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2008年12月

私事ですが

インフルエンザにかかってしまいました。

そのためしばらくの間、更新を停止致します。

なお年賀状と年賀メール、年賀コメントにつきましては、受け付けますが、返信が大幅に遅れます。

元気になり頃合いをみてから更新を再開したいと思います。

それでは良いお年を。

年末企画vol.3 「その他本」ランキング(1/5追記)

東京に来てから約7ヶ月。ついに風邪をひいてしましました。

そこで今回は簡略版ということにします。

今回は「ビジネス本」と「歴史本」以外を一つにまとめてランキングにすることにしました。

早速いってみましょう。

※ 1/5追記。リンクと理由を追記してフルバージョンにいたしました。

1.つなげる力

2.知事まさか今夜もピザですか 東国原宮崎県知事秘書の365日

3.合衆国再生―大いなる希望を抱いて

4.ウェブは資本主義を越える

5.オタクはすでに死んでいる

1位は大阪府の特任顧問をやっており、「よのなか科」や「夜スペ」でおなじみの藤原和博氏の1冊です。藤原氏が行っている上記2つがこの1冊に詰め込まれています。日本の教育問題に関して活路を見出すひとつの糸口となる1冊でした。

2位は東国原知事の秘書であり、芸人時代は弟弟子であった人の1冊。東国原知事の芸人時代から知事の生活の一部を時には笑い、時には泣き、時には殺伐とした雰囲気をかもした1冊です。

3位はバラク・オバマ次期米国大統領の1冊。本書を書評したのは8月ですからそのときは民主党からの立候補が決まっていよいよ大統領選といったところだったと思います。大統領選で共和党のマケインを圧勝し、次期アメリカ大統領となってからリバイバルヒットと言わんばかりに売れている1冊です。

4位は「池田信夫 blog」の集大成ともいえる1冊です。ウェブにまつわる資本主義や著作権といったもろもろを池田氏が鋭く切った1冊です。

5位は「オタキング」こと岡田斗司夫氏の1冊です。今のオタクの現状を憂い、この1冊を上梓したそうです。

本当であればもう少しカテゴリーを広げておこうかと思いましたが、まずこの1年間で呼んだジャンルの幅が広すぎたこと、その中でも特に読んだものを読んでいないものの差が歴然としていたことから特に読んだカテゴリーを独立させ、残りは「その他」に押し込めました。今年(2009年)はこの「書評の部屋」のカテゴリーを分けるため、こうなることはありませんが。

さて、次回は「F1レース」ランキング!!

年末企画vol.2 「歴史本」「ビジネス本」ランキング

さて、年末企画の第2弾は、予告通り、

「歴史本」と
「ビジネス本」

のランキングです。前回は「アクセスランキング」だったので客観的視点だったのですが、今回は完全に自分の独断と偏見の視点でお送りいたします。

では早速いきましょう!

まずは、【ビジネス本】のランキングから

1.最高指導者の条件

2.ワンランク上の問題解決の技術《実践編》

3.1週間は金曜日から始めなさい 仕事と人生が楽しくなる時間活用術

4.組織行動論の実学

5.レバレッジ時間術

「独断と偏見」と言いました。

その塊となって表れているのだ第1位です。この本の著者は台湾元総統の李登輝氏。ブログを長く見ている方はわかると思いますが、私の尊敬する人物であります。この方のリーダーシップ論はまさに自分のこれまでの人生をたっぷりと織り交ぜながら書かれています。同時に「ゴーマニズム宣言 台湾論(文庫版)」とともに見ると李登輝氏の実像が画となって表れているので、よくわかると思います。

第2位は私自身縁深い1冊となったものです。10月に初めて出版記念講演&パーティーに参加いたしまして、数多くの方との名刺交換をいたしましたが、その中で横田氏のフレーズが図と頭をよぎりました。

・「それは何のため?」

・「それは誰のため?」

そして、これかと思えば今度は、別のセミナーにおいて「ベッキー」と「タッキー」という新しいフレーズができていました。フレーズづくりがうまいですなと思いました。

第3位はこれはごく最近に書評した1冊でしたが、書評にも書かれているとおり、共感できるところがかなりあった1冊でした。

第4位はビジネス書の中でも難しいものを選んでみました。権力を得たらというところで大きな教訓になるかもしれません。

第5位はレバレッジシリーズの中でも印象が強かった1冊、もといレバレッジシリーズで最初に買った1冊でした。本田氏の時間的概念がなかなか面白かったのを覚えております。

さて、続いては【歴史本】

1.平和の発見―巣鴨の生と死の記録

2.いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL

3.広田弘毅

4.日本二千六百年史

5.ゴーマニズム宣言 パール真論

今回選んだ5冊はある共通点があります。

それは…、

「東京裁判」

です。当ブログは歴史本も書評しておりますが、今年書評した歴史本のうちほとんどが東京裁判ものであったとおもいます。

で、ひとつだけ注意たしたいと思いますが、第2位の本は書評はやっておりません。おそらくこれからやる予定もありません。しかしこれだけは言っておかなくてはなりません。

東京裁判について、そしてその前に合った大東亜戦争、日中戦争、二・二六事件などに興味を持った原点がこの第2位の本にありました。今でも歴史を学ぶにあたってのプラットホームになっている、そんな感じです。

さて、まず第1位はA級戦犯で絞首刑となった7人の最期の瞬間を見ていた教誨師花山新勝の1冊であり、歴史学的にも一次資料に値する1冊です。特に東条英機の巣鴨プリズン内での生活の一部も垣間見ることができます。巣鴨プリズンにおいて東条英機の心境は劇的に変化し、仏教に目覚めて朗らかになったともいわれています。

第3位は東条英機とともにA級戦犯で絞首刑となった人をスポットにあてた1冊です。A級戦犯では7人が絞首刑に処せられたのですが、広田弘毅は唯一の文官とされており、いまだに絞首刑ではないという意見も根強いものです。その広田の生涯を数多くの資料をもとに検証されていたので、もう「見事」としか言いようがありません。

第4位はこちらは民間人として唯一A級戦犯として起訴された思想家大川周明が書いた懇親の一作の復刻版です。歴史的資料ですが、1,500円とお手頃な価格だったので是非ご覧ください。

第5位はこちらも東京裁判でパール判事のことについて北大准教授の中島氏と評論家の西部氏を痛烈に批判した1冊です。この後批判された2人は、「パール判決を問い直す」という本を出しましたが、これは駄本と言いざるをえません。小林の批判がほとんど書かれていませんでしたので。

今回はビジネス本と、歴史本の2分野を取り上げましたが、次回は、それ以外の分野のランキングといきます。乞うご期待!

故郷は 冬の嵐の 真っ只中

ランキングかと思った皆様すいません。この後にランキングを乗せようと思っています。

今ちょっとそれに関して整理しているところでした。

それはさておき、故郷ではおととい、空の便の欠航が相次いだというニュースが飛び込んできたものですから、ちょっとハラハラしています。

新千歳までちゃんとつけるだろうか。

特急は止まらず、平常どおりに動いているだろうか。

故郷ではどれくらい雪が積もっているのか…などなど、

今日の昼ごろに変えるのですが、今頃からそういうことで頭がいっぱいです。

そういうことにならなければと願いつつ、今日、故郷に帰ります。

なお、これから新年を迎えるにあたり、続々と年賀メールやコメントが来ると思いますが、お知らせとお願いがあります。

新年の年賀メールやコメントは受付ますが、実家がインターネットつながっていない関係で、返信が大幅に遅れる可能性があります(というよりその可能性大です)。

できるだけ早く返信をしたいのですが、このような事情となった場合は申し訳ありませんが、何卒ご理解をお願い致します。

年末企画vol.1 アクセスランキング

年末ということなので、今日から4日間年末ランキングをお送りいたします。

まず最初にやるのが、

「アクセスランキング」

です。右のバナーに乗っているじゃないかと思いの方もいらっしゃいますが、これは10月末からつけたものなので正確なランキングではないので、アクセス数をもとにランキングにしました。

しかし全体のランキングでは面白くないので、当ブログのウリであります「書評」と「F1」の2つに分けてランキングにしました。

ではいきましょう!

【書評編】

1.史上最強の人生戦略マニュアル

2.勝間和代の日本を変えよう Lifehacking Japan

3.起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術

4.新しい中国古い大国

5.弾言 成功する人生とバランスシートの使い方

6.クール・ジャパン 世界が買いたがる日本

7.パール判決を問い直す

8.日中戦争下の日本

9.悩む力

10.なぜ日本の政治経済は混迷するのか

勝間本が強いですねぇといったところ。それに追随してか小飼さんの本もきっちり上位につけています(著者様のブログにリンクされたのも影響しておりますが…)。

それ以外で一番アクセスが多かったのは「新しい中国古い大国」でした。福田前首相を「媚中」と言ったことから長い期間アクセスされていたようです。

「クールジャパン」はgoogleなどのサーチエンジンから来た人が多かったようです。

「パール判決を問い直す」はおそらく今年読んだ本の中で最もひどい本でしたとしか言いようがありませんが、この方も批判されていたことからアクセスされるようになりました。

8位については「田母上論文」を少し言及してか、ものすごいアクセスとなりました。

今年のベストセラーの一つである「悩む力」もきっちりと9位につけています。サーチエンジンから来た人が大多数でした。

今年の経済は急速に変化しました。混乱もありました、ということで経済に関するものも8位につけています。

勝間本以外のビジネス書が10位以内に入っておりませんでした。ビジネス本はそれほど多く取り上げていなかったせいでしょうかね。

続いてはこれ!

【F1編】

1.F1 ブラジルGP こんなドラマをだれが予想したのだろうか…マッサが母国優勝もハミルトンが最年少ワールドチャンピオン!!

2.まさに青天の霹靂、第三期ホンダの終焉

3.ついにこの時が来てしまった

4.F1 日本GP アロンソが復活の2連勝!! ワールドチャンピオン争いは熾烈を極める!!

5.F1 カナダGP 不死鳥クビサが昨年大事故を起こした地で初優勝!!

アクセス数で言ったら最終戦が最も多かったです。考えてみればあのレースはF1市場歴史に残るレースでしょう。まさに、最後の最後までチャンピオンレースが揺れていたとしか言いようがありません。昨年もライコネンが逆転チャンピオンで沸きましたが、今年はそれ以上でした。

2・3位はあまり取り上げたくありません。2位は今シーズンが終わってからこのニュースが飛び込んできました。実は私が知ったのは会社帰りに携帯でニュースを見ていた時なので、駅のホームで呆然と立ち尽くしていたことを覚えております。

3位は前触れがたくさんあったので覚悟していたのですが、弱小とはいえ、昨年のカナダGPの活躍など光っていた場面もありました。「挑戦する勇気」を与えてくれたチームといっても過言ではありません。

4位はドライコンディションでの富士。いろいろな意味で波乱のレースでした。

5位はクビサが昨年大クラッシュを喫したサーキットで初優勝というドラマチックなレースでした。それと残念なのがカナダGPは今年で消滅するそうです。

さて次回は、

書評のランキングですが、

「ビジネス書」と「歴史本」限定のわたしの独断と偏見に満ちたランキングをお送りしたいと思います。乞うご期待!!

知を開き 情を養う 国語の底力

知を開き 情を養う 国語の底力 知を開き 情を養う 国語の底力
塩原 経央

産経新聞出版  2006-03-29
売り上げランキング : 654779

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近頃は国語力が落ちていると言われている。また出版会で叫ばれている「活字離れ」や「語彙離れ」と言ったものもある。学習指導要領では全体的に授業時間数は増えたが小学校でも英語の授業が始まった。
この状態を見ていると日本語が凋落しつつあるのではという危機感さえ覚える。
さて本書はこの国語力低下を食い止めようと立ち上がった石井勲氏が提唱した「石井式」国語教育について紹介している。この「石井式」は幼稚園児を対象にしている教育であり、その内容はまさに今の日本語教育には欠かせないものであるが、アプローチがまさに型破りである。
序章「漢字が持つ幼児の能力の開発力」
私は想像できなかった。ただでさえ小説などの一般書でもわかりやすいように感じの分量を減らせというようなことを言われている今日、皆さんは三歳児で漢字が読める、五歳で「竹取物語」の原文を(決して「かぐや姫」という絵本ではなく「竹取物語」として)読むと言ったことを想像できただろうか。しかも一人ではなくその園児たちのいるクラス全員が、である。これが「石井式」教育の実績というわけだという。子供に負担が大きいのではと思いがちであるが、子供たちは楽しく読んでいるという。ではこの「石井式」の根源と方法について見ていこう。
第一章「石井勲と石井式漢字教育の創造」
石井勲は大正八年に山梨県で生まれた。生い立ちはここまでにしておいてこの漢字教育が生まれたのは息子が1歳の時であった。当時は終戦間もない時。石井は商工で終戦を迎えたという。そこから帰ってきて、本を読んだ時に息子が自分が教えていないのにもかかわらず漢字を読めたという所から始まったのである。思いもかけないところでこの「石井式」は産声を上げたのである。
第二章「石井勲と國語問題協議會」
戦後、日本の文化は廃れ始めた。その背景にはGHQの押しつけがましい改革があった。日本が戦争できないように9条を盛り込んだ日本国憲法を制定させ、文化でも外国語のものが氾濫するようになった。誤解の内容に言っておくが戦前でも外国語は流行していた。特にジャズ音楽は大正末期から昭和初期にかけてはやったがアメリカとの関係悪化によって検閲をかけられるようになった。事実日本語ばかりではなく今では死語になっている「ハイカラ」のような空気は醸していた。しかし前述のように日英関係の悪化によってそう言った雰囲気はかき消され、世論は開戦ムード一色までになった。
話を戻す。石井は息子の覚えの速さの驚きとともに、戦後の国語破壊に危機感を募らせた。そのことから「國語問題協議會」を設立した。これについては「国語審議会」が非常に詳しい。
第三章「石井勲と幼児漢字教育との出会い」
ここでは「石井式」教育の実践例に追っ取り上げられている。旭幼稚園の取材を取り上げている
第四章「漢字で教える幼児の力」
いまでは幼稚園ばかりではなく「公文」でも「漢字カード」という形で「石井式」は脈々と根付いている。ではなぜ子供はこの国語教育を苦と思わないかというと感受性の強さにあるのではないかというのが私の考えである。外国語教育でも、発音がつきやすいのは5歳までという話を聞いたことがある。それ以上で学んだとしても発音がよくできていても外国人に通じるのかというのは保障できないというようなものである。おそらく漢字もそう言ったところから覚えられるのではと推測できる。
第五章「石井勲の表語文字理論」
第六章「石井勲のことばの思想」
今こそ国語の重要性を叫ばなければいけない時だろう。私も最近日本の古典文学を読むようになったが、難しい表現が多くて読みづらい。しかしだんだん読んでいくうちにその表現が慣れてくる。そこからまた今巷で売っている本を読むと何とも稚拙な表現かとさえ覚えてしまう。日本語は進化しているが、その進化の方向が間違ったところに行こうとしており、退化しているようでならない。原文のまま、もとい現行のままで夏目漱石の作品を読むという本も出ているが、原文のままで個展を読むのは確かに読みづらい。だが慣れていくとその表現にも深みがあって面白いと見出すことができる。今からでも遅くはない。古典を読むべきである。そして難しい感じも見てみるべきである。
終章「土屋秀宇と石井式漢字教育」
国語教育というのは小学校から中学校、高校と受けてきただろうが、実際にこれが日本文学や読書など素養になったのかというのはいまだに疑いがある。カミングアウトとなるが高校までずっと苦手科目だったのが「国語」だった(ただし「漢字」は除く)。そんな私も今となっては読書好きになってしまっている。国語教育ということはもっと見直すべきだろうかと考えてしまう。いっそのこと「石井式」教育にしてみてはと。

日本人とクジラ

日本人とクジラ 日本人とクジラ
小松 正之

ごま書房  2007-01
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昨今では「グリーンピース」や「シー・シェパード」による過激派反捕鯨団体による暴力行為が目立つ。反捕鯨のエゴのあまりそう言うことを行っているが、ではなぜ反捕鯨国は鯨をとってはいけないのか。逆に捕鯨国は鯨を取ることによるメリットはあるのか。日本ではクジラ肉を使った料理があるがそもそもいつごろからクジラ肉は食べられ始めたのか。本書は反捕鯨への批判ばかりではなく、クジラがいかにして食べられているのか、そして捕鯨に関するメリットについて非常にわかりやすく書かれている。まさに「クジラ文化」の入門書と言ってもいい。
第1章「日本人とクジラのかかわり」
日本人とクジラのかかわりは非常に古くなんと縄文時代からであった。私が勉強したのは1945年にアメリカに無理やりクジラの食文化を強要されたと言われているがどうやら違うらしい。捕鯨の文化はそれだけ根深い…かと思ったら仏教が日本に渡ってきてからはこう言った獣を食べるという習慣がなくなり時は隔たり室町時代に入ってから高い階級の人たちが食すようになったと言われている。それから江戸時代にかけていくとクジラ文化が急速に発展し、クジラの食文化が一気に根付きはじめ、さらには葛飾北斎らがクジラの絵を描いたほどである。クジラと日本という固いきずなでむずばれたのは江戸時代に入ってからである。
第2章「クジラを食べる」
私は鯨を食べたことがない。なので本書のありのままの表現で書くことにしようかと。ただしクジラの刺身やベーコンなどの鯨料理は知っている。知っているとしても食べてみなくては分からないので買ってみようと思っているが、吝嗇柄か本以外はあまり買いたくないという困った自分がいる。それは置いといてクジラ肉は牛肉や豚肉などに比べてミネラルや栄養素が豊富で脂質が少ないというこれ以上ない代物である。ほかの国の鯨の食事情から、どの鯨が上手いのかについても書かれている。ここまで書かれると本書を読んだあとからスーパーへ走ってクジラの肉を買いたくなる。そう言う所である。
第3章「世界とクジラのかかわり」
クジラ文化は日本ばかりではない世界中でもクジラ文化はあり、反捕鯨国でもかつては鯨を食す文化があった国もある。特に反捕鯨国の代表格の一つであるアメリカでもかつては鯨を食した文化があり、一説にはペリーが浦賀沖に来航し、開国を要求した理由の一つとして鯨があるとされているほどである。今捕鯨国は日本のみならず北欧もその一つである。古来から捕鯨を文化として根付いている国々が捕鯨の必要性を訴えている。
第4章「クジラの生態を知る」
第5章「クジラを守る」
クジラの生態などについて書かれている。世界中には確認できているだけで83種類もの鯨が生息しており、その中には絶滅危惧種も存在する。今となっては頭数も増えてはいるものの、ノルウェーやイギリスで行われた乱獲によって頭数が激減した時期があった。そのことにより鯨の保護を訴える国が強まったのだが、今頭数は回復しており、どちらかと言えばお門違いになっており、クジラ保護の重要性が何か欠けているように思えるのは私だけかとさえ思ってしまう。
第6章「クジラとどのようにかかわるか?」
では日本人とクジラはこれからどのようにかかわるべきかという所に入る。最初にも述べたように反捕鯨団体の過激な行為によっていかるばかりでは始まらない。こう言った捕鯨文化、そしてクジラと日本人のかかわりを学んで初めて意見を言うというのも大事なことである。ここでは反捕鯨国や団体への批判が連なっているが、しかしそれに関しては意義という所で訴えていかなければならず、生態などミクロな議論についても訴えていかなければならない、と言いたいところだがオーストラリアやアメリカという過激なことをやっている国だ。特にオーストラリアは何かにつけてはジャパン・バッシングをするというまるで中国のような国である。それは置いといていま日本が行っているのは、反捕鯨団体へのバッシングばかりである。でもそれだけでは本末転倒である。クジラを学び、共生することこそ日本の鯨文化の未来ではなかろうか。

子どもに本を買ってあげる前に読む本―現代子どもの本事情

子どもに本を買ってあげる前に読む本―現代子どもの本事情 子どもに本を買ってあげる前に読む本―現代子どもの本事情
赤木 かん子

ポプラ社  2008-12
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私はあまり言われたことはないのだがよく家族では親が子供に「本を読みなさい」と言われることがあるという。しかし強制されて子供は面白がるのだろうかという疑いさえ持つ。私の子供のころは絵本がそろっていたので放っておいても絵本を読んでいた。理由は簡単。「そこに絵本があったから」である。
子供たちには本を買ってあげることも大事ではあるし、本を読むことも教えてあげないといけない。それ以前に子供が自由に本を読めるような環境をつくってあげることこそ親の義務ではないだろうか。昨今では「活字離れ」がさけばれているが、親の世代から活字を見なくなったのか、私たち若者の世代が突発的にそう言った活字を嫌ってきたのかよくわからない。だがこれだけは言える。生活の多様化、裕福化により、好奇心がだんだん薄らいできたのかもしれない。何でも手に入るのだからそれほど好奇心を持っていなくても自由に手に入る。そう考えてしまうと簡単にお金が手に入る。親にねだる。親がだめなら弱い奴にカツアゲをすると言ったことが起こる。そう言った環境をつくってしまってはいけない。だから本を読めというのは論理的にも飛躍しすぎている。
さらにもう一つ言っておくと本書でも書かれているとおり、自分が子どもの時にお気に入りだった本を進めても、子供がつまらないと言って突き返す。親がはまった作品は必ずしも子供が気に入るわけではない。生きている時代のせいかもしれないが。最近では漫画が自分のお気に入りの本であるという人が多い。環境のせいかもしれないが。
本書の最後では和田中学校の図書館の実践例を取り上げている。和田中学校と言えば「よのなか科」や「夜スペ」と言ったので有名だが、それに匹敵するほど図書館改革も有名である。休み時間には図書館が超満員になるという今では考えられない状態になる。これの実践方法もユニークなので一読をお勧めする。
子供たちに買ってあげる前にどんな本が読まれるのかの紹介であったのだが、いかんせん最近の読書事情を語り始めるとちょっと長くなってしまった。でも本書を見てこれだけは言える。
今親が気に入っているもの、親が子供の時に気に入っていた作品は必ずしも子供は気に入るかというとそうではない。子供はいろいろなものから面白い、面白くないを自分の観点で見つめたがる。親たちはそれに応えるように買ってあげることが義務の一つではなかろうか。

