そして白羽の矢が立ったのは再び岡田武史である。しかし初出場のワールドカップの実績から期待度は低かった。
しかし2010年の南アフリカワールドカップでは低い下馬評を吹っ飛ばし、ベスト16となった。

<ザッケローニ時代>
そして新たなサッカーが作られようとしている。ザッケローニが監督に就任し「ザック・ジャパン」になるやいなやアルゼンチンに勝利する、イングランドに引き分けることで世界中を驚かせた。そしてオリンピックを経て、2014年のブラジル・ワールドカップに向けて快進撃を続けていくことだろう。

紆余曲折はあったものの日本のサッカー界は「Jリーグ」を誕生し、その20年間を送ってきた。その中でワールドカップ初出場や決勝トーナメント出場、あるいは奇跡の試合や悲劇と呼ばれた試合、無様な試合も数多くあった。
では本書のタイトルである「「ドーハ以後」ふたたび」は昨今の男子サッカー界、そして日本サッカー界が「なでしこジャパン」に支えられていることにたいし、「日本よ目を覚ませ!」という警鐘を鳴らすほど憂いているから名付けられたのだろう。

シリーズ「1968年を知らない人の『1968』」~第二日「セクトと政局」

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景 1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景
小熊 英二

新曜社  2009-07
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若者の不満が一気に爆発した1968年
2日目は「セクトと政局」と題して、前半は学生闘争や安保闘争の中で闘争を起こした分派(セクト)を分析し、後半にはその裏で起こった政治闘争についてを紹介しながら、大学闘争までの架け橋を綴る。

<そもそも「セクト」とは?>
そもそもセクトとは何かというと、本来は「分派」や「宗派」という意味であるが、本書、及び1960年代には新左翼が数多くの分派に分かれているため、ここでは新左翼の中の分派を「セクト」として表す。
その「セクト」そのものが誕生したのは「六十年安保」が始まった1959年前後のことであり、鎮静後鳴りを潜めていたが、1968年には一気に様々な「セクト」が誕生した。

<それぞれの「セクト」>
それぞれのセクトには異なる「考え方」や訴え方が存在した。一部だが挙げてみると、

全学連(全日本学生自治会総連合)
 1948年に結成された日本の学生自治会の連合組織。下記にあるブントや革マル派などの母体。

ブント(共産主義者同盟)
 全学連を牽引していた学生らが日本共産党から離れて1958年に結成した新左翼組織。

革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)
 マルクス・レーニン・トロツキーらの革命理論を基に、帝国主義の打倒と反スターリン主義を掲げ、
 「プロレタリア世界革命」とその一環としての日本における共産主義革命を目指した組織。

中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)
 マルクス・レーニン主義を掲げる日本の新左翼政治団体。
 「反帝国主義・反スターリン主義の旗のもと万国の労働者団結せよ!」をメインスローガンに、日本革命・世界革命の達成と共産主義社会の実現を目指している。
 「革マル派」に似ているがトロツキーの革命理論を採用していない所が違い。

社青同解放派
 起源が日本共産党に無く、左翼共産主義ながらも「反レーニン」を掲げている。

SFL(学生解放戦線)
 六十年安保にてブントから分裂した組織。毛沢東思想を日本革命の指導理念としている。

民青(日本民主青年同盟)
 「日本民主青年同盟の目的」としている組織。日本共産党を相談相手(というよりも「協力関係」)にしており、上記の新左翼のセクトとは激しく対立した。

全共闘(全学共闘会議)
 上記のセクトが合体し、結成された総称。俗に「全共闘世代」の「全共闘」はこのことを指す。

共産党や日本社会党と言うような既存左翼ではなく「新左翼」であるが、その実はそれよりももっと左にあたる「極左」と呼ばれる組織が多いが、帰属意識はまちまちであり、一つのセクトにずっといるものもいれば、中には今日は「民青」、明日は「ブント」などセクトを転々とする人もいた。また1968年の学生運動ではそれぞれのセクトで異なるヘルメットを被り運動に参加したという。

<1と1/2体制>
1950年に、当時の「自由党」と「民主党」が合体し、現在でも残る「自由民主党(通称:自民党)」が誕生した。そのときから1993年までの38年間「55年体制」と呼ばれる時代と呼ばれた。当時自民党の議席数は3分の2に達しようとする勢いで野党第一党だった日本社会党の議席数はその半分にしか及ばなかった。そのことから「1と1/2体制」と呼ばれるアメリカの「二大政党制」とは似て非なる存在となった。

<六十年安保その後>
1日目にも書いたのだが、「六十年安保」の影響により岸内閣は総辞職となり、安保闘争は急激に鎮静化した。その後に首相となったのが池田勇人、「所得倍増計画」を打ち出し、オリンピックも相まって日本は「高度経済成長」へと突入した。後に病気により退陣をし、佐藤栄作に首相の座を禅譲した。
佐藤栄作は約7年8ヵ月もの間首相を務め、戦後最長を有した。その中で「1968」前年となる1967年12月に「非核三原則」を表明しているが、その2ヵ月前にベトナム戦争に対し、日本がアメリカ側を支援することを表明。それに反対した新左翼側が羽田空港で外国訪問阻止活動を行った。通称「羽田事件」である。それを巡って様々な場で闘争が起こっていった。

そして、1968年国公立を問わずして様々な大学にて「闘争」が起こる。

(3日目に続く)

アイヌの世界

アイヌの世界 (講談社選書メチエ) アイヌの世界 (講談社選書メチエ)
瀬川 拓郎

講談社  2011-03-11
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北海道出身である私にとって「アイヌ」は切っても切れない、というよりも北海道とアイヌは切っても切れないものである。小学校時代の時にはよくアイヌに関する授業も受けたことがあり、地名もアイヌ語からきているものも多い。
しかしそのアイヌ民族はいったいどのように伝えられており、かつ文化や言語が栄えたのか、本書はそれらの考察を行っている。

