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2009年5月

東京に移って1年、今までを振り返って(その1)

今日・明日はちょっとだけ思い出話をしようと思います。

というのは、私はこの東京(正確に言ったら川崎)に移ってからちょうど1年が経とうとしているからです。

私は北海道で生まれ育って22年、去年の5月末に配属のため東京に移りました。

東京配属になった時は「頭が真っ白」というよりも先に、「部屋探そう」という考えとなり、あっという間に部屋が見つかって急いで引っ越しの準備といったあわただしい状態であったため、「これからどうしよう」という考えには至りませんでした。

それから東京配属になった時、当然のごとく私の、私の会社以外での友達はいませんでした。もし私に大事があったならばどうしようという不安に駆られました。

不安はありましたが、東京でしかできないことだけはキッチリとやりました。上野や浅草で落語を聞きに行くとかはしましたね。

そしてもう一つやりたかったことがありました。

「セミナー」に参加することです。

ちょうど私がいつもネットサーフィンで見ていたもので、セミナー募集がありましたがいずれも「東京会場」ばかり…。

北海道であった私はとても参加できませんでした。

しかし東京在住になってからは、気軽に参加できるようになったので思わず参加。

最初のセミナーは経済評論家で「キラー・リーディング」で有名な中島孝志氏のセミナーでした。このセミナーでは名刺交換会があり様々な人と知り合えたことを今でもはっきりと覚えています。そのあとの飲み会にも行きました。

この後2ヶ月間は月1回の頻度で、しかも無料のセミナーに参加していました。「安さ」というのがずっと頭にあったのかもしれません。

このところから書評も本格的にやり始めた時期でした。それまでは1日に4書評もあれば3日間書評なしというような極端な日々が続いていました。

東京に移り、毎日継続して書評を出していったのも東京に移ったからと言うとちょっと語弊を招くかもしれませんが。

(その2へ続く)

新体操はスポーツか芸術か

新体操はスポーツか芸術か 新体操はスポーツか芸術か "Is Rhythmic Gymnastics a sport or an art?"
渡部 愛都子 ベラ・アトキンソン

幻冬舎ルネッサンス  2009-03-05
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新体操というと、音楽とともに柔軟な体でもって美しい演技を披露し、技術点と芸術点の高さを競うスポーツである。本書の新体操のみならず、シンクロナイズトスイミングや冬季競技に至ってはフィギュアスケートといったものも芸術的なスポーツ競技は存在する。本書のタイトルにある命題、「スポーツなのか?あるいは芸術なのか?」については両方である、答えが言えなければ答えに窮する。
本書はこの命題を元選手の立場から考察を行っている。
一章「新体操の故郷を求めて」
新体操」というと女性特有のスポーツと思いがちだと思われるが男子種目もあり、戦後日本で誕生した。
新体操の起源は19世紀以降ドイツを中心に「手具体操」として誕生した。その時の手具は動きのおまけとして使われており、競技はなかった。
それが競技として認められたのは戦後になってからの話で、日本が男子種目として誕生した歴史と重なる。
二章「モダリティで芸術をどうとらえるか」
第一章では歴史を書いたが、ここからいよいよ本論に入る。
本書では「モダリティ」というのが連呼しているように思えるのだが、これは、
「得点には入らないが最も美しい演出(p.54)」
という定義になっている。この定義をしているとなると新体操は果たして「芸術」の要素が多いように思えるが、はたしてどうだろうか。
「モダリティ」の定義と考えると、素人の私が「どれが得点の付く演技なのか」「どれが得点の付かない演技なのか」というのはわからない。
三章「モダリティ比率による芸術性の変容」
わからない状態でこのまま三章に行くのは気が引けるが、競技の比率と芸術性の比率について分析をしている。
新体操の競技は個人競技と団体競技というのがあるがそれぞれのモダリティというのが違うという。さらに言うと音楽に関することに関してもモダリティの考察を行っている。
では「モダリティ」と定義してこれほどまで考察をされてきたのかというと、「得点」に換算する「スポーツ」と、「美しさ」というのを重視する「芸術」のウェイトを調べるためだという。
身も蓋もないことを言うが、私は中学・高校と吹奏楽部に所属していたのだが、毎年のように付きまとったのが「コンクール」というものである。コンクールはそれぞれの大会でそれぞれの演奏でもって審査員に評価されているところを考えると、「芸術性」というのは何なのかと疑いたくなる。
インタビュー 「ベラ・アトキンソンに聞く」
本書の素材となったのがこのべラ・アトキンソンとのインタビューである。これまで参照にわたって考察を行ったのだがその参考となっているもののほとんどがこのインタビューである。
べラ・アトキンソンは元新体操の団体世界チャンピオンであり、現在では国際体操連盟のメディア・メンバーの一人である。全三回のインタビューで構成されている。
新体操のみならず、フィギュアスケートやシンクロナイズトスイミングといった競技は「芸術性」が求められるが、オリンピックなどでは「競技」として扱われているだけあって、「スポーツか芸術か」という命題を解明するのは非常に難しく、これからの論戦の火種になることだろう。

できる大人の“一筆添える”技術

できる大人の“一筆添える”技術 できる大人の“一筆添える”技術
むらかみ かずこ

ディスカヴァー・トゥエンティワン  2009-03-15
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今やパソコンやメールといったものが中心となっている時代である。パソコンが誕生し、インターネットが庶民の間で急速に普及しだしてから、メールという文化によって世の中は便利になった。
同時に昔からあった「手紙」などの「肉筆」の文化が荒廃の足音が聞こえ始めてきたように思える。
しかし、そういった時代だからでこそ「文章」や「手紙」といった手間のかかるものが重宝される時代なのではないだろうか。
本書はパソコンやメールではまずできない「一筆添える」手間の良さを伝えるとともに、肉筆で描く温かみを伝える1冊である。

STEP-1「いつもの書類の一つ上に「一筆箋」を添える」
「一筆箋」というのが手紙の一つとしてあるというが、私自身それについて知らなかった。例えば営業などの書類を送るときに「一筆箋」添えるだけでも相手からの印象ががらりと変わることが多いという。大げさなことをして相手に迷惑がられるよりも、「一筆箋」でささやかなお礼がある方が相手にとっても喜ばれる。
本書を読んだら実践しようという考える人もいるのだが、そこは著者の思うつぼ(?)なのか、本書の付録として「ミニ一筆箋」が5枚添えられている。まずはこれを使ってみるのもいいだろう。

STEP-2「感謝の気持ちが信頼関係のはじまり「ハガキ」を書く」
ハガキというと年賀状や暑中見舞いといったものが想像できる。手紙のほかにも感謝の気持ちを込めてハガキを送るというのもまた一つの手段である。
特にセミナーや異業種交流会では名刺交換後にハガキを送るというのも一つの手段として別の本にも挙げられているほどである。
またバースデーカードや日本ではなじみの薄い「クリスマスカード」もまた相手への感謝の気持ち、祝う気持ちを与える一つの手段といえる。

STEP-3「慣れてきたら遊びを取り入れて「記念切手」で印象を高める」
これはなかなかおもしろかった。「切手」にもこだわりを持つ人がいるとは、そして「切手」の貼り方にも「遊び」を入れるということには驚きを隠せなかった。
特に手紙を送るときとかにこう言ったことをするというのもまた、「書く」事を楽しくすることができる。

STEP-4「もっと相手に喜ばれるために「筆記具」で気持ちを伝える」
「文房具」は最近になって特徴的なものが出始め、「文房具朝食会」という会までできるほどとなった。私も文房具に関してはいくつかのこだわりをもっているのだが、セミナーに参加するようになってこだわりをもっている人に出会うと「まだまだ(自分は)足元にも及んで

いない」と自分自身反省しきりである。
STEP-5「もらってうれしい手紙の「書き方のコツ」」
「書き方」もまた、個性を出すことができる。また書き方には文書と同じように「TPO」をわきまえないとかえって失礼になってしまう。礼節の範囲内で、そして特徴や遊びを出していくことが、「一筆」の醍醐味と言えよう。

手紙やはがきなど、「書く」というのが私もほとんどやらなくなった。しかし本書はその「書く」楽しさが非常に伝わる一冊であった。
STEP-1でも書いたように本書には付録として「ミニ一筆箋」が5枚ある。それを使って実践してみたらどうか。

菊の御紋章と火炎ビン―「ひめゆりの塔」「伊勢神宮」が燃えた「昭和50年」

菊の御紋章と火炎ビン―「ひめゆりの塔」「伊勢神宮」が燃えた「昭和50年」 菊の御紋章と火炎ビン―「ひめゆりの塔」「伊勢神宮」が燃えた「昭和50年」
佐々 淳行

文藝春秋  2009-04
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ひめゆりの塔」というと沖縄戦、とりわけ終戦前の激戦地、さらには日本領土の数少ない戦場でもあった。その中での戦争の悲しみやいざこざが起き、今でも歴史認識問題により、大江健三郎の「沖縄ノート」問題、「戦陣訓」の一文を守り通すための自殺の強要というのが叫ばれ、訴訟にまでなったのは記憶に新しい。沖縄戦は非常にナーバスな問題の一つであり、私自身もあまりよくわからないところが多いのでこれから学ぶべきものの一つにあるのだが。
さて本書の著者の名を思い浮かぶ人であれば「あさま山荘事件」の警察側指揮官であったというのを思い出すであろう。著者はそれだけではなく、様々な事件にかかわってきた。佐々氏が現役バリバリだったころは左翼の内ゲバや、反体制運動が活発な時であり、先の「あさま山荘事件」も「連合赤軍」による事件であった。「鎮圧」と「革命」の狭間で戦ってきただけあって、本書の文章にはすさまじい重みがある。それを若輩者の私が紹介、そして書評をしてよいものなのか遠慮したくなるところだが、「身をもって闘った男がいた」ということを頭に刻み、これからの人生に役立てればと思っている。
本書は佐々氏の半生を描いたものであるが、そのほとんどが事件とのかかわりについてである。

第一章「沖縄無血返還の大功労者・佐藤栄作死す」
佐藤栄作といえば戦後の首相の中で最も長く在任(7年8カ月)したことで有名であり、沖縄返還の時の首相でもあり、非核三原則を制定したことによって「ノーベル平和賞」を受賞した人であるが、私が最も印象に残ったのは辞任会見である。佐藤栄作は新聞は自分の話したことを曲解させられることが多かったので嫌い、テレビカメラの前で国民に自分自身の思いを伝えようとして新聞記者に出ていくよう言った。しかし「内閣記者会」がそれを抗議し、お詫びをするよう求めたら「出ていってください」と再度言われ、記者たちは全員出て行った。カメラと首相以外誰もいない記者会見場で淡々と辞意を述べていたのは有名であり、今のメディアの問題に通底するものがある。

第二章「「内戦」としての三菱重工業連続企業爆破事件
本章のタイトルにある事件であるが、これは1974年に反日武装戦線「狼」によるテロ事件のことである。ちなみにこの団体は昭和天皇の暗殺事件を企てたこともある。
それだけではなく反日的というよりも安保体制に反対をする新左翼の勃興が著しかった時代であった。

第三章「聖域としての「ひめゆりの塔」」
1972年沖縄が日本に返還されたが、沖縄戦に対する言及や批判ができないくらいひめゆりの塔の「聖域」が成り立っていた時代であった。それも理由の一つとあってか、次章にある「ひめゆりの塔」事件の火種にもなった。

第四章「「ひめゆりの塔」火炎ビン事件の“真相”」
この事件は1975年に当時の皇太子、現在の天皇ご夫妻が戦後初めて沖縄を訪問した時のことである。皇太子殿下らの沖縄上陸を阻止せんと「上陸阻止闘争」を行い、最終的には火炎ビンを投擲したとい事件である。著者はその時の警備責任者であったため本書のタイトルも、そして本書で最も主張したいところであるように思える。

第五章「交響楽『昭和50年』の間奏曲・クアラルンプール事件」
昭和50年は西暦で直すと1975年、前述の「ひめゆりの塔事件」や前年ではあるが「三菱重工爆破事件」といった攻撃的新左翼による事件が頻発した時であった。六十年安保や大学紛争により左翼が隆盛し、70年代初頭には沈静化していったが、その一方で左翼が反体制に向けて過激な事件を起こした。

第六章「「懲戒栄転」で三重県警本部長へ」
第七章「史上初の「伊勢神宮」風日祈宮炎上」
第八章「懐かしの三重県警“昭和グラフィティ”」
第九章「さらば警察庁、今日は防衛庁」
第十章「“晩年課長”の憂鬱」
第十一章「私の考える「天皇制」」
第六章以降は佐々氏自身の遍歴について書かれたところであるが、佐々氏が当たった事件のほとんどが新左翼の過激運動というのが多いように思える。

第十二章「老兵は死なず、ただ書き遺すのみ」
数々の事件などの処理の陣頭指揮を行った所を回想している。
佐々氏は前述のように多くの事件や危機管理に関して陣頭指揮を行った数少ない人物である。「危機管理」に関しても自身の体験が豊富であるため言論にも重みがあり、さらに陣頭指揮を執ったことから「リーダーシップ論」にも言及できる。

企業でも「リーダーシップ」というのが叫ばれているようであるが、いざという時にはこの「リーダーシップ」というのは発揮される。佐々氏はまさに「リーダーシップ」や「危機管理のプロ」を地で行く人であった。本書を読んでそのように思えた。

メディアの発生―聖と俗をむすぶもの

メディアの発生―聖と俗をむすぶもの メディアの発生―聖と俗をむすぶもの
加藤 秀俊

中央公論新社  2009-05
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「メディア」というと皆さんは一体何を思い浮かべるだろうか。
おそらく大多数の方々は「新聞」や「TV」や「インターネット」といったものを思い浮かべるだろう。
確かに「伝える」という観点で「メディア」として成り立っているようだが、本当のメディアの定義はこうである。
「(1)手段。方法。媒体。特に,新聞・テレビ・ラジオなどの情報媒体。
  (2)情報を保存する外部記憶装置の媒体。磁気ディスク・MO ディスクなど。
(3)情報を頒布する手段。コンピューターの分野では,(2)のメディアに加え,通信回線などが利用される。(goo辞書より)」
本書は、(1)の前半に当たる「本当のメディアの在り方」というのを解き明かしていくという一冊である。メディアといっても多岐にわたっているせいか、本書の頁数も膨大である。買って読むときは相当な覚悟が必要なのかもしれない。

第一章「「むすび」の構造――日本の精神世界」
日本には「八百万」といわれるほどいる「カミ」の進行にまつわる精神について考察しているしているところである。
神それぞれの儀礼というのが宗教ごとにあるためか八百万通りあるのではという考えをもつ人もいるが、八百万の神々のほとんどは神社に祀られており、「お祭り」といった儀礼も愉しみながら願いを託すということが可能である。

第二章「宮中のど自慢――『梁塵秘抄』の知識社会学」
「のど自慢」と言ってもカラオケのように歌を歌うわけではない。平安時代の後期の宮中の「のど自慢」についてであるため、短歌を「詠う」というような表現になる。

第三章「大地との対話――逢坂の関から」
第一章で、日本は「八百万」の神がいると言ったが、大地も例外なく「神」がいる。よく建物を建立する前の竣工式では神主が地鎮の祝詞を唱えるなどの儀式を行ってから工事を行うというのが通例となっている。大地のありがたみというのを感じさせるという宗教間も日本の良さの一つである。

第四章「メディアとしての身体――おどり念仏から河内音頭まで」
こちらは踊りである。

第五章「神々の市場戦略――熊野を中心に」
市場戦略というと宗教や哲学とは無縁のように思えるのだが、本章では無縁なものを遊園にしているのだから面白い。
ここでは「熊野古道」で有名な「熊野」をピックアップしている。

第六章「サロンとホステス――遊女の系譜」
日本にはキャバクラやフーゾクというのが至る所にある。この文化は非常に深く、平安・鎌倉時代からあるのだというから驚きである。ちなみに最初の起源は「遊女」、もと巫女の一種であるという。

第七章「『平家物語』と知的所有権――「語り」の組織社会学」
「平家物語」というと平安時代末期の平時と源氏との戦い、特に「壇ノ浦の戦い」にて平時が滅亡したというのは有名な話であり、この「平家物語」が平氏へのレクイエムという意味合いも込められている。
本来であればひっそりとしたものを描くはずだったのだが、平家物語は数多く読まれるのみならず落語(「源平盛衰記」)や歌舞伎の演目(「義経千本桜」他)にまでなったほどである。幅広く読まれるとなると「知的所有権」というタイトルになるのもおのずとわかる気がする。

第八章「祝福のうた――「ほかひびと」の諸相」
「ほかひびと」というのは「祝師」と呼ばれており、婚礼などの祝い事に際して歌を唄うという役割を担う「瞽女(ごぜ:盲目で三味線などの弾き語りをする女芸人)」のことを表す。非常に古そうに思えるのだが、これは近世までは全国的に存在したのだが、20世紀になると新潟を中心としたという。現在でも実在しており、「高田系」と「長岡系」の2派がそれぞれ後世に伝承するために尽力しているそうだ。

第九章「「節」の研究――説経から演歌まで」
「節」というと俳句・川柳(五・七・五)、短歌・狂歌(五・七・五・七・七)、都都逸(七・七・七・五)と多岐にわたる。こういったリズムをつけるというのは日本人には聞き入りやすい。広告でもワンフレーズのほかにもこういった七五調のリズム、演歌の世界でもそういったものが取り入れられているところをみると、日本語による独特のリズムというのも窺える。

第十章「旅するこころ――遊行と道行」
「旅」というと様々なところを新幹線などの交通機関を利用していくことができるのでなかなか便利になった。しかし昔はというとほとんどが徒歩であった。松尾芭蕉も「奥の細道」で俳句をしながら旅をし、約2700もの石碑(句碑)が存在する。
また「自分探しの旅」というのがよくいわれるのも日本ならではの特徴で「旅」に関する愛着が特別なものと考えられる所以なのかもしれない。

第十一章「ノンフィクションの研究――「読み物」と「語り物」」
ノンフィクションの作品というのは書店に行けばいくつもある。「ノンフィクション作家」という肩書も存在するほどであるから、どれだけ浸透しているということが分かる。
ではこの「ノンフィクション」はいつごろからできたのか。本書では「平家物語」や「太平記」といったものから取り上げているところをみると、歴史は深いように思える。

第十二章「劇場の時代――装置と演出」
「劇」というと日本では「能」や「狂言」、「浄瑠璃」、「歌舞伎」、「落語」、「講談」、「文楽」というものがある。この「劇」は日本における宗教「神道」にある「神楽(舞)」というのがその祖にあたる。宗教性をもってはいるものの、今でも奉納や安全祈願のために、方法は違えど「神楽」は生き続けている。

本書は「メディア」ということに関して書かれている一冊であるが、新聞や雑誌、TVニュースなどの「マス・メディア」のことについてはほとんど触れられていない。そういうことを知りたい人は本書は読むべきではないが、「メディア」そのものの在り方について知りたい人、さらに民俗学について、日本文学について学びたい人にとっては本書が適している。ただボリュームもさることながら、内容も多岐にわたるため知りたい所から入っていき、数日かけて読んでいくという方がいいと思う一冊である。

山田真哉7:59@UNDERGROUND 感想(追記あり)

昨日は「山田真哉@UNDERGROUND」ならぬ「山田真哉7:59@UNDERGROUND」に参加いたしました。2月の出版記念セミナーの時に美崎さんの講演中にナンパしたといういわくつきのストーリーからこのセミナーが誕生しました。

それもあってか出版記念セミナーによって参加という人もおり、UNDERGROUND最大級のセミナーでした。

(5/30 0:30追記)

前半は美崎さんの質問に山田さんが答えるという形でした。

山田さんは著書も多く、タイトルが特徴的ですが、その戦略についても触れられていました。

後半は参加者の質問に山田さんが答えるもの。

余談ですが、山田さんは「水曜どうでしょう」の大ファンで、それを捩って「本屋でどうでしょう」というのを企画したそうです(ある本の販促企画だそうですが)。セミナー後観てみたらどうでしょうならではのグダグダ感と最後の意外な結果はまさに衝撃的でした。

どうでしょう企画の延長戦(?)というべきなのか、さすが美崎さん、サイコロを用意しておりました。質問はサイコロで決めて質問に答えるという形式でした。

まさに山田真哉の真髄を見せたセミナーでした。

懇親会ではセミナーのことやコミュニケーション、そしてアニメとまさに大盛り上がりでした。

今回講師をなさった山田真哉さん、そしてこの会を主催、また2月に山田さんをナンパした美崎さん、ありがとうございました!!