日本語は死にかかっている

日本語は死にかかっている (NTT出版ライブラリーレゾナント047) 日本語は死にかかっている (NTT出版ライブラリーレゾナント047)
林 望

エヌティティ出版  2008-10-27
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今、日本語がおかしくなっているという人が多い。しかし過去を紐解いて見てみるとどんな時代でも「日本語がおかしくなった」「日本語がおかしくなった」という声がやまない。しかし今のほうがその声が強い。それは一体何なのだろうか。本書の冒頭で「日本語は醜くなっている」とあるが本当なのだろうか
序章「日本語は死にかかっている」
私もこれまでいくつかの本で「日本語」に関する本を読んできた。私なりの見解ではあるが、確かに昨今の日本語の使われ方は異常であり、「女ことば」が廃れているように感じる。しかし、日本語のみならず言葉というのは保守性を保ちながらも絶えず「進化」しているものである。決して固形物ではなく、「見えない生物」である以上進化するのは仕方のないことだが、その進化のベクトルを間違えてしまったことが今日の「日本語が死にかかっている」状態となったのだろう。それについて国文学者の林望氏が考察を行っている。
第一章「紋切り型という低俗」
これはテレビの放送の在り方とテレビで出る芸能人やアナウンサーらを批判している。この「紋切り型」というのは一体何なのか。
簡単にいえば「適当に並べただけのかたち」「その場しのぎのかたち」であり、プロ野球のニュースの時に「終わってみれば」というようなことをよく使うのをそう言っている。私はF1のシーズンが終わってから全くと言ってもいいほどTVを見なくなったが、たまに家電量販店でバラエティ番組を見ると酷いことこの上なしというような感情を覚える。それほど今のTVにより日本語を衰退化させたと言ってもいい。
第二章「保身はことばの品性を汚す」
最近はなりをひそめたが、昨年の半ばから「食品偽装問題」が表面化し、謝罪会見の場面を目にすることが多かった。特に形式的に深部下とお辞儀をする、そして原稿を棒読みをする、質問に答えるということ一辺倒ばかりであった。中にはどっかの高級料理店があたかも腹話術人形みたいな会見があったのだが、それはさておき、こう言う謝罪会見をやっているのは日本くらいであろう。先のシンドラー社製のエレベーター事件に関しては社長は謝らずに淡々と経緯を説明しているにすぎなかった。原稿も読んでいない。ただ考えられるのは海外と日本の常識・非常識がどこで芽生えたか、林氏が批判してる「保身」についてどういったルーツがあるのかというのを追求していく必要がある。しかし日本人の会見でも石原慎太郎東京都知事や小泉純一郎元首相の会見については林氏は称賛している。そう考えると今年の1月に誕生した橋本徹大阪府知事も石原慎太郎に似ている。ズバッと意見を言うのは弁護士時代から変わらないが、弁護士時代に比べて発言に責任を持っているという感じさえするのは私だけだろうか。
第三章「偉ぶる男は卑しい男」
言葉というのは使い方によっては怖い。時にはこれ以上ない特効薬となるが、ときには人をいとも簡単に傷つける鋭利な刃物になる。さらにこれと同じように男は偉そうになるとみんなから嫌われる。それはなぜか卑しいと思われるからである。そう言えば卑しい男と言ったら「むやみに自慢したがる男」もそうだろう。落語に関する本を読むとまさにその通りよろしく、噺家での会話は落語に関する話ばかりではなく当然雑談もある。しかしその雑談の中には自慢話は一切ない。ほとんどがバカ話、もしくは失敗談である。自慢話は噺家の中ではタブーとされている。というよりもそう言う風潮にあるようで、そういう話をしたらまず蚊帳の外に出されるのがオチだという。
第四章「冗舌は駄弁の始まり」
「話したいこと」と「訊きたいこと」は違うという。本書では「聞く」としているが、「聴く」や「訊く」、そして聞いているだけの「聞く」と混同してしまうためこの章では尋ねるほうの「訊く」に限定する。話すことが上手な人、つまりコミュニケーション能力を持っている人は「聞く力」が自然に備わっている。さらに「聞く力」が備わっている人は勉強家とされており、林氏自身のインタビューでも聴く力が備わっている人といない人では大違いであると実感なさっていた。
第五章「上品ぶるという下品」
「上品な人」は何だろうか。「上品な人」のそぶりをマネをする。そう言ったことをやっても結局は上品にはならない。むしろこの題目からして下品になる。では「上品でいること」とは何か、自分が知らないことに教えを乞うこと。飾らないこと、と言ったところだろうか。この章を見た限りではそう考える。
第六章「身ぶる口ぶりも言葉のうち」
身なりも言葉である。ベストセラーとなった「人は見た目が9割」とあるが中身はあまりよくなかったが本のタイトルを考えるとちょっとわかる気がする。言葉もその人柄と性格、そして身なりから出てくるのだろうかとも考えるように。日本人はことばを話すだけではなく落語では言葉で風景をつかむ。逆に歌舞伎や能では日本人ならではの「語らない」言葉がある。それは仕草である。そして声も言葉の一つであるという。言葉、仕草、声、これら全部合わせ持つことができればすごいことだが、いかんせん人間はどちらか欠ける。私だったら肝心の言葉を捨てようかと考えてしまう。
第七章「恥ずかしい、卑しい、いやらしいことば」
第八章「聞く力こそ話す力」
本書は「話す力」と言ったものであるが、ではこの「話す力」を鍛えるにはどうすればいいのか。「聞く力」を鍛えるにほかならないだろう。コミュニケーション能力自体もそれを鍛えるためには相手の意見や要望を聞き、それに答える(もしくは「応える」)ことが大切とされている。聞く力を身につけるのは簡単なことではない。しかし自分が意識すればおのずと身についてくると私は自分なりの体験から思った。

1週間は金曜日から始めなさい 仕事と人生が楽しくなる時間活用術

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臼井 由妃

かんき出版  2006-11-21
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著者の臼井氏とは先日の読書パーティーにおいて名刺交換をしていただけた方で、今年でなんと9冊もの本を上梓され年末年始には(本書を含めて)3冊の本を上梓されるという。さらに2つの会社を経営されているというまさに「マネーの虎」である(臼井氏は出演されていたので)。
本書はその臼井氏の仕事の根幹となる哲学と方法について書かれていると言ってもいいだろう。書かれていること一つ一つが温かく、そして叱咤激励されている感じであった。臼井氏の上梓した本をいくつか読んだがそういった感じがしてならない。
Part1「タイムマネジメントの基本は時間密度」
「タイムマネジメント」と言えばどれくらい時間を節約できたか、やいつぐらいまでにやった方がいいと考えている人が多いが、本書の「タイムマネジメント」は「時間密度」である。これについては私は大きく賛同できる。1時間にどれだけの仕事を詰め込むことができるのかというのが大きな根幹である。実際に私もこう言ったタイムマネジメントを高校の部活の時に学んだ。吹奏楽部に所属していたがその中で1曲をこだわって演奏することもあるが、各楽器の中で弱いところがいくつもある。それを限られた時間の中でどれだけ練習できるのかというのが毎日の課題だったことをよく覚えている。それに本書では「忙しいときに勉強すると、心のゆとりが生まれる(p.28より)」とあるがこれも同じことが言えて、高校での部活は演奏会にコンクールにと引っ張りだこであったため部活以外でのプライベートな時間はほとんどなかった。でもその中でテストでは上位につくこともでき、資格も数多くとった(商業高校だったためか)。そう考えるとこの言葉も非常に共感できる、というよりもすでに体で記憶していたからでこそこう言った言葉に共感できるのではとも思った。
Part2「考えるのは15分でやめなさい」
考えることはいいことだが15分以上考えるとこれは時間の無駄であるというのがこの章である。15分以上考えてなければ次のクエスチョンに行く。質を求めるよりも量を求めるようだが、限られた時間の中でアイデアをダウこともまた質の向上の役に立つのだろう。オープンな回答とはいえど、まるで私見をやっているかのように、「制限時間を設ける」ことこそ、クリエイティブの真髄と言えよう。
Part3「1週間は金曜日から始めなさい」
臼井氏は、1週間の始まりは「金曜日」であるという。そういえばある歌のタイトルを思い出す。Dreams Come Trueの「決戦は金曜日」である。臼井氏いわく「金曜日は「攻撃の日」」と言っているのだからまさにこの曲がよく似合うのではと思う。
Part4「時間は支配した方のものになる」
時間はフェラーリの如く暴れ馬である。
この時間にとらわれることも大事だが、時間にとらわれすぎて人脈が崩壊することとなれば本末転倒である。こう言ったことを書かれているのではないかと思う。そう考えると今は亡き田中角栄の話とも似ている。田中角栄も仕事は忙しかった(とはいえ「計算機つきブルドーザー」の如く事務処理能力は高かった)が、人と会う時間は必ずつくったという。人望の強い人、ビッグになれる人はそういった人と会う時間というのを厭わない人であろう。
Part5「頭がフル回転なら、時間効率はグンと良くなる!」
善くと言ったものがこう言う時間効率を高めるエネルギーになるという。それ以上に気になったのは臼井氏の朝のスピードダッシュの中で「地上の星」と「ロッキーのテーマ」が起爆剤となっているところが面白かった。とはいえがんばるぞというように、気分を高揚させるのであればちょうどいいかもしれない。私だったら…、
サザンオールスターズ/「勝手にシンドバット」
テンションは上がるが、別の意味でテンションが上がるかもしれない。
Part6「時間を上手に使う人のちょっとした工夫」
時間を上手に使える臼井氏なりの「工夫」について書かれている。しっかりと区分けをして資格勉強に臨んだり、朝早くに起きそこで仕事をこなして、余裕で身を構えるもよしと言ったところであろう。
魔法の呪文「かきくけこ」
本書の最根幹とも言うべきところがこの「かきくけこ」にぎっしりと詰まっている。
「か」…簡単
「き」…興味
「く」…グレー時間
「け」…決断
「こ」…行動
これについては本書を見ると自ずとわかる。
共感できることが多く、サラリーマンなりたての人にもわかりやすいように噛み砕いているところがなかなか良かった。時間効率化への思いがこのわかりやすさに通じたのだろう。

サンタクロース学

今日は「クリスマス・イブ」である。仕事と書評に生きる私にとっては無縁のことであるというと、何かさびしい気が起こるので、私情はここでおしまいにしておく。
本書のタイトルを見ると一見不思議な学問である。サンタクロースを学問としているのだからクリスマスとサンタクロース、それをどのようなことを考察しているのだろうかという興味を抱き本書を手に取った。ちなみに本書は「哲学の学校」シリーズであることを見ると、何やら難しそうな感じがしてならない。
第1章「サンタクロースの変遷と文化的意味」
明日12月25日がクリスマス。イエス・キリストの生誕日でありこの日にキリスト教会では「降誕祭」というのが行われるが、これについて諸説はあり、本書でも取り上げられているが、これはイエス・キリストの誕生自体にかかわることであり宗教色が強いためここでは割愛する。日本ではクリスマス・イブとクリスマスがそういったことなのだろうと思いがちであるがキリスト教ではクリスマス前後に成人の祝祭日がたくさんある。
11月1日の「諸聖人祭(万聖節)」から始まりクリスマスに向けて本格的に動き出す12月6日の「聖ニコラスの日」、クリスマス・イブ、クリスマスで終わりかと思ったら大間違いで、翌年の1月6日の「公原節」、2月2日の「キャンドル・マス」でその年のクリスマスは終わるという。1年のうち約3か月もの間クリスマスが絡んでくるというから、日本でこう言うのをやったらもしかしたら「毎日がクリスマス」というような状況に陥るのかもしれない。しかしクリスマス一色となるのは宗教色がそれほど多くなくても12月6日とされている。サンタクロースが出てくるのもちょうどその時期である。それに対して日本は早くても10月下旬にはクリスマス一色になる。これについては商業的目論見が強い。しかもそれは日本ほどではないにしても世界中でそういった風潮が起こり、今年の12月8日にはローマ教皇のベネディクト十六世が強い懸念を表明しているほどである。
サンタクロースの話であるが、世界共通して赤い帽子、赤い服、白いひげの老人姿に白い大きな袋と言ったものであろう。しかし世界中を見渡したらサンタにもそれぞれの国々で違っている。ドイツでは「クランプス」という双子の怪人でありよい子にはプレゼントをし、悪い子には御仕置きをするという何とも秋田のナマハゲに似ている。ロシアでは「ジェド・マロース」という青い服を着た人を指している。サンタにもいろいろな種類や根源はあるが、私の故郷旭川には「サンタプレゼントパーク」がありそこではサンタクロースの根源などが開設されているコーナーがあり勉強になった。ちなみにこの本でも参考にしているという。
第2章「児童文学・絵本におけるサンタクロースの研究」
児童文学や絵本においてサンタクロースはたくさん出てくる。おそらく本書の核となる部分はここであろう。本書ではこういた児童文学や絵本に出てくるサンタについて以下の6種類に分けている(p.98より)。
・「聖人サンタ」
・「異類サンタ」
・「人間臭いサンタ」
・「はてなのサンタ」
・「現実的なサンタ」
・「社会派のサンタ」
よく日本で言われているサンタはこの中でも「聖人サンタ」の類に入る。善いことを行おうが悪いことを行おうが平等にプレゼントがもらえるいわば「性善説」のサンタである。
「異類サンタ」は人形や宇宙人であるという。理解し難いように思えるが、多くの本でも空からトナカイを引いて子供たちの家にやってくるというから分からないでもない。
「人間臭いサンタ」は現実論でのサンタである。「本当にサンタさんはいない。お父さんがサンタさんなんだ」というようなものである。こういう作品もあると考えるといろいろあるのだなと逆に興味を持ってしまう。
「はてなのサンタ」はサンタクロースが生存するのかどうかわからないところからはじまり、「現実的なサンタ」はそこから生活に取り込むというものである。
「社会派のサンタ」はサンタの口を借りて社気の問題意識やメッセージを語るという作品である。ここまで来ると児童文学や絵本なのかというのを疑ってしまう感じになる。ただ存在すると考えるといささかそれらの作品を疑いたくもなる。
よく子供たちが見たサンタの絵本や本を考察するのが主としておりそういったところにページ数が割かれているところが私としては期待外れであった。ただしサンタに関連した作品については興味深く書かれていたことはなかなか面白かった。
それと余談であるが本来クリスマスであれば12が25日が盛り上がっていいはずなのだがなぜ12月24日のクリスマス・イブが最も盛り上がるのだろうかというのが不思議でならない。もしかしたら「これからクリスマスだ」という感情があるからでこそ盛り上がるが、本来盛り上がるべきところが盛り上がっていなければ本末転倒ではないだろうか。

嫌老社会 老いを拒絶する時代

嫌老社会 老いを拒絶する時代 [ソフトバンク新書] 嫌老社会 老いを拒絶する時代 [ソフトバンク新書]
長沼 行太郎

ソフトバンククリエイティブ  2006-09-16
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今や日本は「高齢化社会」から「高齢社会」、やがては「超高齢社会」とまで言われるようになる。医療技術や食生活の質が上がってくるにつれて、だんだんと長寿というのが当たり前になってきた。浮かしは「長寿の神」というのが崇められてもおかしくないときであったのだが、「長寿」が当たり前の今の時代を考えると「長寿の神」が崇められるというのはむしろ必要ないのではと思ってしまう。
本書では、
「いま考えるべきは「老い」の技術と思想だ。(裏表紙より)」
と書かれている。今思想を勉強するにあたって最も研究対象になりやすいのはこの「老い」とオタクたちの「萌え」と言った思想だろう。本書はこの前者である「老い」の思想についてスポットを当てている。
第1章「シニアデバイド」
簡単にいえば「高齢者」か「そうでない人」の区別を言っている。最近では「高齢者」の中でも75歳以上の「後期高齢者」という区別も起っている。これは「後期高齢者医療制度」によるものであるが、これについて反対意見は「高齢者を殺す気か」というようなヤジもある。だがある論客の一括にはちょっとおもしろかった。
「ふざけるな!俺は畏れおおくも……後期高齢者だぞ!!」
これを武器に使うのであれば「後期高齢者」は差別用語ではないなと。
それはさておき、「高齢者」というだけで紅葉の門を閉ざされたり、引退の身にされたりなど収入の面で困窮になることがある。「高齢者」というだけで差別する人も中に入るから、差別用語になりかけているようでならない。
第2章「「老い」はどのように処遇されてきたか」
本書が「嫌老」ということなので「高齢者」になったことによる思想について書かれている。まずプラトンやその弟子のアリストテレスは、50歳を境に相対する意見を主張している。その内容は「老人政治」である。プラトンはいまの日本にはびこっている「老人政治」を提唱し、アリストテレスは批判している。日本の政治について今岐路に立たされているが、このソクラテスとアリストテレスの主張そのままの主張でいいと言っても構わないだろう。これからますます「超高齢社会」となっていくだろう日本の社会において、若者がけん引するというにも昨今の少子化により限界の時期は必ず来る。今はプラトンの思想に甘んじるしかないが、そこからプラトンのままでいいのかアリストテレスにシフトすべきかはこれからになってみないと分からない。
後半では東洋思想から、そいて日本における老いの事情について書かれている。西洋では老いに対する嘲笑などがある中で、中国などの儒教では老いは敬うべき存在であるという。日本でも「年の功」た「老獪」と言った言葉があるように中国と似ているものはあるが、徒然草にあるような「見苦しさ」も露呈している。今の暴走老人を嫌悪する事情はこう言ったところにあるのだろう。
第3章「「老い」への挑戦のプログラム」
アンチエイジング、地域社会、思想からの角度から「老い」への挑戦はある。前の2つについては私にとっても書きやすいが、本書では最後の「思想」が中心にあるのでここを中心に書こうと思う。年を取ることによって「性」などの興味や感性が薄れ、「死」への怖れが芽生える。ただ今となっては「ヒヒ爺」よろしくそういったことを興味を持ち続ける人もいる。そう考えると「老いる」というのはそういった感情がなくなり、意識的に「老化」したことを指すのではと考える。言うなれば年齢的・肉体的に老いたとしても、「自分はまだ若い」という気概にあふれればそういった「老い」に挑戦できるのかと考えられる。
「老い」は必ずやってくる。そのことに関して政治や地域と言ったマクロの解決方法、自分自身のミクロ的な解決方法を探っていく必要がある。「嫌老」から「年の功」となることもまた「高齢社会」への明るい兆しの一つにできるのを願うことだ。

年末なので

書評ばかりだったので今回はちょっと徒然の記事を。

年末年始なので28日から来年1月4日まで、故郷の旭川に戻ります。

考えてみれば旭川に戻ったのはGW以来ですな。それからは引っ越しやら何やらのゴタゴタで変えることもほとんど考えられず、このまま過ぎっていったわけですが、一応年末ということなので故郷に戻ろうかと。

さて、下にもあるとおり、ネタを一つ

「年末までに“カタ”をつけたいことは何か?」

ということなので、私なりにこれを上げてみました。

・書評(読んだけど書評していないのがたくさんあるので、戻るまでには全部書評を終わらせておきたい。今まさに「のび太君」の状態です)

・大掃除(定期的には掃除しているけれどもまず本棚はやっておかなければ。買った本がたくさんあるので整理するにも時間がかかってしまいそうな)

そのくらいですかね。

あと忘れてた。

・F1と書評の総集編をやること。

今シーズンのF1の総集編をやろうやろうといってましたが年末にやることにしました。それと同時に書評も、自分が気に入った作品をランキングにして出そうかと。これについては大枠は決定したのですがまだまだ書くところもあるので。

いつごろかはお楽しみに。

コネタマ参加中: 年末までに“カタ”をつけたいことは、何ですか?

平和の発見―巣鴨の生と死の記録

平和の発見―巣鴨の生と死の記録 平和の発見―巣鴨の生と死の記録
花山 信勝

方丈堂出版  2008-08
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ちょうど60年前の今日、A級戦犯7人が絞首刑に処せられた日である。
東京裁判が結審した時も60年前。当ブログでは数カ月にわたり東京裁判についての本を書評してきた。今回はちょうど一区切りということで本書を選んだ。ちなみに本書は昭和24年に初版されたのだが、今年の終戦記念日に新装復刊された一冊である。
本書は東京裁判にあたって、そして7人の死刑囚の巣鴨プリズン内での姿をありのまま映している。とりわけ明日には「あの戦争とは何だったのか 日米開戦と東条英機」というドラマが放送される。東条英機は今や「大東亜戦争の実行者」や「独裁者」と言ったレッテルが貼られている。余談であるが明日放送されるドラマは大東亜戦争が起こる前、東条英機が首相の大命降下を受けたときから始まるだろう。天皇の意見に最も忠実であった東条がどのような心境であったのかが楽しみである。今回の書評では絡んでくるのか分からないがこの書評では東条が辞任してA級戦犯に指名されたあとの所から書かれている。東条は狭量(器が小さい)な性格で有名であり、戦後間際には数々の方言で軍部や国民に罪をなすりつけようとした。A級戦犯に指名され、巣鴨プリズンに収監されてからそのときとはまるで嘘のように心境が変わった。本書の著者である教誨師(本書では「ぼうさん師」と言っている)花山信勝の説法により浄土真宗に帰依した。ちなみに7人のA級戦犯のうち広田を除いて全員が帰依した。広田はなぜ帰依しなかったのかについてはおいおい説明するとして、東条は浄土真宗に帰依してから、自分が内閣の時のことを思い出す度「私は極悪人だ」と懺悔していた。それ以前にA級戦犯として収監された時から東条は「死刑」以外に判決は考えられないとわかりきっていた。花山氏が東条英機と会話した時の印象について、
「私の、こうした会話を交わしたときの、東条という人は、かつて、新聞でみたり、きいたりした、あのいかつい人柄ではなく、きわめて淡白な、枯れたおじいさん――と言った感じであった(p.50より)」
大東亜戦争中、とりわけ首相在任中の印象とは全くかけ離れていたということを表している。東条はこの巣鴨プリズンの中では性格的に、精神的に丸くなったと言ってもいい。
本書は教誨師として巣鴨プリズンで教えを説いていた花山信勝が巣鴨プリズンでの戦犯たちの心情について花山氏自身が感じた点について克明に描かれている。
とりわけ絞首刑となったA級戦犯7人の最期の時を見た唯一の日本人である。そのことからA級戦犯の最期の瞬間についてを表す唯一の史料として言える。
序章「巣鴨の門」
第一章「文人の感起」
第二章「花とローソク」
第三章「東京裁判の二年間」
ここでは花山氏が直接A級戦犯と面会したことについて書かれている。さらにそれぞれの戦犯たちに仏教に関する文献を差し入れたことも書かれている。そのせいか東京裁判の時のことをオランダ人判事であったベルト・レーリンクが、
「私が会った日本人被告は皆立派な人格者ばかりであった。特に東条氏の証言は冷静沈着・頭脳明晰な氏らしく見事なものであった(Wikipediaより)」
と述懐した。
第四章「二十七死刑囚の記録」
ここではA級戦犯が処世される前にBC級戦犯でもって処刑された27人の記録についてつづられている。
第五章「巣鴨生活みたまま」
第六章「東京裁判の終幕」
25人(精神異常で免訴となった大川周明、判決前に獄死した松岡洋右と永野修身を含めると28人)が巣鴨プリズン内での印象や生活について花山氏の視点から書かれている。
第七章「七人の面談記録」
東京裁判結審後7人の死刑囚土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、東条英機という順で面談の様子を紹介している。そこには罪を認めるというよりも、これから世論で死んでいくという姿があった。
第八章「昭和二十三年十二月二十三日午前零時一分」
これは東条、土肥原、松井、武藤の絞首刑が執行された日時である。ちなみに残った三人は午前零時二十一分に執行された。巣鴨プリズンの絞首台は5つしかなく、そこで4人と3人の2グループに分けて行われた。ちなみに広田の「今マンザイしてたでしょう」というのは零時一分から二十一分までの間に交わされていた。
第九章「平和の発見」
増補「東条元大将の遺言」
東條は死ぬ間際の面会の時に家族にあてた遺言とは別に花山、東京裁判にあたって弁護を務めた清瀬一郎とブルーエットあてに遺言を託した。これは家族にあてたものとは違い世界に向けての声明であることから没収されることは確実であった。そこで東条が語ったことを花山がメモを取るという形となったのがこれである。そのため必ずしも正確ではないところもあると花山氏も認めている。またこの遺言書となった用紙は約20枚にも上るが未だに見つかっていないことを付け加えておく。
前述のようにA級戦犯が絞首刑に処して60年となるこの日。同意ではあるが東条英機が亡くなってちょうど60年となる。翌日にはTBS系列で大東亜戦争が開戦された理由について放送されることだろう。こういった節目だからという理由ではないが、個人的にこの数カ月の間東京裁判に関する文献を読みあさり自分なりの歴史観を形成することができた。これからも東京裁判に関する書評は続けていくが、この数カ月のように乱発することはないだろう。それでも歴史を学ぶこと、戦争を学ぶということは日本人が歩んだことを続けるべきところ、やめるべきところを知ることができるいい機会である。国語とともに歴史は日本人のアイデンティティを学ぶ上で非常に重要なことである。
戦争は私もきらいであり、未来永劫起ってほしくない。そのためには今までの歴史を鑑みていくこと、また戦争とは何かというのを本気で勉強することにしたうえで語りたいと私は思う。

