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2009年2月

28歳までに他社からスカウトされる人脈術

28歳までに他社からスカウトされる人脈術 28歳までに他社からスカウトされる人脈術
坂田 篤史

ダイヤモンド社  2008-04-18
売り上げランキング : 211359

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ロジカル・ブランディング」として今もコンサルタントとして、ブランディングとして名をはせており、先日のセミナーの講師であった坂田篤史氏の1冊である。初めてお会いしたのは昨年の読書パーティーの時である。名前や人柄についてはブログ伝いで知ってはいたが「ロジカル」を極めた風貌と話し方、そしてブログでの蜂の一刺しにも勝る論調は人気が高いという何よりの証拠である。ちなみに著者はまだ29歳。私の6つ上である。しかし人脈の差は雲泥の差である。かたや本書を出すほど人脈を極めた方。かたやまだ駆け出しで人脈作りも分かっていない小坊主。本書はそんな小坊主がこういった人たちのための人脈の気付き方について著者の手法を完全に暴露したものである。それゆえ具体的な記述が多いことから実践している人も多い。
Chapter 1「28歳までの人脈がなぜスカウトにつながるのか」
かの藤巻幸夫は「20代のうちに人脈を築くのは難しい(p.18より)」と主張しているが、著者はそれに自分の実績を交えながら異を唱えている。人脈は目的をもって、さらに成功した人たちのことを学びとりながら築いていくことによって可能であるという。
Chapter 2「20代に築いた人脈がビジネス人生を大きく変える」
さて人脈を築くことは何なのかということになるが、著者によると人脈は「「チャンス」と「知恵」のレバレッジ」を生み出すという(p.50より)。そのためにはセミナーや交流会に目的意識をもって積極的に「自己投資」をするということが基本中の基本であるという。ここまではごく一般に出回っている人脈本となんら変わらない。
Chapter 3「「20代」で一歩抜け出すための人脈術」
ここから著者の色が出てくる。セミナーに参加をするため、講師や主催者にどのようなアプローチをするべきなのかということが書かれている。例えば、
参加前にメールを送る(p.80より)。
参加後には手紙を書く(p.81より)。
名刺のほかにプロフィール・シートで売り込む(p.90より)。
ということを著者は行っているという。さらに細かい工夫までなされているが、あまり書きすぎると完全にネタばらしとなってしまうため割愛する。
Chapter 4 「人を動かし、自分を成長させる人脈術」
人脈を広げるための心得、メンター、そして人脈構成では最もおろそかになりやすい社内人脈と言ったところまで書かれている。
Chapter 5「成功するためのチャンスのつかみ方」
ここでは「歯車理論」が大きな要となっているように思える。現にこう言った著書を出版することができたのはこの理論のおかげであるのだから。
Chapter 6「人から「応援される」ために必要なこと」
人から応援されるためには「与える人」でなければならない。レバレッジで有名な本田直之の「ギブ・アンド・ギブ」というのがまさにそれにあたるのだろう。
最後に本書の人脈術はかなり実用的で、翌日から実践しやすくできている。事実本書の人脈術でスカウトされた方もいる。それだけの自身があるからでこそ本書が出ているのだと思う。ただ本書が発売されたのは昨年の4月。すでにたくさんの人が実践している。そうなると人脈本で実践をするのも永久モノとは言えなくなる。そしてまた新たな人脈本が出てきてそれがまた当たり前となってくる。人脈はフォーマットがないためそういった循環があると思う。
簡単な結論を言うと人脈づくりは難しいということか。

クジラは誰のものか

クジラは誰のものか (ちくま新書) クジラは誰のものか (ちくま新書)
秋道 智彌

筑摩書房  2009-01
売り上げランキング : 332429

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今、それほどでもないが先日にはシー・シェパードが日本の調査捕鯨船を妨害工作をしたという事件があった。当ブログでも昨年末に「日本人とクジラ」でもって共生の在り方を主張してきたが、クジラについての再認識が必要であると考え本書を手に取った。
序章「クジラと人間」
捕鯨問題は日本の食文化にも大きく影響を及ぼすと考えると本書で言う「試金石」というのはまさにその通りであろう。捕鯨問題は環境問題や動物愛護の問題という観点で捉えがちではあるがもっと広げると「文化の問題」でもある。そう考えるととてもナイーブのように思えるが主張するべきところは主張しなくてはいけないということにもなる。
第一章「クジラの浜」
まずは日本における鯨文化のルーツを探っている。私自身こう言ったルーツを見るのは初めてなので少し詳しく取り上げることにする。クジラ文化の歴史は非常に長く、縄文・弥生時代からあるという。その証拠には列島の遺跡の中にクジラの骨の化石がいくつも発掘されており、そのことから捕鯨し、クジラを食していたことが容易に想像できる。それだけではなくクジラの骨を使った道具も発掘されており、いかに古代からクジラと縁が深かったのかというのが見て取れる。
第二章「クジラの経済学」
捕鯨問題を議論するための要素としてそれぞれの地域や文化というのを考慮しなければならないが、いかんせん国際会議の場。それがまかり通らないという理不尽な議論が淘汰されている。しかも「グローバル」や「グローバリゼーション」というように文化の画一性を目論んでいる国もあるように、最初に述べた考慮は先進国から強く主張していかなければ成り立たないというのが現状であろう。
さてクジラというのはあまりに保護されすぎてもマイナスの面があることはご存じだろうか。それはクジラが食べる1日の魚の量である。
「推計であるが、クジラが捕食する魚類は世界全体で年間に2億から5億トン、人間による漁獲量9000万トンを遥かに凌ぐ量であるという(p.52より)」
この記述を見る限り、捕鯨されずに、クジラが野放しにされるとほかの魚を捕ることができず、漁獲量が減少する、日本の魚食文化が薄れ、最悪廃れていってしまうという図式になりかねない。今日では世界的に「日本食」が認知され、さらに中国の経済成長もあり、魚介類の需要量が急速に増したこともあり、捕鯨問題を深刻化させている要因の一つとして挙げられる。
少し話は変わるが、クジラによって日本は様々な恩恵を受けたことは間違いない。というのは明治時代に入るまで仏教の教えにより肉食は禁忌とされてきた。今のように牛肉や豚肉といった動物は食べられなかった。その分重宝されていたのが鯨肉であった。それだけではなく、クジラ油を用いて食糧や農薬などの役割を果たしてきたことから最も効率的に消費できる動物としても挙げられる。
第三章「クジラと日本文化」
クジラは生物学上では「哺乳類」とされているが、知能的に人間であったり、えら呼吸しているから魚であったりとはっきりしない。これ自体でも捕鯨問題の議論の対象になっているのだからある意味ではた迷惑な対象であると私は思う。
第四章「クジラと政治」
クジラ保護をめぐる議論が行われるのがIWCという機関である。このIWCでもって論争がおこなわれているが、反捕鯨国というのはどこの国々であるかというと、アメリカやオーストラリア、EU諸国の一部も反捕鯨国である。日本はというとその逆の捕鯨推進国に属している。捕鯨推進国は日本のように昔から捕鯨文化が栄えていたところもあれば、鯨が主食とされている先住民族の住む北極に近い国々と言ったところなどが挙げられる。本書では反捕鯨国の意見の矛盾を突いている(前述のような先住民族を例にとっている)。
第五章「クジラとコモンズ」
クジラの所有者は誰なのかという所から本章は始まる。なぜそれを問われるのかというと、1994年に遡る。この年に「南極海聖域案」というのが可決された。これは何かというと南極海の周辺での捕鯨を一切禁止するというもの、日本では商業捕鯨は20年前から禁止されているため、クジラを調査するという目的で「調査捕鯨」を行っている。その調査の余剰物でクジラの肉を生産している。前述の案はこう言った「調査捕鯨」ですら禁止されるというものである。反捕鯨国の推進により可決されたがではこのようなことを行うことにより「クジラというのは誰のものなのか」というのが浮き彫りになってくるのは当然であろう。おそらくこう書いていくうちに「反捕鯨国のもの」というのが色濃く出ているようにしか思えない。「反捕鯨国」のエゴによってこう言ったことがまかり通っているという現状でもある。
第六章「クジラと人間の好ましい共存とは」
これまで反捕鯨国のリードにより聖域化や商業捕鯨の禁止などが盛り込まれてきたがそれによる弊害も起っている。前述のようなことばかりではなく、3年前にフェリーがクジラと衝突した事故が起こっている。こう言ったことも言及する必要があるのだが、反捕鯨国はこれについて「フェリーが悪い」という1点張りになる。では過剰というべき保護を行うことにより章題のような「好ましい共存」となっているのかというと、非常に疑わしい。前述のような事件がそれを物語っている。では本当の共存とは一体何なのかという考えだが、これからの捕鯨社会の永遠の課題の1つというほかない。
前に書評したものは「日本とクジラ」の歴史が中心であったが、今回はもう少しニュース性に富んだものである。ニュースで捕鯨に関することから関心を持った人であればこっちから入ったほうがすんなりと捕鯨文化について学ぶことが可能である。

仕事がぐんぐんパワーアップ ビジネスメール 「こころ」の伝え方教えます

仕事がぐんぐんパワーアップ ビジネスメール 「こころ」の伝え方教えます (@ベーシックシリーズ) 仕事がぐんぐんパワーアップ ビジネスメール 「こころ」の伝え方教えます (@ベーシックシリーズ)
平野 友朗

技術評論社  2009-02-14
売り上げランキング : 92776

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著者の平野様より献本御礼。
今年の4月からいよいよ新社会人として社会に飛び込んでくる。しかしいきなり職場に配属されて実務に入るところはほとんどないと言っていいだろう。まず新社会人になったら何をやるかというとビジネスマナーであろう。ビジネスマナーというと挨拶から始まり、名刺交換、席順というような基礎的なことを行う。
しかし最近ではメールを使うことが増えており、メールのビジネスマナーが重要視されている。しかしこの研修を行っているところは増えては来ているものの、まだまだ少ないというのが現状である。
本書はメールの入門から実践に至るまで網羅されている新しい「バイブル」という位置づけである。
1章「基礎編 これだけは知っておきたいメール基礎知識」
まずはメールの仕組みとメールの送り方についての基本中の基本をここで述べている。連絡手段として電話や対面のほかにメールの位置付けがあるようだが便利のあまり重要な連絡、もしくは重大な連絡をもメールで済ます人がいる。しかしその使い分けをはじめとした基礎的なことがなければメールによるコミュニケーションが思わぬ方向に向かってしまうのでここは習得しておくべき。
2章「実践編 仕事をスムーズに進める基本のメールテクニック」
基礎を学んだら今度は実践編。いくつかのケースがあるがまずは社内のホウレンソウのためのメールの使い方を抑えたほうがいいだろう。次に得意先へのメールという段取りでやった方がいいと私は思った。
3章「活用編 言いにくいことも、うまく伝える! 一歩進んだメールテクニック」
メールを使うにも特に気をつけなければいけないのがお詫び、督促というものである。文面ひとつで相手の機嫌を損なわせ、最悪取引が中止になり、大損害をこうむってしまうため、こう言ったメールに困った時には身につけておきたい所である。新入社員が学んでおきたい所はまず第1章全部と、第2章の社内関係のものの順にやるといい。あとはそれぞれの業態に応じて学んでいったほうが得策である。
4章「応用編 効率化と能率アップのためのメール活用法」
さてここではケースというよりも効率の良いメールの送り方について書かれている。メールの作業が多い人にとってはこれほど重要なところはない。そうでなくとも少しでも業務を効率化させるためには押さえておきたい所である。
メール作業をどのように効率化する、もしくは相手に好感をもっていただく、報・連・相を円滑にするという効果をもたらすために押さえておきたいメールマナーが全部詰まっている。メールで悩んでいる人のみならず、これから新入社員として社会人の世界に飛び込む人はぜひ読んだ方がいい1冊である。

精神科外来

精神科外来 (角川oneテーマ21) 精神科外来 (角川oneテーマ21)
大森 徹郎

角川書店  2005-02
売り上げランキング : 801967

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ちょっと前にもいったが21世紀は「心の世紀」である。
最近では「うつ病」などの精神的な病に冒される人が大変増えている。またこれに関する予備軍も多くいることから本書のタイトルにある「精神科外来」というのが急増することが予想される。しかしそれが急増されたからと言っても精神科医の人手不足になることは確実視されており、その人口を増やすべく大学ではそれに関する医学生の人員を増加させる。しかしそれが活躍の場に移されるのは数年後になる。人員的に解決できるとすればまだまだ先の話になることは間違いない。
本書は精神科外来にまつわり、どのようなものがあるのか、治療・もしくは予防方法、処方箋について網羅している。
1.「精神科外来は急増中」
精神科外来は急増しているというが、一手に「精神科外来」と言われても「精神科」や「神経科」「精神神経科」「心療内科」など多岐にわたる。しかしよく考えてみたら「精神」と「神経」であれば精神のみ影響を及ぼしているか精神によって肉体的な神経に影響を及ぼしているかというのがわかるが、「精神神経」や「心療」という所まで来るとその線引きもはっきりしなくなる。線引きははっきりさせたほうがいいと思ったのは私だけか。
精神科外来が急増したわけにはうつ病の増加もある。職場環境によるものが大多数であるが、メディアにも功罪はあると本章では断じている。「うつ」を取り上げることが多くなることによって「もしかしたら自分が鬱なのではないのか」と勘繰ってしまう、もしくはそう思わせてしまうということが要因である。
2.「精神科外来には、こんな人がやって来ます」
精神的に病んでいると言っても様々な種類がある。全部挙げると、
①眠れない
②元気が出ない
③食べられない
④「不安」がある
⑤わかってはいるが、やめられない
⑥世界が、ある日変わった感じ
⑦人間関係が保てない
⑧自殺未遂があった
軽い順になっているように見える。一番下にいったら重度と言っていいだろう。ただし①と③といった複合的なものもあるため一概に1つだけ該当するばかりではない。
3.「精神科外来は、こんなところです」
精神科外来の流れをここで説明している。普通の外来とほぼそっくりだろう。唯一違うという所は次で詳しく述べる診断方法や治療方法と言ったところだろう。
4.「精神科外来の診断と治療」
普通風邪などの病気の診断は、さまざまな道具を使って金があるのかを確認するということから始まる。ところが精神病であったらそうにはいかず、そう言った症状を図るためにある心理テストを行うことで病気を判明させるという方法を用いる。そしてそこから治療に入っていくわけだが、薬に関しては次で説明することにして、こう言ったものを両方するには音楽といった媒体での治療、もしくは医者と患者とのコニュミケーションのみでつかわす「カウンセリング」というのが主である。
5.「医者とくすりにできること」
治療方法の中にくすりを使うと書いたが向精神剤や抗うつ剤というように、精神的に打つを抑えるか、もしくは精神的不安定を和らげるような薬がある。
6.「家族にできること」
家族にできることは一つかもしれない。相手がうつだと思ったら病院に連れていくこと。ただそれだけなのかもしれない。病院大がもったいないからと言って自分の家で解決できると考えてしまうほど痛い目にあうものはない。
7.「これからの精神科外来」
これから精神的に病む人は急増の一途をたどるだろう。最近では子供の精神病も深刻になっている今、子ども、大人双方とも精神医学の研究が急務と言えるが、精神科に関する研究機関が少ないというのもまた困りものである(とりわけ大学病院ではわずかしかない)。精神にまつわる研究が進むと同時に精神病になった時の応急処置というものもでてき始めていいころであると思う。
最初にも言ったが21世紀は「心の世紀」、心的なものをいかにして解決すべきかによって日本の精神医療はリードできるのかもしれない。

大企業のウェブはなぜつまらないのか―顧客との対話に取り組む時機と戦略

大企業のウェブはなぜつまらないのか―顧客との対話に取り組む時機と戦略 大企業のウェブはなぜつまらないのか―顧客との対話に取り組む時機と戦略
本荘修二

ダイヤモンド社  2007-02-17
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著者の本荘様より献本御礼。
大企業のウェブについては社内言芸のクローズドなものを除いて就職活動などでよく見ることがあった。最近ではそれほど多くは見ないのだが。
本書は大企業がなぜウェブがなぜ詰まらないのかというタイトルだが、前書きで書かれているとおり「経営書」として経営学的観点から考察し、企業のウェブ戦略としてどのような方法であるべきかを指南している。
イントロダクション「本当の課題――大企業にとって「ネット化」の真の意味とは」
昨今ではWeb2.0ブームである。Web2.0というとMixiやGREEをはじめとしたSNS、YouTubeなどの動画共有サイトなどの「共有」というのが中心となる。著者にとってみれば「バズワード」であるとしている。「バズワード」とは、
「一般専門用語のように見えるがそうではなく、明確な合意や定義のない用語のこと(p.17)」
ということである。つまりこのWeb2.0は明確な表現はなくその幻想に踊らされているとも言うべきだろうか。
大企業ではこのようなウェブを取り入れるというのは様々な意見がある。しかし大企業での経営課題がネットの貢献性にどのようにかかわて来るのかというのはまだ未知数のところがある。それがまだ未知数なのかというと保守体質によりウェブが受け入れられていないというのもまた一つの理由として挙げられる。さらにはウェブを取り入れると言っても企業HPや連絡を円滑に進めるだけの「ツール」でしかないため本来の「ウェブ」の役割を担っていないのではないのかということもある。本書はそういったことにどう立ち向かっていくのかについても述べている。
第一章「現在の地図――冷静にネット化を俯瞰する」
今、ネット普及は急速に進んでいるものの、それに関して肯定的な意見もあれば、懐疑的、もしくは否定的な意見を持っている人もいる。ただウェブを取り入れる人の中には前述のようなツールしか思いつかない人も少なくない。
第二章「ネット化社会――変わる顧客・変わる社会」
少し話が変わる。ここではブログなどのネットコンテンツの増加がいかにして社会に影響を及ぼしているのかということが書かれている。例えばブログでは日本で言う所で、徒然日記がほどんどであるが、時事性に富んだものから書評、あるいは料理のレシピを公開するというものまで網羅されている。
第三章「インパクト――企業にとっての市場変化の意味」
ネットの普及により従来のマーケティングにも変化の兆しを見せている。例えばマーケティング用語で「AIDMA(Action:注意、Interest:興味・関心、Desire:欲求、Memory:記憶、Action:行動)」の法則があるが、これに代わってSearch(検索)やShare(共有)というようなネット特有の購買行動も出てきた。
第四章「限界の訪れ――従来型戦略の問題点と解決の方向性」
既存メディアとの付き合い方だが今回は簡単に書くことにする(本格的に書くとこれだけで終わるような気がするので)。
ネット普及により既存メディアは窮地に立たされている。例えば広告収入はgoogleなどのネット媒体に持っていかれ、最近のTVCMはパチンコか消費者金融が多数を占めている様相である。さらにTVニュースや新聞もそれほど読まれなくなり、ネットで済ますという人も多くなった。しかしこう言った既存メディアは私の考えではなくならない。しかしずっと同じような状態を保つのかというとネットの普及により何らかの形で変化するだろうと思う。
第五章「予兆――大企業のネット化の先行事例」
イントロダクションで述べたが、大企業がウェブを取り入れるということを先立って行っている事例を本章で取り上げられている。
第六章「協調する組織――マルチチャネルの顧客戦略と企業のあり方」
顧客目線でのウェブ戦略の在り方について書かれている。とりわけネットにおけるチャネルと既存のチャネルを組み合わせて行っているところもある。さらにマルチチャネルの戦略を行うことにより第三章で述べた購買の変化に対応できる。
第七章「ロードマップ――大企業のネット化に必要なアクション」
これまでは事例やネット業界の現状などを取り上げてきた。それでは企業がネット戦略をやろうとするが、一体どころから手をつけたらいいのかという所で窮するだろう。ネット戦略の取り上げ方について本章でじっくり述べている。
第八章「推進力――イノベーションとしてのネット化マネジメント」
企業がネットを取り入れると言ってもその中でネガティブな要素はいくつかある。それを乗り越えるにはどうすればいいか。それが解決してさらに推し進めるためにはどうすればいいかという所を述べている。
最近では、企業のネット戦略はだんだんと行われてきているのだが、それでも遅れていると言いざるを得ないのが現状である。とりわけ世界恐慌となれば保守体質という殻に閉じこもり、リストラや経費削減といった対策を地道に行うばかりでしかないという考えを持つ経営陣もいることだから困りものである。そう言う時にこそこう言ったウェブ、ネット戦略というのがモノをいう時代に入ってきたのではなかろうか。