第一章「DNAと言語からみたアイヌの起源」
本書における考察の中心は「アイヌは縄文人の子孫か?」という命題である。その考察を先ずは「DNA」と「言語」について考察を行っているが、「アイヌ語」はわずかばかり知己はあるものの「縄文語」は全く知らない。それについてある程度知らなければ本章はあまり理解できない章と言える。

第二章「縄文の祭りからクマ祭りへ」
「クマ祭り」はアイヌ文化の中核の一つとして形成された。その「クマ祭り」と縄文文化にある「イノシシ祭り」の関連性について考察を行っている。

第三章「阿倍比羅夫はだれと戦ったか」
本書の中核の一つである「阿倍比羅夫」は七世紀中頃に活躍した越国(現在の新潟県?)の越国守りをつとめていたが、あることがきっかけとなり戦隊を引き連れ、蝦夷地へ戦いに赴いた。これは「日本書紀の「比羅夫遠征」」にて記されている。
しかしこの遠征には一つ不可解なところがある。「だれ」と戦ったのかである。最初の文章から見ると「アイヌ民族」と戦っただろうと思うが、記録によると「渡嶋蝦夷」と「粛慎」を討ったとある。本章ではその二人の存在を中心にだれなのかを考察している。

第四章「アイヌ文化の日本語・マタギ文化のアイヌ語」
アイヌ語の中には日本語から拝借したものもいくつか存在する。その多くが信仰や儀礼に関するものであったと言われている。
そしてもう一つのアイヌ語を醸成したものとして挙げられるのが、東北地方の狩猟のための特殊な儀礼を行った人々を指す「マタギ」が挙げられている。

第五章「オホーツク人になろうとしたアイヌ」
オホーツク人とアイヌ人の違い、そしてアイヌ人が抱いたオホーツク人への憧れについて考察を行っている。オホーツク人とは、

「3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化の担い手」

という民族である。

第六章「黄金国家とアイヌ」
「黄金国家」と言うと「黄金の国ジパング」を思い浮かべてしまう。これは日本全体のことをいっているのだが、北海道も例外ではなかった。
北海道でも道東オホーツク海側を中心に砂金がよく採れる地域として知られており、近世初期には本州から砂金堀りに来た人も多かったという。

第七章「謎の「宝の羽」を追って」
「ケシイラフツウイテクル」という鳥とその鳥の「宝の羽」の謎について追っている。ちなみに「ケシイラフツウイテクル」とはワシ科の鳥であることはわかったが、それ以外のことは一切謎である(辞書や百科事典ですら存在しなかった)。

第八章「アイヌモシリ一万年の景観史」
アイヌ文化の風景として著者の居住地であり、かつ私の故郷である旭川の風景を中心に映し出している。そのため本章に出てくる写真のほとんどが私にとっては馴染み深かった(かつて通学路として通っていた場所も存在した)。

アイヌ文化の歴史、そして縄文人との関連性、そしてそこから醸し出されるアイヌ人の姿を映しだしたのが本書と言える。

シリーズ「1968年を知らない人の『1968』」~第一日「『1968』前夜」

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景 1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景
小熊 英二

新曜社  2009-07
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―あれから44年
私は当然生まれていなかった。
激動の時代と呼ばれる中でそれを知らない私たちはどのように映るのだろうか。1968年を見て、あることを思い出した。
「44年目の輪廻」
大規模デモ然り、政府の無策と増税然り、そしてサッカー然り、そして学府の無策しかり・・・。

4年前に還暦を迎えた世代を中心に「団塊の世代」と呼ばれるが、別名「全共闘世代」や「革命世代」など呼ばれ、そしてそれが日本経済を動かす中心的な役割を担うこととなった。

今週一週間は上にある小熊英二の「1968」の本をもとに1968年を見るとともに、44年経った「今」を見出し、そしてこれからの私たちに対する光明を見つける。

第1日目は1968年前夜として、戦後から23年間の出来事を中心に当時の大学生たちが革命に走ったきっかけ、そしてその前兆について迫ってみる。

<焼け跡から生まれた生命>
1945年8月15日正午、昭和天皇の「御聖断」により、日本は敗戦となった。その敗戦に伴いGHQの占領下に置かれ、その中で天皇を象徴とする日本国憲法がつくられ、施行された。その時代に生まれた世代は戦後の荒廃の中で育ち、そして高度経済成長に差し掛かったときに日本の状況を鑑みることができ始めた。
話は変わるが1950年代にはマガジン・サンデーといった週刊少年誌、フレンドやマーガレットの少女誌が続々と創刊、さらには月光仮面といった作品がTV放映され、それの影響もこの「1968」にあったという指摘もある。

<「もはや戦後ではない」>
この言葉は1956年の「経済白書」にて出てきた言葉である。当時は鳩山一郎が首相だった時の時代である。これから「高度経済成長」の引き金となったと言われているが、それは間違いであり、戦後復興が終わり、国際連合に加盟したことから言われた言葉である。
その後1960年、時の首相である池田勇人が「所得倍増計画」を打ち出した。そのことにより日本は「高度経済成長」が始まるわけである。戦後の貧困から脱し、経済大国への道を開いたが、その「代償」が後の1968年につながる「燻り」となった。
その「代償」は労働環境と労働組合の存在によるものである。

<アメリカへの依存と六十年安保>
その「所得倍増計画」を打ち出す前に、当時の首相だった岸伸介が「日米安全保障条約」の改定を行った。
その安保条約はアメリカ軍の駐留延長の他にも、日米共同戦線が明文化され、戦争の危険が増すことにより日本社会党などの野党の反発は激しく、国会の審議も紛糾することとなった。それだけではなく岸本人も戦前・戦中の東条内閣で重要なポストにいたことから国会どころか、国民の中でも反対運動を起こし、高まっていった。それが「ブント」や「全学連」と言った団体を中心に過激さを増していった。俗にいう「六十年安保(闘争)」の始まりだった。
国会の採決も社会党議員の座り込み排除や与党自民党内の危険を振り切った形のいわば「強行採決」と言った強引な手法で衆議院を通過させ、闘争は激化の一途をたどったが、翌年1960の6月に参議院の議決が行われることなく自然成立となった。これが引き金となり、岸内閣は退陣した。これら一連の運動も後に起こる「1968年」の引き金の一つとなった。
この「安保闘争」であるが「1968年」の後の1970年にも起こった。俗に言う「七十年安保」と言われているがこちらについては6日目に説明することとする。

