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国語教科書の中の「日本」

国語教科書の中の「日本」 (ちくま新書) 国語教科書の中の「日本」 (ちくま新書)
石原 千秋

筑摩書房  2009-09
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私たちが小学・中学・高校と学んできた「国語」。呼んで時のごとく日本語の在り方、そして日本の文学そのものを学ぶ機会としてあるのはこれまで学んできてわかることであろう。教育問題というと英語教育や「学力」というのが問われてきた。しかし戦後間もないときは「国語審議会」というのがあり、国語教育の在り方について議論された時があった。あれから数十年、日本語の変化(人によったら「退化」とも言うが)と同じように、文学や評論の在り方も変化し続けたといっても過言ではない。本書は国語教科書から見た日本像はどのようなものかを論じている。

第一章「<日本>という内面の共同体」
私のような活字中毒者が言うのも難だが、「活字離れ」というのが叫ばれているという。確か昨年、この「活字離れ」について私はそうではなく、それよりもむしろ「語彙離れ」の方が深刻ではないのかという主張をしたことがある。今もその意見は変わっていないが、この1年の間生じた変化がある。それは流行していた「ケータイ小説」の売り上げ部数が減少したことにある。私、またはそれよりも若い世代は「ケータイ小説」ですら目を向けなくなってしまったというべきだろう。そしてそういった世代は活字を見捨てたのだろうかと疑わしくもなる。
著者が疑わしく思っているのは国語教育からさらに進んだ、「国民化」にあるのだという。国語教育ばかりではなく、学校の「制服」や会社の「管理」という名の統一感、さらにはスポーツなどにあるが「ぷちナショナリズム」などもその「国民化」の一つとして挙げられている。
少し疑問に思ったのだが、著者は「国民化」という言葉の否定論者なのだろうか。それとも日本国の在り方にくぎを差したいのだろうか。本章ではそれらが見えてこなかった。

第二章「自然を内面化すること――小学国語」
小学校の国語では、よく動物や架空の物がでてきた。元々は幼稚園時代に読んだり聞いたりしてきた「童話」があるため、そこからアプローチをして擬人的な作品が取り上げられているのかもしれない。
このころの国語は「感覚」というのが重視され、言葉は基礎的な物しか学ぶことはない。いきなり古典的な文学にふれるのもいいのだが、語彙力の乏しい小学生では読み特のは難しいのかもしれない。

第三章「家族的親和性を内面化すること――中学国語」
では中学の国語はどのようなものだったかを考えてみると、前半は小学校の延長線上にあるといってもいいのかもしれないが、擬人的な作品、たとえば「オツベルと像」「クジラたちの声」という作品が頭に浮かぶ。しかし、そのような物から卒業し、本格的な文芸作品もちらほら出てくる。とりわけ太宰治の「走れメロス」は、誰でも1度は国語の教科書で学んだというほど定番中の定番として挙げられる。男女とも中学はもっとも揺れ動く時期であり、悩んだり、いろいろなことをやったりしたときでもある。「反抗期」というのもそのときに出てくる人もいることだろう。
そういうときに「心」や「家族」といったテーマにした作品が多く取り上げられているのも窺える。

第四章「『国語教科書の思想』その後」
「国語教育」は「道徳教育」である。
この言葉はいったい誰がいいたのだろうか。確かに文学作品などを読んでいくと自分の生き方などを見つめ直すことのできるいい機会であると思う。しかし国語を学ぶというのは「日本語」のボキャブラリーを学びながらも、活字本来の味わいや楽しさを学ぶということでもある。しかし現在の国語教育は果たしてそうさせているのだろうかというと疑わしいところが多い。国語でもなぜかその人の信条を読みとるような記述式の試験、読解力を問うような試験というのがあるが、読書好きで恥ずかしながら、私は中学・高校と国語の成績はよくなかった。センター試験の国語ですら5割に満たない点数だった(商業高校出身なだけに、古典はあまり授業で習わなかった)。今となってみたら読書好きになったのが不思議なくらいであると同時に、国語教育は本当に読書好きを育てているのかという疑問もある。

「国語教育」はいったい何のために、誰のためにあるのだろうか。
日本人としてなんたるかを学ぶことだろうか。それとも日本の文化を学ぶのだろうか。日本の心を学ぶのだろうか。あるいは「日本」そのものを学ぶのだろうか。まだまだ考える余地があるのかもしれない。本書はそれを考えさせられる1冊であった。

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