ゆるしの法則

ゆるしの法則 ゆるしの法則
ジェラルド・G・ジャンポルスキー 堤 江実

サンマーク出版  2008-02-05
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21世紀は「心の世紀」と言われるだろう。少なくとも日本ではその通りになることは確信している。というのは戦後高度経済成長により物的には急速に豊かになった。しかしそれが反比例するかのように心が貧しくなっているようでならない。地域コミュニティが薄弱化し、他人に対する関心が薄れ、いじめや妬みというのが顕著になり、さらに大人たちでも「モンスター・ペアレント」や「クレーマー」の存在が明るみに出始めた。ではこれを一手に解決すればいいのかというと、私は「足るを知る」という意識をつけるべきと言いたいところだが、最近では24時間営業のコンビニやスーパーをはじめ何でも手に入るようにあり、便利な社会になった今、こういった意識を持てるのかというと疑問でならない。「心」というとうつ病などの「心の病」に冒される人もだんだん増えており、世界恐慌によりこう言った人が増えていくのは間違いないだろう。
さて本書はこの心の病を取り除くべく「ゆるし」を用いて過去の呪縛を解き放ち自分を解放する方法を伝授している1冊である。「ゆるし」を漢字変換すると「許し」や「赦し」というのがあるが、おそらく本書で述べられている「ゆるし」は後者であろう。
第一部「罪の意識にさよならを!」
まずは「ゆるしの法則」概念編。
ここで多く述べられたのが「愛」と「エゴ」である。「愛 = 善」「エゴ = 悪」というような図式がこの部で考えられる。
ではここで言う「エゴ」とは一体何なのか。
「エゴは、過去の経験に基づいて未来を予言することに非常なエネルギーを注ぎ、私たちに、このからだや人格は、偶然に目的もなくあらわれたものであり、どうすることもできない出来事や状況のままに生きるよりほかないのだと信じ込ませます。(p.33より)」
自分を信じ込ませて、すべてを享受させて生きる。それの材料になるのが「過去」であるという。つまり「過去」にとらわれて未来を見出しそれを踏まえて生きていることが「エゴ」であると。
第二部「「ゆるしの法則」を実践する」
続いて実践編。以下の内容である。
・ゆるすこと
・愛を選ぶこと
・傷つけないこと
・限界を取り除くこと
・怖れないこと
・死の恐怖を持たないこと
・与えること
・自分を解放すること
・愛を知ること
・自由を宣言すること
・批判しないこと
・受け取ること
・望むこと
・攻撃しないこと
全体を通してわからないでもないが、どうやら宗教、とりわけキリスト教の要素が非常に強い。果たしてそれで幸せになるのかという邪推さえする。
本書はスピリチュアルといった要素が強いので、それを信じない私としては受け入れがたいものである。もしそう言ったことを信じ切っている人にとってはこれ以上にない良書かもしれないが。

ジャパンクールと情報革命

ジャパンクールと情報革命 (アスキー新書 81) ジャパンクールと情報革命 (アスキー新書 81)
奥野卓司

アスキー・メディアワークス  2008-10-09
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ジャパンクールというと以前にも何度か取り上げたことがある。その時に私は日本のアニメや漫画は人気を集めているが日本では収益も出る、及び戦略が確立されていないためハリウッドなどの海外メディアに収益を奪われている。兆しはあるもののまだまだ油断できないと言ったところである。しかし世界恐慌の煽りにより派遣切りや内定取り消しなどが相次ぐ中、アニメ制作業界でも急伸の大手といわれる「GONZO」でも人員の4分の1を削減を行った。アニメ業界でも例外なく世界恐慌による地殻変動の波が起こり始めたと言ってもいいだろう。
さて本書ではジャパンクールによる「モノづくり」から「モノ語りづくり」への変容を予見したものである。
第1章「日本は「モノづくり」大国か」
日本は「モノづくり」大国と言える。それは高度経済成長期以降の家電の急速な普及や、それまでの「戦後最長の好景気」時の自動車の需要拡大により「モノづくり」という分野で経済的にリードしていた。ただ不況になるとこう言ったモノづくりが売れなくなってしまうため他分野でシフトしなければいけない。例えば情報といったものがある。今は世界恐慌によりモノが売れないとしたら情報の売り方がカギとなる。
第2章「「涼宮ハルヒ」の教えたこと」
「涼宮ハルヒの憂鬱」というのが3年前にアニメで放映されDVDとなったが今もその熱はやむ気配がない。最近では動画で「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」と「にょろーんちゅるやさん」というようなものまで出ている(私は見たことがないが、角川アニメチャンネルにて配信されている)。この「涼宮ハルヒ」シリーズは角川書店だが、インターネットを用いて知的表現を用いて世界的に認知させるという戦略をもっていた。しかしその弊害が動画共有サイトへのアニメ番組配信という著作権違反が横行されている現象が起こっている。ただこれに関しての罰則規定がほとんどないというのも抜け穴の一つとされており、動画配信にまつわる著作権のガイドラインの構築が急務と言える。
第3章「工業社会のあとに「情報社会」が来るという嘘――江戸時代は「情報社会」だった」
副題を見るに目を疑う。ただわからないでもない。
高校ではだれでも「世界史」という科目を受けたことがあるだろう(履修不足で受けなかった人も一部にはいたようだが)。この「世界史」という名前は実は大きな嘘でこの「世界史」で学ぶ大部分は「西欧」のことについてであるので簡単にいえば「西欧史」と言ったほうが正しいという。私もその通りと言いたい。「世界史」として各国の歴史を学ぶとなると、西欧のみならずイスラム圏、アフリカ、中国大陸の王朝、朝鮮大陸の王朝など枚挙にいとまがない。それを全部学んで初めて「世界史」として成り立つのだから「西欧=世界」というまぼろしを文科省が意図的に繰り出しているようにしか思えない。
さて本書の副題にある江戸時代は「情報社会」であったということについてだが、古典落語や歌舞伎にある。第2章で詳しく述べたのだが著作権問題の在り方について書かれたが、それに落語や歌舞伎はつくった人が分かっておらず、誰でも演じることができたということを考えると、この著作権問題に一石投じる材料になるかもしれない、が古典落語の中には「怪談牡丹灯篭」や「真景累ヶ淵(しんけいかさねがぶち)」のように誰がつくったのかはっきりしているものもある。それについても考えていく必要もある。
第4章「「モノづくり社会」から「モノ語りづくり社会」へ」
「モノ語りづくり」は簡単に言うと日本のアニメなどのコンテンツである。世界中で「ジャパンクール」と呼ばれているほど世界的に日本のアニメが大人気である。それによって日本の文化を触れようとする動きもあるが、それが顕著なのが台湾である。台湾では「哈日族(ハーリーズー)」と呼ばれる知日、もしくは日本の文化が大好きな人がいる。その語源となったのが漫画家の哈日杏子(ハーリーキョウコ)であるが、その影響が非常に強い。
第5章「東アジアの「モノ語りづくり」産業――台湾・韓国・中国へと伝播するジャパンクール」
台湾では日本の秋葉原のようにアニメショップができている。そこでもアニメグッズが人気を呼んでいるようだが、台湾のほかにも韓国や中国でも日本の文化について人気を呼んでいる。特に中国でもアニメ、いわゆる「日本動漫」というのが人気を呼び、歴史認識で「反日」でありながら、前述による「知日」という二面性を持った若者が多い。しかし中国当局はそれを許すはずもなく、ゴールデンタイムでの外国アニメの放映を禁止するということを行った。
第6章「農耕社会・日本が情報社会に生きる道――アニメ・アニマル・アミニズム」
「モノ語りづくり」は今に始まったことではなく古くから存在する。例えば日本最古の恋愛小説である「源氏物語」をはじめ数多くの物語があり、さらに安藤広重(歌川広重)や葛飾北斎の画に関してもこの日本における産物と言える。アニメの中には動物や植物という生物との会話という日本民族を如実に描かれている作品まで言及している。
第7章「情報社会のユーザーの姿を探る法――今振り返る江戸時代型「モノ語りづくり」」
情報社会と言われているがそれをどのようにして創作者に収益を上げる(本書では「お布施がまわる」)仕組みを作るべきなのかというのが課題である。本書を読んで最初の結論の補足となったに過ぎないが、しかし「ジャパンクール」の最大の課題は著作権問題にしろ、コンテンツの問題にしろ、最終的にはそこに行き着くのではないかと私は思う。

黄砂―その謎を追う

黄砂―その謎を追う 黄砂―その謎を追う
岩坂 泰信

紀伊國屋書店  2006-03
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季節もだんだん春に近付いてきたが、春になってくると、逆に冬に逆戻りするようになる。水前寺清子の受け売りではないが「三歩進んで二歩下がる」というような状態を繰り返しているように思えてならない。
さらにちょうどこの時期は日本でも黄砂に見舞われる時期である。黄砂は中国大陸からやってきており、いわゆる「偏西風」にのって日本に来る。とりわけ黄砂にあうのは九州をはじめとした西部にかけてである。ではこの黄砂とは一体何なのか、黄砂はどのようにしてできるのかということについて知る必要がある。
1.「黄砂とはなんだろう――所変われば黄砂も変わる」
黄砂は日本では春の風物詩とされているが、中国や韓国では外出が自粛・もしくは禁止されたり、スポーツ大会が延期になったり、学校が閉鎖されたりすることがあるという。黄砂による呼吸器疾患が起こる可能性があるという。黄砂によって良影響と悪影響の両面についてもある。良影響というと顕著なのが酸性雨の緩和である。とりわけ中国では郊外により酸性雨が深刻になるのだが、黄砂によって中和され雨の酸性度を測るPHでは日本よりも高い。悪影響というと人的には前述の呼吸器疾患が挙げられる。ほかにもひどさによるが作物への影響、さらには住宅などの建造物の崩壊もあるという。悪い面のほうが多いようだ。
2.「大空を浮遊する黄砂」
気象衛星の「ひまわり」と人工衛星の「ライダー」によって黄砂が観測できるという。特に春の時期には黄砂が流れるさまがまるで雲の動きのようにはっきりと表れる。「ライダー」は本書で詳しく述べているのでここでは簡単に述べるがレーザー光によって大気中にあるチリやゴミを判別する人工衛星である。黄砂の全貌を明らかにすべく、本書のためにというわけではないのだが空から黄砂を捕獲することに成功した。その結果の詳細は後半述べることになっているのだが黄砂は「空飛ぶ化学工場」であるという。どうやら酸性雨の中和と大きく関係しているようだ。
3.「上空を浮遊している黄砂をつかまえる」
ではこの黄砂をつかまえるにはどうやってつかまえたのかというのをここで紹介している。航空機ではつかまえにくく、どのような方法でやったのかというのも自分でも不思議ではならなかったのだがどうやら偏西風とガスを利用して飛行する乗り物である。正解は本書にて。さらにここでは酸性雨が中和されるメカニズムも説明されている。
4.「黄砂の通り道」
黄砂の通り道というとどのようなものか。これは春の天候にそっくりと言ってもいいかもしれない。週替わりに天気が変わる。これは偏西風により雲が夏や冬よりスピードが速く動くのみならず、「西から天気が変わる」のが大きな特徴である。黄砂の影響が受けやすいのは九州などの西部ということを考えると春の天候とそっくりだということが言える。
5.「黄砂の源流をさぐる――敦煌での気象観測」
黄砂について、
「日本の上空で黄砂が見られるのに、中国大陸に低気圧の活動が見付からないことがあるのはどうしてか」
「なぜ、弱い黄砂が見つかるのはある限られた高度なのか」
「タクマラカン砂漠の砂塵嵐が長持ちするように見えるのはどうしてなのか(いずれもp.188より)」
「黄砂がどこから来るのか」
というのを中国にある敦煌(とんこう)市という所で第3章で述べた手法によって黄砂を採取した。敦煌市はシルクロードの分岐点として古くから交通の要所として有名であり、2つの砂漠にまたがったオアシスとしても知られている。黄砂を採取するにはもってこいの所である。
6.「海に落ちた黄砂の謎」
黄砂が降るのは別に陸上ばかりではない中国から日本に渡るわけであるから日本海は例外ではない。少し意外なのが太平洋のど真ん中にも降るということである。しかしこの黄砂は海のプランクトンが利用しているという耳を疑うところがあった。
7.「地球環境の時代の黄砂」
この黄砂は環境問題と深くかかわっている。もっとも関わっているのは「砂漠化」である。
今環境問題は「地球温暖化」ばかりが目につく、しかしそれだけが環境問題かというとそうではない。前述のように「砂漠化」「黄砂」、それに関連して干ばつかにより食糧に大きくかかわる。海面の上昇と地盤沈下による水没化もある(大概は地盤沈下が大きな要因である)。環境問題は解決すべき問題は山積しているが、しかしベクトルはあっち向いたりこっち向いたりしているため明確な方向が定まっていないところが本当に問題にすべきところといいたいところだが、これも政治的な背景がありより複雑化させており、解決するためには綿密かつ繊細にせざるを得ないほどシビアなものとなってしまった。

ミスター・ジャパンカップと呼ばれた男―異端の挑戦

ミスター・ジャパンカップと呼ばれた男―異端の挑戦 ミスター・ジャパンカップと呼ばれた男―異端の挑戦
河村 清明

東邦出版  2008-10
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馬券会計学を読んでちょっと競馬に関して興味を持ち始めた。本書は「ジャパンカップ」が創設された前後に関するノンフィクション作品である。「ジャパンカップ」というと今ではこれのほかにも「ジャパンカップダート」も行われており、それらをともにして「ジャパンカップウィーク」を形成しているという。この「ジャパンカップ」が創設されてから外国馬が日本のレースに出始めた。ただ日本場が外国のレースに参加したが負け続けたことにより、外国馬に勝ちたいという思いが強かったことがこのレース創設の思いがにじみ出ていた。
序章「暗雲」
1981年にジャパンカップが創設されたが、それまでには多くの障害が残っていたことは忘れてはならなかった。
第1章「焦燥」
「競馬はギャンブルなのか。はたまたスポーツなのか。(p.16より)」
競馬において永遠の課題と言えるこの命題。ファンのほとんどは競馬をかけることにロマンを持っていることからギャンブルと考える。一方で騎手や調教師らはこのレースに勝ちたいという思いからスポーツだと思う人が多いだろう。一元的にこの定義をはっきりさせるのは非常に難しい。
それはさておきこの章では「ジャパンカップ」前の競馬界について書かれている。その時の競馬界は前述のように国産馬が何度か海外遠征を行っていたがことごとく敗れた、1970年代にジャパンカップのように外国馬と国産馬の競うレースを設けたほうがいいという意見があったが保守的な風潮が強く頓挫したいきさつがある。
第2章「胎動」
そう言った風潮の中で密かにではあるが外国の騎手との出会いから始まり、ようやく外国馬を日本に招いて国際競走を行うことをまとめた。それからこの「ジャパンカップ」創設に向けて動きが始まった。
第3章「震撼」
ついに動き出したが、芝の状態や特徴や施設などの状態といった細やかなことに関しての課題が山積していた。日本の競馬の環境と諸外国との競馬の環境が違うために苦しんだ。さらに競馬が盛んであるヨーロッパを招待するかでももめたという。しかしそれを少しずつ解決していきやがてレースができる…かと思いきや急転直下になる事態が起こった。
第4章「光明」
それは以前頓挫したような減少であった「国際レースをやるのは時期尚早」の声だった。新しいことをやるのにはこういった保守派閥をどのようにして説得するか、あるいは論破するのかというのが必要であるが、懸命の説得により、名称は変えることにはなったもののレースを行うことができるようになった。
第5章「凱歌」
ついにレースが行われた日本の競走馬は外国馬のあまりの強さに圧倒されたが、これを機に日本の競馬界は盛り上がりはじめ、数々のドラマを生んでいった。
終章「覚醒」
「ジャパンカップ」が開催されたことについて、日本中衝撃を受けた。大橋巨泉でさえもその衝撃をサンケイスポーツ内で吐露するほどである。なお、「ジャパンカップ」で日本の競走馬が優勝したのはその3年後の1984年のカツラギエースである。
なぜ本書が出たのか、その理由があとがきに書かれていた、
「しかし、業界が活気を失い、閉塞感に覆われてしまっていると見るなら話は別だ。私たちは過去に何らかの打開策を見つけなければならない。それが最も早く、最も確実な方法ではないのか(p.226より)」
これは競馬界のみならずあらゆることに関しても言えることである。現状維持に凝り固まりすぎるあまり閉塞感に覆われる。それを打開するためにどうするべきかというのは過去に新しいことをどのようにしてやったのかというのを学ぶ。温故知新という四字熟語があるが本書はそのことを言っているのではないのだろうか。本書は競馬の前例について述べたまでであるが、こう言ったことを学ぶと考えると競馬界のみならずどこの世界でも学べるものであろう。本書はそう言ったことを教えてくれる。

日本の食卓からマグロが消える日―世界の魚争奪戦

日本の食卓からマグロが消える日―世界の魚争奪戦 日本の食卓からマグロが消える日―世界の魚争奪戦
星野 真澄

日本放送出版協会  2007-01
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マグロというと日本を代表する刺身の一つとして知られている。私も好物のひとつでご飯と一緒に食べるということが楽しみで仕方がなかった。戦後最長の好景気となった時には原油高の高騰もさることながらマグロの単価も急騰した。先進国の「日本食ブーム」によりマグロの需要が急速に高まった。とりわけ中国ではそれが顕著に表れたという。
本書はマグロ市場の現状について書かれている。
第一章「空前の海鮮ブームに沸く中国」
今世界恐慌により経済的にやや減衰しているとはいえ中国は高度経済成長真っ只中でありGDPでドイツを抜き世界第3位となった。それが食生活にも表れ、日本の食生活を模倣するようになってきた。ご存じであるが中国の人口は日本の人口の10倍以上にも及び日本の食生活に近いものとなると、消費量が尋常ではない。魚のみならず穀物などの食料が枯渇状態になりやすくなるのは火を見るよりも明らかである。
第二章「中国市場を目指す日本の漁業者」
中国の食生活が豊かになりだしたと反比例したのかどうかは定かではないが少子高齢化により本書では「胃袋」が減少したというふうに喩えられているように、米ほどではないものの魚の需要量も減少している。さらに原油高の高騰もあってかさらなる買い控えも出てきた。それに困窮した漁業者はインフレ状態にあるが日本より物価が安いということなので中国市場を目指すという風潮があった。しかし原油高は落ち着いた今では日本の市場に戻っているのかというのは分からない。
第三章「世界一のマグロ消費大国 日本」
第四章「存亡の危機に立つ日本の遠洋マグロ漁船」
第五章「世界でマグロの争奪戦が始まった」
日本は世界一の消費大国といわれており、寿司店でもマグロやトロは大人気のネタである。しかし乱獲により日本のマグロ漁業枠がどんどん規制され、マグロの値段が高くなった。さらに遠洋マグロ漁船も減少しており、輸入に頼らざるを得なくなった。そのことと前述の世界的な需要の増加により日本にマグロが出回る量が減少した。世界的にマグロ争奪戦が起こり日本は劣勢に立たされている。
第六章「中国の国家マグロ普及戦略」
世界的なマグロ争奪戦の渦中に入っているのは中国である。目覚ましい経済成長により世界中から食糧を買いあさっていると言っても過言ではない。日本はその中国の戦略にのまれ始めているのかもしれない。
第七章「日本人の食卓の今後」
今はそうではなくなってきたが原油高高騰だった時は、原料の高騰により様々なものが軒並み値上がりした。その中で買い控えが目立つようになった。では食生活はというと、忙しさのせいか、冷凍食品や惣菜で済ます傾向も見られ、魚の需要が減少しているのは事実である。
マグロは日本人にとってなくてはならないものである。しかしそれが世界的な需要により手に入らなくなることもあるが、日本人による買い控えという悪循環も相まって、日本におけるマグロ需要の減少に拍車をかけるのだろう。ただし、本書が上梓されたのは一昨年のことであり、この2年間で急速に景気が変わった今、マグロの市場はこれまでとは違った変化を見せているのかもしれない。

あなたの思いを伝えよう~子供たちに良書を~ 感想

もう一昨日となりましたが臼井由妃さんが主催するプロジェクトの「あなたの思いを伝えよう~子供たちに良書を~」に参加いたしました。

このプロジェクトは以下の本を出版された時に企画されたそうです。

まずは「読書のすすめ」の店長でありNPO法人読書普及協会理事長の清水克衛さん。

「読書のすすめ」に並べられた本はすべて清水さんが吟味して気に入ったものが並べられているそうです。その思いはひときわ強く、休憩中ロビーにて本の販売がありましたが、本の並びだけでもその思いが伝わりました。ちなみにこの休憩中にここで買ったものがあります。この本です。

清水さん曰く、「一番お勧めの本」ということです。確か「ビジネス書」と直筆のポップに書かれていました。それが妙に不思議で思わず買ったといういきさつですが。

続いて音楽療法士・セラピストの堀田圭江子さん

不安や緊張を消す方法として「手のひらトントン」を教わりました。

第一部のトリはラリードライバーの篠塚建次郎さんと臼井さんのトークセッション。

ラリードライバーについてから、パリダカの恩返しとしてダカールに小学校を立てたこと、ソーラーカーラリーで走ったことについて語られました。

休憩をはさんで第二部。臼井さんの講演・朗読。吃音症で悩み、それを克服したエピソード、そして詩の朗読、亡き夫への思いを朗読されました。

とりわけ亡き夫への朗読では私も周りの方々も、そして…臼井さんも涙……涙………。今は亡き夫へ「伝えたい」思い、そして「ありがとう」という言葉のありがたみ、今講演のメインディッシュにふさわしく感動した講演でした。

続いてキキダス・マーケティング主宰の中山マコトさん。船井総合研究所のシニアコンサルタントの岩崎剛幸さん

読書観や「伝わること」について話されました。

続いてサプライズゲストのYANAGIMANさんMissing Link

「ツナガルキモチ」をはじめアンコールを含め3曲熱唱されました。久しぶりにJ-POPを生で聞きました。歌詞に込められた思いがひしひしと伝わりました。YANAGIMANさんが注目されることも窺えます。

「伝える」ことの大切さ。「伝わる」ことの重要さを学んだ1日でした。そして「ありがとう」の大切さを学べた日でもあります。

このイベントを主催された臼井さん、そして講演された皆様、そして美しく伝わる歌を熱唱されたMissing Linkの皆様、ありがとうございました!!