<教育に対する憤懣>
「学生の学力が低下している」
昨今でも同じようなことを聞く限り、今に始まったことではない。むしろそれに導いたのは学生だけではなく、教師とその周りも同罪であった。教師側からしてみれば当時の学生に対するコミュニケーションがそれほど多くなく、むしろやらない・できないことが多かった。学生も学生で教師に対する吊し上げが起こし、教師と学生の対立が深まっていった。
それが後の「学生紛争」の大きな引き金となったのだが、教育の変化も大きな要因として挙げられる。
そしてもう一つは「受験戦争」の激しさから脱した空虚である。これについては5日目の「高校紛争」にも関連づけられる箇所が多いためそこで書くこととする。

<そして政治に対する憤懣>
そして頼りにしようとしたのが当時の日本社会党であり、日本共産党だった。しかし「既存左翼」というところだったが、あまりにも穏健すぎる、もっと言うと学生に対する声を聞いてくれないことから新しい左翼、「新左翼」へと身を投じることとなった。

そしてその衝動が1968年に爆発した。

(2日目に続く)

四国遍路―さまざまな祈りの世界

四国遍路―さまざまな祈りの世界 (歴史文化ライブラリー) 四国遍路―さまざまな祈りの世界 (歴史文化ライブラリー)
星野 英紀 浅川 泰宏

吉川弘文館  2011-03
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四国八十八カ所の寺院を巡る「お遍路」こと「四国遍路」、元々平安時代から始まったのだが、平成に入って「一大ブーム」となった。前首相である菅直人も2001年と、首相を退いた2011年の2回お遍路を行った。
そのお遍路にはどのような思想があり、どのような魅力が存在するのか。本書は「四国遍路」にまつわる思想と文化、そして魅力を追っている。

<四国遍路の思想>
最初に四国遍路は平安時代に誕生したと書いたが、具体的に誕生した時期は諸説ある。空海が初めて歩いた説もあれば、真如親王(嵯峨天皇の子)が始めたという説も存在する。しかし諸説はありながらも文献が少ないため、あくまで研究のプロセスででた推測しかでていない為、「謎」という他ない。
起源の後は、四国遍路の特長であるが、自分自身が抱いていたイメージは特定のルートを歩きながら行うものだったが、そうではなく、巡る寺院は決まっておらず、遍路の方法も歩きばかりではない。バスやマイカーを使って「お遍路」をする人もいる。「楽しているのでは」という疑念を持つが、コストや期間を考えるとかなり高くつくため、バスやマイカーを使っても決して楽ではない。そういう意味ではどのような方法であれ、八十八カ所を回った後の達成感はひとしおである。

<四国遍路の人びと>
平成に入って「お遍路ブーム」が起こったきっかけ、その一つとして「自分探し」、もう一つ「御利益」、そして不治の病の「病人遍路」など、様々な理由から「お遍路」をするのだという。

<四国遍路の接待文化>
「接待文化」もお遍路としては独特で行く先々で「お布施」としてお茶や食事を振る舞ってくれる。地元の人びとが存在する。

<四国遍路の現代的風景>
「お遍路」は日本中で認知されてきたのだがそれがもっと認知されたのは、他でもないメディアで取り上げたからである。1998~2000年には「四国八十八カ所 こころの旅(NHK)」、連続テレビ小説の「ウェルかめ(NHK、2009年9月~2010年3月)」がある。また癒しやパワーを得るスポットである「ヒーリングスポット」や「パワースポット」としてのお遍路も注目の的となっている。

四国で生まれ約1300年もの歴史を持つ「四国遍路」、近年それを行う人も増えてきているが、その起源とブームの背景を知ることのできる格好の一冊といえる。

コンセプトのつくりかた

コンセプトのつくりかた コンセプトのつくりかた
玉樹 真一郎

ダイヤモンド社  2012-08-03
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スタジオビビ 乙丸様より献本御礼。
世界にイノベーションを起こすアイデアを思いつくことは誰にもある。そのアイデアを生み出すための考えにある。
その「コンセプト」をいかに作っていくのか、本書は「Wii」の開発に携わり、現在では郷里の八戸市で地元企業やNPO団体のコンサルティングに携わっている方が伝授している。

第1部「おりていく コンセプトとは何か」
アイデアが出るときには「いい考えがおりた」というようなことが往々にして出てくる。しかしその「アイデア」を出す、「コンセプト」を出すにしても、「既知の良さ」を出すよりも、むしろ本当に売れるかどうかわからない、しかしいったん売れると爆発的に売れ出す「未知の良さ」を発見するためにコンセプトを生み出す。一見「ブレインストーミング」に見えるのだが、そうではない。コンセプトを練る、つくることによって未知のビジョンやアイテムを見出していく。

第2部「のぼっていく コンセプトをつくる具体的なプロセス」
第1部と第2部をあわせるとサクソフォーン・フルート奏者であるオリタ・ノボッタを連想してしまう。
それはさておき、本書はコンセプトを生み出すためのプロセスを某ロールプレイングゲームになぞらえている。どんなゲームかは本書を読めば自ずとわかるので、あえてリンクも説明もしない。
大きなテーブルに付箋を書いて貼るのだが、様々な質問に対する答えや悪口などを並べていく。その「並べていく」プロセスの中からコンセプトを明確化し、活用できるようなものにしていく。

第3部「すすんでいく コンセプトをどう活用するか」
そのコンセプトから「ものつくり」としての「仕様」にし、形にしていく。机上から生まれ、そして固定観念を遙かに凌駕し、世界を変えていくようなものこそ「コンセプト」である。

「コンセプト」の力は無限であり、その力は誰にでも存在する。その存在する力が束になり、世界を変えていくような「ものつくり」となる。wiiはその結晶であり、それをしのぐ作品もこの「コンセプト」から生まれていく。本書はまだ見ぬ新たなコンセプト作りのあり方を示してくれる。

