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2009年8月

日本経済新聞を読む朝食会。(第25回) 感想

先週土曜日はセミナーのダブルヘッダーでした。確か先月の19日にもダブルヘッダーをやってたのですが、性懲りもせず…といった感じです。

さて、1発目は先日「日経ビジネスAssocie」にも掲載された朝食会「日本経済新聞を読む朝食会」です。

主催者の「★まさ☆愛妻家」さんとは誕生日の時のセミナーでお会いした方です。

これはぜひ行ってみたいと思い参加しました。

当日の朝に新聞を買い、どれを話そうかという所でいくつかネタを絞り会場、有楽町の「帝国ホテル」へ。

結論から言うと…、参加者同士の意欲と質の高さに驚き、さらに様々な視点を学び、ディスカッションすることができ、新聞で学ぶ内容の10倍にも100倍にもなるほど勉強になりました。

当日取り上げた記事は、

「新型インフルエンザ」「雇用悪化」「新聞の電子版」「宅急便」「ネット販売」などでした。

朝9時からでしたが、あっという間の2時間でした。

主催者の★まさ☆愛妻家さん。そして名刺交換をしてくださった方々ありがとうございました!!

蝶々は誰からの手紙

蝶々は誰からの手紙 蝶々は誰からの手紙
丸谷 才一

マガジンハウス  2008-03-21
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丸谷才一氏はエッセイや小説としては有名であるが、書評かとしての一面もある。毎日新聞の書評欄は長年丸谷氏、もしくはそれに関連する人たちの独擅場であるからだ。しかし私は、丸谷氏に関して名前でしか聞いたことが無く、ましてや書評でも有名だと言うことは知らなかった。「書評家失格」である。
本書は「私の本棚」や「週刊朝日」にてとりあげた書評についてまとめただけではなく、自らの書評観まで丸谷氏ワールド炸裂の一冊である。

Ⅰ.「書評ある人生」
ここでは、自らの書評観と、イギリスと日本における書評の違いについても細やかに説明されている。
もうすでに休刊になったのだが、オピニオン誌「論座」の2008年4月号に世界の書評について書かれていたことを思い出す。そのときは一つの文芸として成り立っており、日本の新聞や雑誌にある書評欄のように読書案内や簡素な感想ではなく、書かれている量も多い。言い回しや観点が非常に独特で、一つの「文芸作品」としての「書評」があるとしている。
私の書評観もよく似ており、読み手重視にこだわっておらず、むしろ自分がどのように感じたのかというのをありのまま表現する。
一つの「芸」としての書評というのを私は目標にしている。

Ⅱ.「書評78選」
丸谷氏が書かれた書評の中から78冊選んだ所である。現代の日本語のあり方に疑問を投げかけたエッセイ、「桜もさよならも日本語」というのが今から23年前に書かれているが、常に日本語のあり方を考え続けているような文章である。
日本語としての古きよき表現や言い回し、文体と言うのがそのまま「書かれている」と言うよりも「描かれている」という言い方が好ましいように思える。

Ⅲ.「推薦文そして後始末」
前半は推薦文をいくつか掲載している。ここでも「丸谷氏らしさ」というのが如実に現れている。
後半は「日本の歴史 01巻」の回収勧告に関してのお詫びについて書かれており、まさに「後始末」と言う言葉がよく似合うのかもしれない。

Ⅳ.「カリブ海からカール・マルクスまで」
ここは四方山話と言うべきだろうか。本に関しての雑記と言うようなものであった。

本書を読んで丸谷氏は「文章に恵まれている」、「文章という世界にきてよかった」と言うような印象だった。そして日本語として自らの信念を持って表現しているとも感じ取れた。
日本語の表現はひらがな、カタカナ、漢字があり文字1つできめ細やかな表現が可能である。丸谷氏はそれをほぼ完全に熟知していた。本書を読んでそう思えた。

F1 ベルギーGP スパマイスター・ライコネンが1年ぶりの優勝!!

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 K・ライコネン フェラーリ 1:23:50.995
2 G・フィジケラ フォースインディア + 0.938
3 S・ヴェッテル レッドブル + 3.875
4 R・クビサ BMW + 9.966
5 N・ハイドフェルド BMW + 11.276
6 H・コヴァライネン マクラーレン + 32.763
7 R・バリチェロ ブラウンGP + 35.461
8 N・ロズベルグ ウィリアムズ + 36.208
9 M・ウェーバー レッドブル + 36.959
10 T・グロック トヨタ + 41.490
11 A・スーティル フォースインディア + 42.636
12 S・ブエミ トロロッソ + 46.106
13 中嶋 一貴 ウィリアムズ + 54.241
14 L・バドエル フェラーリ + 1:42.177
Did not finish
15 F・アロンソ ルノー + 18 laps
16 J・トゥルーリ トヨタ + 23 laps
17 J・バトン ブラウンGP + 44 laps
18 R・グロージャン ルノー + 44 laps
19 L・ハミルトン マクラーレン + 44 laps
20 J・アルグエルスアリ トロロッソ + 44 laps

スパでは強いライコネンが優勝しました。前々から心配していたフェラーリの今シーズン未勝利というのが避けることができたということになります。

しかし、レーススタートから波乱があり、バトン、ハミルトン、グロージャン、アルグエルスアリがリタイア。それによるセーフティーカー導入と、スパらしいのかどうかというのもあるのですが、波乱という言葉が良く似合うレースでした。

フィジケラもライコネンに抜かれたとはいえ2位。フォースインディアのマシンも申し分ない力を発揮し始めたという表れかもしれません。

不振が続くチームBMWは久々のダブルポイント獲得。これを機に次戦以降調子が上向きになればいいのですが…。

次戦は2週間後、イタリア・モンツァ!!

F1 ベルギーGP フィジケラが3年ぶりにPP獲得!! そして優勝予想

結果は以下の通り。(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 G・フィジケラ フォースインディア 1:46.308
2 J・トゥルーリ トヨタ 1:46.395
3 N・ハイドフェルド BMW 1:46.500
4 R・バリチェロ ブラウンGP 1:46.513
5 R・クビサ BMW 1:46.586
6 K・ライコネン フェラーリ 1:46.633
7 T・グロック トヨタ 1:46.677
8 S・ヴェッテル レッドブル 1:46.761
9 M・ウェーバー レッドブル 1:46.788
10 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:47.362
11 A・スーティル フォースインディア 1:45.119
12 L・ハミルトン マクラーレン 1:45.122
13 F・アロンソ ルノー 1:45.136
14 J・バトン ブラウンGP 1:45.251
15 H・コヴァライネン マクラーレン 1:45.259
16 S・ブエミ トロロッソ 1:45.951
17 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:46.032
18 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:46.307
19 R・グロージャン ルノー 1:46.359
20 L・バドエル フェラーリ 1:46.957

ドライコンディションだったのですが、気温や路面温度が低く、通常のレースよりは戦いにくい環境だったように思います。

しかしこういった状況で、弱小チームと言われていたフォースインディアが初めてPPを手にしました。

PPを取ったフィジケラも2006年マレーシアGP以来となるPP獲得。その時はルノーは非常に強かった時代でした。今回のPPの価値の高さは相当なものかもしれません。

2番手にトヨタのトゥルーリ、3・5番手にBMWとこれまで不振が続いていたチームが優勝に名乗りを挙げる様相です。上位陣の中で気を吐いたのが前戦、5年ぶりに優勝を遂げたバリチェロ。彼も幾度となく修羅場をくぐってきているだけあって、こういった状況にももろともせず、4番手という位置につけました。

しかし、前戦PPだったハミルトンが12番手、さらにポイントリーダーのバトンは14番手こちらは苦しいところからのスタート。スパウェザーは彼らを助けるのか、嘲笑うのかというのが注目といってもいいかもしれません。

さて、優勝予想です。

本命:バリチェロ

対抗:フィジケラ

要注意:トゥルーリ、ハミルトン

スパはほぼ毎年のように波乱のレースとなります。また雨も多いということを考えると雨にも波乱にも強いバリチェロとフィジケラの優勝争いになるのではないかと。

ただし、ハミルトンの動き次第ではどうなるかわかりません。何せハミルトンも2人以上に波乱状況に強い。

トゥルーリも表彰台に届く、もしくはトヨタに初優勝をもたらす可能性もあるので今回は結構面白いレースになりそうです。

ただ、地上波放送が遅いので…地上波放送前に詳細UPしようかどうか画策中。

F1 ベルギーGP フリー走行3回目 結果

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 N・ハイドフェルド BMW 1:45.388 17
2 J・トゥルーリ トヨタ 1:45.462 18
3 A・スーティル フォースインディア 1:45.677 20
4 R・グロージャン ルノー 1:45.878 18
5 T・グロック トヨタ 1:45.908 18
6 R・クビサ BMW 1:45.987 18
7 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:46.040 19
8 G・フィジケラ フォースインディア 1:46.114 21
9 L・ハミルトン マクラーレン 1:46.301 17
10 J・バトン ブラウンGP 1:46.406 20
11 K・ライコネン フェラーリ 1:46.409 19
12 S・ブエミ トロロッソ 1:46.417 19
13 H・コヴァライネン マクラーレン 1:46.462 17
14 S・ヴェッテル レッドブル 1:46.747 14
15 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:46.814 22
16 R・バリチェロ ブラウンGP 1:46.815 19
17 F・アロンソ ルノー 1:46.926 14
18 L・バドエル フェラーリ 1:47.055 20
19 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:47.078 19
20 M・ウェーバー レッドブル no time 3

ハイドフェルドがトップタイムでした。

F1 ベルギーGP フリー走行1・2回目結果 そしてPP予想

久しぶりに2週連続でF1GPですか。スケジュールをみるとほぼ2~3週に1回というペースだったので、ここまで早くに次のGPがくると、ドタバタ感がありますな。

さて、今回はベルギー・スパフランコルシャン。毎年天気がコロコロ変わり、特に雨となるとレースが荒れる、早い話が特有の「スパウェザー」というのがあり、天気予報は当てにならず、突然雨が降ってはレースが荒れるので、ドライバーにとってはこれほどチャレンジングなサーキットはほとんどなく、私たちファンにとっても面白いレースが期待できます。

ではフリー走行1・2回目の結果を見てみましょう(GPUpdate.netより)。

1回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 J・トゥルーリ トヨタ 1:49.675 12
2 J・バトン ブラウンGP 1:50.283 17
3 F・アロンソ ルノー 1:50.368 12
4 S・ブエミ トロロッソ 1:51.045 19
5 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:51.529 23
6 R・バリチェロ ブラウンGP 1:52.321 18
7 K・ライコネン フェラーリ 1:52.930 15
8 H・コヴァライネン マクラーレン 1:53.383 11
9 R・クビサ BMW 1:53.650 11
10 L・バドエル フェラーリ 1:55.068 19
11 G・フィジケラ フォースインディア 2:03.972 11
12 N・ロズベルグ ウィリアムズ 2:04.505 12
13 R・グロージャン ルノー 2:05.513 13
14 N・ハイドフェルド BMW 2:05.614 13
15 中嶋 一貴 ウィリアムズ 2:05.705 15
16 A・スーティル フォースインディア 2:05.839 10
17 M・ウェーバー レッドブル 2:06.181 6
18 T・グロック トヨタ 2:06.331
19 S・ヴェッテル レッドブル no time 1
20 L・ハミルトン マクラーレン no time 4

2回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 L・ハミルトン マクラーレン 1:47.201 29
2 T・グロック トヨタ 1:47.217 29
3 K・ライコネン フェラーリ 1:47.285 26
4 M・ウェーバー レッドブル 1:47.329 31
5 R・グロージャン ルノー 1:47.333 34
6 G・フィジケラ フォースインディア 1:47.506 27
7 J・トゥルーリ トヨタ 1:47.559 33
8 R・クビサ BMW 1:47.578 33
9 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:47.579 36
10 S・ヴェッテル レッドブル 1:47.602 25
11 S・ブエミ トロロッソ 1:47.702 38
12 H・コヴァライネン マクラーレン 1:47.743 33
13 A・スーティル フォースインディア 1:47.790 29
14 F・アロンソ ルノー 1:47.862 30
15 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:47.961 32
16 N・ハイドフェルド BMW 1:48.017 30
17 J・バトン ブラウンGP 1:48.125 34
18 R・バリチェロ ブラウンGP 1:48.130 37
19 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:48.360 29
20 L・バドエル フェラーリ 1:49.211 30

1回目はトゥルーリ、2回目はハミルトンがファステストでした。ちなみに1回目はヴェッテルとハミルトンはno timeとなっておりますが、これはエンジン温存のため、あまり走らずタイムは記録されなかったということを意味しております。

2回目はハミルトンもヴェッテルも周回を重ねていたのでそこでレース戦略のためのデータがとれたのではないかと思われます。

今回はどこが早いというのは一概に言えません。というのは1回目上位にいたチームが2回目には中段、後方にいる、もしくは逆なのがほとんどな為なので、私としてはちょっと予想しづらいところ。

でも予想はしました。

本命:ハミルトン

対抗:ヴェッテル

要注意:バリチェロ、ライコネン

正直言って、前回と今回のフリー走行でしか見ていないので、予選となるとどうなるかわかりません。

「かわいい」の帝国

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「かわいい」と言うのをとある辞書で調べてみると、
(1)深い愛情をもって大切に扱ってやりたい気持ちである。
(2)愛らしい魅力をもっている。主に、若い女性や子供・小動物などに対して使う。
(3)幼さが感じられてほほえましい。小さく愛らしい。(以上、とある辞書より)
と言うのがある。人それぞれであるが、愛らしい魅力を持つものを一般的に「かわいい」と言われている。
では本書の話である。本書は「モードとメディアと女の子たち」という副題がある様に、若者女性が「かわいい」と思っているもの、文化、ファッションに至るまで、「かわいい」と言うのは何なのかということについて考察を行っている。

1.「「かわいい」って何?」
そもそも国語辞典以外の意味で、「かわいい」と言うのは何なのかと言う所である。
イメージからすると、ピンクや丸いなど、尖らないもの。それでいながら温かみのあるもの、たとえば
・「リンゴ」よりも「イチゴ」
・「かきくけこ」よりも「あいうえお」
・「キツネ」よりも「タヌキ」
・「カタカナ」よりも「ひらがな」
・「オオカミ」よりも「クマ」
というものがある。

2.「少女文化から若者文化へ」
少女文化ははるか昔、清少納言の「枕草子」まで遡る説があるという。
少女文化であればこの時代からでもおかしくないが、では「若者文化」はいつ頃からできたのか、発端となったのは1954年に創刊された「ジュニアそれいゆ」にまで遡るという。
つまり戦後からという話である。

3.「「かわいい」文化の台頭」
ここでは女性誌の歴史から「かわいい」の文化の変遷について書かれている。
「an・an」「non-no」など、女性誌の歴史については、取り上げた本があるのでそちらを参照されたい。

4.「「原宿系」と渋谷ギャル」
「原宿系」の歴史は結構長く1960年代に「原宿族」と呼ばれるところから始まる。当時は東京オリンピックの時期であり、原宿には選手村や米軍宿舎が建てられていた。外国の文化が入りやすかっただけに影響を受けた若者が多かったという。そこから流行の先端として長年にわたって原宿が君臨し続けたと言える。
続いて「渋谷ギャル」だが80年代後半に誕生してから、90年代後半に「コギャル」と言うのが始まってから注目が集まった。

5.「「ロリータ・ファッション」と「ゴスロリ」」
ロリータ」という言葉は1955年、同名の小説にて誕生した。その時の表現はむしろ性的な表現として使われていた(例えば「ロリコン」とか)。
ファッションとしては80年代から存在していたといわれているが90年代に注目され始め、嶽本野ばらの「下妻物語」が映画化されたことにより、一気に注目度が上がった。それに前後して「ゴスロリ」や「甘ロリ」というものも誕生している。

6.「雑誌の作りだす「かわいい」のイメージ」
「かわいい」という言葉が女性誌で最もよくつかわれたのは2005年後半あたりであったという。その時の流行もそれだったのだろうかというのは私にはわからない。

7.「「かわいい」メンズ」
女性ばかりではなく、メンズにも「かわいい」と言うのが波及し始めた。女性誌で「かわいい」男ランキングというのができたのは2006年になってからのことである。当時から言われていた芸能人では小池徹平(WaT)や手越祐也(NEWS)、二宮和也(嵐)が挙げられている。

8.「「かわいい」モードの現在」
マスコットにおける「かわいい」の代表格は「キティちゃん(ハローキティ)」である。奇遇かもしれないが、この「キティちゃん」は今年で誕生35周年を迎える。
「かわいい」キャラクターと言うのについて本書が刊行されたというのも偶然なのだろうか。

9.「ふたたび、「かわいい」とは何か?」
様々な「かわいい」を見てきたが、改めて「かわいい」と言うのは一体何なのだろうかという所に行きつく。
では、「かわいい」の反対は何なのか。「醜い」や「尖っている」だろうか。
「かわいい」と同じ意味の持つ言葉があるとするならば、何なのだろうか。
「かわいい」はなぜ広く扱われるようになったのだろうか。
非常に深い命題である。もしかしたら答えは見つからないのかもしれない。

本書はありったけの「かわいい」という言葉が詰まっているだけではなく、「かわいい」という言葉そのものの意味を女性誌やキャラクター、流行など様々な観点から考察を行っている。簡単に解明できそうなのだが、ある種の「樹海」に行きつく可能性もある。すなわち一概にこれと言うのは言えないというのもこの「かわいい」という言葉にはある。語源を考察するのは難しいが、ファッション誌からということであれば多少の苦労も楽にとらえられるのかもしれない。本書を読んでそう思った。

豚インフルエンザの真実―人間とパンデミックの果てなき戦い

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外岡 立人

幻冬舎  2009-06
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ほんの少し前からまた「新型インフルエンザ(H1N1型)」と言うのが話題にのぼり始め、ついに死者も出てくるほどの騒ぎとなった。ちょうど春から初夏にかけて「新型インフルエンザ」の「パンデミック」と言うので騒がれたばかりである。
私の会社でも近所のスーパーマーケットでも消毒用のアルコールが置かれるようになり、手洗いとうがいをするように言明されている。
本書は「パンデミック」研究の権威である外岡立人氏が春先に起こった「パンデミック」騒動について冷静な観点で分析を行っている。

第一章「ドキュメント。豚インフルエンザ来襲」
パンデミックの予兆があったという報道があったのは2006年に遡る。それ以降はその可能性と言うのはだんだん薄れてきたと言われているが、「感染列島」と言う映画が公開される前後にはパンデミックにかかわる本と言うのが続々と出たところから、メディアは「パンデミック」という言葉の嵐をおこした。
その騒がれたパンデミックが2009年4月、現実のものとなってしまった。4月22日にアメリカの「ワシントンポスト」紙によると、「新型豚インフルエンザ」の予兆があるという報道からであった。日本でも4月24日にそれについて報じられた。感染ルートはカリフォルニアから南にわたって、メキシコにまで及んだ。そう、パンデミックの震源地とされたメキシコからである。
ところがこのメキシコの報道がパンデミック騒動を混乱させた要因として挙げられており、感染者数や死者数が二転三転するということになった。
日本ではゴールデンウィーク明け前の5月9日に感染者が確認された。
妙な話だが、この時の「新型インフルエンザ」の感染は若年層がほとんどで、50代や60代の感染がゼロであるということである。

第二章「世界史を変えたパンデミック」
そもそも「パンデミック」と言うのはどのような意味で、語源は何なのかということについて調べる必要がある。パンデミックと言うのはもともと「pandemia(パンデミア:汎発流行、世界流行)」からきており、世界的に伝染病が流行しているということを表わす単語である。WHOが定める警戒水準の「フェーズ6」がこの「パンデミック」に相当する。
しかし「パンデミック」と言うのはインフルエンザに限ったものではなく、スペイン風邪もこのパンデミックに当たる。
歴史的なパンデミックで古いものを挙げるとするならば、中世ヨーロッパでは14世紀に「ペスト(黒死病)」がパンデミックとして世界中で感染し、全人口の3割が命を落とした。
さらに後を辿ると、「天然痘」が18世紀の前半に流行したとされている。これはイギリスの医学者エドワード・ジェンナーによってワクチンが開発され、急速に流行が衰えた。天然痘に限れば古代にも流行し、300万人もの命を落としたという記録があるほどである。
スペイン風邪も当然、「パンデミック」とされており、4000万人以上の人が命を落とした。
今回の騒動より前とすると、強いて言うならば「SARS」がそれに当たるのではないだろうか。

第三章「鳥インフルエンザの不気味な予兆」
今回は「豚インフルエンザ」のことであるが、もっと恐ろしいインフルエンザが存在する。それが以前話題となった「鳥インフルエンザ(H5N1)」である。この「鳥インフルエンザ」もパンデミックの可能性があると指摘されており、現在のところ人から人への感染は確認されていないものの、いつこのウィルスが突然変異して人から人への感染がされてもおかしくないとされている。
しかし日本での「パンデミック」についての報道はほとんど「豚インフルエンザ」であり、「鳥インフルエンザ」については今年だと2月末に起こった一例のみである。
日本では感染はあまりないとされているが、隣国・中国では今年に入って鳥インフルエンザの感染者が8人にのぼり、そのうち5人が死亡している。このことからでも非常に毒性が強いというのが窺える。