フェラーリと鉄瓶―一本の線から生まれる「価値あるものづくり」

フェラーリと鉄瓶―一本の線から生まれる「価値あるものづくり」 フェラーリと鉄瓶―一本の線から生まれる「価値あるものづくり」
奥山 清行

PHP研究所  2007-03
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フェラーリと鉄瓶を比べてみたら、ちがうとしたら値段が月とスッポンほど違う。共通する点はどこにあるだろうと考えてみる。鉄瓶にしてもフェラーリにしても実用的でありかつデザインを良くするために一本の線も妥協を許さないことにある。フェラーリと鉄瓶は一見関係ないように思えるがこういう所で共通点が存在する。それを為すための人がそう、「デザイナー」である。
本書はフェラーリやマセラティなど車をデザインしたデザイナーのみならず、家具やインテリアなど幅広いデザインを手掛けている。これらの肩書で考えればこう言った題目になるのはよくわかる。
前半ではカーデザイナーとしてイタリアに滞在していた時に感じたことなどについて書かれている。イタリア人の本当の性格については本当に驚かされた。イタリア人の陽気さというのは階級社会からきている。この国の階級社会は生きているうちはずっとそういう階級でしか生きられず、下克上など這い上がれる機会は皆無と言っていいほどである。さらに日本と共通するところがあるのが「官僚主義」である。今日本ではこの「官僚主義」を批判することが多いが、イタリアでは半ば諦観気味に見ており、そこからどうでもいい、世の中はこんなものだということを言うのだろう。しかしもっと共通するのは働きものであるということだが、出社時間がフレックスタイムであることなどが違うという。イタリアのことについてはここまでにしておいて車のデザインにしろ、ほかのデザインにしろコミュニケーションがそこに通っているのがイタリアのデザインである。しかし日本ではデザインという言葉を履き違えることが多々ある。デザインというのは奥が深いが、派手なものをつくるよりもシンプルなものをつくるというのが難しいとされているのは文章でも同じことなのかもしれない。
本書はクリエイティブの中からデザイナーの視点からの体験談が満載であったが、フェラーリにしても鉄瓶にしても一本の線で表現する価値は同じである。本も同じことで、読者をいかにして引き込むのかという意味では共通していることかもしれない。文章もまたデザインである。

今や多数派“ワケあり社員”が戦力化するすごい仕組み

今や多数派“ワケあり社員”が戦力化するすごい仕組み 今や多数派“ワケあり社員”が戦力化するすごい仕組み
小室 淑恵

小学館  2008-11
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皆さんは「ワーク・ライフバランス」というのをご存じだろうか。簡単にいえば仕事と生活とのバランスを大事にするという考えをもっていたが、確かにその通りではあるのだがそれは女性のためにとか仕事と生活が半々になるようにということではない。仕事と生活が調和がとれることこそ「ワーク・ライフバランス」である。ではこの「ワーク・ライフバランス」の実情、実践例について本書では取り上げられているので見てみよう。
1章「制約のない社員はもういない」
普通会社に勤めている人は始業時間や労働形態は違えど制約はある。しかし残業を含めて労働時間の制約がない人は本章で入らないと言っているのだろう。残業ゼロやプライベートの充実といってもそれが名ばかりで、自分の仕事の遅さの事情もあるが、会社が終業時間後に長々とした会議を行うというところもざらにある。しかしプライベートでも子育てや結婚をしていなくても子供がいなくても介護という制約が存在する。その中でどのようにして企業は社員と「win-win」の関係を保てるのかというのを模索しなければいけない。
2章「あらゆる社員を戦力化する推進術」
「ワーク・ライフバランス」を行うにあたり数々のハードルがあるが、24個のハードルを紹介し、それぞれの解決方法を導き出している。「ワーク・ライフバランス」というのはすでに叫ばれてはいるものの、日本の企業風土と合わない、それをやるにもわからない、固定観念化してしまっている印象がある、というよりも企業やそこにいる幹部など全体が「保守的」になっており、「ワーク・ライフバランス」を行おうとしてもそれらの圧力により形骸化してしまうことも多々見られる。しかし今の生活事情、社会事情から考えるとそうはいかなくなった。「ワーク・ライフバランス」は自分たちの努力だけでは賄うことはもはや不可能になっている今だからでこそ企業単位で努力する段階に入ってきたのではないだろうか。
3章「推進プロセスから考える成功法則」
ここではこの「ワーク・ライフバランス」に取り組んでいるケースについて紹介している。何をやったらいいのかわからないところであれば先にここを見ておくことをお勧めする。
「ワーク・ライフバランス」は企業努力でできることであるが、それを業界風土が許さない、企業風土が許さない、必要ないことだと言って逃げてしまっているように思える。しかも「ワーク・ライフバランス」を提唱したとしてもそれが形骸化してしまい、いざ使うことができないという弊害も起っている。しかしそれではいけない。「ワーク・ライフバランス」とは何なのかというのは個人が考えるだけではなく、企業単位で考える必要がある。本書は「ワーク・ライフバランス」を実行する立場にある人・経営者が読むべきだろう。

書評はまったくむずかしい

書評はまったくむずかしい (五柳叢書) 書評はまったくむずかしい (五柳叢書)
赤坂 憲雄

五柳書院  2002-05
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私は約1年半書評を行ってきた。これからもそうするつもりでいるが、最近では乱発という具合に書評ブログができ始めその中でも人気ブログとなっているものもいくつかある。
「書評」というのは簡単に言うとほんの感想や論評を行うことを言う。こう簡単にいえば誰でもできるのではと思う。当然書評ブロガーも多数いるためそういう風潮にあるようだが、本書は赤坂氏の書評とともに書評の難しさについても取り上げられている、そのことによってこのような表題になったのだろう。
この表題が最も色濃く出ているのは一番最初の部分である。
「書評は批評の場ではない」
「書評に疲れている」
「書評のモラルとは何か」
題目を見ただけでも考えさせられる。
まず「書評は批評の場」ではないであるが、本来は書評はいい時はいいと書いて、悪い時は悪いと書くべきなのだろうと私自身も思った。これはブログの立場、新聞書評の立場の違いかもしれないが新聞の場合は真っ向からの批判はまず作家が雑誌を通して反論を書き、批判合戦に持ち込ませるかその評者にあらぬ「レッテル」を貼らせる。今は分からないのだが新聞や雑誌のほうが幅広い年齢層で見ているからであろう。当然作家も書評が気になる。インターネットで検索して書評を気にすることもあるが大概は新聞や雑誌で書評されているところに目を向ける。それだけ信憑性のある人が書評を行っていることだろう。ただ考えてみると書評は批評の場でなかったとしたら本を称賛する場なのかという考えにも行き着く。批評を行うことによって自分なりの本の価値を見出すことができ、ほかの人から見てもこの本はどうなのかという価値観を共有することができ、逆に反論もできる。だが著者の体験から見てみると書評した本の作家による「政治的圧力」をもったとされている。それだけ陰湿な社会であるから書評が根付かないのではと勘繰ってしまう。
次に「書評は疲れている」だが、ちょっと気になる文章がある。
「露骨な物言いが選ばれることはむしろ稀れで、ほとんどは暗に示唆されるのだが、それはいわば、業界の仁義に反する、ということだ。本の大半は数千部足らずの零細な商品であり、その憂い気に対して、決定的なダメージを与えるような書評は控えるべきだ、という暗黙のルールが、にわかに浮上してくるのである。(pp.15-16より)」
「書評は諸刃の剣である」と言いたいのだろうか。素晴らしいと称賛できればそれが売り上げに直結し、逆に酷評となると普段数千部しか売り上げることのできない作品なのに、ほとんど売れなくなる。そのことから書評は控えるべきだという論調だろう。もう一つ、これは逆に面白いと思う所である。
「例えば、同じ業界やアカデミズムの内部に、書評者を求めることの弊害を避けるために、読むことに徹する書評の専門家を養成することも、一つの方法であるかもしれない。著者からは徹底して嫌われるが、一般読者からは信頼される。(p.17)」
新聞や雑誌の書評欄を見ればわかるのだが純粋な「書評家」が書いているわけではない。むしろ対象の本で専門的な知識を有する大学教授や会社の社長が書評を行っている。また「評論家」の仕事の一部にも「書評」というのがある。現在日本では純然たる「書評家」というのはほとんどいない。ではなぜ私が「面白い」と思ったのかというと、いないのであれば作ればいい、自分がそういった「書評家」になればいいという考えになれるからである。誰もそういう人がいなければ、私がなろうかという気概さえあふれるから「面白い」と思うのである。
「書評のモラルとは何か」
著作権などの法にまつわるモラルもあるが、ここでは「匿名」か「署名」かについて取り上げられている。私のブログも匿名でやっている(だけど、もうすでにセミナーなどの場で告知しているため私の実名を知っている人もいる)。実名(もしくは半実名)でやるべきではと言う声もあったがさすがに会社のことを考えてすることをやめた。しかし実名でやればネームバリューの差が歴然とする。半面責任が重くのしかかる。そのため書評をするにもより神経が必要になる。私自身書評を行う立場としては著者の意見とは逆で「匿名」でもいいと思っている。実名であれど、匿名であれど同じ意見であれば相手はどのように反応するか次第である。
あとがきまでは著者自身の書評であるが、著者が民俗学者であるだけに「民俗学」がほとんどであった。私も民俗学について書評をいくつか行っているが日本人として、もしくは国や地域としてのアイデンティティを学ぶにあたるのはなかなか楽しいことである。その中には自分たちの知らない「特性」が見え隠れするのだから。
最後のあとがきでは
「書評は魔物である(p.336より)」
と書評を一言で表している。これはまさにその通りである。書評は時には売れる要素になるが、逆に売れなくなる要素になったりもする。また書評によっては作者から称賛の声が上がったり、泥仕合の様相となるような罵倒合戦人までなってしまう諸刃の剣となる。
私は前身の「蔵前トラック(既に閉鎖)」から約1年半で延べ500冊ほど書評を出した。その中で批判されたり、賞賛されたり、自分で読み返してもひどい文章でつくったなと反省したりすることが多々ある。ただこれだけは言える。今まで一度たりとも「書評するんじゃなかった」と後悔したことはない。それだけ自信をもっていたのかというのではなく、この本と出合うことによって思ったことを自分なりに書きたかった。それがかなったという点で後悔したことがないと言いたいだけである。
確かに書評というのは著者自身も気にする。どういう観点で見られているのか、どう評価されるのか。一方で批判されたら売り言葉に書い言葉の如く、反論合戦となるかもしれない。
本書を読んで書評とはしばらく考えた。だが今のままでいいと思っている。そうしたほうが気が楽になるというのは嘘であるが、自分なりの言葉で書評をしたほうが自分らしく振る舞える。それで反論、指摘があればそれに甘んじて受けとめたり反論し返したりすることがある。私はそれでいいと思っている。
そしてこのブログと通して何をやりたいのか、それはまだ決まっていないが、本を出すことについてはまだ考えている。またこれから本が出るにあたってこう言ったものがあればいいなということが浮かんでいることだけ書こう。

・新聞や雑誌の書評と書評ブログの違いについて
・書評家はなぜ出てこないのか

という本があればとも考えている。あくまで思いつきなので。
これからのことはまだはっきりとは言えないが、これだけは言っておきたい。どんな状況にあろうともこれからも書評は続けていく。たとえずっとブログ上であっても、そこから新聞や雑誌での書評に発展しても、である。貧乏六として続けてきた書評によって文章を書くことに喜びを見出すことができた。これからどのように表現していけばいいのかというのはまだまだ試行錯誤しながら「書評」を楽しんでいきたい。
「書評」というのはむずかしい。でもおもしろい。私はそう考えており、これからもそう考えていくつもりである。

最高指導者の条件

最高指導者の条件 最高指導者の条件
李 登輝

PHP研究所  2008-02-19
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李登輝が総統の座を退いてから8年が経過した。それでも総統の座に復帰してほしいという人も中にはおり、さらに相当以上に精神的指導者としての存在は非常に大きい。そのことから中国では警戒人物として挙げられているほどである。
台湾のことなので、日本人にとっては人事ではないのかというかもしれないが、もともと李登輝は戦前日本に留学しており、創始改名もした。日本軍にも属していたほどである。
本書は最高指導者としての条件について書かれているが、ある点で見たら啓蒙書であり、ある点で見たら李登輝自身の自伝でもある。大変面白い一冊である。私の見た限りではこの作品こそが今年最高のリーダーシップ論、もしくはビジネス書になるのではないかと思った一冊であった。
Ⅰ.「指導者が持つべき哲学」
指導者が学ぶべき哲学は何なのか、持つべき哲学とは何なのかについて書かれている。李登輝はクリスチャンであるが、クリスチャンになった理由というのもいかにも李登輝らしいといいざるを得ない。
「神は存在するのか否か」
といった論考を考えるためである。ちなみに李登輝自身は自分のことを「理屈っぽい」と語っているが、そういうところは共感できる。またそれとともに青年時代は自らの「死」について考えた時期でもあった。すなわち「自我の死」についてである。それを見出すために毎日朝早くに便所掃除を行う、座禅を組んだり、寒い中冷たい池に入って瞑想したり、剣道で自分の限界までめちゃくちゃ練習したりしたほどである。さらに日本軍に召集されたとき希望の軍隊はと訊かれ「歩兵にしてください」といって上官に笑われたというエピソードもある。徹底した観念論者である。徹底した観念論者であり、数多くの日本文学、哲学に出会ったからでこそ考えることのできる論考なのかもしれない。そして最後になるが李登輝自身は総統の椅子には興味を持たなかった、もとより政治家になることにも興味を持たなかった。李登輝自身は学者として道を究めたかったというが、農業経済学の論文を多数出しているところを後に総統となった蒋介石の長男である蒋経国が目をつけ大臣のポストを与えた。その語蒋経国が総統二期目のときに副総統のポストを与え、死後李登輝は総統となった。そこから数々の大改革が行われたがこれは後々語ることとしよう。
Ⅱ.「上に立つものの行動原理」
強いリーダーシップで名を上げた一人に「後藤新平」がいる。後藤新平は第四代台湾総督の抜擢により、台湾総督府民政長官となった。当時の台湾は「四害」のひとつとも言われ、略奪や伝染病、そしてアヘン(常習者)の宝庫とまで言われたほどである。台湾を改革するために犯罪者といったものを武力によって取り締まるということを今まで行ってきたがいずれも失敗に終わった。後藤が民政長官となってから、アヘンを免許販売にさせるといったことを行い、50年かけて常習者を根絶させるという手段に出た。ちなみにそれによる収入は医療に当て込まれ、伝染病の宝庫とまで言われたのが世界一医療が進んでいるところにまで変貌を遂げた。それ以外にも数々のことに貢献したとされているが、ここでは後藤新平ばかり取り上げるわけにいかないのでここまでにする。後藤の改革でもって台湾の発展が一気に加速し、中国が見捨てた大陸は今となっては中国でもうらやむほどの民主国に成長した。政治家としてこういった改革の決断力は必要であるが李登輝は今の官僚に乗っかっているような日本の政治システムにも手厳しく批判している。また他国にも恨まれることのないように、ある意味で変な世渡り工作を行っている。しかし本来の官僚や政治家というのは「憎まれやすいところでも引き受ける」という侠気があるはずなのだが、どうも今の政治にかかわっている人たちはそういうのがない人が多いように思える(一部の政治家はそういう要素を持った人もいるのは確かだが)。
Ⅲ.「上に立つものの行動原理」
上に立つものは必ずといってもいいほど「道徳」というのは必要である。上であればあるほどなおさらのことであるが、どうも私が生活をしていく日常を見ている限り「果たしてそれがあるのか」と疑いたくなる。評論家の日下公人氏の定義について非常に感銘を受けたのでここでも取り上げておく。
「道徳というのは土であり、日本の経済発展はこの道徳という土の上で始めて成立することができる(p.145より)」
まったくそのとおりである。しかし「戦後最長の好景気」のときにはこの定義は当てはまったのかというとまずそう思えない。非正規雇用により貧困にあえぐ人たちの急増により格差は一気に広がった。さらに昨今の急激な景気低迷により「派遣切り」や「リストラ」「内定取り消し」といったことが起こっている。こう考えると今のような経済発展には道徳どころか節操がないように感じる。だが戦後日本の高度経済成長には日下氏の語っているところはそのとおりといえるだろう。
李登輝自身は哲学や農業経済学の研究を試行錯誤しながら実践しようと常に行動した人である。そのことから総統になったときにそれが花開き台湾の民主化の大きな礎となった。さらに「台湾大震災」のときにもその行動力をもってして迅速な復興や避難地の確保を行ったことでも知られている。そして常に台湾の未来、元祖国である日本の未来を考え講演も精力的に行っている。
私の尊敬する李登輝の考えと実行力を味わえる至高の1冊である。
余談であるが神田昌典氏は一昨年に李登輝氏と対談したというが、このことについていろいろと詳しく聞きたいものだ。

世界一高いワイン「ジェファーソン・ボトル」の酔えない事情―真贋をめぐる大騒動

世界一高いワイン「ジェファーソン・ボトル」の酔えない事情―真贋をめぐる大騒動 世界一高いワイン「ジェファーソン・ボトル」の酔えない事情―真贋をめぐる大騒動
ベンジャミン ウォレス 佐藤桂

早川書房  2008-09-25
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私はワインのことについてはあまり詳しくはないのだが、本書でワインにまつわる様々なことについて書かれているため前知識が必要に思える。さて本書のことに入るとする。本書は1985年に起こった「ジェファーソン・ボトル」についての真贋騒動を描いたノンフィクション作品である。まずこの「ジェファーソン・ボトル」について詳しく書くことにしよう。
「ジェファーソン・ボトル」、このジェファーソンはアメリカ第3代大統領のトーマス・ジェファーソンのためにつくられた1787年製の「シャトー・ラフィット」というワインのことを表す。この「シャトー・ラフィット」というのは歴史的にも「王のワイン」として知られており。フランス革命前から長きにわたって宮廷などの上流階級御用達のワインであった。フランス革命以後はロスチャイルド家にわたったが第二次世界大戦で解散させられた。戦後はその所有権を取り戻し現在も高級ワインの一種としてセレブたちに愛されているワインである。今回取り上げられているのは1787年モノの「シャトー・ラフィット」で別名「ジェファーソン・ボトル」と言われているものだが、訴訟当時から換算しても約200年前につくられたものである。それほど長きにわたって現存できるというのもまた驚きではあるがこの信憑性についての一部始終がなかなかスリリングで面白いところがある。それと同時にワインに関するありとあらゆる技術や蘊蓄が盛り込まれているため入門書とともに読んでみるか、何度も読みとおしたほうが私はいいと思っている。本書はただ面白いだけではない。ワインの如く読めば読むほど本書の深みが出てくる。そういう一冊である。
余談ではあるが本書は後々映画になるというこというが、これもまた本書と同じように一度見るだけではあまり分からないような作りになっているのではないかと推測できる。

壁をブチ破る最強の言葉

壁をブチ破る最強の言葉 壁をブチ破る最強の言葉
桜井 章一

ゴマブックス  2006-07-01
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私はいまはほとんどやらないが、大学4年あたりまではどっぷりと麻雀にのめり込んでいった時がある。私はマージャン歴は結構あり、小学5年生の時からだが、その時から麻雀に関する本に読みふけっていたということを今も思い出す。プロ雀士では小島武夫を憧れとしていたし、「雀聖」阿佐田哲也や20年間無敗であった「雀鬼」桜井章一に関する漫画も読んだことがある。
本書はこの中でも独特の人生訓を持つ「雀鬼」桜井章一の人生・仕事・社会の3つに分けて計70個の言葉に凝縮させている。ここではいくつか取り上げてみる
第1章「人生の超常識」
「ひとつのことだけにとらわれて固執すると、どんどん弱くなる(p.24より)」
総合格闘技の世界ではなぜ日本人選手が活躍できないのかを引き合いに出している。幅広い知識や支店を持つことによって対応が柔軟になる。適応能力もそれだけ広がるという。
「ただ生きている人は死んでいる(p.30より)」
ソクラテスは「ただ生きるのではなく、善く生きること」という名言を残している。「善く」はともかくとして、何か目的を見出しそこに向かって努力していかなければ抜け殻であり、死んだも同然であるのは共感できる。
「人を尊敬するとき、無条件の尊敬は間違いの出発点になる(p.36より)」
人は誰しも「尊敬する人物」はいるだろう。しかしそれも尊敬の仕方によっては間違いになってしまうという。但し良仕方はどの点が尊敬できてどこの点が尊敬できない・気に食わないというのが変え備えていれば教師にもなり反面教師になる。
「「ハングリー精神を持て」というが、今の日本では持てなくてあたりまえである(p.44より)」
日本はいま「モノ」で溢れ返っている。パソコンやインターネットができるようになってからはなおさらである。そんな日本でも「ハングリー精神」が大企業や急成長の企業にはあるが、それは会社をどこまでも大きくしたいという「邪念」にほかならないと桜井氏は断じている。
第2章「仕事の超常識」
「「勘に頼るな」というが、「知識」より「勘」のほうがあてになる(p.52より)」
「「目」より、「耳」のほうがよく見える(p.63より)」
「人間は進化していない(p.136より)」
まずこの3つの言葉を言いかえると野生の動物には野生なりの「勘」がある。目がない・もしくは見えない動物でも「耳」や「触覚」といった器官が優れており、そこで周りの状況を感じ取り、察知することができる。人間にもそういう力は秘めている。人間は人間である以前に動物から進化しているのだから。しかしものの豊かさというのは、簡単に満足を得られると同時にあらゆるものを破壊する。アイデンティティなどの思想や心、そして前述のような野生の「勘」を失ってしまっている。しかしそんな人間でもそういった「感覚」が残っているのではないのかと桜井氏は言いたいのだろう。今やビジネスの場ではほぼ常識のように「論理」に覆われている。確かに「論理」は大事なことであるが、世の中すべて「論理」がすべて正しいのかというとそうではない。政治の世界がいい例だろう。合理的「論理的」に解決できる案や物事ができたとしてもうまくいったためしがなかったのだから。そう考えると「論理」というのは大事ではあるが、「勘」や「感覚」で決断してみるというのもまた重要だろう。
第3章「社会の超常識」
「自由の国・アメリカは、今や魂の不自由な国になった(p.158より)」
アメリカではイラク戦争以後「監視社会」になっているほどである。例えば空港でも日本人など人種が違う人であれば大概の確率で呼ばれ、屈辱と言われるほどの綿密な検査を受ける羽目になるという(ただし私の知っている限りではイラク戦争による泥沼化の当時を言っているので、今のところは私にもわからない)。自由の国とはいえど、教育や経済の格差というのは日本と比べ物にならない。しかしその「不自由」さというのは日本と似ているところがある。
「長寿は、それだけで素晴らしいことだろうか?(p.160より)」
共感できるものが多いが、この言葉ほど共感できたものはない。今や日本は「高齢社会」と言われ、長寿でいることがまるで「幸運」や「当たり前」になっているような形である。しかし「暴走老人」もいると考えると果たして「幸運」なのか?「当たり前」でいいのか?と思いたくなる。長寿がいいとするならば、抜け殻のような人生を長々とやって人は幸せになるのだろうか、自分も幸せになるのだろうか。本当に社会にとっていいことなのだろうか。私はそう思わない。むしろ寿命は長くても短くても構わないから自らの死を考え、そこに行き着くことこそ最大の幸せであると思う。その考えというのは「殉職」である。一生懸命働くがその半ばで死ぬ。自分の人生を楽しく歩んでリタイアもせずに現役を貫いて死ぬことが私の「死」の考えである。忙しく働いているが突然発作を起こして死ぬ。もしくは「過労」で死ぬというのも私にとっては幸せな死に方である(ただそれをやったら「会社」が許してくれない、迷惑がかかるので今のところ、それだけは避けるようにする)。なので「殉職」という考えを持つ(「遺書」にも書こうかなと思ったりもする)。
本書の冒頭にも書かれているとおり、私のような若い人たちがぜひ読んで頂きたい1冊である。全部で70の言葉があるが、その言葉を一つ一つ読み解いていくと、どれだけ社会が矛盾をつくりだしているのか、あるいはどれだけ理不尽をつくりだしているのかがわかる。そこから脱却し、常識を捨て、自分が生きる道を見出すこともまた人生であろう。

忘年会

忘年会 (文春新書) 忘年会 (文春新書)
園田 英弘

文藝春秋  2006-11
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こう言うシーズンなのでこの一冊。そうくると、日が近くなればサンタクロースに関する本の書評をするような私である。
本書は忘年会の歴史、今サラリーマンがやっているような忘年会はいつごろできたのか、海外の国々では忘年会はあるのか、著名人の方々の忘年会批判まで、「忘年会」にまつわることを隅から隅まで書いている1冊である。
今のような忘年会になったのはちょうど明治に入ってからのことであり、今では少し大きな居酒屋でワイワイと騒ぐという形であったが、第一次世界大戦のあとでは大企業では料亭で忘年会を行い芸者を呼んでドンチャン騒ぎであった。今のように居酒屋でやるような形になったのはごく最近のこと。居酒屋チェーン店が軒と連ね手軽に飲み会ができるという形になり始めてからではなかろうか。そう考えると近年の忘年会も一風変わっている。例えば先の読書パーティーもある意味では忘年会である(「交流会」とも言うべきか)。居酒屋で、ホテルで、料理店で…和洋中を織り交ぜながらも日本独特の忘年会文化を築き上げている。
実のことを言うと私自身も前述の読書パーティーを含め今日までもう3つの忘年会に参加した。社会人1年目であるが、まさかこれほどまで忘年会をやるとは思わなかった。楽しい反面、財布が冬のように寒くなる。忘年会は年忘れで騒げるが年を越したらその代金によってその騒ぎから覚めて現実に直面するというオチがないようにしたいものだ。