ふしぎな社会 おかしな行政

ふしぎな社会 おかしな行政 ふしぎな社会 おかしな行政
稲葉清毅

勉誠出版  2012-06-08
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社会や行政は時代とともに変化をしていくが、その「変化」が「不思議」なものであったり、「おかしな」ものであると考える人が多い。しかもそれが行政や社会の中枢にいる人にしかわからないものがある一方で、その中枢の外でしかわからないものもある。
それはさておき、本書は省庁の行政改革などに携わった中で出てきた「課題」や「不思議さ」「おかしさ」といった所の考察を行っている。

第Ⅰ部「社会と行政をゆがめる無知と誤解」
「節電」や「学力低下」「リサイクル」「少子化」の誤解や誤謬を突くとともに、官民双方の「無知」の危険性も突いている。

第Ⅱ部「ムラの利益に奉仕する怪しげな俗論」
国の財政政策や年金問題、さらにはいりょうや公共事業、そしてそれについての「ムダ排除」といった話について「俗論」と称して論じている。

第Ⅲ部「人心を惑わす安全・安心ヒステリー」
「安全・安心ヒステリーは現代の魔女狩り」
これほど含蓄のいく言葉は見たことがない。そもそも日本人は「安心」や「安全」という言葉に弱く、かつ「リスク」という言葉を忌避する傾向にある。最近では放射能のリスクにより、国産の米よりもむしろ中国など外国産の米を購入する家庭が増えたという。
それだけではない。日本人は次第に潔癖傾向にある。とりわけ最近に対する抵抗は根強くそれによる免疫力の低下も懸念している。

ふと思い出す言葉として、ソ連最後の大統領だった「日本はもっとも成功した社会主義国家」がある。賞賛しているように見えて、「皮肉られている」と言っても過言ではない。官から提示されたデータやメディアによる盲信によりあらぬ方向に進んでいるように見えた著者は本書にて警鐘を鳴らしたと言える一冊である。

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」
高瀬 毅

平凡社  2009-07
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1945年8月9日 午前11時2分
3日前の広島に続いて、アメリカの戦闘機「ボックスカー」が長崎に原爆「ファットマン」が投下された。約15万人もの人々が原爆により命を落とし、長崎の街は壊滅的なダメージを受けた。
本書はその中から「(浦上)天主堂」とあらましについて日米の歴史・戦後の関係とともに考察を行っている。

第一章「昔、そこに天主堂の廃墟があった」
長崎にも原爆は投下され、甚大な被害を受けたが、広島にある「原爆ドーム」のように、原爆投下の象徴の面影はない。代わりに象徴として残っているのは、ちょうど「グラウンド・ゼロ」の所にあるところに「平和公園」「長崎の鐘」「平和祈念像」「平和の泉」が存在する。その近くには「天主堂」が存在しており。その「天主堂」の廃墟は原爆の象徴として残すことはなかった。

第二章「弾圧を耐え抜いた浦上の丘」
そもそも「天主堂」とは何かというと、簡単に言えばカトリックの教会のことを指しており、観光名所として知られている。建てられた土地にはかつて「隠れキリシタン」の巣窟として江戸時代に「異教禁制」により何度も摘発されたことで知られている。この天主堂を建てられたのも「浦上四番崩れ」という弾圧を振り切りつくられた。

第三章「原爆投下―浦上への道」
そもそもなぜ長崎に原爆が投下されたのか、というとある「偶発」によるものであった。本来は当時軍需工業都市として盛んであった小倉をターゲットにしていたが、その前の爆撃による火災から出た煙でターゲットが見えなくなり、やむなく投下中止となった。
そしてもう一つの目標としてあった長崎に投下したということにある。
もしも先に「爆撃」が無く、軍事工場に火災が起こっていなければ、長崎ではなく、小倉に惨劇が起こっていた。しかし、原爆を小倉に投下することを計画していたのなら、なぜ「小倉に爆撃」をしたのか、残念ながら本章では読みとれなかった。

第四章「浦上の聖者と米国の影」
原爆が落とされ、天主堂が廃墟になっても、そのカトリックの心は滅びなかった。むしろ「浦上の聖者」によってその心を呼び起こした。
そしてその聖者は「長崎の鐘」という本でこの惨劇を語り継がせようとした。しかしそこのGHQの影により立ち消えとなってしまった。

第五章「仕組まれた連携」
戦後天主堂の再建活動とそしてその廃墟の保存活動が同時並行の形で始まった。本章では当時の長崎市長の奔走録を記している。

第六章「二十世紀の十字架」
その奔走の中でアメリカに渡る機会があったのだが、そのことにより廃墟保存に対する心変わりが生まれた。その保存に対して消極的になり、そして次章にわたる撤去へとつながっていった。

第七章「傷跡は消し去れ」
傷跡を消し去った背景は前章・前々章にもあるのだが、それだけではない。天主堂の司教も戦前から建てられた土地は第二章にて述べられたような事情から別の場所に建てることを拒んだ。

第八章「アメリカ」
その第六章にある「心変わり」が起こった理由、それはアメリカの史料の中に隠れているのかを調査している。

第九章「USIA」
アメリカに渡ったものの史料は見つからなかった。今度は「USIA(United States Information Agency:アメリカ情報庁)」からの史料を探しに奔走した。

第十章「天主堂廃墟を取り払いしものは」
広島と長崎の差、原爆に対するスタンス、そしてアメリカの思惑、原爆投下で壊滅的な被害を受けた2つの都市の隔たり、本章ではその複雑な「差異」について分析をしている。

原爆が投下されてちょうど67年、原爆投下、そして戦争による悲劇を語り継がなければならない。もう語り継げる人は少なくなっているのだから。
その一方で長崎の原爆についてなぜ天主堂を保存しなかったのか、その真実を知る必要がある。その背景にはアメリカと日本の不思議な関係が横たわっている、本書を通すと、そう見えているのかもしれない。