第四章「過剰にして穴だらけの日本の対応」
春にインフルエンザが流行したとき、政府と地方公共団体の対応の仕方で対立があった。厚生省と大阪府である。これについては散々報道されているためあえて、ここでは書くことはしないが、策を講じるということに関して積極的だったか、後ろ脚だったのかというのを浮き彫りとさせた。それだけではなく、政府はこのウィルスについてどのようなものであったのかという具体的な説明がされていなかったと著者は批判をしている。あれだけ騒いでいて肝心な情報を流していないという政府、メディアに責任があるという。

最後のあとがきで非常に重要なことが描かれているので少し抜粋する。

「日本では風邪やインフルエンザ予防に、“うがい”や“マスク”着用が習慣的に行われる。
欧米ではインフルエンザなどの感染症予防に、“うがい”という行為がない。単に習慣がないというよりも、医学的根拠がないためである。欧米の医学書には“うがい”は予防法としては一切記載されていない。
また感染症にかかっていない人が“マスク”を着用する習慣もない。(pp.177-178より)」

これは非常に重要である。そもそもインフルエンザは経口感染ではなく、服や物に触れることによって感染する「付着感染」である。インフルエンザの予防法として最たるものは「手洗い」であり、薬用せっけんの手洗いや手洗い後のアルコールによる消毒というのが効果的とされている。
またマスクについても感染者がくしゃみなどによるウィルスの飛沫を防ぐということであれば役に立つが、未感染者がマスクを着用してもほとんど効果がない。インフルエンザは「経口感染」ではないからである。
インフルエンザは「新型」ではないのだが、私も昨年末にかかったことがある(A型で冬にかかるとされる典型的なやつに感染しました)。インフルエンザは正しく予防すれば未然に防ぐことができる。その方法を正しく身につけ実行できれば、インフルエンザの恐怖は和らげられる。

「お通し」はなぜ必ず出るのか―ビジネスは飲食店に学べ

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「お通し」と言うと必ずと言ってもいいほど、居酒屋を思い出す。社会人になってから宴会や懇親会の時だけしか居酒屋に足を運ぶということはないのだが、その時に出される「お通し」と言うのはなかなか酒にあっていて美味である。しかし居酒屋に行くと必ず「お通し」と言うのが出るがこれは一体なぜなのか、これは「注文が入ってから客に出すまでのつなぎとして出される品物」のことを言っている。これはあらかじめ作っておいたものから、昨日の残り物といったものまで様々である。良く考えてみると後者を効率的に出しているということであれば現在多い「食品ロス」の予防線にもなるのである種の効率化を図ることができるのだから、日本の居酒屋と言うのは非常に合理的、かつ効率的と言える。
ヨタ話はさておき、本書は飲食店からみた「ビジネス」について迫った一冊である。

第1章「そもそも飲食店って儲かるの?」
飲食店やコンビニ弁当などを総称して、「外食業界」と言われているが、この業界自体は自動車以上に規模が大きく、24兆円市場とも言われている。それの大部分を支えているのがファーストフードチェーンやコンビニといったものの割合が多い。
しかしこれは、あくまで「売上」をもとにして算出されており、実際の利益は人件費や原材料費に割かれているため、思ったほど上がっていないというのが現状としてある。

第2章「ジンギスカンと立ち飲みのあいだ」
この業界と言うのは「流行しやすい」反面「廃れやすい」と言われており、スープカレーやもつ鍋といったものがブームになり、それに関する専門店やメニューが増加するが、すぐに取りやめになったり、店をたたむというのが続出している。
本章では2004〜2005年に流行したジンギスカンと、同時期にひそかにではあるが流行した立ち飲み屋についてピックアップしている。これについて関心はあったのだが、北海道出身のせいか、ジンギスカンは結構な頻度で食しており、肉の中でも最も好物であるためそれほど驚きもせず、流行にも乗ることはなく、立ち飲み屋も実は1度も言ったことがない。

第3章「「女性に人気のヘルシー店」は潰れる」
今日は「健康ブーム」もあってかヘルシーメニューと謳う店も増えてきている。「若い女性」をターゲットにした飲食店も多い。しかしそれらは本当に女性の心をつかんでいるのかというのはいささか疑問に持っている店舗も多く、そもそもマーケットとして成り立っているのかというのもあるという。

第4章「情報化が偽装を生み出す」
今日は情報化社会と言われており、情報の激流の中どのようにして正しい情報を入手するのかというのが課題として挙げられる。情報の中には虚偽や誇張といったものもあるため、それをうまく分別できるのかというのも情報取得の技術として挙げられるが、なかなか思う通りにはいかないというのが悲しきかな現実である。

第5章「偽グルメ情報にご用心」
こちらも第4章と同じようなことを言っている。

第6章「「オーナーの夢だった店」は潰れる」
「オーナーの夢だった店」と言うとあまりピンとこないのだが、自ら理想としてあった店を開店することによって利益が生み出されるといったら大間違いと指摘している。出店にしても、勝利の採算がつかなければ結局のところ「無駄骨」と言う他ない。

第7章「ショッピングセンターはおいしいか」
私は良くショッピングセンターに行くが、そこでの飲食店はどうなのかということについて書かれている。良く行くので関心があるのだが、本章によるとどうやら「マイナスの要素」があるという。似たような店舗が誕生することによって、期待外れと思ってしまう客が増えていく、そのことによって外食業界そのものの売り上げが減少するということから「マイナスの要素」と言っている。

第8章「店舗拡大の落とし穴」
店舗拡大というとオープンしたら非常に人気があったので、2号店・3号店を作ることによって客獲得を拡大しようとするものであるが、今日のご時世、かつ外食業界全体の縮小化と言うのが著しい中本当に意味があるのかと疑問を呈している。

第9章「上場は勲章ではない」
ワタミや白木屋など東証に情報している飲食店と言うのは少なくない。それらがブランドとして成り立っているからであるが、ブランド化することによっての綻びがあり、売り上げにも直結しないと指摘している。綻びと言うとおそらく「労働環境」と言うのが挙げられるのかもしれない。

第10章「飲食店の周りに広がる「宝の山」」
外食業界は暗い話題ばかりではない。暗くなっている周りには宝と言うのがちりばめられているという。オンラインにおける予約、ファンド、廃棄物マネジメントなど見えないところで外食業界が盛り上がれる要素がいくつも存在する。

第11章「「個店の時代」が到来する」
著者によるとこれからは「個店」というのが流行すると見られている。個人経営する店のことであり、ビジネスとは関係なく、気軽に楽しめる飲食店についてのことを言っている。

第12章「食が日本の輸出企業になる」
いかにも嘘話のように聞こえてならないのだが、これは「飲食店の輸出」ということを表しており、必ずしも、農業で生産される「食品」の輸出が伸びるということではない。考えてみればコンビニが日本のスタイルが形成され、海外に逆輸入と言う形で扱われている。日本食ブームにのっとりすしやてんぷらなども人気である。これからは「ジャパニーズ・ファーストフード」が跋扈する時代が来るのではと著者は考える。

外食業界はなかなか奥が深く、暗いと言われているが、その反面大きな可能性を秘めているというのが分かる。女性に人気と言うようにメディアが面白がるようなものではなく、味や本当の意味での競争ができる飲食店と言うのが作られるというのを願ってやまないが、私自身あまり外食しない人間なので説得力に欠けてしまう。

うまくいく人が必ず持っている黄金の仕組み

うまくいく人が必ず持っている黄金の仕組み うまくいく人が必ず持っている黄金の仕組み
中山マコト

WAVE出版  2009-08-21
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何回も繰り返すようだが、2009年は「仕組みの年」である。これまで様々な「仕組み」について出会ってきたが、本書はその仕組みづくりの頂点を極める中山マコト氏自ら築き上げた「仕組み」を余すところなく紹介している。それだけではなく、中山氏が認めた「仕組み名人」たちの「仕組み」についても紹介している。

第1章「「仕組み」は悠々人生のパスポート」
「仕組み」とは、本章で言う「磁石」を言っている。
つまり収入や人脈を引き寄せられるように手に入れられるもの、コトを言っている。これまでとり越し苦労をしてきた営業や無駄というものを省きながら効率的に設けるというのが、仕組みだという。

第2章「僕が作ってきた「仕組み」を大公開!」
著者の中山氏は「シンクロニスト」という肩書でやってきている。
このシンクロニストと言うのは一体何なのか、そもそも中山氏はどのような仕事をやっているのだろうかと言うことについて、誰もが気になるところであろう。
中山氏はクライアントの悩みを聞き出しながら、キャッチコピーを提案するということをやっている。その聞き出し方の方法については処女作にて詳しく紹介されているためここでは割愛する。
中山氏自身の仕組みと言うのはとてつもなく理にかなっていながらも、ブルー・オーシャンを見つけ、独自の道を切り拓いている。紆余曲折と言われる人生の中で自分の強みに特化しながら形成していった中山氏は本当に「すごい」の一言に尽きる。

第3章「仕組み名人たちの「発想法」を学ぼう!」
ここでは中山氏以外の仕組み名人にスポットを当てている。
確か4月半ばに両国で行われた「仕組みまつり」で講師を務められた人の中から三浦辰也氏俣野成敏氏、そして田中正博氏の御三方である。

第4章「強い「仕組み」の条件とは?」
「仕組み」と言うのは一度形成されれば簡単なのだが、永久に回るものではない。止まる時はいつか来るものである。それを維持させるためには自分でコントロールをするところを持ちながら、環境によって幅を利かせる「自在」と言うのがなくては成り立たない。
中山氏や第3章で紹介された御三方はそのことを熟知している。
「仕組み」はできたとしてもこれから大きく成長する「伸びしろ」と言うのがあり、それを強くさせるのは自分次第であり、決してのまれず、流されず、「一発屋」にならない「仕組み」と言うのが安定的、かつ強く回るコツと言える。

第5章「コトバが決まれば、「仕組み」が動き出す!」
著者の真骨頂と言われる「コトバ」のところである。
今までに、キャッチフレーズアイデアに関する本が続々と上梓されている。
本章では「キャッチフレーズ」を決めることによって、「仕組み」と言うのは大きく、かつ安定的に動くという。
「言葉」と言うのはなかなか奥が深い。中には1度聞くと頭から離れられないものもあれば、逆に2・3度聞いてもすぐに忘れ去られてしまうものもある。
1度聞いたら忘れられず、かつ自分自身を象徴させるキャッチフレーズを作るにはどうしたらいいのか、本章では「自分自身を棚下ろす」と言う所から始まるという。自分自身これまで何をやってきたのか、強み、弱み、専門性など自分自身にまつわることについてとにかく書きまくるという。
自分自身を知ることによって初めて「オンリーワン」となるフレーズに行きつくという。そしてそれを様々な形で発信し、「仕組み」を形成させる。簡単なように思えるが、実は壁に当たることが多く、行きつくには時間がかかるという。

第6章「あなた自身が動かす「仕組み」」
本書のあとがきに当たるところである。キャッチフレーズなど言葉ができ、様々な媒体を用いて「宣言」をする所からスタートをする。しかしそれだけでは仕組みと言うのは成り立たないという。宣言をするだけではなく、「締め切り」を利用してのっぴきならない状況を作ることも「仕組み」を動かすということで大切なことだという。

「仕組み」の作り方がこれでもかという位、余すところなく語り尽くしている。何と言えばいいのか、仕組みについて本当に「濃い」講義であったように思えた。中山氏の「仕組み」に対する、「思い」と「考え」が痛烈なパンチとなって襲ってきたようである。
本書はまさに「痛快!」という言葉が良く似合う。そんな一冊である。

若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!?

若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? (ディスカヴァー携書) 若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!? (ディスカヴァー携書)
森川 友義

ディスカヴァー・トゥエンティワン  2009-07-07
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いよいよ8月30日は衆議院総選挙の投票日である。すでに選挙候補者の顔を覚え、誰に投票するのか絞り込みを行っている人もいれば、まだ決まっていない人もいる、もうすでに「期日前投票」を行うことで一票を投じた人もいる。
メディアの調査によると民主党が圧倒的だという報道があるようだが、その真実は投票後の開票結果が公示されないと分からない。あくまで調査であり、最終的に政権交代が起こるか、起こらないかというのは自らの一票に委ねられている。とりわけ今回の選挙は「衆議院」の選挙である。法案の多くは衆議院から可決され、たとえ参議院で否決されたとしても憲法において「衆議院の優越」が担保されている限り、国政の中で最も重要な選挙と言うのが良くわかる。
しかし、これに限らず若年層の投票率は芳しくなく、ほぼ毎回の如く5割を切っている。若年層はなぜ投票しないのかという考察もしなければならないのだが、それ以上に私たちの世代こそ、これから労働の中核を担う世代であることを自覚し、政治にも経済にも関心を持つ必要がある。本書はそのテキストとして政治リテラシーと投票について書かれている。

第1章「若者は政治によって損をしている!?」
近年「少子化」により若者の人口は減少している。それだけではなく自らの生活や楽しみに没頭しているかのように政治への関心と言うのが薄れてしまっている現実がある。
政治に関心を持つ余裕がないのか、それともそもそも政治に興味がないのか。
ただ、これだけ言えるのは日本の借金は現在約850兆円ある。そのつけが回ってくるのはまさに私たち若者の世代である。それが身にしみてわかる様になるが、それはいつの日になるのだろうか。

第2章「主役は、「有権者」のはずだけど……」
日本は議会制民主主義国家である。この議会の議員を決めるのは私たち国民の中の「有権者」である。その有権者は政治家を見て投票を行うが、では政治家の「どこ」を見て投票を行うのかという所がネックとなる。
本当であれば政党のマニフェストから、各候補者の生い立ちから実績、何をしてきたのかという所まで総合的に判断をして投票を行うのがベストなのだが、いかんせん有権者の多くは仕事や家事に時間が割かれており、どうしても政治に関心を向くのには限られた時間しか残っていないというのが実情としてある。そのため候補者の顔か政党、あるいはくじで決めるというような要領で投票する。政治リテラシーの無い人の投票の仕方であるが、リテラシーのある人でもそれほど変わりがないという。
私としてはあまり意見の合わない所(「人物本位で投票しない」など)はあるが、ベターな投票としてもう一つ挙げるとするならば、あえて自分の意見の合わない人を投票するというのも、一つの手段かもしれない。

第3章「実は「国会議員」の力は弱い!?」
国会議員を選んでも、派閥争いや失言によるあげ足取りなど弱い立場にいるといってもいいのかもしれない。
その理由の一つとして国会議員単位(公設秘書も含めて)で法律を作る力と言うのが弱く、法律に関する知識や見解について官僚に頼るしかないという現状がある。
また総理大臣の交代が頻繁に行われており、国際的な舞台では「Who are you?」と言われることが何度かあるという。

第4章「「特別利益団体」を知らずして政治は見えない」
政治は国会で起きているばかりではない。実は見えないところでも起きているのだという。
「特別利益団体」、いわゆる官僚の天下り団体、もしくは「圧力団体」と言われているところである。ちなみに政治に深く関与しているだけに非常に厄介な存在である。
こういった「圧力団体」の存在は日本に限ったことではなく、アメリカでも先のブッシュ政権の背後にはキリスト教右派、戦争民間会社などがいたほどである。

第5章「「官僚組織」の「官僚組織」による「官僚組織」のための政治?」
日本は「官僚政治」とも呼べるほどであるといわれている。TVでも連日のように官僚による腐敗が報道されているが、これは一向に治る気配がない。
しかし官僚も政府が発行している統計資料「白書」の調査資料の編纂、それに関連する専門性と言う所ではエキスパートの役割を担っているのは事実である。
官僚を徹底的に根絶をしたときには果たして、政治や経済など日本そのものにかかわる情報をだれがとってくるのか、誰が編纂するのかというのが課題になる。おそらくだれも名乗りを上げないだろう。
そういった役割を担ってくれるのが官僚である。従って官僚を根絶するのは不可能であるが、特殊な年功序列制度と言うようなものの改革も難しい、著者は官僚を「必要悪」と定義しているが、まさにその通りだと思う。

第6章「政治を変えるのは、あなた!」
こういった日本だから政治そのものを変えても無駄なのかと言うとそうではない。今回の総選挙は政権交代の可能性が非常に高く、本当の意味でどの政党を選ぶのかというのが問われる。ひいては日本国民の「政治リテラシー」が最も問われる選挙と言える。
「経済は一流、政治は二流、国民は三流」という言葉を死語にさせる絶好のチャンスである。

これからの政治のために自らが責任を持って一票を投じる義務がある。それを若者のみならず有権者は忘れてはならない。
本書はまさに「これから投票に行くための政治入門書」という位置付けと言える。候補者や政党を決める前に、そもそも政治とは何なのかということは誰しも知る必要のあることである。

ニッポンの山「解体新書」

ニッポンの山「解体新書」 ニッポンの山「解体新書」
樋口 一郎

東京新聞出版局  2009-05-28
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日本は「環太平洋造山帯」にあるため、数多くの山が存在する。高さで最高峰の富士山をはじめ、山脈や活火山といった山々があり、「山開き」となるとハイキングなどレジャー目的で山登りということもあるだろう。時期もようやく秋に近付くとそういうシーズンになり、山菜採りを目的に登山をするという人も出てくる。
本書はまさに「山」について徹底的に分析を行いつつも、日本の「山」の魅力を「山」について知り尽くし、自らも数々の山を登ってきた人ならではの視点から語り尽くした一冊である。

第1章「徹底分析! 日本百名山」
日本百名山」は、北は北海道にある「利尻山」から始まり、南は鹿児島の「宮之浦岳」まで存在する。
本章はこの「日本百名山」のあれこれについて書かれている。この「日本百名山」が決められたのは1964年、ちょうど日本が「東京オリンピック」に熱狂していた時、ひそかに決まったといった方が適当かもしれない。
決めたのは文筆家であり、登山家としての顔をもった深田久弥である。

第2章「山の大きさ 奥深さ」
「山」と言っても様々な山が存在する。北アルプスや南アルプスを代表する山脈や桜島や阿蘇山、富士山といった火山など「山」について枚挙に暇がないほど語ることができる。
本章はこれから登山を楽しみにしたい人、登山を楽しみにし始めた人に適した所である。
登山をするといっても半日足らずで往復できるところもあれば、2・3日以上かかる様な山も存在する。さらに一般道だけで山頂につけるものもあれば、断崖をよじ登るというものまである。
初心者であればまずはハイキング感覚で登れる山からチャレンジした方がいいと考えるが、私自身登山の経験がないのでどの山に登ったらいいのかわからない。本書や山岳ガイド、あるいは登山経験者に訊くというのが無難と言えよう。

第3章「山の絶対的指標 以○最高峰と中央分水嶺」
山にはいろいろな指標があるが特に「以○最高峰」と言うようなものが存在するのは「以北最高峰」「以東最高峰」「以西最高峰」「以南最高峰」という名前を合計すると数多く存在しており、「以西」と「以南」など2つ以上に属している山も存在する。関東から順に北へ、西へ、南へ、東へと言うように高さがだんだん低くなっていくことが「以○最高峰」と呼ばれている。標高の高い山が存在しても「以○最高峰」と呼ばれない山も存在していることを考えると、山の並びと言うのは何が何だか分からなくなってしまう。
後半は「中央分水嶺(または中央分水界)」についてであるが、本章では山のことについてなので「山」と「川」・「平野」を分けて「山」とは一体どう定義されるのかというのを地理学的のみならず哲学的観点からも考察している。

第4章「地図を読み 地形を読む」
小学校の時から、長く学んだ人は高校・大学まで「地図の見方」について勉強した。本章ではその中でも山の等高線の見方について書かれている。

第5章「山とその周辺のあれこれ」
本章では著者自身が見た百名山にかかわる列車事情など周りのあれこれについて書かれている。

「山登り」の世界は奥が深い。山も多種多様だけではなく、上り方、ルートに至るまで様々な方法がある。そこで体験することも季節によっての違いなど自然に満ち溢れる、愉しみは山登りのつらさも吹き飛ばすのかもしれない。
いよいよ行楽のシーズン。夏の疲れを吹き飛ばしにあえて秋の山登りに行ってみてはどうか。

いいことが起こり続ける数字の習慣

いいことが起こり続ける数字の習慣 いいことが起こり続ける数字の習慣
望月 実

総合法令出版  2009-08-25
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著者の望月様より献本御礼。
「数字」と言うのは便利な道具だとつくづく思う。今行われている選挙戦の得票率や経済における収入や利益、私たちの暮らしでは家計や個人的なところで言っては仕事上の進捗やダイエットに至るまで、悪い言い方で言うと「数字」に支配されているといえる。しかし「数字」ほど進み具合といった形のないものが「形として」見えるものはない。
本書はその数字をうまく利用して人生をより楽しくさせる「仕組み」について探すという一冊である。

