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2009年7月

読書をすること

最近、書評が追いつかなくなっていきました。

ただ読書は続けています。
こういう状態になるまでは今まで書評をたくさんやっていきましたが、なぜ数多く取り上げてきたのか。

それについては後ほど。

(8/1 2:20追記)

これは書評の記事でもセミナー後の懇親会や交流会でも言っていましたが、当初私は「書く」ということに抵抗がありました。

特に作文やレポートと言ったものが大嫌いで、誰かのために「書く」ということが自分自身でも恥ずかしくて、ただ「苦しみ」にしか思えなかったのです。

しかし、

就職活動の時に読書をはじめ、それから備忘録として書評を始めたとき、文章を書く考え方が変わりました。

今は、書評をすることが自分自身の文章表現を磨く手段として、そして愉しみとなっています。

「書評」は備忘録という考えは書評を続けて約2年半たった今でもそれは残っています。しかし、それだけではなく、自己成長や文章力を磨く、表現を磨くというツールとしての役割もあるのかもしれません。

「自分自身、文章によってありのまま表現したい」

書評や様々な記事を書くときにそう思って日々書いています。

ただ、最近はプロジェクトが佳境に入ってきたため、あまり書けない状況に陥ってしまいました。

その中で読書は欠かしていません。

ではなぜ読書を続けているのか。

「知るを楽しむ」

というのがあるのではないかなと思います。

読書をすることによって多くの「学び」ができます。

それを成長するために実践をする、もしくはそれに日もづく文献を読んで違った角度から物事を観る。それが連なってもっともっと知りたくなる。

その循環によって読書が面白くなっていく。

読書は最も効率的に多くのことを学べるツールです。それが昨今「読書術」というのが数多く出てきた所以なのかもしれません。

ただ、私の読書はほとんど「楽読」という要素が強いです。「実読」は否定する気もなく、むしろ奨励することもありますが、私はあまりやりたくないというのが本音です。

仕事に直結することだけ読めばいいという読書は私の性に合わないからです。というのは、私自身、「読書をすることを愉しむ」ことと考えていることにあります。

愉しめるからでこそ、読書を続けられる。私が読書を続けられる理由はここにあります。

ルノー次戦出場停止にBMWザウバー撤退に

ハンガリーGPが終わったのにもかかわらず今週はビックなニュースが目白押しです。

まずは…、

「ルノーに次戦出走停止のペナルティ」

ルノーF1チームは、ヨーロッパGPへの出走停止をハンガリーGPのレーススチュワードから言い渡された。このペナルティは、ハンガリーGP決勝でフェルナンド・アロンソの右フロントタイヤがしっかりと装着されていなかったことにより科された(GPUpdate.netより一部抜粋)。

アロンソが第2スティントの時(1回目のピットストップ終了後の走行)、右フロントタイヤが外れ、リタイアしたというのが、ペナルティとなり、次戦出場停止となったそうです。

ライコネンの審議もあったのですが、こちらはお咎めなしだったのに対し、ルノーの処分は予想外でした。しかも次戦はアロンソの故郷スペイン・ヴァレンシア。スペインのアロンソファンにとっては残念という声が多そうです。

残念と言えば、次のニュースは衝撃的です。

「BMW 今シーズン限りでF1撤退」

BMWは水曜日の午前に本拠地のあるミュンヘンで緊急記者会見を開き、2009年シーズンを最後にF1から撤退することを発表した(同サイトより一部抜粋)。

本当に残念です。昨年はカナダで初優勝を遂げ、マクラーレンのペナルティに助けられながらもコンストラクターズ2位にまでのし上がってきたチームで、コンストラクターズタイトルもあともう少し手が届くというのにこの事態。

しかもハイドフェルドは連続完走記録も続いていて、どこまで記録を伸ばすのかというのも注目されており、クビサは今期は不調だけれども、昨シーズンの活躍もあり、ワールドチャンピオンも夢ではないという所まで近付いた矢先でした。

突然の発表なだけにハイドフェルドをはじめ関係者は衝撃を隠せません。企業の都合というのも致し方ありませんが、それを考えてしまうと昨年のホンダを思い出させてしまいます。それに連なって、WRCではスズキとスバルが撤退するという事態になっただけにこれからどうなっていくのかというのも気にかかります。

これから両ドライバーはどうなっていくのか、そして「ザウバー」の名を冠したチームは消滅してしまうのかという所にも注目が集まります。

暑さに負けるな

「蔵前トラックⅡ」の語源ともなった四代目鈴々舎馬風の演目です。

詳しい話は後ほど。

(7/30 1:22追記)

こちらにあります。

http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/55683488.html

数多くの「時事落語」をかけたといわれていますが、ある種漫談という感じでした。

客いじり、時事に関しての毒舌は凄いものですね。

仕事の多い今日この頃

ようやく仕事が終わりました。

・・・なんかヒウィッヒヒーみたいだ。

(7/28 1:00追記)

と、ここまでが携帯での投稿です。あまり慣れていないもので、短文しか書けませんでした(汗)。

実のことを言うと、現在のプロジェクトが佳境に入り、あまりにも仕事が舞い込んできているため、かねてから「(書評などのブログ更新を)縮小するかもしれません」と言っていました(確かmixiでも、当ブログでもいってたかもしれません)。

そのため当ブログはしばらくの間、書評は1日1冊、もしくは取り上げない日もあるということをご承知置きください。

もし取り上げないとなったら、かねてから溜まっていた徒然事を順次上げていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

P.S. 流行ものに乗らない私もTwitter始めました。

http://twitter.com/kuramae

あまり書くことはないのですが、ぜひ覗いてください。

大人のための日本の名著 必読書50

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木原 武一

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読書とはいいものである。ときには新しい学びを得ることができるだけではなく、読めば読むほど本の内容に対して自分がどう考えたのかという思考の塊になるのだから。特に名著はそれを何倍にも引き立たせてくれる。名著、日本の名著と言うと数多くあるが、本書はその中から選りすぐりの50冊をピックアップしている。しかも本書を通して一人前の自分に自立するためにどのような本を読めばいいのかというのを5つのカテゴリに分けて紹介しており、しかも面白いことに「チェックリスト」まで付いているのだから、名著集としては珍しく「読了即実践」が可能な一冊である。ただ「読了即実践」の実践は名著を読むということなので「実践」と言うとちょっと不自然かもしれない。

1.「自分を知るために」
自分を知るというのはなかなか難しい。自分を知るというと「哲学」や「心理学」と言ったものがあるが、本章では芥川龍之介、西田幾多郎、正岡子規、夏目漱石と言った文豪から、古典で言うと吉田兼好、親鸞などを上げている。ちなみに本書では読書の紹介ばかりでなく、あらすじや読みどころと明言も紹介されているため、読みたいという願望を引き立たせてくれる。
ちなみに本章は10冊紹介されているが、その中で私が読んだのは5冊。まだまだ読んでおかなくてはならない作品が多いということを痛感する。

2.「人間を知るために」
次は人間とは一体何なのかということを教えてくれる10冊を紹介している。
「金色夜叉」や「武士道」「雨月物語」「源氏物語」と言った作品が本章では取り上げられている。
ここでは10冊中7冊と言ったところ。

3.「社会を知るために」
読むべき本がずらりと並んでいるのが本書であるが、残念ながら本章で紹介された本は「土佐日記」の一冊しか読んだことがない。梅棹忠夫や丸山眞男と言った作品は知ってはいるが読んだことはないので読んでおきたいところである。

4.「歴史を知るために」
次は歴史であるがここでは「平家物語」や「古事記」が出ているのだが、それ以上に井伏鱒二や柳田國男と言った作品も取り上げられている。

5.「自然を知るために」
松尾芭蕉の「奥の細道」や清少納言の「枕草子」などが取り上げられている。

50冊取り上げられているが古典ばかりではなく、割と最近出版された作品もある。選りすぐりではあるが、古典ばかりで取っつきにくいと思った人でも大丈夫なように本の選定もなされている。
夏の暑い時期、クーラーで涼みながら読書をするとき、本書を基準に選んでみてはどうか。

F1 ハンガリーGP ハミルトンが今季初優勝!!

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 L・ハミルトン マクラーレン 1:38:23.876
2 K・ライコネン フェラーリ + 11.529
3 M・ウェーバー レッドブル + 16.886
4 N・ロズベルグ ウィリアムズ + 26.967
5 H・コヴァライネン マクラーレン + 34.392
6 T・グロック トヨタ + 35.237
7 J・バトン ブラウンGP + 55.088
8 J・トゥルーリ トヨタ + 1:08.172
9 中嶋 一貴 ウィリアムズ + 1:08.774
10 R・バリチェロ ブラウンGP + 1:09.256
11 N・ハイドフェルド BMW + 1:10.612
12 N・ピケ・ジュニア ルノー + 1:11.512
13 R・クビサ BMW + 1:14.046
14 G・フィジケラ フォースインディア + 1 laps
15 J・アルグエルスアリ トロロッソ + 1 laps
16 S・ブエミ トロロッソ + 1 laps
Did not finish
17 S・ヴェッテル レッドブル + 41 laps
18 F・アロンソ ルノー + 55 laps
19 A・スーティル フォースインディア + 69 laps

優勝候補だったアロンソやヴェッテルが続々とリタイアという波乱気味のレースでした。その中ハミルトンが今季初優勝を手にしました。コースがコースなだけにKERSの強さが最大限に発揮したレースとなりました。

同じくKERS搭載しているフェラーリのライコネンも2位表彰台。自分のレースをしたと語ると思いますが、重傷を負っているマッサのためにという気持ちもあったことかもしれません。

レッドブルは戦略ミスもあってか後塵を拝する状態となりました。ウェーバーが3位と気を吐いた一方、ヴェッテルはサスペンションダメージによってリタイア。ブラウンGPに対して少しでも差を縮めたかったところですが、それほど縮められなかったようです。それが来月以降のレースにどう響くか。

予選ではいいところがなかったトヨタ勢は何とかダブルポイント獲得。上位陣には入れませんでしたが面目躍如と言ったところでしょう。

中嶋はまたもポイント圏外。運に見放されている印象がありますが、運も実力のうち。完全にチームメートのロズベルグに水をあけられている感じがぬぐえず、来年のシート争いにも影響を及ぼす可能性が高まってきそうです。

最後に予選で大クラッシュを喫したマッサは予選終了後、脳震盪と頭蓋骨損傷による緊急手術を行われ、無事成功し、容体は安定している模様です。今シーズンの復帰は絶望的という報道もありますが、1日も早く復帰してほしいと願うばかりです。

F1サーカスも言ったん夏休み。次戦は1カ月後、スペイン・ヴァレンシア!!

F1 ハンガリーGP 波乱の予選、アロンソが久々のPP!! そして優勝予想

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 F・アロンソ ルノー 1:21.569
2 S・ヴェッテル レッドブル 1:21.607
3 M・ウェーバー レッドブル 1:21.741
4 L・ハミルトン マクラーレン 1:21.839
5 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:21.890
6 H・コヴァライネン マクラーレン 1:22.095
7 K・ライコネン フェラーリ 1:22.468
8 J・バトン ブラウンGP 1:22.511
9 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:22.835
10 F・マッサ フェラーリ no time
11 S・ブエミ トロロッソ 1:21.002
12 J・トゥルーリ トヨタ 1:21.082
13 R・バリチェロ ブラウンGP 1:21.222
14 T・グロック トヨタ 1:21.242
15 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:21.389
16 N・ハイドフェルド BMW 1:21.738
17 G・フィジケラ フォースインディア 1:21.807
18 A・スーティル フォースインディア 1:21.868
19 R・クビサ BMW 1:21.901
20 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:22.359

PPの詳細をお伝えする前にQ2の最後あたりでマッサが大クラッシュ。意識を失いそれの影響によりQ3が20分以上遅れて開始されました。マッサはQ3は出走せず、メディカルセンター→病院へ。その後意識は取り戻し、顔の切り傷程度だったそうですが、大事をとり日曜日の決勝は欠場とのことです

連続画像でも分かりますが、2007年のクビサ、昨年のコバライネンと壮絶なクラッシュというのは何度かありますが、そのたびに「安全性」というのを考えさせられます。「悪夢の週末(94年・サンマリノGP)」以来ドライバーの死亡事故はありませんが、F1上ではスタッフが、下のカテゴリーでも死亡事故が発生しています。F1でも安全性については考えなくてはなりません。

さて予選結果ですが最後の最後タイム計測システムのダウンによって誰がPPとったかわからない状態に、

その後アロンソが久々にPPをとったということが分かりました。

これほど混迷を極め、波乱をも極めたレースは久しぶりです。決勝でも何か波乱が起こるのかもしれません。

その後ろにはレッドブル2台。優勝候補の2台となりますがどっちが優勝することやら。

中嶋は9番手。Q2では3番手と調子は上々で、もしかしたらPPとれるんじゃないかということを思ったのですが、結局この位置に。決勝では安定したレースでポイント獲得を目指してほしいところです。

さて優勝予想です。

本命:ヴェッテル

対抗:ウェーバー

要注意:アロンソ、ロズベルグ

レッドブルの1‐2の可能性大。ただマクラーレンやウィリアムズも油断できない存在。アロンソは表彰台に立てるかどうかと言ったところ。

F1 ハンガリーGP フリー走行3回目結果

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 L・ハミルトン マクラーレン 1:21.009 19
2 N・ハイドフェルド BMW 1:21.408 23
3 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:21.509 21
4 H・コヴァライネン マクラーレン 1:21.655 20
5 S・ブエミ トロロッソ 1:21.800 23
6 T・グロック トヨタ 1:21.849 12
7 F・マッサ フェラーリ 1:21.911 19
8 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:21.935 19
9 M・ウェーバー レッドブル 1:21.936 16
10 S・ヴェッテル レッドブル 1:21.971 21
11 R・クビサ BMW 1:22.076 20
12 J・トゥルーリ トヨタ 1:22.097 25
13 R・バリチェロ ブラウンGP 1:22.101 22
14 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:22.210 17
15 K・ライコネン フェラーリ 1:22.270 20
16 F・アロンソ ルノー 1:22.274 19
17 J・バトン ブラウンGP 1:22.312 22
18 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:22.391 20
19 G・フィジケラ フォースインディア 1:22.684 23
20 A・スーティル フォースインディア 1:23.231 16

マクラーレンのハミルトンが2回目に引き続きトップタイムでした。コバライネンが1回目トップタイムだったことを加えるとフリー走行3回はすべてマクラーレンがトップタイムをたたき出したという形となりました。

さて予選はどうなったのでしょうか。

F1 ハンガリーGP フリー走行1・2回目結果 そしてPP予想

2週間ぶりの開催となりましたが、ボーデの解雇・モズレーの次回FIA会長選不出馬と、2週間の間だけでも話題に枚挙の暇がないほどでした。

それはさておき、フリー走行1・2回目の結果見てみましょう。結果は以下の通りです(GPUpdate.netより)。

1回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 H・コヴァライネン マクラーレン 1:22.278 21
2 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:22.337 27
3 L・ハミルトン マクラーレン 1:22.554 20
4 M・ウェーバー レッドブル 1:22.615 21
5 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:22.619 25
6 J・トゥルーリ トヨタ 1:22.705 17
7 K・ライコネン フェラーリ 1:22.796 23
8 F・マッサ フェラーリ 1:22.855 25
9 F・アロンソ ルノー 1:23.001 28
10 J・バトン ブラウンGP 1:23.130 25
11 R・クビサ BMW 1:23.146 24
12 N・ハイドフェルド BMW 1:23.154 23
13 R・バリチェロ ブラウンGP 1:23.209 24
14 T・グロック トヨタ 1:23.234 30
15 S・ヴェッテル レッドブル 1:23.283 25
16 G・フィジケラ フォースインディア 1:23.484 20
17 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:23.678 22
18 A・スーティル フォースインディア 1:23.845 18
19 S・ブエミ トロロッソ 1:23.998 37
20 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:24.228 42

2回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 L・ハミルトン マクラーレン 1:22.079 36
2 H・コヴァライネン マクラーレン 1:22.126 36
3 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:22.154 47
4 M・ウェーバー レッドブル 1:22.369 29
5 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:22.426 40
6 S・ヴェッテル レッドブル 1:22.550 30
7 R・バリチェロ ブラウンGP 1:22.641 38
8 J・トゥルーリ トヨタ 1:22.663 28
9 N・ハイドフェルド BMW 1:22.690 43
10 T・グロック トヨタ 1:22.751 45
11 K・ライコネン フェラーリ 1:22.763 38
12 F・アロンソ ルノー 1:22.739 37
13 J・バトン ブラウンGP 1:22.806 42
14 R・クビサ BMW 1:22.870 36
15 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:22.927 36
16 A・スーティル フォースインディア 1:22.978 28
17 G・フィジケラ フォースインディア 1:23.029 39
18 F・マッサ フェラーリ 1:23.156 32
19 S・ブエミ トロロッソ 1:23.176 45
20 J・アルグエルスアリ トロロッソ 1:23.942 40

今回はマクラーレンが絶好調、というよりも復活の兆しを見せたといっていいでしょうか。ブラウンGPやレッドブルが今季台頭としていく中、王者擁するマクラーレンは黙ってはいないというようなフリー走行でした。その次にはウィリアムズの2台。ロズベルグも中嶋も上位2チームに追い付き追い越せと言った形になっています。

トロロッソの新人アルグエルスアリは2回とも20番手。全体的に遅いタイムながらもなんとか喰らいついているという印象です。

さてPP予想といきましょう。

本命:ヴェッテル

対抗:ハミルトン

要注意:バトン、ウェーバー

ハンガリーの週末はあまり暑くならないようで、そうなってくるとレッドブルが強いのではないかと。曇りという予想なので雨が降るかどうかというと微妙なところ。雨が降るとなったら…どうなるかわかりませんが。

「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言

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仲正 昌樹

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「分かりやすい」
人はこういったものを好む傾向があるのかもしれない。特に文章は読み手の側に立って「分かりやすい文章」というのが重要であるといわれている。
ビジネスにおいて「わかりやすい」というのは相手にとってもメリット・リスクや論点が明確になる上では良いことかもしれない。
しかし「分かりやすい」というのは本当にいいことなのだろうかということをよく考える。「簡単にわかる」という点であればこれほど便利なことはないと思うのだが、逆に考えなくなる、言わば「思考停止」に陥るのではないのかという疑問も生じる。
文章に限らず様々なところで「分かりやすい」ということがあるのだが、本書はその「分かりやすさ」の蔓延に警鐘を鳴らしている一冊である。

第一章「「二項対立」とは何か?」
「善」と「悪」
「右翼」と「左翼」
「与党」と「野党」
メディアではこういった「二項対立」を用いて簡単にしてしまうということがほとんどである。二項対立こと「思考停止」に陥らせることもあるとは著者の本にもいくつか書かれている。
そのこともあってか、こういった「二項対立」を「悪」と捉える論客も出てきており、「私は右翼でも左翼でもない。」というような主張をしきりに繰り返すという人もいるという。著者は「全てが全て二項対立が悪ではない」ということを指摘している。考えようによって「二項対立」というのが必要になる時も出てくるという。
二項対立、簡単にいえば「どっちかしかない」というようなものであるが、なるべくならばそういったクローズドなものは避けたいのは分かるが、どうしてもそういう状況にならざるを得ないというときもある。二項対立を完全になくすというのは難しい。

第二章「哲学に潜む「二項対立」の罠」
哲学にもこういった「二項対立」が潜んでいるという。本章ではそれは何かということを言う前に哲学史から、どのような「二項対立」があったのか、「二項対立」から脱するにはどのようにしたらいいのかの研究まで書かれている。「哲学史」と言ってしまったら本章の話はおしまいになってしまうのだが、とりわけヘーゲル弁証法、そしてマルクス主義と言ったものが多くみられた。
ヘーゲルの「弁証法」とは、ある命題に対して、それは矛盾している、もしくは否定する命題、そしてそれらを合わせた命題ン3つには矛盾が含まれており、対立しているが、その対立は互いに結び付かれているという議論である。
一方のマルクス主義もまた「弁証法」であるが、こちらは物質を中心とした「唯物論」を合わせた「唯物弁証法」というのを提唱しており、のちの「階級闘争(格差の間に生じる闘争)」の礎となり、さらに「共産主義」とさせた。

第三章「ドイツ・ロマン派の批評理論」
「ロマン派」と言うと私は中・高・大と音楽漬けだったせいか「音楽」の区分についてのことを思い出すが、実際は政治や文学、思想、美術、建築に至るまで幅広く用いられている。

第四章「「アイロニー」をめぐるアイロニー」
アイロニー」の本来の言い方は「イロニー」と言い「皮肉」というのを意味している。ソクラテスの問答法を「エイロネイア」と言うがこれが語源の一つとなっているようだ。
本書では「反アイロニー」をマルクスやエンゲルスと言った唯物論・共産主義と言ったものについて書かれているが、ソクラテスが出ているということあって、プロタゴラスをはじめとした「ソフィスト」も入るのではとも考えられる。偏見ではあるが「相対主義者」というレッテルが貼られており「善・悪」と言うような論考をする一方で自ら理論武装をして「詭弁」と言うのを作り上げた。

「二項対立」というのは単純に選択をするということなので簡単である。その反面それしか選べないという言わば「究極の選択」にも「思考停止」という観点では似ているのかもしれない。「どっちが」と言うよりも「なぜ」や「何が」というようなオープンな質問や論考が思考能力を磨く手段の一つと言える。