いい奴じゃん

いい奴じゃん (講談社文庫) いい奴じゃん (講談社文庫)
清水 義範

講談社  2011-10-14
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多くの新入社員は研修が終わり、いよいよ本当の意味で社会人人生のスタートである。大いなる社会の荒波に揉まれて図太くもあり、強く生きることが求められる時代である。

その一方で、「ロストジェネレーション(通称:ロスジェネ)」と呼ばれる世代はバブル崩壊の煽りを喰らい、大工など学校を卒業しても就職先が見つからない。見つかったとしてもリストラにより首切りの対象となり職を失うといったことになり、路頭に迷う人も出てきた。過酷と言うよりもむしろ「割を喰らった」存在とも言え、その状況を憂う人も多い。

しかし、本書はそのロストジェネレーション世代に生きる男が様々な人物、そして社会の荒波に揉まれ、人間不信になるものの、その中で人間の温もりを得る一冊である。

様々な荒波や不幸、さらには理不尽なことが起きようとも「図太く」、そして「前向きに」生きていく姿があたかも同じような世代に対するエールになる一冊とも言える。

なぜ、部下はリーダーの足を引っ張るのか?―「フォロワーシップ」で本当に強いチームを作る

なぜ、部下はリーダーの足を引っ張るのか?―「フォロワーシップ」で本当に強いチームを作る なぜ、部下はリーダーの足を引っ張るのか?―「フォロワーシップ」で本当に強いチームを作る
小倉広

すばる舎  2011-04-21
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組織には必ずといってもいいほどリーダーと部下が存在する。その中で「リーダーシップ」に関する本も数多く存在するのだが、部下がリーダーをもり立てていく「フォロワーシップ」について書かれた本はあまり見かけない。リーダーは「人を動かす」のだが、肝心の部下に足を引っ張られるような状態になってしまえばたまったものではない。
本書は「部下力」というべきかどうかはわからないが、リーダーを支えるために重要な力である、「フォロワーシップ」について伝授している。

第1章「たった1人の部下が及ぼす影響は計り知れない」
組織の規模によって1人の部下の影響力は異なるという人もいるが、それは間違っており、1人だけでも組織の規模に関係なく影響を及ぼす。たった1人の反発により、それが周りの部下に伝染し、組織全体にまで及んでしまう。「アンチ」や「傍観者」「風見鶏」のような「非協調」「反協調」のあり方が組織に対しどれほどの悪影響を及ぼすのか、反対に「上司と部下の信頼関係」と築くことによって組織全体がプラスに向かうことができる。本章ではその影響についてを紹介している。

第2章「組織の8割は「フォロワーシップ」で決まる」
あまり知られていない「フォロワーシップ」。それはいったい何なのだろうか。本章ではそのフォロワーシップを「奇妙なダンス」の話と、著者が携わった会社のエピソードを取り上げながら説明している。

第3章「なぜ、部下はチームに協力できないのか?」
部下がチームや組織に協力できるようにならなくなったのにも理由や背景が存在する。
高度経済成長期からバブル景気にかけては「頑張れば頑張った分だけ見返りがくる」時代だった。たとえ唯我独尊の横暴なリーダーでもそれをもり立てて頑張れば必ず光明が見えたため、協力することができた。
しかし景気は右肩下がりとなり、リストラも行われるようになってからその空気はがらりと変わり、頑張っても報われない時代となってしまった。
ましてや時代とともに新しく入ってくる部下の考え方そのものも変わるため、昨今のやり方では通用できたものもできなくなる。それに気づかず、昔のような手法にこだわってしまい反発を招いてしまうようなことも往々にして起こっている。

第4章「リーダーとナンバー2が変われば部下たちも変わる」
「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」
という言葉を思い出す。しかしこれはリーダーに対しても言えることであり、上司と部下の信頼関係がフォロワーシップにとって大切なことであるだけに、自ら部下を信頼する、部下も上司を信頼することができることが大切である。そもそも上司と部下とで価値観も思考も異なる。それを尊重することが信頼関係を気づく、ひいてはフォロワーシップを繁栄させるための第一歩である。

第5章「フォロワーシップが組織に根付く6つのしかけ」
「ワークショップ」や「キックオフ会議」「物語」などの仕掛けを紹介している。一方的な押しつけではなく、上司・部下が関係を保ちつつもフランクに話せる雰囲気をつくることが大切である。

「フォロワーシップ」はあまり知られていないが、組織人として欠かせない考え方・システムであり、上司・部下の関係で悩む所が多いだけに大いに注目が集まるシステムと言える。本書はその可能性を見いだすことのできる一冊である。

日本語学のまなざし

日本語学のまなざし (シリーズ「知のまなざし」) 日本語学のまなざし (シリーズ「知のまなざし」)
安田 敏朗

三元社  2012-06
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「日本語」は歴史とともに変化をしている。しかしその「変化」のあり方そのものが「日本語の乱れ」として蔑視あるいは、批判の的となってしまう。
その日本語の変遷、そして日本語の原理について考察を行うのが「日本語学」であるが、私たちの生活の中ではあまり知られていない。
その「日本語学」は日本語を司る私たちにとって、日本語の進化・乱れを憂うなかで大いなるヒントが隠れているといっても過言ではない。
本書は「日本語学」をはじめて学ぶ人の入門書の一冊であるが、日本語学に興味がなくても、日本語がいかに進化をしていったのかがよくわかるため、それに興味がある人でも適した一冊と言える。

一章「日本語学の「まなざし」」
日本語は「非論理的」や「乱れている」「日本人であることを知らしめるもの」など決めつけられることが多い。
日本語にも諸外国語と同じように各々の地域で育まれた「方言」があり、かつ「日本語の乱れ」は古くは「枕草子」が成立した平安時代の時からあった。
まして言葉はあくまで自分の気持ちや考えを伝えるツールであることから過度な期待や正しいものとして一様に括ることは不可能であるという。

二章「日本語学の「知のわくぐみ」」
学問を「日本語学」から、各国の言葉を比較する「比較言語学」に広げてみる。そこから「日本語」のスタンスや成り立ちなど歴史的な系譜についても論じられている。

三章「日本語学の「知の回路」」
日本語がいかに成り立ったのか、というよりも「日本語によって時代をいかにしてつくったか」という所を論じている。その中で4年前に話題となった本「日本語が亡びるとき」も取り上げられている。

四章「ガイドなのか判然としないブックガイド」
一章から三章までで、取り上げられた本をここで改めて紹介している。章のタイトルのように、紹介だけで終わりというものもあれば、批判的な考察まで述べている所もあり、確かに「判然としない」。

本書は「知のまなざし」シリーズの中の「日本語学」の中からくる「まなざし」と題した入門書である。最初にも書いたように日本語学をはじめて学ぶ人でも、日本語学に興味がなくても「日本語」そのものをみてみたい人にはお勧めの一冊である。

わたくしが旅から学んだこと 80過ぎても「世界の旅」は継続中ですのよ!