女子大生会計士の事件簿

女子大生会計士の事件簿 女子大生会計士の事件簿
山田 真哉

英治出版  2002-12-07
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今日28日に行われる「さおだけ屋と女子大生@UNDERGROUND」。その準備も兼ねてか山田真哉氏の本を取り上げようと思う。山田真哉氏は著書はかなり多く、わかりやすさと奥深さで評判であるが、私はというと山田氏の本をいくつか読んだことはあるのだが、肝心の書評はというと、前身の「蔵前トラック」において「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学」や「食い逃げされてもバイトを雇うな 禁じられた数字(上)」しか取り上げていなかった。
「さおだけ屋」もさることながら、今回取り上げる「女子大生会計士の事件簿」もベストセラーシリーズのはしりとなった一冊である。
女子大生シリーズはいくつかあり、どれも数字の奥深さやトリックというのを大胆不敵に、かつ分かりやすく、そして数字のワンダーランドに誘ってくれるようなストーリー展開をする。
今回はあえてその原点となる一冊を取り上げた。
監査ファイルⅠ <北アルプス絵はがき>事件
監査ファイルⅡ <株と法律と恋愛相談>事件
監査ファイルⅢ <桜の頃、サクラ工場、さくら吹雪>事件
監査ファイルⅣ <かぐや姫を追いかけて>事件
監査ファイルⅤ <ベンチャーの王子様>事件
この5つの事件の公正であるが、会計用語や数字が分からなくてもこの「女子大生シリーズ」を読めばあらかた理解できる、それ以上に想像しやすく、人それぞれであるがとんとん拍子で理解しやすく作られているのが山田氏の真骨頂といえる。私が印象的だったのは「監査ファイルⅠ <北アルプス絵はがき>事件」である。
簿外入金と架空出金についてであるが、その手口にも驚いた。まさかまねした企業がいたのではと疑ることもあるほどだった。
本書のみならずシリーズという形で不定期ながら取り上げていこうと思う。さて、次はいつ取り上げようか。

戦争と権力―国家、軍事紛争と国際システム

戦争と権力―国家、軍事紛争と国際システム 戦争と権力―国家、軍事紛争と国際システム
ポール・Q. ハースト Paul Quentin Hirst

岩波書店  2009-02-25
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文明が起こってからゆうに数千年の時が流れた。その中では数え切れないほどの戦争や紛争などの諍いや争い事が起こったのは言うまでもないことである。
その悲しみに巻き込まれればその仕返しのごとく戦争をする。実際に「戦争をやめよう」と大々的に取り上げたのは日本が先だったのかもしれない。
第二次世界大戦が終わって約64年経つがそれでも戦争は至る所で起こっている。
日本ももはや他人事ではなくなってきており、イラク戦争では海外派遣を行ったり、ソマリア沖でも自衛隊が派遣された。あくまで後方支援という形であり、武器を使わずとも戦場で人道的なサポートを行うことで国際的な評価を上げ、国益につながるのであればぜひやってほしいというのが私の考えである。
さて本書では戦争にまつわること、軍事や戦争・紛争についての未来について考察を行っている。

第1章「軍事革命」
十五世紀から第二次世界大戦までの武器などの軍事的なものの進化について書かれているまずは「軍事革命論争」の歴史について書かれている。最初の論争の火種となったのは1596年にマイケル・ロバーツの著作によって端を発したものであるが、前後100年の間の軍事革命はどうあるべきか、どうあったのかという論争が起こった。このころは伝聞でしかなかったため論争は活発とは言っても戦争自体の定義が大幅に揺れることは珍しくなかった。
また「軍事」そのものの進化もあった。わかるもので言うと第一次世界大戦では「毒ガス」というのが取り入れられるなど、混沌の時代の中で次々と兵器が作り上げられた。「原爆」や「核」といった大量殺人兵器から、「パソコン」や「インターネット」のはしりとなった技術が誕生したのも戦争であった。

第2章「ウェストフィリア体制期における国際システム」
「ウェストフィリア体制期」というのは初めて聞く。これは神聖ローマ帝国を中心に17世紀前半に起こった「三十年戦争」後の講和条約として結ばれた「ウェストフィリア条約」後の国々の勢力均衡のことを「ウェストフィリア体制期」といわれる。この体制は長く続き、18世紀の「ナポレオン戦争」の時に崩壊するまで約50年以上維持された。
ここではその50年間での国際関係について考察を行っている。

第3章「未来の戦争」
「未来の戦争」というと多くの人は「第三次世界大戦」というようなものを思い浮かべるだろう。さらに言うと、過去の戦争と同じく最新鋭の武器で戦うというようなものも考えられる。
本書では冷戦後、イラク戦争など21世紀後に起こった戦争の中でどのように戦争は変容していくのかを考察している。
私の考えであるが、21世紀に「第三次世界大戦」は起こり得ると考える。ただし、この戦争は武器を伴わず、イデオロギーといった「主張」を伴っている。簡単に言うと「言論」や「思想」による戦争が起こると考えている。

第4章「国際システムの未来」
今度はちょっと戦争を離れて、1989年の冷戦後という構図に切り替えていく。というのは冷戦の時にはソ連も存在しており、ドイツも東西と分かれていた。今はソ連は崩壊してロシアなどいくつかの国に分かれ、ドイツも統一されている。現在における「国際システム」は89年以降のものを表している。

89年以後、わずかではあるが国際システムの変動はあった。独立をしたり、領土返還といったささやかな形としての変動である。では今後、戦争や天変地異によって国際システムが大きく変化することはあるかというと著者の考えでは今後20年間ないという。良くも悪くも均衡が保たれているというべきだろう。国連をはじめ多くの国々はこのシステムの維持に力を注ぐとみられるが、今後このシステムが崩壊する日は必ず訪れるだろう。それがいつになるのかというと、数十年スパンという遠い未来になるのかもしれない。

出版と自由―周縁から見た出版産業

本書は出版ニュース社から出ている「出版ニュース」から月1回連載されている「ブックストリート・流通」欄で取り上げたものを集積した一冊である。
ここ最近では「出版不況」と呼ばれているだけに出版業界内部の実情をありのままに描いている。

「出版と自由 2003年」
この年ばかりではないのだが、ここで取り上げらげられているのは、
「松文館摘発事件」
「ポイントカード問題」
「個人情報保護」
「宝島社裁判判決」
といったものである。
「松文館摘発事件」については「松文館裁判」にて詳しく取り上げるのだが、出版業界にて憲法が担保している「表現の自由」を揺るがしかねない大きな事件と発展した。
ポイントカード問題」はヨドバシカメラがポイントカードにより、場合によってはポイントのみで書籍が購入できることについて、出版社が「契約違反」と批判し、違約金の請求と取引中止を求めるにまで発展したものである。今では大型家電量販店ではポイント還元が当たり前となり、最近では「Tカード」でもポイントで買い物できる時代になった。しかし6年前まで、出版業界では融通の利かない状態になっていたという。
宝島社裁判判決」は主に「有害図書」、「不健全図書指定」の取り消しを求めた裁判であるが、結果から言うと原告敗訴となった。この裁判以外にも「有害図書」と「表現の自由」というのがぶつかり合った裁判がいくつも存在した。2004年では「松文館裁判」という猥褻本裁判もその判例の一つである。

「出版と自由 2004年」
「「表現の自由」とは?」というのが問われ始めたときである。ここでは「松文館裁判」の地裁判決時点での問題点について取り上げている。
「松文館事件」は高校生の息子が成人向けの漫画を読んでいるという投書が国会議員の元に届き、読まれた漫画の出版社の社長が逮捕されるという事件である。ちなみにここで述べられる一審では「懲役一年、執行猶予三年」が下された時である。ちなみにこの裁判は最高裁まで行き、2007年にの上告棄却で結審した。結局は罰金150万円に軽減されたものの、「表現の自由」というのが脅かされた裁判であったように思える。現在では「児ポ法」というのもあるのだが、それの改正や今ではなりを潜めているが「人権擁護法案」というのも「表現の自由」というのが脅かされかねないものである。公序良俗はあるとはいえ多様となった嗜好を方の力で止めていいのかというのは私はいささか疑問をもつ。そのためここでは少し熱く書いてしまった。
これに近いものであるが「成人雑誌の包装義務化」や「青少年健全育成法案」も書かれている。
もう一つ、気になったのが「「国が燃える」抗議事件」である。これは歴史認識問題で抗議されたという事件であるが、私自身これは覚えていない。毎週のように「国が燃える」を読んでいたのにもかかわらず、である。

「出版と自由 2005年」
良くも悪くも「萌え」市場が急速に拡大した年である。80年代後半では「宮崎勤事件」の影響によって「オタク」という言葉がネガティブな表現として用いられた(NHKも放送自粛用語の一つとしたほどである)。今となってはポジティブ・ネガティブ双方で表現されるようになった(どちらかというと前者の方が多い)。
出版業界と関係があるのかと疑いたくなるがこの年では話題となった「共謀罪」というのを取り上げている。これについては「共謀罪」について反対・批判する本が出回ったことからである。

「出版と自由 2006年」
今年出版業界に衝撃を与えている、それは「Google書籍のデータベース化」である。これは日本の書籍、しかも絶版になっているものまで対象に含まれている。日本文芸家協会や出版団体は 当然のごとく抗議を行っている。
ちなみにこの兆候は3年前にも同じことがあった「Googleブック検索」というものである。今とほぼ似ているが、全文が読めるわけではなくあくまでさわりの部分のみ取り上げるというものであるが、全文読めてしまうものもできてしまうのではないかという器具を本書では述べているが、まさかこれが現実に起ろうとは思ってもいなかったであろう。
そして後半で印象的だったのが漫画評論家であり、長らく「コミックマーケット」の主宰に立った米澤嘉博氏についても取り上げられている。「コミケ」や漫画を語るにあたり欠かせない人物である。

「出版と自由 2007年」
2007年問題というと団塊世代のリタイアにより労働人口が大きく減少するというものであるが、ここでいう「2007年問題」はそういった団塊世代向けの雑誌の売り上げ部数の減少というものである。おもに「論座」、「諸君!」「Voice」といったオピニオン誌である。左の三誌は最近休刊となってしまったものであり、この影響はじわじわと広がっている。

「出版と自由 2008年」
またもや「有害図書」や「児ポ法」といったものが取り上げられている。この年は「人権擁護法案」というものが紛糾、さらには「児ポ法」改正の風が強まっていたなかであったためにこのようになったのだろう。

本書はもっぱら出版危機というよりも「表現の自由」「言論の自由」を訴えている印象が強かった。私がはるか以前書評でそういったことを主張していたことが先入観としていまだに残っているせいかもしれないが。
とはいえ活字媒体における出版はこれから佳境に入っていくと思う。「出版不況」と「法規制」のダブルパンチによって滅びずに生き延びることができればいいのだが。

涙の文化学―人はなぜ泣くのか

涙の文化学―人はなぜ泣くのか 涙の文化学―人はなぜ泣くのか
今関 敏子

青簡舎  2009-03
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「悲し泣き」「嬉し泣き」「怒りの涙」「感動の涙」
「涙」というのはいろいろな表情から使われることがある。「喜怒哀楽」という四字熟語があるが、「楽」以外はすべて涙は当てはまる。「涙」は悲しいことだけではないということがよくわかる。
では「なぜ泣くのか」ということを考えると、理由のある涙もあれば、訳も分からず涙したというのもある。本書は文化・美術・文学の観点から「涙」について考察を行っている。

Ⅰ.「[対談]涙と文化」
「涙と文化」についてはⅠ.とⅡ.の2章に跨って取り上げれているが、ここでは安井信子氏と今関敏子氏の対談が書かれている。
おもにジェンダーや各国文化と「涙」の関連性について対談されていたのだが、女性二人が対談されると出てくると思ったのが、「冬のソナタ」である。ヒロインのチェ・ジウが「涙の女王」と言われたのがおそらく両者とも違和感を感じたのだろう。

Ⅱ.「涙と文化」
本章では日本をあまり取り上げず、台湾や韓国を中心としている。韓国については「冬のソナタ」から端を発した儒教の考え方による「涙」、そして台湾が戦後、独裁政権下により流した「涙」というのを考えていたが、本書では「葬送」の文化とともに紹介している。台湾は「オランダ領」「清領」「日本統治」の時代を経て、さまざまな文化と取り入れてきた。同時にその文化をカスタマイズしながら独自の文化を築き上げてきたものもある。
さらに韓国では、よく泣くという印象が強いが、これは一体どのような経緯から

Ⅲ.「美術・演劇・映画にみる涙の表象」
今度は美術作品である。最初に出てくるのがピカソであるが、代表作「ゲルニカ」のみならず、「涙」をテーマにしてあるだけあって「泣く女」の作品群も取り上げられている。
本章では外国作品を取り上げているのはピカソだけで残りはすべて日本の作品からである。「源氏物語」の文学をはじめ、歴史的絵巻や画から、能・狂言に至るまで「涙」を忠実に描いている作品が多いのは日本であろう。これは日本独特の言葉やしぐさから出てくるものであり、そして繊細な感性をもっているためであると私は考える。

Ⅳ.「文学にみる涙の表象」
今度は文学作品であるが、すでに「源氏物語」を取り上げているだけではなく、「日本書紀」などの日本神話、さらに「平家物語」といった作品など日本文学は芸術と同じく、繊細な表現をすることが可能だからでこそ、「涙」の表現をかもしやすくできるのではないかというのが私の考えである。
他にアメリカ文学、特にヘミングウェイについても挙げられている。しかしヘミングウェイの作品には「泣く」という表現がほとんどない。なぜ「泣く」という表現がないというのを本章では考察している。
「涙」や「泣く」というのを文学や芸術といった文化の観点から考察している一冊はなかなか面白いのだが、世界のありとあらゆるところについて取り上げられているため、国々の「涙」について数巻に分けて書いてほしかった。そうであれば、もっと掘り下げられたものになっただろうと私は考える。

ロビンソンくるぞ

ロビンソンくるぞ ロビンソンくるぞ
中村 葉子

ポプラ社  2006-10
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本書のタイトルが、ダニエル・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」を捩ったように思えてならない。しかし本書の主人公のあだ名が「ロビンソン」というのだから本書のタイトルがこうなるのは仕方がないと思う。
本書はロビンソンと家庭教師の三郎さんとのドタバタの物語であるが、彼が住んでいる家には家で少年や少女や大人が転がり込んでの共同生活という、まさに「奇妙」な生活を描いている。
直接的な感想としてはしっかりとした意思で読まないと、本書のレトリックに引きずり込まれてしまうようであった。あたかも「文章のブラックホール」であるかのように。
三郎さんの部屋に対するネーミングセンスは光っていた、というよりもそれぞれのキャラクターを如実に出すようなネーミングであった。
不思議に思ったのはそれだけではなく、ロビンソンのみならず、てっちゃんやなっちゃんのやりとりも情緒的、精神的ながら妙な力をもっているような気がしてならない。論理とはちょっとかけ離れたものではあるが、論理では決して表すことのできない素朴さというのを感じ取ることのできるやり取りが多かった。
最後に感覚的な表現になるのかもしれないが、ロビンソンやてっちゃん、なっちゃんがことばという名の「クレヨン」でいろいろなものを描きだした。そして三郎さんや洋介さんの大人たちがそれを鉛筆や筆で1枚の絵にさせている。本書はこういった表現のできる一冊であった。

化粧と人間―規格化された身体からの脱出

化粧と人間―規格化された身体からの脱出 化粧と人間―規格化された身体からの脱出
石田 かおり

法政大学出版局  2009-01
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もはや「化粧」は女性にとって欠かせないものとなり、小学生でも化粧をするようになった。「化粧術」といった本やセミナーといったものは至る所で行っている。もはや生活の一部となっている化粧をどのようにして教育するべきか、どう教えるべきなのかの必要性を説いた一冊が本書である。ちなみに本書を出版されるまでに相当な思いがあるという。それは最後に書こうと思う。

第1章「化粧は日本の社会でどんな意味を担ってきたか」
先も言ったように子どもたちの世代まで「化粧」をするようになった。
そもそも「化粧」はどのような歴史や起源をたどってきたのだろうかというのが知りたくなる。
紐解いていくと「万葉集」といった古典にも化粧のこと(「白粉」についてであるが)が書かれており、「源氏物語」など古典を取り上げても枚挙にいとまがないほどである。
歴史を紐解けばかなり深いということが分かるが、では社会において「化粧」はどのような位置付けであったのだろうか。今も昔もあるのが「礼儀作法の一部」としての化粧がある。特に階級が上流になってくるにつれ「マナー」による化粧の仕方というのがあった。
しかし今はそれだけではなく、「個人のファッション」としての化粧も存在するが、これについては「電車の中で化粧する女たち」や「コスメの時代―「私遊び」の現代文化論」が非常に詳しい。

第2章「化粧にみられる美的価値基準の現在」
こちらは主に統計による結果を紹介したところが中心であり、具体的な考察については第3章に譲っている。
化粧をしている子供の割合から、大人から見た子供たちの化粧について、そして女性の生活館や「美」に関しての観点をアンケート調査の結果をもとにして考察しているところである。

第3章「美的価値基準はどうあるべきか」
前章をもっと深く、もっと具体的に掘り下げたところである。アンケートの現状を見て若年層の化粧について両極の定義をした。

・ファストビューティー
→「ファストフード」のように安く、早く、簡単にといった観点から美しくなれる美しさ
・スロービューティー
→こちらは「個性的」というもの。時間やコストを駆けて自分自身の積み重ねによって「美」

を手に入れることを言う。
両極端であるが、この定義は景気にも言えるのかもしれない。「戦後最長の好景気」といわれていた時は主に高級なものにこだわりを見せたときであるから、どちらかというと後者の方に行く傾向が強かった。しかし今となっては徐々に前者に逆戻りしていると考えられる(あくまで私の推測であるが)。
本章の最後にはあまり触れられなかった男性にとっての「美」についても取り上げている。最近では男性専用のエステサロンやスキンケア用品も出てきていることから「男性も化粧をする時代」というのが出てくるのではないかと考えられる。

第4章「問題解決としての化粧教育」
もはや女性にとっても男性にとっても、避けては通れないものとなってきた「化粧」。
著者の提唱する「化粧教育」というものは何なのかということが本章で具体的に書かれている。中身というと、まず基礎編に当たる理論編がある。そこでは「化粧品成分」や「UV」「肌」に至るまでの知識を身につけ、そしてTPOによる実践編に移るというものである。
後半では実際に化粧教育の重要性について、著者が教鞭をとっている駒沢女子大、研究ファームである資生堂での実例を紹介しながら説いている。

最後のあとがきには、論文では書けない著者ならではの熱い思いが込められている。
「博士論文として書いている当初から、この原稿は本にして世の中に出したい、いや、出さねばならないという強い意志をもっていた。(p.211より)」
「化粧術」といったノウハウ本というのは書店に行けばいくつも存在する。化粧の現状についても大型書店に行けばいくつか置いてある。
しかし「化粧教育論」や「哲学的化粧論」というのは置いてあるだけでも珍しい。むしろ学問として確立されているのかどうかも分からない状況にある。
その意味では本書は画期的な一冊であった。化粧にもほかの学問と例外なく歴史や哲学というのが存在する。ましてや身近な化粧なだけに思いっきり掘り下げながら考察を行う学問がなぜ出てこなかったというのが不思議でならない。
著者の続編を期待するとともに、「化粧」にまつわるさまざまな学問が確立されることを願ってやまない。

GO!GO!ベジ+ごはん

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五十嵐 豪

宝島社  2009-05-15
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五十嵐豪氏の最新刊である。
野菜を使って料理をするとはいっても、その人が野菜嫌いであったり(私はそうじゃありませんが)、家族持ちであれば子供が嫌いだったりと何かと敵視される。
料理を作る方も作る方で煮たり焼いたりするのにも時間の加減が分からなかったりと扱いにくい。さらに忙しい人だとなおさらで野菜で料理を作るという時間がないという不満も出てくる。
しかし本書は野菜の良さばかりではなく、野菜を使って簡単な料理を紹介している。
料理を作る方も、食べる方も楽しくなれる1冊である。
そして忙しい人、特に一人暮らしの人は残りが野菜「しかない」という人もいるだろう。
そこは「しかない」料理のプロ、五十嵐氏の独擅場!
本書で紹介される料理はいずれも材料をこしらえればたった5分!(一部を除く)
忙しくても簡単に作れるというからもはや「凄い!」という他ない。これから料理を始める、あるいは野菜料理を始めようという方には絶好の一冊である。
…私もこの本で何か作ってみようかな。

第2回 あなたの思いを伝えよう~子供たちに良書を~ 感想

昨日は臼井由妃さんが主催するイベント、「『あなたの思いを伝えよう』 Books for CHILDREN 本の軌跡」を前回に引き続き参加いたしました。

Ⅰ.岩崎 剛幸氏

前回に引き続き講演を行った岩崎氏。9月に「情熱経営フェスタ」のPRもありましたが、それ以上に「変わった人」の良さと凄さについて「情熱」をもって語ってくれました。

Ⅱ.清水 克衛氏

「本に愛されている人はこのことを言うのか」と唸りたくなるほどの話術をもっていらっしゃる方でした。「ここは笑うところですよ」という突っ込み(?)はまさに初代林家三平を彷彿させる、講演でした。

Ⅲ.座談会

中山マコト氏団長寺倉里架氏masako氏ら6名と、臼井由妃氏をMCに「思い出の一冊」「支えになった言葉」など熱く語ってくださいま割いた。団長の恰好も言葉も印象が強かったです。

--休憩--

こちらも前回に引き続き「読書のすすめ」臨時支店にて、書籍を購入しました。この店ならではといった書籍がたくさんありますが、自分自身が「おっ!!」と思った2冊を選びました。

Ⅳ.吉田 浩

こちらは書籍を出す側としての良さと文章を磨くためには、ベストセラーの定義について熱く語ってくださいました。

Ⅴ.臼井 由妃・寺島 尚正氏

前半は「自己紹介」の仕方、後半は詩の朗読でした。終わりころには前回もそうでしたが、泣けました。

Ⅵ.Missing Link

こちらも前回に引き続き「Missing Link」のライブでした。全部で6曲熱唱されましたが、いずれも心打たれました。

Ⅶ.飛び入りゲスト

「仕組み番長」の荒濱一氏や「億万長者専門学校」のクリス岡崎氏らが講演されました。

特にクリス氏のテンションの高さと思いの強さには圧倒されました。

それぞれの「思い」がひしひしと伝わる講演で、4時間の長丁場でしたがその4時間が、あっという間と思いさえしました。

「思い」の強さが時間以上の強さを引き立たせ、
「思い」の強さが時間を忘れさせ、
「思い」の強さが共鳴していき、
「思い」の強さで子どもたちに救いの手を差し伸べる道標として、
良書を届けたい…。

その思いがこれからも続いていく事を願ってやみません。

このイベントを主催された臼井さん、そして講演・座談会をされた皆様、そして美しく伝わる歌を熱唱されたMissing Linkの皆様、ありがとうございました!!

F1 モナコGP バトンがモナコ初優勝!!フェラーリにも復調の兆し!!!

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 J・バトン ブラウンGP 1:40:44.282
2 R・バリチェロ ブラウンGP + 7.666
3 K・ライコネン フェラーリ + 13.442
4 F・マッサ フェラーリ + 15.110
5 M・ウェーバー レッドブル + 15.730
6 N・ロズベルグ ウィリアムズ + 33.586
7 F・アロンソ ルノー + 37.839
8 S・ボーデ トロロッソ + 1:03.142
9 G・フィジケラ フォースインディア + 1:05.040
10 T・グロック トヨタ + 1 laps
11 N・ハイドフェルド BMW + 1 laps
12 L・ハミルトン マクラーレン + 1 laps
13 J・トゥルーリ トヨタ + 1 laps
14 A・スーティル フォースインディア + 1 laps
Did not finish
15 中嶋 一貴 ウィリアムズ + 2 laps
16 H・コヴァライネン マクラーレン + 26 laps
17 R・クビサ BMW + 48 laps
18 S・ヴェッテル レッドブル + 62 laps
19 N・ピケ・ジュニア ルノー + 66 laps
20 S・ブエミ トロロッソ + 68 laps

第67回伝統のモナコはブラウンGPの1-2フィニッシュで飾りました。今シーズン3回目の1-2を考えるともはやチャンピオン争いは決まったかのように思えてなりません。

フェラーリも復調傾向。1コーナーで抜かれたとはいえ、ライコネンは3位表彰台、マッサも4位と3-4フィニッシュ。チャンピオン争いはまだまだですが、確実に改良されてきているようです。ただ心配なのが、今シーズン16年ぶりの未勝利でなければいいのですが、次戦のトルコはフェラーリドライバーしか優勝していません(ライコネンは2005年、当時マクラーレンでした。それ以外はすべてマッサが優勝)。

そして注目すべきはポイント圏内ではなく、9位のフィジケラ。優勝はないものの前身のチームでも安定的に活躍していただけに9位はさすがといったところです。

予選で下位に沈んだトヨタは今回は完走狙いといったところ。この作戦は仕方がないです。抜きやすいサーキットでは批判すべきところですが、ここは抜きにくいモンテカルロ。次戦に挽回を、といったところです。

最後の最後までポイント獲得をあきらめなかった中嶋ですが、最後はクラッシュと残念な結果に終わってしまいましたが、次戦ではぜひポイント獲得と願いたいところです。

さて次戦は2週間後、トルコ・イスタンブール!!

