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戦前・戦後の本当のことを教えていただけますか

戦前・戦後の本当のことを教えていただけますか 戦前・戦後の本当のことを教えていただけますか
兼松 學 加賀谷 貢樹

PHP研究所  2006-05
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本書は一昨年の3月に亡くなられた兼松學氏の戦前・戦後のことをつづっている。ちなみに兼松氏はこの当時は鉄道省に入省し、霞が関で大東亜戦争を体験した。そしてその後の日本の戦後のことについてありのまま話された。
第1章は戦前の暮らしについてだが、父の誇りと共に勉学そして遊びにがむしゃらだった少年時代から外国人と英語で論争、東京帝大時代から鉄道省に入る前までのことである。旧制中学というと現在でいう高校であるが今も昔も変わらないのが受験戦争の厳しさであろう。そこに入学し、勉学に励むという意識を考えると昔のほうが使命感が強かったのかもしれない。今ではブランド高校や大学に入って勉学よりも遊びに満喫する人もいる。とはいえ大学もシステムが厳しくなったことによって一生懸命勉強する学生も増えてきたということを考えると、だんだん戦前のように戻っているという感じも受ける(ただ少子化のせいか昔ほど競争が熾烈ではなくなったのかもしれない)。そして東京帝大の時代と左翼である。当時は大恐慌時代でありその中でマルクス思想にはまっている人もちらほら見られたという。実際私のいた大学も現在大人気の「蟹工船」の作者が在籍していた大学であった(でも私自身は左翼にはまったことはなかった)。そういうことと60年代の大学紛争のことを考えると大学と左翼の縁というのは非常に深いのかもしれない。
第2章は兼松氏が鉄道省に入省した時から陸軍にはいった時のことについて書かれている。ここで歴史認識問題にかかわる重要なことが書かれている。「従軍慰安婦問題」である。兼松氏が朝鮮半島に行った時も挑戦で強制的に慰安婦を重用したことはなかったと証言している。ただ、売春婦を仕切る朝鮮人のボスがいて日本軍に頼み込んで商売をしていたという(pp.88-89より)。慰安婦問題はここから歪曲に歪曲を重ねたものなのかもしれない。もっと言うと史料の中では日本軍を装った人さらいがいるので厳しく取り締まれというものがある。もしかしたらそれに関係してくるのではないかというのが私の頭によぎる。そして五・一五事件、二・二六事件から日独伊三国同盟、そしてあまり知られていなかった1940年の11月10日に行われた「紀元二六○○年式典」についても言及している。南京攻略の時に提灯行列というのが行われたことは知っていたがこのときも提灯行列が行われた。ちなみに当時は「提灯」というのは非常に珍しく、おめでたい時にしか御目にかかれなかったという。
第3章は大東亜戦争(太平洋戦争)である。兼松氏はパール・ハーバーへの攻撃を聞いた時にこの戦争は負けると思ったという。しかしこれは絶対口に出して言えなかっただろう。当時の日本の世論は開戦派が大多数を占めていた。その中で非戦・反戦や戦争は負けると言ったとたんに「売国奴」というレッテルが貼られてしまうという風潮であった。まるで大東亜戦争は聖戦だったという人には「右翼」というレッテルが貼られていた時と同じような感じである。そして「大東亜会議」の舞台裏についても書かれていた。本書には書かれていなかったがこの「大東亜会議」の構想を固めていたのは当時の外相であった重光葵であり、首相だった東条英機は会議の大義よりも参加国の方々をもてなすための事務作業に熱中していた。しかし東条は根っからのメモ魔・準備魔として知られていたため会議は大成功であった。しかし兼松氏は東京で鉄道省官僚だったことを考えると東京大空襲のことについて取り上げないわけにはいかない。東京大空襲だから東京から地方に行ったのかと思ったらなんとこのときも東京にいたという。兼松氏は1944年12月の日曜日に休日出勤した時に空襲に遭ったのだが幸い無傷であった。当時兼松氏らが会議を行っていた運輸省のビルの脇に爆弾が落ちたという壮絶な体験をしたという。ちなみに大規模空襲の時にアメリカ軍はターゲットにするべき飛行場に爆弾を落としていなかったことについてはいかにアメリカ軍が計画的に一般人を狙って爆弾を投下し殺戮していったのかが浮き彫りに出ている。
最後に第4章は「戦後」である。とりわけ刻銘に書かれていたのは「学力低下政策」と「日本国憲法」である。まず「学力低下政策」については驚きを覚えた。戦前までは六・五・三・三制をとっていたが、戦後になって六・三・三・四制になった兼松氏の友人がこう語っていた。
「これではやがて、三、四十年経ったら日本人の教育水準が著しく下がるのではないか(p.192より)」
折しもその通りになってしまったのは言うまでもない。アメリカは計画的に日本を「一億総白痴化」にさせたのはこの証言からでもわかる。そして日本国憲法もアメリカ盛ということは周知の事実であり本書では書かれていなかったが東京裁判は戦勝国が仕組んだ「一種のショー」であった。しかしGHQの検閲(事前検閲)により国民には知られなかった。しかしこの日本国憲法について到底飲めない内容であったが天皇の御許しによりできたということも忘れてはならない。しかし「国防」については早くから「国防がなければ国家とは言えないのではないのか」という議論があったのは今も昔も同じであった。それが60年以上たった今もその状態であるのは兼松氏もさぞかし嘆かわしかったことだろう。
兼松氏の歴史についての証言は私のような本当に知らない人たちにとっていかに新鮮であったのだろうか。在りし日の日本があってこそ今の日本があり、そしてこれからは私たちが引き継いでいくことになる。そのことから日本語、日本の歴史を知らなければならない義務がある。今私たちに抱かれた使命は重いが、これが日本の未来にかかっているのだから。

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