わたくしが旅から学んだこと 80過ぎても「世界の旅」は継続中ですのよ! わたくしが旅から学んだこと 80過ぎても「世界の旅」は継続中ですのよ!
兼高 かおる

小学館  2010-09-01
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旅は見識・了見を広めるだけではなく、楽しみ・価値・精神そのものを、様々な形で大きくさせる。その旅行の範囲は広ければ広くなるほど、その旅の意義は大きなものになる。世界一周したらなおさらだ。
しかし本書の著者は「世界一周」どころではないほど旅をしている。まさに「人生は旅なり」を体現しているのではないだろうか、と思いさえする。約40年以上にわたって世界を旅してきた著者はなにを見つめ、学んできたのだろうか、本書はそれを自らの体験談とともに綴っている。

第一章「「世界の旅」は、人生の学校だった」
著者が世界中を旅することができたきっかけは「世界の旅」という番組にあった。「兼高かおる世界の旅(TBS系列)」の初回放送は1959年12月、ちょうど「ミッチーブーム」の真っ只中である。
それから約31年もの間、取材として150カ国もの旅をした。第三章のタイトルにもあるとおり「地球180周」にも及ぶほど距離を旅したというのだから驚きである。
取材を始めた当初は海外旅行そのもの珍しいものであり、「1ドル360円」の固定為替であるため、現在のように容易に旅行することができなかった。
海外旅行ができたとしても言語や文化・マナーも大きく異なる。それを知らなくては取材にもならないし、現地の方々にも粗相を起こしてしまう。そのために事前の勉強も書かさなかった。
テレビに映る身であったため、服装にも気をつけたことなど様々なエピソードと番組終了までの顛末を綴っている。

第二章「旅をしながら見えてきた世界、そして、日本」
「日本人は日本を知らない」
あるCMで出てきた言葉である。
日本に住んでいてわかるものも多いのだが、それ以上に日本から離れてはじめて「日本」の良さを知ることができることもある。
他国のことを知る、そして自分の国を知ることによって親近感を増すこと、日本人独特の礼儀正しさが世界的に好感を持っていること、そして旅の必需品と注意について、本章ではそれらを教えてくれる。

第三章「地球の旅は180周。人生の旅はまだ1周目」
1990年に「世界の旅」が終わり、その中で過ごした「日常」と31年間取材を続けた「世界の旅」の回顧。海外取材から離れて気づいたこと、そして日本の奇異さ、そして自戒を込めての提言、幸せについての提言をしている。

「旅」は人生を楽しくさせ、人間を明るくさせ、そしてなによりも人間的な奥深さを深めることができる。その31年間の結晶が本書に詰まっており、かつ、旅をしたがらない私たちの世代に向けての激励の言葉と言える。

全―生活論~転形期の公共空間

全―生活論: 転形期の公共空間 全―生活論: 転形期の公共空間
篠原 雅武

以文社  2012-04-26
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「生活」は誰にでもあるものといえるのだが、その「生活」はいかにして誕生し、変化をしていったのか、「生活」の中にある「衣食住」をすべてひっくるめて考察を行っている。

第一章「公共性と生活」
公共性が論じられ始めたのが1990年代に入ってのことである。それまでは私的な(もしくは「個」の)範囲で生活は論じられ、実践されていった。そのせいか、孤独死や他人との疎遠、さらには他人の痛みを知らないためにいじめや犯罪に走るようなことさえ発生した。
そのため「公共」という言葉つかわれはじめ、哲学や倫理学、社会学ともにその現状を論じつつも、これまでの「生活」を批判した。

第二章「装置と例外空間」
生活における「装置」は家電製品など必需品などを指しており、「例外空間」は日常生活からはずれた空間・場所のことを言っている。後者はショッピングモールやアミューズメントパークといったところもあれば、極端な話「戦場」も有り得るため、かなり意味合いは広い。

第三章「誰にも出会えない体制」
「誰にも出会えない」ような状況、それは私たちの世代の中で起こった「失業」や「派遣切り」により他人との関わりあいができなくなったような状況を指す。そのような状況をいったい誰が作ったのだろうかを本章では論じている。

第四章「開発と棄民」
おそらく現在の状況に適しているタイトルはない。
その大きな理由として原発の現状が挙られる。福島第一原発にまつわる除染などの作業を私たちの世代を中心に行われているが、それにより普段の生活が失われ、中には死者も出してしまう、ある種の「棄民」が行われており、その中で放射能を取り払う「開発」が行われた。

第五章「生活世界の蘇生のために」
これも3.11のことを言っているのかもしれない。大地震により、日常生活そのものを失われてしまった。その生活に戻るために様式・精神その両方の観点から考察・提言をしている。

「生活」を論じられているが、「哲学」がメインであるだけになかなか難しい。しかしその「難しさ」の中に私たちの生活の中で欠けている「本質」が見えてくる。本書はそのような一冊である。

愛国心~国家・国民・教育をめぐって

愛国心: 国家・国民・教育をめぐって (学術叢書) 愛国心: 国家・国民・教育をめぐって (学術叢書)
市川 昭午

学術出版会  2011-09-21
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「愛国心」という言葉は最近いわれ始めたことではないものの、近年叫ばれているものとして挙げられている。それと同時に政治思想としての「憂国」や「ナショナリズム」なども論じられることが多い。
では「愛国心」はどこから生まれて、どのように定義されてきて、そして戦後日本はどのような「愛国心」像を持っているのだろうか、本書は思想の右・左を超越して、論じている。