1章「癒しの「タイムスケジュール」」
良く「時間管理術」という本が巷にあるのだが、時間のやりくりや手帳といったことが多く、さらに実践をしていてもあまり長続きせず挫折してしまうということがある。
「時間管理術」と言うのは難しいものなのだろうかと考えてしまうのだが著者はこの時間管理術を、まるでパズルをするかのようにエクセルシートを利用して時間・タスク管理を行っている。またすでに終わったモノは編みかけなどを行って終わらせるというようにパズル感覚で仕事を行い、終わらせるということを行えば、時間管理はゲームのように楽しく行うことができる。
余談であるが、本章では「悪女学研究所」が取り上げられている。

2章「幸運を呼び込む身体をつくる「数字ダイエット」」
章題を見てふと思ったのが作家・評論家の岡田斗司夫氏が考案した「レコーディング・ダイエット」なのだが、そもそも食べた物を記録する→痩せて行くという流れの第二段階として「カロリー計算」と言うのがある。
では本章の「数字ダイエット」はどうなのかと言うと食べた物、時間、その日にやった運動、体重を記録するというものである。「レコーディング・ダイエット」と似ているのではないかと考えられるのだが、それとは違う点で言うと、「レコーディング・ダイエット」は食べた物を記録するというだけであるが、「数字ダイエット」はそれに加えて「いつ食べたのか」、「体重は」、「その日やったダイエット活動は」というのが加わっている。
さらに食事から運動、ストレッチに至るまで著者自らのダイエット体験をもとに紹介している。

3章「願いをかなえる「キャッシュフロー表」」
「お金の使い方」と言うのはお小遣いをもらい始めたときから悩みの種になり続けている人もおり、私もその一人である。
裕福なひとにはお金に関する感覚が共通しているということをいくつか挙げている。お金のみならず経済は上昇したり下降したりと、あたかも波のように動いている。それにどのようにして乗っかるのかというのを知っているからでこそお金の使い方が分かるというわけである。
そこまででなくとも自分のお金の流れと言うのを知っておけば、無駄な出費を食い止め、手元に残しつつ、お金を増やす戦略のための種金を作る。
それは資格勉強の「自己投資」から、金融投資などの「投資」をするというのに当て込み、自分のみならずお金を成長させるということもできる。

4章「幸せな未来を作るコミュニケーション術」
「コミュニケーション」と言うのは一概に「何」と言うのは言えない。話し方から聴き方、出会いに至るまで様々な「コミュニケーション」と言うのは存在する。
本章では友人を例に引きだしながら説明しているのだが、紹介されている友人のほとんどが私の知っている人たちだったので驚いた。

5章「理想の人生をデザインする」
4章までの実践編として、エクセルシートのダウンロード方法、「タイムスケジュール」「数字ダイエット」「キャッシュフロー表」の作り方とコツについて紹介している。

数字と言うのは「見える」のでそこから目標を立てたり、個人差によるが、がんばるモチベーションがつく。しかし数字ばかりが目標ではない。数字にとらわれ過ぎて自らの体調や人格を崩壊してしまうことにもなりかねない。数字は時として明確な目標になれる道具となれば、大きな重荷と変わることさえある。
著者は後者の経験があったことにより、数字も大切だが、それ以上に数字の裏にあるものを見た方がいいとあとがきで指摘している。
本書で紹介されたのはあくまで「楽しく」働いたり、生活をしたりという人生を送り方について伝授したものであり、無理をしてまで上昇しようというものではないということを付け加えておく。

一筆箋の書き方、楽しみ方

一筆箋の書き方、楽しみ方 (ワニ文庫) 一筆箋の書き方、楽しみ方 (ワニ文庫)
むらかみ かずこ

ベストセラーズ  2009-08-20
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本書は前書である「できる大人の“一筆添える”技術」の中でも一筆箋に特化した一冊である。もっともこの一筆箋に対する思い入れが強かったということから本書になったのだと私は思う。
本書はめくるめく一筆箋の魅力と、その効用と使い方について余すところなく紹介している。

第1章「一筆箋に親しもう!」
「一筆箋」と言うのは具体的に何なのかと言うと、縦18cm×横5cmの短冊型の小さな便箋である。巷の文房具店でも置いてあり、手ごろな値段で手に入ることができる。
そんな一筆箋なのだが、これがあることについて知っている人が少ないというのも悲しい事実である(正直、私も著者の前書で紹介されるまで知りませんでした)。
一筆箋は手ごろであることも理由の一つなのか、絵柄のヴァリエーションは非常に広く、季節感や和風・洋風と言うように種類が多く、季節感を出させ、筆のコミュニケーションを引き立たせる役割も担っている。
TPOに応じて、様々な一筆箋の書き方があるというのもその魅力として挙げられるが、それは次章以降に詳しく紹介されている。

第2章「一筆箋の基本文例集」
一筆箋の文例を、「贈り物を送るとき」から「必要書類を送る時の一言」、「借りものを返す」、「お小遣いを挙げる」など、フォーマルな形からプライベートの時に使う砕けたものまで載っている。
一筆箋に限らず、文書作成などに関しても参考になるので文章に困っている人にはお勧めのところである。

第3章「ちょっと変わった使い方」
一筆箋は状況に応じて、手紙以外の使い方もできる。例えばお年玉の「ポチ袋」、メモ帳、コミュニケーションツール、プレゼントと一筆箋は多様な役割を果たしている。安価なので多く買ったとしても邪魔にならず、こういった方法を使うということで買いすぎの無駄をなくせるというから便利なものと言える。

第4章「文具を活用した使い方」
「世界に一つだけ、あなただけの一筆箋」にするための文具活用法、そして文具使用法を紹介している。
インクの強さ、文字の太さ、丸文字、角ばった文字、ハンコの使い方、クラフトパンチ、香りと言う所までのテクニックが紹介されており、趣向を凝らした一筆箋が作ることができる。

第5章「遊び心いっぱいの楽しみ方」
第4章の応用編の位置付けとして活用すると良いだろう。文章の書き方、一筆箋の選び方、フレーズに至るまでより一層、印象付かせる一筆箋にする方法が目白押しである。

本書を読んでいくと一筆箋の魅力のみならず、奥深さと言うのが窺える。これまで手紙やはがきを出すというのが億劫な人でもこの一筆箋から始めると、肉筆で書く素晴らしさに魅入られることである。そうなってくると一筆箋のみならず手紙やはがきを書くのも億劫ではなくなってくる。それだけではなく、一筆箋から離れられなくなってしまう魔力も秘めている。
一筆箋は無限大の可能性を秘めている。そう思った一冊である。

F1日本GP、来年も鈴鹿で開催決まる。

ヨーロッパGP中にうれしいニュースがありました。

鈴鹿サーキット 2011年まで日本GPを開催

発表された公式リリースでは、鈴鹿での日本GPが今年から3年連続で開催されることが明記されている。モビリティランド取締役社長の大島裕志氏は、プレス リリースの中で次のように述べている。「このたびFOMと2010年F1日本グランプリ開催について合意し、契約を締結しました。私どもは過去20年にわ たり、鈴鹿サーキットでF1日本GPを開催し、国内でのF1普及に努めて参りました。F1日本GPの歴史が途切れることを回避するのが当面の私共の役割と 認識し、開催を決定しました」(上記リンクより一部抜粋)

今年は鈴鹿で日本GP開催されますが、富士の撤退によって、来年以降の日本GPは開催されるのかというのが注目が集まりました。

もしかしたら22年も続いた日本GPが来年以降行われないのかという心配もありましたが、来年・再来年と開催されるということなのでとりあえずホッとしたという所です。

今年は3年ぶりに開催される鈴鹿。これまで数々のドラマを生みだしてきましたが、今年はどんなドラマを生み出すのか注目です。

F1 ヨーロッパGP もう「Mr.ナンバー2」とは呼ばせない! 鉄人バリチェロが5年ぶりの優勝!!

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 R・バリチェロ ブラウンGP 1:35:51.289
2 L・ハミルトン マクラーレン + 2.358
3 K・ライコネン フェラーリ + 15.994
4 H・コヴァライネン マクラーレン + 20.032
5 N・ロズベルグ ウィリアムズ + 20.870
6 F・アロンソ ルノー + 27.744
7 J・バトン ブラウンGP + 34.913
8 R・クビサ BMW + 36.667
9 M・ウェーバー レッドブル + 44.910
10 A・スーティル フォースインディア + 47.935
11 N・ハイドフェルド BMW + 48.822
12 G・フィジケラ フォースインディア + 1:03.614
13 J・トゥルーリ トヨタ + 1:04.527
14 T・グロック トヨタ + 1:26.519
15 R・グロージャン ルノー + 1:31.774
16 J・アルグエルスアリ トロロッソ + 1 laps
17 L・バドエル フェラーリ + 1 laps
Did not finish
18 中嶋 一貴 ウィリアムズ + 3 laps
19 S・ブエミ トロロッソ + 16 laps
20 S・ヴェッテル レッドブル + 34 laps

ハミルトンが圧倒になると思った今回のレースでしたが、2回目のピットストップでのゴタゴタにより大幅なタイムロス。

後半はバリチェロにトップを奪われ万事休すとなりました。

これはハミルトンのミスか、それともチームのミスかというのはちょっと難しいようですが…両者のミスといった方がいいでしょう。

バリチェロの優勝は5年ぶり、最後に優勝したのはフェラーリ在籍時の中国GPの時まで遡ります(2004年中国GP)。

それからというもの、ホンダに移籍し、ブラウンGPになりとたまに表彰台に立てても、優勝に恵まれないという時間が長かったように思えます。もしかしたら引退という声も囁かれただけに今回の1勝と言うのは大きいと思います。

3位はライコネン。マッサがいない分頑張るしかないという気概が伝わりました。

バトンが7位で久々のポイント獲得。久しぶりのポイント獲得で両者ノーポイントのレッドブルに対しては一矢報いたといえます。

今回散々だったのは中嶋。予選ではマシントラブル、決勝ではタイヤバーストとツキに見放された週末でした。ただマシンの調子はいいですから、次戦で巻き返しをと言う所ですね(もう何戦同じこと言っているんだろう)。

次戦は1週間後、ベルギー、スパ・フランコルシャン!!

8.22ことばのちから 感想

昨日は鹿田尚樹さんと美崎栄一郎さん共催のセミナー「8.22ことばのちから」に参加いたしました。

両者の共催は4月に行われた「聞くが価値×UNDERGROUND」以来。その時のテーマは「記録」について、鹿田さんは読書とブログにおける「記録」について、美崎さんは「記録」の凄さについての講演でした。

共催2回目ですが、美崎さんは来月11日に初めて本を出版なさるそうです。

著者になる前の最後の講演、はたしてどのような講演になるのでしょうか。

Ⅰ.鹿田尚樹

主に「ことば」を使うテクニックについての講演でした。

ブロガーとして、元国会議員秘書としての「ことば」のテクニックについて余すところなく語られました。

「減らす技術」「喩え」「間」が印象的でした。

Ⅱ.美崎栄一郎

こちらはあらかじめ出た質問に答えながら、「ことば」の力について語るという形でした。

話したり、書いたりして出てくる「ことば」に限らず様々な形の「ことば」と言うのも紹介されました。

「ストーリー」が印象的でした。

「ことば」という可能性について様々なことを学べたセミナーでした。

今回セミナーの主催・講師を務めた鹿田さん、美崎さん、そして今回名刺交換をしてくださった方々、ありがとうございました!!

F1 ヨーロッパGP マクラーレンが完全復活ののろしを上げ、予選1‐2!! そして優勝予想

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 L・ハミルトン マクラーレン 1:39.498
2 H・コヴァライネン マクラーレン 1:39.532
3 R・バリチェロ ブラウンGP 1:39.563
4 S・ヴェッテル レッドブル 1:39.789
5 J・バトン ブラウンGP 1:39.821
6 K・ライコネン フェラーリ 1:40.144
7 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:40.185
8 F・アロンソ ルノー 1:40.236
9 M・ウェーバー レッドブル 1:40.239
10 R・クビサ BMW 1:40.512
11 N・ハイドフェルド BMW 1:38.826
12 A・スーティル フォースインディア 1:38.846
13 T・グロック トヨタ 1:38.991
14 R・グロージャン ルノー 1:39.040
15 S・ブエミ トロロッソ 1:39.514
16 G・フィジケラ フォースインディア 1:39.531
17 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:39.795
18 J・トゥルーリ トヨタ 1:39.807
19 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:39.925
20 L・バドエル フェラーリ 1:41.413

今回の予選はマクラーレンが強かったとしか言いようがありません。

僅か1周でハミルトンはトップタイムを出して、それ以降はほとんど走らなかったというわけですから、さらにコバライネンもわずかなミスがあったとはいえ、2位に食い込む活躍。

決勝、特にハミルトンは序盤から飛ばし、圧倒的な速さでポール・トゥ・ウィンを獲得する可能性が非常に高いと思われます。

その後ろにブラウンGPやヴェッテル、ライコネンという順ですが、表彰台争いはマクラーレンが1‐2を独占し、どのクルマが3位に食い込むことができるのかというのがカギとなりそうです。

中嶋はマシントラブルでQ1敗退。間違いなくドライバーの責任ではないでしょう。フリー走行では次々と好タイムを出していて、予選でもなかなかの早さを見せているところを考えると、トラブルがなければQ3進出の可能性も高かったわけですから。決勝でポイント獲得は少し難しいかもしれませんが、オーバーテイクショーに期待といったところです。

さて優勝予想です。

本命:ハミルトン

対抗:コバライネン

要注意:バトン、ヴェッテル

最初にも言った通りの理由ですね。3位争いが最も白熱することでしょう。

F1 ヨーロッパGP フリー走行3回目結果

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 A・スーティル フォースインディア 1:39.143 12
2 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:39.247 12
3 R・クビサ BMW 1:39.513 12
4 H・コヴァライネン マクラーレン 1:39.553 8
5 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:39.732 11
6 G・フィジケラ フォースインディア 1:39.764 12
7 J・バトン ブラウンGP 1:39.883 10
8 L・ハミルトン マクラーレン 1:39.950 12
9 J・トゥルーリ トヨタ 1:40.017 11
10 R・グロージャン ルノー 1:40.088 11
11 S・ブエミ トロロッソ 1:40.118 12
12 R・バリチェロ ブラウンGP 1:40.192 10
13 N・ハイドフェルド BMW 1:40.230 12
14 K・ライコネン フェラーリ 1:40.260 12
15 F・アロンソ ルノー 1:40.402 9
16 T・グロック トヨタ 1:40.443 10
17 M・ウェーバー レッドブル 1:40.879 10
18 S・ヴェッテル レッドブル 1:40.916 6
19 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:41.125 12
20 L・バドエル フェラーリ 1:42.198 14

なんとフォースインディアのスーティルがトップタイム、チームメートのフィジケラも6番手につけました。

中嶋も2番手と調子は上々のようです。

一方予選を控えてのことでしょうか、アロンソやブラウンGP、レッドブル勢は中段から下位に沈んだ模様です。特にヴェッテルはマシントラブルにより途中で車を下り、マシントラブルでオイルが大量にまかれる事態。赤旗中断となってしまいました。

さて予選はどうなるのでしょうか。

F1 ヨーロッパGP フリー走行1・2回目結果 そしてPP予想

約1カ月がまるで短かったようでした。

にもかかわらず相変わらず話題の多いこと多いこと…。前戦でマッサが予選のアクシデントにより、決勝で出走できず、夏休みは自宅療養になりまして、その代役としてミハエルが走ると話題になったものの、バイク事故による首の怪我がネックとなり断念。フェラーリドライバーを陰で支えているテスト・ドライバー、ルカ・パドエルが代役として出走することになりました。

さらに前戦のことで、今戦出場停止処分を受けたルノーも控訴審で勝利し、アロンソ2度目のホームレースも満を持して登場という運びとなりました。

1ヶ月間待ちくたびれましたが、いよいよチャンピオンレースも佳境といったところでしょう。さてフリー走行1・2回目の結果です(GPUpdate.netより)。

1回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 R・バリチェロ ブラウンGP 1:42.460 19
2 H・コヴァライネン マクラーレン 1:42.636 16
3 L・ハミルトン マクラーレン 1:42.654 18
4 J・バトン ブラウンGP 1:43.074 19
5 S・ヴェッテル レッドブル 1:43.088 17
6 A・スーティル フォースインディア 1:43.209 13
7 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:43.225 25
8 M・ウェーバー レッドブル 1:43.243 19
9 F・アロンソ ルノー 1:43.345 18
10 K・ライコネン フェラーリ 1:43.384 23
11 S・ブエミ トロロッソ 1:43.389 30
12 R・クビサ BMW 1:43.419 20
13 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:43.637 30
14 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:43.746 22
15 N・ハイドフェルド BMW 1:44.040 23
16 G・フィジケラ フォースインディア 1:44.126 17
17 R・グロージャン ルノー 1:44.356 23
18 J・トゥルーリ トヨタ 1:44.638 26
19 T・グロック トヨタ 1:44.732 28
20 L・バドエル フェラーリ 1:45.840 25

2回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 F・アロンソ ルノー 1:39.404 33
2 J・バトン ブラウンGP 1:40.178 33
3 R・バリチェロ ブラウンGP 1:40.209 34
4 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:40.385 39
5 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:40.503 35
6 A・スーティル フォースインディア 1:40.596 23
7 R・クビサ BMW 1:40.643 34
8 G・フィジケラ フォースインディア 1:40.681 31
9 S・ヴェッテル レッドブル 1:40.723 33
10 H・コヴァライネン マクラーレン 1:40.738 31
11 K・ライコネン フェラーリ 1:40.739 39
12 J・トゥルーリ トヨタ 1:40.770 32
13 R・グロージャン ルノー 1:40.787 35
14 M・ウェーバー レッドブル 1:40.956 37
15 T・グロック トヨタ 1:40.985 30
16 S・ブエミ トロロッソ 1:41.156 34
17 N・ハイドフェルド BMW 1:41.350 29
18 L・バドエル フェラーリ 1:42.017 37
19 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:42.089 34
20 L・ハミルトン マクラーレン 1:43.214 3

1回目は復活を賭けてブラウンGPのバリチェロが、2回目はホームレースのアロンソがトップタイムをたたき出しました。

両者のみならず、マクラーレンやブラウンGP、フォースインディア勢が勢いに乗っています。さらに今戦に備えてシミュレーターで相当練習を積んだ中嶋も好タイムを出しています。

ピケに代わって出走するグロージャンはまずまずのタイム、そして注目のパドエルは1回目20番手、2回目は18番手と振るわず。テスト・ドライバーを続けてきたつけがあったのか、実践になれないという感じも見受けられます。

さてPP予想といきましょう。

本命:バリチェロ

対抗:ヴェッテル

要注意:ハミルトン、バトン

今年の2強が強いかと。

異端の民俗学

異端の民俗学 異端の民俗学
礫川 全次

河出書房新社  2006-04-21
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民俗学と言うとその土地の習わしや事柄、日常や文明に至るまでを文献、もしくはフィールドワークによって考察・説明を行う学問である。日本における民俗学は農商務省官僚であった柳田國男がその学問の道筋をつけたとされている。ちなみに柳田民俗学の原点にあるのは文献ではなくフィールドワーク中心であり、今日の民俗学研究でもフィールドワークにより考察されたものが多い。
さて本書の話であるが、本書は差別や性といった、TVや新聞ではタブー視される民俗学について考察を行っている。風習と言えば風習であるが、社会問題になりかねない事柄が多いことから「異端」と言われているのかもしれない。

序章「柳田國男と共同幻想」
柳田國男から「天狗」と「サンカ」の話である。
天狗と言うと童話など様々な物語から出てきているが、天狗についての起源は中国大陸の物怪と言われており、その話が日本に伝来し「日本書紀」にて書かれ始めたといわれている。
「サンカ」は「山中を移動しながら様々な生業についたとされる漂泊民」である。
「天狗」は山伏の恰好をするといわれていることを考えると本章では「山」と言うのがキーワードになる。

第1章「福澤諭吉と下級武士のエートス」
福澤諭吉と言えば「思想家」としての方が有名である。それを象徴させる著書として「学問のすすめ」や「福翁自伝」というものが挙げられる。
しかしその福澤諭吉も「民俗学者」という側面があるということから、本書のタイトルにある「異端」の一端を担っている。
福澤諭吉が民俗学者として考察したのは上級武士と下級武士のエートス(倫理観、モラル)の違いについて考察を行っていた。明治時代の「士農工商」と呼ばれる平等主義の前であり、まだ身分違いがはっきりとしていた時代だからでこそ考察のしがいがあったのではないのかと思う。

第2章「喜田貞吉と「賤民」の歴史民俗学」
喜田貞吉は歴史学や文学者として有名であるが、戦後以降問題となっている「被差別部落」研究の草分け的存在として知られる。歴史学者と被差別部落の研究の先駆けと言われているだけあって本章のタイトルは喜田貞吉にとってタイムリーなものと言える。