囲碁文化の魅力と効用

囲碁文化の魅力と効用 囲碁文化の魅力と効用
藁科 満治

日本評論社  2008-12
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小学校の時に囲碁をやったことを覚えている。今ではほとんどやらないが、以後の番組を見ることがたまに観る程度である。
しかし囲碁というのは五目並べのように簡単なものではない。碁石でもって陣地取りをするゲームであるため戦法や定石のみならず、細やかなルールも覚えなくてはいけない。しかし一度ルールを覚えれば囲碁の世界は無限に広いといわれているのでやればやるほど病みつきになり、勝っても負けても勉強になる面白いゲームである。最近では脳科学においても囲碁が注目を集めている模様である。
本書はそういった囲碁の歴史、魅力、そして脳科学における効用について考察しているものである。
第1章「「囲碁文化」の魅力」
著者自身の囲碁人生について書かれている。囲碁との因縁の出会いとともに今は亡き加藤正夫名誉王座をはじめ多くの囲碁にかかわる人物との対局を回想しているところである。僭越ながらであるが思い出の1局についての棋譜があったらよかったと思ったのは私だけか。
第2章「「囲碁」の起源と歴史」
囲碁の歴史は非常に古いが実際にはっきりとした起源はわかっていない。中国の書経によるものか占星術という説があるがいずれも有力ではないとしている(本書では孔子や孟子が出ているためその時代から浸透していた)。日本に渡ってきたのが奈良時代であるため約1300年にも及ぶ歴史である。そのときは上流階級の人たちが嗜んでいた。以後が表に出てき始めたのが歴代本因坊の初代である、本因坊算砂が出てきたとき、戦国時代である。信長や秀吉、家康が算砂に五子(黒を5つ置くというハンデ)で対局をしたという話もある。
第3章「現代社会における「囲碁文化」を巡る動き」
話は変わって現代における囲碁教育について書かれている。とりわけ東大では教養と指定後を教えており、石倉昇九段をはじめ多くの棋士が教壇に立った。日本棋院もいくつかの動きについてバックアップしており、囲碁文化の普及は教育として進められていることがわかる。私自身はそのことについては肯定的である。というのは前述でも書いたとおり勝っても負けても学べるゲームである。
第4章「政治家と囲碁」
今日の政界で渦中となっている民主党代表の小沢一郎と財務大臣をはじめ3閣僚を兼務している与謝野馨が一昨年の10月28日に対局をしたということで注目を集めた。政界と囲碁の縁は非常に深く財務大臣を務め「塩爺」こと塩川正十郎は関西棋院の理事長を務めているのみならず戦後歴代総理のうち半数以上が囲碁の愛好者であるという。
さて最初に述べた対局であるが小沢代表が勝利した。棋譜もあるので一度並べてみるといいだろう。
第5章「「囲碁文化」の効用」
わずか5ページであるが囲碁にまつわる名言が書かれている。
第6章「碁界は大転換期――再生に向けての道筋」
囲碁のことに関して知っている人は知っているかもしれないが、プロの囲碁界は中国や韓国勢に後塵を拝している。今トップを走っている棋士でも世界戦で優勝している棋士はほぼいないといってもいい。一昔前では日本勢が独占していた時代があったが、こういう黄金時代に戻るように今、囲碁界では改革の嵐が吹き荒れるよう願ってやまない。
第7章「教養・感性教育に「囲碁文化」を活用」
囲碁を学ぶというのはゲームを学ぶばかりではなく「マナーを学ぶ」こともできる。今囲碁は教育問題に一筋の道筋を照らす光となるのかどうか注目すべきであろう。
囲碁はこれからホットになるのかもしれない。「ヒカルの碁」という漫画が出てきて、囲碁ブームが起こったが、これからはブームという一過性ではなく、じわじわと日本の代表的な知的スポーツとして注目が集まることを願う。

「場所」論―ウェブのリアリズム、地域のロマンチシズム

「場所」論―ウェブのリアリズム、地域のロマンチシズム (叢書コムニス08) 「場所」論―ウェブのリアリズム、地域のロマンチシズム (叢書コムニス08)
丸田 一

エヌティティ出版  2008-12-22
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「場所」についての論考は最近になって新しくなったのかもしれない。ウェブ上などのバーチャル上での「場所」、現実世界というリアルの「場所」というのを考察の必要性を考える時期に入ってきたのではないかというのを問いかけているような一冊である。
第一章「混在郷(ヘテロトピア)を生きる」
インターネットが普及した後の「場所」について考察したのが本書であるが、まずはリアルの「場所」についてである。高度経済成長から都市圏、地方問わずインフラが発展した。とりわけ田中角栄が政権を取っていた時代が顕著になって表れたが、そういった発展を背景に2000年代に入ると「格差」門街が浮き彫りになり地域的な格差が深刻化した。しかし日本の風景は地方、都市圏問わず画一化されているように思えてならない。これは章題の「混在郷」と対照的な「非在郷(ユートピア)」である。それに対して異なる空間が混在するあり方を「混在郷」という。ただ日本人は画一性・保守性を好んでいるためかそう言った「混在郷」を嫌がっているのではないかと考える。
第二章「場所とは何か」
「場所」の在り方について哲学的に考察しているところである。おそらく本書の中で一番読みにくいところであろう。第1章も哲学的なところがあるが、日本の「地域格差」の現状について言及しているところから親近感がある。しかしここでは本格的な「哲学」である。
第三章「地域から遊離した空間」
この章の前半で簡単な例があるので紹介する。昨年の正月には埼玉の「鷲宮神社」が例年の3倍以上にあたる30万人もの参拝客が駆け付けたということがある。これの原因はアニメ「らき☆すた」で柊家が営む「鷹宮神社」のモデルとなった所である。ちなみにこのアニメの舞台が埼玉県春日部市。奇しくも「クレヨンしんちゃん」の舞台と同じである。春日部市もまた「クレヨンしんちゃん」を1年間だけであるがイメージキャラクターとして町おこしさせたという。ほかにもアニメの舞台となった所が町おこしに使っているところがある。ちなみに今はアニメの舞台として使われていたが、昔はドラマや映画の舞台として町おこしをするということがあったから、時代の変遷によって町おこしに使う対象は変われど手法は変わらないというのがわかる。これらのことを「地域から遊離した空間」と呼ばれるが時代の変遷によって変わったというわけではない。
第四章「生きられたウェブ空間」
ここからウェブにおける「場所論」である。一昔前まではリアルの場のみで扱われていたがここからウェブの空間、場所が入るようになりこのような「場所」に関しての哲学的考察が増えていったのだろう。
第五章「ウェブ空間の比類なき空間特性」
ウェブの世界では匿名性があり、ある程度自由にあらゆる情報を入手することができる。こういった空間特性はほとんどない。
第六章「地域のロマンチシズム」
地域等のはリアルにあるがウェブの誕生により、擬似的な空間や故郷が出てきた。
ウェブの誕生により「場所」「空間」「地域」の在り方について大きく変化した。それによって学術的に考察する作品が多い。しかし学説が枝葉のように多くなっていく。ウェブがどのような「場所」で、「空間」で、「故郷」なのかというのは人それぞれである。
ウェブの世界について思想・哲学的な考察する本がいくつかあるが、そう言った本も読んでみる価値はあるかもしれない。

秘花

秘花 秘花
瀬戸内 寂聴

新潮社  2007-05
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瀬戸内寂聴と言えば「源氏物語」の現代語訳として有名であり、本書のように時代小説や恋愛小説も手掛けている。最近ではケータイ小説も1作チャレンジしたが、1作で懲りた模様である。
それはさておき本書は世阿弥の晩年について書かれている。世阿弥の晩年というと1434年に佐渡国(佐渡島)に流刑されたところから本書のストーリーが始まる。かねてから信頼されていた足利氏が代替わりを機に弾圧を繰り返され、見放された。そう言った絶望感が佐渡国において吐露している。
しかし佐渡国に流れた世阿弥はその土地の人情に触れ、大成したの修行をやめなかった。本書を見るうちでは必ずしも「非業の死」とは言えない。
世阿弥については多くの作品や研究本があるが私自身世阿弥という人物は名前しか知らない。本書は世阿弥の心情や背景は分かるが世阿弥の全貌までは見えてこなかった。世阿弥の晩年だけを見てみたいのであれば世阿弥に関する入門書を読んでから読んでいくとすんなりと本書の世界に入っていけるのかもしれない。
世阿弥の晩年の部分について書かれているが、本書を介して調べてみておくのが世阿弥の生涯のみならず「能・狂言の歴史」、「足利義満から善政までの時代背景」という課題が出てくる。そう言う本をいくつか読んで勉強したら本書の細やかな世界がもっと明瞭になってくるだろう。

こんな交流会がありました

昨日はAuthorConnect.jpという著者と書評ブロガーの懸け橋となるコミュニティ発足記念の交流会がありました。

AuthorConnect.jpは共同発起人として丸山純孝さんと平野友朗さん。さらに交流会担当には「シゴタノ!」で有名な大橋悦夫さんといったそうそうたる面々。

丸山さんの著書

平野さんの著書

大橋さんの著書

発起人だけではなく、多くの著者、これから著者になる人、編集者、そして私のような書評ブロガー・書評メルマガ管理人が一堂に会した交流会でした。名刺交換とともに著書や様々な話で盛り上がることができました。

書評ブロガー・メルマガや著者の中にはセミナーでいつもお会いしている方とも出会い、初めてお会いする方々とも出会い、そして初めて会うがかねてから当ブログを見てくださった方もいました。

2時間の交流会でしたが、2時間たったということすら忘れてしまうような交流会でした。

「著者と編集者と読者とがつながる輪」

これがこのAuthorConnect.jpの真の狙いでしょう。始まったばかりのコミュニティですが、これからまた交流会や講習会でのリアルで出会うことも、インターネットでのバーチャルでの出会いや交流の場が栄えることを願ってやみません。

丸山さん、平野さん、大橋さん、そして名刺交換をしてくださった方々ありがとうございました!!

P.S.丸山さんが早速アップしました。

http://www.enbiji.com/seminar/2009/02/authorconnectjp.html

断る力

断る力 (文春新書) 断る力 (文春新書)
勝間 和代

文藝春秋  2009-02-19
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まず勝間氏というとディスカヴァーやダイヤモンド社から出てくるというのが強かった。しかし文春新書から出てくるとは驚いた。勝間氏に、
「ようこそ我がテリトリーへ」
と言いたくなる。当ブログでは文春新書は多く取り扱っているので、社会的な傾向が強いところが多いが、こういったビジネス関連を取り上げることもたまにある。たが「たまに」なので勝間氏の本がこういった新書が出されると文春新書ファンの人たちはさぞ驚きの声を上げるだろう。
さて、「断る力」は私がいちばん力をつけたい所である、とはいえ社会に出てまだ間もない私にとってはまだ「断る力」というのを身につけるべきではないとも思ってしまう。一連の仕事を覚えておらず自分がどの仕事が強くてどの仕事が見切りをつけるべきなのかというのが分からない。本書はこれから仕事を身につけようやく分別ができる時に読んだ方がいいかもしれない。
第1章「断る力」の圧倒的な効用を理解する
「断る力」がある人とない人との差は何なのかというと「自己主張」であるという。確かに自分の好き嫌い、得意不得意は自分でしかわからないところが多い。自分の強みを伸ばし自分が苦手なところは思い切って断ったほうがいい。だが断るのは当然ながら引き受けるより精神的、人間関係的に甚大なリスクが生じる。当然「敵」をつくり、同調的風潮にある世間から疎外されることさえある。だが好き嫌いは誰にでもあるよりも、人気のある人は何かと好き嫌いが激しい。本書にある「熱狂的ファン」をつくるというのは同時に「敵」をつくるというのと私自身同意であると思う。最初に仕事における「断る力」というよりも、人生設計における「断る力」というように見えるのがこの章であるので、最初に「私はまだ「断る力」身につけるべきではない」という考えが破綻する。社会人になってまだ間もない私にとっても人生において、熱狂的なファンをつくるという手段はどのようなものでもできると考える。余談であるが当ブログでは本書のまとめ通りにやっているわけではなく、自分の気になった所を中心に評しているため、本書通りに評することはあまりやりたくない。
第2章「ホップ 自分のゆるぎない軸を持つ」
「軸」というのは何なのかというと、自分の観念の中心(簡単にいえば「座右の銘」)なのか、自分の強みなのか、そして仕事を選ぶ基準なのかというのが見えてこなかったが、読んでいくうちに「軸」について分かり始めてきた。まずは自分はどういった評価がつくのか。これは主観的だけでは賄いきれない。会社内の評価、親しい中からの評価、そしてストレングスファインダーなどのツールを使うことで自分の隠れた能力に気づくことができる。そして自分の得手不得手や相性と言ったところまで知る必要がある。自分が断るためには最初に「自分を知る」のが必要である。
第3章「ステップ 相手への建設的な影響力を発揮する」
「KY」という言葉がある。私の大嫌いな言葉の一つであるが「空気が読めない」という。私自身これを言われると本当に腹が立ち、こう言いかえしたくなる。
「空気を読んで何するの?」
空気を読んでただ同調するだけであればただただ空気にのるだけで満足する集団でしかない。特に会議の場とか会話の場とか議論の場とか…、そういった場という所では空気が変わってこないと段々と澱んでしまう。だからこういった「空気を切り込む」ことが私は好きである。本章ではこういったことのほかに「空気を「あえて」読まない」ということが大事である。本章ではいくつか本の紹介もあるが、このことについて肝心な本を忘れていないか。

まさに上記のことを言っているものではないだろうか。
さて勝間氏は自己啓発本やビジネス書を多く読むが「自己啓発本を読んで1つでも実行すること」をポリシーとしている。何度も言っているがこれは「陽明学」にある「知行合一」の理の通りである。私も自己啓発書は読むが、実際に実行するのはほとんどない。これは「知行合一」の解釈の仕方であるが「バカにならない読書術」における養老孟司氏の主張が私と同じように、知ることによって自然に行動が変わる。私はそう言った考えの持ち主である。
第4章「ジャンプ 「断る力」で、自分と周囲の好循環をつくる」
自分の得意分野と言ったことなどを知ったうえで「断わる」ことで好循環を生み出す。友人の中、組織の中で自分の強みを磨くことによってチームワークを築きあげる。最後に勝間氏は、
「間違った考え方、間違った社会にNOと言える力を養うことを考えたい(p.288より)」
と主張している。珍しく「その通り」と言いたい。日本人は外国人から見たら「イエスマン」と言われる。これは日本人の民族性なのか、それとも政治的に妥協しすぎているところが原因なのかというのがあるが、とある大学の教授がオーストリアに留学した話、地元のお勧めの注文を断って自分述べたいものを食べると言った時に、その人ははじめて「友だち」と言ったということを聞いたことがある。日本では同調主義ではあるが、外国の中では自分の意見を通さなければいけない国もある。「No」と言える日本人を築くことが大事である。
「断る」ことは大変リスクのある行動である。しかしここで言う「断る」は選り好みばかりではなく、自分の得手不得手を踏まえて組織にとってマイナスとなることを割り切って断ることが必要である。だからでこそ「断る力」ということか。

馬券会計学

馬券会計学 (ベスト新書) 馬券会計学 (ベスト新書)
丸の内 龍太郎

ベストセラーズ  2007-11-09
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著者の丸の内様より献本御礼。
私は競馬はあまりやったことがない。だが一応競馬番組を見たことがあるくらいで、非常に夢否馬くらいしか知らない。当然馬券の買い方は分からないズブの素人である。本書は会計の観点から競馬の本質をついた一冊である。わからない人がますますわからなくならなければいいが。
第1章「クラシックレースを「126.8倍」楽しむ方法」
本書を読むと昨年の桜化賞の3連単の払い戻し倍率である。ちょっとわかる人であればこの倍率を見たら「万馬券」というのがわかる。ちなみにこのレースでは人気馬のウォッカがわずかの差で敗れたが著者はそれを予想したという。
第2章「圧倒的人気馬が「6割」も負けるレースを狙うわけ」
ここでは圧倒的人気馬よりも「新馬戦」や「未勝利戦」、「未公開株」という競馬を知らない人たちにはあまり分からないような用語が出てくる。しかし構える心配はない、章末にわかりやすく解説されている。
第3章「「20万円」の単勝馬券が教えてくれたこと」
単勝馬券に20万円というとよほどでない限り賭ける気に慣れない。しかし著者は若気の至りからかかねてから狙っていた馬にこの金を単勝で投じたのだからすごいとしか言いようがない。ちなみにかけたときは本命であったというが、結局負けてしまった。競馬というのは恐ろしい…。
第4章「勝率「10割」でも負けるわけ」
「下手な鉄砲打ちゃあたる」という言葉があるが、勝率10割でも配当が少ないなど、回収が少なければ結局損失してしまう、つまり「負ける」のである。競馬で食べるための3つのルールというのが本書に書いてあるが(p.79より)
①「新馬戦」「未勝利戦」に絞って勝負せよ
これは第2章で書かれている。
②穴狙いに徹すること
第3章で書かれている。本章では
③勝負レースを絞ること
である。儲けをするためには勝負を絞って、掛け金を少なく、穴狙いなどにより払い戻しを挙げることによって儲けを増やす。会計上、理に適っているばかりではなく、「勝負師」の理にも適っている。賭けではあるがそれが勝負師ではないだろうか。
第5章「前走「12着」の粉飾を監査せよ」
これまで「競馬新聞」を見たことがない。ではこの前走「12着」というのは何なのか。ここまでくると競馬初心者の私ではついていけなくなってしまう所である。
第6章「牝馬が「64年」ぶりにダービーを勝ったわけ」
この章題を見てようやく取り戻せると思った。一昨年の5月に行われた日本ダービーでウォッカが勝利した。なんと64年ぶりに牝馬が日本ダービーで勝利したという。本章ではその理由について迫っている。
第7章「年間「3400レース」闘えますか?」
年間3400レースとなると1日約10レース闘うことになる。私だったら闘えないが、著者は週に1〜2日のレースを松井秀喜の「不動心」の如く勝負をかけている。
第8章「競馬で「578万円」稼げるようになるまで」
競馬の「師匠」と出会い、公認会計士となりとした著者自身の生い立ちについて書かれている。まさに「人生=競馬」を地で行く存在である。
本書は会計学というよりも、会計の観点から競馬の予想方法を伝授した1冊である。競馬と会計の素人であったら何が何だかわからなくなる。置いてけぼりにならないために用語解説されているので、すんなり入っていけるというわけにはいかないが、ある程度の知識が入る。そしてある程度わかってきたことによって来週にでも予想したくなる。そう言ったものであろう。
だが、競馬についてマニアックな人であれば本書だけではまずものたりない。そう言う人向けにこの本を紹介する。

本書の実践編である。これはさすがに読んだことはないが本書をより突っ込んだ内容となっている。さらに著者のHPには予想も書かれており、競馬の予想材料にあたり大いに役に立つ。
素人にはあまりピンとこなかったが、競馬の可能性が広がるような1冊であった。

口ベタなあなたを救う しゃべる名刺

口ベタなあなたを救う しゃべる名刺 口ベタなあなたを救う しゃべる名刺
中野 貴史

日本実業出版社  2008-12-20
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著者の中野様より献本御礼。
先日の川上氏の出版記念セミナーの時に名刺交換とともに献本してくださった一冊である。結論から言うと、献本されていなくとも、お金を支払っても、予約をしてでも購入すべき一冊と言える。名刺の力がここまで秘めているという可能性を見出すことができるとともに著者の生き方と相まっての説得力のすごさをどう表現すべきか言葉が見当たらないほどである。
序章「「しゃべる名刺」が起こした奇跡の大逆転劇」
第1章「相手の反応がいい名刺、悪い名刺」
あるセミナーで、私も完全に個人名刺を持つようになった。会社の看板を持たない「自分」を売り出すための「武器」である。
著者の名刺をいただいたのだが、自分の生い立ちから強みなど自分の「すべて」を伝えている。名刺が「しゃべる」ことによって相手から交換を持ったり、話のネタになったり、それだけで人柄がわかったり、あらゆる効果があり、一発で商談になる。
たかが名刺、されど名刺、名刺は甘く見てはいけない。名刺にこそ自分を表現する大きなツールである。
第2章「「しゃべる名刺」をつくるあなたへの大事な質問」
さて「しゃべる名刺」の良さを伝えた後は、さて自分も「しゃべる名刺」をつくりたいと思ってしまう。名刺を作る前にここでは自分を売り込むための質問である。名刺に掲載するものから理想の相手といった商売対象と商売物(サービス)を絞り込まなければいけない。
第3章「お客様との距離を縮める「しかけ」はこうつくる」
次は「しかけ」づくりである。自分のプロフィール作りにも、写真を撮るにも、キャッチフレーズ作りにも工夫が必要であると。
第4章「「しゃべる名刺」のつくり方を徹底解説!」
第1章でもその良さを紹介したが、ここではそれをもっと詳細に解説しているしゃべる名刺は全部で8面もある。その中でも表紙、裏面、中面…というのを役割を担いながら設計されている。
そして共感や感動を生み、伝えるためのコンテンツ作りに入る。自分史を作る場面があることを考えると自分の「棚卸」という感覚で考えることができるので、余すところなく自分をさらけ出せる。
第5章「マイ浪花節が感動を生む!」
「マイ浪花節」はユニークではあるが親近感がある。そして共感を生み、相手との距離をさらに縮める効果がある。
第6章「名刺交換の極意」
さて名刺交換である。新社会人となればだれでもやるビジネスマナーとしての「名刺交換」。ここではこのビジネスマナーではまず学ぶことのできない名刺交換の方法を伝授している。初対面で名刺交換をした時・した後の行いによって相手からの印象が違ってくる。
第7章「しゃべる名刺の魅力を語る!」
最後はこの「しゃべる名刺」を実践し、劇的な効果をもたらした人たちの体験談である。それだけでも「しゃべる名刺」の凄さが窺える。
本書が1,400円というのは私から見たらもっと高くてもいいという気持ちになる。本書もさることながら購入者への特典も惜しんでいない。著者のホームページを参照のことだが、本書であるシートをPDFで印刷できるのでわざわざコピーして実践してみるという必要がない。
まずはPDFを印刷して実践から始めよう。さらに「幻の原稿」もダウンロードできるので本書の価値は1,400円ではお買い得にも程がある。
「自分の名刺」を持ちたいという人は必読と言っても過言ではない。