子米朝

子米朝 子米朝
桂 米團治

ポプラ社  2008-10
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今年の10月に桂小米朝が五代目桂米團治を襲名した。五代目米團治の師匠はご存じ人間国宝であり、父である三代目桂米朝。米朝の師匠は四代目桂米團治、つまり米朝の師匠の名を自分が継ぐという形になったのである。当然戦後の上方落語の草分け的存在であったということから大名跡である。これから五代目米團治はそのプレッシャーと戦わなければいけなかったが、米團治が小米朝だった時代でも人間国宝を父に持つ噺家として、七光的存在であった。七光的存在であったが故に周囲の期待はほかの弟子と比べ物にならないほど大きく、それに応えるべく「おぺらくご」を開拓し、落語の稽古に尽力した。
本書ではそんな米團治の半生を描いている。米團治が父の米朝の門をたたき、そこで修業し、ときにはしくじり、落語を見出し、成長していき、そして米團治を襲名というストーリーとなっている。米團治にとっては決して平たんな道ではなかったと思えるが、本書を見た限りではつらい修行と同時に兄弟弟子や師匠、そして周りの方々の関係の温かさを見出せた。決してちやほやされることなく、だからと言って殺伐とせず、温かく・厳しい目で見守り、そしてかわいがられたからでこそ今ここに「五代目桂米團治」がいる。父の七光の重圧のあとの、大名跡の重圧が待っている。それを乗り越えて父とは一線を画した噺家であってほしいというのが本書を読んだ後の私の思いである。

課長の会計力 自分とチームが結果を出すための数字の使い方

課長の会計力 自分とチームが結果を出すための数字の使い方 課長の会計力 自分とチームが結果を出すための数字の使い方
望月 実

日本実業出版社  2008-12-18
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著者の望月様から献本御礼。
本書は課長の立場からどのような数字の見方を示せばいいのかについて書かれている。課長の立場と考えると私の考えでは部下を育てる・管理するといったイメージが強いが、営業成績や製造に関する会計もかなり絡んでくる。これらは企業会計の一種である「管理会計」であるが、この管理会計がこの財務会計にとって重要な要素となる。本書はこの管理会計について非常に良く噛み砕いて説明している。

プロローグ「なぜ、課長に会計力が必要なのか」
第1章「値引きはどこまでしてよいか――売り上げと利益の関係」
第2章「資金繰りで困らないために――運転資金の計算方法」
本書でもっとも目についたのが英会話学校で、昨年の10月に破たんしたNOVAを多く引き合いに出している。まずこの章ではNOVAが行った資金繰りについて説明している。「前受金ビジネス」というビジネスを行っていた。本書にも書かれていた通り諸刃の剣である。前もって資金が入るわけであるので広告宣伝費や経費などをバンバン使うことができ、そこからまた集客を増やすことができる。しかし資金が豊富にあることがあだとなって多岐にわたるビジネスに手を出す。もしもそれが失敗したら…と考えると想像がつく。多額の負債を抱え資金繰りも急激に難しくなる。メリットとリスクは表裏一体であるがそれが極端に出たビジネスモデルがこれなのだろう。
第3章「“勘定あって銭足らず”を避ける技術――キャッシュフロー計算書」
サブプライムローン問題が浮き彫りになり始めたときによく「黒字倒産」という言葉を目にしたり、耳にしたりした人もいるだろう。財政・損益上では確実に利益を出したが資金逼迫で倒産してしまったということがある。財政的にも損益的にも健全であるがと思うが、もう一つ会計として見ておかなくてはいけない表が「キャッシュフロー計算書」である。この章ではキャッシュフローの読み方について書かれているが、特に見極める技術としては最後のライフサイクルは最低限抑えておくと後々役に立つと思う。
第4章「儲かるための「コスト」の基本――変動費と固定費」
管理会計なのでここでは「売上」「変動費」「固定費」というのがネックになる。それに関係するのが「損益分岐点」と即答で出るが、この章ではそういうことではなく「変動費」と「固定費」の創刊からビジネスを3つに分けている。
・「変動費型ビジネス」→ 利益が少ない(卸売・小売が中心)
・「固定費型ビジネス」→ 利益は大きいが損失も大きい(NOVA)
・「両方少ないビジネス」→ 利益は大きく損失も小さい(ネット)
という形である。この章では今の時期では労働者にとって聞き捨てならないところがあるが、リストラの話もある。戦略的なリストラはV字回復を望めるが、いかんせんそれが成功したのはおそらく本書でも紹介している日産くらいではなかろうか。
第5章「予算がわかれば“会社”が見える――予算の作成」
第6章「予算を達成する数字の見方――予算実績分析」
第7章「勝ち組企業の「儲け力」――利益を増やす発想法」
第8章「経営の効率とスピードを上げる――ERPシステムとは何か」
大きくとぶがここではコラムが非常に気になった。現在では日本における株取引の3分の2が外国人投資家によるものである。海外の目を窺いながら日本の市場が動いており、アメリカを中心とした経済にさらされているのもまた事実である。しかしその中でも超然としたのが任天堂と吉野家であるという。その理由は自社の強みとブランドを活かすということであった。次章に続くが環境の変化によってそれが裏目に出る可能性がある。しかしそれを貫くことにより、企業イメージやブランドの強化につながる
第9章「予算よりプロセスを管理する――未来の管理会計」
予算自体の問題点とその解決法について書かれている。
巻末には本書を起点として経営本を紹介している。管理会計を中心にして経営知識も蓄えたほうがいいとしていくつか紹介している。

本書を読んだ感想として、以前管理会計を学んだことがあるが、初心者でもわかりやすく書かれており、それのみならず管理会計をもとにどのように数字と関わっていけばいいのかということも説明されている。
数字の苦手な課長にはもってこいの1冊である。

オタクはすでに死んでいる

オタクはすでに死んでいる (新潮新書) オタクはすでに死んでいる (新潮新書)
岡田 斗司夫

新潮社  2008-04-15
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皆さんは「オタク」と聞くとどう想像するだろうか。
おそらく美少女アニメ好きでよく秋葉原(アキバ)に通い詰めるということを想像するだろう。しかし岡田氏に言わせれば本当の「オタク」はアキバには通わないという。
第1章「「オタク」がわからなくなってきた」
第2章「「萌え」はそんなに重要か」
第5章「萌えの起源」
岡田氏から見ると今の「オタク」は「オタク」ではないという。アニメグッズを集め、リアルタイムでアニメを見て録画をして何度も繰り返し、好きな声優のコンサートで騒ぎ、マニアックな知識で仲間たちと会話する。そこで満足してしまう人が多いことに岡田氏は嘆いている。「TVチャンピオン」の「アキバ王選手権」や「真剣10代しゃべり場」でのエピソードを交えている。そしてもう一つはよく「オタク」(そうでない人も言っているか)はよく「萌え」という単語をよく使うが、それについての意味が分からない人がほとんではないだろうか。ちなみに私も「本当」の意味はよくわかない、というよりも「本当」の意味はあるのだろうかと疑いさえする。私の仮説であるが、国語辞典での「萌える」では「芽がでる」という意味合いから、恋愛感情が芽生えることを「萌え」というのではないのか。念のためとある辞書で調べてみたらばこんな意味であったことだけ追加しておく。
(1)マンガ・アニメ・ゲームの少女キャラなどに,疑似恋愛的な好意を抱く様子。特に「おたく好み」の要素(猫耳・巫女(みこ)などの外見,ドジ・強気などの性格,幼馴染み・妹などの状況)への好意や,それを有するキャラクターへの好意をさす。対象への到達がかなわぬニュアンスもある。
〔語源は,アニメ作品のヒロイン名とする説,「燃える」の誤変換とする説など,諸説ある〕
(2)(1)が転じて,単に何かが好きな様子。または何かに熱中している様子。
第3章「オタクとは何者だったのか」
第4章「おたくとオタクの変遷」
ここでは「オタク」の意味についてちょっと説明していこうと思う。またもとある辞書からであるが、
俗に,特定の分野・物事を好み,関連品または関連情報の収集を積極的に行う人。狭義には,アニメーション・ビデオ-ゲーム・アイドルなどのような,やや虚構性の高い世界観を好む人をさす。「漫画―」
〔多く「オタク」と書く。二人称の「おたく(御宅)」を語源としエッセイストの中森明夫が言い始めたとする説が有力。1980 年代中ごろから用いられるようになった〕
中森説が最有力とみなされている。岡田氏はこうではなく「SF」からきているのではないかとされている(「SF説」)。
今では世界的にもこれで通じるようになった「オタク」であるが、そもそもは「おたく」という表記である。もっと言うと「オタク」ばかりではなく「ヲタク」という表記もある。私自身は「オタク」のもっと進んだ人のことを指すのかと推測するが。本題に戻ろう。なぜ「おたく」から「オタク」になったのか、もともと「おたく」というのは「おたく族」から来る差別用語であり、NHKでは放送禁止用語の一つになったほどである。また「おたく」は差別用語であると同時に蔑称にまでなったほどである。それの頂点となったのが「宮崎勤事件」である。このときにあるTVレポーターがコミックマーケットのリポートの時に「十数万の宮崎勤がいます」ということが問題発言となった。それほど「おたく」というのは社会的にも排除すべき人であったことが窺える。その差別を救い、「おたく」の良さを知らしめようと立ち上がったのが岡田氏である。東京大学では「オタク学入門」という講義を開き大盛況であった。その時から日本のアニメや漫画が海外に流通し始めたときであった。そこから世界中から日本のマンガ・アニメの人気が高まり、今や「クール・ジャパン」と呼ばれるほどにまでなったことは周知の通りである。いつごろから「おたく」から「オタク」になったのかというのは具体的に明記はされていないがおそらく「宮崎勤事件」以後か岡田氏が「オタク学入門」を開講した頃の間にそういった変化があらわれたのだろう。
第6章「SFが死んだ」
第7章「貴族主義とエリート主義」
第8章「オタクの死、そして転生」
オタクの意味の起源は中森説が有力であれども、オタクの体系の原点はSFから始まる。とは言ってもSFアニメからではなく「SF小説」からである。「SF小説」から「SFアニメ」そして「アニメ」という風にオタクは変遷していったと今でも私は思う。そして今やオタクは「萌え」がないということが叫ばれているが、私自身も一時期アニメオタクであった体験からしてその必要がないと思う。むしろアニメの良さと批判し合うことこそがオタクの醍醐味ではないだろうか。そこから自分が考える理想のアニメを追求し、自分で作っていって、売り込むことこそオタクの真髄ではなかろうか。
そして最後には岡田氏からオタクたちへの檄文が書かれている。私も一時期オタクであった。そこから行動は起こさなかった。今では読書オタクになっている。そこから行動は起こしているがセミナーに出る程度であるが、これからどんどん起こしていこうと思っている。

国境・誰がこの線を引いたのか―日本とユーラシア

国境・誰がこの線を引いたのか―日本とユーラシア (北海道大学スラブ研究センタースラブ・ユーラシア叢書) 国境・誰がこの線を引いたのか―日本とユーラシア (北海道大学スラブ研究センタースラブ・ユーラシア叢書)
岩下 明裕

北海道大学出版会  2006-06
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本書はユーラシア大陸における国境線について考察している。当ブログでは「竹島」「尖閣諸島」「北方領土」についてじっくりと書いていこうと思っている。
第一章「日本の外で「国有の領土」論は説得力を持つのか」
竹島や尖閣諸島問題では分からないが北方領土問題では「日本固有の領土」としきりに主張している。この章はこの「日本固有の領土」についてドイツの国境の変遷を例に出して指摘している。最後の余談の部分がこの章の本題となってしまったものの例えば日本が平和のために北方領土なり竹島なり、尖閣諸島を放棄するという発言があったとしたならば大きな論争になるが、主要メディアはまず取り上げないだろう。すでに国内事情が隣国の機嫌を窺っているようにしか思えないからである。これから上記の3つの領土問題は引き合いに出される時がいつか来るだろう。ただここで国民は考え直す必要がある。当然政府は領土問題について国民に問うべき義務がある。何を言いたいのか、「国民投票」によって領土問題について問うてみたらどうかということである。次の衆院選でもそういうことを引き合いに出すこともまた、政治というものではないだろうか。
第二章「国境と民族」
第三章「旧ソ連中央アジアの国境」
第四章「カシミールと印パ・中印国境問題」
ここでは中央アジア・東南アジアの領土問題について書かれている。1989年にソ連が崩壊し、いかにしてウクライナなどの領土・国境ができたのか、そして私自身も知らなかったことだが中国は尖閣諸島を主張しているだけではなくインドとの国境問題も主張している。当然中国が無断で「中・パ国境クンジュラブ峠」をつくったというのは有名な話である。こう考えると尖閣諸島問題と何か似ている気がする。中国にまつわる国境問題の詳細については第六章に書かれている。
第五章「竹島問題と日本の課題」
さて、竹島問題である。竹島(韓国では「独島」という)は日本の島根県と韓国の間にある小さな島であり、いま日本と韓国とで主張が対立している島である。過去にこの竹島問題についてオランダのハーグの国際裁判所に提訴しようと日本は3度主張したものの、韓国側に退けられている。この領土問題について国際裁判にかければ合理的、早急に解決することができるが、これについては当事国すべての了承が必要である。また日本も日本で過去に3回主張したのは1950年代のことであり、それから50年以上もそういった裁判で決着をつけようと主張していないのも嘆かわしい事実である。なぜ竹島問題が生まれたのかというのは、北方領土問題や尖閣諸島問題と同じであるが敗戦後に起こった問題である。1952年に李承晩ラインの主張が発端となった。それまではというとずっと日本領であった。しかし韓国は歴史を引き合いに出して批判をする。しかし歴史的検証をすれば日本領だということは分かるが、それでも政治的に解決しようとする意気込みが政府や外務省は感じられず、むしろ先送りばかりしているところが韓国になめられている何よりの証拠ではないだろうか。余談であるが、もし竹島問題を解決しても今度は対馬にすりかえることを考えると、主張や政治的に「侵略」しているとしか思えないのが今の韓国・中国だろう。
第六章「中国と日本・ASEAN間の国境問題」
中国は尖閣諸島や前述の中印国境問題をはじめ様々な領土問題を持っているが、ここでは尖閣諸島・魚釣島にまつわる問題が中心であった。それ以外では中国・ベトナム間の領海問題について取り上げている程度である。尖閣諸島に関してはいまでは非常に大きな問題となっていたが実はこれが表面化したのはごく最近のことであり、尖閣諸島周辺から天然ガスが出ることが明らかになってからの話である。そうなると簡単にわかるだろう。資源の取り合いとなる。領土の歴史というのはそっちのけで領土、もしくは資源のほしさにしきりに主張することは目に見えているのである。
第七章「中ロ国境問題はいかに解決されたのか」
過去50年以上絶えまなく領土問題とはという時に出てきたのは竹島問題のほかに北方領土問題がある。1945年の敗戦後もソ連は日本に侵攻し、北方領土まで言ったが、アメリカ軍が北海道まで駐留したことにより北海道はソ連の侵攻から何とか難を逃れたという形になる。それから50年代には国連加盟に向けて尽力してきたがそれと同時にソ連と北方領土交渉が行われていた。当時の外相の重光葵であったが、結局当時の首相である鳩山一郎にバトンタッチされ領土問題は棚上げにしたままソ連との国交回復となった。それから50年以上平行線をたどったままであるが、本章では中ロ国境問題がいかに解決したところも挙げていかなくてはいけない。中ロも当然国境問題があったのだが現在ではほぼ解決に至っている。結局は「妥協」したということで収束してしまうものであるが、では日本は全部が全部妥協すべきなのかというと、ある程度までは妥協すべきだろう。しかし主張すべきところは主張すると言った交渉力がほとんど持っていない以上、このまま妥協するのは非常に危険な話である。現在では二島返還が最有力とされてきているが、現在のネドベージェフ政権ではもしかしたら可能かもしれないが、それをやってしまうとロシアの国民から「売国奴」と言われてしまう。北方領土問題に限らず領土問題において他国に領土を返すというのは国にとっても屈辱的なことである。しかし日本はどうなのか、野党らはそういった領土問題について主張することはほとんどない。それ以上に隣国との協調という名の「媚びへつらい」をしきりに主張し、行っているに過ぎない。それでは日本人としての誇りが失われるどころか、ついには領土を次々と奪われる結果に陥ってしまいかねない。それについては国民の関心と思いがなければ難しいだろう。

日本人が勇気と自信を持つ本―朝日新聞の報道を正せば明るくなる

日本人が勇気と自信を持つ本―朝日新聞の報道を正せば明るくなる 日本人が勇気と自信を持つ本―朝日新聞の報道を正せば明るくなる
高山 正之

テーミス  2007-04
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良くも悪くも(悪いほうが多いが)大人気の「朝日新聞」の批判本である。こういう批判本を考えると朝日新聞というのはある意味で人気者といえる。
第1章「巨大メディアが垂れ流す歪曲報道」
皮肉はここまでにしておいてまず第1章では朝日新聞の歪曲報道を告発している。歪曲報道で思い出すのが佐藤栄作元首相の辞任会見の一幕である。
「僕は国民に直接話したい。新聞になると文字になると(真意が)違うからね。残念ながら…(佐藤栄作辞任会見より抜粋)」
これこそ新聞の歪曲報道の端を発する発言であったのだろう。国民に率直に話したい政治家であるが、新聞を介することによって新聞社自身の思想によって歪曲され、真意とは裏腹の報道がなされる。それによって国民に知れ渡り、浸透し、求心力が落ち、朝日・毎日新聞や野党は首を取ったような表情をするという図式になる。歴史認識問題についてもほとんどの元凶が朝日新聞である。
第2章「朝日新聞の報道を正せば日本は明るくなる」
朝日新聞を正せば日本は正せると思うが、朝日だけを正せば日本が明るくはならないだろう。何せ朝日寄りのメディアの毎日新聞やテレビ朝日系列やNHKを正さなければならない。
第3章「天下り官僚はなぜか血色はいい」
官僚体制について批判している。天下り官僚や世襲官僚が日本を滅ぼしているという(特に外務官僚)。従軍慰安婦問題を大きくさせた要因は河野談話や村山談話であるが、河野談話についてはこれ自体は外務官僚が作ったいかにも作文であるが、これについての談話を踏襲しないのかということばかりがメディアや政治的に取り沙汰されていて、談話を見直すということがないのが嘆かわしい。
第4章「困った隣人・韓国&北朝鮮とのつき合い方」
潘基文国連事務総長の批判から始まる。潘基文事務総長は地図上の日本海を韓国が主張する「東海(トンへ)」と主張したり、竹島問題について言及したりと国際的平等を主張しているとは言えない。韓国に対しては竹島問題や従軍慰安婦、北朝鮮では拉致問題が存在する。経済的には強い連結はあるべきではあるが、政治的にはどうであろうか。前述の問題を引き合いに出さないと言ったことを公言はしているものの、市民団体や野党の圧力に屈して反日に転ずるということも今までに何度もあった。そういう意味を考えるといくら謝罪をやっても、いくら補償をやってもこの反日や戦後責任を求める灯は消えることはまずないだろう。そう考えると割り切って政冷経熱というのが私の考えではベストである。
第5章「中国の嘘を見破ろう」
中国は反日感情が強い国として知られるが、では中国人の思想と国家とは一体何なのかということを知らないと扱いによっては媚びへつらうことになりかねない。まず中国には「華夷秩序(もしくは「中華思想」)」と言った思想が根本にある。「華夷秩序」というのは自分の国だけがこの国の中心であり、韓国や日本などの国々をした、もしくは敵として扱う国である。またお隣の韓国や北朝鮮は1910年の韓国併合までずっと(中国)大陸の王朝に「朝貢」を行ったという。本書では「竜の爪」の話があることを考えると、中国や韓国から見たら日本は「下の下」存在でしかない。
また死者への祀り方も日本と中国でははっきりと違う。まず日本であるが怪談話で有名なラフカディオ・ハーンは日本のことをこう言った
「日本は死者の国である」
神道や仏教を擁している国だからでこそ、である。例えばキリスト教は死んだら天に召される、イスラム教も少し違えど、信教を貫けば天国に行けるという。日本では死んでも地続きとされ、たとえば靖国神社では英霊、その他の神社では御霊が祀られる。仏教の範疇で墓もあり、毎年3月・9月の御彼岸や、8月のお盆には必ずと言ってもいいほどお墓参りに行く。墓や神社に行けば死者に会えるというのが日本である。
ちょっと長くなったが中国とほかの国々の違いを一言で言おう。「死者の扱い方」が決定的に違う。黄リスや仏教など、宗教をもった国々では死んだら罪はなくなり、皆が善意でお墓を供養する。
ところが中国では「絶対不寛容」の原則が成り立っている。簡単にいえば死んでも売国奴などの罪は消え去ることはできない、許されないというものである。約1000年前に亡くなった秦檜の像を少し前まで唾を吐くという習慣があった。売国奴と言われるような輩はたとえ偉人であったとしても許されず、像をつくってそこに唾を吐けというようなことをやる。もっと言うと死者の骨や肉を食み、灰になっても踏み潰し、そしてその子孫や血族を一斉に根絶やしにし、末代まで許さないという考えを持っている。また昨年話題となった例を取り上げるが、石景山遊園地が「パクリーランド」としてTVに挙げられたことをご存じだろうか。あまりにもお粗末なもので笑ったのだが、中国では様々な物の海賊版が今でも横行するほどである。金さえあれば国際的に違法でもやっていいというのが中国人の考えであるというから恐ろしい。
おそらく新聞やTVでは中国批判や韓国・北朝鮮批判というのはほとんどやらないだろう。それ以上に反日運動や自虐史観などを教えられる。しかしその呪縛から脱却するにはどうすればいいのかというと、書評で何度も主張しているが自らの足で歴史を学ぶことがすべてであると私は思う。学校の授業だけで事足りると思ったら大間違いである。そして新聞に目を通すことをお勧めする。ただしこの理由は「世の中のことを知ること」ではなく、ただ単に「新聞社への悪口のネタ」として読むことを勧めるということである。特に朝日新聞は悪口の宝庫なので読むといい。

リーダーシップの本質―失意から成功への回帰

リーダーシップの本質―失意から成功への回帰 (神奈川大学経済貿易研究叢書) リーダーシップの本質―失意から成功への回帰 (神奈川大学経済貿易研究叢書)
小山 和伸

