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2008年9月

国債は買ってはいけない!

国債は買ってはいけない! 国債は買ってはいけない!
武田 邦彦

東洋経済新報社  2007-05-18
売り上げランキング : 124102

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「環境問題」について懐疑・否定的論者の代表格である武田邦彦氏が国債について書かれていたので思わず手に取った。著者は国債について専門がいなのかなと思ってしまったのだが株式のアドバイザー会社の顧問を務めているという。つまり国債や株については少なからずわかるという。
国債は1965年に発行を開始された。その時はわずか少額であったが、第1次石油ショックにより最初に大規模な発行がされたのは本書で書かれたとおり1975年のことである。それから雪だるま式に国債は増えはじめ2008年現在では発行残高が750兆円を超えている。このままではデフォルト(債務不履行)宣言するのではという経済学者もいるという(現に海外では2000年にアルゼンチンがデフォルト宣言を行った例がある)。
環境問題についてはなかなか的を射たことが書かれていたが国債のこととなると著者の専門に少し外れているせいか、やや説得力に難があった。
確かに日本の国債は雪だるま式に膨れ上がっている。さらにいえば「個人向け国債」が出てき始めたことにより投資目的・預金目的で国債を買うという人も増えている。それによって日本経済には何の価値が返ってくるのだろうかという疑問さえ今の経済状況をみると浮かばざるを得ない。そして最後には株等でお金を増やす方法について書かれていたが結局「勉強し、アドバイザーを見つける」ということ。さらには時代を見る目を養えということ。ある意味丸投げかもしれない。

史上最強の人生戦略マニュアル

史上最強の人生戦略マニュアル 史上最強の人生戦略マニュアル
フィリップ・マグロー 勝間和代

きこ書房  2008-09-27
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「日本を変えよう」と同時に発売された本書。翻訳者の勝間氏が人生の中で最も影響を受けた1冊であるという。
プロローグはオプラの裁判から始まる。裁判を戦略としてそして人生自体を戦略として勝ち抜く力ということを感じた所である。特にオプラの心境の変化は戦略という概念をもって劇的に変わったというところがこのプロローグの伝えたかったところだろう。
第一章「問題がひとりでに解決することは、絶対にない」
自分が抱えている問題のほとんどは自然に解決をすることはない。本書にも書かれているように複雑化するなど悪化してしまうのである。それを食い止めるために最善の策をより正確により早く見出すことが肝要である。そして問題を上げるということも大事である。問題を対処するには問題を挙げ原因を見つけ戦略を立てていくことこそ成功者への第一歩となる。そして問題を解決するための根幹として
「正しいのかどうかではなく、うまくいっているかどうか」
に限るという(p.53より)。
第二章「本当に生きてるということ」
「ものを理解する=生きていく上での世の中の仕組みを理解する」ことで生きていることを実感すという。要は人生の法則①にあるとおり(p.58より)
「ものがわかっているか、いないか」
である。ただこの章は哲学や宗教と混同されやすいかもしれない(特にそういう本を読んでいる私がそうだった)。しかし物事を知ることはまず情報を集め、そして正しい情報を見極めるという所にある。そうでないとギリシャのソフィストのような存在となってしまう。
第三章「自分の選択と態度に焦点をあてる」
ここで2つ目の人生の法則が出てくる(p.84より)
「人生の責任は自分にある」
責任があるからでこそ自分で切り開かなくてはいけない。もし人生を相手に委ねてしまっても結局そのツケは自分に返ってくる。
第四章「「見返り」が行動を支配している」
人は自分が有益になるように行動する。実際損を承知で動く人も中に入るがわずかであろう。
第五章「問題はあなたが認めるまで悪化していく」
まさにそのとおり。自分の非を認めない限り変わっていかないというのが事実である。これは偽装事件や不祥事問題でも証明済みだろう。
第六章「違うことを「する」」
本章はマンネリ度診断テストというものがある。1度試してはどうだろうか。
第七章「過去の出来事を言い訳にしない」
まず人生の法則よりもこっちのほうが心の奥底にきた(p.224より)。
「人生に何が起きようと、その出来事をどう解釈するかはあなた次第である。」
この後にも文章は続くのだがつまりは自分が体験した出来事をどのようにとらえ、これからのことの糧にしていけばいいかも考える必要がある。それによって人生が大きく変わる場合もある。
第八章「今すぐに人生計画を立てる」
人生は当然思い通りにいくことはない。しかし捨てたものでもない。当然生きる目的を明らかにすることが大事であるが、そのうえでどのように達成していくのかも必要である。本書に書いてあるとおり「あなた自身の人生」なのだから
第九章「見返りを断つ」
非常に難しいかもしれないが大切なことであるという。しかし見返りを求めてしまうことは自然なことであるが、その見返りをどのようにしてたてばいいのかというのがここにはある。
第十章「憎しみはあなたの心を変えてしまう」
憎しみに限らず、嫉妬、嫌悪など負の感情によって心の貧しさを露呈してしまう。しかし逆の法則のような「許し」や「感謝」というのは自分・相手ともにプラスにさせる魔力を秘めている。気持ちの持ち方で自分自身の人生が変わってくるのが本章である。
第十一章「あなたのゴールラインはどこか」
人生にはゴールはないというと嘘になる。その中で何を目指すのかというのを考えなくてはならないことを本章で教えてくれた。
第十二章「ガイド付き人生の旅」
この章はほとんど課題で占めている。しかし前章までの実践編としてやってみてはどうだろうか。紙と鉛筆さえあればそれでいい。
第十三章「目標設定の七つのステップ」
まとめと言ったところである。
第十四章「自分の公式を見つけよう」
おそらく書評ブログで成功本の多い理由がここにあるのではないだろうか
「成功例を学び徹底的に研究しよう」
成功例を学びそれを実践することにより、より正しい選択ができる。まだまだ私たちには可能性が秘められているというわけである。
道標となるものかなと思っていたら「良い意味で」肩透かしを食らったような感じだった。というのは課題の多さにあった。その課題の中で自分の目標、そして生きる指針を見つけだすというのが本書の狙いだったのではないのかと思った。そう考えると名言集にも思えてくるし、勉強本に思えてくるが本書はまさに、

「ただの勉強本とは違い、善く生きる、目的をもって生きるためのバイブル」

という位置付けになるのであろう。勝間氏が最も影響を受けたのも、全米で370万部売れたのも、そして書店やamazonで売り切れが続出するのも窺える。これこそまさに「良書」である。

日本よ、「歴史力」を磨け―「現代史」の呪縛を解く

日本よ、「歴史力」を磨け―「現代史」の呪縛を解く 日本よ、「歴史力」を磨け―「現代史」の呪縛を解く
櫻井 よしこ

文藝春秋  2007-09
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1945年日本はポツダム宣言を受諾し敗戦した。そのあとGHQによって東京裁判がかけられ、日本国憲法がつくられ歴史は断絶してしまった。それにより自虐史観というものが萌芽してしまい、従軍慰安婦問題、靖国問題に対して政府は弱腰の対応を迫られている。
さらに日本人の間でも自虐史観の教育により、日本という国自体が「悪」なのだということで自分の国を卑下し、さらには日本人ということに誇りを持たなくなった人が増えているとってもいい。
編者であるジャーナリストの櫻井よしこ氏はこういった今の歴史観に対して警鐘を鳴らし、正しい歴史観を持たなければいけないと思い本書を上梓したのだろう。
本書の構成は
第一章「「慰安婦強制連行」の嘘」
第二章「「南京大虐殺」の嘘」
第三章「「日中戦争(「支那事変」とも呼ぶ)」の嘘」
第四章「「第二次世界大戦」の嘘」
第五章「「原爆投下」の嘘」
第六章「「東京裁判」の嘘」
第七章「「朝日新聞」の嘘」
第八章「「冷戦終焉」の嘘」
である。
これは歴史の教科書にて自虐的、かつ肯定的にとらえられているものが多いが、実際は従軍慰安婦は強制はなく、さらに南京大虐殺もない。日中戦争に関しては中国共産党の仕業…。まさにその通りとしか言いようがないくらいであった。少し解説するが日中戦争は中国共産党の仕業と言っているが、実行したのは蒋介石率いる国民党であるが日中戦争を行うように暗に圧力をかけたのは共産党である。蒋介石はものすごい反日かであるとされているが実はそれには大きな共産党の圧力があったからであり、もともと蒋介石は若い時に日本に留学したことがあるほどの親日・知日派であった(私自身もこれについては最近知ったばかりで驚いている)。しかし共産党による圧力により本来自分は日本と有効になろうという所をつけ込まされ、さらに面子をつぶされたくないという思いから反日かに転じたのではないだろうかというのが私自身の見解である。後に蒋介石が支配した台湾の民族性の中で「面子を重んじる」ところはそこから来たことも一因に挙げられるのではないだろうか。とはいえ台湾の人々は蒋介石は憎悪の的になっていることは確かである。二・二八事件や戒厳令下で行われた白色テロによるものが起因とされている。
最後に櫻井氏はある番組にてこう発言されていた。
「フランスのある哲学者は「歴史を学ばない人間は人間ではない」と言っていた。」
歴史はその国の民族の紡がれたアイデンティティである。すなわち日本人なら日本人の、アメリカ人であればアメリカ人としての誇りを学ぶことと同じことである。しかし日本は自虐史観ばかりの歴史の授業で本当に日本人として誇りを持っているのだろうか?むしろそればかり教えられた日本人は日本人を名乗ることを極端に恥ずかしく思うのだろう。ましてや日本人を捨てるのだろう。日本人のことに誇りに思い、日本のために働ける土壌をつくるためにも歴史教育というのはやはり重要であると私は思う。

F1 シンガポールGP アロンソが奇跡の今シーズン初優勝!! そしてタイトル争いはいかに…

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 F・アロンソ ルノー 1:57:16.304
2 N・ロズベルグ ウィリアムズ + 2.957
3 L・ハミルトン マクラーレン + 5.917
4 T・グロック トヨタ + 8.155
5 S・ヴェッテル トロロッソ + 10.268
6 N・ハイドフェルド BMW + 11.101
7 D・クルサード レッドブル + 16.387
8 中嶋 一貴 ウィリアムズ + 18.489
9 J・バトン ホンダ + 19.885
10 H・コヴァライネン マクラーレン + 26.902
11 R・クビサ BMW + 27.975
12 S・ボーデ トロロッソ + 29.432
13 F・マッサ フェラーリ + 35.170
14 G・フィジケラ フォースインディア + 43.571
Did not finish
15 K・ライコネン フェラーリ + 4 laps
16 J・トゥルーリ トヨタ + 11 laps
17 A・スーティル フォースインディア + 12 laps
18 M・ウェーバー レッドブル + 32 laps
19 R・バリチェロ ホンダ + 46 laps
20 N・ピケ・ジュニア ルノー + 47 laps

まずはアロンソ。今年から古巣ルノーに戻ったのですが、やはりタイヤの扱いが災いしてかなかなか表彰台に立てない戦いが続きました。アロンソは当初せめて1勝はしたいと言っていましたが、マシンのパフォーマンスからか苦しんでいました。そういうことからこの1勝というのは格別の1勝かもしれません。これでルノーは単独4位。次戦は富士なのですがはたしてこの順位を維持できるのか。

2位は中嶋のチームメイトのロズベルグ。自己最高位です。

3位はハミルトン。

そしてベッテルはまたもポイント獲得。なんとトロロッソにいながらランキングは8位と絶好調。この調子で次戦の富士では昨年の借りを返したいというところでしょう。

中嶋もイギリスGP以来のポイント獲得。富士凱旋への手土産の1つとなりました。

トヨタ勢はグロック4位が健闘しました。一方トゥルーリはラップリーダーになりながらも残念ながらリタイア。表彰台も見えてきていたのですが…。

ホンダはバトンが9位。バリチェロがリタイア。あと少しといったところでしたが…。

(9/29 7:30追記)

一方フェラーリは散々な結果でした。ライコネンは運がなかったと言えるのかもしれません。とはいえ4戦連続ノーポイントタイトル争いも絶望的な状況に立たされました。マッサは1回目のピットはあれは今のチームの状況を露呈しているとしか言いようがありません。もし給油リグをしっかりと確認すれば優勝し、ポイントリーダーとなっていたはずでしたから。

さてポイントランキングはハミルトンが84、マッサが77、クビサが64、ライコネンが57、ハイドフェルドが56。ここまでが優勝の可能性があるということです。ハミルトンが頭一つ抜いたといったところでしょう。残り3戦でどうなるかというシミュレーションですが、淡々としたレース運びがずっと続けばハミルトンがチャンピオン。ハミルトンがもし1つでもミスでリタイアがあればマッサの逆転チャンピオンの可能性が非常に強くなります。ライコネンは…絶望的と言うしかありません。上位3人が全戦リタイアし、ライコネンが残りの優勝をすべてかっさらえばありうるのですが。とにもかくにもチャンピオン争いはハミルトンかマッサ、もしかしたらクビサもといったところでしょう。たぶん今年も最終戦までもつれ込むのではないかと。

さて次戦は2週間後、富士スピードウェイですがこの戦いはフリー走行すべてUPいたします。フリー走行2回終わった時点でPP予想を立てますのでよろしくお願いいたします。

勝間和代の日本を変えよう Lifehacking Japan

勝間和代の日本を変えよう Lifehacking Japan 勝間和代の日本を変えよう Lifehacking Japan
勝間 和代

毎日新聞社  2008-09-27
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ビジネス本でも大人気の勝間和代氏が日本の未来の為の提言を残した1冊である。ちなみに私自身も「フレームワーク術」で書いており、かつ右のリンクにも(無断で)勝間氏のものがあるためこれは買うしかないだろうという幹事で本書を購入。
全体的な内容であるが格差やワーキングマザー等が大半を占め、若者の貧困からポスト資本主義にいたるまで書かれていた。
第1章「若い人が暗い国」であるがここでは最近のビジネス本ブームについて、そして日本のビジネスのあり方などについて取り上げられているところが目に付いた。ビジネス本ブームは書評ブログを見てもamazonを見てもランキング上位にあるもののいくつかが勉強法に関する本である。私自身もビ勉強本について書評は行うが、私自身勉強本については完全否定するつもりはないが、確かに効率的にかつ最大限の生産性については行うべきであるが、それ以前に日本人というアイデンティティの観点から見たら自分の幸福だけ求めればいいのかというと疑わしくもなる。ただもう一つ言えるのは高度経済成長からモノの豊かさを求めるため日夜励んで仕事に勤しんだ世代だが、すでにものは飽和状態にあることから今度は心の豊かさを求めて効率的な勉強法を見つけそして勉強し、残業もせずに自分の時間をつくり、仕事では手に入らない心の価値を高めることに勤しむ。これは時代の流れなのでしょうがないが、では効率的な勉強法を学び自分のための時間をつくり、そして自分の幸福を求められればいいのかという疑念が生じてならない。それが今の若者が求めることだろうか。
第2章はワーキングマザー対談で西原理恵子氏との対談であったがこれはなかなか面白かった。ワーキングマザーとしての問題だけではなく、若者の貧困や勉強ブームにまで突っ込んで対談されていた。最後は西原氏の「勝間さんとわたくし」は必見。お見事としか言いようがなかった。
第3章はワーキングマザーなど働く女性の在り方について書かれている。日本は北欧に比べて女性の働き口というのは少ないというのは事実である。さらに日本で働く女性が増えていることも事実である。しかしそれにより既婚率、出生率など低水準にある。さらに女性の立場というのはだんだん良くなっているものの著者のおっしゃるように女性・男性共々家庭を持つべきというのは賛同できる。ところが現実はそのようなことができる時間というのがなくなってきている、もしくは結婚の願望が淡白になっているのではないのかと考える。晩婚化も進んでおり、家庭を持つことによって働く時のリスクを考えると、後ろ向きになってしまう。育児休業など福利厚生については改善されているが、しっかりと行使されているかとみるとそうではない。家庭を持つこともリスクを軽減させるシステムを作り、それを容易に行使できることが求められるのではないだろうか。
第4章では雨宮処凛氏との対談。雨宮氏なので当然テーマは「貧困」である。若者の貧困についてはいくつかの雨宮氏の本で紹介しているので参照されたいが、ここで勝間氏もかということがあった。某TV局に出演したときあまりに杜撰な議論の持って生き方に怒ったという。これについて番組等は違えど同じ被害にあった評論家の副島隆彦氏を思い出した。まさにあの放送局はどうしようもない。とは言っても在京キー局はこんな傾向が多い。こういうTV局の醜態が見えるような場面であった。
第5章は勝間氏自身が肌で感じたNYでのポスト資本主義について書かれている。ここで勝間氏は若者の事情についてこう書いている(p.215より)
「アメリカの若年層の閉塞感は、日本の若者層のそれよりも小さいのです」
アメリカでは自由の国だけありチャンスは残っているという希望がある、本書で書かれているような大規模な階級移動があるという。これはアメリカ・日本双方の歴史から見ていくといいかもしれない。日本は武士の時代でも階級があった。しかし明治維新により階級意識は薄くなった、悪く言えば中途半端になった。アメリカはそういった概念はほぼなかった。そこに起因しているのではないだろうか。
さらに著者自身の試みでChabo! というプログラムがあるという。これについては非常に興味深い。ぜひ内容を見てできたら協力しようと思っている。
最後に勝間氏が日本を変えるための15の提言をしている。その中で気になった箇所をピックアップしていく。
1.1人でも多くの人が投票しましょう
これはまさにそのとおりでこれから来るであろう衆議院解散総選挙は本当に日本の未来を左右する選挙である。1票だけで政権交代があるのかどうかというのが国民に委ねられる。1票によって政治が変わるというのは民主主義体制で国民に与えられた権利である。それと同時に私たちは政治に関して大きな関心を持つ義務がある。
14.もっと予算を使うことで公教育を充実させましょう。
その通りであるが今の文科省や日教組ではこの公教育の充実は図れるのだろうかという疑いはある。しかし大阪府の教育の特別顧問に就任された藤原和博氏の教育方針が成り立てればこれ以上のことはない。
本書を読んでの感想であるが、全体的には賛同半分、反対半分と言ったところである。日本の労働状況を変えるのであれば勝間氏の意見はほぼ賛同である。勉強本ブームも頷けるが、しかし今の労働状況というのは若者に関しても暗い印象でしかない。経営等の上層部の短絡的な効率化によってそれの割を喰らっているのが若者層である。若年層に対して明るい社会を成し遂げるには効率化であると共に、日本に生まれ育ったことに誇りを持つという精神・思想面からの目覚めというのも必要なのではないのかと思う。著者は環境に対しては柔軟に対応するというが果たして環境とはどのような環境なのか。そして実利が伴うというが、その実利というのは形があるものなのかというのも問いたくなる。そして明るい未来というのは何なのか。今の提言でどのように明るくできるのかというのを問いたくもなる。しかしそういう「?」があるからでこそ日本が明るくなるもう一つのカンフル剤ができるのかもしれない。

それでも改革はやまぬ

それでも改革はやまぬ‐風吹かば吹け、波立てば立て (祥伝社新書125) それでも改革はやまぬ‐風吹かば吹け、波立てば立て (祥伝社新書125)
武部 勤と「新しい風」

祥伝社  2008-07-25
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自民党の元幹事長である武部勤氏が書いた1冊。ちなみにこの「新しい風」には正会員27人、特別会員10人によって編成されている。
さて本書はそういった「新しい風」のことについて紹介かと思ったら最初は著者自身の議員生活の反省について書かれていた。序章「そして、郵政選挙は始まった」と第1章「小泉純一郎と私」である。題名のとおり序章は2005年衆議院解散総選挙の裏側について書かれており、第1章は今年の衆議院解散総選挙で政界引退が決まった小泉純一郎氏との出会いについて書かれている。ここで書かれた背景は私の思っていたよりも最近で小泉氏が首相に指名される1年ほど前のことから書かれていた。そのときは「加藤の乱」とも言われる党内抗争があったが、武部氏はその森降ろしに加担していたが、小泉氏は留任するよう求めた一人であった。しかし小泉氏が首相になるときに武部氏が農水相の使命を打診したときは武部氏自身衝撃を受けたという。武部氏は指名されるとは思ってもいなかったからである。さて武部氏が農水相の時はBSE問題が盛んであった。特に野党などからは隠蔽体質だといって非難を浴び、しまいには辞任しろということも広がった。しかしそれをとどまらせたのも小泉氏であったという。この一言はみごとであった(p.71より)。
「やめたければ、いつでも辞めさせてやる。しかし、問題を解決するのが君の責任の取り方というものだろう。問題を解決したら、すぐにでも辞めさせてやる。」
責任の取り方の本質を確実に突いている。最近では中山国交相の失言問題で辞めろという声もあったが(本日辞任を表明した)、落とし前をつけずに野党の非難を受けて即やめることこそ私自身無責任であると思う。何らかの事件は起こることはしょうがないが、未然の予防とそして起こった時に責任をもって解決させるということがなくては大臣というのはやっていけないと私は思う。結局BSE問題の解決や農業にまつわる改革を全うして辞任した。
そして最後には「北海のヒグマ」という異名で恐れられていた中川昭一財務相の父親中川一郎氏の言葉(p.93より)
「寒門に硬骨あり、温室に大木無し」
厳しい時を乗り越えてこそ初めて本物にある。実際国会議員はこういった寒門を乗り越えた議員は少ないのではないのだろうかと思っている。武部氏はまさに前者を経験した1人に入るだろう。
第2章「国民の叫びを耳にして」であるが、ここでは民主党批判についてが目についた。本書では「民主党は「小沢路線」を捨てられるか」であるが実際かなわなかったといってもいいかもしれない。もしも代表選で対立候補が建てられればこの後の衆議院解散総選挙でも有利に進められたのではないだろうか。
第3章については「新しい風」のことについて議論したものが書かれている。それに関しての政策は非常に面白いのであるがこの新しい風が麻生首相下で実現できるのかというのも見物である。さらに国民に対してはたして納得できるのかということさえも感じた。
これから衆議院解散・総選挙に向けて動き出す。その中でどのようなマニフェストを出すのだろうか。民主党はすでにできているが自民党などの政党はどのような政策を出していくのだろうか。

