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バクチと自治体

バクチと自治体 (集英社新書 495H) バクチと自治体 (集英社新書 495H)
三好 円

集英社  2009-05-15
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公営ギャンブルと言うと、競馬競輪競艇といったものがあげられる。これらが本格的に公営のギャンブルとなったのは戦後のことであり、それから60年以上たつ計算になる。しかしその公営ギャンブルであるが、自治体の財政圧迫により、撤退を余儀なくされているところも少なくなく、私が知っているもので言ったら北海道の「ばんえい競馬」や「ホッカイドウ競馬」というのが相次いで縮小されている。「ばんえい競馬」は現在帯広しか開催しておらず、「ホッカイドウ競馬」は札幌と門別でしか開催されなくなった。
出身地のことあって、北海道しか例は出していないが、地方はこういった財政圧迫もあってか公営ギャンブルも例外なく縮小傾向になっているところは少なくないのかもしれない。本書はこれらの現状ばかりでなく、前述の公営ギャンブルの歴史とこれからについて書かれている。

第一章「競馬場が消えた」
最初に書いた北海道に関するばかりではなく、本章では北関東、おもに群馬の公営ギャンブルの窮状について書かれている。それについて最も象徴的に書かれていたのが「高崎競馬場」である。高崎競馬場は1934年に建てられたものであった。そのことを考えると競馬の文化は戦前、もっと言うと明治時代のころからあったと推測できる。競馬の歴史に関する文献は読んだことはないのだが、1862年、幕末のころにイギリスから取り入れられ、主に外国人居住地で行われるようになったという。1858年日米修好通商条約によって開国を果たし、西洋文化を数多く取り入れられたものの一つとして「競馬」というのが出てきていることが窺える。

第二章「戦後復興と公営ギャンブルの誕生」
しかしその当時の競馬は「ギャンブル」としてではなく楽しみ・スポーツとしてという要素が強かったように思える。では「公営ギャンブル」としての競馬はいつはじまったのだろうか。
日本中央競馬会(JRA)が設立した時の経緯に沿っていくと1923年、「(旧)競馬法」が制定され「公営ギャンブル」が認められた時にできたという。この時から全国に競馬倶楽部ができ、規模も大きくなった矢先、日中戦争、第二次世界大戦、大東亜戦争によって中止を余儀なくされた。戦後GHQによる焚書などの大規模な検閲や秘密裏での取り締まりが行われた。競馬も独禁法に抵触する可能性から検閲対象になるのではないかと指摘されたが、結局指摘されずに乗り切った。
そして戦後、地方競馬や、競輪、競艇が続々と誕生し、「公営ギャンブル」は急激な成長を始める。しかしそれと同時に猛烈な逆風にさらされることになった。

第三章「猛烈な逆風」
猛烈な逆風の一つとして挙げられるのは「八百長」であるが、それ以上にさらされたのは競輪界での「四大暴動事件」。1950年に起こった鳴尾事件を皮切りに、1959年に松戸事件、1960年の西武園事件、1968年の川崎事件があげられている。特に本章では鳴尾事件を中心に取り上げられているが、中でも最も規模の大きい暴動事件として取り上げられていた。当時競輪は爆発的な人気を呼び、所得税における控除率も低いことが人気沸騰の助力となった。しかし競輪をはじめとした自転車競技の認知度は当時、著しく低く競馬のように性能や力勝負といった考えを持つ人が大勢だった。しかし競輪はスタート後の位置関係や風圧、最終周の追い上げといったテクニックや戦略の要素が競馬よりもウェイトが占められており、当時では理解できなかったとされている(競馬も現在ではそれに似たような傾向にあるが、競輪が始まってからそうなったのだろうか)。
1950年の鳴尾事件は本名選手がアクシデントによりレース途中でリタイアとなった。観客はレースに納得せず、暴動と化した。鎮圧のために警官が動いたのだがこれでは足りず米軍のMPまでも駆けつけるようになり、死者も出るほどの惨劇となった。以後3カ月もの自粛となり、国会でも競輪廃止論が急浮上したほどであった。ここでは国庫納付金や自治体の管轄と言った公営ギャンブルの在り方でひと悶着があったのだがどの競技も存続という形となった。

第四章「東京都の撤退」
もともと東京都も公営ギャンブルに関しては積極的で、4つのレースすべて主催していたことがあった。ところが1969年いくつかの理由から東京都は事業を撤退すると美濃部亮吉東京都知事(当時)が表明した。その理由の一つには前章で紹介した「鳴尾事件」の名残が残っているように思える。その火種は競輪のみならず競馬や競艇にも広がった。特に競艇では1969年に八百長疑惑がかけられたが、事件の方向がプロ野球界にまでおよび、やがて戦後プロ野球界最大の事件となった「黒い霧事件」にまで発展した。
1972・73年には大井競馬場で不正事件や暴動事件が起こるなど当時の公営ギャンブル業界は暴力団も加担する「悪」というイメージがぬぐえず、公営ギャンブルに関してあまり快く思っていなかった人にとってはそのトラウマが30年以上たった今でも残っている。
しかしその一方でハイセイコーと言ったスター馬が誕生した時でもあった。

第五章「公営ギャンブルはどこに行く」
公営ギャンブルは光と陰の両方を持っているように思える。光と言うと中央競馬、良くTV番組でも定期的に組まれるものが多く、有名な馬は凱旋門賞などの海外のレースに参加する機会が多くなり、ウォッカやすでに引退したが、ディープインパクトなどの優秀な馬がスポットライトを集め、多額の賞金と栄誉に浸ることができた。
陰の部分はと言うとこれは地方競馬や競輪、競艇と言いざるを得ない。公営ギャンブルは全体的に売上高は減少の一途をたどっているが中でも割を食っているのが上記の3つである。大きな理由としては競馬場や競輪場と言った所の撤退という影響が大きい。

公営ギャンブルは今も人気は下り坂の一途をたどっている。その一方で競馬の魅力について書かれたものも続々登場しており、これからこの人気を再燃していけばいいのかというのが公営ギャンブルにかかわるどの世界でも大きな課題の一つとして挙げられる。

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