第3章「尾佐竹猛と下層の民俗学」
前もって言っておくが、尾佐竹猛は民俗学者ではなく「法学者」であり、大審院(現在の最高裁)判事や衆議院憲政史編纂会委員長などを歴任した憲法や刑法に関してのスペシャリストであった。それだけではなく法律や制度における歴史、いわゆる「法制史」についても熱心に研究したとされている。
本章では「下層の民俗学」とされているが疑獄などを扱っている「犯罪」における民俗学、犯罪者は罪の内容によってエタや非人という身分に下げられることもあることから「下層」と言う章題が出てきたのではないかと考えられる。

第4章「中山太郎と人柱の民俗学」
「中山太郎」とはいっても、現役の衆議院議員の人ではなく、民俗学者の中山太郎について取り上げている。
中山太郎については「人柱(生きたまま埋められること)」における民俗学について取り上げられているが、それ以上に際立ったのは柳田國男との論争(もとい「口論?」)が印象的だった。

第5章「瀧川政次郎と禁断の日本史」
この章題の後半は非常に気になる。どのように「禁断」なのだろうか。
本章で紹介されている瀧川政次郎もまた法学者であるが、軍部の弾圧で大学を追われ、東京裁判では嶋田繁太郎(海軍大将)の弁護士を務め、その後は地方史、とりわけ遊女や南朝の研究に尽力したといわれる異色の存在である。
本書で言う「禁断」は戦前にタブーと言われていた「遊女」や「男色」、「南朝」のことを指している。

第6章「菊池山哉とエッタ族の人類学」
江戸時代には平民以下の身分として「穢多(エッタ)」と「非人」と言うのがあった。特に「穢多」は非人と違って一度その身分になったら末代まで戻ることができないというものであり、身分制度が廃止された今でも「被部落差別問題」の一つとして挙げられている。
この「穢多」は神道や仏教における「穢れ(仏教では殺し、神道では血)」を行うものとして扱われた。これらの宗教性からして、人間以下の扱いがされたと言われている。

第7章「赤松啓介と解放の民俗学」
本章で書かれている民俗学、もとい赤松啓介の民俗学は柳田國男が研究したそれと違い、どちらかと言うとアウトローの民俗学について考察を行っている。本書のタイトル「異端の民俗学」を地で行くような、まさに「ミスター「異端の民俗学」」と言うべき存在である。
では赤松啓介が紡ぎだす民俗学というのは何なのか。簡単に言うと「性民俗」、「夜這い」や「慰み」といった類のものである。その民俗学に関してとある女性学の教授が批判をしたことでも有名であり、論争にまでなったとかならなかったとか。

民俗学とはいっても、その国や地域における習慣のことについて考察や研究を行う学問であるが、その範囲と言うのは一概に決められていない。時には普段当たり前にある様な習慣を考察するものもあれば、本書のようにアウトローな習慣や習俗に関しての考察もある。
民俗学と言うのは実に幅広いというのが良くわかる。

やめられない、止まらない

かっぱえびせん

…というのは冗談にしておいて、

「やめられない、止まらない」ことですか。

私だったら「書評」と「仕事」ですね。

書評はやり続けてもうじき2年半(もう何百冊書評したか忘れました)。

「仕事」もようやくプロジェクトが佳境を超えまして、落ち着いたところですが、仕事中毒なんでしょうかね。休みの日でも仕事のこと考えたりしてますよ。日曜日になると月曜日が待ち遠しくなったりしますね。

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老いを照らす

老いを照らす (朝日新書 89) 老いを照らす (朝日新書 89)
瀬戸内 寂聴

朝日新聞社  2008-01-11
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まだこの年齢であるので、「老いる」と言うのはまだ先になるかもしれない。しかし「老後」と言うのを考えるというのに早すぎも遅すぎというのはない。ただ遅すぎても「手遅れ」と言われることもあれば、早すぎると、老後にならないうちにポックリということになればシャレにならない。
人は誰しも「死」は訪れるが、「老い」に関しては訪れる人もいれば、中には訪れない人もいる。しかし今日は高齢化社会と言うのを考えると「老い」に対して何かしら考える必要がある。
本書は小説家界の大家と呼ばれる瀬戸内寂聴氏が老いに関する法話や講演の中から特に印象的なものを選び抜いたものである。

第一章「老いと向き合う」
本書は一昨年に東京と大阪で行われた「仏教新発見」の講演会を加筆・訂正して書籍化したものである。傑作選かと思ったら「講演録」といった方が良かっただろう。
人は誰しも老いるし、確実に「死」は待っている。死後、私たちはどのように評価されるのかはすでに天国にいるので、生の声で聞くことはできないかもしれない。
しかし、自らの「死」と言うのを想像する、もしくは「死ぬ」ために自分は何を為すべきだろうか、どのようにして「老い」たいのかというのは常々考えなくてはならないことである。
その代表格として当ブログでも取り上げた小説「秘化」と言うのがある。これは世阿弥が晩年ありもしない罪によって佐渡島に流された時の晩年について数少ない史料を用いて描いた作品である。世阿弥は能を大成した人物しても知られているが、流刑地の佐渡島では人との温もりと能で鍛え上げた芸をさらに磨いた(稽古した)とも言われている。
著者も今では有名になっている「源氏物語」の現代語訳を行ったのは70歳に入ってからであった。

第二章「祈りの力」
瀬戸内氏は若かりし頃、仏教の「ぶ」の字も興味がなく色盛りであったと言われている。その後に作家として小説を投稿し、34歳に処女作を発表した。それから約7年間は批判にさらされながらも数多くの賞をとったものの、その後30年以上鳴かず飛ばずであった。仏教に帰依したのは1973年、51歳の時である。その前からどのような宗教でもいいから、宗教に帰依したいという願望が強かったという。これも「老い」と「死」について関係しており、自らの「老い」と「死」を鑑みるために宗教に帰依したかったのだという。
誰しも一度は「老い」や「死」と言うのを考えたことがあり、瀬戸内氏も例外ない。ただし瀬戸内氏はそれに関する考え方が非常に強く、それを宗教の消えによって答えを求めた。
私もそれらに関して様々な文献を通して考えてきているのだが、いまだに答えは見つからない。もちろん人によって答えは違っており、方や複数答えのある人もいれば、答えがないというのもある。
人にとっての幸せ、不幸、充実、人生、労働……と答えのない命題と言うのは数多くある。それは禅問答のように、自分の心で問いただす人もいれば、瀬戸内氏のように宗教に帰依して答えを導き出そうとする人、私のように哲学や宗教書といった文献を通じて答えを求めようとする人それぞれであるが、方法論は違えど考えなくてはいけないことばかりと言える。

第三章「老いのかたち」
ここでは瀬戸内氏の周りの老いと死について書かれているが、交流が広いからか文学者が多かった。特に三島由紀夫や川端康成、井上光晴などが挙げられている。

第四章「世情に抗する」
今日の事情と言うと「活字離れ」「テレビ離れ」「インターネット依存」と言うように人によっては「悪い時代」と考える人もいる。とりわけ私が思っているのは「活字離れ」と言うよりも、平易な表現ばかりが罷り通っている「語彙離れ」と言うのが深刻である。最近ではビジネス書がブームとなり、ビジネス書部門の販売状況が良くなっている傾向にある。ビジネス書は本によるが平易な表現を用いており、読みさすさ重視というものが多く、日本語特有の多様な表現を使うことがあたかも禁じられているように思えてならない。
他にも老人の扱いやいじめといったものに関しても取り上げており、著者は命ある限り声を上げていこうと決意している。

「老い」と言うのは必ずやってくるが、それは自分が「老いている」とは考えずにいつの間にか「老いている」と思っていた方がむしろ楽しく老いるのではないかとさえ思う。瀬戸内氏は老いても豪放磊落な性格でありながらも、史料研究や仏教における修行と枚挙に暇がない毎日を送っている。本書を読んでふと思うのが自分の「老い方」を考えるのは大切かもしれないが、それと同等、もしくはそれ以上に今を生きるということも大切なのではないかと本書で教えてもらったような気がしてならない。

藤巻流 実践・巻き込み術

藤巻流 実践・巻き込み術 藤巻流 実践・巻き込み術
藤巻 幸夫

講談社  2009-04-21
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本書の著者である藤巻幸夫氏は数々の人を巻き込みながら福助の再生に尽力し、ファッション業界に大きな旋風を巻き起こし、今となっては「伝説のカリスマバイヤー」と呼ばれるまでになった。現在は兄弟で共同経営をする株式会社「フジマキ・ジャパン」の代表取締役副社長に就任している。その一方で様々なショップを展開するなど、東奔西走の毎日を送っている。その中でも数多くの「巻き込み」を行いながら当人は楽しく仕事をしていることかもしれない。
本書は藤巻氏ならではの巻き込み術がギッシリと詰まっている。

第1章「ホスピタリティで巻き込む」
良くビジネス書では「ホスピタリティ」という言葉が良くつかわれるが、これは一体どのような意味で語源はどこからきているのだろうか。
「ホスピタリティ」は簡単に言えば「思いやり」「もてなし」のことを言う。しかしもてなしと言うと「サービス」と言うのもまた「もてなし」になるが双方と決定的に違うのは、「サービス」は上下関係がはっきりとしている「主従」によるもてなし。「奉仕」と言うのもそれに近い。一方の「ホスピタリティ」は立場上「対等」なところから「もてなす」ことを行う。英語では「hospital(病院)」などに発展していった。
「ホスピタリティ」は何か高貴な響きがあり、とてもまねできないという人もいるように考える人がいそうだが、本章での「ホスピタリティ」は誰でも実行が可能である。「メールに際立たせる一言を入れる」「笑顔で接する」「悪口を言わない」といったものはあたりまえと思っていてもいざやってみるとあまりやらない。心がけひとつで巻き込むことができ、他人にとっても悪い気はしない。

第2章「言葉とエネルギーで巻き込む」
言葉と言うのは時として、重要な活力源になったり、人格や心をも傷つける鋭利な刃になる。
本章ではほめ方のみならず「叱り方」、そして感脳の込め方を駆使して人を巻き込ませていく術を紹介している。
藤巻氏は非常に冗舌であるというのは存じており、藤巻兄弟の共著にもそれに関するエピソードが紹介されているほどである。
それだけではなく行動することへの情熱といったものまで言葉とエネルギーについて縦横無尽に書かれている。

第3章「時間を管理して巻き込む」
巻き込むということは相手への配慮も必要であり、とりわけ時間管理というのがネックになりやすい。「時間管理」と言うと「速攻」と言うように早め早めのレスポンスや行動といったものが大切になるが、それだけでは時間管理とは言えないと藤巻氏は釘を刺している。それを強調しているのは本章の最後のところであり、料理の注文、美術館に立ち寄る話などを交えながら、時間における緩急の重要性について主張しているところは、「スピード重視」と言われ続けた仕事術に関して、一種の清涼剤と言うべきだろうか。ビジネスにおいてスピードは大事であるが、時として「スロー」になる時を作る必要がある。それはビジネスのみならずプライベートにおいてでも、であろうか。

人を巻き込む力と言うのは誰にも備わっているが、それについて気づける人と言うのは悲しき香奈少なく、私も人を巻き込む力があるのかというのはいまだに悩みの種である。社会人2年目の超若輩者であるが等身大の巻き込み方と言うのが本書にはある。社会人2年目であったとしても、社会人2年目なりの「巻き込み方」と言うのがあるので、巻き込みに対して敷居が高いと思った人でも実践できる。

なぜ僕は理科を好きになったのだろう?

なぜ僕は理科を好きになったのだろう? なぜ僕は理科を好きになったのだろう?
柳田 理科雄

集英社インターナショナル  2006-10-26
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最近「理科離れ」と呼ばれて久しいが、そうさせてしまっている要因の一つとして、科学の楽しさを学べる一方で理論や計算式、定義といったものばかりが教えられるという学校特有の現状がある。小学校のころまでは科学をする楽しさというのがあったのだが、だんだんそれが気難しいものになり、高校に入るともはや何語だかわからないという人も出てきたことである。
物理や化学、生物に地学は用語や方程式といったものは欠かすことはできない。しかしそれを学べば学ぶほど楽しさというのを忘れてしまっているように思えてならない。
本書はそんな理科に魅入り、「空想科学読本」という有名なシリーズまで書かれた柳田氏が、自身が体験した理科の魅力、そしてそれに魅せられた理由を「なぜ?」形式にして熱く語っている。

Chapter1 「なぜ最初の「なぜ?」は生まれたか?」
理系は「仮説」と「検証」によって様々な発見や定義と言うのが形成される。良く学術やビジネスの世界で「論理的」と呼ばれるルーツは数学からきており、「論理数学」という学問が存在するほど、理系と「なぜ?」と言うのは精通している。
著者は早くから読書に目覚めただけではなく、様々なことにも興味を持ち始め、次第に「なぜ?」という言葉が出てき始めたという。
発明家として有名なトーマス・エジソンも教師や親に対していろいろなことを「なぜ?」「どうして?」と訊きまくったという。しかしそれが故に小学校を退学させられたという逸話もある。

Chapter2 「なぜ風船は浮かんでいるのか?」
「なぜ?」独楽が回っているのか、「なぜ?」風船は浮くのかということから科学者の道を志したことついて書かれている。

Chapter3 「なぜ物理にシビれたのか?」
私は高校の時に理科系の科目を習ったものでは「化学」と「生物」しか学ばなかったため、物理のつまらなさと言うのは良くわからない。しかし化学においてもつまらなさは匹敵しており、予習しなければ何を言っているのか分からなかったということは覚えている。
著者は物理のみならず地学も学んでいた経緯があり、それによって「なぜ?」という考え方が膨らみ始めたという。

Chapter4 「なぜ東大に幻滅したのか?」
著者は当初、日本ではじめてノーベル賞に輝いた湯川秀樹の愛弟子である佐藤文隆教授のもとで学ぶために、京大入学を志した。しかし入試に失敗し一浪。さらに佐藤氏が京大を退官した。そのことからか、志望校を東大に移し猛勉強の末、東大に入学した。しかし当初志望していた物理学科には行けず東大や科学に関しての意欲を失ってしまった。5年間在学したものの中退し、塾講師となった。しかし科学者としての道が開けたのは「空想科学読本」であった。数々の「なぜ?」を追い求めてきたからでこそ開いた大輪の花と言える。

経歴を観るように柳田氏は科学者として博士といった学歴を持っていない。しかし水から科学者という志をあきらめなかった、そして常々「なぜ?」という問答を続けていったからでこそこの「空想科学読本」が大ヒットし、シリーズ化した。そしてこの「空想科学読本」は「なぜ?」に対する思いと探求心が続く限り、その道は終わらない。

板垣征四郎と石原莞爾

板垣征四郎と石原莞爾 板垣征四郎と石原莞爾
福井 雄三

PHP研究所  2009-04-23
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8月15日、大東亜戦争、及び第二次世界大戦が終焉して64年という節目を迎えた。同時に日本軍の中で「天才」と唱われた石原莞爾の命日でもある。板垣の生涯について、石原の生涯についてといったそれぞれの紹介の本はこれまで多く刊行されており、満州についての本も板垣と石原の両方について書かれている。
しかし本書は、あくまで「板垣征四郎石原莞爾」をクローズアップしているため、満州建国や大戦、東京裁判に至るまで両者の関係と関わりについて考察を行っている数少ない一冊である。

第一章「双竜の系譜」
方や陸軍大臣まで上り詰めたものの東京裁判において刑場の露と消えた板垣征四郎、天才と謳われるものの、あと一歩のところで自らの構想が頓挫してしまった石原莞爾。本章では二人の生涯と出会いについてである。
板垣は豪放磊落、健啖という言葉がよく似合う親分肌で、自らの思想はそれほど表に出さず、仕事も任せるということが多かった。しかし部下の失敗や責任については自分が持つということで部下からも慕われていた。
一方の石原は「天才」という言葉をほしいままにしているが、その裏では兵法のみならず哲学や歴史に精通していた。しかし天才であるがゆえに数々の奇行、もとい武勇伝があるほどである。天才と謳われた故かプライドが高く、真っ向から対極となした東条英機とは犬猿の仲であり、登場の仕事ぶりを「東条上等兵」と悪口を言うほどであった。
両者の出会いは大正時代に中国大陸に派遣してからの時である。両者は出会うなり同じ東北出身のことあってか意気投合したという(奇遇かどうかわからないが東條の本籍地も岩手と東北である、但し出身は東京)。

第二章「雌伏」
大正時代といえば「第一次世界大戦」の真っ只中であり、日本はちょうど軍需景気により急激に経済が潤い始めたころである。さらに板垣にとっては子宝に恵まれるといった幸運があった。
その一方で中国大陸では大戦後までくすぶった、国民党共産党の構想が始まった。後に蒋介石が国民党に、毛沢東が共産党についたことでも知られている。この構想の諍いのなかで最もとばっちりを受けたのは日本である。共産党や国民党は日本に対する抗日・侮日をやることによって自らの面子と党の威信を拡大し続けたのである。
しかし蒋介石にとっては自らかくまってくれた国とプライドとの葛藤が激しく交錯していたように思える。日本の大学に留学した経験を持ち頭山満らと親交を持っていただけに、である。

第三章「風雲」
親分肌の板垣、天才肌の石原は性格の違いによる相性がこれほど会う人はなかったのだろう。
本章では満州建国までの道のりを本章と第四章にわたって描いている。特に昭和初期以降にかけては大陸東北部に日本軍を進駐し、満州国を建国するといったことを行おうとした。しかし中国国民党や共産党の条約やぶりによる裏切り行為は後を絶たず、満州国建国になってもその状況は続いた。

第四章「建国へ」
満州国を建国したのは1932年の2月に建国をされた。それの承認に際して常任理事国の一国として担っていた国際連盟を脱退したという代償はあったのだが、石原や板垣としては国力備蓄のための大きな砦としての役割を考えていた。
満州国は皇帝を置きながらも民主主義としての政治を担いながら、独自の経済成長を続けた。満州国は大陸の人たちにとってはまさに「天国」とも思わせる国であり、100万人もの人々が満州に移民した。ただその権益を狙うために大陸の軍閥や国民党や共産党が略奪や殺人や紛争といったことを仕掛けてきた。

第五章「暗雲」
特に国民党軍との衝突はたびたび起こり、そのたびに「休戦協定」を結んだが、ことごとく破られまた衝突といったことが起こった。裏切り行為にしびれを切らした日本政府はついに上海派兵を行いそのまま日中戦争(支那事変)が始まった。

第六章「崩壊の序曲」
石原は東條との衝突により、左遷され、大東亜戦争に入ったころには予備役に移された。一方の板垣も満州国建国後に左遷され日本に戻った。
逆に登場は陸軍次官に就任し、のち陸軍大臣に就任。その後首相にまで上り詰めたが、本人はそのようなことを望んでいなかった。首相に就任したのは木戸幸一内大臣の鶴の一声、もとい貧乏くじを引かせようと考えたことであり、本書では陸軍次官に就任した経緯について詳しく書かれている。何度も言うが決して本人の意向とは全く関係のないところで東条は上り詰めた。
やがて大東亜戦争に突入し、前半までは日本有利であったのだが、ミッドウェー海戦以降は敗戦続き、1945年8月15日正午日本は降伏した。

第七章「裁き」
ここでは章題から想像して容易にわかることだが「東京裁判」についてである。当ブログも昨年の12月までにどれだけ東京裁判について取り上げたか分からないが、ここではあくまで板垣と石原について語る。
石原は満州事変などにかかわったということを考えればA級戦犯といわれてもおかしくないのだが、結局A級戦犯になることはなかった。彼をGHQが尋問を行う度にことごとく論破されたというのもその理由の一つに挙げられる。ただし石原は証人として東京裁判の法廷に立ったことはある。
一方の板垣はA級戦犯として逮捕・起訴された。特に広田弘毅の弁護人が陸軍に対する横暴を暴いた時に声を荒げて取り下げるよう広田に迫ったというのは語り草である。あろうことか両者ともに処刑され、ともに万歳三唱をやったというのはGHQの策略だろうか、単なる偶然なのだろうか未だに謎である。

板垣征四郎と石原莞爾の関係を語りだすと大正から昭和、戦中、東京裁判に至るまで縦横無尽できる。
特に満州のことについては両者とは切っても切れないものと言える。そのことがよくわかる一冊であった。最後に石原が板垣の絞首刑確定の報を聞いた後、病篤の中、人伝いであるが板垣に伝言した。
「石原も遠からず追いつくことと考えられますから、もし道のあやしいところがありましたらお待ちください。道案内は自信がありますから(小林よしのり「いわゆるA級戦犯」p.121より)」
最期まで板垣のことを慕っていた石原の姿がそこにはあった。

あなたは一人で焼肉を食べに行ける? 行けない?