F1 シンガポールGP マッサがPP!!中嶋が初のQ3進出!!! そして優勝予想

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 F・マッサ フェラーリ 1:44.801
2 L・ハミルトン マクラーレン 1:45.465
3 K・ライコネン フェラーリ 1:45.617
4 R・クビサ BMW 1:45.779
5 H・コヴァライネン マクラーレン 1:45.873
6 N・ハイドフェルド BMW 1:45.964
7 S・ヴェッテル トロロッソ 1:46.244
8 T・グロック トヨタ 1:46.328
9 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:46.611
10 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:47.547
11 J・トゥルーリ トヨタ 1:45.038
12 J・バトン ホンダ 1:45.133
13 M・ウェーバー レッドブル 1:45.212
14 D・クルサード レッドブル 1:45.298
15 F・アロンソ ルノー no time
16 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:46.037
17 S・ボーデ トロロッソ 1:46.389
18 R・バリチェロ ホンダ 1:46.583
19 A・スーティル フォースインディア 1:47.940
20 G・フィジケラ フォースインディア no time

マッサはここのところ調子がいいです。今回はフロントローに付けたハミルトンをコンマ6秒上回るタイムをつけてのPPでした。ただフロントローがハミルトンなだけに最初の1コーナーが油断できないようですが。

ライコネンは3番手ですが、予選を見る限りでは王者の余裕が感じられなくなってきています。ステアリングを右に左にバランスを取っているところを見ると何か精彩を欠いているなという気がしてなりません。

前戦最年少ポール・トゥ・ウィンを成し遂げたベッテルは7番手スタート。チームメートが17番手というところを見ると技術で言ったらハミルトンを凌駕するのではないかという考えもあったりします。連続Q3進出しているだけあって末恐ろしい存在です。

中嶋が今回初Q3進出!10番手でしたが、ここからが勝負といったところでしょう。今度はチームメートなどを抜いて久しぶりのポイント獲得を目指すしかありません。

ほかの日本勢はグロックがQ3進出(8番手)。トゥルーリが11番手、バトンが12番手、バリチェロは18番手からのスタートです。巻き返しなるのでしょうか。

さて優勝予想です。

本命:ハミルトン

対抗:マッサ、ライコネン

要注意:コバライネン、クビサ、ベッテル

1コーナー勝負です。ただコースを見た限りでは1つのクラッシュだけで荒れる可能性が高いかもしれません。連続してアクシデントが起こってリタイアが多数出たりするといった感じがしてなりません。

ただナイトレースだからというよりはこのシンガポールのコースの特性(悪い意味で)によるものではないかと。

そうでなければ1コーナー勝負以外は淡々としたレースになるでしょう。モンテカルロやハンガロリンクといったミッキーマウスサーキットなんで。

F1 シンガポールGP PP予想

今日は時間がないのであっさりといきたいと思います。

本命:ハミルトン

対抗:マッサ、ライコネン

要注意:アロンソ、コバライネン、ハイドフェルド

こんな感じで

サラダボウル化した日本

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若林 亜紀

光文社  2007-09-22
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近頃日本で働く、そして学ぶ外国人が増えている。いったいなぜこのような現象になったのだろうか。実際に日本人の給料の良さ、そして治安の良さ、さらに何よりも働く場を求めているところではなかろうか。しかし日本にも日本の事情があり、少子高齢化に伴い労働人口が減少しているのも確かな話である。さらにいえば医者の人材不足など様々な業界で人材不足というのが起こっていることも要因に挙げられる。
第2章では気になる文言があった。
「インド企業でも、SEは1日13〜14時間働く忙しさ得あるが、豊かさを求め、インド人は誇りを持って激務に勤しむという。まるで、一昔前の日本を見ているようだ」
これは非常に考えさせられる。というのは今の日本は物的に豊かになっている。豊かになるからでこそ今日のような成功本やビジネス本が乱発している現象があるのではないだろうか。しかしそれがあるという背景には「心の豊かさ」を求めるという風潮ではなかろうか。一方インドや中国は急激に経済成長を遂げている(最近減退しはじめた)が、まだまだモノの豊かさにかけているところがあるため豊かさを求めて海外で働くという。
おそらくこれから日本で働く外国人労働者の数は増え続けることだろう。しかし何人かの論客はそういったことを排除せよという意見もあるが、日本人だけで今の労働状況を維持するのは非常に難しい。むしろ不可能かもしれない。ではどうしたらいいのかというと外国人労働者を受け入れられやすい環境をつくるということしかない。それをやるためには厚労省や経済産業省、そして企業側の努力が必要であるが、はたして打つ手というのはあるのだろうかという疑問さえ出てくる。しかし悩んでばかりはいられない。ただただ模索するのみである。

逆臣 青木幹雄

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松田 賢弥

講談社  2008-06-27
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「参院のドン」青木幹雄
昨年の参院選で初めてその名を知った人も多いことだろう。青木氏は自民党の中でも最も影響力があり、とりわけ参議院では絶大な影響力を及ぼしている。また道路族の中でも首領的な役割をしており、小泉政権下、及び安倍政権下における道路特定財源の見直しを徹底的な骨抜きを行ったといわれている。
ではなぜ青木幹雄はこのような権力者になったのだろうか。青木幹雄は今は亡き元首相竹下登の秘書を務め後に参議院議員となった。そこから権力者への道が始まった。それが強固なものとなったのは1998年小渕内閣が誕生した時に参議院幹事長になった時のことである。さらには2000年、師でもある竹下が病床についてからその権力は膨大に膨れ上がり小渕首相が倒れてからは首相臨時代理となった。そのあとの森政権への選出までの過程は青木がコントロールしていたが真相の程は不明である。そして2004年には参議院議員会長となり「参議院のドン」として名を馳せた。しかし2007年参議院通常選挙において自民党が惨敗したことにより参議院議員会長の職を辞任し、尾辻秀久に譲った。それでも「参議院のドン」としての権力は依然強いままであり、与野党ともに影響力のある議員の一人である。
さて本書は青木幹雄の知られざる姿を告発している。自民党は今はそれほどではないものの派閥闘争というのは絶えない。とはいえ選挙や総裁選の時には結束するというのはよくある話である。しかしそれだけではなく派閥を超えフィクサーとして圧力をかけている一人なのがこの青木幹雄であると著者は語っている。本書での最も重い罪状としては、師である竹下登への裏切りだろうか。本書の第3章でも述べられているが竹下登への裏切りをあらわにしたのは2000年の竹下登の死である。その中で青木は大口をたたき、さらには竹下登への侮蔑を露骨に表したことにより竹下家から非難を浴びたというエピソードである。森喜朗や小渕恵三ではとても考えられないようなことを青木は平然とやってしまう。狡猾な性格が如実に表れた1面であった。
本書で青木幹雄の本性について分かったが、それに追随する政治家の実情についてもっと知りたい。著者の次作に期待したい。

ニッポン経済の「ここ」が危ない!

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竹中 平蔵 幸田 真音

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現在の日本経済は後退の一途をたどっているが、これに関する問題点について書かれている。第1章は構造改革による格差についてだが著者の竹中氏は格差問題については海外に比べて格差はないのにもかかわらず格差に過剰に反応しすぎである、さらにこういう格差になった理由は構造改革ではなく経済のグローバル化によるものであるといって斬り捨てている。グローバル化も一つの要因であり、構造改革による功罪だけが要因ではないというのは賛同できる。構造改革による経済の成長、そして行き過ぎた企業のコストダウン、そして法人税の減税によって実感無き好景気と格差が生まれたのではないかと私は思う。
後半では日本における新しい経済政策を竹中氏なりの持論を展開している。文化・観光ビジネスに関しては賛成の立場ではあるが、それによって経済は活性化するのかということには疑問が生じている。むしろそれを打ち出せないほど経済的に硬直化しているのではと私は思う。日本の経済は様々なことに手を出していた、特に観光事業にて「大観光法」というような法律までつくって観光立国化しようとしていた。ちなみにこれ自体バラマキ政策の一つではないのかという指摘もあり、現にそれで経済的に発展したのかというと口が裂けても言えない。効果が表れ始める時期にはバブル崩壊が起こりそれにより当初予想していた経済効果が雲散霧消と消え結局それに賛同した地方自治体の借金が雪だるま情に膨れ上がったというのは言うまでもない。
それによってもう1回ビジネスを行おうと考えると本格的に民間でやってそれを補助していくという以外、官主導では信頼できなくなってしまう。もう1回その過ちを繰り返されればいよいよ地方自治体のみならず日本国の破綻だって見えてくる。
最後に自分の胸元に突き刺されるような部分があった。
「育てる批評家がいない」「昨今を貶す批評家が多い」
なかなか鋭い発言である。昨今の新聞やニュースに関して政治や経済に関することで政治家への罵詈雑言というのが後を絶たない。私でもそういう批判を頻発している。しかし批判をするのはいいが、「ではどうすればいいのか?」というのが見えてこなければ野次に等しい。そして日本は救いようのない国だということになってしまう。日本を良くしていきたいことを言う気持ちはあるが批判だけではそういう熱意というのは伝わってこない。自分だったらこうしたらいいという風穴をつくるような論客が日本にいるのだろうかというと少ないように思える。そういう批評家が多くなれば確かに日本をよくするためにも一つのカンフル剤とも言えるし、それに私たちにも考えさせることのできる手助けになる論客が増えればいいと私は思う。
批判したうえで「ではどうすればいいのか?」というのが日本をよくする一つのフレーズではなかろうか。
いよいよ麻生内閣の船出が始まるが、首相をはじめとした閣僚は低迷しつつある経済政策をどう盛り上げていくのだろうか注目である。それと同時に解散総選挙はいつになるのだろうかというのも見定めなくてはいけない(もうそろそろかもしれないが)。

つなげる力

つなげる力 つなげる力
藤原 和博

文藝春秋  2008-09-10
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本書は橋下大阪府政の教育特別顧問に就任した藤原和博氏が「夜スペ」など行った教育改革について書かれている。ニュースなどで教育学者や組合などが批判した「夜スペ」であるが自分もあまりよくわからなかったのでこれも同時に見てみようという思いで読んだ。
まず第1章は地域改革、そして学校改革について書かれている。実際これについてはマクロな改革ではあるが非常に面白い。とりわけ「失敗を許す寛容さ」というのは今の教育にかけているのではないだろうか。むしろ「失敗を許さない」という狭量さが日本の教育をつぶしているような気がしてならない。
第2章はいよいよ藤原氏が提唱した教育体系の全貌について書かれている。悪妙高き「夜スペ」というイメージを刷り込まれていただけに本書で払拭したかったのだが、まさに完全払拭に至ったといってもいい。これはまさに全国で実践すべきものである。実際藤原氏が行ったものは中学校3年間における地域学習の一環であったが、これがはまっているように思えてならない。むしろ日本の教育は学校や日教組主導で行われているが本当の教育は地域が一体となって子供を育てることこそ日本の教育の在り方であるが、戦後そういう概念が希薄化しているように思えてならない。もっと言うと今はモンスター・ペアレントの急増によってそれの在り方についても問われなければならないところまで来ているのだが日教組や文科省はほとんど何も行っていない。むしろ目先の統計にこだわりすぎているような感じがしてならない。さらに言うとイギリス式やフィンランド式にこだわりすぎていて日本独自の教育の在り方を見失っているとしか言いようがない。そして生徒と向き合う時間を邪魔する悪弊を取り除いたということも著者の功績と言えよう。さらに著者はこう述べている、
「マスコミの一時期の集中砲火や不勉強な物言いが、このような生徒を育ててくれるなら、もっとたたかれてもいいなとさえ思ってくる」
皮肉とも見て取れるような記述だが、でも私のような人でも批判は多く言うし皮肉もたまには言う。しかしある事象を糾弾するものもあるが、中には風穴として改善策はこうではないのかというものを出すこともある。それが助力になるのであればいいと思うが、あくまで私は「書き捨て屋」といういかにもおめでたいような身分なのでそういうことを言っても無視してくださいとしか言いようがない。
第3章は「正解のない問題に取り組む」。PISAのリテラシーについてここで述べられている。現在の日本の教育がこのリテラシーに反映しているのかというとほとんど当てはまらないと言っていい。日本の教育は討論や作文は行うにしてもわずかしか行われない。ほとんどは公式や読解力を磨く、そしてテスト行うということだけであろう。でも本当の「教育」というのはそれではほとんど役に立たない。今まで貯め込んだ情報をいかに使い考えていくかということが求められている。現在の日本の教育はそれが大きく欠落しているといってもいい。小学校から高校までの期間の中で上に行けばいくほど欠落しているのが目に見えて出てくる。なぜかというと「受験」があるからだ。
第4章は欠落した「情報編集力」をどう磨いたらいいだろうかという方法を伝授している。これはまさに体系的で面白かった。なんといっても「負の体験をおそれるな!」は非常に強く共感した。負の体験があるからでこそ成功がある。成功を成し遂げるためにはどれだけ多くの失敗を積むことができるのか、そしてその失敗をどのように利用するのかに限る。これこそ教育を行うにあたっての原点と言えよう。
第5章は「子供たちと世界をつなげる」であるが、現在の日本の教育方針からして世界につなげられるのだろうかというと残念ながらつなげられないだろう。ただし全くないというわけではないが、学んだ者のほとんどが実社会で役に立たないというのが現状である。では社会に出るにあたっての教育というのは実際にあるコト(もしくはモノ)を考える、そして意見をする、紙に書いて主張するということが大事になってくる。そうなるとそれを行えるのは論文であったり、作文であったり、感想文であったり、主張する出言うと弁論大会や討論と言ったところだろう。でもそれを行うことによって考える力というのが身に付けられる。本書に書かれている検定試験や作文問題はぜひやってみたらいいかもしれない。私たち大人だったらどんな答えを出すのだろうか。
第6・7章はビジネス論であるが実際の社会においてビジネス本がよく出ているが学校でこういった教育を行って土壌を築かせるというのもいいかもしれない。
迷宮入りしつつある日本の教育の在り方に一つの光明が見えた1冊である。大阪は全国学力テストで下位に沈んだが著者を特別顧問に就いたことによりどのような効果が表れるのか見物である。

弾言 成功する人生とバランスシートの使い方

弾言 成功する人生とバランスシートの使い方 弾言 成功する人生とバランスシートの使い方
小飼 弾 山路 達也

アスペクト  2008-09-25
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本書はアルファブロガーでおなじみの小飼弾氏の新刊で小飼氏が得てきた知恵とスキルの得方の成功術を書いた1冊である。
本書はヒト・モノ・カネの3つに分かれているがヒトについてはさらに2つに分けられている。それぞれについて弾言を述べている。
まずは第1章。ワーキングプアについて論じているがこれについては少し異論がある。ワーキングプアは自分の時間を安売りしていると書かれているが、お金をもうけるのに自分の時間を回すことができるのかというと難しいところがある。とはいえ考える時間がなくなるほど働かなければならない現実というのも何とかしなければならない。さてここで注目の弾言を一つ、
「多くの人が金持ちを目指すことは、社会全体を健全にする」
これは両義的な解釈ができる。というのはまず全員がお金持ちを目指す。地位や名誉を目指して高みを望むということは当然意識的な向上に役立つことが可能である。当然それによって日本経済の活性化にもつながる。しかし逆に「お金持ちを目指すこと=社会の健全化」と邪推かもしれないが個人主義的に見えてしまうのは否めない。自分が金持ちにさえよければということになってしまうと日本全体が自己中心的、または欺瞞に満ちた国になってしまうのではないだろうか。そして1章の最後には「ブログは最強の最強ツール」と題しているところはあるがこれはまさにその通りといってもいい。ブログの投稿に対して批判的な記事も中にはある。おそらくこれ自体は言論の自由の公序良俗に関することかもしれない。でもものは使いようでブログをアウトプットの道具として使えばこれ以上ないものになる。さらに投稿ボタンを押しただけで全世界に流れるわけであるから当然それに対するコメントも返されるので「インプット」「アウトプット」の両方の観点から見ても非常にいい道具である。
第2章はカネである。前半の部分は逆説的なバランスシートの読み方のようで面白かった。後半は打って変わって気になるところがいくつかある。まずは「少子高齢化」であるが、ここで弾言。
「世界人口は、間もなく減少に向かい始める」
国連の人口予測を参照しながら書かれているが、もう一つ要因がある。それは「食料問題の深刻化」の観点から見ても言えるのではないかと私は思う。まだ私の所にはデータはない者の食糧危機に関する文献は多い。食糧危機というのは深刻化しておりそれにより餓死者が急激に増加し、世界の人口減少に拍車をかけるという構図になる。そうなるとこの弾言はほぼ確証といってもいいのではと私は思う。
第3章はヒトの第2弾である。これは著者自身の中国に関する体験談について「カネをよく理解している中国人」と題して書かれている。もともと中国という国の量刑裁判というのは賄賂次第ということがあげられるがそれの関連性というのが少し気になるところである。金をもうけることがうまいのだろうか、それとも金に汚いのかというのも考えられる。
第4章はモノである。ここで言うモノというのは「資源」であるがここで弾言。
「文明崩壊は資源枯渇によって起こる」
簡単にでは日本はもうダメだなという解釈にもなる。
それともうひとつ「太陽エネルギーの効率利用」について書かれていたが私自身もこれについてはやったほうがいいと思っている。現にそれについては日本が最も進んでいるためこれについてイニシアチブをとればまだまだ日本は環境対策に関してリードできる要因が作れるのである。しかし太陽エネルギーは物価高の影響は受けていないにしてもまだまだコストがかかるというのが実情である。しかしずっと使えばコストパフォーマンスによって相殺される。もっと言えば最大の利益を生み出すのではないかと思えてならない。
本書についての率直な感想ではあるが、半分共感できて半分疑問に思えた。最後の結論もここまできてのことがすべて洗いざらい流れたような感じもした。弾言は共感できる内容が多かったもののそれについて、では本当に成功できるのか、そして著者が言いたい主張は何なのかが見えてこなかった。ただ結論は見えてこない、問いかけであるとするならば1つのヒントとしてとらえてこれからどう本書を役に立たせるかという課題となった1冊であったと私は思う。

緊急地震速報―そのとき、あなたは、どうしますか?

緊急地震速報―そのとき、あなたは、どうしますか? (角川SSC新書) 緊急地震速報―そのとき、あなたは、どうしますか? (角川SSC新書)
渡辺 実

角川SSコミュニケーションズ  2008-09
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本書は緊急地震速報について書かれている1冊であるが、緊急地震速報ができて1年になるがそれに対しての効果はいまだに上がってこないというのが実情である。むしろその1年間の中で震度5弱以上の地震はあったものの地震が起きたときにこういう情報が流れてきたり、もっと言うと地震が起きた後に流れてきたというものまであった。緊急地震速報は本当に役にたつのかという疑いまで出てしまうが、東京大学大学院教授のジェームズ・ロバート・ゲラー教授の主張は当たっていると言っても過言ではない。彼はこの緊急地震速報に対して否定的であった。それよりも気象対策はまだまだやれることはあるはずだと説いた論者であるがまさにその通りといっても過言ではない。それに自信に対する日本人の耐性はでき始めている。阪神淡路大震災の教訓がこの13年もの間しっかりと生きている証拠にある。もっと言うとその教訓があったからでこそ1999年の台湾中部地震や2004年のスマトラ沖地震においての災害派遣は大いに役に立ち国際的にもそのことに関して評価されたのは言うまでもない。
日本の自衛隊の在り方と少しリンクする部分はあるが、現在憲法9条というのがネックとなって「集団的自衛権」というのが議論の的になっている。さらにイラク派遣について反対論者も後を絶たない。では自衛隊の今の在り方とは何なのかということになる。私は後方支援はあってもいいし、武力はあってもいい。しかし憲法9条が担保されたとしても自衛隊は解散するべきではないというのが私の意見である。自衛隊がいなかったら誰が災害救助を行うのか、災害においての非常訓練を行っている自衛隊しかいないのではなかろうか。もっと言ったら憲法9条を盾にして災害による被害者を見殺しにしていいのかと問いたくもなる。
極論ではあるものの自衛隊の意義というのは自衛だけにとどまらない議論というのは不可欠である。例えば災害が起こった時に陸上自衛隊を派遣することによって多くの命が助かるということも日本における国際貢献の在り方の一つではないだろうかと私は思う。

中国地球人類の難題

中国 地球人類の難題 中国 地球人類の難題
井沢 元彦

小学館  2007-12
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本書の著者は「逆説の日本史」で知られる井沢元彦氏。その井沢氏がこれほどまでに中国を批判、そして靖国神社の逆説だけではなく、中国はなぜ反日になったのかということを元中国共産主義青年団の鳴霞氏との対話で明らかにし、とどめは台湾問題で台湾元総統の李登輝氏との対談を載せている。単なる中国批判と言うと大間違いであり中国を批判しながらも、台湾に目を向けているだけでもすごいというしか言いようがない。書評をやる私でさえこれほど唸る1冊はない。
さて第1章ではすでに終わった北京オリンピックについて書かれている。実際に開会式をボイコットした国はいくつかあるようだが、媚中の首相は開会式には出た模様である。著者も石原都知事の見解と同じくこの北京オリンピックはヒトラーを掲揚したベルリンオリンピックと同じであると。そしてその北京オリンピックをやるにあたってチベットやウイグルの人たちの虐殺をやめろということを著者だけではなく多くの論客が再三言ってきている。しかし北京オリンピックは開かれ、しかもその期間中にはダライ・ラマ十四世猊下の会見によるとチベット人143人が虐殺されるということも起っている。一応終わったのだがこれを野放しにしていた中国当局、そしてそれを見過ごしていたIOCの責任は大きい。IOCは中国の環境問題と人権問題に憂慮していくつか条件を突きつけてきたのだが、それについてやると明言してもやらないのが中国共産党のあくどい所である。しかし中国の悪口を言うのは良いが、だから中国は嫌いだ、なくなってしまえというのは暴論であると著者は断じている。私もそう思う。中国がこのようになったほとんどの原因は中国共産党にある。共産党がなくなり、反日を唱えるような洗脳教育がなくなれば、中国に対して見直せる機会になれると私は思う。ただ反日運動を続ける理由というのも中国側にはあり、中国共産党の中でも3つの派閥の争いがあるという。これは「中国問題の内幕」で詳しく書いてあるのでそこで参照するといいだろう。ちなみに第1章の終りにはワシントンで「北京五輪反対」の急先鋒となったトム・ラントス氏、トム・タンクレド氏との対談に加え、昨年話題となった「慰安婦決議」。本書はそれの撤回要請書が盛り込まれている。この内容については残念ながら「全くその通り。全て共感」と言いざるを得ない。そう考えると日系三世であるマイク・ホンダはどういう神経で書いていたのだろうか。
第2章はその中国共産党に媚びる者たちへの批判について書かれている。中国に媚びるというと福田首相をはじめとした自民党リベラル、社民党・共産党の左翼勢力などがいる。私は中国共産党のことを蛇蝎のごとく嫌っているのでそれには当たらないが。著者がYKKや大橋巨泉を名指しで批判しているところはなかなかに面白かった。本書ではこういうことが書かれている。
「もちろん悪いのは中国共産党であって、一般の中国人はむしろ被害者かもしれない」
確かにその通りかもしれない。というのは中国は何回も王朝が変わってはその圧政の中で一般国民はひどい扱いを受けてきた。またその王朝に沿った洗脳教育まで受けてきた。民衆レベルで考えれば中国というのはいい国、いい民族かもしれない。それの証拠となったのが満州・台湾への移民である。戦前日本は台湾を植民地として、満州を独立国として多大な投資を行った。それまで台湾も満州も多くの民族が住んでおり、力でもって支配してきたと言ってもいいほどであった。しかし日本はそれを排除する代わりにインフラなどの整備に多くの金をつぎ込み治安は非常に良くなった。それを目指して満州へは約百万人もの移民が殺到したというエピソードも残っている。しかし私はまた日本が中国を支配しろとはいっていない。中国人はもともとのアイデンティティで反日を植えつけられたわけではない。国家がそうさせてきた。国家が変わって反日をやめ、正しい歴史観や思想教育が施されれば中国というのは捨てがたい国となる。要は上層部の思想であろうか。
第3章は靖国問題である。これは1980年代に中曽根内閣の時からくすぶり始めていた。それまではA級戦犯合祀のために参拝するなというのは言われなかったし、もっと言うならば福田首相の父である福田赳夫も何度か靖国参拝を行っていた。なぜA級戦犯合祀のために参拝をやめろというのかという神経がよくわからない。そうであるならば岸信介を首相にするなとか、重光葵を外相にするななどという運動が起こるはずなのに。それに死者(英霊)を慰霊して何が悪いといいたい。犯罪者であろうとも死者を慰めるというのは日本の風習である。死者になっていても辱めるような風習を行っている国が批判するというのは失礼千万と言いざるを得ない。
最後には李登輝台湾元総統との対談である。ちょうど本書が発売されたときは李前総統が「180度転向する」という記事が出ていた時である。それについても言及していたが、何よりも日本の未来について、そして日本の首相(当時は安倍元首相の時)についても参事をしながら苦言を呈しているところはまさに李元総統というべきだろう。台湾を愛し、そして日本を愛する心があってこそこういった叱咤も清々しく思えてならない。