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私は月に約50~70冊読み、書評も書く。特に書評は初期のころは400字詰め原稿用紙1枚前後で済ませるということがほとんどであったが、だんだんと書いていくうちに「あれも書きたい」「これも書きたい」という欲望が広がり始め、今となっては1冊につき平均で原稿用紙4枚分、多い時には8枚にまで上る。
しかし最近では書きすぎというよりも書きたいけれども、書く時間と書くスピードをどのようにしていけばいいのかというのが悩みの種であり、勝間氏が推奨するキーボードを親指シフトにしたらいいというものがあるが、なれるまでに時間を要するばかりではなく、職業柄、ローマ字入力でないといけないというのがある(日本語のみならず、プログラム言語も入力しなければならないため)。そのため親指シフトに変えるのはしばらくの時間を要するというのが自分の考えにはある。
さて本書の話に移る。本書は文芸評論家で数多くのオピニオン誌にコラムを寄稿しているだけではなく、多作としても知られる福田和也氏がひと月100冊読み、原稿用紙300枚書いているということを暴露し、自らの方法を公開している。自分にできる・できないという以前にまず文芸評論のみならず書評でも尊敬している福田氏がどのような方法で多くの作品を生み出しているのか見てみる。

第Ⅰ部「どう読むか」
第1章「本の効率的な読み方」
「効率的」な本の読み方と言うと、何かと「~多読術」や「~読書法」というようなビジネス書が書店の店頭に並んでいる。ビジネス読書ではもうおなじみとなった「目的を持って読むこと」がある。これについて私は否定しない。学術やビジネスにまつわるものであれば、である。
本章で最もお勧めなのは「本の選び方」である。書評を参考にすることでも様々な専門の書評に頼るという形をとった方がいいというのはなかなかである。というのはその専門に特化したのであれば、その中でいい本なのか、どういった本なのかというのが一目でわかるからである。

第2章「「抜書き」は多様なメリット」
福田和也氏が読書をする最大の特徴は「抜き書き」である。抜き書きは一見非効率のように思えるのだが、実はこういったメリットと言うのもある。
一見「レバレッジメモ」と言うように思えるのだが、実は分からない表現を読むにあたって、どうして作者はこんな文章を書いたのだろうかを知るために、この抜き書きを行っているのだという。
私も大学の叢書など難しい本はよく読む(好んで読む?)のだが抜き書きまではしておらず、辞書やインターネットで調べながら読むことが多い。

第3章「本以外の情報の集め方」
今度は本以外におけるツールをどのように使う、情報をどのようにして集めたらいいのかという所である。
主に新聞や雑誌、インターネットを利用するが、その時に何を書くか、そのために必要な材料と言うのは何なのかというのを著者の方法のみならず、京大教授の中西輝政氏も参考に引き出している。

第Ⅱ部「どう書くか」
第4章「情報整理から表現へ」
第Ⅰ部はインプット編であったが今度は「アウトプット編」である。
自ら得た情報は「情報」のまま書かずに自分なりの考え方や表現をして書くということ、さらに会話のなかでどのようにして織り交ぜるということについても紹介している。

第5章「文章上達の「近道」とは」
著者は書評や社会に関係する著書ばかりではなく、文章術や対話術に至るまで上梓している。文章術と言うと技術と言ったものが偏重されるように思えるのだが、認識であったり、組み立て方と言ったものが多い。「組み立て方」と言うとどのような文章を書けばいいのかという所になるのだが、最近勝間和代氏が出した「まねる力」の如く「まねる」というのも必要であるという。
また文章を書くにあたって「スランプ」や「途中で筆が止まる」というようなことを防ぐ、最小限に抑えるためにどのようなことを行えばいいのかということについても紹介している。
文章を書くことが非常に多い私にとっては死活問題であっただけにこの章が最も多く取り上げられており、かつ具体的に書かれていたことが最もありがたい。

第6章「より幅広く書くために」
幅広く書きたいという願望は文章を書く人であれば思ったことがあるだろう。私もその一人である。本章をざっと俯瞰してみたら簡単に言うと「趣味を持とう」という答えに至る。趣味と言ってもいろいろあるが、本章では「音楽鑑賞」「旅」「出版」「骨董」を取り上げている。特に私は音楽鑑賞(クラシックや吹奏楽)を趣味に挙げているが、これがなかなか奥が深い。同じ作曲家で同じ曲でも演奏する楽団や指揮者によって違うため、その人がどのような表現をするのかという違いを愉しむことができる。他にもロックやジャズと言ったものもいろいろと聞くので音楽を上げると枚挙に暇がないほどになる。

読書や文章はただ単に本を読む・文章を書くばかりではなく、それ以外のところにも着目した方がいいのかもしれない。

戦後民主主義と少女漫画

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書評をやっていることもあってか本はいろいろと読むが、それと同じように漫画も読む。少女漫画もいくつか読んだことがあり、その中でも「NANA」や「フルーツバスケット」「彼氏彼女の事情」と言ったものが結構好きである。
私情はここまでにしておいて、少女漫画は第二次世界大戦後から広く親しまれており、戦後少女漫画史というのが漫画評論家でコミックマーケットの代表を務めた故・米澤嘉博氏が書かれた「戦後少女マンガ史 (ちくま文庫)」が非常に詳しい。
本書は1970年ごろからの少女漫画史についてピックアップを行っているだけではなく、重箱の隅に置かれるような少女漫画を取り上げられており、観点もユニークであることから米澤氏のそれとは違いを見られる。
序章「七〇年代少女漫画前史――戦後民主主義と成熟の拒否」
本書は1970年代における少女漫画をピックアップしている。
では、なぜこの時代をピックアップしたのだろうか、それは60年代から続く「60年安保」や「大学闘争」から続く「左翼運動」から始まり、沖縄返還、第一次石油ショック、四大公害病と言ったどちらかというと国と国民が対立という構図の第2ラウンドというのがある。
漫画史では手塚治虫や赤塚不二夫などの少年漫画と言ったものが大ヒットした時でもある。それに伴いアニメも盛んに放映されるようになった一方、少女漫画も大きなうねりがあり、ジャンルが一気に広がりを見せ始め、やおい作品が生まれ始めたころであった。
第一章「大島弓子と『バナナブレッドのプディング』」
大島弓子の「バナナブレッドのプティング」は1977年11月号から1978年の3月号まで5号連続で連載され、のちに単行本となった。
今から32年前の作品であるため入手は難しそうに思えるが、増刷していれば手に入らないことはないのだが、どれだけヒットしたのかは私でもよくわからない。
しかしこれだけは言えるのが当時の少女漫画はタブーと言ったものはほとんどなく、ジャンルも問わず自由に書けるという所が魅力的だったこともあり、ほかにも理由はあるものの大島氏はそれに誘発して少女コミックに活動の舞台を移したという
その影響があってか「バナナブレッドのプティング」が非常に良い作品に出来上がった一つの理由なのかもしれない。
第二章「純粋少女とは何か?」
「バナナブレッドのプティング」は「純粋少女」として最も際立つ作品だとされている。本章はこの「純粋少女」について解明している。
「純粋」という言葉をとある辞書を検索すると。
・まじりけがない・こと(さま)。
・けがれがないこと。邪念や私欲のないさま。
・外的・偶然的なものをまじえず、それ自体の内的な普遍性・必然性をもつさま。(一部抜粋)

というのがある。「純粋少女」の「純粋」とはどれに当てはまるのだろうか。本章を観てもよくわからない。やはり「バナナブレッドのプティング」を読んでから書評すべきだったということを悔やむ私。
第三章「萩尾望都と『トーマの心臓』」
次に紹介される作品は萩尾望都の「トーマの心臓」である。
連載が始まった当初は趣味的な作品と考えていたせいか、人気は芳しくなく、打ち切りの可能性もあったという。しかし徐々に人気が出始め、今となっては代表作の一つとして挙げられ、舞台や映画化されるまでになった。
こちらも読んだことはないのだが、これだけの人気なので探すのは容易だと考えられる。
さて、この「トーマの心臓」では作画のみならず、ストーリーにまで突っ込んでいる。またそれに関連して萩尾氏の作品の作風にまで言及を行っている。
第四章「岡崎京子と『ヘルタースケルター』」
本書は70年代の少女漫画をピックアップしていると書かれているが、本章のタイトルにある「ヘルタースケルター」は2003年に発売されたものである。「70年代の作品は?」と勘繰ってしまうのだが、70年代から始まった「純粋少女」の変遷をたどる作品であれば筋が通っている。
本書は70年代から続いている少女漫画「だけ」をピックアップしている作品かと思った。しかし中身はそうではなく70年代から始まった「純粋少女」を題材にした漫画を取り上げている。少女漫画と言うと、ぶりっ子や白馬の王子様というような表現から、性表現に至るまで良くも悪くも幅広い。その草分け的となったのが「純粋少女」なのかもしれない。

心はなぜ不自由なのか

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浜田 寿美男

PHP研究所  2009-01-16
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人は「自分の意志」で行動をしている。しかしそれは「自分の心で」なのかというと実は本能であったりすることがある。もしくは買いたいものがあるのだけれども、それは自分の羞恥心に触れる時にはやっぱりやめたということになる。心は自分の意思に反してブレーキをかけてくる。本書はその自由に聞けるようで実は不自由な心を講義形式で解明している。

第一回講義「取調室のなかで「私」はどこまで自由か」
いきなり重たい話題である。
最近では「録音・録画による取調室の可視化」という声があり、ようやく録音のみ可能になったのだが、まだ不備が多いというのも現状である一方で、虚偽の発言が横行するのではという考えを持つ人もいる。取り調べの可視化というのはこれからも課題になっていくのだが、本章ででは取調室における「私」の定義について触れている。
取調室と言うと映画やドラマでしか知らないのでイメージだけであるのだが、そこには人権や人格と言ったものはなく、警官からの圧迫尋問に淡々と受ける。その圧迫から逃れるために自分はやっていないのにもかかわらず、自白をする、罪を認めてしまう、濡れ衣を喜んで背負ってしまうという。本心は自分はやっていないのだが、拘束という不自由な空間のなかで、自分の意志とは裏腹に「自由」を求めてしまうため自白する。
そしてもう一つには自白の後、犯行の動機や犯行に至った経緯、どのようにして犯行を行ったのか、無実であるのにもかかわらず淡々の語ることがあるという。これも虚偽であるのだが、なぜ「分かりません」や「言えません」と言えず嘘のストーリーを淡々といえるのかというのは先の自白と同じ原理にあるという。
自分の心と行動というのは一緒のように見えて、実は分離しているのだろうか。

第二回講義「この世の中で「私」はどこまで自由か――関係の網の目を生きる「私」」
ここでは「羞恥心」についてであるが、羞恥心と言うよりも「コンプレックス」と言った方が適当であろう。
最近ではその傾向が顕著のように思うのだが、他人からの評価をいちいち気にしてしまう。仕事に対する評価のみならず、自らの勉強態度や書評に至るまで他人からの評価を気にしてしまう性格である。最近は気にしなくなったが、それでもまだ気になってしまう。

第三回講義「「私」はどこまで自由か――さまざまな「壁」を生きる「私」」
私にとって「自由」とは何なのか、「私」の自由は何なのか。ここでは自由における「視点」について取り上げられている。この講義の中心となったのは「三つの視点」であるがこれは、
「身体の視点」
「他者(相手)の視点」
「神の視点」
というのがあるという。「身体の視点」は主観的、もしくは肉体的なものなのだろう、「他者の視点」はどちらかというと客観的、「神の視点」と言うと…あまりにも次元が違いすぎてどのようなものかwからないが、精神的なものがあるのだろうか。本書に書かれているのは「身体の視点」を地上とするならば、「神の視点」は天上にあるということが書かれていると、もはや心理学や精神学というより、哲学・神学という所に入ってくる。

「精神」と「肉体」というのは相反するものである。それゆえに人間の心とは裏腹とは別の行動を起こすこともあり得る。本書はそのことを教えてくれる。

お客様は神様か?~売れない時代の新しい接客・サービス~

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中山 マコト

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「お客様は神様でございます」
これは国民的歌手である三波春夫が言った言葉である。
一部の企業ではこれを鵜呑みにし、お客様は神様ですと標榜しているところもあるのだが、はたしてこれは正しいのかという疑問はある。
しかも三波氏自身もこの言葉については「自分はすべての人をお客様だと思っているわけではない。ステージを見に足を運んでくださる人だけがお客様だと思っている。(永六輔「永六輔の芸人と遊ぶ」より)」としており、全員が全員神様だと思っていない。
本書は「お客様は神様」という言葉の呪縛を解き放ち、新しいサービスや接客の在り方についてキキダス・マーケティングやキャッチコピーの大家が提言をしている。

第1章「接客用語の呪い」
レストランやスーパー、コンビニやファストフード店と言った接客業にはいろいろと「接客用語」というのがつきまとっている。私が大学1〜4年の約3年半の間スーパーで働いたことがあるのだが、そこでも半年に1度接客用語などを復習するといった試験や復習と言った研修が必ずあった。必ず言われたのが、
「いらっしゃいませ」
「はい、かしこまりました」
「少々お待ちください」
「お待たせしました」
「ありがとうございました」
というのが代表例としてある。これを何度言ったことだろうかとふと思い出すのだが、形式ばった接客用語は時として他人に対してイライラさせるようなことにもなる。接客用語と言うのはあくまで参考例と言ったものであり、必ずしもそれに絶対服従ということではないということを肝に銘じておく必要があり、自分自身も肝に銘じておく。

第2章「経営サイドのミスリードが残す呪い」
今度は経営に関しての呪いについてである。最近の話でもないが、「経営術」と言うよう主に実践的な経営術というのがあるのだが、マーケティング用語や手法、経営術と言った罠について紹介されている。
経営技術になると用語も数多く飛び出しており、企業においても経営用語が飛び交わない人言うのがないに等しい。さらにそれを知らない人たちにとって新しい言葉なのでそれを鵜呑みにしやすい。
経営手法と言うのはあくまでツールで参考例でしかならないし、新しい手法ができたとしてもそれが自分の企業にフィットするとは限らない。自分の経営形態や経営に落とし込みながら実践していかなければ痛い目に遭う。

第3章「接遇の呪い」
居酒屋などのチェーン店や様々な場での接客があるのだが、接客用語にはない「接遇」についてここでは著者の実体験を交えながら紹介している。
著者のブログではほぼ毎日のように居酒屋などの飲食店に行くことが多く、そこで食べた、もしくはおいしそうだったメニューなどを取り上げている。その中でも接客が悪いということについても指摘しており、著者自身おかしい「接遇」を何度も体験したことがあったという。ワンパターンな接客、臨機応変の利かない接客というのがたくさんあるように思えた。
著者自身の体験なだけに、あまりにも生々しく、自分自身も心当たりがあるのではという錯覚に陥ってしまう。

第4章「お客さんをトリコにする」
これまで様々な「呪い」について取り上げてきたが、では「お客様」というのはどのような存在なのか著者は「家庭的なもの」と定義している。距離が遠すぎず、近づき過ぎない、アドリブか利けてどのような商品と言うのを分け隔てなく紹介するというのがあるのかもしれない。

「マニュアル」というのがあると接客を行っていくうえでどのようにやればいいのかという道標が容易に突く反面、「マニュアル人間」というように臨機応変がきかない「思考停止人間」に陥ってしまう。マニュアルの悪さを露呈したのと同時に、本来の接客の在り方とは何なのかというのを教えてくれる。元々商人や下町と言ったところの商売はマニュアルというものが存在しなかった。先輩や親方の芸を盗みながら磨いていった時代があった。その中でお客様に接する時の技術を磨いていき、自然体でありながらも購買に結び付かせるような技術を身につけていった。接客というのは技術と言うよりも一つの「芸」というのがあるのではと考えさせられるような一冊であった。

バクチと自治体

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集英社  2009-05-15
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公営ギャンブルと言うと、競馬競輪競艇といったものがあげられる。これらが本格的に公営のギャンブルとなったのは戦後のことであり、それから60年以上たつ計算になる。しかしその公営ギャンブルであるが、自治体の財政圧迫により、撤退を余儀なくされているところも少なくなく、私が知っているもので言ったら北海道の「ばんえい競馬」や「ホッカイドウ競馬」というのが相次いで縮小されている。「ばんえい競馬」は現在帯広しか開催しておらず、「ホッカイドウ競馬」は札幌と門別でしか開催されなくなった。
出身地のことあって、北海道しか例は出していないが、地方はこういった財政圧迫もあってか公営ギャンブルも例外なく縮小傾向になっているところは少なくないのかもしれない。本書はこれらの現状ばかりでなく、前述の公営ギャンブルの歴史とこれからについて書かれている。

第一章「競馬場が消えた」
最初に書いた北海道に関するばかりではなく、本章では北関東、おもに群馬の公営ギャンブルの窮状について書かれている。それについて最も象徴的に書かれていたのが「高崎競馬場」である。高崎競馬場は1934年に建てられたものであった。そのことを考えると競馬の文化は戦前、もっと言うと明治時代のころからあったと推測できる。競馬の歴史に関する文献は読んだことはないのだが、1862年、幕末のころにイギリスから取り入れられ、主に外国人居住地で行われるようになったという。1858年日米修好通商条約によって開国を果たし、西洋文化を数多く取り入れられたものの一つとして「競馬」というのが出てきていることが窺える。

第二章「戦後復興と公営ギャンブルの誕生」
しかしその当時の競馬は「ギャンブル」としてではなく楽しみ・スポーツとしてという要素が強かったように思える。では「公営ギャンブル」としての競馬はいつはじまったのだろうか。
日本中央競馬会(JRA)が設立した時の経緯に沿っていくと1923年、「(旧)競馬法」が制定され「公営ギャンブル」が認められた時にできたという。この時から全国に競馬倶楽部ができ、規模も大きくなった矢先、日中戦争、第二次世界大戦、大東亜戦争によって中止を余儀なくされた。戦後GHQによる焚書などの大規模な検閲や秘密裏での取り締まりが行われた。競馬も独禁法に抵触する可能性から検閲対象になるのではないかと指摘されたが、結局指摘されずに乗り切った。
そして戦後、地方競馬や、競輪、競艇が続々と誕生し、「公営ギャンブル」は急激な成長を始める。しかしそれと同時に猛烈な逆風にさらされることになった。

第三章「猛烈な逆風」
猛烈な逆風の一つとして挙げられるのは「八百長」であるが、それ以上にさらされたのは競輪界での「四大暴動事件」。1950年に起こった鳴尾事件を皮切りに、1959年に松戸事件、1960年の西武園事件、1968年の川崎事件があげられている。特に本章では鳴尾事件を中心に取り上げられているが、中でも最も規模の大きい暴動事件として取り上げられていた。当時競輪は爆発的な人気を呼び、所得税における控除率も低いことが人気沸騰の助力となった。しかし競輪をはじめとした自転車競技の認知度は当時、著しく低く競馬のように性能や力勝負といった考えを持つ人が大勢だった。しかし競輪はスタート後の位置関係や風圧、最終周の追い上げといったテクニックや戦略の要素が競馬よりもウェイトが占められており、当時では理解できなかったとされている(競馬も現在ではそれに似たような傾向にあるが、競輪が始まってからそうなったのだろうか)。
1950年の鳴尾事件は本名選手がアクシデントによりレース途中でリタイアとなった。観客はレースに納得せず、暴動と化した。鎮圧のために警官が動いたのだがこれでは足りず米軍のMPまでも駆けつけるようになり、死者も出るほどの惨劇となった。以後3カ月もの自粛となり、国会でも競輪廃止論が急浮上したほどであった。ここでは国庫納付金や自治体の管轄と言った公営ギャンブルの在り方でひと悶着があったのだがどの競技も存続という形となった。

第四章「東京都の撤退」
もともと東京都も公営ギャンブルに関しては積極的で、4つのレースすべて主催していたことがあった。ところが1969年いくつかの理由から東京都は事業を撤退すると美濃部亮吉東京都知事(当時)が表明した。その理由の一つには前章で紹介した「鳴尾事件」の名残が残っているように思える。その火種は競輪のみならず競馬や競艇にも広がった。特に競艇では1969年に八百長疑惑がかけられたが、事件の方向がプロ野球界にまでおよび、やがて戦後プロ野球界最大の事件となった「黒い霧事件」にまで発展した。
1972・73年には大井競馬場で不正事件や暴動事件が起こるなど当時の公営ギャンブル業界は暴力団も加担する「悪」というイメージがぬぐえず、公営ギャンブルに関してあまり快く思っていなかった人にとってはそのトラウマが30年以上たった今でも残っている。
しかしその一方でハイセイコーと言ったスター馬が誕生した時でもあった。

第五章「公営ギャンブルはどこに行く」
公営ギャンブルは光と陰の両方を持っているように思える。光と言うと中央競馬、良くTV番組でも定期的に組まれるものが多く、有名な馬は凱旋門賞などの海外のレースに参加する機会が多くなり、ウォッカやすでに引退したが、ディープインパクトなどの優秀な馬がスポットライトを集め、多額の賞金と栄誉に浸ることができた。
陰の部分はと言うとこれは地方競馬や競輪、競艇と言いざるを得ない。公営ギャンブルは全体的に売上高は減少の一途をたどっているが中でも割を食っているのが上記の3つである。大きな理由としては競馬場や競輪場と言った所の撤退という影響が大きい。