コンサルタントの「質問力」

コンサルタントの「質問力」 (PHPビジネス新書) コンサルタントの「質問力」 (PHPビジネス新書)
野口 吉昭

PHP研究所  2008-03-19
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「質問」というのは仕事の場においてもプライベートの場においてもつきまとうものである。本書のタイトルである「質問力」は私としてもぜひ磨いておきたい技術である。
本書はコンサルタントの立場から見た「質問力」の鍛え方について伝授した一冊である。本書は昨年3月に発売されたものであるが、25万部も売りあげたところを見ると、いろいろな場所において「質問」の重要性がいかなるものかがよくわかる。

第1章「その道のプロは、「質問力」が命」
コンサルタントというとクライアントといった客の意見や要望を聞くために「質問」というのがカギとなる。
ではこの「質問力」のある人は、著者がいうことにはこれらの力があるという。
①「聞く力」
②「感動力」
③「俯瞰力」
④「聞き出し力」
⑤「物語力」
⑥「空気を読む力」
すべてなくてはならない力であるが、とりわけ①が重要な要素となるだろう。相手の意見を聞きながら合の手を打つように質問を使い話をより深く掘り下げられたものになる。

第2章「「仮説力」がなければ話は始まらない」
さて質問力をつけるにはということでこの第2章から「仮説力」「本質力」「シナリオ力」の3つにわかれて伝授している。
「仮説力」というとビジネス書においてもそういった力を推奨する本が多くある。
「仮説」はいろいろ立てていき「検証」をするために質問を講じる。そこから「本質」を突いていく。

第3章「「本質力」こそ、こだわりの質問を生むエッセンス」
質問をするということで本質を見抜いていく。著者はソクラテスの「産婆術」を取り上げられている。本質を見抜くということの重要性を哲学史を用いて主張しているが、まさに哲学も世の中の本質を突く役目として重要な位置にあるというのが分かる。
しかし本質を見抜くにはどうすればいいのかというのには、今のところ明確な答えがないように思う。本章もあくまで著者自身の体験と仮説に基づかれたものであることを前置きしたほうがいい。
ここではうなずきやまとめ、語彙力、ワンメッセージといったものが紹介されているが、とりわけ印象に残ったのが「語彙力」である。日本人が最も鍛えるべきところなのがこの「語彙力」である。何度も持論をするつもりはないので割愛するが、微妙な表現をすることによって、日本語の深みというのが出てこない。本書では「語彙数推定テスト」というのが紹介されているのでぜひやってみたほうがいい(私もやった結果を追記しようと思う)。

第4章「「シナリオ力」で、質問の目的を達成する」
質問は何も1つだけではなく芋づる状、ツリー状に質問を展開させていく。その中でそのような答えを求めるのかというところを図式化、物語化、フレームワーク化して考えることが「質問力」の完成型であるという。

「質問力」の醍醐味について味わえた一冊である。「質問」の在り方についてどのように見極めたらいいのか、そしてどのように「応用」していけばいいのかというのを本書は教えてくれる。ただし、「質問」に関しての入門書ではなく、どちらかというと「中級編」の位置付けとなる。とはいえ質問の仕方はわかっていても、どのようにして掘り下げていけば分からない人が多かったことにより、本書がベストセラーになったのであれば、プロのコンサルタントのやるような質問技術の凄さが窺えるという一冊と考えられる。

F1 モナコGP バトンが今シーズン4回目のPP!! そして優勝予想

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 J・バトン ブラウンGP 1:14.902
2 K・ライコネン フェラーリ 1:14.927
3 R・バリチェロ ブラウンGP 1:15.077
4 S・ヴェッテル レッドブル 1:15.271
5 F・マッサ フェラーリ 1:15.437
6 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:15.455
7 H・コヴァライネン マクラーレン 1:15.516
8 M・ウェーバー レッドブル 1:15.653
9 F・アロンソ ルノー 1:16.009
10 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:17.344
11 S・ブエミ トロロッソ 1:15.833
12 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:15.837
13 G・フィジケラ フォースインディア 1:16.146
14 S・ボーデ トロロッソ 1:16.281
15 A・スーティル フォースインディア 1:16.545
16 L・ハミルトン マクラーレン 1:16.264
17 N・ハイドフェルド BMW 1:16.264
18 R・クビサ BMW 1:16.405
19 J・トゥルーリ トヨタ 1:16.548
20 T・グロック トヨタ 1:16.788

やはりバトンは強かった。フェラーリが復調傾向でもバトンはキッチリとPPをとるという強さ。もうこの時点でチャンピオンの様相見せています。

さっきも言ったようにフェラーリも王者の威厳を取り戻しつつあるライコネンのフロントロー獲得。マッサもトラフィックに悩まされましたが、5番手につけています。

中嶋が今季初のQ3進出。とはいえもう少し上を狙ってほしかったという考えもあります(ちなみにチームメイトのロズベルグは6番手)。

気掛かりなのはトヨタとBMW。マシンがよくなかったが、この位置にいるほどひどくはなかったマシンですからよほどのことかもしれません。決勝もあの抜きにくいコースとして知られるモンテカルロ。どこまで挽回できるのか心配です

※ なおハミルトンはギアボックスチェンジのため5グリッド降格。ハミルトンが最後尾でBMWとトヨタの2台がそれぞれ1グリッドずつ前でのスタートとなります。

さて優勝予想。

本命:バトン

対抗:ライコネン

要注意:バリチェロ、ヴェッテル

抜きにくいコースなのでライコネンとバリチェロの2位争いが注目されるところ、バトンは大差で逃げ切って今季5勝目というような感じです。

F1 モナコGP フリー走行3回目結果

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 F・アロンソ ルノー 1:15.164 24
2 J・バトン ブラウンGP 1:15.233 29
3 H・コヴァライネン マクラーレン 1:15.278 24
4 R・バリチェロ ブラウンGP 1:15.286 26
5 F・マッサ フェラーリ 1:15.293 23
6 K・ライコネン フェラーリ 1:15.382 25
7 L・ハミルトン マクラーレン 1:15.389 23
8 S・ヴェッテル レッドブル 1:15.722 23
9 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:15.758 23
10 M・ウェーバー レッドブル 1:15.985 24
11 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:16.103 22
12 A・スーティル フォースインディア 1:16.228 20
13 S・ボーデ トロロッソ 1:16.301 23
14 G・フィジケラ フォースインディア 1:16.317 29
15 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:16.382 27
16 S・ブエミ トロロッソ 1:16.432 22
17 T・グロック トヨタ 1:16.527 29
18 R・クビサ BMW 1:16.599 26
19 N・ハイドフェルド BMW 1:16.661 22
20 J・トゥルーリ トヨタ 1:16.810 26

モナコ・マイスターに向けてアロンソが最後のフリー走行でトップタイムを出しました。

その後ろにはブラウンGPもさることながらマクラーレンやフェラーリも追いついてきています。

さて、予選はどうなるのか、注目です!

フードセキュリティ―コメづくりが日本を救う!

フードセキュリティ―コメづくりが日本を救う! フードセキュリティ―コメづくりが日本を救う!
山下 一仁

日本評論社  2009-03
売り上げランキング : 300164

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現在日本の食料自給率は40%である(カロリーベース)。大概の人は「低い」という答えが返ってくるだろう。私達が食べている食料の半数以上は輸入に頼っているという計算になる。その海外では干ばつや台風、洪水といった異常気象というのが頻繁に起こり、安定的に輸入できるのかというとそうではなくなってきているのが現状である。
もし輸入にしか頼っていない食材のほとんどが輸入されなくなったら…日本は生き残れるだろうか、というマイナス思考に陥ってしまう。
しかしその農業事情でも救世主はある。そう、「コメ」である。
日本の「コメ」は93年の大冷害を除いてはほぼ安定的に生産されており、価格も法律の改正により若干安くはなっているものの安定的な価格である。そして何よりも日本人の口に最も合いやすいのも「コメ」である。本書はその「コメ」の可能性を駆け、日本の農業はどうあるべきかというのを説いた一冊である。

第Ⅰ部「食の「安全」についての不安」
最近では叫ばれなくなったが、ちょっと前に「食品偽装」が社会問題となった。「食のモラル」に関しては最近よくなってきてはいるものの、まだまだ油断できないところである。
さらに輸入品でも添加物もさることながら、食の「安全」というのがどのようなものなのかというのが分からなくなっているのが現状である。

第Ⅱ部「食の「糧」についての不安」
こちらは「食糧」問題の現状である。
最初にも言った通り日本の食料自給率は先進国の中でも低い。6割が輸入に頼っているわけだから輸入検疫を十分にしていかないというが、昨年の初めには中国の毒入り餃子が話題をさらった。検疫は日増しに厳しくはなっているものの、こういった現状も怒っていることから改善の余地はまだまだあると言っていいだろう。
それだけではなく海外では異常気象が頻発していることにより、安定的に輸入できるという保証がほとんどない。とりわけ環境問題による「干ばつ」は深刻化してきている。それによる「水不足」も懸念されている。
さらに食料貿易の自由化を求めて日本が圧力をかけられているのも事実としてあげられる。特にドーハラウンドでは関税削減が多く盛り込まれており、その中でもコメも含まれており、日本にとっては死活問題に直面しているといってもいい。
そのような中で日本には救いがあるのか、というとある。

第Ⅲ部「コメづくりが日本を救う!」
ほぼ毎年安定的に生産されているコメ。しかし経済成長によりだんだんコメが食べられなくなり、「生産過剰」に陥った時があった。当然コメの値段は暴落する。それを阻止するために対策をとられた。それが「減反」である。
しかし年がたつにつれてコメのみならず、農作物の生産量が減少してしまった。食料自給率も下がっている。ではどうすればいいのかというと、簡単にいえば「減反」の廃止である。
では過剰に生産したコメはどこに行くのか。最近中国や台湾では日本のコメが売れており、特に富裕層には大人気であるという。そういった層に売るという手も存在するが、これをやり続けると、農業先進国やWHOが黙ってはいないという考えも起こりさえする。しかしやらないわけにはいかない。日本のコメの良さを世界に知らしめるという絶好のチャンスである。

農業はこれから元気になると言いたいところだが、農協が牛耳っていたりとどす黒い部分というのがまだまだ見え隠れする。これについては「農協の大罪」というのがあるのでこれから読んでみたいと思う。

F1 モナコGP フリー走行1・2回目結果 そしてPP予想

フェラーリが撤退するのではというニュースが飛び込んだり、これまたフェラーリが予算制限を差し止める訴えを起こしたが、棄却されたりと、伝統のモナコ前にうかうかしていられない出来事が立て続けに起こりました。

それを経てどんな「伝統のモナコ」となっていくのでしょうか。楽しみです。

それはさておき今日の結果から行きましょう。

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

1回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 R・バリチェロ ブラウンGP 1:17.189 25
2 F・マッサ フェラーリ 1:17.499 30
3 L・ハミルトン マクラーレン 1:17.578 25
4 H・コヴァライネン マクラーレン 1:17.686 29
5 K・ライコネン フェラーリ 1:17.839 29
6 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:18.000 29
7 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:18.024 27
8 J・バトン ブラウンGP 1:18.080 27
9 F・アロンソ ルノー 1:18.283 30
10 M・ウェーバー レッドブル 1:18.348 22
11 S・ブエミ トロロッソ 1:18.695 36
12 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:19.204 36
13 S・ヴェッテル レッドブル 1:19.233 16
14 S・ボーデ トロロッソ 1:19.255 31
15 G・フィジケラ フォースインディア 1:19.534 28
16 R・クビサ BMW 1:19.255 31
17 N・ハイドフェルド BMW 1:19.579 23
18 A・スーティル フォースインディア 1:19.600 24
19 T・グロック トヨタ 1:19.698 24
20 J・トゥルーリ トヨタ 1:19.831 28

2回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:15.243 45
2 L・ハミルトン マクラーレン 1:15.445 35
3 R・バリチェロ ブラウンGP 1:15.590 41
4 J・バトン ブラウンGP 1:15.774 36
5 F・マッサ フェラーリ 1:15.832 42
6 S・ヴェッテル レッドブル 1:15.847 33
7 H・コヴァライネン マクラーレン 1:15.984 45
8 K・ライコネン フェラーリ 1:15.985 43
9 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:16.260 43
10 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:16.286 43
11 F・アロンソ ルノー 1:16.552 39
12 M・ウェーバー レッドブル 1:16.579 27
13 A・スーティル フォースインディア 1:16.675 38
14 J・トゥルーリ トヨタ 1:16.915 43
15 S・ブエミ トロロッソ 1:16.983 48
16 S・ボーデ トロロッソ 1:17.052 48
17 N・ハイドフェルド BMW 1:17.109 40
18 T・グロック トヨタ 1:17.207 45
19 G・フィジケラ フォースインディア 1:17.504 45
20 R・クビサ BMW no time 2

1回目はブラジル勢(バリチェロ・マッサ)が速さを見せ、2回目はGP2歴代チャンピオン(ロズベルグ・ハミルトン)が力を見せつけました。

今回の1-2は何か縁があるのかもしれません。

それはさておきPP予想といきましょう。

本命:バリチェロ

対抗:バトン

要注意:マッサ、ロズベルグ

ざっと考えてこんなもんじゃないかと。

脳と気持ちの整理術―意欲・実行・解決力を高める

脳と気持ちの整理術―意欲・実行・解決力を高める (生活人新書) 脳と気持ちの整理術―意欲・実行・解決力を高める (生活人新書)
築山 節

日本放送出版協会  2008-04
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「気持ちの整理」というのは仕事をやっていくことだけではなく、ありとあらゆる場でも大切なことではあるが、いかんせん気持ちの切り替えというのはどうすればいいのかわからないという人も結構いることだろう(私も以前はその一人だった)。
本書は脳を中心とした気持ちの整理術ということについて伝授した一冊である…と言いたいところだが、身体の運動も脳の命令により動くとなると「気持ちの整理術」だけでいいかと思ってしまうが、ここは「脳」も入っているので脳の働きをピックアップしながら見ていく。

第1章「前向きな自分を作る」
「どう動くか?」である。
と言ったら一言で終わってしまうので「前向きになるにはどうすればいいのか」というのが本章の狙いである。
同じことをしたり、難しいことばかりしてばかりいると疲れやすく、さらには思考停止にまで陥りやすい。ときには息を抜いたり、簡単な作業を行ったりすることが思考停止に陥らせないための第一歩である。
弁護士の今枝仁は言った。「だからあなたも息ぬいて」と。

第2章「思考の整理術」
思考というと最近では、「ロジカルシンキング」や「ラテラルシンキング」など、いろいろな考え方がある。特に「ロジカルシンキング」はビジネスをやっていくうえで不可欠なことといわれている。
ここでいう「思考の整理」というのはあくまで仕事の整理に他ならない。
問題や仕事内容を「見える」ものにすることによって、どの仕事を任せておいて、どの仕事を自分で片付けるというのが分かってくる。
「紙に出してみること」
環境問題で「紙の無駄遣い」といわれているからでこそこういった物や方法が重宝される。

第3章「記憶を強化する技術」
記憶を定着させるというのはなかなか難しいことである。1回だけで覚えたとしても人間は鳥頭の部分があるので1日たつと忘れる、もっとひどいと3歩で忘れるということもあり得る。
それを防止するのはどうすればいいか。
「アウトプット」
である。たとえば紙に記憶したことを繰り返し書くだけでもそのことを記憶に定着することもできる。
読書でも感想や気になったフレーズをパソコンにアウトプットするのも一つの方法である。ちょうどこの書評もある意味「備忘録」の役割を担っている。

第4章「アイデアを生み出す技術」
「ひらめきやアイデアというのは何もないところからは浮かんでこない」
アイデアを出すうえで当たり前のことである。
アイデアというのは既存のもののユニークな組み合わせによってその者の隠れた役割を見出すこと、あるいは新しいものを生み出すことという役割を持っている。
ではどのように出せばいいのか簡単なことである。
小さなノートとペンをもって街に出ることである。歩きながらでも思いついたものをバンバン書いてみることで、予想もしなかったアイデアに出くわすことができるのである。

第5章「気持ちの整理術」
おそらく「整理」が最も難しいものなのが「気持ち」である。
気持ちというのは非常に気まぐれで、突発的なことで高揚したり、不快になったりするのである意味でコントロールしにくい。
しかしコントロールができないことはない。たとえば自分の気持ちを紙に殴り書きすることでストレス発散することも可能である。
本章では、さらに違った解釈をすることによって不快を和らげたり、目標を持つということで感情をコントロールする方法を紹介されている。

ありとあらゆることを整理していくと、富士山のようなものだったのが、学校の裏山くらいにちっぽけなものだったということが見えてくる。
「整理」一つであなたの脳や思考が劇的に変化することができる。本書はそれを教えてくれる。

創刊の社会史

創刊の社会史 (ちくま新書) 創刊の社会史 (ちくま新書)
難波 功士

筑摩書房  2009-01
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日本には約3000冊もの雑誌があるという(p.15より)。しかしその中で創刊や復刊、休刊や廃刊になることが頻繁にあり、一昔前の「モー娘。」のように出たり入ったりせわしないほどである。
本書はその中でも「創刊」についてフォーカスをした一冊のように思えるが、雑誌、問い訳ファッション誌を中心とした「傾向」について考察を行っている一冊である。

第1章「それは「山師」である」
「山師」というのは、
「山の立木の売買」「鉱山の採掘事業」(p.27より)だという。
本章では「平凡(パンチ)」や「an・an」といった雑誌が紹介されていることから後者の意味合いが強いように思える。

第2章「それは「柳の下」である」
これは「柳の下の泥鰌(ドジョウ)」のことを言っている。
要するに群がるようになるということである。前章の「an・an」を皮切りに多くの女性誌が誕生したことから本章では「non・no」をはじめとした女性誌が多く取り上げられている。

第3章「それは「瀬踏み」である」
上方落語の「七度狐」が本章の最初に取り上げられている。「瀬踏み」の意味合いを知るのにはもってこいの噺である。
ここでは女性誌の臨時増刊号について取り上げられている。「女性誌」の増刊号としての「分身」ということからこの「瀬踏み」というのが名付けられたのだろう。

第4章「それは「黒船」である」
これに関しての定義の説明といった野暮ったいことはしない。
海外に視線を向けた雑誌について書かれている。草分け的存在となったのは「月刊PLAYBOY」であるが、そのほかにも「POPEYE」というような雑誌もある。ここで初めて女性誌以外にも目を向けている。

第5章「それは「伴走者」である」
世代から世代へとバトンタッチするような雑誌についてである。
ここでは「週刊平凡」→「クロワッサン」というようなリレーを代表的に取り上げられている。
特に80年代では「クロワッサン症候群」や「クロワッサン文化人」というのが流行語になったほど社会現象になったという。

第6章「それは「兄弟姉妹」である」
兄弟誌、姉妹誌のことを言っているのだろう。
特に女性誌は若い世代からミセスの世代まで数々の年代別、嗜好別の雑誌が生まれた。
雑誌の増加はあたかも細胞分裂のように増殖していき、やがて蜘蛛の糸のように複雑関係になるほどであった。

第7章「それは「カレ誌」である」
容易に想像できる。
というのは「non・no」で言ったら「メンズnon・no」といった雑誌が有名であること。
また女性誌「JJ」からは「JJ Boys」といったものも代表的なものとされている。

第8章「それは「アウトサイダー」である」
「アウトサイダー」
いわば一瞬で終わるという徒花となった雑誌を紹介している。あまり聞きなれない名前なのでここでは割愛。
まさに「アウトサイダー」である。

第9章「それは「キャットファイト」である」
第10章「それは「青田刈り」である」
9章から10章の中間までは女性誌の狂喜乱舞といっていいだろう。特にコギャル向け、お姉向け、小悪魔系というように女性誌におけるターゲットの幅が狭まりだしたと言っていいくらいである。「どのような世代」というよりも、「どのようになりたいのか」というのを重視している。
10章の後半では男性を対象にした雑誌だが、前述の男性版を短く紹介した程度である。男性というと「ギャル男」や「お兄系」というように「コギャル」「お姉」のそっくりそのまま男性版にカーボン・コピーをしたようなフレーズである(ファッションは別だが)。

第11章「それは「忘れたい過去」である」
「忘れたい過去」。それは創刊号のファッション誌を見た喜びと恥ずかしさのことを言っているという。今となっては「時代遅れ」「ダサい」といわれるようなファッションを自分は子供のように喜んだあの日というのを、雑誌を紹介しながら回想している。

雑誌の創刊というのは、初々しさがあると同時にその背景にある社会というのを如実に出ているのかもしれない。
ファッション誌はそういった社会性とは乖離しているという考えを持つ人もいるが、これが結構密接に関係しているというしかない事情がある。代表的なものとして「LEON」の「ちょい悪オヤジ」というのが社会現象になった。姉妹誌である「NIKITA」の「艶女(あでーじょ)」はそれほど火はつかなかったが。
しかも昼のワイドショーでは必ずといってもいいほどファッションについての話題が飛び交う。それに主婦層が知る。その前にも娘・息子たちは雑誌に手情報をキャッチする。それが流行となり、場合によっては社会現象にまで膨れ上がる、といった流れになる。
「創刊」というのはなかなか侮れない気質を持っている。本書はそれを教えてくれる。