NHK改革

NHK改革 (創成社新書) NHK改革 (創成社新書)
高島 秀之

創成社  2008-08-25
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本書はNHKの在り方を批判しながらも改革への提言をしている1冊である。
ちなみに本書の著者は34年もの間NHKに勤めてからまた大学に転じたと言うのでNHKの畑にどっぷりとつかった人であるが、著者自身はNHKについて語る資格はないと言っているが、むしろ著者だからでこそ語れることがあるのでむしろありがたいと私は思う。
まず第1章は「NHKと政治」を題してNHKと政治との距離について書かれているがここでは「「ETV2001」番組改編問題」について取り上げたい。問題となった「ETV2001」は「従軍慰安婦」など戦争における性犯罪問題について取り上げられた。ちなみにこれにあたっての素材となったのが2000年12月8〜12日に行われた「女性国際戦犯法廷」というのが行われた。実際これ自体は事後法で裁いているだけにとどまらず、さらに被告25人は昭和天皇は東条英機などの軍指導者は全員亡くなっており、しかも法廷としては常識とも言うべき弁護人がいないという一方的に裁いたというとんでもない法廷であった。ちなみに朝日新聞はこの法廷に関する供述や証拠などを連日報道したことでも知られている。もっと言うとこの主催者の1人に朝日新聞の元編集委員がいたことからこうなったのであろう。問題となったのはこの「ETV2001」の番組ではNHKのプロデューサーが取材を行い、しかも主催者の意見をそのまま取り込んで番組を編成したことにある。これは批判的・両義的側面から番組を編成するに当たってあるまじきことであるが、NHKはそれについての贖罪意識というのがないという表れなのかもしれない。ちなみにこの番組については安倍前首相や中川昭一氏がこれについて「内容に偏りがある」とした指摘をした。しかし朝日新聞はこれを「圧力」と歪曲し報道したことから問題となった。後に訴訟となり最高裁まで続いたが結果的にNHK側の勝訴であった。これについて週刊朝日でジャーナリストの田原総一朗氏や新聞赤旗で東京大学大学院教授がそれについて「最悪の判決である」や「言論の自由を侵害している」という声が強かった。実際に判決の内容については私は読んだことはないのだが、取材の手法を見たら不十分ということと圧力が認められなかったという。これについては朝日を除いた各紙もそれにおおむね賛同している。しかし朝日だけは社説などで批判的に取り扱われている。新聞のことについてはこれまでにする。
第2・4・5章については受信料制度と各国の公共放送との比較について書かれている。公共放送の受信料について各国との違いというのは日本では罰則がつかないというところにある。しかし最近では簡易裁判にかけられることもしばしばあるという。それに比べてほかの国では罰則を設けている国もある。そこでは支払い率は約90%以上に達しているところが軒並みある。それともう一つが受信料収入が全体の数割にしか至っていないところにあるという。総務省のデータであるが日本では収入の約96%が受信料で賄われているという(ただこれについては疑わしいところもあるが)。
NHKは唯一広告収入に頼らず受信料などで賄われている放送局である。当然国民から受信料としてもらっているため国民のために、そして国のためにどうあるべきかというところを考えてほしいと言いたいところだが、まずそれをやる前に内部腐敗について食い止めてほしいところが強い。というのは今年の1月にNHKの職員のインサイダー取引が発覚したことやそれだけではなくNHKの職員による犯罪も後が立たないというところである。NHKだけではなくてもみんなやっているのではないかという言い訳も出てくるようだが、NHKほど国民に受信料という名の収入をもらっていることでの責任というのは大きい。そういうところを考えると、誰でも同じではなくNHKだからでこそという独自の色(但し良い意味で)を出すことが一つ。そして国民に対してためになる放送の在り方を見直すべきというところが一つである。とはいえNHKにはそういった事情能力というのがあるかというと疑わしいところもある。そう考えるとNHK改革を提言しても無駄ではないのかという絶望感でさえて漂ってしまう。誰か本当に改革できる人がいればいいのだが。

仕事の9割は声で決まる!

仕事の9割は声で決まる! 仕事の9割は声で決まる!
谷川 須佐雄

青春出版社  2006-07-25
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上司との対話、会議、プレゼン、そして顧客先との交渉。仕事というのは単にデスクワークでやればいいというものではない。当然会話も仕事のうちである。しかし世の社会人は話すこともおろかまともにしゃべることがない、または会話に自信がないという人が多くなっているのも事実である。当然仕事上ではコミュニケーション力がものをいう。仕事に関する本もコミュニケーション法に関するものが乱舞している。
本書はそういったコミュニケーション術とは一線を画している。仕事のほとんどが声で決まるという見るも不思議な1冊である。
ちなみに本書の著者は声楽を専攻しており、バリトンの歌手としても活躍している。一方ではボイストレーナーとして、交渉の理論や発声法などの研究も行っているという。
さて、「仕事=声」の理論についてみてみよう。
第1章では上記に至った理由について書かれている。確かにプレゼンでは声のメリハリ、緩急のあった人の印象が強い。どのように論理的で納得のいく説明があっても単調な話し方ではあまり聞いてくれないのがオチだという。しかしそれではなく強調したいところを見つけてそこだというところで声のトーンを上げていく。当然話し方も強調したいところにめがけてゆっくりとなる。まるで1曲の音楽を奏でるようなものだろうか。私自身そう思えてならない。そして交渉事も声で決まるという。ここぞという時には感情表現と論理表現のシフトチェンジが大事であり、そして場面状況に応じて声のトーンも変えていくことも大事である。言葉にはTPOが大事である如く、声のトーンにもTPOは大事である。論理力ばかり叫ばれる世の中だからでこそ、こういう意見も重宝されると私は思う。もっと言うならば演劇部や合唱部みたいに発声練習をしたり、日ごろからJ-POP以外にもクラシックを聴いたりしてそういう素養を身につけるのも、1つの方法と言えるだろう。
第2章では「「交渉力」と「声」」。これも第1章で述べたような論理力などの小手先なものよりも、声で引っ張って行けということを言っている。まず著者は「ビジネス・コミュニケーションとは、100%交渉である」と主張している。確かに会議や顧客のとの折衝では交渉のイメージは強い。当然上司との会話も交渉に入る。100%と言い切るのはちょっと難しいが確かにその通りかもしれない。ではその交渉力を磨いていくにはどうすればいいかというと「声」であるという。「声」にも感情的、論理的、そして攻撃的の3つの要素があるという。それの場合の使い分けによって交渉力を磨いていくということである。ちなみに本書では「じゃんけん」になぞらえているところが実にユニークである。交渉は「じゃんけん」のように3つに使い分けて話せと。
第3章はそんな声をどのようにして鍛えたらいいのかという所であるが、発声練習の教科書という感覚で読めばいいかもしれない。実際この章は論じるよりもやってみることがすべてである。
第4章はケーススタディである。相手に意見を言うとき、行動させるとき、自分を売るとき、理解してもらう時の4つのケースに分けて紹介している。これはあくまで例示と言ったほうがいいだろう。でもそういうことを実践してこそ価値があるので本書を参考にして積極的に取り組むことこそである。
第5章は今度は逆に相手の声を見抜くことである。いくつかのタイプがあるがどのような特徴かを紹介している。
そして第6章ではこの声を使って仕事を成功する8つの極意である。8つの極意は「自分のブランドと声を一致させる」「声で役割分担させる」「意外な声を出す」「ハッタリを言う」「あえて弱気を見せる」「わざとモゴモゴする」「沈黙を使う」そして「とにかくいい声を出す」である。
仕事法の本については私自身それほど読まず、あまりブログにもUPすることはなかったが、本書ほど面白い1冊はなかったと言ってもいい。通常コミュニケーション本であったり、交渉術の本はよく論理的に考えろという文言が多かったり、相手の立場で話せ、聞けということも多かった。本書はそういったことをひとまずは排除し、声のトーンで勝負しろという考え方は共感を呼んだ。人をひきつけるのは第1印象はやはり見た目であるが、第2印象は声のトーンなどの話し方によって人の見る目が変わってきたりもする。そう考えるとこういった本がそれほど多くなくともあればいいと私は思う。

プレカリアート

プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y) プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)
雨宮 処凛

洋泉社  2007-10
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「プレカリアート」というのは日本全体にとって深刻な問題としてとらえなければならないことである。団塊の世代がリタイアして、これからの日本の経済を担うのは我々の世代となる。当然上の世代を養う立場にもなる。その世代が今貧困問題に直面している。さらにもっと言うと若者世代の消費の硬直化も問題視されているが、私はこれは当然のことだと思う。後期高齢者医療制度は廃止論の声が強まり舛添厚労相も廃止を示唆しているほどである。民主党はいち早く廃止論の動きを見せていたが、廃止してから後期高齢者の方々への医療費の財源をどうするのかというところがほとんどなかった。いったいどこから財源をもってくるのだろうかというところが疑わしい。
本題に戻す。本書は「プレカリアート」という不安定な生活を強いられている非正規雇用者にスポットを当てている。著者自身もその運動のカリスマ的存在であり多くの番組や論壇でその現状を訴えている。私もこの問題については改善策について最も策し、政府に対して訴える所存である(私の力だけでどうなるようなものではないのだが)。
第1章はプレカリアートが急激に増えた要因であるが、私は一つには「失われた十年」との因果関係が強いという考えをもっている。というのは企業倒産や大規模なリストラ、そして就職超氷河期時代と言った正社員から外れてしまった人が出てきてしまったのではと推測する。本書もそれに似たような主張があり、その証拠としてバブル崩壊ごろからフリーターの人口が右肩上がりとなった。ちなみにもっと言うと「失われた十年」から脱した今でも増え続けているが、それについて否定的な論者もいる(第4章で言う「自己責任論」を唱えている人達である)。その理由は「好きで非正規雇用者になっているだろう」ということ。その理由も捨てきれない。しかし非正規雇用者の大部分は好きで非正規雇用になったのではない。このことを肝に銘じてほしいとも思った。さらには正社員でもまさに地獄絵図のような窮状について書かれていたところも背筋の凍えるような思いであった。
第2章はひそかに問題化している「貧困ビジネス」に関してである。若者だけではなく貧困の人たちの住まいなどを提供するが1度家賃を滞納してしまっただけで追い出されたということをTVで見たことがある。しかも荷物を持っていくことができずに没収されたような感じで。こういった貧困社を対象にしたビジネスが蔓延っている。また本書に書かれているように多重債務を背負わされた例もある。憲法25条で「生存権」が担保されているが、最高裁の判例によると「プログラム規定説」で担保されないという解釈がある(例えば朝日訴訟や堀木訴訟がそれにあたる)。憲法25条で明文化されている以上、生存権の在り方についての再考もやらなければいけないが、いかんせん政府は財政政策におけることに目がいきすぎているようで、こういった政策がなされていないというのが現状である。
第3・4章はプレカリアート達の叫びに関してである。著者か書かれた本の1つである「生きさせろ!」の如く、生活に関して最低限の担保を求めるデモが増えている。またさらに若者を中心に小林多喜二の「蟹工船」がブームとなっている。「蟹工船」に関しては以前の書評にて取り扱っているのでそちらを参照していただきたい。しかしそのデモも本書ではそういう要求しただけで逮捕されるといったことも起ったという。非正規雇用者は団体交渉権という権利がまかり通らない現状であった。労働法やILOによる条約で担保されているのかというのを調べる必要はあるが、もしこれに関して担保されていないのであれば憲法改正の一部に盛り込むか、もしくは労働法の改正を訴えるかしたほうがいいかもしれない。もし明文化していたらなぜこれが担保されないのかという訴えも起こしたほうがいいかもしれない。
第5章では就職氷河期世代の座談会、そして第6章では石原慎太郎東京都知事の対談が書かれている。第5章は本当にすごい対談であったし、第6章は若者たちと政府、そしてその上の世代の考えというものが同時に聞けて良かった。
最後になるがこのプレカリアート問題を解決するのは政府も行わなければいけないことだが、それと同時に財界もそれを重く見ていかないといけないのではないだろうか。これから労働の中心に立つのが若者の世代と考えると子のような窮状を野放しにして言ったら必ず日本経済に恐ろしいツケとなって返ってくる。そのことを認識したうえでの若者に対しての改革を為さなければ日本は必ず破綻する。私はこう訴えたい。

ブログ論壇の誕生

ブログ論壇の誕生 (文春新書) ブログ論壇の誕生 (文春新書)
佐々木 俊尚

文藝春秋  2008-09
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ここ最近はそれほど多くは話題となっていないもののブログを通じて時事的なことについて活発な主張や議論が多い。また私みたいなブログを通じて書評を行っているところもある。本書はそういった「ブログ論壇」についてどのような影響を及ぼしているのかというところについて書かれている。
最初はブログ論壇についてあるものと似ているところを突いている。十八世紀のイギリスのコーヒーハウスやフランスのカフェ、サロンでの討論から論じている。私はそれに似ていると思うが、今のブログ論壇とはっきり違うところがエリートに限られていたという。ブログはそれがなくてもだれでも論じることが可能である。これについては少し興味深いので、関連するところと相違なところの詳細も見てみたいところである。
第1部は「ブログ論壇はマスコミを揺さぶる」として、第1章は「毎日新聞低俗記事事件」、第2章は「あらたにす」と言った新聞記事が最初に入る。まず第1章の「毎日新聞低俗記事事件」は新聞やニュースではそれほど大きく取り上げられていなかったがブログ界では議論の的となった。マス・メディアとインターネットによる対立が顕著に表れたと言う。事実マス・メディアとインターネットのいがみ合いというのは今に始まったことではない。マス・メディアはインターネットのことについての批判が殺到する、それとは逆にインターネットはメディアへの非難というのが後を絶たない。ネットの世界で様々なことを論じている私だが、僭越ながら主張するが私はどっちもどっちであると思う。マス・メディアは当然インターネットの世界を悪と捉える。さらに悪いことに様々な軋轢や感傷により事実が歪曲されて報道してしまうという特徴がある。一方インターネットは活発に議論を行えるところや軋轢や干渉にはそれほど影響は受けない。しかしその反面、議論が感情的になりやすく反対意見を誹謗中傷での排除が出てくることもまた事実である。それぞれのいいところ・悪いところを見ていくとどっちもどっちではと私は思ってしまう。新聞はそれぞれの独自性によってどのようにして報道するのかというのが面白い。しかしそういうものもある談合まがいによって消されているのも悲しきかなある。それが「あらたにす」である。あるコラムニストでは利権談合の象徴とまで言っている。私は半分その通りと言えようが、しかし金に関することは一寸疑わしい気がする。というのは「あらたにす」というのは「読み比べ」という印象が強いが、実際はその新聞の均一性ばかりが目立ってしまった、露呈しまったような気がしてならない。第3章は「ウィキペディア」についてだが、知識の共有化として画期的なメディアであるが、これについて昨年こういうことが起こった。官公庁やNHKがウィキペディアの記事を書きこんでいた(「改竄した」というべきか)ということが発覚したという。ウィキペディアについて批判する論者もいるが、実際これについては私は本当にウィキペディアを見たうえで論じているのかと疑わしくなる。しかし本書ではこういうセリフが引用されている。
「正義の反対は悪ではなく、また別の正義(P,54より)」
後に語るが、光市母子殺害事件のことにも通底して言えることではないだろうか。
第2部は「ブログ論壇は政治を動かす」として第4章「チベット問題で激突するウヨとサヨ」、第5章は「「小沢の走狗」となったニコニコ動画」、第6章は「志位和夫の国会質問」、第7章は「安倍の窮地に暗躍した広告ロボット」で構成されている。これにまつわることで本書で書かれていなかったが、アメリカ大統領選の民主党予備選挙にてオバマとヒラリーの戦いについてYouTubeが大いに使われたという。日本ではこういうことは公職選挙法によりできないがある程度インターネットを使うことができるようにはなったがまだ不十分としか言えない。しかし非公認や勝手モノとしてであればすでに選挙や政治において影響を及ぼしていることも事実である。小沢一郎がニコニコ動画にUPしたことでコメントが炎上した。ニコニコ動画についてはひそかにではあるが民主党の石井一参議院議員が昨年10月に公明党のP献金についての質問の動画が多数UPされて話題となった。真相のほどは不明であるが公明党の実態が露呈したとして多くの意見が寄せられたことも窺える。そしてもうひとつがこれは私も知らなかったことだが今年の2月8日おける日本共産党委員長の志位和夫氏が格差問題1点に絞って首相を追及したところが話題となったという。そう考えるとこれも今年共産党の党員となった人が1万人に達した一因ではないだろうか。そして第7章ではもしかして「アサヒる」や「アベする」と言ったことなのかなと思ったのだがそれとは逆に、自民党がインターネット戦略を行っていたところであった。ちなみに前者は朝日新聞や安倍首相に対するネガティブキャンペーンであったということは捨てきれない。最近アフィリエイトを利用して金もうけに走っている人もいる。当然成功例として「月何百万」や「年数千万」稼いだという本やサイトが所狭しとある。しかしその内容は私は見たことがないのだが、それに関してのコメントや販売をひきつけるものが明でも暗でも書かれているようなイメージがある。でもそれでいいのかという私も疑い深くなってしまう。そう批判する私もアフィリエイトに加入しているが、あくまで書籍を紹介しながら主張しているだけであっても受けそのものが目的ではない。それでたまたま儲けたというならばこれ以上の話はないが。
第3部は「ブログ論壇は格差社会に苦悩する」と題して、第8章「辛抱を説く段階への猛反発」、第9章「トリアージ」、第10章「承認という問題」、第11章「ケータイが生み出す新たなネット論壇世界」で構成されている。ブログ論壇の中心にいる人たちの世代はちょうど格差問題の惨禍にいる人たち、いわゆる「ロストジェネレーション世代」である。当然格差問題に関してブログを通じて窮状を訴えるというものが少なくない。私も貧困にあえいでいないのだがこういったワーキングプアやプレカリアートの現状を知ることとなったきっかけでそれについて訴えている。現にいくつかの文献でそうしている。しかし団塊の世代はそういったことを迎合していない、むしろ敵視している風潮にある。例えば日経ビジネスオンラインは私もよく見るが、本書でも書かれていたように大学教授が格差社会に対して「若者は我慢が足りない」という「俗流論」で切って捨てたが、それに関して2ちゃんねるで炎上したというエピソードがあった。日経ビジネスオンラインはこういった俗流論を切って捨てる風潮にある。例えば「中国動漫新人類」に関しては私は好意的に読んでいたのだが、毎号のコメント欄には俗流論の如く切って捨てるようなコメントがたくさんあったことは記憶に残っている。インターネット外もさることながら、インターネット上でもこういった世代間の対立というのもはっきりと出ている。そしてもうひとつ秋葉原連続殺人事件について「自分は承認されていない」ということについて書かれていたが、これは11章のことについてもよく似ていると私は思う。インターネットという会話を介さずに活字でのメディアであるがそこの中でもコミュニケーションというのは存在する。これとちょっと関係するのでマザー・テレサの名言がある。
「この世で最大の不幸は戦争や貧困などではない。寧ろそれによって見放され、“自分は誰からも必要とされていない”と感じる事。」
ブログにてつながりを過剰に意識したがることや、秋葉原の連続殺人事件に関しての供述に関してこの言葉が重くのしかかるのではないのだろうか。リアルだけではなくこういったインターネットの世界でも言えると私は思う。
第4部は「ブログ論壇はどこへ向かうのか」と題して、第12章「『JJ』モデルブログ」、第13章「光市「1.5人」発言」、第14章「青少年ネット規制法」、第15章「「ブログ限界論」を超えて」で構成されている。さて光市母子殺害事件についてであるが本書では「1.5人発言」について取り上げられたが、第2部で「チベット問題に対する見解」を取り上げられたように光市母子殺害事件についても見解が割れている。とりわけ橋下弁護士(現大阪府知事)による懲戒請求煽動問題がその最たる例であった。私もこれについていくつか主張してきたが炎上したこともあった。その中での反対意見も賛同意見もあるのだが、事実懲戒請求についてこれほど注目されたことはなく、弁護士の行動によって一般国民が告発のために使う切り札を紹介してくれたという側面のほうが大きいように思えた。こういうことによりネットの世界というのは議論の場という意義が非常に大きくなった要因の一つではなかろうかとも思う。
ブログをはじめインターネットというのはメディアを凌駕する勢いで伸びていることは事実である。しかし公序良俗の側面から見直すべきところはたくさんあるというのは否めない。とはいえ一大メディアとして本日行われる自民党総裁選や近いうちに行われるであろう衆議院総選挙に何らかの影響を及ぼすということは事実として言える。そして世代間の対立、メディア間の対立というのが浮き彫りとなったのだが、それを否定するばかりでなくこれからどうすればいいのかというところから再考するのも一つの手段ではなかろうか。ネットというのはまだまだ可能性を秘めている。
巻末には著者注目のブロガーリストが載せられている。ここに載せられているということはやはりこれらのブログには魅力というのがあるのではないのかと思う。