公営ギャンブルは今も人気は下り坂の一途をたどっている。その一方で競馬の魅力について書かれたものも続々登場しており、これからこの人気を再燃していけばいいのかというのが公営ギャンブルにかかわるどの世界でも大きな課題の一つとして挙げられる。

ヤンキー進化論

ヤンキー進化論 (光文社新書) ヤンキー進化論 (光文社新書)
難波 功士

光文社  2009-04-17
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不良文化と言うと何か陰湿な印象を持ってしまうのだが、そこにスポットを当てているというと興味深い。今となっては「ヤンキー」とは何なのかという存在が問うようになっているのだが、そもそもヤンキーとはどのような存在なのかというのも考えたくなるし、どのような歴史を辿って行ったのかというのも知りたくなる。本書は不良にまつわる文化・歴史を当時の流行とともに探っていくというユニークな一冊である。

第1章「「ヤンキー」とは誰か?」
ヤンキー」という言葉が生まれたのはアメリカというのは誰もが知っていることであるが、もっと突っ込んでいうとオランダ系移民がアメリカ北東部に住むイギリス系移民を読んだ時のあだ名が由来であるとされている。独立意識が高く、裕福でリベラルな思想を持っていることによっている。
自分たちを優位な立場を表すために「ヤンキー」と言われる一方で、中南米などの国では蔑称として扱われることが多い。
日本でも幕末から明治にかけては西洋に対して畏敬の念を抱き、積極的に取り入れようとしたことから「東洋のヤンキー」と呼ばれたことから始まっている。
今となっては、不良少年・少女のことを「ヤンキー」と呼ばれるようだが、今蔓延っている保守的な思想に反発を抱いて、それに逆らい、自分を主張するようにするために剃り込みを入れたり奇抜な服装をしたりするようになったことから「ヤンキー」という風に呼ばれたのかもしれない。

第2章「ヤンキー以前」
「ヤンキー」の語源について調べてみたら長くなりそうなのでここから本書のところに入っていく、第1章では「ヤンキー文化」の80年代に大ヒットした「横浜銀蠅」が取り上げられている。
本章ではそれ以前にツッパリやヤンキーに関しては「非行少女」という映画が1963年に取り上げられているのを皮切りに、梅宮辰夫主演の「不良番長シリーズ」、80年代では「紳助・竜介」が出演した「ガキ帝国」というのが出てきている。こういった時代から60年代から不良文化は成長し始め、紳助・竜介や横浜銀蠅の時に爆発的に隆盛したというべきだろうか。

第3章「「東京ヤンキー」の時代」
ここではヤンキー文化の中から東京におけるヤンキー文化をピックアップしている。

第4章「暴走の季節とヤンキー」
ヤンキーの一つとして挙げられるのが暴走族である。実家にいても一人暮らしをしていても夏場になると深夜暴走族の騒音が名物(?)になってしまっている。
暴走族の歴史は1950年代、バイクが誕生したことにより「カミナリ族」が誕生したことから始まった。
本章では暴走族ファッション(特攻服など)の変遷から暴走族漫画の変遷に至るまで書かれている。

第5章「さまよう「ヤンキー的なもの」」
1970・80年代にかけてヤンキーの全盛期の一つと言える。その証拠に挙げられるのが原宿の歩行者天国(ホコ天)や「竹の子族」、「なめ猫」と言ったものが流行していた時代であった。

第6章「ヤンキーとツッパリ」
章題を見てふと疑問に思った。
「ヤンキー」と「ツッパリ」の違いとは何か。どちらも不良少年の呼称であることは変わりないのだが、「ヤンキー」は主に関西で、「ツッパリ」は主に関東でよくつかわれていたという。しかしこの「ツッパリ」という言葉は70〜80年代の一時期しか使われず死語になってしまったが、最近では不良漫画や映画が人気を呼んだことにより、死語ではなくなり始め、再び日の目に出るのかもしれない。

第7章「親衛隊文化とヤンキー」
ヤンキー文化の中であこがれの存在だったのが「ロックンロール・ボス」で有名な矢沢永吉である。矢沢栄吉のファンは今も昔も熱狂的なファンが多いが、昔、キャロルの一員だった時代から特攻服の着た親衛隊というのがあったという。それ以外のファンがビビって入れなくなることを恐れてパンフレットには「特攻服入場お断り」という文言があったり、厳戒態勢の中でのライブになったりすることもあったという(「特攻服入場お断り」は現在も書かれているそうだ)。
それだけではなく本章ではヴィジュアル系やジャニーズ系のファンの変遷に至るまで「親衛隊」という縛りで書かれている。

第8章「ヤンキー・メディアの隆盛」
ヤンキー・メディアと言うと何を思い浮かべるのだろうか。最近では「クローズ」や「ドロップ」を代表するようにマンガが非常に多くなった。それに伴って映画やドラマ化されるなど「ヤンキー・メディア」は再び盛り上がりを見せている。しかし現実のヤンキー達はと言うと「絶対悪」というような風潮になっており、また薬物汚染の象徴と言うように名指しされるようにもなってきた。そのこともあってかヤンキー・メディアに関して否定的な考えを持つ人も少なくない。
ヤンキー・メディアは人気を得ているが、極めて複雑な位置にいると考えられる。

第9章「拡散するヤンキー」
ヤンキー文化は日本のみならず海外でも隆盛しているという。なぜ海外まで波及しているのかというと日本文化、特にアニメや漫画と言ったポップ・カルチャーが影響している。

第10章「おわりに――格差社会の中で」
格差社会の中でもまだ息づいている「不良文化」。私はそれに関してまだまだ興味を持っており、やってみたいという願望はないものの、その文化に関してもっと考察をしたいという形での願望はある。
不良文化は廃れることなく、形を変え続けながら続いていく。本書を読んでそう思った。

「場回し」の技術

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高橋 学

光文社  2009-07-18
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ビジネスやプライベートなど様々なところで「場」というのもが存在する。当然その「場」を取り仕切る人が出てくる。しかしその「場」を作る技術というのはどのようにして身につけたらいいのか、「場回し」をするにはどうしたらいいのかと悩む人は多いことだろう。本書は様々な場における「場回し」の達人を紹介しながら、その人たちの極意を余すところなく書かれている。

第1章「「場回し」概論」
そもそも「場回し」とは何なのかと訊きたくなるだろう、本書では「場回し」はこう定義されている。
「3人以上集まる「場」で、全員が1つの目的・目標に向かって、ポジティブに参加している状態を作ること」
3人以上集まることが「場」として定義されており、その中に「会議」や「勉強会」「セミナー」「飲み会」「チーム」というのがある。本書ではこの後「会議」「セミナー」「チーム」「飲み会」についての「場回し」をそれぞれの達人とともに紹介をする。

第2章「会議」
仕事を行う上でネックになるものの一つとして「会議」がある。価値観の違う人たちが集まって一つの目標に向かって話し合う、もしくはアイデアを出し合うというようなことを行うのだが、会議と言うと上司と言った発言力の強い人が終始リードをする、部下に意見を求めても気に入らなければ切り捨てて、結局ワンマンショーのようになってしまうことが多く、参加した人は参加する意義を見いだせず、ただ「やらされた」という感想でしなくなる。
それを避けるためにここでは会議における「場回し」の技術を紹介している。
準備や要約、目配り・気配りと言ったものもあるのだが、「脱線」や「分割」という所は興味深く、会議を面白くも、楽しくもさせる画期的な技術だなと思った。
ここでは「アライアンス」で有名な平野敦士カール氏が取り上げられており、会議の中での「アライアンス」の極意について紹介されている。

第3章「セミナー」
セミナーに参加をし始めてもう8ヶ月たつ。その中で様々な学びがあり、そこから自らの仕事に落とし込みを行いながら、懇親会の場で名刺交換をしながら、またそこで違ったことを学ぶというのが楽しみの一つであり、一種のライフワークになっている。
今まで数多くのセミナーに参加したことがあるのだが、内容によってはいろいろ差が出ている。本当に満足のできるセミナーもあれば、講師自身の自慢話ばかりで怒り心頭の状態で帰ったセミナーもあった。
セミナーに参加する頻度が多く、良く知り合いから「セミナーを主催したら」という声もある。
今となってはセミナーが開催されることが多くなり、オープン・クローズド、小規模・大規模問わず至る所で開かれている。しかし私はと言うと、セミナーを開催したいという願望は今のところない。というのは数多くのセミナーがあり、多種多様なセミナーがあるが、そこで自分が参加したいというセミナーを作るという考えはなく、あくまで自分が勉強したいというセミナーに行きたいという思いがまだ強いからである。これからもっと多くのセミナーに足を運ぶが、もし飽きてしまい・違う形のセミナーを考案できるようになったのであればセミナーを主催したいと思っている。そうなるのはまだ先の話になるかもしれないが、自分自身でもまだ分からない。
わたくし事はここまでにしておいて、もし私がセミナーを主催するとしたらどのような「場回し」が必要なのかということを教えてくれる。後半には数々のセミナー運営を行っている美崎氏のことについても取り上げられている。コンセプトやプロファイリングというのが印象強い。

第4章「チーム」
チームは私の職業の中で避けて通れないものである。個人稼業であり、一人で稼ぐようになれば本章を読む必要はないのだが、私の仕事においてはチーム運営というのがあり、プロジェクトが1年のうちに何度も変わるため、チームメンバーとしてどのように場回しをしていけばいいのか切実な問題であったのでここは特に勉強になるところである。
「アクティビティ」という言葉が最もフォーカスされていたように思える。それは少し後に書くとして、他には他己紹介や吹聴、ほめ上手といったものが取り上げられている。特に他人を知るための「他己紹介」というのは相手のことを知っていくうえで距離感を縮められるためなかなかおもしろいなと思った。
さて、アクティビティである。アクティビティというのは何なのか、簡単に言うと「レクリエーション」によって相手の距離を縮めていこうというものである。
それにまつわることで「チーム・ビルディング」が取り上げられている。私も先月これに参加したのだが、楽しみながら、暑くなりながら連帯感やチームプレイについて教えてくれる。

第5章「飲み会」
最後は飲み会である。飲み会と言うと「出会いの大学」で有名な千葉智之氏が独擅場ということで多く取り上げられている。楽しみながら場回しをするという技術というのを取り上げている。

第6章「実践編」
技術に関する紹介は前章までであるが、ここでは「読了即実践」をしやすくするために「どのようにして実践をしたらいいのか」というのを伝授している。簡単なもの方やる、複数やってみる、技術を応用してみるなど、多彩な実践方法がここでは紹介されている。

「場回し」と言うと何やら難しそうに思えるのだが、本書は技術毎に難易度も出しているので、どれが簡単なのかというのが容易にわかり、どこから実践していけばやりやすいのかというのも一目でわかる。
「場回し」は一朝一夕ではできない。しかし本書の技術を真似し、学びながら自らの血肉にしていけば、いつの間にか「場」を取り仕切ったり、仕事を円滑にする原動力を与えられる人となれるだろう。

旧約聖書と論語のライブ! 感想

(前回からの続き)

「公開数王」終了後、川上徹也さんとともに大井町へ。

ちなみに参加したのは「山の手の会」の「旧約聖書と論語のライブ!」というセミナーです。

「論語」や「新約聖書」、「日本神話」や「ギリシャ神話」がビジネスに役に立つという文献はいくつかあります。

論語についてはビジネスに関してどのように役立つのか、そして旧約聖書とビジネスの関連性を学べるのはまさに一石二鳥と呼ぶべきでしょうか。

Ⅰ.古尾谷大嗣

論語の全て、というよりも孔子の一生や論語や儒教に関してビジネスではどのように役立つのかというのが中心でした。

経営者のトップはよく論語を読まれるといわれるのですが、それがどのようなものなのかというのを明瞭・詳細なものだったのでわかりやすかったです。

Ⅱ.かず@多謝

こちらは旧約聖書に関してです。

旧約聖書はユダヤ教・キリスト教をはじめ多くの宗教で聖典として扱われています。

今回は旧約聖書の内容のみならず、西洋諸国やアメリカでは旧約聖書による影響や意義ということが主だったと思います。

しかし宗教とのつながりの強い国だからでこそこれを学ぶという意義は大きいと思いました。

両方とも素晴らしい講演でした。本当にありがとうございます。

今回主催してくださった美崎さん、講師の古尾谷さん、かずさん、ありがとうございました!!

公開数王 感想

昨日は「月刊ビッグ・トゥモロウ」誌にある連載「数王(かずキング)」の公開版、「公開数王」に参加いたしました。「月刊ビッグ・トゥモロウ」というと「読むが価値」で有名な鹿田さんも載ったということで知られているざっしですね。

数王については1・2回拝見したことはありますが、正直なところどのように決められているのかほとんど分からない状態での参加でした。

今回のテーマは「ビジネスにまつわる数字」。

さていよいよ「数王」の全貌が明らかになる、ワクワクする……と思いきや、

山田さんは突っ込み役でと言う感じでした。

副編集長やライターといったレギュラー陣の不手際(?)に山田さんが激しく突っ込むという形が何とも面白かったです。

本題の「ビジネスにまつわる数字」はビジネス用語としてある数字について山田氏らが解説をしていくというもの。

ビジネス用語にも歴史あり、もしくは意味がありと言いますか興味深い内容でした。ちなみにどれが選ばれたかというのは「月刊ビッグ・トゥモロウ」の10月号にて発表されるのでご期待ください。

第2部では「数王」を本にするとしたらどのようなタイトル・サブタイトルがいいのかというものをグループワークで作るというものでした。

私の思いついたものと言うと……ほとんどがTV番組名や本の名前のパクリしか思いつかず。

とはいえ面白い形にはなったので、よしということで。

この会を主催した山田真哉様、「月刊ビック・トゥモロウ」様本当にありがとうございました!

終了後は川上徹也さんとともにとあるセミナーへ。

(次へ続く)

上司はなぜ部下が辞めるまで気づかないのか?

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かつて「終身雇用制」というのが重視され、いったん就職したら還暦になるまで同じ会社、そしてエスカレーター式に昇進していくことが担保されていた(年功序列制)。しかし、バブル崩壊以後この労働の形は大きく変わり、今や明日同じ職場で働けるという保証がなくなった。その影響もあってかいくつかの企業では社員同士の会話や、職場いじめと言ったギスギスとした雰囲気になっていき、若手の社員はやる気を失い、辞職者が続出し、「若者が3年以内で辞める」という風潮ができ始める要因の一つとなった。本書は上司からの職場改革として、上司も部下もワクワクするような職場にするにはどうすればいいのか、ワクワクしない、もしくはやる気をなくす職場の原因とは何なのかという所を徹底追及している。

第1章「部下がヤル気をなくす本当の理由」
部下がヤル気を無くす理由はいくつかあるが、最も大きな要因としてあるのが、
「ほめ言葉」と「ありがとう」
というのがほとんどないという。当然ほめるばかりだけでは部下はつけあがるが、アメとムチのように時には叱り、時にはほめるというのが育てるうえでも重要なことであるが、ムチしか使っていなければ後々部下が反抗的な態度になったり、思考停止に陥ることにもなりかねない。

第2章「部下がどんどん成長する職場の作り方」
ここではワクワクしながら部下を成長させる職場の作り方、簡単にいえば「場」の作り方について7つ伝授している。
特に「数字にとらわれない」や「仕組みづくり」と言ったものが印象的だった。

第3章「上司も部下もワクワクしながら働くために」
上司と部下の認識、社員と社長、会社と社員の認識が完全に一致するということはほとんどないだろう。それは人は誰しも上司や会社に対して不平不満があるのだから。
ここでは優秀社員の像を明確にしたり、評価基準の明確化というものを奨励している。

第4章「部下のワクワク感を裏切らない秘訣」
ワクワクする場都言ったものが構築されたら今度は裏切らせない、ワクワク感を持続させるという方法についてである。
問題点の開示と問題解決と言ったものが主となっている。

第5章「保存版・部下が辞めないシンプルな方法」
ここで最も上がっていたのが「励ます」ということである。仕事は単独でやることもあればチームワークもある。私は仕事がらチームでの仕事が多く、周りとの協調性というのもネックになってくるが、同時にお互いに励ましているのかというのもチーム意識を向上させる上で重要なものになってくるが、目標意識、もしくは納期と言った意識に目が行き過ぎて結局、遅れた所の吊るしあげ都言うような状態になってしまう。ピンチの時には助け合いながらも励まし合いながら目標を目指す。一人ではできないところを皆でカバーする。「スクールウォーズ」の名言である、
「One for all ,All for one」
と言う言葉が生きてくる。

バブル崩壊以後人材の流動化は進んでいる。企業は社員が定年になるまで育てる、働ける場を保証できなくなったこの時代だからでこそ、会社の空気作りというのが切実な課題であり、最も重要な課題の一つと言えるが、それを実行できた、機能できたという企業は残念ながら少ないとしか言いようがない。むしろ空気が「ギスギスとしている」という会社がむしろ増えているのではないかと考える。売り込みもシビアになり、経済や企業的にも明日倒産するのか分からないこの時代を象徴しているのかもしれない。むしろこういう風潮になっている時こそ、場を盛り上げる力のある人が表舞台に活躍できるチャンスであることを象徴しているのかもしれない。

ボーデ解雇に、FIA会長にと

トロロッソ ボーデの離脱を正式発表

ニュルブルクリンクでのレースが最後と噂されていたボーデだが、その噂は現実となった。「セバスチャンの2シーズン目は我々の期待に沿ったものではなかっ たため、次戦のワールドチャンピオンシップであるハンガリーGPから彼を交代させることを決定した」と、チーム代表のフランツ・トストは語った(GPUpdate.netより抜粋)。

昨シーズン末から囁かれ始めていた噂だったのですが、今シーズン初めにギリギリとなって残留が決まり、今シーズンでも目立った活躍がなかったボーデ、結局しびれを切らして解雇という結末になりました。

その予兆は昨シーズンからあったと思います。何せヴェッテルに大きく水をあけられ、表彰台に乗るチャンスを自らのミスでふいにしてしまったのですから。

ただ、ボーデもトロロッソに対して法的措置を検討しているようなので、泥沼化になる可能性がありそうです。

後任のドライバーは決まっていないとの報道ですが、ハイメ・アルグエルスアリが確実視されているようです。

続いては長くくすぶっていたFIAの話題。

モズレー FIA代表を辞任

FIA代表のマックス・モズレーは、今年10月の任期満了に伴って代表職を辞任し、再選挙に出馬しないことを発表した。1993年以来代表を務めるモズレーは、後任に元フェラーリ代表のジャン・トッドを強く推薦している(GPUpdate.netより一部抜粋)。

こちらもようやくといったところじゃないでしょうか。女性スキャンダルや強硬な改革を推し進めてきただけにドライバーやチーム、はたまたはファンからも非難轟々だっただけに、おそらくこれらのサイドはほっとした、もしくは当然だという声が出てくるでしょう。

何せ4期16年もの長期政権でしたから、長く政権にいたことによる澱(おり)が出てき始めた、それだけではなく、F1自体も盛り上がりから欠け始めた所を考えると、新しいトップというのが欲しいというのが欲求としてあったのかもしれません。

次期FIA会長として最有力なのは書かれているとおり元フェラーリ代表のジャン・トッドと言われています。ワールドチャンピオンは、ドライバーズで5年連続、コンストラクターズで4年連続導いた指導者ではあるのですが、この辣腕がFIAで通用するのかどうかというのは未知数と言うしかありません。

ともあれ、F1界はハンガリーGP前にもかかわらず、どんどんと面白い話題が出てきています。

メディア危機

メディア危機 (NHKブックス) メディア危機 (NHKブックス)
金子 勝 アンドリュー・デウィット

NHK出版  2005-06-30
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突然だが、皆さんは新聞やTVやインターネットなどのメディアに対してどのように向き合っているのだろうか。私はTVはほとんど見ず、新聞も定期購読はしていない(時々日経を買って読んでいるという位である)。ニュースなどの情報ソースはほとんどインターネットで済ませるということが多い。深く知るために新聞やTVというのも大事であるが、そこから「なぜ」など多角的に考えることが不可欠であるが、メディアはそういったことよりも「善」「悪」と言った判断しやすいものに変えたがる。
本書はそういったメディアを批判しながらも、どのようにして付き合っていけばいいのかということについて書かれている。

第一章「「戦争の現実」はいかに作られるか――政治とメディア」
まずは政治に関してだが、これは「イラク戦争」のことを徹底的に批判をしたという所である。イラク戦争は、まさにアメリカの強引な証拠提示から圧力に至るまで暴力団、もしくはマフィアとも呼ばれるようなことを行い、一部を除いた西欧諸国や国連から非難の声が絶えまなかったほどであった。
当時のブッシュをはじめ国防長官であったラムズフェルドら「ネオコン」と呼ばれる人たちはイラクに大量破壊兵器があると主張していたが、大規模な査察により、「大量破壊兵器」は存在しなかった。しかもイラク戦争が始まった時には「イラク国民からの解放」というのを前面に押し出し、主張をいとも簡単にすり替えた。
イラク戦争の大義とは一体何だったのだろうかというのは様々な方面で検証されているが、「石油会社」や「戦争民間会社」というものが絡んでいるという見方が多い。