「裁く」ための練習帳―裁判員の必読本

「裁く」ための練習帳―裁判員の必読本 「裁く」ための練習帳―裁判員の必読本
森 炎 岡部 敬史

学習研究社  2009-01
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もうじたばたしても明日21日から「裁判員制度」が開始される。裁判員制度については、当ブログで紹介してきたが、その中でも関連性の大きいものをピックアップしてみた。
なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか
アメリカ人弁護士が見た裁判員制度
重罰化は悪いことなのか 罪と罰をめぐる対話
それだけではなく、前身の「蔵前トラック」でも幾度となくこの「裁判員制度」、もしくは「刑事事件の在り方」ということについて何度も言及してきた。
いくら反対の声を言おうとも始まってしまう。今だからでこそおさらいをしておこうではないか。そのことで本書を取り上げることにした。
本書は「裁く」上での練習帳というように、殺人や放火などの刑事事件の数々をわかりやすく取り上げており、量刑の在り方、刑罰の処し方、刑法についてなど非常に噛み砕いた対談形式になっている。裁判員制度が始まる今、一家に一冊は持っておきたいものといえる。
第一章「親族殺人について考える」
かつて「尊属殺」という条文が定められていたことはご存じだろうか。
戦前の時に当たるが、親を殺した子供はたとえ1人であっても死刑に処されるというのがこの「尊属殺」というのである。戦後、憲法における「平等」に反することによってこの条文や定義がなくなったのだが、親族殺人は絶えることがない。
裁判員制度では扱われることはあるためここは読んでおくといい。
第二章「死者一人の事件・事故について考える」
第一章は読んでおくといいと言ったが第二章は、裁判員制度で取り扱われる可能性が非常に少ない。というのは殺人罪の判例において「永山基準」というのがある。「永山基準」というのは1983年に「永山事件」の最高裁判決で持って殺害者数等で判断されるということを明言され、以後殺人事件など、死刑判決にかかわる事件に多大な影響を及ぼした。第二章の「死者一人」の事件については、現行の裁判員制度における「証拠がはっきりとしており、極めて有罪性の高い重大事件」という基準に当てはめるのは非常に難しいためである。
しかし昨年の4月に判決が出た「光市母子殺害事件」や2006年に判決の出た「奈良小1女児殺害事件」での例外が生まれている。とりわけ後者は残虐ではあるが死者1人で死刑判決が出ていることを考えると、第二章の内容も裁判員制度にかかる可能性が高まってきている。
第三章「強盗殺人について考える」
強盗殺人についても裁判員制度にかけられる可能性がある。
第四章「通り魔殺人について考える」
通り魔殺人というと昨年6月に起こった「秋葉原通り魔事件」のことを思い出す。この事件では7人が死亡、10人が負傷したという事件であるが、まだ初公判は行われていないが、大方死刑判決が出るだろうというのは目に見えている。
通り魔殺人について、本章では事件性や量刑というよりも「刑法39条」を中心に議論を行っている。裁判員制度は一応、確固たる証拠があり、量刑がほぼ確定している事柄に対して行われるとされているが、この39条の適用をするかどうかという事件に裁判員制度が使われた時のことを考えるとゾッとしてしまう。ただでさえ課題が山積している裁判員制度なのに、「心神喪失」や「心神耗弱」の可能性があるという、専門性が高度で、それに関する精神学者などの専門家でも意見が分かれるというものが扱われたとするならば、犯罪精神医学といった学問の意義が見えなくなってしまう危険性さえでてくる。
今の制度下では扱われないが、ゆくゆく扱われるのかどうかというのが気になるところである。
第五章「放火殺人について考える」
第六章「放火について考える」
意図的な放火による事件について取り上げられている。特に放火殺人については死刑になった例があまり多くない。これは一体なぜなのかというのが気にかかるが、事件の結果と背景のどちらかをとるか、あるいはどのようにくみ取ったかというのが判決に活きているという。
第七章「誘拐について考える」
誘拐は刑法上、懲役7年以下となっている(刑法244条)。しかし本章では3つの事件を取り上げられているが、どれも無期懲役、死刑、懲役8年と誘拐のほかにも強盗や殺人といった余罪によって加算されている。刑法では定められているものの余罪によって懲役が重くなるということがほとんどである。このことにより、「誘拐が一番厳しく罰せられる犯罪」という認識になったのだろう。
第八章「死亡事故について考える」
第九章「危険運転について考える」
ここでは交通事故について取り上げられているが、特に飲酒運転の取り締まりが厳しい。それは「危険運転致死傷罪」というのが最近できたためである。しかし本章のケース①(福岡海の中道大橋飲酒運転事故)で3人死亡した事件だが、前述の罪は適用されず(業務上過失致死傷罪が適用)、懲役7年6カ月という判決となった。
この法律自体名ばかりなのではないかという考えも去来するが、この事件に関しては犯人がアルコールが検知されにくくするように大量の水を飲んだということから、もみ消しによる悪質性の高さが浮き彫りとなった。
裁判員制度と関係性は薄いのだが、考えさせられる事件である。
第十章「その他の事件について考える」
ここではもっぱら拉致監禁事件や、詐欺事件などの内容である。おそらく今の裁判員裁判では適用されない事柄であろう。
明日からいよいよ裁判員制度がスタートする。
この中で一体どのような課題が生まれるのか、はたして司法はどのように変革していくのか注視したい。

手帳進化論―あなただけの「最強の一冊」の選び方・作り方

手帳進化論―あなただけの「最強の一冊」の選び方・作り方 (PHPビジネス新書) 手帳進化論―あなただけの「最強の一冊」の選び方・作り方 (PHPビジネス新書)
舘神 龍彦

PHP研究所  2007-10
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手帳の使い方というのは人それぞれ違う。違うからでこそ誰もが「自分だけの手帳」を作りに、手帳術というノウハウ本を探したり、最近では著者が作った手帳にすがるという人もいるだろう。
本書は手帳の選び方、作り方について様々なケースを網羅しながら紹介している。最後に私の手帳術も公開する(写真は入れられないが)。

第1章「手帳とは何か?――役割で読み解く手帳文化史」
「手帳」というのは一体いつから、どこから来たのだろうか。時期はというと日本における「太陽暦」と同時期に当たる、明治時代初期である(それまでは「太陰暦」というンを用いられており、カレンダーでは「旧○月○日」と書かれている)。その時はビジネスというよりも警察や軍といった関係者がもつものとされていた。
ビジネスの世界に浸透したのは、高度経済成長まっただ中の時、70年代に入ってからであるが、80年代に「システム手帳」が出現してから、今のように「当たり前」という風になった。

第2章「今、手帳はどうなっているのか?――成り立ちから現代の“手帳術”を探る」
前述のシステム手帳や「「超」整理術」でおなじみの野口悠紀雄氏の「「超」整理手帳」、今ではブロガー達にも人気の高い「ほぼ日手帳」、さらには勝間和代氏や内藤忍氏も手帳をプロデュースしてきており、手帳のヴァリエーションは豊富である。
さらにインターネット上でもOutlookといった手帳ツールというものも存在しており今となっては「紙」のみという概念では語られなくなってきた。

第3章「手帳の“システム”を知って、独自の“手帳術”を編み出す」
世の中には様々な「手帳術」というのが存在する。大概その手帳術は著者が編み出し、自らが最適だったということで本を通じて他社に伝播させるというような働きを担う。
著者の手帳術で持っていかに「自分流」にしてカスタマイズするのかというのが課題だが、あんあんがいこれが面白い。
実践を繰り返していくうちに自分にしっくり合ったものが見つかる。とはいっても最適なものは1つばかりではなく2つも3つもあるというのだから手帳というのは奥が深い。

第4章「手帳にアイテムを組み合わせて使う」
アイテムの使い方について書かれている。私はあまりやってないので割愛する。

第5章「手帳をスイートに組み立てる」
第4章ではアイテムは使っていないと言ったが、いつも使っている手帳の中に電車の路線図や地下鉄の路線図が入っている。東京は乗り換えが多く、路線も複雑なのでこれがものすごく役に立つ。それだけではなく手帳に使えるようなツール、たとえば時刻表もインターネットで自由にダウンロードができるという。本書ではそういったサイトも紹介されているのでぜひ活用してみるといい。
さて、いよいよ本題というところだが、私の「手帳術」について紹介する。
私が使っているのはこの手帳である(画像がないというのが残念だが)。

高橋手帳であるが、B5サイズと手帳にしては少し大きめのサイズである。持ち運びが容易で気楽に書けるというのには程遠いものの、予定やその日の日記などいろいろな用途で、しかも多く書けるというのが利点にある。
私はどのように使っているのかというと、まずカレンダー式の月別予定にはセミナーや仕事上の会議、というものを入れる。この日の予定にはどのようなものがあるのかというのが一目でわかる。
この内容は週別にも転記しているが、時系列で予定が書けるので時間ごとにマークをする。右の余白のところには、
左:仕事上の予定、中:仕事の目標、もしくは仕事の内容、右:プライベートの予定・内容(おもにセミナー)
というような要領で書いている。
それだけではなく、ノートの欄には、仕事の合間や休みの時に名言を拾うということをしている。ページの余白に書き留めておくということを行っている。苦しい時にそれらの名言を眺めることによってまた、仕事をしようという気概にあふれる効果がある。
ある意味普通のようであるが紹介までに。

シルクロードと世界の楽器―音楽文化の東西交流史

シルクロードと世界の楽器―音楽文化の東西交流史 シルクロードと世界の楽器―音楽文化の東西交流史
坪内 栄夫

現代書館  2007-06
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「楽器」というと世界中探してみたら何種類あるのか。全部で数え切れないほどあるというのだから驚きである。それだけに国々の音楽の形態や種類も違っており、音楽によっては差別の的となったりすることもある。「和」をとりなすことこそが音楽の根源であるというのに何とも皮肉なことだろうか。
さらに本書の冒頭では日本音楽は激しい差別を受けてきたのだという。とりわけ学校教育では琴や筝といった日本楽器を扱うことは、まったくない、あるいはめったにないという扱いに至っている。
日本の伝統の一つとして音楽を伝えなければいけないのにもかかわらずこれを締め出そうとすると本当に由々しきことであり、「反日」「媚中」というものが見え隠れする。
感情事はさておき、本書はシルクロードをタイトルに出しているが、邦楽と洋楽の融合の可能性について楽器の紹介とともに考察している。

第一章「竪笛類(尺八とリコーダー等)の変遷」
第二章「横笛と金管(ラッパ等)の変遷」
おもに、「笛」と呼ばれる楽器がここでは書かれている。中高と「吹奏楽部」、大学では「オーケストラ」に所属していただけに本書のことは非常に興味を持っている。むしろくどくなる可能性が高いため、最後以外は軽めに抑えておく。
本書では主にアジア、「シルクロード」の東側の楽器を中心に扱っていると言ったほうが本書のタイトルに沿っていると思う。特に尺八については第一章で深く扱われており、シルクロードを挟んで伝来したということが書かれている。
第二章は日本の伝統芸能である「能」で代表的な楽器「横笛」を中心にして、笛とラッパの歴史について書かれている。

第三章「多管楽器類(笙とバッグ・パイプとオルガン等)」の変遷
「多管楽器」というとあまりピンとこない人がいるかもしれないが、「笙」と「パイプオルガン」の共通点というと管が多いということである。このことから「多管楽器類」と分類することができる。

第四章「平琴類と竪琴類(ハープ等)の変遷」
第五章「撥(ばち)弦楽器類(琵琶とギター等)の変遷」
第六章「撥弦楽器類(バンジョーと三味線等)の変遷」
第七章「擦弦楽器類(胡弓とバイオリン等)の変遷」
今回は弦楽器でひとくくりにしようと思ったら四章に跨るほど膨大な量となってしまった。
民族や地域で大きく違ってくるのが「弦」であろう。音楽を扱うジャンルでも結構違っており、クラシックでは主にヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス、もっと言うとハープまでに至る。吹奏楽ではコントラバス、ハープなどがある。
日本音楽では三味線・琴など、中国では胡弓が代表的である。
ロックやポップスなどはギターが主であろう。
弦楽器の発祥はすべての楽器の根源を探さなければいけないほど困難なものであり、不明という他ない。
しかし、どのような音楽にも「弦」を語らずにはいられないというのは事実であろう。

第八章「打楽器類(太鼓、木琴等)の変遷」
第九章「電奏楽器(エレキギターと電子オルガン等)の変遷」
今度はちょっと関連性のないものと一緒くたにしてしまったのだが、打楽器と電子楽器ということでまとめてみた。
楽器の起源についてちょっとふれたが、はっきりとした起源については不明といった。しかし打楽器である可能性は大きいように思える。簡単に言うと医師と意思を合わせて叩いただけでも楽器になる。そのことから旧石器時代、もしくは人類の歴史を紐解いていくほど深いものだと考えることが可能である。
打楽器というと木琴や鉄琴を始め、鈴などヴァリエーションは豊富である。
一方電子楽器は歴史は浅い。もっとも古いので1930年代の電子ピアノがある程度であるが、電気類の発達からこれから歴史が築き上げられることだろう。電子楽器専門の曲も存在するほどだからこれから、というところである。

第十章「比較音楽学の創始と楽器発達史への提案」
今までは楽器のことについて書かれてきたが、わずかなページ数であるが本書の執筆を通して何か悟ったように書かれたような気がする(あくまで私の推測だが)。
これから楽器の歴史はどんどんと解明されていくことであろうし、世界の音楽がどのようにして発達したのかというのもまだ研究の余地があるほどである。
「比較音楽学」というのは、「比較社会学」もしくは「比較歴史学」のように他国の歴史や文化を比較しながらどのような辿り方をしていくのか、あるいはいて行ったのかというのを考察する学問である。それを音楽の分野でやるというのだから画期的であるが、音大ではそういった「比較音楽学」というのは抗議として存在するのかというのは私にはわからない。著者がこう提案しているのだとしたら存在しないのかもしれないが。
しかし楽器からみた「社会」や「文化」を考察していくというのは非常に面白い。
本章は著者自身の決意表明のように受け入れられる。著者の「比較音楽学」の発展と繁栄を期待したい。

仕事の8割は人に任せなさい!

仕事の8割は人に任せなさい! 仕事の8割は人に任せなさい!
臼井 由妃

青春出版社  2008-06-10
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仕事を任せるというのは、仕事を始めてからまだ浅い。しかしもう社会人2年目になったことによって今度は私が新人にどう仕事を任せたらいいのかというのも課題になる。まかせ方というのも方法があるが、さてどのように任せたらいいのか。
本書は任せ方だけではなく、上手に頭を借りる「仕組み」づくりについて、著者の方法を紹介している。2009年はまさに「仕組み」の年である(今回はここで言ってみました(笑))。

序章「なぜ、仕事を抱え込んでしまうのか」
あまり言いたくないが「100年に1度の大不況」といわれる現在、仕事の量は減少しているところも少なくない。「働くことが生きがい」と称して毎日残業をするという人もいる。
しかしそれでいいのだろうか。他にもっとやりたいこと、やらなければいけないことがあるのではないかという人もいるだろう。本書は「人に任せる」という本であるが、上手に他人の頭を借りる「仕組み」を紹介するのが本書の狙いである。

第1章「こんな“生産性のムダ”が成功スピードを遅らせる」
とはいっても「任せる」ということとなると、それだけで抵抗感を示す人もいるのだろう。
ましてや「断る」というのはもってのほかと考える人もいる。
しかし今年の2月に文春新書にて勝間和代の「断る力」というのが上梓されている如く、断る力というのはビジネスの上で重要な位置を占めているように思える。
仕事というと自分でやらなければいけないものと、自分でやらなくても他人に任せていいものというのがあるという。それの分別というのはある程度の力が必要に思えるが、そのレベルにいてもそれができない、しようとしない人がいるというから困りものである。
「任せる」というのは、決して楽をするのではなく、その人に会ったレベルの仕事を振り分けることによって、相乗効果のように成長するということこそが「任せる力」の強さである。

第2章「あなたの仕事の8割は人に任せなさい」
まずは自分の棚卸を行う。結果によって一喜一憂する人もいるが、正直に答えて、自分がどのような位置にいるのかということを俯瞰することも大切である。おそらく「忙しい」と連呼している人たちにはそれが見えていないのではないかとふと考えてしまう。
自分のレベルが分かったところでいよいよ本題。ここでは仕事の任せ方の具体編である。本書では仕事の任せ方について5つのステップに分かれている。
1.「現状認識」
2.「準備」
3.「行動」
4.「確認」
5.「反省と分析」
細かいことについては本書に任せるとして、とりわけ1.と2.については抜け落ちたり、かけたりすることが多いかもしれないので、念入りにやっておかなければ今のような丸投げになってしまう。
最後には臼井流整理術についても述べられている。

第3章「他人の頭と時間を上手に借りるちょっとした工夫」
「他人の頭と時間を借りる」というのは見事な発想である。相手は時間を奪われるという感覚もなく、むしろ有益だったという感想があり、お互いに「win-win」となるような考え方である。それと同時に「思考の整理」という役割も担える。
さらには人の任せ方を性格別アプローチ方法も伝授し、さらには「殺し文句(?)」までも暴露というまさに「臼井節爆発」といった内容である。
「あなただけが頼りなんです!」
そういった文句を言う人がいたかどうか。

第4章「人を巻き込むほど、より大きなチャンスをつかめる」
「人を巻き込む」というとアライアンスであったり、最近では藤巻氏の本もあるとおりである。できる人は人を巻き込むという力もあるというわけだろうか。
任せられる人の人柄、話し方ということもあり、さらには大物と呼ばれる人たちに好かれる法則まで、ここまで言っていいのかというくらいの内容である。

第5章「最小の時間で最大の成果を上げる自分マネジメント術」
「あなたの「時間価値」はいくらですか?」
これは臼井氏の講演会でも、著書でも何度も主張していることである。1時間の仕事と1時間当たりの給料が釣り合っているのかどうかを調べること、それにより、「どこがいけなかったのか」「どこに力を入れるべきか」というのを意識できるという考え方である。巷では「タイムマネジメント術」という本があるが、臼井氏の「時間価値論」は中でも珠玉といえるほど説得力がある。

人に仕事を任せる方法について書かれていたが、これが人気で重版が出たというのは、任せ方について悩んでいた人が多かった。任せるべき立場の人が任せることができなかったからでこそ本書が必要だった。それらの声が本書には見事に反映されているということだろうか。

おふくろとお母さん -古今東西 母にまつわる物語-

おふくろとお母さん -古今東西 母にまつわる物語- おふくろとお母さん -古今東西 母にまつわる物語-
中野 展子

心交社  2009-05-01
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本当だったら、本書は5月10日に紹介すべきだった。
本書を手に入れたのがちょうど昨日。あまりにも遅すぎた「母の日」にまつわる本の紹介。悔やまれる…。とはいっても来年に延ばそうかというとそうにはいかないもので、結局今回紹介することとなった。
私情はここまでにしておいて、本書は古今東西の「母」にまつわる物語について紹介した一冊である。主役となった人の母親像、母として戦ってきた女傑、息子のために冷酷になった母、いろいろな「母」がここでは紹介されている。

第1章「母にまつわる物語」
全人類の「母」から始まっているところから本書の壮大さが見て取れる。
「母」の言葉の意味というのもあるが、そもそも大地といったものは必ずといっても「母」とつくのだろうかというのが頭に残る。
しかしよくよく考えてみたら理由は簡単であった。「「母」によって(私たちのような人間や動物)生まれるのだから」である。

第2章「この母にしてこの子あり――日本史の主役たちの母の素顔」
さてここからは有名な「母」の話に入っていく。本書では、徳川家康、綱吉、豊臣秀吉といった歴史上の人物から、画家の岡本太郎まで母の力によって育ったというエピソードについて書かれている。それで言うともう一人取り上げなければいけない。
ドクター・中松である。
本書では取り上げなかったが、自書にて母の偉大さと母からもらった言葉について赤裸々に描かれている。

第3章「母として女として――哀しみを胸に時代を駆けた母たち」
こちらは猛女という印象が強いように思える。とりわけ北条政子や月光院左京を取り上げているくらいであるから本章で紹介された女性は勇猛果敢なのかなと邪推してしまった。
しかしその勇猛果敢は哀しみから立ち上がり、それを打開しようとして奮起したわけであるから勇者というよりも悲劇のヒロインという印象のほうが強い。

第4章「母の力は大きかった――賢さとしたたかさで名を残した母たち」
ここでは、息子の名を上げるために奮闘し、歴史に名を残した母の姿についてである。第2章と違う点は、「母親自身が歴史に名を残したかどうか」である。とりわけ前田利家の妻「まつ」や、大奥の実力者となった「春日局」が代表的人物として挙げられている。
特に私の知らなかったところでは織田信長の母「土田御前」、室町幕府初代将軍、足利尊氏の母「上杉清子」が印象的であった。

第5章「世界史を騒がせた賢母・猛母たち」
今までは日本史ばかりであったが今度は世界史に目を向けている。
孟子の母や、マリア・テレジアアン・ブーリンもさることながらナポレオン・ボナパルトの母、「レティツィア・ボナパルト」、ハプスブルグ家における悲劇のヒロイン「皇妃エリザベート」まで紹介されている。

第6章「母の「ことわざ・名言」と「昔話」」
ここではことわざや名言などの母にまつわる故事成語について紹介されている。特に儒教や歴史では男尊女卑とはいえ「母」の強さについてまつわる名言は数多い。

歴史には様々な偉人が描かれる。なぜ偉人になりえたのかというのは、ひとりだけでは為し得ることはできない。とりわけ母が支える力によって、偉大な功績をあげたという偉人も少なくないというのは本書を読んでいてもよくわかる。
私もそうだが「母の力」というのは偉大である。毎年のように感謝をする心を持つべきである。

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年 政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年
ジェラルド・カーティス

日経BP社  2008-04-10
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「政治」と「秋刀魚」との接点はよくわからない。しいて言えば農水省、特に水産庁が漁獲高を見ているという観点で見たら関連しているのかもしれないが。
本書は政治と秋刀魚の関連性を考察するのではなくあくまで後者のところが肝心かもしれない。著者は日本在住45年にも上り、日本の政界の外国人の目から研究し続けてきた知日派学者ジェラルド・カーティスの日本在住のあらましと彼からみた政治と経済について語った一冊である。

序章「初めての東京」
著者が初めて日本の土を踏んだのは1964年のことである。ちょうど東京オリンピックに沸いた年である。著者は四畳半の部屋で下宿して生活を始めたという。その時の好物は秋刀魚で、初めて食べたときから好物となり、食生活自体も劇的に変わったと回想している。本書のタイトルの意味がよくわかった。「政治」はもともと政治学を学んでいたということで名付けられ、「秋刀魚」は好物であったということである。
「政治と秋刀魚」まさに著者の45年間を語る上でなくてはならないのが窺える。

第一章「知日派へ」
著者はコロンビア大学で教鞭をとっている。コロンビア大学というとアイビー・リーグの中でも名門中の名門に当たる大学である。日本で言ったら京大、早稲田に当たる位置付けである。
著者はニューヨークで生まれニューヨーク州立大学の音楽学部に進学したという。六歳のころからずっとピアノを学んでおり、高校のときには結婚式やパーティーで演奏したほどであったという。
その人がなぜ日本政治についての研究を志したのか。コロンビア大学の大学院(修士課程)で政治学を専攻していた時のこと、外交にまつわるゼミでの論文で駐日大使を務めた外交官について書いたことが大きなきっかけだったという。著者が日本に住み始めたのはその大学院の修士課程を終わらせてからのことであった。
それからというもの、日本のことについて強い興味を抱き、日本の歴史、特殊ともいわれる日本の政治形態についてのめり込んでいったのである。

第二章「代議士の誕生」
博士論文の題材を基にした作品「代議士の誕生」というのがある。
この論文は1967年の衆議院総選挙の候補者を題材にした論文であるが、その時にのちの首相となる中曽根康弘氏との出会いについても書かれている。ちょうど題材の人物を紹介したのが中曽根氏であったということを見ると、日本の政治に関してのちに深くかかわれるきっかけになったと窺える。
さらに論文を書くにあたっての題材についての回想も論文の内容にかぶせながら描かれているので「代議士の誕生」を読む前に本章を読んでみるといいかもしれない。読んだ後でも観点が変わるのかもしれない。