白桃書房  2008-01
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リーダーシップというのは一体何なのかというのがあまり定まっていない。例えばカリスマ性がある、統率力があると言ったものがある。さて本書ではリーダーの本質として失意から成功への回帰を描いている。
序章「リーダーの資質」
「リーダーシップの本質は、ある意図した方向への献身に、理念を付加ないし強化し得る感化力にある(p.1より)」
まずリーダーシップの本質の根本をこう主張している。リーダーシップというのはあるビジョンに向かってその理念を考え、それを強化していこうと自ら感じ取り、それを実行していくことである。ただしこれは上っ面においてできるものではなく、自分のあるべき姿に向かって努力していくことこそリーダーシップとなる。ただし、そのためには希望を持つことが必要であるが、希望のない人に「希望を持て」と言われるとそう出るわけがない。ではそのリーダーシップの本質をどう身につけていくか、希望をどう身につけていくのかということをこれから見ていく。
第1章「失意の意義について」
本書で書かれている限り、失意というのは2通りあり、苦悩の中で制約を見出してしまいどんどんマイナスに陥ってしまうこと、克服のあとに陥る失意がある。プラス・マイナス両面で起こりうる失意であるからそれはまず避けようがない。では前の状況をどう改善していくのかというのがカギとなってくる。それは理念を持つことにほかならない。そこから大目的が生まれる。そしてそこに向かってまい進していくことで、万が一失意に遭ったとしても乗り越えられるために切磋琢磨するだろう。
第2章「合理性のリーダーシップ」
ここからリーダーシップを4つに分けて説明している。まずは合理性についてであるが、おそらくこれが最も難しいところになるだろう。というのは哲学的なところも絡んでいるためである。ここではあまり難しくないところをピックアップしながら見ていくことにしよう。リーダーシップとしての動機づけにしてどのように形があるのかというのを以下の4つを挙げている(pp.53-55より)。
1.「独善的専制型」
2.「温情的専制型」
3.「相談型」
4.「参加型」
どれもリーダーシップであるが1.は完全に個人独裁そのもの、2.もそれに似たようなものである。カリスマ性などを発揮できる人がなるだろうが、それにより人望が亡くなってしまう危険性をはらんでいる。3.4.はチームとしてであれば非常に効果を発揮できる。上下関係を気にせずに下の者たちは自由に議論や参加ができる。自分自身が府の責任をすべて背負えばなおいいかもしれない。
第3章「向上性のリーダーシップ」
向上性を重視しメンバーの向上を手助けするリーダーシップのことを指す。さてこの工場の手助け、向上の促進を図るにはどうすればいいかという動議づけが必要である。向上の動機づけにもまずこう言ったやり方がある。
・「殉教的精神への教導」
・「利己的精神への教導」
前者はいかにもカルト宗教的なネーミングになっているように感じるが、実際に前者は「社会的使命感」の向上のために役立つ。一方後者の教導は文字通り「利己的欲求」に傾く。これについては今となってはどちらでも構わなそうではあるが、やはり前者の「殉教的精神への教導」はなくてはならないだろう。
もう一つ、組織行動においては失敗と成功は当然ながら存在する。しかしこれについては扱いようによっては毒にも薬にもなる。成功は向上心があれば自信につながるが、傲慢や油断すれば堕落につながる。失敗は向上心があれば本質への回帰や自己再認識につながるが、自信喪失や委縮になれば堕落する。成功と失敗はつきものだがそこからどうするべきかが大事となる。
第4章「至高のリーダーシップ」
「至高」という言葉は何とも難しくもあり高貴な響きであろう。さてここで言う「至高」とは一体どのようなものなのかというのも知りたくなる。単純に言うとある使命感を持ったチームが一体となっていけるように向けることを指す。そしてその使命を創出させるためには、崇高な理想を立てるか、プロ意識の醸成をさせるのかというアプローチがあるが、前者としての例に本書では日本軍の例を多くとらえていることが非常に面白い。今メディアをはじめ左派論客、中国・韓国などでは忌み嫌われている存在ではあるが戦争中の日本軍ほど、目的達成のために一致団結して一体となって戦ったものはいなかった。諭す時・叱るはほとんど精神論ばかりであったもののそのことにより兵士を高揚させることには十分に役立った。日本人であることを誇りに持ち、日本人であることで潔く死んでいった戦士たちもいた。リーダーシップを語る上で日本軍論を語るというのもちょっとおもしろい。
そしてちょっと気になる一文を取り上げる。
「ドイツ・オーストリアの連合軍に敗れたデンマークは、失意の中にも敢闘精神を奮起し、狭められた国土の開拓に粉骨砕身の努力を傾ける。ユトランドの悔恨によって、狭められた国土の富は著しく増大する。剣によって失ったものを、鋤と鍬をもって取り返した根底には、戦いに敗れても精神に破れなかった民族性がある(p.144より)」
これは内村鑑三の講演似て話していたことであるが、これについて日本も似た現象があった。千五ものが自由に変えなかったときから急速に経済を成長し、今やGDP世界第2位となった。学力も今ではフィンランドなどの北欧諸国に後塵を拝することになったものの今でも上位をキープしている。武器を捨てた代わりに経済と学力で世界に打って出たのである。しかしその経済も減速し学力低下も叫ばれているが、今度はどの力で世界に対抗していくのかを模索する必要がある(私は「精神」を模索するべきだと思う)。過去の栄光に酔いしれる暇などないのだから。
第5章「理念実現のリーダーシップ」
理念はいろいろある、社会的理念と、自己実現のための理念というのが存在する。しかし企業や組織の中で生きていく上で、企業をどうするのか、スケールは大きくなるが経済的な視点から国をどうするべきかということも理念に入るだろう。
第6章「結論」
リーダーシップというのは何なのか、リーダーシップをどのようにして身につけるべきなのか、どのようなリーダーであるべきなのかというのはそれは本書を読む限りでは自分次第であるといいようがない。本書はあくまでリーダーシップというのを考察している1冊である。

戦争責任とは何か―東京裁判論争をめぐる50問50答

戦争責任とは何か―東京裁判論争をめぐる50問50答 戦争責任とは何か―東京裁判論争をめぐる50問50答
清水 正義

かもがわ出版  2008-09
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今年東京裁判の結審及び7人の処刑執行60年を迎える。この60年経った今もこの東京裁判の定義に関する論争は後を絶たない。当ブログでは東京裁判にまつわる書評はいくつも行ってきた。私自身の意見としてはこの裁判は結局連合国の都合で終わったと言える。少なくとも「東京裁判は平和のために役に立った」のは完全な間違いであったというのは周知の事実であり、マッカーサーも同じように語った。本書はこの東京裁判、及び戦争責任について50の質問と50の回答について書かれている。
第1章「戦争責任とはどういう概念か」
「戦争責任」という言葉が政治的にも、歴史学的にもよく使われているが、これは一体どのような意味を持つのか、そして定義は一体何なのかというのがよくわからない人が多い。
「戦争責任」というのはいくつか定義があり、
・「戦争を起こした責任」
・「侵略戦争をした責任」
というのが一例にあるだろう。それを訴えている人は主に後者のことを言っている。ではこの「侵略」という定義であるが、国際法上違法なのかそうでないのかというのもはっきりとしていない。確かに朝鮮や満州などの大陸に侵攻し、植民地したとされている。一方そうではない人たちは、朝鮮は「併合」、満州は「建国」という名をもって侵攻ではないと主張している。「侵攻」の定義についてもあいまいなところが残っている。他国に攻め入るのは明らかな「侵攻」だが、そうではない目的で他国に入るというのは「侵攻」なのかというと首を傾げる。
第2章「東京裁判の評価をめぐって」
東京裁判は「第二の侵略」と主張する論者もいるが、まさにその通りである。検察側が有利な証拠はどんなに怪しくても採用され、被告側が提示した証拠はいかに明瞭であれども却下された。また弁護側が平等な主張を行ってもウェッブ裁判長が「すべての動議を却下する。この理由については将来闡明する」と言って明確な理由を示さずに却下した。またもう一つ言うとドイツのニュルンベルク裁判と重ね合わせて検察側が「共同謀議」というのを訴因にしようと思ったのだが、ドイツと全く違う点は戦争にいたるまでの過程の間一貫して中枢にかかわっていた人が誰もいない。また東条内閣で大蔵大臣を務めていた賀屋興宣は、
「なにせアンタ、ナチと一緒に、挙国一致、超党派的に侵略計画を立てたと言うだろう。そんなことはない。軍部は突っ走ると言い、北だ、南だ、と国内はガタガタで、おかげでろくに計画もできずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ(小林よしのり「いわゆるA級戦犯」p.80より)」
と恐縮して発言した。つまりこの東京裁判は平和のための役に立っておらず、連合国の都合で、しかも事後法でもって戦犯を裁いていたということを考えると「裁判」として成り立たず、むしろ敗戦国への「第二の侵略」という位置づけは正しいと言えよう。
第3章「靖国神社、戦後補償、教科書問題をめぐって」
必ず歴史認識問題で出てくる「3点セット」である。「戦後補償」を除いては敗戦からずいぶん経って叫ばれ始めた。なお「戦後補償」については敗戦後から言われていたのだが、今のような定義になったのは90年代に入ってからである。それまでの「補償」というのは戦犯の遺族たちへの「補償」のことを表しており、今のように近隣諸国への「補償」ではなかった。この戦後補償についてはもうすでに解決しているが、「従軍慰安婦」や「虐殺」への補償や謝罪要求はまず消えることはない。とりわけ中国は江沢民政権末期に「謝罪要求を永遠につきつけろ」というようなものまである。謝罪でもって国際協調できるというほど国際関係は甘いものではない。それに関して日本の政治家や外務省はそう言ったことを知らない、もしくは知っていても国際関係重視の良い子のお坊ちゃんのようにお人好しで、自分の国のことなど全く考えていないことを見ると…おそらくこう言った問題はずっと長引くだろう。
第4章「ドイツと日本」
第二次世界大戦後数多くの戦犯に対する裁判が行われたが、その最たるものは「極東国際軍事裁判(東京裁判)」と「ニュルンベルク裁判」がある。また戦後の戦争責任問題についてもドイツを引き合いに出している。ドイツでは1985年のヴァイツセッカー演説を引き合いに出すことが多い。しかしこの演説自体はホロコーストによる大虐殺の罪は認めても、それがドイツ人全体がその罪を負っているわけではないという内容のものである。また戦後補償などの歴史認識問題についても日本に似ているところも多く、ドイツも日本同様に歴史認識が揺れている。
第5章「国際社会と戦争責任」
「戦争責任」という言葉について必ず引き合いに出されるのは日本やドイツである。そう考えると敗戦国は第二・第三の屈辱を味わっているようでならない。しかし戦勝国や準戦勝国には戦争責任がないのかと聞かれるが、口が裂けてもないとは言えないだろう。それは戦争に直結した理由にもなる。例えば日中戦争(支那事変)が起こった要因としては「通州事件」や「上海空爆」、「盧溝橋事件」が挙げられる。大東亜戦争も「アメリカの石油禁輸」や「ハル・ノート」というのがある。日本にも開戦責任はあるのだが、その周りの国々がないとは言えない。もっと言うとアメリカは「東京・大阪大空襲」や「広島・長崎への原爆投下」に関して責任がないとは言えないだろう。特に後者については東京裁判でも引き合いに出された。
いまでも東京裁判の論戦は絶えない。だが東京裁判など戦前の歴史を知らなければ、これから日本はどうするべきかの道標が立たない。また歴史を学ぶことによって日本人としての在り方を学ぶ、日本人としてのアイデンティティを学ぶこととしても重要なことである。歴史認識問題は政治的、学術的にこれからも揺れるだろう。その中だからでこそ、我々は歴史を学ぶ必要がある。

国際正義の論理

国際正義の論理 (講談社現代新書) 国際正義の論理 (講談社現代新書)
押村 高

講談社  2008-10-17
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「国連安全保障理事会におかれましては、その議題について、客観性をもって、国際法の規定並びに正義及び衡平の原則に従いつつ討議をする義務があります。(p.7より)」
これは国連の安全保障理事会からある国へ送られた書簡である。ある国は5年前の3月に戦争を行い、民主化というのを名をうって復興に取り組んだが、結局泥沼化に陥ってしまった国である。当然その国の大統領、及びその国の信頼は大きく失墜してしまった。もうここまで書けばどこの国なのかはわかるだろう。「力こそ正義」というのを世界一の軍事力を振り回して自分が正義だというエゴイズムで成り立っている国である。イラク戦争の時も「大量破壊兵器があった」というのが完全に大義をすり替えて戦争を行っている。その前段階でもまるで日本にハル・ノートを突きつけたような無茶な要求をしたこともある。国連1441号決議である。ただフセイン政権はそのひどい内容を呑んだことがアメリカの誤算となり、大量破壊兵器が存在せず、査察延長を求める声が大きかったがアメリカはこれを拒否し、アメリカに対する批判が強くなり、アナン事務総長(当時)もアメリカに警告したほどである。そう考えると国際正義とは一体何なのかというのが分からなくなっている。そう考えるとこの「っ苦佐井正義」とは一体何なのか。
第一章「正義に「国境」ができるまで」
第二章「「国際正義」の誕生と変転」
第二章の途中までは哲学的な内容に入っているのであまりうまく説明できないので今回は第二章の後半から入っていくことにする。まず環境問題における国際正義であるが、環境問題自体は取り組まなければいけない問題ではあるのだが、その裏には「排出権取引」や「京都議定書」といった環境問題とは「あたかも関係があるように見えて実は政治的要素の濃い」ものまで含まれている。また環境問題に関して日本はヨーロッパのことを引き合いに出してまだ日本は環境対策が進んでいないと槍玉にあげる。京都議定書における二酸化炭素の排出削減目標が「1990年比」になっていることが最大のネックになっていることはご存じだろう。ドイツなどのヨーロッパでは冷戦などによるいざこざで環境対策をほとんど行っておらず、環境先進国ドイツでも東西ドイツの統一によりこの年には二酸化炭素排出量が急激に上がった年でもある。一方日本は第一次石油ショックを機に作業服など環境にやさしいものを取り入れてきた、もっと言うと90年が最も二酸化炭素の排出量が少なかった年でもある。日本は京都の環境会議でイニシアチブを取るつもりが逆にイニシアチブをとられた結果となったからでこそこういう結果になってしまった。ちなみに現在では6%削減の目標であったのだが逆に約7%増加しており、この履行が困難となっている。先に不履行を宣言したカナダではなんと1.5倍に膨れ上がっている(GHG data from UNFCCCより)。
第三章「正義の交錯としての戦争」
それぞれの国々はそれぞれの正義を持っている。その正義が交錯することによってさまざまな問題を引き起こしてしまう。戦争とは私も当然やりたくない。だがこの戦争について知らなければ語ることができない。戦争にはそれぞれの国々の正義がぶつかる。それが続く限り戦争というのはなくならないというのは事実であり、武器を使わなくとも戦争は起こり得る。例えば思想の戦争でも、人権問題を振りかざすようなこともある意味で「戦争」と呼べるものではなかろうか。
第四章「人道的介入」
戦争や紛争を人道的介入によるべきではあるもののではこの「人道的介入」をどのようにして行えばいいのか、そしてそれが効果をもたらすのだろうかというのはまだ定かになっていない。「人道的介入」とは、武器を持たずして、主に先進国が仲裁を行うことによって、対話という形での和平・和解を促すことを指す。「人道的介入」を行ったことによってガーナやリベリアなどで成果を上げているが、「人道的介入」が先進国がイニシアチブをとって解決するというのが難しいところがある。
第五章「貧困の放置は不正なのか」
今年の10月中旬に取り上げた「貧困問題」だが、これを招いた原因から入っているが、資源が乏しい、もしくは資源があってもそれを国益にできない「風土原因論」か西欧の植民地化による「西欧責任論」かという所から入っている。どちらかなのかというのもはっきりとしない。だがこれだけは言える。植民地化に関して何らかのかかわりはあるということは間違いないと思う。
第六章「行動する主体と責任」
第七章「文明と正義」
文明と正義というのはある意味で似ているように思える。文明によってはほかの文明を否定し、自らの正義による戦争によって崩壊させる。もしくは国連の組織やグローバリズムを濫用することによって文明を破壊するということもある。西郷隆盛の言葉を借りればそういうことを「野蛮」という。
第八章「人権をめぐる文明間対話」
近年では「人権」という名を用いた「正義」がよく使われる。例えば「国際人権委員会」における日本への避難がいい例である。また刑事裁判における被害者・加害者双方の人権のぶつかり合いもまた「正義」のぶつかり合いと言えよう。
人権や権利、自由や「正義」というのはだれしもが平等にあるとは限らない。憲法上担保されていると言えどもこれらというのは必ずと言ってもいいほど対立するものである。その対立によって不平等をこうむったりするというのは法律論以前に自然的に、哲学的にも必ず起こるものである。
さて日本は正義を振りかざせるのかということも考えるべきだろう。何せ戦後60年以上アメリカの似非「正義」という傘に守られ続けているが、もし北朝鮮や中国から攻め入られた時には必ずと言ってもいいほど見捨てられる。今こそ軍備も含めて日本の在り方、「正義」を見直す時期に入っているのではないだろうか。

迷惑メールは誰が出す?

迷惑メールは誰が出す? (新潮新書) 迷惑メールは誰が出す? (新潮新書)
岡嶋 裕史

新潮社  2008-10
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迷惑メールは無視すればいいのだが、このメールがメールサーバーに影響を与えるなどの深刻な問題も起こしていることをご存じだろうか。本書はこの迷惑メールの謎について解き明かしている。
第1章「天災よりも怖い迷惑メールの被害」
世の中では約1530億通のメールが行きかっている。そのうち迷惑メールの比率は何の85%であるというから驚きである。単純に計算をしたら約1300万通が迷惑メールで残りの230万通が普通のメールである。単純に迷惑メールがなくなれば迷惑メールの被害は一手で無くなり容量の少ないサーバーでもやっていけると考えられるが、迷惑メールほど単純に解決できるものはないだろう。
第2章「なにが迷惑なのか? なぜ迷惑なのか?」
迷惑メールにもいろいろな種類があるが、私の体験談から言うと、「未承諾広告」と言ったものから「Yahooo」や「mixii」と言ったよく知られているサイトのパクリやエロ広告と言ったものも迷惑メールに入る「迷惑メール」の定義はいろいろあるが、まず言えるのが詐欺目的なものがあるだろう。あと深刻なもので言えばクリックしたらウィルスに感染するようなメールと言ったものもある。
第3章「メールのメカニズムを知る」
インターネットの急速な普及によりメールも出てきて、相手との交信手段もより迅速にすることができた。このメカニズムというのは結構面白く、「メールはどのようにして送られるのか」という入門的内容であったのでわかりやすかった。
第4章「誰が出すのか? なぜ送るのか?」
迷惑メールを出すにしても、何も目的がなくやっているわけではない。ではどのような目的でもってそのような迷惑メールを送っているのだろうかというのが結構気になるところ。メールアドレスを送る時には総当たりで手当たり次第送ったり、辞書を使ったりと様々である。私自身も迷惑メールは来るが、その時の名前は第2章にも書かれていたが、案外わかりづらいものまでは言っている。まともなメールかと思ったら迷惑メールであったという例も少なくない。そういう時は大概削除している。そういう名前だからというのもあるが、疑わしいものは基本的に見ない主義であるからだ。最後に「ワンクリック詐欺」についても言及している。
第5章「迷惑メールを防げるか?」
第6章「秘伝・迷惑メール対処法」
ではこの迷惑メールを防ぐにはどうすればいいのかということについて書かれている。簡単にいえばフリーアドレスであれば、受信拒否メールと言ったものから、迷惑メールの設定などもできるのでやりやすい、添付ファイルの見分け方にしても拡張子を表示をすればいい。簡単に思えるようだが実際見落としているところもあるので本書を読んだ後に確認したらどうだろうか。
迷惑メールはどのように捨てたらいいのかという対策や防止策ができていればなんてことはない…と思っていたら大間違いで、迷惑メールを送る方も送るほうで脅し方や誘い方を変えている。イタチごっこの様相を見せているが、対策はおそらく永久不変だと思っている。あとは自分の意識次第。そこに限るのではなかろうか。

いつも目標達成している人の読書術

いつも目標達成している人の読書術 (アスカビジネス) いつも目標達成している人の読書術 (アスカビジネス)
丸山 純孝

明日香出版社  2008-09-03
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先日のセミナーでは講師であった丸山純孝氏の一冊である。丸山氏自身は書評サイトを4年半も運営しておりそれが継続した形で、「わらしべ長者」であるように出版にいたったという。本書は目標を達成する人のためのビジネス書の読み方について書かれている。
第1章「ビジネス書を読む目的を明確に」
目的を持ち行動をすることこそビジネス書の読む価値である。これは陽明学の根本である「知行合一」である。特に印象的なのはPart4の「自分の中に問いを持つ」ところである。特に私のブログではビジネス書に限らず様々な本の書評を行っている。実際に最新刊はほとんど取り上げず自分が読みたいと思ったもの、あるいは考えていることが書かれている本を選ぶ。「おすすめの本は?」と聞かれると相手は何について読みたいのかというのがわからない。それにどのような事柄について、もしくはこのジャンルについて極めたいけれどどういう本がいいのかと聞かれた方が答えやすくなる。これは結構共感できる。
第2章「欲しいビジネス書の見つけ方」
ビジネス書の見つけ方について書かれているが、ここで言及するところは書評を利用するところと図書館を利用するところである。私たちのような書評ブロガーについて本書ではこう書かれている。
「書評もレビューも基本的にはどこの骨とも知れない誰かが書いたものだ(p.53より)」
まさにそのとおりである。自分の読書間や人生観は違う。書評ブログで薦めた本は一応本屋で目を通すことにしている。その中で気に入った本があれば買うというスタイルをとっている。
図書館は私はよく利用している。ちなみにぶっちゃけトークであるが、東部ログで書評している本の中には図書館で借りたものも含まれている。たいがい研究関連の文献は普通の本屋に言っても手に入らない、手に入ったとしても5,000円以上するものが多いためほかに手に入れたい自分としてはとても手が出せないという弊害が生じる。そのため図書館を利用してこういった本を借りて読んでいる。私としても図書館はなくてはならない存在である。
第3章「本を読む時間を作る」
私の先輩や同僚には「読書できる時間がない」とか「勉強できる時間がない」とぼやく人がいる。私はいつもこう思う。それは「時間の使い方が下手」なのではないかと考えてしまう(例外もいるが)。いつも自分は「時間は作るもの」と考えているのでたとえば電車に乗っている時間や昼休み、あるいは歩いているときとかも勉強やオーディオブックによる読書もできる。
第4章「多読のすすめ」
よく「多読」という言葉を目にする。文字通り「本を多く読む」であるが成毛眞氏の「本は10冊同時に読め」が結構有名である本書で言う「多読」とは、
「一冊あたりにかける時間は少なくなる代わりに、たくさんの本を読む読み方(p.94より)」
速読と似ているように思えるが、速読と違うのが数多くの本を読むことの違いだろう。
第5章「アウトプットのすすめ」
おそらく本書の中でもっとも大きなウェイトを占めているだろう。読書をインプットとするならばではアウトプットはどうするべきかである。その方法のひとつとしてブログやメルマガによる書評がある。いまでは数多くの書評サイトがあり、私もその一人である。アウトプットすることにより自分が呼んだ記憶を定着化させ、さらにブログやメルマガに書くことによってその本や自分の感想を相手に伝えることができる格好のツールである。何度も言うが私自身書評を始めたきっかけは備忘録としてはじめたことである。それから約1年半続いているから自分でも驚きである。
第6章「目的・夢を達成するために」
「好きなもの(こと)こそ上手なれ」という言葉がある。当然私が好きなのは読書と勉強である。その中で得るものも多く、セミナーを受けることによって人脈を広げることができる。ただ財布の中身が寒くなるのが玉に瑕だが。
第7章「役に立つお勧めのビジネス書」
ここでは丸山氏自身が薦めるビジネス書を紹介している。
読書というのは奥が深い。目標もあるなしにかかわらず目標自体も十人十色である。またビジネス書にもブログによって様々な読み方があって面白い。またもうひとついえるのが書評も例外なく「進化」するものである。本書を糧にしてブログを進化することもまた、ひとつと言えよう。