業界分析 組織の経済学

業界分析 組織の経済学―新制度派経済学の応用 業界分析 組織の経済学―新制度派経済学の応用
菊澤 研宗

中央経済社  2006-08
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新制度経済学の応用として様々な業界はこの新制度経済学的にどのようであるかを考察した1冊である。
のちの書評のために第1章は特に挙げておかないといけない。
第1章は「マス・メディアの比較制度分析」という名であるが、ここでは「新聞」「テレビ」「インターネット」について分析している。新聞は時事的なものにまつわることについての情報量が膨大であるが速報性に大きく劣り、最近では歪曲されやすくなっている。インターネット影響も一つの要因のように思えるが新聞の販売部数も軒並み減っている。「新聞を読んで世の中をよく知れ」と言われるが最近ではインターネットのニュースの質が大きく上がっているせいかそれに対する信頼感が薄れている。新聞によっての報道の仕方の違いを見るために読み比べるのはいいかもしれない。むしろ新聞を購買のための文句として「少しは新聞を読んで、新聞社の悪口1つ言えるようにしろ」と言ったらどうだろう。一方テレビは速報性に優れている、その一方で感情的になりやすく一種のカルトのようになりやすくなる影響もある。さらにここ最近伸びているインターネットは速報性はテレビに劣るものの優れている。客観性も新聞ほどではないものの優れている。新聞とテレビの間の役割と言いたいところだが、内容の質で言うとインターネット全体で考えると難しいが、個別で見ると新聞やテレビよりも質のいいものもあるがそれよりひどく劣るものもある。質を考えるとピンからキリまである。ただしインターネットは新聞やテレビにはない強さがある。それは時事的なことについて感想を述べることができ、それを共有することができる。インプット・アウトプット的な役割両方持つことができる画期的なものである。それにより新聞離れ・テレビ離れが起こっており、両メディアはインターネットを適していることも事実である。本書での結論としてはまだ棲み分けができていないというところである。テレビとインターネットの境界であるが今はできていないとあるが、ネットはできてまだ間もないメディアであり、どの位置付けが正しいかもまだ分かっていない。しかし逆を言えばインターネットにはまだまだ無限の可能性を秘めているといってもいい。新聞やテレビを完全に飲み込んで1つのメディアとするのだろうか、あるいはどちらにも属さない独立したメディアになるのか、まだそれを解明するのには時間がかかるだろう。

おまけより割引してほしい

おまけより割引してほしい―値ごろ感の経済心理学 (ちくま新書) おまけより割引してほしい―値ごろ感の経済心理学 (ちくま新書)
徳田 賢二

筑摩書房  2006-11
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おまけというと何か自分でも喜べるものである。割引もおまけよりは劣るものの自分が得した感じになる。
それはさておき、本書は「経済心理学」の観点から日本人の消費者行動を考察している。まず最初に言及しているのが大学生の消費行動に関してである。高校生までは一応アルバイトはあり、小遣いももらうことがあり、そして実家で暮らしてお金は使い放題であったため遊ぶことに集中できた。しかし大学生になってからはそうはいかなくなる。親元を離れ一人暮らしを始める人が多い。まるで主婦の金銭感覚になったように割引の話になると敏感に飛びつき、そして食事や宴会の話ではしっかりと予算内に収める感覚をつけている。そのためか社会人になってから気分は浮つきながらでも金銭感覚はしっかりとした人が多いというのが実情といえる。
最近では原油高の高騰もあってさまざまなものが値上がりしてしまい、若者の財布の締め付けが主婦よりも厳しいものになっている。とはいえそれは私に言わせれば自然であると思う。私たちの世代はインフレというのを経験しておらず、物価の高騰というのは体験したことがなかった。金銭的な物心がついたときには「失われた10年」の真っ只中であり、デフレなどにより値上げという話はそれほど多く聞かなかった。しかし戦後最長の好景気(実感なき好景気)により経済も豊かになりつつあったときに、世界中で原油高の高騰が起こり、まずはガソリンの暴騰から始まり、それに連なって物価が上がり始めた。当然経済的に言うと値上がりしたのだから節約しようというのは悪循環とは言えど自然なことではないのだろうか。しかし2007年の中ごろにはアメリカでサブプライムローンの焦げ付き問題によりアメリカの経済は急激に減速した。当然日本もその余波を受け最長の好景気が終わりを告げ経済は減速した。しかし原油高は続き、物価の上昇も続いた。いわゆる「スタグフレーション」になったというわけである。
本書を見ると経済学にも種類があり、本書のような形は非常に我々の生活と密接に関係する。こういった経済学を勉強しこういった理論を踏まえたうえでどのような最適な行動を為して行くのかも一つの手段であるが、必ずそういう通りにはいかないと私は思う。しかし興味深さでいうとこういう方法もやってみたいものである。
さて気になるものというと第4章「ベストセラーの秘密」であるが、本が売れるというのにも理由がある。最近では勝間和代氏の本(近々発売するものもある)をはじめとしたビジネス本が密かな(?)ブームを巻き起こしている。そういった本を買うことにより自分の行動を見直し本としての価値が自分の行動によって決まるということであろうか。またそれに関連してかどうかは分からないが、東部ログみたいな書評ブログというのも増えてきている。中にはアフィリエイトで稼いだり、出版社の方々や著者に誘われて食事するといった人もいる。そうなると本を買う価値というのは実は昔と比べて高くなっているような気がするように思えるのは私だけであろうか。デモ本書はそこまで言及していなかったことが残念に思えてしまう。ベストセラー、書評ブログにおける経済学的な価値はどのように見出せるのだろうか。興味深いが誰かそのような本を書く人がいるのだろうか。

「失われた十年」は乗り越えられたか

「失われた十年」は乗り越えられたか―日本的経営の再検証 (中公新書) 「失われた十年」は乗り越えられたか―日本的経営の再検証 (中公新書)
下川 浩一

中央公論新社  2006-04
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1990年代前半にバブルが崩壊し、経済は長く減速した。奇しくもバブル時代後期に当時の「エコノミスト」の編集長であったビル・エモットが「日はまた沈む」を発売し、日本はこれから長い不況に陥るだろうと予言したが、まさにその通りの展開となった。それから北海道拓殖銀行や山一証券など大手企業が次々と倒産。倒産しなくても大規模なリストラにより、失業によって路頭に迷う労働者も急激に増えた。また就職事情も氷河期化してしまい、高校や大学を卒業しても就職できない人も多かった。その人たちは失われた十年を抜けた後も非正規雇用で苦しめられたり、ニートになったり、なってしまったりしている人も出てきた。そういうことから自己責任論で片付ける人もいるようだがそういう背景も考えていただきたいと思う。
さてこの失われた十年は日本の経済や企業全般にとって岐路に立たされた時期であったことには間違いない。その中でも企業経営はコーポレートガバナンス(企業統治)が叫ばれたり、杜撰であった海外労働力の争奪、そしてほぼ無計画に等しいリストラ。さらには保身に走ったようなコスト削減など枚挙に暇がない。当然日本には技術という武器はあるが企業経営に関して誇れるのはほんの数社くらいになってしまったことは悲しい話である。
失われた十年の後に待っていたのはM&Aである。特に敵対的なM&Aに成功したケースは日本では非常に少なく海外の企業は日本は保身に走っていると非難をしている。それが日本の体質だ伝統だといってしまえばそれまでであるが、そこまで迫られているのであればいっそのこと世界を喰ってしまえとも言いたくなるが、今の日本の体質から見るにそうできるように思えるのだろうかという疑いさえ出てくる。
余談であるが、先日リーマン・ブラザーズの倒産により世界中を震撼させた。しかし上武大学大学院の池田信夫教授によれば「失われた十年」にますます似てきたという。私も全くその通りと言いたい。日本では北海道拓殖銀行の破たんと山一証券の倒産があったのだから。そしてそれがそうであれば、おそらく近いうちにアメリカの金融は大再編するだろう。日本で起こった「金融ビッグバン」によく似たように。

「生きづらさ」について

「生きづらさ」について (光文社新書) 「生きづらさ」について (光文社新書)
萱野稔人 雨宮処凛

光文社  2008-07-17
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本書は雨宮氏と萱野氏が現在起こっている「生きづらさ」について対談したものである。「生きづらさ」というと本書では貧困(ワーキングプアやプレカリアート)、それによる若者の自殺の増加によるものである。とりわけ雨宮氏はそういった活動をいくつか起こしている。ちなみに途中では「右翼」と「左翼」の定義について対談しているが、巷では「ネトウヨ」など右翼的な論調で書く人もいる。それとは逆に左翼的論調で書く人もいる。そう考えると現在の論調は「右」か「左」かというのが顕著に表れている。しかも「左翼=売国奴」というイメージが右翼に多いが、少し右翼的な論調で書く私が書くのもおかしいが、右翼的にしろ左翼的にしろどちらにせよ国をどのようにしていきたいという方法が違うだけで、愛国心も国をよくしていきたいという思いはどちらも共通しているというところだけ一つ釘を刺しておく。
ワーキングプアなど現在の若者の貧困事情は深刻を極めている。それに団塊の世代が一線を引いたことにより労働状況が正規・非正規ともに過酷を極めている。さらにインフレも相まって若者がお金を使わないという状況が顕著になった。そういうと上の世代はもっと若者を金を使えと感情的になるが上の世代だって使っていない。上の世代ほどお金を持っているのにもかかわらず使わず若者に圧力をかけるというのは本末転倒ではなかろうか。使えという意見も経済の硬直化を防止するという観点では約には立つがそれは上の世代がイニシアチブをとらないと意味がないと私は思う。それによって若者世代の貧困も防止し、それで経済的循環がよくなれば一石二鳥ではなかろうか。

競争しても学力行き止まり

競争しても学力行き止まり イギリス教育の失敗とフィンランドの成功 (朝日選書 831) 競争しても学力行き止まり イギリス教育の失敗とフィンランドの成功 (朝日選書 831)
福田 誠治

朝日新聞社  2007-10-10
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昨年の4月に43年ぶりに「全国学力テスト」が再開された。学力の競争原理を身に付けさせるという目的で行っている。私はそれについては複雑な立場である。競争原理は必要不可欠であるが、それによって落ちこぼれをどうすればいいのか、そして学力格差で下に追いやられた学校はどのような立場はどうなるのかという心配もある。ちなみにこのような教育方法はイギリス型教育モデルであるという。
本書はいま日本が行っているイギリスの教育モデルの失敗を交えながら、フィンランド教育の良さをアピールしている。フィンランドは昨今の国際学力テストで1位となった国である。そこではどのような教育をされているのかも興味深い。
イギリスでも学力テストによる成果主義体系によるもので支えてきたが、成果主義に走るあまり学校側の成績水増しなどによる不正や学力ばかりが注視され学校としての在り方が崩れてしまった。それによりイギリスでは年間12万人が基礎学力なしに学校を卒業したとも言われている。それだけではないのだがイギリスの教育モデルはすでに破たんしていると著者は主張している。
さてフィンランドでは何をやっているのかというとテストはほとんど行わず、お互いにわかるまで授業を行うスタイルをとっている。いわゆる「新自由主義」である。それにより誰もが平等に、そして高い学力を持って社会に出ることができるという。
日本は確かに学力低下が叫ばれている。ついこの前までは学力は世界一といわれていた国がだ。なぜそうなってしまったのかということで先に槍玉をあげられるのが「ゆとり教育」である。「ゆとり教育」は私も所々で批判してきた。しかし「ゆとり教育」の根本を見直すと、学習内容を減らせということではなく、ディスカッションによってさまざまな討論を行い、それによって何倍も知識を増やしていこうということである。確かに日本人は今も昔も変わらないが討論力・交渉力に弱い部分がある。それを両方補おうということで「ゆとり教育」が提唱された。しかしこの計画はほかの完了の骨抜きによって破綻したと言いざるを得ない。もしこの教育スタイルがうまく回っていたならば、日本はフィンランドに匹敵する、いや、凌ぐほどの学力になっていたのだろうかとがんが得てしまう。だが日本人は勤勉な民族性であるから詰め込み教育にまい進したほうがいいのだろうかという考えも捨てきれない。
今日の教育は今迷走状態といってもいい。その中で日本の教育スタイルというのはどのような形であればいいのかというのが問われている時代とも言える。フィンランド型の教育が日本に合うのか、それとも破綻してしまったイギリス教育が日本では成功するのだろうか。やってみなければわからない。これが実情と言えよう。

環境問題のウソ

環境問題のウソ (ちくまプリマー新書) 環境問題のウソ (ちくまプリマー新書)
池田 清彦

筑摩書房  2006-02
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本書は環境問題にまつわる様々な嘘を暴いている。今や環境問題については賛成論ばかりではなく著者や中部大学の武田邦彦教授らの否定・懐疑論も盛んに言われ始めている。ようやく環境問題について両面的な意見が出てき始めたことにより活発な議論が期待できる。
しかしそれで待ってばかりではいられないのも現実である。環境問題について様々な妄信を切っているが武田邦彦教授の本が人気先行しただけに本書が日陰の存在となってしまったことが悔やまれる。
さて第1章では地球温暖化は本当にあるのかという懐疑についてだが、私も同感である。温暖化というのは中世の時にも叫ばれていた。そしてこの地球温暖化論が出たのは1987年。それまではそれとは逆の「地球寒冷化論」というのが出てきていたのである。ではなぜ突然地球温暖化が出てきたのかというのも疑わしくなる。人口は右肩上がりで上がってきており、それに比例するようにCO2の排出量も右肩上がりである。そう考えるとCO2による温暖化論というのは破綻しているのは目に見えている。そうしたら増え方が違うという論者もいるがそれも間違いであり実はオゾン層と密接に関係してくる。オゾン層というのは太陽から来る有害な紫外線を最弱化する働きを持つ、と同時に温暖化、温室化ともなる期待も逃がさなくなってしまうため温暖化してしまう。しかしフロンガスによるオゾン層の破壊が出てくる。オゾン層の破壊も確かに環境問題の1つとして取り上げられている。有害な紫外線が直接浴びることとなり問題視されるが、逆に二酸化炭素などの温暖化物質を逃がす働きがあるとするなら、オゾン層で完全密封していいのかという考えになる。それについてはまだまだ議論が絶えないのでここまでにしておく。
第2章はダイオキシンについてである。ダイオキシンというとサリンの2倍有毒であるという話があるが、実際にダイオキシンで死んだ例というのは1件もない。ウクライナの大統領も何千倍、何万倍ものダイオキシンを飲まされたとされているが、肌がただれた以外は命において危険性がない。それにもしもダイオキシンが有害であったならば、日本中にある焼却炉はたちまちなくなっていただろう。物を燃やしたらそれだけのダイオキシンが出るわけである。しかもあるニュース番組では所沢産のホウレンソウに高濃度のダイオキシンがあるとして風評被害を与えさせたというものもある。どれだけダイオキシン問題をメディアによる愚行があったのだろうか(後に、ないということがわかったもののその放送局の罪は大きい。どこの局とは言わないが)。
第3章は外来種問題。ここ最近ではあまり聞かなくなったが、ブラックバスなどが放流されたことにより、生態系に悪影響を及ぼしたというニュースもあった。しかし今に始まったことではない。本書でも書かれているが1930年にアメリカザリガニがウシガエル(食用ガエル)のエサとして輸入された。実は戦前から外来種を積極的に輸入していたということである。今外来種の駆除のために税金が使われているが、それであればもっと外来種が来たことによって排除することや、生態系への影響を叫ぶよりも、外来種が来たことによって、では食べられるのか。食べられるとしたらどのように活用するのかというところまで考えていかなければ、この先に変化するであろう生態系への変化に順応できなくなるのではないだろうか。
第4章は自然保護活動の必要性である。最近ではそういう活動が盛んにおこなわれているが、本書ではそういう活動にも一石を投じている。その活動の中にも環境問題について悪影響を及ぼすことだってある。しかしそういった活動を完全に否定しているわけではない。例えば植林活動については私は否定しないが、花粉症やスズメバチの被害という原因の一つとして植林活動による功罪があげられる。植林活動と言えば最近では植林活動を行うためにその土地の木々を伐採したという話を聞いたことがある(さすがにどこでだれがやったのかというのは言えないが)。自然保護活動というのはエゴで片付けるのは大きな間違いではあるが、しかし限度はある。過剰な自然保護活動、動物保護活動によって森林に甚大な被害をもたらしたという矛盾も生じている。ある程度の自然保護活動がいいだろう。
環境問題について語ったり、活動したりするのはいいことだが、あまりやりすぎるとエコというよりもエゴになってしまうので要注意。

使う力 知識とスキルを結果につなげる

使う力 知識とスキルを結果につなげる (PHPビジネス新書) 使う力 知識とスキルを結果につなげる (PHPビジネス新書)
御立 尚資

PHP研究所  2006-04
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最近私のブログでも、ほかの書評ブログでも成功本や戦略本の書評がよく書かれている。それだけ成功者の作法を学んでいきたいという表れであろう。
しかし、その価値というのは実際に実行してみないと分からないものが多い。
ではどのようにその得た知識を使えばいいのかというのを紹介したのが本書である。
第1章ではビジネスリーダーの基本要件であるが、ここでは「使う力の位置付け」を定義している
ビジネスリーダーとしての基本要件は
1.人間力
2.業界・社内常識
3.経営知識
4.「使う力」
の4つである。
ここでいう人間力は正しい決断により組織を動かし結果を残していく力、その業界で生きていく上での常識、そして車の両輪の如く経営知識と「使う力」があるという。本書ではこの経営知識を将棋の定跡や囲碁の定石に喩えている。それを知ることによってどのように「使う」のかというのを身につけるというわけである。
第2章ではこの「使う力」とは何かについて書かれている。私もこのブログを通じて様々な知識を身につけてきた(この中で使えるものは5%あるかないかだが)。いざ「使う」となると何から使えばいいのか分からなくなる。されどのように「使う」のだろうかというと最初に出てくるのは落語である。私も落語は好きで書評に行き詰った時によく聞く。最近ではどっと笑いたいもので上方落語で非常に有名な桂枝雀のCDをよく聞く(ちなみに最も好きな演目は「つる」)。少し脱線してしまったが落語をやるにあたり当然演目を覚えていかないといけない。しかし演目を覚えて棒読みするようであったらだれでもできる。当然その背景や役柄になりきってより忠実に表現しなければならない。同じ演目でも落語家(私は「噺家」と言っている)それぞれで違う。一人一人がどのような落語をやるのかというのはまさに十人十色である。これが落語である。本書はそれが「使う力」と密接に関係するという。「使う力」というのは簡単に言うと蓄えた知識を実行するための力であるが、本書では3つの必要条件に書かれているが自分の立場によって、使う力というのは違ってくる。適材適所で使うことにより得た知識を体系的におぼえ、そして「知恵」にしていく。第3・4章ではその「使う力」を様々な場合に応じてどのように得ていくのかというのが書かれている。ここで紹介するよりもむしろ本書を購入したほうが具体的な方法が身につくと思うのでそちらのほうが手っ取り早い。
そして第5章では「使う力」というよりも仕事を楽しめと説いている。仕事や勉学では「苦しみぬきながら努力する」というイメージが強い。しかしそれは虚構であると著者主張している。それについては私は反対しないが、成功するのは人それぞれであり固定観念として植えつけられた「苦しんで成功する」人もいれば「楽しんで成功している人もいる」ということは忘れてほしくない。そしてもうひとつ勉強を楽しむための方法についてだが、勉強はやはり楽しいほうがいい。苦しむばかりが勉強でもないし、「知るを楽しむ」ことこそ真の勉強であり、教養であると私は思う。それによってリーダーになったり、それで実践を通して成功していけばなおいい。それこそ「充実した社会人」の一つの方法ではないだろうか。

コア事業進化論

コア事業進化論―成長が終わらない企業の条件 コア事業進化論―成長が終わらない企業の条件
クリス・ズック 山本 真司

ダイヤモンド社  2008-04-11
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本書の表紙を1つめくった所にこう書いてあった。
「どんな事業にも寿命がある。
 それがコア事業なら企業の存続も危うくなる。(一部抜粋)」
事業を行うにあたり平家物語にある「盛者必衰の理」の如くいくら繁盛していても、いつかは崩れる時が来る。それが本業、いわゆる「コア事業」であった場合であるならばつぶれる危険性もあるというわけである。とはいえ安定している企業でも何度も存亡の危機に陥ったことはあると考えると、今成長株の企業でも未然に防ぐにはどうしたらいいのかということも考えなくてはならない。
本書はその中でもコア事業、いわゆる本業をどのように成長を持続させ続けるのかという方法をいくつか提示している。
コア事業というと事業の中でも特に専門的、かつ主力的に扱われており当然その分野において深く掘り下げられたところまで事業を展開している。当然そこにも限界は来る。しかし事業の中で本書の第1・3章における「隠れた資産」を見つけることが永続成長のカギになるという。いくら宝をもっていってもまだまだ道の部分が残っているという解釈でよろしいのだろうか。見つけられても成長できなければ元の木阿弥のようであるが。しかしその隠れた資産というのは可能性やその中における新規事業を見つけだすことも一つであるが本書では事業基盤、顧客インサイト、ケイパビリティ(十分に活用されていない資産)の活用と再定義によるものだとしている。目新しいように思えるのだが、現にやっている企業も多いのでは、もしくはすでにあるものが目新しい表現に変えてそのスタイルを紹介しているのかと勘繰ってしまう。
しかしそうであっても、それを行わずにほかの分野に次々と手を出す企業も少なくない。新しいことよりも既存の事業を手堅く成長させてからという考えも盛ったほうがいい。「餅は餅屋」はこのことだろう。