第1章「戦後日本の愛国心論」
戦後日本の論壇で「国家」のことを論じるにあたり「憂国」や「愛国」という形で論じられる。その多くは「保守」と呼ばれるスタンスの方々あり、比較的私もそれに近い(かつてその傾向にまつわる本を取り上げることが多かったため)。
戦後日本はGHQの占領政策により、かつてあった教育や国家が否定され、左傾化していった。その象徴の一つとして「六十年安保闘争」「大学紛争」「ベ平連」などの運動につながった。
さらに80年代以降になると保守的なコラム・オピニオン誌が次々と創刊していったことも背景にある。

第2章「愛国心とは何か」
そもそも「愛国心」はどのように定義されているのだろうか。調べてみると、

「自分の国を愛し、国の名誉・存続などのために行動しようとする心。祖国愛。」goo辞書より)

とある。その「愛国心」は第1章にもあるとおり、「保守」の思想スタンスを持つ論客や人がよく使う。その用法によっては「日本が好きだ」というような「愛国」というよりも、「このままでは日本が危ない」というような「憂国」と呼ばれる今の状況を憂う方々もいる。
「愛国心」にも「パトリオティズム(愛郷心、通称「パトリ」)」や「ナショナリズム(民族主義、通称「ナショ」)」といったところにまで分類され、極端にいうと「愛国心は誰でもある」というような状況にある。

第3章「ネーションとナショナリズム」
ネーション(Nation)は直訳すれば「国家」そのものをいう。しかし第2章にも書いたように「ナショナリズム」は「民族主義」という。この差はいったい何なのだろうか。
そもそも「ナショナリズム」の定義も曖昧であり、本来は「国家主義」のことを言う、それが国家として政治が成り立ち、その単位として「民族」が成り立ち、それが「民族主義」という概念に形成づけられた。

第4章「国民国家と国際関係」
その「ナショナリズム」の本来の定義である「国家」であるが、その「国家」は近代いかにして成立したのだろうか。「国家」そのもの概念は紀元前に古代ギリシャ哲学にて成立したが、「近代」となると16世紀にまで遡る。その「近代」国家の歴史と国際関係の変遷について考察を行っている。

第5章「愛国心の教育」
法律としてはじめて「愛国心」が触れられたのは2006年の教育基本法の改正からのことである。それ以前にも「国旗・国歌法」が1999年に制定された。日本、そして「愛国心」を「法」という形で構築することを政府は行った。政府主導の「愛国心教育」はうまく言っているかというと政権交代をしてから、効果があまりみられない現状もある。

「愛国心」そのものの考察、さらに「愛国心」の歴史と教育はいかであったのか、本来ある思想を抜きにしてみることのできる一冊と言える。

聖書男(バイブルマン)~現代NYで「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記 聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記
A.J.ジェイコブズ 阪田由美子

阪急コミュニケーションズ  2011-08-31
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昨年、「電車男」「電波男」「青春男」に続いて現れた「解剖男」。その
そして2012年、また新たな「男」が誕生した。
―その名も「聖書男」
キリスト教の聖典である「聖書(旧約・新約双方とも)」を様々な形で「実践」をした結果を表した一冊である。

第一月「九月」
1年にわたって聖書そのものを実践していくにあたり、「聖書」やガイドなどの準備に追われた。すったもんだの末、実践を始めたのは本章にもあるとおり九月からである。
聖書を忠実に実践しようとするあまり、

「聖書からはずれたことをしていないのか」
「計画は間違いないのか」

という不安に駆られ、その中で計画の見直しを迫られたこともあった。

第二月「十月」
一ヶ月経ちようやく聖書を忠実に実践することに慣れてきた。そのなかで「なぜキリスト教ができたのか」「聖書解釈の歴史はどのような道を辿ったのか」という疑問がふつふつと沸いてきた。原点を見るためにイスラエルに旅行を計画したり、歴史書から思索をしたりした。

第三月「十一月」
聖書を実践していくことによって、その聖書に反することを行おうとする人を許せなくなった。その許せない怒りがふつふつとこみ上げて、今では珍しい「石打ち」を行うようになった。
さらに新約聖書にある「隣人愛」、さらに「十戒」にある「盗むべからず」の実践もこの月で行っている。

第四月「十二月」
旧約聖書の「創世記」には、神は世界をつくるにあたり1日だけ「安息日」としたくだりがある。本章では「安息日」として睡眠や休息についての解釈の実践の他、性欲との闘いや一夫多妻についての解釈の考察を綴っている

第五月「一月」
この中でもっとも目を引いたのが「虫を食べる」ところにある。こう見てみるとゲテモノ食いをチャレンジしているのか、と思いきや「レビ記」にある食事制限の決まりとしてあるのだという(聖書なので理由は記されていない)。その消去法のなかで「虫」が食べられるから実践したのだという。
ちなみに食べたのはイナゴ。日本でも佃煮として食べられていることから、ちょっとほっとしたのは私だけであろう。

第六月「二月」
聖書を実践しながらではあるものの、ここである疑問がわいてきた。
「そもそも聖書は誰が書いたのだろうか」
と。旧約聖書の話であるが、wikipediaで調べながら自分の考えを思いめぐらし続けたという。

第七月「三月」
聖書を実践しながら、「十月」で計画していた「聖地巡礼」としてイスラエルへ旅行をしたことを綴っている。

第八月「四月」
聖書の掟を守ることを実践していくうちに「信仰心」や「掟を守ることの喜び」に変化を生じてきた。実践しながらも、それらにまつわる心境の変化を本章で綴っている。

第九月「五月」
これまでは「旧約聖書」の実践に取り組むことが中心だったが、この月からは「新約聖書」にシフトしていった。その中で「聖書研究会」にも参加をし、聖書解釈についての「学」も広げ始めた。