大川周明の大アジア主義

大川周明の大アジア主義 大川周明の大アジア主義
関岡 英之

講談社  2007-12-21
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大川周明という人をご存じだろうか。大川周明は戦前、及び大東亜戦争中に活躍した思想家であり、民間人として唯一A級戦犯として起訴された人である。本書が大川周明の生涯とその思想について書かれている。大川周明というと「日本二千六百年史」や「「米英東亜侵略史」を読む」で取り上げているため詳しい歴史は省くとして、ちょっとブログの記事を読み返して訂正しなければならないところがあった。「日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」の時に「特にインドのチャンドラー・ボースらをイギリスへの送致を匿うことでより…」とあったが実際にかくまったのは「チャンドラー・ボース」ではなく、「ラース・ビハリ・ボース(通称「中村屋のボース」)らを…」の間違いだった。今まで気づかなかったこと、そして訂正しなかったことをお詫び申し上げます。では本書の中身に入っていこうと思う。
第一章「覚醒」
大川周明がラース・ビハリ・ボースを匿い、玄洋社の頭山満、葛生能久と共にインド独立に向けた援助を行った。これにより1957年に当時首相であったネルーから招待状が届いたという。
第二章「沈思」
まず飛び込んでくるのが作家の佐藤優が「大川周明ルネッサンス」を始めたきっかけについて書かれている。現在佐藤は最高裁に上告中であり、いまだに無罪を要求している。その裁判での第一審初公判の日に東京裁判における大川周明の奇行を思い出したという(東条英機の後頭をひっぱたき、退廷する直前に「It’s a comedy!!(一場の茶番だ!みんな引き上げろ!!)」というシーンである)。またここでは大川周明も提唱した「大アジア主義」の源流となった岡倉天心と戦後精神障害(脳梅毒)を患い退院後「コーラン」の日本語訳を完成させたルーツについても書かれていた。
第三章「血気」
ここでは前章までよりも多くの出会いについて書かれている、「魔王」と呼ばれた思想家北一輝や陸軍では石原莞爾、橋本欣五郎、松井石根と親交を重ねたが、北一輝とは後に敵対するなど離反も相次いだ。
第四章「円熟」
五・一五事件で禁固刑を科され、釈放されたあと「大川塾」を開設したところから始まる。「大川塾」というのは正式名称ではない。正式名称は「東亜経済調査局付属研究所」という名前で、所長が大川周明だったことから俗に「大川塾」と名付けられた。そこを出た卒業生たちは「南方会」という組織をつくり大川の理念を継承したという。後半では松井石根と大川周明の交流について詳しく書かれている。松井石根は南京陥落時の総指揮官であった。それがネックとなり東京裁判では「南京暴虐事件(通称:南京大虐殺)」に重点を置かれ絞首刑となった。中国ではいまでも松井石根を「極悪人」としているが、実際に松井自身は軍きっての日中友好論者であった。それとともに潔癖な性格であったためか、日中友好のために引き締めを行ったという行動が裏目に出たという論者もいる。また東京裁判においても松井自身は否定しなかった(ただし、否定しなかったのは部下の暴走による殺人事件があったということだけであり、大規模な虐殺を企てたということについては否定している)。また松井は日中友好のために日本に「興亜観音」を建立を計画しており、現在では熱海の伊豆山にその「興亜観音」が存在する。
第五章「遠謀」
大川は「学者としては血がありすぎて、志士としては学問がありすぎる」と言われていた。それを象徴付けられるのがこの章であろう。大川は橋本欣五郎と同じように日米戦争(大東亜戦争)開戦には消極的であった。しかし開戦になるや「大東亜戦争」の大義を連日、大川自身がラジオで演説し、国家高揚のために尽力した。そのことが重視され戦後A級戦犯として起訴された。
第六章「遺産」
大川周明が残した遺産とは一体何なのか。ここではインドのチャンドラー・ボースをはじめとしたインド独立に向けて行動した志士たち(インド国民軍)なのかと考えてしまう。
第七章「余韻」
東京裁判では精神異常により不起訴となったが、いまだに「仮病説」が存在する。そして大川周明は多くの本を世に出したもののGHQによりいくつかは焚書にされている。しかし大川周明は佐藤優をはじめ、多くの学者などが復刻を行い、一思想家の作品として再びスポットライトが浴びる時期が来るだろう。その先駆けとなったのが佐藤優の「大川周明ルネッサンス」であり、10月に発売(再復刻)された「戦後二千六百年史」がある。私も東京裁判について見ていく上で切っても切れない人物のひとりが大川周明である。これからもまた大川の作品が再び日の目を見ることを祈る。

科学コミュニケーション論

科学コミュニケーション論 科学コミュニケーション論
藤垣 裕子

東京大学出版会  2008-10
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科学と言うものがあるが、皆さんは科学についてどう思っているだろうか。私自身「科学」は結構好きである。ただし「科学」を好きになったのは大学生の時でようやく自由に勉強できた時からだ。
しかし、今の子供たちはどうか。というよりも今の教育はどうか。子供たちに科学について興味を持たせるような仕組みになっているだろうか。本書は科学に対してあらゆる問題について考察を行っている。今回は日本のことについてピックアップしてみる。
第3章「日本における科学コミュニケーションの歴史」
この「科学コミュニケーション」施策が行われるようになった大きなきっかけとして挙げられるのが「科学離れ」である。大学全体での入学数は少子化とともに落ち込んでいるが、とりわけ落ち込んでいるのが理数系の大学である。さらに言うと学生の中で最も苦手な科目は数学に続いて英語、そして理科が多いというのも悩みの種である。ではなぜこれほどまでに離れていったのかと考える。私なりに考えた原因としては受験戦争の激化により「科学→用語や公式を覚える」というような図式になったことだろう。科学は確かに法則や公式というのは大事であるがもっと大事なのは実際にやって見せて、じかに触れてみる、驚くべき体験を行うことにより科学に対する好奇心を持つことこそが科学発展に向けての教育の一つであろう。
第8章「出張授業に見る科学コミュニケーション」
科学の出張授業というのが最近増えているという。私自身そういうのは知らなかったが、科学離れが起っている今、こういうのが重宝される。ではこの出張授業にはどういうのがあるのかというと、簡単なもので「科学館」というのがある。最近出てきたもので言えば「サイエンスカフェ」もある。研究者になるためにもっと勉強したいということであれば「SSH(Super Science High School )」や「SPP(Science Partnership Program)」というのがある。「SSH」は研究者向けではあるが、「SPP」はどちらかというと理系の学生を対象としている。
第11章「科学教育」
日本では「学力低下」が叫ばれており、科学も例外ではない。この学力低下は日本では90年代ごろから言われたものであるが、アメリカでは1960年代から言われ始め、その間様々な対策を講じてきた、この章の前半ではアメリカの科学教育の変遷と日本の科学教育について書かれている。そして後半ではPISAという国際学力調査やTIMSSの理科に対する国際的アンケートをもとに日本の科学教育の現状について考察している。後半の国際学力調査はさておき、TIMSSの「理科に対する国際的アンケート(p.223より)」が興味深かった。本書では日本とアメリカ、イギリスの3カ国の結果を示しているだけだがこの比較でも十分と言えるほど顕著に表れている。まず「理科の勉強は楽しい」というのはアメリカ(73%)、イギリス(82%)に比べて日本は半数をちょっと上回った程度(53%)である。私自身これは深刻だと思ったのが「理科はやさしい」という質問と「理科は生活の中で大切だ」という質問である。「理科はやさしい」は日本はたったの15%程度しかなく(アメリカは53%、イギリスは23% )、「理科は生活の中で大切だ」と思っている人はアメリカでは80%、イギリスでは81%なのに対して日本は48%しかない。科学は生活の中でも切っても切れないものであるが科学への関心が少ないこと、そして授業ではそういった生活との関連性について興味深く教えられていないということがこの統計でも見てとれる。事実大学入学者数は少子化により減少の一途をたどっているが、理系の学部への入学者数が減少している方が顕著のように思える。科学への興味を根付かせるような教育をしなければならない。
第13章「科学者の社会的責任と科学コミュニケーション」
さてちょっと話は変わって「企業の社会的責任」というのはあるが科学者にも「科学の社会的責任」というのがある。当然科学者は研究者であるわけで、研究を重ねてはじめて論文などの成果物を出すことができる。しかし最近では研究の捏造問題もあれば、今度は「あるある問題」のように捏造してまで提供しようとする番組まで出てきたほどである。こうなると「科学の社会的責任」というのは叫ばれ始めなければならないが、いかんせん日本ではそういった声が少ないように思える。
本書はまさに「科学コミュニケーション」に関しての本であるが、一見取っ付きにくそうに思えるが、実は科学にまつわる諸問題について書かれている1冊であったように思える。タイトルの割には読みやすかった。

ウサギはなぜ嘘を許せないのか?

ウサギはなぜ嘘を許せないのか? ウサギはなぜ嘘を許せないのか?
マリアン・M・ジェニングス 山田 真哉 野津 智子

アスコム  2006-10-26
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昨今企業では「コンプライアンス」というのがよく使われる。この「コンプライアンス」とは「法令遵守」と呼び企業は法令を順守を念頭に置いて健全な経営を求めるというのが「コンプライアンス」の狙いである。しかし昨年は食品偽装事件、もっと前になると「ライブドア」や「村上ファンド」のことを考えるとこの「コンプライアンス」意識というのが日本は欠如しているのかとも考えてしまう。もっとも諸外国のことも考えてみると「コンプライアンス」といのは単なる置き飾りに過ぎないと言わんばかりになってしまっているだろう。
本書はこの「コンプライアンス」を素朴な感じで学べると同時に、「正しく成功すること」がどれだけ難しく、遅くなるのかというのを解明している。簡単にいえば正直者のエドがいかにして正直に、かつ成功に導かせるのか、そして短絡的に成功へ突き進もうとする人の悪い例を映し出す物語を、解説を交えながら進めていく。ここではいくつかの言葉をピックアップする。
「世間の人たちの多くは“正しくあること”に価値を置いているわけではない(p.13より)」
誰もが正しい道を歩んでいる、正しいことを念頭に置いているというとそうではない。またその「正しいこと」は普遍的なものであるのか、あるいは自分自身で決めたものなのか分からない。自分自身で決めたものの中には法律に反しているものもあるだろう。
「人生の長いレースでは、モラルを破り続けるほうがよけいに骨が折れる(part2 表紙より)」
モラルを破ったほうが早く、そして場合によっては大きく成功できると思うだろう。ただこの言葉の最後に「よけいに骨が折れる」と言われるのはその後、つまり成功した後のことである。その理由は本書の最後のほうを読めばこのことが自ずとわかる。
「心にみじんも重荷を感じることなくレースを終えることこそが本当のゴールである(p.135より抜粋)」
正しいことを行えば当然心に重荷を感じることはない。しかし成功をするまでの過程は長い。それに耐え得る力をつけなければならないということがよくわかる。
正しいことを行うこと、そのことを行うことによって成功まで時間がかかること、成功は時間をかけずにとれる方法はあるが、その後ツケが必ず返ってくる。そういうことを知った1冊であった。

適当論

適当論 [ソフトバンク新書] 適当論 [ソフトバンク新書]
高田 純次

ソフトバンククリエイティブ  2006-03-16
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私は「適当」という言葉が前まで非常に許せない単語であったことをよく覚えている。簡単にいえば何が何でもきちんとやらなければ気が済まない性格である(今でもその名残は残っているかな)。ではこの「適当」というのをちょっと辞書で引いてみる(当然「goo辞書」より)。
(1)ある状態・目的・要求などにぴったり(合っていること。ふさわしいこと。また、そのさま。相当。
(2)その場を何とかつくろう程度であること。いい加減なこと。また、そのさま。
おそらくTVで見る高田純次を浮かべると(2)の意味になるように思える。しかし本書は…まさに(2)の意味そのままといってもいいが、所々(1)の意味がちりばめられている。まさに適当男としての「高田純次」もさることながら「等身大の高田純次」を垣間見ることができる。
まるで真面目に「無責任男」を演じていた今は亡き植木等を見ているかのように。
第1章「対談 高田純次×和田秀樹」
第2章「和田秀樹による「発言から見た高田純次」」
精神科医の和田秀樹氏との対談を第1章にて行い、そこから和田氏の分析が第2章にて展開される。ある意味漫才になっている。でも漫才の中にも何か真面目に物事を見抜く高田純次の姿がその二あるように思えた。対談の中では、和田秀樹氏の「シゾフレ・メランコテスト」というのがある。結構面白いのでぜひやってみてはどうだろうか。
第3章「高田純次になるために」
高田純次の「十戒」というのがある。一部だけだが面白いものをピックアップしてみた(pp.107〜109より)。
(2)自惚れも自身のうち
(5)バカになれ
(7)言い逃れの達人になれ
(9)無計画を押し通せ
(2)はちょっとおもしろい。なぜ面白いのかというと、成功者の本にはほぼ必ずと言ってもいいほど「自惚れるな」と書かれている。自惚れることによって自分の足元が救われ失敗に転じてしまうからである。だが逆に考えてみよう、成功する人には成功できるまでにいくつもの失敗や挫折がある。その中で自分自身の成功の術を身に付けたわけであり、そうするなということを肌身で感じているからでこそ成功できる。つまり、「自惚れろ」というのはまず失敗や挫折を恐れるなという言葉に結構似ている。
(5)は全くもって共感できる。利口になって何が利益になるのだろうか、自分自身にリスクを背負わずにスターダムに上り詰めようとしたがるのかとしか考えられない。だったら成功するためにバカであってもいい、いや「バカになれ」だ。バカ正直でもかまわない。
(9)はもしかしたら私のブログのことを言っているのではないのかと言いたげに思えてならない。私自身ブログを通して「先を見抜く力を身につける(先見力)」というのを一応目標にしているが、実は
本当の目標はない。
書評をやることそのものに目標を持っている。目標に向かって努力することに否定はしない。当然私も目標に向かって努力することは好きである。だが「成功者になるために」や「起業するために」というよりも自分自身「自由奔放に書評をする」というのが合っているかなと思った。だから私は書評を行うジャンルはほとんど問わない(小説は書評しないことにしているが)、ほとんど何でもござれというようなスタンスをとっている。書き方もこだわっていない。論文のようになることもあれば、ただ言葉を羅列した散文的なものになることさえある。自由にすることにより「どう読んでいるのか」というのを自分なりに表現している。あとは他人のために「つくらない」「迎合しない」「歩み寄らない」と言ったところだろう。
第4章「高田純次 独白」
ここでは等身大の「高田純次」を垣間見ることができる。表面上では(2)の意味での「適当」を装っているが、実際はほとんど(1)と言ったほうがいい。この意味での高田純次自身の自叙伝がそこにある。
本書は「等身大の高田純次」が書かれている。高田純次自身の人生、思考・思想と言ったものがありとあらゆるところまでちりばめられている。「適当」の在り方と同時に「高田純次型人生」を学んでみたい人にはうってつけの1冊であろう。

重罰化は悪いことなのか 罪と罰をめぐる対話

重罰化は悪いことなのか 罪と罰をめぐる対話 重罰化は悪いことなのか 罪と罰をめぐる対話
藤井 誠二

双風舎  2008-10-24
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この頃凶悪犯罪のニュースが後を絶たない。この度に「厳罰化」というのが叫ばれているが、はたしてそれが犯罪の抑止力になるのかというと必ずしもそうではない。これまで何度も刑法の改正により刑が重くなり、裁判も被害者感情を考慮して重罰化してきたがそれでも犯罪件数は目に見えるほど減っていない。ではこの重罰化はいいことなのか、悪いことなのかについて藤井誠二氏が対談形式で解き明かす一冊である。
Ⅰ.「殺された側の論理」と「犯罪不安社会」のゆくえ
Ⅱ.「厳罰化」を考える
ここでは社会学者の芹沢一也氏との対談である。「女子高生コンクリート詰め事件」や「宮崎勤事件」、「酒鬼薔薇事件」から見た「少年のモンスター化」報道から始まり、それによる被害者への目でディアの煽動、被害者感情の考慮、死刑廃止、刑務所事情、犯罪の厳罰化と言った内容について話し合われた。このところほど書きたいところが多いところはないのだが、全部書いてしまうとキリがないので短めに書こうと思う。
まず本書の主題の「厳罰化・重罰化」であるが、まず厳罰化の標的となったのが「少年法」である。今となっては殺人などの凶悪犯罪については大人と同じように刑事裁判にかけられることはあるが、以前まではそう言ったことが認められずいくら大量殺人を犯しても少年院送致と言ったところまでであった。そのことにより「心にナイフをしのばせて」というような惨劇が起こるようになる。被害者遺族は身内が殺された怒りと悲しみを踏みにじるどころか、家庭崩壊にまでさせてしまうという、二度・三度の屈辱を与えさせるというようなことだって起こり得た。この観点では「厳罰化」は行ったほうがいいが、ただこれが犯罪の抑止力となるというのは一寸お門違いのように思える。また、後半にも書いてあるが刑務所事情というのも考慮しなければならなくなる(収容人員や金銭面の事も含めて)。厳罰化というのは一筋縄ではいかない。
さてメディアの被害者感情の煽動と「厳罰化」というのは切っても切れない関係にある。事実当ブログでも取り上げたか「光市母子殺害事件」はその典型例だろう。ちなみにこれを取り上げた理由は実はこれらの報道に関してBPOにこういった被害者報道を考慮するような申立書を提出された。これに関してメディアの在り方についてはまだまだ考える余地はある。
刑務所事情は藤井誠二氏が非常に詳しく書かれているが、想像できるような軍隊式で、労働を課すようなことがあるが、それに限らず再犯を行わないようにカウンセリングなど行われているようである。しかしこれが功を奏しているのかというとまだ無いと言うほかないだろう(だいたい6割である)。
Ⅲ.「犯罪」映画を読み解くために
Ⅳ.漫画を描くことで見えてきた死刑制度の本質
Ⅲではドキュメンタリー監督の松江哲明氏との対談。Ⅳでは「モリのアサガオ」でおなじみの漫画家郷田マモラ氏との対談である。
ここではⅣを取り上げようと思っている。私自身映画をあまり見ないためⅢの内容について見てもあまり分からなかったためである。趣味をもう一つ増やそうかなと思ったり。
それはさておきⅣでは「モリのアサガオ」を中心に死刑制度について書かれている。私はよく漫画を読むのだが「モリのアサガオ」は全く知らなかった。本書では一部分しか取り上げられていなかったが、死刑制度について非常に的を射ている内容であったと思う。もしあったらぜひ「モリのアサガオ」を読んでみたいと思う。あと余談であるが来年5月に裁判員制度が始まるが、「サマヨイザクラ――裁判員制度の光と闇」というのが「漫画アクション」で連載中であるという。それも同時に読んでいこうと思う。
Ⅴ.罪を重くすれば犯罪は減るのか
Ⅵ.犯罪を防ぐ「懐の深い社会」をつくるために
最後は社会学者の宮台真司氏との対談である。まず殺人の数であるが本書でも書かれているとおり増えても減ってもいない。むしろメディアが多く取り上げることにより、人々が関心を持ち、厳罰化を求める声が大きくなったに過ぎない。とはいえメディアの力というのが恐ろしいもので、関心を増やすことによって法制度、判決そのものを変える。ただ、さっきも言ったが「罪を重くすることによって犯罪の抑止力になるのか」というのは短絡的なのではないかと思う(事実抑止力になっていないとも言えない)。むしろ感情的な要素が強い。また同じように死刑廃止論も然り。では犯罪を少なくするにはどうすればいいのかということになるが、地域ぐるみでそう言ったことを防止する、宮台氏は「共同体的な温情主義が支配する空間(p.159より)」を機能させることにあるという。
厳罰化というのはいささか感情論として述べられることが多い。厳罰化・重罰化についてはまだまだ議論の余地はあるのだが、犯罪の抑止力になるという確証は「得られてはいるものの、それがすべての犯罪に言えるということではない」。このことだけは特に強調しておく。

手帳 Hacks! 仕事と手帳を200%拡張するLifeHacks

手帳 Hacks! 仕事と手帳を200%拡張するLifeHacks 手帳 Hacks! 仕事と手帳を200%拡張するLifeHacks
Workhack Project

技術評論社  2007-04-23
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年末と3月末にかけては手帳といった話題が多くなる。今回はハックスシリーズの手帳に関する本を紹介する。
手帳 Hacks! 1:どんな手帳がほしい?
手帳とはいってもたくさんの種類がある。ポケットに入るくらいの手帳だとか、ノート大の手帳もあれば、2週間で終わる手帳…挙げてみたらきりがないほどである。私はこんな手帳を使っている。よく周りからは使いにくいんじゃないかと言われるが大学生の時分から使っていて、馴れると結構使えるものだ。ビジネス書やセミナーでの手帳術を実践するのにもこれを結構使っているので、ある意味で玉石混淆の中身となっているのであまり見せられない、というより見せたくない。ここではそれぞれの種類での手帳の書き方について書かれているが、「マンダラビジネス手帳」や「夢手帳」といったユニークな手帳の書き方まである。ちょっと興味を持つのだが、やっぱり自分の手帳のほうがいい。
手帳 Hacks! 2:書き留める
最初にこれが飛び込んだ。
「体裁にこだわらずに書く!とにかく書く!」
これで尽きたらおしまいだろう。本書はそこから小手先のテクニックが書かれている。見えるかするためにペン、ポストイット、メモの取り方について書かれている。メモやスケジュール管理ばかりではなく、日記やアイデアノートもある。また手帳の使い方によっては人脈の形成、脳の活性化により物忘れを防ぐという効果がある。手帳は使いようというもので、本書のようなやり方というのは実践価値が高い。
手帳 Hacks! 3:整理する
さて書きとめたら整理しなければならない。スケジュール管理でも、資料のリストアップ・入手、相手どおしのスケジュールの整理と言ったことができる。またサラリーマン作家であったらスキマ時間を利用して、作品を書くことができる。アイデアや情報を整理して、新たなビジネスモデルを構築することも可能である。手帳はスケジュールやメモ帳ばかりではない、ということを書いているところである。
手帳 Hacks! 4:実行に移す
さて行動であるが、いよいよHacks!の真骨頂である「TO DOリスト」がお目見えになる。「TO DOリスト」というのは縦軸は優先順位の高さ、横軸が緊急度の高さとなっており、
上段左から
A…優先順位が高く緊急度が高い仕事
B…優先順位は高いが緊急度は低い仕事
C…優先順位は低いが緊急度は高い仕事
D…優先順位も低く緊急度も低い仕事
という風にリストアップしていく。ただ今回は手帳であるのでこれをどうやって手帳に書くのか、手帳は無地のものから罫線のあるものまであるが、罫線のあるものであればそれを増やして「TO DOリスト」をつくることができる。また無地でも罫線をつくってあたかも罫線のあるように作ればなんてことはない。
手帳はノートと同じように無限の可能性を秘めている。普段持っている手帳をどのように使うのか…、そこで勝負の分かれ目が決まる、かもしれない。

アキハバラ発〈00年代〉への問い

アキハバラ発〈00年代〉への問い アキハバラ発〈00年代〉への問い
大澤 真幸

岩波書店  2008-09-26
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2008年6月8日、秋葉原が悲劇の舞台となった。その名も「秋葉原無差別殺傷事件」。
犯人は25歳の青年で、派遣での生活に苦しみ破れかぶれとなり、秋葉原でトラックを暴走し、さらにトラックから降りた後に包丁で数人を切りつけたという事件である。犯人は逮捕・起訴されたが現在抱えている日本の労働事情と心の闇が露呈した事件であった。
本書はこの「秋葉原無差別殺傷事件」について迫っている。
この事件について私の見解であるが、日本の派遣の事情と重なる部分はあると思っている。と同時にこの時期は小林多喜二の「蟹工船」が飛ぶように売れた時期でもあることを考えると日本の非正規雇用者の事情というのが浮き彫りになったと言っても過言ではない。しかし犯人を許すつもりは毛頭ない。自分のエゴのために何人の命を失わせた罪は甚大である。ただ、これについてマンガやゲーム、インターネットなどの「脳内汚染」ではないだろうかというような言説も実はあった。私はこれについてはそういった影響はほとんどないと思っている、というよりもまだ解明しきれない状態にあるので安易にこう言った言説が流布されることを危惧している。というのはこう言った風潮が広がりはじめ、やがて「脳内汚染」的言説が常識となってしまい、ありとあらゆる規制をしたら減らせるというような戯言ができてくる。それが現実に法案が通され、論客や国会議員たちが自己満足したかのようにするというようになってしまう。
それはさておき、秋葉原の事件のあと、ネット書き込みなどによる殺人予告が増加していることも気にかかるが、今回は割愛させていただく。
この事件の最大の要因は犯人がコミュニケーションを取れていなかった、もしくはコミュニケーションのとれるような環境に置かれていたのかというのは定かではない。少なくとも考えられるのは、そういった状況に置かれている人達がまだまだいると確信している。それを未然に防ぐにはということを議論していかなくてはいけないと気になったのではないだろうか。