第三章「日米交流」
日米同盟によって交流がおこなわれてきたわけであるが、著者も交流を推し進めた一人であった。しかし日本の議員も米国の議員も当時(今もそうか?)は消極的で、説得には時間と労力がかかったということがここで吐露している。
それだけではなく政治における日米関係についても論じており、クリントン政権に対する与党の評価に関しても言及している。

第四章「「失われた一〇年」は分水嶺」
90年代に入ってから日本経済はバブルが崩壊し、そこから約10年以上にわたって不況となった時代があった。これを「失われた10年」、論者によっては「失われた15年」と呼んでいる。その中で構造改革などの政策がおこなわれなかったことが原因であると指摘され、メディアはその無能性について批判の的にしている。
それが自民党がずっと与党であったことの軋みによるものだろうという見方もいるが、著者から言うとそういった自民党がずっと与党だったという時代は日本に限らないという。
「戦後イタリアの政治には日本に似た派閥政治があったし、アメリカでさえ、南部諸州は南北戦争後100年近く民主党の一党支配体制下にあり、「日本的」と思われる派閥政治が健在だった。(p.149より)」
「長期的な一党支配は、日本人が考えるほど珍しいものではない。スウェーデンやインドにも一党支配の長い時代があった。(p.149より)」

このことからみると今の日本の政治が、特殊であれど唯一ではなかったということが証明できる。しかしそれがよかったのかというのはまた別問題である。その政治形態がいかにして国民に影響を及ぼしたのかという検証を進めていかなければ善悪の判断は不可能だからである。

第五章「日本政治――どこからどこへ」
日本の政治や「料亭政治」であったり、「密室政治」であったり例えるとなると枚挙に暇がないほどであるが、そういった調整事が強いと裏をかえしてみたら言える。
そして官僚腐敗や政治腐敗がなぜ起こったのかということに関しても著者の視点から考察している。まず官僚についてだがこれはメディアの責任が大きいとしている。連日のように官僚バッシングし、モラルの低下を招き、官僚を志す人が少なくなってしまったという指摘がある。これについてはその通りである。日本のために歯を食いしばって働いている人が大勢なのにもかかわらず、ごく少数の不満因子が問題を起こしたことにより、やれ連帯責任だというような風潮はあまりにも誇大広告にすぎるのではないかと思う。

日本の政治にしてもアメリカの政治にしてもよいところもあれば悪いところもある。著者は様々な政治を見てきており、日本の政治の欠点のみならず利点についても主張している。日本の外交や政治は「世界の孤児」という主張もあるが、私はそれは大きく間違っていると思う。特殊ではあれど日本独自の手法で経済も成長した、政治的なイニシアチブも取りつつある。
日本はもっと誇りを持たなければならない。著者の考えと生涯を見ながらも、そういった気概を持たせてくれた一冊であった。

ドクターヘリ―“飛ぶ救命救急室”

ドクター・ヘリ―“飛ぶ救命救急室” ドクター・ヘリ―“飛ぶ救命救急室”
西川 渉

時事通信出版局  2009-02
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コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」というドラマが昨年人気を呼び、今年の1月にはスペシャルドラマが組まれたほどであった。ちなみにこの「コード・ブルー」は容態が急変し、緊急組成が必要な患者のことを言っている。「ドクターヘリ」は2007年の7月に特措法が成立し、全国各所に配備されているが、まだまだ必要という声が少なくない。
地震や台風による被害、火山災害などの天変地異が非常に多い日本ではこれから必要性が増えることからこのドクターヘリの役割について本書とともに見ていこうと思う。

第1章「ドクターヘリの現状」
「コード・ブルー」で話題となったドクターヘリだが、2008年現在、全国で18か所の拠点が存在する。今年にはさらに24か所まで増やすという方針である。緊急性の病気やけがの時に発揮されるドクターヘリだが、その実証結果も東海大学と川崎医大で公開されており、効果は既に実証されているということが分かる。

第2章「日本の救急医療は今」
日本の救急医療というと「妊婦たらい回し」など救急医療は逼迫している状態にある。メディアはバッシングの矛先を医者ばかりにしており、肝心の医療政策というと医学部の人員増加ということしかできないというありさまである。しかも矛先が医療現場ばかりに言っているためか精神的に病んでしまった医者も少なくない。医師不足も問題の一つであるが意思を増やしたからといって何の解決にもならない。
さらに言うと本書では救急患者が病院収容までの所要時間(2006年現在)を図にしてまとめられているが、全国平均で30分前後と遅いとみていいのかもしれない。その原因は都市部だと交通渋滞、地方だと病院不足によるものである。緊急性を求められる医療だけにこの状況を何とか打開しなければならないが、決定的な手がないというのが現状である。

第3章「世界のヘリコプター救急」
日本ではドクターヘリがようやく出始めたばかりだが、世界に視野を広げてみたらどうか。本書ではドイツを例に出している。
ドイツは1970年にドクターヘリを開始。それから30年間で78か所の拠点が存在する。どれくらいの頻度で使われているのかというと年間約8万件、拠点1ヵ所につき1000件ものドクターヘリが稼働していることになる。当然ドクターヘリには財源が必要であり、使う基準というのがある。財源は患者の負担ではなく、社会保険から負担を行っている。社会保険というと日本では箱モノとか建てられており、無駄が指摘されているが、ドイツではこのことに社会保険が使われているのでまだいいかもしれない(全貌は私にはわからないが)。そしてドクターヘリを使用する基準だがRCC(レスキュー・コントロール・センター)によって統制されている。
他にもスイスやフランス、イギリスでもドクターヘリは使われており、わずかであるが紹介されている。

第4章「ヘリコプター救急の促進」
ドクターヘリがようやく公に出されてきたのだが、肝心な医師不足の問題は足踏み状態である。むしろ少し後退したように思えるのは私だけであろうか。ドクターヘリの事ばかり取り上げてしまっていたが、実は消防でも「消防防災ヘリコプター(以下:防災ヘリ)」というのがあり、1989年に設置された、とりわけ阪神淡路大震災では、教訓として急激に設置数を増やしていき、それとともに活動数も13年間で3倍以上に膨れ上がった。
「防災ヘリ」もドクターヘリとともに必要性が大いに指摘されるのだが、どちらも財源は国と地方公共団体で折半しているという現実がある。またヘリのためヘリポート設置にしても環境問題というのが叫ばれており住民運動がおこるというのも頭の痛いものである。ドクターヘリにしても防災ヘリにしても増やしていかなければいけないが、課題は山積であり前途多難の様相である。

第5章「フライトドクター」
湿っぽい話題ばかりなので、ここからは現場で活躍している人たちにスポットを当てていこうと思う。本書では川崎医大付属病院日本医科大学千葉北総病院の医師を取り上げている。とりわけ川崎医大では99年の試行運行からずっとドクターヘリとかかわってきており、ゆかりが深さが窺える。両者の果敢さと使命感の強さは文章からでもひしひしと伝わってくるほどだ。

第6章「フライトナースの活躍」
ドクターがいるのだからその補助的役割を担う看護師についても取り上げていっている。こちらは千葉北総病院のみ取り上げられている。ドクター同様体力的にも能力的にも高度な力が要求されるミッションである。しかし「素晴らしいシステム」と主張しているほど仕事に自信おり、これからこのような方がどのように増えていくのかというのが楽しみである。

第7章「ドクターヘリに救われた人」
こちらは2008年に起こったケースを取り上げている。ドクターヘリがいかにして人命を救う切り札となったのかがよくわかるところである。

ドクターヘリはこれからの医療には欠かせないものである。天変地異の多い日本ではなおさら必要性が叫ばれる。それに政府、厚労省などがどのようにこたえていくのかというのがカギとなるが、国民やメディアの軋轢からみると課題は山積である。

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書) 日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)
飯尾 潤

中央公論新社  2007-07
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昨日の午後に民主党代表選が行われ鳩山由紀夫が代表に選ばれ、6年半ぶりに代表職に就くこととなった。民主党にしてみれば新しい船出といったところであろうが、私から見たら96年の民主党結党から約8年間続いた「菅・鳩山」体制に逆戻りしたのではないかと邪推してしまう。今の鳩山由紀夫が頼りがいがあるのか、それとも旧態依然の体質に戻りたいのか民主党議員たちの心情は闇の中である。
ともあれ、民主党は新たな船出となったが遅くとも9月には衆議院解散が待っている、10月までには総選挙がおこなわれるというから各党ともに公約を練っていかなければいけない。とりわけ民主党は政権交代の期待を背負っているだけに負担は大きいだろう。
その時期だからでこそ本書は役に立つ。本書は現在の日本における政治構造を開設している一冊である。中公新書というと非常に学術的で、一般の人は読みにくい印象がある。しかし本書は非常によく噛み砕かれており、それでいながら深いところまで突っ込んでいるので読みやすくもあり、政治についてより深いところまで学ぶことができるので良書というほかない。

第1章「官僚内閣制」
日本政治の根幹は「議院内閣制」とされているが、官僚によって支配されている、政治家の大方は官僚出身から「官僚内閣制」と揶揄することができる。

第2章「省庁代表制」
本書では「各省庁が官僚によって運営されている実態(「はじめに」より)」と書かれている。省庁は大臣と官僚によって構成されているのだから間違いではない。

第3章「政府・与党二元体制」
よくニュースでは「政府・与党」という言葉をよく使う。「与党」はなぜそう呼ばれているかというと「政治に与している」「関与している」という意味合いから「与党」と名付けられたのではと私は考える。ここでは与党(最近では野党)の族議員と派閥の実態について迫っているところである。

第4章「政権交代なき政党政治」
55年体制が築かれてから38年もの間、政権交代は行われなかった。自民党が政権を取っていなかったのは93年の細川内閣、94年の羽田内閣の時だけであり、次の村山内閣では「自社さ連立政権」により与党に返り咲いた。それから約15年自民党が政権を握ったままとなっているが今年、民主党が政権交代できるのかというのが注目される。

第5章「統治機構の比較――議院内閣制と大統領制」
「議院内閣制」と「大統領制」の比較について書かれている、日本やイギリスの「議院内閣制」、アメリカの「大統領制」のほかにもフランスの「半大統領制」についても紹介されているので、各々のメリット・デメリットを鑑みることができる。

第6章「議院内閣制の確立」
「議院内閣制」は戦前のころから確立されてきたわけだが、この時は「衆議院」と「貴族院」によって構成され、選挙では「衆議院」しか選ぶことができなかった。戦後では「貴族院」に代わって「参議院」が誕生し、両院とも選挙で選ぶことができるようになった。参議院は俗に「良識の府」と呼ばれており、当初は無所属議員がほとんどであった。しかし今では政党色が強くなり、「良識の府」としての機能がしなくなっているのではという声もある。そのことから「参議院不要論」というの声が後を絶たない。

第7章「政党政治の限界と意義」
しかし今日の国会は「ねじれ国会」と呼ばれており、衆議院で可決された法案が参議院で否決、衆議院に戻り再可決して成立となった法律がいくつか存在する(ほとんどが重要法案)。
そのことから「参議院なんかいらない」の著者の一人であり、日本共産党の最高幹部の一人であった筆坂秀世氏は意見を覆し、「参議院は必要」ととある討論番組で発言していた。上記の本は衆議院の「カーボン・コピー」の役割ばかりで何の役にも立っていない程であった。
参議院の話はここまでにするが、政党の役割というのが最近見えなくなってしまっている気がする。自民党は保守政党であるが、その中でも「チャイナ・ロビー」といわれる議員や憲法改正反対とするような、いわば「左派」に属する議員がいたり、中道左派の民主党でさえ、憲法改正に積極的でいわゆる「右派」と呼ばれる議員が存在する。多数だから、与党だから、野党だからという意味合いでその党の議員としてやっていっているような気がして、政党の色が見えなくなってきている。

日本の政治構造は一体どうなのかという中公新書としては珍しい入門書らしい難易度であった。政治は深ければ深いほど難しく、一般には手の出せないような内容になってくるのだが、本書は政治のことについてあまりよくわからない、ワイドショーでしか知らないという人にはもってこいの本である。同時に今年は必ず総選挙がおこなわれる。その準備として日本の政治形態を学びなおせる絶好の年である。そのために本書を用意して読んでおくというのも民主主義国民としてやっておくべきことである。

転回点を求めて―一九六〇年代の研究

転回点を求めて―一九六〇年代の研究 転回点を求めて―一九六〇年代の研究
富永 茂樹

世界思想社  2009-03
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1960年代というと今から約50年近く前のことである。このことについてよく知っている年代というと、団塊の世代以上の方々になる。60年代というとそれよりもずっと後に生まれた私では想像できないことだがどのような事が起ったのかというのも具体的に知りたい。本書は60年代に起こったこと、流行したものなど60年代にまつわる様々な角度から研究した一冊である。

Ⅰ.〈生活〉
1960年代というと電化製品における「三種の神器」と呼ばれる、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が世に普及ししている時のころである。東京タワーやミッチーブームと言ったときから爆発的に売れ出したが60年代に入ってもまだ衰えがないことからあえてここで取り上げた。もう一つ理由があるのはその中でも「白黒テレビ」、1964年の東京オリンピックやプロレス人気、とりわけ「力道山」のフィーバーぶりは国民をくぎ付けにさせた。
生活も急激に豊かになりだしたのも60年代、「いざなぎ景気」「オリンピック景気」などの長期の好景気により「衣・食・住」ともに豊かになったのもこの時代からであった。意外かもしれないが、「スポーツ共和国」を追求し、運動が盛んに行われたのもこの時であったという。本書では作家の三島由紀夫が「ボディビルダー」と呼ばれるほどにまで鍛えたというのも明かしている。

Ⅱ.<身体>
「身体」というと前述の「運動」や「食生活」と関連づかれるかもしれないが、最初に出てくるのは衣服にまつわるブームである。60年代では「ミニスカートブーム」が65年ごろから流行しだし、67年にピークを迎えた。今ではもう当たり前のように浸透しているほどである。
もう一つは「病気」についてである。本書では「らい」というところからこの時代の病気について書かれているが、そもそも「らい」というのは「ハンセン病」の原因となる抗酸菌の一種「らい菌」からとられている。もうひとつ「ライ症候群」というのがあるが、これは80年代で起こったインフルエンザなどの後、薬によって肝臓が冒され、死に至らしめるという病気であるが、本書ではこの病気は関係がないので割愛する。特に今では「ハンセン病」にまつわる国家訴訟というのが起こっているが、それによる差別というのも社会問題となった歴史がある。この差別は戦前からずっと継続して行われ続けていたというが、現在はどのようになっているのかはわかっていない。
この章の最後には問題作となった「沈黙の春」について書かれている。これ自体は現在話題となっている「環境問題」についての大きなきっかけとなった作品であるが、のちに四大公害病という形で予見してしまったというのは何とも皮肉なことだろうか。

Ⅲ.<意識>
ここで取り上げないわけにはいかないのが2つある。「60年安保」と「学生運動」である。とりわけ「学生運動」は大学を占拠し、機動隊とぶつかりあったといういわば「内戦」に近いような状態となった。このころには左派が隆盛を喫し、数々の左派機関が誕生した、しかし指針の対立から「内ゲバ」という仲間割れも頻繁に起こり、70年代前半に沈静化したというものである。とりわけ安保条約締結反対とセットに言われたのが「ベトナム戦争反戦運動」とセットでその運動に至ったという。
特に1968年ごろに盛んに行われたのだが、1968年は世界的にも激動的な1年だった。アメリカではマーティン・ルーサー・キングJr.やジョン・F・ケネディが暗殺され、フランスでは「五月革命」が起こり、チェコスロバキアでは「プラハの春」という革命運動がおこった。戦後「革命の年」と言われた時というとこの年のほかないだろう。

60年代についての研究が詰まった一冊であるが、さまざまな事が起こっただけに、これほど格好の研究材料はない。研究ばかりではなくとも60年代の事柄から40年もの時を経て学ぶこともあるのかもしれない。

ご当地バカ百景 ウワサの物産展

ご当地バカ百景 ウワサの物産展 ご当地バカ百景 ウワサの物産展
谷口 一刀

宝島社  2009-03-12
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ご当地では他の地域には考えられない「常識」というものがあり、よそから来た人からしたら「バカ」呼ばわりされるようなものまで存在する。47都道府県でしかわからないようなモノ・コト・考えに至るまで網羅されている一冊である。
私の出身地は北海道旭川市。これに関する「バカな情報」を見てみると、

・「「旭川あたりではカラスがシバレて(寒さで)落ちてくる事がある」て噂を聞いたことすらある(p.10より)」

あくまで噂です。
氷点下20度以下の時でもカラスはしぶとく生きています。中心部では寒さも吹雪も関係なくゴミあさりをしています。

・「冷蔵庫は食品を凍らせないようにする道具と勘違いしている。(p.12より)」

勘違いではありませんが、凍らせないように冷蔵庫に保存していることは「事実」です。特にジュースは外に置いておくと凍ってしまい、溶かすのに時間がかかる。そのため外に置かず冷蔵庫にしまいます。

・「旭川市ではだれも列車やバスに並ぼうとしない。列に並ばないというより、列ができない。(p.13より)」

初耳だが、思い当たる節あり
旭川に住んでいた時は交通手段は専らバスだった。特に混んでいるときは列になって並ぶというよりもむしろ人だかりというようなものだったことを覚えている。ただし列車に関してはあまりよくわからない。
他にもたくさんあるのだが、突っ込みすぎても本書の面白みが伝わらないのでここまでにしておく。

47都道府県のアウトローといわれるモノ・コトについて書かれているが、地元のところを見ていても、他の都道府県を見ていても地元や住んでいるところでは気づかないような「ネタ」が存在する。
「日本」は面積的には狭い。しかし地方の名産やアウトローなものを見つけていくと日本の「広さ」というのがよくわかる。
本書もお勧めだが、「ご当地「バカ」百景」シリーズやこういったアウトロー的な内容がたくさん詰まったサイト「借力」というのがある。
本では味わうことのできない面白さや奥ゆかしさのあるサイトである。是非一度のぞいてみるといい。

出版業界の危機と社会構造

出版業界の危機と社会構造 出版業界の危機と社会構造
小田 光雄

論創社  2007-11
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今日「出版不況」と言われて久しい。毎日約200冊もの新刊が出ているのにもかかわらず、売上冊数、金額ともに右肩下がりであり、危機にひんしていると言ってもいいかもしれない。その原因として挙げられるのが、
・インターネットの普及により本を読むのが必要なくなった。
・活字自体読みたくなくなった。
・ブックオフなどの古本販売チェーンが急激な成長。
などだと思う。
本書はここ最近起こっている「出版危機」をインタビュー(議論?)形式で分析を行っている。著者の相手はおそらく本書の編集者か、出版社の方であろう。第1章には言った矢先にいきなり火花を散らすような文言が出てきていたのだから。

第1章「二一世紀初頭出版業界クロニクル」
ここでは2001年から2007年9月までの出来事をもとに出版業界がどのような道を辿っていったのかということを分析したところである。
この21世紀の中で顕著に出ているのが出版社や書店の倒産が増えていること、業務提携も出てきている一方で、大型書店が次々と都市圏に大規模の書店をオープンさせたことも目立つ。もう一つはTSUTAYAやブックオフ、ゲオといった古本販売チェーンの躍進が挙げられる。さらに言うと自らの足で書店に行かなくてもAmazonがあり、ネット上で購入することができるという仕組みができている。また本書が発売されて2年経った今年のことだが、「Google書籍データベース訴訟」というのが起こった。日本書籍出版協会や日本文藝家協会は和解と共に削除をすることを推奨すると発言しているが、出版業界はこれ以上ないだけ気となり得ることは間違いない。これまでも書籍の売り上げ部数や金額の減少で喘いでいただけに、出版にまつわるアプローチを変えなければいけない時代に入ったのではないかと推測する。

第2章「出版業界の現在分析」
今度は出版業界、主に書店の分析に重きを置いている。私は現在川崎に住んでいるが、市内中心部だけでも丸善有隣堂あおい書店などの大型書店がある。以前は北海道に住んでいたのだが、ここでは紀伊国屋書店旭屋書店喜久屋書店に行ったことをよく覚えている。
出版業界の現状ばかりではなく、書店の現状にもスポットを当てているのがこの第2章である。書店の廃業が多く、新規開店が少ないのは「出版危機」と呼ばれる前からあったのだが、そういう時期に多く見られたのが「大型書店ラッシュ」であろう。
大型書店の利点というのは洋書など中小書店では置くことができない代物が置いてあり掘り出し物が見つかりやすいというのがある。そう言う意味では便利である。
しかしこの大型書店ができたきっかけとしてあるのがショッピングセンターである。私がよくいく3つの大型書店はいずれもショッピングセンターなどの大型施設の中にある所である。以前言っていたところでは紀伊国屋を除けばそれに該当する(紀伊国屋は自社ビルを使っている)。おそらく休日の時の家族連れや、終業帰りのサラリーマンの方々をいったところをターゲットにしているのだろう。駅に隣接しているか、かなり近いところにあり便利なところが利点であろう。

第3章「出版敗戦と第二の敗戦が意味するもの」
「出版敗戦」というのは聞きなれない言葉である。「敗戦」というと第二次世界大戦、大東亜戦争から出た言葉である。最初は日本が圧倒的有利の中で戦えたのだが、ミッドウェー海戦の敗北により、徐々に戦力が低下し、降伏に至った。では出版業界における「敗戦」とは一体何なのかというと、「年次改革要望書」による法律制定の指示や要望に応えたということを言っている。
第2章で出てきた大型店舗に関連するが大型施設や店舗が建てられたきっかけというのが1979年の「大店法(大規模小売店舗法)」の制定にあるが、制定時はそれほど目立ったものではなく、むしろ商店街などの中小商店には優しい法律であった。
所が日米構造協議などで大幅に規制が緩和され定期、2000年には新たに「大規模小売店舗立地法(大店立地法)」が制定された。このことにより、大規模店舗の立地が目立ち、中小商店が軒並み閉店に追い込まれ、地方の商店街がシャッターばかりとなっていった。
出版業界とは論点が乖離しているような内容ではあるが、大型書店がどうして建てられるようになったのかということを辿っていくと避けて通れない道である。その理由からこの内容に踏み込んだのだろう。

出版業界と書店についてどのようなところから原因があるのかというのを考察していくが本書の狙いだという。業界のみならず法律、アメリカといった情勢というところまではいっていくともはや犯人探しというのはばかばかしくなってしまう。
ではどうすれば出版業界は活性化させるのか。皆が本を読もうとする気概を持たせることに限るが、我々がネットやリアルの場で盛り上げていきながら読まない人たちに伝播していくことが使命なのかもしれない。

普通の人がどうやって年収1000万円に?@UNDERGROUND 感想

本日(もう「昨日」か)はみさ吉こと美崎栄一郎さんが主催するUNDERGROUNDに参加いたしました。

講師は「社内自由人」こと別所諒さん

周りからも「すごい」というほどの講演をなさっていただけに、今回は相当期待度が高かったセミナーでした。

実際はというと…、

「期待以上」もはるかに超えて、ものすごくい意味で、

「とんでもない所に来てしまった!!」

と言いたくなるほどの講演+ワークでした。

自ら「腰が低い」「普通」とおっしゃっていたのですが、それ以上に話を引きこませる凄さと会場を巻き込ませる巧みさがありました。

セミナーということでどのようなノウハウが語られるのかというのがよくあるものですが、今回はそれが一切なく、むしろ「心」にエンジンをかける役割を担ったセミナーでした。

キーワードは、

「チャンス!」

「応援」

でした。

懇親会では、もっぱら裏話や家族話でしたがこれがなかなか面白く、何度笑い転げ、ためになったことか…。

主催の美崎さん、講師の別所さん、そして名刺交換をしてくださった方々、ありがとうございました!!