ユダヤ人 最後の楽園

ユダヤ人 最後の楽園――ワイマール共和国の光と影  (講談社現代新書 1937) ユダヤ人 最後の楽園――ワイマール共和国の光と影  (講談社現代新書 1937)
大澤 武男

講談社  2008-04-18
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ユダヤ人は「旅の民族」とも言われる。さらにいえば第二次世界大戦中もっとも迫害された民族でもある。なぜヒトラーをはじめナチスドイツはユダヤ人を嫌悪し、迫害したのだろうかという考えになる。
本書の第2章で書かれているがヒトラーはユダヤ人を非難した根源はヴェルサイユ条約やワイマール共和国によってユダヤ人がドイツ人を牛耳ってきたことによるひどい反感から来たものであるという。ちなみにこれを公的に主張したのは1919年の11月のことである。それからのことはすでにご承知のとおりであろう。後にナチスが誕生し、総統となり、第二次世界大戦の惨禍に巻き込んだ。その中で殺されたユダヤ人は100万人を軽く超えるほどである(正確な人数は不明である)。
ユダヤ人はそれほど迫害されるべき民族であろうか。現在ではイスラエル・パレスチナ問題により揺れ動いているだけにユダヤ人は、どのように生きていけばいいのか路頭に迷うことさえ浮かんでしまう。
しかしユダヤ人は数多くの舞台で成功している民族でもある。例えば有名なところでは「相対性理論」で有名な天才科学者アインシュタインもユダヤ人である。今日ユダヤ人の成功本が多いようであるがそれのルーツの1つとしては19世紀の産業革命と資本主義の発達のもとで経済界において成功したユダヤ人が数多くいることも本書では挙げられている。また兵器を開発したと言えば毒ガス兵器の父といわれるフリッツ・ハーバー、あと夢理論で有名なフロイトもユダヤ人である。さらにはユダヤ人とク優に「孤独と不安」を最大限に生かした作家カフカもいる。
「旅の民族」の如く、多くの見識と商才を兼ね合わせた反面、いつ国から追い出されるかわからない不安と孤独が入り混じっている民族である。そのことを生かしながら成功に導いていった人も数多くいる。ユダヤ人は楽園を失っても新たな楽園をつくる。というよりもつくっている。経済界など数多くの世界で富を得てつくっている。

日はまた昇る

日はまた昇る 日本のこれからの15年 日はまた昇る 日本のこれからの15年
ビル・エモット 吉田 利子

草思社  2006-01-31
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世界で最も売れている経済誌であるイギリスの「エコノミスト」の元編集長であるビル・エモット氏が前書バブル崩壊を予測した「日はまた沈む」がベストセラーになったが本書は戦後最長の好景気となった時に書かれた1冊であるがその時にビル・エモット氏はこれからの15年は「強い日本」になる。日はまた昇る、と分析した。このときは中国の景気は日本を凌駕するのではないのかという心配があった。日本は経済成長は着実に進んでいるが、それでもコツコツとした調子で、悪く言えば伸び悩みながら成長を続けていた。しかし著者はそれを「ウサギとカメ」に喩えて日本がアジア太平洋の経済を牽引するだろうとの見方を示している。
現時点での結果というよりか現状を見た限りでは、半分当たっており半分はずれているといった感がある。最初の半分は急成長を続けてきた中国経済がアメリカのサブプライムローン問題のあおりを受け、そして北京オリンピックの終焉とともに経済が後退。まるで全力疾走したウサギが途中で昼寝をしたというそうそうになったところは正しかったと言いざるをえない。では日本は亀のように着実に進んだのかというとそうではなかった。カメも寝てしまった。サブプライムローンの煽りで経済の減速をしただけではなく、日銀総裁人事の混沌化によりその「エコノミスト誌」において「JAPAiN」という造語がつくられるほどひどいものだった。経済回復をしようにも政府が後ろ向き、さらに日銀も対策の立てていない状態である。こんな状況で本当にカメのように着実に進めるのかという不安さえ駆られるが、その首相が辞任したため次期政権へと移り、やがて解散総選挙となる。政治にとっても経済にとっても大きな分岐点となるこの総選挙。1票が日本を左右するという意気込みで国民は望んでほしいと思う(自分にも言えることだが)。

金融権力

金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス (岩波新書) 金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス (岩波新書)
本山 美彦

岩波書店  2008-04-22
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サブプライムローン問題から1年経った。その1年経った今でも景気回復のめどは立っておらず、サブプライムローン問題の解決の糸口すら見出していない状況である。
本書はそういた問題はもとより金融に関する様々な権力について書かれている。
最近投資ブームといわれて久しい。特にそれほど年収の稼いでいない人でも株をやって儲けたという話をよく聞く。私は一切やる気はないのでそれはどうでもいい話だが、事実そういうおいしい話に乗ってばかりいると痛い目にあうことはもうすでに分かっているのでやりたくないというのが本音である。それに現在投資ブームとなっているため証券や銀行はほっといていても稼げるという温床の場となっている。1997年の金融危機を除いてはほとんどの銀行は景気の波にさらされていないのは目に見えて分かる。
さらに本書ではサブプライムローン問題によりアメリカのドルの信頼が失墜してしまったことも挙げている。現在では人民元やユーロが軒並み上がってきており(最近では下落している)失墜のあおりを受けているのは日本くらいであるといってもいい。しかし日本はそういった経済政策には後ろ向きで何も手を打ってこないというのが常套手段である。経済に詳しい人をと言いたいところだが、実行力のある人は日本にいないのだろうか。

夕張問題

「夕張問題」 (祥伝社新書)
「夕張問題」 (祥伝社新書) 鷲田 小彌太

祥伝社  2007-04
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夕張は一昨年に財政再建団体となった。そのときの夕張の現状はどうだったのかというのが事細かに書かれている。その中で財政再建を行うにあたっての最初の対策はあまりにも市民にとって過酷な内容であったのか、それによる説明会での市職員に対する罵詈雑言がそれを物語っている。
ここで本書でも書かれているが夕張について軽く説明させていただく。夕張は戦後の高度経済成長期には日本有数の炭鉱都市だったというのは良く知られている。しかし成長するにつれ資源は石炭から石油(原油)にシフトするにつれは以降となった炭鉱が相次ぎ一時期は12万人もいた夕張の人口が減少し始めた。現在では夕張市の人口は10分の1の1万2千人である。夕張は人口減少と市益を維持する為に観光都市化を目指した。そのときは80年代の終わり、バブルのときである。そのときに有名だったキャッチフレーズが「バリバリ!夕張!」などいくつかあった。公募によって使われるようになったキャッチフレーズは瞬く間に知れ渡った。しかし知れ渡っただけでバブルは崩壊。観光客も減少の一途をたどった。そのときの名産品はあまりにも有名な「夕張メロン」。それを材料としたゼリーや饅頭も土産品として売れたもののそれでも財源の現象に歯止めは掛からなかった。
さらに観光都市化を目指したあまりに第3セクターの過剰投資による借金は増え続けたが財政再建団体入りするまでほとんどが公表されなかった。これによる赤字体質の隠蔽は夕張に限ったことではない。大阪でも橋下知事が公表しなければ大阪府の財政事情は泥沼化していただろう。それに限らずほかの都道府県や市町村にはいくつかあるだろうということは容易に想像がつく。
さて夕張は財政再建団体となったがそれにいたった要因について重要な歴代市長が2人いる。本書でも紹介しているが萩原吉太郎と中田鉄治である。この2人の市長長期政権により腐敗したがそれに任せていた市民も悪いということは言える。対立候補を立て投票にいたればこのような事態は起きなかったはずだともいいたい。
それはさておき、昨年まで財政再建団体入りしてしまい市自体が暗くなったことを憂い多くのタレントなどがイベントを開催し、夕張が最もホットな町にまでなった。しかしそれは枯れ木も山の賑わい程度のものだった。夕張の試練はここから始まる。藤倉肇市長の下で財政再建をしながら新しい「夕張カラー」を出せるのだろうかというのも注目である。

デリダを読む

デリダを読む デリダを読む
ペネロペ ドイッチャー Penelope Deutscher

富士書店  2008-07
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デリダという人物は私は初めて聞くが、ここでデリダの簡単な説明から行こうと思う。
ジャック・デリダ(本名:ジャッキー・デリダ)は4年前に亡くなったばかりの哲学者である。一般にポスト構造主義の代表的哲学者であるが、その中で現象学から出発してこの学問に行き着くが、現在では有名な哲学者、ハイデッガーはフッサール、ニーチェやフーコーなどの哲学を批判的に展開させ、論争まで起こしたことで知られる。日本でも高橋哲哉などがデリダの研究を行っている。
さてデリダの著作は数多くあるが本書はそういった作品をかいつまみながら紹介している。
本書では政治や文化、ジェンダー、完全性など多岐にわたるが、ビジネスに関してちょっとおもしろい章があったので紹介する。第6章「コミュニケーションのコンテクスト」である。
「私が想起しているすべての事柄は、いわゆる理想的=理念的規範性は正当な理解・解釈について述べる際には、こうした構造的な可能性が考慮されなければならず、それを排除または妨害したりすることはできない(p.83より)」
抜粋しているのであまりよくわからないようになっているが、ここの部分でデリダが主張しているのはどのようなコミュニケーションがあっても齟齬の可能性も視野に入れたほうがいいと論じている。つまり完全なコミュニケーションというのは存在しないということである。もっと言うとデリダはコミュニケーションの失敗はむしろそれも自然なことであるという指摘である。そして著者の開設にも気になるところが、
「データの伝達、コミュニケーション、報告等、物事はより早いスピードで生じているように思われるのだ。デリダは今日に特異な様々なテクノロジーが人造物、すなわち人間の美術工芸が生み出したものと変わりないという事態について考察している。(p.93より)」
「コミュニケーション=美術工芸」などの作品としてとらえられている。当然今日におけるコミュニケーション本が多く出版されているということはその芸術における完成度を高めていくのか、それとも模範的なコミュニケーションを行うべきなのかというはざまに陥ってしまう。哲学的に考えれば前者であるが、ビジネスとして考えれば後者が迎合するだろう。コミュニケーションというのはまだまだ奥が深いというところをまざまざと見せつけられた章であった。

小池式コンセプト・ノート

小池式コンセプト・ノート―プロジェクトは「大義と共感」で決まる! 小池式コンセプト・ノート―プロジェクトは「大義と共感」で決まる!
小池 百合子

ビジネス社  2007-04-19
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自民党総裁候補の一人である小池百合子氏の著書はいくつかあるが今回はあえて「女性」というよりも環境相時代における「マーケティング術」そして「プロジェクト術」について書かれているものを選んだ。もしも小池氏が総理になったら本書のような戦略をスライドして国益にむずびつけるのではないかという考えだからである。
本書では環境相の時に提唱された「クールビズ」をいかに広めたのかという戦略について書かれている。クールビズは当初は斬新であり抵抗感がある人も多いようであったがしかしいつの間にか抵抗感なく受け入れられており、いまや夏の服装として定着しているというのも事実である。しかもフランスをはじめとした海外でもそれに追随する動きを見せているという。それまでは1年中スーツにネクタイというのが常識だったがあえてこその常識から1歩外れた発想を持つことこそ小池式の常識の始まりとも言える。
そして第3章ではいよいよ環境問題について焦点を当てているが、ここでは環境問題の現状をインパクトを与えている。環境問題の本質と少しずれている気がするし、当然私のような懐疑・否定論者が黙ってはいないが、そういった呼びかけに際しての広め方も小池氏の功績と言えよう。環境問題がこれほどまでに関心の高い問題となったのは2000年代、とりわけ小池氏が環境相の時からであることを考えるといかに小池氏の現状を訴えるインパクトの強さが大きいのかがわかる。
現在は総裁選に向けて尽力をしているが、麻生氏が1歩抜きんでた形となっている。しかし小池氏はただでは起きない。何かサプライズをやってくれるに違いないと私は思う。

少年犯罪厳罰化私はこう考える

少年犯罪厳罰化 私はこう考える (新書y) 少年犯罪厳罰化 私はこう考える (新書y)
佐藤 幹夫 山本 譲司

洋泉社  2007-06
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少年犯罪は凶悪化し、厳罰化の風潮にあるのは紛れもない事実である。私は先の「光市母子殺害事件」において少年犯罪やそれにまつわる弁護士への批判を前身のブログ(蔵前トラック、既に閉鎖)でも本ブログでも書いた。
少年犯罪については刑法のほかに少年法で定義されているがずっと前までは少年法の保護によりいくら凶悪な殺人があっても刑罰は軽かった。それによって「心にナイフを忍ばせて」のような悲劇が起こった。それに似通ったような少年による凶悪犯罪がメディアによって取り扱われ少年法改正により凶悪犯の厳罰化が進んでいった。
ではその厳罰化は少年犯罪の抑止力になるのだろうかというのは一寸考えものである。確かに被害者感情から見れば厳罰化は自然なことであるが、はたしてそれが少年犯罪の減少につながっているかといわれるとそうではない。確かに減少傾向にはあるが少年犯罪はなくなっておらず、むしろ少年犯罪の中での凶悪犯罪はメディアで取り上げるのには枚挙に暇がないほどである。
では少年犯罪をはじめ少年たちの非行やいじめが完全になくなるのかというとそれは不可能である。いじめをするや凶悪犯罪は人間の嫉妬など負の感情がたまりにたまって起こったものである。最近ではそれに対する我慢の感情の抑止力が弱まっているようにも思える。それは子供の孤独化によるしつけ等の欠如によるものではないだろうかと思うが、家族間のコミュニケーションに費やす時間は増えてきているというデータもある。では何が原因か、抑止策はあるのかというのは今のところ調べる余地がある。学校のせいなのか、それとも家族間の変化によるものなのか、はたまたは人間の心理なのか、多くの側面から調べていったほうが原因も見つけられるのではないかというのが私の意見である。

医療格差の時代

医療格差の時代 (ちくま新書) 医療格差の時代 (ちくま新書)
米山 公啓

筑摩書房  2008-07
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「医療はビジネスではない」
これは前身のブログで妊婦たらいまわし事件のときに書いたことである。当時はあまりに無勉だったのですぐに炎上してしまい収拾がつかない状態となった。
それから少しは勉強した為、ちょっとだけ語れるようにはなったものの医療問題は複雑を極めている為どうも的外れになっているような感じがしてならない。
それはさておき、本書では医療格差の現状について生々しく書かれている。ここでも書かれているが医療における地域格差の問題の深刻化もあり、それとは対照的に医療の自由競争化も論じている。私が複雑を極めるといったところの1つである。医療はビジネスである。しかしあまりに自由競争が行われてしまうと地域格差の影響により僻地では満足に医療を受けられなくなってしまう。現にそういう現状がある。私の出身地である北海道では過疎地だと3時間待ち3分診療というのが日常化している。特にその土地では高齢化も進んでいることにより病院へは車で約数十分、ひどいときには数時間移動しないといけないという現状がある。それで完全自由競争となったらどうなるのだろうか。その土地に住んでいる人たちを見殺しにしろというのか、という論調になる。とはいえ自由競争がなければ医療の進化というのはとまってしまうことは明白である。鎬を削りながら進化していくのも医療である。そのためには競争原理も必要である。ただ悲しきかなそれにまつわる医者の数が少ないというのも現状であるが、これは90年代の後半において医療費が高すぎるや医者の人数が多すぎるといったメディアの作られた論調によるものである。それにより2000年代前半には伸び悩み高齢者など衣料を必要となっている人が増えているという現状を作り出してしまった。そう考えるとその自由競争の原理に基づき医療も株式会社化、民営化をしたほうがいいという考えもある。本書でもそれについて指摘しているが厚生労働省や日本医師会はそれに反対であるという。このことから大きな利権が蠢いている様にも見えるのは私だけであろうか。医者の人数不足であると共に医療現場の過酷化も指摘しなければならない。いったん医療事故が起こったり、最近では医療現場のたらいまわしが起こるとほぼ必ずといってもいいほど医者に批判の矛先が向けられる。ほかにもクレーマー、モンスター・ペイシェントの急増により医者はより弱い立場におかれているという現状もある。それにより精神的にやむ医者、自殺する医者も出てきているのも事実である。また時間外勤務も急増し、徹夜明けや休みが取れない医者も多いという。医療現場というのは非常に過酷を極めているが、それに対する施策をとっていないというよりは、無いというのが現実としてある。厚労省はようやく重い腰を上げて数年前に国公立大の医学部の定員を増やすという策に出たのだがそれの結果が出るのも数年後である。さらになりたての医者が本当に医療に関してまともに出来るのも数年立たないといけないとなると人員的な解決は数年、悪くて10年以上先になりかねない。早期解決をという声もあるがそういう要因もあってか現時点で解決策を打っても効果が現れるのは数年後という概算になってしまう。八方塞ではあるが厚労省や日本医師会がそれに後ろ向きであったということは否めない。それによって個々まで深刻化してしまったから責任は重大である。舛添大臣は尽力しているがそれほどまでに根深くなった問題の解決のひとつの糸口を見出して欲しいとしか言いようがない。

F1 イタリアGP 誰がこの予想ができたのだろうか!!? ヴェッテルが史上最年少ポール・トゥ・ウィン!!!

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 S・ヴェッテル トロロッソ 1:26:47.454
2 H・コヴァライネン マクラーレン + 12.512
3 R・クビサ BMW + 20.471
4 F・アロンソ ルノー + 23.903
5 N・ハイドフェルド BMW + 27.748
6 F・マッサ フェラーリ + 28.816
7 L・ハミルトン マクラーレン + 29.912
8 M・ウェーバー レッドブル + 32.048
9 K・ライコネン フェラーリ + 39.468
10 N・ピケ・ジュニア ルノー + 54.445
11 T・グロック トヨタ + 58.888
12 中嶋 一貴 ウィリアムズ + 1:02.000
13 J・トゥルーリ トヨタ + 1:05.900
14 N・ロズベルグ ウィリアムズ + 1:08.600
15 J・バトン ホンダ + 1:13.300
16 D・クルサード レッドブル + 1 laps
17 R・バリチェロ ホンダ + 1 laps
18 S・ボーデ トロロッソ + 1 laps
19 A・スーティル フォースインディア + 2 laps
Did not finish
20 G・フィジケラ フォースインディア + 41 laps

予選もさることながら、誰がこんな予想ができたのでしょうか。とはいえ予測不可能なだけに自分の予想も当てにならなかったのも事実。

でもベッテルにとっては特別なウィークエンドだったでしょう。しかもアロンソの記録を更新しての初優勝だったので、yahooニュースでニューヒーローと言われていますから。来年はレッドブル移籍でどのように暴れるのかというのに期待がかかります。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080914-00000001-rcg-moto

トロロッソにとっても初優勝で、しかも表彰台での国歌が流れるのもミハエル以来となるドイツ・イタリアの組み合わせ。将来のチャンピオンに期待がかかりそうです。

そしてそのトロロッソのボスの1人にゲルハルト・ベルガー。1988年マクラーレン・ホンダが牛耳っていた時に唯一、一矢報いた時もモンツァ。その時の優勝もベルガー。彼にとっては奇跡を起こしたサーキットで今度はチームリーダーとして奇跡を起こしたのでしょう。

3位にクビサ。初めての表彰台もこのモンツァで3位。その時はミハエルの引退もありました。それを思い立たせるような表彰台だったのかもしれません。しかも表彰台に掲げられた国旗も全く同じドイツ・フィンランド・ポーランド。何たる偶然でしょうか。

チャンピオン争いはマッサが6位。ハミルトンが7位。今戦で考えれば逆転を許さなかったハミルトンに軍配が上がったようです。とはいえ1点差。何が起こるかわかりません。しかも3位には前述のクビサ。怒涛の勢いで追い上げて逆転で初ワールドチャンピオンということもあり得ます。一方ライコネンはノーポイント。トップとの差が21ポイントいよいよ絶望的といってもいいかもしれません。次戦以降すべて優勝という意気込みでないとチャンピオンが取れないという気構えで行くしかありません。

トヨタ勢はノーポイント、ホンダ勢も中嶋もノーポイント。来月の富士への凱旋は大丈夫でしょうか。トヨタ勢・ホンダ勢は表彰台とっていますが、次戦でもう1回表彰台をとっておきたいところ。

次戦は2週間後、シンガポール!! F1史上初のナイトレース!!