アイデアの極意

アイデアの極意 (角川oneテーマ21) アイデアの極意 (角川oneテーマ21)
内藤 誼人

角川グループパブリッシング  2008-11-10
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アイデアパーソン入門」同様、本書もなかなか面白い発想術である。本書の著者を見たらわかると思うが「ブラック心理術」で有名な心理学者の内藤誼人氏である。心理学的にアイデアを生み出すにはどうすればいいかというのを伝授した一冊である。
第一章「自分をアイデアマンにする基本」
まず自分自身が「アイデアマン」である意識を身につけなければならない。そうでなければアイデアが浮かぶことができる人間でもそういったことができなくなる。そして次にはアイデアを生むための環境づくり。リラックスする(できる)ようにしたりする。
第二章「アイデアを出やすくする思考のコツ」
アイデアはすでに知っているものや知ったものの組み合わせがユニークであることからアイデアというが、他人が考えたアイデアを盗むこともまたアイデアであるという。バランスよくストレスを与えたり、メモ(ノート)をとったり記録するなどもアイデアを集めると言ったこともコツと言える。
第三章「アイデアの出やすい身体にする」
第一章でアイデアを生み出すために環境づくりをすることを言ったがその延長線上と言ったところである。
第四章「アイデアの出やすいビジネス環境とは」
さっきまでは個人的なアイデア環境や方法づくりと言ったパーソナルな部分が中心であったがこの章では組織づくり、上司の在り方と言ったマクロな点も入ってくる。それを利用しながらアイデアを生み出すこともまた一つの手段と言えよう。
第五章「オフの過ごし方がアイデアを変える」
アイデアパーソン入門」では「さあ、メモをもって街に出よう!」というサゲにしたが、ほかにもオフの過ごし方によって思いもよらぬアイデアを生み出すことも可能である。童心に帰ったり、変身したり、音楽を聴いたり、簡単にできるところからはじめて「アイデアマン」になろう。
「アイデア」を出すためには自分自身の意識改革が必要であることが印象づいた一冊である。「アイデアパーソン入門」が方法論が多いと考えると、本書はそういう意味では対極的な部分がある。「アイデア」の出し方というのはそれぞれであれど、意識改革から始まる所から考えると私はどうやら本書が向いている。しかしいくら私が「アイデアマン」という意識になっても組織が保守的になってしまうと単なる「変わり者」になり下がってしまうのではという危機感が生じる。「アイデア組織」に変貌させるような本があればなおいいのだが。

“自分”のありか

“自分”のありか “自分”のありか
山田 邦男

世界思想社  2006-09
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「私はどのような人間か」というのは、よほどの人ではない限りだれでも考えることであろう。「私」というのは当然「自分」のことについて言われているが、ではこの「自分」とは一体何なのか。そのありかとは何なのかというのが哲学的に論考することが多い。本書はその「自分の在りか」を論考しているが、哲学的、時間的、個別的な考えを総合して考察している一冊である。
第1章「自分は自分ではない――自分の普遍性」
「自分探しの旅」というのは今も昔も変わらずある。有名なものでは元サッカー選手の中田英寿であろう。それにならってそう言ったことを考えたり、実行したりする人がいたが、私はあまり感心しなかった。自分探しの旅は自分の足でどこでも旅をすることも一つであるが本を読みながら自分を見つける方法が手っ取り早いと思ったからだ。
それはさておきこの章では自分を、「空間的普遍性」「時間的普遍性」「時空的普遍性」について考察している。
最後に「我思う、故に我あり」とあるが、本書では「我考える、故に我あり」となっていた。私の座右の銘である。
第2章「自分は自分である――自分の個別性」
ここでは個別性を「心身」と「存在」について考察している
第3章「自分は自分ではない、故に自分である――自分の普遍性即個別性」
普遍性と個別性の考察であるが、第1章や第2章よりとっつきやすいので哲学があまりよくわからなかったらこの章以降から呼んだほうがわかりやすい。とはいえ哲学であるので理解できない人であれば3・4章だけ読めばいいかもしれない。
この章では有名な言葉を哲学的な意味から考察している。
「天上天下唯我独尊」…自分の性格とは程遠いもの。元は釈尊を称賛する言葉と言われる仏教言葉であるという。
第4章「<自分>はどこから来てどこへ行くか」
第3章よりももっとわかりやすい所である。まず昨年・一昨年に流行した「千の風になって」という詩、もとの作者は不明であるが2003年に新井満が日本語訳し、2006年紅白歌合戦にテノール歌手の秋川雅史が熱唱し、以降大ブレイクした曲である。それからその歌詞を信じて死ぬときに散骨を希望した人が増えたとか増えなかったとか。
哲学上「自分」を考察をするものは非常に多いというのは当然と言っていいだろう。私は哲学者ではないのだが、ある程度哲学書を読んで思うことなのだが哲学は「自分自身を学ぶ学問」も含まれる。あらゆる概念をあらゆる学説を立て、命題を思考でもって重ねながら主題を突き詰める。突き詰め方も様々である。それゆえかあらゆる学問の中で最もとっつきにくくなっている所以かもしれない。
哲学をかみ砕いて解説し、評することはかなり骨の折れるものである。

植民地朝鮮と児童文化―近代日韓児童文化・文学関係史研究

植民地朝鮮と児童文化―近代日韓児童文化・文学関係史研究 植民地朝鮮と児童文化―近代日韓児童文化・文学関係史研究
大竹 聖美

社会評論社  2009-01
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1910年の朝鮮併合から1945年の日本敗戦までの間に、植民地となった朝鮮で栄えた児童文化および、文学についての関係史を研究したものである。
こういった朝鮮併合時代というとインフラでの工業発展や、朝鮮独立を求める事柄、そして日本が敗戦した時に挑戦は準戦勝国となり、日本をいびり倒したこと、そして今もなお続く「従軍慰安婦」や「竹島・対馬問題」などが挙げられるが、朝鮮併合時代の朝鮮半島であった児童文化や文学というのはあまり世に出回っていない。本書でも、
「旧植民地朝鮮に関しては、仲村修による朝鮮人主体の反日抵抗児童文化運動の一連の研究があるが、日本人による朝鮮関連の児童文化に関する論考はなされていない。(pp.20-21より)」
朝鮮併合時代に関するこういった文化の研究がされていない現状を訴えているのと同時に、私観であるが、研究はなされていても上記の引用のように反日主義といったイデオロギーにとらえられやすい所であるためこういった研究を避けてきた学者がほとんどであるかもしれない。ちょっと不思議に思えたのが、
「方定煥は現在まで韓国において活発に研究されているが、日韓比較児童文化の視点でなされた研究としては以下の研究が挙げられているだけである。(p.21より)」
3点だけしかない。活発に研究されていても結局は韓国を美化し、反日目的で研究を行っている作品が多いという。「隣国はいがみ合うことが多い」と言われるがその理由からか、もしくは日本に対する恨みつらみがこういった研究でも色濃く出ているのだろうか。
本書は偏りは少々あるにせよ、文学作品から日韓相互の関係を考察している研究を行ったものである。
1.「明治期少年雑誌と朝鮮」
ここでは日新戦争以前に創刊された「少年園」や「小国民」をはじめ日清・日露戦争時代に刊行された少年雑誌と朝鮮半島の変遷についてである。朝鮮半島というと、この時は「征韓論」が政府で多数を占めていた。
2.「鉄道唱歌と朝鮮」
1906年〜1909年のところである。簡単にいえば韓国併合前の時である。その時から韓国総監(後の「朝鮮総督」)が設置され、初代に伊藤博文がその職に就いた。その時は韓国併合の声が高まったが伊藤はそれについて反対した。皮肉にも伊藤は朝鮮人の安重根に殺された。
3.「巌谷小波と朝鮮」
巖谷小波は日本の児童文化・文学の創始者として有名であり、明治・大正・昭和と3つの時代で活躍した。日本・朝鮮ばかりではなく世界のお伽噺を編纂した功労者である。そう考えると本書はこの巌谷小波なしでは語ることができないと言ってもいいかもしれない。
4.「崔南善と方定煥」
最初に「方定煥」というのを解説し忘れたのでここで解説する。「方定煥(バン・ジョンファン)」は韓国児童文学の創始者と呼ばれ、朝鮮語による講演童話を多く世に出し、「崔南善」と共に韓国時代文学を築き上げた草分け的存在である。「方定煥」には雅号が存在し「小波(ソバ)」と言われた。お気づきかと思われるが巌谷小波の名前をとって雅号にしている。ともに児童文学の功労者であるので、「朝鮮の小波」というにふさわしいと言えよう。
5.「朝鮮・満州巡回口演童話会と児童文学者の朝鮮訪問」
6.「「朝鮮童話集」の現代」
1920年代の児童文学について書かれている。この時は第一次世界大戦後の軍需景気で一気に日本は世界的にも有名な国になった…としか言えない。ここはまだまだ勉強しなければいけない、と自分自身で反省。
7.「朝鮮総督府朝鮮教育会『普通学校 児童文庫』」
アメリカから起こった1920年代末の世界恐慌前後に栄えた「児童文庫」について書かれている。
8.「プロレタリア児童文化と朝鮮」
プロレタリアというと、ついこの間まで有名だった小林多喜二の「蟹工船」である。上梓されてから75年の時を経て大ブームとなった。私は大学の講義の一環で読んだことはあるが、これが人気になった理由は分かるにはわかるが、なぜそう言った作品かという疑問さえ浮かぶ。日本では1930年代にプロレタリア文学がひそかに栄えたが、検閲などにより小林多喜二が虐殺された他多くの作家も拘束され中には殺された。お隣の朝鮮半島でも同じようにプロレタリア文学が栄えた。ちょうどその時に毛沢東が共産党を結党した時期であるので、その偶然も否めない。
9.「朝鮮の「おさなごころ」、金素雲の朝鮮児童文化運動」
朝鮮の児童文学に貢献したのは朝鮮人ばかりではない。北原白秋もその一人である。
10.「皇国臣民化児童文化」
1938年に国家総動員法が施行され、日本のみならず朝鮮・台湾にも皇民化(皇国臣民化)教育の波が押し寄せた。皇国精神に倣った紙芝居や文学が栄え日本人であるという気概を生み、その中から大東亜戦争に赴いた人たちもいる。
率直に言うと、日本や朝鮮の歴史を児童文学でもって考察したものを読むのは初めてである。韓国併合によって日本がどのようなことをやったのか、日本と韓国の密接な関係というのを垣間見た一冊であった。

正直書評。

正直書評。 正直書評。
豊崎 由美

学習研究社  2008-10
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書評家の豊崎由美氏が「TV Bros.」の「書評の帝王 帝王の書評。帝王切開金の斧」から2004年3月〜2008年9月に取り上げられたものをまとめている。当時の話題作品を評価の高い順に「金」「銀」「鉄」の斧として、ストレートにそして評者自身のスタイルで書評を行っている。ちなみに豊崎氏は「書評王の島」でも多くの書評を行っている。
書評というのは「中立」を重んじるという人が多いが、本書を読む限り書評は「独断と偏見」で評する。たとえ「中立」と言われようとも。だから書評家は「著者に嫌われ、読者に愛される」言われである。
豊崎氏の書評の特徴は本書で見る限りこういった特徴がある。
・ベストセラー作品、直樹賞作品などのブランド作品は激辛(大概は「鉄」だった)
・海外の小説(翻訳)作品に関しては「金」が多い傾向にある。
・特に後半では「銀」や「鉄」の作品はあまり取り上げられなくなり「金」が多い。駄作を敬遠する傾向が強くなった?
書評を究めるために書評を行ったり、書評の本を読んだりしているが、本書ほど愉快に読めたものはない。表現がユーモラスであり、何よりも「エッジ」が鋭い。駄作であれば所々で毒を吐き、こき下ろし、良作であれば猫の鳴き声(?)のように甘い表現になる。
書評の表現の仕方は人それぞれであるが豊崎氏のような表現を用いて書評をするのも、私のように堅苦しいものばかりの中で独自の表現を見出していくのだからまた一興である。
余談であるが最近は書評ブログが乱立しているが、それに警鐘を鳴らす人もいる。私なりの意見はそう言った書評が誰もがやるのは構わない。ましてや書評家が乱立するというのは決して否定するつもりはない。だがこれをいつまで続けられるか、そうでないかで本物にも似非にもなるのではないのかというのが私の意見である。
正直言って書評家は「中立性」が原則というのは戯言に過ぎず、どんなに「中立性」と言っても自分の主観が入るのが自然である。私自身「中立」「中庸」「中道」「標準」「普通」といった真ん中を表現するのが大嫌いだからということもあるが、いくら中立になろうとも、主観によって右にも左にも上にも下にも傾くのは当然である。私も結構右に傾く傾向があるが、今更そう言ったことを治すつもりは毛頭ない。
私の見る限りでは出版不況と呼ばれるがこういった書評はこれから増えるだろう。それは読書をすることにより自分はこういったことを表現したいことや、ほかに書くネタがないということから書評に走るからだ。
それはさておき「書評」はどんなスタイルでも本が絡めば書評となり得る。それは大学教授がやろうとしても、書評家がやろうとしても同じである。豊崎氏はそう言った環境の中で独自の書評を見出し、コラムや著書を世に出している。書評に携わる人はこういった本格的な書評を読んで勉強することを勧める。

昆虫力

昆虫力 昆虫力
赤池 学

小学館  2006-07-06
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小学校の時に「昆虫採集」をした人はどれくらいいるのだろうか。私の小学校時代は昆虫採集はあまりやらなかったにしても外で遊ぶことと自分、もしくは友達の家でテレビゲームの半々であった。小学5年生以降になると第二・第四土曜日が休みとなったためその日の午前中は体育館が解放される。その時には友達とバレーボールやバスケットボールで遊んだことをよく覚えている。その時からか、体育で好きなのはと訊かれると、決まってバレーボールかバスケットボールと公言した。ただ昆虫採集しなくとも理科の時間では昆虫に触れる機会があったので積極的に昆虫を探しに行かなくても昆虫に触れる機会があった。
私事はこれまでにしておいて、本書はこの昆虫の秘めた力について事細かに書かれている。昆虫を知らない人でもこの力を知った時から日ごろからいる昆虫に感謝するような一冊である(一部を除く)。
第一章「「知」に生きる昆虫――虫たちの「時をかけた技術」に学ぼう」
昆虫には様々な特殊能力や行動がある。しかしそれは外敵から守ることや成長をするために身に付けた力である。人間にも生きるために特殊な力を身に付けられることがある。例えば視力。今の視力検査では2.0が上限でそれ以上が遠視といわれる。だが2.0以上が不便になるのはそれ以上あっても必要としないからである。しかしアフリカに生きる人たちの中には5.0や6.0といった視力を持つ人もいる。昆虫も人間も「生きるため」にこういった特殊能力が身につく。
第二章「「医」に生きる昆虫――太古の生命力に学ぶ昆虫医療の最先端」
医療面でも昆虫が大きな役割を果たしている。私の知っているものではスズメバチの成分を生かしたスポーツ飲料「VAAM(ヴァーム)」である。「VAAM」はおいしさはというと、それほどおいしくはない。しかし、運動をすると体脂肪を効率よく燃焼させる効果があるので、アスリートばかりではなくダイエットをする人には良い。その他にもウィルスや制ガン剤、トレハロースなど医療にまつわるものがヒントになった昆虫に関して書かれている。これに関連するが下記の一冊もお勧めされるところであろう。

第三章「「美」に生きる昆虫――たかがシルク、されどシルクの大いなる成果」
ここで多く取り上げられていたのは副題にあるシルク、つまり「蚕」である。おそらく「蚕」を見た人というのはそれほど多くないだろう。私も実際には一度も見たことはないほどである。
第四章「「匠」に生きる昆虫――昆虫に学ぶ人工物デザインの最先端」
印象的なのは今のマイホームのヒントとなったシロアリ。ただシロアリというと材木を餌にしているため、家がぐらつく要因として挙げられる害虫として忌み嫌われている。シロアリの駆除道具や業者までいる。しかしそのシロアリがマイホームに関して役立てられていると考えると何とも皮肉なことである。
昆虫は本当に不思議な力を秘めており、いま日本にあるものには昆虫の行動や生態をヒントにしたものが生きている。解剖学者の養老孟司氏の趣味は昆虫採集であり、子供のころからずっと昆虫が好きであったという。それをヒントに「バカの壁」などの多くの著作を残したと言っても過言ではない。
昆虫は人間と同じように自分の知っている力以上に大きな力がある。

極上 歌丸ばなし

極上 歌丸ばなし 極上 歌丸ばなし
桂 歌丸 山本 進

うなぎ書房  2006-05
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もはや「「笑点」の顔」とであり、落語芸術協会の会長であり、ついこの前まで肺気腫で入院していた桂歌丸の自伝である。本書が発売されてまだ間もない時に笑点で本人が宣伝していた時に三遊亭楽太郎が「遺書ですか?」と言ったそうだが、笑点を見ている限りではあと30年は大丈夫だろう。
第一章「生まれ育った真金町」
八代目桂文楽が「黒門町」、三代目古今亭志ん朝が「矢来町」と言われるが如く、桂歌丸も「真金町」でまかり通っている。この章では歌丸が生まれてから噺家になる決意をするまでのところについて書かれている。女郎屋で育ったせいか落語で女性のしぐさをする時は、結構巧いと思ったがそのルーツがここにきているとはとも感じた所である。
ちなみにこの章の最初の「真金町の三大ばばあ」にある「ばばあ」は歌丸夫人の富士子さんではないので悪しからず。
第二章「歌が歌えない歌丸」
かつて圓楽が司会をしていた時に「歌が下手だから…」ということがあったがそう言うことなのかなとも思った。
それはさておき、この章では歌丸が入門してからのことが書かれている。歌丸が入門したのは五代目古今亭今輔。「古典も昔は新作だった」という持論を持つ「新作派の闘将」として有名である。得意演目というと、「ラーメン屋」「青空おばあさん」「おばあさん三代姿」「ねぎまの殿様」というものがある。古典でも「死神」と言った噺も得意としていた。今輔が歌丸に教えたのは古典も新作も両方教えている。余談であるが歌丸以外の弟子には新作しか教えていないという。
噺を戻す。香盤問題によって半ば破門状態となって化粧品会社のセールスマンをやったという。歌丸の得意話に「化粧術」があるがこのことがルーツになっているのだろう。
歌丸は噺家に復帰し、今輔の総領弟子の四代目桂米丸門下で再スタートした。
第三章「新作も土台は古典」
米坊という名前をもらい、のちに今の「歌丸」という名に改名した歌丸は、真打に昇進して、「笑点」の思い出、そして落語芸術協会会長へまで駆け上がった所について書かれている。
歌丸になってからはもう周知の通りであるがここでは、当時の笑点で、罵倒合戦で有名だった四代目三遊亭小圓遊のはなしから、芸協副会長の時に会長だった十代目桂文治の性格に至るまで書かれている。そう言うことを考えると噺家の裏話が多く、歌丸から見た噺家の側面が窺えるところである。
第四章「変わった噺ばかり」
古典噺への思い、そして一門のことなどについて本書の編者である山本進氏との対談について書かれている。
第五章「笑いのある人生」
歌丸師匠のサインはいつも「笑いのある人生」である(時折「笑顔で美しく」も書いている)。しかし前は「釣り」について書かれていたという。歌丸の趣味は「釣り」であり笑点で回答者だった時代には外来魚に関することについてよく引き合いに出すことが多かった。
桂歌丸についての側面を垣間見た1冊であった。本書を読んだ上で笑点を見るもよし、そして寄席やホールに足を運ぶもよし、ぜひ歌丸の落語をお勧めする。
最後に大きな余談であるが、圓楽について書評した時にこのような記事があったことを紹介し忘れた
近年は「落語ブーム」と言われている。ベストセラーとなった立川談春の「赤めだか」然り、TOKIOの国分や長瀬然り、笑点然りといろいろな起爆剤でもって落語は盛況となっている。ただ圓楽はこういったブームは否定するわけではなく、下手な噺家でも上手な噺家でも笑っているという今の状態を批判している。確かに私も寄席に行くことが何度かあったが、とりわけ夜には講座の時にいびきをかいて寝ている人もいた。しかし名人とうたわれた噺家の出番になったらひょいと起きて、聴いていた。最近までの「お笑いブーム」のなごりからかそんな風潮になったのだろう。「笑い」をやるというのはただ客席が笑えばいいというわけではない。心からグッときかせて笑わせる凄さを持っている人が本物と言える。「笑い」というのは簡単なようで難しい。

『出逢いの大学』特別講座 vol.2 感想

昨日は「「出会いの大学」特別講座 vol.2」に行ってまいりました。

前回の「出会いの大学」でも非常に楽しく、さらに今回はパワーアップした形での開催となりました(会場も質も懇親会も)。

奇しくも昨日はバレンタインデー。チョコの乱舞でした。

鹿田さんからチョコをいただき、さらに美崎さんの犯行予告どおり無差別「チロ」攻撃と。その全貌は美崎さんに任せますとして。

小山龍介氏

元祖「HACKS!」シリーズでおなじみの小山龍介氏。私もこの内の1冊書評したことがあります。今回は専ら「IDEA HACKS!」といったところでしょうか。ちなみに書評はまだですがこの本も読んで参加したので、この本に関連した内容もやられてました。

演習(?)もアイデア(+野望)といったものをくすぐるような講義でした。

千葉智之氏

この方はもう説明する必要はないでしょう。前回も紹介したのですから(上記の作品はすでに書評済)。今回は発想術ということなので新たなことにチャレンジするのかと思いきや…この発想術は人脈ともつながるという…、人脈術も発想の一つでしたか。

発想術も、面白い話も人に乗ってやってくる。そう感じました。

フリートーク

こちらも人脈術から発想のやり方までの補足でしたが、ブログの在り方、ブランディングの在り方、器、心、そして「HACKS!」の在り方に至るまで「小山節」炸裂でした。

懇親会

前回と同様お酒と料理と歓談で盛り上がれました。今日までの1週間で4つのセミナーと4つの懇親会に参加いたしましたが、その中で出会った人と再び会う機会というのが多かったです。中にはこの4つすべてのセミナー・懇親会で会った人がいるほどです。その中でのセミナーの話などでも盛り上がり、さらに同世代の人たちが多くその中で名刺交換をしたり、同世代で学生当時の流行で盛り上がったりと充実していました。やっぱり同世代はいいものです。

最後に一言、

「人生において万巻の書をよむより、
    優れた人物に一人でも多く会うほうがどれだけ勉強になるか」

大正・昭和時代の経済学者である小泉信三の名言です。私も乱読家の書評ブロガーですが、多くの書物によって他人の考えを見るのも勉強の一つになります。しかしそれは死んだ情報が多く、それが明日役に立つのかと言うと首を傾げます。しかしその人の考えをじかに触れたいのであれば、

「書を捨て、人と出会おう」

その言葉に尽きます。

「出会いの大学」学長の千葉さん。客員教授の小山さん。そして、今回の大学及び懇親会で名刺交換をしてくださった方々、ありがとうございました!