2日連続のネタ記事です(笑)。

仕事で遅くなったときはこう言ったネタでつないでますが、ココログには「コネタマ」というものがありますが、知ってはいたもののあまり使ったことはありませんでした。というよりも書評がほとんどだったのであまりこういうことに関心がいきませんでした。

フリーなテーマだとあまり書きたいものがないのでこういったテーマ縛りだと、結構書けますね。

さて、今回のテーマは「あなたは一人で焼肉を食べに行ける? 行けない?」です。

結論から言うと「行けない」というより「行く気がない」です。

私の住んでいる川崎市には、焼き肉店がたくさんあります。川崎に引っ越す時には親から「焼き肉食いに行ったら?」と言われるほど。

ちなみに私の住んでいる近くにも最近開店したばかりの店もあるので行こうと思えば行けるんです。

しかし、いざ行こうと思ってもなかなか重たい腰が上がらない今日この頃。しかも焼き肉が食べたいということはほとんどなかったというのも一つあります。

ただ、行ってみたいという気持ちはありますがね。夏休みが取れる時に1度行って堪能しようと思いますよ。

コネタマ参加中: あなたは一人で焼肉を食べに行ける? 行けない?

社会という檻

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明石書店  2009-05-28
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「世間」「社会」「常識」「一般」とい言葉が飛び交う世の中。そういった言葉たちがあたかも当たり前のように叫ばれている。そのことによって思考停止に陥る弊害もあるが、良く口にしている人たちはそれに全くと言っても気づかない。そういった人が本書のタイトルである「社会という檻」の中に入っていることに気付かず、かつ出ようと思わないのではないかとさえ考える。
では本書はそういったことを突いた一冊なのかというと、そういったことについても書かれているがほんのわずかなものであり、残りは人間の進化をもとにして私たちの生活のなかでどのようにして見えざる「檻」が形成されたのかということについて考察を行っている。

第1章「人間は動物である」
人間は例外なく「動物」と言える。しかし他の動物と決定的に違う点が一つある。それは「理性」というのが発達しているからといわれている。一方で脳が発達しているためといわれるが、同じ哺乳類のなかにイルカやクジラなどは人間に匹敵、もしくは凌駕するほどといわれており、本能についても他の動物より劣っている。
理性以外に人間が「人間」であることからできた力とは何か。それは次章以降において考察を行っている。

第2章「人間における社会構造の起源」
人間は特有の社会構造を持っており、そこから「世間」や「社会」というのが形成されていった。もっと言うと、「集団」を形成することにより文化や文明というのが形成されたといってもいいかもしれない。

第3章「人間文化の起源」
ここでは人間の脳の進化とともに人間の文明の変遷について書かれている。ここでは社会学というより生物学的な観点から人間文化についてどのような影響を及ぼしたのかというのが中心となっている。

第4章「最初の人間社会――狩猟・採集民」
人間の生活が「社会」として形成されたのは旧石器時代や縄文時代といった、いわゆる「狩猟」の文化が栄えたときである。インダスやメソポタミア文明という「4大文明」が栄え出したのは約4000年以上も前のことだが、狩猟が栄えたのはそれ以上も前のことである。
歴史学的な「文明」とは言い難いものの、人間としての「文化」が形成されたということは緩やかな「文明」と言えるのではなかろうか。

第5章「親族関係の檻――初期農耕社会」
狩猟の文化が栄えたのは約5万年ほど前であるが、農耕社会ができたのは中国大陸で約15000年前であると現在判明されている。初期農耕は鍬などの道具がつかわれているように思えるのだが実は家畜を利用して農耕を行い、そこから種蒔き、収穫といったような要領であった。農耕のための道具がつかわれ始めたのはそのあととされている。

第6章「権力の檻――農耕社会」
農耕は狩猟以上にチーム戦という要素が強くなる。その中でもチームをまとめるリーダーというのが必要であり、その力が増大することによって「権力」というものと化してきた。それが文明という形で花開き、権力や社会、主従関係、差別というようなものが形成され始めたといってもいい。
全ては人間における文明の中で檻ができ始め、やがてそれはより強く、より狭きものとなって言ったのだが、私たちはそれに気付かず今日も生き続けている。

第7章「社会という檻からの脱出――産業社会」
農耕から手工業、やがて機械工業と「産業革命」を通じて様々な形で「文化」というのは進化し続けた。「産業社会」でも当然の如くその「檻」というのは存在したが、その「檻」から あらゆる手段でもって脱出しようと試みる出来事があった。そう、「革命」である。「革命」によって様々なイデオロギーや思想が生まれ、それに追随して国家や政治、経済、文化といった所にまで及んだ。「世界」という一つの「檻」から脱し、新たな「自由」に向かって歩み始めた。しかしその自由の中にも新たな「檻」というのがあった。

第8章「人間は社会的である、と考えすぎることの誤謬」
どの思想家が言ったのか分からないが「人間は社会的動物である」と唱えた。今日生きている私たちは「社会」という一つの箱の中に生きているということを考えるとまさにその通りかもしれない。
ただ批評家の中にはこの箱、すなわち「社会」を批判する、もしくは嘲ることが多い。そう主張する人たちも結局その檻の中で暮らしている。このことは忘れてはならない。

「社会」という名の「檻」は、我々人類の進化とともに進化し続けてきた。そして今やその檻はより強固に、より小さきものに進化し続ける。それに対して抗うことはもうできないのかもしれないが、その檻の中で上手に生活する術というのは本からでも、先輩からでも教えられることはたくさんある。脱することも大事だが、上手に付き合うというのもまた大事なことであろう。

奏でる声

奏でる声 奏でる声
スーザン エルダーキン Susan Elderkin

中央公論新社  2008-03
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「声」というと通常は「奏でる」と言わず「うたう(「歌う」「唄う」「謡う」「詠う」など様々な意味合いを持つ)」
本書の舞台はオーストラリアの北西部、ちょっといけばオーストラリア最大の砂漠地帯(ゴビ砂漠?)がある。そのためか本書では「砂漠」と言う下りが数多く存在する。オーストラリアというと私たちが認知しているところではエアーズロックを除けばシドニーやメルボルンと言った東海岸の部分が多く、次にパースがある南西部が認知されている。しかし北西部はそれほど目立った都市はなく、多くても3〜4万人ほどの小さな町があるくらいである。しかし本書を読んでいくうちに生活の中になにやら「精霊」もでてきている。その精霊が本書の主人公であるビリーという少年と出会うことによって物語は始まる。
物語を観る限りビリーは感情的でありながらも、数多くの悩みを抱えているような描写が多かったように思える。
本書のタイトル「奏でる声」だが直接的に「歌う」や「奏でる」といった表現がないものの、それに近い、むしろ暗に表現しているところが所々見受けられ、あたかも読んでいながら歌っている声が聞こえるようであった。
少年が精霊、もしくはアボリジニーが歌っている声、または風の声に惹かれる姿というのが描かれながらも、ストーリーにのめり込んでしまう不思議さを感じてしまう。1度の読了ではこのことはなかなか受け取ることはできない。分厚い一冊ではあるが2・3回繰り返して読むことをお勧めする。そうでもしないと本書で感じ取られる声や少年の心の内を感じ取ることが難しいからである。

夏の宿題は先にやる? それとも後にやる?

学生といった一方的に教えを受けるというのがなくなって1年半経ちますが、今思えば夏休みの宿題は先にやっていたか後にやっていたかというのは分かりません。

今も昔も変わりませんが、「気分次第」という他なかったと思います。

ある時期は夏休みが始まってわずか1週間で終わらせることもありましたが、またある時は終わる直前で片付けるといった夏休みもありました。

ただ、どちらかというと後者の方が多かったと思います。少なくとも高校の時は。

高校の時のことについては書評でも何度も書いているように吹奏楽部で、夏休みは練習三昧でした。そのことからか夏休み中はほとんど宿題には手をつけていなかったということを覚えています。ようやく手をつけ始めたのはお盆休みくらいだったと思います。

ちなみに北海道の夏休みは関東の夏休みと違って短く、25日しかありません。その代り冬休みは夏休みと同じくらいとれます。

今、もし夏休みの宿題が出たらどうだろうかと聞かれると…、書評の状況からして「後にやる」というのが自分としてあっているように思えます。

コネタマ参加中: 夏休みの宿題、先にやる派? 後にやる派?【ココログ選手権】

苦しみの中でこそ、あなたは輝く

苦しみの中でこそ、あなたは輝く 苦しみの中でこそ、あなたは輝く
山田 邦男

PHP研究所  2009-06-13
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人間は誰しも「苦しみ」から逃れられない。人間の感情のなかには必ずと言ってもいいほどこの「苦しみ」からもがき苦しみながらも「逃れたい」というのがあるだろう。
しかし「苦しみ」抜いてこそ得られるというものも多く、必ずと言ってもネガティブなものとは限らない。
本書は12年前に亡くなった精神科医ヴィクトール・フランクルが強制収容所に送られた体験を経て得た人生論と、フランクル自身の一生についてまとめたものである。

第1章「「いのち」と現代」
「今、いのちがあなたを生きている(p.14より)」
日本語としてはちょっとおかしいように聞こえるかもしれないが、命があってこそ私たち人間はこの世で生きているなによりの証拠である。この言葉はその本質を突いている。ここでは本書の骨格について紹介しており、フランクルの生涯と思想を照らし会わせながら人間はどのように生きるべきか、というのを考察する。

第2章「フランクルの生涯と基本思想」
その問題を考察するに当たっての材料としてフランクルの生涯と基本思想について迫っているのが本章である。フランクルの生涯についてあまり書かれておらず、とりわけナチスによって収容所に強制連行された前後の葛藤についてが書かれていなかったのが残念であった(後半に書いてあったかも)。
フランクル自身が持った思想の根幹がそこにあるのではないかと考える。
後半はフランクルの基本思想についてであるが20世紀似形成された「ニヒリズム」や「科学」といった思想を真っ向から批判、もしくは疑問を唱えたものであった。「時代錯誤」という声もあるかもしれないが、今、「科学」や「ニヒリズム」というのが私たちの考えに浸透していることを考えると、時代の先を言った、もしくは現代のあり方に疑問を唱えた哲学の先駆者という考えもできる。

第3章「人生観とパラダイム転換」
ここではフランクルの人生観を考察しているが、彼の人生観が複雑なせいか、本書の中でもっとも多く考察を行っている。複雑とは言っても大まかにいったら座標軸にして表せられるものであるが、その中で細々としたところが多いため考察が複雑なものとなっている。ここでは細々としたものはあまり取り上げず、簡素に見ていきたいと思う。
座標軸には「縦軸」と「横軸」があり、縦軸は「充足―絶望」、横軸は「成功―失敗」と定義しており、縦軸で充足していれば充足しているほど「ホモ・パティエンス(苦しみながら偉業をする手だてを知っている人)」、横軸では成功するほど「ホモ・サピエンス(「人間」ではなく「何でも知っている人」のことを指す)」という。

第4章「人生の価値」
人生の価値というのは人それぞれであり、一概にこうだというのは言えない。フランクルは人生の価値について大きく、
・「創造価値」
世界の中であらゆるモノやコトを創り出す価値
・「体験価値」
あらゆるモノを体験して得る価値
・「態度価値」
変化しないモノや運命を受け入れる価値
以上の3つに分けて定義を行っている。

第5章「それでも人生はイエスと言う」
「イエス」と言うと宗教上では「イエス・キリスト」のことを言っているのではないかと考える人もいるかもしれない。本章ではそれを言っているのではなく、どのような苦しみや絶望下にあったとしても「イエス」と言ってその状態を受け入れる自分がいる。どのような苦悩に陥ったとしてもその後には必ずと言ってもいいほど「歓喜」というのが待っている。それは自分の望んだ時期ではなく、また自分が望んだ形ではないかもしれない。しかし形は違えど「歓喜」は「歓喜」であると言うことを本章では教えている。

人間誰しも「苦しみ」や「絶望」というのは存在する。しかしその先には必ずと言ってもいいほど「歓喜」と言うのが待っている。いったん苦しみに入ったらそこから抜け出せないと言うことは、無い。著者自身が研究をしたのもあるのだが、強制収容所での極限とも言われる環境の中で見いだした部分もあることを考えると、人生はうまくいかないこともあれば、捨てたものでもないと言うのがよくわかる。

一日一生

一日一生 (朝日新書) 一日一生 (朝日新書)
天台宗大阿闍梨 酒井 雄哉

朝日新聞出版  2008-10-10
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仏教天台宗の総本山延暦寺。厳然と聳え立つ寺は日本仏教の中で最も修行の厳しい寺としても知られている。とりわけ「千日回峯行」は「過酷」という言葉だけでは言い表せられないほどであり、しかも失敗したらその場で自害をしなければいけない決まりとなっている。その途中の9日間は断食・断水・断眠・断臥(横たわらないこと)で不動明王の真言を唱え続ける「堂入り」というのがある。一昨年それを別の住職が達成したというニュースがあり、戦後では僅か12人しか達成していない。著者はこの「千日回峯行」を2回達成しており(比叡山では著者を含め3人しか達成していない)日本仏教界の「生き仏」として崇められている。その著者が自らの人生と、仏教徒としての人生訓をありのままに描いている。

第一章「一日一生」
ここ最近、「がんばれ」「成長しろ」「上を目指せ」とよく言われる。
しかし、本当にそれが正しいのかというと、本章を読む限りそうとは限らないように思えた。
「身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す」
「ありのままの自分としかっと向き合い続ける」
「人は毎日、新しい気持ちで出会える」
決して背伸びせず、あくまで「自然体」で生きていくという気持ちが芽生える。

第二章「道」
酒井大阿闍梨の人生は波乱と紆余曲折に満ちたものであったように思えた。
しかし当人はそのように思っておらず、むしろ無駄ではなかったと述懐している。
そのような人生を歩み続けやがて酒井氏は仏門を叩いた。

第三章「行」
最初にも書いてある通り比叡山の修行は日本の寺院のなかでも最も厳しい類に入る。酒井氏は様々な修行に関して自ら思ったことを克明に描かれており、特に「常行三昧」については生々しく、かつ痛々しくもあった。
数々の厳しい修行を乗り越えた理由として「好奇心」と「学びと実践」というのがあった。
実践をする価値の高さというのはビジネスにおいても重要視されているが、その根源に仏教もあるのかもしれない。

第四章「命」
命というのは尊いものであるが、これについて教えられるという機会はあれどもそれをじかに感じるということは少ない。
本書は酒井氏がありのままこのことについて書かれており、間接的ではあれど「命」の温もりというのが感じ取れる。

第五章「調和」
人と人のつながり、人と自然のつながり、人と動物のつながりといろいろな「つながり」を持ちながら調和を図っている。

私はこれまで様々な本と出会い、実践し、自らの血肉としてきた。しかし本書は読んだ後、言葉に変えられないほどの温かさを覚えた。何度も言うようだが本書は酒井氏なりに感じたことをありのまま書かれている。その一言一言が自らの心に温かさを与えているようだった。読んでいくうちに涙が浮かんだ。自ら過酷な修行のなかで感じそこで思っただけのことである。しかし、私たちのように傍から見ている人たちは、偉業を達成した人、生き仏として今日も崇められている。
一つ思うことがある。
・成功とは何を指すのだろうか。
・プロフェッショナルとはどのように定義しているのか。
他にもいろいろな疑問があるが、それ自体を目指す人も中に入るのだけれども、本人はそう感じていないというのがほとんどであろう。「成功」にしても「プロフェッショナル」にしても周りからはそのように称えられていても、本人はそう感じずに只々目の前のことに夢中になっている。
本書は疲れた心を癒したい人、そして自らの道が分からなくなった人にとって至高の一冊と言えよう。

ポジティブ思考なんて捨ててしまいなさい!

ポジティブ思考なんて捨ててしまいなさい! (「ドリームスキル・クラブ」シリーズ) ポジティブ思考なんて捨ててしまいなさい! (「ドリームスキル・クラブ」シリーズ)
臼井 由妃

学習研究社  2009-08-05
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こういった時代のせいなのか、ビジネス書や成功本といったものが売れに売れている。現に公認会計士・経済評論家の勝間和代氏の本は飛ぶように売れており、勝間氏は政府からマスコミから引っ張りだこの存在にまでなった。成功本やビジネス本など「働く」ということに悩んでいる表れであろうか。
しかしその成功本やビジネス書でもよく語られるのは「ポジティブ思考」というものが多い。「ポジティブ思考」というのは別に悪いわけではないのだが、時としてこれが悪い引き金になりかねないことさえある。ましてや成功本はその人が成功した事例や法則を取り上げているに過ぎず、必ずしも成功することは限らない(だから「仮説・検証」を読了後にやる必要があるというのはこのため)。本書は巷の成功本で書かれている思考について一石を投じながらも、「等身大の自分」を鑑みながら進んでいく術を紹介している。

第1章「悩みに押しつぶされそうなあなたへ」
人は誰しも悩みというのは持っている。「悩み」は政治学者である姜尚中の「悩む力」にもあるように、後々の人生で大きな糧となり、人生においてもなくてはならないものとされている。
しかしいったん悩みだすと人それぞれであるが、とことん悩んでしまう性質の人もいる。実際に私もそうである。他人からはごく些細なことであることでも自分のなかでいつも悩んでおり、自分の将来や人生設計から、明日の仕事に至るまで様々な悩みがある。現に書評している今でも悩んでいる言わば「悩みの総合商社」と言えるくらいかもしれない。
ただ成長や本章で書かれている「破壊」と言うのはこういった悩みや苦しみと言ったものから得られるものが多いということを考えると、まんざらでもないかもしれない。

第2章「逆境から立ち直れないあなたへ」
逆境は、周りや文献からみて良いように扱われているが、いざ自分がその立場になるとこの場から逃げ出したくなる。
私は「今逆境に立たされている」という感じは周りから見たらあるのかもしれないが、自分自身そんなことは何も感じずにここまで24年間生きてきた。苦しい時もあるが、それをも愉しんでしまう性質だと思う。
本章では自己啓発本にのめり込んで離れられない、いわゆる「自己啓発難民」についても言及している。

第3章「心が疲れてしまっているあなたへ」
「21世紀は「心の世紀」」ってもう何回言っただろう。
心理学や哲学と言った「心」や「精神」と言ったものがあると必ずと言ってもいいほど書いてしまう。飽きてしまったのであえて書かないということとなると、「私はこの言葉楽しみにしているのに、何で書かないのですか」というお叱りが来る。
ヨタ話はここまでにしておいて、心に疲れが出てきやすい時代なのかもしれない。その疲れが、うつなどの心の病となってしまう。こういう事態に処方箋と言うのははたしてあるのだろうか。
本章では「ため息をつかない」「作り笑顔をしない」などが挙げられている。

第4章「心と体を柔らかくしたいあなたへ」
私は子どものころから体が硬くて、屈伸もあまり曲がらない。だから頭も固くて、性格も融通が利かなくなっている所以かもしれない。ダイエットと言うよりもある種の運動に近くなっているのだが、最近ストレッチにはまっている。前屈といったことをしながら書評のネタを考えるというのもまた面白くて、こうやって文章を書いているのも、ストレッチで出たネタが功を奏しているのかもしれない。
心と体を柔らかくする、言わば「ストレッチをする」方法と心構えについて書かれている。

第5章「曲がった心をまっすぐにしたいあなたへ」
本章のなかで、胸に突き刺さった言葉がある。
「時計を外すと、気づくことがある。(p.200より)」
私は時間を気にするあまりか、時計はいつも持ち歩いている。時計を外しているというと忘れてしまった時という位である。もっとも粗忽者の私はむしろ忘れてしまう方が多いかもしれないが。

本書は等身大の「臼井由紀」がふんだんに書かれている。著者自身成功本といったものに疑問を呈し、自他共に認めるネガティブ思考の持ち主であったという。その性格だからというのも一つの要因なのかもしれないが、現に倒産寸前だった会社を再建させ、年収数10億もの企業にまで成長させ、自らも数々の資格を取得しながら有効に活用していった経歴がある。
ポジティブばかりでは無鉄砲となり、ネガティブばかりでは人はグズになる。ポジティブとネガティブのバランスがあってこそ、物事を多角的に、かつ冷静に、ある時は攻撃的に、ある時は守りを持って考え、戦略を立て、行動することができる。本書はポジティブの砂漠にできた一つのオアシスと言っていいのかもしれない。

無差別殺人の精神分析

無差別殺人の精神分析 (新潮選書) 無差別殺人の精神分析 (新潮選書)
片田 珠美

新潮社  2009-05
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昨年の6月に秋葉原無差別殺人事件が起きてからもう1年と2カ月経つが、その事件の傷跡はまだ残っている。それだけではなく度重なるインターネットにおける掲示板での「殺人予告」が後を絶たず、これから無差別殺人が起こるか分からない状態である。先ごろでも数々の無差別殺人事件があり、国民たちを恐怖に陥れている。本書はここ最近起こった無差別殺人事件を精神医学的に分析を行っている。

