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李登輝の実践哲学―五十時間の対話

李登輝の実践哲学―五十時間の対話 李登輝の実践哲学―五十時間の対話
井尻 秀憲

ミネルヴァ書房  2008-09
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おそらく私の尊敬する李登輝の本の中でこれほど本懐を示したものはないだろう。彼自身自分が学んだ哲学を実践し、学んだ学問を政治の世界で昇華し、台湾民主化を実現させたのだから。本書はその哲学の実践を李登輝自身が学び、実践したものを井尻氏との対談によって明らかにした一冊である。李登輝のことについて学びたい人にとっては若干とっつきにくいので、「李登輝学校の教え(小林よしのりとの共著)」、または漫画で「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論」から読んで本書に入られることをお勧めする。

序章「李登輝の思想と実践」
李登輝が総統の座を退いてもうすぐで9年になる。その後も日本のチャイナロビーの政治家たちからは警戒視され、中国共産党も要注意人物としていまだに挙げられている。
ここではなぜ李登輝を取り上げたのかについて書かれている。李登輝が台湾民主化を果たしたのは言うまでもないが、なぜ彼が民主化を果たせたのか。そこには哲学気なし層がバックグラウンドとしているに他ならないという。
李登輝自身は学生のころから日本文学や哲学などを愛読し、そして哲学を徹底的に実践して行った人である。李登輝ほど、哲学を実践した政治家はいない。そう確信しているのだろうか。
第Ⅰ部「実践哲学とは何か」
第1章「李登輝の「死生観」」
李登輝はずっと「死」と向き合っていた。その中でも最たるものは「自我の死」についてである。我が強いと悟った李登輝は中学の時には冬の日には毎朝池に入って瞑想したり、剣道の練習でも自分の体力の限界まで一生懸命練習したり、毎朝トイレ掃除をして自分の死と向き合っていたという。本章で薦められた本を紹介すると、倉田百三の「出家とその弟子」、カーライルの「衣装哲学」、ゲーテの「ファウスト」である。
余談であるが李登輝に言わせれば中国の古典は役に立たないという。自身の経験からによるものだが、ちょっと衝撃的であった(それに関する文献は第3章で紹介している)。

第2章「李登輝の心に残る本――その資質と実践哲学、政策との基本概念」
実践哲学を語る上で第1章で紹介した本が参考になったと李登輝は言う。そのほかにも、西田幾多郎の「善の研究」と新渡戸稲造の「武士道」を挙げている。武士道というと6年前に李登輝自身が「武士道解題」という本を出版されたほどである。

第3章「漱石、魯迅と李登輝」
夏目漱石と魯迅の本について紹介している。夏目漱石は「私の個人主義」にて「則天去私」を唱えているが、当時は明治維新により西洋文化が大量に取り入れられていること、まねしていることを憂いて晩年この言葉を多用した。第1章の最後で述べたものだが魯迅の「阿Q正伝」というのを取り上げている。これは中国の面子を守る文化を嘆いた作品である。これは今の台湾についても少しいえることであり、独裁者であった蒋介石も面子を汚すことを激しく嫌っていた所以なのかもしれない。本章ではこの作品は取り上げず、「一つの偶然」との共通伝でもって取り上げられている。
第4章「指導者とは」
ここでは「最高指導者の条件」と重なる部分はある。日本の指導者のあるべき姿、日本のあるべき姿に関してである。李登輝が指導者としての素養を育ませたのは蒋経国(蒋介石の長男、李登輝が総統になる前の総統)によるものだという。この経験から指導者としての素養を学び、台北市長、副総統と駆け上がり、88年に総統になった。
第Ⅱ部「12年の施政とその後の台湾」
第5章「民主化の陣痛――1988〜94年」
さてここからは李登輝が総統になった歴史にすいて書かれている。李登輝が総統になった機関は88年から2000年までの12年間である。最初は88年から94年について書かれている。当時は傀儡になるのだろうと誰もが予想したのだが、周囲の考えを大きく裏切り、それまでずっと規制されてきた言論の自由を認め、軍の実権を掌握し、1992年には事実上万年国会を解消し議会選挙を解消した。
第6章「中国の軍事圧力に抗して――1995〜2000年」
それから台北など主要都市長の選挙も行われ、96年には総統選挙が行われほぼ完全に民主化にいたった。しかしその民主選挙の最中、中国では軍事演習と称してミサイル実験を行い、威嚇をしたことも忘れてはならない。李登輝が台湾総統となってから台中関係の緊張状態はいっそう強くなったといってもいい。
そして政権末期に大きな事件が起こった。1999年の台湾大震災(921大地震)である。台湾大震災のときは総統自身迅速な行動により、多くの命が救われた。
第7章「陳水扁当選・再選とその後」
2000年に総統選が行われ陳水扁が当選したことにより台湾初の政権交代となった。与党となった民進党は少数であり、しかも政権を担当したことがなかったため四苦八苦の船出となり、終始瞑想し続けてしまい、8年後政権を失った。
第8章「台湾が歩む中道路線とは」
台湾が歩む路線はいったいどこなのか、中国と仲良くなればいいのか、それとも台湾を独立させたほうがいいのかというのはまだまだ迷走している。現在の総統は国民党の馬英九であるが、日本の報道によれば彼はかなり中国よりであるとしている。しかし李登輝に言わせれば馬英九ははっきりとした意見を持っておらず、かえって中国にとって危険人物視されているという。
第9章「2008年立法委員選と総統選挙」
2008年の立法委員選も総統選挙でも国民党の圧勝に終わった。これについて李登輝氏は馬英九氏には古い国民党意識を改革させるよう言及している。ちなみに李登輝は対日などの政策において馬英九を支持しているが、沖縄での講演において暗に批判している。
終章「李登輝巡礼」
李登輝はどのような人物なのか、哲学的分析しても著者自身でもってしてもわからない部分があるという。私もこれまで李登輝についていろいろと文献を読み通してきたが、まだまだ李登輝についてわからないところがある。おそらくそれ自体、結論を得ることができないのか、結論が得られるとしてもかなり時間のかかることになるのだろう。
だが私は李登輝を尊敬しており、まだまだ李登輝について知りたいところがある。そのためにの努力は惜しまない所存である。

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