自分の時間

先週の土曜日から立て続けに、セミナー入れ込んだはねっ返りがもうすでに表れています。

最近書評する時間がめっきりと減ってしまったこと。

ほかにも様々なことにかける時間も減ってきました。

時間管理をもっと徹底すればという後悔もあるのですが、こういう体験もそうそうないので、これを反省材料としてまた精進します。

「時間はだれしも24時間平等に受け取っている。それを生かすも殺すもあなた次第」

そう感じた今週一週間でした。

男は「段取り脳」でよみがえる

男は「段取り脳」でよみがえる (講談社プラスアルファ新書) 男は「段取り脳」でよみがえる (講談社プラスアルファ新書)
米山 公啓

講談社  2008-11-21
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男の段取り脳の活性化の方法について説いている一冊である。本書の表紙を見る限りでは男も家事をやれというような感じであるが、本書でも家事について多く書かれているためあながち本書のイラストは間違いないとみていいかもしれない。
第1章「洗濯、掃除、アイロンがけで脳活性」
第2章「買い物外出の効用」
第3章「料理は脳を鍛える最高の家事」
第4章「慣れないおカネの使い方をしよう」
今回は細かく評するよりもまとめて評したほうがいいかもしれない。第1〜3章は主に家事をやれということ。炊事・洗濯・掃除・買い物と言ったものは妻がやることというのはもう昔の話のようで、今となっては夫婦共働きの世帯が多い。そうなるとこういったことを夫がやるということは少なくない。だが夫も妻もあまりやらないという困った夫婦もいる。男に限らず女性でもこういったことをやって頭を働かせるということは大事なのかもしれない。そう考えると男が家事をやると女性の持っている直感を持つことができる…かもしれないがどうだろうか。
慣れないカネの使い方は洋服・映画・外食・寄付と言ったものであるが、とりわけ脳にとって効果が強いのは「寄付」だろう。前の3つは普段は行わなくともそれなりとできることであるので脳活性はできてもベタなので、ここでは「寄付」を強調したほうがいいだろう。要領を考えて善意を与えるのだから脳の刺激にもなり、良心の刺激にもなる。
第5章「家庭でできる脳トレーニング」
第6章「脳を守る13の方法」
ここでは脳のトレーニングを伝授している。
ガーデニング、絵描き、早歩き散歩、おしゃべり、兄弟付き合い説いたものが脳の刺激になるという。
率直に言うと読んでいくうちに不愉快になるが、いざやってみてこれが脳の刺激になるのであれば不愉快から愉快になる。しかし脳によっていい効果ができなければ今の不愉快がもっと不愉快となり、本書をもっと貶しているかもしれない。
本書は「段取り脳」である。段取りをどのようにすべきかというのを脳から刺激して効果をもたらすのが本書の狙いとするならば最初の4つが最もためになるだろう。最後の2章は付録と言ったものであると私は思った。

「仕事はストーリーで動かそう!」出版記念セミナー

昨日は「仕事はストーリーで動かそう!」でおなじみの川上徹也氏の出版記念セミナーに参加いたしました。

今回も簡単にまとめていきたいと思います。今回はゲストトークが豪華です。

ゲストトーク1 山田真哉氏

「さおだけ屋」や「女子大生会計士シリーズ」でベストセラーを連発している山田真哉氏

ストーリーとは三つの「り」であると。

1.もりあがり  2.ノリ  3.語り口

……気づいた方はいるかと思いますが、ネタばらしはしません。わかった方もご自分の胸にとどめておいてください。

それ以上にストーリーで大事なものは「つながること」である。人や事柄のつながりが一つに重なりあうことによって物語は紡がれ、そしてつながる、と。

ゲストトーク2 鹿田尚樹氏

読むが価値」でおなじみの鹿田尚樹氏。

先週のセミナーでは「ストーリー」を連発してましたので、どんな戦略をするのかというと…

「ドラゴンクエスト」です。今日これを出すということは…鹿田さん、ねらってたでしょ。簡単にいえば「20代~30代にかけて、このゲームで育ってきた世代を中心に人気を勝ち得ていくこと」が鹿田氏のストーリー戦略であるという。

ゲストトーク3 美崎栄一郎氏

一昨日に参加した「山の手の会」や「築地朝食会」の主催者である「みさ吉さん」こと美崎栄一郎氏。著者に送るノートや客と会場をも巻き込む「会」、そして無料配布している「新聞」によるストーリーについて話された。講演と同時に、ある著者を講師に誘う(参加者の目の前で)という戦術もまた、ストーリー!?

ゲストトーク4 小早川幸一郎氏

「仕事はストーリーで動かそう!」が出版されたクロスメディア・パブリッシングの代表取締役である小早川幸一郎氏。出版界の現状から、クロスメディア・パブリッシングがどのような戦略で出版させているのか。

そこにストーリーがある。編集者と著者の二人三脚はもちろんのこと、販売促進のために今度は書店を加えて三人四脚で売っていくストーリー。個人的には読者(書評ブロガー)も含めたら四人五脚になるのですがどうでしょうか。

今年のクロスメディアはというと…

「悪の帝国」

これまた(笑)。だがその理由を聞くと素晴らしい。「悪」には「悪」のストーリーがあること。そこを狙って荒波を乗り越えていくと。

最後は、川上徹也氏の講演。

ほとんどが川上氏の生い立ちと変遷についてであったが、そういった人生の中でストーリーを育ませ、本書が出来上がる。演劇(舞台脚本)や広告、番組構成など携わったからでこそ、こういったストーリーを考えることができる。そのことが本書が上司できたストーリにつながる。そう感じた講演でした。

懇親会では著者をはじめ、数多くの方と名刺交換、そして講演に匹敵するほど楽しかったです。

ストーリーが私たちを集めてくださいました。
そしてそのストーリーはまだ始まったばかりです。
これから30万部のゴールに向かって、
著者や私たちは、さまざまな方法で歩みだします。
そしてより多くの人を巻き込み、
大きなストーリーへと変貌していくことがこのストーリーの終着点であるかもしれません。

川上徹也様、ゲストトークをされた皆様、そして名刺交換をしてくださった皆様、ありがとうございました!!

親馬鹿力のおかげです―福を呼ぶ、人の育て方

親馬鹿力のおかげです―福を呼ぶ、人の育て方 親馬鹿力のおかげです―福を呼ぶ、人の育て方
林家 木久扇 林家 木久蔵 ブルース オズボーン Bruce Osborn

岩崎書店  2008-08
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「気をつけろ 黄色い着物が やってくる」
一昨年の秋に林家木久扇・木久蔵のダブル襲名し、名実ともに「馬鹿親子」をほしいままにした。「笑点」見ている人であればわかるだろう。
本書はその親子の生い立ちと共に木久扇の子育て指南をする一冊である。「抱腹絶倒!」とまではいかないが、面白おかしく書かれており、今の子育ての現状にたいして暗に一石投じるようであった。
第一笑「こんな親だけど、よろしく」
ここでは木久扇師匠がダブル襲名に至った喜びについて、自分の生い立ちについて書かれている。木久扇師匠自身の素直な感情が書かれており、「バカ」を演じている木久扇とは一線を画している。
第二笑「育ててくれて、ありがとう」
今度は息子の二代目木久蔵がみた親・木久扇の背中がこの章で書かれている。木久扇は直接会ったことがないが落語といい、笑点といい嫌われる人柄じゃないとあるが、まさにその通りである。木久扇自身が醸している雰囲気で笑わせることができる力をもっている。「噺家だから」というのもあるかもしれないがそう言った雰囲気を持つ人というのは私の見た限りでは少ない。木久蔵はその背中を見て噺家になった。だが木久蔵は「木久蔵伝(主に父・木久扇のものまね)」以外は古典落語を行っている。その転機というのも本省に書かれている。
第三笑「親馬鹿力・八つの力」
いきなり「親馬鹿力検定」である。全部で8問あるが購入した方は正直に答えてください。著作権の関係(というよりも個人的な理由)で公開しない。だがこれだけは公開する。「八つの力」についてである。本「笑」で出てくる「八つの力とは」
「かわいがられる」
「自分を好きになれる」
「自信をもてる」
「失敗を恐れない」
「自分をコントロールできる」
「人から信頼される」
「親の器を超えられる」
「幸せになれる」
である。
第四笑「春風亭小朝師匠に聞く、林家親子の親馬鹿」
「バカ親」と「木久扇・木久蔵親子」の違いとは一体何なのか。「バカ親」というと自分の息子に対して英才教育を受けさせる。そして親は自慢話の道具にする。後者の親子はほめて・かわいがって・自信を持たせて、それでいて何をやらせてもいいという良い意味での放任主義である。
第五笑「うちの親馬鹿力は不滅です」
よく今の子供、若い者には礼儀がないという言葉を聞くが、では礼儀は学ぶものかというのかというとどうやら本書を読んだらそうではない。「礼儀は自然に身につくもの」だという。子供は親の背中を見て育つが如く、親が礼儀正しくやっていれば、子供は自然に身に付けられる。だからこういった勉強というのは親から礼儀正しくすることから始まるのではないかと。
最近では「親が嫌い」とか親が共働きや親の事情で親からの愛を受けとれない人たちが多い。親とのコミュニケーションというのはかけがえのないものであるが、いざやってみるとなると難しい。この木久扇・木久蔵親子のような子育ての方法は、周りから見ても面白く、それでいて子供にとって正しい成長を促せられる方法である。子育ての本はあまり読まないが自伝というよりも、子育ての在り方について勉強したい人のほうが対象になるだろう。

レッドブル RB5を発表

レッドブル RB5を発表

http://f1.gpupdate.net/ja/news/2009/02/09/206661/

数日前の話で放置状態となっていましたが、レッドブルが新車発表を行いました。ラインナップは、ウェーバーと昨年イタリアGPで最年少優勝を果たしたベッテルです。

ただレッドブルはというとこの新車発表前後でいろいろとありました。まずはウェーバーが骨折。一応開幕戦のメルボルン(自身のホームグランプリ)までには至らなかった模様。ちなみに、入ってきた情報では3か月ぶりに復帰ししたというそうです。

http://f1.gpupdate.net/ja/news/2009/02/11/206819/

続いては新車発表会後ではベッテルがシェイクダウンをしたのですが、シェイクダウン後ギアボックストラブルに見舞われたようです。

http://f1.gpupdate.net/ja/news/2009/02/09/206715/

優勝候補の一角を切り崩せるかというチームですが、開幕前にして暗雲が立ち込めている様子です。「このシーンが今シーズンのすべてだった」ということにならないでほしいのですが…。

ロジカル・パーソナルブランディング

昨日はみさ吉さんこと美崎栄一郎さんが主宰する「山の手の会」に参加いたしました。前々から存じ上げていたのですが、本日が初参戦でした。

講師の方も昨年の読書パーティーの時に名刺交換をしていただいた坂田篤史さん。下記の著書やブログ「ロジカルブランディング-論理的なブランド戦略-」でも有名な方です。先のセミナーでは賞賛の声が上がっていただけにどのような講演になるのか楽しみでした。

今回も同じように内容はこっちに丸投げすることにして(要アカウント)、感想程度ということで。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39703000&comment_count=16&comm_id=1724660

まずテーマが「ロジカル~」ということなので論理的にブランディングをどうすればいいかというものでした。その論理の中には経営コンサルタント業とリンクした分析や手法も取り入れられており、私自身も経営学に関しては若干学んだことがあるので簡単に理解できました(SWOT分析など)。しかし、「言うは易し、行うは難し」がごとく、

「知るは易し、行うは難し」

でした。いざ自分があてはめてみて分析を行うとすると、どうやっていいのか分からない。ロジカル・ブランディングの語られる一貫性と、行う難しさを知ったというのが今回の講演の感想です。

懇親会では先週のセミナーの話題ことや坂田さんの軽妙なトークなどいろいろと楽しめました。しかしあまりに楽しめたので、帰りは終電…。しかも翌日は出勤ということだったので早々に就寝。で、この時間に感想の投稿に至ったわけです。

最後に講演のラストで出た3つの問いをネタばらし。これはロジカルだけではなくブランディングに関して全部言えることかもしれません。

「どんなブランド人になりたいか?」

「それを実現するためにやるべきことは何か?」

「それをいつまでに達成するのか?」

「山の手の会」主催者の美崎さん。講師の坂田さん。ありがとうございました!

日本最初のプラモデル 未知の開発に挑んだ男たち

日本最初のプラモデル 未知の開発に挑んだ男たち (アスキー新書 90) 日本最初のプラモデル 未知の開発に挑んだ男たち (アスキー新書 90)
竹縄 昌

アスキー・メディアワークス  2008-12-10
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日本人であればプラモデルというと心をときめかせる人が多いだろう。私もその一人である。この「プラモデル」というのは略語であり、正式には「プラスチックモデルキット」である。正式の名前を言ってもピンとこないので「プラモデル」や「プラモ」と言った略称のほうがいいだろう。プラモデルと言ってもかなり奥が深く食玩のように簡単に組み立てられるものから組み立ててから塗装をするといった本格的なものまである。私は簡単なものしかやらなかったが、プラモデル店にいつも言っていた時には本格的なものの完成物を眺めるのが好きだった。
第1章「その時代とマルサン商店」
本書は昭和33年に「マルサン商店」が国内初のプラモデルを発売した。それまでのストーリーについてがここから書かれている。
第2章「金型を彫った男」
プラモデルの金型を初めて手掛けたのはスモール・シバタこと柴田幹雄の話である。
第3章「売り歩いた男」
今度は売り歩いた男、鈴木甲子夫の話である。本書を読んで印象に残った部分である。今ではパ技術が進歩しており、写真にとってプリントアウトしたリ、パソコンをもってプレゼンテーションというようなことが可能になったが、昔はそうにはいかなかった。移動すると言っても航空機はあったが高くて手が出せず、さらに新幹線も開通する前のことであった。実物をいくつも鞄に詰め電車を乗り継ぐ、ときには寝台列車に乗って売り歩いたという話があった。今のサラリーマンを見てみたら昔の血の滲むような頑張りをしたサラリーマンより弱くなったなという考えもした(そう言う自分もサラリーマンだが)。こういったことがあったからでこそ今の日本があるのかという感謝の思いのした所である。
第4章「組み立て説明図を描いた男」
プラモデルには多くには設計図が書かれており、それ通りに組み立てるという楽しみがある。その設計図を作った男について書かれている。
第5章「プラモデル流行をブーストした男」
プラモデルが出てきてからすぐにブームになったわけではない。
プラモデルブームの火付け役となった番組がある。その名は「陸と海と空」である。その司会者が四代目三遊亭金馬であり、かの「お笑い三人組」の一人である。金馬自身もこの番組でプラモデルに強い興味を示し、今年の3月で傘寿となる今でもサークルでもって続けていらっしゃる方である。この章は金馬なしには語れない。しかしプラモデルと金馬という共通点はプラモデルで噺をするという考えさえ浮かんでしまう。
第6章「時を超えて」
昭和33年で初めてプラモデルが発売されて51年経つ。この時の中でプラモデルの種類は多岐にわたり、もはや子供たち、あるいは大人たちの趣味の一つにまでなった。プラモデルにロマンをかける人も中にはいるほどなのだから、プラモデルにどれほどの力があるのかというのは計り知れない。しかしこれだけは言える。この51年の時を超えてもなおプラモデルがあり続けるということ。「失われた十年」や「原油高の高騰」や「世界恐慌」により多くのプラモデルメーカーが倒産した。それでもなお生き続けている。ファンがいる限りプラモデルの歴史はこれからも続く。

東京フレンチ興亡史 ――日本の西洋料理を支えた料理人たち

東京フレンチ興亡史  ――日本の西洋料理を支えた料理人たち (角川oneテーマ21) 東京フレンチ興亡史  ――日本の西洋料理を支えた料理人たち (角川oneテーマ21)
宇田川 悟

角川グループパブリッシング  2008-12-10
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本書は東京におけるフランス料理の歴史について書かれている。フランス料理から入るかと思った最初は「ミシュラン東京」をこき下ろしている所から始まっている。私は「ミシュラン東京」については否定的な立場にあるのでなかなか愉快なところであった。本場の「ミシュランガイド」と「ミシュラン東京」を比較しながら書かれている。「ミシュラン東京」を作った会社は本書の主張が行き届いているかどうかにかかっているが。だが私は「ミシュラン東京」には興味がないのでどうでもいい話である。最初に出始めたころには「食品偽装問題」が出てきたので「ミスランガイド」が出てくるのかと勘違いしたほどであるから(失礼しました)。
第一章「黒船来襲から天皇の料理番まで 黎明期を支えた料理人たち」
1853年黒船来襲してから、今までずっと敷いていた鎖国が解かれ次々と海外からの文化が取り入れられた。フランス料理がはじめて伝わったのは定かではない。江戸時代最後の将軍徳川慶喜がアメリカかイギリスかの使者を招いて牛肉かフランス料理を食したということも聞いたことがある。庶民がそう言った料理を食べられるようになったのはご存じのとおり明治時代の文明開化である。
第二章「戦後復興、生き証人が語る昭和を支えた料理人」
洋食は庶民の間でも親しまれた。例えば中村屋というのが非常に有名で戦前にはラース・ビハリ・ボースがかくまってくれたお礼としてのインドカリーは有名である。本書はフランス料理の話なので、話を戻す。戦後復興のために多くのフランス料理人がいたサリー・ワイルは料理人を育成し、「ホテル御三家」のフレンチの根幹となった小野政吉や村上信夫についてがここで書かれている。私はある勉強会に参加するため「帝国ホテル」に行ったことはあるが、残りの「ホテルオークラ」や「ホテルニューオータニ」に入ったことがない。だがこれから行くことがあるかもしれないが、後者の2つホテルがここまで肩を並べていった理由は「帝国ホテル」への対抗心がそうさせた。
第三章「高度経済成長期の料理人たち」
高度経済成長になるとフランス料理が庶民の間にも浸透するようになってきた。この時には本場フランスで修業をしたという料理人が続々と出てき始めた時期である。本場で学び、そこからの技術を取り入れ、自分自身でオリジナルをつくるというのはまずは本場の型を作らなければいけない。そう考えると多額の費用をかけて型をつくり、そして帰るころには型を破り、本場でありながらも独創的なフランス料理ができるという方程式ができる。修行というのはその連続なのかもしれない。
第四章「鉄人たちと新しいフレンチビジネス」
「日本人にしかできない、日本のフランス料理」
これは、下の漫画から出てきた言葉である。

この漫画は中華料理で有名な周富徳の生い立ちについて描かれた作品であるが、その周が料理大会の時にフランス料理代表が作った料理を見てその師匠が発したのがこの言葉である。
それと同時に本章を一つに集約した言葉でもある。
ここでは今人気シェフである石鍋裕、熊谷喜八、三國清三らをピックアップしている。
経済と同じように料理も絶えず進化している。しかし私はフランス料理とは無縁のせいか分からないところの多かった。フランス料理を愉しんでいる人には絶好の一冊なのかもしれない。フランス料理を味や香りで楽しみ、本書を読んでその歴史を味わうことができる。本書はそういった相乗効果があるのだろう。

変わる世界で日本はこうなる!