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代 ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代
ダニエル・ピンク 大前 研一

三笠書房  2006-05-08
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「新しいこと」を考え出すのはなかなか難しい。しかしこういう人であれば「新しいものを発想できる」人間になれるという。それは表紙をめくると、
・「右脳を活かした全体的な思考能力」
・「新しいものを発想していく能力」
そうだ。「アイデアマン」というと、いろいろなものを結び付けて新しい組み合わせをつくっていくことを思い出すが本書はそう言ったものを作り出す人間、いわば「アイデアマン」こそ「これから身につけなければいけない力」であるということを説いている一冊である。

第1部「「ハイ・コンセプト(新しいことを考え出す人)」の時代」
「右脳タイプ」というとイメージや創造性の富んでいる芸術家肌の人のことを言われているが、科学的にはこのことは解明されておらず、「非科学的俗説」として有名である。
とはいえ「芸術家肌」の人がこれからのビジネスを引っ張っていくだろうという考えの本なのであえて「右脳」よりも「芸術家」という表現を用いる。
これまでの時代は「モノの豊かさ」を求めて働き、経済は成長していった。さらに情報化も発達していきコンピュータなしでは大方の仕事ができなくなってしまった。
モノの豊かさ、情報の激流という中で新しいものを見つけだすということはむしろ困難なものになった。個人それぞれがいろいろなものやことを要求しだしてきた。
それからコンサルタントのように「プロフェッショナル」が際立つ時代になった。ではこの時代でもっとも重要なものは何かとなるといろいろありすぎてわからなくなる。
この時だからでこそ、新しいものを「創造」であきる人、他人を「共感」させられる人が重要視されるという。

第2部「この「六つの感性(センス)」があなたの道をひらく」
それを磨くためには「感性(センス)」を身につけるべきだが、本章では「六つ」紹介されている。

「デザイン」…絵に限ったことではない、外観や感情や生き方そのものをデザインすることにあるそうだ。ビジネスを紡ぎ出すこともまた「デザイン」である。大学の講義名や本のタイトルに「ビジネスデザイン」というのがあるくらいだから、「デザイン」がどれだけビジネスに影響を及ぼすことか。

「物語」…これは「仕事はストーリーで動かそう」そのもののことを言っているのだろうか。認知心理科学者、ロジャー・C・シャンクは、

「観念的に言えば、人間は論理を理解するようにできていない。人間は物語を理解するようにできているのだ(p.169より)」

と主張している。人間が作り出し、そして理解し共感する。それが「物語」の醍醐味だという。

「全体の調和(シンフォニー)」…バラバラなものをつなぎ合わせ、一つのものを創り上げる力のことをいう。音楽だといろいろな楽器と組み合わせてアンサンブルを組ませることも「調和」の一つであろう。言葉でも巧みな「比喩」が作れる人もまたセンスがあるとされている。まとめには「優れた交響曲」をいくつか紹介しているが、私としてはもう一つチャイコフスキーの「交響曲第一番「冬の日の幻想」」を加えてほしかったというのが心残りである。理由は簡単。お気に入りの曲だから。

「共感」…これは「物語」と関連が深い。ストーリーによって人は共感する力を手に入れることができる。他愛のない話でも、論理とかけ離れた情緒的な話でも、である。

「遊び心」…私が一番欠けていた所である。「生真面目」という言葉を地で行くほどの人間だったのだからたまには遊び心がないといけないなと反省しきり。「笑い」を誘わせたり、ユニークさを持ったりすることが仕事を行っていく上で大事になってくるという。

「生きがい」…何よりも日本人がそう言うことを意識するのが少なくなってきているように思える。経済が成長していくにつれ働けば働くほど豊かになった。それが生きがいにつながったのだが、今となっては「働けど働けど」という風になってしまった。日本に活気を取り戻す大きな要素となり得る。

本書のタイトルを見るなり難しそうに思えたが、中身はそれほど難しくなかった。それ以上に直感型人間、芸術家肌傾向にある私にとって活気づくような一冊であった。

夏がくれば思い出す―評伝 中田喜直

夏がくれば思い出す―評伝 中田喜直 夏がくれば思い出す―評伝 中田喜直
牛山 剛

新潮社  2009-04
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春が過ぎ、もうすぐ梅雨の時期が始まる。その梅雨の時期が過ぎれば厳しい夏である。
夏というと子供たちは少し長い夏休みである。
本書のタイトルに覚えがあるだろうか。誰もが一度は口ずさんだ歌詞。
そう、「夏の思い出」である。
この作曲者はというと中田喜直。数多くの歌を作曲した作曲家である。特に合唱に携わった人であれば何度もこの方の曲を歌っただろう。この方を名を知らなくても「ちいさい秋見つけた」や「めだかの学校」、「手をたたきましょう」という曲なら知っている。
本書はこれら数多くの歌を作曲した中田喜直の評伝である。彼が亡くなって、来年で10年となる節目に本書は出版された。

第一章「若き日」
第二章「中田喜直の戦争」
中田喜直が生まれたのは1923年の時、ちょうどこの年の秋には「関東大震災」というのが起こり、同月には甘粕事件というのが起こった時である。中田は幼い時からオルガンを学ぶなど音楽に携わった。その一方で正義感が強く、間違ったことを嫌った。特に間違ったことには口を出さずにはいられなかったせいか、嫌悪な関係になった先生もいるという。
その正義感の強い性格は、のちのタバコにも影響を及ぼしていると言っていい。
時がたち大東亜戦争になり、中田は自ら志願して飛行学校に入った。ちょうど敗戦の色濃くなった時代であり、特攻隊に入るのかと思ったら、事務所においてそうではないと言われたという。中田自身の思想のほとんどが定まったと言える時であった。

第三章「作曲家・中田喜直」
第四章「中田喜直と童謡」
第五章「フェリス女学院と中田喜直」
第六章「日本童謡協会」
戦争が終わり、また音楽家として数々の曲を作曲した。昭和20年ごろには童謡も手掛けており、売れっ子作曲家として邁進していった。それと同時にフェリス女学院で教鞭をとったという。中田は女声合唱曲も多く残しているが、ここでの教員生活が大きく影響していたと著者は見ている。

第七章「中田喜直とタバコ」
中田喜直と言えば嫌煙家として有名で、とりわけ「嫌煙権運動」を積極的に行ったことで知られている。今となっては首都圏の駅では全面禁煙が実施されており、ある種の「禁煙ファシズム」の様相を見せているが、当時(60〜70年代)は仕事場でも、会議室でも平気で喫煙できたという時代であった。嫌煙家にとっては迷惑極まりないような時代ではあったのだろう。中田はそれが許せなくなり、そういった運動に入ったのだろう。
しかし、もしも今この時代に彼が生きていたのなら、この「禁煙ファシズム」の風潮をどう思っていたのだろうか。容易に想像がつくかもしれないが…。

第八章「小さい鍵盤のピアノを」
第九章「中田喜直と合唱」
私自身、吹奏楽部の一環で合唱をしたことがあったと言ったが、それと同時に高校では毎年「合唱コンクール」というのがあった。その中でも中田喜直の曲は印象に残った。ほかのクラスであったが、「よみがえる光」という曲を合唱していたクラスがあった。私の高校は商業高校であり女性の比率が非常に高く、女性だけのクラスというのは1・2クラスあったほどである。男である私でも女声合唱を聴く機会ができたのはある意味で刺激的であった。ちなみにこの「よみがえる光」は「女声合唱組曲『蝶』」の最後の曲に収録されている。

第十章「中田喜直とスポーツ」
第十一章「二つの遺作」
中田喜直の合唱曲で印象に残っている曲がもう一つある。「雪の降る街を」である。
この曲は山形県鶴岡市が舞台となっているのだが、同時に旭川市でも毎年のように流れる曲として有名である。
私も初めて知ったのだが、中田喜直はよく旭川に行くことが多く、演奏会だけではなくスキーも楽しんだという(ちなみに山形に行っても苗場に行きスキーを愉しんだそうだ)。その縁によって「旭川が舞台としてつくられた」と言える。

私が音楽から離れてからもう1年経つ。合唱などの音楽が好きだった時に戻してくれた、そんな気がした1冊であった。動画サイトで中田喜直の曲は聞くことができるのでこれを聞きながら読むとまた格別である。

プロフェッショナル原論

プロフェッショナル原論 (ちくま新書) プロフェッショナル原論 (ちくま新書)
波頭 亮

筑摩書房  2006-11-07
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プロフェッショナル」とは一体何なのか。
社会人になった時からずっと職業性からか「プロフェッショナルを目指せ」と言われる。
本書の表紙をめくってみると、
「高度な知識と技術によってクライアントの依頼を適えるインディペンデントな職業」
と書かれてある。しかしそれではあまりよくわからない。本書は「プロフェッショナル」とは何かについて解き明かしている。

第一章「プロフェッショナルとは」
プロフェッショナルというのは前述のように高度な力が要求される。ナンバーワンかつオンリーワンである職業なだけに自由が存在する。それは解決方法、すなわち「やり方の自由」である。ではこの「プロフェッショナル」の起源は何なのか。
紀元前に「医学の父」とされる「ヒポクラテス」までさかのぼっている所から見ると「プロフェッショナル」は別に目新しい言葉ではないということがわかる。しかしこの言葉はなぜ重要視されるのか。
理由は簡単である。時代とともにモノが豊かになり、それにより志向が多様化、高度化していったからである。それに応えるべくプロフェッショナルを求める需要が増えて言ったということである。
さてプロフェッショナルは最初に述べた定義のほかにもいろいろな制約や価値が存在する。制約としては、
「公益への奉仕(p.21より)」
「厳しい掟の順守(p.21より)」
というのがある。
価値としては、
「自尊の念(p.28より)」
「社会からの敬意(p.28より)」
というのがある。

第二章「プロフェッショナルの掟」
「プロフェッショナル」には法律の縛りはないものの、「掟」という縛りは存在する。すべて見てみると、

・「顧客第一主義」
・「成果指向」
・「品質追求」
・「価値主義」
・「全権意識」

の5つである。常に顧客の側に立つが「神様」として崇めず、媚びず、清家や品質ばかりに目が行きすぎて顧客の適うものをつくれなくなるということなく、この5つバランスを持って行うことがプロフェッショナルとして大切なこととされている。
個人に限らず企業でもこのような「プロフェッショナル意識を持て」というのが多いが、個人の「プロフェッショナル」との違いというと、会社の「しがらみ」というのがあるのだろう。

第三章「プロフェッショナルのルールと組織」
「プロフェッショナル」の仕事は様々であり、ときには自分一人でこなすものもあれば、一つの組織でもって活動を行うという仕事も存在する。特にコンサルタントという所の「ファーム」というのがある。そう言った組織の中で作業を行うということもある。
そしてもう一つ、ルールというのがある。「掟」もあるのにもかかわらず「ルール」も存在すると考えると「縛られる」ことの多い、コンサルタントに誇りを持っていると考えるからでこそ縛られることを厭わないのだろう。

第四章「プロフェッショナルの日常」
コンサルタントなどの「プロフェッショナル」にまつわる職業は「激務」として知られるがこれほどまでとは思わなかった。「週20時間睡眠」「0泊2日の海外出張」というだけでも私にとっては「異次元の世界」という感じだが、なぜそれほどまでして成し遂げようとするかというろ、「何かを成し遂げたい」とする達成感、やるからには「史上初」という意欲、行動力、美意識、論理…、そしてなにより「目標」があるからでこそ頑張れるのだろう。

第五章「プロフェッショナル達へ」
世の中には「プロフェッショナル」というのがゴマンといる。そのプロフェッショナル達への檄文というべきだろうか。近年の事件「ライブドア・ショック」「インサイダー取引」「耐震偽装」というように「プロフェッショナル」の中の「プロフェッショナル」に位置づけられる人たちが事件を起こしている。著者はそれが我慢ならなかったのだろう。著者も「プロフェッショナル」の立場から、同法を奮起させるために本書を書き、立ち上がろうと考えた。本書が発売されて2年半、どれほどの「プロフェッショナル」たちが立ち上がったのだろうか。

ベルマークのひみつ

よくモノを買う時に見られる「ベルマーク」。この「ベルマーク」は一体何のためにあるのかというのは考えたことがあるだろうか。
私はピアノや跳び箱と言ったものと交換できるということは知っていたが、ではどのような方法で集め、どのようにして交換するのかという所までは分からない。そもそも「ベルマーク」というのは何のためにあるのか分からないという人もいることだろう。本書はあの「ベルマーク」の秘密を解き明かしつつ、ベルマークを集めるメリットについても解明している。

PART1「ベルマークSHOP」
ベルマーク(運動)はそもそも「学校などの教育現場の充実のために」つくられた運動で朝日新聞社が主催している。当前ベルマークを集めて交換されるものは学校グッズや車いすなどの福祉に関係するグッズもある。特に後者はこれから少子高齢化により需要が高まるだろうとされている。

PART2「ベルマークHISTORY」
ではそもそもベルマーク運動はいつごろからでき始めたのか。50年以上前に遡る。当時は戦後間もない時期で、これから高度経済成長という目覚ましい成長をする前のころであった。まだ日本が貧しかった頃の僻(へき)地の教育現場は非常に貧しく、満足な教育を受けさせることができなかった。その現状に全辟連(全国僻地教育研究連盟)が立ち上がり、朝日新聞に陳情を行ったことが始まりだった。それに朝日新聞社が共感し、1960年に教育設備助成会が設立、ベルマーク運動が始まった。それからもうすでに48年。来年の10月で50周年を迎えることになる。

PART3「ベルマークMUSEUM」
ベルマークの協賛企業は2008年現在59社存在する。もっぱら食品や文房具といった企業が大勢を占めているが、最近では保険業界も参入してきており、これからの動向が注目される。

PART4「ベルマークTOPICS」
ベルマークにまつわる豆知識がちりばめられている。ここでは紹介されていないが、個人による寄贈も行うことが可能である。朝日新聞の会員制サイト「アスパラクラブ」で会員になれば寄贈することが可能である。IT化が進むにつれ、ベルマーク運動も変容しつつあるという表れであろう。

PART5「ベルマークDATA」
ベルマークを集めているところは数多く存在するが、特に集めている所では年間50万点以上も集めているという。学校用品のみならず福祉のためというものもあるが、いやはやベルマーク運動というのは侮れない。
ベルマーク運動は現在でも活発に行われていることがわかる。それだけではなく個人単位でも気軽に参加できるのでこれからは大々的に行われるよりもむしろ個人や企業が関心を持つことというのが課題なのかもしれない。

F1 スペインGP ブラウンGPが今シーズン2度目の1-2!!

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 J・バトン ブラウンGP 1:37:19.202
2 R・バリチェロ ブラウンGP + 13.056
3 M・ウェーバー レッドブル + 13.924
4 S・ヴェッテル レッドブル + 18.941
5 F・アロンソ ルノー + 43.166
6 F・マッサ フェラーリ + 50.827
7 N・ハイドフェルド BMW + 52.312
8 N・ロズベルグ ウィリアムズ + 1:05.211
9 L・ハミルトン マクラーレン + 1 laps
10 T・グロック トヨタ + 1 laps
11 R・クビサ BMW + 1 laps
12 N・ピケ・ジュニア ルノー + 1 laps
13 中嶋 一貴 ウィリアムズ + 1 laps
14 G・フィジケラ フォースインディア + 1 laps
Did not finish
15 K・ライコネン フェラーリ + 49 laps
16 H・コヴァライネン マクラーレン + 59 laps
17 J・トゥルーリ トヨタ + 66 laps
18 S・ブエミ トロロッソ + 66 laps
19 S・ボーデ トロロッソ + 66 laps
20 A・スーティル フォースインディア + 66 laps

「ブラウンGP強し」というべきでしょうか。ブラウンGPのためにあったというようなウィークエンドでした。

レッドブルが3-4フィニッシュ。こちらも調子は上々と言ったところですが、ヴェッテルはマッサとの戦いにつきあわされたという感が否めません。あっさりオーバーテイクができれば表彰台は確実だったようですが…。

フェラーリは息を吹き返したとはちょっと言えない状況ですが、確実に表彰台に向けて進歩はしております。しかし、マシントラブル然り、マッサの燃料不足然り、チーム側のミスというものがちらほら見られます。昨年ごろにトップが変わったことによりくすぶり始めたようですが、それが顕著になって重い足枷になっていることは間違いないでしょう。

トヨタは、1周目の多重クラッシュに巻き込まれ、トゥルーリはリタイア、グロックもポイント圏外でフィニッシュだったためチャンピオン争いでは痛恨のノーポイントとなってしまいました。しかし次戦はモナコ。巻き返しに期待したいところです。

次戦は2週間後! 伝統のモナコ!!

ゴクゴクの日2009オフ会 感想

昨日は5月9日。
「ゴクゴクの日」2009オフ会に参加いたしました。

この前のセミナーにて告知されていたそうで、面白そうと思い参加に至ったわけです。

さてこの「ゴクゴクの日」とは一体何なのか、といいますと、

5月9日夕方5時9分から
ビールを59リットルのみほす

というイベントです。

ビールがメインということで会場はこちらでした(↓)。

「輸入ビール専門酒場 ビリーバルゥーズ・ビア・バー(BBBB) 恵比寿店」

午後5時9分スタートと言っておりましたが、もうすでに飲んでいる方がちらほら見られました。

ちょうど5時9分に、「レッツ、ゴクゴク~!!」という掛け声で乾杯しました。

参加されていた方の中には、「理系アタマのつくり方」でおなじみの四ツ柳茂樹さん。「できる大人の“一筆添える”技術」で有名なむらかみかずこさんの姿もありました。

ビールは3種類用意されました。

カールスバーグ…デンマークのビールで世界第5位のビールメーカー。3種類の中でも最もコクのあるビールでした。来月には缶も発売されるそうです。

レーベンブロイ…ドイツのビール。さすがビール大国であるだけに味わいはライトで、何杯でもいけるビールです。

バスペールエール…苦味と香りが特徴的で、良い意味でクセのある味わいでした。

ビールを飲むばかりではなく。「女長渕剛」という異名を持つ馬原美穂さんの特別ライブに、ビンゴ大会にとあっという間の3時間でした。

素晴らしい歌でした。さらに今月20日発売の「エノテラ」も披露されました。

飲み会はこれだけでは収まらず、何人かで近くの店で2次会。

熱いアツい2次会でした。

なんとここでは来月行われるイベントの告知もなさっていました。立川でとてつもないイベントをやるそうです。

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日本の中心で夢を叫ぶ~株式会社情熱のヤバイ挑戦第1弾~

 

1人1人が日本の夢を描くことで、日本を変える!

講師:大嶋啓介氏、てんつくマン、中村文昭氏

日時:6月6日(土) 13:00~16:00

場所:立川市民会館 大ホール

詳細はコチラ!!

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今回このイベントを主催してくださった方々、さらに名刺交換してくださった方々。ありがとうございました!!

http://5959day.org/archives/51594196.html

ゴクゴクの日イベント参加中

F1 スペインGP バトンが最後の最後でPP!! そして優勝予想

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 J・バトン ブラウンGP 1:20.527
2 S・ヴェッテル レッドブル 1:20.660
3 R・バリチェロ ブラウンGP 1:20.762
4 F・マッサ フェラーリ 1:20.934
5 M・ウェーバー レッドブル 1:21.049
6 T・グロック トヨタ 1:21.247
7 J・トゥルーリ トヨタ 1:21.254
8 F・アロンソ ルノー 1:21.392
9 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:22.558
10 R・クビサ BMW 1:22.685
11 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:20.531
12 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:20.604
13 N・ハイドフェルド BMW 1:20.676
14 L・ハミルトン マクラーレン 1:20.805
15 S・ブエミ トロロッソ 1:21.067
16 K・ライコネン フェラーリ 1:21.291
17 S・ボーデ トロロッソ 1:21.300
18 H・コヴァライネン マクラーレン 1:21.675
19 A・スーティル フォースインディア 1:21.745
20 G・フィジケラ フォースインディア 1:22.204

バトンが最後の最後でやってくれましたよ。ほとんどヴェッテルがPPとるだろうと思っていたところできっちりとトップタイムを取るところが、今年のバトン、そしてブラウンGPの底力でしょう。

チームメートのバリチェロも3番手につけているところを見ると、決勝はブラウンGP対ヴェッテルという構図になりそうな気がします。そこにマッサやウェーバー、トヨタ勢がどのような形でくい込むのかというところにも注目と言ってもいいでしょう。

マッサが今季最高の4番手。3回目のフリー走行でトップタイムを記録した勢いを残しながらという感があります。ただマクラーレンやフェラーリは明暗の差がくっきりとした予選で、チームメートのライコネンは16番手。Q1落ちとなってしまいました。マクラーレンはハミルトンが14番手(Q2落ち)に対し、コバライネンがQ1落ち(18番手)という結果に。

予選結果を踏まえて優勝予想です。

本命:バトン

対抗:ヴェッテル

要注意:マッサ、バリチェロ

ほぼ予選順位そのままに決勝は流れていくだろうと。

F1 スペインGP フリー走行3回目 結果

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 F・マッサ フェラーリ 1:20.553 18
2 K・ライコネン フェラーリ 1:20.633 22
3 J・バトン ブラウンGP 1:21.050 19
4 R・バリチェロ ブラウンGP 1:21.163 17
5 R・クビサ BMW 1:21.239 21
6 J・トゥルーリ トヨタ 1:21.256 23
7 L・ハミルトン マクラーレン 1:21.346 16
8 T・グロック トヨタ 1:21.377 26
9 S・ブエミ トロロッソ 1:21.424 19
10 F・アロンソ ルノー 1:21.499 17
11 H・コヴァライネン マクラーレン 1:21.519 15
12 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:21.594 20
13 M・ウェーバー レッドブル 1:21.629 19
14 S・ボーデ トロロッソ 1:21.649 19
15 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:21.685 18
16 S・ヴェッテル レッドブル 1:21.689 18
17 G・フィジケラ フォースインディア 1:21.909 19
18 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:22.043 19
19 A・スーティル フォースインディア 1:22.232 19
20 N・ハイドフェルド BMW 1:23.457 8

ここのところ調子が良くないフェラーリ。このフリー走行では意地を見せた。そんな気がします。

知識だけあるバカになるな!