第二章「楽観論のワナ――経済とメディア」
本書が出版されたのは2005年夏。「戦後最長の好景気」の真っ只中と言われた一方で、「格差問題」が浮き彫りとなり、良くも悪くも盛り上がっていた日本経済。
特にこの時期は小泉政権が改革の本丸として挙げた「郵政民営化」というのがある。
この郵政民営化をめぐって国会は紛糾し、解散総選挙に至り、自民党は歴史的大勝を果たした。
もうすぐ解散総選挙を迎える。今回の総選挙は政権交代か否かという所が焦点になるようだが、議会制民主主義をとっている以上、政権交代というのは当然ある。
55年体制以降、政権交代を果たしたのは93年のたった1回のみ。もし今回の総選挙で政権交代を果たしたら15年ぶりとなる。民主党に政権能力があるのかというのは未知数であるが、政権をとってみなければわからない部分が多い。

第三章「作られるアイデンティティ――文化とメディア」
「差別」と言うと世界では「白」「黄」「黒」と言った人種差別、時に紛争や戦争にまでなる宗教差別といったものがある。日本では今はなりを潜めているがアイヌ問題や同和、被部落といった差別問題が今でも横たわっている。ただし、日本における「差別問題」はくすぶっているとはいえ、終息になりつつあるのだが、それを誇張しようとする「エセ同和」などの「エセ被差別者」の存在がいる。差別問題が今日になっても続いている元凶の一つと言えよう。

メディア・リテラシーに関する文献は非常に多い。メディアとは何なのかという入門書のようなものから、本書のように現在のメディアについて扱き下ろすような本まで存在する。方法論は違っていても、メディアに関する意見を観るのだから、メディアに対する考え方を本書のみならず、メディア・リテラシーに関する文献を通じて再考する必要がある。本書を読んでそう思った。

知覧からの手紙

知覧からの手紙 知覧からの手紙
水口 文乃

新潮社  2007-07
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「知覧」
鹿児島にある年なのだが、ここには大東亜戦争の中でも「特攻」の記念館があるところでもある。その名も「知覧特攻記念会館」。特攻のために飛び立った兵士たちが家族や恋人、祖国・日本のためにあてた手紙や遺品、遺影、戦闘機と言ったものが展示されている。
当ブログや前身のブログでも「特攻」については何度か取り上げているが、本書はある特攻隊員が愛する恋人のためにあてた遺書に隠されたノンフィクションの物語である。

第一章「出会い――図書館から職場へ」
のちに特攻隊員となる男性(以下:彼)と女性との出会いは昭和16年の夏のことだった。夏休みのある日、図書館での出会いだったという。当時大学生であった。

第二章「覚悟――マフラーになりたい」
大学を繰り上げで卒業した彼は陸軍に入隊した。それから厳しい修行に耐え航空兵になった。
それからというもの、会う機会はあったが、だんだんその頻度が少なくなりだした。その時に女性が思ったのが「マフラーになりたい」ということだった。
航空兵は当然戦闘機に乗った空中戦が多い。空中なだけに気温は地上よりもずっと寒い。防寒のための装備は出来てはいるものの、もし首から寒さが入り、風邪をひき、戦闘どころではない状態になるのを心配してのことなのかもしれない、と同時に「いつもそばにいる」という表れなのかもしれない。

第三章「婚約――たった一晩の子守唄」
彼が婚約したのは昭和20年である。その前年に彼は特攻隊に指名された。
本章にも書いてあるが、なぜ結婚せずに婚約に終わったのだろうか。陸軍兵士が結婚をするためには陸軍の教育総監の許可が必要であったという。さらに当時の民法上では家父長の許可も必要であったため、今のように容易に結婚ができなかった時代であった。

第四章「特攻――あなたをめぐる旅」
「智恵子 会いたい、話したい、無性に(p.182より)」
他にもいろいろと遺して行った手紙であるが、この分を読んだ瞬間に思わず涙がこぼれ落ちた。還らぬ人になる、そう確信した時に彼は恋人に会いたい、でも日の丸のために俺は逝くんだ、闘うんだと叫んでいるような気がしてならなかった。

特攻兵たちの遺書に関する文献は非常に多いが、戦争と「恋愛」という2つの紡ぎだした実話は心打たれながらも、「戦争とは何か」「何のために戦ったのだろうか」という答えの一つを教えてくれる。
紛れもなく「特攻」というのは史上最悪、最低の作戦であった。人の生命を犠牲にさせながらその作戦の考案者は戦後も生きてきたのだから。しかし実際に特攻として戦った人たちは非難されるものではないと私は思う。祖国のため、家族のため、愛する人のために自らを犠牲にして戦い抜いてきたのだから…。

「厄年」はある!―乗り越え方と運を掴むヒント

「厄年」はある!―乗り越え方と運を掴むヒント 「厄年」はある!―乗り越え方と運を掴むヒント
島田 裕巳

三五館  2005-02
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先日12日に24歳の誕生日を迎えたのだがこの24歳は数えで言うと25歳、男なのでちょうど最初の「厄年」に当たる年である。前厄の時から故郷で買ったお守りがあるので後はお祓いを受けるだけという立場なのでこれからどこでお祓いを受けようかという所で迷っているのだが、そもそも「厄年」というのは何なのかと考えると答えを窮してしまう。「厄」と言うと「災厄」や「厄介」と文字の如く悪い印象が強い。しかしそれだけではないものがあるのではと思い本書を手に取った。

第一章「厄年は人生の転機」
最初に述べたように「厄年」はある年齢になるとその名の通り、災いが起こる。宗教学者である著者も例外なく厄年、後厄の時に大事件が起こったという。
「オウム事件」
である。関連性がないように思えるのだが、その事件を機に著者は勤めていた大学を退職せざるを得なくなる。それからというものお金は底をつき、宗教学者としてもあまり仕事がなく、ようやく好転し始めたのは21世紀になってからだという。
著者の体験談ではあり、科学的な根拠はないものの、「厄年」という恐ろしさを感じさせた。

第二章「ルポ・妙法寺と佐野厄除け大師」
厄除けの寺はいくつもあるのあるが、本章では「関東の三大師」の一つである「佐野厄除大師」を紹介している(「関東の三大師」他には「西新井大師」と「川崎大師」がある)。しかも「佐野厄除大師」は「関東の三大師」唯一の「天台宗」である(残りの2つは「真言宗」)。本章ではもう一つ紹介されている「妙法寺」も同じく天台宗であり、過酷な修行で有名な延暦寺が総本山である。

第三章「厄年を転機に変えた人々」
厄年と言うとどうも悪い印象でしかないように思えるのだが、決して悪いことばかりではないという所を教えてくれるところである。
本章では厄年をチャンスに変えた偉人達を紹介している。弘法大師・空海や天台宗の祖である最澄、曹洞宗の祖・道元、また源頼朝織田信長など厄年の時、とりわけ男性では数えで42歳、女性では数えで33歳の「大厄」の時の事柄についてピックアップをしている。

第四章「歴史が作り上げた厄年の重み」
厄年の歴史は非常に長い。平安時代から既に存在しているとされているが、本章によるとこの「厄年」が大きく扱われ始めたのは江戸時代に入ってから、そして「厄除け」というのがメジャーになったのは明治に入ってからとされている。
ざっと計算したら140年ほど続いている厄除けと、約1000年以上続いている「厄年」。日本は「厄」の印象をこれだけ長い歴史でもって続きながらも進化して言っているというのがよくわかる。

第五章「厄年を活かす」
男性の大厄は数えで42歳。現在では働き盛りであり、仕事に生活にと忙しいながらも充実した時である。本章でも書かれていたが、女性は数えで33歳。こちらも働き盛りではあるがそれ以上に「結婚適齢期」である。
「厄」ということあって当然災厄などの悪いことは起こるのだが、「災難」と言った「難」との違いについて紹介を交えながら「転機」として捉えたらいいのではというのが本章の主張である。
「厄除け」というのができる以上、どのようにして「厄」を取り除くのかということにしてものちの人生に大きくかかわってくる。

第六章「厄年を引き受ける」
「厄」というのは災いなど悪いことばかり起こるのだが、それによって身の回りの変化が起こる、自分の人生観やライフスタイルを変化させる大きな「チャンス」と捉えた方がいい。
その例として斎藤茂吉茂太親子を紹介している。

私は今年数えで25歳。ちょうど最初の厄年である。とはいっても前厄の時には就職に配属にと2回も引っ越しをし、生まれて初めて関東で暮らし始めた。あれからもう1年がたつ。
今年はどのような災厄が待っているのか、そして厄除けはいつやろうかもう今年も折り返し地点が過ぎているのにもかかわらず悩み続けている私である。

アイデア会議

アイデア会議 アイデア会議
加藤 昌治

大和書房  2006-10-27
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アイデアを出すというのは何も一人というわけではない。新しい商品はどうしたらいいのか、新しいプランやビジネスモデルを考案するという「企画会議」や「アイデア会議」というのがある。私は職業柄、発想というのには無縁のように思える。しかし「職場デザイン」や「クライアントとのシステムデザイン」のアイデアを出すというのもあるのかもしれない。ビジネスにおいて「アイデア」というのは重要な要素であるが、「アイデアマン」ということに対して憧れしかもっていなかったり、自分はアイデアマンではないと謙遜してしまう人も多いかもしれない。
さらに「アイデア会議」と言うとあらかじめ課題が出される、もしくはすでにセッティングされているというのであればいいのだが、突発的にかつ何も準備していない状態で始められてはたまったものではない。
本書はアイデア会議の方法を伝授しており、「アイデア会議」の良さについて書かれたものである。

第1章「本当の「アイデア会議」とは何か?――会議は舞台。自分の役を知り、徹底的に演じるべし」
アイデア会議はあまりよくわからない私。
アイデアを出すための会議であるのは分かるが、様々な意見にいちゃもんをつけたり、否定的な意見ばかりが出て結局は堂々巡りということになっているところもあると思う。
アイデア会議をやるにあたって本章では「Who(参加者)」「What(行動)」「When(時間)」「Why(目的)」「Where(場所)」に分けて構成要素を紹介している。

第2章「アイデア会議のゴールデンルールズ――誰にでも覚えられるシンプルなルールこそが、最大のレバレッジを生む」
アイデアのゴールデンルールは全部で3つ。
1.「持ち寄る」
2.「発言と発言者とを切り離す」
3.「選ぶ」
1.と2.とを見てみると「ブレインストーミング」というのに見える。しかし「発言と発言者とを切り離す」というのが気になる。
「ブレインストーミング」は大概、アイデアを出すと批判や意見は禁止、それに乗じたアイデアはOKだが会話の中からアイデアが出るため「発言」「発言者」というのは切り離せない。
では、「発言」「発言者」はどう切り離すのか。本章では「物理的に」切り離すという。
さて、どう切り離すのか……それは本書を手に取らなければ分からないことにしておく。

第3章「プランナーにとってのアイデア会議とは――考える、考える、考える……自分のアイデアで会議室を埋め尽くせ」
今度は個別にアイデア会議における「プランナー」と「ディレクター」の役割について2章に分けて説明されている。本章は「プランナー」についてである。
「プランナー」は文字通り会議を計画する人のことを指しているが、それを考えるためには計画的でありながらも「云いだしっぺ」になる必要があるという。またアイデアを変えるという「云い換え」というのもプランナーの役割と書かれている。

第4章「ディレクターにとってのアイデア会議とは――考える場を作る、アイデアをもらう、そして自分が決める」
ではディレクターはどのような役割を担っているのだろうか。プランナーをまとめて、考えをまとめたり、クリティカルなアイデアにどのようにして導くかというのが大事になってくる。

第5章「アイデア会議の大道具・小道具――云い出し/云い換えを陰で支える裏方たち」
アイデアを考えるのは頭であるが、ではアイデアを出すものとしての道具がある。
「紙」
「机」
「ホワイトボード」
だという。せっかく出てきたアイデアをまとめたり、並べたり、動かしたり、考えたりすることのできるツールなのでアイデアがさらにアイデアを生み出すことができる格好の道具と言える。

「アイデア会議」の真髄が本書にすべて詰まっている。アイデア会議をやりたいけれどどうやるのか分からない、アイデアを出す会議はやったことがあるのだが思うように成果が出ない人たちには格好の一冊と言える。

いい仕事をする人の3つの断り方!

いい仕事をする人の3つの断り方! いい仕事をする人の3つの断り方!
臼井 由妃

青春出版社  2009-07-10
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様々な場で「断る」というのは気を使ってしまうのだが、特にビジネスの場においては相手の気を逆撫でにする、もしくはそれ以降の商談にも影響を及ぼすというなど悪影響を及ぼしかねない状況になる。しかしビジネスの場に限らず、様々な事情から断らなければいけない状況というのは必ずある。本書は自分にとっても、相手にとっても気持のいいばかりではなく利益になるような「断り方」というのを伝授している。

序章「「断り上手」の基本は、断らないことにある!?」
いきなりこのタイトルを見ると、あべこべなのではないかと驚く人がいるだろう。
しかし「頭ごなしに」断るのではなく、イエスと言いながらもしかし理由を明確にして断るという方が相手にとっても感謝されているという考えから「まぁ仕方がないか」と考えることができる。申し出をした相手を立てながらも断ったり意見を言う。
一見中途半端や、口を濁しているように見えるのだが、相手への敬意というのを忘れてはならないという所を本章では教えてくれる。

1章「時間を自分の物差しで考える――自分なりの断る基準を決めておく」
仕事の断るといっても自分の価値観や判断基準というものがある。それを明確にしないと、自分の好き嫌いで物事を決めてしまうため相手からは反感を買われるようになってしまう。
それを防ぐためにもまず自分なりの基準を決める必要がある。
特に「断り下手」と言う人だと、どんな仕事でも「安請け合い」にOKを出す、または考え方に迷いのある人、または周囲への配慮の無い人と分けられている。特に前者2つは良くいわれているように思えるのだが、3つ目の「配慮がない」というのが困りものかもしれない。
この3つに共通することは自分の物差しがない、そこから周りとの配慮がないというのがある。
そのためにも時分にはどのような仕事が得意で、どのような仕事が不得意なのか、自分にはどのような基準があるのかというのをあらかじめ知ることが肝心と言える。

2章「断りやすい舞台を整える――断り上手になるための基本ルール」
断るというといい方とか物差しだけではなく、雰囲気などの舞台づくりというのも大事であるという。
断るにしても断りにくい雰囲気になって「断る」と明言してしまったら「空気が読めない」「感じ悪い」という印象を受けてしまう。しかし、断れるための雰囲気を作るためには相手への気配りや演出を迅速に心がけるという。
断ることと雰囲気づくりというのが大切だなと気付いたところである。

3章「断り上手は「聞き方」はうまい――カドを立てずに、仕事の主導権が握れる断り方1」
「聞き方」というとコミュニケーションの根幹の一つと言える。
その聞き方や「沈黙」と言うと臼井氏の前書である「上手な話し方」にもある。
沈黙を使いながら理由を伝える、相手を冗舌にさせるという所は話し方の真髄を見せつけられるところと言える。

4章「四つのテクで、気持ちよく断る――仕事の質と効率がみるみるよくなる断り方2」
四つのテク、これはコミュニケーションツールのことであるが、何も特別なものはない、表してみると、
・表情
・仕草
・声
・言葉
のツールを使って気持ちよく断ろうということである。
「何だ」と思いがちかもしれないがこの4つを1つもかけてはいけない。もし言葉だけ、仕草だけ、表情だけ、声だけで断ろうとすると相手の方も嫌な気持ちになる。最悪、相手の気持ちを逆撫でしてしまい、今後の関係に溝ができてしまうことになる。この4つをうまく使って気持ち良い断り方をする。簡単なようだけれどもなかなか難しく思える。しかし本章のことを少しずつ実践していくと、気持ちよく断れる人、もっと言うと断っても悪い気持ちにさせない人になれる。
本書の中で本章が最も肝になっているのかもしれない。

5章「「提案のNO」を使いこなせる人になる――信頼関係がますます深まる断り方3」
頭ごなしに「No」と言っても生産性は生まれない。
ここでは断るけれども断る代わりにどうしたらいいのかというのを教えてくれる。「ただ断る」というのではなく、新たな生産をさせてくれる「No」の方が断られた身にとってもとても気持ちよくなれる。

今年の2月に発売された勝間和代氏の「断る力」というのがベストセラーとなった。勝間氏も勝間氏なりの断る力というのを持っており「自分の軸」を知るということを念頭に置いて断っているという印象が強い。
著者は自分の軸を知るばかりではなく、相手に感謝しながらも断るという形なので、温かみの観点で言うと臼井氏の方が気持ちが良い。
断らければいけないと考えている人、もしくは自分は断れない人だと思う人はぜひお勧めする一冊である。

ワクワークショップ Vol.06 感想

昨日は竹原さんが主催する「ワクワークショップ Vol.06」に参加いたしました。

講師の板橋悟さんとは先日の「出逢いの大学 特別講座」で初めてお会いし、今日セミナーを行うということを知りました。

「ワクワークショップ」ということなので「記事トレ!」をワークショップ形式で実践を行うということなので、直に「記事トレ!」を学ぶことができる絶好の機会でした。

実際にトレーニングとなると、最初はしっかり実読を行っていなかったこともあってか、あまり「記事トレ!」の内容に沿っておらず、自分なりの図になってしまったのですが、だんだんやっていくうちにそれらしくなっていったと行き、ようやく実感を覚えました。

具体的な内容については「記事トレ!」をご覧ください。

もうひとつ、その日は私の誕生日だったこともあり、懇親会は私がメインに(汗)。

内容はさすがに公開できません。恥ずかしすぎるので…。知りたいという方は、セミナーなどで私に直接会って聞いてください。

誕生日ということあって楽しさと、嬉しさと、少々冷や汗の入り混じった懇親会でした。

今回セミナーを主催してくださった竹原さん、講師の板橋さん、そして今回名刺交換をしてくださった皆様、本当にありがとうございました!!

F1 ドイツGP ウェーバーが「ようやく」初優勝!!

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 M・ウェーバー レッドブル 1:36:43.310
2 S・ヴェッテル レッドブル + 9.252
3 F・マッサ フェラーリ + 15.906
4 N・ロズベルグ ウィリアムズ + 21.099
5 J・バトン ブラウンGP + 23.609
6 R・バリチェロ ブラウンGP + 24.468
7 F・アロンソ ルノー + 24.888
8 H・コヴァライネン マクラーレン + 58.692
9 T・グロック トヨタ + 1:01.457
10 N・ハイドフェルド BMW + 1:01.925
11 中嶋 一貴 ウィリアムズ + 1:02.327
12 G・フィジケラ フォースインディア + 1:02.876
13 N・ピケ・ジュニア ルノー + 1:08.328
14 R・クビサ BMW + 1:09.555
15 A・スーティル フォースインディア + 1:11.941
16 S・ブエミ トロロッソ + 1:30.225
17 J・トゥルーリ トヨタ + 1:30.970
18 L・ハミルトン マクラーレン + 1 laps
Did not finish
19 K・ライコネン フェラーリ + 26 laps
20 S・ボーデ トロロッソ + 42 laps

ウェーバーがようやく初優勝を遂げました。

というのはバリチェロの持っている参戦125戦目にして初優勝の記録を塗り替える「参戦132戦目」での初優勝ということで、「F1史上最も遅い初優勝」となりました。ヴェッテルの後塵を拝していただけにこの1勝というのは火除言うに大きいものだったように思えます。

ヴェッテルが2位で今シーズン3回目の1‐2フィニッシュとなりました。ブラウンGPが5-6フィニッシュだったのでコンストラクターズでは差を大きく詰めることに成功し、逆転可能なところまで近づいてきました。

マッサが3位表彰台、久々の表彰台です。

一方ライコネンはリタイア。審議の対象となっていましたが、その結果はどうなる事やら…(分かり次第追記)。

→(7/13 23:49追記)

お咎めなしだったようです

中嶋は途中ポイント圏内に入るのかと思いましたが結果は11位。折り返し地点を過ぎてもいまだにノーポイント。一方のチームメートは4位フィニッシュで20.5ポイントを考えると、さすがにポイント取らなければまずいとしか言いようがありません。

次戦は2週間後、ハンガリー・ハンガロリンク!! またもや初優勝が出るのか!!?