うまくいかないのが恋

うまくいかないのが恋 うまくいかないのが恋
高樹 のぶ子

幻冬舎  2008-11
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人は誰しも恋をしたこと、もしくは恋心をもったことがあるだろう。
私自身は何度か恋心を持ったり、相手がわから恋心を持たれたりしたことはあった。
でもそれから恋愛に発展したことは1度もなかった。
恋愛というのは難しい。
表題のとおり「うまくいかない」。
ただ成就したときにはこれ以上ない喜びとなる。
人は誰しも恋をしたがる。それは強かれ弱かれ、相手がリアルであれバーチャルであれ。
その中でどのように恋をするのかというマニュアルは、あるようで、ない。
あったとしてもそれで成功するという保証がないのだから。
恋の話になる。
私は恋の話になると、あまり話せなくなる。そういった体験がないから。
では私は恋をしたいのか。
当然したいに決まっている。
でもその中で何をすればいいのか分からない。
とりあえずファッションでも、それとも趣味でも、付き合い方でも…。
ではどのような恋がしたいのか?
激しい恋愛もしたいし、淡白だけど長い恋愛もしてみたい。
恋愛というのは人の数、いや星の数ほどあるのかもしれない。
でも、それが本当にうまくいくのか?
私も分からない。
「恋愛はうまくいかない」のか、私自身は体験したことがないから分からない。
でも体験したいというのが私なりの率直な思いだ。

こう言った本なので、こんな形で書評してみた。

ネット右翼とサブカル民主主義

ネット右翼とサブカル民主主義 ネット右翼とサブカル民主主義
近藤 瑠漫/谷崎 晃/桜井 春彦

三一書房  2007-09-11
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私が書評を始めてまだ間もない時は新書が中心であった。そして徐々にネット右翼とかに興味を持ち始めてそういった関係の本や歴史本にシフトしていったことをよく覚えている。今となっては歴史本は変わらないのだがネットとかからビジネス本の書評に変わった。月日が経つのは恐ろしいもので、これからどの本を書評の中心になっているのかわかったものではない。本書を手に取ったのはいままでどういったことを書いたのかを思い起こしながらという意味合いもある。
私情はそれまでにしておいて、ちょっと前まで(今もかな?)話題となった「ネトウヨ」こと「ネット右翼」、それとサブカルチャーとの関連性について考察している。
第1章「政治のサブカル化とネット右翼」
2005年の衆議院総選挙を含め小泉政権時代は「劇場型政治」と言われた。皮肉にもこの時期からネット世論が目立ちはじめたときである。政治に関するニュースについて事あるごとに感情的に称賛したり批判したりしはじめていた。それについて「サブカル化」しているという。もっと言うと政治もさることながらマスコミなどのメディア批判もその一つである。政治や社会に関して様々なことをネタにしている現象を起こしているが、ネタによってはブログや掲示板や2ちゃんねるで炎上すると言ったことが起こっている。それだけこう言った時事をサブカルチャー化しているのではと言われているのと同時にそれだけ興味を持っているのではと考える。
第2章「アニメはネット右翼を「量産」したか?」
ネトウヨはアニメから量産したのかというのを考察した場面である。関連性から考えると本書でも指摘されていたように「機動戦士ガンダム」のジオン軍のように朝鮮や中国等を例えて排外的な主張をすることも印象付けられる(例えば左翼論客のことを「在日」もしくは「在日コリアン」と呼ぶのが有名)。
第3章「ネット右翼をたち振る舞いと「こころ」」
ネット右翼に関しては近頃ではあまり取り沙汰されてはいないものの未だにネット右翼の批判は絶えることはない。ネット右翼はネット右翼で露骨に攻撃をする。さらには「ネット左翼」も表れており、それらの論戦もある。それについて見苦しいという人もいるのだが、私自身の意見はネットを媒介とする論戦は非常に新しいと言っていい(ただし公序良俗に反しない限り)。ネット右翼に限らず、ネットを利用しての政治的論戦は激しくなるにつれ、投票行動に影響し、政治を動かすことになればネットにおいて発言力が上がるというように思える。

「聞くが価値」vol.05 + シークレットパーティー感想

一夜明けての投稿です。

「聞くが価値」というのは前々から知っていましたが、今回初めての参加となりました。

さて今回は…書評家スペシャルということで、私も含めて参加者のほとんどが書評ブロガーでした。

講師の方も

↓この本と書評メルマガで有名な丸山純孝氏。

副題の「わらしべ長者」の如くメルマガを続けていくうちに出版に至ったという。丸山氏自身、上記のメルマガを4年半続けているが、そのきっかけは平野氏のセミナーによってだという。

それからというものの続けていくことが大切だと。ここで終わってまた休憩という名の名刺交換。

続いて……と言いたいところが休憩後のアナウンス

「はじめます」

このアナウンスで会場の講師の方々、私たち受講者は一発K.O.

さて続いては鹿田さん

鹿田氏のブログを始めたきっかけからはじまり、書評ブログとしての戦略などを紹介。レジュメには全部で100の方法あったのだが、時間の関係上25個をピックアップ。その一部を紹介することにしました。

・続けた人が勝ち、続けられないから負ける

・体験は金で買う

・マスオさんになるな!ブラックジャックになれ!

・仮想敵を造ると、熱烈な読者が増える

・差を見せつける

ここで多かったのが、「差別化」。私自身だったら更新回数の多さといったところか。書評の腕はまだまだ初心者だからなぁ。

そしてSPの藤井孝一氏。これらの本で有名ですね。

こちらはビジネスメルマガの古参中の古参(何と99年からやっているとか)。メルマガをやるにしろ、著者と会うにしろ、全部「商売目的(実弾)」だという。

終了後には読者と著者、編集者100人を交えてのパーティー。主催者ははるばるシカゴからやってきた鹿田さんと早川ノブさん。

そして参加者の中には前と前々のセミナーでお会いした方が沢山。さらに書評ブロガーの方々も大勢駆けつけました。

今回ちょっと反省すべきなのが一つ。名刺切らしてしまったこと。

Masterさんに白紙の名刺をもらい手書きで渡しました。Masterさん、本当にありがとうございます。

今回の講演とパーティーでの感想を一つ言うと、今回の講演については様々な角度からどのようにメルマガ・書評ブログを運営していけばいいのかというのがわかったが、御三方共通して言えることは、

「継続は力なり」

これが肝心なことであったように思える。私はブログ自体は2年半以上続けているが、書評を始めたのは昨年の7月、それから1年5カ月経過している。今年の4月にココログに移転して今の名前になってはや8カ月たつ。

そう考えるとまだまだと自分は思ってしまう。今のところ書評に関しての悩みはないものの、これから悩みはでてくる。

その予防策としてこの講演を聞けたということは非常良かったと思います。

素晴らしい講演を行った丸山様、鹿田様、藤井様、今回名刺交換をしてくださった皆様、本当にありがとうございました。

もう一席うかがいます。

もう一席うかがいます。 もう一席うかがいます。
古今亭 志ん朝

河出書房新社  2006-08-05
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当ブログの名前は落語の演目から取っているので、たまにはこういうものもということで。
三代目古今亭志ん朝が亡くなって7年経つ。本書は志ん朝が亡くなって5年経って出版されたものである。志ん朝が亡くなってしばらくたったの笑点で林家木久蔵(現:林家木久扇)がこんな短歌を詠った。
「いままでに いったいどれだけ 寄席見たか もう見られない 志ん朝の芸(「笑点」2001年11月放送分より)」
おそらく多くの噺家やファンはそう思ったのだろう。私自身も落語に興味を持ち始めたときであった。だんだん知るにつれて五代目古今亭志ん生の次男としての重み、昭和の名人の一人であった八代目桂文楽から「(三遊亭)圓朝を継げるのは志ん朝しかいない」とも言われたこと、そしてそれにその声に応えるに十分な名人芸があった。ファンはいまでも志ん朝の出囃「老松」が流れると「いよっ!矢来町!!」と言った言葉も飛んでくる。
さて古今亭志ん生の話が出てきたことからちょっと志ん朝について話してみると、「五代目古今亭志ん生の次男」と言ったが長男はと聞かれるかもしれない。ちなみに長男も噺家で「十代目金原亭馬生」という大名跡である。本書で出てくる「十一代目(前名:金原亭馬治)」もその弟子の一人である。また俳優の中尾彬の夫人で女優の池波志乃はこの馬生の娘である(志ん朝から見たら姪にあたる)。ちなみに「十一代目」を押した最初の一人が偶然にも中尾彬であるというのは私自身も驚いた。
本書は十一代目馬生を含め全部で12人とそれぞれ対談したものを1冊にしてまとめている。志ん朝の人生と趣味嗜好について、そして誰も知らなかった志ん朝の素顔も明かされている。

まさに青天の霹靂、第三期ホンダの終焉

ホンダ撤退 「鈴鹿の誇りが…」 F1ライバル、トヨタも絶句

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081205-00000118-san-soci

ホンダ F1からの撤退を発表

http://f1.gpupdate.net/ja/news/2008/12/05/204246/

まずホンダが撤退するのではないかという情報は、噂程度でしたが耳にしていました。経営状態が危ないので撤退するのではないかという程度でしたが、まさか第三期の終わりがこのような形になるとは思いもしませんでした。今年というのだからなおさらです。今年はフェラーリで幾度もチャンピオンに導いた名参謀ロス・ブラウンを迎えて1年目で、来年は飛躍的に成長するのかもしれないと思っていた矢先の出来事でしたから。

撤退の理由はアメリカを中心に起こっている金融危機とそれに伴う経済の悪化によるものでした。

今年の初夏にスーパーアグリが撤退したのに続いてこんな形になったとは…残念としか言いようがありません。

思えばこの第三期ホンダは2004年アメリカGPでは佐藤琢磨が鈴木亜久里以来14年ぶり2人目の表彰台、2006年ハンガリーGPではだれも予想しなかった初優勝がありました。しかし2007年以降はこれまでのことがうそのように低迷が続きましたが、今年のイギリスGPではバリチェロの自身3年ぶりの表彰台に沸いたことが低迷の暗闇の中のかすかな光でした。

チームの去就についてはまだ明らかとなっていませんが、スタッフを500人削減をするというのは確かな情報です。あとニック・フライはホンダ撤退後も来期のグリッドに並ぶため意欲を燃やしているという情報もあります。

それ以上に心配なのはドライバーの去就。バトンもバリチェロもトロロッソのドライバー候補者に立てるのかどうかというのもありますが、佐藤琢磨も一応一人という形で出ています。

これについては情報が入り次第お伝えすることとして、今のところ来期グリッドに並ぶのは9チーム18台となりそうです。

新たなチームが入ればそれだけ面白くなるのですが、参戦するためには膨大な資金が必要と考えると敷居が高いのが現状でしょう。さらに金融危機が絡んでいるとなるとなおさらです。

さらにエンジン標準化により撤退するチームやドライバーがいるということを考えると今後のF1ほど不安なものはありません。

バカにならない読書術

バカにならない読書術 (朝日新書 72) バカにならない読書術 (朝日新書 72)
養老 孟司 池田 清彦 吉岡 忍

朝日新聞社  2007-10-12
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書店では読書術の本が溢れ返っているが、今回はちょっと異端の読書術を紹介する。本書は「バカの壁」で有名な養老孟司氏自身の読書術を伝授するとともに、養老氏に加え、池田清彦氏、吉岡忍氏とともに様々なテーマに沿ったお勧めの本を紹介している。
第一部「「養老流」本の読み方」
ここでは養老流読書論について説明している。養老氏の人生とともにどのような読書を行っているのかというのが非常に興味深く書かれていた。
第一章「「読み聞かせ」と子どもの脳」
「読み聞かせ」というと、子供の時に親に絵本を読んでもらったという記憶がある。それだけではなく絵本を声出して読んだりもしたことを思い出す。最近では「音読」と言ったものが注目を集め、記憶力や脳活性にいいということを聞くが果たして本当にいいのかと疑いたくなる。養老氏はこれについては読み聞かせをするから脳にいいというわけではないという。それ以上に子供とっていいのは体育。木登りをしたりデコボコ道を走ったり…。一見教育ではないのかと勘繰りたくもなるが、確かにその通りかもしれない。そして気になったのが陽明学で「知行合一」という言葉があり、これを実行した大塩平八郎と三島由紀夫を批判しているところである。「知行合一」は「知ったことを行動に移すことによってはじめて身につく」とされているが、養老氏はこれは間違いで。
「知行は循環する」
と主張する。つまり知ることによって人は行動が変わるという意味合いになる。知ったことによって意図的に行動を起こすのか、知ったことによりまるで世界が変わったように無意識に行動できるのかでは意味合いが違う。こういった解釈の方法ができるとはとも思った。
第二章「「読書脳」のしくみ」
日本語ほど語彙や文字の種類が多い言語はない。当然外国人もそれを覚えるのには必死であるという非常に複雑な言語としては日本語のほかに並べられる言語はないだろう。さらに視覚的にも楽しめるのも日本語独特である。養老氏の言う「日本語は漫画言語である」というのもまさにそれであろう。マンガのように視覚的に言語を覚えていくことを考えると日本人の漫画に対する感受性というのは非常に高い。それが画のセンスと直結することにより(画の)質の高い漫画が続々と生まれたのではないかと推測する。養老氏が漫画がいい理由は「アメリカのコミックは面白くないから(p.45より)」だという。これについては果たしてそうかなと疑ってしまうが、恥ずかしいことに私自身アメリカのコミックを見たことがないので、見てから意見を言おうと思っている。
第三章「「唯我独尊」としての読書」
「読書は著者との対話」と言われることがある。著者の主張をどこまで取り込みそのうえで意見をするということも読書の一つである。私自身は読書から入ったが、読書を続けるにつれ何を読んだのかを忘れがちになってきた。それを食い止めさらにもっと本を深く読もうという思いから書評を始めた。これを続けて1年5カ月になるが、そのおかげで縁も増え、興味も増え、出費も増えた。養老氏の体験によると飢餓状態であればあるほど、一人ひとりが違うと認識していればいるほど本を読むという。そう考えると流行語大賞を辞退した福田前首相は辞任会見の時に「あなたとは違うんです」と言ったそうだが、今の考えだと福田前首相は読書家であると推測できる。読書家であるから中途半端な答弁しかできなくなるっていうような自分にとって嫌な論考になってしまう。
第四章「「バカの壁」越える読書」
まず出てくるのがデカルトの「方法序説」である。私自身も読みたい1冊である。図書館でいったん借りて読んだがなかなか奥深いものであった。今度は購入して読みたいものである。それは置いといて読書というと何か目標を読んで読む人もいれば、私のように活字の海をスキューバダイビングするように読む人だっている。著者はデカルトを通じて人生のすべてをかけて読んでいるという。
第二部
養老氏、池田氏、吉岡氏の御三方の対談であり様々なテーマ毎におすすめの本を紹介している。小説や専門書、はたまたは写真集から、マンガに至るまで網羅している。ところどころで有名人への皮肉を言っているところがなかなか面白かった。

迷ったときの聖書活用術

迷ったときの聖書活用術 (文春新書) 迷ったときの聖書活用術 (文春新書)
小形 真訓

文藝春秋  2005-01
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聖書と言うとキリスト教の聖典であるので信仰のない人にとってはかなりとっつきにくい。しかし本書の表紙を一つめくったところにこう書かれていた。
「聖書は元祖・ビジネス書」
私の思考回路がパンクしそうになった。もしくは著者の思考回路が本書を書いている時点でおかしくなったんじゃないかさえ思った。どれだけ驚きの一文だったことか。
ただ本書を読んでいくうちにこのことは間違いではないということに気付く。では中身に入っていく。
一章「ビジネスの根本に聖書の思想」
巷でよく見るビジネス書では方法論から、精神論に至るまで、そしてピンからキリまで存在する。その方法や格言などをなぜという具合に落とし込んでいくと行き着くのはどれも「思想」もしくは「宗教」になる。この「思想」や「宗教」にはまることとしては「貧・病・争(貧しい時・病に冒されている時・戦争によるもの)」がある。そう考えると今日のビジネス書ブームというのは時間や仲間、金的な貧乏によるものではと言う考えが出てくる。本書の話に戻す。ビジネスと聖書は深い仲であるとされ、社会学者マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にその関連性について書かれている。しかし日本は欧米のようにビジネスはもたれ度も「心」、信仰心、思想が置き去りにされた。
二章「聖書・意外な素顔」
ここでは聖書の素顔について迫っている。「目には目を」「歯には歯を」で有名なハンブラビ法典だが、この意味は「復讐の容認・奨励」という意味と捉えがちだが前後には「牛が人をついて殺した時はその牛も殺される」というのがあるが私自身この一文を知ったのは初めてである。それだけではなく聖書には様々なことが書かれておりビジネスのヒントになるほか、まるで滑稽なものから、しみじみとしたものまであるという。
三章「自分のための危機管理」
危機管理というと、すぐに言えるのは「地震、雷、火事、おやじ」であるが、社会の中ではそれに加えて、「不況、リストラ、病、社長」と言ったものだろう。それに対する危機管理も大切だが、ここでは聖書と関係はあるにしても、それほど取り上げられていなかったように思える。危機管理は具体論が多いので宗教や思想は入り込めないと考えると無理もない。
四章「古代からのメッセージ」
聖書には2種類ある。「旧約聖書」と「新約聖書」である。旧約聖書は「ユダヤ教」の聖典でもあるが、主に「規律」というものを重んじる聖書である(「十戒」が有名)。一方新約聖書は「愛」や赦しというものが強い。ここには聖書にまつわる様々なことについて書かれているため、キリスト教など宗教にあまり勉強していなければついていけない所である。
五章「聖書で壁を破る」
最初に出てくるのが「言葉は生きもの」である。これは全くと言ってその通りとしか言いようがない。特にこういった文字として出てくるのであればなおさらである。使い方によっては人を高揚させ、傷つけ、悲しませ、喜ばせることができる。しかも言葉ほど感情を表させるものはない。ここの部分が非常に印象的であった。
六章「生き抜く勇気」
ここではイエスの弟子たちのエピソードについて書かれている。逆説的でもなく、あくまで史実について書かれていると言ってもいい。
宗教は人生において何らかの施しを与える。それは家庭においても、ビジネスの場においても、人生においてもである。本書は宗教からビジネスに役に立つヒントを提唱している。こういったアプローチもまた、ビジネスの上で大事なヒントとなるだろう。

交渉力

交渉力 (角川oneテーマ21) 交渉力 (角川oneテーマ21)
団野村

角川書店  2007-01
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スポーツの世界のみならず社会に関わる様々なことについて「交渉」というのは避けて通れない。本書は野球のFA交渉などで引退した野茂英雄をはじめ数多くの選手の代理人をつとめてきた団野村氏が自らの体験をもとに交渉力を伝授する一冊である。
第一章「交渉とは何か」
著者自身交渉は下手であると書かれている。このことについて書かれているからでこそ自分の交渉力がわかっている何よりの証拠である。そういう人ほど周りから見れば交渉力は強い。著者も例外ではないだろう。話は変わるが日本人は交渉力はあるのかと考えると、残念ながらない。あったとしても外国人との交渉ではたいがい負けるだろう。日本人は馴れ合いや過剰な集団意識がある。さいきんでは「KY」と言うようなものまで出てきており、交渉をする前に空気を読めというよな、いかにも「空気独裁」というのができている。交渉と言うのは「駆け引き」であるが日本人はそういったことを好まない風潮がある。一方外国人の多くは「駆け引き」が大好きだという。その差が今の日本の政治的・経済的交渉の手際の悪さが分かる。
第二章「交渉と闘い」
交渉をやるにあたり相手のルールややり方というのを熟知する必要がある。この章ではそう言っているのだろう。ここではMLB人気の草分的存在となった野茂英雄とのエピソードが書かれている。
第三章「交渉と提案」
ここでは伊良部のほか2つのエピソードについて書かれている。著者が体験した交渉の中でも泥沼化した事例を取り上げている。交渉力の応用編と言うにふさわしく、一部始終しか書かれていなくても熾烈さがひしひしと伝わる。
第四章「エージェント・団野村誕生」
ここでは交渉から一歩引いてアメリカ人と日本人の違いについて著者なりの観点から説明している。著者は日本人とアメリカ人の間に生まれたいわゆる「ハーフ」である。さらにアメリカと日本の両方の生活を経験してきた。その中でアメリカでは「自由と自己責任」を、日本では「タテ社会」をそれぞれ学んだ。野球生活から今度はチームオーナーや代理人になり、エージェントという道に進んだという。
第五章「交渉のテクニック」
交渉をやるにあたっての8つのテクニックについて書かれている。8つのテクニックとは、
①「市場を知る」
②「複数のプランを用意し、ほのめかす」
③「相手の話をよく聞き、猶予を与える」
④「約束したことは必ず書面にする」
⑤「口約束は信用するな」
⑥「怒るときは冷静に」
⑦「ネットワークと新しい情報を得るにはみずから動く」
⑧「絶対にあきらめない」
のことを表している。このうちいくつかは第4章までのエピソードの中からちりばめられているのですんなりと頭に入っていけるだろう。
第六章「プロ野球界に物申す」
現在の日本のプロ野球界を辛辣に批判している。特に日本からメジャーにわたった人たちが、日本球界に復帰できる環境がまだ整っていないのが現状として挙げられる。復帰できた一例として一昨年に引退した北海道日本ハムファイターズのSHINJO(新庄剛志)が挙げられる。また野茂がメジャーにいったことにより日本がメジャーリーグを目指すようになった。そのことについてNLBはようやく容認する姿勢になっては来ているものの未だにMLBへの嫌悪感が残っているのだろうか、田沢問題で日本球界から閉め出しを行うわ、数年前まではプロ野球協約を秘密裏に変えて日本球界からMLBに移籍できなくさせるという工作を行ってきた。しかしNLBにしろ、選手会にしろ肝心なことを忘れている。MLBの移籍を許すだけではなく、もしその世界で夢破れてもいつでも日本球界に帰って来ることができるような環境を整えることこそ日本球界のためになるのではないだろうか。

上手に「グズ」を捨てる本―何もかも明るく希望に満ちてくる!