知識だけあるバカになるな! 知識だけあるバカになるな!
仲正 昌樹

大和書房  2008-02-09
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本書のタイトルを見るなり、自分の胸に突き刺さるものである。
書評をはじめて2年になるのだが知識しか身についていないかというと、そうではないと言いたいのだが、言い切れない部分も少なからずある。
本書はそんな自分を反省し、これからどのようにして「知」を活かしていくのかという方法を解き明かしている一冊である。

第1章「疑うことから知の方法は始まるが、「正しく疑う」ことの難しさについて」
「疑う」というと哲学で言ったらデカルトの「懐疑哲学」やソクラテスと言ったものを思い出す。両社とも私の好きな哲学者である。とりわけデカルトは「我思う、故に我あり」という名言を遺しているがそれは私の座右の銘でもある。
さて私が書評をしている本の中で大半を占めている一般書。特に研究に関する本を書評することが多いが、どれも多くは「考察」という範疇である。「考察」とはある情報をもとにして解釈を行いつつ、自分なりに仮説をたてていくというものである。答えのない教養においてこの「考察」というのは議論の的となる。そうなりながら仮説がより強固なものになっていったり消失していったりする。
しかしありもしないものから道筋をたてていくのだから学問は所詮泡沫でしかないと考えてしまうのだが、それが実際に役に立つものまであるのだから学問というのは不思議なものであり、考える(または「疑う」)からでこそ面白いとも言える。
知っている(「既知」)の反対は「無知」であるが、一般論としては「悪」という印象が強い。しかし私はそうとは思っていない。というのはソクラテスの「無知の知」というものがある。「無知」というのはむしろ学問として「知っていく」うえでの出発点であり、疑いながらも育んで「既知」にたどり着くことができる。
もっとも「悪」だと思っているのが「誤謬(ごびゅう)の観念」である。紀元前で言ったらソクラテスが「エイロネイア(皮肉)」でもって、その誤謬という名の化けの皮をベロベロはがしていくということを行った。それにソフィストらが怒りソクラテスは処刑に処されたという話である。

第2章「今の日本で大勢を占めている「二項対立」思考の愚について」
「二項対立」というのはとある議題に関して「賛成」と「反対」というように、両極端の意見で戦わせるというようなものがある。最近休刊の著しい「オピニオン誌」。「右翼」・「左翼」という両極端がある。その「二項対立」ではあるが論者によっては多種多様であるので一緒くたにできるようなものではないが。
本章ではその二項対立をなくすための弁償や議論、対話といった方法について書かれている。

第3章「ありきたりな言葉でなく自分の言葉をつかむための「教養」のススメ」
対立による「思考停止」させずにするためには反対派の意見をどう取り入れ、建設的な議論をするというのが「教養」の一つなのかもしれない。
そして教養を深めるためには何よりも「知識」というのが必要である。知識をどのように組み合わせたり、疑ったりしながらどうあるべきかという道筋をたてていくことで深まっていく。何もない所から「思考」や「発想」、「考察」というのは出てこない。必ず「知識」という名の薪がなければ「思考」や「考察」という名の火は点かないのだから。

私はビジネス書のみならず幅広いジャンルを読んで書評を行っている。その中で自分はどのような思考を持つべきかということ、そしてものを疑うこと目を身につけることも目標の一つである(そもそも「目標」はあって無き様なものだが)。それを見直す道標となった一冊であった。

F1 スペインGP フリー走行1・2回目結果 そしてPP予想

さてF1サーカスはヨーロッパ大陸に上陸いたしました。バーレーンから約2週間経ちましたがその間にはマクラーレンが執行猶予処分されたり来年から再給油が禁止になったりメダル制が導入することとなったり13チームに増やす方針を固め、その中にSUPER AGURI復帰するかというニュースが流れたり、ニュースずくめであっという間に2週間たったという気がします。

ニュース事はここではさておき、今日行われたフリー走行1・2回目の結果です。

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

1回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 J・バトン ブラウンGP 1:21.799 21
2 J・トゥルーリ トヨタ 1:22.154 30
3 R・クビサ BMW 1:22.221 24
4 N・ハイドフェルド BMW 1:22.658 14
5 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:22.659 24
6 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:22.667 26
7 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:22.753 24
8 T・グロック トヨタ 1:22.828 29
9 F・マッサ フェラーリ 1:22.855 15
10 R・バリチェロ ブラウンGP 1:22.859 24
11 K・ライコネン フェラーリ 1:22.873 20
12 M・ウェーバー レッドブル 1:22.934 25
13 S・ヴェッテル レッドブル 1:22.959 24
14 L・ハミルトン マクラーレン 1:23.077 21
15 S・ボーデ トロロッソ 1:23.088 30
16 G・フィジケラ フォースインディア 1:23.089 25
17 F・アロンソ ルノー 1:23.157 18
18 S・ブエミ トロロッソ 1:23.185 31
19 H・コヴァライネン マクラーレン 1:23.522 17
20 A・スーティル フォースインディア 1:23.536 19

2回目

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTimeLaps
1 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:21.588 43
2 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:21.740 40
3 F・アロンソ ルノー 1:21.781 36
4 R・バリチェロ ブラウンGP 1:21.843 39
5 M・ウェーバー レッドブル 1:22.027 37
6 J・バトン ブラウンGP 1:22.052 35
7 S・ヴェッテル レッドブル 1:22.082 45
8 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:22.349 26
9 S・ブエミ トロロッソ 1:22.571 17
10 K・ライコネン フェラーリ 1:22.599 40
11 S・ボーデ トロロッソ 1:22.615 30
12 G・フィジケラ フォースインディア 1:22.670 32
13 L・ハミルトン マクラーレン 1:22.809 31
14 H・コヴァライネン マクラーレン 1:22.876 29
15 F・マッサ フェラーリ 1:22.878 35
16 R・クビサ BMW 1:22.948 40
17 N・ハイドフェルド BMW 1:23.173 39
18 T・グロック トヨタ 1:23.360 46
19 J・トゥルーリ トヨタ 1:23.623 47
20 A・スーティル フォースインディア no time

ウィリアムズ、バトンが1・2回目とコンスタントに調子がいいようです。1回目がよくて2回目では少し抑えたタイム、あるいはその逆というようなチームもちらほら…。

さてPP予想です。

本命:バトン

対抗:ロズベルグ

要注意:アロンソ、バリチェロ

直近のレースも含めて考えるとバトンが無難かと。あとフリー走行で早いロズベルグがどこまで順位を引き上げていくか、チームメートの中嶋も、Q3に飛び込む可能性もあるかもしれません。

母国GPのアロンソもPPはいかないにしてもフロントローにくい込む可能性はありそうです。

父の背中―拙者のハンセイ

父の背中―拙者のハンセイ 父の背中―拙者のハンセイ
林家 三平

青志社  2009-02
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2009年3月21日に林家いっ平が「二代目林家三平(以下:二代目三平)」を襲名した。本書はそれより少し前に出版された二代目三平自身の自伝であるが、海老名家と言えば先々代の正蔵(七代目林家正蔵)や初代林家三平の功績により裕福な家庭として育ったおぼっちゃまというイメージが先行するのだが、やはり噺家の道はしっかりと進んでいた、と思わせる人生であったとそう考えさせられる。

<遠い日に>
<父の手>
<父が泣いた>
<時を超えた遺影>
<大トリ>
<金属バット>
<キツネとタヌキとオカメ>
二代目三平が生まれたのは1970年。ちょうど初代三平が大ブレイクしていた時である。ここではまだ幼い二代目三平が、父・初代三平の思い出話を綴っている。年端もいかない頃に「豆三平」として高座に上がったことがあったそうだ。
今はそうではないのだが、昔は「父は怖い、母は優しい」というのが相場だったという。しかしこの時にはもうすでに逆転したのかという驚きさえした。たまたまこういう家庭だったのかの考えもあるが、二代目三平から見たら「父は優しい、母は怖い」という存在だったという。
ちなみに九代目正蔵は「父は怖い、母はもっと怖い」と言ったのかもしれない。それは御愛嬌ということで。

<遺言の波紋>
<我が家の食卓>
初代三平の死後、三平一門の風当たりが手のひらを返したように強くなったというのは今年1月に書評した「おかみさん」で取り上げているので割愛させていただくが、二代目三平から見てもその風当たりの強さというのが窺える。

<七光り>
<見習い>
<笑わせる腕になるまで泣く修行――故林家三平>
<小朝師匠からの手紙>
本書の核心というのはここであろう。
二代目三平は大学入学したころは興味がなかったという。大学在学中に海外に行く機会がありその中で日本文化、特に落語の素晴らしさというのに出会いこん平一門に入門したというのがきっかけであるという。「若いうちには旅させろ」というのがあるがまさにそれが実証された所である。
さて見習いを経て噺家になったのだが、前座から二つ目に至るまでは下働きで、給料もろくに出ず、朝から晩まで働き通しであったという。私から見ても「壮絶」という2文字以外見つからないような日々であった。
前座時代から落語の修行がままならず二つ目に上がったが、今度は七光りの影響からかTVリポーターに引っ張りだこという存在になった。当然修行もままならず、持ちネタもほとんどなかった。師匠らから叱責を受け続けても自分の反発心からか、ずっと成長していなかった、それを見かねて春風亭小朝がある手紙を渡した。二代目三平の核心に迫った檄文であるが、今の自分にもあるのではとも考えさせられる手紙であった。一部だけ紹介する。

<次に現実問題。これからのいっ平君は>
4、自分では仕事をしているつもりでも認知度が低い。
5、として考えると、上手くもおもしろくもなく、インタビューされても自分の家族のことしか話す事もない。
<では、どうするか。>
1、自分の特性を少しでも知ろうとすること。
3、誰をアドヴァイザーにするのか。
4、自分にとって大切なことの優先順位をきちんとつけておく。
5、先々にきちんと目標を持ち、そこに向かって集中する。
6、そして何よりも大事なのは、きちんと戦略をたてて、思い切った冒険に出ること!(pp.185-187より、一部抜粋)

まさに自分の現実に似通っていた。と同時に、ビジネス書で語られていたこととよく似ていることが手紙にはちりばめられていたように思えた。
話を戻すがこのことで二代目三平は衝撃を受け改心し、落語を真剣に取り組むようになり2002年に真打昇進を果たした。

<橋と噺>
<おかみさんへ、そして母へ>
それからというもの、古典落語の修行の傍ら、英語落語・中国語落語に挑戦をしている。特に中国語落語は2005〜2007年と毎年のように上演していた。そして今年の3月に周明にいたるという話である。
最後の2つは二代目三平を襲名することにあたっての意気込み、思い、そして親への感謝がつづられている。
初代三平は「昭和の爆笑王」をほしいままにし、亡くなるまで「大スター」であった。二代目三平は上記のとおり英語・中国語落語や古典落語をひたむきに挑戦しているという。
初代三平とは違った新たな「三平」がどのような看板になっていくのか末永く見てみたい。

「裏声」のエロス

「裏声」のエロス (集英社新書) 「裏声」のエロス (集英社新書)
高牧 康

集英社  2008-12-16
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中学・高校と部活動は吹奏楽部だったが、練習の一つとして「ソルフェージュ」というのがある。簡単にいえば表現を磨くために合唱練習を行うというのである。そのことから「裏声」というのに関してはある程度は知っている。
しかし本書のタイトルを見ると意味淫靡なイメージがしてならない(私の妄想かもしれないが)。本書は裏声のメリットと実践法について書かれたものである。

第一章「「裏声の幸福」恋愛編」
「エロス」というのは本章のことを言っているのかもしれない。何せ「女性の声」や「セックスレス解消の声」と言ったところを取り上げている。
ここでは「エロス」の部分と「裏声」、そして「男声」「女声」の性格についても取り上げている。よく女性が「好きな男性(女性)の声のトーンは?」というアンケートがあるほどである。
「裏声」は本書によると「ネガティブ」なイメージがついているという。私は歌うときはほとんど裏声だったためそのようなイメージがあったということは知らなかった。また歌の用語として「ファルセット」というのがあるが、これはイタリア語でこれもまた「偽り」というネガティブなものとされているそうだ。

第二章「「裏声の幸福」話術改善編」
「話術」
私が最も勉強すべきだろうとする分野である。話術というと「ロジカル」や「ラテラル」というような話し方というのがあるところを考えると「裏声」というのは必要ないかと考える人見るだろう。
しかし話し方に箔をつける場合「声量」や「声質」というのも重要な要素である。重要なところフォルテにしたり、だんだん強く(クレッシェンド)したり、口調を早めたりと、まるで音を奏でるようなものが話し方の一つである。
本書は「裏声」ということだが、裏声は高くても低くても融通が利くのでケースバイケースによって声色を変えることができる。

第三章「「裏声の幸福」ストレス解消編」
ストレス解消法として、ベタではあるが「冬の海に向かって「バカヤロー!」と叫ぶ」というのがある。もし私だったら川崎に住んでいるので茅ヶ崎の海に行って叫びたいというのがある。理由についてはあえて申し上げる必要はない。
私情はここまでにしておいてここではストレス解消法について取り上げている。とはいっても打つ解消法として声を出すというのがある。「裏声」を使うというわけだから歌うのかと思ったのだが、ここでは「音読」「泣き声」というのを取り上げている。
思いっきり泣く、もしくは音読をすることによって声を出す。裏声を出すということなので子を出すというのには変わらないが、その通りと思うのだが、当たり前だと思えない不思議さというのを感じた所であった。

第四章「「裏声の幸福」健康編」
健康を維持するためには声を出すのも一つの手段である。本章では喘息などの体の異常を感知し、直してくれる効能について説明している。

第五章「「裏声の幸福」歌唱上達編」
最初の所で中学・高校とソルフェージュで合唱を行ったと書いた。その時から裏声というのを意識し始めたと思う。他人の音との調和、そして体や声を使った表現と言った者もやったので本章の内容はある程度わかる。
ここでは裏声でもって音痴を治すという方法について書かれているが、まさにその通りである。裏声は声の高さやトーン、声量が幅広く、コントロールしやすいところにある。とはいえ細かいところまで行くと腹筋などの力も必要になってくるが、初心者であればその必要はないだろう。

第六章「「裏声の幸福」音育編」
子育てに関しての裏声の用法について書かれている。
経験柄、「裏声」の良さを語る本は無条件で賛成せざるを得ない一冊であった。特に自分の「声」について悩んでいる人がいたらぜひ進めたい。
最後に念を押すが、本書は決して18禁ではないことだけを言っておく。タイトルだけで惑わされないでほしい。

おたくの起源

おたくの起源 (NTT出版ライブラリーレゾナント051) おたくの起源 (NTT出版ライブラリーレゾナント051)
吉本 たいまつ

エヌティティ出版  2009-02-09
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皆さんは「おたく」ということばをどう受け止めるだろうか。ごく固まってしまったもので言うと「デブでメガネかけていて、それでいて美少女系のアニメや漫画が好き」というイメージであろう。ではこの「おたく」という言葉、イメージはどのようにしてできたのか。本書はその期限を追求した一冊である。

第一章「母体としてのSF」
「おたく」というのを語る前提として避けて通れないのが「SF」である。SFにおける「おたく」が形成されたのは1960〜70年代にかけてのことである。日本では1962年に東京で「第1回SF大会」というのが行われた所から定義はなかったものの、実質的に「おたく」の始まりだったのだろう。
本書では「SFファンダム」など「ファンダム」というのを頻繁に用いられているが特定の趣味の分野に熱心なファンによって形成されたカルチャーを指している。つまり現在の「おたく」というのはまさしく「ファンダム」という意味にぴったりと言える。
SFからアニメにシフトしたかというと、もともとSFにはアニメも含まれており、「ガッチャマン」や「マジンガーZ」というのがある。

第二章「マンガ文化の発展とコミックマーケットの成立」
マンガ文化は戦前からずっと(平安時代からあったという説が有力である)。マンガ文化が顕著に表れ始めたのは戦後、「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」が創刊した頃からである(両誌は昨年創刊50周年を迎えた)。
そして漫画を語る上で、なくてはならないもの「コミックマーケット」であるが本書では起源となる「日本漫画大会」が取り上げられている。全共闘世代(団塊の世代)の影響が強く、反体制の告発があった。なぜかというと講演や賞の選定などの偏重、そして主催者側の強権もあったことによる反発からきているという。
コミックマーケット創始者のひとりで第二代代表を務めた米澤嘉博(故人)の漫画・コミックマーケットに対する思想もこのことがきっかけとなっているのではないだろうか。

第三章「特撮・アニメファンダムの形成と商業メディアの成立」
再び歴史に戻ったように思えるが、第一章ではSFに関してであるが、ここでは特撮、とアニメに関してである。
特撮というと「ウルトラマン」や「仮面ライダー」というイメージが強く最近では、「○○レンジャー」というのがあるが、本書ではちょっと前まで代表的だった「ゴジラ」などの怪獣の特撮について取り上げられている。
アニメファンダムについては今更取り上げるまでもないので割愛させていただく。
本章では「アニメジャーナリズム」についても取り上げている。現在では「アニメージュ」や「Newtype」、「アニメディア」のようなアニメ雑誌の歴史や意義についても書かれている所が斬新な感じがした。

第四章「おたくの誕生」
これまではアニメやSF、特撮の歴史について取り上げてきたが、いよいよ「おたく」の登場である。
「おたく」という名が表舞台に出てきたのは1983年にコラムニストの中森明夫が「漫画ブリッコ」誌上で「「おたく」の研究」というのを取り上げ、話題となった。当時は否定的に扱われ、オタクバッシングの引き金の一つとなった。
本章を語るにあたって岡田斗司夫の存在は切っても切れない。「DAICON3」や「愛國戰隊大日本」、「ガイナックス」というのがあるのだから。
それ以外にも「マクロス」や「ガンダム」などによるSFかアニメかという論争も本書では取り上げている。
ちょうど「おたく」と呼ばれたばかりのころであるが、そう言った分野の荒々しい胎動であったということが本章でも見てとれる。

終章「現在に響くもの」
あれから25年以上たったが、今となっては「ジャパン・クール」と言われ、称賛の的となっているのは言うまでもない。「おたく」という単語も呼ばれ始めた頃から約15年程の間、差別用語として扱われてきた。特に「宮崎勤事件」前後が顕著であった。今となっては掌を返したかのように肯定的に扱われている。
本書は「おたく」の根源について考察した一冊であるが、真新しいものがほとんどなく、むしろ今まで書評の中で定義し続けてきたものをさらに掘り下げたという部類であった。
とはいえアニメ雑誌の意義と歴史を取り上げた所に新鮮味を覚えた。欲を言えば「マクロス」と「ガンダム」による影響についてもっと詳しく取り上げてほしかったというのが感想である。

新しいアナキズムの系譜学

新しいアナキズムの系譜学 (シリーズ・道徳の系譜) 新しいアナキズムの系譜学 (シリーズ・道徳の系譜)
高祖 岩三郎

河出書房新社  2009-03-26
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「アナキズム」というのは一体何なのか調べてみると、
「国家を廃絶し、自由な個人から構成される、相互扶助を基調とする小さな地域共同社会または中間的集団の確立を主張する思想。(Wikipediaより抜粋)」
いわゆる「完全自由主義」や「無政府主義」という思想である。アナキズム自体は19世紀にフランスで生まれた思想であるが、本書はそれとは違った新しいアナキズム思想というのを標榜している。自由主義や無政府主義とは一線を画したアナキズムとなっている。

第一章「アナキスト地理学とは何か」
「アナキズム」というのは本来国家的、もしくは政治的な思想の一つであるが、それと「地理学」とどのような接点があるのか私には理解しづらい。
「地理学」というのは、地理の歴史から地理を観測するための分野など社会的な分野から理学に至るまで幅広い学問と言える。しかし「政治」や「地理学」の関連性は無きにしも非ずだが、領土問題という観点でしかなく、関連性はほとんどないと言ってもいいだろう。
しかし本書では両者に関して唯一の接点があるという。エリゼ・ルクリュである地理学についての代表作として「大地」や「新世界地理」、「人間と大地」というのがある。地理学とアナキズムの関連性については九州大学教授の野澤秀樹氏の論文が詳しいが、それについて一切触れられていないところが疑われる。

第二章「闘争空間アメリカ」
著者は現在ニューヨーク在住であるためアメリカにおけるアナキズムには敏感であろう。
本章の冒頭には2005年、G.W.ブッシュ大統領就任の日に行われたブラック・ブロック隊列を取り上げているくらいである。
ここではアメリカの歴史とアナキズムを照らし合わせている。代表的なものでは「南北戦争」が挙げられている。

第三章「都市的蜂起の伝統」
「アナキズム」の概念としては武力・暴力でもって蜂起することにより、国家という一つのかたまりを破壊することにある。しかし著者の考える新しいアナキズムの構想はこう定義している。
「「新しいアナキズム」は、国家権力を奪取し、それに成り代わることによって、世界を変えようとする志向性をとらない。それは「民衆」内部から生成する「豊饒な社会性」によって、アルタナティブな政体の形成を目指しつつ、次第に「暴力の独占」をもとにした伝統的国家権力を溶解することを目指す。その意味では権力と相同型の「武装力」および「暴力」に訴えることはありえない。(p.117より)」
非常にややこしい言い回しをしているように思える。簡単にいえば、安易に暴力に訴えようとせず、政治的もしくは暴力を伴わない力によって、ゆっくりと壊していこうという、「内部改革」というべきものだろうか。

第四章「群島的世界――世界と出会い直すこと、世界を愛し直すこと」
アナキズムの思想でもって、本章では「場所」という地球におけるミクロの観点で論じている。
では著者がこのアナキズムに関して地球をどう論じたのかいかのように主張している。
「「世界=地球」とは、われわれにとって宿命的な、同じ一つの「共通なるもの」であり、その究極的な形態である。(p.133より)」
つまり「世界」、もしくは「地球」はみんな平等に与えられるものであるという。

第五章「地球意志」
地球の意志におけるアナキズムについて書かれている。
私たちは「地球市民」であるのだから国家は必要なく、誰もが平等な「自由」を持つことができるということがアナキズムの思考なのだろう。

アナキズムは良くも悪くもすべてにおける「自由」というのを尊重した世界を目指しているにほかならない。そう思えた一冊なのだが、もしも政府や領土と言った「国家」がなくなり、「人類皆平等」の世界を築くことができるのかというと、まず「無理」というほかないだろう。それは人種や宗教という概念が残っており、その概念に対しての差別や対立、軋轢というのが生じている現実がある。そのことにより戦争や紛争が起こっていることもある。
私自身、アナキズムは所詮「理想論」に過ぎないのではないのかというのが私の考えである。