変わる世界で日本はこうなる! (竹村健一の3分間早わかり講座) 変わる世界で日本はこうなる! (竹村健一の3分間早わかり講座)
竹村 健一

青春出版社  2008-11-01
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2008年10月にアメリカ大手証券会社「リーマン・ブラザーズ」が破たんし、世界に経済は減速した。日本も例外なくその影響を受け、日経平均株価も一時7000円台を割り込むという事態になった。雇用状況も「派遣切り」や「内定取り消し」などが相次ぎ、世界的に経済は不安定に陥っている。政治もまた「定額給付金」や「解散」、あまり関心がないのだが「かんぽの宿」のことについて紛糾している、というよりも足踏み状態というべきか。
本書は評論家の竹村健一氏が日本の変化について予測している。
1章「新しい世界と日本のダイナミズムを感知せよ!」
ここでは「アメリカ後」の世界をはじめ、温暖化や国際関係、そして今年の5月から始まる裁判員制度について言及している。ここでは裁判員制度以外はさらりとした内容であった。裁判員制度については以前アメリカの「陪審員制度」と合わせて考察をしたものを書評したが、今回はそれだけではなくドイツの「参審員制度」も比較の対象に入っている。構成は陪審員制度と似ているが、それとはっきり違う点は「陪審員制度」は全員一致が原則であるが、「参審員制度」は多数決である。日本の裁判員制度はというと、理念はアメリカの陪審員制度であるが、実際は参審員制度と似ている。似ているというのは多数判決ではあるが、仮に裁判員全員が有罪判決を出して、裁判官全員が無罪判決を出す。数的には裁判員が6人、裁判官が3人なので有罪の判決が出るが、この裁判員制度は裁判官の意見が多い方を尊重するためこの時のケースは「無罪」となる。日本の裁判員制度は前述の「陪審員制度」と「参審員制度」の良いところをとっているという記述があったが、課題が山積している以上いいところばかりではなく悪いところも同じようにとっているのではないかとも考えられる。
2章「資源貧国・日本の生き残りの道が見えてきた!」
農業とエネルギーに関しての資源貧国である日本はどのような活路を見出すべきかについて書かれている。
日本の食料自給率は40%(カロリーベース)であり、石油や天然ガスなどの資源があまりとれないということで「資源貧国」と呼ばれている。では「資源大国」とまではいかなくても「資源貧国」からの脱却を行う必要がある。しかし、日本は中国と違い安全性が高く、資源もレアメタルなどが採掘されることを考えるとまだまだ捨てたものではない。
3章「金融大転換の先に見えてきた、全く新しいトレンド」
埋蔵金や税制についてである。それほど印象的な所がなかったのでここは割愛する。
4章「塗り替えられた世界勢力地図と日本の立ち位置」
好景気の後には原油高の高騰により中国が急激に経済成長し、ロシアや中東などでは天然資源を駆使して荒稼ぎしてきた。だが最近は減速しているため鳴りを潜めている、むしろ損失している国もあるのでざまあみろと言ったところである。
5章「立ち直る日本に、いま必要な人・もの・発想」
経済が減速しているときにこそ日本が立ち直る必要がある。では立ち直るためにはどうするか、人・モノ・発想の観点で提案している。印象に残ったものを2つ取り上げる。
「税金ゼロ国家構想(p.148より)」
税金によってまかなわれているという概念を捨てろということである。埋蔵金がどれだけあるか、そして税金がなくなればどのようにして財源を持ってくるのかということも考えなくてはいけない。だが既得権益を守りたい輩もいるので難しい。
「大工技術(p.169より)」
こんな一文を発見した。
「日本の家は奇麗で、機能的に素晴らしい。どうして、こんな素晴らしい家を捨てて、洋風にしてしまうのか(p.170より)」
洋風化は明治維新後に勧められたが、これはホテルなどの施設のことである。だが庶民単位で洋風化になったのは戦後になってからである。確かではないのだが米兵たちがその家を見たときに日本の建築手法や技術を全否定した話を聞いたことがある。それを真に受けたことによって洋風化になってしまったのではないかと思う。
日本の家屋というのは機能的であったとすると、先日のセミナーのファンクションを用いることもできる。日本は過去には機能的に考えていた時代があった。
6章「あなたの24時間がここまで変わりだす!」
これからは学ぶ、運動する、如何なく発想の幅を広げる、そして行動する。不況だからでこそ、自分のために投資をする。それがカギである。
竹村氏は多くの著書を生み出しているが私自身それほど読んだことなく、本書がまだ2冊目である。だが竹村氏の主張というのは「ユニーク」の一言に尽きる(「正論」かそうでないかは置いといて)。最終章でも書いたことだが世界恐慌で混沌化している時代はどうも下を向きがちになる。その時代だからでこそ臥薪嘗胆である。学び、働き、とにもかくにも行動を起こす。そのことが不況を吹き飛ばす重要なカギとなるであろう。

ワクワークショップ Vol.01

昨日は「読書ノススメ~読書とは「読んだら書く」~」でおなじみの竹原さん主催の「ワクワークショップ Vol.01」に参加いたしました。講師の方は横田尚哉氏

昨年の10月の出版記念講演会でファンクショナル・アプローチ(以下FA)についての実践編、自己投資についてのFAという内容のものでした。

内容に入る前にちょっと会場にたどり着くまでのいきさつについて恥ずかしい話を。

実は開始時間と会場を間違えてしまいました。

14時からと思い込んでしまい、その前までに会場につきました。しかしついたところは、今日のセミナーの会場ではなく、

来週の土曜日に参加するセミナーの会場でした。

14時過ぎ青ざめながら本日参加するセミナー会場を目指していました。そして会場に着いたときにどうやって入ってきたらいいだろうか…と思ったら、参加者と思わしき方々が11階に、いったんメールを見たら…、

14時半スタートでした。結局遅刻どころか、間に合ったということ。

今日学んだことはセミナーばかりではなく、「当日の確認はしましょう」ということ。ただ今回は結果オーライだったが…、もしこれが14時だったらと考えるとゾッとします。

さてネタバレしない程度に中身に入っていきたいと思いますが、

(先の講演会と重なったところを除いた)内容は、

「投資」と「消費」の違い

簡単にいえば「投資」は財産が上がる(「財産」はお金とは限らない)。「消費」は財産が下がる。目的を持つか持たないかによって、書籍を買ったりセミナーに参加したりすることによって、「投資」になるか「消費」になるかである。財産を得る「投資」にするためには、「ファンクション」の世界によって目的を明確化しなければならない。

グループワークとして本やセミナーや人脈についてFAを実践

5人1組となって本・セミナー・リアル交流などのファンクションを挙げていく。そこから目的化していく作業を行った。5人1組であるのでなかなかそれをファンクションを出すのが難しいが、目的をいろいろ考えるとおもしろい。そして目的化(組み立て)していくことによってより読書やセミナーをやっていく意義も明確化していける。

余談だがあらかじめ課題としてあった実態調査の結果もあった。

そしてこのセミナーの最終目的は

得たことをファンクションにつなげる

交流会でも、懇親会でもその「目的」が明確になっていなければ「投資」ではなく「消費」になる。

交流会・懇親会でもファンクションは炸裂。

交流会では机とイスの、懇親会では電車のつり革の、

それぞれのファンクションについて議論しました。

日常当たり前にあるもの、でも「それは何のためにあるか。それは誰のためにあるか。」を考えること。

今ネットもあり「答え」を見つけだすことが可能です。しかしリスクもあります。それは

考えなくなること

です。自分なりでもいいから答えを見つける。それはネットにあるものではなく「自分の頭で考える」こと。この言葉である名言を思い出しました。

自分自身の道を彷徨って歩いている子供や青年のほうが、他人の道を間違いなく歩いている人々より好ましく思う

若きウェルテルの悩み」で知られるゲーテの名言です。ネットは「他人が見つけだした、 正解の道」で、自分自身の道は「自分なりの答えの道」です。しかし自分の道は正解かどうかはわかりません。もしかしたら間違っているのかもしれません。でも「考える」というのは「自分の道をさまよいながら歩いている」にほかなりません。

最後になりましたが、このセミナーを開催してくれた竹原さん。講師の横田様。そして名刺交換をしてくださった皆様。

ありがとうございます!

琢磨、シート争いに敗れる

ブルデーのトロロッソ残留が正式発表! 琢磨、シート争いに敗れる

6日、スクーデリア・トロロッソが、セバスチャン・ブルデーの残留を正式に発表した。来季同チームはブルデーとセバスチャン・ブエミのコンビで戦うことになる。
(中略)
これで、売却された場合のホンダF1のシートを除き、全チームのレースシートが埋まったことになる。

上記のようにトロロッソも決まりました。すでに決まったブエミに続いて、ブルデ―が残留を決めたそうです。

おそらくほかにいいドライバーがいなかったというべきでしょう。琢磨もテストでは良いタイムを出したのですが、それと上層部が気に入りレースドライバーになれるというのは別問題。それに琢磨はすでに引退の時期を迎えていると判断したのかもしれません。ブルデ―は今年は試練の時となるでしょう。昨年はベッテルの栄光の陰に完全に隠れてしまったわけですし、表彰台のチャンスを逃すこともありましたから今年は何が何でも結果を残さなければ再来年はいないと思ったほうがいいでしょう。

あともう一つこれとは関係ないのですが、気がかりなのがホンダの売却先が決まったのかどうか。最近では、アメリカ人が買収するということまで入ってきましたが、真偽のほどは。

ともあれ来月の開幕にはどうなる事か。

戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語

戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語 (中公新書) 戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語 (中公新書)
小菅 正夫 岩野 俊郎 島 泰三

中央公論新社  2006-07
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旭川市にある「旭山動物園」、福岡県北九州市にある「到津の森公園」の共通点は絶望的な危機となった状態から見事に変貌を遂げたことにある。かたや試行錯誤の末「行動展示」を行うことによって「日本一の月間入園者数」を記録し、かたや地域の力でもって閉園から復活させた。本書はこの2つの動物園の復活へのエピソードと両園長の交流について書かれている。中公新書は学術的なものが多く読みにくいものが多いが、良い意味で「中公新書らしくない」一冊、つまり読みやすい一冊である。
1.「旭山動物園の衝撃」
旭山動物園と言えば旭川市の観光名所の一つとして有名であり、中でも「行動展示」が人気である。私も旭山動物園には何度か言ったことがあるが、入場者数が急激に伸びた最近は行かない。神奈川在住であるため、旭川に帰るとなるとそう簡単にはいかない。
それは置いといて、「行動展示」と言えばホッキョクグマやオランウータンなどある。旭山動物園は1994年にエキノコックス症により途中閉園に遭い、その後も減少も続けたが著者の一人で同動物園の園長である小菅正夫が動物の行動を見ながら「動物が自然に行動している姿」をそのまま見せることを考え、行動展示を次々と完成した。その魅力というのは「可愛い」のではなく「すごい」ところにある。章題が旭山動物園なので全部言いたいところだが本書のタイトルに「到津の森公園」も書いておく必要がある。「到津(いとうづ)の森公園」は福岡賢北九州市にある市営の動物園である。1998年までは西武鉄道が運営していたのだが「平成の大不況」の余波により閉園。2002年に北九州市が経営を引き継いで再び開園した。ここでは市民ボランティアによって清掃などの活動が行われており、動物の展示方法も「ふれあい」を行う工夫がなされている。さらに林間学園は戦前からずっと続けられているほどである。
2.「どん底」
どん底となったのはちょうど「失われた十年」の時代である。
旭山動物園は1994年にエキノコックスによって途中閉園し、96年には最低観客数を記録した(しかし97年以降はずっと右肩上がりである)。一方の到津の森公園も前述のように98年に閉園し4年間もの空白を作ってしまった。動物園の話とそれてしまうがバブル景気などの大幅な経済成長により公共施設や娯楽施設を軒並み立ててきたつけがたたったという考えがある。だが動物園や博物館といった施設というのは閉園することはほとんどないだろうというのが私の考えではあるが、関心が薄れたもしくは他の所に興味が行きそれどころではなくなったせいかそう言う施設も閉園が相次いでいる。さらにはインターネットにより行動を見ることができるため今後博物館や動物園がバーチャルの環境に淘汰されるのではないかという危惧さえある。
3.「逆転」
旭山動物園も到津の森公園も市が運営している。当然、市の予算を動かしているわけである。旭山動物園では市長をはじめ、市議会議員を説得するために東奔再走した。北九州市では閉園発表後すぐに存続のため、署名運動を行った。どちらも存続がかなったのであるからいい例である。それでもかなわなかったところも数知れずである。
4.「これからの子どもたちへ――動物園から」
まず小菅が岩野と会い、到津の森公園を訪問するために北九州市に渡った。その時のやり取りなどについて取り上げられているが、お互い似ている境遇からか掛け合いが上手いと思った。さてこの章では私自身驚く文言があった。
「そう言えば、旭川は明治維新後に「北の都」とされようとした歴史がある。(p.197より)」
最近旭川の中心部では再開発事業がおこなわれており、その開発地区が「北彩都あさひかわ」という愛称が付けられているが、この「北彩都」というのがここからあるのかもしれない。さらに明治維新後であるが、旭川市が誕生したのは1890年であるが、なぜ「北の都」にされようとしたのかについては、私の知る限りではそう言ったことは出てきていない。
旭山動物園と到津の森公園の復活を見るのと同時に動物園の在り方について両園長の視点から書かれていた。前述のようにバーチャルが淘汰される今、リアルで動物に触れる大切さというのはもっともっと重要なものになる。そのとき両動物園の重要性というのはますます強くなるだろう。

食料自給率のなぜ

食料自給率のなぜ (扶桑社新書) 食料自給率のなぜ (扶桑社新書)
末松 広行

扶桑社  2008-11-27
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現在日本の食料自給率は40%である(カロリーベース)。先進国の中でも最低の数字である。残りの60%は当然輸入に頼っていることになる。今では円高により輸入品は安く手に入るようになったのだが、「戦後最長の好景気」と言われた時は原油高の高騰などにより食品などが軒並み値上がりした。さらに異常気象も頻発しており事あるごとに影響を受けやすい。さらに経済は「世界恐慌」という非常事態であり、オバマ政権が「スーパー301条」を振りかざしてくる可能性も無きにしも非ず。本書はなぜ食料自給率が落ちたか、そして食糧自給率を回復させるにはどうすればいいかということについて書かれている。だが著者は農水官僚。官僚の書く分だから信用できないという人もいるかもしれないが、ここではそんな偏見は無視してみていく。
第一章「食料自給率四十%の実状」
「食料自給率」を算定するには2つの方法がある。一番最初に書かれた40%が生産熱量を基準に書く「カロリーベース」。もう一つが生産額をベースにして計る「生産額ベース(金額ベース)」というのがある。ちなみに日本における後者の自給率は66%である(2008年現在)。また地域別(47都道府県別)に見ることのできるものもある(農水省HPより)。2006年の概算値だがカロリーベースで最も高いのが北海道の195%、最低は東京都の1%である。これに対し生産額ベースでは最高が東国原知事の御膝元、宮崎県の256%で最低はこれまた東京都の5%である(同HPより。ただしページはxlsとなるため注意が必要)。地域によってよいところと悪いところの「格差」というのがあるかもしれないが、土地や都道府県の事情もあるためこれ以上は突っ込まないことにしておく。だが日本の食糧自給率は40%なのだがお隣の韓国では46%(p.36より)である。どれだけ輸入依存をどれだけ取り払うのかというのも石破茂農水大臣率いる農水省の課題と言えよう。
第二章「食料自給率低下がわが国に与える影響」
食料自給率が落ちている反面「肥満人口」が増加しているというあべこべもある。戦後以降の「食生活の変化」というのが大きなネックになっていると言える。だが間違ってほしくないのが、戦前の食生活はよくて、今の食生活が悪いのかというとそうとは言い切れない要因もある。例えば江戸時代では肉類を食すのは仏教によって禁止されており、残るは米と野菜と言ったものしかなかった。江戸時代では米食ばかりによりかかる「脚気」、通称「江戸患い」というのが流行したという話を聞いたことがある。その時は伝染病もあり、それほど医療が進歩していないこともあってか平均寿命は50歳前後であった。しかし肥満であった人はそれほどいなかった。そのことを考えると「肥満は悪なのか」という疑問さえ浮かぶ。
第三章「食料自給率低下が世界に与える影響」
食料自給率が低下しており、大半は海外から輸入していると書いたが、同時に水も輸入しているという記述があった。「エビアン」や「ボルヴィック」と言ったものを大量に輸入しているじゃないかと思ったが、実は「バーチャル・ウォーター(仮想水)」というのを輸入している。ではこの「バーチャル・ウォーター」とは何かというと農産物や畜産物に要した水であり、「食糧の輸入は、あたかも水の輸入のようなものだ(p.71)」というのはこのことである。
さらにもう一つ取り上げなければいけないのが食品ロス率である。農水省のデータによると宴会での食品ロス率(食べ残し量の割合)は15.2%、結婚披露宴ではなんと22.5%にものぼる。そう考えると日本人は食料輸入に依存しているが食品に対する意識が弱白化しているせいか大事にしないという感もある(それがマナーとしてまかり通っているところもある)。
第四章「世界の食糧事情と厳しくなる我が国の食料調達」
現在は世界恐慌により鳴りを潜めているが、世界的な食糧高騰はこれからまた起こるであろう。日本は初苦慮自給率が低いためにそれに敏感になってしまう。自給率を上げるということも急務の一つである。今回ちょっと批判したいのがこの四章の「地球温暖化で減少する世界の食糧生産」である。大干ばつや水没により作付面積が減少するというのが当然の話だろう。だがちょっと待ってもらいたいのが永久凍土により作物ができない地域、たとえばアラスカやシベリアと言った北極に近い地域が温暖化により農業ができるようになる。その面積の増加も加味したら減少というよりも変わらない、悲観的に見ても微減と言ったところである。
第五章「これからのわが国の食料安全保障」
ここからは食料自給率向上のための対策について書かれている。おもに水田の利用が多く、「国産米粉」や「飼料米」という対策が具体的に書かれている。確かに資料や粉に関しての自給率は著しく低い。米を代用すれば自給率が増えるというのはあるが、日本の米は外国と比べても高く(農協などによって統制されている)、飼料や米粉にしたらかなりの額となり手を出さない人もいるのではないかという不安もある。それであるならば中国などのアジアの富裕層に売りつけるという方が簡単な手段であるが。
第六章「食料自給率向上のために、今、できること」
食料自給率低下の最大の要因は「食生活の変化」である。最近ではコメを食べる人が減少し続けている。もう一つ簡単にできることがある。
「米を食べろ」
ただそれだけ。
おにぎりでもリゾットでもパエリアでも…。
いろいろ料理もあるし、食べ方もある。飽きることを考えて1日2食。多くて3食、4食、5食でもたくさん食べると日本の食料自給率に貢献できる。

エリー(C)―茅ヶ崎の海が好き。

エリー(c) 茅ヶ崎の海が好き。 エリー(c) 茅ヶ崎の海が好き。
岩本 えり子

講談社  2008-12-23
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昨年の8月のライブを最後にサザンオールスターズは無期限の活動休止となった。ファンである私は再び「サザンオールスターズ」が復活し、ライブを行い、シングル・アルバムを出すことを切に願っている。
サザン関連と言ってしまうとかなり失礼だが、本書の著者はあの桑田佳祐の実姉であるが、この方は本書を完成して10日後に帰らぬ人となった。つまり本作は史上唯一の桑田佳祐、及び茅ヶ崎についての自分自身の話を一冊にしたものであるということを考えるとそれらのことについて解明できる唯一無二の一冊と言ってもいいだろう。
序章「息子の誕生」
第一章「茅ヶ崎の姉と弟」
著者は1952年に誕生した。桑田佳祐が1956年と考えると3歳違いになる。この章では著者と弟の桑田佳祐の生い立ちについて書かれている。小学校時代の時のエピソードで「かえるの歌」を姉弟が追いかけっこして歌うところなのだが、この話を読んだ限り著者自身、弟が日本を代表する歌手になるということは予想だにしなかったであろう。さらに面白いことに小学校の時、洋楽にはまっていたのは姉の方でとりわけビートルズのファンだったということには驚いた。それにまつわるエピソードについても書かれている。桑田佳祐、もといサザンオールスターズの曲は洋楽を参考にすることが非常に多く、洋楽の歌もライブで披露されるが、姉の影響でということも考えられる。
第二章「カーメルの海」
ここではアメリカに通訳として滞在していた時のエピソードについてつづられている。「カーメル」というのはアメリカ西部のモントレー半島の南部にある街で、きれいな海で有名なところである。本書でもこの「カーメルの海」についてしばしば取り上げられている。ちなみに著者がこのカーネルに滞在していたのは70〜90年代の時である。70年代というとサザンオールスターズがデビューした時であり当時では「勝手にシンドバット」や「いとしのエリー」というのがある。余談であるがこの「いとしのエリー」の「エリー」は著者に由来している説があるほどだ。当時の結婚式ではこの曲がよく歌われており、「エリー」の部分を自分の妻の名前に変えて歌ったそうだ。
第三章「サザンビーチにマンション!?」
著者は96年にアメリカから帰国して茅ヶ崎に戻った。それから9年後の2005年には巨大マンションが建設されるということで、その反対運動の活動に尽力した。このマンション建設予定地が茅ヶ崎の名所「サザンビーチ」に建てられそうだという。「サザンビーチ」というと夏には海水浴客でにぎわい、晴れた日には富士山を一望できる。しかしそのマンションの建設予定地はそこの近くであり、もしマンションが建ったらこの富士山を一望することができなくなるほど巨大なものであった。その反対運動「はまけい(茅ヶ崎・浜景観づくり推進会議)」は署名活動を中心に行われ、(業者側と)果敢に戦い、そして約1万8千もの署名が集まり、工事は中断されたという。この反対運動については私は耳にしたのだが結局署名はしなかった。そう言う声がかかってこなかったからだ。とは言っても私は茅ヶ崎に行ったことはないのだが、サザンファンである私にとって「茅ヶ崎」はまさに「聖地」というほかないと思う。サザンの曲でも茅ヶ崎や「サザンビーチ」を舞台としている曲も多数存在する。もし時間がとれたら1度は行ってみたいと思っている。
弟、桑田佳祐への思い、故郷茅ヶ崎への思いというのが伝わる一冊であった。
最後に本書の著者、岩本(旧性:桑田)えり子氏のご冥福をお祈りいたします。

