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硫黄島 栗林中将の最期

硫黄島 栗林中将の最期 (文春新書) 硫黄島 栗林中将の最期 (文春新書)
梯 久美子

文藝春秋  2010-07-20
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「硫黄島」は本来「いおうとう」と呼ばれるのだが、クリント・イーストウッド監督作品「硫黄島からの手紙」が大ヒットしていることなどから誤読とは言え「いおうじま」の読み方が浸透している。
それはさておき、硫黄島は日本軍が敗北したとは言え、アメリカ軍も予想外の苦戦を強いられたとして有名である(アメリカ軍の予想では5日で陥落するとあったが、実際は1ヶ月近くかかった)。
その作品も主演の渡辺謙が史料を集め、クリント・イーストウッドに史実通りにやるよう請願したことも逸話としてある。
本書はその硫黄島で陣頭指揮を執った栗林忠道の生涯について、そして硫黄島などにまつわる事柄について検証をもとに考察を行った一冊である。

ドキュメント1「栗林忠道 その死の真相」
「栗林忠道は米軍に投稿するために自ら切腹をした」と言われており、映画「硫黄島からの手紙」でもそれが採用されていた。しかし栗林の死には諸説があり、本当の所、何が正しいのかについては定かになっていない。本章では栗林の死について、映画の後に新たな史料が発見されたのを機に再検証を行っている。
あるオピニオン誌にて「部下に殺された」という説が流れていたというが、その史料は旧防衛庁の内部文書を基にしていた。その検証として証言や史料について事細かく分析を行っている。その結果は他の説では言われていない意外なものであったが、史料を基にしていることから信憑性はいちだん強くなった。

ドキュメント2「三人の若き指揮官の肖像」
今度は栗林ではなく、他の指揮官を3人取り上げている。栗林は硫黄島での最高指揮官であったが、その下に「小隊長」として何人かいる。本章ではその中から河石達吾、折口春洋、森茂が取り上げられている。

ドキュメント3「バロン西伝説は生きている」
「バロン西伝説」は本書を読んで初めて知った。いったい何なのかというと硫黄島で戦いで散った軍人に、オリンピックの馬術競技で金メダルを獲得した人物がいる。その人物の名は「西竹一」という。別名「バロン西」と呼ばれていた。本章にある「バロン西伝説」の「バロン西」は異名から取り上げられている。
では彼が作り上げた「伝説」とはいったい何なのか。理由は簡単である。オリンピックで金メダルをとる前にヨーロッパや米国に何度も遠征を行い、そのたびに好成績を収めていた。米国でも西の認知はそれなりにあったのだが、1928年に行われたロサンゼルスオリンピックでは当時世界最高であった選手を凌ぐ活躍をしたため、日本のみならず、世界中に衝撃を与えた。当時から国際関係が険悪であった米国でさえ西を賞賛した。日米両国でヒーローとして扱われていたが、関係が悪化するにつれ陸軍内からも非難の的となった。そして硫黄島に赴き戦死した。
「栄光と悲劇」が時間とともにやってきたと言うべきだろうか、名声を得た男でも戦争によってそれが雲散無償のごとく私たちの記憶から無くなっていくというのはもの悲しい。

ドキュメント4「父島人肉事件の封印を解く」
硫黄島から少し離れた父島も戦地であったのだが、そこでみるも無惨な事件が起こっている。「父島人肉事件」である。全容に関しては少ないが、いくつかのところで取り上げられているので割愛するが、メディアでも書けないような無惨と言える内容であり、タブー視されるメディアも少なくない。
本章では人肉事件の真相というよりもその後にある軍事裁判、そして本章で取り上げている栗林らとともにどのような自分であったかということについて検証を行っている。

ドキュメント5「美智子皇后 奇跡の祈り」
硫黄島の戦いから約50年後、平成6年に天皇皇后両陛下は硫黄島に慰霊のために渡られた。そのときに美智子皇后が詠まれた御歌がある。

「銀ネムの木木茂りゐるこの島に五十年(いそとせ)眠るみ魂(たま)かなしき」(p.168より)

この硫黄島で戦死した人たちは「銀ネム」と呼ばれる灌木の下で眠っている事をお知りになって、この歌を詠まれたのかもしれない。
本章の最初と後半に当時週刊誌で話題となっていた「皇后バッシング」について取り上げられていたが、あまり関係がないのではないかと思ったのだが、よくよく詠んでみるとそれによる原因で皇后が倒れ、お声がでなくなった。お声が戻ったのは翌年、ちょうど硫黄島に訪問されていた時だったという。

硫黄島のことについては映画にて知ったくらいで実際のところ余りよく知らなかった。いい忘れていたが、本書は2006年に「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」が上梓されてから、様々な情報が飛び交い、再検証やさらなる検証を行ったものであるという。
「硫黄島」と「栗林忠道」を中心に、かと思いきやそれに派生して私も知り得なかった事がたくさんあった。今年は戦後65年、悲しき記憶を風化させないように、私たちには戦争のことを知る必要がある。本書は硫黄島の戦いの中で知られざる側面、そして今まで謎になっていたところについて知ることのできる一冊である。

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