できる人の口ぐせ

できる人の口ぐせ (中経の文庫 き 2-1) できる人の口ぐせ (中経の文庫 き 2-1)
菊入 みゆき

中経出版  2007-12-26
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仕事のできる人というのは口癖から違うというのはなかなか信じ難いことであるが、その人の口調や口癖、話し方だけで性格がわかるとするならば口癖もできる様相の一つなのかなと思ってしまう。もっと言うと口癖一つで相手の受け止め方が違うとなるとできる・できないの差が分かってしまうのだから言葉遣いというのは恐ろしい。
本書はできる人の行動パターンならぬ「言動パターン」というのを紹介している一冊である。

第1章「できる人は、目的と手段を区別している」
結果を出す目標や手段を持っている人は口癖が違うという。例えば論理の中でも重要な要素を占める「数字」を持つこと、断られそうになったときに備えて代替案を持ってくることが本章で共通していることと言える。数的に根拠を押さえておけば相手にとっても説得力があり有益になる。さらに代替案があれば交渉決裂も回避しやすく、幅を持たせることができるので悪く言うと、相手にとって「逃げ場が少なくする」という考えもできる。

第2章「できる人は、環境に適応するのが早い」
適応能力というのは人それぞれ違うが、環境に順応しやすさも一つなのかもしれない。
とりわけ私は仕事場が転々とすることがあるのでこういった適応能力をつけるにはどうすればいいのかというのが課題である。
それだけではなく、新入社員も新たな環境で働くという観点からここは押さえておきたい所である。

第3章「できる人は、情報を集めるのがうまい」
情報の集め方にも手段があるという。普段の話し方においても、取り方次第では仕事をする上でも非常に有益なものになる。
特に印象に残ったのが「メモを取る」というもの。「メモ」に関してはおそらく賛否両論も多いようだがメモを取ることによって証拠を残すことができる。その場でメモに残さなくても、会話が終わった直後でもいいのでそれをノートに転機をすることも書かれている。
成長を一目で見るものとしては重要なものである。

第4章「できる人は、周りに支援者をつくる」
「アライアンス」ということもあるようにできる人は「巻き込む」「巻き込まれる」ことが頻繁にある。
とくに本章の最初ではとある会社の小さな部署の半紙について書かれているが、お互いライバル同士でありながら情報交換を頻繁に行い、それをフィードバックさせるということを行ったという。周りがそれに触発し、結果全体的に売り上げがアップしたという話がある。
最近では無口・無表情となりつつある企業の雰囲気であるからでこそこういった者が重要になってくる。

第5章「できる人は、自分の気持ちを確認している」
モチベーションというのは結構気まぐれなもので、日によって高ぶりやすいことがあったり、落ち込んで高ぶりにくくなる時があるのは事実である。そう言う時には「なんで?」というのが特効薬になる。自分自身の頭で考えるばかりではなく、ノートに自分の気持ちを書きなぐってみる手もいいだろう。

第6章「できる人は、出会いを大切にする」
本章は営業に関してのことを言っているのだろう。しかし私のようにセミナーでの出会いという所にも通底する要素はある。
・自分にキャッチフレーズをつける(私だったら「蔵前トラックⅡ」の蔵前?)
このような感じである。
口癖というのはその人自身の性格と言った者が如実に出てくる一つの要素である。ただし性格と決定的に違うのが、口癖は練習次第で変えることができる。口癖を治したい方には本書を携帯すべきであろう。文庫版であるためよほどではない限り持ち運ぶことは容易である。

日本人の愛した色

日本人の愛した色 (新潮選書) 日本人の愛した色 (新潮選書)
吉岡 幸雄

新潮社  2008-01
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色というのは不思議なものである。動物が生活をしていく上で最も扱いやすく、最も喩えられやすい。
本書のタイトルは「日本人の愛した色」であるが、もともと日本の文化は「視覚」によって築かれた文化であるだけに「色」というのは非常に重要なウェイトを占める。「色」を調べるとなると文化そのものを調べられるので本書のように選書の形式で納められたこと自体が奇跡だと私は考える。コンパクトになった「色」にまつわる日本文化史を本書とともに解き明かしてみよう。

第一章「赤への畏敬」
」というと漢字では「紅」や「朱」という表現でき、それぞれで意味が違ってくる。その色には情熱の色や血の色と言った高揚感を持たせたり、政治的に言うと共産主義・社会主義の意味も持つことができる。
日本では「赤飯」のように祝い事(もともとは邪気祓いを意味していた)にもよく使われる色である。
紀元前に活躍した哲学者ヘラクレイトスも「万物は「火」である」と唱えており、赤がどれほど重要な位置づけをされているのかというのがわかる。
著者は染色家という立場から色を見ているため、紅花の渡来や庶民文化にまつわる赤色着物の文化についてが詳しい。

第二章「高貴な色となった紫」
何年か前だが、とある番組にて「は観音様の色」だったり、「紫は千手観音の色」と言われ「慈愛」を象徴すると言う人がいた。章題では「高貴な色」と書かれているがこれは高貴なクラスが纏う衣装に紫が多かったことからであるという。
その反面、孔子は中途半端な色、イタリアでは不吉な色と称され忌み嫌ったという。
日本で代表的なものというと「源氏物語」は紫づくしというべきだったそうだ。おそらく日本における「紫色」の文化が始まったのはここの時なのかもしれない。

第三章「多彩な青と緑」
本章と第四章では2色ずつ紹介される。
ここではである。自分自身これらの色は好んでおり、小さい頃シャツであったりトレーナーやズボンはこの色を好んで着ていた。ジーンズでおなじみのデニム素材もおおむね青である。本書では古来から使ってきた藍(青にちょっと緑が入っている)や瑠璃色(こちらはちょっと赤が入っている)。青というと親しみやすい色ではあるがそれに関するルーツがあまりなかった。
次は緑ではあるが、なぜこれとつながっているのかというと信号機は野菜に関して「青」と表記振るものの中に「緑」があるということが理由なのだろうかと考える。

第四章「仏教の黄、魔力の金」
黄色というとこの方を思い浮かべるのだが…、それは置いといて、黄色というと信号では「注意」という意味をあらわす。古代中華王朝の皇帝を表す色とした重宝される。
仏教の「黄」を表す表現としては「畜生(六道十界の一つ)」を表す色として考えられており、ネガティブなイメージとして使われている。
続いて「金」だがこれは「黄金の国ジパング」という印象が強い。
諸外国ではそう呼ばれていたのだがこれはマルコ・ポーロの「東方見聞録」とされているが、当時の宋〜明の時代における中国大陸の人々から見聞きしたものと言われている。そのため当時の日本の現状との齟齬も多い。

第五章「町人の色、茶と黒」
「町人の色」というとあまりピンとこないのだが、お茶によるもの、もしくは日本独自の「侘び・寂び」の文化に直結しているように思える。
色は探っていくと宗教や日本文化に直結しやすい。色彩を意識することは日本が育んできた文化なだけに「色」はいかに重要な要素であったのかわかる。

クイズ番組

書評をやっているがてら動画サイトを閲覧してまわることが多い蔵前です。
今日はちょっと書評はやめておいて、雑感について書こうと思います。
東京に来てからはほとんどTVを見ない私なので今やっているTV番組についてはあまりよくわかりません。
本があるからとか、あまり面白いものがないというのがその理由ですが。

最初に動画サイト周りしていると言ったのですが、最近は昔に見ていたバラエティ番組を懐かしんでみています。特にクイズ番組ですが。

代表的なのが「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!」(下は高田純次名場面集)。

「マジカル頭脳パワー」(下はシャッフルクイズ)。

「象印クイズ ヒントでピント」(下は700回記念のオープニング)。

「クイズ100人に聞きました」(下は2000年に放送された一度きりの復刻版)。

「クイズダービー」(下は2000年に放送された一度きりの復刻版)。

もう10年以上前のクイズ番組を懐かしみながら見ています。書評であれだけTVのことについて批判している私ですが、昔はかなりのTVっ子だったというのを思い出させます。
もう一つ考えさせられるのは、昔のTV番組にはいまにはないやり取りが面白く、それに視聴者が釘付けになったのかもしれません。

今となってはコスト削減や、短絡的な面白さばかりが目立つ分、昔のTV番組はどうだったのかというのを見習ったほうがいい。そう言う風に思った今日この頃です。

回復力~失敗からの復活

回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書) 回復力~失敗からの復活 (講談社現代新書)
畑村 洋太郎

講談社  2009-01-16
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「失敗学」で有名な畑村洋太郎氏の一冊である。失敗の後にはどのようにして立ち直り、回復していけばいいのかという観点からして、これぞ「失敗学」という真髄を見せてくれる一冊である。

第1章「人は誰でもうつになる」
いまや日本の社会は「ストレス社会」といわれるほどになった。ひとつの失敗でも神経質になり、それが起こってしまうと精神が崩壊するまで詰られる。本章では著者自身が見聞した話であるが、まさにそのとおりというほかないだろう。ストレスに強い人でもうつになりやすいようなギスギスとした社会となっているのは間違いない事実である。

第2章「失敗で自分が潰れないために大切なこと」
失敗は誰でもいやなものである。しかしその失敗を恐れていては人は何も成長できない。人間誰しも一人でいられることは不可能である。立ち向かうことも重要であるが、失敗を紛らわすためにどうするべきかというのを本章では書かれている。おいしいものを食べたり、逃げたりすることで紛らわすことができるので大筋賛同できるが、唯一「酒を飲む」というのだけは賛同できなかった。失敗から逃げるあまり深酒に陥ってしまい、肉体的にも精神的にも破壊されてしまうおそれがある。

第3章「失敗したら誰の身にも起こること」
私たちはロボットではない。れっきとした「人間」である。
「人間」であるがゆえに「失敗」というのはつきものである。失敗は誰に対してもあるがそれについて責める人も必ずいる。人によってはそれを鵜呑みにして失敗から立ち直れなくなるという人もいる。では失敗に正しく立ち向かうためにはどうすればいいのか。正論というものを鵜呑みにせず、鈍感になることである。
最近では失敗に対してあれこれ追及するする輩が目立つ分、鈍感でいることこそが大事になってくる。

第4章「失敗後の対処」
私自身もたくさんの失敗をつけてきたが、数々の失敗の中で学んだのは「失敗で大事なことは「どうやったら失敗しないか」ではなく、「失敗したらどう対処するか」である」ということである。
理由は同じなのだろうか、本書でも最も多くページ数が裂かれている所である。
まず失敗を認めることが一歩であり、被害を最小にするためにはどうするかという対処を行うことである。
本章で「対処」について、一昨年話題となった食品偽装問題、その中の「赤福」についてを取り上げている。赤福は確かに食品偽装をしたが、健康被害は無く、なぜそれを騒ぎ立てる必要があったのかと著者は疑問を呈し、処分やマスコミの対応も大げさすぎると主張している。
あれからもう1年半以上たっており、もうほとぼりも冷めたことである。しかしこういった問題についてメディアの対応や私たちの感受の仕方というのはこのことを教訓に考え直したほうがいいというのは確かにある。

第5章「失敗に負けない人になる」
失敗に負けないためにはということで事例を紹介しながらあきらめないことが大切である。なんと言っても失敗に負けないためには、
「失敗を記録する」
というのは後々大きな財産となる。成功ばかりが目にすることが多いのだが、その成功にはそれを上回るほどの失敗が重なり、それを糧としていった結果である。

第6章「失敗の準備をしよう」
万事に備えるかのように失敗をイメージすることもひとつである。よく火災や地震を想定した避難訓練というのがあるが、その積み重ねにより被害を最小限に抑えた例はたくさんある。失敗を想定しておけば、万が一の失敗でも冷静に対応できる。

第7章「失敗も時代とともに変わる」
社会は何時でも変わるものである。しかしその失敗も周囲の目が厳しくなり、それが許されないJ豊凶になっていることは間違いない。
失敗はつき物であるという考えが今の社会にあるのだろうかという疑問はあるのだが、コンプライアンスという非常にあいまいな言葉まで飛び出てきた分、寛容性が薄れているのは確かな話である。

第8章「周りが失敗したとき」
周りでも失敗するときはある。そのときはフォローをするということが大切であるという。
本章の最初に「人名優先のインチキは許される」とあるが余り賛同できない。正義感と命を天秤にかけるとしたら命を守っても自分の信念が壊れてしまったら「ただ生きている」ということに他ならないからである。それであったのなら奇麗事かもしれないがもっとも大事なのは自分の心、意思というのが自分の生きる最大の栄養素であると私は考える。
失敗に出くわすことはこれまでの人生でもあり、これからの人生でも起こりうる。最初にも言った「失敗学」の続編というべきであろう。
失敗を恐れている人がいたらぜひ薦めたい一冊である。

なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか

なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか
今枝 仁

扶桑社  2008-04-03
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当ブログ、及び前身の「蔵前トラック」では何度も取り上げた「光市母子殺害事件」。昨年の4月22日に差し戻し審にて被告の元少年に死刑判決が下った。さらに懲戒請求煽動訴訟は和解はされながらも付帯控訴をしており、現在も係争中であるが一応ほとぼりが冷めたということで一寸この本について取り上げてみようと思う。
本書は昨年の春に出版されたもので、元少年を弁護する21人の弁護団の一人であった今枝仁が元少年(本書では「F君」と表記している)の弁護にあたった日々について刻々と述べるとともに、今枝氏自身の弁護士生活にどう影響を受けたのかというのが書かれている一冊である。いつもは1章から順に感想を述べたりしているのだが、今回は光市母子殺害事件を最初に取り上げるため若干順番がずれる。

第1章「光市母子殺害事件[前編]〜解任劇の舞台裏〜」
第2章「光市母子殺害事件[中編]〜「大弁護団」内部での対立〜」
第7章「光市母子殺害事件[後編]〜元弁護人から見た光市事件の真相〜」
事件の内容についてはウィキペディアで明らかになっているのでここでは割愛しておく。ここではこの事件をめぐる裁判についてを取り上げる。最初にも書いたが今枝氏は21人の大弁護団の「一人であった」。というのは今枝氏は他の弁護士、とりわけ主任弁護人であった安田好弘との激しい対立により、解任されたのである。本書ではこの解任劇の舞台裏について詳細に書かれている。特に2章では他の弁護人との軋轢、特に安田弁護士との対立は壮絶だったことが窺える。その対立が頂点に達したのは最高裁の後半の予定日に弁護士数人が欠席し翌月に遅延したことについてのメディアに対する対応であった。本書では「子供の喧嘩」と言っているが、それほどまでに争っている姿を見て私たちは刑事弁護の在り方は何なのか、正義とは何なのかということについて疑わざるを得なくなった。刑事弁護は非常にリスキーな仕事であるのは見聞の範囲でありながらもある程度は理解できるが、その心労が重なってしまったという考えも見てとれる。もっとも安田弁護士はメディア嫌いであり、熱心な死刑廃止論者である。当人は死刑廃止の道具にしたら弁護士失格だと主張しているが、「年報・死刑廃止」に何度も光市母子殺害事件のことについて取り上げているのを見ると今枝氏も「(死刑廃止の)道具に使っているのではないか」と疑い出したとしている。それもまた対立を招いた要因と言える。
後編では事件の争点や真相について書かれている。

第8章「橋本徹弁護士による「懲戒請求」煽動問題」
光市母子殺害事件でもう一つ、諍いが起こったことがある。それは「光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件」というものである。一昨年の5月に某番組にて当時タレント弁護士であった橋下徹氏懲戒請求をしたほうがいいという発言により端を発した事件である。
私は橋下氏の意見に賛成であり、懲戒請求を行ったほうがいいという意見の持ち主であった。それから懲戒請求に関していろいろと勉強したことを覚えている。懲戒請求の在り方については橋下氏の主張には欠陥はあったが、良くも悪くも懲戒請求について風穴を開けた事件と言っても過言ではない。

第3章「心療内科病棟の中で過ごした青春時代」
第4章「夜の街から、司法の世界へ」
第6章「「ノキ弁」からスタートした刑事弁護人」
今枝氏の生涯は本書の見る限り波乱に満ちていた。高校1年で中退し引きこもり、心療内科に入院し、大学に入学するも別の大学へ再入学、水商売でのアルバイトを経て司法の世界に飛び込んだという人生である。今枝氏自身涙もろい性格であるがその人間性はこの引きこもり、心療内科の時代に形成付けられ、水商売でのアルバイトの経験は司法の世界で生きたことが窺えるところであった。

第6章「被害者とともに泣く検察」
第9章「刑事弁護の真髄」
刑事弁護というのは何なのか、刑事訴訟というのは何なのか、そこには法律を超えた人間と人間の理性を用いた戦いというのがあるのではないかというのが私の頭によぎっている。刑事弁護は被告人を助ける。「助ける」というのは無罪を勝ち取るか、もしくは減刑されるかというものである。
では刑事訴訟というのは何か、刑事事件を引き起こした加害者を裁く場と言えばそれまでではある。とはいえ最近では被害者が傍聴できる権利を有することもでき、さらには被害者が証言台に立つことも許されるようになったので被害者の慰めの場という解釈も見てとれる。
「刑事訴訟は誰のためにあるのか?」
国民のためなのか、被害者のためなのか、あるいは…。その答えというのは永遠に定まらない一つの命題であろう。

ほとぼりの冷めた時期に本書を読むと今枝氏の人間性というのがわかるように思えた。しかし本書をこの時期に取り上げた理由はほかにもある。もう何度も書いたが来月の21日には裁判員制度が始まる。おもに死刑や無期懲役を扱う刑事事件に関し、一審のみその制度が適用される。おもにこういった刑事弁護に関してだが、証拠や供述、事件の内容からして有罪は免れないものに限っているというが、あまりその考えには信用できないところもある。裁判員制度の開始はもう避けられない。刑事事件の在り方について様々な角度から考察しなおし、今後の裁判の在り方を議論するということもまた司法改革の一つの種と言えよう。
今枝氏の人間性、刑事弁護人、司法の在り方がよくわかる一冊である。

記憶と情動の脳科学

記憶と情動の脳科学 (ブルーバックス)

著者:L.J. マッガウ

記憶と情動の脳科学 (ブルーバックス)

記憶というのは動物に備わっている力の一つであるが、それは一体どのようにして覚え、忘れると言った取捨選択ができるのかというのは脳科学の分野でもまだまだ解明されていないところが多く、まだまだ不思議と言われるところがある。本書は脳科学の分野から「忘れにくい記憶」のつくられ方について解き明かしている。

第1章「記憶の神秘」
本書を書いた理由、もとい著者(L.J. マッガウ)が記憶の分野を研究しようとした動機について書かれている。著者自身は演劇や音楽を通じていろいろな思い出を残したという。
私も記憶に関して不思議におもうのが音楽に関してである。私は小学校5年生に器楽隊に入ったころから、中学・高校と吹奏楽部、大学では室内管弦楽団とまる12年間音楽に携わり続けた。今でも演奏した曲、どのように演奏したかというのは覚えている。さらに言うと吹奏楽部・室内管弦楽団に所属していた時は真っ先に楽譜を覚えた。担当楽器が低音(吹奏楽時代はチューバ、管弦楽団ではコントラバスを担当していた)だったからというのはご愛敬であるが一度合奏してどう演奏するのかというのをフィーリングで覚えていた。
例えばテストでは文字をひたすら反復して覚える人もいれば前述のようにフィーリングで覚える人もいる。記憶は本当に不思議なものである。

第2章「習慣と記憶」
記憶定着の方法の一つとして「習慣化」というものがある。つまり「無意識」に記憶に植え付けられごく当たり前のことのように動いたり覚えていたりしていることをいう。これについては「パブロフの犬」について取り上げられている。「パブロフの犬」は反射に関する研究ではあるが、後天的に反射をするという観点からここで扱われている。

第3章「短期記憶と長期記憶」
両者の記憶についてを述べているのではなく、健忘症についてや「記憶の固定化」という所についての考察である。短期記憶と長期記憶は前述の事柄については切っても切れないものと言いたいところだが、章題なだけに内容があまりにかけ離れてしまい残念でならなかった。

第4章「記憶を長持ちさせる」
記憶力をよくさせたいというのは誰にもある願望である。しかしこの記憶力を絶対に高めさせるものというのは、おそらくないだろう。最近ではGABAや記憶法というのがあるがこれは個人差があり効果がある人もいれば、全く効果のない人もいる。しかも記憶をよくするというのはいいことばかりのように思えるが、そうではない。忘れ去りたい記憶が忘れられずそのまま引きずってしまうという悲しい人生を歩んでいる人もいる。
記憶は長持ちさせる方法については本章でもイロハはあるが、こればかりは記憶を長持ちさせるデメリットについて述べずにはいられなかった。

第5章「忘れにくい瞬間」
記憶というのはなかなか面白いものでインパクトの強いものはなかなか忘れない。それが強烈であれば強烈であるほど、である。そして忘れにくいものとしては「情動」というのがある。「情動」というのは、
「感情のうち、急速にひき起こされ、その過程が一時的で急激なもの。怒り・恐れ・喜び・悲しみといった意識状態と同時に、顔色が変わる、呼吸や脈搏(みやくはく)が変化する、などの生理的な変化が伴う。情緒。(goo辞書より)」
感情的ではあるがそれよりも、もっと強い感情でもって引き起こした表情や行動と言ったものは記憶に長くとどめられるという。例えば絶対に許せないいじめにあったりする人はその記憶をいつまでたっても引きずっているのがその例であろう。

第6章「歪曲されるがなくならない記憶」
「記憶はウソをつく!」という本があるが、歪曲されて記憶されることは少なくないという。記憶というのは残るものではあるが、必ず正確なものとは言えない。それは個人的な願望や感情、創造性というのが移入されているからである。こういったことはよくあることだが、ではこれをいかにして歪曲を少なくするのかという研究は困難を極めるだろう。しかしこういうことだから「人間」と言え、何でもかんでも正確に記憶できると考えるとそれはコンピュータやロボットになってしまう。人間だからでこそ有している力としてポジティブに考えればいいのかもしれない。

第7章「メモラビリア――まとめ」
「メモラビリア」とは、「記憶する価値のある事柄」という英単語である。「記憶する価値」のあるものは記憶することができるが、それ自体は意識的に記憶できるのかというとそうではない。「記憶する価値のない」ものでもずっと記憶に残っていることはたくさんある。「記憶」は自分の都合よくいくこともあれば、いかないこともあるが、むしろ後者の方が多い。
これを完璧に証明できることはできそうだが、例えできたとしても何十年後という遠い未来となるだろう。証明するだけでもどのようなパターンがあるのかというのは十人十色の如く複雑なものである。「記憶」は様々な分野で解き明かそうとしているが、解き明かした分だけそこには新発見がたくさんある。「脳科学」は実りが多く、それでいて飽きのない学問と言えよう。

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