社員を働かせてはいけない

社員を働かせてはいけない (ベスト新書) 社員を働かせてはいけない (ベスト新書)
蛭田 敬子

ベストセラーズ  2008-02-09
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本書を読む前にこの表題からして思ったことは社員は「働かなくていいのでは」ということなのかと勝手に解釈してしまった。しかし本書はそういうことを言うのではなく強制的な意味で「働かせる」ということをやめろと言っている。若者は給料のために強制的に働くのではなく、自分の手に職をつけるという意味でたとえ勤務地が過酷でも給料が安くても「働きたい」という能動的なニュアンスを持っている。そう考えると今日の労働観というのは若者を中心に変わってきているといってもいい。
第1章から第3章までは現在の若者労働者の現状について書かれている。とりわけ第1・2章では3年以内で辞める若者の現状が記されているが若者の労働観とそれより上の世代の労働観の齟齬がよくわかる。そのことにより若者が突然辞めていく理由がよくわかる。現に「若者が突然辞める=やる気がない」という短絡的な考えを持つ人が多い。しかしそうではない。自分のキャリアを挙げていくために、そして何よりも自分らしさを求めるために自分と波長が合わない会社とはスパッと縁を切るという若者が多い。そう言うと「今の若者は我慢が足りない」のではという意見も出てくる。果たしてそうだろうか。確かにキレやすくなったという実情はあるが、これは若者に限らず世代に「暴走老人!」もあるように言えることではないだろうか。3章では会社に関して求められているのは会社のためになすべきではなく、社員のために会社がどのように協力するのか(社員を育てる、もしくは社員に視線を合わせた仕事を抵抗すること)ということについて書かれている。これから成長する若い人たちのため何を為すべきかというのを会社側につきつけられている感じもした。しかし会社は利益を出すために社員の教育にも心血を注ぐということを考えると、頭の痛い話であるが満足のいく仕事を提供し、それにより利益を得ることができれば、会社側にとってみてもそういう面でチャレンジできる話ではなかろうか。
第4・5章では今度は若者側の課題について書かれている。簡単にいえば「キャリアアップ」のために何をすべきかということである。単に「キャリアアップ」といわれると専門的スキルの向上というのが目に見えるがそれだけではない。社会人としてのコミュニケーション力や仕事を行っていく上でのコスト意識、タイム・マネジメントなど諸々を成長することも「キャリアアップ」の一つである。それを行うためにはまず「自分を見直す」ということが大切である。自分のいいところや悪いところを洗いざらいする。そして社会人生活の中で身につけた力はどのようにして得たのかというのをノートに書くだけでも自分に対する課題というのが見えてくる。
第6〜8章は今度は上司・経営者はそのような若者社員をどう育てていくべきかである。こういった若者は上司にとっても頭の痛い話であるが部下を育てていく身であるので、そう愚痴も言っていられないだろう。でも逆に考えればそういった若者をきちんと育て上げることができれば今日の社会を制することができると考えられる。
第9章は社員満足度テストが入っている程度である。そして第10章では社会における女性の地位向上についてであるが、ここでは割愛させていただく。
日本の若者と共に会社も変容しなければいけない時にきた。とはいえど会社は若者の顔を窺いながらやっていくのも実益を為さない。若者社員をどのように育て上げ会社、若者社員双方満足できる方法を模索することも日本企業の1つの課題と言えよう。

F1 イタリアGP 大雨の大波乱の中ベッテルが見事最年少PP!! そして予測不可能な優勝予想

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 S・ヴェッテル トロロッソ 1:37.555
2 H・コヴァライネン マクラーレン 1:37.631
3 M・ウェーバー レッドブル 1:38.117
4 S・ボーデ トロロッソ 1:38.445
5 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:38.767
6 F・マッサ フェラーリ 1:38.894
7 J・トゥルーリ トヨタ 1:39.152
8 F・アロンソ ルノー 1:39.751
9 T・グロック トヨタ 1:39.787
10 N・ハイドフェルド BMW 1:39.906
11 R・クビサ BMW 1:36.697
12 G・フィジケラ フォースインディア 1:36.698
13 D・クルサード レッドブル 1:37.284
14 K・ライコネン フェラーリ 1:37.522
15 L・ハミルトン マクラーレン 1:39.265
16 R・バリチェロ ホンダ 1:36.510
17 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:36.630
18 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:36.653
19 J・バトン ホンダ 1:37.006
20 A・スーティル フォースインディア 1:37.417

まず率直な感想を一つ、

これ、予想できませんよ。

だってそうでしょう、いくら波乱があるからと言って、勢いがあるからと言ってベッテルがPP取れるという予想はつかないでしょう。ベッテルは確かに勢いがあって最近では何度かQ3進出していますが、PPまでは予想つきません。しかもチームメートのボーデも4番手。昨年の富士以上の大波乱でした。ちなみにベッテルのPPはアロンソが持っていた最年少記録を抜いて史上最年少記録でPPを獲得という快挙を達成しました。末恐ろしい存在です。

もっと驚いたのはライコネンとハミルトンがQ2落ち。しかもそれぞれ14番グリッドと15番グリッド。決勝ではどんな戦いになるのかわかりません。何せ決勝も雨の予報が出ているので優勝だってありうるわけですから。

中嶋をはじめとした日本勢はトヨタ勢がQ3進出のみが目立ちました。雨の中嶋二世見てみたかったなぁという心残りがありました。

そしてQ1落ちの常連ともいわれるフォースインディア。なんとフィジケラがQ2進出したと考えるとこのレースがいかに波乱であったというのも窺えます。

さて優勝予想…ですが

全く当てになりません。誰が優勝してもおかしくないんですから。もう放棄していいですかぁといった感じです。しかしもう間もなく2年になる身分としてはここは予想しないといけません。

ではいきます。

本命:ハミルトン

対抗:コバライネン、ベッテル

要注意:ライコネン、マッサ、ボーデ、ウェーバー

大波乱はあれども、それを淡々としたレース運びで優勝するのがハミルトンといったところ。ここ数戦では優勝から遠ざかっているだけに優勝に対する思いはライコネン同様強いものでしょう(ベルギーでは優勝かと思ったらペナルティで逃しましたからねぇ)。それに雨のレースに強いマシンといえばマクラーレン。そう考えるとハミルトンが優勝をとるのではないのか。それに追随するのがチームメートのコバライネンといったところなので優勝はもぎ取りやすいのではないかと。

いつもは本命・対抗はフェラーリ、マクラーレン勢で毎戦占めていましたがベッテルに対抗を入れました。強豪勢のお家芸と言われたポール・トゥ・ウィンをトロロッソがやってのけるというのも見てみたいもので…。

最後にもう一回いいますが、今回のレースは何が起こるかわかりません。極端な例、フォースインディアが優勝するということもがんが得られますし、中嶋が優勝する可能性だってあります。どうなるか本当にわからないのが今週末のイタリアGPでしょう。

観ている人にとっては面白いのでいいんですがね。

F1 イタリアGP PP予想

ベルギーGPからわずか1週間でイタリアGPです。

フリー走行2回行われましたが1回目は大雨で中断。2回目にはドライでライコネンがファステストでした。

しかも週末には雨の予報が出ているだけに予想をする自分にとっては厄介なものとなりそうです。むしろ予想できないかもしれません。

そんな泣き言はさておき、PP予想行きます。

本命:ハミルトン

対抗:ライコネン、コバライネン

要注意:マッサ、クビサ、中嶋

これは雨を想定しての予想です。雨で荒れるということを考えるとそういうのに強いハミルトンがPP取れるのではないかと。逆に雨に弱いマッサが下位に沈むこともありうるのではないかと。そして和製レーゲンマイスター(雨の王者)ともいわれる中嶋悟の息子の一貴がQ3にくい込む可能性も出てくるのではないかと。

あとちょっとした予想かもしれませんが今日の予選は赤旗が出るのではという予想もあります。そう考えると今週末はかなり荒れそうかもしれません。

千年、働いてきました

千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン (角川oneテーマ21) 千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン (角川oneテーマ21)
野村 進

角川グループパブリッシング  2006-11-09
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本書の冒頭でも書かれているが日本ほど長く続いている会社が多い国はない。本書では200年近くから表題にも書かれているように1000年以上続いている企業もある。
ちなみにその1000年以上続いている企業は「金剛組」であり、関西の建設業界では知らない人はいない。金剛組については後ほど述べるとして、本書ではそういった老舗企業の良さと知恵についてスポットを当てている。
日本は世界有数の「ものつくり大国」である。その「ものつくり」を支えているのはなんといっても町工場や多くの老舗企業といえる。事実日本を支えている大企業の多くも創業100年以上経つ所である。では日本は是このように老舗企業が多くなったのかという疑問が浮かぶ。
日本人は今ほど無駄に過剰ではないものの集団意識、組織意識が強い。その中で同じ目的を目指した社員が、様々な面で活躍しながら会社としてノウハウを蓄え現在でも生き永らえる糧をつくってきたのではないかと私は考える。そして「職人が職人を生む場」でもある。建設や陶芸などの伝統工業は何代も形を大小問わず変われども続けてきていることこそがその場の大きな証である(しかし近年は後継者問題も深刻化していることは確かである)。当然ノウハウの中にも必ず「負の遺産」というものがある。その中でその「負の遺産」を糧にしながら…と言いたいところだがそれをひたすら隠蔽しようとする企業もいくつか見られる。そう考えると老舗企業のいいところは豊富なノウハウによって新しく、そして安定して成長できる土壌ができているところであるが、反面悪いところは組織の硬直化に陥りやすいところにある。硬直化にすることによって「組織行動論の実学」でも述べたが権力の偏在化による組織の陳腐化も出てき始める。
さて金剛組の話である。本書のエピローグに書かれていたが大阪の建設界の象徴であり、「日本最古の建築会社」として名高い金剛組が一昨年の朝日新聞にて破産申請したという報道がなされた。しかしそれについてはそういう記事があったというだけで実際はつぶれていないという。それはさておき大阪の建設業界ではこんなことが言われている
「金剛組をつぶすことは大阪の恥」
これほどまでに建設業界のみならず大阪から愛されている象徴であろう。1400年以上続けてきた価値によってこの言葉が生まれたのだろう。
歴史と伝統を重んじる日本人。日本には老舗企業が軒を連ねているがその日本人の特質によって今日の伝統ある老舗企業とその精神が受け継がれているに違いない。そしてそれが日本経済という名の船の大きな櫓として世界経済に立ち向かっていく。

暴走する「世間」

暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書) 暴走する「世間」―世間のオキテを解析する (木星叢書)
佐藤 直樹

バジリコ  2008-01-19
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この頃「世間」というものが猛威をふるっている。しかしそれは人々の実感なしに猛威をふるっているだけに非常に厄介な存在である。その最たるものが「KY」をはじめとした「空気」による支配である。それについて本書では2004年の「イラク人質事件」についてのバッシングについて例を挙げている。これについては私自身も「自己責任論」について大きな違和感があった。確かに戦々恐々としている場であるので危険であるが、その人たちによって救われたイラク国民がいたならば日本人はどう反論するのかと問いたくなる。もっと言えばそれによって他国から評価されたとしたならば、その人たちを非難する人はそれらを批判できるのだろうか。
第1章ではその世間を学問にした「世間学」について紹介している。世間学と言えば第一人者なのが故・阿部謹也氏である。あとがきにも書いてあったが阿部教授は一昨年に亡くなった。私自身も阿部教授の文献をいくつか読んだので世間についての勉強もこれからできるのかと思った矢先であったし、それ以前に阿部教授が一昨年に亡くなられていたというのは本書を読むまで分からなかった。この場であるがご冥福をお祈りいたします。
「世間学」というのは何なのかというところから始まるが、社会学といった内容とは少し違って哲学的な部分が多く絡んでいるところがある。それに「世間」というのは世界中にあるわけではなく日本にしかない特有の言葉、もしくは空間であるため外国で「世間」といわれてもほとんどピンとこないというのが実情である。
第2章はいじめについて論じている。これも世間とは大きく関係している。これについてはいじめられる側が悪いやいじめる側が悪いということを論じるわけではなく「なぜいじめが起こるのか」というのを世間学から論考している。日本は世間によって支配されているというが世間の空気になじまない、もしくはなじめない人、異端しているものを嫌悪、もしくは排除する風潮があるというのも一つの要因ではないだろうか。「世間」というのは便利な言葉にあるように思えて、非常に狭い範囲のものになってしまっている。過剰な集団意識によるものではなかろうか。
第3章はうつ病と世間との関係について書かれている。うつ病と言えば世界共通あるが、日本はその表れ方が世界と少し違っているという。本書では日本の患者とドイツの患者を比較しているが、ここの場面が非常に特徴的である。日本のうつ病の特異性というのが表れていると私は思った。最後には現在採用されつつある成果主義にも批判している。そもそもこれ自体外国で採用されている主義であるが、日本でも効果が表れているところとむしろ逆効果になっているところとで両極端になっている事実もある。これについての是非は別の所で述べたい。
第4章では恋愛について。日本では平均結婚の晩婚化が話題となっている。最近では「婚活」と呼ばれるほど結婚に関して飢えているところもあれば、一生結婚しないという人も増えているほどである。また結婚したとしても離婚率の増加、別居率の増加によって恋愛という意義が薄れているように感じる。しかし現在ほど恋愛が自由になったということも事実である。イギリスをはじめとしたヨーロッパ(とりわけ貴族階級)では20世紀に入るまでは結婚というものは非常に形式的でありかつその中で自由な恋愛は許されなかった。日本でも戦後までは自由な恋愛による結婚は許されなかった。必ず付きまとうのは家柄と両家の間柄によるものであった。恋愛が自由であればある程多忙な世の中での夫婦間の淡白さというのが露呈してくると私は思う。そしてもう一つここの章で論じられていたのが男性のマザコン化である。これは戦後女性の地位が確立したものなのか、それとも女性が精神的に強くなったせいなのか、要因自体定かになっていない。本書ではそういったものではなく夫婦関係とリンクして考えている。「夫婦関係の本質は母子関係にある。(p.129より)」という。今夫婦間の中で「亭主関白」が少なくて「カカア天下」や「尻に敷かれる関係」が多いのはこのことだろうか。
第5章は宗教に関することであるが前半は本格的な宗教論であるので割愛させていただく。後半はごく身近にある年間行事の宗教性について書かれている。日本では仏教や神道・キリスト教の神事や習わしが混同しながらも根付いている。中には業界の陰謀とも言われるようなものもあるが(例えばバレンタインデーや恵方巻きがそう)、日本ほど宗教的な意義が混同している国はない。これについて諸外国から不思議がっているが、日本は八百万の神が祀られている。日本は「神々の国」と呼ばれる所以である。つまり宗教に関する寛容性が大いにあることによりこういった混同しても違和感なく受け入れられているのではないだろうかと私は思う。
第6章はIT論である。近年ITの進化によって新たな世間が生まれたとも言われている。それがIT世間というもの。とりわけ代表されるものが2ちゃんねるなどであろう。しかしITができたことによっても世間の構造は変わりないと思っている。むしろその風潮が文字化して形に表れたことであるので何がいけないのだろうかと疑いさえしてしまう。
ほかにもいろいろ論じているが共通して言えるのは世間の構造が変化したのではなく世間自体が形となって表れてそれが顕著に出てきたのではないかと考える。日本独自の「世間」の構造が悪い意味で進化しているのではないだろうか。

このままでは地球はあと10年で終わる!

緊急レポート このままでは地球はあと10年で終わる! (洋泉社MOOK) 緊急レポート このままでは地球はあと10年で終わる! (洋泉社MOOK)

洋泉社  2007-01-11
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環境問題にまつわる文献であるが、本書は誇張が多すぎるように思えてならない。しかも10年後のシミュレーターを多く使っており、その中でも最悪のケースばかり羅列しており果たして本当なのかと疑いたくもなる。
まず海面が88センチ上昇する話だがIPCCの第四次報告で確かに「9〜88センチの上昇」という明記はあったのは事実である。とはいえ88センチは言い過ぎではなかろうか。科学論者の多くは30年後には11センチ上昇するといっているのにもかかわらずIPCCのデータの特に最悪の部分を抜き出して誇張するようなメディアはいかがなものか。そして海面上昇の象徴とされているツバルだが、この根本原因は地盤沈下である。海面が30センチ上がり島の面積が小さくなったという報道があるが、これについて最も研究をしていたのがオーストラリアである(どこの研究機関かはよくわからないが)。そこのデータでは実際に海面上昇をしたのはわずかに数センチであり、後の部分は全部地盤沈下であるという結果が出た。海面上昇説が多い日本のメディアだが、地盤沈下など様々な論拠も考察していかないと本当の環境問題改善にはならない。
私も環境問題にはいささか疑いの目を向けるのだが、自分なりの環境対策は行っている。しかしこれを言ってしまうと身も蓋もないのだが世界規模でやらないと意味がないというのが事実である。近年、人口が爆発的に増加することにより二酸化炭素の減少ができにくいということは容易に想像できる。そもそも地球温暖化の二酸化炭素説に懐疑的な論者も数多くいる。それでどのようにして地球温暖化を食い止めればいいのかというのはまさに手探りの状態である。
ヨーロッパでは環境問題に向けて先進的であるとされているが最も進んでいたのは日本で第1次オイルショックの時にはすでに工場の作業服が低コストであり環境にやさしい構造になっていたという。さらに京都議定書は明らかに政治的意図が含まれており日本にとっては最も厳しいのは明白である。90年というのは日本の二酸化炭素排出量が中でも少なかった年でもある。ちなみにドイツは東西統一により排出量が急激に上がった年でもありほかの国々も環境問題についてほとんど手付かずの状態だった。
環境問題を論じるのはいいことであるが、最近の環境対策は何かあからさまな政治的利権、もしくは政治的意図が絡んでいるように思えてならない。「エコ」が「エゴ」のように思えるのは私だけであろうか。

幸せに近づく コミュニケーションの処方箋

幸せに近づく コミュニケーションの処方箋 会社の人と自分を好きになれるQ&A集 (Nanaブックス) 幸せに近づく コミュニケーションの処方箋 会社の人と自分を好きになれるQ&A集 (Nanaブックス)
笹氣 健治

ナナ・コーポレート・コミュニケーション  2007-05-17
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コミュニケーションを行うというのは様々であるが、大きく分かれたら「いかに上手にしゃべることができるのか」「いかに人の意見を正確に聞くことができるのか」である。私は前者はそこそこできても後者がほとんどできない。そこで本書を読んだというわけである。
本書は様々なケースでのコミュニケーションによる対処の方法と現状について説明しているが、そのケースそれぞれが非常に生々しい。しかし本書に似通ったケースであればいいがケースは同じだが対処方法が違うという時もある。
そう考えるとコミュニケーションを良くするためにはという解決方法の糸口というのはまさに針に糸を通すかのように難しい。
「最高のコミュニケーション」は全員共通であるように見えて実は一人一人その目指す先は違うのではないのだろうか。その目標のための改善方法も様々であるので万人が通用するコミュニケーション本はないのではないのかと邪推してしまう。
コミュニケーション不足といわれる人もそうであり、対処方法というの人それぞれであるので、一手にコミュニケーション能力を解消できるすべというのは自分を省みてそこから本を通して直していくというのがいいかもしれない。

軍隊のない国家

軍隊のない国家―27の国々と人びと 軍隊のない国家―27の国々と人びと
前田 朗

日本評論社  2008-04
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日本の憲法9条には「戦争放棄」「交戦権の放棄」について明記されている。いくつかの論客や国民からは自衛隊は憲法9条に反するとして訴えているという(多くは敗訴しているが、中には違憲としている判例もある)。
本書はそういった憲法9条を見直しつつ、軍隊のない国家27カ国について迫っている。永世中立国をはじめ日本のように戦争放棄を憲法に盛り込んだ国もある。
それを挙げて自衛隊の意義や憲法9条の担保を結論付けているが、著者はとんだ思い違いをしているといっても仕方がない。27カ国は確かに軍隊はない。しかしものは言いようで軍隊とは別に義勇隊であったり、保安隊といった軍隊のような人たちを保有している国、さらには他国の軍、もしくは多国籍軍が駐留している国もあるため必ずしも軍隊がないとは言えない国々である。永世中立国でも自己防衛のために軍のようなものを持っている。
そういった国々を軍隊と呼べるのだろうかと著者に聞きたい。自衛隊も交戦や先制攻撃などはできない。それに自衛隊が解散してしまったらひたすら軍拡を続けている北朝鮮や中国に攻撃されて一巻の終わりというのが容易に想像がつく。
憲法9条は集団的自衛権ができなくとも軍隊とは別の義勇隊があったら違反なのだろうか。軍隊でも武器を保有せず、戦場の整理(災害派遣も含む)だけに駆り出される軍隊であればいいのか。その解釈の意義こそ統一、それよりも憲法改正を含んだ論議をすることで9条の意義や日本国憲法の在り方を見直すいい機会ではなかろうか。

強い会社をつくりなさい

強い会社をつくりなさい 強い会社をつくりなさい
小山 昇

阪急コミュニケーションズ  2006-06-13
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本書は30年の間にわずか3回しか減益をしていないという中小企業経営のカリスマである武蔵野社長の小山昇氏が「強い会社とは何なのか」、「強い会社にするには」を自らの経験をもとにして説いた指南書である。
ここで疑問に思ったのが「強い会社とは何なのか」である。「高い利益率を上げる会社」なのか、「つぶれずに長く存続できる会社」なのか、著者の会社のように「長い間利益を伸ばし続けられる会社」なのか。おそらく見ている本書を見ている限りでは最後の所が強い会社なのだろう。
さてその強い会社にするためにはどうすればいいのか。本書では働く意義から始まり、仕事の心得、時間の心得、コミュニケーションの心得、組織の心得、お金の心得、自己啓発の心得、教育の心得、非常識の心得に分かれている。本書を読んでみると形式ばったものが1つも載っていない。会社のやり方ひとつひとつに「心」が込められているようだった。それが力となり今日まで成長し続けた証なのかと思った。
そう考えると、多くの企業ではもうやめたほうがいいのではというようなことがいくつもある。しかし「伝統だがら」や「いつもやっている」という理由で片付けるのは非常にもったいない。経営者をはじめ企業の中枢にいる人たちこそ本書を読み、もう一回会社の中身を見直すことが日本企業の躍進、ひいては日本経済の底上げの一つの起爆剤になるのではと私は思う。

日本の値打ち

日本の値打ち―外資が殺到する本当の理由 (East Press Business) 日本の値打ち―外資が殺到する本当の理由 (East Press Business)
アンドリュー H.シップリー 坂元 美智子

イースト・プレス  2007-06-19
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本書は海外の戦から見た日本の値打ち、外資が殺到するその所以とは何かについて迫っている。ここ最近の日経平均や外国為替は外国人投資家の影響で円高・円安になる状況が続いている。なぜそれだけ影響を及ぼすことになったのかというと、外資の参入も含めて考えると日本には魅力があるからだという。どのような魅力なのかというと、まず外資からの目線は日本はものつくりの国である。その技術の高さは世界に誇る。とはいえそれを世に出すことをほとんどせずに終わってしまう。外資はそこに宝がたくさんあるからでこそ、他企業を買収しものつくりの技術を続々世に送り出し大儲けできるきっかけを作りたいという思惑があるように思える。
しかし日本にとってはいい迷惑かも知れない。外資の参入によって日本が抱えてきた伝統的な雇用形態が崩壊、さらには100年以上続く歴史を持った企業が買収され、海外のような経営形態をやらざるを得なくなり、ついには日本はあたかも経済的な植民地化にされてしまうという最悪の構図さえも生まれる。現に日本でも買収防衛策を行い成功している企業もいくつかある。日本が外資の参入を阻止したい気持ちわかるが、しかし外資に負けない、新しい日本的な経営をしなければいけない。とりわけ携帯業界がそうだろう。実際その業界は競争原理に基づかれているがそれも総務省が管理されているようにしか思えない。市場が開放されたらサムスンやノキアに呑まれてしまうことが目に見えているのだろうか。日本の企業の多くは守りに徹しているとしか思えない。世界にも見込まれるよりも世界を呑みこむ日本的経営を攻めに変えればもっと日本の経営も強くなるのではないだろうか。

感情暴走社会

感情暴走社会-「心のムラ」と上手につきあう (祥伝社新書120) 感情暴走社会-「心のムラ」と上手につきあう (祥伝社新書120)
和田 秀樹

祥伝社  2008-07-25
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クレーマーや暴走老人、感情の制御化効かずついカッとなってしまい取り返しのつかない悲劇を起こす人など、なぜこれほどまでに日本人は感情的になったのだろうかというのを考察したのが本書である。
戦後の経済成長によりものが豊かになったがそれの犠牲として心の豊富化というのが置き去りにされていたのかもしれない。そのつけが今になってこのような社会を生み出したのではないかと私は思う。
近年EQや前述の暴走老人が話題となっており、また精神医学への関心が高まっていることも事実であり、逆にうつ病など心の病も急増していることも要因である。
本書で最も多く主張していたのは「感情コントロール」だった。その中でEQを鍛える、「モノの見方」を変える、脳トレゲームなど多くの方法を提案している。
私事であるが私自身も感情的な人間である。音楽に携わっていたこともあってか高校・大学時代はものすごく喜怒哀楽が激しくどんな感情でもストレートに表現していた。それが独り歩きしてしまい後々取り返しのつかないことになったこともあった。その中でコントロールできる一つの方法が読書であった。私は1日に数冊読むようになったのだがその中で私はいまどのように思っているのか、自分を見つめ直すことができる。読書というは教養を蓄えるとよく言われるが、私はそれに加えて読みながら自分を見つめなおす、そして活字の中でまるで座禅をしているかのように物事を悟ることもできる機会であると私なりに思う。
感情的になっている人達には私なりには簡単なものでいいから読書を勧める。もしもそれが足りなかったならば私のように本の感想をブログにぶつけるというのも一つの方法である(ただし公序良俗の範囲内で)。

暴走老人!