頭のいい人だけが知っている お金を稼ぐ読書術―33歳で3億円をつくったインプット・アウトプット法―

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午堂 登紀雄

ビジネス社  2009-06-25
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もうすでにビジネス書ブームになって1年以上が経過しようとしている。これまで多くの仕事術や勉強術、はたまたは読書術といったもの至るまで様々な本が出版されてきた。
本書の著者もお金を稼ぐ方法から、使い方、ノート術、時間術に至るまで様々な本を世に出してきた。その著者が新たに出したのは「読書術」である。著者もまた読書家であり、自らの読書をし、実践することによって成功を手に入れた。本書は自らの読書観を余すところなく紹介している。

1章「読書はお金を生み出す道具」
読書というのは様々な方法があり、大きく分けると主に趣味の読書である「楽読」、ビジネスにおいて実践を行い、目標を達成するために読む「実読」というのがある。本書ではまさに「実読」、その中でも「お金を稼ぐ」に特化した読書術である。
「お金を稼ぐ」と言っても多様なものがあり、株式や不動産投資と言った本で投資術を学んだりするというのもある。著者は不動産投資で3億円もの資産を持つことができたとしているので投資術という所なのかというとそうではない。
読書と言っても様々な本を読んでおり、それと同時、それ以上に実践を行っている。
そのことによって33歳で3億円の資産を築いた原動力の一つとなった。

2章「お金を生み出す読書の仕組み」
「2009年は仕組みの年である」
さすがにこの言葉は飽きてきたが、今年1年はそういった本が目白押しとなりそうなのであえて連呼しておく。
能書きはそこまでにしておいて、ここではお金を生み出す読書の方法について具体的な方法について紹介している。一部だけ紹介すると、
・いつでもどこでも読む環境を作る
・本をバラバラに分解する
・同時に20冊を並行して読む
・適齢期が来るまで寝かせる
というのがある。特に3番目は「本は10冊同時に読め」というようなタイトルの読書本があるのだが、それの上を行っている。10冊までであればわかるのだが、さすがに20冊までは…とも思ったのだが、「すべて目を通すわけではない」ということを付け加えれば20冊は可能と言える。
「お金を生み出す」ということなので「読了即実践」というのがモットーなので全部読む必要がないというのもある。

3章「頭のいい人が実践しているお金に換える読書の技術」
読書というのは「著者との対話」という側面を持っている。特に著者の追っかけ(読書による追っかけ?)をおこなっているという。しかも様々な目的に合わせて何人もの著者を追っかけているそうだ。追っかけと言っても気に入った著者の本をすべて読むという形であるが著者の持っている思考の根幹を知るというのも目的の一つである。
さらに読書によって得られる側面もあるので著者の持っている意見に賛同しながら、自らの思考の血肉としていくそうである。
当時の私にはそういう発想がなかった。書評を始めた当初は思考の血肉というよりも、まさに字の如く「この本のここが良い」「この本は嫌い」とはっきり主張していた(今も変わらないか)。だんだん読んでいくにつれ、さらにセミナーにも参加するにつれ考えが変わり、そのような意見があるのかということで相違する意見の本にも手を出し始めた。読むたびに新発見はありえるものは大きいのだが、それによって弊害となったのは「意見が言えなくなったこと」にある。書評は本の内容を言って得た者を述べるだけではなく「書を評する」の如く、評価をしないと「書評」とは言えない。辛口に評価してしまうと著者との論戦となり、泥沼になるということを恐れてしまう。当然リアルで著者とお会いしてしまうので、批判をしようか絶賛しようかというジレンマに度々襲われる。

4章「お金を生み出すアウトプット読書法」
ビジネスに関するノウハウ本の場合は読んだ後、愚直に実践をしなければその本の価値は見出すことができないとされている。本書でも実践をすることを推奨している。
それだけではなくノートや会話によってアウトプットをする方法を紹介している。

5章「高速大量インプットするコンサルタントの読書術」
読書術と言うと「目的にあった読書をする」というのがほとんどであり、速読や多読と言ったことはそれほど重宝されていない。
しかし本書では速読や多読というのを推奨しているところが特徴として表れている。経験値・読書量・関心度・集中力が相まって読書量が増えるという。これには個人差があるがその通りだと思う。読書というのは新しい考え方や角度を学ぶことができる。さらには疑似体験というのができるので経験値を得ることができる。読書をすることで興味がわき、同じ分野の本を読みたくなる。それがサイクルとなって循環することによって大きな「知」になる。

6章「頭のいい人のお金のトレンドを読む技術」
本は例外なく流行というのが存在する。現在で言ったら村上春樹の「1Q84」がある。さらには「勝間本」というものもトレンドになっているようだ。本章では「本」といよりもキャッチコピーやタイトルづくりと言ったところをピックアップしている印象が強かった。

「お金儲け」と言うといやらしい感じが強い印象を受けるのだが、本書はそういったものがみじんも感じられなかった。お金を儲けるというのもあるのだがそれ以上にアウトプットの価値を見いだすことのできる、さらには多読・速読というのを推奨しながら実践をすることによって「知」に落とし込んでいく凄さを感じ取れた一冊であった。

F1 ドイツGP ウェーバーが初のPP! そして優勝予想

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 M・ウェーバー レッドブル 1:32.230
2 R・バリチェロ ブラウンGP 1:32.357
3 J・バトン ブラウンGP 1:32.473
4 S・ヴェッテル レッドブル 1:32.480
5 L・ハミルトン マクラーレン 1:32.616
6 H・コヴァライネン マクラーレン 1:33.859
7 A・スーティル フォースインディア 1:34.316
8 F・マッサ フェラーリ 1:34.574
9 K・ライコネン フェラーリ 1:34.710
10 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:34.803
11 N・ハイドフェルド BMW 1:42.310
12 F・アロンソ ルノー 1:42.318
13 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:42.500
14 J・トゥルーリ トヨタ 1:42.771
15 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:42.859
16 R・クビサ BMW 1:32.190
17 S・ブエミ トロロッソ 1:32.251
18 G・フィジケラ フォースインディア 1:32.402
19 T・グロック トヨタ 1:32.423
20 S・ボーデ トロロッソ 1:33.559

ウェーバーはほぼ毎回のようにQ3に進出しており、そこそこのポジションを獲得するドライバーでした。今年はレッドブルはPPも取れる位置なのですが、ヴェッテルに負けている印象が強く良くてフロントローしか獲得できませんでした。

そのウェーバーに千載一遇のチャンスを見事逃さずにPPを獲得となりましたが、決勝はどうなることでしょうか。予選のコンディションは目まぐるしく変わっており、誰がPPをとってもおかしくないような状況なので決勝も同じコンディションだったら…どうなるのかわかりません。

レッドブルやマクラーレンの好調以上に印象が強かったのはフォースインディアのスーティル。

チーム初のQ3進出、そして7番手。前にはレッドブル・ブラウンGP・マクラーレン、さらに後ろにはフェラーリと強豪がひしめく中、決勝ではこのポジションが維持できるのかというのがカギとなりそうです。

さて優勝予想と行きましょう。

本命:バトン

対抗:ウェーバー

要注意:ハミルトン、バリチェロ

1コーナーでウェーバーがポジションを維持できるかどうかが今回のターニングポイント…と言いたいところですが、天候が不安定な分どんなレースになるのか分からないというのが本音。

F1 ドイツGP フリー走行3回目結果

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 L・ハミルトン マクラーレン 1:31.121 16
2 F・アロンソ ルノー 1:31.340 18
3 F・マッサ フェラーリ 1:31.351 20
4 S・ヴェッテル レッドブル 1:31.542 17
5 M・ウェーバー レッドブル 1:31.610 16
6 K・ライコネン フェラーリ 1:31.615 19
7 J・トゥルーリ トヨタ 1:31.620 23
8 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:31.690 20
9 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:31.731 20
10 N・ハイドフェルド BMW 1:31.928 21
11 J・バトン ブラウンGP 1:32.009 22
12 T・グロック トヨタ 1:32.022 20
13 A・スーティル フォースインディア 1:32.104 20
14 R・バリチェロ ブラウンGP 1:32.124 13
15 G・フィジケラ フォースインディア 1:32.135 21
16 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:32.223 15
17 S・ブエミ トロロッソ 1:32.239 23
18 R・クビサ BMW 1:32.269 20
19 H・コヴァライネン マクラーレン 1:32.742 18
20 S・ボーデ トロロッソ 1:32.883 21

ハミルトンが好調のようです。予選ではこの好調を維持できるかどうかというところがカギとなりそうです。

F1 ドイツGP フリー走行1・2回目結果 そしてPP予想

富士スピードウェイが日本GPから撤退し、FIAとFOTAの対立が激化する中、3週間ぶりにF1GPがはじまりました。

今回は2年ぶりにドイツ・ニュルブルクリンクでの開催。2年前と言うと突発的な大雨による大波乱でスポット参戦のドライバーがレースをリードし、最後の最後でトップ争いをし、表彰式前にも一波乱とコース内外で楽しませてくれたGPでした。

そうでなくてもここのコースはカーブの多いサーキットながらも、オーバーテイクも比較的多いサーキットです。スピードとバトル、それを大いに楽しませてくれるサーキットです。

さてフリー走行の結果はどうなったのでしょうか。結果は以下の通りです(GPUpdate.netより)。

1回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 M・ウェーバー レッドブル 1:33.082 19
2 J・バトン ブラウンGP 1:33.463 18
3 F・マッサ フェラーリ 1:33.745 21
4 J・トゥルーリ トヨタ 1:33.795 23
5 G・フィジケラ フォースインディア 1:33.839 26
6 K・ライコネン フェラーリ 1:33.840 23
7 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:33.902 26
8 S・ヴェッテル レッドブル 1:33.909 13
9 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:33.952 25
10 F・アロンソ ルノー 1:34.148 16
11 N・ハイドフェルド BMW 1:34.221 25
12 R・バリチェロ ブラウンGP 1:34.227 17
13 L・ハミルトン マクラーレン 1:34.483 14
14 R・クビサ BMW 1:34.694 23
15 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:34.738 24
16 S・ボーデ トロロッソ 1:34.827 27
17 S・ブエミ トロロッソ 1:34.878 28
18 H・コヴァライネン マクラーレン 1:34.893 26
19 T・グロック トヨタ 1:34.911 23
20 A・スーティル フォースインディア 1:35.092 6

2回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 L・ハミルトン マクラーレン 1:32.149 23
2 S・ヴェッテル レッドブル 1:32.331 31
3 J・バトン ブラウンGP 1:32.369 32
4 M・ウェーバー レッドブル 1:32.480 28
5 J・トゥルーリ トヨタ 1:32.511 32
6 A・スーティル フォースインディア 1:32.585 32
7 R・バリチェロ ブラウンGP 1:32.664 26
8 F・アロンソ ルノー 1:32.774 24
9 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:32.872 32
10 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:32.992 29
11 N・ハイドフェルド BMW 1:33.012 36
12 F・マッサ フェラーリ 1:33.052 34
13 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:33.128 34
14 R・クビサ BMW 1:33.161 28
15 T・グロック トヨタ 1:33.172 34
16 K・ライコネン フェラーリ 1:33.182 29
17 H・コヴァライネン マクラーレン 1:33.724 27
18 S・ブエミ トロロッソ 1:33.903 30
19 S・ボーデ トロロッソ 1:34.025 30
20 G・フィジケラ フォースインディア 1:38.877 3

相変わらずブラウンGPとレッドブルが強いという印象ですが、2回目はマクラーレンのハミルトンがトップタイム、1回目ではフェラーリのマッサが3番手につけているので2強はうかうかしていられないでしょう。

さてPP予想といきましょう。

本命:バトン

対抗:ヴェッテル

要注意:ウェーバー、トゥルーリ

順当に行ったらこんなところじゃないかと。

なぜデパ地下には人が集まるのか

なぜデパ地下には人が集まるのか (PHP新書) なぜデパ地下には人が集まるのか (PHP新書)
川島 蓉子

PHP研究所  2008-10-16
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最近はあまり行かないのだが、デパ地下にはよく足を運んだ時期があった。特に北海道に住んでいた時期はほぼ毎日のように足を運び、大丸の地下やエスタ大食品街と言ったところで晩御飯を買ったほどである。東京に移り始めてからはデパートとはいってもバスで行かなければならず、通勤場所もデパートという所は1件も存在しない(あってもショッピングモールのみ)。
デパ地下にはまった時期のある私にとってデパ地下の魅力が書かれている一冊に出会ったことがない。そういった意味で本書はおもしろそうである。デパ地下にはよく人が集まるだけではなく、朝や昼の情報番組には頻繁に「デパ地下特集」といったコーナーがあるほど盛況である。本書とともにその謎について迫ってみたい。

第Ⅰ部「なぜ今、デパ地下なのか」
1.「「デパ地下」は日本発」
デパートの目玉の一つである「デパ地下」であるが、現在では「地下街」ができるほどになり、「地下」が一つのテーマパーク化している。その発端となったのが「デパ地下」であるが、これが誕生したのはいつごろかと言うと1907年、日本橋三越本店で地下食堂を開設したことから始まった。一昨年デパ地下が誕生してから100周年迎えたという計算になる。
日本でデパートが誕生したのが1904年に「三越呉服店」、現在の三越が誕生してからの歴史を観るとデパ地下とともに歴史を歩んだといっても過言ではない。

2.「デパ地下の「今」」
誕生したころは地下食堂として使われたデパ地下であるが、その名残というのは地下食品街という形で残っているのかもしれない。「デパ地下」と言うと食品を扱うということが多く第Ⅱ部で紹介をするのだが、「食品」と言っても多様なものが置かれている。
食品街と言っても食堂や生鮮市場だけでなく、おしゃれな雰囲気の店まで存在するためデパ地下を愉しむことができるところもまた魅力の一つと言える。

第Ⅱ部「“まち・みせ・ひと”から読み解くデパ地下」
1.「ちょっとした「手みやげ」を探す〜「個性」や「気持ち」を表現する」
まずはお土産品。千疋屋のような高級菓子から、ご当地のお菓子や名産物に至るまで様々なお土産品がある。特に会社近くにデパートがあるところはお得意先へ「手土産」という形で買うことができ、さらに帰省する時には親への贈り物としても喜ばれる。

2.「こだわりと高級感を表現するギフト〜「贈答品」から「ギフト」へ」
「お土産」と同時に「贈答品」としてギフトというのもある。ちょうどこの時期は「お中元」の季節なので冷たいお菓子や飲みものからフルーツに至るまで夏の暑さを和らげるものとして適している。
品物のみならず包装に至るまで様々な工夫を凝らしているため、もらう側としても包装の見栄えと中身と楽しむことができる。

3.「日常で贅沢気分を味わうスイーツ〜ブームはデパ地下から生まれる」
デパ地下は時代の先を行くスイーツがいつも売られている。
特に情報番組では取り上げられ、そこからブームになっていくという循環がスイーツをここまで進化させたのかもしれない。特に若い女性をターゲットにしながら最新のスイーツを世に出しているため、スイーツの試金石と言える場ともいえる。またスイーツ好きな男子から女性にモテるためにスイーツに凝るという人もいるため、現在デパ地下が盛況である核の一つと言える。

4.「国内外の有名ブランドが揃うパン〜デパートの個性が表れる」
今度はパンである。パンと言うと菓子パンから総菜パンに至るまで様々なパンがあるのだが、デパ地下のパンも侮れない。老舗ブランドから新鋭ブランド、人気ブランドに至るまで様々なパンが売られている。
デパ地下に関していろいろなところに入ったが、唯一行っていないのがこのパン屋である。その理由はパンなのになぜか高いからである。しかしその高さというのはブランドであったり、素材の良さであったりすることを考えるともし暇があったらぜひ買って食してみたい。

5.「夕御飯を見繕うお惣菜と生鮮食品〜デパ地下が支える日本の食卓」
私がよくデパ地下に行ったのは夕方〜夜にかけてである。その時は夕食の時期なだけに総菜が安売りになるのを見計らって買うというパターンがほとんどだった。
ただ安くなったとはいえさすがはデパ地下、スーパーの総菜品売り場とは比べ物にならないほどの値段と種類がある。
安さばかり目が行っていた時代であったが、それだけではなく和・洋・中の様々な総菜があるのでそれも魅力であった。
主婦や一人暮らしのサラリーマンにとってはもう一つの台所と呼ばれるにふさわしいのがこのデパ地下の総菜であろう。

6.「手軽で豊富なお弁当〜日々の食事と特別なシーンで使い分ける」
総菜に続いてはお弁当である。総菜が夕食であれば、お弁当は昼食である。正午から1時にかけては弁当を求めてサラリーマンやらOLやらがひっきりなしに列をなすというイメージが強い(その時間帯は残念ながら1度も行ったことがないのであくまでイメージ)。
弁当も中華弁当から幕の内、ステーキ弁当や海鮮弁当に至るまでこちらもバリエーションが豊富である。さらにレストランや料理店からお弁当を出すというのもあるため一層高級感が増す。
またこれはデパ地下とは関係ないのだが、時期によっては「駅弁」というのも売られる。普段駅でしか買うことのできない「駅弁」をデパートで購入し、食べることができるのでそれもまた一つの楽しみと言える。

7.「お招きの一品とお酒〜ハレの気持ちを込めて選ぶ」
最後は酒とそれに合う肴である。デパ地下にはワインから地酒に至るまで全世界から様々な酒をそろえている。ある時はワイン、ある時は日本酒、ある時は珍しい洋酒に至るまで晩酌を2倍も3倍も愉しませてくれる。それに合う酒の肴もあり、晩酌のお供にと同時に購入する人もいることだろう。

デパ地下はまさに「食」の宝庫と言える。しかしある疑問が浮かんだ。デパ地下の誕生は地下食堂から始まっている。これも「食」である。100年にものぼる間、デパートにおける「食」の根幹とした。これはなぜなのか。それは食べ物の貯蔵と何か関係しているのかもしれない。昔は梅干しや漬物などを貯蔵するために暗くひんやりしたところとして蔵や地下という所におかれることが多かった。これに起因しているのではないかとも考えられる。デパ地下の魅力が出てきたら、今度はデパ地下の「なぜ」についてみてみたいものである。

「幽霊屋敷」の文化史

「幽霊屋敷」の文化史 (講談社現代新書) 「幽霊屋敷」の文化史 (講談社現代新書)
加藤 耕一

講談社  2009-04-17
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これから厳しい夏ということで、「怪異の風景学」に続いて「怪談」シリーズとなった。いっそのこと「怪談」モノのシリーズ書評をしてみようかと考えてみようかと考えてみたり。
さて本書は「幽霊屋敷」についてである。

第一章「ホーンデッド・マンション再訪」
「ホーンデッド・マンション」と言うとディズニーランドのアトラクションの一つとして知られており、ディズニー映画のタイトルとなった。私はその映画自体観たことがなく、正直言ってタイトルを見ただけでもあまりピンとこない。
著者は本書のタイトルにある「幽霊屋敷」について様々なものを得るために東京ディズニーランドに直接足と運んだという。
昨年の春までは北海道に住んでいたので行きたいという願望はあってもそう簡単に行けるところではなかった。今は川崎に住んでいるので暇があれば簡単に行けるところであるが、どうも気乗りがしない。

第二章「それはゴシック・ストーリーから始まった」
ゴシック・ストーリーという聞きなれない言葉が出てきた。これは中世のゴシック様式から出てきており、ルネッサンス期に栄えた美術形式である。古代ギリシャやローマの文化を理想とした文化であり、それに関する美術や彫刻といったものが多く世に出た時代でもある。
本章ではシェイクスピアを中心に多くの美術や文学に関する「幽霊」について、おもに廃墟や墓所という所に着目をしている。
本章では本格的に幽霊屋敷をピックアップしているが、お化けという感じよりは美術という印象が強い。

第三章「そこには不気味な館は建つ」
怖いもの好きな人はここからどうぞ、と言いたくなる。
本章はゴシック文学について紹介しているところであるが、本章ではそのほんの一部を抜粋しながら紹介しているため、文学作品の恐怖感というのをそのまま味わえる。一部だけなのでそれに興味を持ったら紹介された作品を読むと良いので一石二鳥と言うべきだろうか。
本章の最後にはラフカディオ・ハーンの晩年のエッセイ「ゴシックの恐怖」についても取り上げられている。

第四章「ファンタスマゴリーの魅惑」
「ファンタスマゴリー」というのは18世紀に発明されたフランスの幻灯機を使った幽霊ショーのことである。
英語では「ファンタスマゴリア」と呼ばれ、19世紀のヨーロッパでは隠喩的な言葉として扱われてきた。

第五章「蝋人形とペッパーズ・ゴースト」
ここまで来るとあまり幽霊のことについて知らない人でもとっつきやすくなる。
「蝋人形の館」と言うと聖飢魔Ⅱのヒットナンバーとして知られている。では実際に蝋人形の館というのはあるのかというと美術作品として1882年にマダム・ダッソーが描いた「蝋人形館」というのが存在している。他にもあるのかもしれないが本章ではこれしか紹介されていなかった。
そしてもう一つ、「ペッパー・ゴースト」は照明技術により視覚トリックを用いて幽霊を登場させるという技術である。これを考案したのも19世紀で、1862年のクリスマスの時に初めて行われたとされている。
今やゴーストハウスのアトラクションや怖い話の舞台でも用いられているためメジャーとなっているが、主に技術としての幽霊文化という所を本章では着目している。

第六章「幽霊屋敷のアメリカ化」
日本では幽霊の出るところと言うと廃屋や誰も通らないトンネルや道路、そして樹海といったものを思いつくことだろう。
しかしアメリカなど欧米諸国では「城」というイメージが強い。なぜイメージが強いのか。それはだ一章で書いたディズニーランドの「ホーンデッド・マンション」の影響が強いからであるという。

本書は「幽霊屋敷」と書かれているが、結局のところ「ホーンデッド・マンション」に対しての文化誌を考察した一冊である。ディズニーランドに行き、そこで「ホーンデッド・マンション」を体感してからでないと本書の真髄はなかなかわからないようにできている。とはいえ幽霊屋敷に関する芸術や文学といったものをについて紹介されている作品も多いので本書を読んでから体験をするというのもまた一興なのかもしれない。