第一〇月「六月」
聖書の実践をする傍ら、今度は政治思想としての「極右のキリスト教」を知り、キリスト教の存在と解釈について考えるようになった。

第一一月「七月」
宗教的にタブーとしている「人工妊娠中絶」について聖書の立場としてどうなるのかが中心だった。倫理・宗教として「タブー」としているが、「宗教」と「聖書」を切り離して「聖書」の立場として考えたのだという。

第一二月「八月(と九月前半)」
実践をしたことにより、何を得た(もしくは失った)のかを統括し、長らく伸ばしていた髭を剃った話が中心である。
ちなみになぜ髭を生やし続けたのかというと、準備の段階から「モーセ」を意識してのことであった。

見るからにナンセンスなように見えるかもしれないが、世界で一番読まれている本が「聖書」であるからでこそ、人生において大切なことも書かれており、実践をしてみると意外なことが書かれていることに気づく。ナンセンスであるように見えて、聖職者でもわからない、聖書の本質について、実践を通して突いている。

―「聖書男」は侮れない。むしろ「電車男」や「解剖男」を(色々な意味で)凌駕する存在と言っても過言ではない。

オリンピックはなぜ、世界最大のイベントに成長したのか

オリンピックはなぜ、世界最大のイベントに成長したのか オリンピックはなぜ、世界最大のイベントに成長したのか
マイケル ペイン Michael Payne

グランドライン  2008-07
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先週からロンドンオリンピックが開幕した。昨日ようやく金メダル第一号が出てきはじめ、サッカーや体操、アーチェリーの分野でも活躍を見せた。
話は変わり、近代におけるオリンピックは1896年、ギリシャのアテネで開催されてから約120年にも及ぶ歴史がある。
そのオリンピックは「スポーツの祭典」として扱われる一方で政治利用の象徴として扱われることがある。昨今ではシリアなどの停戦協定での「五輪外交」と呼ばれるものも展開し、逆にミュンヘンやモスクワのように政権や国力誇示に利用したりと様々である。
その「オリンピック」は時代とともに「世界最大のイベント」として扱われるようになったのだが、本書はその理由について歴代オリンピックとともに考察を行っている。

第1章「再建の第一歩」
オリンピックを統括している組織としてIOC(International Olympic Committee:国際オリンピック委員会)がある。その会長は現在ジャック・ロゲであるが、その前はフアン・アントニオ・サマランチが1980年より21年ものあいだその会長をつとめた。
その1980年はモスクワオリンピックの年であったが、当時冷戦のまっただ中であり、政治利用の象徴として色濃く残っていた。そのことによるボイコットも多発し、オリンピックそのものにも暗い影を落とした。

第2章「サソリの戦いー米国放送局の入札を巡って」
オリンピックというと、競技によって放送されるテレビ局が異なる。日本ではそうなっているが、アメリカでは放映権獲得のために「入札制度」があったのだという。
その入札制度を巡っての交渉が1984年、ロサンゼルスオリンピックの前に起こった。

第3章「先制攻撃―長期契約と放映権料の急騰」
オリンピックほど世界的に注目される祭典はない。それだけに「放映権」を巡る争いは絶えず、その金額も億・兆といったところにまで急騰してしまう。その争いはロサンゼルスからソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニーと歴史を辿っていくほど激化の一途を辿った。

第4章「新たなスポンサー・プログラムの構築」
サマランチが会長として就任する前から国際的な「スポーツの祭典」として認知された一方で、オリンピックそのもののビジネスは混乱を辿っていた。スポンサー・プログラムそのものが陳腐なものとなってしまい、成り立たなくなっていたからである。しかもそのスポンサー・プログラムをいったん変えようにも160カ国もの参加国を説得する必要があったためである。
そのような過酷な状況のなかで新たなスポンサー・プログラムを構築していった。

第5章「ブランドを越えてーオリンピックの意義」
オリンピックに出られたことだけでもそれが「ブランド」として構築される。
しかしその「オリンピック」は政治利用の象徴として扱われた一方で1994年に行われたリレハンメルオリンピックでは、停戦協約としての「オリンピック」が取り上げられた。

第6章「便乗商法の一掃」
アトランタオリンピックではオリンピックを「便乗商法」として公式スポンサーを暗に攻撃をする広告があった。その一掃を巡っての交渉(というよりも諍い)を綴っている。

第7章「完璧な大会運営」
2002年、ソルトレークシティオリンピックのことを綴っている。アトランタの失敗を反省材料としたのが、大きな成功へと導いた。
第8章「IT企業の台頭」
技術の進化とともにオリンピックの近代化もその進化を採用した。その象徴として競技結果、判定のツールとしてITを取り入れられた。

第9章「オリンピック最大の危機―贈収賄スキャンダル」
第7章でソルトレークシティオリンピックは大成功だった、とあるがその裏ではオリンピックを揺るがすスキャンダルが起こった。五輪承知を巡る贈収賄事件である。当初はソルトレークシティのみの報道だったが、瞬く間に世界中に広がった。長期戦の様相を見せようとし、サマランチ会長も辞任に追い込まれそうになったのだが、辞任にならず、代償も最小限に済んだ。

第10章「オリンピックの帰郷―アテネ大会の感動」
第1回のオリンピックが108年ぶりにアテネに戻ってきたのが2004年の時である。「体操男子日本代表」をはじめ、多くの日本人がメダルを獲得し、大いに沸いた年である。その3年前に9.11事件があり、かつ会場の準備が進んでいないという危機に見回れたが何とか間に合った。

第11章「これからのオリンピック―教訓と今後の課題」
ソルトレークシティオリンピックの行われる1年前にIOCの会長はサマランチからジャック・ロゲになった。サマランチが残した功績と課題、それを現在行われているロンドンオリンピックではどのように進めており、中には解決していっているのか。その展開も見物と言える。

4年に1度の祭典の代表格、さらに「スポーツの祭典」を象徴づけるオリンピック、それは政治やビジネスなどの観点からでも感化できないものであり、その中にある複雑な問題が存在することを浮き彫りにしただけではなく、オリンピックのこれまでとこれからを投影した一冊といえる。

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