暴走老人! 暴走老人!
藤原 智美

文藝春秋  2007-08
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ここのところ老人に関する事件が後を絶たない。殺人事件に発展するほどの事件から、万引きやいざこざなど枚挙にいとまがない。それだけではなく私事であるがよく中心部で本の買い物をするがよく帰り道で路頭にさまよう、もしくはベンチで寝ている老人をよく見る。それだけではない。自分が気に入らなかったらいたるところで怒鳴り散らす老人も増えている。ではなぜそういった老人が増えたのだろうか。
原因はおそらく長い間仕事に忙殺されてしまい老後として楽しみをなくしてしまったこと、核家族化・地域コミュニティ意識の低下による孤独感、カルチャー・ショックなどによるものではないだろうか。それにより自分に居場所がなくなり自分に対して振り向いてほしいという感情からきているのだろうかと本書を読んでつくづく思ってしまう。そう考えると今の俗物若者論と似通っているところもある。ということは親族、その息子たちの世代が積極的にかかわれるようになることが大切なのかもしれない。忙殺とされている時代だからでこそ在りし日の日本が持っていた地域コミュニティ意識の復活こそ若者の問題や本書のような問題の解決の糸口が見えるのではないだろうか。

これも経済学だ!

これも経済学だ! (ちくま新書) これも経済学だ! (ちくま新書)
中島 隆信

筑摩書房  2006-08
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一言で経済学というと市場の動向やその理論に基づかれている。そう考えると金銭などの需要と供給、株式市場や為替市場、生活にかかわっていくとすれば購買行動が経済学に大きくかかわってくる。というよりはそれしかかかわってこないのだろうかさえ考えてしまう。
しかし本書を読んでそういった固定観念が崩れ去るような感じがした。まず本書でかかわっている経済はなんと宗教と伝統芸能である。伝統芸能は栄枯盛衰でありその技術は進化や退化をしながら続いている。それも経済学にかかわるという。落語もその競争原理の1つであり、かつ将棋界もその範疇にはいるという。将棋界と言えば本書でも取り上げられているが参入障壁が非常に厳しいとして知られている。その障壁に風穴を開けたのが現在四段である瀬川晶司氏である。瀬川氏と言えば奨励会でプロ棋士にはなれなかったもののアマチュア界で活躍し、プロ棋戦においても高勝率をマークして(故・花村元司九段以来)編入試験で将棋界に入った。これにより編入試験がいくつか行われ三段リーグに編入した人もいる。そう考えると障壁は少しずつ緩和されているように思える。
宗教に関しては宗教的サービス、そして寺の新規参入の所を表している。宗教というと市場原理や競争原理とははるかに遠い位置にいるように思えるが決してそうに思えない。というのは創価学会や立正佼成会をはじめとした新興宗教の存在がある。会員を増やすための競争によって競争原理が成り立つと考えると宗教の世界でも経済原理が成り立つ。それが成り立つというのは「貧・病・争」が如実に表れるからでこそである。その中でも「貧」が大きく表れることにより宗教への依存も強まる。さて「貧」というと格差社会がピンと表れるが第4章でそれについて言及している。著者は格差、「弱者」はこの世に存在しないと言い放っている。弱者というのは経済的な困窮による弱者であるが、その弱者というのはどのようにつくられどのように定義されたのかという疑いが本書に表れている。弱者は生まれながらにしてできるものではなく、搾取や評価によってつくられ、レッテルを貼られる。一賢差別しているようには見えないけれども、見えないところで差別している世の中。弱者の叫びによりそれに擦り寄る人々。そう考えると今日の格差問題というのはつくられたものとしての認識なのだろうか、では一体誰がつくったのかという話になってくる。それに対しての保護を訴える人もいれば、自己責任として切り捨てる人もいる。その問題は自己責任なのか他己責任なのか分からなくなる。さらにいえば人間は必ずしも平等ではないという哲学者もいる。そうなると弱者というのはいて当たり前となってしまう。完全平等はむしろ不自然である。哲学、経済学的にそれが成り立つというならば平等の世界はないのではないだろうか。と考えるがきりがないのでここでやめておく。
本書のあとがきに面白い文言を見つけた。
「現代の若者を中心にみられる論理的思考能力の欠如は、数学教育の貧困さに原因があるというひとたちがある。(p.226より)」
論理的思考というと国語ではないだろうかという人もいるが、論理的思考の本来は数学である。「論理数学」があるくらいである。数学の証明問題がその最たるものであるが、悲しきかなその論理数学を敬遠する人が多いというのも事実(それだけではなく、数学全体を嫌っている人も増えている)。昨今の科学・数学離れというのはこういうところに暗い影を落としていることも肝に銘じなければならない(当然、論理数学の苦手な私自身もである)。

社会不安障害

社会不安障害―社交恐怖の病理を解く (ちくま新書) 社会不安障害―社交恐怖の病理を解く (ちくま新書)
田島 治

筑摩書房  2008-06
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「社会不安障害」というのは私自身ほぼ全くと言っていいほど聞いたことがなかった。「社会不安障害」とはSADと呼ばれ対人恐怖がその典型として表れるという。事実秋葉原無差別殺傷事件はこれによるものであるという声も少なくない。そういった障害が犯罪に走るなどの凶行に及ぶ影響もあり、さらにストレス社会、そして社会での人間関係による軋轢によりそういった障害が急増している。本書の第1章ではそんなSADの定義について述べている。
だい2しょうでは SADの病気の歴史について、第3章はその症状についてである。SADについてはなんと紀元前からルーツがあるが実際にこう言った言葉が出てきたのは1950年代からであるというが、日本ほどこの社会不安障害が顕著に表れている。それは日本の「恥の文化」によるものではないかという。そしてその症例というのは様々である、そもそもSAD自体の定義が広義であるためなのではないだろうか。
第4章ではそういったSADに関する批判である。ここで考えてなければいけないのが「内気な性格≠SAD」であること。とはいえど内気な人は薬を飲ませれば外交的になるといった詐欺も横行するのではないか、国を挙げてそういった詐欺に加担するのではないだろうかという批判なのだろうか。本書で言うにSADは単なる内気ではない、しかしSADや精神的な病によく効く薬ができると必ず群がる。本当に聞くのだろうかという疑いを持たなければいけない。そうでなくても自然に直す病をわざわざ薬得なおすというようなことをやるのは日本くらいである。しかし日本ほど多忙を肯定化する民族であるのは紛れもない事実である。非常に勤勉な民族である。休むという概念が薄い。そのために薬に頼ることが多いという。
第5章では社会不安を脳と心のメカニズムで解き明かしている。これについては脳科学の範囲になるのでここの部分についてはあまりよくわからなかった。
第6章は治療の実際であるが第4章で述べたこととほぼ同じ内容になる。ここではSSRI(フルボキサミン)やセロトニンという薬を挙げているが、はたして薬で完全に治癒できるのかというとそうではない。精神状態が不安定な人でも薬は出るのだがあくまでこれはその症状を抑えるためのものであるので根本的な治療にはならない。むしろそれについての治療はカウンセリングをする方法もあるが、「認知療法」というものもある。簡単にいえばその恐怖になれてもらうといういかにも荒療治のような方法であるが、この方法は現在日本でも注目されており、近いうちにこの治療法がメジャーになるという。
社会不安障害というのは私自身初めて聞いた病名だがストレス社会といわれている今、この症状はもう他人事ではないということを肝に銘じなければならない。それについての治療法が勉強になったが、ではそれについての予防策はあるのかという提示がほしかったように思えた。

F1 ベルギーGP ハミルトンのペナルティにより、マッサが繰り上がり優勝!!

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 F・マッサ フェラーリ 1:22:59.394
2 N・ハイドフェルド BMW + 9.383
3 L・ハミルトン マクラーレン + 10.539
4 F・アロンソ ルノー + 14.478
5 S・ヴェッテル トロロッソ + 14.576
6 R・クビサ BMW + 15.037
7 S・ボーデ トロロッソ + 16.735
8 M・ウェーバー レッドブル + 42.776
9 T・グロック トヨタ + 67.045
10 H・コヴァライネン マクラーレン + 1 laps
11 D・クルサード レッドブル + 1 laps
12 N・ロズベルグ ウィリアムズ + 1 laps
13 A・スーティル フォースインディア + 1 laps
14 中嶋 一貴 ウィリアムズ + 1 laps
15 J・バトン ホンダ + 1 laps
16 J・トゥルーリ トヨタ + 1 laps
17 G・フィジケラ フォースインディア + 1 laps
Did not finish
18 K・ライコネン フェラーリ + 3 laps
19 R・バリチェロ ホンダ + 24 laps
20 N・ピケ・ジュニア ルノー + 31 laps

まずレース終了の時点ではハミルトンのポール・トゥ・ウィンでした。しかし地上波で放送が終わる前後の時にペナルティが決定し、マッサが優勝という形となりましたが、マクラーレンが子のペナルティに異議を申し立てて控訴するということなのでまだまだ油断できない状況です。ポイントレースに大きく絡んでくるだけに油断できません。しかもすぐ次の週にはイタリアGPもあるので早期解決を期待したいものです。

それを除いて以下の雑感に入ります。

ベッテルが5位。ボーデが7位。トロロッソが初のダブル入賞です。琢磨がトロロッソでテストをすることになっているので、俄然注目の的です。

トヨタ勢、ホンダ勢はそろってノーポイント(本来はグロックが1ポイントであったが、ペナルティにより9位に降格)。トヨタ勢はきつい結果となりました。4位を維持していくにはもっともっとポイントが必要でしたが・・・次戦に期待するしかありません。ホンダはマシンが整わなかったのかペースが遅いように感じられました。

中嶋は14位。まずまずといったところですが、雨なのと波乱に乗じてというところでもう少し順位を上げてほしかったところです。そういう意味ではもったいないように思えました。

最も気になるのはライコネン。重要と言われたスパでのノーポイントは痛恨としか言いようがありません。しかもランキングもクビサに抜かれて4位。残り全戦をポディウムで終わらない限り可能性がほぼないと思ったほうがいいかもしれません。

次戦は来週、イタリア・モンツァ!!

最前線のリーダーシップ

最前線のリーダーシップ 最前線のリーダーシップ
マーティ・リンスキー ロナルド・A・ハイフェッツ 竹中 平蔵

ファーストプレス  2007-11-08
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最前線に立つリーダーというのは非常にかっこいい存在であり目標である。社会人たるもの目指すべきところがそこにある。しかしリーダーという存在は危険やピンチと隣り合わせであることを忘れてはいけない。本書ではそういった危険のケースからその予防策、そしてリーダーの原点について3部構成で書かれている。
第1部はリーダーシップになる危険とリスクについてである。危険についてはいくつ書かれていたがその最たるものが「喪失」であるという。自分なりの技術や能力でリーダーに上り詰めたが、上り詰めるやいなや自分の仕事に精彩を欠いてしまう、それによって地位や名誉も凋落の一途をたどりやがてはすべてを失う。そういう危険性がはらんでいることを忘れてはならない。またリーダーシップとしてのリスクを「脇に追いやられるリスク」「注意をそらされるリスク」「個人注意されるリスク」「誘惑されるリスク」の4つがあるという。「脇に追いやられるリスク」と「個人注意されるリスク」はやや似ておりその両方は他者からの妬みによって孤独感を増してしまうというリスクが生じるという。そしてそれを気にしすぎてしまうあまり仕事にも精彩を書き凋落してしまう危険性もある。だからといってそれを無視しすぎると今度は仲間からの信頼を失ってしまう、もしくは距離を置かれてしまう危険性もある。本書にも書いてあるがそれを対処するのは非常に難しく厄介である。それによる対処法というのも同時に見つけてみたかったが本書には書かれておらず残念だった。「注意をそらされる」はリーダーになることにより仕事の量が極端に増えさらには責任感により多くのことにアンテナを張り巡らさなければならない。ちょっとした注意の散漫によって凋落してしまう危険性があるというリスクである。これは最後の「誘惑されるリスク」とよく似ている。「誘惑されるリスク」も特別な自分になるという誘惑に負けてしまうことで注意力が散漫してしまうリスクを表している。後の第3部について書かれていた「慢心」もその誘惑の一つであろう。慢心についてはシーザーに関しての有名な話がある(「ブルータス、お前もか」という名言の根源)。これも誘惑などの注意力の散漫にとらわれず我が道を行く、しかしそれにとらわれすぎず周りを見ながら行動できることこそ真のリーダー像ではないかとここの部分を読んで思った。
第2部ではそんな危険なリーダーシップを発揮しながら生き延びる5つの方法を提示している。「全体像をつかむ」「政治的に考える」「衝突を指揮する」「当事者に作業を投げ返す」「攻撃を受けても踏みとどまる」である。簡潔にいえばリーダーというのは物事の全体像を見てとりその中で適材適所に人材を配置させ、問題点があればそれに対しての解決法を提示させ、攻撃を受けても過剰なく受け止める。それがリーダーの力である。当たり前のようではあるもののそれを実行に移せるリーダーはこの世にどれくらいいるのだろうか。知っていてもそれを実行に移さなければ宝の持ち腐れである。実行しても思い通りにいかないことがある。その時こそ本書では書かれていないが自分を顧みることが大切ではなかろうか。
第3部ではリーダーシップの原点を論考している。本書では「渇望をコントロールをする」「自分自身をつなぎとめる」「原動力を把握する」「神聖な心を保つ」と書かれているが、読んでみるとビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスがいかに強い存在であったか、はたまたはペルーのフジモリ元大統領や台湾の李登輝元総統がいかにリーダーシップを発揮したのかというのが手に取るようにわかる。端的にいえば「「公」のために「私」を捨てることで生かす」に直結しているのではないだろうかと思う。つまりいかに情にとらわれず公のためにつくすことであり、人の良さは関係なく、残酷になりながらも公に生かすのである。時には無情にならなければならない。そういったことが大切である。
リーダーというのは非常に難しい役割であることがよくわかった。それと同時にリーダーとしての心構えが理解できる1冊であった。最前線のリーダーというのは一見かっこいいように思えて実は1本の綱を目隠しをしながら渡っているほど危険なことである。リーダーになる前の人にとっては必読の1冊と言えよう。

F1 ベルギーGP ハミルトンがスパ初PP!! そして優勝予想

結果は以下の通り(GPUpdate.netより)。

Pos.ドライバーコンストラクターズTyresTime
1 L・ハミルトン マクラーレン 1:47.338
2 F・マッサ フェラーリ 1:47.678
3 H・コヴァライネン マクラーレン 1:47.815
4 K・ライコネン フェラーリ 1:47.992
5 N・ハイドフェルド BMW 1:48.315
6 F・アロンソ ルノー 1:48.504
7 M・ウェーバー レッドブル 1:48.736
8 R・クビサ BMW 1:48.763
9 S・ボーデ トロロッソ 1:48.951
10 S・ヴェッテル トロロッソ 1:50.319
11 J・トゥルーリ トヨタ 1:46.949
12 N・ピケ・ジュニア ルノー 1:46.965
13 T・グロック トヨタ 1:46.995
14 D・クルサード レッドブル 1:47.018
15 N・ロズベルグ ウィリアムズ 1:47.429
16 R・バリチェロ ホンダ 1:48.153
17 J・バトン ホンダ 1:48.211
18 A・スーティル フォースインディア 1:48.226
19 中嶋 一貴 ウィリアムズ 1:48.268
20 G・フィジケラ フォースインディア 1:48.447

ハミルトンがPPとなりました。マッサは完璧なラップをしたと言っていましたがその上がいたようです。そう考えると決勝では追いつけない可能性もあるのではと考えさえします。

昨年の優勝者であるライコネンはセカンドローからのスタート。決勝で逆転は非常に難しいですが優勝を狙ってほしいものです。

トロロッソ勢が2台そろってQ3進出は意外でした。決勝で大暴れするといった感じでしょうか。

逆にトヨタ勢はそろってQ2落ち。ここではトヨタ勢は弱いのか、それとも決勝へ温存なのか。決勝での巻き返しに期待するしかありません。

中嶋は19番手のスタート。雨による波乱があればポイントは狙えるのですが…。

ホンダ勢も後方からのスタート。これも巻き返しに期待するしかありません。

さて、優勝予想です。

本命:ハミルトン

対抗:ライコネン、マッサ

要注意:コバライネン、アロンソ、ベッテル

波乱があろうが無かろうがハミルトンが優勝するのではないのかと。ただ1コーナーでマッサがトップを奪えば話は別ですが。ライコネンは波乱に乗じて優勝をもぎ取るか、ピッと戦略を巧みに利用して優勝をつかむかしかないでしょう。1コーナー後の位置関係次第で優勝できるかどうかも大きくかかわるので。トロロッソ勢も油断できません。もしかしたらダブルポイントとなるかもしれません。

F1 ベルギーGP PP予想

後半戦ですがポイントレースは接戦状態です。ハミルトンがトップなのですがその少し後ろにはマッサ・ライコネンのフェラーリ勢も追ってきているのでここの争いも目が離せません。しかもダーク・ホースのクビサもじりじりと追い上げていますからね。

さて、今回はスパ。ライコネンが3連覇しているところです。ライコネンはここで勝たないとチャンピオンの可能性がぐっと低くなるのでここは取っておきたい所。フリー走行では2回目でクラッシュ。大丈夫でしょうか。1回目はマッサ、2回目はアロンソがトップということを考えるとちょっと難しいかもしれません。しかもスパ・ウェザーもあるので予想しにくいのなんの…。

さてPP予想といきましょう。

本命:マッサ

対抗:ハミルトン、ライコネン

要注意、コバライネン、アロンソ、クビサ

といったところでしょう。でも雨が降ったらだれになるのか本当にわかりません。

宗教 VS 国家

宗教VS.国家 (講談社現代新書) 宗教VS.国家 (講談社現代新書)
工藤 庸子

講談社  2007-01-19
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日本国憲法20条には政教分離の原則が明記されている。さてこの宗教分離は一体どこが源流であるのか。それはフランスにあるというのが本書である。フランスでは1895年に「スカーフ事件」が起こり、それを契機に1905年に政教分離法が定められ、ほぼ完全に宗教と政治との分離が相成った。しかしフランス革命はそれより100年前に起こったがその中で政治と宗教の確執が100年間も続いた。それが決定的となった事件が「スカーフ事件」となっている。それ以前はキリスト教により政治が支配されていた。その政治と宗教というのはかかわりをもっていたのか、なぜ政教分離を推し進めなければならないのかと考えると民俗学的観点から求めるべきなのか、政治学的観点からみればよいのかということも考えなくてはならない。ただ本書はフランスにおける政教分離の歴史について書かれているので前述の命題については別の本で解き明かしたい。
本書は人権ということに関してマザー・テレサから始まっているが、昔キリスト教に政治を支配されていたと考えると政教分離に反しているといってもいい。政治と宗教とは切っても切れないものなのか。あるいは政教分離というのは名ばかりなのかというのも問い詰める必要は本書にあるのではないだろうか。

個人情報「過」保護が日本を破壊する

個人情報「過」保護が日本を破壊する [ソフトバンク新書] 個人情報「過」保護が日本を破壊する [ソフトバンク新書]
青柳武彦

ソフトバンククリエイティブ  2006-10-17
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今、プライバシーの権利にかかわる事件が急増している。しかしプライバシーの権利や個人情報保護法にとらわれすぎていて、社会全体が窒息しかねないと警鐘を鳴らしているのが本書である。情報保護に関する問題は何もコンピュータ情報流出に限ったことではなく、福知山線の脱線事故のときにも安否確認ができない状態となった。これも個人情報保護法の弊害とも言われている。さらには阪神淡路大震災でも別の部分で理由があるものの救済が遅れてしまい約6000人もの死者を出す大惨事となってしまったことも記憶にとどめないといけない。ここ最近のプライバシー侵害事件然り、個人情報保護法違反然り、不自然なところがあるというのも否めない。法律や権利の解釈は人それぞれであるがあまりにも拡大解釈されすぎてしまっているのではないかという疑問さえも出てくる。当然セキュリティなど情報に関する保護はなくてはいけないがそれをどの範囲までを法律で遵守しなければいけないのかというのも考えなくてはならない。

医療再生は可能か

医療再生は可能か (ちくま新書) 医療再生は可能か (ちくま新書)
川渕 孝一

筑摩書房  2008-04
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医師不足、「モンスター・ペイシェント」、救急車の私物化、リピーター医師、尊厳死問題…。医療に関する問題を挙げていくと枚挙に暇がない。
本書はそんな医療の現状の整理と経営者の側からの解決策について書かれている。とりわけ「医療費」について多く言及している。
本書のあとがきで気になるキーワードがあったので紹介する。
「国が自分に対して何をしてくれるのか、ではなく、自分が国に対して何ができるのか」
後期高齢者医療制度改革に関しての廃止論が根強いが、高齢者の人口が増加している。これからの医療費の国の負担が増加することは確実である。当然後期高齢者に対しての負担の増加はそう考えると自然であるが、それへの廃止論は叫ぶのはいいがそれに対しての補填も考えなければならない。野党をはじめとした反対論者はそういった補填は考えているのだろうかという疑いをもってしまう。実際それを国家予算で補填すると税収を上げなければならない。消費税や相続税も上げなければならない。しかし消費者の立場から増税反対は自然である。私は増税は仕方がないが、国民は政治に対する信頼がない。そういう人たちに税金を渡せないというのはわかる。では政治を信頼するためにはどうすればいいかというと選挙である。国民は選挙による1票によって決まる。したがって自分が国に対して何ができるのかというのは選挙である。国が自分に対してこう保証してくれというよりも自分が国に対してやってくれるような候補者に投票をすること、それが国民に対しての義務ではなかろうか。