塩の文明誌―人と環境をめぐる5000年

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皆さんは「塩」についてどのようなイメージを持っているのだろうか。
良いイメージだとすれば「生命の源」「海」「ミネラルの宝庫」というのがある。
反対に悪いイメージだとすれば「高血圧の元」「摂り過ぎ注意の物」というのがある。
良くも悪くも「塩」というのは何かしら印象があるというのはある。では「塩」はどのような歴史をたどってきたのか、そしてどのような価値であったのだろうか。
本書は「塩」についてありとあらゆる観点から考察を行っている。

第一章「塩とは何か」
「塩」はどのようにしてつくられるのか、そしてどのような種類があるのかということについて知りたくなる。
「塩」は主に海や塩湖から採取している。世界にある6割が岩塩であり、残りは海塩や湖塩である。
今となっては「食塩」と言うように調味料として扱われることがほとんどであったのだが、昔は貨幣の一つとして扱われ、大航海時代の時でも胡椒と同じく重宝されたものであった。日本でも同様に江戸時代では財源確保のため塩の専売制度を導入した藩も存在するほどであった。
今では簡単に手に入る塩であるが、当時は手が出せずむしろ貴重品と同じような扱いであった。

第二章「塩が生かす生命」
最近ではキャラメルや飴といったお菓子にも「塩」というのが意識し始めた。「塩」と言うとしょっぱいという印象が強いが、それと甘さが相殺されることにより、大人の味が出てくるといわれる。新たな酒の肴、特にカクテルのお供として相性が良い。
日本では醤油や塩漬けというように塩と密着している一方で健康のための「減塩」というのが叫ばれている。生活習慣病の原因の一つに挙げられており、どうやら脂質や糖質と同じく「悪者」にしようとしているようにしか思えない。ただしその一方で、これから暑い夏の時期で「熱中症」というのが心配になってくる。そういうときだけは塩分も取りましょうという。
健康にいい・悪いというよりも塩についてもっと理解した方がいいのではというだが私もその通りだと思う。

第三章「塩は世界をめぐる」
塩は水と同じく生物が生きていくに当たって重要な成分の一つと言え、塩は潤いの源の一つともいえる。その一方で農作物といった植物にとっては「塩害」という厄介な側面もある。
日本ではあまり聞きなれないように思われがちだが、日本でも他人事ではない。台風による暴風や高波により、海の成分がそのまま農作物に影響を及ぼすということがある。
さらに黄砂も海を渡ってきているので塩分を運ぶという働きがある。しかしこの黄砂は塩分というよりも塩菌(好塩菌)というのが運ばれており、食糧保存の方法の発見の材料となるなど良い影響を及ぼしている。

第四章「塩と文明の興亡」
塩と文明というのは切っても切れないものである。メソポタミア文明崩壊の陰には塩があったとされているのがその証拠としてある。このメソポタミア文明は2つの川の間によって生まれた文明である。その川というのはトルコ・イラン・イラクにつながる「チグリス川」や「ユーフラテス川」である。この文明の崩壊というのは第三章でも述べた塩害の影響によるものとされているという。
生物として生きていくにあたり、塩というのはオアシスとなるのだが、その一方で塩が牙をむき文明を崩壊させてしまう、もしくは枯渇させるという側面があると考えると恐ろしいものである。

第五章「人類は塩とどうつきあうのか」
では「塩」は本当に有害なものかというのを考えていく。
塩は生物が生きていくに当たり重要な成分であるというのは言うまでもない。しかしその一方で塩害など私たちの生活の中で害を及ぼすという側面もあるというのは分かった。ではどう付き合っていけばいいのか。

これからの時代、「環境」という言葉にだんだん敏感になっていくことだろう。そのためには自然との共生、昔から自然を利用して人びとは暮らしていった。その考えを再考すべきなのではないのだろうかと言いたいところだが、環境問題だからと言って何かと二酸化炭素減少や節電やエコ製品に走るというのは筋違いとしか言いようがない。
今の文明を生かしながらこれからどのような共生を図っていけばいいのかというのをもっと考える必要があるのではないのだろうかと私は思う。

F1 富士スピードウェイ 日本GPから撤退

「富士スピードウェイ 日本GPから撤退」

2007年から鈴鹿に代わって日本GPの開催地となった富士だが、今年からは鈴鹿と富士との交互開催となり、次に富士で日本GPが行われるのは2010年の予定だった。しかし、富士スピードウェイ株式会社は火曜日に発表したプレスリリースの中で「昨年10月以降の世界的な経済不況に伴う著しい経営環境の悪化と急速な経済回復の目途が立ちにくい事情などから、お客様にご満足いただけるF1日本グランプリの開催継続は、企業存続の観点からも極めて困難との結論に至りました」と語り、日本GPの開催中止を発表した(GPUpdate.netより抜粋)。

昨年の経済不況もあるのですが、元々観客からもドライバーからも不満があったことが理由に挙げられています。コースレイアウトは悪くはないのですが、鈴鹿と比べたら見劣りがしたというのは否めません。

さらに一昨年、30年ぶりに開催された富士ですが、一部を除いて雨だったのと交通の便の悪さ、一部観客席の視界の悪さと言うので不満が募り、あわや訴訟問題にまで発展しそうにまでなりました。

残念な思いもありますが、こういった不満を考えると撤退はやむを得ないでしょう。

76年もまた2年で開催中止となったことを考えると、富士は3年連続でF1をやったことがないという不名誉な烙印を押されたのかもしれません。

来年以降は鈴鹿…と思ったのですが、鈴鹿も鈴鹿で来年は開催するのか分からない状態です。

来年以降も日本GPが続いてほしいのですが…続くかどうかは鈴鹿次第ということになりそうです。

ベーシック・インカム入門

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山森亮

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ベーシック・インカムというのは直訳すると「基本所得」であり、労働状況や今の職業の有無に考慮せず、無条件で一定の額を給付できるというシステムである。今まさに定額給付金のことを言っているのではという声もあるが、これにも若干似ているが、この定額給付金システムを毎年のように所得として支払うというシステムをいう。世界的には約200年もの歴史を持つといわれているが、あるいはどの国が行っているのか、行っている国ではどのような効果をもたらしているのか、ベーシック・インカムのリスクは一体何なのかということについて見てみたい。
本書の内容に入る前に誤解をしないように言っておくが、決して「バラマキ」ではなく最低限の保障という観点から「基本所得」という給付を行うシステムのことを「ベーシック・インカム」という。

第1章「働かざる者、食うべからず――福祉国家の理念と現実」
「働かざる者、食うべからず」というのは、どこの国にでもある理であり、労働のなかで仕事や賃金と言った対価をもらうことができる。
しかし、働かないものもいれば「働けない」と言う人もいる。とりわけこういった時代は「派遣切り」や「リストラ」によって職を失い、明日の食事もままならないという人もいる。ましてや昨今の状況では「再チャレンジ」というのが不可能な状態にまで陥ってしまうことにもなりかねない。
ではその再チャレンジをするための「生活保護」というのが機能しているのかというとあまり機能していないというのが現実である。受給世帯が過去最高を更新しており、かつ生活保護に関する予算も削減の対象になっている。
憲法第25条に定められている「生存権」というのは本当に保証されているのかと疑われる。

第2章「家事労働に賃金を!――女たちのベーシック・インカム」
「家事労働に賃金を!」というのは1970年前後にイタリアにおいて唱えられた言葉であり、フェミニズム行動の一環として唱えられたというのは有名な話である。
今では女性の働ける、活躍できる環境というのは構築されてきているが、諸外国に比べてもまだ足りないという論者も多い。
本章ではアメリカやイタリア、イギリスでのベーシック・インカム運動をもとにして社会的な要求の高まりを主張している。

第3章「生きていることは労働だ――現代思想のなかのベーシック・インカム」
ここでは、ダラ=コスタやアントニオ・ネグリといった現代における思想家の福祉思想、ベーシック・インカム思想についてのことを言っている。

第4章「土地や過去の遺産は誰のものか?――歴史のなかのベーシック・インカム」
ベーシック・インカムの歴史は約200年も前から議論されてきたものであるという。
ケインズペイン、スペンスと言った人たちがこの思想について主張していき、醸成されたという歴史がある。

第5章「人は働かなくなるか?――経済学のなかのベーシック・インカム」
さて思想学の歴史・思想という堅苦しいものはここまでにしておいて、今度はより生活に近い観点から議論をしている。
ベーシック・インカムをすることによって最もネックになるのが「働かなくなるのでは」というのがある。
私もそれについては同様の疑問を持っており、労働せずに賃金をもらうことにより、動物で言ったら野性味がなくなるように、労働をすることで賃金を勝ち取るという切磋琢磨、もしくはサバイバルというようなものがなくなるのではないかと危惧してならない。
また財源についても疑問を呈しているが、本章では理論的にこの議論の愚かさを指摘しているが、所詮机上の空論でしかないと反論する人も多いように思える。

第6章「<南>・<緑>・プレカリティ――ベーシック・インカム運動の現在」
ベーシック・インカムの運動は世界的規模でも行われており、とりわけヨーロッパでは盛んに行われている。しかし世の中ではあまり認知されておらず、これからどのようにして浸透していくのかというのが課題となりそうだ。

ある程度の給付というのは我々庶民にとってこれ以上ない助け舟となり、使うことにより経済的な循環することにより潤うことも夢ではない。しかしこのベーシック・インカムを日本で可能と考えると私は難しいとしか言いようがない。今となっては誰もがお金がなく貯蓄もほとんどないが、景気が上昇傾向で経済的にも潤沢であった時に私たちは裕福な生活をしたかというとまずしなかった、というよりも稼いだ金を貯蓄することばかりに目が行っていた。もしベーシック・インカムをやったとするとまず貯蓄に走ることになる。こうなってしまっては金銭的な循環が止まってしまい、かえって逆効果になるのではないかというのが私の考えにはある。
良い思想なのかもしれないが日本にそぐわない、というのが私の意見である。

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著者は狙って出版をしているのではないかと邪推してしまった。というのは本書が出版された翌月にウォークマンが誕生してちょうど30年を迎えたからだ
ウォークマン誕生によって音楽やラジオを聴く環境というのが劇的に変化した。昔は家や店のなかでしか聞けなかったものがあるいているときにでも気軽に聞くことができるようになった。それだけでも大きな変化なのだが、ウォークマン自体も変化しており、カセットテープだけだったのが、CDでも聞けるようになり、MDになり、そして今ではメモリで大量に聞けるようになったほどウォークマンは進化した。
また音楽のみならず語学勉強にも重宝され、NHKの語学講座を録音しては通勤・通学途中に聞いて勉強をするという光景も見られるほどだった。すなわち「耳勉」というのができた。しかしこの耳勉はウォークマンほど進化しなかったが、オーディオブック誕生により本は読む者から「聞く」ものへと進化を遂げた。
本書の著者は日本最大のオーディオブックサイト「FeBe」の運営者である。また著者はこの耳勉でもって東大に合格した。その耳勉の知られざる凄さについて紹介している。

第1章「私たちは五感で勉強している」
勉強をするというと「視覚」と「触覚」でしかないように思えるのだが、五感をフルに生かす勉強法というのがこれからの時代は重宝される。勉強をするための構成要素を著者は大きく4つに分けている。
1.「情報源」
2.「情報の入力」
3.「情報の記憶」
4.「出力」
特に重宝されるのが4.の「出力」である。最近ではパソコンのみならず携帯電話など、アウトプットツールが増えているため容易にできる。それと同時にどのようにアウトプットするのかというのも大事になってくる。
そして最後には、
5.「不足している情報を認識し、フィードバックを行い、また1.に戻る」
このサイクルによって勉強の効率は最大限に増大する。

第2章「音で脳の個性を生かす」
ここから耳勉の本懐について迫っていく。
著者は苦手なことに集中できなかった過去があった。そのことから他人より学習速度が遅れ、次第に平均を大きく下回るようになってしまった。その時に出会ったのが「耳勉強法」である。さっきまで行っていた「耳勉」とはまさにこれのことを言っている。
脳の働きというのは個人差が激しく、同じ働きをしている人というのはほとんどいない。そこで脳の働きに合わせて個性を育てる勉強法には「耳勉」が生かされる。
本章では脳科学の観点からみた「耳勉」の強みというのを余すところなく紹介しており、さらに五感のなかで最も優位感覚はどこなのかという「優位感覚チェックテスト」の簡略版を掲載している。自らどの感覚がいいのかというのが一目でわかるので、非常にありがたいところである。

第3章「耳勉強法を始めよう」
本格的に耳勉のやり方、そして耳勉の種類という所について紹介している。
本書の著者が運営をしている「FeBe」というサイトはオーディオブック中心であり、とりわけビジネス本のオーディオブックに特化をしている。それだけではなく読みづらい文芸作品やニュース、講演録に至るまで置いてある。
オーディオブックにも種類があれば、聞き方にも種類がある。例えば歩きながら、仕事をしながら聞くという「ながら聞き」、集中して聞くこともあれば、文章を追いながら聞くというのもある。一度聞くだけでも得るものは多いのだが、それを強固なものとしていくために何度も聞くというのもある。
「耳勉」と言うだけでもたくさんの聞き方と、ツールが揃っているため飽きることはない。

第4章「耳勉強法を実践しよう」
ここではオーディオプレイヤーの選び方から、ヘッドホン・イヤホンの選び方、さらにはオーディオブックサイトから、倍速ツールに至るまで耳勉のより多く、深く、楽しく実践できるツールが目白押しである。

本書はウォークマン誕生から30年の節目として相応しい一冊と言える。これからウォークマンというのがただ単に「音楽を聴く」という所から「本を読む」もとい「本(の内容)を聴く」という形態に進化するのではというのがあるからだ。私も「FeBe」のサイトの一利用者であるがオーディオブックのみならず
「耳勉」は大きな可能性を秘めている。これからどのように浸透していくのかが楽しみである。

飲酒と健康―いま、何を、どう伝えるか

飲酒と健康―いま、何を、どう伝えるか 飲酒と健康―いま、何を、どう伝えるか
鈴木 健二

大修館書店  2007-10
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もう20歳過ぎているため飲酒は飲んでも大丈夫なのだが、法律で禁止されているとはいえ未成年でありながらも飲酒をしたという経験のある人は少なくないことだろう。特に祝い事で家族と一緒に飲んだりする人もいれば、大学のコンパで酒を飲むという人もいる。その風潮を考えるとするとこの「未成年は飲酒禁止」というのは、一体何のためにあるのだろうかといささか疑問を持ってしまう。
脳細胞の減少というのが主だった印象なのかもしれないが、本書では他にも害する側面があるという。

第一章「アルコールの基礎知識」
アルコールと言うと適度に飲めば「百薬の長」と言われ、程度が過ぎると「百害あって一利なし」と言われる。
しかし著者にいわせれば「脳を麻痺させる薬物」と言われている。アルコールを悪者にしているなという考えも起きるが、集中力を散漫させる、緊張感を緩和させることを考えればあながち間違いではない。

第二章「飲酒の急性影響」
飲酒は二通りの影響を及ぼす。その中でも本章では「急性アルコール中毒」に属する急性的な影響について書かれている。
私も大学の時に体験したことがあるのだが、酒のなかでもビールやカクテルのイッキから、日本酒や焼酎のイッキまで体験したことがある。今はさすがにやらないし、やりたくもないのだが、一気に飲むことにより、アルコールを吸収しきれずに急性アルコール中毒になり、最悪死に至るというケースもある。一気飲みは絶対禁止とまでは言わないが、相手に配慮をともなって楽しく酒を飲むということが肝要であろう。

第三章「飲酒の慢性影響」
アルコールは急に飲むだけでも危険だが、もう一つ慢性的な影響にある。次章で述べるアルコール依存症もその例の一つである。
それだけではなく脂肪肝と言った内臓に関する病気にもなるという。

第四章「アルコール依存症」
慢性影響の最たるものと言うと「アルコール依存症」である。特に「酒」をストレス解消やいやなことから逃れるためにすがる人が多い。
このアルコール依存症は厄介で、脳的にも精神的にも多大な悪影響を及ぼすだけではなく、精神的なカウンセリングも必要なことからほぼ一生付き合わなくてはいけない病気であるという。

第五章「子ども、家族を苦しめる親の飲酒」
親の飲酒が子どもに悪影響を及ぼすというのは考えにくいが、アルコール依存症によるDVというのもあり、そのことによって家族間でギスギスとした空気を作る。純粋無垢な子供はそれに強く影響を及ぼし、「アダルト・チルドレン」というのを作ってしまうという結果になる。

第六章「アルコールがもたらすその他の問題」
妊婦は酒を飲んではいけないとされている。それはなぜなのか。それは胎児にあるという。胎児性アルコール症候群(FAS)のがあり、子供の顔の輪郭づくりから、行動障害にかかることがあるという。

第七章「子どもの飲酒実態」
「お酒は20歳になってから」という張り紙やCMを誰もが1度は見たことがあるだろう。
しかし酒を飲む子どもたちの実態について調査結果について考察を行っている。ひとりで飲んだり、友達と飲むというのは少ないもののいるというのには変わりはない。それ以上に多かったのが冠婚葬祭のとき、未成年でも「無礼講」というのが働くのだろうか。

第八章「アルコール乱用の子どもたち」
未成年のアルコール乱用の現実を実例をもとに紹介をしている。特に不登校や引きこもり、薬物乱用と同じような扱いのようにしているように思える。確かに「未成年の飲酒」というのは法律で禁止されており、科学的にも個人差はあるが悪影響を及ぼすというのは実証されているが、本章を見る限りでは「飲酒=悪」という風潮を作りだしてはいないのだろうかといういささかの疑問を生じる。

第九章「なぜ子どもの飲酒は駄目なのか」
脳や精神的な観点から悪影響を及ぼしやすいとされている未成年の飲酒。その大きな理由の一つに挙げられるのが「成長期」というものにある。脳科学的にも内臓と言った肉体的にも発達檀家にある未成年が毒性のあるアルコールを摂取するというのは肝臓は無論のこと、知能に至っても成長の妨げになるという。

第十章「子どもの飲酒をなくそう」
いきなり「酒を飲みすぎる日本人」というのが印象を受けた。しかし日本人はそんなに飲み過ぎているのだろうか。日本や焼酎などの酒の文化というのは昔からあるのに、である。日本人の飲酒量は増加しているとはいえ欧米諸国には及ばない。ましてや他国と比べるのは場違いなのではないかと考える。

本書は飲酒の危険性について警鐘を鳴らしているが、「飲酒=悪」という印象がぬぐえない一冊であった。
酒は度が過ぎると「百害あって一利なし」であるが、自分の身体に合わせて上手に付き合い、料理とともに楽しく飲むことこそ「酒」を愉しむことができる。

「自分だまし」の心理学

「自分だまし」の心理学 「自分だまし」の心理学
菊池 聡

祥伝社  2008-08-05
売り上げランキング : 186100

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「だまされる」と言うと良い印象をもたれない。というのは「詐欺」というように、だまされて相手にとって害することを行う、もしくは私利私欲によって人をだますというような印象が強いからである。
本書は「だまされない」方法を知るのではなく、なぜ「だまされる」の化というメカニズムについて紹介している。

一章「なぜ人は「だまされる」のか」
「だまされない」と思っても人は自らの記憶や無意識な力によってだまされるものである。
しかしそれを認めようとしないというのも困りものであり、「だまされる」ということへの抵抗感が時として「うつ」ということになりかねないのである。
ちなみにこの「うつ」というのは厄介なものであり、物事をすべてネガティブに考えてしまうことにある。何でも自分に原因があるとし、自らの力不足を嘆き、最悪自害に至る。今日急増している精神的な病とはいえ油断は禁物と言える。詳細については「うつ」に関する本でたっぷりと語ることにする。

二章「人は無意識のうちに、自分で自分をだましている」
第一章で「無意識な力によってだまされる」と言ったがこれはどういうことなのかということを述べている。
だまされるものとして代表格に挙げられるのが「噂」というものである。その論拠として、他人から見聞きした情報を自らの意見や観点というもので歪曲をし、相手にまた同じ「噂話」として情報を流す。そういうことからそのうわさが根も葉もないようなものになっていることも知らずにあたかも本当のことのように受け入れてしまう。
直観や思いこみという主観的なものについても「(脳や情報に)だまされる」というのがあるので、世の中そのものが「だまし合い」というのだろうか。

三章「誰もが、自分に都合のよい「思いこみ」をする」
人は誰もが思いこみという「先入観」というのがある。これにより「だまされる」という。その思い込みというのはどのようにしてできているのかというと、
・自ら得た情報
・自尊心
というのが多いように思える。自分を過大評価する、自己欺瞞をするというのがこの要素から「思いこみ」に変化させているのではと考えられる。

四章「無意識のだましと、上手に付き合う心構え」
意図的な「だまし」よりもたちの悪い無意識のだまし。それに惑わされない方法というのはまずない。それは「だまされない」ように意識しようとも、無意識のうちに「だまされている」わけである。
ではどうすべきかと言うと「うまく付き合う」しかない。
本章ではその心構えについて伝授しているところであるが、おもに「ポジティブ」と「自己啓発」というのがカギとなる。
だましと上手に付き合うためには、自分の都合がよいように「だまされる」というのが大事になるのかもしれない。

五章「「自分のだまし方」を身につければ、物事はうまくいく」
「だます=悪」
こういう図式が蔓延しているが、だまされるというのは必ずしも悪いことではないというのは著者の意見であり、私もそう思う。
本章では「あるある事件」の時に陳謝すべきでなかったと主張している。ある種の不思議さはあったのだが、本書の考えをまとめていくと確かにそうだなと考えてしまう。
嘘の情報とはいえどその情報を受け取るのは自分自身である。その情報にだまされるというのは自己責任であり、情報を流す側はただこういうものがあるということを伝えるだけで、それを正しいのか判断するのは受け取る側が決めることである。すなわち自分自身が正しい情報を判断する力があるのかどうなのかというのが本章に込められた疑問であり、嘘の情報だと言って情報を与える側に「この情報は嘘だ」と断罪するのはあたかも正しいように見えて、実は間違いなのではと考えられる。
あるある事件については確かにTV局も悪いことであるが、もっと悪いのはその情報を鵜呑みにした我々であろう。

六章「おたくこそ、だましのリテラシーの達人だ」
特に日本のサブカルチャー(一部ポップ・カルチャー)というのは「だまされる」という要素を持っているものが多い。特にSFモノや絵空事を心から楽しめる文化というのがある。それをディープに楽しんでいるおたくこそ尽くせるものへの熱き心と、周りの雑音に惑わされない冷静な考えの持ち主なのではと主張している。

「だまされる」というのが悪と考えている人がいたらぜひ本書を読んでみると良い。また自分が信じられない、自分のことが分からない、もしくはネガティブ思考になっている人も本書は自らの考えを変える糧となるだろう。「だまされる」という考えが180度変わる一冊であった。

教養脳を磨く!