第一章「秋葉原無差別殺傷事件」
2008年6月、歩行者天国の一つと言われ、オタクたちのメッカとも言われた秋葉原に惨劇が起こった。猛スピードで走ってきたトラックが、歩行者をめがけて突っ込み、そこから犯人の男がおり、無差別に歩行者を切りつけた。7人の命が奪われる大惨事となった。
犯人は派遣労働者で、家庭環境からスパルタ教育を受け、友だちも彼女もおらず、不満ばかりが募る毎日であったという。
犯人がどうであれ、自分の感情によって人の命を殺めたというのは絶対に許されないことである。その一方で、この犯人をここまでの状態にさせたのかという事情も鑑みる必要はある。ひいては日本社会が抱えている病巣の一つが見えてくるのかもしれない。

第二章「社会全体に対する復讐」
ここでは99年に起こった「池袋通り魔殺人事件」と「下関通り魔殺人事件」について取り上げている。99年というとノストラダムスの「恐怖の大王」が降ってくるとか何とか言われていた時期であるが、その年は上記の通り魔殺人もあり、光市母子殺害事件もあり心の闇というのが浮き彫りになった事件ともいえる。きっと心のなかに「恐怖の大王」が飼われそれが、この形となって爆発したのかもしれないが、両通り魔殺人にある闇がどういう風に増幅させたのかという所を本章では考察を行っている。
章題では「社会」と書かれているが、労働の場、学びの場、そして家庭での複雑な環境におかれたことにより、復讐感情が芽生えたのだろう。
こういった殺人事件においては必ずと言ってもいいほど「精神鑑定」というのにかけられ、そこで「心神喪失」か「心神耗弱」か、あるいは責任性があったのか、なかったのかというのがかけられる。これは「刑法39条」に当てはまるかどうか調べるためであるが、これについての論議は殺人事件の起こるたびに叫ばれる。精神鑑定は行われるべきではあるものの、そういった医学にも今でも限界はあるということは忘れてはならないし、精神医学はまだまだ課題は山積しており、廃止すべきではないと考えている。

第三章「特定の集団に対する復讐」
おそらく多くの傷跡を残した事件として知られる「大阪教育大池田小事件」、アメリカで起こり、全世界を恐怖の底に陥れた「コロンバイン高校銃乱射事件」「ヴァージニア工科大銃乱射事件」を取り上げている。
いずれも無差別殺人でありながら計画的な殺人を行っている事件である。ここでは家庭関環境というよりもむしろ私怨が増幅させていき、その憎悪の捌け口を小学校殺人に持って行ってしまった。学歴コンプレックスによる「エリート」に対する憎悪が、そのタマゴである小学生に向けられた。
このコンプレックスによる復讐劇は「コロンバイン高校銃乱射事件」や「ヴァージニア工科大銃乱射事件」においても同じことが言えるかもしれない。

第四章「無差別大量殺人は防げるか?」
以上の事例を踏まえて、「無差別大量殺人」は防げるのかという議論に入る。
それぞれの事件の動機というのは様々であり、「誰でもよかった」という供述もある。これは社会のせいなのか、それとも自ら育った家庭環境によるものだろうかというと一概にこれだということは言えない。しかしそれらの環境のなかで不満や憎悪という負の感情が募り、自ら持っている破壊的衝動があるところで抑えきれなくなったというべきだろう。

第五章「殺戮者を生み出さないために――何が抑止力になりうるのか?」
では殺戮者を生み出さないためにどのようにしたらいいのかというと具体的な策というのはなかなか難しい。心理学的に何か策があるように思えるのだが、打つなどの精神的な病の原因も多岐にわたることから「それぞれにあった予防線を張る」ということしか答えが見つからない。かといってそれを張っていても完全に無差別殺人が起こらないのかというと、まず撲滅はしないだろう。

人間には誰しも破壊的衝動という魔物が眠っている。その衝動を抑えるために理性といったものが備わっている。しかし環境によってその理性というのが破壊されたり、弱体化したりする。ではその破壊や弱体化を抑え、理性を保つにはどうすればいいかという糸口は様々であり、正直なところ私でも答えに窮する。精神を保つというのは難しいというべきだろうか。

金融危機にどう立ち向かうか―「失われた15年」の教訓

金融危機にどう立ち向かうか―「失われた15年」の教訓 (ちくま新書) 金融危機にどう立ち向かうか―「失われた15年」の教訓 (ちくま新書)
田中 隆之

筑摩書房  2009-06
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昨年の10月にアメリカの大手証券会社「リーマン・ブラザーズ」が破綻し、「100年に一度の恐慌」と呼ばれる代不況となった。日本では過去にもバブルが崩壊し「失われた10年」とも「失われた15年」とも言われた時代があり、その間に急激な進化を遂げた経済は衰退の一途を辿り、97年には拓銀(北海道拓殖銀行)の破綻や山一証券の倒産、2000年代には「金融ビッグバン」といわれる大規模な合併が相次いだ。私たち労働者も例外ではなく、大規模なリストラにより終身雇用制度が事実上崩壊し、明日働ける場所があるのかどうかわからないと言う状態に陥った。
昨今でも金融危機と言われており、「失われた15年」に近いものとなっているが、過去に教訓がある以上、政府のみならず経済界もこれについてどう乗り切るのか正念場であると言ってもいい。
本書は政治単位でこの金融危機をどのようにて乗り越えていけばいいのかというのを考察したものである。

第1章「「失われた15年」の危機対応策――3つの政策の位置」
93年のバブル崩壊以後、どのような経済政策を行ったのかというのが記されている。バブル崩壊以前に行った経済政策については書かれていなかったのだが、主に公共投資中心でいわゆる「ハコモノ行政」「ハコモノ政策」となり、そのツケがバブル崩壊以後大きな傷跡の一つとして残った。
「日本はこの10年、ないし15年はなにも経済政策を打ってこなかった」という論者もいるが、政府は政策を全く打ってきたわけではない。いくつか行ってきたわけであるが、結果として経済停滞の歯止めにつながらなかったというべきである。

第2章「未踏領域の金融政策」
金融政策の中でもっとも目立ったのが1999〜2000年に行った「ゼロ金利政策」と、2001年から4年も続いた「量的緩和政策」が挙げられる。「ゼロ金利政策」とは中央銀行である日本銀行からの融資に対する金利をほぼゼロにするという政策であり、財政の流動化を招きかねるという大きなリスクの生じる政策である。初めて施行された時は「失われた15年」の真っ只中であり、効果は必ずしも覿面とは言えなかった。むしろこの金利政策をとったことにより、金利政策解除後は消費者指数や株価に大きな影響を及ぼしており、2000年末の政策では同時株安と重なったことにより、大幅な減退となってしまった。
では「量的緩和政策」は何なのかというと金利ではなく、日本銀行の当座預金残高の調節により、金の流通を促進する政策で、デフレ脱却のために2001年3月から5年にわたって行われた政策である。最初の2年はほとんど効果がなく、株価や消費者指数も減少の一途をたどったが、のちに景気も上昇し、効果が表れ始めた。しかしこれの効果についていまだに議論が絶えず、本当に万策であったのかという疑問も根強い。

第3章「財政政策の展開と赤字拡大」
高度経済成長につれて公共投資の額は増大していったが、とりわけ田中角栄内閣時以降はそれが顕著になった。地域の陳情により、道路建設を行う財源を確保するために「揮発油税暫定税率」というのが作られたのも一つの要因として挙げられ、公共投資額が膨れ上がった。中曽根内閣以後日本の財政赤字が膨らみ続け現在では860兆円にも上っている。

第4章「不良債権問題とプルーデンス政策」
「失われた15年」を象徴するものの一つとして「不良債権問題」というのが挙げられる。金融機関によって元本、および利子が返ってこなくなった資産のことをいい、バブル崩壊以後、企業が続々と倒産したことにより、膨れ上がった。これが97年の拓銀破綻や山一証券倒産の引き金の一つになった。本章ではこの不良債権が発生した経緯と経済的影響について、やや学問的ではあるが、かなり緻密に考察している。
後半には「プルーデンス政策」について書かれているが、これは簡単に言うと日本では「護送船団方式」とニュースでは書かれているが、それと同一である。要は行政が経済バランスを維持すべく、バランスシートにおける様々な規制を駆けるというものである。こう考えると一種の経済規制、もしくは「統制された資本主義」というようなもののようであるが、金融破綻した時の救済措置といったセーフティネットを構築する上で重要な政策である。

第5章「世界金融危機における経済政策」
さて世界金融危機である。アメリカなどの国々では様々な経済政策を行ったが、日本だけ取り残されたという論者も多い。アメリカでは金利をゼロに近づかせる、日本の「ゼロ金利政策」のようなものを行い、ある程度まで回復することができた。
実体経済の落ち込みは日本が最悪と言われてきており、ほとんど対策を打たなかったのにはおそらく、バブル崩壊以後行った経済政策の失敗によるトラウマ、保守的な思想などのようなものが挙げられる。
第6章「教訓を生かせるか――3つの政策の新たな課題」
日本には「失われた15年」という教訓がある。それを現在の不況に活かすことができてこそ、経済大国として日本の威信が試されるといっても過言ではない。
現に麻生政権下で様々な経済政策を打ち出しており、その一つとして「定額給付金」が挙げられるが、これについての効果はまだ不明な状態である。経済的には若干上向きとなったのだが、他の要因も挙げられることから雲散霧消になりかねなくなる。「バラマキ」と批判される政策ははたして今の状況にマッチしたのかというのはその評価が返ってくるのはおそらく数年後になることだろう。

金融危機と言われている今日、日本は岐路に立たされているといってもいい。高度経済成長につれて経済大国としてその地位を築き上げてきたのだが、「失われた15年」によりその立場が揺らぎ始め、中国にその座を譲られようとしている。その状況下で日本はどの道を選ぶのか、自らの一票で考えなくてはならない。

お母さん社長が行く!

お母さん社長が行く! (NB Online book) お母さん社長が行く! (NB Online book)
橋本 真由美

日経BP社  2007-04-19
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本書は2〜3年前に掲載されたコラムをまとめた一冊である。
コラム連載・本書発売当時は代表取締役社長として活躍したが、ブックオフグループ創業者の坂本孝氏の不正経理やセクハラ問題の引責辞任により橋本氏は代表権のない取締役会長(CEOも兼ねている)に就いた。現在は「お母さん会長」というわけであるが、本書で紹介されているものと変わりない。
実は本書が発売される前に日経ビジネスのコラムに同所の内容が連載されていたわけであるが、連載当時は私自身就職活動中の時期で情報収集がてら日経ビジネスオンラインを毎日のようにみていた。特に同コラムはお気に入りであり、橋本氏の生涯とブックオフの販売スタイルを築き上げてきた歴史に私は感動したことを今でもはっきりと覚えている。
何度も繰り返すようだが本書はそれを一冊にまとめたものである。
第1章「短大卒・専業主婦の"お母さん”が一部上場企業の社長になりました」
2006年6月に橋本氏は代表取締役社長に就任した。パート出身、短大出という経歴で上場企業の社長に就任するのは異例であり、東証の情報から一気に話題となり、一躍「時の人」となった。しかも当時ブックオフは急進企業の一つとして名を馳せているだけあって、騒ぎは尋常ではなかった。他の例で言ってもアルバイトから社長になった吉野家ディー・アンド・シーの安部修仁がいるくらいである。
第2章「お母さんは、現場を「ちゃんと見ている」んです」
ブックオフはチェーン展開しており、それに準ずる企業の社長というのはなかなか現場を見ることができない、もしくはしないと言うところが多い。しかし橋本氏の根幹としてあるのが「現場」である。パートとしての経験もその土壌としてあるようだ。
本章では初めて店長についた第2号店の話が中心である。そこでは閉店の危機にあった店を現在のスタイルに変貌させ、息を吹き返したという話が書かれている。
第3章「橋本真由美はこうして「生まれ」ました」
著者である橋本氏の生涯が書かれている。短大を卒業してから給食会社、病院と働き、そこで知り合った男性と結婚し、専業主婦になった。ブックオフに入ったのは専業主婦の時で、1枚のチラシがきっかけであった。
第4章「ブックオフ人生、スタート!」
著者は第1号店オープンの時からブックオフに入社した。当時は巷にある古書店のような目利きというのがおらず、現在のようにマニュアルというものが無く、まさに試行錯誤の状態であった。試行錯誤の状態の中第2号店の店長を任されたが、そこで前述のような奇跡が生まれ、現在あるブックオフの販売スタイルが確立した。
第5章「辞表を書いたこと、2回あります」
店長として仕事は上場であった反面、専業主婦としての役割がおろそかになり辞表を出そうとしたことがあった。そのときには当時の社長(ブックオフの創業者である坂本氏)の叱咤で撤回になったのだが、店舗運営などについての反発も少なくなかったという。
第6章「開校!橋本学校」
今度は別の店舗における再建の話である。第2号店とは違った形立ったのだが、ここでは「働く人」のあり方について考えさせられた所である。アルバイト店員のボイコットという危機があったのだが、そこを買い取りや仕事のスタイルを変えていったことで、急激に売り上げを伸ばし、ボイコット組の店員にも浸透していった。この再建が数多くあるチェーン店舗の手本になったという。
第7章「最大の危機を越えて」
順風満帆といえる会社であったのだが、最大の危機というのは存在した。本以外のリユース事業がうまくいかないと言う事態であった。
これについて一つ思い当たる事例が存在する。規模は違うがセブンイレブンの本場であるアメリカのサウスランド社が92年に倒産の危機を迎えていた。石油事業などの経営の多角化が大きな原因であった。そこで日本で行われていたセブンイレブンのスタイルをアメリカで実践をしたことによりわずか3年で黒字転換したというものである。その危機が本章の危機に似ているように思えてならなかった。
その再建のためのエピソードも余すところ無くかかれていたが、働き手である「人」を育てる、また「人」を扱う難しさというのを見せつけられた所であった。
第8章「株式上場への長い道のり」
ブックオフは2004年3月に東証二部に上場し翌年3月に東証一部に鞍替えとなった。
前章のような危機ほどなのかどうかはわからないが、今も蔓延る「数字至上主義」「売上至上主義」というのが企業において、どれだけ悪影響を及ぼしているのかというのが浮き彫りになったところである。私が本書を読んだ中でもっともハラハラしたところであり、上場企業のリスクというのが露呈された所ともいえる。
とはいえ、上場企業が悪いというわけではない。上場企業ともなれば企業が日本の経済界に広く認知され、企業ブランドのイメージアップにもつながる。ほかにもいろいろあるのだが、単純に言うと上場するというのは「ハイリスク・ハイリターン」を受け止めるという意義になると考えられる。
第9章「私の使命、ブックオフの未来」
これまで数多くの武勇伝とエピソードについて書かれてきたわけであるが、本章ではそれを踏まえて、これからどうしていくのかという抱負と、私たちへの提言が書かれている。
本書の帯紙にある「フリーターも、ニートも、主婦も、みんな立派な戦力です。」とある。その言葉を裏付ける理由が本章に書かれている。
ブックオフは古本業界には無くてはならない存在にまで成長を遂げた。その中で独自の現場づくりに奔走をした著者は今も会長という立場でありながら現場にも足を運んでいるという。この現場力については昨年発売されており、FC業界にどのような影響を及ぼすのか楽しみである。

王様の速読術

王様の速読術 王様の速読術
斉藤 英治

ダイヤモンド社  2006-05-12
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サラリーマンは「忙しい」と言われる。日本社会において「忙しい」と言うのは肯定的に扱われており、ワーク・ライフ・バランスと叫ばれている時代であってもまだ「働きたい」という考えの人が多いようである。日本人の特性なのかどうかは考察する余地はあるが、その中でも読書をしたいという人は多い。世の中には数多くの「速読術」が世に出ているが、それをやったからと言って効率的に読めるというわけではなく、「ただ速く読む」になり下がっているものもある。しかし本書は速読でありながらも要領よく読むという所にフォーカスをしている。

第1章「ワシには30分しかないのじゃ!」
明るい国の王様と、暗い国から逃げてきた者との会話が最初にあり、そのあと話のなかから速読術についての解説を行っている。
本は最も効率的に学べるツールである。ただその用途によっては「愉しみ」の一つとしての「読書」というのもあるが、本書では資格勉強や仕事という役割から「実読」という観点で本書は説明している。私は「実読」よりも「楽読」中心であるのだが、資格勉強や職業柄により資料が多いので「実読」も鍛えること必要がある。
本書は効率的な読書を目指している。

第2章「30分で1冊を読破――王様の速読術」
ここから速読術に入るが、本書では30分に1冊読破というペースでどのようなことをやるのかというのを紹介している。速読を3段階に分けており、
1.「プレビュー」…5分
2.「前ページを写真読み」…5分
3.「スキミング手法で読む」…20分
1.は読まないで考える時間にあてるという。2.は確か「フォトリーディング」に近い要素であった。本書の速読術の核となるのは3.であろう。3.は言わば重要な点をじっくりと読むという点で「精読」というものに近いが、限られた時間のなかで読むため、速読をしながらという所では熟読の類には入らないだろう。他にも感想をまとめるといったフィードバックの時間も別に設けられており、何を得たのかというのを考え直す時間もあるため、効率の精度も高まる。

第3章「目的別に速読術を使いこなすコツ」
第2章が全てを網羅できる「王様速読術」の総論編と言うならば、本章は「各論」というべきだろう。
目的別に合わせて、第2章の内容をベースに様々な方法を紹介している。専門書の読み方、視覚勉強のための読書術、幅広い分野の読書術、英字文献の読み方、新聞や雑誌の速読術など目白押しである。

第4章「錬金術でアウトプットしよう」
質のよいインプットの後は「質の良いアウトプット」である。本書ではインプットのみだと速読術として成り立たず、読書だけという自己満足に陥ってしまうからである。そのためにアウトプットの重要性について説いているのが本章である。ただアウトプットとはいっても様々な方法があり、具体的に行動をすることもアウトプットとして挙げられ、さらに書評によって自らの考えを落とし込むというのもまたアウトプットの方法としてある。

第5章「大王様への道」
第2〜4章では実際の速読術を学び、本章ではまとめといったところである。訓練の仕方やアウトプットの方法、速読術を鍛えることによるメリットがふんだんに書かれている。

情報の洪水といわれるほど世の中は情報で氾濫しているといってもいい。本も例外なく日本では1日に200冊もの本が発売され瞬く間に書店から姿を消す。その中で私たちは仕事をするにあたって、勉強するにあたって、これからの人生に向けてどのような情報を得て、どのようにアウトプットしていけばいいのか、最適なインプット・アウトプットはないのかというのを模索することであろう。はっきりと言っておくが、それらに「絶対的な答えは存在しない」。答えは人それぞれ違い、場合によっては複数存在するばかりか、何もないということさえあり得るのである。
本書は実読も兼ねながら資格試験や専門書の勉強法など幅広い読み方について紹介されており、自らの読書の糧の一つとなる。そこから自らカスタマイズしていき、最適な読書術を磨くまでどのくらいかかるのかは自らも分からない。

フーゾク進化論

フーゾク進化論 (平凡社新書) フーゾク進化論 (平凡社新書)
岩永 文夫

平凡社  2009-03
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フーゾクというとソープやデリヘルといったものを想像するだろう。法による数多く規制されている中でフーゾク業界は細々と続いているのも事実である一方、全面的に禁止しようとする人もいる。
ところでフーゾクというのはその国の風土や習わしという意味を持つ「風俗」とは意味が異なっているものの、平安時代からの古典文学からそれに準ずる物があることを考えると、フーゾクと風俗は意味は異なっているがそれに近い物があると思えてならない。
本書はフーゾクの歴史の中から戦後以後のフーゾクについて書かれている。

第一部「戦後フーゾクの誕生――敗戦から赤線廃止まで」
戦後の話にはいる前に戦前・戦中の話も交えてはなすことにする。それに関連している部分も多いからである。
戦前は兵士の性処理として「公娼」が存在した。国営のもので日本人がほとんどだったが、朝鮮人もわずかに含まれていた。今、歴史認識問題の火種の一つとして「従軍慰安婦問題」もこれらのことに関していっていることが多く、国々の感情をみても解決の糸口は皆無に等しい。
この「公娼」は戦後においてもアメリカ軍への慰安婦(RAA)というものが誕生し、国策売春を打ち出した。今となっては国際的にみても顰蹙ものであるが、当時は戦後の混乱もあり、こういった政策を打ち出す以外無いほど困窮していた。ちなみにこれに似た政策が韓国でも1960〜80年代の「キーセン観光」というのがある。ほかにも闇的なフーゾク活動を白昼堂々とやる「パンパン」についても取り上げられている。
この公娼制度は46年に廃止され、代わりにでてきたのが「赤線」である。現代フーゾクの草分け的存在といわれてきたものであり、主に新宿や当時の「吉原」など数多くのの地域で誕生した。当時は「アルサロ(アルバイト・サロン)」、「ステッキガール」、「浮世風呂」、「座ブトン売春」、「ネグリジェサロン」というのがあった。この他にも「青線」や「白線」、「黒線」といったものも存在したが、いずれも1958年の売春禁止法により廃止・消滅してしまった。