東京裁判への道2

東京裁判への道(下) (講談社選書メチエ) 東京裁判への道(下) (講談社選書メチエ)
粟屋 憲太郎

講談社  2006-08-11
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下巻に移ると今度は一気に変わり日本の自主裁判、A級戦犯容疑者の釈放と細菌、毒ガス戦での罪状の在り方、そして東京裁判の在り方について書かれている。まずここではA級戦犯の釈放について7人の死刑終了後、起訴されず釈放されたA級戦犯を「A’級」として扱っているところが特徴的である。A級戦犯として起訴されたのは全部で28人であるがそれ以外にもA級戦犯として起訴はしていない者の巣鴨プリズンに収監されたり聴取・尋問を受けたりしている人も数多くいる。最近・毒ガスというと七三一部隊が有名であるがこれについても興味深い。というのは七三一部隊は生物・価格の分野から軍事的に研究を進める機関である。その中で細菌兵器や毒ガス兵器の開発にもあたり、中国人やモンゴル人など約3千人を虐殺したとされているが、これについては証拠の疑問点が多く立証できていないのが現状である。むしろ虐殺は行われていないという声もあるが、現時点では行われていないということが正しいのかもしれない。しかし本書では毒ガス戦も裁判の立証にできたと言っているが、政治的な裁判でも立証できると言ったらそうである。しかし立証されなかったのは米軍との取引によるものであったという。ちなみにこの部隊の幹部の一部がミドリ十字(現:田辺三菱製薬)を設立した。ミドリ十字と言えば薬害エイズやC型肝炎のことで有名であるが本書と趣旨がずれるためここでは割愛させていただく。さいごではちょっと聞き捨てならない、もとい読み捨てならないところがあった。
「東京裁判では、日本の植民地における朝鮮人強制連行、「従軍慰安婦」問題、毒ガス作戦など…これら一方的な「勝者の裁き」では実現しないことである。(p.183より一部抜粋)」
本当にそうだろうか。では勝者の裁きでは実現しないとすれば広島・長崎の原爆による30万人もの虐殺も東京大空襲における20万人もの虐殺も裁かなければならない。つまり戦勝国においても日本人に対する虐殺により罪に問われなければいけないことがあるのにもかかわらず不問になっていることがおかしい。それに東京裁判というのは国際法に基づいて裁判を行っておらず連合国各国の思惑によって裁かれたというのは忘れてはならない。

東京裁判への道1

東京裁判への道(上) (講談社選書メチエ) 東京裁判への道(上) (講談社選書メチエ)
粟屋 憲太郎

講談社  2006-07-11
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本書は終戦からA級戦犯逮捕、そして東京裁判、そして判決までの過程を調書等をもとにして上・下の2部編成で書かれている。とは言っても東京裁判に関する文献は結構多く今年はそういう文献が出版されている。というのは今年の12月23日にはA級戦犯処刑執行60周年にあたる年である。実際東京裁判に関する文献を読みたいと思っていたのも今年であったというのは何たる偶然のことか。まず上巻では木戸幸一の弁明、そして検事団と裏取引をした田中隆吉少将の告発に関して書かれていた。陸軍をはじめ多くの軍人はこの2人を蛇蝎のごとく嫌ったというのはあまりにも有名である。ちなみに田中隆樹の告発についても重光葵は短歌で表しながら批判しているくらいである。ちなみに軍部がなぜ木戸幸一を嫌ったのかというと木戸自身の日記による告発よりも天皇を守っているという優越感による批判である。とりわけ巣鴨プリズンから東京裁判所へのバスにて佐藤賢了や橋本欣五郎らが罵倒していたことも有名である。それを考えると裁判で一切の沈黙を守った広田弘毅と正反対である。ちなみに木戸自身は広田の裁判の姿勢に対して「立派なことだと思うが……つまらん事だと思うんだ」とも述べた。ちなみに広田弘毅の所で書いていなかったが広田の逮捕は近衛文麿の自殺と関連するという。本書でも第3章で書かれているが、近衛文麿は逮捕令が発布された10日後に服毒自殺している。歴史に「もし」はタブーであるが、もし近衛文麿が生きていてかつ東京裁判に臨んでいたならばほぼ確実に死刑になっていただろう。広田弘毅が近衛文麿が行った所業一切を罪状にかけられたといってもいいくらいのものであるから。

参議院なんかいらない

参議院なんかいらない (幻冬舎新書) 参議院なんかいらない (幻冬舎新書)
村上 正邦 筆坂 秀世 平野 貞夫

幻冬舎  2007-05
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本書が発売したのは昨年の5月下旬。衆議院も参議院も過半数に達しており「ザル議院」と形容されていた時である。しかしいらないという論から2カ月に破産議員通常選挙がおこなわれ、与党大敗により「ねじれ国会」となった。これによって国会が面白くなった反面、法案がほとんど通らない事態となった。これにより読売グループ会長であるナベツネこと渡辺恒雄氏の提唱による大連立構想により政権奪取秒読みと思われた民主党が突如失速した。このねじれ国会となったことにより著者の一人である筆坂氏は参議院不要論から必要論に転じたという。ただ未だに不要論を唱えている人の中には本書の第2章にもあるとおり「タレント議員の府」としての役割を持っているというところを指摘している。さらには衆議院と同じくほとんどがどこかの党に所属しているところも挙げている。
そもそも参議院とはどういった府なのか。簡単にいえば「良識の府」とも呼ばれており、無所属議員が多くそれぞれの良識なる価値観から法案が通ったり通らなかったりしていたという。しかし時がたつにつれ政党の議員が増えはじめ今となっては一握りしか無所属の議員しかいなくなった。そう考えると今の参議院の有様により参議院不要論を唱える人の気持ちがよくわかる。
では参議院を再び「良識の府」とするためにはどうすればよいかとなる。本書の第6章ではその提案がいくつか書かれている。まずは定数100人削減。これは一寸首をかしげてしまう。果たして改革となるのだろうかと。次に党議拘束を外すこと。これは最低限できるだろう。いきなり全員無所属になれというのは少し暴論じみているだけに、政党議員でありながら党の思惑に惑わされることなく自分の意見で法案の賛成・反対を投票することこそ「良識の府」のための一つの形態と言えよう。

悩む力

悩む力 (集英社新書 444C) 悩む力 (集英社新書 444C)
姜 尚中

集英社  2008-05-16
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「悩む」ことは重要なことである。本書では夏目漱石やマックス・ウェーバーを中心にして「悩む」ことを展開しているが。私自身「悩む力」は上記にデカルトが入ると思う。デカルトというと「我思う故に我あり」というのが有名である。懐疑論として有名であるデカルト、物事を疑いながらかかっており、その中で本当の答えが何なのかと悩んだとしても知られている。あくまで私見であるが。
まず第1章は「私とは何者か」であるが、これは永遠の課題である。しかし様々な本や旅を通してどのような人かというよりも「どのように生きていけばいいのか」という道標になる。それにこれほど「個」「私」が大事になってしまったのだろうかと考えてしまう。しかし働く時には「個」や「私」は大事にしないほうがいい、個性が強ければ強いほどである。台湾元総統である李登輝は自我が強かったが「国」のために「私」を捨てた政治家として有名である。それによって台湾民主化に向けて尽力を行った。
第2章は「金」についてである。「金は天下の回りもの」という諺はある。当然生きていく上で金というのは必要ではあるが、しかし持ちすぎることによって金銭的、もしくは理性的自立を失ってしまうのではないのかと考えてしまう。それを考えると私の持論であるが「金=悪魔」という等式が成り立つ。そして金以外にも「齢(年をとること)」についても言及している。日本は超高齢社会にますます近づいている。しかしその反面「暴走老人」の如く自己中心的な老人が増えていることも事実である。その要因は労働により忙殺されたことによる余暇の取り方がわからなくなってしまったこと、核家族化などによることが要因ではないだろうか。
第3章は「知」についてである。私も本を通して知識を蓄えているがクイズでたくさん正解することがすべてではない。知識を得ることは決して悪ではないものの持ち腐れになってしまうと無駄となってしまう。知識を得た後何を為すべきか、ということを考えないといけない。もしくは知識を行動によって血肉と化すことも一つの手段といえるのではないだろうか。
第4章は「青春」である。「青春」のイメージだと中・高生が部活動で輝く姿であるが、実際の青春はそうではない。当然悩み続けることも地味ながら青春であり、また年老いても自分が求めることに躍起になっている人も青春といえるだろう。
大きく飛ばして最後の「最強の「老人」たれ」。老人力という本はあるが著者は老人力とは「攪乱する力」としている。「老害政治」といった本も出されているように政治や経済に関しても老人や外国人が中心に動いているといってもいいかもしれない。そう考えると老人は原動力だという考えもあるが逆に振り回されるとそういった「攪乱する力」が表れるのではないだろうか。
「悩む力」は後々の大きな力となるが、立ち止まりすぎても仕方がない。悩みながらも歩を進めていかないと人生はやっていけないと私は思う。

民主党の研究

民主党の研究 (平凡社新書) 民主党の研究 (平凡社新書)
塩田潮

平凡社  2007-12-11
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福田首相が退陣を表明し、解散総選挙の流れが加速しそうな様相である。今月には民主党の代表選があるがそこで民主党がどのような変遷をたどっていったのかというのを簡単におさらいする。
民主党は1996年に菅直人・鳩山由紀夫の両代表によって立ちあがった。そう考えるとすでに12年も経過したと思うが、それでも12年しかないかという感じもする。結成からなんと9年もの間菅か鳩山が代表という時代だった。ほかに代表として有能な人材がいなかったのか両者が互いに権力をとりたがっていたのかというのは不明である。それが崩れたのが2005年に岡田克也が代表になった時であるが、2005年の解散総選挙で大敗しその責任を負って辞任をした。私自身、このときの民主党のマニフェストはもっともよかったように思える。というのは施策と「リスク」を同時に公開していた。特に社会保障をする代わりに社会保障税目的で消費税を3%上げるということである。国民にとって利益となる政策は確かに多いがそれに関してある程度リスクを背負う必要がある。それを明確にしたということから評価できる。しかし郵政民営化ばかりが見えてばかりで結局具体的なマニフェストが雲隠れしたことにより大敗を喫してしまったのではないかと私は思う。そのあと前原政治が代表となったが永田元議員の偽メール問題により引責辞任。小沢が代表となり現在にいたる。もうそろそろ民主党代表選の告示日だが小沢氏の無投票での3選がほぼ確実の様相である。
民主党は野党第1党として先の参議院選挙で第一党となりねじれ国会の最大の役割を担った。暫定税率問題などで自民党に揺さぶりをかけながら政権奪取に向けて躍起になっている…と言いたいところだがここ最近ではその勢いが失っている気がする。現に小沢代表自身が政権奪取したいのかという疑問もある。もしくは大連立構想によるドタバタ劇を見ると「壊し屋」の本領が民主党に災いをもたらしたといっても仕方がない。おそらく来年1月に解散総選挙の様相であるが果たして民主党は政権奪取できるのかという試金石となる。自民党も福田首相の退陣劇により総裁選が22日に行われる。麻生氏が最有力である。そう考えると早期解散を求めると3分の2は割れるものの政権奪取ができるほどの議席は難しいように思える。民主党はもっと腰を据えたマニフェストの構築に時間をかけたほうがいいのではと思う。

天職力と転職力

天職力と転職力 (角川SSC新書) 天職力と転職力 (角川SSC新書)
小島 貴子

角川SSコミュニケーションズ  2007-10
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日本の雇用形態は終身雇用制が崩壊され、欧米並みに転職が多くなってきた。つまり「会社人間」や「仕事人間」の観点が崩れてしまい仕事をすることは、プライベート重視となっていくことになっていき、「個」が強くなっているように思えてならない。
さて本書は転職を行う、天職につくにあたりどのような力が必要なのか、どうやって身に付くのかということが書かれている。転職をしようとする人でも社会人1年目の人にもそのような能力を身につけたらよいのかというのを学んだほうがいいと私は思う。最後にはシートが用意されているので本書を買ってコピーを取り少しずつ実践していくことをお勧めする。

「不利益分配」社会

「不利益分配」社会―個人と政治の新しい関係 (ちくま新書) 「不利益分配」社会―個人と政治の新しい関係 (ちくま新書)
高瀬 淳一

筑摩書房  2006-08
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田中角栄時代から地方へのバラマキ政治が始まった。しかし現在日本の赤字国債の累積残高が850兆円となった。このままでは日本が破たんしてしまうし、バラマキもほとんどできない状態となった。そこで国民への負担をどこまで分配できるかという「不利益分配」政治というのが橋本龍太郎内閣以後の課題となり小泉内閣以降はそれが顕著に表れたといってもいい。
さて本書ではそれだけではなく現在の日本の政治の在り方についても釘を刺している。現に小泉以来カリスマ性をもった、自分の政治にポリシーを持った政治家がいないというのが現状である。現に本書でも書かれているように「ミニ角栄」や「ミニ小泉」というようにカリスマ性のある政治家のまねごとをやっているような政治家も少なくない。また調整型リーダーとなっている政治家や閣僚が多いことも日本の政治の現状として言える。もともと国際政治というのはイニシアチブをとってなんぼの世界であるのである種の「ヘタレ」といっても仕方がないような気がするのは私だけであろうか。それだけではない現在のメディアは政治をドラマ、もしくは喜劇化、ワイドショー化していることも事実としてあげられる。また失言の揚げ足を取って一斉に批判というのもお決まりなことである。それによって有能な政治家がそのあおりを受けて辞任に追い込まれることもいくつかある。とはいえ度国民への政治の関心を持たせるためには政治を取り上げることはなくなってはいけないものの今のような報道体制では正しい政治的見識が身につかない。ではどうすればいいかと考えるとメディアばかりに注視するのではなく本を読んだり新聞を見たりして疑いながらその問題を考えていくことが大切である。それが多ければ多いほど「国民は三流」という域から脱出できるのではなかろうか。

自民党の終焉

自民党の終焉―民主党が政権をとる日 (角川SSC新書) 自民党の終焉―民主党が政権をとる日 (角川SSC新書)
森田 実

角川SSコミュニケーションズ  2007-10
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角川SSC新書が創刊した記念すべき1冊目が本書である。本書は昨年の参院選の結果から自民党の終焉が来るのではないか、民主党の政権交代があるのではないかと予想している。しかし現実は本書の予想とは外れてしまったことは皮肉と言えよう。参院選の後には自・民の大連立構想があり小沢代表の辞任騒動により民主党の信頼が失墜してしまい、求心力を低下してしまった。さらには揮発油税暫定税率問題でも攻めきれずとうとう会期末に問責を出す始末。早期解散を目指したが結局今になっても解散総選挙を行う気配がない。さらには福田政権に対する信頼の失墜もあって政治離れの危惧感も禁じ得ない。しかし福田総理が辞任を表明したことにより麻生氏が首相になることがほぼ確実の様相を見せているが、麻生陣営となったらおそらく支持率は7割台くらい。そこで解散総選挙といってもおかしくはないが果たして……といった感じである。
とはいえ良くも悪くも参院選の影響により衆・参の「ねじれ現象」がうまれ政治的に緊張感が生まれたことも間違いない。前には参院選不要論では衆議院で通った法案をそのまま通すような形となったがこの現象でそういかなくなった。民主党の同意がなければ法案が通らないような減少となったことを考えると参議院の必要性も強くなったのではないかと考える。しかし参議院の意義とは少し外れる。もともと参議院は無所属議員がほとんどで党による干渉を受けない良識の機関として初めて成り立つ機関である。そう考えると今でも参議院不要論というのはある程度わかる。
解散総選挙は「1月解散論」が主流となってきているが、可能性は低いもののもしかしたら2例目の任期満了による解散総選挙になるのではという考えもある(ちなみに1例目は1976年の三木内閣の時、ロッキード解散とも言われている)。まさかそこまで解散はないと言っているのだろうか。

クール・ジャパン 世界が買いたがる日本

クール・ジャパン 世界が買いたがる日本 クール・ジャパン 世界が買いたがる日本
杉山 知之

祥伝社  2006-02
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日本のアニメは世界的にも高い評価を受けていることは紛れもない事実である。海外では「ジャパン」と「アニメーション」を合わせた「ジャパニメーション」という造語がつくられるほど人気沸騰である。
しかしそこまでブームとなっているのにもかかわらず日本のアニメ界はそれを武器にして世界に市場を広げないのだろうかという疑問が浮かぶ。世界中ではこのジャパニメーションを買いたがっていることは事実であり、とりわけハリウッドでは先だって日本のアニメをハリウッド流に実写映画化している(トランスフォーマーがそう)。
第1章ではそんなアニメ人気の現状について書かれており章題では「「クール」の帝国・ニッポン」と名付けられているとおり「ジャパン・クール(日本カッコイイ!!)」と呼ばれている。なんとアメリカやフランスに限らず反日感情むき出しとなっている中国や韓国でさえ日本のアニメについて評価している。それによる若者の「反日(歴史認識等)・知日(アニメ等による)化」も著しい。
第2章は現在の日本のコンテンツ業界の現状についてである。アニメをはじめ日本のカルチャーは注目されているがそれが売り上げに結び付いているのかというとそうではないというのが現実である。現にアニメよりも浸透していた日本のゲームは北米市場での売り上げが減少の一途を辿り苦しい状態が続いている。ニンテンドーDSが出回っているがそれが巻き返しとなっているのかもまだ謎である。さらにいえば世界のコンテンツ業界の中で日本のコンテンツがどれだけ影響を及ぼしているのかというと微々たるものである。しかし世界的にも不利な立場ではあるが認知度の観点からしても日本のコンテンツ業界が世界から見てもかなり消極的である、もっと悪く言えば根性無しであるとしか言いようがない。それを言うとコンテンツ業界は著作権を過度に意識していることから著作権意識が様々である世界に向くことを恐れているのではないかと推測する。コンテンツ業界のビジネスモデルが未成熟ということも考えられる。
第3章は「「ジャパン・オリジナル」の強さ」であるが日本の技術の高さについての強みについて書かれているが、途中では日本独特のエロティシズムであるが、これは賛否双方ともに意見が多い。しかしディズニー作品でもエロティシズムな表現が少々ながらも見られる。憲法には「表現の自由」が担保されている(とはいえ公序良俗の範囲内であるが)。そう考えると過度に反応しすぎであるのではないだろうか。
第4章は秋葉原発の世界の「オタク」について迫っている。最初ではメインカルチャとサブカルチャーの境界線であるが、もはやアニメなどのコンテンツはサブカルチャーと呼ぶことは非常に難しい。というのはサブカルチャー事態の定義は日本ではそういう文化であるが世界的にあまり知られていないという定義である。もはや世界的に認知されているコンテンツ業界は呼べない状態になっている。そこで私は「ポップ・カルチャー」と定義している。オタクという単語自体はすでに世界に波及しているがそもそもオタクの語源については諸説があり、もともとアニメファンからできた説があればSF小説から来たものであるという説もある。 いずれにせよアニメに帰着したのは紛れもない事実である。
第5章はそういった文化を生み出す人々にスポットを当てているが、日本にはそれをリードするようなクリエイターが一握りしかいないのが現状である。クリエイターを目指す学校は多数あるがそこの行使が現役のクリエイターである場合が多い。当然忙しい間を割いて教えているため製作にも支障をきたしてしまう。それでは有能なクリエイターが生み出されないのは明らかである。しかしクリエイター市場は暗いわけではない。アニメだけではなく活躍の場が広がっているのも事実である。それを考えるとクリエイターが斜陽産業となる日は遠く、まだまだ成長し続けるおいしい場としても言えるのではないだろうか。
そして最後は世界戦略である。日本のアニメは世界に認知されているのは周知の事実である。それを売りにすることができるチャンスがあるのが日本の強みといってもいい。では政府はそして財界はそれを生かすのか殺すのかと問いたくなる。日本には地下資源がない。農産物の生産も限られた違反が輸入に頼るしかない。では日本独自のウリは何なのか。ものつくりである。しかし電気など様々な物作り市場は現在では海外の企業に負けているのが実情である。とするならば今残っている切り札は少なく、それでいて効果のあるものと言えばアニメなどのコンテンツではなかろうか。「クール・ジャパン」を最大のウリとすれば日本の強さも吹き返すのではないだろうか。

部下を好きになってください

部下を好きになってください 部下を好きになってください
内永 ゆか子

勁草書房  2007-01-30
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本書は著者がIBMの執行役員自身であるがその方の自叙伝を交えながら部下の付き合い方について書かれている。
まず目についたのが第2章の部分。著者が小学校の時である。学校の先生に日本の国旗につて質問したところ答えてくれなかったというエピソードであるが、エジソンを思い浮かぶような感じである。エジソンは小さいころからいろいろなことに「なんで?」「どうして?」という質問をすることが非常に多かった。小学校時代もそれが変わらず先生から親に「この子はバカです」と言われ、小学校を退学したという話もある。ずっと質問ばかりしたことが要因かどうかわからないがそれによって天才発明家としての人生を歩んだという。そう考えると物事の本質を見たいという好奇心こそが自分の成長する糧ではないだろうかと。それによって著者がここまで昇進できた最大の要因ではなかろうか。そして昨今の日本の教育事情もそれがないように思える。まして「詰め込み教育」も良さはあるが「なぜ」という問いを自由に答えたり、討論においての交渉・ディベート力の欠如も招くという負の側面もある。「なぜ」という問いを持たせる、そしてこたえられるような教育があればいいと考えるが、それこそ寺脇研が文科省官僚時代に提唱した「ゆとり教育」の本質ではなかろうか。
第4章には決断力、そして度胸の強さを感じた。今の社会は女性登用が多いと言われている。そう考えると今の社会は男性だからといって優位になるわけでもなく、女性だからといって昇進できない。男性でも女性でも平等にチャンスがある。度胸、決断力、リーダーシップなど様々な要素が入り混じってはじめて頭角を現すことができる(「総合力」と言ってしまったらそれでおしまいだが…)。そして表題の「部下を好きになってください」が第5章で出てくる。
女性のキャリアアップでの指南書としては良書ではあるが、「部下を好きになってください」ということなので、部下とのコミュニケーションの話にもっとページを割いてほしかったように思えてならなかった。

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