教養脳を磨く! 教養脳を磨く!
茂木 健一郎 林 望

エヌティティ出版  2009-03-23
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教養というのは、知識を自分の思考でもって落とし込んで、新しい考え方を身につけるというような手法である。本書はイギリスにおいて「知のカルチャーショック」というのを受けた2人が新しい「教養」について縦横無尽に対談を行っている。

序章「教養という可能無限」
脳科学者の茂木氏がイギリスで体験したこと、そして「教養」に関する可能性について書かれたところである。そして対談の相手である林氏への印象と対談での感触についても1ページ程度であるが感想を記している。

第1章「ケンブリッジ式「教養脳」の磨き方」
林氏はケンブリッジ大学に1984年〜91年までイギリスに滞在しており、その中でケンブリッジ大学にも留学をした経験がある。目的は日本文学史に関する蔵書目録を作るためであったという。
目録を作るためであれば冊数によるがそれほど時間はかからないだろうと考えてしまうのだが、その冊数が1万冊にも上るのだから驚きである。
しかし、その編纂作業のなかで書く力、教養、そして何よりもスペシャリストの強さというのを肌で感じたそうだ。
最後には古典からみたメディア論批判についても取り上げられているが、近視眼的なメディアの捉え方について批判をしている。

第2章「古典が育てる「教養脳」」
第2・3章は「古典」の読み方と「古典」の特性というものを対談している。
古典文学と言うと、古い言い回しが多いためとっつきにくく、古典にあまり触れていない人にとっては読むこと自体が苦痛でしかないものになってしまう。
しかし、古典はその時代背景から心情など、多彩な表現を用いて綴っており、日本語をみるとしても格好の材料となる。
本章ではどのような古典を紹介しているのかというと、「荻窪物語」を題材とした「古今黄金譚」というのを取り上げられている。
「お食事中の皆様、大変失礼をしました」
というような内容である。
もう一つの古典としては「音楽」である。こちらは茂木氏が音楽と脳に関していくつか著書があることが起因しているのだろうか。

第3章「「教養脳」的に古典を読んでみる」
古典の読み方というのは様々である。本章では「教養脳的に」と言っているがこれは一体どういう方法なのだろうか。国語の授業では現代語訳に翻訳をするということ、そして文章から心情を記述することばかり目に行きがちであるが、本当に古典を愉しむとするならば、古文にある文章そのものから感動を得る、論理的というよりも文章を音楽としてとらえることによって文章そのものの楽しみが得られるのではないかというのが本書の対談において紹介している。

第4章「日本の「教養脳」を磨こう」
教養脳を磨くためにどうするのか、そして教養の脳の理想形はどうなのかということについて対談している。
簡単な知恵では太刀打ちできず、知に付加価値をつけるということというのが主としている。
そして面白かったのが理想として「アカデミックな変人」と呼んでいる。変人と言うのもいろいろあるが、不謹慎なものなのか、いびつな形の物を考察できるような人材であるべきなのかというのはどちらでもないのか、片方なのか、あるいは両者なのかというのは定かではない。

教養というのは何かというよりも今日本に蔓延っている常識をイギリスから学んだ教養でもって打ち破り、新たな形の強要とは何かというのを本書で紹介している。
私も教養本についていくつか読んだことがあるが、これほどまでに縦横無尽な対談と、不謹慎なところまで言及をしている本はない。教養という言葉の新たな可能性を見出した一冊と言えよう。

使える!ギリシャ神話

使える!ギリシャ神話 使える!ギリシャ神話
齋藤 孝

PHP研究所  2007-01-18
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ギリシャ神話はこれまで1冊しか取り上げておらずどのような神がいるのかというのはゼウスやヘラというようなギリシャについてあまり知らなくても名前だけであればわかるというようなところまでしか知らなかった。ギリシャ神話は宗教を超えて幾千年もの年月を経て語り継がれており、日本神話やローマ神話と双璧をなす、というよりも超えるほどの神話である。
本書のタイトルのようにこの神話がビジネスに使えるというのだから驚きかもしれないが、旧約聖書や新約聖書、はたまたは日本神話といった古典からビジネスのヒントが見つかるということを考えるとなんら不思議ではない。ではギリシャ神話がビジネスの世界においてどのようにして役に立つのかというのを見てみよう。

第1章「「願望の絞り込み」ができる人が成功する」
ギリシャ神話には人間におけるすべての「失敗」がすべて登場するという。「すべての失敗」と言ってもビジネスにおける失敗なのか、人生における失敗なのか、聖書にある人間としての「原罪」なのだろうかというのがはっきりしない。ただし、本書はビジネスにおけるギリシャ神話であるので前者と言うべきなのだろう。
願望の絞り込みの代表として「ミダス」を例に出している。
ミダスはフリギア(現在のトルコ)の王であっただけではなく、触ったものすべてが黄金になる力を持っていることとして知られている。
ミダスはその黄金にかえる力という願望を絞り込んで化なったという所から本章で紹介されている。

第2章「人生の結び目を作ると踏ん張りがきく」
次は「ゴルディウス」である。ゴルディウスはミダスと同じようにフリギア王を名乗っていた。初代がゴルディアスでそれをミダスが受け継いだとされている。
本章では非常に有名な「ゴルディアスの結び目」というのが紹介されている。

第3章「社長のスケール感覚をあなたは持っているか?」
こちらはまさに失敗学と言うべき存在である。本章では「パエトン」を例に出している。
パエトンは友人から「太陽神の子」ではないといわれ、自らを「太陽神の子」であると証明するために「太陽の戦車」を操縦した。しかしそうじゅうに失敗し、ゼウスの怒りを買い雷に打たれ悲劇のうちに亡くなった。

第4章「権力者という神々に刃向かうときの心得」
ここではアラクネについて取り上げられている。当時の権力者はというとアテナ(知恵、芸術、工芸、戦略を司る女神であり、オリュンポス十二神の一柱である)となっている。
アラクネは機織りの達人でありその実力はアテナをも凌ぐほどだと豪語するほどであった。それについてアテナは怒りを覚えるも彼女の実力を認めていた。
しかしアラクネはゼウスの不実さを織り込んだタペストリーを作ったことにより、己の愚行を覚え自害。トリカブトの汁を撒いて蜘蛛に転生した。このことが蜘蛛の誕生の源となった。
刃向かいたいことは誰しもあるが、決してアラクネのように陰湿なことはするなということだろう。

第5章「モテる力が、人間関係の開かずの扉を開ける」
ここではヘルメスのことについて書かれている。
ヘルメスと言うとゼウスの息子であり、旅人、泥棒、商業、羊飼いの守護神である。
ヘルメスとモテる力とどう関係があるのかというと、「アポロンの牛」や「アルゴス殺し」と言った密命における窮地からの脱出方法について紹介している。本章ではその中から「アポロンの牛」が取り上げられている。

第6章「あえて矢面に立つ経験が、自分を進化させる」
プロメテウスと取り上げている。
プロメテウスについては「ギリシア神話入門―プロメテウスとオイディプスの謎を解く」の書評で取り上げたので省略。
プロメテウスがゼウスの怒りを買うのを知ってて、人間に火を与えたという侠気について、矢面に立つ経験とすり合わせている。

第7章「悲劇を甘んじて受ける力が評価を上げる」
オイディプスのところである。オイディプスも前章で取り上げた本の書評において取り上げられているので省略。
自らの罪悪と悲劇を受け、目を潰し悲惨な人生を歩んだまま死んだとされている。

第8章「「祝祭感」のある人は、人気者になる」
「祝祭」と言うと「ディオニソス」しかないだろう。ディオニソスは豊穣とブドウ酒と酩酊の神であり、ローマ神話における「バッカス」と同一視している。
吹奏楽でもこの神を題材にした「ディオニソスの祭(F.シュミット作曲)」というのがある。

第9章「人を育てる妙薬は「期待し続ける力」にあり」
「期待し続ける力」としてピグマリオンが取り上げられている。
現実の女性に失望し、自ら理想の女性の彫刻し、それを愛し続けたキプロスの王であった。ずっと理想の女性の像が生命を吹き込んでくれればと思い続け、やがて衰弱していった。
それを見かねたアフロディーデという女神がその像に生命を吹き込んだという話を指している。

第10章「交渉を有利に進める究極の「政治力」を身につけよ」
「交渉」というのにヘラを取り上げていいのだろうかといういささかの疑いがある。ヘラはご承知の通りゼウスの正妻であり、ゼウスの浮気に対して鋭い嗅覚を誇り、その上嫉妬心も強く愛人やその子供に凄惨な復習をするという残酷な女神として知られる。「政治力」や「交渉」と言うと暴力の手を使わずに行われるものであるため、ヘラはそれとは程遠いとされているが、前述の「浮気に対する嗅覚」を「危機察知能力」と捉えるなど、政治力について置き換えているところが著者の巧みなところかもしれない。

第11章「「自画自賛力」をつければ人生が好転する」
ここではナルキッソスについて取り上げられている。
ナルキッソスはギリシャ神話の中でのとびきりの美少年と知られている。「ナルシスト」という言葉の語源になるほど自画自賛の強かった。
しかしその自画自賛は自らそうさせたのではなく、アフロディーデの贈り物を侮辱した罪により、他人を愛せなくさせ、自分しか愛することのできないようにさせた。そしてナルキッソスは水の中に映る自分しか愛せなくなり痩せ細って死んだ。
本章は「自画自賛」を肯定的に扱っているようだが、自分の罪からそうなったということだけは付け加えておかなくてはならない(無論本章でも取り上げられているが、あえてここは強調する)。

第12章「自分の「ベスト12の仕事」を書き出してみよう」
ここでは「ヘラクレス」について書かれている。
ヘラクレスは生まれる前からヘラの憎しみを買い、生まれたときから虐待と思わせるほどのことを行った。それを償おうとしエウリュステウスに仕え「12の功業」などを果たしたとされている。
あえて苦難の道に行くという意味合いの「ヘラクレスの選択」はここから来ている。

第13章「「好奇心を封印する技」が現代に生きてくる」
ここでは2人の女性が登場する。「パンドラ」と「プシュケ」である。
パンドラは「パンドラの箱」のエピソードからきているのでここでは割愛するが、「プシュケ」については少し取り上げようと思う。
プシュケはある国の王女であり、その美貌はアフロディーデをも凌ぐほどであったという。それを憎んでかアフロディーデは様々な仕打ちを行った。中でも自らの美貌を補うために冥府の女王ペルセポネに美を分けてもらうようにプシュケに命じた。その中でペルセポネから箱を受け取ったが絶対開けるなと言われた。好奇心から開けてしまったが、その中身は「美」ではなく「死」という名の冥府の眠りであった。それを見かねたエロースは眠りを箱に集めゼウスに頼み、ようやく和解したという話である。簡単にいえば「パンドラの箱」と同じく「見るな」というタブーを犯すなということを言っている。

第14章「集団を動かしたい人に、必要な力」
最後に相応しくゼウスを取り上げている。ゼウスは絶対神と知られる一方で浮気癖の激しい好色男であった(それによりヘラの怒りを買うこともたびたびあった)。
簡単に言うと絶対神としての威厳のある一方でこういった好色にふけるといった一面、もっと言うと意外な一面というのがあった方がいいというのが本章の意見であろう。

様々な神について紹介したのであるが、本書はビジネスにおける力をギリシャ神話の神々に学ぶかということが狙いとしているが、文章にしても、紹介にしても、ギリシャ神話に関する入門書という側面でも役に立つ。ビジネス書というよりもギリシャ神話に興味を持ち始めた人にはお勧めの一冊と言えよう。

怪異の風景学―妖怪文化の民俗地理

怪異の風景学―妖怪文化の民俗地理 怪異の風景学―妖怪文化の民俗地理
佐々木 高弘

古今書院  2009-03
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梅雨が明けるといよいよ夏本番である。うだる様な灼熱地獄が来るのかというと嫌になる今日この頃であるが、そんな暑さを吹き飛ばすものとして代表されるのが怖い話と言った怪談である。怪談と言うと稲川淳二や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)というのが思い浮かべると思うが、アニメや漫画、映画やドラマを問わず、怪談話というのは枚挙に暇がない。
また怪談に関する民俗学もいくつか出されており、怪談と最近の日本文化というのは切っても切れないものとなった。本書は「風景学的」な観点から妖怪文化を考察している一冊である。地理学や民俗学とは違う「風景学」についても考察をしている。

1.「怪異の見える風景」
怪異の見える風景、簡単に言うとお化けが出てくるという風景はどのようなところをイメージできるかという所である。
墓所や廃屋やつかわれなくなった道路やトンネルというようなところであればTV番組でも毎年のように紹介されているので容易に想像できる。
本章で言っているか「怪異の見える風景」を含めた風景認識を大きく分けて3つに分けている。
第一の風景「誰もが見る風景」→これは何も変哲もなく、肉眼でも容易に見える風景のことを言っている。
第二の風景「怪異の風景」→これは誰にもわからない。頭の中にあるというもので肉眼ではまず見ることができないもの。
第三の風景「怪異の見える風景」→これのことが幽霊やお化けの見える風景のことを言っている。

2.「怪異の体験とことば」
1.と2.で「怪異」というのがあるが、ここでは主に平安時代の話に遡る。
当時の話で言うと陰陽師である賀茂忠行や安倍晴明のことを想像することができる。怪異の中には人に対して災厄をもたらすものもあり、それを退治する役割として陰陽師という存在があった。

3.「妖怪の走る風景」
4.「伝承群団の見た妖怪」
この2つではクビナシウマなどの妖怪について書かれている。

5.「頭のなかの妖怪地図」
6.「妖怪の二つの場所」
本書は地理学で考察しているように地理的な観点として妖怪を見ている。

7.「『千と千尋の神隠し』に描かれた怪異世界の風景」
今から8年前に大ヒットをしたジブリ映画「千と千尋の神隠し」のことについて書かれている。そういえば「となりのトトロ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」にも考察の幅が伸びると思われたが、本章はあくまで「千と千尋」一本に絞っている。

8.「怪異世界と心の中の景観」
1.のところで紹介した3つの風景の中で第二の風景である「怪異の風景」のことを言っている。

9.「現代日本の怪異世界イメージ」
現代日本における怪異世界、いわゆる「お化けや幽霊の世界」、今は亡き丹波哲郎の言う「霊界」というイメージはどのようなものかということについて書かれているが、TVや漫画にて容易にイメージできるが、はたしてそれが本当の怪異世界なのかというと首をかしげる。

10.「廃墟と幽霊・怪異世界」
11.「現代の廃墟と近代化遺産」
この2章では心霊スポットの定番として挙げられる「廃墟」について取り上げられている。
百鬼夜行や妖怪に関連する文献から調べても、廃墟が舞台となっている数は多く、イメージとしてつきやすいということが分かる。では廃墟はなぜ怪異世界として容易にイメージできるのだろうか。
廃墟というのは程度に差があるとはいえ過去の産物である。廃墟というその建物そのもの、もしくは建物の中に入ると霊がいるという不気味さというよりも、時間を過去に押し戻されるような感覚に陥るのではいのかというのが私の考えにはある。
本書ではなぜ廃墟が多いのかというのが「時代の裂け目」があるのではないのかという。
これは「なるほど」と思った。現在と廃墟となった時代との違いがあたかも「裂け目」としてとらえられるのだから。

12.「妖怪の出没する場所と時代」
妖怪の出没する場所と言うと前章までのところで廃屋であったり森林であったりと様々であるが時代的にも変化をするという。

民俗学と言っても「慣わし」というようなものがなく、地理学と言っても「地形」というものがない。「風景学」というのは「風景」から様々な事や物を考察を行う。その風景をとらえる文献は肉眼で捉えられるものから芸術作品に至るまで様々なものがあるのかもしれない。風景学については私自身まだ分からないところもあるのでこれから調べていこうと思っている。
もう間もなく梅雨が明け、厳しい夏が始まる。そういう時期に怪談話はちょっとした清涼剤の役割を果たす。ただ嫌いな人はあまりお勧めできないというのは付け加えておかなければならない。

麻薬とは何か―「禁断の果実」五千年史

麻薬とは何か―「禁断の果実」五千年史 (新潮選書) 麻薬とは何か―「禁断の果実」五千年史 (新潮選書)
佐藤 哲彦 吉永 嘉明 清野 栄一

新潮社  2009-05
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また大麻所持事件が起こった
大麻に関する事件は去年・今年だけでもTVやインターネットニュースにおいてみない日と言うのが珍しいくらいにまでなった。大麻については覚せい剤と同じく精神に異常をきたす「ドラッグ」として扱われ、法律では「大麻取締法(正式には「麻薬及び向精神薬取締法」)」が制定されており、厳しく問いしまっているのが現状である。学術的な研究でも毒性や精神依存性について強く、生活に支障をきたすという意見が大多数であるが、最新の研究では毒性はタバコよりも低いという結果も出てきており、これから議論の的となるだろう。さらに言うと欧米では大麻の取り締まりを緩和しており、事実上合法化しているところも出てきており、これから大麻の毒性に関する再研究と、法整備の見直しというのが見込まれる。
では麻薬、およびドラッグはいつ頃から流通したのだろうか、いつ頃誕生したのだろうかという考えも起きてくる。そこで本書である。本書は麻薬における歴史・文化について様々な角度から考察を行っている。

序章「麻薬――精神に作用するクスリとは?」
麻薬と言ってもいろいろな種類がある、覚せい剤をはじめ第二章で書くコカインやヘロイン、ケシ坊主から作られるアヘン、そこから単離され、がんの痛みを和らげることで知られるモルヒネ、身近なものではニコチンやカフェインもその一種とされている。

第一章「麻薬・文明・万能薬――薬物の原初的使用とその伝播」
麻薬は非常に古く、紀元前にまで遡る。古代文明において麻薬と言うと「アヘン」であった。それはトロイや戦争をめぐる物語として知られる「イリアス」にはケシを言及した描写があることからこれが麻薬のはじまりではないかというのもある(「オデュッセイア」にもそれに似た記述が存在する)。
時代は進んで中世ヨーロッパ時代に入ってのことである。
その時には生活から医学に至るまでの発展の中で麻薬の効果も広がり始めた。

第二章「コカインとヘロイン――十九世紀欧州の発明」
十九世紀のイギリスについて着目を行う。というのは十九世紀の中ごろに麻薬について代表的な戦争があったことにある。それについては後ほど語ることにしておく。
十九世紀のイギリスでは産業革命の真っ只中であり、機械化・工業化によって生産も拡大をした。それと同時に植民地政策も盛んに行っている時代であった。
その時に「コカイン」と「ヘロイン」が誕生し、アヘンと同じく大量生産を行った。そのアヘンが生産飽和になるやいなや当時の清に対してお茶を購入するとともにアヘンをおしつけようとした。しかし清はこの事態を受けて「アヘンを持ち込まない」と発表し、イギリス商人からアヘンを没収し焼却処分とした。イギリスはこれに怒り、1839年の11月に戦争を行った。これが有名な「阿片戦争」である。
結果はイギリスが勝利し、アヘンの輸入を許可するだけではなく、香港の割譲などの不平等条約を締結させた。

第三章「ドラッグのアメリカ――“理想の国家”と麻薬の犯罪化」
アメリカとドラッグの関係というのは私には分からないが、闇社会、いわゆるマフィアとの関連性から考えると分からないでもない。アメリカにアヘンが登場したのはイギリスなどの列強の民が雨利ありか大陸にわたってきた時が適当であろう。その後中国などの様々な移民を受け入れるといち早く取り締まるようになってきた。
しかし、アメリカ・マフィアと言った闇社会では今も流通していることからアメリカとドラッグは切っても切れないものと言える。

第四章「覚せい剤と日本――もうひとつの戦後史」
ドラッグと日本の関係は結構深く、特に戦前・戦後の時が色濃く出ている。その時には「ヒロポン」というものが登場し、忙しい人たちを中心に飛ぶように売れたという。睡魔や倦怠の除去のために使われていた。それが取り締まりだされるようになってから(「覚せい剤取締法」が制定)、ヒロポン常習による病気、たとえば中風などを患う人が増えていった。