第二部「フーゾクの開花と進化――六〇・七〇年代の高度成長」
赤線廃止前後にあった「アルサロ」、「ピンサロ(ピンクサロン)」、「ステッキガール」、「ネグリジェサロン」、それに加えて「トルコ風呂」についてここでは取り上げられている。ちなみに前述の「トルコ風呂」は、この名になったのは1984年末からであり、当時はこう呼ばれていない。当時の名は「浮世風呂」や「温泉サロン」というような名前で売り出しており、本番をやったりするというようなことはいっさい無かった。

第三部「ニューフーゾクの拡大――新風営法以後の新商法」
フーゾクは進化し続けており、ここでは80年代以後のフーゾクについて取り上げられている。80年代初頭には「ノーパン喫茶」というのが大流行し、一躍話題となった。しかし84年の風営法改正により廃止されたが、この他にも現在でも存在するファッションヘルスやイメクラというものも80年代に誕生している。店だけではなく、「テレクラ」が誕生したのも80年代であり、その後は「出会い系サイト」という形で受け継がれている。
80〜90年代はヘルスや交際といった名を打ったものが続々と誕生したのだが、2000年代になると、前述のような「出会い系」といったものが登場している。

フーゾクは数々の法規制をされながらも様々な進化を遂げてきていながら、無粋かもしれないが吉原などの遊郭をさかのぼってみても歴史のある文化と言ってもいいのかもしれない。しかしフーゾクというのは本書で紹介しきれなかった「ラブホテル」などの視野を広げてみるとその幅というのは私たちの想像するものよりも広く、かつ深いものかもしれない。歴史や文化から鑑みてもフーゾクは奥が深い。本書を読んでそう思った。

ルポ 米国発ブログ革命

米国発ブログ革命 ルポ (集英社新書) 米国発ブログ革命 ルポ (集英社新書)
池尾 伸一

集英社  2009-06-17
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日本のブログ人口は約2,000万人と言われ、ブログは日本社会なくして成り立たなくなったと言えるほど過言ではない。しかし日本におけるブログのスタンスは人それぞれあるとはいえ個人的な日記、いわゆる徒然日記といったものが多くなっている。本書はアメリカのブログ界について着目しているが、アメリカにおけるブログのスタンスは日本のそれと違っており、主にニュースなどのコラムといったものが多い。しかもブログ同士の議論が活発であり真の意味で「メディア」として政治的にも影響を及ぼしている。ではアメリカにおいてブログはどのような影響を及ぼしているのかというのをルポルタージュにしたのが本書である。

第一章「台頭する「個人発」メディア」
アメリカではイラク戦争やアメリカ大統領選挙に大きな影響を受けたモノとしてブログが挙げられており、いわゆる「パブリック・ジャーナリズム」が形成された。これはアメリカのみならず中国や日本、韓国など数多くの国々で広まった。
しかし情報統制のある中国では市民記者が続々と逮捕されており、中には終身刑になった記者もいた。中国におけるインターネット革命は広がりを見せており、言論の自由は規制されても、現在の統制と過酷な現状は世界中に流されている。統制された国でも、民主化や自由を目指して果敢に活躍している姿が見て取れ、それが世界にどのような影響を及ぼすのかこれからどうなっていくのか注視したいところである。

第二章「個人発メディアの課題」
個人発のメディアは情報の質によって大きな違いがあり、時には虚偽情報、言わば「デマ」が流れることも多い。今日数多くのニュースが世に出ているのだが、その中でも何十万人の人々がその虚偽に騙されたことに関しても書かれている。
市民ジャーナリズムは既存メディアのしがらみも受けず、情報によってはそれをも凌駕するほど有力かつ衝撃的なものもあるが、虚偽といったものがフィルターにかけられることが少なく、全ては情報を受け取る側に判断を委ねるということが多い。

第三章「のたうつ「恐竜」たち」
ブログは既存メディアのなかでも新聞に関して大きな打撃を受けている。これについては別の文献で日本の新聞の衰退とブログやパブリック・ジャーナリズムについて考察をしているが、アメリカでも同じである。

第四章「つながるジャーナリズムへ」
インターネットにおけるジャーナリズムの利点としては「双方向」である。その双方向のメディアは批判合戦という水かけ論から、ニュースに関する建設的な議論に至るまでピン切りはあるが、これからのニュースは受け取るではなく、そこから何を考えるのか、何を伝えるかというのが課題となり、情報は単なる物々交換ではなくなり、情報の質の向上という連鎖が起こる。

日本においてもブログ・ジャーナリズムはあるが、アメリカほど影響を及ぼすものではない。第一、選挙の時に影響を及ぼすものを流すとなれば「公職選挙法」に抵触する可能性もある。とはいえブログなどのインターネット・メディアの影響力はこの先看過できないものとなるのは確実である。政府はそのインターネットをどのように駆使して、メディアと付き合うことができるのかというのが課題と言える。

日本の農業は成長産業に変えられる

日本の農業は成長産業に変えられる (新書y) 日本の農業は成長産業に変えられる (新書y)
大泉 一貫

洋泉社  2009-06-06
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8月7日の立秋を前に九州や東北と言った所の「梅雨明け」が発表され、大冷害となった93年を除いて観測史上最も遅い「梅雨明け」となった。ちなみに93年は立秋が過ぎても梅雨明けにならず「梅雨明けなし」の地域が多く、各地で豪雨などの被害に遭い数多くの農作物に壊滅的な被害を与えた。とりわけ日本人の主食であるコメは記録的な凶作に見舞われ、タイや中国、インドからコメの輸入に頼る対策を実行せざるを得ない状況までに陥った。今年はこれほどではないにしても、冷夏になることは間違いなく、コメなどの農作物がどれほどの凶作になるのかというのを注視していく必要がある。現にキャベツやレタスなどの野菜が高騰しており、2003年の冷夏に似た状況になっていることは間違いない。少し話がはなれるが、解散総選挙で民主党が政権をとったとしても、自民党の勢いが増したとしても、年金や福祉もさることながら今年の農業政策をどうすべきかというのも課題の一つとして挙げられることだろう。
さて本書の話に移る。冷夏の時期とはいえど日本は安定的に農作物の生産が可能な地帯である。代表格としてコメは冷夏以外の時期でも毎年のように食べられる非常に安定したものである一方で、減反政策や農協における規制などにより生産ができない、さらに言うと就農人口も減少しているといわれている。安定的な気候である日本ではなぜ農業は衰退しているのか、その農業に活路はあるのか本書はこの悲観的な議論に一石を投じつつ、成長産業させるチャンスにあると主張している。

第1章「コメで国際戦略を描け」
日本においてコメは安定的に生産されており、豊作の時は生産過剰となり、一昨年には台湾や中国に輸出し富裕層に人気だというニュースもあった。しかし「100年に1度の恐慌」もあってか最近ではそういった話は聞かない。
日本で最も、かつ安定的に生産できるコメであるが国際戦略上では輸出することはほとんどない。その大きな要因として「関税」にある。日本ではコメを自国で生産をするという観点から関税率は778%もかけられる。そのため外国産のコメは輸出されにくい状況にあるが、日本のコメがいったん輸出するとなるとアメリカやオーストラリア、タイが関税を引き下げて輸入を自由化させるような圧力をかける。日本は輸出していることから飲まざるを得なくなり、安価な外国米が輸入され、日本の食卓、ひいては農業に甚大な影響を及ぼされる。
ここまでは私の考えであるがこれを乗り越えて戦略を立てられるかというのは政治的にも農政的にも極めて難しいと考えられる。

第2章「農業を成長産業にする条件とは」
農業は衰退の一途をたどっているが、衰退しきった中にも大きなチャンスは残されている。最近では農業に関する成功本が続々出始め、それに感化した人が就農をするという人も出てきている。さらに外食などの食品業界でも農業ビジネスに視線を向き始め農業はこれから成長産業の息吹を見せている。
しかしこの農業自体、「法」や「しがらみ」などの高い壁が立ちふさがれている。これについては第5・7章が詳しいためここでは割愛する。

第3章「農業が活性化するビジネスモデルを考える」
日本は「ものつくりの国」と言われて久しいが、そのものつくりの原点に挙げられるのが「農業」としてある。しかし農業は農地法の制定からビジネスモデルという概念が皆無となってしまい、ただ生産をするような状態に陥ってしまった。これもまた農業人口を減少させた要因の一つとされている。
「ビジネスモデル」と言うとビジネススクールで学ぶものであり、農業とは無縁なのではないかと考える人もいるようだが、最近の農業ではこの「ビジネスモデル」が重要な要素になりつつある。

第4章「農業への参入機会を国民全体に聞け」
先にも述べたが最近では農業への関心が高まっており、成功本でも農業関連のモノが出始め、個人での就農にも興味を示す人が増加し、企業においても農業に参入するところが増えたといっていい。企業参入のほとんどが中小企業であるが、大企業や急上昇企業も参入が著しいことから、これから農業はホットなものとなっていくが、

第5章「農地法という企業参入に立ちふさがる高い壁」
ホットになるにつれてこれまで放ったらかしにしていた法が大きな「壁」となって立ちはだかった。それは「農地法」である。この法律は今年の6月に改正され、今年中に施行される見通しであり、ようやく自給率向上に向けて本格的に動き出したのだが、これまでは農業生産を行わなくても自由に農地を借りることができた。そのためある業者が農地を保有し、農作物を生産しないというような状況にもあった。それ以外の違法な利用や転用は罰則が設けられていたが名ばかりのものであり事実上黙認されていたことから参入の障壁となった一つとされている。
それだけではなく家族経営中心、言わば個人経営のみしか許されていないというのももう一つの壁としてあった。

第6章「内向きの農政で衰退する我が国のコメ産業」
農政はこれまで様々な施策をしてきたことであるが、いずれも農業発展につながるものと言えなかった。そればかりか外国からの輸入に依存してしまいいつしか食糧自給率がカロリーベースで40%までに落ち込んでしまった。
国際的には輸入自由化が進み国際的な競争が激しくなっている中、日本だけが国際的な農業戦略が立てられずにいる、さらには前述のようにコメにだけ関税をかける政策を行ってきたばかりに大幅な遅れをとった。農政はこれから進化しなければいけないのだが、日本独特の「族議員」特に「農政族」からの圧力は「道路族」と同じように激しいのが現状であり、これから政治的な施策をどのようにすべきかという見通しが立っていない。

第7章「政治に翻弄されてきた日本の農業」
農業政策は必ずと言ってもいいほど政権公約、言わば「マニフェスト」に挙げられる。まだ各党のマニフェストは拝見していないが、民主党は先ごろの参議院選挙を挙げてみると「バラマキ政策」とも言われるようなものであったことを覚えている。自民党もそれにやや近いものであったのだが、生活や福祉といったものがクローズアップされるが、それ以上に農業や憲法、国防や外交といった政策にも目を向けなければならない。

日本の農業は産業的にはホットなものとなりつつあるが、それを政治はどのように見ていくのか、どのような政策を立てていくのかというのに注目が集まる。これから衆議院総選挙だがその点も含めながら1票を投じたい。

オーケストラの経営学

オーケストラの経営学 オーケストラの経営学
大木 裕子

東洋経済新報社  2008-10-16
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小学5年の時から大学4年まで私の生活のなかで「音楽」は切っても切れないものだった。中学・高校と吹奏楽部に所属し、大学ではオーケストラに所属していたこともある。本書のオーケストラの経営に関しても人づてや文献からではあるが聞いたことがあったためすんなりと理解できる。
良くTVや演奏会で活躍しているオーケストラ、なれない人にとっては「敷居が高い」や「つまらない」という考えの人もいるかもしれない。本書は経営学でありながら、オーケストラの現状も事細かに書かれているため、オーケストラに興味を持っていない人でも、オーケストラとは何ぞやというのが理解でき、それに関して少しでも嗜んでいる人がいたら、オーケストラに関して新発見がある一冊である。

第一楽章「「のだめ効果」はあったのか 業界の特徴と規模」
2・3年前に「のだめカンタービレ」がドラマ化され、オーケストラが人気を吹き返したということがあった。昨今ではアニメ「けいおん!」効果で軽音楽部に所属する人が増えたという話もあれば、10年前にはTBS系ドラマ「L×I×V×E」が放映され、たちまち吹奏楽部の人口が上昇したというのもある。
オーケストラは国などの助成金から成り立っており、財政面では赤字でも運営することができるがこれは第三楽章に詳しく書かれているのでここでは割愛する。
本章ではオーケストラの基礎の基礎と言ったところであり、オーケストラとは一体何なのかというのを教えてくれる。

第二楽章「「音大生」の投資対効果 オーケストラの人々」
プロの演奏者となるには楽器によるが、代表的な例として本章ではヴァイオリン奏者になるまでの費用を紹介している。レッスンの費用、音大の学費、さらには楽器代と合計すると言えが1軒買えるほどの値段になる。ただしレッスンの費用はヴァイオリンばかりではなく、音感や音楽性を磨くためにソルフェージュやピアノも含まれている。
あくまでヴァイオリンを例に出しているが、楽器や音大によって差が出てくる。
レッスンを受けて音大まで進んだからと言ってプロになるとは限らず、稀少なケースではあるが音大を経ずに音楽家になった人もいる。
さらに本章では音楽家の懐や生活事情と言ったものも書かれている。

第三楽章「なぜ赤字なのに存続するのか オーケストラの会計学」
オーケストラは演奏、もっと有名なところで行けば演奏のCDやDVDを発売してその売り上げもある。しかしオーケストラの経営母体は様々であり、企業のスポンサーがついている団体から、地方公共団体の助成によって成り立っている団体、どちらの助成も受けない団体も存在する。
特に助成を受けない団体は最初に書かれているような演奏会やCD・DVDと言ったところしか稼ぎ口がないというのが現状である。当然演奏やレッスンと言ったものを引き受ける件数が増えるため、練習時間も減少、演奏の質が落ちるという悪循環に陥る。

第四楽章「オーケストラの経営戦略 外部マネジメント」
オーケストラと経営の理想、ひいては価値観の接点を探すのは非常に難しく、さらに言うと演奏家と観客の望んでいる者のギャップの差をどのようにして埋めるのかというのが分かるところである。
特に後者は厄介なものであり、観客寄りにして定番の曲、たとえばベートーヴェンの交響曲やドヴォルザークの「新世界」というような曲ばかり取り上げては、楽団としてのヴァリエーションも希薄になり、マンネリも起こる。反面様々な曲にチャレンジをすると、分からない観客が寄り付かなくなりこちらも良くない。
またオーケストラは曲によって演奏するパートの人手不足、もしくは音質の向上を考えてエキストラを補うということもあるため、経営にとっての「人件費」もバカにならない。

第五楽章「識者のリーダーシップ 小澤征爾かカラヤンか」
オーケストラの演奏で最も影響を及ぼすのが指揮者と言われている。日本にも名指揮者はおり、代表的なもので言うと小澤征爾、佐渡裕、西本智実、小林研一郎が挙げられる。
本章ではカラヤン、小澤だけではなく、トスカニーニやフルトヴェングラーも取り上げている。

第六楽章「世界的音楽家はいるのに日本に世界的オケがないわけ 内部マネジメント」
日本には数多くのオーケストラが存在するが、世界的に有名なオーケストラはどこかと言うと確かに答えに窮する。日本で有名なところはいずれも「日本では」有名なのだが、「世界」に目を向けると差ほど有名ではなく、ベルリンフィルやウィーンフィルなど世界をとどろかせる楽団の足元にも及ばないというのが悲しい現状である。ただし小澤征爾をはじめ個人の演奏者・指揮者で世界的に活躍している人は多数いる。
では何が不足しているのか。それはセルフマネジメント力にあると本書では力説している。

オーケストラの現状とオーケストラからみた経営学というのが良くわかる一冊である。オーケストラなどの音楽業界は他の業界とは違い特殊であると考えられるようだが、良く見てみると他の業界と通じている部分も大きいように思えた。

「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!

「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす! 「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!
池田 千恵

マガジンハウス  2009-07-23
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「朝4時起き」は高校3年の一時期に行ったことがある。その時は受験勉強と部活動の両立が非常に難しく、練習が終わってヘトヘトの状態から受験勉強をしていた。商業高校なので普通科の高校よりも教科すべてブランクを持っていたのでそれを埋めるのにも必死であった。その時期があったからでこそか何だか知らないが第1志望の大学も合格して、卒業して今ここにいるという形である。もう6年以上も前の話であるが、この時期は時間的な密度としても非常に濃く、充実したというよりも終わった後の虚脱感は尋常ではなかったことを今でもはっきりと覚えている。
社会人になって4時起きを経験したことは最初の時期はあったが、今となってはプロジェクトも佳境に入ってか毎日終電帰りのためなかなか朝4時に起きるということが難しい。いいわけかもしれないが…。ただ朝早く起きたらその間の時間帯は勉強するもよし、前業するもよしで、しかも割と邪魔にならない。それどころか朝であるために交感神経が活発になるため夜残業するよりも2倍以上の効率が生まれるという話を聞いたことがある。それだけ朝起きと言うのは効果がある。
本書は朝起きのメリットを著者自身の朝起き体験談・成功談を交えながら語ったものである。

Chapter1 「少しでも楽に朝4時起きをするには?」
「朝4時起き」は仕事においても、人生においても理想的であり、物事を考える、段取りをつける、仕事をするにおいてもメリットは大きい。
そう思っていてもなかなか実行に移せないのもこの早起きである。本章では早起き実践法から熟睡法に至るまで網羅している。特に「早起き宣言」はおススメであり、早起きしなければならないという追い込みを作ることが大きな役割を果たしていると思う。

Chapter2 「そもそも私が早起きを始めた理由」
本章では著者が早起きをした理由について書かれている。
著者は大学受験を2度も失敗した。大学を2度失敗するということは自分自身にも精神的な負担を生じ、家族にも経済的な負担は計り知れない。その中で著者は生活を朝型に切り替え、朝のうちに勉強を済ませると行こうことを行ったことによって3度目の正直で合格を果たした。
この体験が社会人のなかで大きな変化を果たした。詳細については本書に任せるとして、「早起きは三文の徳」という誰でも知っている諺がまさに文字通り出ているところである。「早起き」が勉強にも仕事にもどのようなことをもたらしてくれるのかというのが著者の体験という観点から書かれているので、「私でもやってみようかな」という気概になれる。

Chapter3 「朝4時起きで得した時間を仕事に活かす」
ここでも著者の体験談を交えながら、仕事における早起きの活かし方について語っている。
朝の時間で仕事をするというだけではなく、昨日どのようなことが起こり、得たもの・これから活かさなければいけないものをまとめる、今日の仕事をTODO形式にして手帳にまとめるといった仕事術をはじめ、戦略論・ブランディング論まで幅広い。
「朝は最高の自己投資」
その言葉が頭に浮かんだ。

Chapter4 「朝4時起きで最適なワーク・ライフ・バランスを!」
この頃「ワーク・ライフ・バランス」というのが叫ばれている。要は仕事をプライベートを両立しろということである(ものすごく簡単に言えばであるが)。

Chapter5 「ワークとライフを上手に融合させる方法」
ここでは手帳・PCと言った道具を用いて朝の時間を充実にさせる方法を紹介している。特に手帳は仕事やプライベートでの目標や時間管理と言ったことには最適であり、さらにPCを利用することによって時間管理を徹底する。
さらには朝起きをやりやすくするための健康術と言ったものもあるため、より充実とした朝時間の使い方というのを紹介している。簡単に言えば朝時間利用法の応用編と言ったところであろう。

著者とはセミナーや交流会で2・3回お会いしたことがあり、著者が主催される「ゴクゴクの日」のイベントにも参加したことがある。著者は朝時間を利用したことによって仕事をこなしながらイベント主催など多方面で活躍できている。
「早起きの賜物ここにあり」
本書を読んでそう思った。

奇跡を起こした村のはなし

奇跡を起こした村のはなし (ちくまプリマー新書) 奇跡を起こした村のはなし (ちくまプリマー新書)
吉岡 忍

筑摩書房  2005-03
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昨今の地域格差により、街の至る所で「シャッター街」というのができている。「シャッター街」というのはかつて商店街で賑わいを見せていたのだが、急速な過疎化、地域住民の老齢化に伴い閉店が続出したことによってできてきた。私の地元の旭川市でもちらほら出あるがシャッターが下ろされているところが出始めた。また大学時代住んでいた小樽でもある商店街では文字通り「シャッター街」となってしまった所もある。この光景を見ると地方は元気がなくなっているように思えてならない。
そんな中本書で紹介されているのはある奇跡を起こした村を紹介している。豪雪や水害や過疎というような苦難が続いた中で農業を観光の中心地として息を吹き返した。その村とは新潟県北東部に位置し、山形県の県境に近い「黒川村」である。

1.「山あいの宿命」
この新潟県黒川村は2005年9月1日に市町村合併により「新潟県胎内市」となった。観光としては黒川村から引き継ぎ観光名所の開発が進められており、パラグライダーも名物の一つとして数えられている。自然に満ちた山あいの村であるが、中越地方で山村であるが故の宿命、それは「豪雪」であった。冬の時期は数メートルにも及ぶ雪が積もり、出稼ぎにも行けないほどにまでなったという。
その中でも冬を利用した観光を試行錯誤で見つける姿があった。

