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ワールドカップは誰のものか―FIFAの戦略と政略

ワールドカップは誰のものか―FIFAの戦略と政略 (文春新書) ワールドカップは誰のものか―FIFAの戦略と政略 (文春新書)
後藤 健生

文藝春秋  2010-05-19
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2010年のワールドカップは開催前は盛り上がりに欠けていたが、いざ蓋を開けてみると大いに盛り上がった。とりわけ日本代表はワールドカップ前に連敗を重ねてしまい、マスコミや国民からの非難の的であった。代表監督の岡田氏は「戦犯」扱いされる始末であった。しかしワールドカップになると1・3戦目に勝利し、2戦目のオランダ戦では負けたものの、最後まで食らいついていった試合だった。8年ぶりにベスト16まで到達したが、パラグアイ戦でPKまでいったものの力尽きた。
2014年のワールドカップに向けて新たな体制で日本代表は戦い続けていく。
ところでサッカーの祭典であるワールドカップが始まったのは1930年、どうして創設されたのか、そして国々にとってワールドカップは何を意味しているのかについて語れる人は少ない。ワールドカップイヤーだからでこそ、本書でワールドカップについて見直そうと思う。

第1部「ワールドカップと政治」
第1章「独裁者たちの介入」
「スポーツに政治はいらない」という言葉がいつ頃から言われ始めたのかは、私にもわからない。しかしこれだけはいえる。サッカーのみならず、「スポーツの祭典」と言われるオリンピックや本書で紹介するサッカー・ワールドカップでも、独裁者の介入があった。オリンピックでは1936年のベルリンオリンピックが有名である。全世界の選手が時の独裁者であるヒトラーへの敬礼を行ったとして「独裁者のための祭典」となった。本章ではいろいろと紹介されているのだが、ベルリンオリンピックの似た例として1934年のワールドカップが挙げられる。そのときはファシスト党のプロパガンダが色濃く映えたものであった。
さらにもう一つ、1978年を挙げる。この時はアルゼンチンで開催されたのだが、この時代のアルゼンチンは軍旗独裁政権下にあり、1934年と同じく「政治利用」の場として使われた経緯がある。

第2章「FIFAの思惑と権力闘争」
ワールドカップは独裁国の権力誇示という事でも使われたが、ほかにもサッカー連盟という括りで「FIFA」の権力闘争の場としても使われてしまっている。

第3章「韓国側の野心が生んだ日韓共催」
日韓ワールドカップでもFIFA内で政治的な駆け引きがあった。当時のジョアン・アヴェランジェFIFA会長は日本開催を推していた。1994年のアメリカ開催以来、アジアの経済成長を企てるため、アジア開催を進めていたがそのときのターゲットが日本だった。日本は世界第2位の経済大国であることが大きな理由だった。しかし当時の日本には致命的な弱点があった。プロサッカーリーグといわれる「Jリーグ」が発足したばかりで、国民のサッカーへの認知はもう一つという状況だった。さらに今度は韓国が名乗りを挙げる事となるが、その韓国のサッカー協会(大韓蹴球協会)の会長がFIFAの副会長に立候補をし、当選をしたことから事態は急転した。数々の政略や妙案を繰り出し、「日韓共催」に持ち込ませたのである。

第2部「南アフリカ開催の意義」
第4章「スポーツによる国民意識の形成」
では今年の6月に行われた南アフリカのワールドカップは政治的な観点からどのような意味を持つのだろうか。
この理由として一つ上げられるのがラグビー・ワールドカップの成功とアパルトヘイトからの脱却が挙げられる。
アパルトヘイトから事実上脱却したのは1991年、南アフリカ大統領選でネルソン・マンデラが当選をしたことから始まる。そこから世界的なスポーツ連盟に加盟することに成功し、1995年に前述のワールドカップが行われ、成功となった。その理由からか、元々いた黒人ばかりではなく、他国からの移民が流れ込み、「多民族国家」となった。

第5章「南アフリカスポーツの苦難の歴史」
南アフリカのスポーツの歴史は19世紀の始めにイギリスから伝わったことから始まる。
それ以前にもアフリカ大陸にあるスポーツは存在したのだが、そのときはイギリス軍によるケープタウン占領というのがあったからである。
さて本章では「苦難」とかかれているがこれは紛れもなく「人種差別」の歴史と重なる。しかしその人種差別が行われたのは第二次世界大戦後の1960年代である。第4章にも述べたが「アパルトヘイト」を強化したため、世界的に孤立してしまったのである。ちょうど他の国ではヨーロッパの列強諸国からの独立が相次ぎ、人種差別の激しかったアメリカでも「公民権運動」が盛んに行われていた事も相まっていた。

第6章「黒人サッカーの歴史とワールドカップ」
第5章で述べたような「苦難」についてサッカーも例外ではなかった。第二次世界大戦後には南アフリカで初めてサッカー連盟が設立しFIFAに加盟する事を目指していた。しかしそのサッカー連盟は白人しか組織されておらず、FIFAが目指す「全人種のためのサッカー組織」とはほど遠いものであったため、認められなかった。やがて「全人種を連盟に参加するようにすること」という条件に暫定的な加盟が認められたが、前述の政策により「資格停止」をくらった。それからアフリカでは白人・全人種など多様なプロリーグが乱立していったという。そのたびに政府の圧力により離合集散が繰り返され、1992年に資格停止が解かれた。

南アフリカでサッカー・ワールドカップが開催された理由、それは戦後から始まった人種差別への別れと、新しき「虹の国」への思いからきているのかもしれない。もしそう考えるとなると、「虹の国」の国家理想とはほど遠い現状を何とかしないといけない課題が山積している。その最たる所では「犯罪問題」がある。これについてはアフリカ政治に関するところで詳しく書いている。
「虹の国」までほど遠いとは言えど、その理想に向けて一歩近づいたワールドカップといえるのではないだろうか。

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