第五章「LSDとヒッピー、エクスタシーとレイヴ」
いよいよ現代に入る。ここではLSDヒッピーについて書かれているが、1960年代〜70年代のアメリカにまつわるドラッグについてであるので第三章に近いものがある。

終章「麻薬と人類の未来」
これまで麻薬の歴史について考察をしてきている。本章では総まとめといたところであるが、現在麻薬を処罰の量は多かれ少なかれ取り締まっている国はほとんどと言ってもいいだろう。しかしその麻薬であるが、闇社会を中心に流通をしている現状があり、インターネットにおいても闇サイトで出回っているのは周知のとおりである。法律で取り締まっているとはいえ一般人の手にも簡単に手に入ってしまうという所が現在の恐ろしさと言える。
麻薬に関しては日本も歴史があり第四章では戦前・戦後について取り上げられていたが、本書でも日中戦争〜終戦に至るまでのことについて書かれている。しかし、NHKや「阿片王」の文献の実から推測しているというのはいささか疑問がある(NHKの取り上げ方が偏向的だという声が強いが「阿片」に関するものもその一つと言える)。

麻薬はこれからも取り締まりは厳しく行われる一方で、闇社会をどのように排除していくのかというイタチゴッコがおこなわれることであろう。
本書とともに最近の事件を見て思うことは一つ、麻薬のことについて歴史や科学とともに面と向かって考察をする時期が来たのではないかというのが私の意見である。

ドイツ現代史の正しい見方

ドイツ現代史の正しい見方 ドイツ現代史の正しい見方
セバスチャン ハフナー Sebastian Haffner

草思社  2006-04
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ドイツにまつわる歴史について様々な議論があり、日本における「歴史認識問題」とほぼ似ているような状況にある。第二次世界大戦が終焉して今年で64年を迎える今、20世紀のドイツの歴史についてどのようなものであったか、ドイツを代表する歴史著述家、セバスチャン・ハフナーが紐解いた一冊である。

第1章「ローマ帝国の巨大な遺産」
ローマ帝国が滅びた年は諸説が多いが、最も遅いもので1806年というのがある。ローマ帝国と言えば元首政治と言えわれ、国民の人権はあまり尊重されなかった。ドイツの歴史を語るにあたりローマ帝国が欠かせないように思えるのだが、これは一体何を意味しているのだろうか。

第2章「人工国家プロイセンの興亡」
ドイツにまつわる歴史の本丸はここから始まるといってもいいだろう。
ドイツ帝国の前身であったプロイセン王国は18世紀初頭に誕生し、19世紀後半にドイツ帝国となった。その間「軍隊が国家を保有していた」ように、軍事活動、いわゆる「戦争」などによって国土や国力を拡大していき、驚異的なスピードで大国となった。

第3章「ビスマルクのドイツ帝国建設」
ドイツ帝国を語る時は宰相ビスマルクなくして語れない。ビスマルクの外交政策は非常に巧みであり、仲の悪かった両国(イギリス・イタリア)とも友好的な関係を築き、さらに数多くの国々と国交を築くなどを行い、大国のひとつであったフランスを孤立化させた。
ビスマルクの外交戦術は伝説として語り継がれているが、ヴィルヘルム二世が皇帝についた時に対立してしまい、宰相を辞任してしまう。その後今までの友好関係が一気に崩れ、今度はドイツ帝国が孤立してしまい、第一次世界大戦に発展した。

第4章「セダンの勝利の呪縛」
「セダン」と言っても乗用車のセダンではない。「セダン」というのは、19世紀に起こった普仏戦争の中の「セダンの戦い」のことを言っている。この戦いはプロイセン(後のドイツ帝国)が勝利をおさめ、軍事的な強さをまざまざと見せつけた。しかしそれが軍事主義と言ったことにつながり、軍の強さに酔いしれてしまった呪縛になったのではないかというのが著者の意見である。

第5章「ヴェルサイユ条約の逆説」
今度は第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約について論じている。
ヴェルサイユ条約は敗戦国のドイツに対して賠償金、領土の割譲、軍縮といったものについて定められた条約であったが、平和が保証されるような条約ではなかったと指摘している。確かに軍縮は明記されているが、軍を撤廃するという明記はされていないところをみると微力化にしただけという感もある。

第6章「ヒトラーはなぜ権力を手にできたのか」
ヒトラーが総統の座に就くことのできた大きな理由として、1929年から始まった世界恐慌のどさくさによってというのが強い。イタリアのムッソリーニのようにクーデターによってというのもあるかも知れず、ヒトラーも一度だけクーデターを実行し失敗に終わっている。
しかしヒトラーが権力をもつことができたのはこういった時代に選挙という合法的な戦略を使い、ナチス党の議席数を大量に増やしたことによるところが強い。民意によって独裁者になったという方が適当であろう。

第7章「第二次世界大戦はいつはじまったのか」
第二次世界大戦がはじまったのはナチス・ドイツが不可侵と呼ばれたポーランドに侵攻したことによりはじまったとされているが、宣戦布告後も宥和政策を行っていた、もしくは宣戦布告は戦争開始と言えないと著者は指摘している。

第8章「ドイツはなぜ間違ったか」
ドイツの過ちについて書かれたところであるが、政治的な理性の無さというのを突いている。

第9章「ワイマール憲法が失敗してボン基本法が成功した理由」
ワイマール憲法の失敗とボン基本法の成功について書かれているが、「ボン基本法(ドイツ連邦共和国基本法)」は1949年に西ドイツで制定された憲法であり、日本国憲法と同じ時期に制定されたことから比較されやすい。

第10章「奇跡の老人アデナウアー」
アデナウアーは1951年から12年間西ドイツの初代首相として実権を握った。さらに1951年から5年間外相を兼任し、連合国であったフランスとの和解にこぎつけ国交を回復させたことでも知られる。戦争によって引き裂かれた国際関係の修復に尽力をする一方で、保守陣営からは「西側傾倒」と揶揄されるといった声も絶えなかった。

ドイツは第一次・第二次ともに敗戦を喫した唯一の国である。その傷跡から何度も立ち直り、今となってはヨーロッパを兼任するまでの国になった。
欧米列強にも果敢に追いつこうとしていた。その中で幾多の戦争を起こし、領土を勝ち取りながら成長をし続けた。この2つの理由からドイツを評価している国も少なくない。

広告と生きる―私の履歴書

広告と生きる―私の履歴書 広告と生きる―私の履歴書
成田 豊

日本経済新聞出版社  2009-04
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本書は2008年8月1日〜31日まで日本経済新聞において連載した「私の履歴書」を加筆したものである。
電通を一筋55年勤めあげ、広告とともに生きている著者による回顧録である。55年もの間広告をどのようにみてきたのだろうか、電通マンとしてどのように生きたのだろうかなどの生涯についてたっぷりと書かれている。

第1章「喧嘩と野球の浪人生活」
著者は1929年に京城府(現在のソウル市)で生まれ、16年間そこで育った。当時は成績も芳しくなく、大雑把な人間であった。
しかし学校で落第点を取ったことを契機に猛勉強を重ねた。
その後徴兵のため日本に赴き、終戦。終戦後は高校に進んだが、大学受験で失敗した。それからというもの浪人生活であったのだが、これがのちに電通マンとして生きていく糧になろうとは思いもしなかった。

第2章「街に教わった人生」
一浪してようやく大学に進学をするも、赤貧により友人の下宿に転がり込む毎日であった。野球とアルバイト、時々恋というような毎日のように見えた。
そして就職活動の時、著者の師匠であり、「広告の鬼」と呼ばれた吉田秀雄に出会った。

第3章「吉田秀雄に学ぶ」
今は右肩下がりであるとはいえ広告業界は花形産業である。
しかし著者が入社した当時の広告業界は蔑視の的であった。しかし、電通が巨大産業となるための萌芽であった時期であった一方、ライバル会社の競争も激化しており戦々恐々としていた。

第4章「三十三歳の「鬼軍曹」」
「鬼軍曹」と言うと野球界では須藤豊がよく似合う。
余談はここまでにしておいて、著者は入社わずか10年で部長職にまで上り詰めた。そのスピード昇進もあってかその時名付けられたあだ名が「鬼軍曹」であった。「鬼軍曹」のごとく部下に厳しいという印象が当初あったのだが、部下との激しいやり取りは本書では見受けられなかった。その分行動力は「鬼軍曹」ならではと言うべきであった。広告のためにテレビ業界、芸能プロダクションを渡り歩いただけではなく、ローマ法王に謁見をし、さらに直訴をするということまでやったほどである。
行動力の凄さに只々驚かされるばかりのところであった。同時に仕事をするにあたっても人生という道を行くにしても「行動力」が大事というのがよくわかるところであった。

第5章「「根っこ」をつかむ仕事術」
ここではスポンサー制度や日韓ワールドカップ、演劇、映画にまつわるビジネスを紹介している。

第6章「一流の会社を目指して」
著者が昇進をするときはいつも逆境の中であったと自壊しており、社長就任の時も逆風があったという。それでも逆風に立ち向かい、会社を大きくさせ、もはや広告はこのカイシャ無くして語れないというほどにまで成長を遂げさせたという功績から「電通の天皇」と呼ばれるようになったのだろう。

「電通」とともに歩んで55年以上たつ著者の半生を描いた作品であるが、会社人として生きていったというよりも自らの「行動」によってもたらされたものというものが大きいように思えた。
自分がこう思ったのだからこう「行動」するというようなポジティブの印象が強かったようだが、本書では書ききれなかった葛藤というのもあったのかもしれない。それに戦い、打ち克てたからでこそ、人から称賛されるような人生を歩んでいったに違いない。

アメリカの終わり

アメリカの終わり (講談社BIZ) アメリカの終わり (講談社BIZ)
フランシス・フクヤマ 会田 弘継 Francis Fukuyama

講談社  2006-11-29
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昨年の10月にリーマン・ブラザーズ倒産によって急速に、かつ世界的に景気が後退した。特にアメリカの経済の減速は凄まじいものがあり、「ドル危機」まで言われるようになった。さらに今年はかつて世界一の自動車メーカーとして名をはせたゼネラル・モーターズ(GM)が「チャプター11(日本で言う「民事再生法」)」を適用し、事実上破産した。これから再建に向けて動き出す。
本書は経済的な終わりというよりも「イラク戦争」により、国の信頼が失墜してしまったことについて書かれた一冊である。国家的な失墜もあるのだが、経済的失墜も考えるとあえてこういった本を取り上げることもまた一興である。

第1章「原則と分別を喪くした国」
ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(以下:ウォーカー・ブッシュ)が大統領に就いたのが2001年の1月20日である。閣僚はネオコンと呼ばれる人たちが占められていたが、当時はイラク戦争など戦争介入の空気はほとんどなかった。
しかし9・11テロにおいてネオコンの特質が一気に噴出した。
同年の10月から行われたアフガン侵攻を皮切りに、「悪の枢軸発言」、イラク戦争などの戦争を仕掛けた。
軍事大国としてのアメリカであるが、この時は醜態をさらしたとしか言いようがなかった。

第2章「ネオコンの来歴」
「ネオコン」とは一体何なのだろうか。
アメリカで言う「新保守主義」、英訳すると「neoconservatism:ネオコンサヴァリズム」の頭をとってネオコンと言っている。アメリカで言う右派、それも極右に近い存在である。
支持母体としてはキリスト教右派、キリスト教を絶対と考えている人たちがブッシュ政権を支持していた。
このネオコンは1930年代の反スターリン主義に基づく人たち、「ニューヨーク知識人」が始まりとされている。
当時は「トロツキズム」に傾倒していることあって、左翼傾向の共産主義と言ったところに傾倒していったが、冷戦により袂を分かつ。以来、アメリカにおける共和党とともに活動をしてきた。

第3章「脅威とリスクの予防戦争」
9・11以後、アメリカでは戦争を仕掛けたり、アメリカに対して反感の持つ国に対して強硬な発言を繰り返してきた。ただこの好戦主義というのは今に始まったのではなく、かつての欧米列強、イギリスやフランス、オランダといった国々が推し進めていったところにある。
今ではEUとして平和主義と言ったことを謳っているのだが、どうも胡散臭い気がしてならないのは私だけであろうか。

第4章「疑いの眼を向けられるアメリカ」
イラク戦争は国際背的な反感の中、ごり押しで進められた戦争であった。その正統性はまず正しいものでなかったというのは周知のとおりであった。
国連からの決議にも応じ、査察を受け入れたイラクの姿勢について評価しており、逆にアメリカの姿勢を非難するということが多くなった。
大国としての信頼を一気に失墜してしまった。

第5章「アメリカの限界」
アメリカは信頼回復を務めたかどうかは分からないが、信頼の失墜を追いうちをかけたかのように2005年にはハリケーン・カトリーナがアメリカ南部のニューオーリンズを襲った。その時の対応の遅さ、ずさんさに世界全土から批判の声が上がった。
ブッシュ政権でもまるで打つ手なしのようなもので、アメリカでも支持率は減少傾向にあった。

第6章「新しい世界秩序を求めて」
イラク戦争によってアメリカの信頼が失墜したことにより、ポストアメリカはどうするのか、アメリカ以外に新しい秩序をもつとしたらどの国(もしくはどのグループ)がよいのかというのを考えなくてはならなくなったという。
その台頭として国連、そしてNATO(北大西洋条約機構)を挙げているが、決定打がないというのが現状である。

第7章「新たなる外交政策」
イラク戦争における強硬政策は結局裏目となってしまった。その轍を踏みつつこれからの外交戦略はどう立てていけばいいのかと考えると強硬の逆となる「融和」という形になるという見方もあるが、必ずしもそれが正しいわけでもなさそうに思える。「融和」を推し進めても結局は必ずどこかで「恐慌」に回帰してしまう。たがいに妥協点を見つけられずに対話がなくなり、戦争に陥る。極論ながらそうなるのではないかというのが私の考えにはある。

本書はイラク戦争の失敗から何を学ぶのかということについて国際関係や国の政策を中心に書かれている。3年前に発売されたものであるが、今の状況から考えて色あせていないという方が適当である、というのはアメリカのみならず日本や韓国は「北朝鮮問題」で頭を悩ませているところである。民主党に政権が代わってからどのような戦略を立てるのかというのは注目したいところであるが、大東亜戦争前のハル・ノートのような強硬政策をとってくる可能性もあることを考えると、また同じ轍を踏むのだろうかと危惧している。

「死の美学化」に抗する―『平家物語』の語り方

「死の美学化」に抗する―『平家物語』の語り方 「死の美学化」に抗する―『平家物語』の語り方
高木 信

青弓社  2009-04
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「日本は死者の国である」
もう何回言ったのかわからないが、怪談話で知られる小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの言葉である。
日本では死んだら宗教によるが、通夜・葬儀を経て墓に送り、そこから一周忌・三回忌・七回忌…というように供養を重ねていく。これほどまで死者に対して礼をつくした宗教は少ないように思える。
さらに日本の文化には「死」というのを題材にした作品も少なくない。「死」というのを考えさせられるばかりではなく、「どのように死ぬか」「「死」とはどういうものなのか」というのを考えさせられるには材料が多い。
その根源となったのが700年前、平氏と源氏の争いを描いた「平家物語」である。
しかし著者はこの「平家物語」によって「死」を美化させているのではないのかと批判的にみている。ではこの「平家物語」というのはどのような観点で読むべきなのだろうか、そもそも「死」を美化させた所は一体どこで、なぜ「美化」させたのだろうかという所を本書で考察している。

第1章「教育/権力/物語――もう一つの<原/平>合戦」
平家物語における教育や権力や物語について引用しながら関連性について考察を行っている。本章の冒頭にはなぜかUAの「HORIZON」椎名林檎の「本能」の歌詞の一部が引用されている。
平家物語との関連性なのか、それとも歌詞から見える感情が平家物語の考察において最良の材料となったのだろうか。

第2章「「教えられるのか」/「どう学ぶか?」という問題講制――<理論>が拓く地平」
「平家物語」は中・高の古典の授業でも扱われており、入試問題でも出題されることが多い。
しかし本章ではこの学校における「平家物語」の扱い方にも批判をしている。
私は古典教育に関しては賛成であるが、ただ単に古文の翻訳と一文から心情を読み取るというようなことが何の役に立つのかというのにはいささか疑問がある。
原文との対訳を見ながら読んでいくのがベストで、さらに古典作品の漫画版を読んで風景を知るというのはベターと言える。

第3章「知盛<神話>合体――教室で『平家物語』を読むことの(不)可能性」
ここでは巻十一「那須与一」にある平清盛の四男である、知盛の神話について批判している。
壇ノ浦の合戦において海に身投げをして自害をしたことで有名であり、その死に様は「美学化」の一端を担っている。

第4章「<父―息子>の『平家物語』――アンチ・ヒーローとしての宗盛の可能性」
ここでは三男の宗盛のことについてである。宗盛は他の兄弟と違い、あたかもドラ息子のように傲慢で反感を買いやすい人物であった。
本章でも宗盛の「アンチ・ヒーロー」ぶりについて批判を行っている。

第5章「<貞女>――<知>にダブルバインドされた小宰相」
ここでは「貞女」という所について書かれているが、そもそも「貞女(ていじょ)」とは何か。ある辞書で調べてみると、
「夫に対する貞節を固く守る女性。貞婦。」
あまり理解できないような定義であるが、簡単に言うと夫に対して一筋であり、たとえ死んだとしても再婚することは絶対ない女性のことを指している。

第6章「熊谷直実の<まなざし>――死者の魂を分有する」
熊谷(次郎)直実と言うと巻九の「敦盛の最期」で活躍する武将である。
一番最初に平家物語を読んだ(というよりも習った箇所)がちょうど「敦盛の最期」である。
敦盛の死に方という所の批判を中心に書かれている。

第7章「建礼門院の庭――『源氏物語』を読む<女>」
建礼門院は清盛の娘であり、安徳天皇に嫁ぎ壇ノ浦の戦いで平氏滅亡とともに出家し、ひっそりと亡くなった。この安徳天皇はわずか2歳で即位し、8歳で崩御した。
建礼門院と言うと当然平家物語における女性の扱われ方ということについて書いているのかなと思ったが「更級日記」と「源氏物語」が中心であった。

本書は「平家物語」で語られてきた「死」についての批判と、これまで無批判に構築されてきたことについて、自らの高校教諭の経験を交えながら、「平家物語」で語られてきた虚を突いた。
しかし本書は「平家物語」についてある程度読んでいないと、どのようなところを考察しているのかというのがよくわからない。おそらくこういうのがあったという無味感想で終わってしまうというのがオチである。
幸いなことに本書の補章には「平家物語」に関するマンガ案内がある。平家物語についてあまりよくわからない人、もしくは平家物語についてもっとはっきりと、かつ詳しく知りたい方はここから出てきているマンガを参考にしながら本書を読み進めることをお勧めする。

ラークライズ

ラークライズ ラークライズ
フローラ トンプソン Flora Thompson

朔北社  2008-08
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本書の著者であるフローラ・トンプソンの自伝的フィクションであり1939年に刊行された作品である。
ちなみに本書のほかにも「キャンドルフォードへ」や「キャンドルフォード・グリーン」とあわせて3部作として1冊にまとめられた作品があり、それによって彼女は名声を確固たるものとした。
有名な3部作の1作目に当たる本書は、自らの少女時代は貧しいながらも喜びも悲しみにも感情に満ち溢れた物語であり、著者自身の体験を元にしている。
第一章「貧しい人々の家」
第二章「子供時代」
第三章「農作業」
第四章「パブ」
第五章「年寄りたち」
第六章「女たち」
第七章「外からの訪問者」
第八章「木箱」
第九章「田舎の遊び」
第十章「村の娘たち」
第十一章「学校」
第十二章「試験」
第十三章「メーデー」
第十四章「教会」
第十五章「村の祭日」
本書のタイトルである「ラークライズ」というのはイギリス・オックスフォード州の北東部にある小さな村である。当時のイギリスはヴィクトリア朝であり、産業革命によって工業が急成長を遂げ、名実ともに列強の筆頭となった時代である。ちょうどこの時に起こった事件は失業者の暴動により、死者が出た「血の日曜日事件」やボーア戦争、アフガン戦争というのがあった。
この時代で有名な作品ではダーウィンの「種の起源」が発刊された時期でもある。
都市部ではまさに絶頂期と呼ばれるほどであったのだが、農村部はどのようなものであったというと、日本の「格差」と似ているだけのこともあり貧困であった。ただし今の日本のように貧困にあえいでいたかというとそうではなく、貧困であったとしてもそこには素朴であっけらかんとした感情が本書にはあふれんばかりに表現されており、読んでいる自分が麦畑の絨毯の真ん中で寝そべっているような感覚になる。
小さな村の生活がそのまま書かれているため小説でありながらも、ヴィクトリア朝における生活の一部を調べられる材料としてもうってつけであり、貧乏であっても生活のできる喜び、自然への畏敬というのが一手に味わえる一冊である。
さらに本書は絵がない代わりに、訳者のブログにおいて翻訳の題材として、数多くの写真を撮ってきたものが載せられているのでそちらの写真も参考にしながら読むと、本書の情景が浮かびやすくなる。

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