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日本語は本当に「非論理的」か

日本語は本当に「非論理的」か (祥伝社新書 179) 日本語は本当に「非論理的」か (祥伝社新書 179)
桜井 邦朋

祥伝社  2009-09-29
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日本語は「情緒的」で英語は「論理的」であるという言葉をよく聞くが、半分正解で半分間違っている。英語にも間投詞や単語だけで通じるものがあり、日本語には主語がなくても伝わることができるといった言葉があるからである。しかし「日本人は論理力がある」というのもあるが、私からみると疑問である。というのは室町時代後期に鉄砲やキリスト教が伝来してきたとき、その信仰者が質問責めにあったという資料もある。
話は変わるが論理的な書き方や考え方、話し方に関する本は書店に行くと山のようにある。企業において「論理」が重要であることはよくわかる。
そもそも「論理的」というのは国語からきていると主張する人がいる。しかしこれは完全に間違っており、元々は数学や哲学からきている。論法の一つである三段論法はアリストテレスによって「大前提」「小前提」「結論」を組み立てたと言われている(ちなみに例示しているのは、彼の大師匠にあたるソクラテスであるのは皮肉なことだが)。
本書の中身に移る。本書は物理学の権威が日本語の優位性と欠点についてを語ると共に、日本語に足りないもの、日本語を育ませる方法について主張している。

第1章「「思う」が破壊した日本人の論理力」
よく日常でも、職場でも「〜だと思う」ということを口にすることが多い。この表現はあくまで断定でもなく、自らの推測によって基づかれるものであり、「論理」とは言えない。「論理」はあくまで事実や数字などを表すところで使われるため、「思う」「感じる」といった自分自身の観点や感想、推測が論理に入るわけではない。

第2章「ディベートが生まれない知的風土」
「ディベート」という言葉をはき違えている人が結構いる。本来「ディベート」も同様に語られるのが、それらを「ボクシング」よろしく相手の意見をなぎ倒して、自分の主張を押し通すのではなく、議論で戦わせるのだが、その中で互いの一致点、つまり妥協点を見いだすことが本来のディベートであるという。

第3章「日本語のすぐれた性格を見直す」
「論理」や「英語」が重宝される中で、日本語独特の表現を完全否定する、または日本語を廃止せよと主張する論者がいる。本章によると明治時代初期に文部大臣を務めた森有礼がそのことを主張していた。
果たして日本語はもう機能しないのか、と言うと私は相ではないと確信する。あくまで本書で「非論理的」と言っているのは性格や「思う」という言葉だけであり、漢字や表現の多様性そのものを批判していない。

第4章「日本人の非論理的な思考を直すには」
日本人は「論より証拠」「百聞は一見にしかず」という言葉があるように「モノ」から入ってくる考え方や話し方にある。「非論理的」と言われている特徴の一つである。しかし、日本人にも他国の言語よりも多彩で、かつ繊細な「日本語」を持っている。
その一方でその繊細さ、独特さが仇となりどのように組み立てていけばいいのか、難しい印象も捨てきれない。さらには同じ理由として、日本人が英語を習得しづらい理由の一つに挙げられている。

第5章「すぐれた文章から学ぶ論理力」
「文章力」と同じことが言えるのかもしれないが、「論理力」を鍛えるにはどうしたら良いか。著者によれば「すぐれた文章」から学ぶことが良いとされている。
では「すぐれた文章」とはいったい何なのか。一言で言うと、日本文学の名作、たとえば夏目漱石や福沢諭吉などの作品を読んだり、自らなぞったりしてみる。印象に残った文章を写し書きをする。そのことによって作者の表す表現や論理を身につけることができる。
落語や歌舞伎の伝統芸にしても師匠らから教えられた息づかいや言葉をまねていきながら、最終的には自分のモノとして会得する。その形は文章や論理にも同じことが言える。

第6章「ことばが文化を育む」
日本には「日本語」という独特の言葉があり、その言葉の変化によって文明が栄えてきた。その変遷によって日本人としての性格は変化していったという。

日本語は論理的か、非論理的かと言うと私はどちらでもないと考える。結局言葉は道具であり、その使い方一つによって論理的にも非論理的にもなる。日本語はひらがな、カタカナ、漢字と単語だけでも多彩であり、その言葉一つ一つに意味、感情、風情などがあふれている。英語などの外国語では言い表せられない独特な表現もある。日本語は大いなる可能性を秘めている。

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