2.「村が流された!」
村が流されたと言われても想像できないのだが、1966〜67年の2年間集中豪雨に見舞われ河川が増水し、大洪水となった。新潟の名産の代表格に挙げられるコメもこの洪水で壊滅的な打撃を受けるほどであった。水害対策や復興に追われる日々でありながらも、村の発展にも尽力した。

3.「豊かさの意味」
「豊かさ」というのはつくづく思うのだが、高度経済成長期には「モノの豊かさ」が急速に進んだ時期であった。しかし首都圏では急速に発展したが、今日の「格差」というわけではないのだが、当時も地方と首都圏の差は激しく、観光事業、言わば「ハコモノ行政」のはじまりとなった。当時は観光名所や泊まり場も多く自然と戯れることを渇望していたのかどうかわからないが、この行政により当時の地方も首都圏の差を埋めることができ、活気づいていった時期でもあった。

4.「「魔物」から村を守る」
数々の箱モノ、すなわちリゾートホテルを乱立したことで当初は財政的にも潤った。その中でも村の戦いというのは続いていた。さてそれは何の戦いなのかというのが気になるところである。それは「地域振興補助金」の申請と用途に関して、国との駆け引き・サバイバルゲームがあったという。
現在でも地方行政が困窮している時代に、補助金引き下げへの抵抗というのを見せている地方自治体も少なくないところを考えると、「国  Vs 地方」という構図は今も昔も同じであると言える。

5.「本物をつくりたい!」
そんな裕福な時代もバブル崩壊とともに崩れ続けていった。言わば「失われた10年」のなかで多くのリゾートホテルは閉鎖され、地方は急速な過疎化に喘いでいった。その中でも奮闘は続き、リゾートから畜産や農業に観光をシフトしていっている。文字通り「試行錯誤」と言わんばかりにあれこれと様々なものを試して行った。

6.「このあとをだれが継ぐのか」
不況の波のなかでも安定した活気を見せた時、高度経済成長以降ずっと村長の座に座り続けた人は「後継者」というのを考えなくてはならなくなった。村の観光事業を維持しながらも発展に尽力できる尊重を探していた矢先、最初にも書いたのだが市町村合併により、黒川村は長い歴史に幕を下ろした。しかし村ならではの観光事業は現在も続いており、黒川村があったという名残は今もまだ残っている。

過疎化しており、疲弊状態にある地方の市町村。その中でも自身の村の特徴を生かしながら観光を手掛け、息を吹き返した記録がここにあるように思えてならない。財政的にも危機的状況にある市町村、もしくは都道府県と言うのは少なくなく、そういったことをやろうにもできないというのが実情である。その時だからでこそ、緊縮と言うよりも「ならでは」の事業を推し進めるべきではないだろうか。

考えるということ

よく職場で「考えろ」なんれよく言われます。

「考える」というのは良いことだと思いますが、ではどのようにして考えるのかというのが私のなかでは肝心なことだとおもいます。
机の上ウンウン唸りながら考えるのはあまり好ましくありません。

なるべくなら仕事をしながら、体を動かしながら考えるというのがいいとおもっております。

ただ人それぞれスタイルがあるので一概にこれがいいとはいえませんが。

災害社会

災害社会 (学術選書) 災害社会 (学術選書)
川崎 一朗

京都大学学術出版会  2009-04
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今年は冷夏が予想される今日この頃、昨月には梅雨前線の影響により福岡・山口では土砂崩れなどで甚大な被害が出た。これから暑くなるかどうかわからないが、そうこうしているうちに台風もやってくる季節が近づいてくる。梅雨に猛暑に台風にとモンスーンのなかにある日本の季節は目まぐるしい。それと同時に1年中どこかで自然災害と言うのが起こる。あたかも「あたりまえ」であるかのように。
数多くの災害のなかから地震に関して地質的な観点から考察を行っている。地震と言うと21世紀に入ってから多いように思える、新潟県中越地震をはじめ様々な場所で震度5強以上の大地震が数多く起こっている。隣国の中国でも昨年は四川大地震により多数の死者を出したことをは記憶に新しい。

第1章「意外な場所を大地震が直撃する」
昨今は東海や首都圏の地震を予知することが多いが、結構これが当たらず東北や九州、新潟と言った所に大地震が起こっている。中国・四川もほとんどノーガードと言うに等しく意外なところで地震が直撃をするといっても過言ではない。
自身ではないのだが、一昨年か3年前あたりにオホーツク海側で竜巻が発生したということも起こっている。全国各地安全なところがない、むしろ何処へ行っても危険なところというのは同じである。

第2章「海溝型地震の危険因子が社会の脆弱性に出会う場所」
地震と言うといろいろなパターンがあるが、良く知られているのが海溝型地震である。大地のプレートの歪みが反動になって大地に揺れを起こすというものである。とりわけプレートの多く交わっている日本の太平洋側が今後自身の確立が著しく高い理由はそこにある。

第3章「内陸型地震リスクを実感する」
日本が地震の多い国の理由としてもう一つ挙げられるのが火山である。富士山をはじめ日本では数多くの火山が存在する。中には桜島や三宅島と言った活火山も目立っており、そこから来る火山性地震は特に内陸側で起こる。

第4章「断層直上の地震動と第四期軟弱堆積層による長周期地震動」
自身でよく出てくるものは「断層」という地面が隆起したりして出てくるものである。断層としてもう一つ「クレパス」という地の裂け目というのもある。

第5章「沖積平野の大都市の脆弱性」
大都市のリスクと言うのは本書でも例外なく大きいと警告している。プレートに囲まれているだけではなく、人口も膨大であることから非難するいわば「逃げ場」というのがあっという間に満杯になり、逃げ遅れ、多くの死者を出してしまうという最悪のシナリオも容易に想像できる。

第6章「地震リスクの先送り――超高層ビルの乱立」
第7章「超高層ビル社会への提案」
そのようなリスクを増幅している一つとして「超高層ビル」の乱立にあるという。ちょうど数年前に新潮社新書で「高層難民」というのが話題となったのだが、最近では耐震構造になり始めたせいか、高層ビルが崩壊するというリスクは若干減った。ただ、若干減ったというだけで完全になくなったわけではないのでリスクが高いというのは変わりない。
「高僧難民」にも書かれていたがいったん地震が起こると、階段で上り下りするだけでも一苦労であり、場合によっては使えないことがある。エレベーターやエスカレーターはいったん地震が起こると使えなくなるので頼りにはならない。また救助の目もあまり届かないことから高層ビルと言うのはなかなか救助の目が行きとどきにくいというリスクも生じる。

第8章「災害脆弱性としての格差社会」
「社会的格差」というのは経済的なものばかりではなく、地方・都市と言った格差というのにもつかわれる。本章ではどちらかと言うと「後者」であろう都市圏の自身のリスクが高くなった理由は経済成長により高層ビル化が進んだ、もっと突き詰めていくと一極集中というのが大きく起因している。

第9章「次の東南海・南海地震に備える社会を作るために」
自身の可能性が高いが、なかなかそういった地震が来ることはない。ただ「万が一」というのがあるためその時にはどう備えたらいいのか。社会の観点からばかりではなく「衣」「食」「住」に至るまで学術的な観点からアドバイスをしているところである。

地震に限らず様々な災害は科学的な見地を超えて予想外のところで起こり得る。動物や自然によっての方がむしろ正確であるという声も根強いほどである。科学はだんだん進化しているとはいっても、予測しきれないものがあるためやはり自然の猛威と言うのは恐ろしい限りである。
本書は学術的な考察から災害を観た一冊であるが、災害のことについて知りたいばかりではなく知った上でどう考えるか、どう備えるかというのも学術的な範疇を超えて必要なことである。

「ビジネス書」のトリセツ

「ビジネス書」のトリセツ 「ビジネス書」のトリセツ
水野俊哉

徳間書店  2009-08-01
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年間1,000冊ものビジネス書を読破している水野氏の真骨頂と言える一冊である。
思えば勝間和代氏らの活躍により、ビジネス書の価値というのが急上昇した。今となってはビジネス書著者だけでも数多くおり、毎日400冊出版される出版業界のなかで明らかにビジネス書のウェイトというのは広がりを見せているといっていいだろう。
それに伴ってビジネス書を書評をする「ビジネス書評家」も誕生し始め土井英司氏小飼弾氏聖幸氏smooth氏鹿田尚樹氏といった大看板も存在するほどにまでなった。ちなみに私はビジネス書用専門ではなくジャンルの問わない、悪くいえば「雑種」の書評家であるが。
さて年間1,000冊読まれている水野氏が考えるビジネス書の「仕組み」というのは一体何なのかというのを本書とともに解き明かして行こうと思う。

Part1「ビジネス書にダマされるな!」
ビジネス書といっても仕事術から人脈術、時間管理術、ノート術に至るまで数多く存在する。しかしそのビジネス書は読みやすさに定評がある反面、その後の実践により価値が大きく違ってくるという難点がある。私がよく読む理論書と違う点はそこにある。理論は実践と対語を成しており、理論と実践の差というのは明らかに大きく、理論を学んだからと言って、実践の場で使えるかというと使えるものもあるのだが、大概は実践の場において使用できないことが多い。
しかしビジネス書はれっきとした実践書であるため読了後の実践が前提となる。
昨今は数多くのビジネス書が世に出ているがそれを効率よく選ぶために書評ブログを使用することを著者は推奨しており、昨年末に話題となった「書評ブロガーマトリックス(本書にも掲載)」にあるとおり、どのようなビジネス書評ブログがお勧めかというのも紹介している。

Part2「ビジネス書が200%身につく読書術」
本章に入る前に各章には4コマ漫画が掲載されているが、大人気書評ブログ「Joshiben(女子勉)―働く女性のためのビジネス書の書評ブログ」でおなじみの勉子さんが描かれたものである。勉子さんにとって書籍デビューであり、今後の活躍が楽しみである。
さて本章の話に戻るがビジネス読書術というのを紹介している。最初にも書いたとおり年間1,000冊読まれているということは読み方にも何か特徴がある、もしくは速読術があるのではと考える人も多いことだろう。本章では著者自身の読書方法についても紹介されているが、それだけではなくブログや仕事における実践や勉強会やセミナーといった所まで紹介している。

Part3「隠れたサインを見抜く「裏読み」術」
読書といっても本の内容全部を読むことではなく「まえがき」「あとがき」「目次」に着目した読書の方法もある。本章では「まえがき」と「目次」に表れている「隠れたサイン」を見破る術を伝授している。

Part4「ビジネス書10大著者の「ここか読み所」」
ビジネス著者は昨今増加しているが、その中でも代表的な著者10名を挙げ、その人たちの特徴を本章では考察を行っている。
今話題となっている勝間和代氏をはじめ、「レバレッジ〜」でおなじみの本田直之氏(ちなみに奥様の田島弓子氏も「ワークライフ・アンバランスの仕事術」を出している)、元祖「Hacks!」の小山龍介・原尻淳一両氏、フォトリーディング・マインドマップの立役者、さらには営業術で名を馳せる神田昌典氏、「さおだけ屋」「女子大生会計士」の山田真哉氏、ブログでも著書でも大活躍の小飼弾氏などそうそうたる顔ぶれである。
著書の特徴のほかに似顔絵も掲載されているのだが、これは誰が描いたのだろうか、素朴な疑問である。

Part5「ベストセラー・ビジネス書「書き方」の法則」
ビジネス書の書き方についてである。これからビジネス書を書きたい方であればお勧めと言えるところであり、水野氏自身今月から全6回にわたって「ベストセラー・ビジネス書がすらすら書けるセミナー」が行われるがそれの意気込みも兼ねてか、そのための教科書的な役割を担っているのかというのはセミナーに行ってみないと分からないかもしれない。

Part6「TPO別必読ビジネス書はこれだ!」
様々な用途に合わせたお勧めビジネス書を紹介しているだけではなく、ビジネス書の系譜からマトリックスに至るまでビジネス書、ビジネス著者の傾向まで綿密に分析されている。

昨今ビジネス書が氾濫をしているといってもいいほど数多く出版されている。それだけビジネスに関して悩み多いといわれている表れなのかもしれない一方で、藁にも縋る思いでビジネス書を手当たり次第で手に取る人もいる。
本書はそんな人にならないようにどのように読めばいいのか、どの本を手に取ったらいいのかという道標を教えてくれる。これからビジネス書を読みたいけれども何を読んでいったらいいのかわからない、喩えて言うとビジネス書という洞窟の中で松明の役割を担っているのが本書であろう。本書は今氾濫しているビジネス書をどのように観たら、そして選んだらいいのかということを分かりやすく教えてくれる道標となる一冊である。

吉本隆明 全マンガ論―表現としてのマンガ・アニメ

吉本隆明 全マンガ論―表現としてのマンガ・アニメ 吉本隆明 全マンガ論―表現としてのマンガ・アニメ
吉本 隆明

小学館クリエイティブ  2009-06
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「戦後思想界の巨人」と言われる吉本隆明氏が初めてマンガやアニメについて語った一冊である。
マンガやアニメというのは単なるサブカルチャーという観点から見る人が多いが、それを思想や哲学の観点から考察を行ってみたらどのようになるのかというのは楽しみである一方、アニメや漫画を突き詰めると必ずと言ってもいいほど哲学に直結するのかもしれない。吉本氏がアニメ・マンガをどのように斬っていくのか楽しみである。

第Ⅰ部「作品論」
作品は主に手塚治虫、「沈黙の艦隊」「サザエさん」、「AKIRA」やスタジオジブリ作品、「さらば宇宙戦艦ヤマト」が主に挙げられている。挙げられているもののほとんどがメジャーに出ており、かなりの人気を博したものばかりである。思想の観点からマンガを観ることもあるが、最初の手塚氏の作品では吉本氏自身の半生を回想しながら評論を行っている。手塚治虫が世に出始めたのは戦後間もなくしてのことであることを考えると、吉本氏は学び盛りのころであるが、手塚作品に関して最も愛着のあるように思えたのは、その時学術の傍ら子育てをしていたところにあったからだという。子どもたちに人気のあった「鉄腕アトム」や「リボンの騎士」などを代表されるように、著者にとっても縁があるように思えてならない。縁と言うと「サザエさん」もその一つなのかもしれない。「サザエさん」は長らく朝日新聞などで約28年間も連載を行ったとしても知られる。今では人気長寿アニメとして知られている。なお吉本氏はマンガの観点から考察を行っている。

第Ⅱ部「原理論」
本書のなかで最も難しいといってもいいところである。というのは吉本氏のホームグラウンドである哲学・思想というものが如実に出ているからである。
ここで紹介されている論術は大きく分けて3つで、「縮合論」「語相論」「パラ・イメージ論」である。
「縮合論」の「縮合」というのは哲学的にはこの言葉は存在せず、化学用語(縮合反応)からきており、それを哲学や思想に置き換えたものと言える。著者は東京工大出身であり、理系から思想界に飛び込んでいる足跡があることから、この言葉を利用することが可能になったのであろう。
「語相論」は「言葉(語)」と絵との「相性(相)」と言うべきなのかというと考えに窮するが絵から発せられるマンガでいう「吹き出し」から描き出される言葉に関しての考察をひとくくりにしてまとめたものであろう。マンガと言うと画ばかりが注目され、内容やその人物から発せられる言葉の深層についてあまり見ない論者が多いが、この吹きだしから出てくる言葉とそこから出てくる背景の画は作品によるが不思議な関係を持っている。それは言葉では言い表すことができず、マンガを読んでいる中でしかそのことは分かり得ない。
「パラ・イメージ論」は文章をもとにして図や画をイメージできるかということについて考察を行ったものであり、言葉を図にすることができるのか、そしてそれが正しいのか間違っているのかということについて考察を行っている。一見漫画とは関係がないように思えるのだが、画と言葉の両方を使う漫画ではこういった「パラ・イメージ」というのはつきまとっているといっても過言ではない。

第Ⅲ部「対談」
今度は吉本氏本人が様々な漫画家・原作者と対談を行ったものである。
主に少女漫画(萩尾望都)、アニメーション(りんたろう)、読書論(中沢新一)、ガンダム・イデオン(小川徹)、そして昨今話題となっているエヴァンゲリオン(大塚英志)の5つである。
少女漫画については先月あたりに取り上げたので割愛するとして、特に注目なのがガンダムとエヴァンゲリオンである。「ガンダム」においては「ロボット」と「人間」との狭間についてなど、「ロボット論」と言うべき対談であった。
さて「エヴァンゲリオン」である。
「エヴァンゲリオン」のアニメは劇場版でもいくつかあり、現在でも上映されている。戦闘やそれぞれのキャラクターの人間性というのがあるが、とりわけそれぞれのキャラクターの心情というのが如実に表れながらも「人間」や「心」と言った哲学的な観点から論じられることが多い。
この対談ではエヴァンゲリオンばかりではなく村上春樹や宮台真司に関しても言及している。

専ら漫画についての評論が多かったものの、マンガ・アニメに関して吉本氏ならではの切り口と言うのが斬新であった一方で、吉本氏は数多くの著書を出版されているが、それらの作品を見ないと理解できない個所もいくつかある。「戦後思想の巨人」の考察を評するのは生半可な学びや気持ちではできないと痛感したが、マンガやアニメに関して新たな切り口を学べただけでも収穫と言ったもいいかもしれない。

戦うことを忘れた国家

戦うことを忘れた国家 (角川oneテーマ21) 戦うことを忘れた国家 (角川oneテーマ21)
黒野 耐

角川グループパブリッシング  2008-07-10
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日本の安全保障として代表的なものと言えば「自衛隊」である。軍事力はそこそこあるものの、憲法9条では交戦権も認められず、先制攻撃も許されていない。「憲法9条」の足枷がここにある。
自衛隊があると必ずと言ってもいいほど「軍隊だ」と主張する人も多く、憲法9条を標榜して自衛隊解散をと主張する人もいることだろう(どの政党とは言わないが)。さらに悲しいことに自衛隊が弱くてもアメリカ軍の傘があるのだからという人もいるのだが、中国などのアジア諸国の監視の役割もあるため必ずしも日本を守るというわけではない。いざというときに日本の防衛力というのが大事になるだけではなく、住みよい日本にするためには防衛力も大事になってくる。本書は日本の軍事力の衰弱を嘆きながらも、安全保障の重要性について書かれている。

第一章「国家が戦わなければならない場合」
戦後60年以上横たわっているのは何も戦後補償のことばかりではなく、北方領土・竹島・尖閣諸島の領土問題が横たわっている。戦後補償に限ったことでもなく、捕鯨問題や条約、外交に至るまで、「武器を使わない戦い」というのは必ずある。
いわゆる「駆け引き」というものである。

第二章「なぜに戦うことを忘れたのか」
「戦う」と言うと本書は安全保障に関する一冊であるため、軍事において「戦う」という定義に戻す。日本は敗戦後、GHQにより軍は解体され、日本国憲法によって軍備が認められなくなった。しかし1950年の朝鮮戦争により、GHQの意見は覆され、軍備をするように命令された。当時の吉田茂首相は憲法解釈を展開することによって警察予備隊(後の自衛隊)を創設することとなった。文字通り自衛のための舞台であり、武力もそこそこあるのだが、役割はほとんど自衛のためというよりも災害派遣と言ったことの方が多いようである。最近はイラク戦争での後方支援や海賊船での後方支援といった役割を果たしているが、国際的に見たらどのように評価されているのか気になるところである。

第三章「惰眠と覚醒の間」
かつて中国大陸(当時は「清王朝」)は「眠れる獅子」と言われていた。しかし阿片戦争や日中戦争によって眠りは続き、経済的に成長し始めてからその獅子は目覚め始めたといってもいいのかもしれない。これからの経済や政治、軍事にかかわるものまでとあらゆる国際問題は中国なくして語られなくなるほど強大な力を得ることになった。
本章では「惰眠と覚醒」というのを考えると中国のことについて書かずにはいられなくなるが、日本の軍事に関しても同じことが言えるのかもしれない。

第四章「戦える国家に脱皮するには」
戦える国家になるためには…と言うと「軍備を拡張する」というのもあるが、それ以前に憲法改正も必要になる。それに伴って、これから衆議院総選挙がおこなわれるが、いい加減に考えずこれから日本はどうあるべきかというのを国民一人ひとりが考えながら投票を行わなければならない。そうでもしないと「経済は一流、政治は二流、国民は三流」という呪縛のままになる。それを脱却するためにも自ら日本を変えるという意識を持つことが今回ための選挙でも日本の未来でも試されることだろう。

安全保障について書かれたものであるが、福祉や税と言った生活に関連するところが浮き彫りとなっているが、それ以上に必要なのは国としてどのような道をたどればよいのかという思想と、そして国を守るための「国防」、そして国際的にも有利にするための「外交」である。
何度も言うが今度の選挙は政権交代や生活と言ったものがフィーチャーされているが、どの道選ぶのは私たちであることを忘れてはならない。

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