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菊の御紋章と火炎ビン―「ひめゆりの塔」「伊勢神宮」が燃えた「昭和50年」

菊の御紋章と火炎ビン―「ひめゆりの塔」「伊勢神宮」が燃えた「昭和50年」 菊の御紋章と火炎ビン―「ひめゆりの塔」「伊勢神宮」が燃えた「昭和50年」
佐々 淳行

文藝春秋  2009-04
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ひめゆりの塔」というと沖縄戦、とりわけ終戦前の激戦地、さらには日本領土の数少ない戦場でもあった。その中での戦争の悲しみやいざこざが起き、今でも歴史認識問題により、大江健三郎の「沖縄ノート」問題、「戦陣訓」の一文を守り通すための自殺の強要というのが叫ばれ、訴訟にまでなったのは記憶に新しい。沖縄戦は非常にナーバスな問題の一つであり、私自身もあまりよくわからないところが多いのでこれから学ぶべきものの一つにあるのだが。
さて本書の著者の名を思い浮かぶ人であれば「あさま山荘事件」の警察側指揮官であったというのを思い出すであろう。著者はそれだけではなく、様々な事件にかかわってきた。佐々氏が現役バリバリだったころは左翼の内ゲバや、反体制運動が活発な時であり、先の「あさま山荘事件」も「連合赤軍」による事件であった。「鎮圧」と「革命」の狭間で戦ってきただけあって、本書の文章にはすさまじい重みがある。それを若輩者の私が紹介、そして書評をしてよいものなのか遠慮したくなるところだが、「身をもって闘った男がいた」ということを頭に刻み、これからの人生に役立てればと思っている。
本書は佐々氏の半生を描いたものであるが、そのほとんどが事件とのかかわりについてである。

第一章「沖縄無血返還の大功労者・佐藤栄作死す」
佐藤栄作といえば戦後の首相の中で最も長く在任(7年8カ月)したことで有名であり、沖縄返還の時の首相でもあり、非核三原則を制定したことによって「ノーベル平和賞」を受賞した人であるが、私が最も印象に残ったのは辞任会見である。佐藤栄作は新聞は自分の話したことを曲解させられることが多かったので嫌い、テレビカメラの前で国民に自分自身の思いを伝えようとして新聞記者に出ていくよう言った。しかし「内閣記者会」がそれを抗議し、お詫びをするよう求めたら「出ていってください」と再度言われ、記者たちは全員出て行った。カメラと首相以外誰もいない記者会見場で淡々と辞意を述べていたのは有名であり、今のメディアの問題に通底するものがある。

第二章「「内戦」としての三菱重工業連続企業爆破事件
本章のタイトルにある事件であるが、これは1974年に反日武装戦線「狼」によるテロ事件のことである。ちなみにこの団体は昭和天皇の暗殺事件を企てたこともある。
それだけではなく反日的というよりも安保体制に反対をする新左翼の勃興が著しかった時代であった。

第三章「聖域としての「ひめゆりの塔」」
1972年沖縄が日本に返還されたが、沖縄戦に対する言及や批判ができないくらいひめゆりの塔の「聖域」が成り立っていた時代であった。それも理由の一つとあってか、次章にある「ひめゆりの塔」事件の火種にもなった。

第四章「「ひめゆりの塔」火炎ビン事件の“真相”」
この事件は1975年に当時の皇太子、現在の天皇ご夫妻が戦後初めて沖縄を訪問した時のことである。皇太子殿下らの沖縄上陸を阻止せんと「上陸阻止闘争」を行い、最終的には火炎ビンを投擲したとい事件である。著者はその時の警備責任者であったため本書のタイトルも、そして本書で最も主張したいところであるように思える。

第五章「交響楽『昭和50年』の間奏曲・クアラルンプール事件」
昭和50年は西暦で直すと1975年、前述の「ひめゆりの塔事件」や前年ではあるが「三菱重工爆破事件」といった攻撃的新左翼による事件が頻発した時であった。六十年安保や大学紛争により左翼が隆盛し、70年代初頭には沈静化していったが、その一方で左翼が反体制に向けて過激な事件を起こした。

第六章「「懲戒栄転」で三重県警本部長へ」
第七章「史上初の「伊勢神宮」風日祈宮炎上」
第八章「懐かしの三重県警“昭和グラフィティ”」
第九章「さらば警察庁、今日は防衛庁」
第十章「“晩年課長”の憂鬱」
第十一章「私の考える「天皇制」」
第六章以降は佐々氏自身の遍歴について書かれたところであるが、佐々氏が当たった事件のほとんどが新左翼の過激運動というのが多いように思える。

第十二章「老兵は死なず、ただ書き遺すのみ」
数々の事件などの処理の陣頭指揮を行った所を回想している。
佐々氏は前述のように多くの事件や危機管理に関して陣頭指揮を行った数少ない人物である。「危機管理」に関しても自身の体験が豊富であるため言論にも重みがあり、さらに陣頭指揮を執ったことから「リーダーシップ論」にも言及できる。

企業でも「リーダーシップ」というのが叫ばれているようであるが、いざという時にはこの「リーダーシップ」というのは発揮される。佐々氏はまさに「リーダーシップ」や「危機管理のプロ」を地で行く人であった。本書を読んでそのように思えた。

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