コスメの時代―「私遊び」の現代文化論

コスメの時代―「私遊び」の現代文化論 コスメの時代―「私遊び」の現代文化論
米澤 泉

勁草書房  2008-12-12
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本書を読んで、ずっと前に「電車の中で化粧をする女たち」を書評したことを思い出す。確かこの時に書いたのは、「化粧とファッションについて」、「化粧はマナー違反であることの反駁を求める」ことであった。今思えばこのコスメと「遊び」、「オタク」の考察についてがほとんど書かれていなかったことに気づく。だが本書はこういったことをさらに深化して考察している1冊である。
序章「ファッションの八〇年代から化粧の現代へ」
女子というとプリクラやケータイ、インターネット、さらにファッションとしての「化粧」がある。それは80年代にはやったDC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドによるファッションの個性化から、今度は化粧やプチ整形といった化粧を使っての自己表現が出てきたのが現代である。今や化粧は「サブカルチャー」や「ファッション」と同義個にとらえられるようになったと著者はいう。
第一章「少女の消滅――オリーブ少女からコギャルへ」
数年前に小学生が化粧をするというものをTVで見たことがある。それはさておき、本章ではファッションの「Olive」という雑誌から名付けられた「オリーブ少女」。前章のファッションの個性化の火付け役となったのがちょうどの時である。そこからファッションから脱し、「化粧」へのシフト、そして化粧の在り方の変化についてである。序章を少し細分化したところと言えよう。
第二章「物語の終焉――教養小説からキャラクター小説へ」
80年代には「an・an」、90年代では「JJ」と言った女性誌を中心としたファッションの物語についてである。ちなみにこの「物語」は女性のプライスはファッションとされていた80年代(「an・an」全盛期と言ったほうがいいか)にピークを迎え、90年代に入ってからは女の子の心をわしづかみにしたのはロマンティックではなく、現実路線であり、個人化主義のもとにある「キャラクター路線」に転向したと言ってもいいかもしれない。
第三章「個性神話の崩壊――コム・デ・ギャルソンからユニクロへ」
さて章題に書いてある「コム・デ・ギャルソン」とは一体何なのかという所から入らないといけない。「コム・デ・ギャルソン」は1969年にデザイナーの川久保玲が節室したブランドで80年代を中心に流行したファッションブランドである。とりわけこの年代では白や黒を基調としたものトーンで、奇抜なファッションとして人気であった。そう、80年代は奇抜なファッションが流行だった時代、章題で言う「個性神話」時代というのがこのことである。ところがこの流行も長続きせず90年代後半から「ユニクロ」が登場し瞬く間に個性神話が崩壊した。「ユニクロ」によって「カジュアル」がより重視され「個性化」というのが一気に凋落を迎えさせたと言ってもいい。
第四章「フラット化する「私」――「毒(プワゾン)」から「ヤングセクシーラブリー」へ」
章題の「フラット化」というよりもこのところでは副題が重視されている。ここでは香水についての流行が書かれている。80年代は「毒(プアゾン)」で最近では「ヤングセクシーラブリー」の時代に変遷したことである。ここで「毒」というのは「クリスチャン・ディオール」が80年代に送った新作であり、なぜ毒なのかというのは本書では「大人っぽい」であった(p.131より)。さて後者の「ヤングセクシーラブリー」だが、2006年8月に出たもので、ごく新しい。この「ヤングセクシーラブリー」とは一体何なのか、簡単にいえば「私」そのものである。つまり香水ではファッションとは違い「個性化」というのが進んでいると言ってもいい。
第五章「一億総オタク化する社会――モノ語りの人々からコスメフリークへ」
「電車の中で化粧をする女たち」では重点的に取り扱ってきた化粧の「オタク化」。これが本書日に手さらにパワーアップした形で書かれている。ついこの前までは「電車で化粧をしている女子高生を見かけることが多かった」と言ったが、今度は(私の見た限りでは)電車やバスで堂々と化粧をする中年女性も出てきた。もはや「化粧=オタク」という方程式に限りなく近づいた証拠ではなかろうか。
終章「私探しから「私遊び」へ」
80年代は個性的なファッションにより聞かざることによって「自分」を探していた。しかし今となっては化粧を行うことによって「私」をいくつものキャラクターを演じ分けることのできる「私遊び」にシフトしていった。こう演じる自分が可愛いという自画自賛、「私萌え」というのも本書に書かれているほどであるから余ほど化粧をする女性が自画自賛していることだろうか。
男性の「オタク」と言えば今となっては「美少女アニメ」と世間は言うだろう(それ以外でも「オタク」ということはある。例えば鉄道とかがそう)。しかし女性の「オタク」というと、「化粧」であろう。そう言う意味では「一億総オタク化」というのはある意味その通りかもしれない。

圓楽 芸談 しゃれ噺

圓楽 芸談 しゃれ噺 圓楽 芸談 しゃれ噺
三遊亭 圓楽

白夜書房  2006-07
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2006年春に五代目三遊亭圓楽が笑点を引退、それと同時に落語界からも一線を退いた。私は圓楽の落語はCDでしか聞いたことがないが十八番の「浜野矩随(はまののりゆき)」や「中村仲蔵」であれば聞いたことがある。圓楽の話を一言で言うと芝居噺を聞いたことしかないせいか「迫真」と言うほかない。今度は圓楽の人情噺、とりわけ涙を誘うような噺を聞いてみたい。
それはさておき本書は三遊亭圓楽の生い立ちについてつづられた一冊である。
第一章「寺育ち」
三遊亭圓楽、本名吉川寛海は寺の四男として生まれた。厳格な父をはじめ多くの人たちに囲まれ時には厳しく、時には優しく育てられた(本章を見た限りでは「厳しく」のほうにウェイトを占めているようだ)。圓楽が幼少の時に関東大震災や大東亜戦争を体験した。その時の状況について結構生々しく書かれていた。戦後圓楽は落語や講談を聞き噺家になろうと決意。昭和の大名人の一人である六代目三遊亭圓生の門をたたいた。これまでには圓楽の特徴である「馬面」の話まで描かれている。「牛には塩、馬には砂糖(p.52)」と言われているとおり、圓楽はコーヒーを飲むときは必ず砂糖を入れるという。それでますます馬面になって笑点でネタにされた。
…失礼いたしました。
第二章「落語漬けの青春」
失礼な話はさておき、圓生の門をたたいた圓楽はこう言われた(p.65より)。
「ざっと五十年は食えませんよ」
圓生自身の体験からか言っていることであるが、圓楽の話となるとこの言葉をよく思い出す。それだけ私にとっても印象的な言葉である。噺家ばかりでなくこういったもの書きももしかしたら昔はこの言葉通りだったのかもしれない。
さてどうしても懇願した圓楽は晴れて圓生門下に入門した(当時の名は「全生」)。前座生活から稽古までの当時のことを忠実に書かれていた。前座の時というと圓生ばかりでなく、志ん生、文楽、金馬と言った名人たちが寄席などで鎬を削っていた時代である。ここでちょっとおもしろい一文を発見。
「ところが、あたしは……談志はああみえて、案外気が小さいんですよ(p.86より抜粋)」
(五代目立川)談志は談志で「私は圓楽が嫌いです」と公言している。仲が悪いように思えるが、前座から「四天王時代(四天王は談志、圓楽のほかに、三代目古今亭志ん朝八代目橘家円蔵がいる)」にかけてお互いに切磋琢磨し、お互いに励まし合った仲である。本章ではこの「四天王」についてもしばしば出てくる。
第三章「圓楽襲名」
圓楽は昭和37年10月に真打昇進を果たし、五代目三遊亭圓楽を襲名した。余談だがこの半年前に志ん朝が真打昇進を果たした。本章の前半は志ん朝と圓楽の話について書かれている。なんと志ん朝が入門する前の時に噺家になろうという相談をした相手が当時前座が圓楽であった。圓楽と志ん朝の中はその時からであった。そこから談志や円蔵との交流が始まったと言っていい。ちなみにこの「円楽」の名は林家にも縁がある。というのは先代の八代目林家正蔵、通称「彦六の正蔵」の前々名が「三代目三遊亭圓楽」であった。圓楽に対しては数席稽古につかせて気に入っていたという。そのことから円楽を譲ったという話があったりなかったり。
第四章「あたくし的『笑点』史」
圓楽と笑点の歴史は桂歌丸に匹敵するほど長い。何せ初代メンバーの一人であったのだから。さて笑点は様々な紆余曲折を経て40年以上の歴史を持ち、今も高視聴率を稼いでいる。初期の司会はあの立川談志。ブラックジョークと言ったことなどでの対立で降板し、三代目司会者の初代三波伸介となった時に復帰した(先月二代目三波伸介が襲名されるということなのでここでは初代と冠した)。ここで「星の王子さま」「湯上がりの顔」「名人圓楽」そして「アシの王子様(骨折した時の圓楽の紹介)」等キャッチフレーズが出てきたときもこの時である。そして圓生からの厳命により番組をいったん卒業。そして司会に返り咲きという遍歴を持つ。私は物心がついた時から笑点を見ていた記憶がある。最初に笑点を見た記憶はというと、メンバーは三遊亭小遊三、林家木久蔵(現:林家木久扇)、桂歌丸、三遊亭楽太郎、林家こん平、七代目桂才賀の時なので21・2年前になる。本当に物心がついた時なのでどのような問題だったのかというのは覚えていないが。
第五章「圓生、そして一門」
圓生一門について書かれている。その中で圓楽のように大きく成長した円窓と言った存在から、圓生から徹底的に飽きられたり嫌われたりし、最後には破門されたさん生(現:川柳川柳)や好生(後の春風亭一柳、故人)についても圓楽の心情とともに綴られている。前述の波紋の引き金となった「落語協会分裂騒動」についても言及している。
第六章「“戦争と平和”」
圓楽が持っている噺の中に章題の噺もある。さらに四章で紹介しきれなかった笑点の噺もここで書かれている。おもに笑点に出演している噺家の話であるが。現在司会をやっている桂歌丸のことについては、ある意味悪口に近い。
「その歌さんも落語に出てくる物知りのご隠居を彷彿とさせる風貌や、ことにあの人並みはずれて無駄を省いた頭髪といい、物知りぶりと言い、個性が際立ってますよ(p.273より)」
禿ネタが多いがこれを上品にいうと「無駄を省いた頭髪」になる、か。
……入院中失礼しました。
第七章「好きな噺、思い出深い噺」
ここでは圓楽自身の持ちネタについての好きな噺、思い出の噺について書かれている。上記のような「浜野矩随」や「中村仲蔵」のみならず様々な話について語っている。前述のように私は圓楽の噺はあまり聞いたことがないので、もう少し聞いてから書くことにする。
五代目三遊亭圓楽は噺家であると同時に「笑点の顔」であった。ちなみに来年春には弟子の三遊亭楽太郎が六代目三遊亭圓楽を襲名する。五代目のあるいてきた道を歩むのか、それともまた違った「圓楽」を見せてくれるのか楽しみである。

上に立つ者の心得―『貞観政要』に学ぶ

上に立つ者の心得―『貞観政要』に学ぶ 上に立つ者の心得―『貞観政要』に学ぶ
谷沢 永一 渡部 昇一

致知出版社  2008-06
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「論語」や「孟子」なら中国の古典として聞いたことがあるだろう。
では「貞観政要(じょうがんせいよう)」は聞いたことがあるかというと、おそらく知らない人が多いだろう。ではこの「定観政要」とは一体何なのかというと、簡単にいえば「帝王学」という類に入る。そう考えると「論語」と似ているのかというと、似ていない部分の方が多い。というのはこの「貞観政要」はどのように統治したらいいのかというのを具体的に書いている。数千年にわたって読み継がれた「真のリーダー論」であり、北条政子や徳川家康が愛読したと言われている。この2人を共通して言えることは100年、200年にもわたって統治を続けることができたことにある。「貞観政要」はまさに「真の「帝王論」」であると同時に「真の「リーダー論」」というべき書物である。本書はその「貞観政要」を関西大学名誉教授の谷沢永一氏と上智大学名誉教授の渡部昇一氏が対談形式で読み解いている。
第一章「リーダーの必読書『貞観政要』」
第一章に入る前に登場人物について簡単に解説されているので読んでおいたほうがいい。
この「貞観政要」は日本には平安時代から伝わった。厳密にいえば遅くとも桓武天皇の時代のころなので奈良時代後期〜平安時代初期にかけて伝わった。これに関する翻訳はわずかしかなく上下巻を1冊と数えても2冊しかない。

ビジネス書を出版される会社はこう言った本の解説本であったり翻訳本を出していただきたいと思っている。ちなみに上記の中で原田種成が翻訳されたものがあるが出版が30年前であり、入手困難であり、何よりも高い。こう言った本の翻訳のブームの兆しがあればいいが、それが本書であれば幸いなことだが。余談であるが本書を読了後、右の一冊は購入済みだが、まだ読んでいない。これからじっくり読むことにする。
第二章「王と諌臣の奇跡的な関係」
能書きはここまでにしていよいよ「貞観政要」の中身に入っていく。ここでは王を諫める「諌臣(かんじん)」こと「諌議大夫」にスポットを当てている。有名な言葉としては

「朕、不善有らば、卿必ず記録するや」
「道を守るは官を守る如かず」
(「私が悪事を働けば、お前はそれを必ず記録するのか」
 「職責を守ることが道徳に適うことだと思っています」(p.38より)

皇帝太宗は君主としてもい言はあるが魏徴という「諌臣」の忠言をしっかりと聞き、反省しながら統治している姿こそ帝王学の真髄と言える。帝王学は帝王一人だけで学ぶのではなくその下に、帝王を諫める人も帝王の暴走を予防、もしくは食い止めるための措置をどうするべきかというのを学ばなければならない。「諌臣」は故事を引き合いに出して具体的に諫めたとされており、帝王も反省しながら自戒していくというまさにコンビネーションでもって統治していく。さらに日本で言う「内助の功」も必要で江豪の祐樹というのも本章の後半に書かれている。ここでは最高の皇后と最悪の女帝という両極端にあった女性についても言及している。
第三章「強固な国づくりの根本理念」
次は「国づくり」である。リーダーの立場についてこれも有名な言葉を引用する。
「君主は舟なり、民は水なり。水は能く船を載せ、亦能く船を覆す(p.77より)」
君主はわたり船であり、民の力によって転覆されることもある。民も力を合わせることができれば君主をその座から引きずり下ろすことができる。これは今の民主主義の根幹とも言える言葉と言っても差支えない、民主主義国家は国が違えど「選挙」によって政権を選ぶことができる。後半には死刑存置・廃止論が叫ばれているが罰せられることが少なくするにはどうすればいいのかというのを模索するならば、死刑の基準を引き上げろという主張をしている。これについては賛否両論があるかもしれないが、死刑廃止論は平安時代のことを引き合いに出す。それに対する存置論の引き合いとしてであればこれ以上の書物はないのかもしれない。私はどっちの立場かというのは明言は避けておく。
第四章「「公平第一」が成功する人材登用の秘訣」
トップは国づくりばかりではなく、部下を育てることもまた仕事の一つである。自分にとって役に立つ部下をつくることが大事である。ところでちょっとおもしろいのがこういったものがある。
「忠義の部下」≠「良い部下」(p.136より)
では「良い部下」と「忠義の部下」とは一体何なのか魏徴の答えを箇条書きにしてみた。(p.137より一部改変)
「良い部下」→「後世からも尊敬されるような立派な名前を得て、家系も絶えずに反映する。皇帝も「聖天子」という栄誉ある称号を受けることができる」
「忠義の部下」→「一族は皆殺しにされ、君子は暴虐になり、国も一族は滅亡し、忠臣であったということだけしか残らない」
本書ではこういった解説ではあったが、私の解釈としてちょっと補足を加えたい。「良い部下」は皇帝の意向を聞きながらも、皇帝の暴走を諫め、良い方向へと向かせることのできる部下。逆に「忠義の部下」はどんな意見でも忠実に守ることだけしか考えず、滅びの道を歩んでもそれに気づかない部下のことを言っているのではないかと私は思う。
第五章「現実を見失わないための心がけ」

「木、縄に従えば則ち正しく、君、諌に従えば則ち聖なり(p.150より)」
(「どんなに曲がった木でも縄に従って切ればまっすぐになり、どんな君主でも、諫言の呈する家臣に従えば聖なる君主になれる」)

第二章で書かれたような内容をさらに深化して語られている。皇帝は現実を見据えながら、諫言の意見を取り入れながら国づくりなどに尽力する。皇帝は権力に酔いしれず、常に現実路線で政策を決めることが肝心と言える。これは政治家や企業のトップにも言えること。
第六章「永続の工夫と実践」
君主の統べる時代というのは永遠ではない。必ず終焉の時代を迎えるのが理である。しかしどれだけ長く保てるのかというのも課題の一つである。すべる時代を永遠に保つためには後継者問題というのがある。それに関してであるが今はなりを潜めているとはいえ皇室典範問題、いわゆる天皇後継者問題というのはいまだに解決していない。神話を含めても約2700年もの歴史を持つ天皇家だがここにきて窮地に立たされていること考えるとこういった後継者の問題というのはまさに「永遠の課題」であろう。
ちょっと話を戻す。国を永遠に反映させるにはどうすればいいのかという課題であるが、もうひとつある。それは「戦いを好まないこと」である。これは本書に書いてある、
「戦を好めば則ち人凋す(p.200より)」
「古より已来、兵を窮め武を極めて、未だ亡びざる者は有らざるなり(p.189より)」
を逆にして考えたことである。つまり戦好きは必ず滅亡し、戦を好まぬ者が繁栄を続けることができるという。
「貞観政要」を翻訳した文献はほとんどない。論語と比べたら雲泥の差というくらいに。おそらく「座右の書」にしている人もほとんどいないのではないかとも思う。しかしリーダー論が巷の書店で溢れ返っている今、この「貞観政要」は注目される時が必ずやってくるだろう。

不安定社会の中の若者たち―大学生調査から見るこの20年

不安定社会の中の若者たち―大学生調査から見るこの20年 不安定社会の中の若者たち―大学生調査から見るこの20年
片桐 新自

世界思想社  2008-12
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私は1985年生まれであるので「若者」に分類されるだろう。今言われている「若者」というと「就職氷河期」という名の就職難にさらされ、さらに格差社会にもさらされた「貧困」や「ロストジェネレーション世代」、さらに私たちの世代、通称「カーリング世代」を言っている。毎度のことながら「最近の若い者は…」という俗流若者論が所々言われる。だが昔の「若者」は一体どうなのか、どのような経緯でこういった「若者」に変わっていったのかというのが本書である。
本書は20年にも及ぶ大学調査の中で日本の「若者」はどのように変化していったのかというのを考察している。
第1章「これまでの調査から語ってきたこと」
「20年にも及ぶ」と書いたが本書では5年おきに調査を行ったものをもとにしているので実質5回行ったものをサンプルにしている。「新人類」という言葉が飛び交ったバブル景気の1987年、バブルが崩壊し、「55年体制」の崩壊の足音も聞こえてきた1992年、オウム事件や数々の少年犯罪、そして金融危機により日本中が恐怖を覚えた1997年、長い長い不況の真っただ中にあり学生たちも「就職氷河期」にさらされ疲労困憊状態になった2002年の計5回をサンプルにしている。
第2章「調査対象者に関する基本データ」
ちなみに本書でサンプリングした大学は全部挙げると「桃山学院大学」「関西大学」「大阪大学」など全部で6考に加えて短大1校もサンプリングに加わっている。
第3章「ジェンダーレス社会ではなく男女平等社会に向かって」
ここでは婚姻についてである。今も昔も変わらないのかどうかは分からないが女性が男性の制に改めるというのが一般的とされてきた。しかし本書の統計では「夫の名字を名乗る(べきもその方がいいという人も)」のが87・92年には半数いたのが今となっては「どちらかが改めてもいい」のほうが多い。最近では「夫婦別姓」の議論があるが、民法750条の改正などの改正も含めて今後の議論の火種になるだろう。
第4章「仲良し親子の行方」
数年前にTV番組で「友だち親子」というコーナーがあったことを思い出す。しかし親子というのはこうであるべきなのかという疑問がいまだに残る。親子関係は共働きの増加により疎遠になっている、「ワークライフバランス」や「ワークシェアリング」という言葉を叫ばれるようになったのだが、今度は親の方が子供に歩み寄ってしまうという現実もある。
それはさておき、この章では子供による「親の評価」についての考察を行っている。最近では親子関係が薄弱化していることを考えてみればそれなりに親を尊敬しているように思える。だが後半は「自分は大人になのか」という質問には約8割がNoと答えている。思春期や子供感覚から抜け出せない親もいれば、大人の道に到達していない(しようとしていない?)子供もいるという現状が明らかになった。
第5章「友情がすべて」
「一匹狼」という言葉が半ば死語のように扱われるほどにまでなってしまったように私は思える。これほどまでに「一緒に〜する」という割合が多いこと。とりわけ集団化しているのは男の方である。かつての「一匹狼」がどこへやら、一緒に講義を聞きに行くのみならず昼食までも一緒に、果てはトイレに行く時も一緒に行く人が増えている。私から見たらまるで「金魚のフン」が増えているとしか思えない。
第6章「若者が行動する時――学生たちの社会活動」
ここではボランティアなどの社会活動についての統計である。若者はボランティアに参加しないと憤慨する人もいるようだが、本章の統計を見て半分合っていて半分間違いだということに気づくだろう。ただし女子のボランティアへの貢献は少なくなってきているが、男性は97年に比べても2002年には増加しており、2007年にはやや減少しているが微々たるものである。
第7章「観客型社会関心――面白くなければ興味が湧かない」
「観客型社会関心」とは一体何なのかというのは副題から見ればわかるのだがここでは新聞の読み方から見ニュースの閲覧方法から始まり、若者への政治やニュースへの関心について言及している。政治的関心とするならば2005年の「郵政選挙」が出てくる。小泉元首相のワンフレーズによって有権者の心が動き、蓋を開けてみれば与党の歴史的大勝であった。これについての批判が「若者論」と結び付けて言われることを考えると、現在若者が持っている政治的関心を考えると、私の予想であるが今年の衆議院総選挙は投票率は5〜6%落ちるだろうと考える。昨年であれば揮発油税の暫定税率などの問題によって選挙の火種となるのでわかりやすい選挙となったであろう。しかし福田前首相も麻生首相もなかなか解散したがらない。しかしそれにも理由がある。憲法で保障されている3分の2条項を失うのが目に見えているからだ。おそらく任期満了まで引っ張るつもりだろう。
第8章「現状維持が一番――反抗しない学生たちの政治意識」
話を戻すがまた政治に関してである。統計の変遷もまたおもしろいのだが、好きな政党の統計だが87年はまだ「55年体制」の真っ只中であるため自民党と社会党(現:社民党)の真っ二つである。20年を経て2007年は今度は自民党と民主党と2つに割れている。余談であるが2007年の統計で嫌いな政党を選んだ中で「公明党」が4人に1人選んでいる。創価学会とのかかわりが明るみに出たのかという考えもある。本章では「現状維持」を答えている人が多いというが、果たして今年の総選挙で政権交代が起きるかどうかというのも若者の投票行動によって変わると言っても過言ではない。
第9章「手堅く生きる――学生たちの生き方選択」
「サブプライム問題」から端を発した世界恐慌の時代、身近な幸せを求めて手堅く生きる学生が多い。「手堅く生きる」というタイトルから考えると、またちょっと話を脱線するが不況の影響からか若者世代の貯金行動が多くなっている。1カ月に数万は当たり前で多い人は1カ月に10万円以上ためている人もいる。そう言った風潮には賛否両論の声もあるが、私も以前まではそう言った考えの一人である。しかしセミナーに出始めた今では「自己投資」というのは、明日職場に入れるかどうかわからない今だからでこそ自分の価値を高めていく手段である。「自己投資」をすることによってこの恐慌を自分の友にしていこう。下の本のように。