あなた、もしくはあなたの身の周りに「グズ」と呼ばれている人はいるだろうか。「グズ」というのは仕事が遅い、要領が悪い、なかなか実行できない人のことを言うが、諦めてはいないだろうか。本書はそういった「グズ」の人のためにそれから脱する方法について書かれている。
第1章「あなたの「グズ」はどんなタイプ?」
「グズ」にもいろいろあるようで上記にある様なものがある。また「グズ」は思考こそはしっかりしているも考えすぎる、そして物事を余計に複雑化させてしまう。また無意識に「忙しい」を連発しては、大事なことを見逃してしまう。それを知っていればいいが、そこから「している(行動する)」に変わらなければ何者にもならない。
第2章「あなたは、ただのロマンチストで終わってしまう人?」
ロマンチストと考えるとだいたいは「カッコいい」という印象を持つだろう。しかし、この「ロマンチスト」は薬にもなれば毒にもなる。この章では毒になる側面について書かれている。よく人は「夢を持て」とか「夢がある」と言う。しかしその上で行動を起こさなければ意味がない、というよりも夢を見すぎることによって現実から目をそらし、いつの間にか足元をすくわれ、人生を台無しにしてしまう危険性をはらんでいる。
第3章「「心がモヤモヤしている」人はグズになる」
自分で、かつ積極的に、素早く行動を起こさなければ、心に「モヤモヤ」が生まれ、ますます行動を躊躇ってしまう。また予期せぬ事が起こってもスランプにより思考や行動がネガティブになってしまう。
第4章「日々、グズの罠に引っかかっている人」
「グズ」は完璧主義者にも多い。ミスを恐れずスピードを重視すれば自ずと「グズ」ではなくなる。本書にも中国の故事成語がある。
「巧遅は拙速にしかず」
ミスをして早くできたのと、ミスをしないで遅くできたのとどちらがいいか、もう一目瞭然だろう。
第5章「これは簡単! グズ克服法」
第6章「さあ、どんどん前へ進もう」
「グズ」は本書を見れば簡単に直る、と言いたいところだが、単純になれと考えても、行動に示さなければ何者にもならない。行動を起こさせるにはどうすればいいか。単純に言う。
「馬鹿になれ!」と。それだけを意識すればあとは本書のことをやれば「グズ」は治るはずである。

反米主義

反米主義 (講談社現代新書) 反米主義 (講談社現代新書)
近藤 健

講談社  2008-08-19
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来年1月にオバマ大統領が誕生するが、その準備として数々のポストが埋まった。予備選挙の時のラインナップでは「親日派」が多かったのに対し、今ではヒラリーなどの「親中派」が目立つようになった。おそらく日米同盟下で日本の立場はブッシュ政権ではまだしもこれからのオバマ政権下では非常に厳しい状況に立たされることだろう。
それはさておきアメリカニズムと呼ばれる押しつけ型の民主主義は暴走が続き、国際連合の大義を破ってまでブッシュ政権下のアメリカではイラク戦争を始めた。間もなくイラク戦争での終結宣言を出し、民主主義を定着させようとしたが、ここからテロとの戦いという泥沼化に遭い現在でも続いているほどである。またこのイラク戦争前後には反米デモが盛んにおこなわれており、公の場でもアメリカの暴走を痛烈に批判した人もいる(国連のアナン事務総長(当時)もその一人である)。本書はこのイラク戦争を中心とした反米意識について迫っている。
第一章「反米主義をつかまえる」
イラク戦争にまつわる反米主義のみならず、今年は韓国で牛肉輸入衝動による「反米感情」が噴出した。イラク戦争によることのアメリカのイメージは低下しており、各国がアメリカ中心主義(独裁主義?)と喩えられることが多くなった。しかしサブプライムローン問題等による経済の失墜、新興国の経済成長を考えるとアメリカが経済大国としての牙城が崩れつつあるのは事実である。経済のことが出てくるとアメリカの資本主義にも目を向けなくてはいけない。アメリカは大量消費主義でるが、その象徴になっているのが「ウォルマート」というスーパーマーケットチェーンである。2000年代に日本にも進出したが消費文化の違いにより撤退を余儀なくされた。しかし日本では浸透しなかったものの世界中で展開されている。そういうことを考えると軍事的な支配のみならず、経済的・文化的な侵攻というのもまたアメリカニズムの一つである。
第二章「アメリカニゼーションの恐怖」
日本は明治時代から海外からの文化を積極的に取り入れられてきた。第二次世界大戦後は押しつけによりアメリカ文化を入れられたと言ってもいいが、戦前もアメリカから文化を取り入れていた。特にジャズや車はそれに代表するもので文化を取り入れるという寛容性は日本は強かった(今もそうだが)。戦争になる直前からそういったことに規制がかかるようになった(ジャズのレコードは押収され、野球用語も日本語読みになった)。文化というと2005年に「文化表現の多様性の擁護と推進条約」と宇井のが採択されたがフランスやカナダがリーダーとなってアメリカニズムによる文化の崩壊を防止するために採択されたという。それほどアメリカ主導による「グローバル化」の危険があったことだろう。そして日本は外国からの文化を取り入れてきたが、日本古来の文化というのを忘れがちになることを危惧しなければならない。
第三章「屈折した心理――日本の場合」
日本は大東亜戦争の時は「鬼畜米英を駆逐しろ」ということで反米主義が大多数であった。しかし終戦後アメリカに擦り寄る(媚びる)論調が多くなった。最近でもアメリカの景気後退なのにもかかわらず「日米同盟があるから」という理由でアメリカに追随する人が多い。東京大空襲で約10万人、広島・長崎への原爆で約20万人もの民を殺されたにもかかわらずである。今では人種差別に関しての撤廃が進んでいるが、それを先に行ったのは国際連盟時代に日本が提唱した。しかしアメリカなどの列強の強硬な反対により頓挫してしまった。人種差別を解決するのは自国としては分が悪いと思ったのだろう。その怨恨が原爆の標的をドイツに向けず、日本だけ対象にした。
最初にも言ったとおりオバマ政権誕生による日米関係は気になるが、日米関係よりも自国の文化や主張というのを譲歩せずに主張することでの対等にやっていくことが大切であるが、どうも親米というより媚米というような感情が論客や政治家に蔓延している。言論の自由(表現の自由)が憲法上担保されているのにもかかわらず暗に言論統制をかける世の中は何と皮肉なことだろうか。

品川に100人のおばちゃん見ーっけ!―みんなで子育てまちづくり

品川に100人のおばちゃん見ーっけ!―みんなで子育てまちづくり 品川に100人のおばちゃん見ーっけ!―みんなで子育てまちづくり
丹羽 洋子

ひとなる書房  2008-10
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東京都品川区にあるふれあいの家「おばちゃんち」ついて迫っている。この頃少子化や孤立化によって地域コミュニティが珍しくなっている。本書ではこの品川区において子供や趣味によってそれらのつながりを持つ人たちにスポットを当てている。
第1章「人が人を結び、人が町模様を編む」
人と人とが結ぶことのできるところが品川にはある。それが「おばちゃんち」である。母親同士が互いに子育て等についての情報交換を行ったり、ときには実際の子育てで助け合うこともできる。江戸時代には地域ぐるみで子育てを行った風習がある。地域同士が疎遠となったと叫ばれているが、会を立ち上げることによることにより、その色というのはまだまだ消えていない証拠だろう。
第2章「「子ども」「子育て」でつながるおばちゃんたち」
第3章「仲間がいるから一人ひとりが元気」
第4章「子供が育つ、人が育つ、街が育つ」
「おばちゃんち」では子育てを行いながら主婦として、母親としてどうあるべきかの勉強会も行っている。地域ぐるみでの子育て、と母親としての育成の両方を担っている。ここでは各々ある「主婦の知恵」というのを交換・共有し合う場所としてこの「おばちゃんち」というのがある。「おばちゃんち」というのも様々な団体が派生してできている、例えて挙げると、
「しながわチャイルドライン」
「品川子供劇場」
「お産バンザイ」
子育てばかりではなく、お産や預かりあい、交流と言ったところまで様々な組織がある。これらの章で取り上げたのはごく一部であるが、紹介しきれなかった部分も含めて巻末にラインナップしてあるので、品川に住んでいて子育て等に困っているお母様がいらっしゃったら是非見ていただきたいものである。人と会うものだけではなく情報誌やポータルサイトもあるのでまずはそこからといってもいいだろう。
終章「「みんなで子育て」の街づくりのために」
本書を見ると品川はおそらく子育てや母親の交流がもっとも盛んと言える。本書で取り上げたからという短絡的な理由に過ぎないが、こういったコミュニティというのが品川のみならず、東京、関東、そして日本全国にわたったら、国が「少子化対策」するまでもなく母親たちの力でその問題を解決できると言ってもいい。最近は子供を育てられない親や子供を甘やかしすぎる親が多い。子育てをしたらいいのか分からずにそのまま放っておくというのは生んだ親として最低なことである。それに皆が皆最初から子育てや主婦業が上手いわけではない。数多くの試行錯誤とほかの主婦との交流によって形成されていった。そう考えると母親の役割を学ぶためにまず何をすればいいのかというのはこういった交流会に行くこと、そうでなくともお互いに学ぼうという仲間をつくること、そのことによってお互いに協力をして子育てをすることではないだろうか。日本の集団意識は今では悪い意味として捉えがちになっている。しかし上記のような集団意識は知識やノウハウ、といった観点や認識の観点から非常にいい意味での意識であると私は思う。

PREP法で簡単に身につく 論理的に「話す」技術

PREP法で簡単に身につく 論理的に「話す」技術 PREP法で簡単に身につく 論理的に「話す」技術
大嶋 友秀

日本実業出版社  2006-09-07
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論理的に話すということは一見簡単のように思えて実は難しい。中にはそういったことができないという人もいる。しかし「論理的に話す」ことはコツをつかめば誰でも身に付けられる。
今回は「PREP法」というのを紹介する。
「PREP」は「Point(要点、主張、結論)」「Reason(理由)」「Example(事例、データ)」「Point(結論、参考事項、繰り返し)」という構成である。一見見てみると「起承転結」という構成によく似ている。
第1章「「論理的に話す」とはどういうことか」
「論理的に話す」というのはビジネスの世界ではどこいっても同じことである。ではこの「論理的」とは一体どのようなものなのか。簡単にいえば「道筋を立てる」「数字や固有名詞をこまめに使う」「順序立てて説明する」と言ったことが返ってくるだろう。さらにPREP法以外にも論理的方法があるが代表的なものとしては「帰納法」や「演繹法」が挙げられる。「帰納法」は事実を羅列したうえで結論を導き出すという方法であり、「演繹法」は三段論法(大前提→小前提→結論)のように前提や家庭を重ねた上で結論を導き出すという方法である。「PREP法」はどちらかというと「演繹法」に近いスタンスをとっているが、三段論法とは逆の順で論法を展開しているところは「演繹法」と違う所である。
第2章「こうすれば身につく基本話力」
わかりやすく話すポイントとして次の4つが挙げられる
・1文を短くする
・接続詞、つなぎの言葉を適切にはさむ
・話の展開を予測させる
・分かってもらう工夫をする
…当ブログとは縁のないようなものばかりだ。
第3章「Point 「要点から先に」がビジネス話法の原則」
最初に言いたいことを言おうという所。簡単にいえば結論から先に話すということ。
第4章「Reason 「なぜか」にどう答えるか」
次に理由。なぜこの結論に至ったのかということをいくつかの点に絞って大まかな理由を説明していけば次につなげることができる。そう、事例である。
第5章「Example 「説得力は事例から生まれる」」
その理由に至った具体的な例を示す。ここで初めて参考となる数字・固有名詞が入ってくる。またここで仮定法を使って理由を補強づけるということもその一つである。
話は少しずれるが論理的な話し方には残念ながら「声」の話というのはそれほど取り入れられていない。筋道さえ通っていればそういった声と言ったことは必要ないという考えなのだろう。しかしこの「声」というのも論理的な話し方を強める一つの武器になる。それは何かというと「声」によって強調すべき点を明確に示すということで、自分の話したいことがよりわかりやすくなる。また話に緩急がつきやすくなるので、相手がその話に聞き入ることもできる。いくら論理的に説得力のあるものがあったとしても、淡々とした口調で述べてそれで説得力があるのかというと必ずしもそうではない。特にプレゼンテーションは協調の仕方なども入ってくるからなおさらである。そこで論理を補強する武器で「声」を使うことができる。
第6章「Point 「まとめ」効果を上げるには」
話を戻す。ここでは結論をもう一度言うのもよし、参考としてさらに言うのもよしだが、ここでは結論をもう1回言ったほうが聞き手にはこう言いたいのかというのがはっきりとわかる。
第7章「プレゼンテーションに活かす! PREP法活用パターン」
今までならった技術を駆使してプレゼンテーションに活かしてみる。ここではまず長い話を「箇条書き法」と組み合わせてやることを推奨している。短い文からPREPという順に一つ一つやっていき、最後にまとめと移る。そして質疑応答にもPREP法を使う。
論理的に話す方法の一つとしてこの「PREP法」を取り上げたが内容はそれほど難しくはない。コツさえつかめれば誰でも簡単に身につけることができる。仕事を行う上で実践してみてはどうか。

レバレッジ人脈術

レバレッジ人脈術 レバレッジ人脈術
本田 直之

ダイヤモンド社  2007-12-14
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人脈に関する本を結構読んでいるが、これもなかなか異端なものがある。本書はレバレッジ(てこの原理)の観点からどのようにして人脈を築けばいいのかについてを伝授している。
Leverage 1 「レバレッジ人脈とは何か」
まず印象的だったのは「ギブ・アンド・テイクは論外」ということである。なぜかというと「ギブ(与える)」というのは上から目線の響きがあるからという。そうかなと首をかしげるが、押しつけがましいという考えから、そうだなと言える。最低限のコストで最大限の成果を出す「レバレッジ」といえども人脈は短期的に効果がないという。人脈を築くためには「コントリビューション(貢献)」が肝心である。私はまだまだ人脈を築けていないためそれを行うためにはどうすればいいのかというのがまず「情報」である。「有益な情報」を提供するとあるが、私がやっている書評の中で有益な情報があるのかと疑ってしまう。コントリビューションだけではなく「会いたいと思わせる人になる」ことも必要で「インプット」「魅力的なプロフィール」「情報発信」であるという。3つ目はおそらくほとんどの人がやっているだろう。最も差がつくのは1番のような気がする。自分が興味を持たない話題でも食らいついていける姿勢とそしてそこに興味を持つ好奇心が大事と考えると1つ目がネックになるだろう。
さらに人脈を応用して出版に関しても言及している。本を出し、損情報が役に立つ、かつ面白いものであり、編集者とのコネクションがあると出版しやすくなるという。私も本を出すことは夢の一つであるため現在出版社の方との交流も欠かせなくなってきた模様である。
Leverage 2 「会いたい人に接触する「アプローチ」の方法」
アプローチにも方法やタブーはある。基本的なことで相手のことを調べつくすことである。しかし友人はそれほど多くはない人であればインターネットを利用して業界情報や業界本を読むだけでも情報を入手するということも可能ではないかと思う。本田流の人脈作りの一つとしてアメリカのSNSである「Linkedin」というサイトを使っているという。
Leverage 3 「うまくコミュニケーションを取る方法」
Leverage 1で「有益な情報提供」が大事であると言ったがその情報提供にもルールがあり、
「自分自身が常に情報収集を怠らないこと」
「自分の得意分野から提供すること」
「提供する相手は慎重に選ぶこと(いずれもp.103より)」
がある。一つ目は当たり前なことなので省略。2つ目は私自身システムエンジニアということでコンピュータの知識はあるだろうと言われるが、実際私はそれほど持っていない。それ以上に持っているのが「歴史」について。大東亜戦争についての政治はよく知っている。ちなみに3つ目がこのことが最もネックになるだろう。「戦争」と聞いた途端に肝癪になる人だっていることを考えるとむやみにこの知識はさらけ出せない。ましてや「生兵法は怪我のもと」の如く、「それ間違っているよ」と言われればそれで自分自身の値打ちがガタ落ちになる。情報提供は難しい。本書では「世界遺産」について話題のタネとなる人が多い(著者は「世界遺産検定」に挑戦するほどである)。世界遺産を調べていくとその名所の歴史から文化まで丸ごと学ぶことのできる宝庫であると言ってもいいかもしれない。
「世界遺産を学ぶことこそ最大のレバレッジ歴史・文化学習法!?」
と自分自身嘯いてみたりする。でも私自身も世界遺産に関して興味をもった。
Leverage 4 「人脈を継続させるには」
人脈を構築するにあたり「継続」は大事であるが、私自身どういう風にやればいいのか分からない。継続するためには今の時点ではメールと継続的な出会いが肝心であるという。さらにやってみたほうがいいというのが「人脈のリストアップ」である。この会にあった、そのあとにいつごろあったのかを書けばいいという作業だが、結構面倒な作業である。しかしそれを行うことによって誰といつであったのかというのがわかるため、やらないに越したことはない。人に贈り物をすることもいいが、著者は小物を送るという。安くて手軽でなおかつすぐに使えるものがいい。私だったら、北海道ということなので、こういうやつでも。
インパクトはあるが、それでドン引きする可能性アリとみた。
Leverage 5 「「レバレッジ・ネットワーク」構築でお互いに成長する」
会を主催するにあたりどのように催していけばいいのかについて書かれている。まだそういう企画はないものの、もしかしたらということでここもチェックしてみよう。会を催すためにはカテゴリーを特定し、適度な人数のほうがネットワークとしての人脈を強固にできる。たとえば自分と同じ年代の人と会うのも一つである。
人脈形成というのはなかなか難しいが、コツをつかむこと、心がけることがあればおのずと人脈というのが築くことができる。これからいくつかセミナーに参加する予定だがそう心がけたい。

日本人の選択―総選挙の戦後史

日本人の選択―総選挙の戦後史 (平凡社新書) 日本人の選択―総選挙の戦後史 (平凡社新書)
林 信吾 葛岡 智恭

平凡社  2007-06
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戦後数多くの衆議院総選挙、参議院通常選挙が行われた。その中で政局はどのように変わっていったのか、そして国民がどのような背景でどのような選択をしていったのかというのがすべて記録されている一冊である。
第一章「政党の胎動」
ここでは終戦から1950年代にかけて取り上げている。鈴木貫太郎内閣が倒れ、後続の内閣が成立、そのわずか1ヶ月後には戦前「英米協調外交」で有名だった幣原喜重郎が就任、戦後初の衆議院選挙(第22回衆議院議員選挙)が行われた。そして「ワンマン政治」として知られ、現在の麻生太郎首相の祖父である吉田茂が首相に選ばれた。途中では社会党の片山哲が選ばれたりしたが、ここでは吉田茂が本書では多く扱われていた。当時の政策は敗戦処理であったが、「戦犯補償」に関して社会党は救済を訴えたのもこの時期である。堤ツルヨ議員の発言も名言として扱われるのだが、今の社民党などの左派議員たちが見たらどう思うのだろうか聞いてみたくなる。
第二章「安保から経済成長へ」
日本は1956年に国連加盟を果たしたが、1950年に鳩山一郎内閣が誕生しさらに「自由民主党」が誕生した。この章ではそのあとの1960年代の選挙について触れている。ここでは岸信介、池田勇人、佐藤栄作が連なる。池田勇人内閣においては「所得倍増政策」が打ち出され日本は未曾有の経済成長を遂げた。この年代では章題にあるとおり「60年安保」が盛んであり、さらに大学紛争も起っていた。「アカ化」というのも囁かれたと言ってもいい。その間64年には東京オリンピックが開催された。
第三章「保守・革新の迷走」
1970年代に入るが、1972年、沖縄が日本に返還された年に佐藤栄作が首相の座を退任するがその時の記者会見はいまでも語り継がれている。
「私は新聞が嫌いだ。新聞は、変更している、TVで直接、国民と話したい(p.99より)」
今新聞やTVニュースほど変更じみたものはない。佐藤栄作はこの時にすでに勘づき、嫌悪したのだろう。そのあとある記者の鶴の一声で記者全員が退場し、カメラの置かれた記者質で佐藤栄作が一人で淡々と退任の辞を述べていた。その一部始終は政界の歴史の中でも特に流れている。さてここで大きな転換点となったのが田中角栄である。田中角栄が首相に選ばれたときA級戦犯として起訴され、釈放後は政界のブレーン的存在となった鈴木貞一は孫に「政治がカネで買えるようになったらお仕舞いだ」と言っていた。これからまさにその通りになってしまった様相になっている。政治とカネというのが切っても切れなくなった時代の到来である。この政権時では日中国交正常化も行われた。金にまつわる問題が表面化した後政権は三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸と続いた。その時にロッキード事件が起き田中角栄が逮捕されるという事件も起っている。さらに余談であるが任期満了による総選挙が行われたのは76年の三木内閣の1度だけである。来年までずれ込めば32年ぶりに任期満了による総選挙となる可能性はあるだけにこれは取り上げなくてはならない。
第四章「保守「奔流」」
80年代である。まず前半は中曽根康弘、後半は竹下登と続く。中曽根内閣というと「ロン・ヤス関係」「JR、NTT、JTの民営化」であろう。さらに「戦後日本の総決算」と銘打ってこのような改革を行った。ちなみに消費税の構想の大枠を築いたのもこの内閣の時で、その後の竹下内閣ではその構想を引き継ぎ、「消費税」を誕生させた。同時にこのときから「バブル景気」と呼ばれる好景気となり、売上もうなぎのぼりとなり、海外の建物を購入するなどのことも起った。
第五章「政変から再編へ」
1990年に湾岸戦争がおこったが、その年には首班指名選挙が行われ、衆議院と参議院での首班指名が違うという事態が起こった(衆議院は海部俊樹、参議院は土井たか子)。今も起っている「ねじれ現象」がこのときにも起こっていた。そのあとに細川護煕内閣誕生により55年体制が崩壊、そして結党以来初めて自民党が野党になった。その後羽田孜、村山富市の時に自民党は与党に復帰し、橋本龍太郎、小渕恵三と続いた。このときにバブルは崩壊し「失われた10年」となったのは言うまでもない。
第六章「国民の、次なる選択」
2000年4月に小渕恵三が脳梗塞で倒れ、悪名高い「密室の談合」により森喜朗が選ばれ、翌年には小泉純一郎、2006年秋に安倍晋三、翌秋には福田康夫、さらに今年の秋には麻生太郎が首相に就任した。早期解散の声が高かったものの、リーマンブラザーズの倒産により雲散霧消と消えたが、来年は必ず総選挙がおこなわれる。前述のように任期満了が来年の9月だからである。民主党が勢いを増して政権を奪取せんとかかってくるが、私は今回の選挙ほど投票に行ったほうがいいと思っている。この選挙で政権交代が現実のものとなるのである。民主党は確かに信頼できないところはあるが、私はやってみるしかないと思っている。そこで信頼できなかったら次の選挙で自民党に投票すればいいと言うだけの話。国民自身がこの政局を握っていることを忘れてはいけない。

起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術

起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術 起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術
勝間 和代

ダイヤモンド社  2008-11-29
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この頃「勝間本」が頻発している。当然それらはほとんどベストセラーとなっている。私も「7つのフレームワーク力」からファンになったが、やはりわかりやすく、やり方もあり、斬新である。でもこれだけ頻発すると、私の懐事情も厳しくなる。
それは置いといて、本書は起きていることがすべて正しいと思わせるメンタルトレーニングの方法について書かれている。
第1章「「偶然を幸運に変える」セレンディビティの技術」
ここでは勝間さん自身のエピソードが最初に書かれており、そこから自らの体験からメンタルを鍛える技術の鍛え方についての骨子が書かれている。このメンタル筋力をつける方法には三本柱があり、
「メンタル筋力を強くする心構えをつくる」
「ストレスを上手にコントロールする」
「徹底した疑似体験の量を積む」
と位置付けている。特に3つ目の「疑似体験」は読書によるものであるという。
第2章「あなたの潜在意識が目覚める! 脳内フレーム120%活用法」
ここから勝間式のメンタル筋力をつける技術を4つに分けて述べていくが、ここでは1つ目「広げる」について説明している。ここでは、
「潜在意識と成長パスの関係を理解する(ホップ)」
「潜在意識を活用して自分のデータベースを強化する(ステップ)」
「潜在意識の自分のデータベースを行動すること(ジャンプ)」
潜在意識を高める(広める)ためにどうすればいいのか。その基礎段階として「積極思考」を行い、フォトリーディング・マインドマップでデータベースを強化し、ディープスマート力(経験から導かれる力)で行動することに潜在能力が目覚める。
第3章「「99%捨て、1%の本質をつかむ」即断即決法」
ここでは「絞り込む」について、つまり「捨てる技術」について書かれている。そしてこの捨てる技術の中で印象的だったのが「ストレングス・ファインダー」があるのだが、ここでは勝間さんのみならず、小飼氏smooth氏聖幸氏の強みについても分析されている。御三方で共通して言えるものはあるかというと……目標や最上の到達点の思考、もしくは志向がある。「ストレングス・ファインダー」かやってみようかな。
第4章「「4つのダイヤ」を引き寄せるパーソナル資産増強法」
ここでは「殖やす」について、自分の潜在意識などの資産を増強する方法について書かれている。パーソナルの大切さに気づき、好循環をつくり、つねに使い切るように目配りをするという。ここでちょっとピックアップすべきものがあった。
「大事なことは、そのような無知の知との巡り合いをきっかけにして、いかに自分のパーソナル資産を大事に育てていくかということです。(p.245より)」
「無知の知」というのはソクラテスによって提唱された言葉である。自分は何も知らないことを知っている。それが自分の価値を高めるための武器になり、正しい「知」として養っていく動機にもなる。
第5章「勝間式人間関係の兵法――「5つのわがまま力」で年収が20倍になった理由」
最後は「調和する」ことである。
章題で出てくる、「5つのわがまま力」とは一体何なのかとは
「叱られたことから、自分の能力を見極める力」
「褒めることで、周りと調和する力」
「チーム内で強いところと弱いところを互いに補完する力」
「正しい目標を設定し、フィードバックし合う力」
「正当な評価体系を保持してやる気を保つ力」
となっている。
本書を読んだ率直な感想であるが、小飼氏も書かれていたように、「書評者泣かせな一冊」と言える。J-POPに喩えると、ベストアルバムの感じである。つまり「史上最強の人生マニュアル」をベースに勝間氏の書いた様々な本が詰まっている。これで1,500円なのだから安いというのもあるが、内容がぎっしり詰まっており、実践価値の高い反面、これを評価するというのは非常に難しい一冊であった。書評する人にとっては泣かせる一冊ではあるが、そうでない人でも一家に一冊あったほうがいいかもしれない。

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