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血の政治―青嵐会という物語

血の政治―青嵐会という物語 (新潮新書) 血の政治―青嵐会という物語 (新潮新書)
河内 孝

新潮社  2009-08
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政権を奪われてしまった自民党には昔、「青嵐会(せいらんかい)」という派閥が存在した。私たちのような世代は知っている人は少ないだろう。
私たちの父親の世代、40代・50代の世代であればはっきりと覚えているだろう。
この「青嵐会」のメンバーというと日本の保守政治を担うそうそうたるメンバーである。現東京都知事の石原慎太郎、今年亡くなった中川昭一の父親であり「政界のヒグマ」と呼ばれた中川一郎、首相を経験したことのある森喜朗、TVでは「ハマコー」という愛称で知られる浜田幸一など錚々たるメンバーである。本書はこの青嵐会の誕生、隆盛、崩壊の歴史について書かれている。政権を奪われた自民党が「真の保守」とは何なのかというヒントになるのかもしれない。

第一章「青嵐会、その誕生」
青嵐会は1973年に誕生した。ニュース上では「石原派」と呼ばれ、中川一郎らが代表世話人をつとめた。時は大阪万博が終わり、日本は「高度経済成長期」のまっただ中であること。政界でも「角福戦争」と呼ばれるほど自民党はあれにあれていたこと、さらには72年の沖縄返還、日中国交正常化に至るまで、日本の政治・経済関係なく、嵐が吹き荒れていた時代であった。その中での青嵐会の結成は新聞の炭に追いやられるほど冷ややかなものであった。

第二章「青嵐会と三島由紀夫」
青嵐会のメンバーを観てもご存じの通り「右派」や「真正保守」とも呼ばれるような派閥であったということは窺える。本章ではこの青嵐会と1970年に「三島由紀夫事件」を起し、その後に割腹自殺を遂げた三島由紀夫について書かれている。
三島は国、そして国防を憂い、陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地に籠城し、そこで自衛官やマスコミに向けての演説を行った。しかし、自衛官たちは感銘どころか野次が飛ばされ、結局クーデターは失敗し割腹自殺をした。それが青嵐会の発起人たちなどが影響を受けきっかけとなった。

第三章「青嵐会の闘い 一九七三」
青嵐会は結成後から目立った動きを見せていた。その年には党内のハト派との戦いがあり、先だって自民党有志による北朝鮮への訪問を阻止、田中角栄との問答など数々のことを実行に移した。
今となっては「政治的テロ」ともメディアで叩かれかねないようなことを行ってきたのだが、私自身そういった行動は政治、ひいては日本を憂うからでこそできる行動だと思っている。
しかし、青嵐会は当時の自民党の中では「どちらかというと」纏まりの強い方であった。その中で反乱因子もいたため、結成当時から離脱者が出てきていたということである。

第四章「青嵐会の戦い 一九七四」
青嵐会は活躍の場を新聞、さらには集会によって広げてきた。本章ではその活躍について、草の根的な活躍から表舞台に上がる準備を整えていた。しかし時は日中の国交正常化に向けて動いており、心中は議員や中国の関係者から非難の声を浴びることも少なくなかった。
時代の流れというのは恐ろしいが、その流れに逆らうというのも大事である。しかしそれを行うには規模にもよるが莫大な労力とコストになるということを忘れてはならないと感じさせた。

第五章「青嵐会のルーツ 戦後政治の中の核と改憲」
元々自民党が結党された時は「保守合同」をもとに、「憲法改正」というのが至上命題であった。しかし60年安保や国々の国交正常化、沖縄返還のゴタゴタにより、先延ばしにされていった。そしていつのころからか、自民党の中にもハト派ができ始め、さらに自民党の中でも「護憲派」というのも出てきた。憲法改正が先延ばしにされていく中で、自民党は本来あるべき姿を無くしつつあった。「青嵐会」はそれを正すためにつくられたと言っても過言ではなかった。

第六章「二つの別れ」
田中角栄がロッキード事件により逮捕され、三木政権が倒され、福田赳夫政権へ、そして大平政権と目まぐるしく変わっていった70年代後半の政治。その大平政権を倒さんと反主流派が首相退陣を要求することを条件とした「四十日抗争」が始まった。それを崩したのは青嵐会のメンバーであった浜田幸一であった。浜田はバリケードを崩している時にこう言った。
「いいか、断っとくけどなー。かわいい子供達の時代のために自民党があるってことを忘れるな!!お前らのためにだけ自民党があるんじゃないぞ!!!(wikipediaより)」
私はこの言葉こそ、本来自民党のあるべき姿を言っているのではないのだろうか。私たちの生活をどうすることもあるのだが、それ以上にこれからになっていくだろう子どもたち、孫たちの世代のために何を残して行くべきかというのを自民党は考えなくてはならない。遺して行くものが「国債」という名の借金では何者にもならないのだから。

かつて自民党には本来あるべき姿に戻そうとする志士たちがいた。その志士たちが結成したもの、その名は「青嵐会」といった。わずか6年の歴史であったのだが、本来の自民党とはどうあるべきかを示してくれた。解散して今年で30年を迎える今、政権が奪われ、野党に堕ちた自民党は本来の意味を見出す時が来たのではないだろうか。

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