若者、とりわけ大学生・短大生を20年5回に分けて調査を行った結果、若者の性格や動向と言った者がよい意味でも悪い意味でも変化している。悪い意味で集団意識が強く、保守的になり、堅実になった今の私たち若者。こう見てみると大人になりきっていないというよりも「悪い意味での大人」になっているように思えるのは私だけであろうか。

アイデアパーソン入門

アイデアパーソン入門 (講談社BIZ) アイデアパーソン入門 (講談社BIZ)
加藤 昌治

講談社  2009-01-08
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「考具」で有名な加藤昌治氏の一冊。本書はどうやら「考具」の副読本として読まれたほうがいいというが、私自身「考具」を読んだことがないので、いきなり副読本からのアプローチになる。
それはさておき、本書の最初を読むといきなりこのような文言が、
「最初に宣言してしまいましょう。
 あなたはすでに「アイデアパーソン」なのです。(p.3より)」
本書はこれを前提にして始まる。とはいえアイデアパーソンと言っても当然「初級者」「中級者」「上級者」と分かれているためたとえ「アイデア」を出すことが苦手な人でも本書を読めばどんどんアイデアが浮かんでくる。中級者でも上級者でもアイデアについて学ぶことができるように作られているところがなかなかすごい。アイデアに関しての「一生モノ」をつくっているのだから。
さて本書は全部で「50考」ある。1考1考全部紹介するのは難しいためここではいくつか掻い摘んで紹介する。
第0考「このキーワード、まずは覚えていただけますか?」
本書では「アイデア」「アイデアパーソン」「たぐる」という言葉をよく使う。これ自体全部解説してしまうと本書を買う意味がなくなってしまうのでここでは割愛する(後半出てくるかもしれないが)。それにしても「たぐる」は「手繰る」と言う感じがあるのだが、独自に定義されている。「たぐる」と言うのは本書において重要なワードの一つであるがそれについてはまた後ほど。
第7考「アイデアと企画とは別物である」
企画と言うと自分の提案を様々な根拠を込めて作ったものである。そこにアイデアは入っているのかと言うと、はいている企画も有れば既存に対抗しただけの企画もあろう。本著ではこれ自体完全に別物扱いをしている。というのは企画は諸条件があり、しっかりとした裏がとれたら上司からGOサインを受け取ることができる。それに対してアイデアはユニークさ、本書では「わがまま」もしくは「我が・まま」と言うものになる。思いつきで、時としてくだらない。だが個性は強いという要素がある。そういったアイデアを重視する者が会社のアイデア会議でもよく使われる手法がある。
そう、「ブレーン・ストーミング」である。
第12考「既存の要素を分解すると」
既存の要素とは一体何なのか、自分がかつて経験した体験(直接体験)、相手から聞いたものや本やTVなどからの疑似体験(間接体験)、自分の持っている知識と言ったものである。その中でどのようにアイデアと直結していけるのかというのがカギとなる。これをタグとして自分の思いついたものを結び付けていくか、もしくは新しいものをつくるのか。
第20考「体験と知識を自分ごと化する技を「たぐる」と名付ける」
そう考えてばかりだと三日三晩考えそうなのでここで答えを見てみようと思う。それは、第0項で出てきた言葉、
「たぐる」
である。辞書で調べると

たぐ・る【手繰る】
(1)糸・綱などを、両手を交互に使って、手元へ引き寄せる。たくる。
(2)話の筋や記憶を順々に求めたり、引き出したりする。
(上記リンクより)

魚釣りで「たぐりよせる」という言葉を聞いたことがあるだろう。アイデアは既存の要素を時には地引網、ときにはつりざお一本でたぐり寄せるというものなのか。
しかし本書ではこの「たぐる」は4つの行動習慣を総合したものである。
「ほる」
「思いだす」
「押さえる」
「ぶつかる」(p.94より、さらにp.96であればマトリックスになっているのでわかりやすい)
という。知っていたことを「ほりおこし」、偶然に思いだす、知らなかったところは「押さえておき」そこから新しい物・事に「ぶつかる」。アイデアを出す最高形態がこの「ぶつかる」であろう。ではこの「ぶつかる」ことを多くするにはどうすればいいか。
第35考「浮かんだアイデアは必ずメモる!」
書評をするにあたって私も毎日メモを持ち歩くようになった。読んだことをどう表現するのかの材料になるためである。ほかにも思いついたものを書きとめることもしている。後者のことを言っているだろう。いろいろなものからたぐってみて新しいアイデアをつくっていく。それは机の上ばかりではない。
「新たな発想をしたければメモをもって街に出よう!」
そんな感じであろう。
第44考「アイデアパーソンは越境者!?」
「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外何者でもない(p.178より)」
まさにその通りである。何もないところからアイデアと言うのが出るわけがない。さてこの「新しい組み合わせ」と言うのが曲者で常識の壁、もしくは公私と言ったあらゆる壁を突き破る。言い方が悪いかもしれないが「アイデア」の性格は「天衣無縫」というべきかもしれない。
アイデアは誰でも出せるものである。それが苦手な人というのはただそれを知らないだけ。アイデアをどんどん出して新しいものを創り上げていく。だから本書を読んだ感想はこれしかない。
「さあ、メモをもって街に出よう!」

英語教育熱 過熱心理を常識で冷ます

英語教育熱 過熱心理を常識で冷ます 英語教育熱 過熱心理を常識で冷ます
金谷 憲

研究社  2008-11-26
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英語教育論争は今も続いており、とりわけ小学校の段階から英語の教育の是非についての論争は激しさを増している。私自身は早い段階からの英語教育は反対である。日本語たる国語教育がままならないままで英語を身につけたら日本語も中途半端、英語も中途半端で結局本末転倒に陥ることが目に見えている。中学・高校において英語を勉強しても十分に話すことができない現状である(とはいえ、中高の英語教育は役に立っている部分はある。例えば大学での英語の文献の読解力はつく)。
英語教育の重要性を説くと、「今日本社会はグローバル化に向かって…」というような常套文句が乱舞する。グローバル化はいいのだがそれにかまけすぎて日本人として肝心なことを失っているのではないかと私は思う。
本書はこういった英語教育熱に反駁しながらも、英語教育の在り方について、著者自身の性格からか大東亜戦争の話と関連付けて書かれたエッセイである。まえがきにてお詫びの記述はあるが、私は気にしないというよりむしろ大歓迎である。日本の英語教育は戦後になって本格的に始まったのだから。
PartⅠ「常識が停止するとき」
中高の英語教育の事情について的の射た広告が本書に書かれていた。
「日本では中高で1100時間と言う膨大な時間を使っているのに効果が上がらない……(p.7より)」
中学では1週間に3時間、高校では普通科1年では1週間に5時間の授業が組まれている。おもにやることと言えば単語の復唱や英文和訳といったものが中心で、コミュニケーションにおいて肝心のオーラルコミュニケーションがほとんどない。それに学校の授業であるから土日は休みで英語の勉強に穴があく、さらに言うと今の英語教育は受験に重視しており「使えない」と言うのが現実としてある。
そして英語にまつわる常識のウソを紐解いてみると、日本人は外国語下手であるという。だがちょっと待ってもらいたい日本人の中にも外国語に関してはかなり話すことができる人もいる。だが今の日本のマスコミは後者にはほとんど目を向けないだろう。「視聴率至上主義」なのだから。
話を戻す、なぜ日本人は英語下手なのかと言うと私の知る限りでは2つ仮説がある。ひとつは日本語は平仮名・カタカナ・漢字と言った3種類の文字があり、さらに熟語などを加えると声に出して話す暇がないほど「読み書き」に膨大な時間を費やさなくてはいけない。外国語を学ぶ暇がない。そのことから外国語が下手になったということ(例外はあるが)。もう一つは日本語自体イントネーションやトーンなどが特殊であるため外国語の発音を聞き取ることができず、日本人は外国語が話せないというレッテルを貼られているということ。ただこれらは言い訳にしか過ぎず、日本人が英語下手と言うが、外国人はどうなのかと言うと皆が皆英語が上手いわけではない。なぜかというと外国語を勉強していなくても海外で堂々と英語なりを話すからである。「意識」の違いであると結論付けてしまえばそれまでかもしれないが、結局そこに行き着くことには違いない。
PartⅡ「常識が通じなくなるわけ」
「日本はガラパゴス化している」
これを見ておそらく悲観的にみる人の方が多いだろう。私はこれについては重要性を主張する側に回るが、本書を読んで半々の意見となってしまった。と言うのはガラパゴス化の根源を探っていくと日本人独特の「空気を読む」風潮が強く、いつの間にやら「世界の常識が日本の非常識」に「日本の常識が世界の非常識」になってしまった。これについては戦時中の「戦艦大和」出撃のことについて触れられているところがなかなかいい。もっと言うと大東亜戦争までの経緯もほとんどが戦略的ではなかった。その証拠には近衛・東条内閣において大蔵大臣を務め、戦後の池田内閣でも法務大臣を務めた賀屋興宣が東京裁判の起訴状を読んで恐縮に、
「軍部は突っ走ると言い、北だ南だと国内はガタガタで、おかげでろくに計画も立てずに戦争になってしまった(小林よしのり「いわゆるA級戦犯」小学館 p.80より抜粋)」
日中戦争(支那事変)や大東亜戦争になってしまった。空気を読みながら出行き当たりばったりになることが日本人の特性の一つである。
もう常識が通じない理由として、教科書や指導法に対する縛りが大きいことも理由に挙げられるだろう。
PartⅢ「常識を取り戻すために」
さて、どうしたら英語教育の常識を取り戻すことができるのだろうか。毎日継続して練習することしかないだろう。今の英語教育は1週間に○時間という考え方であり、「一日単位」の割り振りができていないことが現状にある。私は中学・高校時代吹奏楽部所属であったが、中学の時の顧問の先生に「1日休むと3日、3日休むと10日練習したことを忘れる」とよく言われた。1日でも穴があるとそれだけせっかく学んだ英語力も台無しとなってしまう。予習復習でもいいから継続して学ぶことが大事である。月並みではあるが。
今度はマクロ、政策の範囲で取り戻す方法についても本書は提言している。
・国民一般レベルでは最低限、高校卒業時点までに現行の中学3年間で習う範囲の英語の定着を目指す。
・仕事上、必要とあれば基礎力に加えて、高度な運用力を身につけるような教育を実現する(p.147より一部改変)。
私としては賛成だが、ミクロ的な政策として中学までは読み書き中心、高校からは会話などのコミュニケーション中心の教育を行ったほうがいいと思う。コミュニケーションが備われば英語圏に行っても恥ずかしくない可能になる、はずである(あくまで提言なので)。
本書は昨今の英語教育に関する論争に一石を投じた。その役割は大きく、暴走しがちな英語教育論争に冷静な観点でみたものである。

日本神話とアンパンマン

日本神話とアンパンマン (集英社新書) 日本神話とアンパンマン (集英社新書)
山田 永

集英社  2006-07-14
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日本神話を考察するにあたりこれほどユニークなものはなかった。
日本神話と言うと「古事記」や「日本書記」の書物から出てきたものであるが、それを「それいけ! アンパンマン」のアンパンマンワールドと関係があるというのを考察した1冊である。一見馬鹿らしく思えるが、読んでみると驚くほど関連性が見つかる。「新発見」と言うのはまさにこのことだろうか。
「前口上」
「日本神話」を読み解くとなると当然「神話入門」や「古事記入門」「日本書記入門」と言ったものを読むだろう。だがアンパンマンとの関連付けをしてみる。子供のころはいつも見ていたであろうアンパンマン(少なくとも私はそうだった)。それと関連付ければこれ以上わかりやすいものはない。「善は急げ」ということで早速中身に入っていく。
第一話「『古事記』神話と『それいけ! アンパンマン』の登場人物」
「古事記」に出てくる登場人物と「アンパンマン」に出てくる登場人物を関連付けている。ドラマのキャストのようにして並べてみると(pp.36-37・41より)、
アマテラス → ジャムおじさん
神武天皇 → アンパンマン
スサノヲ → バイキンマン
オホクニヌシ → ドキンちゃん
イザナギ → カレーパンマン
イザナミ → しょくぱんまん
一部であるがこのようになる。古事記での個々の登場人物の詳細については他の文献に任せるとして、こういった関連付けをやればだれが主人公で、誰が適役で、誰が準レギュラーでというのがよくわかる。
第二話「『古事記』と『それいけ! アンパンマン』の世界観」
世界観についても関連付けてみる。図示してあるが例えると神話の舞台は高天原であり、その中に葦原中国もある。アンパンマンも舞台はパン工場でありその中に街がある。このように図に手関連性を紐解いているところがわかりやすい
第三話「ばいきんまん・ドキンちゃんとヒメヒコ制」
まず「ヒメヒコ制」について解説すると、
「国を治めるのに、男と女がそれぞれで力を合わせて統治する制度(p.90より一部改変)」
という。ばいきんまんやドキンちゃんが住んでいる「ばいきん島」を両社が統治していると考えればこれほど簡単なことはない。余談だがこの章の最後には「最終回のばいきんまん」が書かれており、3つのケースを空想している。どれもありそうで怖いが、最終回になっても著者も主張しているように「バイバイキーン」で締めてほしいものである。
第四話「スサノヲをホラーマン」
小さい頃に毎週日曜には「アンパンマン」を欠かさず見ていた私。しかし、本章に出てくる「ホラーマン」だけは知らない。ちょっと紐解いてみるとホラーマンはばいきんまんのテリトリーであるところからなので悪役に属するだろう。では本章のタイトルにあるスサノヲとどういう関係性があるのかと言うと「トリックスター性」があるということ。簡単に言うと悪戯っ子、詐欺師のことをいう。ホラーマンがどんなキャラクターなのかについて分からないのであまり理解できなかった。
第五話「旅人たちを目指すもの」
毎週のように放送される「アンパンマン」だがたまにしか出てこないようなキャラクターもいる。例えば「おむすびまん」や「てんどんまん」たちがそうであろう。そのキャラクターにスポットをあてるようによく題名には「アンパンマンと○○まん」、「○○まんと●●まん」というようなネーミングになることが多い。
日本神話に関しては難しい表現を用いられることも多く、わかりやすく表現しても頭に入ることはそれほど多くなかった。日本神話についてこれから勉強したいと思う方、そう言った本で挫折した方にはこう言ってこれを勧めたい。
「騙されたと思って読んでみろ。笑えるくらい理解できるから」

「アメージング・グレース」物語―ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝

「アメージング・グレース」物語―ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝 「アメージング・グレース」物語―ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝
ジョン ニュートン John Newton

彩流社  2006-12
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アメージング・グレースという曲は誰でも一度は聞いたことがあるだろう。一応CDもいかに挙げておいて見た。

アメージング・グレースと言うのは歌詞が非常に素朴であるが、前向きになれる気持ちになる歌詞である。実はこのアメージング・グレースのかしは元奴隷商人が書いたものであることはご存じだろうか。本書はこの元奴隷商人の自伝を綴っている。
第1部  名曲「アメージング・グレース」秘話
誰もが一度は聞き、一度は口ずさんだ「アメージング・グレース」。作詞者はイギリス人のジョン・ニュートンであり、この歌は黒人奴隷貿易船において荒氏にあったが心の底から神に祈ったことで難を逃れたこと、そして黒人奴隷貿易にかかわったという贖罪意識から作ったとされている。
ではなぜ彼はこの讃美歌を「アメージング・グレース」と名付けたのか。そもそも直訳してみたら「Amazing(驚嘆するほどの)」「grace(神の恵み)」を合わせたものである。本書では黒人奴隷貿易に関わりが強いとされている。私は前述のかかわりの中でとりわけ荒氏での神への願いによって難を逃れた思いからその歌詞になったのだろうと思う。
第2部『物語』
ジョン・ニュートンの「物語」は1764年に出版した。
本のタイトルに書かれている「自伝」がここにあたり、手紙形式となっており全部で14通ある。その14通それぞれが自分生い立ちを区切ってつづられている。この「物語」が書かれたのは牧師になってしばらくしてからのことであろう。激しい贖罪意識が翻訳された自伝の中にありありと表現されているのだから。
第3部『その後のジョン・ニュートン』
ここでは自伝「物語」が出版された後のことについてニュートンが書かれた作品をもとに考察を行っている。
第4部『奴隷貿易についての考察』
さて「アメージング・グレース」を作詞したジョン・ニュートンは奴隷貿易商であったが、この奴隷貿易がどうであったのかというのをジョン・ニュートン自身が論文にして発表したものである。本書はその翻訳版であるが奴隷貿易の現状について重要な文献とも言える。
本書は「アメージング・グレース」から今となってはとても考えられない奴隷貿易についての考察も行っている。奴隷貿易に手を染め、荒氏にあったが神への祈りによって救われ、聖職者となった。もしもはじめて出版された時には一体どのような反応であったのかというのが知ることができたらとも思った。

「アメージング・グレース」は今この時でも誰かが口ずさんでいる。そしてTVやCDなどで聞く。これまでも、そしてこれからもずっと続く神への感謝の歌。

2月上~中旬はある意味天国である意味地獄な件について

イベントスケジュールを公開するのは当ブログは初めてなのですが、告知も兼ねて私が参加するイベントスケジュールを紹介しようかと。

まずは7日の土曜日はこれがあります。

ワクワークショップ Vol.01 横田尚哉氏に学ぶ「ワンランク上の自己投資」

10月末の出版記念講演以来、この方の講義を聴くことになりました。今行っている自己投資に「それは何のため?」「それは誰のため?」というファンクショナル・アプローチ(FA)でもって最大のリターンをつかんでいくというものです。

余談ですが、横田氏が先月ブログを始めたそうです。右のリンクにもありますが「何のため、誰のため」というタイトルです。まさに横田氏のFAを象徴しているタイトルといえます。もっと余談を言うと「何のため、誰のため」というフレーズを聞くとこの曲を思い出すのは私だけでしょうか。

10日の火曜日には、

山の手の会UNDERGROUND 『ロジカル!パーソナルブランディング』

みさ吉さんこと美崎さんが主宰する「山の手の会」初参戦です。楽しみなんですが、ここでちょっと問題なのが2つ。

講師の坂田氏とは7日のワクワークショップでもお会いするため、質問のネタ切れにならないか。

その前日が夜勤のため、実質徹夜明け。さらにはその翌日は出勤なので体力が持つかどうか。

でもそこは気合で乗り越えて見せますよ。

続いて翌々日の12日は、

川上徹也さん「仕事はストーリーで動かそう!」出版記念セミナー&懇親会

川上徹也氏が出版記念セミナーをなさるそうですが、ゲスト陣が豪華なことに驚きです。そこで堪能し、メインディッシュの川上氏の著書上梓までの、そしてこれからのストーリーについてたっぷりと語られます。著書を書評したので期待大です。

そして14日。バレンタインデーよりも、

【『出逢いの大学』特別講座 vol.2 】 ~ブランド人の発想勉強術!~

11月上旬に行われた出会いの大学に続いて参加。今度はブランド人になるための「勉強術」を「TIME HACKS!」で有名な小山龍介氏、学長の千葉氏を客員教授にみっちり学んでいきます。ゲストも盛りだくさんです。

7~14日まで仕事もセミナーも集中的なスケジュール。講師やゲストの方々と出会うことができ、酒の席でも勉強になれるので「ある意味天国」。応募した後に夜勤や休日出勤も入ったためハードスケジュールになったというので「ある意味地獄」ということ。

ハードな日程を楽しみながら学び、愉しんでいきます!

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